1以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/28(土) 22:49:36.47 ID:H6G5a4b30

 
何かひとつ、――大切なものを失くした


  ベットに預けた体を起こし、スタンドに座るギターへ目をやる
  小さい頃から頑張って練習してきたギター、今は触れる気も起きない。


  ――触れることが怖い

  私の失くした“何か”を思い出すから
  思い出すと、勝手に涙がこぼれてくるから
  こぼれた涙は、意味も無く私の心を濡らすだけだから


  また私は体を横にして目を瞑る
  無が全てを覆いつくし、爛れた私の心を癒してくれるのをジッと待つ。

 




7以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/28(土) 22:55:02.28 ID:H6G5a4b30

 
「――じゃあね、あずにゃん。」

  一月前に聞いた最後の言葉
  私に明るく言い残していった言葉

  その日は週番もなく、早めに部室へ向かっていた。
  いつも通り階段を上り、いつも通り部室の扉を開ける。

「今日は早いんだねー。」

  日頃荷物置き場になっている長椅子、そこに掛けている唯先輩

「ええ、それより他の皆さんはまだ――」

  言い掛けると私は彼女に抱きしめられていた。
  日頃のそれよりずっと優しく、大切に

「お願いだよ、――何も言わないで?」

  肩まで伸びた髪が私の顔を優しく撫でる。
  行き場のない私の両手、離れ際にそれをそっと手にとると

「――じゃあね、あずにゃん。」

  そう言い残し、唯先輩は部室を出て行った。


  夢はいつもここから始まる――
                  ――――――――――――


16以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/28(土) 23:00:04.37 ID:H6G5a4b30

 
「――ニシシ、照れるな照れるなっ?」

「ひ、人をからかうな! バカ律!」

  一人きりだった部室の扉が開く
  澪先輩に律先輩が覆いかぶさりながら部室に入ってくる。
  いつも仲の良さそうな二人、続いて入ってきたムギ先輩に

「あら、こんにちは、梓ちゃん。」

  そう呼びかけられ、私は意識を取り戻す。

「あ、皆さんこんにちは、さっき唯先輩が――」

「ん? 唯なら今日欠席だぞー?」

  ――え?

「ああ、憂ちゃんから聞いてないのか?」

「でも、さっきまで――」

「…………?」

  みんな不思議そうな顔
  私がおかしなことを言い始めた、そう言いたそうな顔

  ――その顔をやめて
  あの眠りに落ちそうな心安らぐ瞬間を、夢だったとは思いたくない。


22以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/28(土) 23:05:03.00 ID:H6G5a4b30

 
「それじゃあ練習するか、梓は唯の代わりにリードで――」

  めずらしく律先輩がそう言う、それをかき消すように

「――それよりお茶にしよっか? 唯ちゃんもお休みだし」

  ムギ先輩は“空気”を気にしてくれる、心優しい人。
  練習するぞ、となっても私の指は動いてくれなかったと思う。


  それから後、お茶をしているときの会話は頭に残っていない。

  どんな話しを澪先輩がしていたか
  それを律先輩がどうからかっていたか
  二人のやり取りを見て、ムギ先輩がどんな笑顔だったか

  私は適当に相槌をうちながら、心の中で唯先輩を必死に探していた。

  そうしていないとさっきの彼女が幻になってしまいそうな気がしたから。

  唯先輩は何をしにきていたのか
  唯先輩は何故私だけに会ったのか
  唯先輩は私にとってどんな存在なのか

  ――ちゃぷん


  水槽から音がする。
  それを境に私の意識は段々と白に溶けてゆく。


27以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/28(土) 23:10:02.11 ID:H6G5a4b30

  その私の夢は真っ白――

  ぼんやりと形はわかるけど、目の前の物が何だかよくわからない。
  いや、何でもいい。

「梓ちゃん、今日は天気がいいからギター洗って干しておきなさーい」

「うん」

  お母さん、なのかな?
  とりあえず返事だけして私は家を出る。


  空を何かが飛んでいる。
  トンちゃんかな?
  それとも飛行機?

  ――どうでもいいや

「おはよー!」

  私の脇を何かが二つ過ぎていった。
  クラスメイトなのか
  散歩中の犬とその飼い主なのか

「そんなことより今は朝なんだ」

  その方が私の興味を引いた。


33以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/28(土) 23:15:01.72 ID:H6G5a4b30

 
  学校と思わしき建物に着くと、記憶を頼りに私のクラスへ向かう
  ぼんやりとしか見えない階段の段差を慎重に上りながら。

  クラスに着くと

「梓、おはよっ!」

  ――純、かな?

「どうしたの? トレードマークのツインテールは?」

「ん? ああ、家に忘れてきちゃったみたい」

「あはは、梓ちゃんらしくないね」

  ――憂か

  憂は他の人と比べて少しだけ色が付いてるから見やすい

  そんなやり取りをしつつ私は席に座る、ちょうど先生が入ってきた。

「中野さーん、椅子に座らないでちゃんと机に座ってくださいねー?」

「あ、すみません」

  急いで机に座り直す。
  純? がこっちを見て笑っている気がした。



37以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/28(土) 23:20:01.58 ID:H6G5a4b30

 
「一時間目と二時間目の授業は、“平沢 唯さん”についてです」

  ――またこの授業か

「ではまず、平沢 憂さんから、平沢 唯さんのことをどう思っていますか?」

「はい、――平沢 唯、私の姉です
  姉と私はいつも一緒、泣くときも笑うときも」

  ――お願い、ヤメテ

「小さい頃からずっと一緒、姉が居てくれれば私は幸せです
  私は姉を想い全てをささげています、当然姉もその想いに答えてくれます」

  憂は私に向かってそう読むのは何故?
 
「はい、ありがとう――では中野 梓さん、感想をどうぞ」

  憂が話し終わった後、必ず私が指される。
  クラス全員の視線を浴び、声を震わせながらいつもの答え

「わ、私は、その――よくわかりません」

「どうして? 平沢さんがせっかく読んでくれたのに、
  あなたにとって“平沢 唯さん”って何なの? それを聞かせて下さい」

「それが、わかんないです」

「ふふっ、おかしいわね? あなたのことなのに――」


38:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/28(土) 23:24:13.74 ID:9BwNxPBw0

どんな授業だよw


39以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/28(土) 23:25:01.49 ID:H6G5a4b30

――私のことなのに、ね

「カンタンなことでしょ?」 「いつまでナヤメバ答はでるの?」

   「あなたハ逃げてるダケでしょ?」 「ソウやって悲劇のヒロイン気取り?」

――アハハハハハ  ハハッ  ウフフ  アッハッハッハ


  ワタシハ――
  わたし自身のことが、わからない

「…………」

  ふらふらと教室から出ていった。
  誰も私を止めることはない、ただ後ろから笑い声が聞こえるだけ

  またぼんやりとしか見えない階段を下りてゆく
  下駄箱を開け、靴を取り出す

「あはは、――そう言えば上履きに履き替えてなかったなー」

  ポツリと独り言
  誰かが聞いてくれて、面白く返してくれるわけでもないのに


  ――私はなんでこんな夢をみているのかな

  口惜しくなって上履きに履き替えて家に向かった。


43以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/28(土) 23:30:02.32 ID:H6G5a4b30

 
「ふーん、ふふふーん」

  真っ白な夢の世界で
  真っ白な頭の私は下を向いて歩く

  トンッ、と何かにぶつかりあわてて顔を上げた。

「すみません! ボーっとしてて」

  返事がない、人じゃないのかな?
  目を凝らしてよく見る


  四角い、――ポスト?

  道の真ん中に立つ白いポスト
  学校に向かっているときにはなかったのに


「…………」

  少しでもいい、救ってほしい
  そんな思いでカバンからノートを取り出す。
 
  その一枚を破りとると、漠たる思いを書き連ねてゆく
  真っ白いノートに見えない白い文字で

  短く書ききると、それを二つ折りにしてそっとポストに入れた。



48以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/28(土) 23:35:06.09 ID:H6G5a4b30

 
  ――――――――――――――――――
  ――――――――――――――

   平沢 唯さんへ



    私はどうしてこんな夢ばかり見るんでしょうか?


    私にとってあなたは一体どんな存在なんでしょうか?


    あなたにとっての私はどんな存在なんでしょうか?



                          中野 梓



「――おかしな手紙」

  鼻で笑う
  でもほんの少し、気持ちは晴れ間を見せて不安は除かれたようだ。

  顔を上げ、歩き出す



49以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/28(土) 23:40:01.95 ID:H6G5a4b30

 
  何も考えないで歩いていると家にすぐ着くんだよね
  この真っ白で嫌な世界も、自室に入りベットに座ると終ってくれる。

  出した手紙のこともあったのだと思う、
  いつもは気にしないのに、なぜか今日は郵便受けが気になった。

「手紙、返って来てたり?」

  郵便受けの中には先ほど出した二つ折りの手紙が入っていた。
  おそるおそる手にとると


  “宛先不明”の文字

「ふふ、やっぱり――そうだよね」

  返事は諦めていた、答えよりも誰かに縋りたい、そんな一心で書いた手紙
  夢の世界なのに生意気なくらい良く出来てる。
  我ながら関心、小さなため息を交えながら裏返すと


  ――平沢 唯さんに代わり、ポストがお答えします。

  赤い文字が並んでいた。

「ええっ?」

  予想外の出来事に私は驚き、握り潰しかけた手紙を開く


50以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/28(土) 23:45:01.57 ID:H6G5a4b30

 
  ――――――――――――――――――
  ――――――――――――――

   平沢 唯さんへ



  Q.私はどうしてこんな夢ばかり見るんでしょうか?
   →A.あなたの持つ喪失感が、無意識下でこの様な夢を創ります。

  Q.私にとってあなたは一体どんな存在なんでしょうか?
   →A.きっと大好きなんだよ、ボクに言われる前に気付いて欲しかったな。

  Q.あなたにとっての私はどんな存在なんでしょうか?
   →A.そればかりは平沢 唯さんに聞いてみて、
       あなたが『会いたい』と、強く願えば叶うはずだから。 

                          中野 梓


   追記、この夢は“平沢 唯”の夢にもリンクしている。
                          ポストより





51以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/28(土) 23:50:01.29 ID:H6G5a4b30

 
  もっと――

  もっと聞かせてほしい、一人じゃ何も導き出せなかったから


  私は来た道を走って戻る。
  一心不乱、――右足の上履きが何処に飛んでいったか? 気にも留めない

「はあ、――はあ」

  日頃、学校の授業以外でこんなに走ったことはあったかな?


  もっと簡単に、考えてみればよかったのに
  新入生歓迎ライブのあの日から、彼女に惹かれていたって
  あの日の唯先輩は私の手では届かない、別世界の人みたいで
  キラキラ輝いて、澄んだ夜空のお星様みたいで

  軽音部に入って練習しない先輩にちょっと幻滅もしたけど
  ううん、下手ないい訳はもういらない

  ――彼女が好き、答はそれでよかった


  辛い、授業のそれよりも
  ただ走るのではなく、何かを想い走ることはこれほど辛いことなのか
  それが夢の世界であっても

「はあ、はあ、もう――変なところだけ、リアルなんだから」


52以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/28(土) 23:55:01.82 ID:H6G5a4b30

 
「唯先輩の夢に、はあ、――リンク、どういう意味なの?」

  力無くこぼれる。
  私の視線の先には、もうポストは立っていない。

「あはは、もう、――教えてくれないんだね?」


  ビュウと風が、こぼれた息を浚っていった。
  呼吸を整えるため、私はそれを胸いっぱい吸い込む

  ふと悲しく、あの日の唯先輩の匂いがした。


「――唯先輩っ!」

  ――――――――――――――――――

「――唯先輩っ!」

  自分のそんな寝言で目が覚める。

  午前三時か、変な時間に起きてしまった。
  スタンドに座るギターが目に入る。


「もう、――怖くないから」

  私はギターを手にとり、薄ら錆びの浮き始めた弦を優しく撫でた。


541 ◆Daa/gfeRZQ :2010/08/29(日) 00:00:01.79 ID:oLPs2gX+0

 
  何時間こうしていたのだろうか

「あら、寂しい音色が聴こえると思ったらここだったのね?」

  お母さんの声

「ご飯よ、って呼んでもギターが返事するだけなんだもの」

  優しく微笑むお母さんに無言で頷く

「今日は顔色いいわね、――学校には行けそう?」

  少し考えてから私は短く、うんと答えた。

「そう、じゃあ早くご飯食べちゃってね」

  お母さんは嬉しそうに私の部屋をでて、階段を下りていく

  学校へ行く、なんて本当は嘘
  もう少し時間が欲しかった、私の気持ちに決着をつけようと
  彼女の居ない学校、部活へ行くとなればこの心は簡単に乱れてしまう。

  階段を下り居間に入る、目の前には暖かそうなごはんが並べてあった。
  お母さんが私たち家族を思い、一生懸命作ってくれたごはん
  それを前にして先の嘘が私の胸にチクリと刺さる。

  なるべく早く飲み込み、ごちそうさまと言いながらその場から逃げた。
  カバンだけ担ぎ家の扉を開ける
  ギターは持たない、お母さんの顔も見ない


551 ◆Daa/gfeRZQ :2010/08/29(日) 00:05:02.44 ID:oLPs2gX+0

 
「純? 今日も休むね」

「あ、梓? いい加減にしなよ。憂も来ないし、私寂しいん――」

  “憂”と聞いて反射的に電話を切ってしまった。
 
  別に憂を嫌いになったわけではない、
  あの夢で私に話す憂を思い出す、それが怖い


  学校には行きたくない、家には帰れない
  図書館が開くまでぶらぶらしてよう、宛てもなく歩み出す。

「学校サボってのん気に散歩ですか? ――ははは、どうしようもない私」

  誰に話すわけでもない、自分をそうあざ笑う。
  後ろ向きに考える私、それに後ろ指をさすもう一人の私、それで丁度いい


「…………」

  人間は意識しないで歩いていると、過去の記憶や
  印象深く残った思い出を頼りに目的地を作り上げ、そこへ向かうのかな?

「――唯先輩と、ここで練習したなぁ」

  演芸大会の練習をした川原
  私は軽いカバンを投げ、そこに寝転んだ。
  日頃だったら服が汚れる、そう思うだろうけど気にしない


56以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/29(日) 00:08:01.60 ID:oLPs2gX+0

 
  朝の風は爽やかで心地良い
  風に優しく頭を撫でられ、浅い眠りに落ちてゆく。
  ――――――――――――――――――

「――じゃあね、あずにゃん」

「ま、待って下さい、唯先輩っ!」

  ここは、――部室?
  今までのただ白いだけの世界はなく、その世界は淡く色付いていた。
  夕方? ぼんやりとだけど、そうわかるくらいに

「あら、梓ちゃん、一人で居残り?」

  振り返る、さわ子先生の声?

「ああ、ごめんね? よく見えないか、じゃあコレあげるわ」

「メガネ、ですか?」

「そうよ? 私には必要ないから、――それと頑張ってね」

  メガネ越しに覗き込んだ
  ぼやけた夢の世界に段々とピントが合う
  そこは見慣れた、現実世界とそっくりな部室

「よく、――見えますよ」

  鮮明に見えた西日の差し込む部室に、先生の姿はもう無かった。


57以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/29(日) 00:11:04.62 ID:oLPs2gX+0

 
  よく見えるようになった階段を下りてゆく、
  下駄箱でコインローファーに履き替え校舎を出た。

  現実ではふらふら彷徨うだけの私も
  夢の中では目的地がある、そこに向け歩み出す。


  真っ白な夢の中ではわからなかった、
  私はいったい何をすれば良いのか、何を目指しているのか

「今は、わかるから」


  ――“平沢”の表札

  呼び鈴を強目に押す、が返事はない
  失礼だろうなと思いつつも私はドアを開けた

「失礼しま――」

  それ以上言葉は出なかった。



58以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/29(日) 00:14:03.46 ID:oLPs2gX+0

 
  ――ぴちゃぴちゃ

  そんな音を立てながら廊下座り、はだかで遊ぶ少女がいた。

「あーん、えへへ」

  チョコレートシロップ?
  天井をボーっと見つめ、鼻から口に目掛けそれを零す
  その黒い液体がだらしなく開いた口元から溢れ白い肌を汚していった
 
  胸元に垂れたそれを指ですくい上げ、指ごと口に含んで味わっている少女
  バサリとその腕を投げ、ついにこちらを向く

「あ、梓ちゃん。来てたんだー?」

「ごめん憂、覗くつもりは――」

  ううんと短く断わり、焦点の合わない目で私を見つめる。

「あの、唯先輩は?」

  少女は笑いながら、
  ゆっくりと四つ這いで近づくと私の腕をつかんで立ち上がった。

  後頭部に高く束ねた髪のひもを解き、頭を振るう
  かけていたメガネは外され、床を跳ねた


「私だよ? ――あずにゃん」


59以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/29(日) 00:17:02.10 ID:oLPs2gX+0

 
  先生から貰った不思議なメガネが無くてもはっきりとわかる。

「唯、せんぱ――」

  途中で詰まる、ボロボロ私の頬を伝う涙
  そんな私を抱き寄せ

「わ、わたしも――会いたかったんだからぁ」

  言いながら唯先輩も泣き始めてしまった。

  長いようで短い時間の抱擁を交わす、
  一月という歳月はその一瞬で間単に埋まっていく。


「どっちが慰められていたのかなぁ、ねえ? あーずにゃん」

  無邪気な笑顔で尋ねる唯先輩に

「お、お相子です」

  照れながらそう返した。
 
  少し前の、いい訳ばかりの私にさようなら
  唯先輩が好き、この幸せをカサカサに乾いた私の胸は吸い込んで――

  唯先輩の胴へまわした腕に、ぎゅうと力を込めた


63以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/29(日) 00:20:01.58 ID:oLPs2gX+0

 
「そ、――そういえば、どうして学校に来ないんですか!」

  思い出した、これを聞かずにはいられない

「あずにゃんはさ?」

  いつもは見せない、真剣な表情で

「自分が自分でなくなるってわかったらどうする?」

「え?」

「段々と自分の意思じゃ体が動かなくなって」

「切り離されていって――」

「最後には息も出来なくなって死んじゃうの」

「この世界の私はそうみたいなんだぁ、――ほら見て?」

  私の顔の前に差し出された左手は
  握り拳を作ろうとしても中指と薬指がガクガクして上手く握れていない

「おうちでギー太を弾いてたときに、アレレって」

「それから不安で――ね?」

  無理に笑う唯先輩、その目から先のモノとは違う涙が零れ落ちた。



64以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/29(日) 00:23:09.60 ID:oLPs2gX+0

 
「だから、自分が自分であるうちにやりたいことはやっておこう、ってさ!」

  無理して威張って見せる唯先輩
  付き合いが短いからなんていっても、そのくらいはわかってしまう。

「あずにゃんも折角だし、何かやろうよ? ――何したい? 何してほしい?」

「と、とりあえず、服を着てください」

「――あ!」

  今更頬を染め、押えてみても無駄
  内心そう思いながら視線を外す

  アハハと笑いながら、
  何故か私にチョコレートシロップを預け、脱衣所へ逃げていった。

「――それ、美味しいよー!」

「食べませんから!」

  こんなやり取り、小さい頃の思い出のように懐かしくて、楽しい
  クスリと小さく笑った。



65以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/29(日) 00:26:01.64 ID:oLPs2gX+0

 
「お待たせしました! あーずにゃん、ぎゅっ」

  はぁ、前言撤回
  嬉しいけど少しうっとうしい、猫は構われるのが嫌いなんだから

「あずにゃんは何処か行きたいところある?」

「いえ、私は特にありませんけど」

「じゃあじゃあ、海行こう! うーみーはひろいーよ、おおきいーよー」

  さっきまでと人が変わりすぎ、少し不安
  これも空元気なのかな? そう考えると気持ちは湿気ていってしまう。


「でもいまさら海に行くって、夜だし電車だと時間かかりますよ?」

「ふっふっふ、夜の海で月を眺めるのが粋、って誰かが言ってたのだよ!」

「誰かって誰、――それよりもアレ、憂に怒られませんか?」

  黒くチョコレートで汚れた床を指差した
  いくら好きな姉だろうとこれは許せないと思う。

「うん平気、怒ってないよ!」

「――へ?」

  唯先輩が髪の毛をたくし上げながら


67以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/29(日) 00:29:02.67 ID:oLPs2gX+0

 
「私はね、梓ちゃん――」

  唯先輩? 違う、憂の顔がぼんやりと見えた

「この世界ではお姉ちゃんと体を共有してるの」

「お姉ちゃんのことが好き、
  だから私の魂を受け止める器が無くても、――私は幸せ」

「お姉ちゃんのすることは何でも受け止めてあげたいって思うんだー」


「私には、それができる」

  笑顔でそう話し終え目を瞑る憂
  髪を押える手を離すと、ゆっくりと目を明け唯先輩に代わる。


「――だそうです!」

  満面の笑み、一応それに私も笑顔で返す

  憂の言った、――私にはそれができる
  その意味は私にはよくわからない
  抑制なのか、宣言なのか、驕りなのか 

  ただ、私を奈落の底へ蹴落としていったのは間違いなかった
  唯先輩の笑顔と憂の笑顔がダブり、胸がギリと痛む



68以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/29(日) 00:32:02.29 ID:oLPs2gX+0

 
「それよりー! うーみはひろいーよ、大き――」

「行きましょう、海に」

  憂に負けたくないから、――パッと彼女の顔にあかりが灯る
  それだけで“何か”をしてあげられたのだ、と誇れるものがあった。

「でも、どうやって行きます?」

「ちっちっちっ――あずにゃん、ここは夢の世界なんだよっ?」

  得意げに笑うと、右手を高らかに上げ

「きっとね? 行きたい場所を思い、指をこう――」

  ――スカッ

「ああ! そういえば私、指パッチンできないんだったー」

  一つのコントを終え、唯先輩はガクリと膝を落とした
  そうか、夢の世界なんだからその気になれば瞬間的に移動ぐらい出来そう

「私が代わりにやります」

「えへへ、わーい」

  私の腕に唯先輩がしがみつく
  左手を顔の高さまで上げ、目を閉じ、親指と中指を擦る。――パチン


70以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/29(日) 00:36:00.36 ID:oLPs2gX+0

  ――――――――――――
 
「――にゃん! おーい、あずにゃーん!」

「ん、ん――ここは?」

  薄ら目を開ける、前には覗き込む唯先輩の顔があった。
  見て見て! と上を小さく指差す
  砕いたダイヤモンドを散りばめた、それがキラキラ光る空
  今にも落ちてきそうな白く、真ん丸の大きい月が浮ぶ

  体を起こす

「水着、持ってくるの忘れちゃったねー」

「誰も、いませんね」

「うん! ニ人きりだよっ!」

  膝までズボンを捲くり、彼女は波打ち際に向かっていった。
  背の高い波が嘲り、それを腰辺りまで濡らす

「むー!」

  こちらまで戻ってくると、大胆に服を脱ぎ始めた唯先輩

「ほらー、あずにゃんも! 私だけじゃつまんないよー」

  促されるまま、ブレザーやブラウスを私は砂浜に落としていく


71以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/29(日) 00:38:02.44 ID:oLPs2gX+0

 
「んー! 素敵な一夜にしようぜ、子猫ちゃん?」

  唯先輩に手を引かれ海に入る
  少し冷たい水が、私の熱を奪っていくのが心地良かった。



「そーれ、それそれー」

「ちょっと、もう!」

  水をかけ合い遊ぶ、私は少し本気でやり返した
  空に浮んだ塩辛い水の玉が、彼女の肌にぶつかり――割れる


「…………」

  その様に見とれて手を休めていると、大きな水の塊が私の顔を襲った。

  うう、――しょっぱい



73以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/29(日) 00:41:01.60 ID:oLPs2gX+0

 
「あははははは――」

  唯先輩は乾いた砂を蹴り上げながら逃げる
  その後を私は追いかけていった。

「あずにゃーん? こういうのドラマでよくあるよねー!」

  砂浜につけられた二人の足跡は
  ――徐々にその間隔を詰めてゆく

「おーほっほっほっ、私を捕まえてごらんなさーい? なんちゃって」

  足跡が増えることの無くなった砂浜は
  二人の軽い吐息と波の音だけを湛えていた


「はあ、――はあ」

「あずにゃん、つーかまーえたっ!」

  追いかけていたはずの私が、逆に捕まる
  唯先輩は私に抱きつくと、そのまま砂浜に身を倒した

「…………」

  反射して映る私の頬が、赤くなっているのが分かる
  それくらい澄んだ彼女の瞳を見入ってしまう。

「――ここであずにゃんに質問です。」


76以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/29(日) 00:44:02.71 ID:oLPs2gX+0

 
「あずにゃんは今、何したい? 何してほしい?」

「…………」

  私はとっさに視線を夜空の方へと外す
  何したい? 何してほしい? そんな言葉が、頭の中で優しく繰り返される


「私はね?」

  一瞬、唇に伝わる彼女の体温

「こうしたい」

  自然と私の目からこぼれた一筋の涙は、
  海水を吸った砂浜に落ちて同じ色に馴染んでゆく

「あずにゃ――」

「わ、私はもっとこうして欲しいです!」


  彼女の背中に腕を回し、抱き寄ると
  スッと目を閉じた唯先輩の唇に私のそれをかさねた
  下唇をあまく噛み、もっとおいしい奥地を吸い込まれるように求める

  できるだけ長く彼女を感じたい
  できることなら私の全てを重ねてしまいたい


78以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/29(日) 00:47:01.79 ID:oLPs2gX+0

 
「ふふっ、ごちそうさまでした!」

「こ、こちらこそ!」

「あずにゃん、私とのキッスのお味はいかがでしたでしょうか?」

  体をサッと起こし、星空を見つめて

「しょっぱかったです」

「そーですかー」


  嘘――本当はとても甘かった
  その味なのか、その行為自体だったのかはわからないけど

「うんしょっと」

  唯先輩が起き上がる。

  私の後ろに回りこむと両腕を首筋から前に投げた
  その腕は私の胸元で組まれると、優しく私を包み、抱きしめてくれた。

「あのね――」

  背中に伝わる彼女の鼓動は、先の行為を意識させる。
  ドクドク、と私の心をノックする。


81以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/29(日) 00:49:54.78 ID:oLPs2gX+0

 
「私の一番を通り越しちゃったみたいなんだー。」

「さっきキスしたときに、私このまま死んでもいいやって」

  慌てて振り返る、そんなこと言わないでください。
  その言葉も喉から出ることなく、詰まってしまった。
  彼女の優しい笑みは日頃見せない、母が子に見せるそれのように穏やかで


「でも、でも――そんなの酷いですよ!」

  何か言わないと、唯先輩が風にきえていってしまいそうな気がして

「勝手すぎます! 私だって、今こうして幸せで」

「それを壊すようなこと言わないで」

  ああ、そうだったんだ

「憂よりも、誰よりも――唯先輩が大好きです!」

  私は

「どうしても死にたいのなら、私も連れて行ってください」


  この恋にこわれてる


83以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/29(日) 00:53:02.89 ID:oLPs2gX+0

 
「ありがとう、――それとごめんなさい」

「…………」

  ダメだ、堪えきれない、涙がボロボロ落ちてゆく
この夢で泣いてばかり、嬉し涙、悔し涙、枯れることはないの?

「死んじゃえばこの幸せを持ったままでいられかな? って」


  唯先輩の目からもキラりと涙が落ちて、私の涙の池に混ざった。

「でも、おかしいよね? 今は生きたいって思ってるんだー」

「私のドキドキいってるここが動いてるうちに、
  あと何回あずにゃんとのキスを数えられるんだろうってね?」

  私の悔し涙は、嬉し涙のパイプに切り替わる。

「そ、そんなの! 忘れちゃうくらい、いっぱいしてあげます!」

「本当? 現実の世界でも?」

「――もちろん。」

  そのぐちゃぐちゃになった視界を閉じて
  深い眠りの向こう側

  また彼女と口づけた。


86以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/29(日) 00:55:54.39 ID:oLPs2gX+0

 
  ――――――――――――――――――


  長い眠りから目を醒ます
  最近は無かった心地よい夢、海に揺られるような夢


「んー」

  薄らと目を明ける
  緑の長い草が風に吹かれ揺れているのが目に入った。

「はあ、よく寝た」

  体を起こし、携帯電話で時間を確認する。

  今は午後三時か
  カバンを拾い上げ、大きく伸びをした。

  確かここから近かったはずだよね?

  目的地は図書館じゃない
  石段をテンポ良く登りそこへ向い歩みだす。



88以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/29(日) 00:59:01.81 ID:oLPs2gX+0

 
  ――“平沢”の表札

  カバンを開け、中からノートを取り出す。
  その一枚を破りとると、また短く気持ちを書いた。

  真っ白いノートに、今度はちゃんと見える黒い文字で


「お姉ちゃーん?」

「ごめんよー! ういー!」

  玄関から唯先輩と憂が飛び出してきた。
  目が合う、夢の中とは違い意外と普通そうだけど?

「お! あずにゃんお久しぶりです!」

「梓ちゃん、聞いてよ! お姉ちゃんったら――」

  憂から事情を聞いて力が抜けてしまった。

「へ、へぇー!」

  この一月は、家族で海外旅行だったらしい
  それを唯先輩は学校にも部員にも伝えるのを忘れてしまう
  留守番電話に残っていた先生からの怒号を再生し、追い回され今に至った。

  唯先輩らしいといえばらしいな、
  役を成さないその紙切れをグチャと握り潰した。


89以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/29(日) 01:00:39.05 ID:oLPs2gX+0

 
「えへへー」

「えへへじゃないよ、お姉ちゃん! 先生凄く怒ってたんだから!」

「あーずにゃーん!」

  こちらに駆けてくると私を盾にした。
  その私の肩を触る左手には包帯が巻きつけてある

「あの、それは?」

「ああ、これ? 骨折しました!」

  そう威張る彼女に怒りはこみ上げてこない、
  呆れてしまっている、と言うほうが今の私には正しかった。

「アハハ」

  その場に倒れこみそうなくらい
  振り返る、昨日までの自分を苦しめていた物のくだらなさ

「ねえ、あずにゃん?」

「…………?」


「また海に――」

  私をドキドキさせる、――そんな魔法、彼女の言葉       おわり