- 朋也「軽音部? うんたん?」1・ 2・ 3・ 4・ 5・ 6・ 7・ 8・ 9・ ラスト
347:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 16:56:23.64:cUBlBpOS0
4/15 木
唯「おはよぉ」
朋也「ああ、おはよ」
今日も角を曲がったところで、変わらず待っていた。
そのほがらかな姿を見ると、僅かに心が躍った。
そんな想いを胸中に秘めながら、隣に立ち、並んで歩き始めた。
唯「…はぁ」
隣でため息。
朋也「………」
唯「…はぁっ」
今度はさっきより大きかった。
朋也「………」
唯「…もうっ! どうしたの? って訊いてよっ」
朋也「どうしたの」
唯「…まぁ、いいよ」
唯「えっとね、先週新勧ライブあったでしょ」
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348:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 16:57:55.37:cUBlBpOS0
朋也「ああ」
唯「あれから今日で一週間経つんだけど、まだ新入部員ちゃんが来てくれないんだよ…」
朋也「ふぅん…」
唯「やっぱり、私の歌がヘタだったから、失望されちゃったのかな…」
朋也「そうかもなっ」
唯「って、こんな時だけはきはき答えないでよっ」
朋也「悪い。眠さの波があるんだ」
唯「意地悪だよ、岡崎くん…」
―――――――――――――――――――――
………。
―――――――――――――――――――――
4時間目が終わる。
唯「今日も、一緒でいい?」
朋也「ああ、別に」
唯「やたっ!」
349:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 16:58:27.37:cUBlBpOS0
唯「じゃ、またあとでねっ」
高らかにそう告げると、席を立ち、ぱたぱたと駆けていった。
いつものメンツを集め、その旨を伝えているようだった。
春原「とーもーやーくん」
そこへ、いやに馴れ馴れしさのこもった呼び声を発しながら、春原がやって来た。
朋也「…あ?」
春原「がくしょくいーこーお」
春原「いや、でもさ、その前に…河原いかね?」
朋也「…なんでだよ」
その前に覚えた違和感はとりあえず置いておき、訊いてみる。
春原「なんでって…おまえ、言わせんなよ…」
耳打ちするように手を口に添えた。
結局言うつもりらしい。
春原「…エロ本…だよ…」
げしっ!
春原「てぇなっ! あにすんだよ!」
350:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:01:40.98:1qYNd8dxO
朋也「おまえが真っ昼間からサカってるからだろうがっ!」
朋也「なにがエロ本だっ! 性欲が食欲に勝ってんじゃねぇよっ!」
生徒1「春原やっべ、エロ本とか…」
生徒2「あいつ絶対グラビアのページ開きグセついてるよな」
生徒1「ははっ、だろーな」
春原「うっせぇよ!」
生徒1「やべ、気づかれた」
生徒2「エロい目で気づかれた」
春原「ぶっ飛ばすぞ、こらっ!」
生徒1「逃げれっ」
生徒2「待てって」
二人のクラスメイトたちは、わいわいと騒ぎながら教室を出て行った。
春原「岡崎、てめぇ、声でかいんだよっ」
朋也「おまえがエロ本とかほざくからだろ」
春原「おまえが中学二年生みたいにって要求したんだろっ!」
351:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:01:56.26:SBICiwHrO
ともぴょんキマシタワ
352:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:02:09.54:cUBlBpOS0
朋也「だったか?」
春原「もう忘れたのかよっ!? なら、最初からいうなっ!」
朋也「いや、最初のほうは小学二年生だったからわかんなかったんだよ」
春原「ちゃんと第二次性徴むかえてただろっ」
朋也「いきなりすぎて気づかなかったんだ」
春原「なんだよ、おまえの言う通りにしてやったのによ…」
朋也「悪いな。じゃ、次はさ、一発屋芸人のようにやってくれよ」
春原「おまえさ、僕で遊んでない?」
朋也「え? そうだけど?」
春原「さも当たり前のようにいうなっ!」
春原「くそぅ、やっぱ、確信犯かよ…」
朋也「まぁ、結構おもしろかったんだし、いいじゃん」
春原「それ、あんただけだよっ!」
―――――――――――――――――――――
唯「とうとう明日だね、和ちゃん」
353:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:03:23.08:1qYNd8dxO
和「そうね」
律「確か、演説とかするんだよな」
和「ええ」
律「公約とか、理想みたいなのを延々語るんだろ?」
和「ごめんなさいね、退屈で」
律「いや、和が謝ることないけど」
澪「和が生徒会長になってくれたら、学校も今よりよくなるよ」
和「ありがとう」
唯「和ちゃんの公約って、なに?」
和「無難なものよ。女の子受けするように、スカート丈が短くてもよくするとか…」
和「ソックスの種類を学校の純正品以外も可にするとかね」
和「男の子向けだと、夏はシャツをズボンから出してもよくする、とか…」
和「まぁ、先生受けは悪いし、ほとんど守れないんだけどね」
こいつが本気になればどれも軽く実現しそうだった。
律「じゃあさ、春原をこの学校から根絶します、とかだったらいいんじゃね?」
354:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:03:40.65:cUBlBpOS0
律「それなら、先生受けもいいだろうし」
春原「いや、デコの出し過ぎを取り締まったほうがいいよ」
春原「昔、ルーズソックスとかあったじゃん。もう絶滅してるけど」
春原「それと同じで、ルーズデコも、もう世の中が必要としてないと思うんだよね」
律「………」
春原「………」
引きつった笑顔で睨み合う。
澪「また始まった…」
朋也「なら、折衷案しかないな」
春原「折衷案?」
律「折衷案?」
朋也「ああ。間を取って、春原の上半身だけ消滅すればいいんだよ」
春原「僕が一方的に消えてるだろっ!」
律「わははは!」
―――――――――――――――――――――
………。
355:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:06:12.44:1qYNd8dxO
―――――――――――――――――――――
放課後。生徒会室に集まった。
和「じゃあ、今日は…」
こんこん
扉がノックされる。
和「…どうぞ」
真鍋の表情が険しくなる。
警戒しているようだった。
女生徒「失礼する」
ひとりの女生徒が入室してくる。
真鍋が俺に目配せし、廊下の方に小さく顎を振った。
他に誰かいないか、確認するよう指示してきたのだろう。
俺はそのサインを汲み取り、廊下を見渡しに出た。
人影はみあたらない。
女生徒がこちらに背を向けていたので、その場から手でOKサインを送った。
真鍋も目だけをこちらに向けて気取られない程度に頷く。
和「私に用があるのよね?」
女生徒「ああ」
和「でも、どうしてここが?」
356:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:07:25.54:cUBlBpOS0
女生徒「去年あなたと生徒会役員をやっていた生徒が、私の友達になってくれたんだ」
女生徒「それで、挨拶しに行きたいと言ったら、ここにいるはずだと教えてくれた」
和「…なるほどね」
女生徒「ああ、申し遅れたが、私は二年の坂上智代という」
こいつが、例の…。
和「ええ、知ってるわ」
智代「そうか。それは光栄だ」
智代「あなたは、かなりのやり手だと聞く。けど、私も退くわけにはいかない理由がある」
智代「明日は誰が勝っても恨みっこなしだ。お互いがんばろう。それだけ言いにきた」
和「…そう」
智代「他の立候補者にも挨拶に行きたいので、これで失礼する」
出入口のあるこちら側に振り返る。
そこへ、春原がチンピラ歩きで寄っていった。
春原「おい、てめぇ。上級生にたいして口の利き方がなってねぇなぁ、おい」
智代「…なんだ、この黄色い奴は」
春原「金色だっ」
357:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:09:33.54:1qYNd8dxO
智代「うそをつけ。ブレザーと同じ色だぞ」
春原「なにぃっ!?」
智代「真鍋さん、こいつは部外者じゃないのか」
和「いえ…私の手伝いをしてもらっていたの」
智代「そうか…」
残念そうな顔。
朋也「始末したいなら、別にいいぞ」
春原「おい、岡崎っ!?」
智代「…真鍋さん、そっちは」
和「同じく、私のお手伝いよ」
智代「そうか。なら、正式な許可がおりたということだな」
春原「ああ? なに言って…」
ばしぃっ!
春原「ぎゃぁぁあああああああああああああっ!!」
内股に強烈なインローが入り、悶絶し始めた。
うずくまり、ぷるぷると震えている。
358:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:10:00.94:cUBlBpOS0
智代「すっきりしたし、これで本当に失礼する」
転がっている春原を跨ぎ、俺がいる方のドアに近づいてくる。
和「…待って」
智代「なんだ」
立ち止まり、真鍋に向き直った。
和「考え直さない?」
智代「というと?」
和「生徒会長よ。あなた、まだ二年だし、副会長からでもいいんじゃない?」
智代「それは…だめだ。言ったはずだ。退けない理由があると」
智代「あなたにもあるだろう。それと同じことだ」
和「…そうね。引き止めて悪かったわ」
智代「いや、これくらいなんでもない。それでは」
会釈し、歩き出す。
そして、俺の脇を抜けて出て行こうとした。
朋也「待てよ」
智代「なんだ? 今度はおまえか?」
359:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:12:48.52:1qYNd8dxO
朋也「ああ。差し支えなかったら、おまえのその、退けない理由ってのを教えてくれないか」
智代「…まぁ、いいだろう」
智代「坂のところに桜並木があるだろ」
朋也「ああ」
智代「私は、あれを守りたいんだ」
朋也「守るって…なにから」
智代「この学校…と言っていいのかな…」
朋也「あん? どういうことだ」
智代「この学校の意向でな、あそこの桜が撤去されることになるらしいんだ」
智代「だから、私は生徒会長になって、直接訴えたいんだ」
智代「あの桜は残して欲しい、とな」
朋也「なんでまた、そんなもんのために…」
智代「それは…」
さっきまでの、固い意志を感じさせる凛とした表情が急に崩れた。
どこか悲しそうにして、目を泳がせている。
朋也「ああ、いいよ、言いたくないなら」
360:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:13:19.56:cUBlBpOS0
智代「うん…助かる」
朋也「でもさ、それっておまえが生徒会長にならなくてもできるんじゃねぇ?」
智代「どうやってだ」
朋也「今の願いを真鍋に聞いてもらえばいいだろ」
智代「でも、これは私が直接したいんだ。誰かが代わりにやったんじゃ、意味がないことなんだ」
朋也「じゃあ、おまえがこのまま選挙で戦ったとして、絶対に勝つことができるのか?」
朋也「真鍋も、そうとう手強いぞ」
智代「それは…」
朋也「もし、負けでもしたら、おまえはただの一般生徒」
朋也「おまえ一人の声なんて、上には届かないよな?」
朋也「だったらさ、副会長として真鍋の下についたほうがよくないか」
智代「でも…」
朋也「ああ、おまえ自身の手でやりたかったんだよな」
朋也「でも、結局おまえが生徒会長の座についても、誰かの手は借りることになるんだぜ」
朋也「桜並木を撤去するなんて、相当大きな力が働いてそう決まったんだろ」
361:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:14:30.84:1qYNd8dxO
朋也「だったら、いくら生徒会長でも、ひとりだけじゃ太刀打ちできないよな」
智代「………」
朋也「な? そうしろよ」
朋也「おまえ、この学校に来てまだ間もないんだろ? 聞いたよ」
朋也「だからさ、真鍋の下について、いろいろ教えてもらえ」
朋也「この学校にはこの学校のルールがあるんだからさ」
本当に、いろいろと。
俺もここで真鍋に使われる前は知らなかった裏がたくさんある。
智代「…今から副会長に変更しても間に合うだろうか」
朋也「どうなんだ、真鍋」
和「ええ…可能よ。前日になって変更なんて、前代未聞だけど」
智代「そうか。どこで手続きを踏めばいい?」
和「選挙管理委員会が使ってる教室が旧校舎の三階にあるから、そこへいけば」
智代「わかった。ありがとう、新生徒会長」
朋也「っと、今まで真鍋が当選するって前提で話しちまってたけど、その限りじゃないからな」
智代「いや…私と真鍋さんの二強だって、なんとなくわかっていたからな」
362:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:14:51.19:cUBlBpOS0
智代「これで、もう真鍋さんがなったも同然だ」
にこっと笑う。その相貌には邪気がない。
自虐的なそれでもなく、純粋な、祝福する時の笑顔だった。
智代「それじゃ、失礼する」
廊下へ出て、戸を閉めた。
足音が遠ざかっていく。
旧校舎へ向かったんだろう。
和「………」
朋也「だとよ、新生徒会長」
和「…岡崎くん、あなたやるわね。あの坂上さんを、ああもスマートに言いくるめるなんて」
朋也「そりゃ、どうも」
和「これからも私の元で働く気はない? 磨けば光るものを持っている気がするんだけど…」
朋也「いや、もうこの遊びもそろそろ飽きたからな。遠慮しとく」
和「おいしい目をみれるわよ? 大学の推薦だって、欲しければ力になってあげられるわ」
朋也「俺、進学する気ないんだけど」
朋也「それに、いくらドロドロしてて面白いってことがわかっても、生徒会だからな」
朋也「俺の肌に合わねぇよ」
364:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:16:01.91:1qYNd8dxO
和「そう…残念」
和「でも…これで今夜はゆっくり眠れるわ」
和「不確定要素は、なにも知らない一般のミーハーな無党派層だけだし…」
和「明日はただのデキレースになるでしょうね」
朋也「そっか」
和「今まで本当にありがとう。晴れてあなたたちは自由の身よ」
つまりもう帰っていいということか。
普通にそう言えばいいのに。
朋也「ああ、そうだ、ひとつ教えてくれ」
和「なに?」
朋也「おまえの退けない理由ってなんだ?」
和「え?」
朋也「坂上が退けない理由があるから戦うっていった時、おまえ、折れたじゃん」
朋也「だから、おまえにもあるんだろ。理由がさ」
和「そうね…あるわ。それは…」
がっ、と下にあったものを踏みつけ、片足の位置を上げた。
366:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:16:30.40:cUBlBpOS0
そして、腕を組む。
和「プライドよ」
あきれるほど自分に正直だった。
坂上の、安易に立ち入れなそうな理由を聞いた後では、ちょっと可笑しくて笑ってしまいそうになる。
朋也「そっか。まぁ、そういう奴も、嫌いじゃないよ」
和「それは、どうも」
春原「…あの、和さん…足、頭からどけてくれませんか…」
―――――――――――――――――――――
367:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:17:45.21:SBICiwHrO
春原…
368:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:18:02.38:1qYNd8dxO
4/16 金
この日、全校朝会に続き、一時間目を使って選挙が行われた。
春原も珍しく朝から姿を現していた。
なんだかんだ、自分が暗躍したことなので、気になったらしい。
演説が終わると、教室に戻り投票が行われた。
当然、俺は真鍋に一票を投じた。
発表は明日行われるらしい。
―――――――――――――――――――――
昼は、おなじみのメンバーで食べた。
唯「当選してるといいね」
和「ほんと、そうだといいけど…」
律「楽勝だって」
和「そこまで甘くないわよ」
よく言う。
デキレースだと言い切ったのと同じ口から出た言葉だとは思えない。
―――――――――――――――――――――
そして、放課後。
俺はなぜかまた生徒会室に呼び出されていた。
朋也「どうした。もう終わりなんじゃなかったのか」
369:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:18:29.62:cUBlBpOS0
和「忘れてたの。これで本当に最後よ」
朋也「春原は?」
和「呼んでないわ。あなたにやってもらいたいの」
朋也「はぁ…」
―――――――――――――――――――――
依頼内容は、こうだった。
ある生徒を呼び出して、真鍋から渡されたメモ用紙に書いてある内容を読み上げる。
かなり単純だった。
だが、呼び出す、というところに乱暴なニュアンスを感じる。
最後の最後でキナ臭い指令が下ったものだ。
まさか…秘密を知った俺を始末するためにやらせるんじゃないだろうな…。
警察沙汰になって、退学になれば、なにを証言しても、すべて妄言だと取られるだろう。
もしかしたら、春原はもう…。
朋也(まさかな…)
少しビクつきながらもターゲットを探した。
―――――――――――――――――――――
そして、俺はその男を指定された場所につれてくることに成功した。
男子生徒「…なんですか」
朋也「えーっとな…」
370:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:19:37.56:1qYNd8dxO
ポケットから紙を取り出し、読み上げる。
朋也「ゆいは俺の女だ。手出したら殺すぞ…」
朋也(ゆい? 俺の知ってる奴は…平沢くらいだぞ)
男子生徒「あ…うぅ…」
朋也(抵抗した場合、三枚目へ。ひるんだ場合二枚目へ、か)
朋也(ひるんでるよな…二枚目…)
朋也「おら、もういけ」
そう書いてあった。
男子生徒「…はい」
うなだれて、とぼとぼと立ち去っていった。
和「…うん、上出来よ」
木陰から真鍋がひょこっと出てくる。
…いたのかよ。
朋也「これ、なんだったんだ」
和「ん? わからない?」
朋也「ああ、まったく」
371:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:19:57.09:cUBlBpOS0
和「そういうことには鈍感なのね」
朋也「あん?」
和「だから、さっきのあの人、唯に気があったのよ」
朋也「ふぅん…って、それ、なんか生徒会と関係あんのか」
和「いいえ。これはただの私事よ」
朋也「おまえ、あいつになんの恨みがあったんだよ…」
和「恨みはないわ。ただ、唯に悪い虫がつかないようにしただけよ」
朋也「なんでおまえがんなことするんだよ」
和「幼馴染だしね。大事にしてるのよ」
朋也「へぇ、おまえ、幼馴染なんていたの…」
…幼馴染?
朋也「もしかして、この紙にある ゆい って、平沢か?」
和「ええ、そうよ。気づかなかった?」
朋也「気づかなかった? じゃねぇよっ! なんてことさせてくれるんだよっ!」
和「あら? なんで怒るの?」
372:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:21:09.43:1qYNd8dxO
朋也「そりゃそうだろっ。俺、別にあいつの彼氏でもなんでもねぇし」
和「でも、かなり仲良くしてるじゃない。一緒に登校もしてるみたいだし」
朋也「それは、いろいろあって、しょうがなくだよ」
和「ふぅん。両思いなのに、お互い踏み出せないでいるのかと思ってたわ」
朋也「それはないっての。つか、いいのかよ」
和「なにが?」
朋也「俺、思いっきり悪い虫じゃん」
和「まぁ、見かけはね。でも、なかなか見所もあるってわかったし…」
和「あなたならいいかなって思ったのよ。そうじゃなきゃ、こんな役させないわ」
和「まぁ、唯がなついた人だから、悪い人ではないのかなとは思ってたけどね」
朋也「いや、おまえに買われるのも、悪い気はしねぇけどさ…」
和「それで納得しときなさいよ」
朋也「はぁ…」
和「ま、最初は潰しておこうかと思ったんだけどね」
さらりと怖いことをいう。
374:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:21:32.45:cUBlBpOS0
和「でも、ほら、今までのゴタゴタがあって、手が回らなかったのよ」
…俺は坂上に感謝しなければいけないのかもしれない。
和「あの子に近づく変な男って今までたくさんいたのよ」
和「ほら、あの子可愛いじゃない? だから、大変だったわ」
和「それが高校に入って、軽音部に入部してからはもう、それまでの倍は手間取ったわ」
和「生徒会の権力を使ってようやく追いつくくらいだったもの」
そこまでモテていたのか…。
和「あなたも、あんな可愛いのに、彼氏の気配がないのはおかしいと思わなかった?」
朋也「まぁ、普通に彼氏がいても不思議じゃないとは思うけど」
和「私が全て弾いていたからね」
強力すぎるフィルターだった。
和「だから、あの子、今まで男の子と交際したことがないの。大切にしてあげてね」
朋也「いや、だから、そもそも付き合ってないんだけど」
和「あら、そうだったわね。でも、時間の問題な気がするの」
和「女のカンだから、根拠はないけどね」
375:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:22:40.54:1qYNd8dxO
朋也「ああ、そう…」
和「それじゃあね」
言って、背を向ける。
朋也「あ、なぁ」
和「なに?」
振り返る。
朋也「おまえに彼氏がいたことってないのか」
なんとなく気になったので訊いてみた。
和「私? 私は、ないけど」
朋也「そっか。なんか、もったいないな」
376:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:22:59.72:cUBlBpOS0
朋也「おまえも平沢の保護ばっかしてないで、彼氏くらい作ればいいのに」
和「私はいいのよ、別に」
朋也「なんでだよ」
和「特に容姿がいいわけでもないし…作るの大変そうじゃない」
朋也「いや、おまえも普通に可愛いじゃん。男はべらせてうっはうはだろ」
和「っ…馬鹿ね…」
そう小さく言って、踵を返した。
そのまま校舎の方に戻っていく。
………。
初々しい反応も見れたことだし…よしとしておこう。
―――――――――――――――――――――
377:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:24:27.59:1qYNd8dxO
4/17 土
唯「あ、おはよ~」
女の子「おはようございます」
朋也「ん…」
平沢と、その隣にもうひとり。
髪を後ろで束ねた女の子がいた。校章の色は、二年のものだ。
唯「岡崎くん、やったねっ。合格だよっ」
朋也「なにが」
事情が飲み込めない。
唯「前に言ったでしょ? もう少し早く来れば私の妹と一緒にいけるって」
そういえば、言っていたような…。
唯「これが、私の妹でぇす」
女の子「初めまして。平沢憂です」
平沢に大げさな手振りで賑やかされながら、そう名乗った。
朋也「はぁ、どうも…」
見た感じ、妹というだけあって、顔はよく似ていた。
378:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:24:55.60:cUBlBpOS0
雰囲気的には平沢に比べ少し堅い感じがある。
まぁ、それも、見知らぬ上級生に対する、作った像なのかもしれないが。
憂「岡崎さんのことは、お姉ちゃんからよく聞いてます」
朋也「はぁ…」
なにを言われているんだろう。
憂「聞いてた通りの人ですね」
朋也「あん? なにが」
憂「お姉ちゃん、よく岡崎さんのこと…」
唯「あ、憂っ、あそこっ、アイスが壁にめり込んでるっ」
憂「え? どこ?」
唯「あ~、残念、もう蒸発してなくなっちゃった」
憂「えぇ? ほんとにあったの?」
唯「絶対間違いないよっ、多分っ」
憂「どっちなの…」
朋也(にしても…うい、ねぇ…う~む…)
俺は、その響きに引っかかりを覚えていた。
379:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:26:11.53:1qYNd8dxO
どこかでその名を聞いた気がする。
朋也(どこだったかな…)
記憶をたどる。
そう…あれは確か、軽音部の新勧ライブの日だったはずだ。
薄暗い講堂の中、会話が聞えてきた。
そこで、お姉ちゃん、と言っていたのが、その うい という子だった。
とすると…あの時、あの場に居たのはこの子だったのだ。
憂「あの…どうかしましたか?」
はっとする。
俺は考え込んでいる間、ずっとこの子を凝視してしまっていた。
さすがにそんなことをしていれば、不審に思われても仕方ない。
ただでさえ、俺は生来の不機嫌そうな顔を持っているのだ。
よく人に、怒っているのかと聞かれるくらいに。
朋也「いや、なんでも」
精一杯の作り笑顔でそう答えた。
不自然さを気取られて、さらに引かれていないだろうか…。
それだけが心配だった。
唯「私たち、ちょうどさっき来たばっかりなんだよ」
朋也「そうなのか」
唯「うん。でね、なんか、予感してたんだ」
380:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:26:32.99:cUBlBpOS0
朋也「予感?」
唯「うん。そろそろ岡崎くんが来るんじゃないかってね」
朋也「そら、すげぇ第六感だな。大当たりだ」
唯「違うよぉ。そんなのじゃないって」
唯「岡崎くん、日に日に来るの早くなってたでしょ。それでだよ」
今週はずっと朝から登校してたからな…。
そろそろ体が慣れてきたのかもしれない。
といっても、相変わらず眠りにつくのは深夜だったから、今も眠気はたっぷりあるが。
どうせまた、授業中は寝て過ごすことになるだろう。
唯「ずっとがんばり続けてたから、今日はこんなボーナスがつきました」
妹を景品のようにして、俺の前面にすっと差し出した。
朋也「じゃあ、さらに早くきたらどうなるんだ」
唯「え? えーっとね…」
しばし考える。
唯「どんどん憂の数が増えていきますっ」
憂「お、お姉ちゃん…」
朋也「そっか。なら、あと三人くらい増やそうかな」
382:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:27:49.13:1qYNd8dxO
憂「ええ!? お姉ちゃんの話に乗っちゃった!?」
憂「っていうか、私は一人しかいませんよぅ」
唯「そうなの?」
憂「常識的に考えてそうだよぉ、もう…」
唯「憂なら細胞分裂で増えるくらいできるかなぁと思って」
憂「それ、もはや人じゃないよね…」
妹のほうは姉と違って普通の感性をしているんだろうか。
突拍子も無いボケに、冷静な突っ込みを入れていた。
唯「じゃ、そろそろいこっか」
憂「うん」
ふたりが歩き出し、俺もそれに続いた。
―――――――――――――――――――――
唯「あーあ、とうとう全部散っちゃったね、桜」
憂「そうだね」
平沢姉妹と共に坂を上っていく。
これを、両手に花、というんだろうか…。
意識した途端、なんとも気恥ずかしくなる。
383:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:28:14.98:cUBlBpOS0
朋也(ホストじゃあるまいし…)
俺はワンテンポ遅れて、後ろを歩いた。
憂「岡崎さん、どうしたんですか?」
その変化に気づいたのか、後ろにいる俺に振り返った。
朋也「いや、別に」
唯「ああっ、わかった! 憂、気をつけないとっ」
憂「え? なに?」
唯「岡崎くん、坂で角度つけて私たちのスカートの中覗こうとしてるんだよっ」
憂「え? えぇ?」
その、覗く、という単語に反応してか、周りの目が一瞬俺に集まった。
朋也(あのバカ…)
朋也「んなわけねぇだろっ」
俺は一気にペースを上げ、ふたりを抜き去っていった。
唯「あ、冗談だよぉ。待ってぇ~」
憂「岡崎さん、早いですっ」
384:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:30:17.61:1qYNd8dxO
ぱたぱたと追ってくる元気な足音が後ろからふたつ聞こえていた。
―――――――――――――――――――――
唯「もう許してよぉ…ね?」
下駄箱までずっと無視してやってくる。
平沢はさっきから俺の周囲をうろちょろとして回っていた。
朋也「………」
憂「あれは、お姉ちゃんが悪いよ、やっぱり」
唯「うぅ、憂まで…」
朋也「よくわかってるな」
俺は妹の頭に手を乗せ、ぽんぽんと軽くなでた。
憂「あ…」
唯「………」
それを見ていた平沢は、片手で髪を後ろでまとめ…
唯「私が憂だよっ。憂はこっちだよっ」
微妙な裏声でそういった。
朋也(アホか…)
385:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:33:39.35:cUBlBpOS0
だが、同時に毒気も抜かれてしまった。
朋也「似てるけど、あんま似てない」
平沢の頭にぽん、と触れる。
唯「あ、やっと喋ってくれたっ」
憂「よかったね、お姉ちゃん」
唯「うん。えへへ」
ふたりして、喜びを分かち合う。
仲のいい姉妹だった。
梓「…おはようございます」
いつの間にか、軽音部二年の中野が近くに立っていた。
こいつも、今登校してきたんだろう。
唯「あっ、あずにゃん。おはよう」
憂「おはよう、梓ちゃん」
梓「うん、おはよう憂」
梓「………」
じろっと俺を睨む。
そして、平沢の手を引いて俺から離した。
386:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:35:08.36:1qYNd8dxO
唯「あ、あずにゃん?」
そして、俺の方に寄ってくる。
梓「…やっぱり、仲いいんですね。頭なでたりなんかして…」
ぼそっ、と不機嫌そうにささやいた。
梓「しかも、憂にまで…」
朋也「いや、ふざけてただけだって…」
梓「へぇ、そうですか。先輩はふざけて女の子の頭なでるんですか」
梓「やっぱり違いますね、女の子慣れしてる人は」
朋也「そういうわけじゃ…」
言い終わる前、平沢のところに戻っていった。
梓「先輩、今日も練習がんばりましょうねっ」
言って、腕に絡みつく。
唯「うんっ…って、あずにゃんから私にきてくれたっ!?」
梓「なに言ってるんですか、いつものことじゃないですか」
梓「私たち、すごく仲がいいですからね。もう知り合って一年も経ちますし」
387:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:35:26.19:cUBlBpOS0
梓「その間にかなり絆は深まってますよ。部外者がそうやすやすと立ち入れないほどに」
ちらり、と俺を見る。
唯「う…うれしいよ、あずにゃんっ」
がばっと勢いよく正面から抱きしめた。
梓「もう、唯先輩は…」
中野もそれに応え、腕を回していた。
しばしそのままの状態が続く。
梓「ほら、もう離してください」
回していた手で、とんとん、と背中を軽く叩く。
梓「続きは部活のときにでも」
唯「続いていいんだねっ!?」
梓「ええ、どうぞ」
唯「やったぁ!」
ぱっ、と離れる。
梓「憂、いこ」
憂「うん」
388:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:36:40.46:1qYNd8dxO
二年の下駄箱がある方に連れてだって歩いていく。
朋也(俺、あいつに嫌われてんのかな…)
―――――――――――――――――――――
教室に到着し、ふたりとも自分の席についた。
まだ人もそんなに多くない。
かなり余裕のある時間。俺にとっては未知の世界。
そんなに耳障りな声もなく、眠るには都合がよかった。
唯「岡崎くん」
今まさに机に突っ伏そうとしたその時、声をかけられた。
朋也「なんだ」
唯「岡崎くんたちがやってるお仕事のことなんだけどね…」
朋也「ああ」
唯「あれって、遅刻とか、サボったりしなかったら、やらなくていいんだよね?」
多分こいつはまた、さわ子さんにでも話を聞いたのだろう。
あの人は軽音部の顧問を務めているらしいし…
会話の中で、その事について触れる機会は十分すぎるほどある。
朋也「みたいだな」
唯「じゃあ、最近ずっと遅刻してない岡崎くんは、放課後自由なんだよね?」
389:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:37:04.21:cUBlBpOS0
朋也「ああ、まぁな」
唯「だったらさ…何度もしつこいようだけど…遊びにおいでよ。軽音部に」
朋也「前にも言っただろ。遠慮しとくって」
唯「でも、お昼だって私たちと一緒に食べて、盛り上がってたでしょ?」
唯「あんな感じでいいんだよ?」
朋也「それでもだよ」
唯「…そっか」
しゅんとする。
唯「やっぱりさ…」
でも、すぐに口を開いた。
唯「部活動が嫌いって言ってたこと…関係あるのかな」
朋也「………」
あの時春原が放った不用意な発言が、今になって負債となり、重くのしかかってきた。
きっかけさえ作らなければ、話題にのぼることさえなかったはずなのに。
そもそも、自ら進んで人にするような話でもない。
だが、もし、仮に…
こいつとこれからも親しくなっていくようであれば…
そうなれば、いつかは訊かれることになっていたかもしれないが。
390:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:38:47.29:1qYNd8dxO
こいつは、そういうことを気にしてしまうだろうから。
………。
俺は頬杖をついて、一度視線を窓の外に移した。
そして、気を落ち着けると、また平沢に戻す。
朋也「…中学のころは、バスケ部だったんだ」
朋也「レギュラーだったんだけど、三年最後の試合の直前に親父と大喧嘩してさ…」
朋也「怪我して、試合には出れなくなってさ…」
朋也「それっきりやめちまった」
………。
こんな身の上話、こいつにして、俺はどうしたかったのだろう。
どれだけ、自分が不幸な奴か平沢に教えたかったのだろうか。
また、慰めて欲しかったのだろうか。
唯「そうだったんだ…」
今だけは自分の行為が自虐的に思えた。
その古傷には触れて欲しくなかったはずなのに。
唯「………」
平沢は、じっと顔を伏せた。
唯「私…もう一度、岡崎くんにバスケ始めて欲しい」
そのままの状態で言った。
391:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:39:08.84:cUBlBpOS0
そして、今度は俺に向き直る。
唯「それで、みんなから不良だなんて呼ばれなくなって…」
唯「本当の岡崎くんでいられるようになってほしい」
本当の俺とはなんだろう。
こいつには、俺が自分を偽っているように見えるのだろうか。
そんなこと、意識したことさえないのに。
唯「みんなにも、岡崎くんが優しい人だって、わかってほしいよ」
ああ、そういえば…
こいつの中では、俺はいい人ということになっていたんだったか…。
だが、それも無理な相談だった。
朋也「…無理だよ」
唯「え? あ、三年生だからってこと…」
朋也「違う。そうじゃない」
もっと、根本的な、どうしようもないところで。
朋也「俺さ…右腕が肩より上に上がらないんだよ」
朋也「怪我して以来、ずっと…」
…三年前。
俺はバスケ部のキャプテンとして順風満帆な学生生活を送っていた。
392:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:40:21.55:1qYNd8dxO
スポーツ推薦により、希望通りの高校に進み、そしてバスケを続けるはずだった。
しかし、その道は唐突に閉ざされた。
親父との喧嘩が原因だった。
発端は、身だしなみがどうとか、くつの並べ方がどうとか…そんなくだらないこと。
取っ組み合うような喧嘩になって…
壁に右肩をぶつけて…
どれだけ痛みが激しくなっても、意地を張って、そのままにして部屋に閉じこもって…
そして医者に行った時はもう手遅れで…
肩より上に上がらない腕になってしまったのだ。
唯「あ…ご、ごめん…軽はずみで言っちゃって…」
朋也「いや…」
………。
静寂が訪れる…痛いくらいに。
朋也「…春原もさ、俺と同じだよ」
先にその沈黙を破ったのは俺だった。
朋也「一年の頃は、あいつも部活でサッカーやってたんだ」
朋也「でも、他校の生徒と喧嘩やらかして、停学食らってさ…」
朋也「レギュラーから落ちて、居場所も無くなって、退部しちまったんだ」
唯「そう…だったんだ…」
唯「でも…春原くんは、もう一度、サッカーできるんじゃないかな」
393:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:40:45.33:cUBlBpOS0
朋也「再入部するってことか」
唯「うん」
朋也「それは…無理だろうな。あいつ、連中からめちゃくちゃ嫌われてるんだよ」
朋也「あいつの喧嘩のせいで、今の三年は新人戦に出られなかったらしいからな」
朋也「第一、あいつ自身、絶対納得しないだろうし」
唯「でも…やっぱり、夢中になれることができないって、つらいよ」
唯「なんとかできないかな…」
朋也「なんでおまえがそんなに必死なんだよ…」
唯「だって、私も今、もうギター弾いちゃだめだって…バンドしちゃだめだって言われたら、すごく悲しいもん」
唯「きっと、それと同じことだと思うんだ」
唯「私は、岡崎くんや春原くんみたいに、運動部でレギュラーになれるほどすごくないけど…」
唯「でも、高校に入る前は、ただぼーっとしてただけの私が、軽音部に入って、みんなに出会って…」
唯「それからは、すごく楽しかったんだ。ライブしたり、お茶したり、合宿にいったり…」
唯「それが途中で終わっちゃうなんて絶対いやだもん」
唯「もっとみんなで演奏したいし、お話もしたいし、お菓子も食べたいし…ずっと一緒に居たいよ」
395:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:44:33.15:1qYNd8dxO
唯「だから、なんとかできるなら、してあげたいんだ」
唯「それじゃ、だめかな」
こいつは、自分に置き換えて考えていたらしい。
よほど軽音部が気に入っているんだろう。
その熱意が、言葉や口ぶりの節々から窺えた。
つたなくても、伝えようとしてくれるその意思も。
朋也(いや…それだけじゃないよな、きっと)
いつだってそうだった。
俺が親父を拒否して彷徨い歩いていた時も、ずっと後ろからついてきた。
朝だって、ずっと待っていた。自分の遅刻も顧みずに。
朋也「…おまえ、すげぇおせっかいな奴な」
唯「う…そ、そうかな…迷惑かな、やっぱり…」
朋也「いや…いいよ、それで」
唯「え?」
肯定されるとは思っていなかったんだろう。
それが、表情にわかりやすく現れていた。
朋也「ずっとそういう奴でいてくれ」
そんな真っ直ぐさに救われる奴もいるのだから。
396:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:45:27.63:cUBlBpOS0
…少なくとも、ここにひとり。
唯「あ…」
一瞬、固まったあと…
唯「うん、がんばるよっ」
そう、はっきりと答えた。
朋也「俺、寝るからさ。さわ子さん来たら起こしてくれ」
唯「え、ずるい! 私も寝る!」
朋也「目覚ましが贅沢言うなよ」
唯「もう、目覚まし扱いしないでよっ」
朋也「じゃ、どうやって起きればいいんだよ」
唯「自力で起きるしかないよね」
朋也「無理だな」
唯「それじゃ、私に腕枕してくれたら、起こしてあげるよ」
朋也「おやすみ」
唯「あ、ひどいっ!」
397:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:47:15.02:1qYNd8dxO
視界が暗くなる。目を閉じたからだ。
それでも、窓の方に顔を向けると、まぶたの上からでも光が眩しく感じられた。
頭を動かし、心地いい位置を模索する。
腕の隙間から半分顔を出すと、しっくりきた。
そのまま、じっとする。
次第に意識が薄れていく。
室内の静けさ、春の陽気も手伝って、すぐに眠りに落ちていった。
―――――――――――――――――――――
………。
―――――――――――――――――――――
SHRが終わり、放課となる。
朋也(ふぁ…)
昼になり、ようやく体も目覚めてくる。
一度伸びをして、血の巡りを促す。
頭にもわっとした圧迫がかかった後、脱力し、心地よく弛緩した。
唯「岡崎くん、聞いて聞いてっ」
朋也「…ん。なんだ」
唯「あのね、あした、みんなでサッカーしない?」
朋也「はぁ?」
398:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:48:19.33:cUBlBpOS0
唯「ほら、あしたって日曜日でしょ。だから、学校に集まって、やろうよ」
朋也「それは、やっぱ…」
春原のことで、なにか意図するところがあるんだろうか。
唯「…うん。なんの助けにもならないかもしれないけど…」
唯「春原くんが、少しでも夢中になれた時のこと思い出してくれたらいいなって」
やっぱり、そうだった。
朋也「俺も行かなきゃだめなのか」
唯「もちろんだよ。岡崎くんは、春原くんとすっごく仲いいからね」
朋也「いや、別によくはないけど」
唯「照れちゃってぇ~。いつも楽しそうにしてるじゃん」
朋也「それは偽装だ。フェイクだ。欺くための演技なんだ」
朋也「実際は、おたがい寝首を掻かれまいと、常に牽制し合ってるんだ」
唯「もう、変な設定捏造しないでいいよ。岡崎くんは来てくれるよね」
朋也「暇だったらな」
唯「うん、待ってるね」
399:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:50:26.99:1qYNd8dxO
まぁ、どうせ、あいつが断れば、その計画も流れてしまうのだ。
伸るか反るかで言えば、反る方の可能性が高いだろう。
春原「おーい、岡崎。飯いこうぜ」
考えていると、ちょうど春原が前方からチンタラやってきた。
唯「あ、春原くん。あのさ、あしたみんなでサッカーしない?」
春原「あん? サッカー?」
唯「うん。学校に集まってさ、やろうよ」
春原「やだよ。なんで休みの日に、わざわざんなことしなくちゃなんないだよ」
唯「練習じゃないんだよ? 遊びだよ?」
春原「わかってるよ、そのくらい。試合に出るわけでもないのに練習なんかするわけないしね」
唯「岡崎くんも来るんだよ?」
春原「え? マジ?」
驚きの表情を俺に向ける。
朋也「…まぁ、暇だったら行くってことだよ」
春原「ふぅん、珍しいこともあるもんだ」
唯「どう? 春原くんも。いつも一緒に遊んでるでしょ?」
400:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:50:56.08:cUBlBpOS0
春原「そうだけど、こいつが行くとこに、必ず僕もついていくってわけじゃないからね」
唯「ムギちゃんなら、きっとお菓子も紅茶も用意してくれると思うよ?」
春原「え、ムギちゃんもくんの?」
唯「まだ誘ってないけど、言えばきてくれると思うな」
春原「ふぅん、そっか…」
顔つきが変わる。
春原「ま、そういうことなら…行くよ」
なにかしらの下心があるんだろう。
じゃなきゃ、こいつがわざわざ休日を使ってまで動くはずがない。
唯「ほんとに? よかったぁ」
唯「それじゃあ、時間は何時ごろがいいかな」
春原「昼からなら、起きられるけど」
唯「う~ん、なら、1時くらいからでどう?」
春原「いいけど」
唯「決まりだね。集合場所は校門前でいいよね」
春原「ああ、いいよ」
401:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:52:36.62:1qYNd8dxO
唯「岡崎くんも、いい?」
朋也「ああ」
唯「じゃ、私みんなにも頼んでくるよ」
言って、席を立つ。
唯「あ、そうだ。今日も一緒にお昼どう?」
春原「どうする? おまえ、学食でいいの?」
朋也「俺は、別に」
春原「あそ。じゃ、僕も、学食でいいや」
朋也「つーことだ」
唯「じゃ、またあとで、学食で会おうねっ」
朋也「ああ」
平沢は仲間を呼び集めるため、俺たちは席を取るために動き出した。
―――――――――――――――――――――
朋也「おまえ、明日ほんとにくんのか」
春原「ああ、いくね。それで、ムギちゃんに僕のスーパープレイをみせるんだ」
402:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:53:23.39:cUBlBpOS0
春原「それでもう、あの子は僕にメロメロさ」
朋也「やっぱ、そういう魂胆か」
春原「まぁね。それよか、おまえこそ、よく行く気になったね」
春原「そういうの、好きな方じゃないだろ。なんで?」
朋也「別に…なんとなくだよ」
春原「ふぅん。僕はてっきり、平沢と居たいからだと思ったんだけど」
朋也「はぁ? なんでそうなるんだよ」
春原「だって、おまえら一緒に登校したりしてるんだろ」
どこで知ったんだろう。
こいつには言っていなかったはずなのに。
春原「それに、いつも仲よさそうにしてるじゃん」
春原「でも、付き合ってるってわけじゃなさそうだし…」
春原「両思いなのに、どっちも好きだって伝えてない感じにみえるね」
昨日同じようなことを言われたばかりだ。
傍目には、そういうふうに見えてしまうんだろうか…。
春原「ま、おまえ、そういうとこ、奥手そうだからなぁ」
403:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:55:47.13:1qYNd8dxO
朋也「勝手にひとりで盛り上がるな。まったくそんなんじゃねぇんだよ」
春原「そう怒るなって。明日は頑張ってかっこいいとこみせとけよ」
春原「おまえ、運動神経いいんだしさ」
春原「まぁ、でも、本職である僕の前では、引き立て役みたいになっちゃうだろうけどね」
朋也「そうだな。おまえの音色にはかなわないな」
春原「音色? うん、まぁ、僕のプレイはそういう比喩表現がよく似合うけどさ…」
朋也「うるさすぎて、指示が聞えないもんな」
春原「って、それ、絶対ブブゼラのこと言ってるだろっ!」
朋也「え? おまえ、本職はブブゼラ職人だろ?」
春原「フォワードだよっ!」
朋也「おいおい、素人がピッチに立つなよ」
春原「だから、ブブゼラ職人じゃねぇってのっ!」
―――――――――――――――――――――
律「いやぁ、ほんと、めでたいな」
澪「改めておめでとう、和」
404:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:56:37.42:cUBlBpOS0
紬「おめでとう」
唯「おめでと~」
和「ありがとう」
今朝のSHRで、先日の選挙結果が発表されていたのだが…
真鍋は見事、というか、順当に当選していた。
副会長はあの坂上だった。
他の役員は、興味がないのですぐに忘れてしまったが。
和「これから忙しくなるわ」
澪「大変な時は言ってくれ。力になるから」
和「ありがとね、澪」
澪「うん」
律「おい、春原。あんたのおごりで、特上スシの食券買って来いよ」
春原「ワリカンだろっ!」
そもそもそんなメニューは無い。
紬「そんなのもあるの?」
朋也「いや、あるわけない」
紬「なぁんだ。あるなら、私が出してもよかったのに」
405:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:58:40.77:1qYNd8dxO
軽く言ってのけるところがすごい。
律「セコいな、春原」
春原「るせぇよ、かっぱ巻きみたいな顔しやがって」
律「なっ、あんたなんか頭に玉子のせてんじゃねぇかよっ」
春原「あんだと!?」
律「なんだよ!?」
唯「はい、そこまで!」
紬「お昼時にね、判定? だめよ、KOじゃなきゃっ」
割って入ろうとした平沢を、横から琴吹が腕を取って制止させた。
唯「む、ムギちゃん?」
紬「嘘、ごめんなさい。冗談よ」
ぱっと手を離す。
紬「五味を止められるのはレフリーだけぇ~♪」
朋也(PRIDE…)
琴吹は謎のマイクパフォーマンスを挟みはしたが、仲裁する側に回っていた。
平沢も困惑状態から復帰すると、一緒に止めに入っていた。
406:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 17:59:20.56:cUBlBpOS0
―――――――――――――――――――――
妙な間はあったが、平沢と琴吹に制され、争いは一応の収まりを見せた。
両者ともそっぽを向いている。
まるで子供の喧嘩のようだった。
澪「毎回毎回…よく飽きないな…」
律「ふん…」
和「明日を機に仲良くなればいいんじゃない」
唯「そうだね。りっちゃんと春原くんは同じチームがいいかも」
律「えぇ、やだよっ」
春原「つーか、こいつもくんの?」
唯「うん。みんな来てくれるって」
律「わりぃか、こら」
春原「ふん、まぁ、明日は僕のすごさをその身をもって思い知るがいいさ」
律「あん? おまえなんか、りっちゃんシュートの餌食にしてくれるわっ」
春原「なんだそりゃ。陽平オフサイドトラップにかかって、泣きわめけ」
律「なにぃ? りっちゃんサポーターたちが暴動起こしてもいいのか?」
407:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:01:13.21:1qYNd8dxO
春原「んなもんは陽平ボールボーイで鎮圧できるね」
律「むりむり。りっちゃんラインズマンがすでに動きを抑えてるから」
春原「卑怯だぞ! 陽平訴訟を起こしてやるからな!」
律「あほか。こっちにはりっちゃん弁護士がついてるんだぞ」
律「あきらめて、『敗訴』って字を和紙に達筆な字で書いとけ」
律「それで、その紙を掲げて泣きながらこっちに走ってこいよ、はっははぁ!」
澪「もはや、サッカー全然関係ないな…」
―――――――――――――――――――――
食事を済ませ、連中と別れる。
春原は今日もまた奉仕活動に駆り出されていってしまった。
月曜日の時同様、俺はひとりになってしまい、暇な時間が訪れる。
差し当たっては、学校を出ることにした。
―――――――――――――――――――――
家に帰りつき、着替えを済ませて寮に向かう。
―――――――――――――――――――――
道すがら、スーパーに菓子類を買いに寄った。
資金源は、芳野祐介を手伝った時のバイト代だ。
もう先週のことだったが、無駄遣いもしなかったので、まだ全然余裕があるのだ。
408:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:01:54.47:cUBlBpOS0
―――――――――――――――――――――
買い物を終え、店から出る。
レジ袋の中には、スナック菓子、アメ、ソフトキャンディーなどが入っている。
その中でも一番の目玉は、「コアラのデスマーチ」という、新発売のチョコレートだ。
パッケージには、重労働に従事させられるコアラのキャラクター達が描かれている。
当たりつきで、ひとつだけ過労死したコアラが居るらしい。
製造会社の取締役も、よくこんなものにゴーサインを出したものだ。
なにかの悪い冗談にしか見えない。
声「あれ…岡崎さんじゃないですか」
突っ立っていると、横から声をかけられた。
憂「こんにちは」
朋也「ああ…妹の…」
見れば、向こうも俺と同じで私服だった。
プライベート同士だ。
憂「憂です。もう忘れられちゃってましたか?」
朋也「いや…覚えてるよ」
朋也「憂…ちゃん」
呼び捨てするのもどうかと思い、ちゃんをつけてみたが…
どうも、呼びづらい。
かといって、平沢だと、姉と同じで区別がつかず、座りが悪いような…。
409:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:03:24.88:1qYNd8dxO
憂「岡崎さんもお買い物ですよね」
朋也「ああ、そうだよ」
憂「なにを買ったんです?」
俺が手に持つレジ袋に興味を示してきた。
朋也「菓子だよ」
憂「あ、いいですね、お菓子。私も、余裕があれば買いたかったなぁ」
その、余裕とは、金の問題じゃなく、持てる量のことを言っているんだろう。
この子は、買い物バッグを両手で持っていたのだ。
そしてそのバッグの口からは、野菜やらビンやらが顔を覗かせている。
もう容量に空きがない、といった感じで膨らんでいた。
憂「これですか? 夕飯の材料と、お醤油ですよ」
憂「お醤油がもう切れそうだったから、買いに来てたんです」
憂「そのついでに、夕飯の材料も買っておこうかと思いまして」
朋也「ふぅん、そっか…」
しかし、重そうだ。
朋也「自転車で来てたりするのか」
憂「いえ、カゴに入りきらないだろうと思って、歩きですよ」
410:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:04:04.54:cUBlBpOS0
ということは、これを持ったまま、家まで歩いていくことになるのか。
それは、少しキツそうだ。
朋也「それ、俺が持とうか?」
憂「え?」
朋也「いや、家までな」
憂「いいんですか? 岡崎さん、これからなにか予定ありませんか?」
朋也「ないよ。暇だから、手伝ってもいいかなって思ったんだよ」
憂「でも、悪いですよ、さすがに…」
朋也「いいから、貸してみ」
憂「あ…」
少し強引に奪い取った。
ずしり、と重みが伝わってくる。
朋也「憂ちゃんは、こっちを持ってくれ」
俺の菓子が入ったレジ袋を渡す。
憂「あ、はい…」
できてしまった流れに戸惑いながらも、受け取った。
411:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:05:23.83:1qYNd8dxO
朋也「じゃ、いこうか」
憂「は、はい」
―――――――――――――――――――――
ふたり、肩を並べて歩く。
俺はほとんど自宅へ引き返しているようなものだった。
平沢の家とはだいたい同じ方角にあるからだ。
憂「重くないですか?」
朋也「ああ、このくらい、平気だよ」
憂「すごいですね。私、休みながら行こうと思ってたのに」
朋也「まぁ、女の子は、それくらいが可愛くて、丁度いいんじゃないか」
憂「そうですか?」
朋也「ああ」
憂「私は、軽々と片手で持ってる岡崎さんは、男らしくていいと思いますよ」
朋也「そりゃ、どうも」
憂「どういたしまして」
にこっと笑顔になる。やっぱり、その笑顔も平沢によく似ていた。
さすが姉妹だ。髪を下ろせば、見分けがつかなくなるんじゃないだろうか。
412:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:05:49.10:cUBlBpOS0
朋也「そういえば、平沢の弁当とか、憂ちゃんが作ってるんだってな」
憂「そうですね、私です」
朋也「これだって、おつかいとかじゃなくて、自分で作るために買ったんだろ」
バッグを手前に掲げてみせる。
憂「はい、そうです」
朋也「えらいよな」
憂「そんなことないですよ」
朋也「いや、親も、めちゃくちゃ助かってると思うぞ。なかなかいないよ、そんな奴」
憂「いえ、うちのお父さんとお母さんは、昔から家を空けてることが多いんですよ」
憂「今だって、どっちもお仕事で海外に行ってて、いないんです」
憂「だから、家事は自然とできるようになったんです」
憂「っていうか、しなきゃいけなかったから、って感じなんですけどね」
朋也「ふぅん…」
そうだったのか…。
なら、平沢も家事が器用にこなせたりするんだろうか。
でも、前に、弁当を妹に作ってやれ、と言われ、無理だと即答していたことがあるし…。
あいつは、掃除や洗濯を主にやっているのかも。
413:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:07:01.70:1qYNd8dxO
朋也「ま、それでもえらいことには変わりないよ」
朋也「だからさ、ご褒美っていうと、ちょっとアレかもだけど…」
朋也「俺の菓子、好きなのひとつ食っていいぞ」
憂「いいんですか?」
朋也「ああ」
憂「ありがとうございますっ」
憂「どれにしようかな…」
袋の中を覗く。
そして、おもむろに一つ取り出した。
憂「…コアラのデスマーチ?」
よりにもよって、それか。
朋也「なんか、新発売らしいぞ」
憂「絵が怖いです。名前もだけど…」
朋也「コアラがムチでしばかれてるだろ。そこは、コアラがコアラに管理される施設なんだ」
朋也「上級コアラと下級コアラがいて、その支配構造がうまく機能しているらしい」
憂「やってることが全然かわいくないです…」
415:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:07:21.73:cUBlBpOS0
朋也「ま、食ってみろよ。味とストーリ-は関係ないだろうからさ」
憂「はい…」
開封し、中から一個取り出した。
憂「わぁっ、岡崎さん、この子、し、死んでますっ」
朋也「それ、当たりだ」
なんて強運な子なんだろう。
一発目から引き当てていた。
憂「当たりって…」
朋也「その死体食って、供養してやってくれ」
憂「うぅ…死体なんて言わないでくださぁい…」
目を潤ませながら半分かじる。
憂「あ…イチゴ味だ…おいしい」
朋也「臓器と血みたいなのが出てきてないか、その死体」
憂「イチゴですよぉ…生々しく言わないでくださいよぉ…」
―――――――――――――――――――――
憂「ありがとうございました」
416:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:08:38.19:1qYNd8dxO
朋也「ああ」
平沢家の手前まで無事荷物を運び終え、そこで手渡した。
ここで俺の役目も終わりだった。
憂「それから…すみませんでした」
朋也「いや、いいって」
憂「でも…結局、私が全部食べちゃって…」
ここまで来る間、憂ちゃんは俺の菓子を完食してしまっていた。
それも、俺が譲ったからなのだが。
喜んでくれるのがうれしくて、次々にあげていってしまったのだ。
憂「あの、よければ、ホットケーキ作りますけど…食べていきませんか?」
朋也(ホットケーキか…)
普段甘いものが苦手な俺だが、時に、体が糖分を欲することがある。
それが、まさに今日だった。
だからこそ、スーパーで駄菓子なんかを買っていたのだ。
どうせなら、そんな既製品を買い直すよりも、手作りの方が味があっていいかもしれない。
加え、両親は現時点で不在だとの言質が取れていたため、俺の気も楽だった。
家に上がらせてもうらうにしても、とくに抵抗はない。
ただ、女の子とふたりきり、という状況が少し気になりはしたが。
朋也「いいのか?」
憂「はいっ、もちろん」
417:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:08:55.99:cUBlBpOS0
朋也「じゃあ…頼むよ」
憂「任せてくださいっ、がんばって作りますからっ」
意気込みを感じられる姿勢でそう言ってくれた。
憂「さ、どうぞ、あがってください」
憂ちゃんに通され、平沢家の敷居をまたぐ。
―――――――――――――――――――――
憂「じゃ、出来上がるまで、ここでくつろいでてくださいね」
俺をリビングに残し、荷物を持って台所に向かっていった。
とりあえずソファーに腰掛ける。
…尻に違和感。
なにか下敷きにしたらしい。
体を浮かせ、取り出してみると、クッションだった。
ぼむ、と隣に置く。
朋也(ん…?)
再びクッションを手に取る。
朋也(やっぱり…)
平沢の匂いがした。
いつもこれを使っているんだろうか。
418:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:10:10.91:1qYNd8dxO
朋也(………)
顔を埋めてみる。
朋也(ああ…いい…)
朋也(あいつ、いい匂いするもんな…)
朋也(………)
朋也(って、変態か、俺はっ!)
我に返り、すぐさま顔を離した。
背後が気になり、振り返る。
憂ちゃんは、俺に背を向け、なにやら冷蔵庫から取り出していた。
見られてはいなかったようで、ほっとする。
朋也(しかし、妙な安心感がある空間だよな、ここ…)
ごみごみとした春原の部屋とは大違いだ。
まぁ、そのせいで、無用心にもこんな暴挙に出てしまったのだが。
朋也(にしても…なにしてようかな…)
携帯があれば、こういう時、楽しく暇も潰せるんだろうな…。
生憎と俺はそんなものは持ち合わせていなかったが。
今時の高校生にしては、かなり珍しい部類だろう。
うちの経済状況では持つこと自体厳しいから、それも仕方ないのだが。
持ってさえいれば、春原にオレオレ詐欺でも仕掛けて遊べるのに…。
例えば…
419:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:10:31.93:cUBlBpOS0
―――――――――――――――――――――
―――――――――――――――――――――
プルルル
がちゃ
春原「はい。誰」
声『俺だよ、オ・レ』
春原「あん? 誰? 岡崎?」
声『だから、オレだって言ってんだろっ! 何度も言わせんなっ! 殺すぞっ!』
声『あ、後さ…う○こ』
ブツっ
ツー ツー ツー
春原「なにがしたかったんだよっ!?」
―――――――――――――――――――――
―――――――――――――――――――――
朋也(なんてな…)
いや…それはただのいたずら電話か…。
難しいものだ、詐欺は。
420:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:11:51.18:1qYNd8dxO
朋也(妄想はもういいや…)
朋也「憂ちゃーん、テレビつけていいかー」
リビングの向こう、台所にいる憂ちゃんに聞えるよう、少し声を張った。
憂「あ、どうぞ~」
許可が下りた。
テーブルの上にあったリモコンを拾い、チャンネルを回す。
土曜の午後なんて、ロクな番組がやっていない。
救いがあるとすれば、あの長寿昼バラエティ番組だけだったが、すでに終わっている時間だ。
しかたなく、釣り番組にする。
俺は、呆けたようにぼーっと眺めていた。
―――――――――――――――――――――
憂「できましたよ~」
おいしそうな香りを伴って、憂ちゃんがホットケーキを持ってきてくれた。
憂「はい、どうぞ」
皿に盛ってくれる。
憂「シロップはお好みでどうぞ」
ホットケーキの横に、使い捨ての簡易容器が添えられてあった。
朋也「サンキュ」
421:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:12:34.36:cUBlBpOS0
フォークで生地を刺し、口に運ぶ。
もぐもぐ…
朋也「うめぇ…」
憂「ほんとですか? お口に合ってよかったです」
嬉しそうな顔。
俺はさらに食を進めた。
が、憂ちゃんは一向に手をつけない。
朋也「食べないのか」
憂「私はお菓子をたくさん食べましたから…」
憂「これ以上甘いもの食べると太っちゃいますよ」
やっぱり、女の子だとそういうところを気にするものなのか。
男の俺にはよくわからなかった。
憂「だから、岡崎さんが食べてくれるとうれしいです」
朋也「じゃあ、遠慮なく」
再び手をつけ始める。
本当においしくて、いくらでも食べられそうだった。
―――――――――――――――――――――
朋也「…ふぅ。ごちそうさま」
422:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:13:47.76:1qYNd8dxO
憂「おそまつさまでした」
すべてて食べきり、皿の上にはなにも残っていなかった。
片づけを始める憂ちゃん。
朋也「俺も食器洗うの手伝おうか」
帰る前にそれくらいしていってもいいだろう。
憂「いえ、いいんです。岡崎さんはお客さんですから」
憂「それより、岡崎さん…」
ハンカチを取り出す。
憂「口の周り、ちょっとついてますよ。じっとしててくださいね」
朋也「ん…」
ふき取られていく。
憂「はい、綺麗になりました」
朋也「言ってくれれば、自分の手で拭ったのに」
憂「あ、ごめんなさい…お姉ちゃんにもいつもしてあげてるんで、つい」
朋也「いつも?」
憂「はい」
423:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:14:09.33:cUBlBpOS0
あいつは…そんなことまでしてもらっているのか。
もしかして、妹に全局面で世話してもらってるんじゃないかと、そんな気さえしてきた。
朋也「…仲いいんだな」
憂「とってもいいですっ」
強く言う。主張したかったんだろう。
憂ちゃんは満足した顔で食器をひとつにまとめると、台所へ持っていった。
朋也(にしても…よくできた子だよな)
台所に立ち、洗い物をする憂ちゃんを見て思う。
朋也(ああ…憂ちゃんが俺の妹だったらな…)
―――――――――――――――――――――
―――――――――――――――――――――
声「お兄ちゃん、起きて。朝だよ」
朋也「…うぅん…あと半年…夏頃には起きる…」
声「セミの冬眠じゃないんだから。起きなさい」
勢いよく布団が剥がされる。
憂「おはよう、お兄ちゃん」
朋也「………」
424:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:15:19.07:1qYNd8dxO
憂「もう、うつ伏せになってベッドにしがみつかないでよ…」
朋也「眠いんだ」
憂「顔洗ってきたら?」
朋也「めんどくさい」
憂「じゃあ、どうやったら目が覚めてくれるの…」
朋也「いつものやつ、してくれ」
憂「え? いつものって?」
朋也「目覚めのちゅー」
憂「だ、だめだよ、そんなの…私たち兄妹なんだよ…?」
憂「それに、いつもって…そんなこと一度も…」
朋也「いいじゃないか。おまえが可愛いから、したいんだよ」
朋也「だめか…?」
憂「う…じゃ、じゃあ、絶対それで起きてね…?」
憂「ん…」
ほっぺたにくる。
俺は顔を動かして、唇に照準を合わせた。
425:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:15:37.79:cUBlBpOS0
やわらかい感触が重なり合う。
憂「んんっ!?」
ばっと身を離す。
憂「な、なんで口に…」
朋也「とうっ」
ベッドから跳ね起きる俺。
朋也「憂っ! 憂っ!」
憂「あ、いやぁ、やめて、お兄ちゃん、だめだよぉ…」
憂「あっ…」
―――――――――――――――――――――
―――――――――――――――――――――
朋也(………)
朋也(いい…すごく…いい!)
俺は台所にいる憂ちゃんの背を目指して歩み寄っていった。
朋也「憂ちゃん…」
背後から声をかける。
426:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:17:23.65:1qYNd8dxO
憂「はい…?」
手を止めて振り返ってくれる。
朋也「俺の妹になってくれ」
憂「えぇ!? そ、それは…」
朋也「だめか?」
憂「いろいろと無理がありますよぉ」
自分でもそう思う。
だが、情熱を抑え切れなかった。
憂「それに、私にはお姉ちゃんがいますし」
朋也「…そうか」
憂「そ、そんなに落ち込まないでくださいよぉ」
憂「私、岡崎さんにそう言ってもらえて、うれしかったですから」
朋也「じゃあ、せめて、俺のことを兄だと思って、お兄ちゃんって呼んでみてくれ…」
憂「それで、元気になってくれますか?」
朋也「ああ」
憂「わかりました、それじゃあ…」
427:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:17:42.22:cUBlBpOS0
すっと深呼吸する。
憂「お兄ちゃんっ」
まぶしい笑顔。首をかしげるというオプションつきだった。
朋也「…はは、憂はかわいいな。よしお小遣いをやろう」
財布から万札を抜き取る。
憂「わわっ、いいですよ、そんなっ。しまってくださいっ」
朋也「なに言ってるんだよ。俺たち、仲良し兄妹じゃないか」
憂「それは台本の上でのことですよっ、目を覚ましてくださぁいっ」
朋也「ハッ!…ああ、いや、悪い…本当の俺と、役の境目がわからなくなってたよ」
憂「もう…変な人ですね、岡崎さんって」
言って、笑う。俺も気分がいい。
素直に笑ってくれる年下の女の子というのは、新鮮だった。
朋也「なぁ、憂ちゃん。この後、予定あるか」
憂「え? そうですね…」
小首をかしげて考え込む。
憂「う~ん…夕飯の材料はもう買っちゃったし…とくにないですね」
428:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:18:48.93:1qYNd8dxO
朋也「じゃあ、お兄ちゃ…いや、俺とどこか出かけないか」
今から寮に向かっても、春原が戻っている保証はない。
あの部屋でひとり過ごすくらいなら、そっちの方がよかった。
憂「いいんですか? 私となんかで」
朋也「憂ちゃんだから誘ってるんだよ」
憂「ありがとうございますっ。私も、岡崎さんに誘ってもらえてうれしいです」
朋也「それは、一緒に遊びに出てくれるって、そう取っていいのか」
憂「はい、もちろんです」
朋也「そっか。じゃあ、その洗い物が終わったら、出るか」
憂「はいっ」
―――――――――――――――――――――
食器の洗浄も済ませ、家を出た。
目的地はまだ決めていない。
朋也「どこにいく? 憂ちゃんの好きなところでいいぞ」
憂「いいんですか?」
朋也「ああ」
429:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:19:09.45:cUBlBpOS0
憂「それじゃあ、私、前から行ってみたい所があったんですけど…」
朋也「どこだ」
憂「商店街に新しくできた、ぬいぐるみとか、可愛い小物とかを売っているお店です」
憂「今、うちの学校の女の子の間で人気なんですよ」
朋也「ふぅん、そんなとこがあるのか」
憂「はい。だから、そこに付き合って欲しいです」
朋也「ああ、いいよ」
憂「ありがとうございますっ」
―――――――――――――――――――――
商店街までやってくる。
件の店はまだ真新しく、外観や内装が小綺麗だった。
ファンシーな看板を掲げ、手前には手書きの宣伝ボードが立てかけられてある。
店内には、所狭しと商品群が並べられていた。
客層は、この有りようからしてやはりというべきか、女性客ばかりだった。
憂「わぁ、ここですここですっ」
つくやいなや、目を輝かせてはしゃぎ出す憂ちゃん。
憂「いきましょ、岡崎さんっ」
430:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:20:18.11:1qYNd8dxO
朋也「あ、ああ…」
この中に男の俺が入っていくことに多少気後れしつつも、憂ちゃんに従った。
―――――――――――――――――――――
憂「うわぁ、かわいいっ」
憂ちゃんが立ち止まったのは、小さめのぬいぐるみが並べられたブロックだった。
デフォルメされ、丸みを帯びた動物キャラの頭部が手のひらサイズで商品化されている。
俺もひとつ適当なものを手に取ってみた。
ぐにゃり、と柔らかい感触がした。低反発素材でも使っているんだろうか。
憂「う~ん、でも、やっぱりないなぁ…」
朋也「なんか探してるのか」
憂「はい…」
持っていたぬいぐるみを棚に戻し、俺に向き直る。
憂「岡崎さん、だんご大家族って覚えてます?」
朋也「ああ、けっこう鮮明に」
それは、最近思い出す機会があったからなのだが。
憂「ほんとですか? よかったです、覚えててくれて」
憂「あれ、かわいいですよねっ」
431:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:20:41.35:cUBlBpOS0
朋也「ん、まぁ、多分な」
一応同意の姿勢だけは見せておく。
憂「でも、もうかなり前にブームが終わっちゃったじゃないですか」
憂「それで、世間からも忘れられちゃってて…」
憂「それでも、私もお姉ちゃんも、いまだに好きなんですよ、だんご大家族」
憂「だから、この小さな手のひらシリーズにないかなぁって、思ったんですけどね」
需要が無くなったことを知っていてなお探すんだから、想いもそれだけ深いんだろう。
朋也「じゃあ、こういうのはどうだ」
俺はうさぎの頭を棚から拾い上げた。
朋也「ほら、これの耳ちぎって、凹凸無くしてさ」
朋也「シルエットだけなら、だんごに見えなくもないだろ」
憂「そ、そんな残酷なことしてまで欲しくないですよぉ」
朋也「そうか? じゃあ、これを三つくらい買って、串で刺して繋げるのはどうだ」
憂「さっきのと接戦になるくらい残酷ですっ」
朋也「なら、これを…」
432:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:21:48.14:1qYNd8dxO
憂「も、もういいですっ、気持ちだけ受け取っておきます…」
朋也「これを、憂ちゃんの鼻の穴に詰めてみよう、って言おうとしたんだけど…」
朋也「その気持ち、受け取ってくれるのか?」
憂「…岡崎さん、もしかして、からかってます?」
朋也「バレたか」
憂「…意地悪ですっ」
ぷい、とそっぽを向かれてしまった。
やりすぎてしまったようだ。
―――――――――――――――――――――
その後、なんとか機嫌を取ることに成功し、また一緒に見て回った。
憂ちゃんが興味を示したコーナーに留まり、しばらく見たのち、移る。
そんなことを繰り返していた。
―――――――――――――――――――――
朋也(やべ…)
巡って回る内、俺の目に見かけたことのある顔が留まった。
同じクラスの女たちだった。何人かで固まって、楽しげに店内を闊歩している。
そういえば、憂ちゃんが言っていた。
この店は今、うちの学校の女に人気があると。
なら、こういうブッキングをすることだって、十分ありえたのに…うかつだった。
433:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:22:16.22:cUBlBpOS0
俺がこんな店に出入りしているなんて思われたら、たまったもんじゃない。
その情報が春原の耳に入った日には…想像もしたくない。
俺は壁にぴったりと張りついてやりすごすことにした。
憂「岡崎さん、なにをやってるんですか?」
背中から憂ちゃんの声。
朋也「いや…知ってる顔がいたから、ちょっとな…」
憂「ああ…恥ずかしいんですね」
朋也「まぁ…そういうことだ」
憂「じゃあ…これを被って変装してください」
俺になにか手渡してくる。
朋也「お、サンキュ」
後ろ手に受け取って、それを目深に被った。
朋也(これでなんとかなるかな…)
声さえ聞かれなければ、制服を着ているわけでもなし、他人の空似で受け流してくれるかもしれない。
そうなってくれることを願いながら、俺は向き合っていた壁から離れた。
憂「よく似合ってますよ」
振り向きざまに第一声。
435:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:23:25.20:1qYNd8dxO
朋也「そうか?」
しかし、俺はなにを被ったんだろう。
なにも考えず、機械的に被ってしまったからな…。
憂「ご自分でも、鏡で確認してみたらどうですか?」
俺の目線より少し下、そこに小さな鏡が置かれていた。
覗いてみる。
朋也「…これ」
ネコミミ付きフードだった。
憂「あはは、かわいいです、岡崎さん」
朋也「…おまえな」
憂「さっきのお仕返しです。罰として、ここにいる間ずっと被っててくださぁい」
朋也「…はぁ」
これじゃ、顔は隠せても余計目立つことになってしまう…。
朋也「ほかにマシなの、なんかないのか」
憂「ありますよぉ。イヌミミがいいですか? それとも、ウサミミがいいですか?」
朋也「そんなのしかないのかよ…」
436:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:24:02.16:cUBlBpOS0
憂「ふふ、ここはそういうお店ですよ?」
そうだったな…。
仕方なく、俺は憂ちゃんの罰ゲームに従った。
―――――――――――――――――――――
憂「あ、これ、かわいいなぁ…買っちゃおうかなぁ…」
やってきたのは、携帯ストラップの陳列棚。
俺とは縁のない場所だ。
憂「う~ん、でも、こっちも捨てがたいし…」
憂「岡崎さん、これとこれ、どっちがいいと思いますか?」
両手にそれぞれ別の商品を持って、俺に意見を求めてくる。
朋也「う~ん…俺はこれがいいかな」
そのどちらも選ばずに、俺は新たに棚から取り出した。
朋也「この、『ごはんつぶ型ストラップ』って、なんかよくないか」
憂「えぇ? なんですか、それ?」
朋也「なんか、携帯にご飯粒がついているように演出できるらしいぞ」
憂「いやですよぉ、そんなの…常に、さっきご飯食べてきたよって感じじゃないですか…」
437:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:25:15.82:1qYNd8dxO
朋也「いやか?」
憂「はい」
なかなかおもしろいと思ったのだが…。
しぶしぶ元の場所に納める。
憂「これかこれ、どっちかで言ってください」
再び俺の前に掲げてくる。
朋也「う~ん…じゃあ、そっちの、クマの方で」
憂「クマさんですか? じゃあ、こっち買っちゃおうかな…」
朋也「待て。買うなら、払いは俺がする」
憂「え? 悪いですよ、そんな…」
朋也「いや、ここで好感度を挽回しておきたいんだ。序盤で失敗しちまったからな」
憂「そんなこと気にしてたんですか…」
朋也「ああ。だから、俺にまかせろ」
憂「ふふ、じゃあ…お言葉に甘えて」
朋也「よし」
―――――――――――――――――――――
438:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:25:37.32:cUBlBpOS0
ストラップをレジに通し、店を出た。
ついでに、ネコミミフードも買っていった。
長いこと被っていて、買わずに出るのもためらわれたからだ。
憂「いいんですか? こっちも、もらっちゃって…」
朋也「ああ、いいよ。俺が持ってても仕方ないしな」
俺はストラップと一緒に、フードも譲っていたのだ。
憂「でも、これ、けっこう高かったですよね…?」
朋也「ああ、大丈夫。まだ余裕あるから」
憂「岡崎さん、アルバイトでもしてるんですか?」
朋也「まぁ、前はしてたけど、今はやってないな」
朋也「でも、この前単発で、でかいの一個やったっていうか…あぶく銭みたいなもんだから、気にすんなよ」
ぽむ、と頭に手を置く。
憂「あ…はいっ」
にっこりと微笑んでくれる。
憂「ありがとう、お兄ちゃんっ」
朋也(う…)
439:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:26:50.95:1qYNd8dxO
胸が高鳴る。破壊力抜群だった。
朋也「…うん」
憂「あはは、…うん、って。岡崎さん顔真っ赤です」
朋也「…憂ちゃんがいきなり妹になるからだ」
憂「ごめんなさぁい」
いたずらっぽく言う。
朋也(さて…)
店の中に居る時はわからなかったが、外はもう陽が落ち始め、ほんのりと暗くなっていた。
それだけ時間を忘れて見回っていたのだ。
おそるべし、ファンシーショップ…。
まぁ、入店したのが三時半あたりだったので、実際それほどでもないのかもしれないが。
朋也「もう、帰らなきゃだよな、憂ちゃんは」
憂「はい、そうですね。帰ってお夕飯作らないと…」
朋也「なら、送ってくよ。もういい時間だしな」
憂「ほんとですか? ありがとうございますっ」
―――――――――――――――――――――
平沢家。その門前まで帰り着く。
440:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:27:12.99:cUBlBpOS0
朋也「じゃあな」
憂「はいっ。今日はありがとうございました」
別れの挨拶も済ませ、立ち去ろうと踵を返す。
唯「あれ? 岡崎くんだ」
朋也「よお」
そこへ、ちょうど平沢が帰宅してきた。
唯「どうしたの? うちになにか用?」
憂「私を送ってきてくれたんだよ、お姉ちゃん」
唯「送ったって? 憂を? 代引きで?」
憂「Amaz○n.comじゃないんだから…」
憂「あのね、岡崎さんと一緒に出かけてて、それで、もう暗いからって送ってきてくれたの」
唯「えぇ!? 岡崎くんと遊んでたの?」
憂「ちょっと付き合ってもらってたんだ。ほら、あの商店街に新しくできたお店あるでしょ?」
憂「あそこに、ついてきてもらってたの」
唯「えぇっ!? っていうか、なんでもうそこまで仲良くなってるの?」
441:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:28:58.75:1qYNd8dxO
唯「そうだよぉ。『ああ』とか、『好きにしろよ…』とかしか言わないし…」
俺を真似た部分だけ声色を変えて言った。
唯「最近になって、ようやくちょっと心開いてくれたかなぁって感じだよ」
唯「なのに、憂とは初日から遊びに行くまでになってるし…これは差別だよっ」
唯「悪意を感じるよっ」
憂「お姉ちゃん…あんまりお兄ちゃんを責めないであげて」
朋也(ぐぁ…)
唯「…お兄ちゃん?」
平沢が訝しげな顔になる。
朋也「今はやめてくれっ」
憂「ふたりっきりの時だけしかそう呼んじゃだめなの? お兄ちゃん?」
朋也「だぁーっ! だから、やめてくれぇ、憂ちゃんっ!」
唯「…ふたりっきりの時? 憂…ちゃん?」
442:ミス:2010/09/25(土) 18:29:53.49:cUBlBpOS0
唯「私と初めて会ったときは、すっごく冷たかったのにぃ…」
朋也「そうだっけ」
唯「そうだよぉ。『ああ』とか、『好きにしろよ…』とかしか言わないし…」
俺を真似た部分だけ声色を変えて言った。
唯「最近になって、ようやくちょっと心開いてくれたかなぁって感じだよ」
唯「なのに、憂とは初日から遊びに行くまでになってるし…これは差別だよっ」
唯「悪意を感じるよっ」
憂「お姉ちゃん…あんまりお兄ちゃんを責めないであげて」
朋也(ぐぁ…)
唯「…お兄ちゃん?」
平沢が訝しげな顔になる。
朋也「今はやめてくれっ」
憂「ふたりっきりの時だけしかそう呼んじゃだめなの? お兄ちゃん?」
朋也「だぁーっ! だから、やめてくれぇ、憂ちゃんっ!」
唯「…ふたりっきりの時? 憂…ちゃん?」
444:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:32:12.83:1qYNd8dxO
唯「………」
じと~っとした目を向けられる。
唯「…中で詳しく聞こうか」
こぶしを作り、親指で自宅を指さす。
その顔は、あくまで笑顔だったが…それが逆に怖い。
―――――――――――――――――――――
唯「ふぅん、岡崎くんってそんな趣味だったんだ?」
テーブルにつき、説教される子供のように俺は正座していた。
唯「そんなこと、言ってくれれば私がしてあげたのに…」
朋也「いや、おまえ、タメじゃん。リアルじゃないっていうか…」
唯「失礼なっ! 私、妹系ってよく言われるのにっ」
朋也「じゃ、一回やってみてくれよ」
唯「いいよ? じゃ、いきます…」
こほん、と咳払い。
唯「お兄ちゃんっ」
満面の笑顔。
445:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:33:04.41:cUBlBpOS0
両手を開き、俺の前に突き出している。
朋也「なんか、違うんだよな…」
唯「むぅ、なにが違うのっ」
朋也「いや、そのポーズとかさ…なんだよ」
唯「庇護欲を煽るポーズだよ」
朋也「そういう計算が目に付くんだよなぁ…それに、全体の総量として妹力が足りない感じだ」
朋也「まぁ、おまえは、どこまでいっても姉だな」
唯「それはその通りだけど…なんか悔しい…」
朋也「まぁ、そういうわけだからさ。俺、帰るな」
赤裸々に語ってしまった恥ずかしさもあり、早くこの場を去りたかった。
唯「まぁ、待ちなよ。せっかくだから、一緒に夕飯してこうよ」
朋也「いや…」
唯「う~い~、岡崎くんのぶんも夕飯作ってくれるよね~?」
被せるようにして、台所で作業する憂ちゃんへ声をかけた。
憂「岡崎さんがそれでいいなら、作るよ~」
446:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:36:29.88:1qYNd8dxO
向こうからは好意的な返答が届く。
唯「だってさ。どうする? おにいちゃん」
朋也「だから、それはもうやめろっての…」
朋也(でも、どうするかな…)
いや…もう答えは出ている。
コンビニ弁当なんかより、憂ちゃんの手料理の方がいいに決まってる。
朋也「俺の分も頼んでいいか、憂ちゃん」
あまりまごつくことなく、俺は注文を入れていた。
憂「は~い、まかせてくださぁい」
二つ返事で引き受けてくれる。
唯「うん、素直でよろしい」
朋也「そりゃ、どうも」
唯「ところでさ、なんで憂にはちゃんづけなの?」
朋也「年下だし、苗字だと、おまえと被るからな」
唯「えぇ、そんな理由? なら、私も唯ちゃんって呼んでよっ」
朋也「アホか」
447:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:36:51.24:cUBlBpOS0
唯「私も朋ちゃんって呼ぶからさっ。そうしよ?」
朋也「ありえないからな…」
唯「ちぇ、けち~…いいもん、別に。私にはギー太がいるから」
言って、横に置いてあったケースからギターを取り出した。
唯「だんごっ、だんごっ」
ギターを弾きながら歌いだす。
それは、俺も聞いたことのある、だんご大家族のテーマソング。
だが、オリジナルとは違い、曲調が激しかった。
唯「だんごっ、大家族ぅ、あういぇいっ!」
ロック風にアレンジしていた。
唯「岡崎くんも、サビはハモってよぅ、あういぇいっ!」
サビなんて知らない。
とりあえず、適当にだんごだんご言って合わせておいた。
―――――――――――――――――――――
憂「お待ちどうさま~」
憂ちゃんがお盆に料理を乗せて運んできてくれる。
まずは前菜のようだった。
449:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:41:03.00:cUBlBpOS0
唯「わぁ、肉じゃがだぁ」
憂「はいお姉ちゃん」
平沢に手渡す。
唯「ありがと~」
憂「岡崎さんも」
朋也「ああ、サンキュ」
俺も受け取った。
最後に自分の座る位置に置くと、また台所へ戻っていった。
朋也「おまえは料理したりしないのか」
唯「ん? しないけど」
朋也「じゃあ、おまえ、家事は掃除とかやってるのか」
唯「それも、憂だよ?」
朋也「なら、おまえはなにをやってるんだよ」
唯「私はね、生きてるんだよ」
朋也「あん?」
そりゃ、死んでるようにはみえないが。
455:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:47:11.84:1qYNd8dxO
唯「だからね、私は生きてるから…いいんだよ…」
つまり、なにもしてないということか…。
朋也「神秘的に言うな。憂ちゃんに全部やらせてるだけだろ」
唯「ぶぅ、だって憂がやったほうが全部上手くいくんだもん」
唯「私が掃除しても、逆に、変な取れないシミとかついちゃうし…」
唯「料理だって、やってたら、電子レンジの中でアルミホイルが放電したりするんだよ?」
それは料理の腕とはあまり関係ない。常識の問題だった。
朋也「ほんと、おまえ、憂ちゃんいてよかったな」
朋也「親御さん、家空けてること多いって聞いたけど、おまえ一人じゃ即死してたよ」
唯「そんな早く死なないよっ! 丸二日は持つもんっ!」
延命するにしても、そう長くは持たないようだった。
憂「はい、これで最後だよ~」
今度は焼き魚と、人数分のコップ、そして麦茶を持ってきてくれた。
先程と同様、俺たちに配膳してくれる。最後に自らのぶんを揃え、食卓が整った。
唯「じゃ、食べようか」
ぱんっ、と手を合わせる。
456:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:47:36.82:cUBlBpOS0
憂ちゃんもそれに倣った。
唯「いただきます」
憂「いただきます」
綺麗に声が重なる。
朋也「…いただきます」
俺も若干遅れて同じセリフを言った。
こんなこと、かしこまってやるのはいつぶりだろう。
少なくとも、うちではやったことがない。
小学校の給食の時間以来かもしれない。
唯「ん~、おいしい~」
憂「ほんと? ありがと、お姉ちゃん」
唯「憂の料理はいつもおいしいよぉ。お弁当もね」
憂「えへへ」
仲良く会話する姉妹。
本来ならここに両親が居て、一緒に食事をして…
それで、その日学校であったことなんかを話すんだろうか。
そういった光景があるのが、普通の家族なんだろうか。
俺にはわからなかった。
ただ…
無粋な俺なんかが、土足で踏み込んでいい場所じゃないことは漠然とわかる。
457:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:48:51.77:1qYNd8dxO
唯「どうしたの? 岡崎くん。ぼーっとしちゃって」
朋也「いや…なんでもないよ」
言って、肉じゃがを口に放り込む。
朋也「うん…うまいな」
憂「ありがとうございますっ」
唯「私も料理勉強しようかなぁ…」
憂「お姉ちゃんならすぐできるようになるよ」
唯「ほんと? じゃあ、今度教えてよ」
憂「うん、いいよ。お姉ちゃんの今度は、今まで一度も来たことないけどね」
唯「あはは~、そうだっけ」
憂「ふふっ、うん、そうだよ」
ふたりとも同じように、えへへ、と笑いあう。
俺は箸を動かしながら、その様子をぼんやりと傍観していた。
―――――――――――――――――――――
唯「だいぶ遅くなっちゃったね」
平沢が玄関の先まで見送りに来てくれる。
459:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:49:19.90:cUBlBpOS0
憂ちゃんは中で後片付け中だ。
朋也「そうだな。長居しちまった」
あの場は本当に居心地がよく、離れることがひどくためらわれた。
それは、なんでだろう。
あの感覚はなんだったんだろう。
唯「どうせなら、泊まってく?」
朋也「馬鹿。んなことできるかよ」
唯「なんで? 明日は休みだし、みんなでサッカーする日だよ?」
唯「ちょうどいいじゃん」
朋也「そういうことじゃなくて…」
男を泊める、というその意味に、なにか感じるところはないのだろうか。
それとも、俺がそんな風に見られていないだけなのか。
朋也「とにかく、もう、帰るよ」
唯「ちぇ、つまんないなぁ…」
朋也「じゃあな」
唯「うん、また明日ねっ」
―――――――――――――――――――――
460:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:50:56.22:1qYNd8dxO
平沢家で過ごしていた今さっきまでの時間。
それが別世界の出来事に思われるような、あまりに違いすぎる空気。
気分が重くなる。
ただ、静かに眠りたい。
朋也(それだけなのにな…)
―――――――――――――――――――――
居間。
その片隅で、親父は背を丸めて、座り込んでいた。
同時に激しい憤りに苛まされる。
朋也「なぁ、親父。寝るなら、横になったほうがいい」
やり場の無い怒りを抑えて、そう静かに言った。
親父「………」
返事は無い。
眠っているのか、ただ聞く耳を持たないだけか…。
その違いは俺にもよくわからなくなっていた。
朋也「なぁ、父さん」
呼び方を変えてみた。
親父「………」
ゆっくりと頭を上げて、薄く目を開けた。
461:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:51:37.98:cUBlBpOS0
そして、俺のほうを見る。
その目に俺の顔はどう映っているのだろうか…。
ちゃんと息子としての顔で…
親父「これは…これは…」
親父「また朋也くんに迷惑をかけてしまったかな…」
目の前の景色が一瞬真っ赤になった。
朋也「………」
そして俺はいつものように、その場を後にする。
―――――――――――――――――――――
背中からは、すがるような声が自分の名を呼び続けていた。
…くん付けで。
―――――――――――――――――――――
こんなところにきて、俺はどうしようというのだろう…
どうしたくて、ここまで歩いてきたのだろう…
懐かしい感じがした。
ずっと昔、知った優しさ。
そんなもの…俺は知らないはずなのに。
それでも、懐かしいと感じていた。
今さっきまで、すぐそばでそれをみていた。
温かさに触れて…俺は子供に戻って…
それをもどかしいばかりに、感じていたんだ。
462:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:53:10.75:1qYNd8dxO
………。
「だんごっ…だんごっ…」
近くの公園から声がした。
それは、今となってはもう耳に馴染んでいた声音。
平沢だった。
あんなところでなにをしているんだろう。
俺はその場に呆然と立ちつくし、動くことができなかった。
そうしている内、平沢が俺のいる歩道に目を向けた。
こっちに気づいたようで、小走りで寄ってくる。
唯「あ、やっぱり岡崎くんだ。どうしたの? うちに忘れ物?」
朋也「いや、別に…」
唯「じゃあ…深夜徘徊?」
内緒話でもするように、ひそっと俺にささやいてくる。
朋也「馬鹿…そんなわけあるか」
もう俺は冷静だった。
朋也「ただ、帰るには時間が早すぎたからさ…」
唯「えー? もうお風呂あがって、バラエティ番組みててもおかしくない頃だよ?」
朋也「俺にとっては早いんだよ。いつも夜遊びしてるような、不良だからな」
463:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:53:36.40:cUBlBpOS0
唯「またそんなこと言ってぇ…」
朋也「おまえのほうこそ、こんなとこでなにやってたんだよ」
唯「ん? 私はね、歌の練習だよ」
朋也「こんな時間に、しかも外でか」
唯「うん」
朋也「それ、近所迷惑じゃないのか」
校則さえまともに守れない俺が言うのも違う気がしたが。
唯「大丈夫だよ。ご近所さんはみんな甘んじて受け入れてくれてるから」
朋也「そら、懐の深い人たちだな」
唯「私が小さかった頃から知ってるからかなぁ…みんな優しいんだよ」
唯「とくに、渚ちゃんとか、早苗さんとか、アッキーとか…古河の家の人たちはね」
そんな名前を出されても、俺にはピンと来ない。
朋也「そっか…」
朋也「なら、がんばって練習してくれ」
言って、歩き出す。
464:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:54:45.33:1qYNd8dxO
唯「あ、岡崎くんっ」
朋也「なんだよ」
立ち止まる。
唯「これからまだどこかにいくの?」
朋也「ああ、そうだよ」
唯「あした、体大丈夫?」
朋也「まぁ、多分な」
唯「っていうか、平日とかも、それで辛くないの?」
唯「いつも、すごく眠そうだし…」
唯「やっぱり、夜遊びはやめといたほうがいいんじゃないかな」
朋也「いいだろ、別に。不良なんだから」
唯「それ、本当にそうなのかな。今でも信じられないよ」
唯「岡崎くん、全然不良の人っぽくないし…」
朋也「中にはそういう不良もいるんだ」
唯「前に、お父さんと喧嘩してるって言ってたよね?」
465:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:55:04.59:cUBlBpOS0
唯「それで、喧嘩が原因で、肩も怪我しちゃったって…」
唯「それと関係ないかな?」
唯「お父さんと顔を合わせないように、深夜になるまで外を出歩いて…」
唯「それで、遅刻が多くなって、みんなから不良って噂されるようになって…」
唯「違う?」
なんて鋭いのだろう。
あるいは、安易に想像がつくほど、俺は身の上を話してしまっていたのか。
朋也「違うよ」
俺は肯定しなかった。こいつの前では、悩みの無い不良でいたかった。
唯「本当に、違う?」
朋也「まだお互いのことよく知らないってのに…よくそんな想像ができるもんだな」
唯「できるよ。そうさせるのは…岡崎くん自身だから」
唯「きっと、なにか理由があるんだって、そう…」
唯「そう思ったんだよ」
朋也「もし、そうだとしたら…」
朋也「おまえはどうするつもりなんだ」
466:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:56:29.43:1qYNd8dxO
訊いてみた。
唯「岡崎くんは、私が遅刻しないように、いつも頑張って早くきてくれるから…」
唯「私も、それに応えてあげたい」
唯「できるなら、力になってあげたいよ」
朋也「親父に立ち向かえるように、か…?」
唯「それはダメだよ。立ち向かったりしたら…分かり合わないと」
朋也「どうやって」
唯「それは…」
唯「すごく時間のかかることだよ」
朋也「だろうな。長い時間がいるんだろうな」
朋也「俺たちは、子供だから」
俺は遠くを見た。屋根の上に月明かりを受けて鈍く光る夜の雲があった。
唯「もしよければ…うちにくる?」
平沢がそう切り出していた。
それは、短い時間で一生懸命考えた末の提案なんだろう。
唯「少し距離を置いて、お互いのこと、考えるといいよ」
467:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:56:50.13:cUBlBpOS0
唯「ふたりは家族なんだから…だから、距離を置けば、絶対にさびしくなるはずだよ」
唯「そうすれば、相手を好きだったこと思い出して…」
唯「次会った時には、ゆっくり話し合うことができると思う」
唯「それに、ちゃんと夜になったら寝られて、朝も辛くなくなるよ」
唯「一石二鳥だね」
唯「どうかな、岡崎くん」
唯「岡崎くんは、そうしたい?」
朋也「ああ、そうだな…」
朋也「そうできたら、いいな」
唯「じゃ、そうしよう」
事も無げに言う。
朋也「馬鹿…」
朋也「おまえは人を簡単に信用しすぎだ」
近づいていって、頭に手を乗せる。
唯「ん…」
468:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:57:49.29:1qYNd8dxO
くしゃくしゃと少し乱暴に撫でた。
朋也「じゃあな。また明日」
唯「あ…うん」
背中を向けて歩き出す。
俺は支えられた。あいつによって。
いや、支えられた、というのは違うような気がする。
あいつはただ、そばにいただけだったから。
でも、それだけで、俺は自分を取り戻すことができた。
同じようなことが前にもあった気がする。
不思議な奴だと…そう、胸の内で感じていた。
―――――――――――――――――――――
469:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:58:13.63:cUBlBpOS0
4/18 日
目が覚めたのは、昼に程近いが、一応午前中だった。
久しぶりにゆっくり寝られたので、気分がいい。
布団からも未練なく抜け出せた。
その勢いに乗り、スムーズに洗顔と着替えも済ませた。
そして、その他諸々の用意が出来ると、すぐに家を出た。
―――――――――――――――――――――
適当なファミレスで食事を済ませ、退店する。
腕時計を見ると、待ち合わせの時間まであと30分だった。
ここからなら、歩いても十分間に合うだけの猶予がある。
それがわかると、俺は学校へと足を向け、悠長に歩き出した。
少し進んだところで、前方よりバスが走り去っていった。
今降りてきたであろう乗客の集団も、ばらけ始めている。
その中に、周囲とは異質な雰囲気が漂う女の子の姿を見つけた。
朋也(お…琴吹だ)
動きやすそうな服装で、バスケットと水筒を手に持っていた。
歩きながら見ていると、どうやら俺と同じ方向に進んでいるようだった。
あいつも、これから集合場所に向かうところなのだろう。
………。
朋也(まぁ、後ろつけてくのもなんだしな…)
俺は小走りで琴吹のもとへ駆け寄っていった。
朋也「よ、琴吹」
470:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:59:27.73:1qYNd8dxO
追いつき、横から声をかける。
紬「あら、岡崎くん。こんにちは」
朋也「ああ、こんちは」
紬「岡崎くんも、これから学校?」
朋也「ああ、そうだよ。おまえもだよな?」
紬「うん、そうよ」
朋也「じゃ、そんな遠くないし、一緒にいかないか」
紬「あ、いいねっ、それ。手をつないだりして、仲良くいきましょ?」
朋也「いや、手って…」
少しドモり気味になってしまう。
紬「ふふ、冗談、冗談」
くすくすと笑う。
朋也(はぁ…なに焦ってんだ俺…)
こいつを前にすると、どうも調子が狂ってしまう。
471:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 18:59:58.17:cUBlBpOS0
―――――――――――――――――――――
朋也「そういえばさ、おまえ、先週日曜バイトしてたよな」
朋也「それも、このくらいの時間帯にさ。今日もあったんじゃないのか」
紬「うん、そうなんだけどね。シフト代わってもらったの」
朋也「昨日の今日でよく都合がついたな」
紬「うん、まぁ、ちょっと無理いってお願いしたんだけどね」
朋也「無理にか。なんでまた」
紬「私も、みんなと遊びたかったから」
シンプルな理由。
動機としてはいびつな部類なんだろうけど、こいつが言うとまっすぐに見えた。
紬「もう三年生だし、こういう機会もどんどん減っていくと思うの」
紬「だから、思いっきり遊べる時間を大切にしたくて」
朋也「そっか…」
そう、今年はもう受験の年だ。
気合の入った奴なんかは、今の時期から休み時間にも単語カードをめくっている。
部活をしている奴だって、引退すれば即受験モードに入るだろう。
こいつら軽音部も、どこかで区切りがつけばそうなるはずだ。
大会のようなものがあるのかは知らないが、どんなに長くても秋ぐらいまでだろう。
472:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:01:29.49:1qYNd8dxO
それを考えると、本当に、今だけなのだ。
まぁ、それも、俺や春原にとってはなんの関係もない話だが。
きっと俺たちは最後までだらしなく過ごしていくことになるんだろうから。
朋也「でも、それならバイトなんかやめて時間作ればいいんじゃないのか」
紬「う~ん、でも、せっかく慣れてきたから、もう少し続けたくて…」
紬「それに、少しでもお金は自分で稼いだものを使いたいから」
朋也「おまえ、小遣いとかもらってないのか」
紬「アルバイトを始めてからはもらってないかなぁ」
朋也「へぇ…なんか、生活力あるな、おまえ」
紬「そう? ありがとう」
本当に、見上げたお嬢様だった。
そのバイタリティはどこからくるんだろう。
朋也(庶民の俺も見習うべきなんだろうな、きっと)
―――――――――――――――――――――
唯「あ、岡崎くん、ムギちゃんっ」
律「お、来たか」
紬「お待たせ~」
473:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:01:48.77:cUBlBpOS0
校門の前、雑談でもしていたんだろうか、輪になって固まっていた。
メンバーは、軽音部の連中に加え、憂ちゃんと、真鍋がいた。
春原はまだ来ていないようだ。
憂「こんにちは、紬さん、岡崎さん」
紬「こんにちは、憂ちゃん」
朋也「よう」
律「岡崎、あんた憂ちゃんともよろしくやってるんだってな」
朋也「よろしくって…なにがだよ」
律「とぼけんなって。一緒に買い物出かけたんだろ、きのう」
また、知られたくない奴の耳に入ってしまったものだ…。
きっと、談笑中にでも先日のことが話の種となってしまったんだろう。
さっきから中野に冷たい視線を向けられているのも、それが理由に違いない。
律「やるねぇ、姉妹同時攻略か?」
朋也「おまえ、ほんとそういう話にするの好きな」
律「んん? 実際そうなんじゃないんですかぁ?」
朋也「違うっての…つーか、もういいだろ、このやり取り」
律「あんたがイベント起こすから悪いんだろぉ、このフラグ系男子め」
474:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:03:04.12:1qYNd8dxO
そんなジャンルはない。
唯「ねぇ、りっちゃん。攻略って、なに? 弱点でも突いて一気にたたみかけるの?」
律「そんな、敵のHPを削る有効な攻撃のことじゃないって」
律「いいか? ここでいう攻略というのはだな、ずばり…」
ぐっと腕に力を入れる。
律「ヒロインをいかに自分のものにするか、ということだ!」
唯「ヒロイン?」
律「ああ。この場合ヒロインはおまえと憂ちゃんってことになるな」
唯「ふむふむ。それで?」
律「おまえの好感度は十分だと踏んだ岡崎は、次のヒロイン、憂ちゃんに移行したんだ」
律「それで、一緒に買い物に行き、フラグを立てた」
律「ゆくゆくは憂ちゃんの好感度もMAXにして、自分に惚れさせる」
律「そして、おまえと憂ちゃんを同時に手に入れて、ハーレムエンド、ってとこかな」
言いたい放題言われていた。
唯「おお、すごいねっ!…って、えぇ!?」
475:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:03:25.11:cUBlBpOS0
唯「岡崎くん、今のマジなの!?」
朋也「だから、違うっつの…」
唯「だよね、岡崎くんはそんな人じゃないよね」
律「ずいぶん信頼されてんなぁ。じゃ、憂ちゃんはどうなの」
憂「私ですか?」
律「うん。岡崎が彼氏って、どう?」
憂「そうですね…そうだったら、楽しいと思います」
律「おお!? 脈アリだ?」
梓「………」
中野の視線が鋭さを増す。
憂ちゃんにそう言ってもらえるのは素直に嬉しいが、この局面では複雑だ…。
憂「でも、岡崎さんは、お兄ちゃんですから」
朋也(ぐぁ…ここにきて…)
律「…お兄ちゃん?」
憂「はいっ。ね、お兄ちゃん?」
朋也「あ…いや…」
476:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:04:42.61:1qYNd8dxO
憂「…お兄ちゃん、私のこと嫌い?」
朋也「いや…好きだよ…」
ああ…俺はなにを言ってるんだ…
憂「ありがとう、お兄ちゃんっ」
場が凍りついているのがはっきりとわかる…
終わりだ…俺はもう…
DEAD END
朋也(んなアホな…)
律「…まぁ、なんだ…そういう趣味か」
朋也「い、いや、待て、説明させてくれっ」
律「言い訳があるんなら、聞いてやるよ。最後にな」
朋也(最後ってなんだよ、くそっ…)
朋也「あー、えっと、そうだな…」
必死に頭の中で言葉を紡ぎだす。
朋也「俺、ひとりっこでさ、だから、そういう兄妹とかに憧れがあったっていうか…」
俺はしどろもどろになりながらもなんとか弁明した。
477:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:05:01.00:cUBlBpOS0
律「ふーん、それで憂ちゃんに頼んだってことね」
朋也「ああ、そうだよ」
憂「ごめんなさい、少し悪乗りしちゃいました」
朋也「もうお兄ちゃんは今後禁止だ」
憂「はぁい」
律「ま、それでもかなり引くけどな」
朋也「ぐ…」
唯「でも、岡崎くんがお兄ちゃんってよくない?」
律「いや、全然」
唯「えー、そうかなぁ。私はいいと思うんだけどなぁ…」
唯「ね、お兄ちゃんっ」
腕に絡んでくる。
朋也「あ、おい…」
憂「あ、お姉ちゃんずるいっ」
もう片方も取られてしまう。
478:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:06:13.03:1qYNd8dxO
朋也「おい、憂ちゃ…」
梓「に゛ゃ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!」
突然奇声を発し、肩を怒らせずんずんとこちらに近づいてくる。
梓「えいっ!」
唯「うわぁっ」
憂「きゃっ」
無理やり平沢姉妹を俺から引き離し、距離をとった。
梓「唯先輩、あんな人に近づいちゃだめですっ!」
唯「え、でも…」
梓「だめったらだめなんです! あの人は…変態です!」
唯「そ、そんなこと…」
梓「あります! だから、だめです!」
唯「あ、あう…」
梓「憂も!」
憂「梓ちゃん、こわいよぉ…」
479:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:06:38.09:cUBlBpOS0
梓「いいから、返事は!?」
憂「う、は、はい…」
俺は呆然と、その力強く説き伏せられている様子を遠くから眺めていた。
律「はっは、変態だってよっ」
朋也「………」
律「ま、元気出せって、ははっ」
笑いながら、ぱんっと肩を叩き、中野たちがいるところまで歩いていった。
朋也「……はぁ」
思いのほかヘコむ。
澪「あの…」
朋也「…なんだよ」
澪「梓が失礼なこと言って、すいません」
朋也「ああ…まぁ、しょうがねぇよ、言われても」
澪「そんな…梓はただ嫉妬してるだけっていうか…そんな感じなんだと思います」
朋也「嫉妬?」
480:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:08:50.70:1qYNd8dxO
澪「はい。梓は、唯にかなり可愛がられてましたから…」
澪「それで、岡崎くんに唯を取られちゃうんじゃないかって、多分そう思ったんだと…」
紬「確かに、それはあるかもしれないわね」
朋也「はぁ…」
澪「だから、あの…元気出してくださいね」
よほど落ち込んでいるように見えたのか、そう励ましてくれた。
朋也「ああ、サンキュな。ちょっと救われた」
少し大げさに立ち直った風を装う。
一応、俺なりに礼儀をわきまえたつもりだ。
澪「あ、そ、それはよかったです…」
恥ずかしそうに顔を伏せてしまった。
割と顔を合わせているのに、まだ慣れないんだろうか。
それとも、俺が苦手なのか…。
紬「それにしても、あんなに取り乱す梓ちゃん、初めて見たわぁ…あんな梓ちゃんも、可愛くていいかも」
紬「それに、岡崎くんにじゃれついてる時の唯ちゃんも、憂ちゃんも可愛いし…」
紬「岡崎くんにはもっと頑張ってもらわなきゃねっ」
くすくす笑いながら、おどけたように言う。
481:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:09:15.63:cUBlBpOS0
朋也(なにをだよ…)
つんつん、と背中をつつかれる。
朋也「あん?」
和「で、どっちが本命なの? 唯? 憂?」
真鍋がひそひそと語りかけてきた。
和「あなたに唯を推した身としては、まず二股なんて許さないから」
朋也「どっちでもねぇっての。つか、もうそういうのは勘弁してくれ」
和「そうしてほしいなら、さっさと結論を出しなさい」
朋也「結論って、おまえ…」
一度、深く息を吐く。
朋也「そもそも、そんなんじゃねぇからこそ、やめてほしいんだけどな」
和「あなたがそうでも、唯のほうは違うわよ」
朋也「いや、あいつもそんな気はないって言ってたぞ」
和「あの子自身、まだはっきりとは気づいてないだけよ」
朋也「なんでおまえがそんなことわかるんだよ」
482:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:10:35.07:1qYNd8dxO
和「幼馴染ですもの。唯のことはそれなりに観察してきたつもりよ」
朋也「だとしても、おまえ自身恋愛したことないんだろ?」
朋也「だったら、実体験に基づいてないぶん、説得力に欠けるよな」
朋也「そんなの、おまえらしくないんじゃないのか」
和「それは…そうだけど…」
朋也「仮に…仮にだぞ? 平沢がもしそうだったとしてもだ」
朋也「俺が誰かに促されて、あいつの気持ちが未整理のまま結論出されたりするのは嫌なんじゃないのか」
和「………」
しばし、沈黙する。
和「…そうね。私が間違ってたわ」
すっと身を離した。
和「煙に巻かれたようで、少しシャクだけどね」
朋也「そう言うなよ」
和「でも、やっぱりあなたはなかなか見所があるわ。どう? 例の話、考え直してみない?」
朋也「いや、ありがたいけど、その気はない」
483:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:10:56.21:cUBlBpOS0
和「そう。ま、一度断られてるしね。いいんだけど」
そう言うと、俺から離れていった。
向こうからは、部長たちが何事か騒ぎながら戻ってきている。
また、騒がしくなりそうだった。
―――――――――――――――――――――
春原「あれ、もうみんな来てんのか」
春原が腹をぽりぽり掻きながら、ちんたら坂を上ってきた。
律「あれ、じゃねぇっつーの! もう20分遅刻だぞっ!」
春原「わり、出掛けにちょっと10秒ストップに手出したら、長引いちゃった」
律「そんなもん暇なときにでもやれよなっ!」
春原「ま、いいじゃん。さっさといこうぜ」
律「ったく、こいつは…」
春原「って、その子、誰よ?」
憂「あ、初めまして。私、平沢憂と言います。二年生です」
春原「平沢? もしかして、妹?」
憂「はい、そうです」
484:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:12:07.53:1qYNd8dxO
唯「いぇい、姉妹でぇす」
春原「ふーん、あっそ。似てるね、顔とか」
憂「ありがとうございますっ」
似ている、はこの子にとって褒め言葉だったようだ。
春原「ま、いいや。行くぞ、おまえら」
律「遅れてきた奴がえばんなってーの…」
―――――――――――――――――――――
グラウンドまでやってくる。
今日は運動部の姿もなく、広い場内は閑散としていた。
おそらくは、他校で練習試合でもあって、出払っているのだろう。
俺もまだバスケをやっていた時分、休みの日は大抵そうだった。
なければ、普通に練習があったのだが。
なんにせよ、サッカー部がいなくてよかった。
…というか、いたらどうするつもりだったんだろうか。
平沢がサッカー部の動向を知っていたとは思えない。
となると…やっぱり、そこまで考えていなかったんだろうな…。
朋也(それよりも…)
朋也「今更だけど、勝手に使っていいのか、このコート」
唯「え? だめかな?」
485:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:12:37.99:cUBlBpOS0
律「別にいいんじゃね? うちらだってこの学校の生徒だし」
朋也「いや、サッカー部の連中が気を悪くするんじゃないのかって話だよ」
春原「まぁ、大丈夫でしょ」
春原が答えた。
春原「今いないってことは、今日は朝練だけだったか、よそで試合があったんだろうからね」
春原「これから鉢合わせすることもないだろうし…あとでトンボだけ掛けとけばいいよ」
ソースがこいつというのは普段なら心許ないが、一応元サッカー部だ。
今回に限ってはそれなりに信憑性があった。
律「やけに自信たっぷりだな…なんか根拠でもあんの?」
朋也「こいつ、元サッカー部だからな」
律「え、マジで?」
春原「ああ、まぁね」
律「それできのう、実力がどうのとか言ってやがったのか…」
春原「ま、んなこといいからさ、とっとと始めようぜ」
朋也「そうだな。じゃあ、おまえ、番号入ったビブス着て、枠の中に立ってくれ」
朋也「俺たち、かわるがわるシュートで狙うから」
486:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:14:04.94:1qYNd8dxO
春原「ってそれ、的が僕のみのストラックアウトですよねぇっ!?」
律「わははは! そっちのがおもしろそうだな!」
春原「僕はまったくおもしろくねぇよ!」
春原「最初はチーム分けだろ、チーム分けっ」
朋也「じゃ、春原対アンチ春原チームでいいか」
春原「僕を集団で攻撃するっていう構図から離れてくれませんかねぇっ!」
朋也「でも、俺たち奇数だしな。綺麗に分けられないし」
春原「だからって、僕一人っていうのは理不尽すぎるだろっ」
朋也「じゃあ、おまえ、右半身と左半身で真っ二つに別れてくれよ。それで丸く収まる」
春原「僕単体を無理やり偶数にするなっ!」
春原「って、もうボケはいいんだよっ」
春原「平沢、どうすんだ」
唯「う~ん、そうだねぇ…まず、春原くんと岡崎くんは別チームにしなきゃね」
春原「あん? なんで」
唯「男の子だからね。分けておきたいから」
487:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:14:29.64:cUBlBpOS0
春原「ああ、なるほどね。いいよ」
唯「後は私たちで別れるよ」
春原「わかった」
唯「じゃ、みんな、ウラかオモテしよう!」
律「久しぶりだなぁ、そんなことすんの」
澪「律、なんでチョキを出そうとしてるんだ。じゃんけんじゃないんだぞ」
律「お約束お約束」
皆平沢のもとに集合し、円を作っていた。
春原「へっ、チーム春原対チーム岡崎の頂上決戦だな、おい」
朋也「今までトーナメント勝ちあがってきたみたく言うな」
春原「ドーハの悲劇が起こらなきゃいいけどねぇ、ふふん」
こいつは、絶対ドーハの悲劇が言いたかっただけだ。
―――――――――――――――――――――
チーム分けが終わり、メンバーが決まった。
Aチームは、俺、憂ちゃん、真鍋、秋山、部長。
Bチームは、春原、琴吹、中野、平沢。
こっちの方が人数は多いが、春原は元サッカー部だ。
488:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:15:48.53:1qYNd8dxO
人材の差で、そこまでのハンデにはならないだろう。
両陣営に別れ、ボールを中央にセットする。
ちなみに、持ってきたボールは部長の弟のものだそうだ。
それはともかくとして、先攻は春原チーム。
春原「よし、キックオフだっ」
横にいた中野からパスを受け、春原がドリブルで切り込んでくる。
律「おっと、通すかよっ」
それに部長が対応した。
春原「はっ、デコのくせにスタメン起用か。世も末だなっ」
律「なにぃっ! 本田意識して金髪にしたようなバカのくせにっ」
律「実力が違いすぎて違和感あるんだよ、アホっ!」
春原「隙アリっ! とうぅっ」
律「わ、やべっ」
股の間にボールを通され、突破される。
屈辱的な抜かれ方だ。
春原「ははは、甘いんだよっ」
朋也「おまえがな」
489:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:16:14.27:cUBlBpOS0
春原「ゲッ、岡崎っ」
通された先、俺が待ち構えていた。
ボールを奪い、カウンターを仕掛ける。
しかし初心者の俺では春原のようにボールコントロールが上手くいかない。
走ってはいるが、スピードが出せないのだ。
後ろからは春原が追ってくる。
前からは中野。
俺は周囲を見てパスを出せるか確認した。
秋山が右サイドに上がっている。しかもフリーだ。
好機と見て、パスを送ろうとした時…
梓「ていっ!」
ずさぁあっ!
朋也「うぉっ」
ボールではなく、直接俺の脚めがけてスライディングが飛んできた。
間一髪かわす。
梓「チッ」
朋也(舌打ちって、おまえ…)
春原「よくやった、二年!」
春原がボールを拾う。
律「今度は絶対通さねぇーっ」
491:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:17:36.67:1qYNd8dxO
春原「平沢、押し込めっ」
前線にいる平沢にパスを送った。
律「あ、ずりぃぞっ! 勝負しろよ!」
春原「ははは、また今度な」
律「くそぅ、勝ち逃げしやがって…」
朋也「真鍋、頼んだぞっ」
真鍋は攻め込んできていた平沢をマークしていた。
ボールを受けた平沢と一対一の状況になっている。
唯「和ちゃん、幼馴染だからって手加減しないよっ」
和「その必要はないわ。あんた、運動神経ゼロじゃない」
唯「ムカっ! メガネっ娘に言われたくないよっ」
和「なら、私を抜いてゴールを決めてみなさい」
唯「言われなくてもっ」
平沢が走り出す。
…ボールをその場に置いたまま。
和「せめて、ボールを蹴るくらいはしなさいよ…」
492:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:17:58.23:cUBlBpOS0
ぼん、と蹴ってクリアする。
唯「ああ!? 和ちゃんの鉄壁メガネディフェンスにやられた!」
和「なにもしてないけどね…」
春原「なぁにやってんだよ、平沢っ」
唯「ごめぇん、和ちゃんの動きが速すぎて見えなかったよぉっ」
その珍回答に、ずるぅ、とこける春原。
春原「…わけわかんねぇ奴だな…」
朋也「秋山、いけっ、ドフリーだぞっ」
さっきクリアされたボールは、秋山の手に渡っていた。
ゴールを遮るものは、キーパー以外なにもない。
ドリブルで進んでいく。
澪「ムギ、私は本気でいくからな」
紬「くす…どうぞ」
澪「はぁっ」
どかっ
紬「みえたっ」
493:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:19:06.00:1qYNd8dxO
ばしぃっ!
飛び込みキャッチでボールを抱え込む。
澪「うわ、すごいな、ムギ…」
澪「って、ムギ…?」
琴吹はボールを抱え込み、そのまま足で締め上げていた。
紬「あ、つい癖で…」
ボールを持ち、立ち上がる。
紬「掴んだら逆十字で折って、そのまま三角締めに移行するよう言われてるから…」
つまり、ボールに関節技を掛けていたのか…。
つーか、そんな球体に間接なんかない。
澪「なんかわかんないけど、とりあえずすごいな…」
紬「ありがと。そぉれっ」
蹴りではなく、投げでボールをフィールドに戻した。
それなのに、なかなかの飛距離があった。
女にしては、かなりの強肩だ。
澪「すご…」
放物線を描き、やがて地面に着地する。
494:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:19:29.99:cUBlBpOS0
2,3バウンドした後、ころころと転がった。
それを拾ったのは春原だ。
またドリブルで切り込んでくる。
律「させるかっ」
春原「またおまえか。おまえじゃ僕を止められねぇよ」
律「ふん、ほざけよ…」
じりじりと膠着状態が続く。
春原「ほっ」
律「あ、ちくしょっ」
春原は一度パスを出すフェイントを入れ、スピードで抜き去った。
俺がフォローに回る。
すると、フリーになった中野にパスが回った。
今度はこちらに失点の危機が訪れた。
梓「憂、岡崎先輩側に回るなんて、許さないからっ」
憂「そんなぁ、運だから仕方ないのにぃ…」
梓「御託はいいのっ! やってやるですっ」
憂「――――√v―^―v―っ!!」
憂ちゃんが機敏に動き出す。
495:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:20:46.69:1qYNd8dxO
どかっ!
憂「ここだよっ」
バシィ!
その移動した先、どんぴしゃでボールが飛んでいった。
梓「な、なんで…私が打つ前に…」
憂「うーん、先読みって奴かな?」
ニュータ○プか。
梓「く…憂…やっぱりあなどれない…」
律「憂ちゃーん、パスパース!」
憂「はぁーい。いきますよぉ、律さん」
ボールが高く蹴られた。
グラウンドには、俺たちの声がこだましている。
まるで、はしゃぎまわる子供のようだった。
空を見上げる。
天気もよく、すみずみまで晴れ渡っている。
そんな中、たまにはこうやって健康的に汗を流すのも、悪くないものだ。
―――――――――――――――――――――
律「ふぃ~、ちかれたぁ~…」
496:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:21:30.73:cUBlBpOS0
紬「お疲れ様。はい、アイスティー」
紙コップを渡す。
律「お、テンキュー」
ひとしきり遊んだ後、ピクニックシートを敷いて休憩を入れていた。
琴吹が用意してくれたケーキや紅茶、各自持ち寄った菓子類を囲んで座っている。
律「ぷはぁ、うめぇーっ」
澪「確かに、運動の後の一杯は格別だよな」
律「運動か…じゃ、今日はカロリーとか気にせず食べられるな、澪」
澪「別に、いつもそんな神経質になってるわけじゃ…」
律「嘘つけ、いつも写メで自慢のセルライト送ってくるじゃん」
澪「そんなことしたことないだろっ」
ぽかっ
律「あてっ」
春原「ははっ、殴られてるよ、こいつ」
律「ツッコミだっつーのっ」
朋也「おまえはいつもラグビー部に死ぬ寸前までガチで殴られてるけどな」
497:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:23:53.61:1qYNd8dxO
春原「言うなよっ!」
律「わはは、だっせーっ!」
春原「黙れっ、負けチームっ」
律「ああ? まだ試合は終わってないだろ。つーか、たった一点リードしてるだけじゃん」
律「このハーフタイムが終わったら一気に逆転してやるよ」
春原「ふん、せいぜい無駄な足掻きをすればいいさ」
律「けっ、威張ってられるのも今のうちだぜ」
春原「はーっはっはっは!」
律「はーっはっはっは!」
悪者のように高笑いする二人。
唯「なんか、生き生きしてるよね、春原くん」
隣にいた平沢が俺にそっと話しかけてくる。
朋也「かもな。あいつがあんなノリノリになってる時なんて、あんまないからな」
悪ふざけしている時ぐらいにしか見せない顔だった。
唯「じゃあ、やってよかったのかなぁ、サッカー」
朋也「ああ、多分な」
498:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:24:26.00:cUBlBpOS0
言って、頭に手を乗せようとすると…
梓「ていっ」
ばしっ
朋也「って…」
中野に払われてしまった。
梓「唯先輩、このクッキーおいしいですよ。あ~んしてください。私が食べさせてあげます」
唯「わぁ、ありがとうあずにゃんっ」
唯「あ~ん」
寄り添って、口にクッキーを運ぶ中野。
唯「むぐむぐ…おいひぃ~」
梓「ですよね」
にやり、と俺を見てほくそ笑んでいた。
朋也(なんなんだよ、こいつは…)
―――――――――――――――――――――
律「うし、そんじゃ、そろそろ再開するか」
499:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:25:52.39:1qYNd8dxO
菓子類も一通り食べつくし、しばらくだらけていると、部長がそう声を上げた。
春原「後半戦の開始だね」
律「開始五分で逆転してやるよ」
春原「はっ、軽く追加点取ってやるよ」
律「自分のゴールにハットトリックしてろ、オウンゴーラー春原め」
春原「おまえこそ、レフリーに後ろからスライディングかまして一発退場してろ」
ぎゃあぎゃあ言い合いながら立ち上がり、グラウンドへ向かって行った。
残された俺たちも、やや遅れてそれに続く。
すると…
男1「あれ? なにこいつら」
男2「あ、軽音部の子じゃね?」
男3「うぉ、マジだ」
男4「つか、春原もいるんだけど」
男5「岡崎もいるぞ」
男6「なに、あの組み合わせ」
向こうから私服の男たちが6人、ぞろぞろとやってきた。
500:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:26:26.09:cUBlBpOS0
春原「ちっ…」
俺は春原のそばまで小走りで寄っていった。
朋也「おい、春原、あいつら…」
春原「…ああ、サッカー部の連中だよ」
朋也「練習しにきた…ってわけじゃないよな」
春原「だろうね。向こうも僕らと同じで遊びに来たんだろ」
なら、試合があったわけじゃなく、朝練が終わって解散していただけだったのか…。
サッカー部員「おい、春原。ここでなにしてんだよ」
話していると、ひとりの男が若干敵意を含んだ言い方でそう訊いてきた。
春原「別に、遊んでるだけだっつの」
サッカー部員「そっちの軽音部の子たちはなんなんだよ」
春原「こいつらも、同じだよ」
サッカー部員「は? おまえ、軽音部の子たちと遊んでんの?」
サッカー部員「うわ、ありえねー」
サッカー部員「こんな奴がよく取り合ってもらえたな」
501:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:27:45.88:1qYNd8dxO
サッカー部員「土下座して頼んだんじゃねぇの、僕で遊んでくださ~いってさ」
部員たちに、どっと笑いがおこる。
春原「ぶっ殺すぞ、てめぇらっ!」
春原がキレて、殴りかかっていく勢いで一歩を踏み出す。
サッカー部員「は? また暴力かよ」
サッカー部員「変わんねぇな、このクズは」
サッカー部員「おまえのせいで俺たち、どんだけ迷惑したかわかってんのか」
サッカー部員「関係ない俺たちまで、いろんなとこで頭下げさせられたんだぞ」
サッカー部員「新人戦だって出られなかったしな。実績あげないと、推薦だって危ういのによ」
サッカー部員「まだそのことで謝ってもねぇのに、あまつさえ俺たちに暴力振るうのかよ」
サッカー部員「今度は退学んなるぞ、てめぇ」
春原「……くそっ」
踏みとどまる。
そうさせたのは、退学だなんて脅しじゃない。
きっと、胸の奥底では感じていたであろう罪悪感の方だったはずだ。
サッカー部員「君ら、軽音部の子たちだよね?」
502:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:28:25.66:cUBlBpOS0
春原に取っていた態度とは打って変わって、陽気に声をかけてくる。
サッカー部員「こんな奴らとじゃなくてさ、俺らと遊ばね?」
自分たちから一番近い位置にいた部長に訊いてから、後方にいた連中を眺め渡した。
律「………」
だが、部長を筆頭に、誰もなにも言わない。
サッカー部員「うわぁ、やっぱ、りっちゃん可愛いって」
サッカー部員「ばっか、澪ちゃんだろ」
サッカー部員「俺唯ちゃん派」
サッカー部員「あずにゃんだろ、流石に」
サッカー部員「おまえら、ムギちゃんのよさわかれよ」
答えないでいると、その内、内輪で盛り上がり始めた。
サッカー部員「つか、見たことない子もいるけど、あの二人もかわいくね?」
サッカー部員「うぉ、マジだ。後ろで髪上げてる子と、メガネのな」
サッカー部員「つか、メガネのほうは、生徒会長じゃん」
サッカー部員「そうなの?」
503:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:29:38.92:1qYNd8dxO
サッカー部員「昨日発表あったじゃん」
サッカー部員「知らねぇ。寝てたわ、多分」
一斉に笑い出す。
律「…わりぃけど、あんたらと遊ぶ気にはなんないわ」
サッカー部員「えー、なんでだよ」
サッカー部員「カラオケいこうよ。おごりでもいいよ」
律「あたしら、サッカーしに来てんだよね。カラオケなら、あんたらでいきなよ」
サッカー部員「サッカー? 俺らも、そうなんだけど」
サッカー部員「サッカーがしたいなら、俺らのほうがいいよ」
サッカー部員「春原みたいな半端な奴とか、岡崎みたいなただのヤンキーとやるより楽しいよ」
サッカー部員「そうそう、いろいろヤって、楽しもうよ」
サッカー部員「ははは、腰振んなよ、おまえ」
サッカー部員「ははははっ」
サッカー部員「ははっ、てかさぁ、春原が今更サッカーってどうなの」
サッカー部員「マジ、ウケるよな」
504:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:30:12.04:cUBlBpOS0
サッカー部員「どうせ素人相手にカッコつけたかったんだろ」
サッカー部員「それしかねぇな。マジでカスみてぇ」
唯「…どうしてそこまでいうの?」
平沢が口を挟む。
サッカー部員「ん?」
唯「春原くんが喧嘩して、大会出られなかったのは、残念だったけど…」
唯「もう、終わったことなんだし…そんなに言わなくてもいいでしょっ!」
サッカー部員「あー、あのさぁ…」
一番体格のいい男が、ぽりぽりと頭を掻きながら前に出てくる。
サッカー部員「まぁ、お遊びクラブで仲良しこよしやってる子には、わかんないかもだけどさ…」
サッカー部員「俺ら、マジで部活やってんだ? そんで、将来とか懸かってんの。わかる?」
澪「そんな、私たちだって真剣に…」
サッカー部員「軽音部って、茶飲んでだらだらしてるだけなんでしょ? けっこう有名だよ」
澪「それは…」
梓「そんなことないですっ! 馬鹿にしないでくださいっ!」
505:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:31:23.41:1qYNd8dxO
サッカー部員「ああ、ごめんね。馬鹿にしてないよ」
サッカー部員「あずにゃんのプレイ、最高~」
サッカー部員「萌え萌え~」
他の部員が横から茶化しを入れると、皆へらへらと笑いあった。
梓「………」
中野の顔が紅潮していく。
奴らの態度は、どうみても馬鹿にしているそれだった。
サッカー部員「ま、だからさ、公式戦って、超大事なんだ。それを台無しにされたら、普通怒るよね」
唯「でも…でも…言ってることがひどすぎるよ…」
サッカー部員「クズにはなに言ってもいいんだよ」
唯「クズなんかじゃないよっ! 春原くんは、ちゃんとした、いい人だよっ!」
サッカー部員「ぶっははは! それ、マジで言ってんの?」
サッカー部員「いい人とかっ、ははっ、春原がかよっ」
サッカー部員「ああ、やっぱ、唯ちゃん頭弱ぇなぁ」
また下品に笑いあった。
唯「うぅ…」
506:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:31:53.43:cUBlBpOS0
朋也(こいつら…)
もう、限界だった。
そもそも、最初からどこか癇に障る奴らだったんだ。
春原が踏みとどまっていなければ、俺も喧嘩に加わるつもりだった。
一度は耐えたが、それももう終わりだ。
手を出したほうが負け? そんなもん知ったことか。
喧嘩を売ってきたこと、死ぬほど後悔させてやる。
春原「おい、岡崎…」
朋也「…ああ」
春原も俺と同意見のようだった。
ぶっ飛ばしてやろうと、そう意気込んだ時…
律「あーあ、もういいや。みんな帰ろうぜ」
部長がそう言った。
律「なんかこいつらもここ使うみたいだし…それに、しらけちゃったしな。変なのが来たせいで」
律「はい、撤収~」
言って、敷かれたままのピクニックシートの方に足を向けた。
サッカー部員「や、ちょっと待とうよ」
部長の腕を掴んで引き止める。
507:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:33:11.56:1qYNd8dxO
サッカー部員「ぜってぇ俺らと遊んだほうがおもしれぇって」
律「触んなっ。離せ、バカっ」
その手を乱暴に振り払う。
サッカー部員「っ、んだよ、こいつ…調子乗りすぎ」
サッカー部員「ちっと可愛くて人気あるからって、これはねぇわ」
サッカー部員「ライブとか言って、下手糞な演奏しても、チヤホヤされるもんな」
サッカー部員「ああ…それはあるかも」
サッカー部員「よな? 聴きに来てる奴らなんか、ほとんどこいつらの体目当てだし」
サッカー部員「体って、おまえさっきからエっロいな」
サッカー部員「はは、うっせぇ」
律「なんだと…? 大人しく聞いてりゃ、つけあがりやがって…」
サッカー部員「え? 怒っちゃう? もしかして、自覚なかったの?」
サッカー部員「うわぁ、勘違い系?」
サッカー部員「痛ぇ奴」
サッカー部員「つーか、部員が可愛い子ばっかなのはそういうことだろ、どうせ」
508:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:33:41.33:cUBlBpOS0
サッカー部員「ああ、全員が客寄せパンダってことな。じゃ、図星突かれて怒ったのか」
サッカー部員「ははは、マジでそれっぽ…」
いい終わる前、その部員は殴り倒されていた。
サッカー部員「っつ…てめぇ、春原ぁっ!」
倒れこんだまま、怒声をあげる。
春原「馬鹿にしてんじゃねぇっ!」
春原が吠えた。
律「春原…」
春原「こいつらはなぁっ、そんなんじゃねぇんだよっ!」
サッカー部員「はぁ? なんだこいつ…」
春原「うぉおおおおおおおおおおおっ!!」
突っ込んでいく。
たちまち乱闘になった。
澪「ど…どうしよう、誰か呼んでこないとっ…」
朋也「やめてくれ。んなことされたら、俺らが捕まっちまうよ」
澪「え…」
509:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:35:16.17:1qYNd8dxO
朋也「真鍋、事後処理頼めるか」
和「ま、なんとかしてみるわ」
朋也「頼んだぞ」
前を見る。
春原が囲まれて、四方から蹴りをもらっていた。
ぐっ、と拳にに力を込める。
2対6。不利だが、不思議と負ける気はしなかった。
朋也「てめぇら、俺に背中向けてんじゃねぇっ!」
唯「あっ、岡崎くんっ…」
後ろから平沢の声がした。
だが、振り返ることはしなかった。
まっすぐ敵に向かって拳を振り下ろす。
相手の嗚咽する声と、拳に鈍い痛みが走ったのは同時だった。
―――――――――――――――――――――
呼吸が苦しい。
ずっと全力で殴り続けていたから、まったく余力が残っていない。
体重を支えるその脚にも、まともに力が入らない。
立っているのがやっとだった。
それに加え、身体中が痛む。
打撲に、擦り傷、切り傷…鼻血も出ている。
口の中には血の味が広がっていて、なんとも気持ち悪かった。
もう、ボロボロだ。
510:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:35:51.94:cUBlBpOS0
春原「楽勝だったな……げほっ」
散々殴られたその顔で、苦しそうに咳き込んだ。
ひどい表情だ。きっと今、俺も同じ状態なんだろう。
朋也「その顔で言うなよ…」
春原「へっ…」
ぐい、と血を拭う。
春原「ま、やっぱ、僕ら最強ってことだね…」
朋也「特に俺はな…」
春原「あんた、結構ナルシストっすね…」
喧嘩は、一応の決着がついた。
KOというわけじゃない。連中の方が撤退していったのだ。
それほど喧嘩慣れしていなかったのだろう。
痛みと、本気で殴りかかってくる相手への恐怖からか、終始引き気味だった。
そのおかげで、あまり長引かずに済んだ。
部活も辞めて長いこと経ち、持久力の落ちている俺たちにはありがたかった。
和「お疲れ様」
真鍋がタオルを渡してくれる。
俺たちはそれを受け取り、汗と血を拭き取った。
そして、顔を上げて一番最初に目に入ってきたのは、泣いている平沢の姿だった。
見れば、部長と真鍋以外、全員すすり泣いていた。
513:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:45:38.09:cUBlBpOS0
律「あんたら…大丈夫か」
春原「無傷だけど」
律「そんなわけないだろ、見た目的にも…」
和「なんにせよ、治療は必要ね」
朋也「そうだな。おまえの部屋、なんかあったっけ」
春原「絆創膏ならあるよ」
朋也「ないよりマシか…まぁ、いいや」
朋也「そういうことだからさ、悪いけど俺たち、帰るわ。もう、フラフラだからな…」
和「待って。絆創膏だけじゃ駄目よ」
和「私たちが薬局で必要なもの買ってくるから、待ってて」
春原「できれば、もう帰りたいんすけど…」
和「じゃあ、寮で待ってて。確かあなた、地方からの入学で、寮生活してたわよね」
春原「はぁ、まぁ…」
和「唯と律はこの二人を支えながら送ってあげて」
和「坂の下をちょっと行ったところに寮があるから、そこまで」
516:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:47:17.92:1qYNd8dxO
唯「ぐす…うん…わかったよ…」
律「お、おう」
和「憂と琴吹さんは、グラウンドをトンボでならしておいて欲しいんだけど…」
それは、血が飛び散って、いたるところに黒いシミを作っていたからだろう。
憂「は、はい、任せてください」
紬「うん、任せて」
和「私と梓ちゃんと澪は、薬局に買出しね」
澪「わ、わかった」
梓「は、はい」
和「じゃ、みんな、さっと動きましょ」
その一言で、各自行動を開始した。
仕切るのが上手いやつだった。
人の上に立つ器とはこういうものなんだろうか…。
ぼんやりと思った。
―――――――――――――――――――――
唯「う…ひっく…ぐすん…」
朋也「おい…もう泣きやめ」
517:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:47:44.11:cUBlBpOS0
唯「だっでぇ…うぅ…」
俺は平沢に、春原は部長に支えられながら、坂を下っていく。
唯「わだしがサッカーやるなんていっだがら…ぐすん…」
朋也「おまえのせいじゃないだろ」
春原「そうそう。あのバカどもが分をわきまえず喧嘩売ってきたのが悪いんだよ」
唯「うう゛…ぐすん」
律「…その件だけどさ、あんた、ちょっと見直したよ」
春原「あん? なんだよ、気色悪ぃな…」
律「いや…ほら、私たちが馬鹿にされたとき、あんた、すげぇ怒ってくれたじゃん?」
律「それがなんていうか…な? 意外だったんだよ」
それは、俺も同じだった。
まさか、こいつの口からあんなセリフが飛び出してくるとは思わなかった。
春原「は…その場のノリって奴だよ。勘違いす…」
春原「おわっ」
つまずく。
律「おい、しっかりし…」
519:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:48:53.54:1qYNd8dxO
春原「ん? なんか今、右手が一瞬柔らかかったけど…」
どごぉっ!
春原「うぐぇっ」
春原のレバーに部長の鉤突きが突き刺さる。
律「どさくさにまぎれて、どこ揉んでんだ、こらぁっ!」
春原「い、いや…違う、そんなつもりじゃ…」
律「くそぉ、こんな変態、見直したあたしが馬鹿だった…」
春原「って、なに髪つかんでんだよっ、っつつ…」
律「あんなたなんかこれで十分だっつの! さっさと歩けっ、ボケっ」
春原「うわ、やめろっ、スピード落とせっ!」
どんどん坂を下っていく…いや、引きずられて、か。
唯「ぷ…あははっ」
あのふたりに感化されたのか、平沢がぷっと吹き出し、笑みを浮かべていた。
唯「もう…ほんと楽しそうだなぁ…」
朋也「じゃあ、おまえが今日サッカーに誘ったこと、無駄じゃなかったな」
520:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:49:16.57:cUBlBpOS0
唯「そうかな…」
朋也「ああ。結果よければ、全てよしってやつだ」
唯「あは…うん、ありがと」
―――――――――――――――――――――
春原の部屋。
ここに、全員が集まっていた。
トンボ班と、医療班には、メールで部屋の番号を伝えていた。
寮の場所は、坂下から一直線なので、それだけでよかったのだ。
春原「いつつ…」
紬「あ、ごめんなさい。しみた?」
残りの連中が部屋に駆けつけてくれた時。
先に帰りついていた俺たちは、何事もなかったかのようにくつろいでいた。
その様子に、最初はポカンとしていたが、それも少しの間のこと。
何も言わず、顔をほころばせ、すぐに馴染んでくれていた。
春原「いや、大丈夫。ムギちゃんの愛で癒してくれれば」
紬「え? それは、どういう…」
春原「傷口を舐めて消毒して欲しいなっ」
紬「えっと…ごめんなさい、手刀でいい?」
521:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:50:27.14:1qYNd8dxO
春原「患部ごと切り落とすつもりっすか!?」
律「わははは!」
これも、いつも通りだった。
少し前、凄惨な暴力を目の当たりにして、泣いていたのに。
今では、穏やかな空気さえ漂っていた。
朋也「と、つつ…」
澪「あ、ごめんなさい」
朋也「ああ、大丈夫。気にすんな」
俺も春原同様、治療を受けていた。
律「澪、おまえ、血苦手なのに、よくやんなぁ」
澪「消去法で、私しか残らなかったんだから、しょうがないだろ」
そうなのだ。
最初、平沢と憂ちゃんがやりたがってくれていたのだが、中野によって却下された。
その中野自身はやってもいいと言っていたが、悪意を感じたので遠慮しておいた。
部長と真鍋は不器用だと自己申告していたし…
それで、最後に残ったのが秋山だったのだ。
朋也「苦手なら、自分でやるけど」
澪「で、でも、背中とか、わからないでしょうし…私がやりますよ」
522:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:50:44.20:cUBlBpOS0
朋也「そっか…じゃあ、よろしく」
言って、上着を脱ぐ。
澪「って、ええ!?」
朋也「ん? なんだよ」
澪「なな、なんで脱いで…」
朋也「だから、背中やってくれるんだろ」
澪「そそ、そうですけど…」
朋也「じゃ、よろしく。おわったら、自分でやるから」
背を向ける。
澪「うう…」
律「きゃぁ、澪がたくましい男の背中に見ほれてるぅ」
澪「ううう、うるさいっ!」
朋也「ぐぁ…」
部長の煽りで力が入ったのか、傷口に痛みが走った。
澪「あ、ご、ごめんなさい…」
523:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:51:52.48:1qYNd8dxO
律「澪~、ダーリンを傷つけちゃダメだぞぉ」
澪「だだだ、ダーリンって…」
朋也「うぐぁ…」
澪「あ、また…ご、ごめんなさい」
朋也「部長…マジでしばらく黙っててくれ…」
律「きゃはっ! ごめんねっ、てへっ!」
こつん、と頭にセルフツッコミを入れた。
朋也(ったく…)
―――――――――――――――――――――
紬「はい、これでよし」
春原に最後の絆創膏を貼り終える。
春原「ありがと、ムギちゃん」
律「おまえ、それくらいは自分でやれよな…」
春原「せっかくムギちゃんが全部やってくれるっていうんだからね」
春原「のっかっておかなきゃ、未練なく成仏できねぇよ」
524:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:52:08.55:cUBlBpOS0
律「地縛霊みたいな奴だな…」
春原「それくらい僕の愛は深いってことさ。ね、ムギちゃん?」
紬「あら? この異様に盛り上がってる部分の床はなにかしら」
春原「って、余計な詮索しちゃだめだよっ!」
律「ああ…エロ本か」
澪「……うぅ」
春原「ちがわいっ!」
朋也「そのエリアはかなりディープなのが隠されてるぞ」
春原「エリアとか、妙にリアリティのある嘘つくなっ!」
春原「ムギちゃんも、剥がそうとしないでね…」
紬「あ、ごめんなさい。好奇心が抑えられなくて…」
春原「はは…まぁ、ただの欠陥住宅だったんだよ、ここ」
朋也「住んでる奴の気が知れねぇよな」
春原「住人の目の前で言うなっ!」
律「わははは!」
526:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:53:28.33:1qYNd8dxO
部長が笑う。
平沢も、憂ちゃんも、琴吹も、真鍋も、秋山も、中野も…みんな笑っていた。
俺も、つられてちょっとだけ笑ってしまう。
ツッコミを入れた春原自身も、苦笑していた。
春原「ああ…そうだ」
春原「ところでさ、平沢」
唯「ん? なに?」
春原「僕がサッカー辞めた理由、知ってたみたいだけどさ…」
春原「こいつから聞いたの?」
唯「えっと…うん…」
唯「私が、しつこく軽音部にきてくれるように言ってたら…教えてくれたんだ」
唯「ごめんね…知ってて、サッカーしようって、誘ったんだ、私…」
春原「いや…いいよ。それなりに楽しかったしね」
春原「………」
春原「まぁ、これから言うことは、適当に聞き流してくれていいんだけどさ…」
みんなが春原に注目する。
春原「あのさ…」
527:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:54:01.13:cUBlBpOS0
窓の外、暗くなった外を見上げながら、春原はぽつりと語りだす。
春原「僕、とんでもねぇ学校に入っちまったと思ってた」
春原「ガリ勉強野郎ばっかりでよ…」
春原「部活でも、みんな先のことしか考えてねぇんだ」
春原「絶対、友達なんか作らねぇって思ってた」
春原「意地張ってたのかな、やっぱり」
春原「でもさ…そうすると…」
春原「僕の心が保たなくなってたような気がする…」
朋也「………」
それは、俺も同じだった。
同じように考えて…同じように苦しんでいた。
春原「中学の頃の連れは、みんな中卒で働いてたしさ…」
春原「そいつらの元にいきたいって思うようになったんだ」
春原「サッカー部の連中に苛立ってたのが、半分で…そんな思いが半分で…」
春原「それで、やらかしちゃったんだ」
春原「他校の生徒相手に大暴れしてさ…」
528:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:55:06.69:1qYNd8dxO
春原「退部になれば、自主退学に追い込まれて、実家に帰れるって思ってた」
春原「おまえ、覚えてるか?」
春原「初めてあったときのこと」
朋也「…ああ」
脳裏にふと思い浮かぶ。
鮮明で、鮮烈に記憶されている光景だった。
春原「おまえに会ったのは、その時だよ」
春原「あん時、おまえは幸村のジジィと一緒だった」
春原「生活指導を受けて、ジジィが担任だったから、引き取りに来てたんだよな」
朋也「だったな…」
春原「それでさ…」
春原「おまえさ、ボコボコに顔を腫らした僕を見てさ…どうしたか、憶えてるか?」
朋也「…ああ」
―――――――――――――――――――――
―――――――――――――――――――――
春原「…大笑いしたんだよな、おまえ」
529:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:55:26.53:cUBlBpOS0
春原「涙流しながら、笑ってたよ」
春原「すげぇ不思議だった」
春原「なんでこいつ、こんなにおかしそうな顔して笑ってるんだろうってな…」
春原「そう考えてたら、僕までおかしくなってきた」
春原「我慢しようとしたけど、ダメだった」
春原「僕も、笑っちゃったよ」
春原「この学校に来てから、あんなに笑ったのは、初めてだった」
春原「すげー気持ちよかった」
朋也「そう…だったな」
あの時の情景。
思い出してみると、自然と笑みがこぼれた。
春原「あの後、ジジィに連れられて、宿直室いったら、さわちゃんいてさ…」
春原「そこで用意してくれてた茶飲んで…おまえと話したんだよな」
春原「今なら、なんとなくわかるよ」
春原「全部、あのジジィとさわちゃんが仕組んでたんだぜ」
春原「僕とおまえを引き合わせてさ…」
530:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:56:44.13:1qYNd8dxO
春原「ふたりを卒業させるって」
春原「きっと、一人じゃ辞めてしまうって、気づいてたんだよ」
春原「いつか、訊いてみないとな」
春原「どうして、僕たちをこの学校に残したのかって」
朋也「だな…」
―――――――――――――――――――――
―――――――――――――――――――――
春原「ま、後はもう一年だけどさ」
春原「またよろしくってことで」
朋也「ああ」
平沢たちは、しんみりとした表情で、じっと春原の話に聞き入っていた。
こんなに人がいるにも関わらず、静かな室内。
俺たちだけの言葉だけが響いていて、それがどこか心地よかった。
春原「つーか、腹減ったなぁ…どっか食い行くか、岡崎」
朋也「そうだな、いくか」
春原「おまえら、どうする。ついてくる?」
律「ん…なんか、今日は外食って気分だし…私はいいけど」
531:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:57:03.42:cUBlBpOS0
唯「私もいく! 憂も、くるよね?」
憂「うん、もちろんっ」
澪「私も、行きたいな…」
紬「私も。みんなで晩御飯なんて、楽しそう」
梓「じゃあ…私も」
和「ここまで付き合ったんだし、私も最後までいくわ」
春原「よぅし、全員か。じゃ、僕について来い」
律「どこいくんだよ」
春原「全皿100円の回転寿司だよ。知らねぇのか、スシロゥ」
律「知ってるけどさぁ…貧乏臭ぇなぁ…回転しない高級店でも連れてけよなぁ」
春原「なにいってんだ、ボケ。その場で自転するシャリでも食ってろ」
律「なんだと、こらっ!」
軽口を叩きあいながら、部屋を出ていく。
俺たちも、その様子を目にしながら、あとに続いた。
―――――――――――――――――――――
…二年前。
532:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:58:18.94:1qYNd8dxO
俺は、廊下である奴とすれ違った。
金髪のヘンな奴だった。
その顔はもっとヘンで、見ただけで大笑いした。
この学校に来て、初めてだった。
ああ、まだまだ笑えたんだって思った。
それが無性にうれしかった。
小さな楽しみを見つけた。
こいつと一緒に馬鹿をやってみよう。
やってみたら、やっぱりすごく楽しかった。
また、大笑いできた。
それが楽しくて、嬉しくて…
なんども、俺たちは笑ったんだ。
そして今も俺たちは…
―――――――――――――――――――――
春原「おーい、いい加減ネタ回してくれよ」
律「しょうがねぇだろぉ、九人も横に並んでんだぜ」
春原「だから、ちょっとは気を遣えって言ってんだけど」
朋也「わかったよ、ほら、今リリースしてやる」
回転棚に皿を載せる。
朋也「みんな、手つけないでくれ」
春原「おおっ、さすが岡崎、いい親友っぷりだねっ」
533:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:58:37.92:cUBlBpOS0
春原の元に無事到着する、俺の放った皿。
春原「って、これ、ワサビしか乗ってないんですけどっ!」
朋也「頼んだぞ、リアクション芸人。いまいちな感じだと、業界干されちゃうぞ」
春原「素人だよっ!」
律「わははは!」
大将「お客さん、食べ物で遊ばれたら、困るんですけどねぇ…」
春原「ひぃっ」
強面の寿司職人に凄まれる春原。
朋也「完食して詫びろっ」
535:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 19:59:18.77:cUBlBpOS0
律「いーっき、いーっき!」
春原「無理だよっ」
大将「お客さぁん…」
春原「う…食べます、食べます…」
ぱく
ぎゃああああああああああぁぁぁぁ…
―――――――――――――――――――――
春原と初めて出会った日。
あの日から、小さな楽しみを積み重ねて…
そして、今も俺たちは…
笑っている。
―――――――――――――――――――――
次へ
朋也「ああ」
唯「あれから今日で一週間経つんだけど、まだ新入部員ちゃんが来てくれないんだよ…」
朋也「ふぅん…」
唯「やっぱり、私の歌がヘタだったから、失望されちゃったのかな…」
朋也「そうかもなっ」
唯「って、こんな時だけはきはき答えないでよっ」
朋也「悪い。眠さの波があるんだ」
唯「意地悪だよ、岡崎くん…」
―――――――――――――――――――――
………。
―――――――――――――――――――――
4時間目が終わる。
唯「今日も、一緒でいい?」
朋也「ああ、別に」
唯「やたっ!」
唯「じゃ、またあとでねっ」
高らかにそう告げると、席を立ち、ぱたぱたと駆けていった。
いつものメンツを集め、その旨を伝えているようだった。
春原「とーもーやーくん」
そこへ、いやに馴れ馴れしさのこもった呼び声を発しながら、春原がやって来た。
朋也「…あ?」
春原「がくしょくいーこーお」
春原「いや、でもさ、その前に…河原いかね?」
朋也「…なんでだよ」
その前に覚えた違和感はとりあえず置いておき、訊いてみる。
春原「なんでって…おまえ、言わせんなよ…」
耳打ちするように手を口に添えた。
結局言うつもりらしい。
春原「…エロ本…だよ…」
げしっ!
春原「てぇなっ! あにすんだよ!」
朋也「おまえが真っ昼間からサカってるからだろうがっ!」
朋也「なにがエロ本だっ! 性欲が食欲に勝ってんじゃねぇよっ!」
生徒1「春原やっべ、エロ本とか…」
生徒2「あいつ絶対グラビアのページ開きグセついてるよな」
生徒1「ははっ、だろーな」
春原「うっせぇよ!」
生徒1「やべ、気づかれた」
生徒2「エロい目で気づかれた」
春原「ぶっ飛ばすぞ、こらっ!」
生徒1「逃げれっ」
生徒2「待てって」
二人のクラスメイトたちは、わいわいと騒ぎながら教室を出て行った。
春原「岡崎、てめぇ、声でかいんだよっ」
朋也「おまえがエロ本とかほざくからだろ」
春原「おまえが中学二年生みたいにって要求したんだろっ!」
ともぴょんキマシタワ
朋也「だったか?」
春原「もう忘れたのかよっ!? なら、最初からいうなっ!」
朋也「いや、最初のほうは小学二年生だったからわかんなかったんだよ」
春原「ちゃんと第二次性徴むかえてただろっ」
朋也「いきなりすぎて気づかなかったんだ」
春原「なんだよ、おまえの言う通りにしてやったのによ…」
朋也「悪いな。じゃ、次はさ、一発屋芸人のようにやってくれよ」
春原「おまえさ、僕で遊んでない?」
朋也「え? そうだけど?」
春原「さも当たり前のようにいうなっ!」
春原「くそぅ、やっぱ、確信犯かよ…」
朋也「まぁ、結構おもしろかったんだし、いいじゃん」
春原「それ、あんただけだよっ!」
―――――――――――――――――――――
唯「とうとう明日だね、和ちゃん」
和「そうね」
律「確か、演説とかするんだよな」
和「ええ」
律「公約とか、理想みたいなのを延々語るんだろ?」
和「ごめんなさいね、退屈で」
律「いや、和が謝ることないけど」
澪「和が生徒会長になってくれたら、学校も今よりよくなるよ」
和「ありがとう」
唯「和ちゃんの公約って、なに?」
和「無難なものよ。女の子受けするように、スカート丈が短くてもよくするとか…」
和「ソックスの種類を学校の純正品以外も可にするとかね」
和「男の子向けだと、夏はシャツをズボンから出してもよくする、とか…」
和「まぁ、先生受けは悪いし、ほとんど守れないんだけどね」
こいつが本気になればどれも軽く実現しそうだった。
律「じゃあさ、春原をこの学校から根絶します、とかだったらいいんじゃね?」
律「それなら、先生受けもいいだろうし」
春原「いや、デコの出し過ぎを取り締まったほうがいいよ」
春原「昔、ルーズソックスとかあったじゃん。もう絶滅してるけど」
春原「それと同じで、ルーズデコも、もう世の中が必要としてないと思うんだよね」
律「………」
春原「………」
引きつった笑顔で睨み合う。
澪「また始まった…」
朋也「なら、折衷案しかないな」
春原「折衷案?」
律「折衷案?」
朋也「ああ。間を取って、春原の上半身だけ消滅すればいいんだよ」
春原「僕が一方的に消えてるだろっ!」
律「わははは!」
―――――――――――――――――――――
………。
―――――――――――――――――――――
放課後。生徒会室に集まった。
和「じゃあ、今日は…」
こんこん
扉がノックされる。
和「…どうぞ」
真鍋の表情が険しくなる。
警戒しているようだった。
女生徒「失礼する」
ひとりの女生徒が入室してくる。
真鍋が俺に目配せし、廊下の方に小さく顎を振った。
他に誰かいないか、確認するよう指示してきたのだろう。
俺はそのサインを汲み取り、廊下を見渡しに出た。
人影はみあたらない。
女生徒がこちらに背を向けていたので、その場から手でOKサインを送った。
真鍋も目だけをこちらに向けて気取られない程度に頷く。
和「私に用があるのよね?」
女生徒「ああ」
和「でも、どうしてここが?」
女生徒「去年あなたと生徒会役員をやっていた生徒が、私の友達になってくれたんだ」
女生徒「それで、挨拶しに行きたいと言ったら、ここにいるはずだと教えてくれた」
和「…なるほどね」
女生徒「ああ、申し遅れたが、私は二年の坂上智代という」
こいつが、例の…。
和「ええ、知ってるわ」
智代「そうか。それは光栄だ」
智代「あなたは、かなりのやり手だと聞く。けど、私も退くわけにはいかない理由がある」
智代「明日は誰が勝っても恨みっこなしだ。お互いがんばろう。それだけ言いにきた」
和「…そう」
智代「他の立候補者にも挨拶に行きたいので、これで失礼する」
出入口のあるこちら側に振り返る。
そこへ、春原がチンピラ歩きで寄っていった。
春原「おい、てめぇ。上級生にたいして口の利き方がなってねぇなぁ、おい」
智代「…なんだ、この黄色い奴は」
春原「金色だっ」
智代「うそをつけ。ブレザーと同じ色だぞ」
春原「なにぃっ!?」
智代「真鍋さん、こいつは部外者じゃないのか」
和「いえ…私の手伝いをしてもらっていたの」
智代「そうか…」
残念そうな顔。
朋也「始末したいなら、別にいいぞ」
春原「おい、岡崎っ!?」
智代「…真鍋さん、そっちは」
和「同じく、私のお手伝いよ」
智代「そうか。なら、正式な許可がおりたということだな」
春原「ああ? なに言って…」
ばしぃっ!
春原「ぎゃぁぁあああああああああああああっ!!」
内股に強烈なインローが入り、悶絶し始めた。
うずくまり、ぷるぷると震えている。
智代「すっきりしたし、これで本当に失礼する」
転がっている春原を跨ぎ、俺がいる方のドアに近づいてくる。
和「…待って」
智代「なんだ」
立ち止まり、真鍋に向き直った。
和「考え直さない?」
智代「というと?」
和「生徒会長よ。あなた、まだ二年だし、副会長からでもいいんじゃない?」
智代「それは…だめだ。言ったはずだ。退けない理由があると」
智代「あなたにもあるだろう。それと同じことだ」
和「…そうね。引き止めて悪かったわ」
智代「いや、これくらいなんでもない。それでは」
会釈し、歩き出す。
そして、俺の脇を抜けて出て行こうとした。
朋也「待てよ」
智代「なんだ? 今度はおまえか?」
朋也「ああ。差し支えなかったら、おまえのその、退けない理由ってのを教えてくれないか」
智代「…まぁ、いいだろう」
智代「坂のところに桜並木があるだろ」
朋也「ああ」
智代「私は、あれを守りたいんだ」
朋也「守るって…なにから」
智代「この学校…と言っていいのかな…」
朋也「あん? どういうことだ」
智代「この学校の意向でな、あそこの桜が撤去されることになるらしいんだ」
智代「だから、私は生徒会長になって、直接訴えたいんだ」
智代「あの桜は残して欲しい、とな」
朋也「なんでまた、そんなもんのために…」
智代「それは…」
さっきまでの、固い意志を感じさせる凛とした表情が急に崩れた。
どこか悲しそうにして、目を泳がせている。
朋也「ああ、いいよ、言いたくないなら」
智代「うん…助かる」
朋也「でもさ、それっておまえが生徒会長にならなくてもできるんじゃねぇ?」
智代「どうやってだ」
朋也「今の願いを真鍋に聞いてもらえばいいだろ」
智代「でも、これは私が直接したいんだ。誰かが代わりにやったんじゃ、意味がないことなんだ」
朋也「じゃあ、おまえがこのまま選挙で戦ったとして、絶対に勝つことができるのか?」
朋也「真鍋も、そうとう手強いぞ」
智代「それは…」
朋也「もし、負けでもしたら、おまえはただの一般生徒」
朋也「おまえ一人の声なんて、上には届かないよな?」
朋也「だったらさ、副会長として真鍋の下についたほうがよくないか」
智代「でも…」
朋也「ああ、おまえ自身の手でやりたかったんだよな」
朋也「でも、結局おまえが生徒会長の座についても、誰かの手は借りることになるんだぜ」
朋也「桜並木を撤去するなんて、相当大きな力が働いてそう決まったんだろ」
朋也「だったら、いくら生徒会長でも、ひとりだけじゃ太刀打ちできないよな」
智代「………」
朋也「な? そうしろよ」
朋也「おまえ、この学校に来てまだ間もないんだろ? 聞いたよ」
朋也「だからさ、真鍋の下について、いろいろ教えてもらえ」
朋也「この学校にはこの学校のルールがあるんだからさ」
本当に、いろいろと。
俺もここで真鍋に使われる前は知らなかった裏がたくさんある。
智代「…今から副会長に変更しても間に合うだろうか」
朋也「どうなんだ、真鍋」
和「ええ…可能よ。前日になって変更なんて、前代未聞だけど」
智代「そうか。どこで手続きを踏めばいい?」
和「選挙管理委員会が使ってる教室が旧校舎の三階にあるから、そこへいけば」
智代「わかった。ありがとう、新生徒会長」
朋也「っと、今まで真鍋が当選するって前提で話しちまってたけど、その限りじゃないからな」
智代「いや…私と真鍋さんの二強だって、なんとなくわかっていたからな」
智代「これで、もう真鍋さんがなったも同然だ」
にこっと笑う。その相貌には邪気がない。
自虐的なそれでもなく、純粋な、祝福する時の笑顔だった。
智代「それじゃ、失礼する」
廊下へ出て、戸を閉めた。
足音が遠ざかっていく。
旧校舎へ向かったんだろう。
和「………」
朋也「だとよ、新生徒会長」
和「…岡崎くん、あなたやるわね。あの坂上さんを、ああもスマートに言いくるめるなんて」
朋也「そりゃ、どうも」
和「これからも私の元で働く気はない? 磨けば光るものを持っている気がするんだけど…」
朋也「いや、もうこの遊びもそろそろ飽きたからな。遠慮しとく」
和「おいしい目をみれるわよ? 大学の推薦だって、欲しければ力になってあげられるわ」
朋也「俺、進学する気ないんだけど」
朋也「それに、いくらドロドロしてて面白いってことがわかっても、生徒会だからな」
朋也「俺の肌に合わねぇよ」
和「そう…残念」
和「でも…これで今夜はゆっくり眠れるわ」
和「不確定要素は、なにも知らない一般のミーハーな無党派層だけだし…」
和「明日はただのデキレースになるでしょうね」
朋也「そっか」
和「今まで本当にありがとう。晴れてあなたたちは自由の身よ」
つまりもう帰っていいということか。
普通にそう言えばいいのに。
朋也「ああ、そうだ、ひとつ教えてくれ」
和「なに?」
朋也「おまえの退けない理由ってなんだ?」
和「え?」
朋也「坂上が退けない理由があるから戦うっていった時、おまえ、折れたじゃん」
朋也「だから、おまえにもあるんだろ。理由がさ」
和「そうね…あるわ。それは…」
がっ、と下にあったものを踏みつけ、片足の位置を上げた。
そして、腕を組む。
和「プライドよ」
あきれるほど自分に正直だった。
坂上の、安易に立ち入れなそうな理由を聞いた後では、ちょっと可笑しくて笑ってしまいそうになる。
朋也「そっか。まぁ、そういう奴も、嫌いじゃないよ」
和「それは、どうも」
春原「…あの、和さん…足、頭からどけてくれませんか…」
―――――――――――――――――――――
春原…
4/16 金
この日、全校朝会に続き、一時間目を使って選挙が行われた。
春原も珍しく朝から姿を現していた。
なんだかんだ、自分が暗躍したことなので、気になったらしい。
演説が終わると、教室に戻り投票が行われた。
当然、俺は真鍋に一票を投じた。
発表は明日行われるらしい。
―――――――――――――――――――――
昼は、おなじみのメンバーで食べた。
唯「当選してるといいね」
和「ほんと、そうだといいけど…」
律「楽勝だって」
和「そこまで甘くないわよ」
よく言う。
デキレースだと言い切ったのと同じ口から出た言葉だとは思えない。
―――――――――――――――――――――
そして、放課後。
俺はなぜかまた生徒会室に呼び出されていた。
朋也「どうした。もう終わりなんじゃなかったのか」
和「忘れてたの。これで本当に最後よ」
朋也「春原は?」
和「呼んでないわ。あなたにやってもらいたいの」
朋也「はぁ…」
―――――――――――――――――――――
依頼内容は、こうだった。
ある生徒を呼び出して、真鍋から渡されたメモ用紙に書いてある内容を読み上げる。
かなり単純だった。
だが、呼び出す、というところに乱暴なニュアンスを感じる。
最後の最後でキナ臭い指令が下ったものだ。
まさか…秘密を知った俺を始末するためにやらせるんじゃないだろうな…。
警察沙汰になって、退学になれば、なにを証言しても、すべて妄言だと取られるだろう。
もしかしたら、春原はもう…。
朋也(まさかな…)
少しビクつきながらもターゲットを探した。
―――――――――――――――――――――
そして、俺はその男を指定された場所につれてくることに成功した。
男子生徒「…なんですか」
朋也「えーっとな…」
ポケットから紙を取り出し、読み上げる。
朋也「ゆいは俺の女だ。手出したら殺すぞ…」
朋也(ゆい? 俺の知ってる奴は…平沢くらいだぞ)
男子生徒「あ…うぅ…」
朋也(抵抗した場合、三枚目へ。ひるんだ場合二枚目へ、か)
朋也(ひるんでるよな…二枚目…)
朋也「おら、もういけ」
そう書いてあった。
男子生徒「…はい」
うなだれて、とぼとぼと立ち去っていった。
和「…うん、上出来よ」
木陰から真鍋がひょこっと出てくる。
…いたのかよ。
朋也「これ、なんだったんだ」
和「ん? わからない?」
朋也「ああ、まったく」
和「そういうことには鈍感なのね」
朋也「あん?」
和「だから、さっきのあの人、唯に気があったのよ」
朋也「ふぅん…って、それ、なんか生徒会と関係あんのか」
和「いいえ。これはただの私事よ」
朋也「おまえ、あいつになんの恨みがあったんだよ…」
和「恨みはないわ。ただ、唯に悪い虫がつかないようにしただけよ」
朋也「なんでおまえがんなことするんだよ」
和「幼馴染だしね。大事にしてるのよ」
朋也「へぇ、おまえ、幼馴染なんていたの…」
…幼馴染?
朋也「もしかして、この紙にある ゆい って、平沢か?」
和「ええ、そうよ。気づかなかった?」
朋也「気づかなかった? じゃねぇよっ! なんてことさせてくれるんだよっ!」
和「あら? なんで怒るの?」
朋也「そりゃそうだろっ。俺、別にあいつの彼氏でもなんでもねぇし」
和「でも、かなり仲良くしてるじゃない。一緒に登校もしてるみたいだし」
朋也「それは、いろいろあって、しょうがなくだよ」
和「ふぅん。両思いなのに、お互い踏み出せないでいるのかと思ってたわ」
朋也「それはないっての。つか、いいのかよ」
和「なにが?」
朋也「俺、思いっきり悪い虫じゃん」
和「まぁ、見かけはね。でも、なかなか見所もあるってわかったし…」
和「あなたならいいかなって思ったのよ。そうじゃなきゃ、こんな役させないわ」
和「まぁ、唯がなついた人だから、悪い人ではないのかなとは思ってたけどね」
朋也「いや、おまえに買われるのも、悪い気はしねぇけどさ…」
和「それで納得しときなさいよ」
朋也「はぁ…」
和「ま、最初は潰しておこうかと思ったんだけどね」
さらりと怖いことをいう。
和「でも、ほら、今までのゴタゴタがあって、手が回らなかったのよ」
…俺は坂上に感謝しなければいけないのかもしれない。
和「あの子に近づく変な男って今までたくさんいたのよ」
和「ほら、あの子可愛いじゃない? だから、大変だったわ」
和「それが高校に入って、軽音部に入部してからはもう、それまでの倍は手間取ったわ」
和「生徒会の権力を使ってようやく追いつくくらいだったもの」
そこまでモテていたのか…。
和「あなたも、あんな可愛いのに、彼氏の気配がないのはおかしいと思わなかった?」
朋也「まぁ、普通に彼氏がいても不思議じゃないとは思うけど」
和「私が全て弾いていたからね」
強力すぎるフィルターだった。
和「だから、あの子、今まで男の子と交際したことがないの。大切にしてあげてね」
朋也「いや、だから、そもそも付き合ってないんだけど」
和「あら、そうだったわね。でも、時間の問題な気がするの」
和「女のカンだから、根拠はないけどね」
朋也「ああ、そう…」
和「それじゃあね」
言って、背を向ける。
朋也「あ、なぁ」
和「なに?」
振り返る。
朋也「おまえに彼氏がいたことってないのか」
なんとなく気になったので訊いてみた。
和「私? 私は、ないけど」
朋也「そっか。なんか、もったいないな」
朋也「おまえも平沢の保護ばっかしてないで、彼氏くらい作ればいいのに」
和「私はいいのよ、別に」
朋也「なんでだよ」
和「特に容姿がいいわけでもないし…作るの大変そうじゃない」
朋也「いや、おまえも普通に可愛いじゃん。男はべらせてうっはうはだろ」
和「っ…馬鹿ね…」
そう小さく言って、踵を返した。
そのまま校舎の方に戻っていく。
………。
初々しい反応も見れたことだし…よしとしておこう。
―――――――――――――――――――――
4/17 土
唯「あ、おはよ~」
女の子「おはようございます」
朋也「ん…」
平沢と、その隣にもうひとり。
髪を後ろで束ねた女の子がいた。校章の色は、二年のものだ。
唯「岡崎くん、やったねっ。合格だよっ」
朋也「なにが」
事情が飲み込めない。
唯「前に言ったでしょ? もう少し早く来れば私の妹と一緒にいけるって」
そういえば、言っていたような…。
唯「これが、私の妹でぇす」
女の子「初めまして。平沢憂です」
平沢に大げさな手振りで賑やかされながら、そう名乗った。
朋也「はぁ、どうも…」
見た感じ、妹というだけあって、顔はよく似ていた。
雰囲気的には平沢に比べ少し堅い感じがある。
まぁ、それも、見知らぬ上級生に対する、作った像なのかもしれないが。
憂「岡崎さんのことは、お姉ちゃんからよく聞いてます」
朋也「はぁ…」
なにを言われているんだろう。
憂「聞いてた通りの人ですね」
朋也「あん? なにが」
憂「お姉ちゃん、よく岡崎さんのこと…」
唯「あ、憂っ、あそこっ、アイスが壁にめり込んでるっ」
憂「え? どこ?」
唯「あ~、残念、もう蒸発してなくなっちゃった」
憂「えぇ? ほんとにあったの?」
唯「絶対間違いないよっ、多分っ」
憂「どっちなの…」
朋也(にしても…うい、ねぇ…う~む…)
俺は、その響きに引っかかりを覚えていた。
どこかでその名を聞いた気がする。
朋也(どこだったかな…)
記憶をたどる。
そう…あれは確か、軽音部の新勧ライブの日だったはずだ。
薄暗い講堂の中、会話が聞えてきた。
そこで、お姉ちゃん、と言っていたのが、その うい という子だった。
とすると…あの時、あの場に居たのはこの子だったのだ。
憂「あの…どうかしましたか?」
はっとする。
俺は考え込んでいる間、ずっとこの子を凝視してしまっていた。
さすがにそんなことをしていれば、不審に思われても仕方ない。
ただでさえ、俺は生来の不機嫌そうな顔を持っているのだ。
よく人に、怒っているのかと聞かれるくらいに。
朋也「いや、なんでも」
精一杯の作り笑顔でそう答えた。
不自然さを気取られて、さらに引かれていないだろうか…。
それだけが心配だった。
唯「私たち、ちょうどさっき来たばっかりなんだよ」
朋也「そうなのか」
唯「うん。でね、なんか、予感してたんだ」
朋也「予感?」
唯「うん。そろそろ岡崎くんが来るんじゃないかってね」
朋也「そら、すげぇ第六感だな。大当たりだ」
唯「違うよぉ。そんなのじゃないって」
唯「岡崎くん、日に日に来るの早くなってたでしょ。それでだよ」
今週はずっと朝から登校してたからな…。
そろそろ体が慣れてきたのかもしれない。
といっても、相変わらず眠りにつくのは深夜だったから、今も眠気はたっぷりあるが。
どうせまた、授業中は寝て過ごすことになるだろう。
唯「ずっとがんばり続けてたから、今日はこんなボーナスがつきました」
妹を景品のようにして、俺の前面にすっと差し出した。
朋也「じゃあ、さらに早くきたらどうなるんだ」
唯「え? えーっとね…」
しばし考える。
唯「どんどん憂の数が増えていきますっ」
憂「お、お姉ちゃん…」
朋也「そっか。なら、あと三人くらい増やそうかな」
憂「ええ!? お姉ちゃんの話に乗っちゃった!?」
憂「っていうか、私は一人しかいませんよぅ」
唯「そうなの?」
憂「常識的に考えてそうだよぉ、もう…」
唯「憂なら細胞分裂で増えるくらいできるかなぁと思って」
憂「それ、もはや人じゃないよね…」
妹のほうは姉と違って普通の感性をしているんだろうか。
突拍子も無いボケに、冷静な突っ込みを入れていた。
唯「じゃ、そろそろいこっか」
憂「うん」
ふたりが歩き出し、俺もそれに続いた。
―――――――――――――――――――――
唯「あーあ、とうとう全部散っちゃったね、桜」
憂「そうだね」
平沢姉妹と共に坂を上っていく。
これを、両手に花、というんだろうか…。
意識した途端、なんとも気恥ずかしくなる。
朋也(ホストじゃあるまいし…)
俺はワンテンポ遅れて、後ろを歩いた。
憂「岡崎さん、どうしたんですか?」
その変化に気づいたのか、後ろにいる俺に振り返った。
朋也「いや、別に」
唯「ああっ、わかった! 憂、気をつけないとっ」
憂「え? なに?」
唯「岡崎くん、坂で角度つけて私たちのスカートの中覗こうとしてるんだよっ」
憂「え? えぇ?」
その、覗く、という単語に反応してか、周りの目が一瞬俺に集まった。
朋也(あのバカ…)
朋也「んなわけねぇだろっ」
俺は一気にペースを上げ、ふたりを抜き去っていった。
唯「あ、冗談だよぉ。待ってぇ~」
憂「岡崎さん、早いですっ」
ぱたぱたと追ってくる元気な足音が後ろからふたつ聞こえていた。
―――――――――――――――――――――
唯「もう許してよぉ…ね?」
下駄箱までずっと無視してやってくる。
平沢はさっきから俺の周囲をうろちょろとして回っていた。
朋也「………」
憂「あれは、お姉ちゃんが悪いよ、やっぱり」
唯「うぅ、憂まで…」
朋也「よくわかってるな」
俺は妹の頭に手を乗せ、ぽんぽんと軽くなでた。
憂「あ…」
唯「………」
それを見ていた平沢は、片手で髪を後ろでまとめ…
唯「私が憂だよっ。憂はこっちだよっ」
微妙な裏声でそういった。
朋也(アホか…)
だが、同時に毒気も抜かれてしまった。
朋也「似てるけど、あんま似てない」
平沢の頭にぽん、と触れる。
唯「あ、やっと喋ってくれたっ」
憂「よかったね、お姉ちゃん」
唯「うん。えへへ」
ふたりして、喜びを分かち合う。
仲のいい姉妹だった。
梓「…おはようございます」
いつの間にか、軽音部二年の中野が近くに立っていた。
こいつも、今登校してきたんだろう。
唯「あっ、あずにゃん。おはよう」
憂「おはよう、梓ちゃん」
梓「うん、おはよう憂」
梓「………」
じろっと俺を睨む。
そして、平沢の手を引いて俺から離した。
唯「あ、あずにゃん?」
そして、俺の方に寄ってくる。
梓「…やっぱり、仲いいんですね。頭なでたりなんかして…」
ぼそっ、と不機嫌そうにささやいた。
梓「しかも、憂にまで…」
朋也「いや、ふざけてただけだって…」
梓「へぇ、そうですか。先輩はふざけて女の子の頭なでるんですか」
梓「やっぱり違いますね、女の子慣れしてる人は」
朋也「そういうわけじゃ…」
言い終わる前、平沢のところに戻っていった。
梓「先輩、今日も練習がんばりましょうねっ」
言って、腕に絡みつく。
唯「うんっ…って、あずにゃんから私にきてくれたっ!?」
梓「なに言ってるんですか、いつものことじゃないですか」
梓「私たち、すごく仲がいいですからね。もう知り合って一年も経ちますし」
梓「その間にかなり絆は深まってますよ。部外者がそうやすやすと立ち入れないほどに」
ちらり、と俺を見る。
唯「う…うれしいよ、あずにゃんっ」
がばっと勢いよく正面から抱きしめた。
梓「もう、唯先輩は…」
中野もそれに応え、腕を回していた。
しばしそのままの状態が続く。
梓「ほら、もう離してください」
回していた手で、とんとん、と背中を軽く叩く。
梓「続きは部活のときにでも」
唯「続いていいんだねっ!?」
梓「ええ、どうぞ」
唯「やったぁ!」
ぱっ、と離れる。
梓「憂、いこ」
憂「うん」
二年の下駄箱がある方に連れてだって歩いていく。
朋也(俺、あいつに嫌われてんのかな…)
―――――――――――――――――――――
教室に到着し、ふたりとも自分の席についた。
まだ人もそんなに多くない。
かなり余裕のある時間。俺にとっては未知の世界。
そんなに耳障りな声もなく、眠るには都合がよかった。
唯「岡崎くん」
今まさに机に突っ伏そうとしたその時、声をかけられた。
朋也「なんだ」
唯「岡崎くんたちがやってるお仕事のことなんだけどね…」
朋也「ああ」
唯「あれって、遅刻とか、サボったりしなかったら、やらなくていいんだよね?」
多分こいつはまた、さわ子さんにでも話を聞いたのだろう。
あの人は軽音部の顧問を務めているらしいし…
会話の中で、その事について触れる機会は十分すぎるほどある。
朋也「みたいだな」
唯「じゃあ、最近ずっと遅刻してない岡崎くんは、放課後自由なんだよね?」
朋也「ああ、まぁな」
唯「だったらさ…何度もしつこいようだけど…遊びにおいでよ。軽音部に」
朋也「前にも言っただろ。遠慮しとくって」
唯「でも、お昼だって私たちと一緒に食べて、盛り上がってたでしょ?」
唯「あんな感じでいいんだよ?」
朋也「それでもだよ」
唯「…そっか」
しゅんとする。
唯「やっぱりさ…」
でも、すぐに口を開いた。
唯「部活動が嫌いって言ってたこと…関係あるのかな」
朋也「………」
あの時春原が放った不用意な発言が、今になって負債となり、重くのしかかってきた。
きっかけさえ作らなければ、話題にのぼることさえなかったはずなのに。
そもそも、自ら進んで人にするような話でもない。
だが、もし、仮に…
こいつとこれからも親しくなっていくようであれば…
そうなれば、いつかは訊かれることになっていたかもしれないが。
こいつは、そういうことを気にしてしまうだろうから。
………。
俺は頬杖をついて、一度視線を窓の外に移した。
そして、気を落ち着けると、また平沢に戻す。
朋也「…中学のころは、バスケ部だったんだ」
朋也「レギュラーだったんだけど、三年最後の試合の直前に親父と大喧嘩してさ…」
朋也「怪我して、試合には出れなくなってさ…」
朋也「それっきりやめちまった」
………。
こんな身の上話、こいつにして、俺はどうしたかったのだろう。
どれだけ、自分が不幸な奴か平沢に教えたかったのだろうか。
また、慰めて欲しかったのだろうか。
唯「そうだったんだ…」
今だけは自分の行為が自虐的に思えた。
その古傷には触れて欲しくなかったはずなのに。
唯「………」
平沢は、じっと顔を伏せた。
唯「私…もう一度、岡崎くんにバスケ始めて欲しい」
そのままの状態で言った。
そして、今度は俺に向き直る。
唯「それで、みんなから不良だなんて呼ばれなくなって…」
唯「本当の岡崎くんでいられるようになってほしい」
本当の俺とはなんだろう。
こいつには、俺が自分を偽っているように見えるのだろうか。
そんなこと、意識したことさえないのに。
唯「みんなにも、岡崎くんが優しい人だって、わかってほしいよ」
ああ、そういえば…
こいつの中では、俺はいい人ということになっていたんだったか…。
だが、それも無理な相談だった。
朋也「…無理だよ」
唯「え? あ、三年生だからってこと…」
朋也「違う。そうじゃない」
もっと、根本的な、どうしようもないところで。
朋也「俺さ…右腕が肩より上に上がらないんだよ」
朋也「怪我して以来、ずっと…」
…三年前。
俺はバスケ部のキャプテンとして順風満帆な学生生活を送っていた。
スポーツ推薦により、希望通りの高校に進み、そしてバスケを続けるはずだった。
しかし、その道は唐突に閉ざされた。
親父との喧嘩が原因だった。
発端は、身だしなみがどうとか、くつの並べ方がどうとか…そんなくだらないこと。
取っ組み合うような喧嘩になって…
壁に右肩をぶつけて…
どれだけ痛みが激しくなっても、意地を張って、そのままにして部屋に閉じこもって…
そして医者に行った時はもう手遅れで…
肩より上に上がらない腕になってしまったのだ。
唯「あ…ご、ごめん…軽はずみで言っちゃって…」
朋也「いや…」
………。
静寂が訪れる…痛いくらいに。
朋也「…春原もさ、俺と同じだよ」
先にその沈黙を破ったのは俺だった。
朋也「一年の頃は、あいつも部活でサッカーやってたんだ」
朋也「でも、他校の生徒と喧嘩やらかして、停学食らってさ…」
朋也「レギュラーから落ちて、居場所も無くなって、退部しちまったんだ」
唯「そう…だったんだ…」
唯「でも…春原くんは、もう一度、サッカーできるんじゃないかな」
朋也「再入部するってことか」
唯「うん」
朋也「それは…無理だろうな。あいつ、連中からめちゃくちゃ嫌われてるんだよ」
朋也「あいつの喧嘩のせいで、今の三年は新人戦に出られなかったらしいからな」
朋也「第一、あいつ自身、絶対納得しないだろうし」
唯「でも…やっぱり、夢中になれることができないって、つらいよ」
唯「なんとかできないかな…」
朋也「なんでおまえがそんなに必死なんだよ…」
唯「だって、私も今、もうギター弾いちゃだめだって…バンドしちゃだめだって言われたら、すごく悲しいもん」
唯「きっと、それと同じことだと思うんだ」
唯「私は、岡崎くんや春原くんみたいに、運動部でレギュラーになれるほどすごくないけど…」
唯「でも、高校に入る前は、ただぼーっとしてただけの私が、軽音部に入って、みんなに出会って…」
唯「それからは、すごく楽しかったんだ。ライブしたり、お茶したり、合宿にいったり…」
唯「それが途中で終わっちゃうなんて絶対いやだもん」
唯「もっとみんなで演奏したいし、お話もしたいし、お菓子も食べたいし…ずっと一緒に居たいよ」
唯「だから、なんとかできるなら、してあげたいんだ」
唯「それじゃ、だめかな」
こいつは、自分に置き換えて考えていたらしい。
よほど軽音部が気に入っているんだろう。
その熱意が、言葉や口ぶりの節々から窺えた。
つたなくても、伝えようとしてくれるその意思も。
朋也(いや…それだけじゃないよな、きっと)
いつだってそうだった。
俺が親父を拒否して彷徨い歩いていた時も、ずっと後ろからついてきた。
朝だって、ずっと待っていた。自分の遅刻も顧みずに。
朋也「…おまえ、すげぇおせっかいな奴な」
唯「う…そ、そうかな…迷惑かな、やっぱり…」
朋也「いや…いいよ、それで」
唯「え?」
肯定されるとは思っていなかったんだろう。
それが、表情にわかりやすく現れていた。
朋也「ずっとそういう奴でいてくれ」
そんな真っ直ぐさに救われる奴もいるのだから。
…少なくとも、ここにひとり。
唯「あ…」
一瞬、固まったあと…
唯「うん、がんばるよっ」
そう、はっきりと答えた。
朋也「俺、寝るからさ。さわ子さん来たら起こしてくれ」
唯「え、ずるい! 私も寝る!」
朋也「目覚ましが贅沢言うなよ」
唯「もう、目覚まし扱いしないでよっ」
朋也「じゃ、どうやって起きればいいんだよ」
唯「自力で起きるしかないよね」
朋也「無理だな」
唯「それじゃ、私に腕枕してくれたら、起こしてあげるよ」
朋也「おやすみ」
唯「あ、ひどいっ!」
視界が暗くなる。目を閉じたからだ。
それでも、窓の方に顔を向けると、まぶたの上からでも光が眩しく感じられた。
頭を動かし、心地いい位置を模索する。
腕の隙間から半分顔を出すと、しっくりきた。
そのまま、じっとする。
次第に意識が薄れていく。
室内の静けさ、春の陽気も手伝って、すぐに眠りに落ちていった。
―――――――――――――――――――――
………。
―――――――――――――――――――――
SHRが終わり、放課となる。
朋也(ふぁ…)
昼になり、ようやく体も目覚めてくる。
一度伸びをして、血の巡りを促す。
頭にもわっとした圧迫がかかった後、脱力し、心地よく弛緩した。
唯「岡崎くん、聞いて聞いてっ」
朋也「…ん。なんだ」
唯「あのね、あした、みんなでサッカーしない?」
朋也「はぁ?」
唯「ほら、あしたって日曜日でしょ。だから、学校に集まって、やろうよ」
朋也「それは、やっぱ…」
春原のことで、なにか意図するところがあるんだろうか。
唯「…うん。なんの助けにもならないかもしれないけど…」
唯「春原くんが、少しでも夢中になれた時のこと思い出してくれたらいいなって」
やっぱり、そうだった。
朋也「俺も行かなきゃだめなのか」
唯「もちろんだよ。岡崎くんは、春原くんとすっごく仲いいからね」
朋也「いや、別によくはないけど」
唯「照れちゃってぇ~。いつも楽しそうにしてるじゃん」
朋也「それは偽装だ。フェイクだ。欺くための演技なんだ」
朋也「実際は、おたがい寝首を掻かれまいと、常に牽制し合ってるんだ」
唯「もう、変な設定捏造しないでいいよ。岡崎くんは来てくれるよね」
朋也「暇だったらな」
唯「うん、待ってるね」
まぁ、どうせ、あいつが断れば、その計画も流れてしまうのだ。
伸るか反るかで言えば、反る方の可能性が高いだろう。
春原「おーい、岡崎。飯いこうぜ」
考えていると、ちょうど春原が前方からチンタラやってきた。
唯「あ、春原くん。あのさ、あしたみんなでサッカーしない?」
春原「あん? サッカー?」
唯「うん。学校に集まってさ、やろうよ」
春原「やだよ。なんで休みの日に、わざわざんなことしなくちゃなんないだよ」
唯「練習じゃないんだよ? 遊びだよ?」
春原「わかってるよ、そのくらい。試合に出るわけでもないのに練習なんかするわけないしね」
唯「岡崎くんも来るんだよ?」
春原「え? マジ?」
驚きの表情を俺に向ける。
朋也「…まぁ、暇だったら行くってことだよ」
春原「ふぅん、珍しいこともあるもんだ」
唯「どう? 春原くんも。いつも一緒に遊んでるでしょ?」
春原「そうだけど、こいつが行くとこに、必ず僕もついていくってわけじゃないからね」
唯「ムギちゃんなら、きっとお菓子も紅茶も用意してくれると思うよ?」
春原「え、ムギちゃんもくんの?」
唯「まだ誘ってないけど、言えばきてくれると思うな」
春原「ふぅん、そっか…」
顔つきが変わる。
春原「ま、そういうことなら…行くよ」
なにかしらの下心があるんだろう。
じゃなきゃ、こいつがわざわざ休日を使ってまで動くはずがない。
唯「ほんとに? よかったぁ」
唯「それじゃあ、時間は何時ごろがいいかな」
春原「昼からなら、起きられるけど」
唯「う~ん、なら、1時くらいからでどう?」
春原「いいけど」
唯「決まりだね。集合場所は校門前でいいよね」
春原「ああ、いいよ」
唯「岡崎くんも、いい?」
朋也「ああ」
唯「じゃ、私みんなにも頼んでくるよ」
言って、席を立つ。
唯「あ、そうだ。今日も一緒にお昼どう?」
春原「どうする? おまえ、学食でいいの?」
朋也「俺は、別に」
春原「あそ。じゃ、僕も、学食でいいや」
朋也「つーことだ」
唯「じゃ、またあとで、学食で会おうねっ」
朋也「ああ」
平沢は仲間を呼び集めるため、俺たちは席を取るために動き出した。
―――――――――――――――――――――
朋也「おまえ、明日ほんとにくんのか」
春原「ああ、いくね。それで、ムギちゃんに僕のスーパープレイをみせるんだ」
春原「それでもう、あの子は僕にメロメロさ」
朋也「やっぱ、そういう魂胆か」
春原「まぁね。それよか、おまえこそ、よく行く気になったね」
春原「そういうの、好きな方じゃないだろ。なんで?」
朋也「別に…なんとなくだよ」
春原「ふぅん。僕はてっきり、平沢と居たいからだと思ったんだけど」
朋也「はぁ? なんでそうなるんだよ」
春原「だって、おまえら一緒に登校したりしてるんだろ」
どこで知ったんだろう。
こいつには言っていなかったはずなのに。
春原「それに、いつも仲よさそうにしてるじゃん」
春原「でも、付き合ってるってわけじゃなさそうだし…」
春原「両思いなのに、どっちも好きだって伝えてない感じにみえるね」
昨日同じようなことを言われたばかりだ。
傍目には、そういうふうに見えてしまうんだろうか…。
春原「ま、おまえ、そういうとこ、奥手そうだからなぁ」
朋也「勝手にひとりで盛り上がるな。まったくそんなんじゃねぇんだよ」
春原「そう怒るなって。明日は頑張ってかっこいいとこみせとけよ」
春原「おまえ、運動神経いいんだしさ」
春原「まぁ、でも、本職である僕の前では、引き立て役みたいになっちゃうだろうけどね」
朋也「そうだな。おまえの音色にはかなわないな」
春原「音色? うん、まぁ、僕のプレイはそういう比喩表現がよく似合うけどさ…」
朋也「うるさすぎて、指示が聞えないもんな」
春原「って、それ、絶対ブブゼラのこと言ってるだろっ!」
朋也「え? おまえ、本職はブブゼラ職人だろ?」
春原「フォワードだよっ!」
朋也「おいおい、素人がピッチに立つなよ」
春原「だから、ブブゼラ職人じゃねぇってのっ!」
―――――――――――――――――――――
律「いやぁ、ほんと、めでたいな」
澪「改めておめでとう、和」
紬「おめでとう」
唯「おめでと~」
和「ありがとう」
今朝のSHRで、先日の選挙結果が発表されていたのだが…
真鍋は見事、というか、順当に当選していた。
副会長はあの坂上だった。
他の役員は、興味がないのですぐに忘れてしまったが。
和「これから忙しくなるわ」
澪「大変な時は言ってくれ。力になるから」
和「ありがとね、澪」
澪「うん」
律「おい、春原。あんたのおごりで、特上スシの食券買って来いよ」
春原「ワリカンだろっ!」
そもそもそんなメニューは無い。
紬「そんなのもあるの?」
朋也「いや、あるわけない」
紬「なぁんだ。あるなら、私が出してもよかったのに」
軽く言ってのけるところがすごい。
律「セコいな、春原」
春原「るせぇよ、かっぱ巻きみたいな顔しやがって」
律「なっ、あんたなんか頭に玉子のせてんじゃねぇかよっ」
春原「あんだと!?」
律「なんだよ!?」
唯「はい、そこまで!」
紬「お昼時にね、判定? だめよ、KOじゃなきゃっ」
割って入ろうとした平沢を、横から琴吹が腕を取って制止させた。
唯「む、ムギちゃん?」
紬「嘘、ごめんなさい。冗談よ」
ぱっと手を離す。
紬「五味を止められるのはレフリーだけぇ~♪」
朋也(PRIDE…)
琴吹は謎のマイクパフォーマンスを挟みはしたが、仲裁する側に回っていた。
平沢も困惑状態から復帰すると、一緒に止めに入っていた。
―――――――――――――――――――――
妙な間はあったが、平沢と琴吹に制され、争いは一応の収まりを見せた。
両者ともそっぽを向いている。
まるで子供の喧嘩のようだった。
澪「毎回毎回…よく飽きないな…」
律「ふん…」
和「明日を機に仲良くなればいいんじゃない」
唯「そうだね。りっちゃんと春原くんは同じチームがいいかも」
律「えぇ、やだよっ」
春原「つーか、こいつもくんの?」
唯「うん。みんな来てくれるって」
律「わりぃか、こら」
春原「ふん、まぁ、明日は僕のすごさをその身をもって思い知るがいいさ」
律「あん? おまえなんか、りっちゃんシュートの餌食にしてくれるわっ」
春原「なんだそりゃ。陽平オフサイドトラップにかかって、泣きわめけ」
律「なにぃ? りっちゃんサポーターたちが暴動起こしてもいいのか?」
春原「んなもんは陽平ボールボーイで鎮圧できるね」
律「むりむり。りっちゃんラインズマンがすでに動きを抑えてるから」
春原「卑怯だぞ! 陽平訴訟を起こしてやるからな!」
律「あほか。こっちにはりっちゃん弁護士がついてるんだぞ」
律「あきらめて、『敗訴』って字を和紙に達筆な字で書いとけ」
律「それで、その紙を掲げて泣きながらこっちに走ってこいよ、はっははぁ!」
澪「もはや、サッカー全然関係ないな…」
―――――――――――――――――――――
食事を済ませ、連中と別れる。
春原は今日もまた奉仕活動に駆り出されていってしまった。
月曜日の時同様、俺はひとりになってしまい、暇な時間が訪れる。
差し当たっては、学校を出ることにした。
―――――――――――――――――――――
家に帰りつき、着替えを済ませて寮に向かう。
―――――――――――――――――――――
道すがら、スーパーに菓子類を買いに寄った。
資金源は、芳野祐介を手伝った時のバイト代だ。
もう先週のことだったが、無駄遣いもしなかったので、まだ全然余裕があるのだ。
―――――――――――――――――――――
買い物を終え、店から出る。
レジ袋の中には、スナック菓子、アメ、ソフトキャンディーなどが入っている。
その中でも一番の目玉は、「コアラのデスマーチ」という、新発売のチョコレートだ。
パッケージには、重労働に従事させられるコアラのキャラクター達が描かれている。
当たりつきで、ひとつだけ過労死したコアラが居るらしい。
製造会社の取締役も、よくこんなものにゴーサインを出したものだ。
なにかの悪い冗談にしか見えない。
声「あれ…岡崎さんじゃないですか」
突っ立っていると、横から声をかけられた。
憂「こんにちは」
朋也「ああ…妹の…」
見れば、向こうも俺と同じで私服だった。
プライベート同士だ。
憂「憂です。もう忘れられちゃってましたか?」
朋也「いや…覚えてるよ」
朋也「憂…ちゃん」
呼び捨てするのもどうかと思い、ちゃんをつけてみたが…
どうも、呼びづらい。
かといって、平沢だと、姉と同じで区別がつかず、座りが悪いような…。
憂「岡崎さんもお買い物ですよね」
朋也「ああ、そうだよ」
憂「なにを買ったんです?」
俺が手に持つレジ袋に興味を示してきた。
朋也「菓子だよ」
憂「あ、いいですね、お菓子。私も、余裕があれば買いたかったなぁ」
その、余裕とは、金の問題じゃなく、持てる量のことを言っているんだろう。
この子は、買い物バッグを両手で持っていたのだ。
そしてそのバッグの口からは、野菜やらビンやらが顔を覗かせている。
もう容量に空きがない、といった感じで膨らんでいた。
憂「これですか? 夕飯の材料と、お醤油ですよ」
憂「お醤油がもう切れそうだったから、買いに来てたんです」
憂「そのついでに、夕飯の材料も買っておこうかと思いまして」
朋也「ふぅん、そっか…」
しかし、重そうだ。
朋也「自転車で来てたりするのか」
憂「いえ、カゴに入りきらないだろうと思って、歩きですよ」
ということは、これを持ったまま、家まで歩いていくことになるのか。
それは、少しキツそうだ。
朋也「それ、俺が持とうか?」
憂「え?」
朋也「いや、家までな」
憂「いいんですか? 岡崎さん、これからなにか予定ありませんか?」
朋也「ないよ。暇だから、手伝ってもいいかなって思ったんだよ」
憂「でも、悪いですよ、さすがに…」
朋也「いいから、貸してみ」
憂「あ…」
少し強引に奪い取った。
ずしり、と重みが伝わってくる。
朋也「憂ちゃんは、こっちを持ってくれ」
俺の菓子が入ったレジ袋を渡す。
憂「あ、はい…」
できてしまった流れに戸惑いながらも、受け取った。
朋也「じゃ、いこうか」
憂「は、はい」
―――――――――――――――――――――
ふたり、肩を並べて歩く。
俺はほとんど自宅へ引き返しているようなものだった。
平沢の家とはだいたい同じ方角にあるからだ。
憂「重くないですか?」
朋也「ああ、このくらい、平気だよ」
憂「すごいですね。私、休みながら行こうと思ってたのに」
朋也「まぁ、女の子は、それくらいが可愛くて、丁度いいんじゃないか」
憂「そうですか?」
朋也「ああ」
憂「私は、軽々と片手で持ってる岡崎さんは、男らしくていいと思いますよ」
朋也「そりゃ、どうも」
憂「どういたしまして」
にこっと笑顔になる。やっぱり、その笑顔も平沢によく似ていた。
さすが姉妹だ。髪を下ろせば、見分けがつかなくなるんじゃないだろうか。
朋也「そういえば、平沢の弁当とか、憂ちゃんが作ってるんだってな」
憂「そうですね、私です」
朋也「これだって、おつかいとかじゃなくて、自分で作るために買ったんだろ」
バッグを手前に掲げてみせる。
憂「はい、そうです」
朋也「えらいよな」
憂「そんなことないですよ」
朋也「いや、親も、めちゃくちゃ助かってると思うぞ。なかなかいないよ、そんな奴」
憂「いえ、うちのお父さんとお母さんは、昔から家を空けてることが多いんですよ」
憂「今だって、どっちもお仕事で海外に行ってて、いないんです」
憂「だから、家事は自然とできるようになったんです」
憂「っていうか、しなきゃいけなかったから、って感じなんですけどね」
朋也「ふぅん…」
そうだったのか…。
なら、平沢も家事が器用にこなせたりするんだろうか。
でも、前に、弁当を妹に作ってやれ、と言われ、無理だと即答していたことがあるし…。
あいつは、掃除や洗濯を主にやっているのかも。
朋也「ま、それでもえらいことには変わりないよ」
朋也「だからさ、ご褒美っていうと、ちょっとアレかもだけど…」
朋也「俺の菓子、好きなのひとつ食っていいぞ」
憂「いいんですか?」
朋也「ああ」
憂「ありがとうございますっ」
憂「どれにしようかな…」
袋の中を覗く。
そして、おもむろに一つ取り出した。
憂「…コアラのデスマーチ?」
よりにもよって、それか。
朋也「なんか、新発売らしいぞ」
憂「絵が怖いです。名前もだけど…」
朋也「コアラがムチでしばかれてるだろ。そこは、コアラがコアラに管理される施設なんだ」
朋也「上級コアラと下級コアラがいて、その支配構造がうまく機能しているらしい」
憂「やってることが全然かわいくないです…」
朋也「ま、食ってみろよ。味とストーリ-は関係ないだろうからさ」
憂「はい…」
開封し、中から一個取り出した。
憂「わぁっ、岡崎さん、この子、し、死んでますっ」
朋也「それ、当たりだ」
なんて強運な子なんだろう。
一発目から引き当てていた。
憂「当たりって…」
朋也「その死体食って、供養してやってくれ」
憂「うぅ…死体なんて言わないでくださぁい…」
目を潤ませながら半分かじる。
憂「あ…イチゴ味だ…おいしい」
朋也「臓器と血みたいなのが出てきてないか、その死体」
憂「イチゴですよぉ…生々しく言わないでくださいよぉ…」
―――――――――――――――――――――
憂「ありがとうございました」
朋也「ああ」
平沢家の手前まで無事荷物を運び終え、そこで手渡した。
ここで俺の役目も終わりだった。
憂「それから…すみませんでした」
朋也「いや、いいって」
憂「でも…結局、私が全部食べちゃって…」
ここまで来る間、憂ちゃんは俺の菓子を完食してしまっていた。
それも、俺が譲ったからなのだが。
喜んでくれるのがうれしくて、次々にあげていってしまったのだ。
憂「あの、よければ、ホットケーキ作りますけど…食べていきませんか?」
朋也(ホットケーキか…)
普段甘いものが苦手な俺だが、時に、体が糖分を欲することがある。
それが、まさに今日だった。
だからこそ、スーパーで駄菓子なんかを買っていたのだ。
どうせなら、そんな既製品を買い直すよりも、手作りの方が味があっていいかもしれない。
加え、両親は現時点で不在だとの言質が取れていたため、俺の気も楽だった。
家に上がらせてもうらうにしても、とくに抵抗はない。
ただ、女の子とふたりきり、という状況が少し気になりはしたが。
朋也「いいのか?」
憂「はいっ、もちろん」
朋也「じゃあ…頼むよ」
憂「任せてくださいっ、がんばって作りますからっ」
意気込みを感じられる姿勢でそう言ってくれた。
憂「さ、どうぞ、あがってください」
憂ちゃんに通され、平沢家の敷居をまたぐ。
―――――――――――――――――――――
憂「じゃ、出来上がるまで、ここでくつろいでてくださいね」
俺をリビングに残し、荷物を持って台所に向かっていった。
とりあえずソファーに腰掛ける。
…尻に違和感。
なにか下敷きにしたらしい。
体を浮かせ、取り出してみると、クッションだった。
ぼむ、と隣に置く。
朋也(ん…?)
再びクッションを手に取る。
朋也(やっぱり…)
平沢の匂いがした。
いつもこれを使っているんだろうか。
朋也(………)
顔を埋めてみる。
朋也(ああ…いい…)
朋也(あいつ、いい匂いするもんな…)
朋也(………)
朋也(って、変態か、俺はっ!)
我に返り、すぐさま顔を離した。
背後が気になり、振り返る。
憂ちゃんは、俺に背を向け、なにやら冷蔵庫から取り出していた。
見られてはいなかったようで、ほっとする。
朋也(しかし、妙な安心感がある空間だよな、ここ…)
ごみごみとした春原の部屋とは大違いだ。
まぁ、そのせいで、無用心にもこんな暴挙に出てしまったのだが。
朋也(にしても…なにしてようかな…)
携帯があれば、こういう時、楽しく暇も潰せるんだろうな…。
生憎と俺はそんなものは持ち合わせていなかったが。
今時の高校生にしては、かなり珍しい部類だろう。
うちの経済状況では持つこと自体厳しいから、それも仕方ないのだが。
持ってさえいれば、春原にオレオレ詐欺でも仕掛けて遊べるのに…。
例えば…
―――――――――――――――――――――
―――――――――――――――――――――
プルルル
がちゃ
春原「はい。誰」
声『俺だよ、オ・レ』
春原「あん? 誰? 岡崎?」
声『だから、オレだって言ってんだろっ! 何度も言わせんなっ! 殺すぞっ!』
声『あ、後さ…う○こ』
ブツっ
ツー ツー ツー
春原「なにがしたかったんだよっ!?」
―――――――――――――――――――――
―――――――――――――――――――――
朋也(なんてな…)
いや…それはただのいたずら電話か…。
難しいものだ、詐欺は。
朋也(妄想はもういいや…)
朋也「憂ちゃーん、テレビつけていいかー」
リビングの向こう、台所にいる憂ちゃんに聞えるよう、少し声を張った。
憂「あ、どうぞ~」
許可が下りた。
テーブルの上にあったリモコンを拾い、チャンネルを回す。
土曜の午後なんて、ロクな番組がやっていない。
救いがあるとすれば、あの長寿昼バラエティ番組だけだったが、すでに終わっている時間だ。
しかたなく、釣り番組にする。
俺は、呆けたようにぼーっと眺めていた。
―――――――――――――――――――――
憂「できましたよ~」
おいしそうな香りを伴って、憂ちゃんがホットケーキを持ってきてくれた。
憂「はい、どうぞ」
皿に盛ってくれる。
憂「シロップはお好みでどうぞ」
ホットケーキの横に、使い捨ての簡易容器が添えられてあった。
朋也「サンキュ」
フォークで生地を刺し、口に運ぶ。
もぐもぐ…
朋也「うめぇ…」
憂「ほんとですか? お口に合ってよかったです」
嬉しそうな顔。
俺はさらに食を進めた。
が、憂ちゃんは一向に手をつけない。
朋也「食べないのか」
憂「私はお菓子をたくさん食べましたから…」
憂「これ以上甘いもの食べると太っちゃいますよ」
やっぱり、女の子だとそういうところを気にするものなのか。
男の俺にはよくわからなかった。
憂「だから、岡崎さんが食べてくれるとうれしいです」
朋也「じゃあ、遠慮なく」
再び手をつけ始める。
本当においしくて、いくらでも食べられそうだった。
―――――――――――――――――――――
朋也「…ふぅ。ごちそうさま」
憂「おそまつさまでした」
すべてて食べきり、皿の上にはなにも残っていなかった。
片づけを始める憂ちゃん。
朋也「俺も食器洗うの手伝おうか」
帰る前にそれくらいしていってもいいだろう。
憂「いえ、いいんです。岡崎さんはお客さんですから」
憂「それより、岡崎さん…」
ハンカチを取り出す。
憂「口の周り、ちょっとついてますよ。じっとしててくださいね」
朋也「ん…」
ふき取られていく。
憂「はい、綺麗になりました」
朋也「言ってくれれば、自分の手で拭ったのに」
憂「あ、ごめんなさい…お姉ちゃんにもいつもしてあげてるんで、つい」
朋也「いつも?」
憂「はい」
あいつは…そんなことまでしてもらっているのか。
もしかして、妹に全局面で世話してもらってるんじゃないかと、そんな気さえしてきた。
朋也「…仲いいんだな」
憂「とってもいいですっ」
強く言う。主張したかったんだろう。
憂ちゃんは満足した顔で食器をひとつにまとめると、台所へ持っていった。
朋也(にしても…よくできた子だよな)
台所に立ち、洗い物をする憂ちゃんを見て思う。
朋也(ああ…憂ちゃんが俺の妹だったらな…)
―――――――――――――――――――――
―――――――――――――――――――――
声「お兄ちゃん、起きて。朝だよ」
朋也「…うぅん…あと半年…夏頃には起きる…」
声「セミの冬眠じゃないんだから。起きなさい」
勢いよく布団が剥がされる。
憂「おはよう、お兄ちゃん」
朋也「………」
憂「もう、うつ伏せになってベッドにしがみつかないでよ…」
朋也「眠いんだ」
憂「顔洗ってきたら?」
朋也「めんどくさい」
憂「じゃあ、どうやったら目が覚めてくれるの…」
朋也「いつものやつ、してくれ」
憂「え? いつものって?」
朋也「目覚めのちゅー」
憂「だ、だめだよ、そんなの…私たち兄妹なんだよ…?」
憂「それに、いつもって…そんなこと一度も…」
朋也「いいじゃないか。おまえが可愛いから、したいんだよ」
朋也「だめか…?」
憂「う…じゃ、じゃあ、絶対それで起きてね…?」
憂「ん…」
ほっぺたにくる。
俺は顔を動かして、唇に照準を合わせた。
やわらかい感触が重なり合う。
憂「んんっ!?」
ばっと身を離す。
憂「な、なんで口に…」
朋也「とうっ」
ベッドから跳ね起きる俺。
朋也「憂っ! 憂っ!」
憂「あ、いやぁ、やめて、お兄ちゃん、だめだよぉ…」
憂「あっ…」
―――――――――――――――――――――
―――――――――――――――――――――
朋也(………)
朋也(いい…すごく…いい!)
俺は台所にいる憂ちゃんの背を目指して歩み寄っていった。
朋也「憂ちゃん…」
背後から声をかける。
憂「はい…?」
手を止めて振り返ってくれる。
朋也「俺の妹になってくれ」
憂「えぇ!? そ、それは…」
朋也「だめか?」
憂「いろいろと無理がありますよぉ」
自分でもそう思う。
だが、情熱を抑え切れなかった。
憂「それに、私にはお姉ちゃんがいますし」
朋也「…そうか」
憂「そ、そんなに落ち込まないでくださいよぉ」
憂「私、岡崎さんにそう言ってもらえて、うれしかったですから」
朋也「じゃあ、せめて、俺のことを兄だと思って、お兄ちゃんって呼んでみてくれ…」
憂「それで、元気になってくれますか?」
朋也「ああ」
憂「わかりました、それじゃあ…」
すっと深呼吸する。
憂「お兄ちゃんっ」
まぶしい笑顔。首をかしげるというオプションつきだった。
朋也「…はは、憂はかわいいな。よしお小遣いをやろう」
財布から万札を抜き取る。
憂「わわっ、いいですよ、そんなっ。しまってくださいっ」
朋也「なに言ってるんだよ。俺たち、仲良し兄妹じゃないか」
憂「それは台本の上でのことですよっ、目を覚ましてくださぁいっ」
朋也「ハッ!…ああ、いや、悪い…本当の俺と、役の境目がわからなくなってたよ」
憂「もう…変な人ですね、岡崎さんって」
言って、笑う。俺も気分がいい。
素直に笑ってくれる年下の女の子というのは、新鮮だった。
朋也「なぁ、憂ちゃん。この後、予定あるか」
憂「え? そうですね…」
小首をかしげて考え込む。
憂「う~ん…夕飯の材料はもう買っちゃったし…とくにないですね」
朋也「じゃあ、お兄ちゃ…いや、俺とどこか出かけないか」
今から寮に向かっても、春原が戻っている保証はない。
あの部屋でひとり過ごすくらいなら、そっちの方がよかった。
憂「いいんですか? 私となんかで」
朋也「憂ちゃんだから誘ってるんだよ」
憂「ありがとうございますっ。私も、岡崎さんに誘ってもらえてうれしいです」
朋也「それは、一緒に遊びに出てくれるって、そう取っていいのか」
憂「はい、もちろんです」
朋也「そっか。じゃあ、その洗い物が終わったら、出るか」
憂「はいっ」
―――――――――――――――――――――
食器の洗浄も済ませ、家を出た。
目的地はまだ決めていない。
朋也「どこにいく? 憂ちゃんの好きなところでいいぞ」
憂「いいんですか?」
朋也「ああ」
憂「それじゃあ、私、前から行ってみたい所があったんですけど…」
朋也「どこだ」
憂「商店街に新しくできた、ぬいぐるみとか、可愛い小物とかを売っているお店です」
憂「今、うちの学校の女の子の間で人気なんですよ」
朋也「ふぅん、そんなとこがあるのか」
憂「はい。だから、そこに付き合って欲しいです」
朋也「ああ、いいよ」
憂「ありがとうございますっ」
―――――――――――――――――――――
商店街までやってくる。
件の店はまだ真新しく、外観や内装が小綺麗だった。
ファンシーな看板を掲げ、手前には手書きの宣伝ボードが立てかけられてある。
店内には、所狭しと商品群が並べられていた。
客層は、この有りようからしてやはりというべきか、女性客ばかりだった。
憂「わぁ、ここですここですっ」
つくやいなや、目を輝かせてはしゃぎ出す憂ちゃん。
憂「いきましょ、岡崎さんっ」
朋也「あ、ああ…」
この中に男の俺が入っていくことに多少気後れしつつも、憂ちゃんに従った。
―――――――――――――――――――――
憂「うわぁ、かわいいっ」
憂ちゃんが立ち止まったのは、小さめのぬいぐるみが並べられたブロックだった。
デフォルメされ、丸みを帯びた動物キャラの頭部が手のひらサイズで商品化されている。
俺もひとつ適当なものを手に取ってみた。
ぐにゃり、と柔らかい感触がした。低反発素材でも使っているんだろうか。
憂「う~ん、でも、やっぱりないなぁ…」
朋也「なんか探してるのか」
憂「はい…」
持っていたぬいぐるみを棚に戻し、俺に向き直る。
憂「岡崎さん、だんご大家族って覚えてます?」
朋也「ああ、けっこう鮮明に」
それは、最近思い出す機会があったからなのだが。
憂「ほんとですか? よかったです、覚えててくれて」
憂「あれ、かわいいですよねっ」
朋也「ん、まぁ、多分な」
一応同意の姿勢だけは見せておく。
憂「でも、もうかなり前にブームが終わっちゃったじゃないですか」
憂「それで、世間からも忘れられちゃってて…」
憂「それでも、私もお姉ちゃんも、いまだに好きなんですよ、だんご大家族」
憂「だから、この小さな手のひらシリーズにないかなぁって、思ったんですけどね」
需要が無くなったことを知っていてなお探すんだから、想いもそれだけ深いんだろう。
朋也「じゃあ、こういうのはどうだ」
俺はうさぎの頭を棚から拾い上げた。
朋也「ほら、これの耳ちぎって、凹凸無くしてさ」
朋也「シルエットだけなら、だんごに見えなくもないだろ」
憂「そ、そんな残酷なことしてまで欲しくないですよぉ」
朋也「そうか? じゃあ、これを三つくらい買って、串で刺して繋げるのはどうだ」
憂「さっきのと接戦になるくらい残酷ですっ」
朋也「なら、これを…」
憂「も、もういいですっ、気持ちだけ受け取っておきます…」
朋也「これを、憂ちゃんの鼻の穴に詰めてみよう、って言おうとしたんだけど…」
朋也「その気持ち、受け取ってくれるのか?」
憂「…岡崎さん、もしかして、からかってます?」
朋也「バレたか」
憂「…意地悪ですっ」
ぷい、とそっぽを向かれてしまった。
やりすぎてしまったようだ。
―――――――――――――――――――――
その後、なんとか機嫌を取ることに成功し、また一緒に見て回った。
憂ちゃんが興味を示したコーナーに留まり、しばらく見たのち、移る。
そんなことを繰り返していた。
―――――――――――――――――――――
朋也(やべ…)
巡って回る内、俺の目に見かけたことのある顔が留まった。
同じクラスの女たちだった。何人かで固まって、楽しげに店内を闊歩している。
そういえば、憂ちゃんが言っていた。
この店は今、うちの学校の女に人気があると。
なら、こういうブッキングをすることだって、十分ありえたのに…うかつだった。
俺がこんな店に出入りしているなんて思われたら、たまったもんじゃない。
その情報が春原の耳に入った日には…想像もしたくない。
俺は壁にぴったりと張りついてやりすごすことにした。
憂「岡崎さん、なにをやってるんですか?」
背中から憂ちゃんの声。
朋也「いや…知ってる顔がいたから、ちょっとな…」
憂「ああ…恥ずかしいんですね」
朋也「まぁ…そういうことだ」
憂「じゃあ…これを被って変装してください」
俺になにか手渡してくる。
朋也「お、サンキュ」
後ろ手に受け取って、それを目深に被った。
朋也(これでなんとかなるかな…)
声さえ聞かれなければ、制服を着ているわけでもなし、他人の空似で受け流してくれるかもしれない。
そうなってくれることを願いながら、俺は向き合っていた壁から離れた。
憂「よく似合ってますよ」
振り向きざまに第一声。
朋也「そうか?」
しかし、俺はなにを被ったんだろう。
なにも考えず、機械的に被ってしまったからな…。
憂「ご自分でも、鏡で確認してみたらどうですか?」
俺の目線より少し下、そこに小さな鏡が置かれていた。
覗いてみる。
朋也「…これ」
ネコミミ付きフードだった。
憂「あはは、かわいいです、岡崎さん」
朋也「…おまえな」
憂「さっきのお仕返しです。罰として、ここにいる間ずっと被っててくださぁい」
朋也「…はぁ」
これじゃ、顔は隠せても余計目立つことになってしまう…。
朋也「ほかにマシなの、なんかないのか」
憂「ありますよぉ。イヌミミがいいですか? それとも、ウサミミがいいですか?」
朋也「そんなのしかないのかよ…」
憂「ふふ、ここはそういうお店ですよ?」
そうだったな…。
仕方なく、俺は憂ちゃんの罰ゲームに従った。
―――――――――――――――――――――
憂「あ、これ、かわいいなぁ…買っちゃおうかなぁ…」
やってきたのは、携帯ストラップの陳列棚。
俺とは縁のない場所だ。
憂「う~ん、でも、こっちも捨てがたいし…」
憂「岡崎さん、これとこれ、どっちがいいと思いますか?」
両手にそれぞれ別の商品を持って、俺に意見を求めてくる。
朋也「う~ん…俺はこれがいいかな」
そのどちらも選ばずに、俺は新たに棚から取り出した。
朋也「この、『ごはんつぶ型ストラップ』って、なんかよくないか」
憂「えぇ? なんですか、それ?」
朋也「なんか、携帯にご飯粒がついているように演出できるらしいぞ」
憂「いやですよぉ、そんなの…常に、さっきご飯食べてきたよって感じじゃないですか…」
朋也「いやか?」
憂「はい」
なかなかおもしろいと思ったのだが…。
しぶしぶ元の場所に納める。
憂「これかこれ、どっちかで言ってください」
再び俺の前に掲げてくる。
朋也「う~ん…じゃあ、そっちの、クマの方で」
憂「クマさんですか? じゃあ、こっち買っちゃおうかな…」
朋也「待て。買うなら、払いは俺がする」
憂「え? 悪いですよ、そんな…」
朋也「いや、ここで好感度を挽回しておきたいんだ。序盤で失敗しちまったからな」
憂「そんなこと気にしてたんですか…」
朋也「ああ。だから、俺にまかせろ」
憂「ふふ、じゃあ…お言葉に甘えて」
朋也「よし」
―――――――――――――――――――――
ストラップをレジに通し、店を出た。
ついでに、ネコミミフードも買っていった。
長いこと被っていて、買わずに出るのもためらわれたからだ。
憂「いいんですか? こっちも、もらっちゃって…」
朋也「ああ、いいよ。俺が持ってても仕方ないしな」
俺はストラップと一緒に、フードも譲っていたのだ。
憂「でも、これ、けっこう高かったですよね…?」
朋也「ああ、大丈夫。まだ余裕あるから」
憂「岡崎さん、アルバイトでもしてるんですか?」
朋也「まぁ、前はしてたけど、今はやってないな」
朋也「でも、この前単発で、でかいの一個やったっていうか…あぶく銭みたいなもんだから、気にすんなよ」
ぽむ、と頭に手を置く。
憂「あ…はいっ」
にっこりと微笑んでくれる。
憂「ありがとう、お兄ちゃんっ」
朋也(う…)
胸が高鳴る。破壊力抜群だった。
朋也「…うん」
憂「あはは、…うん、って。岡崎さん顔真っ赤です」
朋也「…憂ちゃんがいきなり妹になるからだ」
憂「ごめんなさぁい」
いたずらっぽく言う。
朋也(さて…)
店の中に居る時はわからなかったが、外はもう陽が落ち始め、ほんのりと暗くなっていた。
それだけ時間を忘れて見回っていたのだ。
おそるべし、ファンシーショップ…。
まぁ、入店したのが三時半あたりだったので、実際それほどでもないのかもしれないが。
朋也「もう、帰らなきゃだよな、憂ちゃんは」
憂「はい、そうですね。帰ってお夕飯作らないと…」
朋也「なら、送ってくよ。もういい時間だしな」
憂「ほんとですか? ありがとうございますっ」
―――――――――――――――――――――
平沢家。その門前まで帰り着く。
朋也「じゃあな」
憂「はいっ。今日はありがとうございました」
別れの挨拶も済ませ、立ち去ろうと踵を返す。
唯「あれ? 岡崎くんだ」
朋也「よお」
そこへ、ちょうど平沢が帰宅してきた。
唯「どうしたの? うちになにか用?」
憂「私を送ってきてくれたんだよ、お姉ちゃん」
唯「送ったって? 憂を? 代引きで?」
憂「Amaz○n.comじゃないんだから…」
憂「あのね、岡崎さんと一緒に出かけてて、それで、もう暗いからって送ってきてくれたの」
唯「えぇ!? 岡崎くんと遊んでたの?」
憂「ちょっと付き合ってもらってたんだ。ほら、あの商店街に新しくできたお店あるでしょ?」
憂「あそこに、ついてきてもらってたの」
唯「えぇっ!? っていうか、なんでもうそこまで仲良くなってるの?」
唯「そうだよぉ。『ああ』とか、『好きにしろよ…』とかしか言わないし…」
俺を真似た部分だけ声色を変えて言った。
唯「最近になって、ようやくちょっと心開いてくれたかなぁって感じだよ」
唯「なのに、憂とは初日から遊びに行くまでになってるし…これは差別だよっ」
唯「悪意を感じるよっ」
憂「お姉ちゃん…あんまりお兄ちゃんを責めないであげて」
朋也(ぐぁ…)
唯「…お兄ちゃん?」
平沢が訝しげな顔になる。
朋也「今はやめてくれっ」
憂「ふたりっきりの時だけしかそう呼んじゃだめなの? お兄ちゃん?」
朋也「だぁーっ! だから、やめてくれぇ、憂ちゃんっ!」
唯「…ふたりっきりの時? 憂…ちゃん?」
唯「私と初めて会ったときは、すっごく冷たかったのにぃ…」
朋也「そうだっけ」
唯「そうだよぉ。『ああ』とか、『好きにしろよ…』とかしか言わないし…」
俺を真似た部分だけ声色を変えて言った。
唯「最近になって、ようやくちょっと心開いてくれたかなぁって感じだよ」
唯「なのに、憂とは初日から遊びに行くまでになってるし…これは差別だよっ」
唯「悪意を感じるよっ」
憂「お姉ちゃん…あんまりお兄ちゃんを責めないであげて」
朋也(ぐぁ…)
唯「…お兄ちゃん?」
平沢が訝しげな顔になる。
朋也「今はやめてくれっ」
憂「ふたりっきりの時だけしかそう呼んじゃだめなの? お兄ちゃん?」
朋也「だぁーっ! だから、やめてくれぇ、憂ちゃんっ!」
唯「…ふたりっきりの時? 憂…ちゃん?」
唯「………」
じと~っとした目を向けられる。
唯「…中で詳しく聞こうか」
こぶしを作り、親指で自宅を指さす。
その顔は、あくまで笑顔だったが…それが逆に怖い。
―――――――――――――――――――――
唯「ふぅん、岡崎くんってそんな趣味だったんだ?」
テーブルにつき、説教される子供のように俺は正座していた。
唯「そんなこと、言ってくれれば私がしてあげたのに…」
朋也「いや、おまえ、タメじゃん。リアルじゃないっていうか…」
唯「失礼なっ! 私、妹系ってよく言われるのにっ」
朋也「じゃ、一回やってみてくれよ」
唯「いいよ? じゃ、いきます…」
こほん、と咳払い。
唯「お兄ちゃんっ」
満面の笑顔。
両手を開き、俺の前に突き出している。
朋也「なんか、違うんだよな…」
唯「むぅ、なにが違うのっ」
朋也「いや、そのポーズとかさ…なんだよ」
唯「庇護欲を煽るポーズだよ」
朋也「そういう計算が目に付くんだよなぁ…それに、全体の総量として妹力が足りない感じだ」
朋也「まぁ、おまえは、どこまでいっても姉だな」
唯「それはその通りだけど…なんか悔しい…」
朋也「まぁ、そういうわけだからさ。俺、帰るな」
赤裸々に語ってしまった恥ずかしさもあり、早くこの場を去りたかった。
唯「まぁ、待ちなよ。せっかくだから、一緒に夕飯してこうよ」
朋也「いや…」
唯「う~い~、岡崎くんのぶんも夕飯作ってくれるよね~?」
被せるようにして、台所で作業する憂ちゃんへ声をかけた。
憂「岡崎さんがそれでいいなら、作るよ~」
向こうからは好意的な返答が届く。
唯「だってさ。どうする? おにいちゃん」
朋也「だから、それはもうやめろっての…」
朋也(でも、どうするかな…)
いや…もう答えは出ている。
コンビニ弁当なんかより、憂ちゃんの手料理の方がいいに決まってる。
朋也「俺の分も頼んでいいか、憂ちゃん」
あまりまごつくことなく、俺は注文を入れていた。
憂「は~い、まかせてくださぁい」
二つ返事で引き受けてくれる。
唯「うん、素直でよろしい」
朋也「そりゃ、どうも」
唯「ところでさ、なんで憂にはちゃんづけなの?」
朋也「年下だし、苗字だと、おまえと被るからな」
唯「えぇ、そんな理由? なら、私も唯ちゃんって呼んでよっ」
朋也「アホか」
唯「私も朋ちゃんって呼ぶからさっ。そうしよ?」
朋也「ありえないからな…」
唯「ちぇ、けち~…いいもん、別に。私にはギー太がいるから」
言って、横に置いてあったケースからギターを取り出した。
唯「だんごっ、だんごっ」
ギターを弾きながら歌いだす。
それは、俺も聞いたことのある、だんご大家族のテーマソング。
だが、オリジナルとは違い、曲調が激しかった。
唯「だんごっ、大家族ぅ、あういぇいっ!」
ロック風にアレンジしていた。
唯「岡崎くんも、サビはハモってよぅ、あういぇいっ!」
サビなんて知らない。
とりあえず、適当にだんごだんご言って合わせておいた。
―――――――――――――――――――――
憂「お待ちどうさま~」
憂ちゃんがお盆に料理を乗せて運んできてくれる。
まずは前菜のようだった。
唯「わぁ、肉じゃがだぁ」
憂「はいお姉ちゃん」
平沢に手渡す。
唯「ありがと~」
憂「岡崎さんも」
朋也「ああ、サンキュ」
俺も受け取った。
最後に自分の座る位置に置くと、また台所へ戻っていった。
朋也「おまえは料理したりしないのか」
唯「ん? しないけど」
朋也「じゃあ、おまえ、家事は掃除とかやってるのか」
唯「それも、憂だよ?」
朋也「なら、おまえはなにをやってるんだよ」
唯「私はね、生きてるんだよ」
朋也「あん?」
そりゃ、死んでるようにはみえないが。
唯「だからね、私は生きてるから…いいんだよ…」
つまり、なにもしてないということか…。
朋也「神秘的に言うな。憂ちゃんに全部やらせてるだけだろ」
唯「ぶぅ、だって憂がやったほうが全部上手くいくんだもん」
唯「私が掃除しても、逆に、変な取れないシミとかついちゃうし…」
唯「料理だって、やってたら、電子レンジの中でアルミホイルが放電したりするんだよ?」
それは料理の腕とはあまり関係ない。常識の問題だった。
朋也「ほんと、おまえ、憂ちゃんいてよかったな」
朋也「親御さん、家空けてること多いって聞いたけど、おまえ一人じゃ即死してたよ」
唯「そんな早く死なないよっ! 丸二日は持つもんっ!」
延命するにしても、そう長くは持たないようだった。
憂「はい、これで最後だよ~」
今度は焼き魚と、人数分のコップ、そして麦茶を持ってきてくれた。
先程と同様、俺たちに配膳してくれる。最後に自らのぶんを揃え、食卓が整った。
唯「じゃ、食べようか」
ぱんっ、と手を合わせる。
憂ちゃんもそれに倣った。
唯「いただきます」
憂「いただきます」
綺麗に声が重なる。
朋也「…いただきます」
俺も若干遅れて同じセリフを言った。
こんなこと、かしこまってやるのはいつぶりだろう。
少なくとも、うちではやったことがない。
小学校の給食の時間以来かもしれない。
唯「ん~、おいしい~」
憂「ほんと? ありがと、お姉ちゃん」
唯「憂の料理はいつもおいしいよぉ。お弁当もね」
憂「えへへ」
仲良く会話する姉妹。
本来ならここに両親が居て、一緒に食事をして…
それで、その日学校であったことなんかを話すんだろうか。
そういった光景があるのが、普通の家族なんだろうか。
俺にはわからなかった。
ただ…
無粋な俺なんかが、土足で踏み込んでいい場所じゃないことは漠然とわかる。
唯「どうしたの? 岡崎くん。ぼーっとしちゃって」
朋也「いや…なんでもないよ」
言って、肉じゃがを口に放り込む。
朋也「うん…うまいな」
憂「ありがとうございますっ」
唯「私も料理勉強しようかなぁ…」
憂「お姉ちゃんならすぐできるようになるよ」
唯「ほんと? じゃあ、今度教えてよ」
憂「うん、いいよ。お姉ちゃんの今度は、今まで一度も来たことないけどね」
唯「あはは~、そうだっけ」
憂「ふふっ、うん、そうだよ」
ふたりとも同じように、えへへ、と笑いあう。
俺は箸を動かしながら、その様子をぼんやりと傍観していた。
―――――――――――――――――――――
唯「だいぶ遅くなっちゃったね」
平沢が玄関の先まで見送りに来てくれる。
憂ちゃんは中で後片付け中だ。
朋也「そうだな。長居しちまった」
あの場は本当に居心地がよく、離れることがひどくためらわれた。
それは、なんでだろう。
あの感覚はなんだったんだろう。
唯「どうせなら、泊まってく?」
朋也「馬鹿。んなことできるかよ」
唯「なんで? 明日は休みだし、みんなでサッカーする日だよ?」
唯「ちょうどいいじゃん」
朋也「そういうことじゃなくて…」
男を泊める、というその意味に、なにか感じるところはないのだろうか。
それとも、俺がそんな風に見られていないだけなのか。
朋也「とにかく、もう、帰るよ」
唯「ちぇ、つまんないなぁ…」
朋也「じゃあな」
唯「うん、また明日ねっ」
―――――――――――――――――――――
平沢家で過ごしていた今さっきまでの時間。
それが別世界の出来事に思われるような、あまりに違いすぎる空気。
気分が重くなる。
ただ、静かに眠りたい。
朋也(それだけなのにな…)
―――――――――――――――――――――
居間。
その片隅で、親父は背を丸めて、座り込んでいた。
同時に激しい憤りに苛まされる。
朋也「なぁ、親父。寝るなら、横になったほうがいい」
やり場の無い怒りを抑えて、そう静かに言った。
親父「………」
返事は無い。
眠っているのか、ただ聞く耳を持たないだけか…。
その違いは俺にもよくわからなくなっていた。
朋也「なぁ、父さん」
呼び方を変えてみた。
親父「………」
ゆっくりと頭を上げて、薄く目を開けた。
そして、俺のほうを見る。
その目に俺の顔はどう映っているのだろうか…。
ちゃんと息子としての顔で…
親父「これは…これは…」
親父「また朋也くんに迷惑をかけてしまったかな…」
目の前の景色が一瞬真っ赤になった。
朋也「………」
そして俺はいつものように、その場を後にする。
―――――――――――――――――――――
背中からは、すがるような声が自分の名を呼び続けていた。
…くん付けで。
―――――――――――――――――――――
こんなところにきて、俺はどうしようというのだろう…
どうしたくて、ここまで歩いてきたのだろう…
懐かしい感じがした。
ずっと昔、知った優しさ。
そんなもの…俺は知らないはずなのに。
それでも、懐かしいと感じていた。
今さっきまで、すぐそばでそれをみていた。
温かさに触れて…俺は子供に戻って…
それをもどかしいばかりに、感じていたんだ。
………。
「だんごっ…だんごっ…」
近くの公園から声がした。
それは、今となってはもう耳に馴染んでいた声音。
平沢だった。
あんなところでなにをしているんだろう。
俺はその場に呆然と立ちつくし、動くことができなかった。
そうしている内、平沢が俺のいる歩道に目を向けた。
こっちに気づいたようで、小走りで寄ってくる。
唯「あ、やっぱり岡崎くんだ。どうしたの? うちに忘れ物?」
朋也「いや、別に…」
唯「じゃあ…深夜徘徊?」
内緒話でもするように、ひそっと俺にささやいてくる。
朋也「馬鹿…そんなわけあるか」
もう俺は冷静だった。
朋也「ただ、帰るには時間が早すぎたからさ…」
唯「えー? もうお風呂あがって、バラエティ番組みててもおかしくない頃だよ?」
朋也「俺にとっては早いんだよ。いつも夜遊びしてるような、不良だからな」
唯「またそんなこと言ってぇ…」
朋也「おまえのほうこそ、こんなとこでなにやってたんだよ」
唯「ん? 私はね、歌の練習だよ」
朋也「こんな時間に、しかも外でか」
唯「うん」
朋也「それ、近所迷惑じゃないのか」
校則さえまともに守れない俺が言うのも違う気がしたが。
唯「大丈夫だよ。ご近所さんはみんな甘んじて受け入れてくれてるから」
朋也「そら、懐の深い人たちだな」
唯「私が小さかった頃から知ってるからかなぁ…みんな優しいんだよ」
唯「とくに、渚ちゃんとか、早苗さんとか、アッキーとか…古河の家の人たちはね」
そんな名前を出されても、俺にはピンと来ない。
朋也「そっか…」
朋也「なら、がんばって練習してくれ」
言って、歩き出す。
唯「あ、岡崎くんっ」
朋也「なんだよ」
立ち止まる。
唯「これからまだどこかにいくの?」
朋也「ああ、そうだよ」
唯「あした、体大丈夫?」
朋也「まぁ、多分な」
唯「っていうか、平日とかも、それで辛くないの?」
唯「いつも、すごく眠そうだし…」
唯「やっぱり、夜遊びはやめといたほうがいいんじゃないかな」
朋也「いいだろ、別に。不良なんだから」
唯「それ、本当にそうなのかな。今でも信じられないよ」
唯「岡崎くん、全然不良の人っぽくないし…」
朋也「中にはそういう不良もいるんだ」
唯「前に、お父さんと喧嘩してるって言ってたよね?」
唯「それで、喧嘩が原因で、肩も怪我しちゃったって…」
唯「それと関係ないかな?」
唯「お父さんと顔を合わせないように、深夜になるまで外を出歩いて…」
唯「それで、遅刻が多くなって、みんなから不良って噂されるようになって…」
唯「違う?」
なんて鋭いのだろう。
あるいは、安易に想像がつくほど、俺は身の上を話してしまっていたのか。
朋也「違うよ」
俺は肯定しなかった。こいつの前では、悩みの無い不良でいたかった。
唯「本当に、違う?」
朋也「まだお互いのことよく知らないってのに…よくそんな想像ができるもんだな」
唯「できるよ。そうさせるのは…岡崎くん自身だから」
唯「きっと、なにか理由があるんだって、そう…」
唯「そう思ったんだよ」
朋也「もし、そうだとしたら…」
朋也「おまえはどうするつもりなんだ」
訊いてみた。
唯「岡崎くんは、私が遅刻しないように、いつも頑張って早くきてくれるから…」
唯「私も、それに応えてあげたい」
唯「できるなら、力になってあげたいよ」
朋也「親父に立ち向かえるように、か…?」
唯「それはダメだよ。立ち向かったりしたら…分かり合わないと」
朋也「どうやって」
唯「それは…」
唯「すごく時間のかかることだよ」
朋也「だろうな。長い時間がいるんだろうな」
朋也「俺たちは、子供だから」
俺は遠くを見た。屋根の上に月明かりを受けて鈍く光る夜の雲があった。
唯「もしよければ…うちにくる?」
平沢がそう切り出していた。
それは、短い時間で一生懸命考えた末の提案なんだろう。
唯「少し距離を置いて、お互いのこと、考えるといいよ」
唯「ふたりは家族なんだから…だから、距離を置けば、絶対にさびしくなるはずだよ」
唯「そうすれば、相手を好きだったこと思い出して…」
唯「次会った時には、ゆっくり話し合うことができると思う」
唯「それに、ちゃんと夜になったら寝られて、朝も辛くなくなるよ」
唯「一石二鳥だね」
唯「どうかな、岡崎くん」
唯「岡崎くんは、そうしたい?」
朋也「ああ、そうだな…」
朋也「そうできたら、いいな」
唯「じゃ、そうしよう」
事も無げに言う。
朋也「馬鹿…」
朋也「おまえは人を簡単に信用しすぎだ」
近づいていって、頭に手を乗せる。
唯「ん…」
くしゃくしゃと少し乱暴に撫でた。
朋也「じゃあな。また明日」
唯「あ…うん」
背中を向けて歩き出す。
俺は支えられた。あいつによって。
いや、支えられた、というのは違うような気がする。
あいつはただ、そばにいただけだったから。
でも、それだけで、俺は自分を取り戻すことができた。
同じようなことが前にもあった気がする。
不思議な奴だと…そう、胸の内で感じていた。
―――――――――――――――――――――
4/18 日
目が覚めたのは、昼に程近いが、一応午前中だった。
久しぶりにゆっくり寝られたので、気分がいい。
布団からも未練なく抜け出せた。
その勢いに乗り、スムーズに洗顔と着替えも済ませた。
そして、その他諸々の用意が出来ると、すぐに家を出た。
―――――――――――――――――――――
適当なファミレスで食事を済ませ、退店する。
腕時計を見ると、待ち合わせの時間まであと30分だった。
ここからなら、歩いても十分間に合うだけの猶予がある。
それがわかると、俺は学校へと足を向け、悠長に歩き出した。
少し進んだところで、前方よりバスが走り去っていった。
今降りてきたであろう乗客の集団も、ばらけ始めている。
その中に、周囲とは異質な雰囲気が漂う女の子の姿を見つけた。
朋也(お…琴吹だ)
動きやすそうな服装で、バスケットと水筒を手に持っていた。
歩きながら見ていると、どうやら俺と同じ方向に進んでいるようだった。
あいつも、これから集合場所に向かうところなのだろう。
………。
朋也(まぁ、後ろつけてくのもなんだしな…)
俺は小走りで琴吹のもとへ駆け寄っていった。
朋也「よ、琴吹」
追いつき、横から声をかける。
紬「あら、岡崎くん。こんにちは」
朋也「ああ、こんちは」
紬「岡崎くんも、これから学校?」
朋也「ああ、そうだよ。おまえもだよな?」
紬「うん、そうよ」
朋也「じゃ、そんな遠くないし、一緒にいかないか」
紬「あ、いいねっ、それ。手をつないだりして、仲良くいきましょ?」
朋也「いや、手って…」
少しドモり気味になってしまう。
紬「ふふ、冗談、冗談」
くすくすと笑う。
朋也(はぁ…なに焦ってんだ俺…)
こいつを前にすると、どうも調子が狂ってしまう。
―――――――――――――――――――――
朋也「そういえばさ、おまえ、先週日曜バイトしてたよな」
朋也「それも、このくらいの時間帯にさ。今日もあったんじゃないのか」
紬「うん、そうなんだけどね。シフト代わってもらったの」
朋也「昨日の今日でよく都合がついたな」
紬「うん、まぁ、ちょっと無理いってお願いしたんだけどね」
朋也「無理にか。なんでまた」
紬「私も、みんなと遊びたかったから」
シンプルな理由。
動機としてはいびつな部類なんだろうけど、こいつが言うとまっすぐに見えた。
紬「もう三年生だし、こういう機会もどんどん減っていくと思うの」
紬「だから、思いっきり遊べる時間を大切にしたくて」
朋也「そっか…」
そう、今年はもう受験の年だ。
気合の入った奴なんかは、今の時期から休み時間にも単語カードをめくっている。
部活をしている奴だって、引退すれば即受験モードに入るだろう。
こいつら軽音部も、どこかで区切りがつけばそうなるはずだ。
大会のようなものがあるのかは知らないが、どんなに長くても秋ぐらいまでだろう。
それを考えると、本当に、今だけなのだ。
まぁ、それも、俺や春原にとってはなんの関係もない話だが。
きっと俺たちは最後までだらしなく過ごしていくことになるんだろうから。
朋也「でも、それならバイトなんかやめて時間作ればいいんじゃないのか」
紬「う~ん、でも、せっかく慣れてきたから、もう少し続けたくて…」
紬「それに、少しでもお金は自分で稼いだものを使いたいから」
朋也「おまえ、小遣いとかもらってないのか」
紬「アルバイトを始めてからはもらってないかなぁ」
朋也「へぇ…なんか、生活力あるな、おまえ」
紬「そう? ありがとう」
本当に、見上げたお嬢様だった。
そのバイタリティはどこからくるんだろう。
朋也(庶民の俺も見習うべきなんだろうな、きっと)
―――――――――――――――――――――
唯「あ、岡崎くん、ムギちゃんっ」
律「お、来たか」
紬「お待たせ~」
校門の前、雑談でもしていたんだろうか、輪になって固まっていた。
メンバーは、軽音部の連中に加え、憂ちゃんと、真鍋がいた。
春原はまだ来ていないようだ。
憂「こんにちは、紬さん、岡崎さん」
紬「こんにちは、憂ちゃん」
朋也「よう」
律「岡崎、あんた憂ちゃんともよろしくやってるんだってな」
朋也「よろしくって…なにがだよ」
律「とぼけんなって。一緒に買い物出かけたんだろ、きのう」
また、知られたくない奴の耳に入ってしまったものだ…。
きっと、談笑中にでも先日のことが話の種となってしまったんだろう。
さっきから中野に冷たい視線を向けられているのも、それが理由に違いない。
律「やるねぇ、姉妹同時攻略か?」
朋也「おまえ、ほんとそういう話にするの好きな」
律「んん? 実際そうなんじゃないんですかぁ?」
朋也「違うっての…つーか、もういいだろ、このやり取り」
律「あんたがイベント起こすから悪いんだろぉ、このフラグ系男子め」
そんなジャンルはない。
唯「ねぇ、りっちゃん。攻略って、なに? 弱点でも突いて一気にたたみかけるの?」
律「そんな、敵のHPを削る有効な攻撃のことじゃないって」
律「いいか? ここでいう攻略というのはだな、ずばり…」
ぐっと腕に力を入れる。
律「ヒロインをいかに自分のものにするか、ということだ!」
唯「ヒロイン?」
律「ああ。この場合ヒロインはおまえと憂ちゃんってことになるな」
唯「ふむふむ。それで?」
律「おまえの好感度は十分だと踏んだ岡崎は、次のヒロイン、憂ちゃんに移行したんだ」
律「それで、一緒に買い物に行き、フラグを立てた」
律「ゆくゆくは憂ちゃんの好感度もMAXにして、自分に惚れさせる」
律「そして、おまえと憂ちゃんを同時に手に入れて、ハーレムエンド、ってとこかな」
言いたい放題言われていた。
唯「おお、すごいねっ!…って、えぇ!?」
唯「岡崎くん、今のマジなの!?」
朋也「だから、違うっつの…」
唯「だよね、岡崎くんはそんな人じゃないよね」
律「ずいぶん信頼されてんなぁ。じゃ、憂ちゃんはどうなの」
憂「私ですか?」
律「うん。岡崎が彼氏って、どう?」
憂「そうですね…そうだったら、楽しいと思います」
律「おお!? 脈アリだ?」
梓「………」
中野の視線が鋭さを増す。
憂ちゃんにそう言ってもらえるのは素直に嬉しいが、この局面では複雑だ…。
憂「でも、岡崎さんは、お兄ちゃんですから」
朋也(ぐぁ…ここにきて…)
律「…お兄ちゃん?」
憂「はいっ。ね、お兄ちゃん?」
朋也「あ…いや…」
憂「…お兄ちゃん、私のこと嫌い?」
朋也「いや…好きだよ…」
ああ…俺はなにを言ってるんだ…
憂「ありがとう、お兄ちゃんっ」
場が凍りついているのがはっきりとわかる…
終わりだ…俺はもう…
DEAD END
朋也(んなアホな…)
律「…まぁ、なんだ…そういう趣味か」
朋也「い、いや、待て、説明させてくれっ」
律「言い訳があるんなら、聞いてやるよ。最後にな」
朋也(最後ってなんだよ、くそっ…)
朋也「あー、えっと、そうだな…」
必死に頭の中で言葉を紡ぎだす。
朋也「俺、ひとりっこでさ、だから、そういう兄妹とかに憧れがあったっていうか…」
俺はしどろもどろになりながらもなんとか弁明した。
律「ふーん、それで憂ちゃんに頼んだってことね」
朋也「ああ、そうだよ」
憂「ごめんなさい、少し悪乗りしちゃいました」
朋也「もうお兄ちゃんは今後禁止だ」
憂「はぁい」
律「ま、それでもかなり引くけどな」
朋也「ぐ…」
唯「でも、岡崎くんがお兄ちゃんってよくない?」
律「いや、全然」
唯「えー、そうかなぁ。私はいいと思うんだけどなぁ…」
唯「ね、お兄ちゃんっ」
腕に絡んでくる。
朋也「あ、おい…」
憂「あ、お姉ちゃんずるいっ」
もう片方も取られてしまう。
朋也「おい、憂ちゃ…」
梓「に゛ゃ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!」
突然奇声を発し、肩を怒らせずんずんとこちらに近づいてくる。
梓「えいっ!」
唯「うわぁっ」
憂「きゃっ」
無理やり平沢姉妹を俺から引き離し、距離をとった。
梓「唯先輩、あんな人に近づいちゃだめですっ!」
唯「え、でも…」
梓「だめったらだめなんです! あの人は…変態です!」
唯「そ、そんなこと…」
梓「あります! だから、だめです!」
唯「あ、あう…」
梓「憂も!」
憂「梓ちゃん、こわいよぉ…」
梓「いいから、返事は!?」
憂「う、は、はい…」
俺は呆然と、その力強く説き伏せられている様子を遠くから眺めていた。
律「はっは、変態だってよっ」
朋也「………」
律「ま、元気出せって、ははっ」
笑いながら、ぱんっと肩を叩き、中野たちがいるところまで歩いていった。
朋也「……はぁ」
思いのほかヘコむ。
澪「あの…」
朋也「…なんだよ」
澪「梓が失礼なこと言って、すいません」
朋也「ああ…まぁ、しょうがねぇよ、言われても」
澪「そんな…梓はただ嫉妬してるだけっていうか…そんな感じなんだと思います」
朋也「嫉妬?」
澪「はい。梓は、唯にかなり可愛がられてましたから…」
澪「それで、岡崎くんに唯を取られちゃうんじゃないかって、多分そう思ったんだと…」
紬「確かに、それはあるかもしれないわね」
朋也「はぁ…」
澪「だから、あの…元気出してくださいね」
よほど落ち込んでいるように見えたのか、そう励ましてくれた。
朋也「ああ、サンキュな。ちょっと救われた」
少し大げさに立ち直った風を装う。
一応、俺なりに礼儀をわきまえたつもりだ。
澪「あ、そ、それはよかったです…」
恥ずかしそうに顔を伏せてしまった。
割と顔を合わせているのに、まだ慣れないんだろうか。
それとも、俺が苦手なのか…。
紬「それにしても、あんなに取り乱す梓ちゃん、初めて見たわぁ…あんな梓ちゃんも、可愛くていいかも」
紬「それに、岡崎くんにじゃれついてる時の唯ちゃんも、憂ちゃんも可愛いし…」
紬「岡崎くんにはもっと頑張ってもらわなきゃねっ」
くすくす笑いながら、おどけたように言う。
朋也(なにをだよ…)
つんつん、と背中をつつかれる。
朋也「あん?」
和「で、どっちが本命なの? 唯? 憂?」
真鍋がひそひそと語りかけてきた。
和「あなたに唯を推した身としては、まず二股なんて許さないから」
朋也「どっちでもねぇっての。つか、もうそういうのは勘弁してくれ」
和「そうしてほしいなら、さっさと結論を出しなさい」
朋也「結論って、おまえ…」
一度、深く息を吐く。
朋也「そもそも、そんなんじゃねぇからこそ、やめてほしいんだけどな」
和「あなたがそうでも、唯のほうは違うわよ」
朋也「いや、あいつもそんな気はないって言ってたぞ」
和「あの子自身、まだはっきりとは気づいてないだけよ」
朋也「なんでおまえがそんなことわかるんだよ」
和「幼馴染ですもの。唯のことはそれなりに観察してきたつもりよ」
朋也「だとしても、おまえ自身恋愛したことないんだろ?」
朋也「だったら、実体験に基づいてないぶん、説得力に欠けるよな」
朋也「そんなの、おまえらしくないんじゃないのか」
和「それは…そうだけど…」
朋也「仮に…仮にだぞ? 平沢がもしそうだったとしてもだ」
朋也「俺が誰かに促されて、あいつの気持ちが未整理のまま結論出されたりするのは嫌なんじゃないのか」
和「………」
しばし、沈黙する。
和「…そうね。私が間違ってたわ」
すっと身を離した。
和「煙に巻かれたようで、少しシャクだけどね」
朋也「そう言うなよ」
和「でも、やっぱりあなたはなかなか見所があるわ。どう? 例の話、考え直してみない?」
朋也「いや、ありがたいけど、その気はない」
和「そう。ま、一度断られてるしね。いいんだけど」
そう言うと、俺から離れていった。
向こうからは、部長たちが何事か騒ぎながら戻ってきている。
また、騒がしくなりそうだった。
―――――――――――――――――――――
春原「あれ、もうみんな来てんのか」
春原が腹をぽりぽり掻きながら、ちんたら坂を上ってきた。
律「あれ、じゃねぇっつーの! もう20分遅刻だぞっ!」
春原「わり、出掛けにちょっと10秒ストップに手出したら、長引いちゃった」
律「そんなもん暇なときにでもやれよなっ!」
春原「ま、いいじゃん。さっさといこうぜ」
律「ったく、こいつは…」
春原「って、その子、誰よ?」
憂「あ、初めまして。私、平沢憂と言います。二年生です」
春原「平沢? もしかして、妹?」
憂「はい、そうです」
唯「いぇい、姉妹でぇす」
春原「ふーん、あっそ。似てるね、顔とか」
憂「ありがとうございますっ」
似ている、はこの子にとって褒め言葉だったようだ。
春原「ま、いいや。行くぞ、おまえら」
律「遅れてきた奴がえばんなってーの…」
―――――――――――――――――――――
グラウンドまでやってくる。
今日は運動部の姿もなく、広い場内は閑散としていた。
おそらくは、他校で練習試合でもあって、出払っているのだろう。
俺もまだバスケをやっていた時分、休みの日は大抵そうだった。
なければ、普通に練習があったのだが。
なんにせよ、サッカー部がいなくてよかった。
…というか、いたらどうするつもりだったんだろうか。
平沢がサッカー部の動向を知っていたとは思えない。
となると…やっぱり、そこまで考えていなかったんだろうな…。
朋也(それよりも…)
朋也「今更だけど、勝手に使っていいのか、このコート」
唯「え? だめかな?」
律「別にいいんじゃね? うちらだってこの学校の生徒だし」
朋也「いや、サッカー部の連中が気を悪くするんじゃないのかって話だよ」
春原「まぁ、大丈夫でしょ」
春原が答えた。
春原「今いないってことは、今日は朝練だけだったか、よそで試合があったんだろうからね」
春原「これから鉢合わせすることもないだろうし…あとでトンボだけ掛けとけばいいよ」
ソースがこいつというのは普段なら心許ないが、一応元サッカー部だ。
今回に限ってはそれなりに信憑性があった。
律「やけに自信たっぷりだな…なんか根拠でもあんの?」
朋也「こいつ、元サッカー部だからな」
律「え、マジで?」
春原「ああ、まぁね」
律「それできのう、実力がどうのとか言ってやがったのか…」
春原「ま、んなこといいからさ、とっとと始めようぜ」
朋也「そうだな。じゃあ、おまえ、番号入ったビブス着て、枠の中に立ってくれ」
朋也「俺たち、かわるがわるシュートで狙うから」
春原「ってそれ、的が僕のみのストラックアウトですよねぇっ!?」
律「わははは! そっちのがおもしろそうだな!」
春原「僕はまったくおもしろくねぇよ!」
春原「最初はチーム分けだろ、チーム分けっ」
朋也「じゃ、春原対アンチ春原チームでいいか」
春原「僕を集団で攻撃するっていう構図から離れてくれませんかねぇっ!」
朋也「でも、俺たち奇数だしな。綺麗に分けられないし」
春原「だからって、僕一人っていうのは理不尽すぎるだろっ」
朋也「じゃあ、おまえ、右半身と左半身で真っ二つに別れてくれよ。それで丸く収まる」
春原「僕単体を無理やり偶数にするなっ!」
春原「って、もうボケはいいんだよっ」
春原「平沢、どうすんだ」
唯「う~ん、そうだねぇ…まず、春原くんと岡崎くんは別チームにしなきゃね」
春原「あん? なんで」
唯「男の子だからね。分けておきたいから」
春原「ああ、なるほどね。いいよ」
唯「後は私たちで別れるよ」
春原「わかった」
唯「じゃ、みんな、ウラかオモテしよう!」
律「久しぶりだなぁ、そんなことすんの」
澪「律、なんでチョキを出そうとしてるんだ。じゃんけんじゃないんだぞ」
律「お約束お約束」
皆平沢のもとに集合し、円を作っていた。
春原「へっ、チーム春原対チーム岡崎の頂上決戦だな、おい」
朋也「今までトーナメント勝ちあがってきたみたく言うな」
春原「ドーハの悲劇が起こらなきゃいいけどねぇ、ふふん」
こいつは、絶対ドーハの悲劇が言いたかっただけだ。
―――――――――――――――――――――
チーム分けが終わり、メンバーが決まった。
Aチームは、俺、憂ちゃん、真鍋、秋山、部長。
Bチームは、春原、琴吹、中野、平沢。
こっちの方が人数は多いが、春原は元サッカー部だ。
人材の差で、そこまでのハンデにはならないだろう。
両陣営に別れ、ボールを中央にセットする。
ちなみに、持ってきたボールは部長の弟のものだそうだ。
それはともかくとして、先攻は春原チーム。
春原「よし、キックオフだっ」
横にいた中野からパスを受け、春原がドリブルで切り込んでくる。
律「おっと、通すかよっ」
それに部長が対応した。
春原「はっ、デコのくせにスタメン起用か。世も末だなっ」
律「なにぃっ! 本田意識して金髪にしたようなバカのくせにっ」
律「実力が違いすぎて違和感あるんだよ、アホっ!」
春原「隙アリっ! とうぅっ」
律「わ、やべっ」
股の間にボールを通され、突破される。
屈辱的な抜かれ方だ。
春原「ははは、甘いんだよっ」
朋也「おまえがな」
春原「ゲッ、岡崎っ」
通された先、俺が待ち構えていた。
ボールを奪い、カウンターを仕掛ける。
しかし初心者の俺では春原のようにボールコントロールが上手くいかない。
走ってはいるが、スピードが出せないのだ。
後ろからは春原が追ってくる。
前からは中野。
俺は周囲を見てパスを出せるか確認した。
秋山が右サイドに上がっている。しかもフリーだ。
好機と見て、パスを送ろうとした時…
梓「ていっ!」
ずさぁあっ!
朋也「うぉっ」
ボールではなく、直接俺の脚めがけてスライディングが飛んできた。
間一髪かわす。
梓「チッ」
朋也(舌打ちって、おまえ…)
春原「よくやった、二年!」
春原がボールを拾う。
律「今度は絶対通さねぇーっ」
春原「平沢、押し込めっ」
前線にいる平沢にパスを送った。
律「あ、ずりぃぞっ! 勝負しろよ!」
春原「ははは、また今度な」
律「くそぅ、勝ち逃げしやがって…」
朋也「真鍋、頼んだぞっ」
真鍋は攻め込んできていた平沢をマークしていた。
ボールを受けた平沢と一対一の状況になっている。
唯「和ちゃん、幼馴染だからって手加減しないよっ」
和「その必要はないわ。あんた、運動神経ゼロじゃない」
唯「ムカっ! メガネっ娘に言われたくないよっ」
和「なら、私を抜いてゴールを決めてみなさい」
唯「言われなくてもっ」
平沢が走り出す。
…ボールをその場に置いたまま。
和「せめて、ボールを蹴るくらいはしなさいよ…」
ぼん、と蹴ってクリアする。
唯「ああ!? 和ちゃんの鉄壁メガネディフェンスにやられた!」
和「なにもしてないけどね…」
春原「なぁにやってんだよ、平沢っ」
唯「ごめぇん、和ちゃんの動きが速すぎて見えなかったよぉっ」
その珍回答に、ずるぅ、とこける春原。
春原「…わけわかんねぇ奴だな…」
朋也「秋山、いけっ、ドフリーだぞっ」
さっきクリアされたボールは、秋山の手に渡っていた。
ゴールを遮るものは、キーパー以外なにもない。
ドリブルで進んでいく。
澪「ムギ、私は本気でいくからな」
紬「くす…どうぞ」
澪「はぁっ」
どかっ
紬「みえたっ」
ばしぃっ!
飛び込みキャッチでボールを抱え込む。
澪「うわ、すごいな、ムギ…」
澪「って、ムギ…?」
琴吹はボールを抱え込み、そのまま足で締め上げていた。
紬「あ、つい癖で…」
ボールを持ち、立ち上がる。
紬「掴んだら逆十字で折って、そのまま三角締めに移行するよう言われてるから…」
つまり、ボールに関節技を掛けていたのか…。
つーか、そんな球体に間接なんかない。
澪「なんかわかんないけど、とりあえずすごいな…」
紬「ありがと。そぉれっ」
蹴りではなく、投げでボールをフィールドに戻した。
それなのに、なかなかの飛距離があった。
女にしては、かなりの強肩だ。
澪「すご…」
放物線を描き、やがて地面に着地する。
2,3バウンドした後、ころころと転がった。
それを拾ったのは春原だ。
またドリブルで切り込んでくる。
律「させるかっ」
春原「またおまえか。おまえじゃ僕を止められねぇよ」
律「ふん、ほざけよ…」
じりじりと膠着状態が続く。
春原「ほっ」
律「あ、ちくしょっ」
春原は一度パスを出すフェイントを入れ、スピードで抜き去った。
俺がフォローに回る。
すると、フリーになった中野にパスが回った。
今度はこちらに失点の危機が訪れた。
梓「憂、岡崎先輩側に回るなんて、許さないからっ」
憂「そんなぁ、運だから仕方ないのにぃ…」
梓「御託はいいのっ! やってやるですっ」
憂「――――√v―^―v―っ!!」
憂ちゃんが機敏に動き出す。
どかっ!
憂「ここだよっ」
バシィ!
その移動した先、どんぴしゃでボールが飛んでいった。
梓「な、なんで…私が打つ前に…」
憂「うーん、先読みって奴かな?」
ニュータ○プか。
梓「く…憂…やっぱりあなどれない…」
律「憂ちゃーん、パスパース!」
憂「はぁーい。いきますよぉ、律さん」
ボールが高く蹴られた。
グラウンドには、俺たちの声がこだましている。
まるで、はしゃぎまわる子供のようだった。
空を見上げる。
天気もよく、すみずみまで晴れ渡っている。
そんな中、たまにはこうやって健康的に汗を流すのも、悪くないものだ。
―――――――――――――――――――――
律「ふぃ~、ちかれたぁ~…」
紬「お疲れ様。はい、アイスティー」
紙コップを渡す。
律「お、テンキュー」
ひとしきり遊んだ後、ピクニックシートを敷いて休憩を入れていた。
琴吹が用意してくれたケーキや紅茶、各自持ち寄った菓子類を囲んで座っている。
律「ぷはぁ、うめぇーっ」
澪「確かに、運動の後の一杯は格別だよな」
律「運動か…じゃ、今日はカロリーとか気にせず食べられるな、澪」
澪「別に、いつもそんな神経質になってるわけじゃ…」
律「嘘つけ、いつも写メで自慢のセルライト送ってくるじゃん」
澪「そんなことしたことないだろっ」
ぽかっ
律「あてっ」
春原「ははっ、殴られてるよ、こいつ」
律「ツッコミだっつーのっ」
朋也「おまえはいつもラグビー部に死ぬ寸前までガチで殴られてるけどな」
春原「言うなよっ!」
律「わはは、だっせーっ!」
春原「黙れっ、負けチームっ」
律「ああ? まだ試合は終わってないだろ。つーか、たった一点リードしてるだけじゃん」
律「このハーフタイムが終わったら一気に逆転してやるよ」
春原「ふん、せいぜい無駄な足掻きをすればいいさ」
律「けっ、威張ってられるのも今のうちだぜ」
春原「はーっはっはっは!」
律「はーっはっはっは!」
悪者のように高笑いする二人。
唯「なんか、生き生きしてるよね、春原くん」
隣にいた平沢が俺にそっと話しかけてくる。
朋也「かもな。あいつがあんなノリノリになってる時なんて、あんまないからな」
悪ふざけしている時ぐらいにしか見せない顔だった。
唯「じゃあ、やってよかったのかなぁ、サッカー」
朋也「ああ、多分な」
言って、頭に手を乗せようとすると…
梓「ていっ」
ばしっ
朋也「って…」
中野に払われてしまった。
梓「唯先輩、このクッキーおいしいですよ。あ~んしてください。私が食べさせてあげます」
唯「わぁ、ありがとうあずにゃんっ」
唯「あ~ん」
寄り添って、口にクッキーを運ぶ中野。
唯「むぐむぐ…おいひぃ~」
梓「ですよね」
にやり、と俺を見てほくそ笑んでいた。
朋也(なんなんだよ、こいつは…)
―――――――――――――――――――――
律「うし、そんじゃ、そろそろ再開するか」
菓子類も一通り食べつくし、しばらくだらけていると、部長がそう声を上げた。
春原「後半戦の開始だね」
律「開始五分で逆転してやるよ」
春原「はっ、軽く追加点取ってやるよ」
律「自分のゴールにハットトリックしてろ、オウンゴーラー春原め」
春原「おまえこそ、レフリーに後ろからスライディングかまして一発退場してろ」
ぎゃあぎゃあ言い合いながら立ち上がり、グラウンドへ向かって行った。
残された俺たちも、やや遅れてそれに続く。
すると…
男1「あれ? なにこいつら」
男2「あ、軽音部の子じゃね?」
男3「うぉ、マジだ」
男4「つか、春原もいるんだけど」
男5「岡崎もいるぞ」
男6「なに、あの組み合わせ」
向こうから私服の男たちが6人、ぞろぞろとやってきた。
春原「ちっ…」
俺は春原のそばまで小走りで寄っていった。
朋也「おい、春原、あいつら…」
春原「…ああ、サッカー部の連中だよ」
朋也「練習しにきた…ってわけじゃないよな」
春原「だろうね。向こうも僕らと同じで遊びに来たんだろ」
なら、試合があったわけじゃなく、朝練が終わって解散していただけだったのか…。
サッカー部員「おい、春原。ここでなにしてんだよ」
話していると、ひとりの男が若干敵意を含んだ言い方でそう訊いてきた。
春原「別に、遊んでるだけだっつの」
サッカー部員「そっちの軽音部の子たちはなんなんだよ」
春原「こいつらも、同じだよ」
サッカー部員「は? おまえ、軽音部の子たちと遊んでんの?」
サッカー部員「うわ、ありえねー」
サッカー部員「こんな奴がよく取り合ってもらえたな」
サッカー部員「土下座して頼んだんじゃねぇの、僕で遊んでくださ~いってさ」
部員たちに、どっと笑いがおこる。
春原「ぶっ殺すぞ、てめぇらっ!」
春原がキレて、殴りかかっていく勢いで一歩を踏み出す。
サッカー部員「は? また暴力かよ」
サッカー部員「変わんねぇな、このクズは」
サッカー部員「おまえのせいで俺たち、どんだけ迷惑したかわかってんのか」
サッカー部員「関係ない俺たちまで、いろんなとこで頭下げさせられたんだぞ」
サッカー部員「新人戦だって出られなかったしな。実績あげないと、推薦だって危ういのによ」
サッカー部員「まだそのことで謝ってもねぇのに、あまつさえ俺たちに暴力振るうのかよ」
サッカー部員「今度は退学んなるぞ、てめぇ」
春原「……くそっ」
踏みとどまる。
そうさせたのは、退学だなんて脅しじゃない。
きっと、胸の奥底では感じていたであろう罪悪感の方だったはずだ。
サッカー部員「君ら、軽音部の子たちだよね?」
春原に取っていた態度とは打って変わって、陽気に声をかけてくる。
サッカー部員「こんな奴らとじゃなくてさ、俺らと遊ばね?」
自分たちから一番近い位置にいた部長に訊いてから、後方にいた連中を眺め渡した。
律「………」
だが、部長を筆頭に、誰もなにも言わない。
サッカー部員「うわぁ、やっぱ、りっちゃん可愛いって」
サッカー部員「ばっか、澪ちゃんだろ」
サッカー部員「俺唯ちゃん派」
サッカー部員「あずにゃんだろ、流石に」
サッカー部員「おまえら、ムギちゃんのよさわかれよ」
答えないでいると、その内、内輪で盛り上がり始めた。
サッカー部員「つか、見たことない子もいるけど、あの二人もかわいくね?」
サッカー部員「うぉ、マジだ。後ろで髪上げてる子と、メガネのな」
サッカー部員「つか、メガネのほうは、生徒会長じゃん」
サッカー部員「そうなの?」
サッカー部員「昨日発表あったじゃん」
サッカー部員「知らねぇ。寝てたわ、多分」
一斉に笑い出す。
律「…わりぃけど、あんたらと遊ぶ気にはなんないわ」
サッカー部員「えー、なんでだよ」
サッカー部員「カラオケいこうよ。おごりでもいいよ」
律「あたしら、サッカーしに来てんだよね。カラオケなら、あんたらでいきなよ」
サッカー部員「サッカー? 俺らも、そうなんだけど」
サッカー部員「サッカーがしたいなら、俺らのほうがいいよ」
サッカー部員「春原みたいな半端な奴とか、岡崎みたいなただのヤンキーとやるより楽しいよ」
サッカー部員「そうそう、いろいろヤって、楽しもうよ」
サッカー部員「ははは、腰振んなよ、おまえ」
サッカー部員「ははははっ」
サッカー部員「ははっ、てかさぁ、春原が今更サッカーってどうなの」
サッカー部員「マジ、ウケるよな」
サッカー部員「どうせ素人相手にカッコつけたかったんだろ」
サッカー部員「それしかねぇな。マジでカスみてぇ」
唯「…どうしてそこまでいうの?」
平沢が口を挟む。
サッカー部員「ん?」
唯「春原くんが喧嘩して、大会出られなかったのは、残念だったけど…」
唯「もう、終わったことなんだし…そんなに言わなくてもいいでしょっ!」
サッカー部員「あー、あのさぁ…」
一番体格のいい男が、ぽりぽりと頭を掻きながら前に出てくる。
サッカー部員「まぁ、お遊びクラブで仲良しこよしやってる子には、わかんないかもだけどさ…」
サッカー部員「俺ら、マジで部活やってんだ? そんで、将来とか懸かってんの。わかる?」
澪「そんな、私たちだって真剣に…」
サッカー部員「軽音部って、茶飲んでだらだらしてるだけなんでしょ? けっこう有名だよ」
澪「それは…」
梓「そんなことないですっ! 馬鹿にしないでくださいっ!」
サッカー部員「ああ、ごめんね。馬鹿にしてないよ」
サッカー部員「あずにゃんのプレイ、最高~」
サッカー部員「萌え萌え~」
他の部員が横から茶化しを入れると、皆へらへらと笑いあった。
梓「………」
中野の顔が紅潮していく。
奴らの態度は、どうみても馬鹿にしているそれだった。
サッカー部員「ま、だからさ、公式戦って、超大事なんだ。それを台無しにされたら、普通怒るよね」
唯「でも…でも…言ってることがひどすぎるよ…」
サッカー部員「クズにはなに言ってもいいんだよ」
唯「クズなんかじゃないよっ! 春原くんは、ちゃんとした、いい人だよっ!」
サッカー部員「ぶっははは! それ、マジで言ってんの?」
サッカー部員「いい人とかっ、ははっ、春原がかよっ」
サッカー部員「ああ、やっぱ、唯ちゃん頭弱ぇなぁ」
また下品に笑いあった。
唯「うぅ…」
朋也(こいつら…)
もう、限界だった。
そもそも、最初からどこか癇に障る奴らだったんだ。
春原が踏みとどまっていなければ、俺も喧嘩に加わるつもりだった。
一度は耐えたが、それももう終わりだ。
手を出したほうが負け? そんなもん知ったことか。
喧嘩を売ってきたこと、死ぬほど後悔させてやる。
春原「おい、岡崎…」
朋也「…ああ」
春原も俺と同意見のようだった。
ぶっ飛ばしてやろうと、そう意気込んだ時…
律「あーあ、もういいや。みんな帰ろうぜ」
部長がそう言った。
律「なんかこいつらもここ使うみたいだし…それに、しらけちゃったしな。変なのが来たせいで」
律「はい、撤収~」
言って、敷かれたままのピクニックシートの方に足を向けた。
サッカー部員「や、ちょっと待とうよ」
部長の腕を掴んで引き止める。
サッカー部員「ぜってぇ俺らと遊んだほうがおもしれぇって」
律「触んなっ。離せ、バカっ」
その手を乱暴に振り払う。
サッカー部員「っ、んだよ、こいつ…調子乗りすぎ」
サッカー部員「ちっと可愛くて人気あるからって、これはねぇわ」
サッカー部員「ライブとか言って、下手糞な演奏しても、チヤホヤされるもんな」
サッカー部員「ああ…それはあるかも」
サッカー部員「よな? 聴きに来てる奴らなんか、ほとんどこいつらの体目当てだし」
サッカー部員「体って、おまえさっきからエっロいな」
サッカー部員「はは、うっせぇ」
律「なんだと…? 大人しく聞いてりゃ、つけあがりやがって…」
サッカー部員「え? 怒っちゃう? もしかして、自覚なかったの?」
サッカー部員「うわぁ、勘違い系?」
サッカー部員「痛ぇ奴」
サッカー部員「つーか、部員が可愛い子ばっかなのはそういうことだろ、どうせ」
サッカー部員「ああ、全員が客寄せパンダってことな。じゃ、図星突かれて怒ったのか」
サッカー部員「ははは、マジでそれっぽ…」
いい終わる前、その部員は殴り倒されていた。
サッカー部員「っつ…てめぇ、春原ぁっ!」
倒れこんだまま、怒声をあげる。
春原「馬鹿にしてんじゃねぇっ!」
春原が吠えた。
律「春原…」
春原「こいつらはなぁっ、そんなんじゃねぇんだよっ!」
サッカー部員「はぁ? なんだこいつ…」
春原「うぉおおおおおおおおおおおっ!!」
突っ込んでいく。
たちまち乱闘になった。
澪「ど…どうしよう、誰か呼んでこないとっ…」
朋也「やめてくれ。んなことされたら、俺らが捕まっちまうよ」
澪「え…」
朋也「真鍋、事後処理頼めるか」
和「ま、なんとかしてみるわ」
朋也「頼んだぞ」
前を見る。
春原が囲まれて、四方から蹴りをもらっていた。
ぐっ、と拳にに力を込める。
2対6。不利だが、不思議と負ける気はしなかった。
朋也「てめぇら、俺に背中向けてんじゃねぇっ!」
唯「あっ、岡崎くんっ…」
後ろから平沢の声がした。
だが、振り返ることはしなかった。
まっすぐ敵に向かって拳を振り下ろす。
相手の嗚咽する声と、拳に鈍い痛みが走ったのは同時だった。
―――――――――――――――――――――
呼吸が苦しい。
ずっと全力で殴り続けていたから、まったく余力が残っていない。
体重を支えるその脚にも、まともに力が入らない。
立っているのがやっとだった。
それに加え、身体中が痛む。
打撲に、擦り傷、切り傷…鼻血も出ている。
口の中には血の味が広がっていて、なんとも気持ち悪かった。
もう、ボロボロだ。
春原「楽勝だったな……げほっ」
散々殴られたその顔で、苦しそうに咳き込んだ。
ひどい表情だ。きっと今、俺も同じ状態なんだろう。
朋也「その顔で言うなよ…」
春原「へっ…」
ぐい、と血を拭う。
春原「ま、やっぱ、僕ら最強ってことだね…」
朋也「特に俺はな…」
春原「あんた、結構ナルシストっすね…」
喧嘩は、一応の決着がついた。
KOというわけじゃない。連中の方が撤退していったのだ。
それほど喧嘩慣れしていなかったのだろう。
痛みと、本気で殴りかかってくる相手への恐怖からか、終始引き気味だった。
そのおかげで、あまり長引かずに済んだ。
部活も辞めて長いこと経ち、持久力の落ちている俺たちにはありがたかった。
和「お疲れ様」
真鍋がタオルを渡してくれる。
俺たちはそれを受け取り、汗と血を拭き取った。
そして、顔を上げて一番最初に目に入ってきたのは、泣いている平沢の姿だった。
見れば、部長と真鍋以外、全員すすり泣いていた。
律「あんたら…大丈夫か」
春原「無傷だけど」
律「そんなわけないだろ、見た目的にも…」
和「なんにせよ、治療は必要ね」
朋也「そうだな。おまえの部屋、なんかあったっけ」
春原「絆創膏ならあるよ」
朋也「ないよりマシか…まぁ、いいや」
朋也「そういうことだからさ、悪いけど俺たち、帰るわ。もう、フラフラだからな…」
和「待って。絆創膏だけじゃ駄目よ」
和「私たちが薬局で必要なもの買ってくるから、待ってて」
春原「できれば、もう帰りたいんすけど…」
和「じゃあ、寮で待ってて。確かあなた、地方からの入学で、寮生活してたわよね」
春原「はぁ、まぁ…」
和「唯と律はこの二人を支えながら送ってあげて」
和「坂の下をちょっと行ったところに寮があるから、そこまで」
唯「ぐす…うん…わかったよ…」
律「お、おう」
和「憂と琴吹さんは、グラウンドをトンボでならしておいて欲しいんだけど…」
それは、血が飛び散って、いたるところに黒いシミを作っていたからだろう。
憂「は、はい、任せてください」
紬「うん、任せて」
和「私と梓ちゃんと澪は、薬局に買出しね」
澪「わ、わかった」
梓「は、はい」
和「じゃ、みんな、さっと動きましょ」
その一言で、各自行動を開始した。
仕切るのが上手いやつだった。
人の上に立つ器とはこういうものなんだろうか…。
ぼんやりと思った。
―――――――――――――――――――――
唯「う…ひっく…ぐすん…」
朋也「おい…もう泣きやめ」
唯「だっでぇ…うぅ…」
俺は平沢に、春原は部長に支えられながら、坂を下っていく。
唯「わだしがサッカーやるなんていっだがら…ぐすん…」
朋也「おまえのせいじゃないだろ」
春原「そうそう。あのバカどもが分をわきまえず喧嘩売ってきたのが悪いんだよ」
唯「うう゛…ぐすん」
律「…その件だけどさ、あんた、ちょっと見直したよ」
春原「あん? なんだよ、気色悪ぃな…」
律「いや…ほら、私たちが馬鹿にされたとき、あんた、すげぇ怒ってくれたじゃん?」
律「それがなんていうか…な? 意外だったんだよ」
それは、俺も同じだった。
まさか、こいつの口からあんなセリフが飛び出してくるとは思わなかった。
春原「は…その場のノリって奴だよ。勘違いす…」
春原「おわっ」
つまずく。
律「おい、しっかりし…」
春原「ん? なんか今、右手が一瞬柔らかかったけど…」
どごぉっ!
春原「うぐぇっ」
春原のレバーに部長の鉤突きが突き刺さる。
律「どさくさにまぎれて、どこ揉んでんだ、こらぁっ!」
春原「い、いや…違う、そんなつもりじゃ…」
律「くそぉ、こんな変態、見直したあたしが馬鹿だった…」
春原「って、なに髪つかんでんだよっ、っつつ…」
律「あんなたなんかこれで十分だっつの! さっさと歩けっ、ボケっ」
春原「うわ、やめろっ、スピード落とせっ!」
どんどん坂を下っていく…いや、引きずられて、か。
唯「ぷ…あははっ」
あのふたりに感化されたのか、平沢がぷっと吹き出し、笑みを浮かべていた。
唯「もう…ほんと楽しそうだなぁ…」
朋也「じゃあ、おまえが今日サッカーに誘ったこと、無駄じゃなかったな」
唯「そうかな…」
朋也「ああ。結果よければ、全てよしってやつだ」
唯「あは…うん、ありがと」
―――――――――――――――――――――
春原の部屋。
ここに、全員が集まっていた。
トンボ班と、医療班には、メールで部屋の番号を伝えていた。
寮の場所は、坂下から一直線なので、それだけでよかったのだ。
春原「いつつ…」
紬「あ、ごめんなさい。しみた?」
残りの連中が部屋に駆けつけてくれた時。
先に帰りついていた俺たちは、何事もなかったかのようにくつろいでいた。
その様子に、最初はポカンとしていたが、それも少しの間のこと。
何も言わず、顔をほころばせ、すぐに馴染んでくれていた。
春原「いや、大丈夫。ムギちゃんの愛で癒してくれれば」
紬「え? それは、どういう…」
春原「傷口を舐めて消毒して欲しいなっ」
紬「えっと…ごめんなさい、手刀でいい?」
春原「患部ごと切り落とすつもりっすか!?」
律「わははは!」
これも、いつも通りだった。
少し前、凄惨な暴力を目の当たりにして、泣いていたのに。
今では、穏やかな空気さえ漂っていた。
朋也「と、つつ…」
澪「あ、ごめんなさい」
朋也「ああ、大丈夫。気にすんな」
俺も春原同様、治療を受けていた。
律「澪、おまえ、血苦手なのに、よくやんなぁ」
澪「消去法で、私しか残らなかったんだから、しょうがないだろ」
そうなのだ。
最初、平沢と憂ちゃんがやりたがってくれていたのだが、中野によって却下された。
その中野自身はやってもいいと言っていたが、悪意を感じたので遠慮しておいた。
部長と真鍋は不器用だと自己申告していたし…
それで、最後に残ったのが秋山だったのだ。
朋也「苦手なら、自分でやるけど」
澪「で、でも、背中とか、わからないでしょうし…私がやりますよ」
朋也「そっか…じゃあ、よろしく」
言って、上着を脱ぐ。
澪「って、ええ!?」
朋也「ん? なんだよ」
澪「なな、なんで脱いで…」
朋也「だから、背中やってくれるんだろ」
澪「そそ、そうですけど…」
朋也「じゃ、よろしく。おわったら、自分でやるから」
背を向ける。
澪「うう…」
律「きゃぁ、澪がたくましい男の背中に見ほれてるぅ」
澪「ううう、うるさいっ!」
朋也「ぐぁ…」
部長の煽りで力が入ったのか、傷口に痛みが走った。
澪「あ、ご、ごめんなさい…」
律「澪~、ダーリンを傷つけちゃダメだぞぉ」
澪「だだだ、ダーリンって…」
朋也「うぐぁ…」
澪「あ、また…ご、ごめんなさい」
朋也「部長…マジでしばらく黙っててくれ…」
律「きゃはっ! ごめんねっ、てへっ!」
こつん、と頭にセルフツッコミを入れた。
朋也(ったく…)
―――――――――――――――――――――
紬「はい、これでよし」
春原に最後の絆創膏を貼り終える。
春原「ありがと、ムギちゃん」
律「おまえ、それくらいは自分でやれよな…」
春原「せっかくムギちゃんが全部やってくれるっていうんだからね」
春原「のっかっておかなきゃ、未練なく成仏できねぇよ」
律「地縛霊みたいな奴だな…」
春原「それくらい僕の愛は深いってことさ。ね、ムギちゃん?」
紬「あら? この異様に盛り上がってる部分の床はなにかしら」
春原「って、余計な詮索しちゃだめだよっ!」
律「ああ…エロ本か」
澪「……うぅ」
春原「ちがわいっ!」
朋也「そのエリアはかなりディープなのが隠されてるぞ」
春原「エリアとか、妙にリアリティのある嘘つくなっ!」
春原「ムギちゃんも、剥がそうとしないでね…」
紬「あ、ごめんなさい。好奇心が抑えられなくて…」
春原「はは…まぁ、ただの欠陥住宅だったんだよ、ここ」
朋也「住んでる奴の気が知れねぇよな」
春原「住人の目の前で言うなっ!」
律「わははは!」
部長が笑う。
平沢も、憂ちゃんも、琴吹も、真鍋も、秋山も、中野も…みんな笑っていた。
俺も、つられてちょっとだけ笑ってしまう。
ツッコミを入れた春原自身も、苦笑していた。
春原「ああ…そうだ」
春原「ところでさ、平沢」
唯「ん? なに?」
春原「僕がサッカー辞めた理由、知ってたみたいだけどさ…」
春原「こいつから聞いたの?」
唯「えっと…うん…」
唯「私が、しつこく軽音部にきてくれるように言ってたら…教えてくれたんだ」
唯「ごめんね…知ってて、サッカーしようって、誘ったんだ、私…」
春原「いや…いいよ。それなりに楽しかったしね」
春原「………」
春原「まぁ、これから言うことは、適当に聞き流してくれていいんだけどさ…」
みんなが春原に注目する。
春原「あのさ…」
窓の外、暗くなった外を見上げながら、春原はぽつりと語りだす。
春原「僕、とんでもねぇ学校に入っちまったと思ってた」
春原「ガリ勉強野郎ばっかりでよ…」
春原「部活でも、みんな先のことしか考えてねぇんだ」
春原「絶対、友達なんか作らねぇって思ってた」
春原「意地張ってたのかな、やっぱり」
春原「でもさ…そうすると…」
春原「僕の心が保たなくなってたような気がする…」
朋也「………」
それは、俺も同じだった。
同じように考えて…同じように苦しんでいた。
春原「中学の頃の連れは、みんな中卒で働いてたしさ…」
春原「そいつらの元にいきたいって思うようになったんだ」
春原「サッカー部の連中に苛立ってたのが、半分で…そんな思いが半分で…」
春原「それで、やらかしちゃったんだ」
春原「他校の生徒相手に大暴れしてさ…」
春原「退部になれば、自主退学に追い込まれて、実家に帰れるって思ってた」
春原「おまえ、覚えてるか?」
春原「初めてあったときのこと」
朋也「…ああ」
脳裏にふと思い浮かぶ。
鮮明で、鮮烈に記憶されている光景だった。
春原「おまえに会ったのは、その時だよ」
春原「あん時、おまえは幸村のジジィと一緒だった」
春原「生活指導を受けて、ジジィが担任だったから、引き取りに来てたんだよな」
朋也「だったな…」
春原「それでさ…」
春原「おまえさ、ボコボコに顔を腫らした僕を見てさ…どうしたか、憶えてるか?」
朋也「…ああ」
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―――――――――――――――――――――
春原「…大笑いしたんだよな、おまえ」
春原「涙流しながら、笑ってたよ」
春原「すげぇ不思議だった」
春原「なんでこいつ、こんなにおかしそうな顔して笑ってるんだろうってな…」
春原「そう考えてたら、僕までおかしくなってきた」
春原「我慢しようとしたけど、ダメだった」
春原「僕も、笑っちゃったよ」
春原「この学校に来てから、あんなに笑ったのは、初めてだった」
春原「すげー気持ちよかった」
朋也「そう…だったな」
あの時の情景。
思い出してみると、自然と笑みがこぼれた。
春原「あの後、ジジィに連れられて、宿直室いったら、さわちゃんいてさ…」
春原「そこで用意してくれてた茶飲んで…おまえと話したんだよな」
春原「今なら、なんとなくわかるよ」
春原「全部、あのジジィとさわちゃんが仕組んでたんだぜ」
春原「僕とおまえを引き合わせてさ…」
春原「ふたりを卒業させるって」
春原「きっと、一人じゃ辞めてしまうって、気づいてたんだよ」
春原「いつか、訊いてみないとな」
春原「どうして、僕たちをこの学校に残したのかって」
朋也「だな…」
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―――――――――――――――――――――
春原「ま、後はもう一年だけどさ」
春原「またよろしくってことで」
朋也「ああ」
平沢たちは、しんみりとした表情で、じっと春原の話に聞き入っていた。
こんなに人がいるにも関わらず、静かな室内。
俺たちだけの言葉だけが響いていて、それがどこか心地よかった。
春原「つーか、腹減ったなぁ…どっか食い行くか、岡崎」
朋也「そうだな、いくか」
春原「おまえら、どうする。ついてくる?」
律「ん…なんか、今日は外食って気分だし…私はいいけど」
唯「私もいく! 憂も、くるよね?」
憂「うん、もちろんっ」
澪「私も、行きたいな…」
紬「私も。みんなで晩御飯なんて、楽しそう」
梓「じゃあ…私も」
和「ここまで付き合ったんだし、私も最後までいくわ」
春原「よぅし、全員か。じゃ、僕について来い」
律「どこいくんだよ」
春原「全皿100円の回転寿司だよ。知らねぇのか、スシロゥ」
律「知ってるけどさぁ…貧乏臭ぇなぁ…回転しない高級店でも連れてけよなぁ」
春原「なにいってんだ、ボケ。その場で自転するシャリでも食ってろ」
律「なんだと、こらっ!」
軽口を叩きあいながら、部屋を出ていく。
俺たちも、その様子を目にしながら、あとに続いた。
―――――――――――――――――――――
…二年前。
俺は、廊下である奴とすれ違った。
金髪のヘンな奴だった。
その顔はもっとヘンで、見ただけで大笑いした。
この学校に来て、初めてだった。
ああ、まだまだ笑えたんだって思った。
それが無性にうれしかった。
小さな楽しみを見つけた。
こいつと一緒に馬鹿をやってみよう。
やってみたら、やっぱりすごく楽しかった。
また、大笑いできた。
それが楽しくて、嬉しくて…
なんども、俺たちは笑ったんだ。
そして今も俺たちは…
―――――――――――――――――――――
春原「おーい、いい加減ネタ回してくれよ」
律「しょうがねぇだろぉ、九人も横に並んでんだぜ」
春原「だから、ちょっとは気を遣えって言ってんだけど」
朋也「わかったよ、ほら、今リリースしてやる」
回転棚に皿を載せる。
朋也「みんな、手つけないでくれ」
春原「おおっ、さすが岡崎、いい親友っぷりだねっ」
春原の元に無事到着する、俺の放った皿。
春原「って、これ、ワサビしか乗ってないんですけどっ!」
朋也「頼んだぞ、リアクション芸人。いまいちな感じだと、業界干されちゃうぞ」
春原「素人だよっ!」
律「わははは!」
大将「お客さん、食べ物で遊ばれたら、困るんですけどねぇ…」
春原「ひぃっ」
強面の寿司職人に凄まれる春原。
朋也「完食して詫びろっ」
律「いーっき、いーっき!」
春原「無理だよっ」
大将「お客さぁん…」
春原「う…食べます、食べます…」
ぱく
ぎゃああああああああああぁぁぁぁ…
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春原と初めて出会った日。
あの日から、小さな楽しみを積み重ねて…
そして、今も俺たちは…
笑っている。
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