- 朋也「軽音部? うんたん?」1・ 2・ 3・ 4・ 5・ 6・ 7・ 8・ 9・ ラスト
18:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:09:27.88:1qYNd8dxO
4/24 土
試合当日。ついにこの日がやってきた。
向こうの話によれば、試合は放課後になってからすぐ行われるとのことだった。
昼食を摂ってからでは、バスケ部の練習に差し支えがあるらしい。
だが、試合時間自体は10分と短く、多少腹が減っていても問題なさそうだった。
春原「でも、ちょっと計算外だったよね」
春原「まさか、うちのバスケ部の、ほぼ全体を揃えてくるなんてさ」
朋也「ああ、そうだな」
つまり、その中には当然レギュラー陣も入っているわけで。
そいつらが出てくるなら、俺たちが勝てる可能性は限りなく低いだろう。
本当に、さわ子さんという保険があってよかった。つくづくそう思う。
春原「ま、僕たちが勝つことに変わりはないけどさ」
朋也「そうなりゃいいけどな」
春原「へっ、なるさ」
―――――――――――――――――――――
放課後。
メンバー全員で体育館に集まる。憂ちゃんも、少し遅れて駆けつけてくれた。
ふと、入り口から覗けた館内は、閑散として見えた。
広さに対して、居る人間の数が少ないからだ。
集まったのは、俺たちと、バスケ部、それと、ファンクラブの連中のみだった。
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19:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:10:35.76:cUBlBpOS0
他に体育館を使うクラブの姿はない。
この時間は本来、大多数の生徒にとって、昼休憩になっているはずだからだろう。
男子生徒「ああ、来た?」
体育館に足を踏み入れると、すぐにファンクラブの男がやってきた。
この試合の段取りを組んだ奴だ。
薄々思っていたが、やっぱり、こいつが現代表なんだろう。
春原「おう、来てやったぜ」
男子生徒「絶対あの約束は守れよ」
春原「わかってるっての。おまえらこそ、破んなよ」
男子生徒「そんなことしないよ。そこは安心してくれ」
自信たっぷりに言って、また仲間の輪に戻っていった。
律「マジで頼んだぞ、おまえら。あんなのに調子乗らせたくないからな」
春原「任せとけって」
キョン「やれるだけの全力は尽くすよ」
俺も口を開こうとした時、向こうから、ボールの跳ねる音がした。
見れば、相手のバスケ部がアップを始めていた。
定位置からシュートをする者、ドリブルをして、動きを確かめる者…様々だった。
…懐かしい風景。
俺もかつてはその中の一人だったのだ。
20:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:11:50.09:1qYNd8dxO
けど、今は…
俺は自分の体を見下ろす。
制服のままの格好。
こんな姿で、かつて情熱を燃やしていたバスケをやるなんて、皮肉だ。滑稽すぎる。
唯「…なんか、緊張してきた」
朋也「おまえがかよ。でも、今となっては、遊びの延長だぞ」
律「む、遊びとはなんだ、遊びとはっ! 真剣にやれっ!」
春原「そうだぞ。おまえ、奴らにバカ呼ばわりされたままで悔しくないのかよっ」
朋也「それはおまえだけだろ」
春原「僕がバカにされたら、おまえがバカにされたも同然なんだよっ」
春原「一人はみんなのために、みんなは一人のためにだっ」
こいつの背負う業が重過ぎて、輪に入れられた俺が一方的に損していた。
唯「でも、バスケ部の人たちと試合するんだから、それはやっぱりすごいことなんだよね」
唯「ほら、みんなすごく上手だし」
聞かれていたら、怒られそうなことを言う。
唯「こうやって毎日練習してるんだよね」
梓「私たちも、あれくらい真面目にやりたいです…」
21:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:12:12.28:cUBlBpOS0
澪「わかるぞ、その気持ち」
唯「まぁまぁ、今はそれは置いといて…」
手でどけるようなジェスチャーを入れる。
唯「そんな人たちと、集まったばっかりの私たちが戦うんだよ」
唯「今まで違う道を歩いてきた、私たちがね」
唯「もし勝てたとしたら…」
唯「この短い時間の中で、バスケ部の人たちよりも固い絆で結ばれたってことだよね」
唯「だとしたら、すごいことだよ」
唯「いつもは、まったりしてる私たち軽音部…時々、そのことで怒られちゃうこともあるよね」
唯「それと…不器用に、皆から離れていっちゃった、岡崎くんと春原くん」
唯「そのふたりと、今は仲良しだけど、出会う前は接点がまったくなかった、キョンくん」
唯「こんなにも、ばらばらで…みんなが一緒に、ひとつの目標に向かってるわけでもなくて…」
唯「もしかしたら、話すことさえなかったかもしれない私たちだけど…」
唯「それでも、力を合わせれば、頑張ってる人たちとだって、同じことが出来るってことだよね」
唯「普段は、ちょっと真剣さが足りない私たちでも、ね」
22:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:13:25.37:1qYNd8dxO
朋也「ああ…そうだな」
平沢の言いたいことはよくわかる。
俺も、春原もそんなふうに生きてきたから。
キョンの奴だって、きっと似たような感情を持ったことがあるはずだ。
所属している部のことを聞くたび、俺たちに近かったことがわかっていったから。
けど…現実はそんなに甘くない。
気持ちだけでは超えられない壁も、確かにあるのだ。
バスケ部員「話は聞いてるけど…おまえらが相手?」
ひとりのバスケ部員がやってくる。
春原「ああ、そうだよ」
バスケ部員「俺たち、もう始めたいんだけど」
春原「準備運動するから、ちょっと待っててくれよ」
バスケ部員「早くしろよ。さっさと終わらせて、飯にしたいんだからな」
機嫌悪く言い放ち、戻っていく。
春原「ちっ、感じ悪ぃな…」
朋也「昼飯前に駆り出されてんだ、気が立ってるんだろ」
屈伸しながら言う。
春原「だからってさぁ…言い方ってもんがあるだろ」
23:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:13:45.81:cUBlBpOS0
キョン「試合でその鬱憤を晴らすってのはどうだ?」
腕を伸ばしながら、ついでのように助言する。
春原「ま…そうだね」
春原も、手首、足首とひねりを加えてほぐしていた。
三人とも、好きなように柔軟をしている。
決まった順序なんかない。全員で同じ動きを強要することもない。
そんな無秩序さが、実に俺たちらしかった。
ひいては、軽音部の連中を含めた、このチーム全体の有りようを表しているようだった。
朋也「いくか」
キョン「おう」
春原「うしっ」
気合十分でコートに踏み入っていく。
向こうは、すでに三人揃っていた。
軽く体を動かしたりしている。
バスケ部員「ハーフコートじゃなくて、全面使うからな」
審判を務めるらしい部員が、ボールを持ったままそう伝えてきた。
朋也「ああ、わかった」
バスケ部員「ジャンプボールだ。そっちは誰がやるんだ」
24:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:15:07.85:1qYNd8dxO
朋也「キョン、頼む」
キョン「俺か?」
朋也「ああ。俺は無理だし、春原は背が低い。おまえが適任だ」
キョン「そうか。わかった」
センターサークルの中に両者陣取る。
そして、ボールが高く放られた。
キョン「岡崎っ」
最高到達点に達したところで、キョンがボールを叩き落とした。
俺の前に落ちてくる。
すぐさま拾い、そのままドリブルで切り込んでいく。
俺のマークはスピードで振り切ることができた。
だが、相手も一人ディフェンスに戻っていて、ゴール前で膠着する。
春原の姿を探す。反対サイドから走りこんでいるのが見えた。
それも、フリーで。
俺は一度ドリブルで突破するような素振りを見せ、パスを出した。
春原が受け取る。
春原「庶民シューっ!」
二、三歩ほどドリブルで距離をつめ、レイアップを決めていた。
キョン「ナイッシュ」
律「いいぞぉーっ、春原ぁ!」
26:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:15:36.36:cUBlBpOS0
唯「すごぉい、春原くんっ」
憂「春原さん、かっこいいですっ」
紬「ナイスシュートっ」
澪「先取点だよっ」
春原「へへ…」
にやついた表情を浮かべる春原。
その横から、ボールを持った敵がドリブルで抜き去っていった。
春原「あ、やべ…」
朋也「余所見すんなっ、この馬鹿っ」
律「死ねーっ、春原ーっ!」
唯「最悪だよぉ、もう」
春原「おまえら、てのひら返すの早すぎだろっ!」
紬「…はぁ…マジで、はぁ…」
春原「ムギちゃんまでっすかっ!? つーか、キャラまで変わってるしっ」
朋也「春原、いいから戻れっ」
春原「わかってるよっ」
27:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:17:17.00:1qYNd8dxO
3対2の状況も、春原が戻ったことで、やっとイーブンに戻った。
敵全員に俺たちのマークがつく。
キョン「っと…」
キョンがパスカット。
すぐに走り出す俺と春原。
カウンターの速攻だ。
キョン「いくぞっ」
キョンは一度春原の方を向いてフェイントを入れ、俺にロングパスを出した。
相手のコート、ツーポイントエリアで拾う。
俺がいるのは左サイド。
ここからレイアップに持っていきたいが、マークがしつこい。
春原もマンツーマンでつかれていた。
仮に今、俺についたこのディフェンスを突破できても、すぐにヘルプがくるだろう。
それくらいゴールに近い位置での攻防だった。
だがこれは、チャンスでもある。ヘルプが来たら、春原がフリーになるのだ。
そこで上手くパスを回せればいいが…
ここまで走ってきた疲労もあって、体がいうことを聞いてくれるかどうか自信が持てない。
朋也(キョンは…)
敵に背を向けて確認すると、自陣から上がってきているのが見えた。
ドリブルでキープしたまま、3対3の状況になるのを待つ。
これで、少し息も整えることができるだろう。
朋也(よし…)
29:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:17:58.36:cUBlBpOS0
その時が来て、まず一人、俺のマークをドリブルで抜き去った。
案の定、すぐにヘルプが来る。
俺は近くにいた春原にパスを出した。
が、今度はキョンについていたマークが春原をチェックしに来た。
必然的に、キョンはフリーになる。
春原「おし、キョン、いけっ」
春原がワンバンさせてパスを回す。
キョンはそれをしっかりと胸で受け取った。
スリーポイントラインの、外側で。
その位置から、ゴールに向けてボールを放つ。
綺麗な放物線を描き、ゴールに吸い込まれていった。
得点表がめくられる。
3点だ。
春原「うっしゃっ、ナイッシュゥ、キョンっ」
朋也「ナイッシュ。押してるぞ、俺たち」
キョン「おう」
ハイタッチを交わす三人。
律「うおー、すげーっ!」
唯「あんな遠い所からだからかな、3点も入ってたよっ」
憂「お姉ちゃん、スリーポイントっていうのがあるんだよ」
30:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:19:47.43:1qYNd8dxO
唯「え? そうなの? すごいシステムだねっ」
外野からは、のんきなやり取りが聞えてきていた。
バスケ部員「………」
対照的に、コート内はそう穏やかじゃなかった。
今のプレイで、部員たちの目の色が変わっていた。
おそらく、今まではキョンの動きを見て、素人に近いと踏んでいたんだろう。
だから、スリーポイントなんか、端から警戒していなかったのだ。
実際、キョンは、ドリブルやパスはそこまで上手くない。
だが、シュートには素質が感じられた。練習も、シュートを重点的にやっていた。
その成果が、今のスリーポイントだ。
プレッシャーのかかっていないドフリーからのシュートとはいえ、上出来だった。
しかし、これからはシュートもあると、相手も警戒してくるだろう。
まぁ、それを逆手に取ることも、もちろんできるのだが。
朋也(奇襲はもうやれないか…)
朋也(ま、なんとかなるか…)
朋也(こいつら、レギュラーってわけでもなさそうだしな…)
俺の予想はおそらく当たっているはずだ。
ここまでの試合運びが、楽にいきすぎている。
それは、あの二人も肌で感じていることだろう。
出し惜しみしているのか知らないが、このままいけば十分勝機はある。
朋也(よし…いくか)
32:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:20:47.46:cUBlBpOS0
その後も、パス回しからの連携や、春原の個人技、キョンのシュートなどで得点を重ねていった。
俺も、左からのレイアップのみだったが、なんとか得点に貢献できていた。
こっちもそれなりに失点していたが、まだまだ優勢だ。
バスケ部員「メンバーチェンジ!」
ボールがコート外に出たとき、タイムを入れて、そう宣言された。
選手が総入れ替えになる。身長が軒並み上がっていた。
ガタイも、ずいぶんとよくなっている。
春原「おいおい、あいつらってさ、やっぱ…」
キョン「だろうな…」
朋也「ああ…レギュラー陣だ」
春原「ちっ、ここにきてか」
キョン「後半分だ。やれないことはないさ」
春原「へっ、そうだね…」
しかし、そう楽観的にもみていられない。
あっちはスタミナが満タンな上に、技量も体格も上だ。
対して、こっちは消耗が激しく、素人が二人に、肩が壊れている男が一人。
ここまではなんとかやってこれたが、この後どこまでやれるか…。
朋也(とにかく、今はこっちボールだ)
朋也(攻めていくか…)
33:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:22:03.53:1qYNd8dxO
思いとは裏腹に、ボールをコートに戻すことさえそう簡単にさせてもらえない。
俊敏な動きでぴったりとつかれていた。
俺は苦し紛れにボールを投げ放ったが、すぐにカットされてしまった。
そのままの勢いで、一気に押し込まれ、得点を許してしまっていた。
朋也「わりぃ…」
キョン「いや、しょうがないさ。ああも、くっつかれちゃな…」
春原「まだ2点返されたただけじゃん。余裕だって」
朋也「すまん…」
キョン「謝らなくていい。いくぞ」
ぱんっと肩を叩かれる。
春原「おまえが謝るとか、らしくねぇっての」
朋也「ああ…そうだな」
再び気を奮い立たせる。
俺も、春原も、キョンも、必死になって食らいついていった。
朋也(くそ、俺に左からのレイアップしかないことがわかってやがる…)
相手には、俺たちの攻撃パターンも、ほぼ読まれていた。
それでも、レギュラー陣相手に、同等以上の戦いを演じて見せた。
だが、それも、終盤に差し掛かってから、かげりが見え始める。
34:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:22:24.35:cUBlBpOS0
春原「あ…ぐっ…はぁ…はぁ…」
キョン「はぁー…はぁ、っく…はぁ…」
二人の体力が底をつき始めていた。
それは、俺にしても同じことだったが…。
朋也「大丈夫か?」
春原「ああ、余裕すぎて、なんか眠いよ」
朋也「それ、死にかけてるからな」
朋也「キョンは?」
キョン「ああ…まだ、いけるぞ」
朋也「そうか…」
とてもそうは見えない。
肩で息をしていた。
強がりだということが、すぐにわかる。
朋也「残り30秒で、こっちボールだ。もう、このワンプレイで終わるぞ」
得点差は一点のみ。
俺たちが負けていた。
春原「泣いても笑っても、最後ってわけね…」
35:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:23:44.26:1qYNd8dxO
キョン「どうする? もう、パターンだいぶ読まれてるぞ…」
バスケ部員「おまえら、早く始めろよっ!」
怒声が届く。
朋也「ああ、すぐ始める」
そう冷静に返した。
朋也「いいか、ふたりとも」
俺は二人を抱き寄せて、最後の指示を出す。
キョン「了解」
春原「うまくいくといいけどねぇ」
コートに散る。
最初のパスでカットされればそれでゲームオーバー。
相手もそれがわかっているから、今まで以上に必死のディフェンスだ。
ぐるぐるとめまぐるしく変わる陣形…。
俺はボールを投げ入れた。
キョンの手に渡る。
不意に取られないよう、囲まれる前に俺に戻した。
ドリブルで中央に割って入る。
相手は意表を突かれた形になった。
俺は今まで左サイドからしかゴール下に入ることはなかったからだ。
一、二…
レイアップ! …の振りだけしてみせる。
36:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:24:14.59:cUBlBpOS0
思惑通り、目の前に影がよぎった。
俺は胸の前でボールを左手に移した。
そして、背後にいるのが春原だと信じてボールを浮かせる。
春原「よし、きたぁぁっ!」
春原の声。
振り返ると、ボールを両手に掴んだ春原が着地したところだった。
それに、春原についていたディフェンスが覆い被さる。
フェイントで振った後、ボールを床に打ちつけた。
高くバウンドしたボール。
助走と共に拾っていたのはキョン。
自分についたディフェンスを振り切って、そして…
ゴールとは反対方向にボールを投げていた。
ゴール正面のフリースローポイント。
そこで俺はボールを受け取っていた。
すべてのディフェンスを振り切って。
コートに立つ全員が俺を振り返っていた。
相手の、唖然とした顔が滑稽だった。
37:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:24:46.08:cUBlBpOS0
唯「岡崎くん、シュートだよっ」
平沢の声だけが、一際大きく聞えた気がした。
ああ…了解。
俺は上がらない肩もお構いなしに打った。
バスケ経験者とはほど遠い、不恰好な姿勢で。
それがすべてを象徴していた。
不恰好に暮らしてきた俺たち。
そんな奴らでも、辿り着くことができる。
道は違っても… 同じ高みに。
ぱすっ、と音がして、ネットが揺れていた。
一瞬の静けさ…
直後、割れんばかりの大歓声が起きた。
春原「よくやった、岡崎!」
キョン「岡崎ぃ、すごいじゃないかっ!」
律「やるじゃん、岡崎っ」
38:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:26:08.11:1qYNd8dxO
唯「岡崎くん、MVP賞受賞だよっ!」
憂「岡崎さんっ」
澪「岡崎くん…すごいよっ、ほんとに…」
紬「やったね、逆転よっ」
梓「まぁ…認めます。おめでとうございます」
みんなが駆け寄ってくる。
澪「みんな…すごいよ」
澪「唯が言ってた通り…力を合わせれば、こんなこともできるんだって…」
澪「わだし…ぐす…感動だよ…」
朋也「泣くな。これくらいのことで」
春原「そうそう。当然のこと」
キョン「ははっ、だな」
しばし、みんなで喜びを分かち合う。
俺たちとやりあっていたバスケ部員たちは、仲間に非難され始めていた。
そいつらも、手でバツを作ったり、首を横に振ったりして、抵抗を示しているようだった。
だが、そんな中にも、俺たちに拍手を送ってくれる奴らもいた。
本気で戦っていたことを、本物たちに認められたようで、それが少しうれしかった。
39:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:26:26.97:cUBlBpOS0
朋也「じゃあ、本題に移るか」
朋也「おい、つっ立ってないで、こっちこい」
ファンクラブの男を呼びつける。
しぶりながらもやってきた。
朋也「これで、文句ねぇだろ」
男子生徒「…文句っていうかさ…澪ちゃんは別に迷惑してなかったからいいだろ」
澪「え…」
男子生徒「そうだったじゃん。そんな嫌でもなかったんでしょ?」
春原「てめぇな、このごに及んで、なに言って…」
朋也「春原…」
手で制す。
春原「あん? なんだよ」
朋也「いいから、ちょっと黙ってろ」
春原「なんなんだよ…」
朋也「秋山、おまえはどうなんだ」
途中で止められ、怒りのやり場を失った春原をよそに、秋山にそう訊いた。
40:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:27:36.85:1qYNd8dxO
澪「そ、それは…」
朋也「嫌だったんだろ。はっきり言ってやれ」
澪「………」
男子生徒「おまえが言わそうとしてるだけだろどうみても。馬鹿か」
朋也「正直に言え。なにを言ったって、俺たちがついてるから」
俺は男の暴言に言い返すことはしなかった。
じっと、秋山の答えを待った。
澪「……です…」
男子生徒「え?」
澪「嫌です。もう、私に…」
澪「私に…」
澪「………」
澪「軽音部のみんなに、近づかないで」
最後には顔を上げ、しっかりと相手の目を見据え、はっきりと言った。
男子生徒「………」
男子生徒「ビッチすぎだろ…」
41:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:27:59.81:cUBlBpOS0
捨て台詞を吐き、残していた仲間と共に体育館から出ていく。
春原「ったく、拒否られたからって、最後に変なこと言っていきやがってよ」
朋也「あんな奴の言うことなんて、気にするな」
澪「う、うん…」
春原「今度見かけたら、ぶっ飛ばしといてやるよ」
澪「そ、それはダメだよ」
春原「遠慮すんなって」
澪「気持ちだけ、受け取っておくよ。ありがとう」
春原「…ま、いいけどね」
キョン「おまえは喧嘩したかっただけだろ」
春原「ちがわい」
律「いやぁ、でも、驚いたわ。あの澪が、あんなはっきり断り入れるなんてな」
律「幼馴染のあたしでも、今までみたことなかったのにさ」
澪「岡崎くんが、背を押してくれたから…」
俺を一瞬だけ見て、顔を伏せる。
俺も、あんな恥ずかしいセリフを吐いてしまった手前、なにか気恥ずかしかった。
42:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:29:13.30:1qYNd8dxO
勝って気分がよくなっていたとはいえ…猛省。
春原「おお? なに、いい雰囲気?」
律「初々しいねぇ、おふたりさん」
澪「え? ちちち、ちが…」
律「こぉのフラグ立て夫がぁ。略して立て夫がぁ」
俺を肘でつついてくる。
朋也「なにが立て夫だ…っ、あでででっ」
何者かに太ももをつねられる。
梓「………」
何食わぬ顔で中野が横に立っていた。
朋也「って、やっぱおまえかっ! なにすんだ、こらっ」
梓「すみません、ぎょう虫がいたもので、つい」
そんなのケツにしかいない。
律「あ~、立て夫が澪に優しくするもんだから…」
唯「ほらぁ、唯が元気なくしちゃってるじゃん」
44:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:29:34.10:cUBlBpOS0
唯「そ、そんなことないよぉ…ないよ…」
紬「ふふ、唯ちゃん可愛い」
憂「お姉ちゃん頑張ってっ」
唯「え、ええ? なんのことか、わかんないっ」
律「はは、まぁいいや。とにかく、祝勝会だっ」
律「部室行くぞぉ」
がし、っと秋山の肩に手を回した。
澪「あ、こら律、歩きにくいっ」
律「細かいことは気にすんなっ」
―――――――――――――――――――――
キョン「じゃ、俺はここで」
体育館から直接旧校舎の一階までやってくると、そう言った。
朋也「おまえ、こないのか」
キョン「ああ、バスケ終わるまでって、言ってあるからな」
春原「いいじゃん、ちょっとくらい」
45:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:31:41.77:1qYNd8dxO
キョン「そのちょっとが許されてたら、苦労してないんだけどな」
朋也「なんか、大変そうだな、おまえも」
あの日、文芸部室から出てきた時のこいつの顔を思い出す。
眉間にしわを寄せ、難しそうな顔をしていた。
いろいと複雑な環境なんだろう、きっと。
キョン「ああ、まぁな。でも…」
言いかけて、やめる。
キョン「…いや、なんでもない」
キョン「それじゃ」
唯「キョンくん、いつでも軽音部に遊びに来てね」
キョン「ありがたいけど…多分、顔を出すことはないと思う」
キョン「俺の居場所は、なんだかんだいって、あそこだからな」
親指で文芸部室をさす。
唯「そっか…そうなんだね」
キョン「ああ」
朋也「悪かったな、なにも見返りがなくて」
46:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:31:58.48:cUBlBpOS0
キョン「あったさ。久しぶりにおまえらとつるんで馬鹿やれたっていうな」
春原「うれしいこと言ってくれるじゃん」
朋也「ちょっと臭いけどな」
キョン「はは、最後までキツいな、岡崎は」
キョン「まぁ、それが、らしくていいよ。それじゃな。また機会があれば」
朋也「ああ、またな」
春原「じゃあね」
唯「ありがとう、キョンくん」
律「おつかれさん」
紬「ありがとう。おつかれさま」
澪「ありがとう、一緒に頑張ってくれて」
梓「ありがとうございました」
憂「おつかれさまでした」
俺たちの言葉を聞き終えると、部室に入っていった。
ドア越しに、また女と言い争うような声が聞えてくる。
だが、その声色に怒気は含まれていなかった。
どころか、生き生きとしているような印象さえ受けた。
48:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:33:23.83:1qYNd8dxO
俺も詳しくは知らないが、それだけでわかった。
あそこが、あいつの収まるべき場所なんだろう、と。
―――――――――――――――――――――
律「かんぱ~い」
唯「いぇい、かんぱ~い」
中央にティーカップを寄せ集め、チンッ、と軽く触れ合わせた。
律「しっかし、本業のバスケ部相手に…」
唯「えいっ」
パンッ!
律「っいっつ…って、なぁにすんだよ、唯っ」
唯「このクラッカー、試合中に使おうと思ってたんだけど、使い時がわからなくて…」
まだ持っていたのか…。
唯「それで、今使ってみました」
律「今もタイミングずれてるってのっ! 私のトークが始まろうとしてただろがっ」
律「しかも、こんな近くで放ちやがって…」
唯「えへへ、ごめんね。みんなの分もあるよ?」
52:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:35:24.02:1qYNd8dxO
律「反省の色がみえねぇ~…」
唯「やろうよ、みんなでさ、おめでと~って」
律「はいはい…」
全員に配り終える。
唯「それじゃ、改めて…」
唯「おめでとぉ~」
パンッ パンッ パンッ
次々に祝砲が上がる。
パンッ!
朋也「うぉっ…」
俺の横からクラッカーの紙ふぶきが飛んでくる。
腕を上げてガードしたのは、モロに食らってからだった。
梓「ちっ、火力が足りなかったか…」
一人だけ武器として扱っている奴がいた。
憂「梓ちゃん、人に向けて打ったらだめだよ」
梓「だって…自然と発射口が岡崎先輩を向くんだもん」
53:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:35:46.79:cUBlBpOS0
憂「自動照準なんて機能、ついてないよ…」
春原「ははっ、なんか知らないけど、おまえ、ナメられてるよね」
朋也「目潰しっ!」
パンッ!
春原「ぎゃぁああああああ目がぁああ目がぁああああっ!!」
両目を押さえながらもんどり打つ。
春原「なにすんだよっ! つーか…なにすんだよっ!」
朋也「二回言うな」
春原「ちくしょう、僕が失明でもしたらどう…ヒック…ぅう…すんだよ」
しゃっくりが出始めていた。
春原「ヒック…あー、くそ、止まんね…ヒック…」
朋也「ヒックヒックうるせぇな。心臓の動き止めろよ」
春原「無茶言うなっ! ヒック…」
律「普段はこんな奴らなのになぁ。試合の時とは、ほんと別人だよ」
紬「ふふ、そうね。でも、やる時はやる、って感じでかっこいいと思うな」
54:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:37:03.41:1qYNd8dxO
春原「え? ほんとに? ヒック…」
春原がしゃっくりを交えながら目を輝かせて反応する。
春原「ムギちゃん、僕のこと、そんなにかっこいいと思う? ヒック…」
紬「うん、ちょっと耳障りかな、その心臓の痙攣」
春原「暗に勘違いするなって言ってますか、それ!?」
律「わははは!」
春原「うぅ…ショックでしゃっくり止まっちゃったよ…」
紬「じゃあ、あと一押し足りなかったかな…」
春原「息の根も止めるつもりだったんすかっ!?」
律「はは、おまえ、ムギに相手されてねぇんだって。諦めろよ」
春原「んなことねぇってのっ」
律「変なとこで根性あるなぁ、こいつは…」
がちゃり
さわ子「おいすー」
唯「あ、さわちゃんだ」
55:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:37:37.83:cUBlBpOS0
さわ子「あれ? なに、この散乱してる紙ふぶきは」
さわ子「パーティーの中盤戦みたいになってるじゃない」
歩を進めながら言って、空いている席に腰を下ろした。
すかさず琴吹がティーカップをそばに置く。
さわ子「ありがと、ムギちゃん」
紬「いえいえ」
再びもとの席におさまる琴吹。
唯「試合が終わったから、おつかれさま会してたんだよ」
さわ子「あら、もう試合してきたのね」
唯「うん。でね、相手はバスケ部の人たちだったんだけど、それでも勝てたんだよっ」
さわ子「へぇ、やるじゃない」
春原「まぁね。楽勝だったよ」
澪「ほんとに、すごかったんですよ」
澪「途中、逆転されても、みんな、諦めないで頑張って…」
澪「背だって、相手の方がずっと高くて、有利だったのに…」
澪「それでも、最後には勝つことができたんです」
56:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:38:46.78:1qYNd8dxO
澪「私、すごく感動しました…」
さわ子「ふぅん、このふたりにそんな男気があったとはねぇ…」
春原「僕はもともと男気の塊みたいなもんでしょ」
朋也「取れたら、嬉しいんだか、嬉しくなんだかで葛藤する、あの塊のことか」
春原「それ、ミミクソの塊だろっ! 僕、どんな奴だよっ!?」
律「わははは!」
さわ子「そういえば、キョンくんは、いないのね」
さわ子「あの子も試合に出たんでしょ? 誘ってあげなかったの?」
律「いや、自分の部活があるからって、来なかったんだよ」
さわ子「ああ、なるほどね。あのクラブに入ってたんだっけ、あの子は」
あの、を強調して言った。
この人は、あいつの部活のことを知っているんだろうか。
そんな口ぶりだった。
さわ子「でも、岡崎。あんた、肩…大丈夫だったの?」
朋也「ああ…まぁ、なんとかな」
律「え? なに、肩?」
57:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:39:09.86:cUBlBpOS0
さわ子「あら…てっきり、聞いてるのかと思ってたんだけど…」
俺を見て、ばつが悪そうに表情を硬くする。
俺が話す前に、自分が半ば打ち明けてしまったことを、悪く思っているんだろうか。
今更こいつらに知られたところで、もうしこりが残るようなことでもないのに。
朋也「俺、肩壊しててさ。右腕が、肩より上に上がらないんだよ」
だから、俺の口からそう告げていた。
さわ子「岡崎…」
朋也「いいよ、平沢にはもう話してるしな」
さわ子「…そう」
事情を知っている者以外は、みな驚きの表情を浮かべていた。
律「そうだったのか…だから、練習中もシュート打ってなかったんだな…」
朋也「ああ、まぁな」
律「じゃあ…逆転決めた、あんたの最後のシュートも、肩庇いながら…」
朋也「ああ。それでかなり無様な格好になっちまったけどな」
澪「そんなことないよっ、すごく格好良かったっ」
朋也「そっか…サンキュな」
58:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:40:21.17:1qYNd8dxO
澪「ううん、本当に、そう思ったから…慰めなんかじゃないから」
朋也「ああ…ありがとな」
澪「うん…」
さわ子「…あらあら? 岡崎にも、ようやく春が訪れたのかしら?」
朋也「あん?」
さわ子「あんた、あの、恋する乙女の眼差しに気づかないの?」
澪「せ、せせ先生、なに言ってるんですかっ…」
さわ子「でも、澪ちゃんが、あの岡崎になんて、意外だわ」
さわ子「ああっ、でもそういう意外性もまた、若さの特権よねぇ…」
しみじみという。
この人もまだそんなに歳食ってもいないだろうに。多分。
澪「ち、ちが…」
律「うわぁ、澪、顔真っ赤だなぁ」
澪「な、う、うるさいっ」
律「で、実際どうなんだよ」
澪「な、なにが…」
59:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:40:49.36:cUBlBpOS0
律「いや、だから、岡崎だよ。アリかナシか」
澪「そ、それは…」
律「ありゃ、即答しないな? ってことは…」
澪「深読みするなっ」
ぽかっ
律「あでっ」
律「殴って誤魔化すなよなぁ…」
澪「おまえがへんなこと言うからだっ」
律「ああはいはい、すいませんでしたねぇ…」
律「って、しまった、また唯の元気がなくなってるし」
唯「わ、私は元気だよ…いつも通りだよ…」
澪「ゆ、唯、違うんだ、私は別に…」
唯「な、なんで謝るのぉ、澪ちゃん。いいじゃん、岡崎くんと澪ちゃんのカップル」
唯「どっちも、美形ですっごく似合ってるよっ」
澪「ゆ、唯までそんな…」
61:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:42:02.23:1qYNd8dxO
律「はは、唯、強がんなって、このこのぉ」
首に腕を回し、ぐりぐりと平沢の頭に拳を当てた。
唯「本心だよぉ…もうやめてぇ~りっちゃんっ」
いじられ続ける平沢。
しかし…
女というのは、浮いた話に持っていくのが好きな生き物なんだろうか。
なにかあると、すぐに冷やかされている気がする…。
朋也(…ん?)
俺の横の席、中野が何か両の手でくるくる回していた。
そして、おもむろに俺の頬に触れてくる。
朋也「…っだぁっつっ」
その指先から、バチッ、とした痛みが走った。
朋也「なにしやがった、こらっ」
梓「静電気ですよ」
朋也「はぁ? 静電気?」
梓「この、『電気バチバチくん』を手の中でこねると、静電気がたまるんです」
鉄製の棒のようなものに触れながら説明してくれた。
62:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:42:49.30:cUBlBpOS0
朋也(あぶねぇ…なんてもん持ってんだ…)
朋也「つーか、今俺が攻撃された理由がわからん」
梓「流れが気に食わなかっただけです」
梓「モテ男みたいに扱われて、調子に乗られたら嫌ですから」
朋也「思ってねぇよ、んなこと…」
憂「あの、岡崎さん」
朋也「うん? なんだ、憂ちゃん」
憂「何か、困ったことがあったら、いつでも言ってきてくださいね」
憂「私、力になりたいです」
それは、俺の肩のことを気にかけていってくれてるんだろう。
朋也「ああ、大丈夫。こんな肩でも、そこそこ不自由しないからさ」
憂「そうですか…?」
朋也「ああ」
梓「憂、この人なら、頭が吹き飛んでても不自由しないから、ほっといてもいいよ」
俺のアイデンティティが粉々にされていた。
63:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:43:28.87:b4ZW6ocJ0
梓と朋也のやり取りが面白いwwwwwww
64:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:43:56.99:1qYNd8dxO
憂「梓ちゃん、ほんと厳しいよね、岡崎さんに…」
梓「憂が甘すぎるんだよ」
朋也(っとにこいつは…生意気な野郎だ)
勝利の宴は、日が暮れるまで続いていた。
―――――――――――――――――――――
春原「うげぇえっぷ…ふぅ」
律「きったねぇな馬鹿野郎、勝手にすっきりしてんじゃねぇよ」
春原「生理現象なんだから、しょうがないじゃん」
律「あんたが炭酸飲み過ぎなだけだろ」
春原「いや、おまえのデコみたら、誘発されたんだけど」
律「ぬぁんだとぉ、この白髪染め野郎っ!」
春原「脱色だってのっ! 白髪なんか一本もねぇよっ!」
律「嘘つけっ、白髪染め液のパッケージにおまえっぽいのいたもんっ」
春原「別人だろっ! 似て非なるものだよっ!」
春原「育毛剤のパッケージにおまえ本人がいるならわかるけどさっ」
65:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:44:33.75:cUBlBpOS0
律「い、育毛剤だと!? こぉの野郎…」
春原「ふん…やんのかい? お嬢ちゃん…」
律「きえぇえええええっ!」
春原「ほおぁあああああっ!」
何かの動物のような鳴き声と型を取って威嚇しあう。
毎回のことなので、もう誰も止めようとしなくなっていた。
澪「岡崎くん、今日はありがとね」
ふたりが生む喧騒の外、秋山が俺に礼の言葉をくれた。
朋也「いや、別に。結果的に勝てたし、俺もわりと気分よかったからな」
澪「あ、そのこともなんだけど、もうひとつ…」
朋也「ん?」
澪「えっと…あの時、私に、正直になれって、後押ししてくれたこと」
朋也「ああ…」
澪「岡崎くんのおかげで、私、自分の気持ちがそのまま言えたんだ」
澪「今まで、怖がって、仲のいい友達にしか本音を言えなかった私が、だよ」
朋也「そっか。じゃあ、すっきりしただろ」
66:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:45:41.63:1qYNd8dxO
澪「うん、ちょっとね」
言って、苦笑する。
朋也「これからは本音だけで喋れよ」
朋也「例えば、ブルドックを可愛いって言う人がいたとするだろ?」
朋也「そしたら、正面から前蹴り食らったような顔面だ、って言ってやるんだ」
澪「あはは、それは、難しいかなぁ」
朋也「簡単だって」
澪「それは、岡崎くんだからだよ」
澪「岡崎くん、お世辞言いそうにないもんね」
朋也「ああ、臭いものは臭いって言うし、春原には馬鹿って言うぞ」
春原「聞えてるよっ!」
澪「あははっ」
―――――――――――――――――――――
各々が自分の帰路につき、俺と平沢姉妹だけが残った。
三人で今朝も歩いてきた道をいく。
唯「岡崎くん、澪ちゃんと仲良くなったよね」
67:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:46:04.73:cUBlBpOS0
朋也「そうか?」
唯「うん。だって、いっぱい喋ってたし…」
朋也「そんなでもないけど」
唯「でも、あの恥ずかしがり屋の澪ちゃんが、平気で話してるし…」
唯「それに、楽しそうに笑ってたし…」
朋也「単に慣れただけなんじゃないのか」
唯「そうなのかなぁ…」
朋也「そうだろ」
唯「う~ん…」
憂「岡崎さんって話しやすいですもんね」
憂「きっと、澪さんもそう思ったんじゃないかなぁ」
朋也「そんなこと言ってくれるのは憂ちゃんぐらいだよ」
言って、頭をなでる。
憂ちゃんも、笑顔で返してくれた。
唯「でもさぁ、岡崎くんもなんか楽しげだったよね」
唯「やっぱり、澪ちゃんみたいな美人さんとお喋りするのは楽しい?」
70:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:47:23.27:1qYNd8dxO
朋也「まぁ…そうだな」
容姿がよければ、大抵の男はそうだろうと思う。
唯「そうだよね…あはは…」
朋也「でも、俺の好みとしては、美人系よりかは、可愛らしい方がいいけどな」
唯「じゃあ…ムギちゃんとか?」
朋也「琴吹は、そうかもしれないけど、ちょっと大人っぽいしな」
朋也「だから、俺の中じゃ、きりっとしたイメージがあるんだよな」
唯「じゃあ、あずにゃんとか」
朋也「あいつはガキっぽすぎるっていうか…」
それ以前の問題な気がする。
朋也「まぁ、軽音部の中で言うなら…おまえが、一番近いよ」
71:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:47:44.78:cUBlBpOS0
唯「え…あう…わた、私…?」
朋也「ああ…まぁ、な…」
唯「それは…ご期待に添えられて、よかったです…」
朋也「いや…別になにも要求してないけどな…」
唯「そ、そうだったね…あははっ」
憂「岡崎さん、お姉ちゃんを末永くよろしくお願いしますね」
朋也「って、それ、どういう意味だ」
憂「さぁ? うふふ」
唯「う、憂っ、今日の晩御飯なに?」
憂「ん? 今日はねぇ、若鶏のグリルと…」
晩飯の話題で盛り上がる平沢姉妹。
俺はずっと横でそれを聞いていた。
いつしか俺は、こんな日々がずっと続いてくれればいいと…
そう、願うようになっていた。
―――――――――――――――――――――
72:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:48:20.44:cUBlBpOS0
4/25 日
朋也「ふぁ…ん」
早い時間、自然と目が覚める。
体に重さを覚えることもなく、寝直す気にもならない。
ここ数日、バスケの試合に向けて体調を管理していたおかげだろう。
まぁ、それも、単に体が疲れて早めに床についていただけの事だったが。
ともかく、生活サイクルが朝方に戻ってきたのは確かだった。
疲労とは、人の意思だけでは、どうにも抗い難いものだ。
休みたいという欲求が、平常時の思考を簡単に上回る。
まるで、本能のようにだ。
そのせいで、春原の部屋を出ていく時間が早まり、何度か親父と顔を合わせていた。
その瞬間はたまらなく嫌だったが、すぐに不快感は薄れ、意識はベッドへ向いていた。
俺のこだわっていた、つまらない意地なんて、現実的な負荷の前では無意味なものだ。
そういえば…前にも似たようなことを思ったことがある。
そう、芳野祐介の手伝いをした時だ。
朋也(とっとと中退して、働きでもしたら、やる気出るのかな…)
本当に出るだろうか…。
いや、とてもそうなるとは思えない。
まだ、何も考えずに授業を受けていたほうが楽な気がする。
食うために働き続ける…。
そんな歯車にはまってしまえば、自分が哀れに思えても、放棄することもできなくなってしまうのだろう。
考えただけでも、ぞっとする。
朋也(でも、もう後一年なんだよな…)
………。
74:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:49:38.60:1qYNd8dxO
やめだ。こんな重苦しいこと、朝っぱらから考えていたら、気分が滅入る。
朋也(いくか…)
重い気分を振り払うように、勢いをつけて体を起こした。
―――――――――――――――――――――
春原「ん…うひひ…」
朋也(まだ寝てやがる…)
春原の部屋。
ベッドの中で、幸せそうに寝息を立てていた。
こいつも、朝錬なんかしていたくらいだから、もう起きているだろうと見込んでいたのだが…。
春原「うひ…ひひ…」
どんな夢を見ているんだろう。
布団の端を掴んで、口の中でもごもごさせていた。
朋也(なにか他のものを入れてみよう)
俺は台所に向かった。
冷蔵庫を漁る。
いくつか適当に調味料を手に取って、また戻ってくる。
朋也(よし、まずはこれだ)
マヨネーズを口に近づけてみる。
75:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:50:05.78:cUBlBpOS0
春原「う…む…」
吸い出していた。
朋也(じゃあ、次は…)
コショウを近づける。
だが、さすがに非流動体では口で吸えないようだった。
朋也(だめか…ん?)
と思ったら、鼻の呼吸で吸い込み始めていた。
春原「ん…ぶはぁっ!」
荒々しく目覚める。
春原「げほっ…んだよ、マヨネーズ…?」
朋也「おはよう」
春原「うおっ、岡崎っ」
朋也「俺が来てやったんだから、もう起きろ」
春原「いや、まずどうやって入ってきたんだよ、鍵は…」
朋也「不用心にもかかってなかったぞ。しっかりしろよ」
朋也「まぁ、俺が昨日、閉めずに出たんだけどさ」
77:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:51:15.83:1qYNd8dxO
春原「なら、偉そうに注意促すなっ!」
朋也「んなマヨネーズみたいな感じで言われてもな…」
春原「僕の意思じゃねぇよ…起きたら、いきなりこんなんだったんだよ」
春原「昨日、無意識にマヨネーズで一杯やって寝ちゃったのかな…」
朋也「心配するな。そんな情けない宅飲みはしてないぞ」
朋也「俺が今、直接そそいでただけだからな。すっきり起きられるようにさ」
マヨネーズとコショウを手に持ってみせる。
春原「普通に起こせよっ! しかも、なんだよ、そんなに色々持ってきやがって…」
テーブルの上に置かれた様々な調味料に気づいたようだ。
春原「ワサビまであるしさ…」
朋也「おまえの体内で、全く新しい調味料を調合しようと思ったんだ」
春原「変な探究心燃やすなっ!」
―――――――――――――――――――――
春原「くそぅ、昼まで寝てようと思ってたのによ…」
着替えを済ませても、まだぶつぶつと文句を垂れ流していた。
79:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:51:56.23:cUBlBpOS0
朋也「せっかくの日曜なんだから、もっと有意義に過ごせよ」
春原「めちゃ脱力してうつ伏せになってるあんたに言われたくないんですけどっ」
朋也「ま、それはそれとしてだ…」
上体だけ起こす。
朋也「朝飯食いに行こうぜ。俺まだ食ってないし」
春原「いいけどさ。どこいくの」
朋也「朝定食があるとこ」
春原「じゃあ、近くにある適当な定食屋でいいよね」
朋也「この辺のはあんまり好きじゃないんだけど」
春原「なら、繁華街の方まで出る?」
朋也「遠い」
春原「マジでわがままっすね…」
朋也「やっぱ、宅配ピザ頼もうぜ」
朋也「それで、手がギトギトになって、部屋中油まみれにしよう」
春原「絶対外食にするからなっ!」
80:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:54:48.33:1qYNd8dxO
朋也「なんでも否定するな、おまえ。そんなに世の中に不満があるのか」
春原「あんたがめちゃくちゃなこと言うからでしょっ!」
春原「つーか、マジでどうすんの。そろそろ決めてよ」
朋也「そうだな、じゃあ、駅前に出るか」
朋也「琴吹がバイトしてるファストフードの店があるんだけど、そこにしよう」
春原「え!? ムギちゃん、バイトなんかしてんの?」
朋也「ああ、この前みかけたぞ。クーポンももらったしな」
春原「へぇ、偉いなぁ、お嬢様なのに。やっぱ、いい子だよ」
春原「うしっ、そうと決まれば、早くいこうぜっ」
朋也「そういきりたつなよ。俺の動く気が失せちゃうじゃん」
朋也「前日までテンション高かったのに、当日になって萎える感じでさ」
春原「あんた、面倒くさいぐらい繊細っすねっ!」
―――――――――――――――――――――
律「ありゃ、岡崎に春原じゃん」
駅前まで出てくると、偶然部長と鉢合わせた。
81:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:55:35.07:cUBlBpOS0
春原「げっ、部長」
律「なんだよ、その反応はっ」
律「こんな美少女に出会えたこと、神に感謝しろよっ」
春原「するかよ。むしろ、謝って欲しいぐらいだね」
春原「今からせっかくムギちゃんのバイト先に行こうってとこだったのにさ」
春原「はぁ…台無しだよ」
律「あん? なに、あんたらもあそこのハンバーガー食いに来てんの?」
春原「も…ってことは、おまえもかよ」
律「私はそうだけど…かぁ、なんだよ、目的地一緒なのか…」
春原「嫌なら、雀荘にでも入り浸ってろよ」
律「なんで雀荘なんだよっ! おまえがパチ屋にでも行ってろよっ!」
律「私の方が先に行くって決めてたんだからなっ!」
春原「いいや、僕だっ!」
律「私だっ!」
春原「………」
律「………」
82:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:56:41.75:1qYNd8dxO
だっ、と店まで駆けていくふたり。
朋也(そういう速さを競うのかよ…)
俺もその後を追う。
―――――――――――――――――――――
紬「いらっしゃいませ~…」
紬「あら…」
春原「いやぁ、いらしゃっちゃった」
律「割り込みすんなっ、アホっ」
春原「僕のが早かったってのっ!」
紬「あのぉ…」
春原「すみませんね、このデコがうるさくて」
律「なんだと、こらっ」
春原「あ、注文いいですか」
紬「はい。どうぞ」
春原「じゃあ…君の体を一晩…なんてね」
83:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:57:02.46:cUBlBpOS0
紬「ご注文は、廃棄ピクルスが一点、以上でよろしいですか?」
春原「死ねってことっすかっ!?」
律「ぶっ、うくくく…」
―――――――――――――――――――――
注文と会計を終え、テーブルにつく。
春原「ったく、なんでおまえが一緒に座ってんだよ」
律「しょうがねぇじゃん、他に席が空いてないんだからさ」
春原「他人の席に勝手に相席してウザがられてくればいいじゃん」
律「そんなの私のキャラじゃないしぃ」
律「おまえのが似合ってるぞ、普段からウザがられてるしな」
春原「あんだと?」
律「事実だろぉ?」
紬「お待たせしましたぁ」
琴吹が大きめの盆に注文の品を載せ、運んできてくれる。
またレジと代わってもらったんだろう。
春原「お、ムギちゃん直々に持ってきてくれるんだね」
85:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:58:24.65:1qYNd8dxO
律「センキュー、ムギ」
紬「これがお仕事だからねぇ。はい、どうぞ」
言って、テーブルに盆を置いた。
紬「今日は、三人で遊んでるの?」
律「違うよ、たまたま会っただけだって」
春原「そうそう。僕がわざわざこいつと遊ぶなんて、ありえないよ」
律「そりゃ、こっちのセリフだってのっ」
紬「まぁまぁ、ふたりとも。仲良くしなきゃ」
律「無・理」
紬「りっちゃん…もう、これからは部室でお菓子出せなくなるかも…」
律「え、なんでさ!? そんなことしたら軽音部じゃなくなるじゃん!」
それもどうかと思うが。
紬「だって…ふたりが喧嘩してるところをみるなんて、私、悲しくて…」
紬「そのショックで自我が保てなくなりそうなんだもの…」
律「んな、オーバーな…」
86:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 22:58:54.87:cUBlBpOS0
紬「だから、仲良くして?」
律「…わかったよ。でも、ちょっとだけだぞ」
紬「春原くんも、ね?」
春原「まぁ、ムギちゃんがそう言うなら、僕も少しぐらいは…」
紬「よかったぁ。それじゃ、握手しましょ」
春原と部長の手を取って、握らせる。
春原「………」
律「………」
紬「わぁ、ぱちぱちぱち~」
ひとりで拍手を送っていた。
紬「じゃあ、岡崎くん、このふたりをよろしくね」
朋也「ん、ああ…」
紬「では、ごゆっくり~」
最後は店員の職務に戻り、恭しく下がっていった。
朋也(よろしくったってなぁ…)
90:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:01:05.71:1qYNd8dxO
春原「……こっのっ…」
律「…くのっ…くのっ…」
握手から指相撲に移行していた。
朋也(どうしようもねぇだろ…)
―――――――――――――――――――――
春原「ムギちゃんが言うから、仕方なくちょっとだけ遊んでやるんだからな」
律「まんま私の事情だからな、それ」
差し当たって俺はこのふたりにゲーセンで遊ぶよう提案していた。
すると、どちらもゲーセン自体は好きだったようで、了承を得ることができていた。
春原「はっ、言ってろよ。でもな、馴れ合うつもりはないからな」
春原「男らしく、対戦できるゲームで勝負しろっ」
律「私は女だっつーのっ!」
最初からこんなんで、大丈夫だろうか…。
―――――――――――――――――――――
春原「うりゃりゃりゃっ!!」
律「ヴォルカニックヴァイパァーっ!!」
91:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:02:13.27:cUBlBpOS0
最初に選んだのは、オーソドックスに格闘ゲームだった。
画面の中で激しくコンボが交錯する。
俺はその様子を春原側の筐体から見ていた。
朋也(しっかし…)
同キャラ対戦だからなのかもしれないが、立ち回り方も大体似ているというか…
こいつら、やっぱり、ほんとは気が合うんじゃないだろうか。
春原「だぁ、くっそ…」
KOの文字がでかでかと表示されていた。
春原が負けたようだ。
春原「あっ、あの野郎…」
死体となった春原のキャラに、超必殺技が繰り出されていた。
春原「てめぇ、悪質だろっ!」
立ち上がり、向かい側にいる部長に噛み付く。
律「はーっはっは! 勝利者の特権だっ。悔しかったら勝つことだなっ」
向こうも筐体の上から顔を覗かせて、言い返してくる。
春原「ちきしょー、連コインだっ!」
律「オウ、きなさい、ボクチン」
92:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:03:21.66:1qYNd8dxO
結局、4連戦し、2勝2敗で引き分けていた。
―――――――――――――――――――――
春原「次はレースで勝負だっ」
律「のぞむところだっ!」
春原「岡崎、おまえも混じれよ」
朋也「ああ、いいけど」
―――――――――――――――――――――
運転席を模した筐体の中に乗り込み、硬貨を入れる。
コースと使用する車種を選ぶと、レースが始まった。
春原「うらぁああっ!」
律「あ、なぁにすんだよ!」
春原の車が一直線に部長車めがけて突っ込んでいった。
摩擦で煙を立てながら壁に押し付けられている。
律「くっそぉぉっ!」
アクセルを全開にして窮地を脱する部長の車。
今度は部長が春原のケツにつき、追突していた。
春原「てめぇっ!」
93:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:03:44.90:cUBlBpOS0
律「おりゃりゃっ!」
格闘ゲームのノリを引きずったまま、激突しあう。
俺が安全運転で一周してきても、まだ同じ場所で争っていた。
ふたりをその場に残し、周回を重ねるべく過ぎ去っていく俺。
春原「うわぁっ」
律「ひゃあっ」
朋也(なんだ?)
俺の画面に煙のグラフィックが立ち込めていた。
見れば、春原の車と部長の車が爆発して炎上していた。
朋也(なにやってんだよ…)
律「あーも、おまえがいっぱいぶつかるからぁ」
春原「おまえの車がもろいのが悪いんだよっ」
律「なにぃ?」
ゲーム内どころか、プレイヤー同士でも争いが起き始めていた。
その間もレースは進んでいく。
そして、常に安全運転を心がけていた俺が順当に1位を取っていた。
春原「あ、てめぇ、岡崎、ずりぃぞっ」
律「漁夫の利か、この野郎っ!」
94:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:04:52.13:cUBlBpOS0
言いがかりをつけ始められていた。
こんな時だけは結託する奴らだった。
―――――――――――――――――――――
朋也「なぁ、発想を変えて、協力プレイができるやつにしたらどうだ」
朋也「仲良くするっていうのが、一応の建前だろ」
春原「まぁ、そうだけどさ…」
律「協力かぁ…」
顔を見合わせる。
春原「はぁ…」
律「はぁ…」
同時にため息を吐いていた。
朋也「シューティングゲームでもやってみろよ」
朋也「ほら、あのテロリストを鎮圧する奴とかさ」
春原「…まぁいいけど」
―――――――――――――――――――――
春原「おまえ、けっこうやるじゃん」
96:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:06:08.55:1qYNd8dxO
律「へへっ、おまえもな」
やはり相性がいいのか、序盤は上手く連携し、なんなく突破していた。
このまま何事もなくいってくれればいいのだが…
春原「うわっ、なにすんだよっ」
律「あ、わり」
部長の放ったロケットランチャーの爆風に春原が巻き込まれていた。
春原「ちっ、今後は気ぃつけろよ」
律「感じ悪ぃなぁ…あんたが変な位置に居るのも悪いんだろ…」
フレンドリーファイアで少し空気が悪くなっていた。
お互い、単独プレイも目立ちだす。
律「あ、今のアイテム私が狙ってたのにぃ」
春原「早いもん勝ちだろ」
律「むむ……」
徐々に亀裂が大きくなっていく。
そんな時、事件は起きた。
律「あーっ、おまえ、私撃ったなっ!」
春原「わり、ミスった」
97:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:06:45.38:cUBlBpOS0
律「嘘つけ、アイテム欲しさに消そうとしたんだろっ」
律「殺られるまえに殺ってやるっ」
春原に向けてマシンガンを放つ部長。
画面が血で染まっていく。
春原「てめぇ、やりやがったなっ!」
春原も火炎放射やロケットランチャーで応戦していた。
ふたりとも、ボス戦に備えて温存しておいたであろう武器を躊躇なく使っていく。
ステージも破壊しつくされ、ボロボロになっている。
敵テロリストも真っ青の破壊活動だった。
―――――――――――――――――――――
律「やっぱ、協力はダメだな。勝負しなきゃ」
律「音ゲーで決着つけようぜ」
春原「ふん、のぞむところだ」
朋也「おまえに不利なんじゃないのか。相手は軽音部部長だぞ」
春原「関係ないね。僕の天性のセンスさえあれば」
朋也「あ、そ」
―――――――――――――――――――――
99:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:07:56.16:1qYNd8dxO
律「…ふぅ」
最後に一発、たんっ、と叩き終える。
部長が選んだのは、ドラム型の筐体だった。
その実力は、思わずプレイに見入ってしまう程のものだった。
この類のゲームをやったことのない素人の俺でも、だ。
恐ろしいスピードで迫ってくるシンボルをほぼ逃すことなく叩いていた。
あんなのに反応できるなんて、正直考えられない。
春原「…な、なかなかやるじゃん」
動揺を隠せていなかった。
GREAT!と表示された画面を見て固まっている。
律「次はあんたな。あたしより高得点出してみなよ」
春原「ふん、やってやるさ…」
硬貨を投入する。
そして、曲の選択が始まった。
どんどん下にスクロールしていく。
春原「ボンバヘッ入ってないとか、イカれてんな、これ…」
そんなのが入っているほうがおかしい。バグの領域だ。
春原「ま、いいや、これで」
選曲が終わり、ゲームが開始される。
ノリのいいヒップホップのリズムが流れてきた。
100:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:08:22.12:cUBlBpOS0
春原「YO! YO!」
MISS! MISS! MISS!
ガシャーンッ!
春原「…あ」
金網の閉じられるような音と共に、画面にはゲームオーバーの文字が躍る。
つでにブーイングも聞えてきた。
朋也(だせぇ…)
春原「なんだよこの機械っ! 僕のビートがわからないのかよっ!」
律「はっは、画面に八つ当たりするなよな」
春原「こんなポンコツで勝負しても意味ねぇってのっ」
春原「ボンバヘッも入ってないしよ…無効試合だっ!」
律「んとに、ガキだなぁ、おまえは…」
―――――――――――――――――――――
春原「だぁ、なにやってんだよ、ゼスホウカイっ!」
春原「おまえの単勝1点買いだったんだぞっ」
律「はは、馬鹿め、オッズに目が眩んだようだな」
101:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:09:33.64:1qYNd8dxO
律「3番人気なんて選ぶからそういうことになるんだよ」
次の勝負の場は、メダルを使った競馬ゲームだった。
律「複勝と合わせて多点買いしとけよなぁ」
春原「んなミミッチィことできるかよ。収支期待できねぇだろ」
律「マイナスよりマシじゃん」
春原「ふん、所詮、女にはわかんないか…」
春原「岡崎、おまえどうだった?」
朋也「キチクオウ→センゴクランスの馬単が的中だ」
春原「マジかよ!?」
律「ほぉ…」
春原「ちょっとめぐんでくんない?」
朋也「ああ? しょうがねぇな…」
―――――――――――――――――――――
ひとしきり遊んだ後、昼飯を食べに出た。
近場のファミレスに入り、腹を満たす。
春原「部長、おまえも女なら、もっとらしいもん頼めよな」
102:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:09:54.65:cUBlBpOS0
律「私ほどの美少女なら、なに食べてても絵になるのよ、おほほ」
部長が頼んだのは、分厚い肉料理だった。
そのうえに、ガーリックソースなんてゴツイものもかけていた。
春原「おい、岡崎、聞いたかよ」
春原「こいつ、すげぇナルシスト女だぜ」
律「おまえだって、メニュー言う時かっこつけてただろぉ」
律「通ぶって略しちゃってさ、まったく店員さんに通じてなかったじゃん」
律「どこのローカル呼称だよ、って顔してたぞ」
春原「発音がよすぎて、ネイティブにしか伝わんないだけだよっ」
律「焼き魚&キノコ雑炊なんて日本語しかねぇじゃん」
春原「&があるだろうがっ」
律「そこは略してただろうがっ」
朋也(うるせぇ…)
―――――――――――――――――――――
再びゲーセンに戻ってくる。
春原「おし、結構金も使っちゃったからな…次で決めるぞ」
103:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:11:09.21:1qYNd8dxO
律「ああ、いいぜ、雌雄を決してやるよ」
春原「最後だからな、おまえにジャンルを選ばせてやるよ」
春原「レディーファックユーってやつだ」
律「レディーファーストだろ…そのボケはちょっと無理があるぞ」
春原「いいから、選べよ」
律「そうだな…う~ん」
店内を見回す。
律「あ、あれは…」
振っていた顔を止め、ある一点を見つめる。
律「あれにしようか」
指さす先には、UFOキャッチャー。
律「たくさん景品取った方が勝ちな」
春原「なるほどね、いいよ」
春原は、不敵な顔でにやついていた。
得意なんだろうか、こいつは。
―――――――――――――――――――――
104:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:11:29.47:cUBlBpOS0
律「あのカチューシャ犬は特別、得点がでかいことにするぞ」
ケース内には、カチューシャをかけた犬のぬいぐるみがふてぶてしく鎮座していた。
小型、中型、大型とあるが、部長が指定したのは大型タイプだ。
律「あれが3点で、他のが1点な」
春原「いいけど…ブサイぬいぐるみだな」
律「かわいいだろがっ、特にチャームポイントのカチューシャが」
春原「そこが、僕の知ってる動物の同類にみえて、なんか馴染めないんだよね」
律「…それは、誰を指してるのかなぁ?」
春原「さぁね」
律「…ぜってぇ勝つ。私が勝ったら土下座して詫び入れろよな」
言いながら、財布から硬貨を取り出し、投入する。
デラデラと機械音が鳴り出し、アームがプレイヤーの制御下に置かれる。
チャンスは3回のようだった。
律「よし…」
まず一回目。
アームを一度横に動かしてx軸を合わせ、そのまま縦に移動させる。
狙いは大型カチューシャ犬のようだった。
律「今だっ」
105:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:12:42.85:1qYNd8dxO
ぬいぐるみに向かってアームが下りていく。
が、少し距離が足りず、手前で空を切っていた。
律「くそぉ…」
アームが初期位置に戻ってくる。
2回目。
さっきと同じように、ぬいぐるみの上まで持っていく。
今度は頭上に下りていった。
が、カチューシャ部分を掴んでしまい、するりと抜けていった。
春原「ははっ、そんにカチューシャ欲しいのかよ」
春原「もう自分のしてるくせに、他人から奪おうとするなよ」
律「うっさい、あんたは黙っとけ」
律「ちくしょお…」
3回目。大型は諦めて、小型狙いにしていたが、これも失敗していた。
結果、部長は0点。
春原が一つでも取れば、勝ちが確定する状況になった。
律「うぐぐ…」
春原「はは、ほら、どけよ。次は僕だ」
入れ替わり、春原がプレイする。
慣れた手つきで、アームを移動させていく。
小型カチューシャ犬に向けて、迷いなく進んでいく。
106:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:13:05.36:cUBlBpOS0
止める位置もばっちりに見えた。
アームが下りていく。
そして、見事掴んだまま持ち帰っていた。
春原「おらよ、これで、もう僕の勝ちだね」
取り出し口からぬいぐるみを出し、一度空中に放ってキャッチしてみせた。
律「うぅ…くっそ…」
春原「欲張ってあんなデカいの取ろうとするからだっての」
春原「あれはおまえの器以上の業物なんだよ」
律「だって…欲しかったし…」
しゅん、としおれてしまう。
それは負けたからなのか、目当てのものが取れなかったからなのかはわからない。
ただ、本当に欲しかったのだろうということだけはその様子から伝わってきた。
春原「…はぁーあ、普段はこんなことしねぇからな」
言って、UFOキャッチャーと向き合った。
春原の目線、狙う先は、大型カチューシャ犬に向けられていた。
朋也(こいつ、もしかして…)
アームが移動する。
止まったのはやはり、大型カチューシャ犬の頭上。
まっすぐにターゲットめがけて下りていくアーム。
107:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:14:15.64:1qYNd8dxO
そして、少し細くなっている首周りを掴んだ。
しっかりと固定される。
そのまま、こちらに持ってきて…
すとん、と落ちていた。
それを気だるげに取り出す春原。
春原「おらよ、やる」
律「え? いいのか?」
春原「ああ。僕は、こんなのいらないしね」
律「あ、ありがとう…」
受け取る。
大事そうに、ぎゅっと抱きしめた。
春原「ふん…」
照れ隠しなのか、わざとしらけた態度を装っているようにみえた。
春原「じゃあ、もういいか」
アームを二度小さく動かし、1ゲームを自分の意思で降りていた。
春原「ああ、そうだ、この小せぇのも、やるよ」
律「うん…ありがとう」
受け取って、大きい方と一緒に抱える。
108:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:14:39.56:cUBlBpOS0
律「あんた、上手いな、UFOキャッチャー」
春原「まぁね。この界隈じゃ、ゲーセン荒らしって呼ばれてるくらいだからね」
朋也「そうだな…」
朋也「おまえ、よく機械に体当たりして、振動を与えることで景品落としてるもんな」
春原「そういうブラックリストに載るような意味じゃねぇよっ!」
律「わははは!」
春原「ったく…」
いろいろあったが、部長も春原も、今は笑顔を浮かべていた。
これを機に、こいつらの仲が改善されていけばいいのだが…。
朋也(ダメ押ししとくか…)
朋也「おまえらさ、プリクラでも撮ってこいよ。俺がおごってやるから」
春原「なんで僕らが…」
律「そ、そうだよ、意味がわからん…」
朋也「そのプリクラ、明日琴吹に見せてやれよ」
朋也「それで、一日仲良く過ごしたって言えばいいじゃん」
朋也「口だけじゃ、信用されないかもしれないしさ。いつものおまえら見てるわけだし」
110:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:15:46.20:1qYNd8dxO
春原「………」
律「………」
ふたりともだんまりを決め込んでいる。
春原「…ま、僕はいいけど。ムギちゃんのためにね」
春原が先に口を開く。
律「…私も。おやつのために、しょうがなくだけど」
部長もそれに続く形で了承する。
朋也「そっか。じゃ、行ってこい」
春原に100円硬貨を4枚渡す。部長からはぬいぐるみを預かった。
シートをくぐり、筐体の内側に入っていくふたり。
しばらく静かだったと思うと…
律「おまえ、なんでこれ選ぶんだよっ」
春原「これが一番僕の写りがいいからね」
律「ざっけんなっ」
なにごとかわめき出していた。
そして、勢いよく出てきたと思うと、すぐに隣の落書きスペースに移動した。
そこでもシートが揺れるほど騒いでいる。
その騒音が収まったと同時、ふたりとも外に出てきた。
111:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:16:07.64:cUBlBpOS0
春原「ちくしょー、僕に変な文字上書きしやがって…」
律「私なんか目が半開きになってるやつだし…待ってって言ったのに…」
出力されたシールを手に苦い顔をしている。
朋也「なんだよ、さっきまでいい感じだったのに…」
春原「岡崎、見てくれよ、これ」
朋也「あん?」
プリントシールを受け取る。
二つに区切られた枠の片方に写っている春原には、上から罵詈雑言が書きこまれていた。
もう、悪口なのか春原なのかわからないほどに。こっちは部長が編集したのだろう。
もう片方は、春原の周りにオーラのようなものが描かれていた。
まるで、なにかの能力者のようにだ。どっちがどっちを編集したか一目でわかる出来だった。
一方、部長の方だが、キメポーズの途中だったのか、残像が写っていた。
その顔も、引力に引きずられているような感じになっている。
春原「ざけやがって、デコっ!」
律「死ね、ヘタレっ!」
ああ…結局最後はこうなってしまうのか…。
―――――――――――――――――――――
112:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:17:29.56:1qYNd8dxO
4/26 月
唯「岡崎くんたち、きのう、りっちゃんと遊んだんだってね」
朋也「ああ、そうだけど…」
なんでこいつが知っているんだろう。
唯「りっちゃんから写メ来たんだよねぇ…ほら」
疑問に思っていると、平沢が携帯の液晶画面を見せてくれた。
そこに映し出されているのは、あのぬいぐるみだった。
唯「これ、春原くんに取ってもらったんだよね?」
唯「りっちゃん、すごく気に入ってるみたい」
唯「待ち受け画面にしてるんだってさ」
朋也「へぇ…」
人に報告したくなるくらいなら、相当嬉しかったんだろう。
あの後、いつものように春原と軽口を叩き合って別れていたのに。
それでも、家に帰って一旦落ち着けば、ぬいぐるみをその手に上機嫌となれたのだ。
一緒に遊んだ半日も、そう無駄ではなかったようだ。
唯「でもさぁ、私も呼んでくれればよかったのに。暇だったんだよ、きのう」
憂「お姉ちゃん、結局一歩も外に出なかったもんね」
113:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:17:50.62:cUBlBpOS0
唯「そうだよぉ、引きこもり歴丸一日になっちゃったよ。これから続く引きこもり人生の初日だよ」
朋也「でも、ゲーセンだぞ? おまえ、ゲームとかするのか」
唯「う~ん…しないかなぁ…」
朋也「じゃあ、意味ないじゃん。結局、来ても暇なままだろ」
唯「そんなことないよ。応援とかしたりさ…」
唯「あ、ほら、あの、負けたら怒って台叩くのとかやってみたいし」
朋也「それはギャラリーがやることじゃないからな…」
憂「お姉ちゃんは、モグラ叩きとか得意なんじゃない?」
唯「へ? なんで?」
憂「こう、リズムに乗って、えいっ、えいっ、ってするのとか好きそうだし」
唯「そうだね、うんたん♪ うんたん♪ って、カスタネットに似てるしね」
そうだろうか…まずジャンルからして違う気がする。
憂「そんな感じだよ。お姉ちゃん、やっぱりモグラ叩きの才能あるよっ」
全肯定だった。
やっぱりこの子も平沢の血筋なのか…。
唯「えへへ、ありがと」
116:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:19:01.11:1qYNd8dxO
姉もそれを真に受けている…。
恐るべき一族だった。
―――――――――――――――――――――
がらり。
ドアを開け、教室に入る。
春原「やぁ、おはよう」
すぐに寄ってきたのは、妙に元気な金髪の男だった。
春原「一緒に登校してきてるって、やっぱマジだったんだね」
春原「仲いいじゃん、おふたりさん」
朋也「いや、つーかおまえ、なんで朝からいるんだよ」
朋也「きのうは昼まで寝てたいとか言ってたくせによ」
春原「ん? べっつにぃ…」
唯「でも、偉いよ、春原くん。その調子でこれからも頑張ってねっ」
春原「ああ、そうだねぇ…」
男子生徒「おっ、春原、岡崎。おまえら、バスケ部と試合して勝ったんだって?」
男子生徒「けっこう噂になってるぞ」
117:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:19:23.15:cUBlBpOS0
春原「まぁねっ! 楽勝だったよっ!」
男子生徒「すげぇな。ただのヤンキーじゃなかったのか」
春原「たりまえじゃんっ。超一流スポルツメンよ、僕?」
自慢げに語り出していた。
朋也(まぁ、そんなことだろうと思ったけど…)
あまりにも露骨過ぎて、こっちが恥ずかしくなってくる。
唯「う~ん、私も自慢したくなってきたっ」
朋也「やめとけ…」
―――――――――――――――――――――
………。
―――――――――――――――――――――
昼。
和「あなたたち、一昨日は大活躍だったんですってね」
春原「そうっすよ、もうボッコボコに…」
和「………」
118:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:19:51.17:QfkttWQJ0
やっと、うんたんktkr
119:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:20:44.49:1qYNd8dxO
春原「あ、いや…」
春原「…そうだよ、すげぇかましてやったんだよ」
和「勝敗は聞いてたんだけどね。あとひとり、助っ人がいたことも」
和「あの非合法組織から人材が派遣されるなんて、ちょっと驚いたけど」
キョンのことだろう。
しかし…
朋也「非合法?」
和「ええ。SOS団といって、学校側から正式に認可されていないクラブがあるの」
和「そこの構成員よ。知らなかったの?」
朋也「いや、俺はよく知らないけど」
春原「なにしてるかよくわかんない、変な奴らなんだよね」
和「そうね。詳しい実態はつかめていないんだけど…」
和「普段は、ボードゲームに興じたり、イベントを企画したりしているらしいわ」
和「まぁ、言ってみれば、唯たち軽音部のような空気を持った集団ね」
律「あんな過激な奴らと一緒にするなよなぁ」
和「過激なのは団長の涼宮さんひとりだけで、後は比較的まともでしょ?」
120:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:21:26.10:cUBlBpOS0
律「まぁ…確かに、キョンの奴は普通だったけど…」
律「あ、でも、あんな部活入ってるし、このふたりとも友達だし、やっぱ変かも…」
春原「どういう意味だよっ」
和「友達?」
春原「ん? ああ、僕と岡崎の友達だよ、キョンは」
和「へぇ…興味深い人付き合いしてるのね、あなたたち」
朋也「そうか?」
和「そうよ。だって、この学校では特異とされる存在同士が交わっているんですもの」
和「それも、あなたたちふたりを起点にしてね」
和「そこになにか、物語めいたものを感じるわ」
朋也「そういうもんか…」
言われても、自分ではあまりピンとこない。
律「しっかし、和も大変だよなぁ、こうも問題児が多くてさ」
律「もしかして、歴代で一番大変な生徒会長になったんじゃないのか」
和「かもしれないわね。でも…おもしろい人間がそろった年代だとも思うの」
122:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:22:49.40:1qYNd8dxO
和「あんたたち軽音部も含めてね」
澪「え、ええ? 私たちもか?」
和「ええ。だから、同じ学校、同じ学年にいられたこと、誇らしく思うわ」
澪「誇りなんて、そんな…」
唯「和ちゃん、シブイこと言うね」
和「そう?」
唯「うん。なんか、この次会う時は、一人称が『俺゛』になってそうなくらいだよ」
和「今のどうやって発音したの…」
こうして俺たちと普通に会話している真鍋だが…
それも、表の顔で、裏ではいつも高度な政治戦を繰り広げているのだ。
おもしろい人間…そうは言うが、こいつ自身も強烈な個性を持っていると、俺は思う。
―――――――――――――――――――――
………。
―――――――――――――――――――――
放課後。軽音部部室に訪れ、茶を飲み始める。
唯「今日は私からもみんなにプレゼントがあります」
123:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:23:28.84:cUBlBpOS0
唯「さぁ、受け取るがよい、皆の衆」
鞄を逆さにして、上下に振った。
中から大量に何かが落ちてくる。
澪「…ウメボシ太郎?」
律「なぁんだよ、これはっ」
唯「ウメボシ太郎」
律「いや、見りゃわかるよ。そうじゃなくて、量のこと言ってんのっ」
唯「いやぁ、実は、ウメボシ太郎が食べたくなる衝動に襲われちゃってさぁ」
唯「それで、いっぱい買ったんだけど、二個食べたら飽きちゃったんだよね」
唯「あんなに渇望してたのにさ…」
梓「すごい次元の衝動買いですね…」
唯「でもそういうことってあるよね?」
律「まぁ、あるけどさぁ…ここまではねぇよ」
澪「いや、おまえもけっこうひどいぞ」
澪「中学の時、修学旅行先で木刀三本も買ってたじゃないか」
澪「それで、旅行中ずっと私に試し切りしてきたけどさ…」
124:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:25:35.32:1qYNd8dxO
澪「帰ってから一度も触ってるとこみたことないぞ」
律「う…よく覚えてるな、そんなこと…」
梓「律先輩、典型的な中学生だったんですね」
律「う、うっさい」
春原「はは、そんなもん買ったって、荷物がかさむだけじゃん」
春原「普通、自宅に送ってもらうだろ」
律「って、おまえも買ったんかい…」
春原「い、いや…一般論を言っただけさ」
絶対にこいつは経験者だ。
唯「でもさ、ムギちゃんの衝動買いってすごそうだよね」
紬「そんなことないよ」
とはいえ、高級料理店にふらっと立ち寄るくらいはしそうなのだが…
紬「たまに、M&Aするくらいだから」
企業買収だった!
澪「す、すごいな、ムギ…」
127:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:25:59.67:cUBlBpOS0
梓「さすがです…」
唯「M&A? なにそれ」
律「誰かのイニシャル? 二人組ユニット?」
春原「お笑い芸人にそんなのいたよね」
春原「きっと、個人的に呼んで、ネタみせてもらってるんじゃない?」
唯「おおぅ、そうだよ、それだよっ」
律「やるじゃん、春原」
春原「へへっ、まぁね」
アホが三人、ずれまくった結論で盛り上がっていた。
紬「梓ちゃんは、どんな感じなの?」
梓「私ですか…」
唯「あずにゃんは、なんかしそうにないよね」
律「計画とか立ててそうだよな」
梓「はぁ…でも、たまにしますけどね」
唯「え? ほんとに? なに買うの?」
128:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:27:17.39:1qYNd8dxO
梓「えっと…カツオブシ…」
唯「カツオブシ?」
律「カツオブシ?」
梓「あう…」
律「猫みたいな奴だな…」
唯「でも、あずにゃんのイメージにぴったりだよ」
律「カツオブシがか?」
唯「猫のほうだよぉ」
梓「み、澪先輩はなにかないんですか?」
澪「私? 私は…」
律「澪は衝動食いだよな。ヤケ食いでリバウンドとか…」
ぽかっ
律「いっつぅ…」
澪「そんな失敗談持ってないっ。いちいち変な情報出してくるなっ」
律「うぅ、わかったよ…。で、おまえはなんなんだ?」
澪「ん、私は、マシュマロとかかな」
129:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:27:36.34:cUBlBpOS0
梓「へぇ、澪先輩らしい感じがしますね」
律「でもそれってやっぱ、デブる要因になるんじゃ…」
澪「で、デブとかいうなっ」
律「ひぃ、すみましぇん…」
澪「ほんとにもう…」
澪「…あの、岡崎くんは、なにかあったりする?」
朋也「俺か? 俺は、そうだな…」
朋也「たまに甘いものが欲しくなったりするな。そんな時は駄菓子とかたくさん買ってるよ」
澪「へぇ…それって、反動っていうのかな?」
澪「岡崎くん、いつも甘いもの避けて、お茶とおせんべいだしね」
朋也「そうかもしれないな」
紬「甘いものが欲しくなった時は、いつでも言ってきてね。ケーキも、紅茶も用意するから」
朋也「なんか、悪いな、いろいろと…」
紬「ううん、全然よ」
律「春原、あんたはどうせエロ本とか大量に買ってんだろ?」
130:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:28:50.52:1qYNd8dxO
律「衝動買いっつーか、本能買いって感じでさ」
春原「馬鹿にすんなっ! ちゃんと厳選してんだよっ!」
春原「ジャケ買いなんか、素人のすることだねっ」
律「んな主張で胸張るなよ…」
朋也「おまえは、よく俺のジュース買いに走る衝動に駆られてるよな」
春原「パシリじゃねぇよっ!」
律「わははは! やっぱ、あんたオチ要員だわ」
春原「くそぅ…いつの間に定着してんだよ…」
―――――――――――――――――――――
部活も終わり、下校する。
澪「はぁ…結局今日も練習できなかった…」
律「だって めんどくさいんだもの りつを」
澪「相田みつをさん風に言うな」
律「いいじゃん、息抜きも大事だぜ」
澪「抜きすぎだ。それに、再来週にはもう創立者祭があるんだぞ」
131:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:29:31.92:cUBlBpOS0
澪「あんまりだらだらもしてられないだろ」
唯「でも、二週間以上もあるから、まだ大丈夫だよ」
梓「いえ、今のうちからしっかりしてないとダメですっ」
梓「三年生は出し物がないからいいですけど、一、二年生は準備がありますから」
梓「それに、ゴールデンウィークも挟みますし」
唯「えぇ~、でも、あずにゃんだってトークしながら紅茶飲んでたじゃん」
梓「あ…う、そ、それは…」
梓「あ、明日からちゃんとするんですっ!」
唯「ムキになっちゃってぇ、かわいいなぁ、もぉ」
中野に抱きつき、頭を撫で始める。
梓「あ…もう、唯先輩は…」
春原「なぁ、岡崎、創立者祭ってなんだっけ」
朋也「文化祭みたいなもんだ」
春原「ふぅん、そうなんだ。初めて知ったよ」
律「マジで言ってんの? あんた、ほんとにうちの生徒かよ」
132:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:31:23.15:1qYNd8dxO
春原「授業がないってことだけは知ってたよ。単位に関係ないし、ずっとサボってたけどね」
律「ほんとにロクでもない奴だな、おまえは…」
律「でも、今回は来てもらうぞ。またおまえらには機材運んでもらうからな」
春原「あん? やだよ、めんどくせぇ」
律「なに言ってんだよ、部室に入り浸って飲み食いしてるくせに」
律「今後もそうしたいなら、文句言わずに手伝えよな」
春原「ちっ、汚ねぇ取り引き持ちかけやがって」
律「相応の条件だろ。それと、朝からちゃんと来とけよ。文化系クラブの発表は午前中にあるんだからさ」
春原「午前中ぅ? まだ夢の中にいるんだけど」
律「夢遊病者のようになってでも出て来い」
春原「そんなことしたら、なにかの拍子に事故が起こるかもしれないじゃん」
春原「例えば、僕がふらついて、おまえに激突したりとかさ」
春原「それで、おまえが隠し持ってた育毛剤が床に転がりでもしたら、ショックだろ?」
律「最初から持ってないわ、そんなもんっ!」
春原「うそつけ、おまえ、いつも胸ポケットもり上がってるじゃん。入ってんだろ、例の物がさ」
133:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:32:14.34:cUBlBpOS0
律「ちがうわっ! これは携帯だっての!」
ポケットから取り出してみせる。
春原「そんな型のもん買ってきやがって、偽装に命かけてるね、おまえ」
律「本物の携帯だっつーの!」
折り畳んでいた状態から、ぱかっと開き、ディスプレイを春原に向けた。
春原「あれ、それ…」
律「っ! うわ、しまっ…」
そそくさと畳み直し、ポケットにしまった。
律「………」
ほのかに顔を赤らめて、決まりが悪そうに顔を伏せていた。
澪「ああ、そういえば…」
澪「律、春原くんにもらったぬいぐるみ、待ち受けにしてたんだっけ」
律「うぐ…」
春原「ふぅん、けっこう可愛いとこあるじゃん」
律「な、か、可愛いって、おま…」
134:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:32:56.66:cUBlBpOS0
唯「あはは、りっちゃん顔真っ赤ぁ~」
律「ゆ、唯、こら…」
紬「あら? ラブが芽生える感じ?」
律「む、ムギまで…」
いつもとは逆の立場で、揶揄される側に回っていた。
自分が的になるのはなれていないのか、しどろもどろだ。
春原「はは、ムギちゃん、僕、デコはお断りだよ」
律「な、な、なんだとぉ? あたしだってヘタレは願い下げだってのっ!」
春原「ああ? てめぇ、デコのくせに生意気だぞ!」
律「うっせー、ヘタレ!」
春原「ぐぬぬ…」
律「ぐぬぬ…」
紬「喧嘩するほど仲がいいってね」
澪「はは、そうかも」
春原「んなわけないっ!」
律「んなわけないっ!」
唯「あははっ、息ピッタリだよ」
136:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:34:10.15:cUBlBpOS0
春原「………」
律「………」
春原「けっ…」
律「ふん…」
似たような反応をする。
やはり、同系統の人間な気がする。
―――――――――――――――――――――
139:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:35:34.39:1qYNd8dxO
4/27 火
憂「あ、お姉ちゃん、寝癖ついてるよ」
唯「え、どこ?」
憂「襟足近くがハネちゃってるぅ…ちょっと待ってね」
立ち止まり、鞄からクシを取り出した。
撫でつける様に、やさしく平沢の髪をといていく。
憂「これでよし」
唯「ありがとぉ、憂」
憂「うん」
憂「………」
俺をじっと見てくる憂ちゃん。
朋也「ん? なんだ?」
憂「岡崎さんは、髪さらさらですね」
朋也「そうかな」
憂「はい。なにかお手入れとかしてるんですか?」
朋也「いや、したことないよ」
140:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:35:55.90:cUBlBpOS0
憂「ナチュラルでそれですか…うらやましいです」
憂「キューティクルも生き生きしてて、ツヤもあるし…」
憂「あの、触ってみてもいいですか?」
朋也「ああ、いいけど」
身をかがめ、憂ちゃんに合わせる。
憂「じゃあ、失礼して…」
手ですくうようにして、側頭部に触れてきた。
憂「うわぁ、女の子みたいです…いいなぁ」
唯「岡崎くん、私も触っていい?」
朋也「ああ、いいけど」
俯いたまま答える。
唯「ほんとだ、さらさらだぁ」
憂「だよねぇ…」
ふたりして好き放題触っていた。
朋也「そろそろいいか」
141:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:37:12.54:1qYNd8dxO
憂「あ、はい。ありがとうございました」
朋也「ん…」
体勢を戻す。
唯「シャンプーはなに使ってるの?」
朋也「スーパーで買った適当なやつ」
唯「そうなの? ほんとに全然気を遣ってないんだね…」
唯「でもさ、卑怯だよっ、そんなの。私はケアしても寝癖つくのにさ」
朋也「そういわれてもな…」
唯「髪が綺麗な分、どこかにしわ寄せがきてなきゃだめだよっ」
唯「例えば、脇がめちゃくちゃ臭いとか」
朋也「そんな奴と登校したくないだろ…」
唯「でも、それくらいじゃないと納得できないよっ」
唯「だから、岡崎くんは脇が臭いことに決定ね」
朋也「決めつけるな…」
―――――――――――――――――――――
142:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:37:50.35:cUBlBpOS0
………。
―――――――――――――――――――――
昼。
春原「おい、平沢。そこの醤油取ってくれよ」
唯「いいよぉ」
唯「はい、どうぞ」
春原「お、サンキュ」
受け取って、納豆にそそいでいく。
全体に絡めると、それを混ぜて、ご飯の上に乗せた。
春原「やっぱ、ご飯には納豆が至高だよね」
ひとりごちて、口に運ぶ。
春原「お゛え゛ぇえええっ!」
朋也「うわ、きったねぇな、至高のゲロ吐くなよっ」
律「そうだぞっ、もらいゲロでもしたらどうすんだっ」
春原「ちがうよっ! これ、醤油じゃなくてソースだったんだよっ!」
春原「平沢、てめぇ、僕をハメやがったなっ!」
144:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:39:04.54:1qYNd8dxO
唯「あわわ、ごめん。でも、ラベルが貼ってなくてわかんなかったんだよ…」
唯「だから、とっさに濁ってる方を選んじゃった」
春原「その時点で確信犯だろっ!」
朋也「まぁ、受け取った時気づかなかったおまえも悪いよ」
朋也「だから、前向きに考えて、事態を好転させろよ」
朋也「このケチャップで中和させたりしてさ」
春原「最悪のトッピングですねっ!」
律「わははは!」
―――――――――――――――――――――
………。
―――――――――――――――――――――
放課後。
今日は最初からさわ子さんも交えた状態で活動が始まった。
春原「おまえら、昔いたアーティストで、芳野祐介って知ってる?」
春原「あの人さ、今この町にいるんだぜ」
146:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:40:27.11:cUBlBpOS0
澪「えぇ!?」
梓「えぇ!?」
さわ子「えぇ!?」
さわ子「春原、それ、ほんとなの…?」
春原「ほんとだよ。この前、名刺もらったし」
春原「え~っと…」
上着のポケットをまさぐる。
春原「これだよ」
一枚の名刺を取り出す。
長い間ポケットの中に入れられていたのだろう…しわくちゃになっていた。
最悪の保存状態だ。
にもかかわず、声を荒げて反応していた三人の注目を集め続けていた。
梓「本物ですか…?」
春原「間違いねぇよ。顔も一致してたし」
春原「な、岡崎」
朋也「いや、俺は顔のことはよく知らねぇけど」
澪「岡崎くんも、みたの?」
朋也「ああ。その時、俺もこいつと一緒に居合わせてたんだよ」
147:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:41:55.53:1qYNd8dxO
さわ子「ちょっとそれみせて」
春原「いいけど」
名刺を受け渡す。
さわ子「…電設会社、ね…」
さわ子さんは名刺を眺め、そう小さくこぼしていた。
その表情は、なぜか複雑そうだった。
梓「びっくりです…同じ町に住んでたなんて」
澪「うん。全然知らなかった…でも、なんか感動」
律「そういえば、おまえ、かなり芳野祐介好きだったもんな」
澪「今でも好きだっ」
律「さいですか」
梓「澪先輩も、芳野祐介好きだったんですね…意外です」
梓「あの人、ハードなロックを歌ってますからね」
梓「澪先輩が書くような感じの詩とも、ずいぶんとかけ離れてますし」
澪「って、梓も好きなのか?」
梓「はいっ、すごく好きですっ。いいですよね、芳野祐介の音楽は」
148:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:42:22.97:cUBlBpOS0
澪「うんうん、だよなぁ!」
澪「歌詞は激しいのに、聞いてると涙が出そうになるくらい胸を打ってきたりするしな!」
梓「ですよね! それに、ギターのテクもすごいですし!」
ファン魂に火がついたのか、話題が尽きることはなかった。
アルバムがどうだの、お気に入りの曲はなんだのと語り合っていた。
律「話についていけねぇよ…」
唯「私もだよ…」
紬「私も芳野祐介さんの事はちょっと知ってるけど、あそこまでコアじゃないなぁ」
律「にしても…さわちゃんもファンなの? ずっと名刺見てるけど」
さわ子「え? ああ、ファンっていうか、まぁ、ね…」
さわ子「あ、これ、ありがと、春原」
言って、春原に返す。
律「なに? なんかワケアリ?」
さわ子「いや、まぁ…なんでもないわよ」
梓「ところで、春原先輩は、どこで見かけたんですか?」
春原「商店街を抜けたあたりだったよ」
149:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:43:45.01:1qYNd8dxO
梓「あの辺かぁ…あんまり行かないからなぁ…」
澪「私も…」
春原「もしかして、会いたいの? おまえら」
梓「それは、できたらそうしたいですけど…でも…」
澪「うん…遠くから見るくらいでいいかな」
春原「なんでだよ。せっかくなんだから話しかければいいじゃん」
梓「だって…芳野祐介って…その…引退理由が少し特殊ですし…」
梓「まずいじゃないですか。ファンなんです、なんて言ったりしたら…」
春原「ああ、そのことね…」
春原「ま、そんなことなら、僕と岡崎がいれば問題なく近づけるんだけどね」
春原「もう、知らない仲じゃないし」
といっても、そこまで親しいわけでもないが。
澪「そ、そうなの? すごいね…」
春原「ふふん、まぁね」
褒められて気を良くしたのか、したり顔になっていた。
151:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:44:13.18:cUBlBpOS0
春原「なんだったら、今から探しに出る?」
春原「運よく見つけられたら、話しかけられるぜ?」
梓「い、行きたいです!」
澪「私も!」
律「おまえら、きのうちゃんと練習しろとか言ってなかったか?」
澪「い、今は緊急事態なんだから、しょうがないだろっ」
梓「そうですよっ」
律「めちゃ力強いな、おまえら…」
さわ子「…私も行くわ」
律「うえぇっ? さわちゃんもかよっ!? でも、いいの? 仕事ほっぽりだして」
さわ子「大丈夫。バレなければいいのよ」
さわ子「こんなこともあろうかと、用意しておいた衣装があるの」
立ち上がり、物置へ向かった。
そして、俺たちのよく見慣れた服を手に戻ってくる。
さわ子「これよ」
唯「あっ、光坂の制服だぁ」
153:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:45:49.52:1qYNd8dxO
さわ子「そうよ。これを着て、生徒に変装するの」
律「いや、変装っていうより、コスプレに近いんじゃ…」
さわ子「歳的な意味で言ってるなら、死ぬことになるわよ?」
律「とっても似合うと思いますっ」
さわ子「よろしい」
―――――――――――――――――――――
外へ出てきた俺たちは、早速芳野祐介を探し始めた。
といっても、闇雲に動き回っているわけじゃない。
琴吹の携帯…それも、なにか特殊な業務に使われているものらしいのだが…
それを使って、周辺の工事情報を集めてから、手分けして現場に当たっていた。
―――――――――――――――――――――
紬「あの中にいる?」
春原「いや、いないよ」
紬「そう…」
これで、回ってきたのも3件目。
まだ他の連中からも、目撃の連絡が来ない。
春原「今日は仕事ないのかもね」
155:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:46:28.59:cUBlBpOS0
春原「もう、このままフケちまって、どっか遊びにいかない?」
春原「僕とムギちゃんふたりでさ」
俺たちは、琴吹と組んでスリーマンセルで動いていた。
携帯という連絡手段を持ちあわせていないので、誰かしらと組む必要があったのだ。
春原「岡崎も、気ぃ利かせて帰るって言ってるしさっ」
朋也「そんなわけねぇよ、俺はいつだっておまえの死角に存在するんだからな」
春原「マジかよっ!? つーか、なにが目的だよっ!?」
朋也「おまえ、気づいたらティッシュ箱が自分から遠のいてることないか?」
朋也「そういうことだよ」
春原「あれ、おまえかよっ! めちゃくちゃうざい現象なんですけどっ!」
紬「くすくす」
―――――――――――――――――――――
一度全員で駅前に集まる。
律「全然いなかったんだけど」
唯「私たちがみてきた方面も全滅だったよ」
紬「こっちも、だめだったわ」
160:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/25(土) 23:59:38.74:cUBlBpOS0
澪「この地区の外で仕事してるのかな…」
朋也「いや…」
一台の軽トラが停めてある。
その向こう側に、人の動く気配。
朋也「いた」
さわ子「どこ?」
朋也「あそこだよ。いこう」
俺たちは軽トラに近づいていった。
朋也「ちっす」
荷台に荷物を乗せ終えた作業員に声をかける。
春原「どもっ」
芳野「…ん?」
芳野「ああ…いつかの」
どうやら覚えていてくれたようだ。
芳野「どうした。今日はまた大道芸をしにきたのか」
春原「はい、そんな感じっすっ」
161:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:01:31.43:jpDSDOMkO
春原「それで、今日は、その仲間も連れてきてるんすよっ」
芳野「後ろのお嬢ちゃんたちか」
さわ子「お嬢ちゃんとはご挨拶ね」
さわ子さんが前に出る。
さわ子「久しぶりね、芳野祐介。私のこと、忘れたとは言わさないわよ」
春原「…へ?」
その場にいた全員が目を丸くする。
芳野「あー…すまん。どこかで会ったことあるか?」
さわ子「私よ、私っ!」
メガネを外し、頭を激しく振りながらエアギターを始める。
俺にはなにがなんだかさっぱりわからなかった。
芳野「まさか…あんた、キャサリンか。デスデビルの」
さわ子「はぁ…はぁ…ようやく思い出したようね…」
芳野「しかし…その制服…」
さわ子「あ、こ、これは…」
芳野「あんた…留年してたのか」
162:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:02:11.86:+UZ/pLeq0
ずるぅっ!
さわ子「そ、そんなわけないでしょっ! 今は教師をやってるのっ!」
さわ子「それで、この子たちは、私の教え子よっ」
芳野「そうか…でも、なんで教師のあんたが制服なんだ」
さわ子「それについては言及しないで。深い事情があるのよ…」
芳野「そうなのか…まぁ、いいが」
春原「……どうなってんの」
それは俺も知りたい。
芳野「それで…俺になにか用があるのか」
さわ子「あるのは、私じゃなくて、この子たちのほうよ」
芳野「あん?」
さわ子「みんな、あんたが芳野祐介ってこと、知ってるの」
さわ子「かつてアーティストとして活動していた、ね」
俺たちがひた隠そうとしていたことを、さらりと言ってのけていた。
芳野祐介はどんな反応をするのだろうか…
芳野「…そうか」
164:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:03:57.64:jpDSDOMkO
芳野「………」
芳野「悪いが、俺はもう、昔の俺じゃない」
芳野「だから、あんたらの用向きには応えられない」
やはり、壁を作っていた。かつての自分に対して。
澪「ごめんなさい…」
秋山が、泣きそうな顔で、ぽつりと小さくつぶやいた。
澪「私、芳野さんの引退理由、知ってました」
澪「当時の事を思い出したくない気持ちも、大体想像できてました」
澪「それでも、この町にいるってことを聞いて、どうしても会いたくて…」
澪「こんな、押しかけるようなマネをして…」
澪「本当に、すみませんでした…」
梓「わ、私も同じです。自分のことばっかり考えちゃって…」
梓「でも、会えたらどうしても伝えたかったんです」
梓「ずっとファンだったこと…あ、今でも好きですけど…」
梓「うん…あと…芳野さんの歌に、何度も励まされたことを」
165:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:06:14.78:+UZ/pLeq0
澪「私も…そうです。落ち込んだ時、辛い時、悲しい時…」
澪「それだけじゃなくて、上手くいった時なんかも、聴いてました」
澪「歌詞にあるような、まっすぐな綺麗さにも、すごく感動しました」
澪「芳野さんの歌を聴くと、救われたような気持ちになるんです」
澪「だから、その…ありがとうございましたっ」
梓「あ、ありがとうございましたっ」
芳野「………」
投げかけられる言葉。ただじっと受け止める。
芳野「…いい生徒を持ったな」
ふたりに答えるでもなく、さわ子さんにそう言った。
その表情には、幾分の柔らかさがあるようだった。
さわ子「まぁね。みんな、私の自慢の生徒よ」
律「春原も?」
さわ子「ええ…多分」
春原「そこは断定してくれよっ!」
芳野「おまえらも、最初から知ってたのか」
166:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:08:07.62:jpDSDOMkO
朋也「ああ。悪かったよ、変な芝居につき合わせちまって」
芳野「いや…それなりに楽しかったからな」
ふ、と一度微笑む。
芳野「今の俺に、礼の言葉なんか受け取れはしない」
芳野「だが…」
芳野「その気持ちだけは、しっかりと噛み締めておく」
クサい言い方だったけど、この人が口にすると様になった。
芳野「名前は?」
澪「秋山澪です!」
梓「中野梓です!」
芳野「そうか」
芳野「澪、梓。君たちがいつまでも前を向いて歩いていけるよう…」
芳野「どんな逆境でも耐え抜いて、真っ直ぐ歩いていけるよう…」
芳野「この俺も祈ってる」
芳野「………」
167:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:08:48.70:+UZ/pLeq0
芳野「じゃあ、またな」
それだけ呟いて、去っていく。
車に乗り込み、エンジンをかける。
すぐにその音は遠ざかっていった。
春原「…どういうこと? 僕、なんか混乱してきたんですけど…」
さわ子「一度、部室に戻りましょう。そこで話してあげる」
―――――――――――――――――――――
さわ子「あんたらには話してなかったけど…」
さわ子「私、昔この学校の軽音部で、バンドやってたのよね」
春原「え? さわちゃんってここのOBなの?」
さわ子「そうよ」
春原「へぇ、じゃ、先輩じゃん」
さわ子「ええ、だから、今まで以上に慕いなさいよ」
春原「オッケー、わかったよ、さわちゃん」
さわ子「その、さわちゃん、っていうのが、慕ってるように見えないんだけどね…」
唯「ちなにみこれが当時のさわちゃんだよ」
168:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:09:43.05:+UZ/pLeq0
一枚の写真。
そこには、仰々しいメイクと衣装で不敵に笑うさわ子さんと、その仲間たちが写っていた。
さわ子「あ、こら、唯ちゃんっ、まだそんなもの…」
律「んで、これが音源な」
小さめのラジカセを手に持ち、再生ボタンを押した。
凶悪な音楽と、叫ぶような歌声が聞えてくる。
さわ子「こら、やめなさいっ」
平沢からは写真を奪い、部長からはラジカセを取り上げた。
春原「…さわちゃんって、けっこうヤバい人だったんだね」
さわ子「これは格好だけよ。中身は普通だったわよ」
そうだろうか。
この人の現在の性格を鑑みるに、当時もやっぱりスレていたんじゃなかろうか。
さわ子「あんたらふたりのほうがよっぽどヤンチャよ」
さわ子「すぐ喧嘩してくるんだからね。去年は大変だったわよ」
思い返してみれば、確かにそうだった。
よそで喧嘩してくるたび、学年主任に呼び出され、その都度この人がかばってくれていたのだが…
その時のはぐらかし方が妙に手馴れていたような…そんな気もする。
まるで、そんな立場に立たされたことがあるかのようにだ。
なら、やっぱり、この人も昔は無茶していたんだ。
171:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:12:15.12:jpDSDOMkO
俺たちに目をかけてくれるのも、そんな時代の自分と重ねてみているからなのかもしれない。
さわ子「ま、それはいいとして…芳野祐介だったわね」
梓「そうですよっ。どうやって知り合ったんですか?」
さわ子「対バンよ、対バン。この町のハコでずいぶん演ったわ」
梓「って、もしかして、芳野さんも、この町の出身なんですか?」
さわ子「そうよ。高校生の時に知り合ったんだけどね…私は光坂で、あっちは北高だったの」
梓「へぇ…」
澪「そうだったんですか…知りませんでした」
澪「公式プロフィールには、そういうこと書いてなかったですから」
律「よかったじゃん、マニア知識がひとつ増えてさ」
澪「うん…嬉しい…」
さわ子「まぁ、第一印象は最悪だったんだけどね」
さわ子「いきなり乱入してきて、マイク奪って、乗っ取ってくるし」
春原「…マジ?」
さわ子「大マジよ」
172:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:13:16.91:+UZ/pLeq0
俺もにわかには信じられない。
あのクールな印象からはかけ離れすぎていた。
さわ子「あの頃のあいつは、そりゃもう、ヤバイぐらい暴れまわってたんだから」
さわ子「そのせいで、いろんなバンドから恨み買って、敵作って…」
さわ子「それでも、ずっと歌い続けてたわ」
さわ子「そんな姿が、若い私には、かっこよく映ったんでしょうね」
さわ子「次第に興味を持つようになっていったの」
さわ子「そして、あるライブの後、思い切って話しかけてみたの」
さわ子「粗野で荒々しい奴かと思ってたんだけど、話してみると、意外とシャイな上に無口でね」
さわ子「それに加えて、無愛想で…そうね、ちょうど岡崎みたいな感じだったわ」
春原「こいつ、悪人顔だもんね」
朋也「黙れ」
さわ子さんは続ける。
さわ子「でも、言葉数は少なかったけど、音楽に対する情熱はすごく持ってるってことがわかったの」
さわ子「そこからよ、よく話すようになったのは」
そこまで言って、紅茶を飲み、一呼吸入れた。
173:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:13:53.44:+UZ/pLeq0
さわ子「…多分恋してたんでしょうね」
さわ子「気づいたら、あいつのことばかり考えるようになってたの」
さわ子「そして、3年生になって、進路も大方決めなきゃいけない時期がきて…」
さわ子「あいつにどうするか訊いてみたの」
さわ子「そしたら、卒業後は、上京して、プロのミュージシャンになるなんて言うのよ」
さわ子「それを聞いて、私も血がたぎったわ」
さわ子「じゃあ、自分もミュージシャンになって、こいつと同じ道を歩くぞ、って…」
さわ子「そう、思ったんだけど…」
さわ子「………」
さわ子「その後に続けて、『プロになれたら、好きな人と一緒になる』って、そう言ったの」
さわ子「聞けば、新任の女教師に惚れてるってことらしかったわ」
さわ子「失恋よ、失恋」
さわ子「そこで、私の恋は終わって、進む道も、てんで別方向に分かれちゃって…」
さわ子「それっきりになっちゃったのよ」
この人にそんな過去があったなんて知らなかった。
付き合いは長いつもりだったが、まだ踏み込めていなかった領域だ。
174:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:15:37.82:jpDSDOMkO
でも…今回、こんな話をしてくれるほどに、俺たちは想われている。
こそばゆいやら、うれしいやら…。
さわ子「ま、こんなとこかしら」
梓「先生…すごすぎます…尊敬ですっ」
澪「かっこいいです、先生っ」
紬「ドラマチックですね」
さわ子「そう? おほほほ、もっと褒めなさい」
律「ま、でも、要は、失恋しちゃったよ~って話だよな」
ビシッ ビシッ ビシッ
律「うぎゃっ痛っ、さわちゃ、痛いっ」
ビシッ ビシッ ビシッ
部長の額に容赦なくデコピンが次々に繰り出されていた。
唯「りっちゃんは一言多いよね」
律「唯にまともな突っ込みされるあたしって一体…」
額を押さえながら言う。攻撃はもう止んでいた。
さわ子「そうそう、これは余談なんだけどね…」
175:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:16:45.99:+UZ/pLeq0
ゆっくりと口を開く。
さわ子「あいつが好きだった先生っていうのが、この学校で教師をされてたのよ」
澪「え? だ、誰ですか?」
さわ子「あなたたちは知らないと思うわ。3年前に退職されてるからね」
さわ子「伊吹公子さんっていうんだけど…」
唯「え? 伊吹さん?」
唯「もしかして、ショートヘアで、おっとりした感じの人?」
さわ子「え、ええ…今はどうかしらないけど、髪はショートだったわ」
唯「じゃあ…やっぱり、あの伊吹さんだ。先生してたって言ってたし」
梓「ゆ、唯先輩、知り合いなんですか?」
唯「うん。私がよくいくパン屋さんの常連さんだから、会えばお喋りしてるよ」
さわ子「へぇ…世間は狭いものねぇ…」
澪「で、どんな人なんだ?」
唯「えっとね、綺麗で、優しくて、それで…」
話し始める平沢。
そこへ熱心に耳を傾ける秋山と中野。
176:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:18:24.24:jpDSDOMkO
人の繋がりとは、不思議なものだ。
どこでどう交差するかわからない。
今回のように、意外な交流があったりする。
小さい町だったから、とくにそれが顕著なのかもしれない。
…ふと、思う。
俺も、そんな人と人の繋がりの中に入っていっているのではないか。
あんなにも人付き合いが嫌だった、この俺がだ。
なんでだろう。なにが始まりだったろう。
思い起こせば、それは、やっぱり…平沢からだったように思う。
唯「でね、そのパンが爆発して、周りにチョコが飛び散ったんだよ」
澪「…話が脱線していってないか」
唯「あ、ごめん。えへへ」
無邪気に笑う平沢。
できることなら、その笑顔を、ずっとそばで見ていたいと…
そう思う。
朋也(…俺、こいつのこと、好きなのかな…)
よくわからなかった。
でも…一人の人間としては、間違いなく好きだった。
―――――――――――――――――――――
177:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:19:12.24:+UZ/pLeq0
4/28 水
唯「ふぁ~…んん」
朋也「眠そうだな」
唯「うん…きのうは遅くまで漫画読んでたから、寝不足なんだぁ…」
唯「ふぁあ~…」
大きくあくび。
唯「ほんとはすぐにやめるつもりだったんだけどさ…」
唯「読んでる途中で2、3冊なくなってることに気づいて、探し始めちゃって…」
唯「続きが読めないってなると、逆にすごく読みたくなって、必死だったよ」
憂「鬼のような形相で探してたもんね、お姉ちゃん」
唯「うん、あの時の私は、触れるものすべてを傷つけてたよ」
唯「そう…自分さえも、ね」
悲しい過去を持っていそうに言うな。
唯「それで、やっとみつけたんだけど、その喜びで、全巻読破しちゃったんだよねぇ」
朋也「寸止めされると、逆に、ってやつか」
178:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:20:21.11:jpDSDOMkO
唯「そうそう、そんな感じ。これ、なにかに応用できないかなぁ」
憂「勉強は?」
唯「だめだめ、止められたら、そのままやめちゃうよ」
朋也「練習はどうだ。部活でさ。逆にやりたくなるんじゃないのか」
唯「おお!? それ、いいかもしれないねっ」
朋也「じゃあ、今日は春原の奴に、妨害させるな」
朋也「隣で発狂したように、唯~唯~って言わせてさ」
唯「それ、なんかすごくやだ…」
朋也「そうか?」
唯「うん。練習より先に、春原くんが嫌になっちゃうよ」
朋也「それもそうだな」
言いたい放題だった。
―――――――――――――――――――――
………。
―――――――――――――――――――――
179:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:21:49.43:jpDSDOMkO
昼。
春原「へへ…みろよ、手に入れてやったぜ」
その手の中にあるものは、パンだった。
今日のこいつは、定食の他にパンも買いに走っていたのだ。
春原「謎のパン…竜太サンドだ」
朋也「どうでもいいけど、おまえボロボロな」
春原「しょうがないだろ、紛争地帯に突っ込んでたんだからよ」
確かに、今日のパン売り場は、そう表現していいほどに混み合っていた。
なんでも、学食erの間では、先週の告知以来、竜太サンドの話題で持ちきりだったらしい。
俺はこいつに聞いて初めてその存在を知ったのだが。
春原「生還できただけでも奇跡なんだよ」
春原「僕の目の前で、何人も志半ばにして力尽きていったからね」
春原「今でも、その浮かばれない霊が成仏できずに彷徨ってるって話さ」
そんなパン売り場はない。
澪「れ、霊…?」
律「真に受けるなよ、澪…」
春原「だから、売り子のおばちゃんにたどり着けた時は、本当に嬉しかったよ」
180:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:22:12.11:+UZ/pLeq0
春原「もう、ゴールしてもいいよね…? って思わず口走っちゃったし」
自ら死亡フラグを立てていた。
律「でもさ、それって、竜田の誤植だろ。中身はどうせ普通のパンだよ」
春原「んなことねぇよっ! 竜太の味がするに決まってんだろっ」
律「いや、どんなだよ、それ…」
春原「それを今から解き明かしてやろうっていうんだろ」
意気揚々と包装紙を破り捨てる。
ぼろぼろぼろ
春原「げぇっ」
ぐちゃぐちゃになったパンが手にこぼれ落ちてきていた。
死亡フラグはパンに立っていたようで、しっかりここでイベントが起きていた。
春原「あ…ああ…」
朋也「もみくちゃになりながら戻ってきたからだな」
律「はは、おまえらしいオチだよ」
春原「ちくしょーっ! ふざけやがってっ!」
ゴミ箱に向かって竜太の塊を遠投する。
181:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:23:22.84:jpDSDOMkO
べちゃっ
春原「あ、やべ…」
男子生徒「………」
ひとりの男子生徒の後頭部に直撃していた。
ゆっくりと振り返る。
ラグビー部員「今の…てめぇか、春原」
ラグビー部員だった。
ラグビー部員「なんか叫んでたよなぁ? 俺がふざけてるとかなんとか…」
言いながら、どんどん近づいてくる。
春原「い、いや、違うんです、これは…」
ラグビー部員「言いわけはいいんだよっ! ちょっと顔かせやっ!」
首根っこを掴まれる。
春原「ひぃっ! 助けてくれ、岡崎っ」
朋也「それでさー、この前、春原とかいう奴がさー」
春原「他人のフリするなよっ」
春原「う…うわぁあああああああ」
182:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:23:45.55:+UZ/pLeq0
あああああああぁぁぁ…
引きずられ、消えていく。
この後、春原は両頬を押さえ、泣きながら戻ってきていた。
―――――――――――――――――――――
………。
―――――――――――――――――――――
放課後。部室に集まり、いつものように茶会が始まった。
がちゃり
梓「すみません、ちょっと遅れま…」
梓「って、唯先輩、その席はだめですっ」
唯「え、ええっ?」
梓「ていっ!」
俺の隣に座っていた平沢を椅子から引っ張り降ろす中野。
唯「うわぁっ…」
唯「って、なんでぇ? 席決まってるわけじゃないのに…」
梓「この人の隣は危険だって言ったじゃないですかっ」
183:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:25:35.01:tTDNEF4XO
あずにゃんwwwwwww
184:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:26:45.14:jpDSDOMkO
唯「でも、いつも隣に座ってるあずにゃんはなんともないんだし…」
梓「そんなことないです! 常にいやらしい視線を感じてますっ」
朋也「おい…」
春原「おまえ、けっこうむっつりなんだね」
がんっ
春原「てぇな、あにすんだよっ」
朋也「すまん、故意だ」
春原「わざとで謝るくらいなら、最初からやらないでくれますかねぇっ」
律「まぁまぁ、梓。ここはひとつ、席替えしてみようじゃないか」
梓「え?」
律「いやさ、席決まってるわけじゃないっていっても、大体いつも同じじゃん?」
律「だからさ、ここいらでシャッフルしてみるのいいと思うんだよな」
紬「おもしろそうね」
律「だろん?」
澪「いや、そんなことより先に練習をだな…」
185:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:27:06.76:+UZ/pLeq0
梓「席替えなんて嫌ですっ! リスクが高すぎますっ」
律「でもさ、リターンもでかいぞ」
律「おまえは唯と岡崎を離したいんだろ?」
律「もしかしたら、端と端同士になって離れるかもしれないじゃん」
梓「で、でも…」
唯「私、やりたい」
梓「唯先輩…」
唯「あずにゃん、これで決まったら、私も文句言わないよ」
唯「だから、やろ?」
梓「うう…」
梓「………」
梓「…はい…わかりました」
律「よぅし、決まりだな。じゃ、クジ作るか」
春原「なんか、合コンみたいだよね、この人数で席替えってさ」
律「あんた、めちゃ俗っぽいな…」
186:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:28:16.82:jpDSDOMkO
―――――――――――――――――――――
全員クジを引き終わり、席が決まった。
俺の両隣には、秋山と平沢。
俺の対面に位置する春原の両隣には、部長と琴吹。
そして、議長席のような、先端の位置に中野。
そこは、元琴吹の席だった場所だ。
唯「隣だねぇ、岡崎くん。教室とおんなじだよっ」
朋也「ん、ああ…だな」
澪「よ、よろしく…岡崎くん」
朋也「ああ…こちらこそ」
春原「ヒャッホウっ! ムギちゃんが隣だ!」
春原「…けど、部長もいるしな…右半身だけうれしいよ」
律「なんだと、こらっ! あたしの隣なんて、すべての男の夢だろうがっ」
律「全身の毛穴から変な液噴射しながら喜びに打ち震えろよっ!」
春原「あーあ、しかもここ、おまえがさっきまで座ってたとこだし…」
春原「なんか、生暖かくて、気持ち悪いんだよなぁ」
律「きぃいいっ、こいつはぁああっ! 心底むかつくぅううっ!」
187:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:28:37.57:+UZ/pLeq0
梓「こんなの、納得いきませんっ! やり直しましょうっ!」
唯「ええ~、ダメだよ、あずにゃん。もう決まったんだしぃ」
梓「唯先輩は黙っててくださいっ!」
唯「ひえっ、ご…ごめんなさい…」
律「あー、わかったよ、梓。あたしも、この金猿が隣なんて嫌だしな」
律「今日だけにしとくよ。次回からは自由席な。それでいいか?」
梓「…わかりました…それでいいです」
春原「じゃ、次は王様ゲームしようぜ」
律「王様ゲームぅ?」
春原「せっかく合コンっぽくなってきたんだし、やろうぜ」
律「うーん…ま、そうだな、おもしろそうだし、やるか」
唯「いいね、王様ゲーム。久しぶりだなぁ」
紬「噂には聞いたことがあるけど、私、やったことないなぁ…」
春原「大丈夫、僕が手取り足取り、優しく教えてあげるよ」
紬「ほんと?」
188:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:30:00.56:jpDSDOMkO
春原「うん、もちろんさ」
律「ムギ、めちゃ簡単だから、なにも教わらなくても大丈夫だぞ」
春原「てめぇ、なにムギちゃんにいらんこと吹き込んでくれてんだよっ」
律「それはおまえがやろうとしてたことだろがっ」
澪「わ、私はやらないぞ…っていうか、練習しなきゃだろ」
澪「遊んでる場合じゃ…」
律「おまえが王様になって、練習しろって命令すればいいじゃん」
律「そしたら、そこでゲーム終了でいいからさ。素直に言うこと聞くよ」
澪「…ほんとだな? 絶対、言う通りにしてもらうからなっ」
律「へいへい」
朋也「ああ、俺はやらないから、頭数に入れないでくれよ」
春原「なんでだよ、女の方が多いんだぜ?」
春原「王様になれば、あんなことや、こんなことが…」
春原「やべぇ、興奮してきたよっ!」
朋也「おまえ、今めちゃくちゃ引かれてるからな」
189:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:30:22.29:+UZ/pLeq0
春原「へ?」
春原は女性陣の冷たい視線を余すことなく集めていた。
春原「…こほん」
春原「まぁさ、こんな、みんなで盛り上がろうって時に、抜けることないだろ」
朋也「知るかよ…」
春原「ま、嫌ならいいけど。僕のハーレムが出来上がるだけだしね」
春原「むしろ、そっちの方が都合がいいかも、うひひ」
いやらしい笑みをこれでもかと浮かべる。
朋也(ったく、こいつは…)
春原の変態願望を押しつけられた奴には同情を禁じえない。
朋也(…待てよ)
それは、平沢にも回ってくる可能性があるんじゃないのか。
というか、普通にある。
………。
朋也「…いや、やっぱ、俺もやる」
春原「あん? なんだよ、いまさら遅ぇよ」
190:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:31:47.62:jpDSDOMkO
朋也「まだセーフだ。いいだろ、部長」
律「ああ、全然オッケー」
朋也「だそうだ」
春原「ふん、まぁ、いいけど」
これで少しは平沢に被害が及ぶ確率を下げられた。
よかった…
朋也(って、なにほっとしてんだよ、俺は…)
なんで俺がここまで平沢のことを気にかけているんだ…。
別に、いいじゃないか。俺には関係のないことだ。
………。
でも…どうしても耐えられない。
朋也(はぁ…くそ…)
厄介な感情だった。
律「で、梓はどうすんの? ずっと黙ってたけど」
梓「…やってやるです」
めらめらと灯った憎悪の眼差しを俺に向けながら答える。
朋也(俺をピンポイントで狙ってくる気かよ…)
191:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:32:08.22:+UZ/pLeq0
だが、あくまでランダムなので、特定の個人を狙うなんて、まず無理だ。
そこは安心していいだろう。
律「うし、じゃ、全員参加だな。そんじゃ、番号クジ作るかぁ」
―――――――――――――――――――――
ストローで作った番号クジ。
部長が握り、中央に寄せる。
そして、各々クジを引いていった。
「王様だ~れだ?」
皆一斉に手持ちのストローを確認した。
俺は4だった。
春原「きたぁあああああああっ!!!」
律「げっ、いきなり最悪な野郎がきたよ…」
春原「いくぜぇ…じゃあ、4番が王様の…」
朋也(げっ…)
春原「ほっぺたにチュウだっ!」
朋也「ぎゃぁああああああああああああ!!!」
春原「うわっ、どうしたんだよ、岡崎…」
193:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:33:18.03:jpDSDOMkO
春原「って、まさか…まさか…」
朋也「てめぇ、ふざけんなよ、春原っ! 俺にそんな気(け)はねぇっ!」
春原「おまえかよ…4番…」
律「わははは! いきなりキツいのいくからそういうことになるんだよ」
澪「岡崎くんと…春原くんが…キ、キキキス…ぁぁ…」
唯「ふんすっ、なんか興奮するね、ふんすっ」
紬「そういうのもアリなのね…なるほど…」
梓「…不潔」
にわかに外野が盛り上がり始めていたが…
対照的に、俺と春原は肩を落としてうなだれていた。
朋也「…いくぞ、こら」
春原「おう…こい」
朋也「陽平、愛してる」
春原「ひぃっ」
朋也「あ、その顔大好き!」
春原「ひぃぃっ」
194:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:33:36.86:+UZ/pLeq0
朋也「次その顔したらキスするからな」
春原「ひぃぃぃっ」
朋也「あ、今した。ぶちゅっ」
ひいいいぃぃぃぃ…
BAD END
朋也(おえ゛…)
今の大惨事を目の当たりにして、きゃっきゃと騒ぎ出す女たち。
こっちはそれどころじゃなかった。
春原「うう…変な芝居入れないでくれよ…」
春原は涙を流してい泣いていた。
朋也「ああ…俺も、やってて吐き気がこみあげてきたよ…」
春原「うう…じゃあ、やるなよぉ…」
とぼとぼと自分の席に戻るふたり。
律「あんたら、ほんとはデキてんじゃないのぉ?」
唯「アヤシイよねぇ」
澪「あ…あうあう…」
195:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:34:48.47:jpDSDOMkO
紬「くすくす」
梓「…ふ、不潔です…」
朋也「忘れてくれ…」
律「あーあ、写メ撮っとけばよかった」
唯「あ、そうだね。見入っちゃってたよ」
朋也「保存しようとするな…」
春原「…早く次いこうぜ。ムギちゃんで中和しなきゃ、精神が持たねぇよ」
律「わはは。はいはい、わかったよ」
―――――――――――――――――――――
「王様だ~れだ?」
俺は6を引いた。
紬「あ、私だ」
唯「おお、ムギちゃんかぁ」
律「ムギは初心者だからなぁ、何がくるやら…」
春原「ムギちゃん、僕を引き当ててねっ」
196:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:35:11.23:+UZ/pLeq0
そういうゲームでもない。
紬「じゃあ…3番の人と、5番の人」
紬「正面から、愛しそうに抱き合って♪」
律「おお、大胆だな…で、だれだ、3と5は」
唯「私、3番だよ」
澪「私…5番」
紬「まぁ…これは、これは…うふふふ…ひひ」
唯「えへへ、よろしくね、澪ちゃん」
澪「う、うん…」
席を立ち、向かい合う。
身長差があり、視線を合わすのに、平沢が上目遣いになっていた。
春原「…なんか、周りにバラ描きたいね」
朋也「…ああ」
唯「澪ちゃん…」
澪「唯…」
ごくり…
197:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:36:36.01:jpDSDOMkO
唯「…好きっ」
澪「唯…唯っ!」
ひし、っと抱きしめあう。
唯「ああ、澪ちゃん、おっぱい大きいよ…」
澪「唯…すごくいい匂いがする…」
唯「澪ちゃん…」
澪「唯…」
目を閉じて、お互いの鼓動を感じ合っていた。
紬「…ゴッドジョブ」
ゴッド…神?
びしぃ、と親指を立てていた。
左手には、携帯を持ち、カメラのレンズを向けている。
ムービーでも撮っているんだろうか…。
―――――――――――――――――――――
「王様だ~れだ?」
俺は5。
律「お、私だ」
198:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:37:00.52:+UZ/pLeq0
唯「りっちゃんかぁ、これは覚悟しなきゃかもね」
春原「なんだ、ハゲか」
律「な、てめ…」
律「………」
律「…後悔するなよ」
春原「あん?」
律「じゃ、いくぞ」
律「1番が…」
言って、素早く目だけ動かし、周りを確認していた。
律「いや、やっぱ、2番が…」
また、同じ動き。
律「うん…2番が、3番を…」
律「いや、やっぱ、4番かな…」
律「うんそうだ。2番が4番に、思いっきり左鉤突きを入れる!」
唯「ひだりかぎづき?」
200:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:38:12.11:jpDSDOMkO
朋也「打撃のことだ。つまり、殴れっていってるんだ」
唯「うえぇ!? な、殴るの!?」
律「さ、誰かな、2番と4番は~」
入れられる側に春原を狙っているんだろう。
あの、『後悔するな』という言動からしても、そのはずだ。
だが、そんなことが可能なのか…?
やけに余裕のある佇まいだ。
あの目の動き、何かを探っているように見えたが…
そこまで精度に自信があるということなのか…?
紬「私、2番…」
春原「…4番…」
…どんぴしゃだった。
律「おおう、こりゃ、春原、死んだかなぁ?」
紬「ごめんね、春原くん…」
春原「いや…ムギちゃんになら、むしろ本望だよ」
席を立ち、向かい合う。
さっきの甘い雰囲気とは違い、殺気立った空気。
紬「ショラァッ!」
201:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:38:35.50:+UZ/pLeq0
ボグッ
春原「があああっ!」
メキメキィ
骨のきしむ音。
紬「おおお!!」
肘打ち、両手突き、手刀、貫手、肘振り上げ、手刀、鉄槌…
琴吹の連打は続く。
律「…煉獄」
中段膝蹴り、背足蹴り上げ、下段回し蹴り、中段廻し蹴り…
朋也(すげぇ…倒れることさえできない…)
そこにいた全員が、その連打に目が釘付けになっていた。
紬「おおお!!」
紬「あ゛あ!!」
バフゥ
拳が空を切る。
春原が事切れて、すとん、と床に倒れこんだからだ。
202:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:39:01.97:NWTOuQ4+0
喧嘩商売好きなんだなwwww
俺も大好きです
203:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:39:44.19:jpDSDOMkO
紬「はぁー…はぁー…」
どれだけの時間打ち込んでいたのだろう。
時間にして、それほどでもないのかもしれないが…
ずいぶんと長く感じられた。
それは、連打を受けた春原自信が一番感じていることだろう。
紬「あ、ご、ごめんなさい、春原くん、つい…」
春原を抱き起こし、安否を気遣っていた。
春原「あ…う…ムギちゃん…素敵な連打だったよ…」
春原「僕…幸せ…」
どうやら、かろうじて生きていたようだ。
にしても…
朋也「部長…狙ったのか?」
律「ふ…まぁな。番号を指定した時、必ず表情に出るからな」
唯「りっちゃん、すごぉいっ! 遊びの達人だねっ」
律「おほほほ! まぁなぁ~」
澪「変なとこで突出してるからなぁ、律は…」
梓「律先輩、私にその技、伝授してくださいっ!」
204:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:40:10.07:+UZ/pLeq0
律「ばか者! 一朝一夕で身につくものではないっ!」
律「これは、私が踏み越えてきた数々の死線の中で、自然に身につけたものなのだ!」
律「おまえのような小娘には、まだ早いわっ!」
梓「う、うう…」
澪「大げさに言うな…遊んでただけだろ…」
―――――――――――――――――――――
「王様だ~れだ?」
6だった。
唯「あ、私だぁ」
律「唯か…正直、なにが来るか想像がつかん」
唯「えへへ、えっとね…」
唯「6番の人が、私を好きな人だと思って、愛の告白をしてください」
朋也(マジかよ…)
律「おお、なんか、おもしろそうだな、それ」
唯「んん? その他人事な口ぶり…りっちゃん、6番じゃないんだ?」
205:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:41:19.42:jpDSDOMkO
律「まぁな~。で、誰だ、6番は」
朋也「…俺だ」
唯「へ!?」
澪「え…」
紬「まぁ…」
律「うおぉっ、これは…まさかの二回目で、こんな内容」
律「しかも、相手は唯…かぁ~、持ってんなぁ、岡崎」
春原「これ、もうゲームじゃなくていいんじゃない?」
梓「ただのゲームですっ! 岡崎先輩も、その辺忘れないでくださいよっ!」
朋也「わかってるよ…」
朋也「あー…座ったままでいいか」
唯「う、うん…」
朋也「じゃあ…」
こほん、とひとつ咳払い。
朋也「明日朝起きたらさ…」
206:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:41:45.40:+UZ/pLeq0
朋也「俺たちが恋人同士になっていたら面白いと思わないか」
朋也「俺がおまえの彼氏で、おまえが俺の彼女だ」
朋也「きっと、楽しい学校生活になる」
朋也「そう思わないか」
唯「思わないよ。きっと、こんなぐだぐだな私に、腹が立つよ、岡崎くん」
朋也「そんなことない」
唯「どうして」
朋也「…俺は平沢が好きだから」
朋也「だから、絶対にそんなことはない」
唯「本当かな…自信ないよ…」
朋也「きっと楽しい。いや、俺が楽しくする」
唯「そんな…」
唯「岡崎くんだけが…頑張らないでよ」
唯「私にも…頑張らせてよ」
朋也「そっか…」
207:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:42:57.34:jpDSDOMkO
唯「うん…」
顔を伏せる平沢。
朋也「じゃあ、平沢…頷いてくれ、俺の問いかけに」
俺は、彼女をまっすぐ見据えてそう求めた。
唯「………」
朋也「平沢、俺の彼女になってくれ」
唯「………」
少しの間。
顔を上げることもなく、頷くこともなく…
ただ小さな声が聞えてきた。
よろしくお願いします…と。
律「…わお」
春原「成立しちゃってるね」
梓「はい、そこまでそこまでっ!」
中野が俺と平沢の間に体を割りこませてくる。
そして、平沢と対面し、その肩をがしっと掴んだ。
梓「唯先輩、これ、演技ですよ!? わかってますか?」
208:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:43:18.41:+UZ/pLeq0
唯「う、うん…」
梓「それと…」
俺に向き直る中野。
梓「岡崎先輩、なんで唯先輩の名前使ってるんですか!」
朋也「いや、だって、平沢を好きな奴と想定するって話だったろ…」
梓「仮想好きな人なんだから、偽名使ってくださいよっ!」
梓「これじゃ、ほんとに唯輩に告白してるみたいじゃないですか!」
朋也「いや、そんなつもりは…」
梓「ふん、どうだか。あわよくばって考えてたんじゃないですか」
朋也「いや…」
梓「あと、唯先輩がOKしたのも、仮想空間での話ですからね!」
梓「現実だったら振られてますからっ」
梓「ふんっ」
ぷい、とそっぽを向いて、自分の席に戻っていった。
朋也(なんなんだよ…)
209:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:44:42.43:jpDSDOMkO
律「ははは、唯と付き合うには、まず梓に認められなきゃな」
朋也「…知るか」
―――――――――――――――――――――
「王様だ~れだ?」
2を引いた。俺じゃない。
梓「…来ました。私です」
律「お、梓か」
唯「あずにゃん、おてやわらかにね」
梓「………」
睨まれる。やはり、俺に狙いを定めてくるのか…。
梓「決めました。皆で岡崎先輩をタコりましょう」
朋也「って、それじゃ番号クジでやる意味ないだろっ」
律「そうだぞ。私だってちゃんと実力で春原を地獄に叩き落したんだからな」
春原「ちっ…でも、ある意味天国だったけど」
律「攻撃するなら、ルールに則った上でやれよ」
211:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:45:09.13:+UZ/pLeq0
それも嫌だが。
梓「…わかりました。じゃあ…」
梓「1番と…」
そわそわと全員の表情を窺っている。
部長の真似事なのだろう。
梓「う…やっぱり、2番…」
梓「あう…4…いや5…6?」
混乱し始めていた。
梓「う…もう、7番と1番が、恋人つなぎしながら愛を囁いてくださいっ!」
大方、俺と春原を引き合わせて、屈辱を与えようとでも思ったんだろう。
もし外れても、部員同士なら罰ゲームにもならない。
だから、一発ギャグや、尻文字で自分の名前を書く、なんて露骨なものを避けたんだろう。
梓「だ、誰ですか…?」
律「1…」
春原「…7」
春原と部長のどちらもが真っ青な顔をして、震える声でそう告げていた。
唯「あはは、おもしろい組み合わせだね」
212:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:46:19.56:jpDSDOMkO
律「ぜんっぜんおもしろくねぇよっ」
春原「ムギちゃん、これ、罰ゲームの類だから。僕の本心じゃないからね」
律「そりゃこっちのセリフだっ」
唯「いいから、ふたりとも、そろそろやんなきゃだよ」
律「くそ…」
春原「ちっ…」
立ち上がり、近づいていく。
そして、その手がぎゅっと握られた。
律「…アンタ、カコイイヨ」
春原「…オマエモ、カワイイヨ」
律「アハハ」
春原「アハハ」
唯「カタコトじゃだめだよ。ちゃんとやらなきゃ」
唯「ルールは厳守しなきゃいけないんでしょ?」
律「うぐ…」
自分で課した掟が自分の首を絞めていた。
213:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:46:57.39:+UZ/pLeq0
律「あ、あんた、あれだよ、あの…」
律「そう、身長低くてさ、ヘタレで…ダサカッコイイよ」
春原「はは、おまえは、額とか残念だけど…デコカワイイよ」
律「あははは」
春原「ははは」
唯「…はぁ、りっちゃん、遊びの帝王だと思ってたのに…」
唯「あずにゃんにも、あんなにびしっと言ってたし…」
唯「それなのに、ルールのひとつさえ守れないんだね…」
律「う…わ、わかったよ…」
律「はぁ…」
律「あんたは、普段アホだけど…いざという時は頼りがいがあって…」
律「…かっこいいよ。漢だよ」
春原「お、おう。おまえも…よくみりゃ、顔も悪くないし…」
春原「か、かわいいと思うよ…」
春原「………」
律「………」
214:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:48:09.80:jpDSDOMkO
春原「ぐわぁああああっ!!」
律「のぉおおおおおおっ!!」
同時に手を離し、体をかきむしる。
春原「はぁ、はぁ、かゆい、かゆすぎるよっ!」
律「アレルギー反応だ! ヘタレアレルギー!」
床を転げ周り、ぎゃあぎゃあわめいていた。
紬「ふふ、行動がそっくり」
澪「だな。やっぱり、気が合うんじゃないか?」
―――――――――――――――――――――
「王様だ~れだ?」
朋也「おっ…俺だ」
春原「岡崎、僕とムギちゃんに、なんかエッチなの頼むよっ」
律「アホか、おまえはっ! 岡崎、こいつに罰ゲームくれてやれ!」
朋也(どうするかな…)
そもそも、俺は王様ゲーム自体に興味はない。
215:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:48:31.57:+UZ/pLeq0
朋也(そういえば…)
秋山がしきりに練習しようと訴えていたな…。
なら、ここで俺が切り上げてやるのも、悪くないかもしれない。
朋也「…よし、決めた。おまえら、練習しろ」
澪「え…岡崎くん…」
律「なぁんであんたがそれ言うんだよぉ」
唯「もうやめちゃうの?」
朋也「なんか、やらなきゃならないんだろ。よく知らねぇけど」
朋也「だろ? 秋山」
澪「え?…うんっ」
朋也「だったら、王様命令だ。練習、始めろよ」
律「うえぇ…つまんねー奴ぅ…」
唯「まだやりたいよぉ…」
朋也「中野、おまえも練習派だろ。何か言ってやれよ」
梓「え…あ…お、岡崎先輩に言われなくても、今言おうと思ってましたっ」
梓「こほん…律先輩、唯先輩、練習するべきですよ」
216:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:49:52.36:jpDSDOMkO
澪「うん。ちょうど一週できたしな」
律「まだおまえに回ってないじゃん」
澪「私に回っても、どうせ終わるんだから、同じことだろ」
律「ぶぅ~」
紬「それじゃ、今日はティータイムはお開きね」
唯「ムギちゃんが言うなら、しょうがないかぁ」
律「部長はあたしだぞっ」
澪「おまえは威厳がないからな」
律「なんだとっ」
春原「岡崎、まだ間に合う、最後に僕とムギちゃんを引き合わせてくれぇっ」
朋也「そんなに王様ゲームしたいなら、あのカメとサシでやれ」
朋也「あ、これは俺の個人的な命令だからな」
春原「プライベートでも主従関係なのかよっ!?」
律「わははは!」
澪「あの…岡崎くん」
217:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 00:50:42.26:+UZ/pLeq0
朋也「あん?」
澪「ありがとね。練習、するように言ってくれて」
朋也「いや、別に礼を言われることでもないだろ」
朋也「もとはといえば、俺たちがいたせいで始まったようなゲームだし」
澪「それでも、やっぱり、ありがとうだよ。私も、ちょっと楽しんじゃってたし」
朋也「そっか」
澪「うん」
朋也「まぁ、練習頑張れよ。俺が言えた義理じゃないけどさ」
澪「うん、ありがとう。頑張るよ」
言って、微笑んだ。
そして、俺に背を向け、準備に向かう。
春原「くそぅ…ムギちゃんお持ち帰りする計画がパァだよ…」
朋也(まだ言ってんのか、こいつは…)
最後まで合コン気分の抜けない奴だった。
―――――――――――――――――――――
次へ
他に体育館を使うクラブの姿はない。
この時間は本来、大多数の生徒にとって、昼休憩になっているはずだからだろう。
男子生徒「ああ、来た?」
体育館に足を踏み入れると、すぐにファンクラブの男がやってきた。
この試合の段取りを組んだ奴だ。
薄々思っていたが、やっぱり、こいつが現代表なんだろう。
春原「おう、来てやったぜ」
男子生徒「絶対あの約束は守れよ」
春原「わかってるっての。おまえらこそ、破んなよ」
男子生徒「そんなことしないよ。そこは安心してくれ」
自信たっぷりに言って、また仲間の輪に戻っていった。
律「マジで頼んだぞ、おまえら。あんなのに調子乗らせたくないからな」
春原「任せとけって」
キョン「やれるだけの全力は尽くすよ」
俺も口を開こうとした時、向こうから、ボールの跳ねる音がした。
見れば、相手のバスケ部がアップを始めていた。
定位置からシュートをする者、ドリブルをして、動きを確かめる者…様々だった。
…懐かしい風景。
俺もかつてはその中の一人だったのだ。
けど、今は…
俺は自分の体を見下ろす。
制服のままの格好。
こんな姿で、かつて情熱を燃やしていたバスケをやるなんて、皮肉だ。滑稽すぎる。
唯「…なんか、緊張してきた」
朋也「おまえがかよ。でも、今となっては、遊びの延長だぞ」
律「む、遊びとはなんだ、遊びとはっ! 真剣にやれっ!」
春原「そうだぞ。おまえ、奴らにバカ呼ばわりされたままで悔しくないのかよっ」
朋也「それはおまえだけだろ」
春原「僕がバカにされたら、おまえがバカにされたも同然なんだよっ」
春原「一人はみんなのために、みんなは一人のためにだっ」
こいつの背負う業が重過ぎて、輪に入れられた俺が一方的に損していた。
唯「でも、バスケ部の人たちと試合するんだから、それはやっぱりすごいことなんだよね」
唯「ほら、みんなすごく上手だし」
聞かれていたら、怒られそうなことを言う。
唯「こうやって毎日練習してるんだよね」
梓「私たちも、あれくらい真面目にやりたいです…」
澪「わかるぞ、その気持ち」
唯「まぁまぁ、今はそれは置いといて…」
手でどけるようなジェスチャーを入れる。
唯「そんな人たちと、集まったばっかりの私たちが戦うんだよ」
唯「今まで違う道を歩いてきた、私たちがね」
唯「もし勝てたとしたら…」
唯「この短い時間の中で、バスケ部の人たちよりも固い絆で結ばれたってことだよね」
唯「だとしたら、すごいことだよ」
唯「いつもは、まったりしてる私たち軽音部…時々、そのことで怒られちゃうこともあるよね」
唯「それと…不器用に、皆から離れていっちゃった、岡崎くんと春原くん」
唯「そのふたりと、今は仲良しだけど、出会う前は接点がまったくなかった、キョンくん」
唯「こんなにも、ばらばらで…みんなが一緒に、ひとつの目標に向かってるわけでもなくて…」
唯「もしかしたら、話すことさえなかったかもしれない私たちだけど…」
唯「それでも、力を合わせれば、頑張ってる人たちとだって、同じことが出来るってことだよね」
唯「普段は、ちょっと真剣さが足りない私たちでも、ね」
朋也「ああ…そうだな」
平沢の言いたいことはよくわかる。
俺も、春原もそんなふうに生きてきたから。
キョンの奴だって、きっと似たような感情を持ったことがあるはずだ。
所属している部のことを聞くたび、俺たちに近かったことがわかっていったから。
けど…現実はそんなに甘くない。
気持ちだけでは超えられない壁も、確かにあるのだ。
バスケ部員「話は聞いてるけど…おまえらが相手?」
ひとりのバスケ部員がやってくる。
春原「ああ、そうだよ」
バスケ部員「俺たち、もう始めたいんだけど」
春原「準備運動するから、ちょっと待っててくれよ」
バスケ部員「早くしろよ。さっさと終わらせて、飯にしたいんだからな」
機嫌悪く言い放ち、戻っていく。
春原「ちっ、感じ悪ぃな…」
朋也「昼飯前に駆り出されてんだ、気が立ってるんだろ」
屈伸しながら言う。
春原「だからってさぁ…言い方ってもんがあるだろ」
キョン「試合でその鬱憤を晴らすってのはどうだ?」
腕を伸ばしながら、ついでのように助言する。
春原「ま…そうだね」
春原も、手首、足首とひねりを加えてほぐしていた。
三人とも、好きなように柔軟をしている。
決まった順序なんかない。全員で同じ動きを強要することもない。
そんな無秩序さが、実に俺たちらしかった。
ひいては、軽音部の連中を含めた、このチーム全体の有りようを表しているようだった。
朋也「いくか」
キョン「おう」
春原「うしっ」
気合十分でコートに踏み入っていく。
向こうは、すでに三人揃っていた。
軽く体を動かしたりしている。
バスケ部員「ハーフコートじゃなくて、全面使うからな」
審判を務めるらしい部員が、ボールを持ったままそう伝えてきた。
朋也「ああ、わかった」
バスケ部員「ジャンプボールだ。そっちは誰がやるんだ」
朋也「キョン、頼む」
キョン「俺か?」
朋也「ああ。俺は無理だし、春原は背が低い。おまえが適任だ」
キョン「そうか。わかった」
センターサークルの中に両者陣取る。
そして、ボールが高く放られた。
キョン「岡崎っ」
最高到達点に達したところで、キョンがボールを叩き落とした。
俺の前に落ちてくる。
すぐさま拾い、そのままドリブルで切り込んでいく。
俺のマークはスピードで振り切ることができた。
だが、相手も一人ディフェンスに戻っていて、ゴール前で膠着する。
春原の姿を探す。反対サイドから走りこんでいるのが見えた。
それも、フリーで。
俺は一度ドリブルで突破するような素振りを見せ、パスを出した。
春原が受け取る。
春原「庶民シューっ!」
二、三歩ほどドリブルで距離をつめ、レイアップを決めていた。
キョン「ナイッシュ」
律「いいぞぉーっ、春原ぁ!」
唯「すごぉい、春原くんっ」
憂「春原さん、かっこいいですっ」
紬「ナイスシュートっ」
澪「先取点だよっ」
春原「へへ…」
にやついた表情を浮かべる春原。
その横から、ボールを持った敵がドリブルで抜き去っていった。
春原「あ、やべ…」
朋也「余所見すんなっ、この馬鹿っ」
律「死ねーっ、春原ーっ!」
唯「最悪だよぉ、もう」
春原「おまえら、てのひら返すの早すぎだろっ!」
紬「…はぁ…マジで、はぁ…」
春原「ムギちゃんまでっすかっ!? つーか、キャラまで変わってるしっ」
朋也「春原、いいから戻れっ」
春原「わかってるよっ」
3対2の状況も、春原が戻ったことで、やっとイーブンに戻った。
敵全員に俺たちのマークがつく。
キョン「っと…」
キョンがパスカット。
すぐに走り出す俺と春原。
カウンターの速攻だ。
キョン「いくぞっ」
キョンは一度春原の方を向いてフェイントを入れ、俺にロングパスを出した。
相手のコート、ツーポイントエリアで拾う。
俺がいるのは左サイド。
ここからレイアップに持っていきたいが、マークがしつこい。
春原もマンツーマンでつかれていた。
仮に今、俺についたこのディフェンスを突破できても、すぐにヘルプがくるだろう。
それくらいゴールに近い位置での攻防だった。
だがこれは、チャンスでもある。ヘルプが来たら、春原がフリーになるのだ。
そこで上手くパスを回せればいいが…
ここまで走ってきた疲労もあって、体がいうことを聞いてくれるかどうか自信が持てない。
朋也(キョンは…)
敵に背を向けて確認すると、自陣から上がってきているのが見えた。
ドリブルでキープしたまま、3対3の状況になるのを待つ。
これで、少し息も整えることができるだろう。
朋也(よし…)
その時が来て、まず一人、俺のマークをドリブルで抜き去った。
案の定、すぐにヘルプが来る。
俺は近くにいた春原にパスを出した。
が、今度はキョンについていたマークが春原をチェックしに来た。
必然的に、キョンはフリーになる。
春原「おし、キョン、いけっ」
春原がワンバンさせてパスを回す。
キョンはそれをしっかりと胸で受け取った。
スリーポイントラインの、外側で。
その位置から、ゴールに向けてボールを放つ。
綺麗な放物線を描き、ゴールに吸い込まれていった。
得点表がめくられる。
3点だ。
春原「うっしゃっ、ナイッシュゥ、キョンっ」
朋也「ナイッシュ。押してるぞ、俺たち」
キョン「おう」
ハイタッチを交わす三人。
律「うおー、すげーっ!」
唯「あんな遠い所からだからかな、3点も入ってたよっ」
憂「お姉ちゃん、スリーポイントっていうのがあるんだよ」
唯「え? そうなの? すごいシステムだねっ」
外野からは、のんきなやり取りが聞えてきていた。
バスケ部員「………」
対照的に、コート内はそう穏やかじゃなかった。
今のプレイで、部員たちの目の色が変わっていた。
おそらく、今まではキョンの動きを見て、素人に近いと踏んでいたんだろう。
だから、スリーポイントなんか、端から警戒していなかったのだ。
実際、キョンは、ドリブルやパスはそこまで上手くない。
だが、シュートには素質が感じられた。練習も、シュートを重点的にやっていた。
その成果が、今のスリーポイントだ。
プレッシャーのかかっていないドフリーからのシュートとはいえ、上出来だった。
しかし、これからはシュートもあると、相手も警戒してくるだろう。
まぁ、それを逆手に取ることも、もちろんできるのだが。
朋也(奇襲はもうやれないか…)
朋也(ま、なんとかなるか…)
朋也(こいつら、レギュラーってわけでもなさそうだしな…)
俺の予想はおそらく当たっているはずだ。
ここまでの試合運びが、楽にいきすぎている。
それは、あの二人も肌で感じていることだろう。
出し惜しみしているのか知らないが、このままいけば十分勝機はある。
朋也(よし…いくか)
その後も、パス回しからの連携や、春原の個人技、キョンのシュートなどで得点を重ねていった。
俺も、左からのレイアップのみだったが、なんとか得点に貢献できていた。
こっちもそれなりに失点していたが、まだまだ優勢だ。
バスケ部員「メンバーチェンジ!」
ボールがコート外に出たとき、タイムを入れて、そう宣言された。
選手が総入れ替えになる。身長が軒並み上がっていた。
ガタイも、ずいぶんとよくなっている。
春原「おいおい、あいつらってさ、やっぱ…」
キョン「だろうな…」
朋也「ああ…レギュラー陣だ」
春原「ちっ、ここにきてか」
キョン「後半分だ。やれないことはないさ」
春原「へっ、そうだね…」
しかし、そう楽観的にもみていられない。
あっちはスタミナが満タンな上に、技量も体格も上だ。
対して、こっちは消耗が激しく、素人が二人に、肩が壊れている男が一人。
ここまではなんとかやってこれたが、この後どこまでやれるか…。
朋也(とにかく、今はこっちボールだ)
朋也(攻めていくか…)
思いとは裏腹に、ボールをコートに戻すことさえそう簡単にさせてもらえない。
俊敏な動きでぴったりとつかれていた。
俺は苦し紛れにボールを投げ放ったが、すぐにカットされてしまった。
そのままの勢いで、一気に押し込まれ、得点を許してしまっていた。
朋也「わりぃ…」
キョン「いや、しょうがないさ。ああも、くっつかれちゃな…」
春原「まだ2点返されたただけじゃん。余裕だって」
朋也「すまん…」
キョン「謝らなくていい。いくぞ」
ぱんっと肩を叩かれる。
春原「おまえが謝るとか、らしくねぇっての」
朋也「ああ…そうだな」
再び気を奮い立たせる。
俺も、春原も、キョンも、必死になって食らいついていった。
朋也(くそ、俺に左からのレイアップしかないことがわかってやがる…)
相手には、俺たちの攻撃パターンも、ほぼ読まれていた。
それでも、レギュラー陣相手に、同等以上の戦いを演じて見せた。
だが、それも、終盤に差し掛かってから、かげりが見え始める。
春原「あ…ぐっ…はぁ…はぁ…」
キョン「はぁー…はぁ、っく…はぁ…」
二人の体力が底をつき始めていた。
それは、俺にしても同じことだったが…。
朋也「大丈夫か?」
春原「ああ、余裕すぎて、なんか眠いよ」
朋也「それ、死にかけてるからな」
朋也「キョンは?」
キョン「ああ…まだ、いけるぞ」
朋也「そうか…」
とてもそうは見えない。
肩で息をしていた。
強がりだということが、すぐにわかる。
朋也「残り30秒で、こっちボールだ。もう、このワンプレイで終わるぞ」
得点差は一点のみ。
俺たちが負けていた。
春原「泣いても笑っても、最後ってわけね…」
キョン「どうする? もう、パターンだいぶ読まれてるぞ…」
バスケ部員「おまえら、早く始めろよっ!」
怒声が届く。
朋也「ああ、すぐ始める」
そう冷静に返した。
朋也「いいか、ふたりとも」
俺は二人を抱き寄せて、最後の指示を出す。
キョン「了解」
春原「うまくいくといいけどねぇ」
コートに散る。
最初のパスでカットされればそれでゲームオーバー。
相手もそれがわかっているから、今まで以上に必死のディフェンスだ。
ぐるぐるとめまぐるしく変わる陣形…。
俺はボールを投げ入れた。
キョンの手に渡る。
不意に取られないよう、囲まれる前に俺に戻した。
ドリブルで中央に割って入る。
相手は意表を突かれた形になった。
俺は今まで左サイドからしかゴール下に入ることはなかったからだ。
一、二…
レイアップ! …の振りだけしてみせる。
思惑通り、目の前に影がよぎった。
俺は胸の前でボールを左手に移した。
そして、背後にいるのが春原だと信じてボールを浮かせる。
春原「よし、きたぁぁっ!」
春原の声。
振り返ると、ボールを両手に掴んだ春原が着地したところだった。
それに、春原についていたディフェンスが覆い被さる。
フェイントで振った後、ボールを床に打ちつけた。
高くバウンドしたボール。
助走と共に拾っていたのはキョン。
自分についたディフェンスを振り切って、そして…
ゴールとは反対方向にボールを投げていた。
ゴール正面のフリースローポイント。
そこで俺はボールを受け取っていた。
すべてのディフェンスを振り切って。
コートに立つ全員が俺を振り返っていた。
相手の、唖然とした顔が滑稽だった。
唯「岡崎くん、シュートだよっ」
平沢の声だけが、一際大きく聞えた気がした。
ああ…了解。
俺は上がらない肩もお構いなしに打った。
バスケ経験者とはほど遠い、不恰好な姿勢で。
それがすべてを象徴していた。
不恰好に暮らしてきた俺たち。
そんな奴らでも、辿り着くことができる。
道は違っても… 同じ高みに。
ぱすっ、と音がして、ネットが揺れていた。
一瞬の静けさ…
直後、割れんばかりの大歓声が起きた。
春原「よくやった、岡崎!」
キョン「岡崎ぃ、すごいじゃないかっ!」
律「やるじゃん、岡崎っ」
唯「岡崎くん、MVP賞受賞だよっ!」
憂「岡崎さんっ」
澪「岡崎くん…すごいよっ、ほんとに…」
紬「やったね、逆転よっ」
梓「まぁ…認めます。おめでとうございます」
みんなが駆け寄ってくる。
澪「みんな…すごいよ」
澪「唯が言ってた通り…力を合わせれば、こんなこともできるんだって…」
澪「わだし…ぐす…感動だよ…」
朋也「泣くな。これくらいのことで」
春原「そうそう。当然のこと」
キョン「ははっ、だな」
しばし、みんなで喜びを分かち合う。
俺たちとやりあっていたバスケ部員たちは、仲間に非難され始めていた。
そいつらも、手でバツを作ったり、首を横に振ったりして、抵抗を示しているようだった。
だが、そんな中にも、俺たちに拍手を送ってくれる奴らもいた。
本気で戦っていたことを、本物たちに認められたようで、それが少しうれしかった。
朋也「じゃあ、本題に移るか」
朋也「おい、つっ立ってないで、こっちこい」
ファンクラブの男を呼びつける。
しぶりながらもやってきた。
朋也「これで、文句ねぇだろ」
男子生徒「…文句っていうかさ…澪ちゃんは別に迷惑してなかったからいいだろ」
澪「え…」
男子生徒「そうだったじゃん。そんな嫌でもなかったんでしょ?」
春原「てめぇな、このごに及んで、なに言って…」
朋也「春原…」
手で制す。
春原「あん? なんだよ」
朋也「いいから、ちょっと黙ってろ」
春原「なんなんだよ…」
朋也「秋山、おまえはどうなんだ」
途中で止められ、怒りのやり場を失った春原をよそに、秋山にそう訊いた。
澪「そ、それは…」
朋也「嫌だったんだろ。はっきり言ってやれ」
澪「………」
男子生徒「おまえが言わそうとしてるだけだろどうみても。馬鹿か」
朋也「正直に言え。なにを言ったって、俺たちがついてるから」
俺は男の暴言に言い返すことはしなかった。
じっと、秋山の答えを待った。
澪「……です…」
男子生徒「え?」
澪「嫌です。もう、私に…」
澪「私に…」
澪「………」
澪「軽音部のみんなに、近づかないで」
最後には顔を上げ、しっかりと相手の目を見据え、はっきりと言った。
男子生徒「………」
男子生徒「ビッチすぎだろ…」
捨て台詞を吐き、残していた仲間と共に体育館から出ていく。
春原「ったく、拒否られたからって、最後に変なこと言っていきやがってよ」
朋也「あんな奴の言うことなんて、気にするな」
澪「う、うん…」
春原「今度見かけたら、ぶっ飛ばしといてやるよ」
澪「そ、それはダメだよ」
春原「遠慮すんなって」
澪「気持ちだけ、受け取っておくよ。ありがとう」
春原「…ま、いいけどね」
キョン「おまえは喧嘩したかっただけだろ」
春原「ちがわい」
律「いやぁ、でも、驚いたわ。あの澪が、あんなはっきり断り入れるなんてな」
律「幼馴染のあたしでも、今までみたことなかったのにさ」
澪「岡崎くんが、背を押してくれたから…」
俺を一瞬だけ見て、顔を伏せる。
俺も、あんな恥ずかしいセリフを吐いてしまった手前、なにか気恥ずかしかった。
勝って気分がよくなっていたとはいえ…猛省。
春原「おお? なに、いい雰囲気?」
律「初々しいねぇ、おふたりさん」
澪「え? ちちち、ちが…」
律「こぉのフラグ立て夫がぁ。略して立て夫がぁ」
俺を肘でつついてくる。
朋也「なにが立て夫だ…っ、あでででっ」
何者かに太ももをつねられる。
梓「………」
何食わぬ顔で中野が横に立っていた。
朋也「って、やっぱおまえかっ! なにすんだ、こらっ」
梓「すみません、ぎょう虫がいたもので、つい」
そんなのケツにしかいない。
律「あ~、立て夫が澪に優しくするもんだから…」
唯「ほらぁ、唯が元気なくしちゃってるじゃん」
唯「そ、そんなことないよぉ…ないよ…」
紬「ふふ、唯ちゃん可愛い」
憂「お姉ちゃん頑張ってっ」
唯「え、ええ? なんのことか、わかんないっ」
律「はは、まぁいいや。とにかく、祝勝会だっ」
律「部室行くぞぉ」
がし、っと秋山の肩に手を回した。
澪「あ、こら律、歩きにくいっ」
律「細かいことは気にすんなっ」
―――――――――――――――――――――
キョン「じゃ、俺はここで」
体育館から直接旧校舎の一階までやってくると、そう言った。
朋也「おまえ、こないのか」
キョン「ああ、バスケ終わるまでって、言ってあるからな」
春原「いいじゃん、ちょっとくらい」
キョン「そのちょっとが許されてたら、苦労してないんだけどな」
朋也「なんか、大変そうだな、おまえも」
あの日、文芸部室から出てきた時のこいつの顔を思い出す。
眉間にしわを寄せ、難しそうな顔をしていた。
いろいと複雑な環境なんだろう、きっと。
キョン「ああ、まぁな。でも…」
言いかけて、やめる。
キョン「…いや、なんでもない」
キョン「それじゃ」
唯「キョンくん、いつでも軽音部に遊びに来てね」
キョン「ありがたいけど…多分、顔を出すことはないと思う」
キョン「俺の居場所は、なんだかんだいって、あそこだからな」
親指で文芸部室をさす。
唯「そっか…そうなんだね」
キョン「ああ」
朋也「悪かったな、なにも見返りがなくて」
キョン「あったさ。久しぶりにおまえらとつるんで馬鹿やれたっていうな」
春原「うれしいこと言ってくれるじゃん」
朋也「ちょっと臭いけどな」
キョン「はは、最後までキツいな、岡崎は」
キョン「まぁ、それが、らしくていいよ。それじゃな。また機会があれば」
朋也「ああ、またな」
春原「じゃあね」
唯「ありがとう、キョンくん」
律「おつかれさん」
紬「ありがとう。おつかれさま」
澪「ありがとう、一緒に頑張ってくれて」
梓「ありがとうございました」
憂「おつかれさまでした」
俺たちの言葉を聞き終えると、部室に入っていった。
ドア越しに、また女と言い争うような声が聞えてくる。
だが、その声色に怒気は含まれていなかった。
どころか、生き生きとしているような印象さえ受けた。
俺も詳しくは知らないが、それだけでわかった。
あそこが、あいつの収まるべき場所なんだろう、と。
―――――――――――――――――――――
律「かんぱ~い」
唯「いぇい、かんぱ~い」
中央にティーカップを寄せ集め、チンッ、と軽く触れ合わせた。
律「しっかし、本業のバスケ部相手に…」
唯「えいっ」
パンッ!
律「っいっつ…って、なぁにすんだよ、唯っ」
唯「このクラッカー、試合中に使おうと思ってたんだけど、使い時がわからなくて…」
まだ持っていたのか…。
唯「それで、今使ってみました」
律「今もタイミングずれてるってのっ! 私のトークが始まろうとしてただろがっ」
律「しかも、こんな近くで放ちやがって…」
唯「えへへ、ごめんね。みんなの分もあるよ?」
律「反省の色がみえねぇ~…」
唯「やろうよ、みんなでさ、おめでと~って」
律「はいはい…」
全員に配り終える。
唯「それじゃ、改めて…」
唯「おめでとぉ~」
パンッ パンッ パンッ
次々に祝砲が上がる。
パンッ!
朋也「うぉっ…」
俺の横からクラッカーの紙ふぶきが飛んでくる。
腕を上げてガードしたのは、モロに食らってからだった。
梓「ちっ、火力が足りなかったか…」
一人だけ武器として扱っている奴がいた。
憂「梓ちゃん、人に向けて打ったらだめだよ」
梓「だって…自然と発射口が岡崎先輩を向くんだもん」
憂「自動照準なんて機能、ついてないよ…」
春原「ははっ、なんか知らないけど、おまえ、ナメられてるよね」
朋也「目潰しっ!」
パンッ!
春原「ぎゃぁああああああ目がぁああ目がぁああああっ!!」
両目を押さえながらもんどり打つ。
春原「なにすんだよっ! つーか…なにすんだよっ!」
朋也「二回言うな」
春原「ちくしょう、僕が失明でもしたらどう…ヒック…ぅう…すんだよ」
しゃっくりが出始めていた。
春原「ヒック…あー、くそ、止まんね…ヒック…」
朋也「ヒックヒックうるせぇな。心臓の動き止めろよ」
春原「無茶言うなっ! ヒック…」
律「普段はこんな奴らなのになぁ。試合の時とは、ほんと別人だよ」
紬「ふふ、そうね。でも、やる時はやる、って感じでかっこいいと思うな」
春原「え? ほんとに? ヒック…」
春原がしゃっくりを交えながら目を輝かせて反応する。
春原「ムギちゃん、僕のこと、そんなにかっこいいと思う? ヒック…」
紬「うん、ちょっと耳障りかな、その心臓の痙攣」
春原「暗に勘違いするなって言ってますか、それ!?」
律「わははは!」
春原「うぅ…ショックでしゃっくり止まっちゃったよ…」
紬「じゃあ、あと一押し足りなかったかな…」
春原「息の根も止めるつもりだったんすかっ!?」
律「はは、おまえ、ムギに相手されてねぇんだって。諦めろよ」
春原「んなことねぇってのっ」
律「変なとこで根性あるなぁ、こいつは…」
がちゃり
さわ子「おいすー」
唯「あ、さわちゃんだ」
さわ子「あれ? なに、この散乱してる紙ふぶきは」
さわ子「パーティーの中盤戦みたいになってるじゃない」
歩を進めながら言って、空いている席に腰を下ろした。
すかさず琴吹がティーカップをそばに置く。
さわ子「ありがと、ムギちゃん」
紬「いえいえ」
再びもとの席におさまる琴吹。
唯「試合が終わったから、おつかれさま会してたんだよ」
さわ子「あら、もう試合してきたのね」
唯「うん。でね、相手はバスケ部の人たちだったんだけど、それでも勝てたんだよっ」
さわ子「へぇ、やるじゃない」
春原「まぁね。楽勝だったよ」
澪「ほんとに、すごかったんですよ」
澪「途中、逆転されても、みんな、諦めないで頑張って…」
澪「背だって、相手の方がずっと高くて、有利だったのに…」
澪「それでも、最後には勝つことができたんです」
澪「私、すごく感動しました…」
さわ子「ふぅん、このふたりにそんな男気があったとはねぇ…」
春原「僕はもともと男気の塊みたいなもんでしょ」
朋也「取れたら、嬉しいんだか、嬉しくなんだかで葛藤する、あの塊のことか」
春原「それ、ミミクソの塊だろっ! 僕、どんな奴だよっ!?」
律「わははは!」
さわ子「そういえば、キョンくんは、いないのね」
さわ子「あの子も試合に出たんでしょ? 誘ってあげなかったの?」
律「いや、自分の部活があるからって、来なかったんだよ」
さわ子「ああ、なるほどね。あのクラブに入ってたんだっけ、あの子は」
あの、を強調して言った。
この人は、あいつの部活のことを知っているんだろうか。
そんな口ぶりだった。
さわ子「でも、岡崎。あんた、肩…大丈夫だったの?」
朋也「ああ…まぁ、なんとかな」
律「え? なに、肩?」
さわ子「あら…てっきり、聞いてるのかと思ってたんだけど…」
俺を見て、ばつが悪そうに表情を硬くする。
俺が話す前に、自分が半ば打ち明けてしまったことを、悪く思っているんだろうか。
今更こいつらに知られたところで、もうしこりが残るようなことでもないのに。
朋也「俺、肩壊しててさ。右腕が、肩より上に上がらないんだよ」
だから、俺の口からそう告げていた。
さわ子「岡崎…」
朋也「いいよ、平沢にはもう話してるしな」
さわ子「…そう」
事情を知っている者以外は、みな驚きの表情を浮かべていた。
律「そうだったのか…だから、練習中もシュート打ってなかったんだな…」
朋也「ああ、まぁな」
律「じゃあ…逆転決めた、あんたの最後のシュートも、肩庇いながら…」
朋也「ああ。それでかなり無様な格好になっちまったけどな」
澪「そんなことないよっ、すごく格好良かったっ」
朋也「そっか…サンキュな」
澪「ううん、本当に、そう思ったから…慰めなんかじゃないから」
朋也「ああ…ありがとな」
澪「うん…」
さわ子「…あらあら? 岡崎にも、ようやく春が訪れたのかしら?」
朋也「あん?」
さわ子「あんた、あの、恋する乙女の眼差しに気づかないの?」
澪「せ、せせ先生、なに言ってるんですかっ…」
さわ子「でも、澪ちゃんが、あの岡崎になんて、意外だわ」
さわ子「ああっ、でもそういう意外性もまた、若さの特権よねぇ…」
しみじみという。
この人もまだそんなに歳食ってもいないだろうに。多分。
澪「ち、ちが…」
律「うわぁ、澪、顔真っ赤だなぁ」
澪「な、う、うるさいっ」
律「で、実際どうなんだよ」
澪「な、なにが…」
律「いや、だから、岡崎だよ。アリかナシか」
澪「そ、それは…」
律「ありゃ、即答しないな? ってことは…」
澪「深読みするなっ」
ぽかっ
律「あでっ」
律「殴って誤魔化すなよなぁ…」
澪「おまえがへんなこと言うからだっ」
律「ああはいはい、すいませんでしたねぇ…」
律「って、しまった、また唯の元気がなくなってるし」
唯「わ、私は元気だよ…いつも通りだよ…」
澪「ゆ、唯、違うんだ、私は別に…」
唯「な、なんで謝るのぉ、澪ちゃん。いいじゃん、岡崎くんと澪ちゃんのカップル」
唯「どっちも、美形ですっごく似合ってるよっ」
澪「ゆ、唯までそんな…」
律「はは、唯、強がんなって、このこのぉ」
首に腕を回し、ぐりぐりと平沢の頭に拳を当てた。
唯「本心だよぉ…もうやめてぇ~りっちゃんっ」
いじられ続ける平沢。
しかし…
女というのは、浮いた話に持っていくのが好きな生き物なんだろうか。
なにかあると、すぐに冷やかされている気がする…。
朋也(…ん?)
俺の横の席、中野が何か両の手でくるくる回していた。
そして、おもむろに俺の頬に触れてくる。
朋也「…っだぁっつっ」
その指先から、バチッ、とした痛みが走った。
朋也「なにしやがった、こらっ」
梓「静電気ですよ」
朋也「はぁ? 静電気?」
梓「この、『電気バチバチくん』を手の中でこねると、静電気がたまるんです」
鉄製の棒のようなものに触れながら説明してくれた。
朋也(あぶねぇ…なんてもん持ってんだ…)
朋也「つーか、今俺が攻撃された理由がわからん」
梓「流れが気に食わなかっただけです」
梓「モテ男みたいに扱われて、調子に乗られたら嫌ですから」
朋也「思ってねぇよ、んなこと…」
憂「あの、岡崎さん」
朋也「うん? なんだ、憂ちゃん」
憂「何か、困ったことがあったら、いつでも言ってきてくださいね」
憂「私、力になりたいです」
それは、俺の肩のことを気にかけていってくれてるんだろう。
朋也「ああ、大丈夫。こんな肩でも、そこそこ不自由しないからさ」
憂「そうですか…?」
朋也「ああ」
梓「憂、この人なら、頭が吹き飛んでても不自由しないから、ほっといてもいいよ」
俺のアイデンティティが粉々にされていた。
梓と朋也のやり取りが面白いwwwwwww
憂「梓ちゃん、ほんと厳しいよね、岡崎さんに…」
梓「憂が甘すぎるんだよ」
朋也(っとにこいつは…生意気な野郎だ)
勝利の宴は、日が暮れるまで続いていた。
―――――――――――――――――――――
春原「うげぇえっぷ…ふぅ」
律「きったねぇな馬鹿野郎、勝手にすっきりしてんじゃねぇよ」
春原「生理現象なんだから、しょうがないじゃん」
律「あんたが炭酸飲み過ぎなだけだろ」
春原「いや、おまえのデコみたら、誘発されたんだけど」
律「ぬぁんだとぉ、この白髪染め野郎っ!」
春原「脱色だってのっ! 白髪なんか一本もねぇよっ!」
律「嘘つけっ、白髪染め液のパッケージにおまえっぽいのいたもんっ」
春原「別人だろっ! 似て非なるものだよっ!」
春原「育毛剤のパッケージにおまえ本人がいるならわかるけどさっ」
律「い、育毛剤だと!? こぉの野郎…」
春原「ふん…やんのかい? お嬢ちゃん…」
律「きえぇえええええっ!」
春原「ほおぁあああああっ!」
何かの動物のような鳴き声と型を取って威嚇しあう。
毎回のことなので、もう誰も止めようとしなくなっていた。
澪「岡崎くん、今日はありがとね」
ふたりが生む喧騒の外、秋山が俺に礼の言葉をくれた。
朋也「いや、別に。結果的に勝てたし、俺もわりと気分よかったからな」
澪「あ、そのこともなんだけど、もうひとつ…」
朋也「ん?」
澪「えっと…あの時、私に、正直になれって、後押ししてくれたこと」
朋也「ああ…」
澪「岡崎くんのおかげで、私、自分の気持ちがそのまま言えたんだ」
澪「今まで、怖がって、仲のいい友達にしか本音を言えなかった私が、だよ」
朋也「そっか。じゃあ、すっきりしただろ」
澪「うん、ちょっとね」
言って、苦笑する。
朋也「これからは本音だけで喋れよ」
朋也「例えば、ブルドックを可愛いって言う人がいたとするだろ?」
朋也「そしたら、正面から前蹴り食らったような顔面だ、って言ってやるんだ」
澪「あはは、それは、難しいかなぁ」
朋也「簡単だって」
澪「それは、岡崎くんだからだよ」
澪「岡崎くん、お世辞言いそうにないもんね」
朋也「ああ、臭いものは臭いって言うし、春原には馬鹿って言うぞ」
春原「聞えてるよっ!」
澪「あははっ」
―――――――――――――――――――――
各々が自分の帰路につき、俺と平沢姉妹だけが残った。
三人で今朝も歩いてきた道をいく。
唯「岡崎くん、澪ちゃんと仲良くなったよね」
朋也「そうか?」
唯「うん。だって、いっぱい喋ってたし…」
朋也「そんなでもないけど」
唯「でも、あの恥ずかしがり屋の澪ちゃんが、平気で話してるし…」
唯「それに、楽しそうに笑ってたし…」
朋也「単に慣れただけなんじゃないのか」
唯「そうなのかなぁ…」
朋也「そうだろ」
唯「う~ん…」
憂「岡崎さんって話しやすいですもんね」
憂「きっと、澪さんもそう思ったんじゃないかなぁ」
朋也「そんなこと言ってくれるのは憂ちゃんぐらいだよ」
言って、頭をなでる。
憂ちゃんも、笑顔で返してくれた。
唯「でもさぁ、岡崎くんもなんか楽しげだったよね」
唯「やっぱり、澪ちゃんみたいな美人さんとお喋りするのは楽しい?」
朋也「まぁ…そうだな」
容姿がよければ、大抵の男はそうだろうと思う。
唯「そうだよね…あはは…」
朋也「でも、俺の好みとしては、美人系よりかは、可愛らしい方がいいけどな」
唯「じゃあ…ムギちゃんとか?」
朋也「琴吹は、そうかもしれないけど、ちょっと大人っぽいしな」
朋也「だから、俺の中じゃ、きりっとしたイメージがあるんだよな」
唯「じゃあ、あずにゃんとか」
朋也「あいつはガキっぽすぎるっていうか…」
それ以前の問題な気がする。
朋也「まぁ、軽音部の中で言うなら…おまえが、一番近いよ」
唯「え…あう…わた、私…?」
朋也「ああ…まぁ、な…」
唯「それは…ご期待に添えられて、よかったです…」
朋也「いや…別になにも要求してないけどな…」
唯「そ、そうだったね…あははっ」
憂「岡崎さん、お姉ちゃんを末永くよろしくお願いしますね」
朋也「って、それ、どういう意味だ」
憂「さぁ? うふふ」
唯「う、憂っ、今日の晩御飯なに?」
憂「ん? 今日はねぇ、若鶏のグリルと…」
晩飯の話題で盛り上がる平沢姉妹。
俺はずっと横でそれを聞いていた。
いつしか俺は、こんな日々がずっと続いてくれればいいと…
そう、願うようになっていた。
―――――――――――――――――――――
4/25 日
朋也「ふぁ…ん」
早い時間、自然と目が覚める。
体に重さを覚えることもなく、寝直す気にもならない。
ここ数日、バスケの試合に向けて体調を管理していたおかげだろう。
まぁ、それも、単に体が疲れて早めに床についていただけの事だったが。
ともかく、生活サイクルが朝方に戻ってきたのは確かだった。
疲労とは、人の意思だけでは、どうにも抗い難いものだ。
休みたいという欲求が、平常時の思考を簡単に上回る。
まるで、本能のようにだ。
そのせいで、春原の部屋を出ていく時間が早まり、何度か親父と顔を合わせていた。
その瞬間はたまらなく嫌だったが、すぐに不快感は薄れ、意識はベッドへ向いていた。
俺のこだわっていた、つまらない意地なんて、現実的な負荷の前では無意味なものだ。
そういえば…前にも似たようなことを思ったことがある。
そう、芳野祐介の手伝いをした時だ。
朋也(とっとと中退して、働きでもしたら、やる気出るのかな…)
本当に出るだろうか…。
いや、とてもそうなるとは思えない。
まだ、何も考えずに授業を受けていたほうが楽な気がする。
食うために働き続ける…。
そんな歯車にはまってしまえば、自分が哀れに思えても、放棄することもできなくなってしまうのだろう。
考えただけでも、ぞっとする。
朋也(でも、もう後一年なんだよな…)
………。
やめだ。こんな重苦しいこと、朝っぱらから考えていたら、気分が滅入る。
朋也(いくか…)
重い気分を振り払うように、勢いをつけて体を起こした。
―――――――――――――――――――――
春原「ん…うひひ…」
朋也(まだ寝てやがる…)
春原の部屋。
ベッドの中で、幸せそうに寝息を立てていた。
こいつも、朝錬なんかしていたくらいだから、もう起きているだろうと見込んでいたのだが…。
春原「うひ…ひひ…」
どんな夢を見ているんだろう。
布団の端を掴んで、口の中でもごもごさせていた。
朋也(なにか他のものを入れてみよう)
俺は台所に向かった。
冷蔵庫を漁る。
いくつか適当に調味料を手に取って、また戻ってくる。
朋也(よし、まずはこれだ)
マヨネーズを口に近づけてみる。
春原「う…む…」
吸い出していた。
朋也(じゃあ、次は…)
コショウを近づける。
だが、さすがに非流動体では口で吸えないようだった。
朋也(だめか…ん?)
と思ったら、鼻の呼吸で吸い込み始めていた。
春原「ん…ぶはぁっ!」
荒々しく目覚める。
春原「げほっ…んだよ、マヨネーズ…?」
朋也「おはよう」
春原「うおっ、岡崎っ」
朋也「俺が来てやったんだから、もう起きろ」
春原「いや、まずどうやって入ってきたんだよ、鍵は…」
朋也「不用心にもかかってなかったぞ。しっかりしろよ」
朋也「まぁ、俺が昨日、閉めずに出たんだけどさ」
春原「なら、偉そうに注意促すなっ!」
朋也「んなマヨネーズみたいな感じで言われてもな…」
春原「僕の意思じゃねぇよ…起きたら、いきなりこんなんだったんだよ」
春原「昨日、無意識にマヨネーズで一杯やって寝ちゃったのかな…」
朋也「心配するな。そんな情けない宅飲みはしてないぞ」
朋也「俺が今、直接そそいでただけだからな。すっきり起きられるようにさ」
マヨネーズとコショウを手に持ってみせる。
春原「普通に起こせよっ! しかも、なんだよ、そんなに色々持ってきやがって…」
テーブルの上に置かれた様々な調味料に気づいたようだ。
春原「ワサビまであるしさ…」
朋也「おまえの体内で、全く新しい調味料を調合しようと思ったんだ」
春原「変な探究心燃やすなっ!」
―――――――――――――――――――――
春原「くそぅ、昼まで寝てようと思ってたのによ…」
着替えを済ませても、まだぶつぶつと文句を垂れ流していた。
朋也「せっかくの日曜なんだから、もっと有意義に過ごせよ」
春原「めちゃ脱力してうつ伏せになってるあんたに言われたくないんですけどっ」
朋也「ま、それはそれとしてだ…」
上体だけ起こす。
朋也「朝飯食いに行こうぜ。俺まだ食ってないし」
春原「いいけどさ。どこいくの」
朋也「朝定食があるとこ」
春原「じゃあ、近くにある適当な定食屋でいいよね」
朋也「この辺のはあんまり好きじゃないんだけど」
春原「なら、繁華街の方まで出る?」
朋也「遠い」
春原「マジでわがままっすね…」
朋也「やっぱ、宅配ピザ頼もうぜ」
朋也「それで、手がギトギトになって、部屋中油まみれにしよう」
春原「絶対外食にするからなっ!」
朋也「なんでも否定するな、おまえ。そんなに世の中に不満があるのか」
春原「あんたがめちゃくちゃなこと言うからでしょっ!」
春原「つーか、マジでどうすんの。そろそろ決めてよ」
朋也「そうだな、じゃあ、駅前に出るか」
朋也「琴吹がバイトしてるファストフードの店があるんだけど、そこにしよう」
春原「え!? ムギちゃん、バイトなんかしてんの?」
朋也「ああ、この前みかけたぞ。クーポンももらったしな」
春原「へぇ、偉いなぁ、お嬢様なのに。やっぱ、いい子だよ」
春原「うしっ、そうと決まれば、早くいこうぜっ」
朋也「そういきりたつなよ。俺の動く気が失せちゃうじゃん」
朋也「前日までテンション高かったのに、当日になって萎える感じでさ」
春原「あんた、面倒くさいぐらい繊細っすねっ!」
―――――――――――――――――――――
律「ありゃ、岡崎に春原じゃん」
駅前まで出てくると、偶然部長と鉢合わせた。
春原「げっ、部長」
律「なんだよ、その反応はっ」
律「こんな美少女に出会えたこと、神に感謝しろよっ」
春原「するかよ。むしろ、謝って欲しいぐらいだね」
春原「今からせっかくムギちゃんのバイト先に行こうってとこだったのにさ」
春原「はぁ…台無しだよ」
律「あん? なに、あんたらもあそこのハンバーガー食いに来てんの?」
春原「も…ってことは、おまえもかよ」
律「私はそうだけど…かぁ、なんだよ、目的地一緒なのか…」
春原「嫌なら、雀荘にでも入り浸ってろよ」
律「なんで雀荘なんだよっ! おまえがパチ屋にでも行ってろよっ!」
律「私の方が先に行くって決めてたんだからなっ!」
春原「いいや、僕だっ!」
律「私だっ!」
春原「………」
律「………」
だっ、と店まで駆けていくふたり。
朋也(そういう速さを競うのかよ…)
俺もその後を追う。
―――――――――――――――――――――
紬「いらっしゃいませ~…」
紬「あら…」
春原「いやぁ、いらしゃっちゃった」
律「割り込みすんなっ、アホっ」
春原「僕のが早かったってのっ!」
紬「あのぉ…」
春原「すみませんね、このデコがうるさくて」
律「なんだと、こらっ」
春原「あ、注文いいですか」
紬「はい。どうぞ」
春原「じゃあ…君の体を一晩…なんてね」
紬「ご注文は、廃棄ピクルスが一点、以上でよろしいですか?」
春原「死ねってことっすかっ!?」
律「ぶっ、うくくく…」
―――――――――――――――――――――
注文と会計を終え、テーブルにつく。
春原「ったく、なんでおまえが一緒に座ってんだよ」
律「しょうがねぇじゃん、他に席が空いてないんだからさ」
春原「他人の席に勝手に相席してウザがられてくればいいじゃん」
律「そんなの私のキャラじゃないしぃ」
律「おまえのが似合ってるぞ、普段からウザがられてるしな」
春原「あんだと?」
律「事実だろぉ?」
紬「お待たせしましたぁ」
琴吹が大きめの盆に注文の品を載せ、運んできてくれる。
またレジと代わってもらったんだろう。
春原「お、ムギちゃん直々に持ってきてくれるんだね」
律「センキュー、ムギ」
紬「これがお仕事だからねぇ。はい、どうぞ」
言って、テーブルに盆を置いた。
紬「今日は、三人で遊んでるの?」
律「違うよ、たまたま会っただけだって」
春原「そうそう。僕がわざわざこいつと遊ぶなんて、ありえないよ」
律「そりゃ、こっちのセリフだってのっ」
紬「まぁまぁ、ふたりとも。仲良くしなきゃ」
律「無・理」
紬「りっちゃん…もう、これからは部室でお菓子出せなくなるかも…」
律「え、なんでさ!? そんなことしたら軽音部じゃなくなるじゃん!」
それもどうかと思うが。
紬「だって…ふたりが喧嘩してるところをみるなんて、私、悲しくて…」
紬「そのショックで自我が保てなくなりそうなんだもの…」
律「んな、オーバーな…」
紬「だから、仲良くして?」
律「…わかったよ。でも、ちょっとだけだぞ」
紬「春原くんも、ね?」
春原「まぁ、ムギちゃんがそう言うなら、僕も少しぐらいは…」
紬「よかったぁ。それじゃ、握手しましょ」
春原と部長の手を取って、握らせる。
春原「………」
律「………」
紬「わぁ、ぱちぱちぱち~」
ひとりで拍手を送っていた。
紬「じゃあ、岡崎くん、このふたりをよろしくね」
朋也「ん、ああ…」
紬「では、ごゆっくり~」
最後は店員の職務に戻り、恭しく下がっていった。
朋也(よろしくったってなぁ…)
春原「……こっのっ…」
律「…くのっ…くのっ…」
握手から指相撲に移行していた。
朋也(どうしようもねぇだろ…)
―――――――――――――――――――――
春原「ムギちゃんが言うから、仕方なくちょっとだけ遊んでやるんだからな」
律「まんま私の事情だからな、それ」
差し当たって俺はこのふたりにゲーセンで遊ぶよう提案していた。
すると、どちらもゲーセン自体は好きだったようで、了承を得ることができていた。
春原「はっ、言ってろよ。でもな、馴れ合うつもりはないからな」
春原「男らしく、対戦できるゲームで勝負しろっ」
律「私は女だっつーのっ!」
最初からこんなんで、大丈夫だろうか…。
―――――――――――――――――――――
春原「うりゃりゃりゃっ!!」
律「ヴォルカニックヴァイパァーっ!!」
最初に選んだのは、オーソドックスに格闘ゲームだった。
画面の中で激しくコンボが交錯する。
俺はその様子を春原側の筐体から見ていた。
朋也(しっかし…)
同キャラ対戦だからなのかもしれないが、立ち回り方も大体似ているというか…
こいつら、やっぱり、ほんとは気が合うんじゃないだろうか。
春原「だぁ、くっそ…」
KOの文字がでかでかと表示されていた。
春原が負けたようだ。
春原「あっ、あの野郎…」
死体となった春原のキャラに、超必殺技が繰り出されていた。
春原「てめぇ、悪質だろっ!」
立ち上がり、向かい側にいる部長に噛み付く。
律「はーっはっは! 勝利者の特権だっ。悔しかったら勝つことだなっ」
向こうも筐体の上から顔を覗かせて、言い返してくる。
春原「ちきしょー、連コインだっ!」
律「オウ、きなさい、ボクチン」
結局、4連戦し、2勝2敗で引き分けていた。
―――――――――――――――――――――
春原「次はレースで勝負だっ」
律「のぞむところだっ!」
春原「岡崎、おまえも混じれよ」
朋也「ああ、いいけど」
―――――――――――――――――――――
運転席を模した筐体の中に乗り込み、硬貨を入れる。
コースと使用する車種を選ぶと、レースが始まった。
春原「うらぁああっ!」
律「あ、なぁにすんだよ!」
春原の車が一直線に部長車めがけて突っ込んでいった。
摩擦で煙を立てながら壁に押し付けられている。
律「くっそぉぉっ!」
アクセルを全開にして窮地を脱する部長の車。
今度は部長が春原のケツにつき、追突していた。
春原「てめぇっ!」
律「おりゃりゃっ!」
格闘ゲームのノリを引きずったまま、激突しあう。
俺が安全運転で一周してきても、まだ同じ場所で争っていた。
ふたりをその場に残し、周回を重ねるべく過ぎ去っていく俺。
春原「うわぁっ」
律「ひゃあっ」
朋也(なんだ?)
俺の画面に煙のグラフィックが立ち込めていた。
見れば、春原の車と部長の車が爆発して炎上していた。
朋也(なにやってんだよ…)
律「あーも、おまえがいっぱいぶつかるからぁ」
春原「おまえの車がもろいのが悪いんだよっ」
律「なにぃ?」
ゲーム内どころか、プレイヤー同士でも争いが起き始めていた。
その間もレースは進んでいく。
そして、常に安全運転を心がけていた俺が順当に1位を取っていた。
春原「あ、てめぇ、岡崎、ずりぃぞっ」
律「漁夫の利か、この野郎っ!」
言いがかりをつけ始められていた。
こんな時だけは結託する奴らだった。
―――――――――――――――――――――
朋也「なぁ、発想を変えて、協力プレイができるやつにしたらどうだ」
朋也「仲良くするっていうのが、一応の建前だろ」
春原「まぁ、そうだけどさ…」
律「協力かぁ…」
顔を見合わせる。
春原「はぁ…」
律「はぁ…」
同時にため息を吐いていた。
朋也「シューティングゲームでもやってみろよ」
朋也「ほら、あのテロリストを鎮圧する奴とかさ」
春原「…まぁいいけど」
―――――――――――――――――――――
春原「おまえ、けっこうやるじゃん」
律「へへっ、おまえもな」
やはり相性がいいのか、序盤は上手く連携し、なんなく突破していた。
このまま何事もなくいってくれればいいのだが…
春原「うわっ、なにすんだよっ」
律「あ、わり」
部長の放ったロケットランチャーの爆風に春原が巻き込まれていた。
春原「ちっ、今後は気ぃつけろよ」
律「感じ悪ぃなぁ…あんたが変な位置に居るのも悪いんだろ…」
フレンドリーファイアで少し空気が悪くなっていた。
お互い、単独プレイも目立ちだす。
律「あ、今のアイテム私が狙ってたのにぃ」
春原「早いもん勝ちだろ」
律「むむ……」
徐々に亀裂が大きくなっていく。
そんな時、事件は起きた。
律「あーっ、おまえ、私撃ったなっ!」
春原「わり、ミスった」
律「嘘つけ、アイテム欲しさに消そうとしたんだろっ」
律「殺られるまえに殺ってやるっ」
春原に向けてマシンガンを放つ部長。
画面が血で染まっていく。
春原「てめぇ、やりやがったなっ!」
春原も火炎放射やロケットランチャーで応戦していた。
ふたりとも、ボス戦に備えて温存しておいたであろう武器を躊躇なく使っていく。
ステージも破壊しつくされ、ボロボロになっている。
敵テロリストも真っ青の破壊活動だった。
―――――――――――――――――――――
律「やっぱ、協力はダメだな。勝負しなきゃ」
律「音ゲーで決着つけようぜ」
春原「ふん、のぞむところだ」
朋也「おまえに不利なんじゃないのか。相手は軽音部部長だぞ」
春原「関係ないね。僕の天性のセンスさえあれば」
朋也「あ、そ」
―――――――――――――――――――――
律「…ふぅ」
最後に一発、たんっ、と叩き終える。
部長が選んだのは、ドラム型の筐体だった。
その実力は、思わずプレイに見入ってしまう程のものだった。
この類のゲームをやったことのない素人の俺でも、だ。
恐ろしいスピードで迫ってくるシンボルをほぼ逃すことなく叩いていた。
あんなのに反応できるなんて、正直考えられない。
春原「…な、なかなかやるじゃん」
動揺を隠せていなかった。
GREAT!と表示された画面を見て固まっている。
律「次はあんたな。あたしより高得点出してみなよ」
春原「ふん、やってやるさ…」
硬貨を投入する。
そして、曲の選択が始まった。
どんどん下にスクロールしていく。
春原「ボンバヘッ入ってないとか、イカれてんな、これ…」
そんなのが入っているほうがおかしい。バグの領域だ。
春原「ま、いいや、これで」
選曲が終わり、ゲームが開始される。
ノリのいいヒップホップのリズムが流れてきた。
春原「YO! YO!」
MISS! MISS! MISS!
ガシャーンッ!
春原「…あ」
金網の閉じられるような音と共に、画面にはゲームオーバーの文字が躍る。
つでにブーイングも聞えてきた。
朋也(だせぇ…)
春原「なんだよこの機械っ! 僕のビートがわからないのかよっ!」
律「はっは、画面に八つ当たりするなよな」
春原「こんなポンコツで勝負しても意味ねぇってのっ」
春原「ボンバヘッも入ってないしよ…無効試合だっ!」
律「んとに、ガキだなぁ、おまえは…」
―――――――――――――――――――――
春原「だぁ、なにやってんだよ、ゼスホウカイっ!」
春原「おまえの単勝1点買いだったんだぞっ」
律「はは、馬鹿め、オッズに目が眩んだようだな」
律「3番人気なんて選ぶからそういうことになるんだよ」
次の勝負の場は、メダルを使った競馬ゲームだった。
律「複勝と合わせて多点買いしとけよなぁ」
春原「んなミミッチィことできるかよ。収支期待できねぇだろ」
律「マイナスよりマシじゃん」
春原「ふん、所詮、女にはわかんないか…」
春原「岡崎、おまえどうだった?」
朋也「キチクオウ→センゴクランスの馬単が的中だ」
春原「マジかよ!?」
律「ほぉ…」
春原「ちょっとめぐんでくんない?」
朋也「ああ? しょうがねぇな…」
―――――――――――――――――――――
ひとしきり遊んだ後、昼飯を食べに出た。
近場のファミレスに入り、腹を満たす。
春原「部長、おまえも女なら、もっとらしいもん頼めよな」
律「私ほどの美少女なら、なに食べてても絵になるのよ、おほほ」
部長が頼んだのは、分厚い肉料理だった。
そのうえに、ガーリックソースなんてゴツイものもかけていた。
春原「おい、岡崎、聞いたかよ」
春原「こいつ、すげぇナルシスト女だぜ」
律「おまえだって、メニュー言う時かっこつけてただろぉ」
律「通ぶって略しちゃってさ、まったく店員さんに通じてなかったじゃん」
律「どこのローカル呼称だよ、って顔してたぞ」
春原「発音がよすぎて、ネイティブにしか伝わんないだけだよっ」
律「焼き魚&キノコ雑炊なんて日本語しかねぇじゃん」
春原「&があるだろうがっ」
律「そこは略してただろうがっ」
朋也(うるせぇ…)
―――――――――――――――――――――
再びゲーセンに戻ってくる。
春原「おし、結構金も使っちゃったからな…次で決めるぞ」
律「ああ、いいぜ、雌雄を決してやるよ」
春原「最後だからな、おまえにジャンルを選ばせてやるよ」
春原「レディーファックユーってやつだ」
律「レディーファーストだろ…そのボケはちょっと無理があるぞ」
春原「いいから、選べよ」
律「そうだな…う~ん」
店内を見回す。
律「あ、あれは…」
振っていた顔を止め、ある一点を見つめる。
律「あれにしようか」
指さす先には、UFOキャッチャー。
律「たくさん景品取った方が勝ちな」
春原「なるほどね、いいよ」
春原は、不敵な顔でにやついていた。
得意なんだろうか、こいつは。
―――――――――――――――――――――
律「あのカチューシャ犬は特別、得点がでかいことにするぞ」
ケース内には、カチューシャをかけた犬のぬいぐるみがふてぶてしく鎮座していた。
小型、中型、大型とあるが、部長が指定したのは大型タイプだ。
律「あれが3点で、他のが1点な」
春原「いいけど…ブサイぬいぐるみだな」
律「かわいいだろがっ、特にチャームポイントのカチューシャが」
春原「そこが、僕の知ってる動物の同類にみえて、なんか馴染めないんだよね」
律「…それは、誰を指してるのかなぁ?」
春原「さぁね」
律「…ぜってぇ勝つ。私が勝ったら土下座して詫び入れろよな」
言いながら、財布から硬貨を取り出し、投入する。
デラデラと機械音が鳴り出し、アームがプレイヤーの制御下に置かれる。
チャンスは3回のようだった。
律「よし…」
まず一回目。
アームを一度横に動かしてx軸を合わせ、そのまま縦に移動させる。
狙いは大型カチューシャ犬のようだった。
律「今だっ」
ぬいぐるみに向かってアームが下りていく。
が、少し距離が足りず、手前で空を切っていた。
律「くそぉ…」
アームが初期位置に戻ってくる。
2回目。
さっきと同じように、ぬいぐるみの上まで持っていく。
今度は頭上に下りていった。
が、カチューシャ部分を掴んでしまい、するりと抜けていった。
春原「ははっ、そんにカチューシャ欲しいのかよ」
春原「もう自分のしてるくせに、他人から奪おうとするなよ」
律「うっさい、あんたは黙っとけ」
律「ちくしょお…」
3回目。大型は諦めて、小型狙いにしていたが、これも失敗していた。
結果、部長は0点。
春原が一つでも取れば、勝ちが確定する状況になった。
律「うぐぐ…」
春原「はは、ほら、どけよ。次は僕だ」
入れ替わり、春原がプレイする。
慣れた手つきで、アームを移動させていく。
小型カチューシャ犬に向けて、迷いなく進んでいく。
止める位置もばっちりに見えた。
アームが下りていく。
そして、見事掴んだまま持ち帰っていた。
春原「おらよ、これで、もう僕の勝ちだね」
取り出し口からぬいぐるみを出し、一度空中に放ってキャッチしてみせた。
律「うぅ…くっそ…」
春原「欲張ってあんなデカいの取ろうとするからだっての」
春原「あれはおまえの器以上の業物なんだよ」
律「だって…欲しかったし…」
しゅん、としおれてしまう。
それは負けたからなのか、目当てのものが取れなかったからなのかはわからない。
ただ、本当に欲しかったのだろうということだけはその様子から伝わってきた。
春原「…はぁーあ、普段はこんなことしねぇからな」
言って、UFOキャッチャーと向き合った。
春原の目線、狙う先は、大型カチューシャ犬に向けられていた。
朋也(こいつ、もしかして…)
アームが移動する。
止まったのはやはり、大型カチューシャ犬の頭上。
まっすぐにターゲットめがけて下りていくアーム。
そして、少し細くなっている首周りを掴んだ。
しっかりと固定される。
そのまま、こちらに持ってきて…
すとん、と落ちていた。
それを気だるげに取り出す春原。
春原「おらよ、やる」
律「え? いいのか?」
春原「ああ。僕は、こんなのいらないしね」
律「あ、ありがとう…」
受け取る。
大事そうに、ぎゅっと抱きしめた。
春原「ふん…」
照れ隠しなのか、わざとしらけた態度を装っているようにみえた。
春原「じゃあ、もういいか」
アームを二度小さく動かし、1ゲームを自分の意思で降りていた。
春原「ああ、そうだ、この小せぇのも、やるよ」
律「うん…ありがとう」
受け取って、大きい方と一緒に抱える。
律「あんた、上手いな、UFOキャッチャー」
春原「まぁね。この界隈じゃ、ゲーセン荒らしって呼ばれてるくらいだからね」
朋也「そうだな…」
朋也「おまえ、よく機械に体当たりして、振動を与えることで景品落としてるもんな」
春原「そういうブラックリストに載るような意味じゃねぇよっ!」
律「わははは!」
春原「ったく…」
いろいろあったが、部長も春原も、今は笑顔を浮かべていた。
これを機に、こいつらの仲が改善されていけばいいのだが…。
朋也(ダメ押ししとくか…)
朋也「おまえらさ、プリクラでも撮ってこいよ。俺がおごってやるから」
春原「なんで僕らが…」
律「そ、そうだよ、意味がわからん…」
朋也「そのプリクラ、明日琴吹に見せてやれよ」
朋也「それで、一日仲良く過ごしたって言えばいいじゃん」
朋也「口だけじゃ、信用されないかもしれないしさ。いつものおまえら見てるわけだし」
春原「………」
律「………」
ふたりともだんまりを決め込んでいる。
春原「…ま、僕はいいけど。ムギちゃんのためにね」
春原が先に口を開く。
律「…私も。おやつのために、しょうがなくだけど」
部長もそれに続く形で了承する。
朋也「そっか。じゃ、行ってこい」
春原に100円硬貨を4枚渡す。部長からはぬいぐるみを預かった。
シートをくぐり、筐体の内側に入っていくふたり。
しばらく静かだったと思うと…
律「おまえ、なんでこれ選ぶんだよっ」
春原「これが一番僕の写りがいいからね」
律「ざっけんなっ」
なにごとかわめき出していた。
そして、勢いよく出てきたと思うと、すぐに隣の落書きスペースに移動した。
そこでもシートが揺れるほど騒いでいる。
その騒音が収まったと同時、ふたりとも外に出てきた。
春原「ちくしょー、僕に変な文字上書きしやがって…」
律「私なんか目が半開きになってるやつだし…待ってって言ったのに…」
出力されたシールを手に苦い顔をしている。
朋也「なんだよ、さっきまでいい感じだったのに…」
春原「岡崎、見てくれよ、これ」
朋也「あん?」
プリントシールを受け取る。
二つに区切られた枠の片方に写っている春原には、上から罵詈雑言が書きこまれていた。
もう、悪口なのか春原なのかわからないほどに。こっちは部長が編集したのだろう。
もう片方は、春原の周りにオーラのようなものが描かれていた。
まるで、なにかの能力者のようにだ。どっちがどっちを編集したか一目でわかる出来だった。
一方、部長の方だが、キメポーズの途中だったのか、残像が写っていた。
その顔も、引力に引きずられているような感じになっている。
春原「ざけやがって、デコっ!」
律「死ね、ヘタレっ!」
ああ…結局最後はこうなってしまうのか…。
―――――――――――――――――――――
4/26 月
唯「岡崎くんたち、きのう、りっちゃんと遊んだんだってね」
朋也「ああ、そうだけど…」
なんでこいつが知っているんだろう。
唯「りっちゃんから写メ来たんだよねぇ…ほら」
疑問に思っていると、平沢が携帯の液晶画面を見せてくれた。
そこに映し出されているのは、あのぬいぐるみだった。
唯「これ、春原くんに取ってもらったんだよね?」
唯「りっちゃん、すごく気に入ってるみたい」
唯「待ち受け画面にしてるんだってさ」
朋也「へぇ…」
人に報告したくなるくらいなら、相当嬉しかったんだろう。
あの後、いつものように春原と軽口を叩き合って別れていたのに。
それでも、家に帰って一旦落ち着けば、ぬいぐるみをその手に上機嫌となれたのだ。
一緒に遊んだ半日も、そう無駄ではなかったようだ。
唯「でもさぁ、私も呼んでくれればよかったのに。暇だったんだよ、きのう」
憂「お姉ちゃん、結局一歩も外に出なかったもんね」
唯「そうだよぉ、引きこもり歴丸一日になっちゃったよ。これから続く引きこもり人生の初日だよ」
朋也「でも、ゲーセンだぞ? おまえ、ゲームとかするのか」
唯「う~ん…しないかなぁ…」
朋也「じゃあ、意味ないじゃん。結局、来ても暇なままだろ」
唯「そんなことないよ。応援とかしたりさ…」
唯「あ、ほら、あの、負けたら怒って台叩くのとかやってみたいし」
朋也「それはギャラリーがやることじゃないからな…」
憂「お姉ちゃんは、モグラ叩きとか得意なんじゃない?」
唯「へ? なんで?」
憂「こう、リズムに乗って、えいっ、えいっ、ってするのとか好きそうだし」
唯「そうだね、うんたん♪ うんたん♪ って、カスタネットに似てるしね」
そうだろうか…まずジャンルからして違う気がする。
憂「そんな感じだよ。お姉ちゃん、やっぱりモグラ叩きの才能あるよっ」
全肯定だった。
やっぱりこの子も平沢の血筋なのか…。
唯「えへへ、ありがと」
姉もそれを真に受けている…。
恐るべき一族だった。
―――――――――――――――――――――
がらり。
ドアを開け、教室に入る。
春原「やぁ、おはよう」
すぐに寄ってきたのは、妙に元気な金髪の男だった。
春原「一緒に登校してきてるって、やっぱマジだったんだね」
春原「仲いいじゃん、おふたりさん」
朋也「いや、つーかおまえ、なんで朝からいるんだよ」
朋也「きのうは昼まで寝てたいとか言ってたくせによ」
春原「ん? べっつにぃ…」
唯「でも、偉いよ、春原くん。その調子でこれからも頑張ってねっ」
春原「ああ、そうだねぇ…」
男子生徒「おっ、春原、岡崎。おまえら、バスケ部と試合して勝ったんだって?」
男子生徒「けっこう噂になってるぞ」
春原「まぁねっ! 楽勝だったよっ!」
男子生徒「すげぇな。ただのヤンキーじゃなかったのか」
春原「たりまえじゃんっ。超一流スポルツメンよ、僕?」
自慢げに語り出していた。
朋也(まぁ、そんなことだろうと思ったけど…)
あまりにも露骨過ぎて、こっちが恥ずかしくなってくる。
唯「う~ん、私も自慢したくなってきたっ」
朋也「やめとけ…」
―――――――――――――――――――――
………。
―――――――――――――――――――――
昼。
和「あなたたち、一昨日は大活躍だったんですってね」
春原「そうっすよ、もうボッコボコに…」
和「………」
やっと、うんたんktkr
春原「あ、いや…」
春原「…そうだよ、すげぇかましてやったんだよ」
和「勝敗は聞いてたんだけどね。あとひとり、助っ人がいたことも」
和「あの非合法組織から人材が派遣されるなんて、ちょっと驚いたけど」
キョンのことだろう。
しかし…
朋也「非合法?」
和「ええ。SOS団といって、学校側から正式に認可されていないクラブがあるの」
和「そこの構成員よ。知らなかったの?」
朋也「いや、俺はよく知らないけど」
春原「なにしてるかよくわかんない、変な奴らなんだよね」
和「そうね。詳しい実態はつかめていないんだけど…」
和「普段は、ボードゲームに興じたり、イベントを企画したりしているらしいわ」
和「まぁ、言ってみれば、唯たち軽音部のような空気を持った集団ね」
律「あんな過激な奴らと一緒にするなよなぁ」
和「過激なのは団長の涼宮さんひとりだけで、後は比較的まともでしょ?」
律「まぁ…確かに、キョンの奴は普通だったけど…」
律「あ、でも、あんな部活入ってるし、このふたりとも友達だし、やっぱ変かも…」
春原「どういう意味だよっ」
和「友達?」
春原「ん? ああ、僕と岡崎の友達だよ、キョンは」
和「へぇ…興味深い人付き合いしてるのね、あなたたち」
朋也「そうか?」
和「そうよ。だって、この学校では特異とされる存在同士が交わっているんですもの」
和「それも、あなたたちふたりを起点にしてね」
和「そこになにか、物語めいたものを感じるわ」
朋也「そういうもんか…」
言われても、自分ではあまりピンとこない。
律「しっかし、和も大変だよなぁ、こうも問題児が多くてさ」
律「もしかして、歴代で一番大変な生徒会長になったんじゃないのか」
和「かもしれないわね。でも…おもしろい人間がそろった年代だとも思うの」
和「あんたたち軽音部も含めてね」
澪「え、ええ? 私たちもか?」
和「ええ。だから、同じ学校、同じ学年にいられたこと、誇らしく思うわ」
澪「誇りなんて、そんな…」
唯「和ちゃん、シブイこと言うね」
和「そう?」
唯「うん。なんか、この次会う時は、一人称が『俺゛』になってそうなくらいだよ」
和「今のどうやって発音したの…」
こうして俺たちと普通に会話している真鍋だが…
それも、表の顔で、裏ではいつも高度な政治戦を繰り広げているのだ。
おもしろい人間…そうは言うが、こいつ自身も強烈な個性を持っていると、俺は思う。
―――――――――――――――――――――
………。
―――――――――――――――――――――
放課後。軽音部部室に訪れ、茶を飲み始める。
唯「今日は私からもみんなにプレゼントがあります」
唯「さぁ、受け取るがよい、皆の衆」
鞄を逆さにして、上下に振った。
中から大量に何かが落ちてくる。
澪「…ウメボシ太郎?」
律「なぁんだよ、これはっ」
唯「ウメボシ太郎」
律「いや、見りゃわかるよ。そうじゃなくて、量のこと言ってんのっ」
唯「いやぁ、実は、ウメボシ太郎が食べたくなる衝動に襲われちゃってさぁ」
唯「それで、いっぱい買ったんだけど、二個食べたら飽きちゃったんだよね」
唯「あんなに渇望してたのにさ…」
梓「すごい次元の衝動買いですね…」
唯「でもそういうことってあるよね?」
律「まぁ、あるけどさぁ…ここまではねぇよ」
澪「いや、おまえもけっこうひどいぞ」
澪「中学の時、修学旅行先で木刀三本も買ってたじゃないか」
澪「それで、旅行中ずっと私に試し切りしてきたけどさ…」
澪「帰ってから一度も触ってるとこみたことないぞ」
律「う…よく覚えてるな、そんなこと…」
梓「律先輩、典型的な中学生だったんですね」
律「う、うっさい」
春原「はは、そんなもん買ったって、荷物がかさむだけじゃん」
春原「普通、自宅に送ってもらうだろ」
律「って、おまえも買ったんかい…」
春原「い、いや…一般論を言っただけさ」
絶対にこいつは経験者だ。
唯「でもさ、ムギちゃんの衝動買いってすごそうだよね」
紬「そんなことないよ」
とはいえ、高級料理店にふらっと立ち寄るくらいはしそうなのだが…
紬「たまに、M&Aするくらいだから」
企業買収だった!
澪「す、すごいな、ムギ…」
梓「さすがです…」
唯「M&A? なにそれ」
律「誰かのイニシャル? 二人組ユニット?」
春原「お笑い芸人にそんなのいたよね」
春原「きっと、個人的に呼んで、ネタみせてもらってるんじゃない?」
唯「おおぅ、そうだよ、それだよっ」
律「やるじゃん、春原」
春原「へへっ、まぁね」
アホが三人、ずれまくった結論で盛り上がっていた。
紬「梓ちゃんは、どんな感じなの?」
梓「私ですか…」
唯「あずにゃんは、なんかしそうにないよね」
律「計画とか立ててそうだよな」
梓「はぁ…でも、たまにしますけどね」
唯「え? ほんとに? なに買うの?」
梓「えっと…カツオブシ…」
唯「カツオブシ?」
律「カツオブシ?」
梓「あう…」
律「猫みたいな奴だな…」
唯「でも、あずにゃんのイメージにぴったりだよ」
律「カツオブシがか?」
唯「猫のほうだよぉ」
梓「み、澪先輩はなにかないんですか?」
澪「私? 私は…」
律「澪は衝動食いだよな。ヤケ食いでリバウンドとか…」
ぽかっ
律「いっつぅ…」
澪「そんな失敗談持ってないっ。いちいち変な情報出してくるなっ」
律「うぅ、わかったよ…。で、おまえはなんなんだ?」
澪「ん、私は、マシュマロとかかな」
梓「へぇ、澪先輩らしい感じがしますね」
律「でもそれってやっぱ、デブる要因になるんじゃ…」
澪「で、デブとかいうなっ」
律「ひぃ、すみましぇん…」
澪「ほんとにもう…」
澪「…あの、岡崎くんは、なにかあったりする?」
朋也「俺か? 俺は、そうだな…」
朋也「たまに甘いものが欲しくなったりするな。そんな時は駄菓子とかたくさん買ってるよ」
澪「へぇ…それって、反動っていうのかな?」
澪「岡崎くん、いつも甘いもの避けて、お茶とおせんべいだしね」
朋也「そうかもしれないな」
紬「甘いものが欲しくなった時は、いつでも言ってきてね。ケーキも、紅茶も用意するから」
朋也「なんか、悪いな、いろいろと…」
紬「ううん、全然よ」
律「春原、あんたはどうせエロ本とか大量に買ってんだろ?」
律「衝動買いっつーか、本能買いって感じでさ」
春原「馬鹿にすんなっ! ちゃんと厳選してんだよっ!」
春原「ジャケ買いなんか、素人のすることだねっ」
律「んな主張で胸張るなよ…」
朋也「おまえは、よく俺のジュース買いに走る衝動に駆られてるよな」
春原「パシリじゃねぇよっ!」
律「わははは! やっぱ、あんたオチ要員だわ」
春原「くそぅ…いつの間に定着してんだよ…」
―――――――――――――――――――――
部活も終わり、下校する。
澪「はぁ…結局今日も練習できなかった…」
律「だって めんどくさいんだもの りつを」
澪「相田みつをさん風に言うな」
律「いいじゃん、息抜きも大事だぜ」
澪「抜きすぎだ。それに、再来週にはもう創立者祭があるんだぞ」
澪「あんまりだらだらもしてられないだろ」
唯「でも、二週間以上もあるから、まだ大丈夫だよ」
梓「いえ、今のうちからしっかりしてないとダメですっ」
梓「三年生は出し物がないからいいですけど、一、二年生は準備がありますから」
梓「それに、ゴールデンウィークも挟みますし」
唯「えぇ~、でも、あずにゃんだってトークしながら紅茶飲んでたじゃん」
梓「あ…う、そ、それは…」
梓「あ、明日からちゃんとするんですっ!」
唯「ムキになっちゃってぇ、かわいいなぁ、もぉ」
中野に抱きつき、頭を撫で始める。
梓「あ…もう、唯先輩は…」
春原「なぁ、岡崎、創立者祭ってなんだっけ」
朋也「文化祭みたいなもんだ」
春原「ふぅん、そうなんだ。初めて知ったよ」
律「マジで言ってんの? あんた、ほんとにうちの生徒かよ」
春原「授業がないってことだけは知ってたよ。単位に関係ないし、ずっとサボってたけどね」
律「ほんとにロクでもない奴だな、おまえは…」
律「でも、今回は来てもらうぞ。またおまえらには機材運んでもらうからな」
春原「あん? やだよ、めんどくせぇ」
律「なに言ってんだよ、部室に入り浸って飲み食いしてるくせに」
律「今後もそうしたいなら、文句言わずに手伝えよな」
春原「ちっ、汚ねぇ取り引き持ちかけやがって」
律「相応の条件だろ。それと、朝からちゃんと来とけよ。文化系クラブの発表は午前中にあるんだからさ」
春原「午前中ぅ? まだ夢の中にいるんだけど」
律「夢遊病者のようになってでも出て来い」
春原「そんなことしたら、なにかの拍子に事故が起こるかもしれないじゃん」
春原「例えば、僕がふらついて、おまえに激突したりとかさ」
春原「それで、おまえが隠し持ってた育毛剤が床に転がりでもしたら、ショックだろ?」
律「最初から持ってないわ、そんなもんっ!」
春原「うそつけ、おまえ、いつも胸ポケットもり上がってるじゃん。入ってんだろ、例の物がさ」
律「ちがうわっ! これは携帯だっての!」
ポケットから取り出してみせる。
春原「そんな型のもん買ってきやがって、偽装に命かけてるね、おまえ」
律「本物の携帯だっつーの!」
折り畳んでいた状態から、ぱかっと開き、ディスプレイを春原に向けた。
春原「あれ、それ…」
律「っ! うわ、しまっ…」
そそくさと畳み直し、ポケットにしまった。
律「………」
ほのかに顔を赤らめて、決まりが悪そうに顔を伏せていた。
澪「ああ、そういえば…」
澪「律、春原くんにもらったぬいぐるみ、待ち受けにしてたんだっけ」
律「うぐ…」
春原「ふぅん、けっこう可愛いとこあるじゃん」
律「な、か、可愛いって、おま…」
唯「あはは、りっちゃん顔真っ赤ぁ~」
律「ゆ、唯、こら…」
紬「あら? ラブが芽生える感じ?」
律「む、ムギまで…」
いつもとは逆の立場で、揶揄される側に回っていた。
自分が的になるのはなれていないのか、しどろもどろだ。
春原「はは、ムギちゃん、僕、デコはお断りだよ」
律「な、な、なんだとぉ? あたしだってヘタレは願い下げだってのっ!」
春原「ああ? てめぇ、デコのくせに生意気だぞ!」
律「うっせー、ヘタレ!」
春原「ぐぬぬ…」
律「ぐぬぬ…」
紬「喧嘩するほど仲がいいってね」
澪「はは、そうかも」
春原「んなわけないっ!」
律「んなわけないっ!」
唯「あははっ、息ピッタリだよ」
春原「………」
律「………」
春原「けっ…」
律「ふん…」
似たような反応をする。
やはり、同系統の人間な気がする。
―――――――――――――――――――――
4/27 火
憂「あ、お姉ちゃん、寝癖ついてるよ」
唯「え、どこ?」
憂「襟足近くがハネちゃってるぅ…ちょっと待ってね」
立ち止まり、鞄からクシを取り出した。
撫でつける様に、やさしく平沢の髪をといていく。
憂「これでよし」
唯「ありがとぉ、憂」
憂「うん」
憂「………」
俺をじっと見てくる憂ちゃん。
朋也「ん? なんだ?」
憂「岡崎さんは、髪さらさらですね」
朋也「そうかな」
憂「はい。なにかお手入れとかしてるんですか?」
朋也「いや、したことないよ」
憂「ナチュラルでそれですか…うらやましいです」
憂「キューティクルも生き生きしてて、ツヤもあるし…」
憂「あの、触ってみてもいいですか?」
朋也「ああ、いいけど」
身をかがめ、憂ちゃんに合わせる。
憂「じゃあ、失礼して…」
手ですくうようにして、側頭部に触れてきた。
憂「うわぁ、女の子みたいです…いいなぁ」
唯「岡崎くん、私も触っていい?」
朋也「ああ、いいけど」
俯いたまま答える。
唯「ほんとだ、さらさらだぁ」
憂「だよねぇ…」
ふたりして好き放題触っていた。
朋也「そろそろいいか」
憂「あ、はい。ありがとうございました」
朋也「ん…」
体勢を戻す。
唯「シャンプーはなに使ってるの?」
朋也「スーパーで買った適当なやつ」
唯「そうなの? ほんとに全然気を遣ってないんだね…」
唯「でもさ、卑怯だよっ、そんなの。私はケアしても寝癖つくのにさ」
朋也「そういわれてもな…」
唯「髪が綺麗な分、どこかにしわ寄せがきてなきゃだめだよっ」
唯「例えば、脇がめちゃくちゃ臭いとか」
朋也「そんな奴と登校したくないだろ…」
唯「でも、それくらいじゃないと納得できないよっ」
唯「だから、岡崎くんは脇が臭いことに決定ね」
朋也「決めつけるな…」
―――――――――――――――――――――
………。
―――――――――――――――――――――
昼。
春原「おい、平沢。そこの醤油取ってくれよ」
唯「いいよぉ」
唯「はい、どうぞ」
春原「お、サンキュ」
受け取って、納豆にそそいでいく。
全体に絡めると、それを混ぜて、ご飯の上に乗せた。
春原「やっぱ、ご飯には納豆が至高だよね」
ひとりごちて、口に運ぶ。
春原「お゛え゛ぇえええっ!」
朋也「うわ、きったねぇな、至高のゲロ吐くなよっ」
律「そうだぞっ、もらいゲロでもしたらどうすんだっ」
春原「ちがうよっ! これ、醤油じゃなくてソースだったんだよっ!」
春原「平沢、てめぇ、僕をハメやがったなっ!」
唯「あわわ、ごめん。でも、ラベルが貼ってなくてわかんなかったんだよ…」
唯「だから、とっさに濁ってる方を選んじゃった」
春原「その時点で確信犯だろっ!」
朋也「まぁ、受け取った時気づかなかったおまえも悪いよ」
朋也「だから、前向きに考えて、事態を好転させろよ」
朋也「このケチャップで中和させたりしてさ」
春原「最悪のトッピングですねっ!」
律「わははは!」
―――――――――――――――――――――
………。
―――――――――――――――――――――
放課後。
今日は最初からさわ子さんも交えた状態で活動が始まった。
春原「おまえら、昔いたアーティストで、芳野祐介って知ってる?」
春原「あの人さ、今この町にいるんだぜ」
澪「えぇ!?」
梓「えぇ!?」
さわ子「えぇ!?」
さわ子「春原、それ、ほんとなの…?」
春原「ほんとだよ。この前、名刺もらったし」
春原「え~っと…」
上着のポケットをまさぐる。
春原「これだよ」
一枚の名刺を取り出す。
長い間ポケットの中に入れられていたのだろう…しわくちゃになっていた。
最悪の保存状態だ。
にもかかわず、声を荒げて反応していた三人の注目を集め続けていた。
梓「本物ですか…?」
春原「間違いねぇよ。顔も一致してたし」
春原「な、岡崎」
朋也「いや、俺は顔のことはよく知らねぇけど」
澪「岡崎くんも、みたの?」
朋也「ああ。その時、俺もこいつと一緒に居合わせてたんだよ」
さわ子「ちょっとそれみせて」
春原「いいけど」
名刺を受け渡す。
さわ子「…電設会社、ね…」
さわ子さんは名刺を眺め、そう小さくこぼしていた。
その表情は、なぜか複雑そうだった。
梓「びっくりです…同じ町に住んでたなんて」
澪「うん。全然知らなかった…でも、なんか感動」
律「そういえば、おまえ、かなり芳野祐介好きだったもんな」
澪「今でも好きだっ」
律「さいですか」
梓「澪先輩も、芳野祐介好きだったんですね…意外です」
梓「あの人、ハードなロックを歌ってますからね」
梓「澪先輩が書くような感じの詩とも、ずいぶんとかけ離れてますし」
澪「って、梓も好きなのか?」
梓「はいっ、すごく好きですっ。いいですよね、芳野祐介の音楽は」
澪「うんうん、だよなぁ!」
澪「歌詞は激しいのに、聞いてると涙が出そうになるくらい胸を打ってきたりするしな!」
梓「ですよね! それに、ギターのテクもすごいですし!」
ファン魂に火がついたのか、話題が尽きることはなかった。
アルバムがどうだの、お気に入りの曲はなんだのと語り合っていた。
律「話についていけねぇよ…」
唯「私もだよ…」
紬「私も芳野祐介さんの事はちょっと知ってるけど、あそこまでコアじゃないなぁ」
律「にしても…さわちゃんもファンなの? ずっと名刺見てるけど」
さわ子「え? ああ、ファンっていうか、まぁ、ね…」
さわ子「あ、これ、ありがと、春原」
言って、春原に返す。
律「なに? なんかワケアリ?」
さわ子「いや、まぁ…なんでもないわよ」
梓「ところで、春原先輩は、どこで見かけたんですか?」
春原「商店街を抜けたあたりだったよ」
梓「あの辺かぁ…あんまり行かないからなぁ…」
澪「私も…」
春原「もしかして、会いたいの? おまえら」
梓「それは、できたらそうしたいですけど…でも…」
澪「うん…遠くから見るくらいでいいかな」
春原「なんでだよ。せっかくなんだから話しかければいいじゃん」
梓「だって…芳野祐介って…その…引退理由が少し特殊ですし…」
梓「まずいじゃないですか。ファンなんです、なんて言ったりしたら…」
春原「ああ、そのことね…」
春原「ま、そんなことなら、僕と岡崎がいれば問題なく近づけるんだけどね」
春原「もう、知らない仲じゃないし」
といっても、そこまで親しいわけでもないが。
澪「そ、そうなの? すごいね…」
春原「ふふん、まぁね」
褒められて気を良くしたのか、したり顔になっていた。
春原「なんだったら、今から探しに出る?」
春原「運よく見つけられたら、話しかけられるぜ?」
梓「い、行きたいです!」
澪「私も!」
律「おまえら、きのうちゃんと練習しろとか言ってなかったか?」
澪「い、今は緊急事態なんだから、しょうがないだろっ」
梓「そうですよっ」
律「めちゃ力強いな、おまえら…」
さわ子「…私も行くわ」
律「うえぇっ? さわちゃんもかよっ!? でも、いいの? 仕事ほっぽりだして」
さわ子「大丈夫。バレなければいいのよ」
さわ子「こんなこともあろうかと、用意しておいた衣装があるの」
立ち上がり、物置へ向かった。
そして、俺たちのよく見慣れた服を手に戻ってくる。
さわ子「これよ」
唯「あっ、光坂の制服だぁ」
さわ子「そうよ。これを着て、生徒に変装するの」
律「いや、変装っていうより、コスプレに近いんじゃ…」
さわ子「歳的な意味で言ってるなら、死ぬことになるわよ?」
律「とっても似合うと思いますっ」
さわ子「よろしい」
―――――――――――――――――――――
外へ出てきた俺たちは、早速芳野祐介を探し始めた。
といっても、闇雲に動き回っているわけじゃない。
琴吹の携帯…それも、なにか特殊な業務に使われているものらしいのだが…
それを使って、周辺の工事情報を集めてから、手分けして現場に当たっていた。
―――――――――――――――――――――
紬「あの中にいる?」
春原「いや、いないよ」
紬「そう…」
これで、回ってきたのも3件目。
まだ他の連中からも、目撃の連絡が来ない。
春原「今日は仕事ないのかもね」
春原「もう、このままフケちまって、どっか遊びにいかない?」
春原「僕とムギちゃんふたりでさ」
俺たちは、琴吹と組んでスリーマンセルで動いていた。
携帯という連絡手段を持ちあわせていないので、誰かしらと組む必要があったのだ。
春原「岡崎も、気ぃ利かせて帰るって言ってるしさっ」
朋也「そんなわけねぇよ、俺はいつだっておまえの死角に存在するんだからな」
春原「マジかよっ!? つーか、なにが目的だよっ!?」
朋也「おまえ、気づいたらティッシュ箱が自分から遠のいてることないか?」
朋也「そういうことだよ」
春原「あれ、おまえかよっ! めちゃくちゃうざい現象なんですけどっ!」
紬「くすくす」
―――――――――――――――――――――
一度全員で駅前に集まる。
律「全然いなかったんだけど」
唯「私たちがみてきた方面も全滅だったよ」
紬「こっちも、だめだったわ」
澪「この地区の外で仕事してるのかな…」
朋也「いや…」
一台の軽トラが停めてある。
その向こう側に、人の動く気配。
朋也「いた」
さわ子「どこ?」
朋也「あそこだよ。いこう」
俺たちは軽トラに近づいていった。
朋也「ちっす」
荷台に荷物を乗せ終えた作業員に声をかける。
春原「どもっ」
芳野「…ん?」
芳野「ああ…いつかの」
どうやら覚えていてくれたようだ。
芳野「どうした。今日はまた大道芸をしにきたのか」
春原「はい、そんな感じっすっ」
春原「それで、今日は、その仲間も連れてきてるんすよっ」
芳野「後ろのお嬢ちゃんたちか」
さわ子「お嬢ちゃんとはご挨拶ね」
さわ子さんが前に出る。
さわ子「久しぶりね、芳野祐介。私のこと、忘れたとは言わさないわよ」
春原「…へ?」
その場にいた全員が目を丸くする。
芳野「あー…すまん。どこかで会ったことあるか?」
さわ子「私よ、私っ!」
メガネを外し、頭を激しく振りながらエアギターを始める。
俺にはなにがなんだかさっぱりわからなかった。
芳野「まさか…あんた、キャサリンか。デスデビルの」
さわ子「はぁ…はぁ…ようやく思い出したようね…」
芳野「しかし…その制服…」
さわ子「あ、こ、これは…」
芳野「あんた…留年してたのか」
ずるぅっ!
さわ子「そ、そんなわけないでしょっ! 今は教師をやってるのっ!」
さわ子「それで、この子たちは、私の教え子よっ」
芳野「そうか…でも、なんで教師のあんたが制服なんだ」
さわ子「それについては言及しないで。深い事情があるのよ…」
芳野「そうなのか…まぁ、いいが」
春原「……どうなってんの」
それは俺も知りたい。
芳野「それで…俺になにか用があるのか」
さわ子「あるのは、私じゃなくて、この子たちのほうよ」
芳野「あん?」
さわ子「みんな、あんたが芳野祐介ってこと、知ってるの」
さわ子「かつてアーティストとして活動していた、ね」
俺たちがひた隠そうとしていたことを、さらりと言ってのけていた。
芳野祐介はどんな反応をするのだろうか…
芳野「…そうか」
芳野「………」
芳野「悪いが、俺はもう、昔の俺じゃない」
芳野「だから、あんたらの用向きには応えられない」
やはり、壁を作っていた。かつての自分に対して。
澪「ごめんなさい…」
秋山が、泣きそうな顔で、ぽつりと小さくつぶやいた。
澪「私、芳野さんの引退理由、知ってました」
澪「当時の事を思い出したくない気持ちも、大体想像できてました」
澪「それでも、この町にいるってことを聞いて、どうしても会いたくて…」
澪「こんな、押しかけるようなマネをして…」
澪「本当に、すみませんでした…」
梓「わ、私も同じです。自分のことばっかり考えちゃって…」
梓「でも、会えたらどうしても伝えたかったんです」
梓「ずっとファンだったこと…あ、今でも好きですけど…」
梓「うん…あと…芳野さんの歌に、何度も励まされたことを」
澪「私も…そうです。落ち込んだ時、辛い時、悲しい時…」
澪「それだけじゃなくて、上手くいった時なんかも、聴いてました」
澪「歌詞にあるような、まっすぐな綺麗さにも、すごく感動しました」
澪「芳野さんの歌を聴くと、救われたような気持ちになるんです」
澪「だから、その…ありがとうございましたっ」
梓「あ、ありがとうございましたっ」
芳野「………」
投げかけられる言葉。ただじっと受け止める。
芳野「…いい生徒を持ったな」
ふたりに答えるでもなく、さわ子さんにそう言った。
その表情には、幾分の柔らかさがあるようだった。
さわ子「まぁね。みんな、私の自慢の生徒よ」
律「春原も?」
さわ子「ええ…多分」
春原「そこは断定してくれよっ!」
芳野「おまえらも、最初から知ってたのか」
朋也「ああ。悪かったよ、変な芝居につき合わせちまって」
芳野「いや…それなりに楽しかったからな」
ふ、と一度微笑む。
芳野「今の俺に、礼の言葉なんか受け取れはしない」
芳野「だが…」
芳野「その気持ちだけは、しっかりと噛み締めておく」
クサい言い方だったけど、この人が口にすると様になった。
芳野「名前は?」
澪「秋山澪です!」
梓「中野梓です!」
芳野「そうか」
芳野「澪、梓。君たちがいつまでも前を向いて歩いていけるよう…」
芳野「どんな逆境でも耐え抜いて、真っ直ぐ歩いていけるよう…」
芳野「この俺も祈ってる」
芳野「………」
芳野「じゃあ、またな」
それだけ呟いて、去っていく。
車に乗り込み、エンジンをかける。
すぐにその音は遠ざかっていった。
春原「…どういうこと? 僕、なんか混乱してきたんですけど…」
さわ子「一度、部室に戻りましょう。そこで話してあげる」
―――――――――――――――――――――
さわ子「あんたらには話してなかったけど…」
さわ子「私、昔この学校の軽音部で、バンドやってたのよね」
春原「え? さわちゃんってここのOBなの?」
さわ子「そうよ」
春原「へぇ、じゃ、先輩じゃん」
さわ子「ええ、だから、今まで以上に慕いなさいよ」
春原「オッケー、わかったよ、さわちゃん」
さわ子「その、さわちゃん、っていうのが、慕ってるように見えないんだけどね…」
唯「ちなにみこれが当時のさわちゃんだよ」
一枚の写真。
そこには、仰々しいメイクと衣装で不敵に笑うさわ子さんと、その仲間たちが写っていた。
さわ子「あ、こら、唯ちゃんっ、まだそんなもの…」
律「んで、これが音源な」
小さめのラジカセを手に持ち、再生ボタンを押した。
凶悪な音楽と、叫ぶような歌声が聞えてくる。
さわ子「こら、やめなさいっ」
平沢からは写真を奪い、部長からはラジカセを取り上げた。
春原「…さわちゃんって、けっこうヤバい人だったんだね」
さわ子「これは格好だけよ。中身は普通だったわよ」
そうだろうか。
この人の現在の性格を鑑みるに、当時もやっぱりスレていたんじゃなかろうか。
さわ子「あんたらふたりのほうがよっぽどヤンチャよ」
さわ子「すぐ喧嘩してくるんだからね。去年は大変だったわよ」
思い返してみれば、確かにそうだった。
よそで喧嘩してくるたび、学年主任に呼び出され、その都度この人がかばってくれていたのだが…
その時のはぐらかし方が妙に手馴れていたような…そんな気もする。
まるで、そんな立場に立たされたことがあるかのようにだ。
なら、やっぱり、この人も昔は無茶していたんだ。
俺たちに目をかけてくれるのも、そんな時代の自分と重ねてみているからなのかもしれない。
さわ子「ま、それはいいとして…芳野祐介だったわね」
梓「そうですよっ。どうやって知り合ったんですか?」
さわ子「対バンよ、対バン。この町のハコでずいぶん演ったわ」
梓「って、もしかして、芳野さんも、この町の出身なんですか?」
さわ子「そうよ。高校生の時に知り合ったんだけどね…私は光坂で、あっちは北高だったの」
梓「へぇ…」
澪「そうだったんですか…知りませんでした」
澪「公式プロフィールには、そういうこと書いてなかったですから」
律「よかったじゃん、マニア知識がひとつ増えてさ」
澪「うん…嬉しい…」
さわ子「まぁ、第一印象は最悪だったんだけどね」
さわ子「いきなり乱入してきて、マイク奪って、乗っ取ってくるし」
春原「…マジ?」
さわ子「大マジよ」
俺もにわかには信じられない。
あのクールな印象からはかけ離れすぎていた。
さわ子「あの頃のあいつは、そりゃもう、ヤバイぐらい暴れまわってたんだから」
さわ子「そのせいで、いろんなバンドから恨み買って、敵作って…」
さわ子「それでも、ずっと歌い続けてたわ」
さわ子「そんな姿が、若い私には、かっこよく映ったんでしょうね」
さわ子「次第に興味を持つようになっていったの」
さわ子「そして、あるライブの後、思い切って話しかけてみたの」
さわ子「粗野で荒々しい奴かと思ってたんだけど、話してみると、意外とシャイな上に無口でね」
さわ子「それに加えて、無愛想で…そうね、ちょうど岡崎みたいな感じだったわ」
春原「こいつ、悪人顔だもんね」
朋也「黙れ」
さわ子さんは続ける。
さわ子「でも、言葉数は少なかったけど、音楽に対する情熱はすごく持ってるってことがわかったの」
さわ子「そこからよ、よく話すようになったのは」
そこまで言って、紅茶を飲み、一呼吸入れた。
さわ子「…多分恋してたんでしょうね」
さわ子「気づいたら、あいつのことばかり考えるようになってたの」
さわ子「そして、3年生になって、進路も大方決めなきゃいけない時期がきて…」
さわ子「あいつにどうするか訊いてみたの」
さわ子「そしたら、卒業後は、上京して、プロのミュージシャンになるなんて言うのよ」
さわ子「それを聞いて、私も血がたぎったわ」
さわ子「じゃあ、自分もミュージシャンになって、こいつと同じ道を歩くぞ、って…」
さわ子「そう、思ったんだけど…」
さわ子「………」
さわ子「その後に続けて、『プロになれたら、好きな人と一緒になる』って、そう言ったの」
さわ子「聞けば、新任の女教師に惚れてるってことらしかったわ」
さわ子「失恋よ、失恋」
さわ子「そこで、私の恋は終わって、進む道も、てんで別方向に分かれちゃって…」
さわ子「それっきりになっちゃったのよ」
この人にそんな過去があったなんて知らなかった。
付き合いは長いつもりだったが、まだ踏み込めていなかった領域だ。
でも…今回、こんな話をしてくれるほどに、俺たちは想われている。
こそばゆいやら、うれしいやら…。
さわ子「ま、こんなとこかしら」
梓「先生…すごすぎます…尊敬ですっ」
澪「かっこいいです、先生っ」
紬「ドラマチックですね」
さわ子「そう? おほほほ、もっと褒めなさい」
律「ま、でも、要は、失恋しちゃったよ~って話だよな」
ビシッ ビシッ ビシッ
律「うぎゃっ痛っ、さわちゃ、痛いっ」
ビシッ ビシッ ビシッ
部長の額に容赦なくデコピンが次々に繰り出されていた。
唯「りっちゃんは一言多いよね」
律「唯にまともな突っ込みされるあたしって一体…」
額を押さえながら言う。攻撃はもう止んでいた。
さわ子「そうそう、これは余談なんだけどね…」
ゆっくりと口を開く。
さわ子「あいつが好きだった先生っていうのが、この学校で教師をされてたのよ」
澪「え? だ、誰ですか?」
さわ子「あなたたちは知らないと思うわ。3年前に退職されてるからね」
さわ子「伊吹公子さんっていうんだけど…」
唯「え? 伊吹さん?」
唯「もしかして、ショートヘアで、おっとりした感じの人?」
さわ子「え、ええ…今はどうかしらないけど、髪はショートだったわ」
唯「じゃあ…やっぱり、あの伊吹さんだ。先生してたって言ってたし」
梓「ゆ、唯先輩、知り合いなんですか?」
唯「うん。私がよくいくパン屋さんの常連さんだから、会えばお喋りしてるよ」
さわ子「へぇ…世間は狭いものねぇ…」
澪「で、どんな人なんだ?」
唯「えっとね、綺麗で、優しくて、それで…」
話し始める平沢。
そこへ熱心に耳を傾ける秋山と中野。
人の繋がりとは、不思議なものだ。
どこでどう交差するかわからない。
今回のように、意外な交流があったりする。
小さい町だったから、とくにそれが顕著なのかもしれない。
…ふと、思う。
俺も、そんな人と人の繋がりの中に入っていっているのではないか。
あんなにも人付き合いが嫌だった、この俺がだ。
なんでだろう。なにが始まりだったろう。
思い起こせば、それは、やっぱり…平沢からだったように思う。
唯「でね、そのパンが爆発して、周りにチョコが飛び散ったんだよ」
澪「…話が脱線していってないか」
唯「あ、ごめん。えへへ」
無邪気に笑う平沢。
できることなら、その笑顔を、ずっとそばで見ていたいと…
そう思う。
朋也(…俺、こいつのこと、好きなのかな…)
よくわからなかった。
でも…一人の人間としては、間違いなく好きだった。
―――――――――――――――――――――
4/28 水
唯「ふぁ~…んん」
朋也「眠そうだな」
唯「うん…きのうは遅くまで漫画読んでたから、寝不足なんだぁ…」
唯「ふぁあ~…」
大きくあくび。
唯「ほんとはすぐにやめるつもりだったんだけどさ…」
唯「読んでる途中で2、3冊なくなってることに気づいて、探し始めちゃって…」
唯「続きが読めないってなると、逆にすごく読みたくなって、必死だったよ」
憂「鬼のような形相で探してたもんね、お姉ちゃん」
唯「うん、あの時の私は、触れるものすべてを傷つけてたよ」
唯「そう…自分さえも、ね」
悲しい過去を持っていそうに言うな。
唯「それで、やっとみつけたんだけど、その喜びで、全巻読破しちゃったんだよねぇ」
朋也「寸止めされると、逆に、ってやつか」
唯「そうそう、そんな感じ。これ、なにかに応用できないかなぁ」
憂「勉強は?」
唯「だめだめ、止められたら、そのままやめちゃうよ」
朋也「練習はどうだ。部活でさ。逆にやりたくなるんじゃないのか」
唯「おお!? それ、いいかもしれないねっ」
朋也「じゃあ、今日は春原の奴に、妨害させるな」
朋也「隣で発狂したように、唯~唯~って言わせてさ」
唯「それ、なんかすごくやだ…」
朋也「そうか?」
唯「うん。練習より先に、春原くんが嫌になっちゃうよ」
朋也「それもそうだな」
言いたい放題だった。
―――――――――――――――――――――
………。
―――――――――――――――――――――
昼。
春原「へへ…みろよ、手に入れてやったぜ」
その手の中にあるものは、パンだった。
今日のこいつは、定食の他にパンも買いに走っていたのだ。
春原「謎のパン…竜太サンドだ」
朋也「どうでもいいけど、おまえボロボロな」
春原「しょうがないだろ、紛争地帯に突っ込んでたんだからよ」
確かに、今日のパン売り場は、そう表現していいほどに混み合っていた。
なんでも、学食erの間では、先週の告知以来、竜太サンドの話題で持ちきりだったらしい。
俺はこいつに聞いて初めてその存在を知ったのだが。
春原「生還できただけでも奇跡なんだよ」
春原「僕の目の前で、何人も志半ばにして力尽きていったからね」
春原「今でも、その浮かばれない霊が成仏できずに彷徨ってるって話さ」
そんなパン売り場はない。
澪「れ、霊…?」
律「真に受けるなよ、澪…」
春原「だから、売り子のおばちゃんにたどり着けた時は、本当に嬉しかったよ」
春原「もう、ゴールしてもいいよね…? って思わず口走っちゃったし」
自ら死亡フラグを立てていた。
律「でもさ、それって、竜田の誤植だろ。中身はどうせ普通のパンだよ」
春原「んなことねぇよっ! 竜太の味がするに決まってんだろっ」
律「いや、どんなだよ、それ…」
春原「それを今から解き明かしてやろうっていうんだろ」
意気揚々と包装紙を破り捨てる。
ぼろぼろぼろ
春原「げぇっ」
ぐちゃぐちゃになったパンが手にこぼれ落ちてきていた。
死亡フラグはパンに立っていたようで、しっかりここでイベントが起きていた。
春原「あ…ああ…」
朋也「もみくちゃになりながら戻ってきたからだな」
律「はは、おまえらしいオチだよ」
春原「ちくしょーっ! ふざけやがってっ!」
ゴミ箱に向かって竜太の塊を遠投する。
べちゃっ
春原「あ、やべ…」
男子生徒「………」
ひとりの男子生徒の後頭部に直撃していた。
ゆっくりと振り返る。
ラグビー部員「今の…てめぇか、春原」
ラグビー部員だった。
ラグビー部員「なんか叫んでたよなぁ? 俺がふざけてるとかなんとか…」
言いながら、どんどん近づいてくる。
春原「い、いや、違うんです、これは…」
ラグビー部員「言いわけはいいんだよっ! ちょっと顔かせやっ!」
首根っこを掴まれる。
春原「ひぃっ! 助けてくれ、岡崎っ」
朋也「それでさー、この前、春原とかいう奴がさー」
春原「他人のフリするなよっ」
春原「う…うわぁあああああああ」
あああああああぁぁぁ…
引きずられ、消えていく。
この後、春原は両頬を押さえ、泣きながら戻ってきていた。
―――――――――――――――――――――
………。
―――――――――――――――――――――
放課後。部室に集まり、いつものように茶会が始まった。
がちゃり
梓「すみません、ちょっと遅れま…」
梓「って、唯先輩、その席はだめですっ」
唯「え、ええっ?」
梓「ていっ!」
俺の隣に座っていた平沢を椅子から引っ張り降ろす中野。
唯「うわぁっ…」
唯「って、なんでぇ? 席決まってるわけじゃないのに…」
梓「この人の隣は危険だって言ったじゃないですかっ」
あずにゃんwwwwwww
唯「でも、いつも隣に座ってるあずにゃんはなんともないんだし…」
梓「そんなことないです! 常にいやらしい視線を感じてますっ」
朋也「おい…」
春原「おまえ、けっこうむっつりなんだね」
がんっ
春原「てぇな、あにすんだよっ」
朋也「すまん、故意だ」
春原「わざとで謝るくらいなら、最初からやらないでくれますかねぇっ」
律「まぁまぁ、梓。ここはひとつ、席替えしてみようじゃないか」
梓「え?」
律「いやさ、席決まってるわけじゃないっていっても、大体いつも同じじゃん?」
律「だからさ、ここいらでシャッフルしてみるのいいと思うんだよな」
紬「おもしろそうね」
律「だろん?」
澪「いや、そんなことより先に練習をだな…」
梓「席替えなんて嫌ですっ! リスクが高すぎますっ」
律「でもさ、リターンもでかいぞ」
律「おまえは唯と岡崎を離したいんだろ?」
律「もしかしたら、端と端同士になって離れるかもしれないじゃん」
梓「で、でも…」
唯「私、やりたい」
梓「唯先輩…」
唯「あずにゃん、これで決まったら、私も文句言わないよ」
唯「だから、やろ?」
梓「うう…」
梓「………」
梓「…はい…わかりました」
律「よぅし、決まりだな。じゃ、クジ作るか」
春原「なんか、合コンみたいだよね、この人数で席替えってさ」
律「あんた、めちゃ俗っぽいな…」
―――――――――――――――――――――
全員クジを引き終わり、席が決まった。
俺の両隣には、秋山と平沢。
俺の対面に位置する春原の両隣には、部長と琴吹。
そして、議長席のような、先端の位置に中野。
そこは、元琴吹の席だった場所だ。
唯「隣だねぇ、岡崎くん。教室とおんなじだよっ」
朋也「ん、ああ…だな」
澪「よ、よろしく…岡崎くん」
朋也「ああ…こちらこそ」
春原「ヒャッホウっ! ムギちゃんが隣だ!」
春原「…けど、部長もいるしな…右半身だけうれしいよ」
律「なんだと、こらっ! あたしの隣なんて、すべての男の夢だろうがっ」
律「全身の毛穴から変な液噴射しながら喜びに打ち震えろよっ!」
春原「あーあ、しかもここ、おまえがさっきまで座ってたとこだし…」
春原「なんか、生暖かくて、気持ち悪いんだよなぁ」
律「きぃいいっ、こいつはぁああっ! 心底むかつくぅううっ!」
梓「こんなの、納得いきませんっ! やり直しましょうっ!」
唯「ええ~、ダメだよ、あずにゃん。もう決まったんだしぃ」
梓「唯先輩は黙っててくださいっ!」
唯「ひえっ、ご…ごめんなさい…」
律「あー、わかったよ、梓。あたしも、この金猿が隣なんて嫌だしな」
律「今日だけにしとくよ。次回からは自由席な。それでいいか?」
梓「…わかりました…それでいいです」
春原「じゃ、次は王様ゲームしようぜ」
律「王様ゲームぅ?」
春原「せっかく合コンっぽくなってきたんだし、やろうぜ」
律「うーん…ま、そうだな、おもしろそうだし、やるか」
唯「いいね、王様ゲーム。久しぶりだなぁ」
紬「噂には聞いたことがあるけど、私、やったことないなぁ…」
春原「大丈夫、僕が手取り足取り、優しく教えてあげるよ」
紬「ほんと?」
春原「うん、もちろんさ」
律「ムギ、めちゃ簡単だから、なにも教わらなくても大丈夫だぞ」
春原「てめぇ、なにムギちゃんにいらんこと吹き込んでくれてんだよっ」
律「それはおまえがやろうとしてたことだろがっ」
澪「わ、私はやらないぞ…っていうか、練習しなきゃだろ」
澪「遊んでる場合じゃ…」
律「おまえが王様になって、練習しろって命令すればいいじゃん」
律「そしたら、そこでゲーム終了でいいからさ。素直に言うこと聞くよ」
澪「…ほんとだな? 絶対、言う通りにしてもらうからなっ」
律「へいへい」
朋也「ああ、俺はやらないから、頭数に入れないでくれよ」
春原「なんでだよ、女の方が多いんだぜ?」
春原「王様になれば、あんなことや、こんなことが…」
春原「やべぇ、興奮してきたよっ!」
朋也「おまえ、今めちゃくちゃ引かれてるからな」
春原「へ?」
春原は女性陣の冷たい視線を余すことなく集めていた。
春原「…こほん」
春原「まぁさ、こんな、みんなで盛り上がろうって時に、抜けることないだろ」
朋也「知るかよ…」
春原「ま、嫌ならいいけど。僕のハーレムが出来上がるだけだしね」
春原「むしろ、そっちの方が都合がいいかも、うひひ」
いやらしい笑みをこれでもかと浮かべる。
朋也(ったく、こいつは…)
春原の変態願望を押しつけられた奴には同情を禁じえない。
朋也(…待てよ)
それは、平沢にも回ってくる可能性があるんじゃないのか。
というか、普通にある。
………。
朋也「…いや、やっぱ、俺もやる」
春原「あん? なんだよ、いまさら遅ぇよ」
朋也「まだセーフだ。いいだろ、部長」
律「ああ、全然オッケー」
朋也「だそうだ」
春原「ふん、まぁ、いいけど」
これで少しは平沢に被害が及ぶ確率を下げられた。
よかった…
朋也(って、なにほっとしてんだよ、俺は…)
なんで俺がここまで平沢のことを気にかけているんだ…。
別に、いいじゃないか。俺には関係のないことだ。
………。
でも…どうしても耐えられない。
朋也(はぁ…くそ…)
厄介な感情だった。
律「で、梓はどうすんの? ずっと黙ってたけど」
梓「…やってやるです」
めらめらと灯った憎悪の眼差しを俺に向けながら答える。
朋也(俺をピンポイントで狙ってくる気かよ…)
だが、あくまでランダムなので、特定の個人を狙うなんて、まず無理だ。
そこは安心していいだろう。
律「うし、じゃ、全員参加だな。そんじゃ、番号クジ作るかぁ」
―――――――――――――――――――――
ストローで作った番号クジ。
部長が握り、中央に寄せる。
そして、各々クジを引いていった。
「王様だ~れだ?」
皆一斉に手持ちのストローを確認した。
俺は4だった。
春原「きたぁあああああああっ!!!」
律「げっ、いきなり最悪な野郎がきたよ…」
春原「いくぜぇ…じゃあ、4番が王様の…」
朋也(げっ…)
春原「ほっぺたにチュウだっ!」
朋也「ぎゃぁああああああああああああ!!!」
春原「うわっ、どうしたんだよ、岡崎…」
春原「って、まさか…まさか…」
朋也「てめぇ、ふざけんなよ、春原っ! 俺にそんな気(け)はねぇっ!」
春原「おまえかよ…4番…」
律「わははは! いきなりキツいのいくからそういうことになるんだよ」
澪「岡崎くんと…春原くんが…キ、キキキス…ぁぁ…」
唯「ふんすっ、なんか興奮するね、ふんすっ」
紬「そういうのもアリなのね…なるほど…」
梓「…不潔」
にわかに外野が盛り上がり始めていたが…
対照的に、俺と春原は肩を落としてうなだれていた。
朋也「…いくぞ、こら」
春原「おう…こい」
朋也「陽平、愛してる」
春原「ひぃっ」
朋也「あ、その顔大好き!」
春原「ひぃぃっ」
朋也「次その顔したらキスするからな」
春原「ひぃぃぃっ」
朋也「あ、今した。ぶちゅっ」
ひいいいぃぃぃぃ…
BAD END
朋也(おえ゛…)
今の大惨事を目の当たりにして、きゃっきゃと騒ぎ出す女たち。
こっちはそれどころじゃなかった。
春原「うう…変な芝居入れないでくれよ…」
春原は涙を流してい泣いていた。
朋也「ああ…俺も、やってて吐き気がこみあげてきたよ…」
春原「うう…じゃあ、やるなよぉ…」
とぼとぼと自分の席に戻るふたり。
律「あんたら、ほんとはデキてんじゃないのぉ?」
唯「アヤシイよねぇ」
澪「あ…あうあう…」
紬「くすくす」
梓「…ふ、不潔です…」
朋也「忘れてくれ…」
律「あーあ、写メ撮っとけばよかった」
唯「あ、そうだね。見入っちゃってたよ」
朋也「保存しようとするな…」
春原「…早く次いこうぜ。ムギちゃんで中和しなきゃ、精神が持たねぇよ」
律「わはは。はいはい、わかったよ」
―――――――――――――――――――――
「王様だ~れだ?」
俺は6を引いた。
紬「あ、私だ」
唯「おお、ムギちゃんかぁ」
律「ムギは初心者だからなぁ、何がくるやら…」
春原「ムギちゃん、僕を引き当ててねっ」
そういうゲームでもない。
紬「じゃあ…3番の人と、5番の人」
紬「正面から、愛しそうに抱き合って♪」
律「おお、大胆だな…で、だれだ、3と5は」
唯「私、3番だよ」
澪「私…5番」
紬「まぁ…これは、これは…うふふふ…ひひ」
唯「えへへ、よろしくね、澪ちゃん」
澪「う、うん…」
席を立ち、向かい合う。
身長差があり、視線を合わすのに、平沢が上目遣いになっていた。
春原「…なんか、周りにバラ描きたいね」
朋也「…ああ」
唯「澪ちゃん…」
澪「唯…」
ごくり…
唯「…好きっ」
澪「唯…唯っ!」
ひし、っと抱きしめあう。
唯「ああ、澪ちゃん、おっぱい大きいよ…」
澪「唯…すごくいい匂いがする…」
唯「澪ちゃん…」
澪「唯…」
目を閉じて、お互いの鼓動を感じ合っていた。
紬「…ゴッドジョブ」
ゴッド…神?
びしぃ、と親指を立てていた。
左手には、携帯を持ち、カメラのレンズを向けている。
ムービーでも撮っているんだろうか…。
―――――――――――――――――――――
「王様だ~れだ?」
俺は5。
律「お、私だ」
唯「りっちゃんかぁ、これは覚悟しなきゃかもね」
春原「なんだ、ハゲか」
律「な、てめ…」
律「………」
律「…後悔するなよ」
春原「あん?」
律「じゃ、いくぞ」
律「1番が…」
言って、素早く目だけ動かし、周りを確認していた。
律「いや、やっぱ、2番が…」
また、同じ動き。
律「うん…2番が、3番を…」
律「いや、やっぱ、4番かな…」
律「うんそうだ。2番が4番に、思いっきり左鉤突きを入れる!」
唯「ひだりかぎづき?」
朋也「打撃のことだ。つまり、殴れっていってるんだ」
唯「うえぇ!? な、殴るの!?」
律「さ、誰かな、2番と4番は~」
入れられる側に春原を狙っているんだろう。
あの、『後悔するな』という言動からしても、そのはずだ。
だが、そんなことが可能なのか…?
やけに余裕のある佇まいだ。
あの目の動き、何かを探っているように見えたが…
そこまで精度に自信があるということなのか…?
紬「私、2番…」
春原「…4番…」
…どんぴしゃだった。
律「おおう、こりゃ、春原、死んだかなぁ?」
紬「ごめんね、春原くん…」
春原「いや…ムギちゃんになら、むしろ本望だよ」
席を立ち、向かい合う。
さっきの甘い雰囲気とは違い、殺気立った空気。
紬「ショラァッ!」
ボグッ
春原「があああっ!」
メキメキィ
骨のきしむ音。
紬「おおお!!」
肘打ち、両手突き、手刀、貫手、肘振り上げ、手刀、鉄槌…
琴吹の連打は続く。
律「…煉獄」
中段膝蹴り、背足蹴り上げ、下段回し蹴り、中段廻し蹴り…
朋也(すげぇ…倒れることさえできない…)
そこにいた全員が、その連打に目が釘付けになっていた。
紬「おおお!!」
紬「あ゛あ!!」
バフゥ
拳が空を切る。
春原が事切れて、すとん、と床に倒れこんだからだ。
喧嘩商売好きなんだなwwww
俺も大好きです
紬「はぁー…はぁー…」
どれだけの時間打ち込んでいたのだろう。
時間にして、それほどでもないのかもしれないが…
ずいぶんと長く感じられた。
それは、連打を受けた春原自信が一番感じていることだろう。
紬「あ、ご、ごめんなさい、春原くん、つい…」
春原を抱き起こし、安否を気遣っていた。
春原「あ…う…ムギちゃん…素敵な連打だったよ…」
春原「僕…幸せ…」
どうやら、かろうじて生きていたようだ。
にしても…
朋也「部長…狙ったのか?」
律「ふ…まぁな。番号を指定した時、必ず表情に出るからな」
唯「りっちゃん、すごぉいっ! 遊びの達人だねっ」
律「おほほほ! まぁなぁ~」
澪「変なとこで突出してるからなぁ、律は…」
梓「律先輩、私にその技、伝授してくださいっ!」
律「ばか者! 一朝一夕で身につくものではないっ!」
律「これは、私が踏み越えてきた数々の死線の中で、自然に身につけたものなのだ!」
律「おまえのような小娘には、まだ早いわっ!」
梓「う、うう…」
澪「大げさに言うな…遊んでただけだろ…」
―――――――――――――――――――――
「王様だ~れだ?」
6だった。
唯「あ、私だぁ」
律「唯か…正直、なにが来るか想像がつかん」
唯「えへへ、えっとね…」
唯「6番の人が、私を好きな人だと思って、愛の告白をしてください」
朋也(マジかよ…)
律「おお、なんか、おもしろそうだな、それ」
唯「んん? その他人事な口ぶり…りっちゃん、6番じゃないんだ?」
律「まぁな~。で、誰だ、6番は」
朋也「…俺だ」
唯「へ!?」
澪「え…」
紬「まぁ…」
律「うおぉっ、これは…まさかの二回目で、こんな内容」
律「しかも、相手は唯…かぁ~、持ってんなぁ、岡崎」
春原「これ、もうゲームじゃなくていいんじゃない?」
梓「ただのゲームですっ! 岡崎先輩も、その辺忘れないでくださいよっ!」
朋也「わかってるよ…」
朋也「あー…座ったままでいいか」
唯「う、うん…」
朋也「じゃあ…」
こほん、とひとつ咳払い。
朋也「明日朝起きたらさ…」
朋也「俺たちが恋人同士になっていたら面白いと思わないか」
朋也「俺がおまえの彼氏で、おまえが俺の彼女だ」
朋也「きっと、楽しい学校生活になる」
朋也「そう思わないか」
唯「思わないよ。きっと、こんなぐだぐだな私に、腹が立つよ、岡崎くん」
朋也「そんなことない」
唯「どうして」
朋也「…俺は平沢が好きだから」
朋也「だから、絶対にそんなことはない」
唯「本当かな…自信ないよ…」
朋也「きっと楽しい。いや、俺が楽しくする」
唯「そんな…」
唯「岡崎くんだけが…頑張らないでよ」
唯「私にも…頑張らせてよ」
朋也「そっか…」
唯「うん…」
顔を伏せる平沢。
朋也「じゃあ、平沢…頷いてくれ、俺の問いかけに」
俺は、彼女をまっすぐ見据えてそう求めた。
唯「………」
朋也「平沢、俺の彼女になってくれ」
唯「………」
少しの間。
顔を上げることもなく、頷くこともなく…
ただ小さな声が聞えてきた。
よろしくお願いします…と。
律「…わお」
春原「成立しちゃってるね」
梓「はい、そこまでそこまでっ!」
中野が俺と平沢の間に体を割りこませてくる。
そして、平沢と対面し、その肩をがしっと掴んだ。
梓「唯先輩、これ、演技ですよ!? わかってますか?」
唯「う、うん…」
梓「それと…」
俺に向き直る中野。
梓「岡崎先輩、なんで唯先輩の名前使ってるんですか!」
朋也「いや、だって、平沢を好きな奴と想定するって話だったろ…」
梓「仮想好きな人なんだから、偽名使ってくださいよっ!」
梓「これじゃ、ほんとに唯輩に告白してるみたいじゃないですか!」
朋也「いや、そんなつもりは…」
梓「ふん、どうだか。あわよくばって考えてたんじゃないですか」
朋也「いや…」
梓「あと、唯先輩がOKしたのも、仮想空間での話ですからね!」
梓「現実だったら振られてますからっ」
梓「ふんっ」
ぷい、とそっぽを向いて、自分の席に戻っていった。
朋也(なんなんだよ…)
律「ははは、唯と付き合うには、まず梓に認められなきゃな」
朋也「…知るか」
―――――――――――――――――――――
「王様だ~れだ?」
2を引いた。俺じゃない。
梓「…来ました。私です」
律「お、梓か」
唯「あずにゃん、おてやわらかにね」
梓「………」
睨まれる。やはり、俺に狙いを定めてくるのか…。
梓「決めました。皆で岡崎先輩をタコりましょう」
朋也「って、それじゃ番号クジでやる意味ないだろっ」
律「そうだぞ。私だってちゃんと実力で春原を地獄に叩き落したんだからな」
春原「ちっ…でも、ある意味天国だったけど」
律「攻撃するなら、ルールに則った上でやれよ」
それも嫌だが。
梓「…わかりました。じゃあ…」
梓「1番と…」
そわそわと全員の表情を窺っている。
部長の真似事なのだろう。
梓「う…やっぱり、2番…」
梓「あう…4…いや5…6?」
混乱し始めていた。
梓「う…もう、7番と1番が、恋人つなぎしながら愛を囁いてくださいっ!」
大方、俺と春原を引き合わせて、屈辱を与えようとでも思ったんだろう。
もし外れても、部員同士なら罰ゲームにもならない。
だから、一発ギャグや、尻文字で自分の名前を書く、なんて露骨なものを避けたんだろう。
梓「だ、誰ですか…?」
律「1…」
春原「…7」
春原と部長のどちらもが真っ青な顔をして、震える声でそう告げていた。
唯「あはは、おもしろい組み合わせだね」
律「ぜんっぜんおもしろくねぇよっ」
春原「ムギちゃん、これ、罰ゲームの類だから。僕の本心じゃないからね」
律「そりゃこっちのセリフだっ」
唯「いいから、ふたりとも、そろそろやんなきゃだよ」
律「くそ…」
春原「ちっ…」
立ち上がり、近づいていく。
そして、その手がぎゅっと握られた。
律「…アンタ、カコイイヨ」
春原「…オマエモ、カワイイヨ」
律「アハハ」
春原「アハハ」
唯「カタコトじゃだめだよ。ちゃんとやらなきゃ」
唯「ルールは厳守しなきゃいけないんでしょ?」
律「うぐ…」
自分で課した掟が自分の首を絞めていた。
律「あ、あんた、あれだよ、あの…」
律「そう、身長低くてさ、ヘタレで…ダサカッコイイよ」
春原「はは、おまえは、額とか残念だけど…デコカワイイよ」
律「あははは」
春原「ははは」
唯「…はぁ、りっちゃん、遊びの帝王だと思ってたのに…」
唯「あずにゃんにも、あんなにびしっと言ってたし…」
唯「それなのに、ルールのひとつさえ守れないんだね…」
律「う…わ、わかったよ…」
律「はぁ…」
律「あんたは、普段アホだけど…いざという時は頼りがいがあって…」
律「…かっこいいよ。漢だよ」
春原「お、おう。おまえも…よくみりゃ、顔も悪くないし…」
春原「か、かわいいと思うよ…」
春原「………」
律「………」
春原「ぐわぁああああっ!!」
律「のぉおおおおおおっ!!」
同時に手を離し、体をかきむしる。
春原「はぁ、はぁ、かゆい、かゆすぎるよっ!」
律「アレルギー反応だ! ヘタレアレルギー!」
床を転げ周り、ぎゃあぎゃあわめいていた。
紬「ふふ、行動がそっくり」
澪「だな。やっぱり、気が合うんじゃないか?」
―――――――――――――――――――――
「王様だ~れだ?」
朋也「おっ…俺だ」
春原「岡崎、僕とムギちゃんに、なんかエッチなの頼むよっ」
律「アホか、おまえはっ! 岡崎、こいつに罰ゲームくれてやれ!」
朋也(どうするかな…)
そもそも、俺は王様ゲーム自体に興味はない。
朋也(そういえば…)
秋山がしきりに練習しようと訴えていたな…。
なら、ここで俺が切り上げてやるのも、悪くないかもしれない。
朋也「…よし、決めた。おまえら、練習しろ」
澪「え…岡崎くん…」
律「なぁんであんたがそれ言うんだよぉ」
唯「もうやめちゃうの?」
朋也「なんか、やらなきゃならないんだろ。よく知らねぇけど」
朋也「だろ? 秋山」
澪「え?…うんっ」
朋也「だったら、王様命令だ。練習、始めろよ」
律「うえぇ…つまんねー奴ぅ…」
唯「まだやりたいよぉ…」
朋也「中野、おまえも練習派だろ。何か言ってやれよ」
梓「え…あ…お、岡崎先輩に言われなくても、今言おうと思ってましたっ」
梓「こほん…律先輩、唯先輩、練習するべきですよ」
澪「うん。ちょうど一週できたしな」
律「まだおまえに回ってないじゃん」
澪「私に回っても、どうせ終わるんだから、同じことだろ」
律「ぶぅ~」
紬「それじゃ、今日はティータイムはお開きね」
唯「ムギちゃんが言うなら、しょうがないかぁ」
律「部長はあたしだぞっ」
澪「おまえは威厳がないからな」
律「なんだとっ」
春原「岡崎、まだ間に合う、最後に僕とムギちゃんを引き合わせてくれぇっ」
朋也「そんなに王様ゲームしたいなら、あのカメとサシでやれ」
朋也「あ、これは俺の個人的な命令だからな」
春原「プライベートでも主従関係なのかよっ!?」
律「わははは!」
澪「あの…岡崎くん」
朋也「あん?」
澪「ありがとね。練習、するように言ってくれて」
朋也「いや、別に礼を言われることでもないだろ」
朋也「もとはといえば、俺たちがいたせいで始まったようなゲームだし」
澪「それでも、やっぱり、ありがとうだよ。私も、ちょっと楽しんじゃってたし」
朋也「そっか」
澪「うん」
朋也「まぁ、練習頑張れよ。俺が言えた義理じゃないけどさ」
澪「うん、ありがとう。頑張るよ」
言って、微笑んだ。
そして、俺に背を向け、準備に向かう。
春原「くそぅ…ムギちゃんお持ち帰りする計画がパァだよ…」
朋也(まだ言ってんのか、こいつは…)
最後まで合コン気分の抜けない奴だった。
―――――――――――――――――――――
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