- 僕「小学校で」女「つかまえて」 前編
僕「小学校で」女「つかまえて」 後編
1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 10:56:40.97:NIF1gQZhO
僕は大学生だった。
地元を離れて一人暮らしをしながら学校に通う、普通の人間。
少なくとも、はっきりと残っている昨日の記憶の中ではそうだった。
でも、今日の僕は昨日までの自分じゃ無くなっていた。

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3:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 11:02:11.72:NIF1gQZhO
先生「新一年生の皆さん、こんにちは。ご入学おめでとうございます」
先生「この小学校で元気で明るく、楽しくお勉強して行きましょうね」
僕がいた場所は小学校だった。
離れたはずの地元の……十何年前に僕が通っていた校舎に僕はいた。
6:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 11:12:30.19:NIF1gQZhO
記憶が少しだけ蘇る。
この教室で先生の授業を受けていた昔。
教室も先生も何一つ変わっていない。
変わっていないと言えるのは、自分に大学に進学するまでの記憶がはっきりと残っているからだ。
小学一年生になったのはもう何年も前の事なのに……。
僕はもう一度同じ学校の一年生になっていた。
8:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 11:22:34.84:NIF1gQZhO
友「やあ僕ちゃん」
僕「あ、友……くん?」
隣の席に座っていた彼が声を掛けてくる。
顔を見るだけですぐに彼の情報が頭に思い浮かぶ。
幼稚園からよく遊んでいた、隣君。
家が近所で母親同士も仲が良かったはずだ。
教室をグルリと見回してみる。やはりみんな……学校に通っていた昔と変わらない。
9:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 11:28:34.53:NIF1gQZhO
やはりここは僕の通っていた小学校で、友達も先生もみんな当時と同じ……。
友「小学校でもよろしくね!」
僕「う、うん」
甲高い友の声、確か声変わりするまでは女の子みたいに声が高かったと……記憶がある。
僕(ここは本当に昔? 夢?)
僕はもう一度教室を見回してみる。
10:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 11:34:30.26:NIF1gQZhO
壁に掛かっているカレンダー……年数は確かに僕が小学校に通い始めた時の数字だ。
何となく、カレンダーに使われている写真も古臭く思える。
僕(本当に昔なんだ)
そう思った瞬間、もう一度小学生時代を過ごせる嬉しさのような気持ちが込み上げて来た。
11:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 11:41:03.61:NIF1gQZhO
僕(昔のままの教室、先生、友人……あれ?)
再び教室を見回していた途中、ある女の子を見つけ……視線が止まる。
女「……!」
彼女と目が合ってしまった。
小柄で可愛らしい……ロングヘアーの女の子だった。
だが、小学校の友人で彼女みたいな人間はいなかったはずだ。
女「……」
13:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 11:49:19.89:NIF1gQZhO
それでもその女の子は、何かを訴えるような目でこちらを見つめている。
僕(あれは誰なんだろう……)
女「……!」
あんな子は小学校にはいなかったはずだ。
それでも彼女の顔は何処かで見た事がある……この小学校にいなかったのは確かだが。
中学高、高等学校……転入生なども思い返してみるが彼女の姿は浮かび上がってこない。
14:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 11:55:19.63:NIF1gQZhO
相変わらず彼女は僕をじっと見つめている。
僕も彼女の顔をじっと……雰囲気を大人にして想像してみる。
僕(ん……確か……)
ようやく頭に浮かんできた彼女の顔を、僕は知っていた。
彼女も……僕と同じ大学に通っている生徒だった。
15:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 12:01:49.30:NIF1gQZhO
僕達二人は大学で知り合った。
僕の一つ下……彼女が入学してからすぐに気が合って仲良くなったのを覚えている。
気が合いすぎて恋人関係ではなく、お互いをよく理解しあえるような……彼女とはそんな曖昧な関係になっていた。
そんな彼女が自分と同じ教室にクラスメイトとして座っている……。
僕は初めて違和感を覚えた。
16:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 12:06:31.31:NIF1gQZhO
まず女の地元は大学がある地域だ。僕と同じ土地が地元という訳ではない。
何より、僕も女も同じ小学一年生となってこの教室にいる……
女だけは、この場所にいた事が無いはずなのに。
休み時間に僕は彼女の席へ真っ先に向かった。
17:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 12:11:58.40:NIF1gQZhO
女「……僕ちゃん?」
僕「うん」
女「なんで私たちこんな所にいるの? ここ、小学校? 大学は?」
どうやら彼女も記憶は残っているらしい。
「お、あつあつカップルがいるぞ~!」
僕(……!)
「ひゅ~ひゅ~」
女「僕ちゃん、こっち……外いこ」
僕(子供ってこんな感じだったよな)
当時の様子を思い出して、僕はまた少し懐かしさが込み上げて来た。
18:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 12:17:04.18:NIF1gQZhO
引っ張られるまま廊下に出て、僕たちの話は続いた。
女「ここは僕ちゃんが通っていた学校なの?」
僕「うん。年代も同じだからし施設も当時の雰囲気だから……」
女「過去?」
僕「時間だけは多分ね。でも女がここにいる理由がわからないんだよ」
女「私の小学校は大学のあった地域にあるから……」
僕「向こうの学校の記憶はある?」
女「あるよ。当然この学校の記憶は無いけれど……」
20:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 12:23:39.00:NIF1gQZhO
女「夢かな?」
僕「この感覚は夢じゃないよ。本当の昔の学校……同じなんだよ」
女「明日になったら帰れるかな?」
僕「それはわからないけど……」
話をしていると、先生が廊下を歩いて来るのが見えた。
先生の後ろには何人もの……母親、保護者だろうか。
華やかな格好をした女性達が一年生の教室に向かって歩いて来る。
21:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 12:30:30.05:NIF1gQZhO
先生「僕ちゃん、女ちゃん、教室に入って~。今からお母さんたちと帰りの会をするからね~」
いつの間にか下校時間が来たみたいだ。
教室の中の時計を見ると……まだ午後一時になったばかりだった。
女「一年生だもんね」
22:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 12:35:42.22:NIF1gQZhO
女「ふふっ、僕ちゃん一緒に教室はいろ~?」
僕「え、えっ?」
いきなり甘えたような声を女が出して来た。
可愛らしい容姿に小さな女の子ならではの、無邪気に笑顔に思わずドキッとする。
先生「あらあら仲がいいのね~」
女「は~い」
真っ赤になった僕を先生と彼女が見つめている。
女はイタズラな笑顔でこっちを見ている。
わざとだろうか。彼女がなぜこんな事をしたのか、今の僕にはよくわからなかった。
23:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 12:41:51.67:NIF1gQZhO
先生「それではみなさん、さよなら~」
全員「せんせい! さよなら~!」
大きな叫び声が教室に響き渡る。
多分僕と彼女だけは全く声を出していなかったんだと思う。
一年生の時は何でも全力だった……そんな記憶がある。
名前を呼ばれたら大きな声で返事をして、全力で手を挙げていた昔。
怖いモノは何も無かったような、それくらい元気で活発なのが一年生だったはずだ。
母「僕、帰りましょう」
そんな事をしみじみ考えていると、背中から声が掛かる。
24:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 12:47:27.41:NIF1gQZhO
振り返ってみると……まずは体格さに愕然とする。
僕たちの小さな体では大人はとても大きく見える、見えてしまう。
母「忘れ物は無い? じゃあいきましょ?」
顔のシワが少なくて……かなり若々しくも見える。
母「じゃあ先生にバイバイして……」
僕「バ……バイバイ……」
先生「はい、さようなら」
先生も母も、小さく手を振った僕を見て微笑んでくれていた。
25:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 12:52:38.58:NIF1gQZhO
女母「さよならのご挨拶は?」
女「先生さようなら~」
先生「はい、さよなら女ちゃん。僕ちゃんと仲良くね」
女「は~い」
女にも迎えの母親はいた……家族関係がどう変わったりするのかと不安には思ったが……
どうやら思い過ごしだったようだ。
母「女ちゃんて可愛いわよね、本当にもう」
32:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 18:20:08.76:NIF1gQZhO
僕「女……ちゃんを知ってるの?」
僕は母に訪ねてみた。
母「小学校でできた初めてのお友達でしょ?」
彼女を知っている、という訳ではないらしい。
女母「ほら女……バイバイしましょうね?」
女「……バイバイ、僕ちゃん」
大学にいる時、女の母に会った事は一度も無い。
何度か女の話を聞いて、姿を勝手に印象で作ってしまっていたが……目の前にいる女の母はまさに印象通りの人物だった。
33:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 18:24:41.92:NIF1gQZhO
母が違う人物、という事はどうやらないみたいだ。
僕たちはそのまま、話す言葉も無く親に手をひかれながら帰って行った。
……
男「……ただいま」
車に乗せられて着いた家……ずっと変わらない自分の家だ。
環境が変化している感じはやはりしない。
途中、車から見える景色はやはりどこか懐かしく……昔に見ていた自分の町そのものだった。
34:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 18:29:17.51:NIF1gQZhO
母「お腹すいたでしょ? すぐにご飯作るからね?」
母はそそくさと台所へ向かう。
僕「……」
家の中を一人で歩く。
部屋には懐かしいオモチャや昔持っていた物がやはりそのまま……。
次は居間の窓を開けて外を見てみる。
目の前には小さな畑と田んぼが広がっている、穏やかな田舎の風景があった。
35:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 18:33:31.75:NIF1gQZhO
スーッと一息、深呼吸をしてみる。
冷たい空気と緑の匂いが体の中に入ってくる……。
何だかその空気はとても優しい気がした。
母「はい、できたわよ」
居間のテーブルに、コトリとオムライスの入った皿が置かれた。
丁寧に、てっぺんに旗までついている……。
母「ふふっ。はい、召し上がれ」
36:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 18:38:06.86:NIF1gQZhO
子供じゃない、と言い出しそうだったが母の笑顔を見たらそんなのもどうでもよくなってしまった。
目の前にあるオムライスを夢中で食べる僕。
優しくそれを見てくれている母……古いテレビから流れる昔のニュース。
僕(ああ、本当にここは僕の家なんだなあ)
今更ながら、よくわからない安心感が生まれてしまっていた。
昔とか今とかどうでもいい。
僕はそう思った。
37:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 18:43:05.40:NIF1gQZhO
母がテーブルの上を片付け、僕はボーッとテレビを見ている。
夕飯になるまで自由な時間が出来てしまった。
僕「……女にちょっと連絡してみようかな」
彼女は今何処で何をしているんだろう。
彼女だけはこの地域には住んでいなかったの人間なので、それが余計に気になった。
僕「えっと、携帯携帯……」
いつもの癖で僕は携帯電話を手探りで探していた。
自分のポケットにはそんな物が入っているわけは無いのに。
38:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 18:47:12.84:NIF1gQZhO
僕「電話は……家から家にかける時代か」
しかし女の自宅に直接電話をかけるとなると、それはそれで面倒だ。
僕は結局与えられた時間をテレビを見て過ごす事にした。
僕「……あ、このアニメ懐かしい。今これやってるんだ」
流れてくる主題歌にワクワクしてしまうのは、僕が子供になってしまったからだろうか。
……
ゆっくりと時間が流れていく。
41:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 18:52:44.87:NIF1gQZhO
僕「懐かしいなあ。でもこれ最終回もどうなるか知ってるからな……」
子供の頃から大好きだった作品をもう一度こうして見る事ができる、何だか変な感覚だった。
時計はまだ夕方五時を過ぎたばかりだ。
僕「小学生って暇なんだな……」
僕はまたボーッとテレビを見始めていた。
何も気にする事なくこうしてのんびりした時間を過ごす事ができる……。
僕「幸せだ……」
僕はもう一度、小学生としてその時間を過ごす権利を与えられたようだ。
僕「ゆっくり……したいな」
43:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 18:58:37.05:NIF1gQZhO
僕が通っていた大学は、けっして頭のいい大学では無かった。
理由は単純で、親元を離れ一人暮らしを始めたい、それだけだった。
田舎町の緑が多い風景から、中途半端に汚いビルが立ち並ぶ場所への引っ越し……何もない部屋。
最初は実家が恋しくて少しだけホームシックにもなっていた。
大学一年生の時は時間があったら何かと実家に帰省していた、そんな記憶がある。
45:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 19:03:22.19:NIF1gQZhO
二年生、三年生と進級するにつれて僕が実家に帰る機会は減っていた。
何となく帰るのが面倒になり、なあなあと夏休みや年末を過ごしていた。
しかし、ビルが並ぶ風景はどうも僕には合っていなかったようで……。
四年生になる頃には、すっかり気持ちも体も疲れていた様子だった。
自分ではそんな意識は無かったけれども。
46:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 19:09:55.76:NIF1gQZhO
僕は今こうして実家にいる。
二十歳を過ぎた大学生としての僕では無く、小学生一年生の僕として、こうしてここにいる。
僕「……大学の事は、もう自分には関係ないか」
テレビを消して、僕は窓から外に出る。
田舎町らしく、足元には木で作られた小さなベランダが平らに広がっている。
ベランダなんて、似つかわしくない言い方だけれども……他に言い方が浮かばない。
47:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 19:14:29.87:NIF1gQZhO
外は少しヒンヤリとしている。
夕焼けがちょうど山の向こうに沈む所らしい。
オレンジ色の空、その反対側で薄い紫色のような空が広がっている。
まだ四月だからだろう、夜が始まるのも早いみたいだ。
……相変わらず、ボーッと景色を見ていた。
48:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 19:19:54.81:NIF1gQZhO
ピーン ポーン
突然、何処からかチャイムのような音楽が流れてきた。
『夕方六時をお知らせします。暗くならないうちに、お家に帰りましょう……繰り返します。夕方六時をお知らせ……』
ああ、そういえばこんな放送もあった気がする。
設置されているであろうスピーカーから、割れた声と不快に響く寂しい曲が流れてくる。
この曲は多分どこかで聞いていた曲……僕はその曲名を思い出す事はできなかったけど。
僕「……」
放送が終わる前に、僕は窓を閉め家に入っていた。
49:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 19:26:30.72:NIF1gQZhO
僕が戻ると、いつの間にかテレビと電気がついていた。
居間のテレビからは、やはり懐かしいアニメの主題歌が流れていて……それを夢中で見ている女の子が一人。
僕「あ……妹」
妹「ただいま。おーちゃん」
僕には妹がいた。確か歳は四つ程違うはずだから……こうして家にいるのは当たり前の事なんだろう。
妹「おーちゃんも一緒にみようよみようよ」
呂律の回らない口調で妹は僕を呼ぶ。
小さいけれどそれは確かに僕の妹で……面影はやはりある。
僕(……本人だから当たり前か)
ちょこん、と妹の隣に座る。
50:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 19:31:01.67:NIF1gQZhO
妹「お~……おおっ」
テレビの中の女の子が動き回る度、妹は合わせて歓声をあげている。
僕も昔は妹と一緒になって騒いでいた気がする。
妹「ふふ~……あははっ」
無邪気に笑う、とはこういう事なんだろう。
妹は僕には目もくれずにテレビに釘付けになっている。
僕も……妹と仲良くテレビだけを見る事にした。
51:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 19:35:18.30:NIF1gQZhO
母「僕~。ご飯にするからテーブルの上片付けて~」
いつの間にか、母が台所に立っていた。
お手伝いのために僕を呼んでいる。
僕「は~い」
母「ふふっ、いつもはテレビばかりで来てくれないのに今日は偉いわね?」
昔の僕はそんな感じだっただろうか?
よく覚えていない。
母「もうすぐパパも帰ってくるから、はいこれ。綺麗に拭いてね」
濡れた台布巾をポンッと渡される。
ああ、何だかこんな感じだった気がする。
52:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 19:40:37.71:NIF1gQZhO
妹は相変わらずテレビに夢中だ。
僕はさっさとテーブルの上を片付けてしまう。
ガチャリ。
……その時玄関が開く音が聞こえた。多分父だろうか?
父「ただいまあ」
母「おかえりなさい」
妹「おかえりパパ~!」
テレビをそっちのけに、妹は父に抱きついている。
父「ははっ、ただいま」
僕「うん……おかえり」
父がそこにいた。
やはり少し若いような気がする。
やはり十年以上経てば変わってしまうんだと……少しまた考えてしまった。
54:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 19:45:57.44:NIF1gQZhO
父「今日の入学式、格好よかったぞ」
僕「えっ?」
父「バッチリビデオに撮ったからな。後で一緒に見ような僕」
入学式に父親がいた?
帰りは母の車で帰ってきた。父の姿を見えなかったのだけれど。
僕「父さんも入学式に来てたの?」
父「……父さんだなんて。やっぱり学校に入ってお兄ちゃんになったのかな、ははっ」
妹「パパ~。パパ~」
思い出した。
いつかの時期までは僕も父の事をパパと呼んでいた、そんな気がする事を。
驚いたような父と母の表情から、その時期が今では無いのだという事だけはわかった。
55:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 19:50:18.94:NIF1gQZhO
聞くと、父は入学式の後役員会議に出席していたらしい。
記憶を割いても仕方ない事は、やはりあまり覚えていない。
母「じゃあご飯だから……座って座って」
母の顔はすっかり笑顔だ。
優しく家族みんなを見ている。
父も妹も笑っている。
多分その笑顔には何の曇りも考え事も無くて……。
僕だけが何だか嘘の笑顔でここにいるようだった。
56:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 19:55:56.98:NIF1gQZhO
父「ほら、来た来た。僕がほら! ここ、ここだよ……」
ホームビデオから流れる映像には確かに僕が映っている。
体育館を新入生が歩いている、たったそれだけの光景だ。
母「ふふっ、私も見ていたから知っているわよ」
妹「おーちゃん、おーちゃん!」
その、それだけがみんなにとっては興奮するような出来事らしい。
父も母も妹も、みんな笑ってご飯を食べている。
僕は少し下を向いて、まるで自分のビデオを見るのが恥ずかしいかのように振る舞っていた。
……ご飯の味だけが、懐かしくて美味しかったのを覚えている。
57:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 20:00:33.57:NIF1gQZhO
みんなで食卓を囲んで笑顔で会話。
テレビではなくて家族のビデオを見て盛り上がり、笑っている。
大学生になってからは、こんな事があるわけもなく……気恥ずかしさがあったのは事実だと思う。
でもやっぱり時間は優しく流れている、そんな気がした。
何も心配する事なく、僕はご飯を食べている。
今日の不安も明日の問題も何も無く、空っぽにお箸を動かしていた。
59:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 20:04:30.55:NIF1gQZhO
居間の隣にある少し大きな部屋の……僕はその布団の中にいた。
体はやはり子供らしく、九時を過ぎたら急に眠気が襲って来たような気がした。
僕は茶色が照らしている天井を見上げて、ただ眠りに落ちるのを待っていた。
隣からは父と母が話す声と、わずかにニュースが流れているような音が聞こえる。
僕はボーッとそれを聞いていた。
60:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 20:08:09.05:NIF1gQZhO
あのビデオの中にいた僕……式を受けていた時の記憶は、今の僕には無い。
本当に教室から一日が始まって、こうして今は布団の中にいる。
その理由を少しだけ考えてみたが、頭に何も考えが浮かんで来ない。
やはり眠気があるのだろう。僕はすぐに布団の柔らかさに包まれて……
そのまま暗闇の中に意識を落としていった。
61:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 20:16:08.88:NIF1gQZhO
次の日も僕は小学校にいた。
元の時間に戻るわけでもなく……今日が来ただけだった。
僕(考えてもやっぱりわからないや)
女「……おはよ」
後ろから不意に声を掛けられて思わず振り向く。
僕「あ、おはよう女」
彼女もそこに立っていた。昨日と何一つ変わっていない。
女「……」
しかし、よく彼女の顔を観察してみると……目の周りが少し腫れている。
その目も、何だか赤かったような気がした。
僕「目、どうかしたの?」
僕は理由を多分知っている。
それでもそれを、あえて彼女に聞いてみた。
62:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 20:20:53.20:NIF1gQZhO
女「あ、これね。起きたら目の周りにすっごい涙が流れてたの。そのせいでこんな……」
僕「寝てる間に泣いてたの?」
女「多分ね。理由はわからないけど……おかげで変な顔」
彼女のは小さくニコッと笑う。
それでも昨日妹が見せていた無邪気な笑いとはどこか違う……そんな笑い方だった。
63:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 20:29:08.65:NIF1gQZhO
僕「ねえ、お家どこ?」
女「近くだよ。歩いてすぐ」
僕「昔住んでいた場所とは……やっぱり違うよね?」
女「子供の時の私はアパートに住んでいるはずだから……違うんだと思うよ」
僕「今は?」
女「普通の一軒家だった。母親にそれとなく聞いてみたけど、名義は私たちの所有だったよ」
僕(あ、ちゃんと調べたんだ)
彼女は抜かりの無いしっかりとした人間だ。
テレビを見てご飯を食べていただけの自分が少しだけ恥ずかしくなった。
今は小学一年生だからという言い訳をするのも、彼女の前では何だか惨めに恥ずかしく思えてしまった。
64:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 20:37:26.07:NIF1gQZhO
女「僕ちゃんは? 何か変わってた?」
僕「僕の方はは何も……家族も家もそのままだったよ」
女「そう……昔と違うのは私だけなんだね、やっぱり」
短い昨日をもう一度思い出してみる。
家族の姿や周りの様子……慣れ親しんだ地元。
やはり変わっていた場所は見当たらない。
女「ねえ、本当に何も変わってないの?」
彼女はもう一度僕に聞いてきた。
さっきよりも力強い口調。少し強引に僕の記憶を掘り返したい、そんな様子が伺えた。
僕「……無いよ。多分」
女「家族の人はちゃんといた? 親戚は? 家の中の様子とかは?」
66:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 21:07:01.66:NIF1gQZhO
僕「あー、そんな事考えて無かったよ」
女「……ふぅ」
ため息一つ。呆れてしまったようだ。
僕「そんな事言ったって、家族はちゃんといたし……」
僕「……あれ?」
僕の家族は確か……
女「どうかしたの?」
僕「そう言えば弟が……いない」
女「弟? たまに僕ちゃんが話していた、あの?」
僕「うん。よく考えたら僕の家は五人家族だから……」
女「……」
女「でもそれ変でしょ?」
僕「え、何が?」
68:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 21:16:33.41:NIF1gQZhO
女「確かに大学で妹ちゃんと弟君の話は聞いた事あるけどさー……」
僕「話したね」
女「その時は妹ちゃんが高校生で、弟君はまだ小学校を卒業する辺りだったじゃない?」
僕「……え~っと?」
女「今妹ちゃんは何歳?」
僕「幼稚園入ったばかりで……三歳くらいかな?」
女「じゃあ弟君なんて生まれているはずないじゃない!」
僕「あ、確かに」
女「ふぅ……」
ため息二つ。
彼女は本当に白い目でこちらを見つめている。
69:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 21:25:41.56:NIF1gQZhO
僕「き、記憶が半端に残っているからつい」
女「また言い訳する。僕ちゃんっていつもそうだよね、大学でもおんなじ」
僕(だって今は小学生だから……)
これを言ったら更に怒られるんだろう。
自分でもわかるくらい馬鹿な言い訳だ。
僕(あれ……弟が生まれる?)
女「ちょっと聞いてるの僕!」
僕「……」
女「……僕?」
年下の彼女が僕を呼び捨てにしているのも構わず、考え事に頭を奪われている。
女「ちょっとどうしたの、黙り込んじゃって……」
僕「僕たち……弟が生まれるのを知っている」
71:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 21:32:22.20:NIF1gQZhO
女「そりゃあね。生まれるんでしょうから」
僕「確かに記憶はあるけど……これから弟が生まれる保証はあるのかな?」
女「……?」
僕「僕が当時と同じように過ごしていたら弟は生まれる……かもしれないけど」
僕「じゃあ僕が……何か未来を変える選択肢をしたら?」
女「そんなの……」
僕「そもそも普通に弟が生まれるかだってわからない。明日がどうなるかだって……!」
思わず声に力が入る。
自分でもなんでこんなに声が荒くなるのか……子供の頭では歯止めが効かないんだろうか?
72:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 21:38:48.84:NIF1gQZhO
「お、僕と女が夫婦喧嘩してるぞ~!」
「またかよ、仲いいなあ~!」
また周りが僕たちを囲み囃し立てる。
うるさいな……なんでこんなに他人に構う事ができるんだ。
僕(子供は苦手なんだよ……)
僕はサッサと教室を出て行ってしまう。
静かな場所で頭を冷やさないと……
「僕が家出したぞ~!」
「女と離婚だ離婚だ~」
僕「……ああっ、もう! 来い女!」
グッと彼女の手を掴み教室を飛び出してしまう。
後ろから聞こえる小うるさい声はもう関係無かった。
74:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 21:43:01.79:NIF1gQZhO
僕「まったく……うるさいよな」
女「……」
僕「他人の事なんて放っておいて欲しいよ」
女「っ……ひっく……」
僕「お、女?」
あれ、泣いてる?
僕「どうしたんだよ……」
女「ご、ごめんね……ごめん……」
僕「お、落ち着いて。えっと……その」
記憶はあっても、女の子を慰める手段までは覚えていないらしい。
いや、元からそんな物は無かったと言うのが正しいか。
とにかく今は彼女を慰めないと……
77:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 21:50:31.29:NIF1gQZhO
女「……あははっ、ごめんね。もう大丈夫だよ」
僕「あらっ?」
女「取り乱しちゃってごめんね。知らない人から攻められるのって……やっぱ恐くて……」
僕「……」
そうか……。
僕にとっては昔から知っている友人たちだ。
でも彼女にとっては……それこそ一年生が初めて顔を合わせるような気持ちでいたんだろう。
女「……もう大丈夫だから、ね」
78:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 21:57:38.02:NIF1gQZhO
僕は彼女のその性格を知っていたはずなのに。
大学で初めて彼女と出会った日……。
女「なんか、僕先輩って話しかけやすいんですよね!」
どういう会話でこうなったかは忘れたけれども、確かに彼女は言っていた。
人見知りな性格で、あまり騒がしい場所が苦手だと。
それでも、やはり彼女はしっかりしていた。
人前ではなるべく明るく振る舞い、不安な様子など殆ど周りに見せる事も無かった。
僕も長い時間一緒にいたせいで、彼女の弱い部分を忘れてしまっていたみたいだ。
79:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 22:04:45.51:NIF1gQZhO
僕「……」
女「教室戻ろう。もう先生来ちゃうよ?」
彼女の体はもう震えていなかった。
僕「大丈夫?」
女「うん、大丈夫!」
こうして明るく返事をしている彼女が、本当なのか嘘なのか僕にはわからない。
……僕たちには、教室に戻るしか選択肢が無かった。
80:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 22:10:31.79:NIF1gQZhO
僕(今日も学校は午前で終わりか~)
僕(どうしよう、この後女と帰ってさっきの話の続きをしようかな……女の家の事も少し気になるし)
そんな事を考えたのもつかの間。
先生「今日はみんなでお家に帰りますよ~」
俗に言う、集団下校というやつだっだ。
先生「じゃあお家が近い人でグループを作って……」
女は学校の近く、僕は学校から遠いので同じグループになるはずは無く……。
僕(どうしよう。声だけかけてみようかな?)
82:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 22:16:19.15:vYP06l4jO
僕「ねえ女?」
女「ん、なーに?」
僕「えっと……今日遊びに行っていい?」
女「家に?」
僕「ちょっとお話したいから」
女「……」
僕「ダメ?」
女「いいよ。じゃあ一時間後に学校集合でいい?」
僕「それで大丈夫」
約束をして彼女は外に出ていってしまった。
赤いランドセルを背負いながら、他の女の子と仲が良さそうに歩いて行ってしまう。
さっきの様子で少し心配したが、友達がいないというわけでは無いみたいだ。
僕は少しだけ安心した。
84:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 22:43:15.77:GkZGyfQ2O
僕「ただいま」
母「あらおかえりなさい。学校大丈夫だった? ご飯ができてるから……」
相変わらず、母の顔は優しい。
僕「あ、あのさ。今日は女ちゃんのお家に遊びに行くんだけど……」
母「あらそうなの? やっぱり仲良いのね」
僕「うん。お昼を食べたら出掛けてくるからね」
母「五時までには帰ってくるのよ。約束だからね?」
帰る時間の指定など、久しぶりに聞いた気がする。
小学生故に行動に制限が付くのは仕方がない……か。
87:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 22:50:17.00:GkZGyfQ2O
僕「あれ? 自転車が無いや」
僕「ねえ、僕の自転車知らない?」
母「え、僕は自転車なんて乗った事ないじゃないの」
僕(一年生の時には自転車を持っていなかった……っけ?)
僕「……ううん、何でもない。行ってきます」
母「?」
あまり滅多な事は言えないのかもしれない、気を付けよう。
僕(学校までは歩いて三十分……)
歩幅が小さくて体力も無いので余計に時間が掛かってしまう。
89:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 22:59:22.64:GkZGyfQ2O
女「あ、来たのね」
女はもう学校に着いていた。近いんだから当たり前か。
僕「お待たせ、じゃあ早速家まで……」
女「ねえ、どうしても家じゃなきゃダメかな?」
僕「?」
女「私、この辺りの事を知りたいな。地元のお店とか施設とか……」
彼女がこの町に来てからまだ二日。町を知らないのは確かに不便だろうけど……。
僕「話は?」
女「歩きながらお話しようよ、ね?」
僕「そう……だね。うん」
90:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 23:08:30.12:GkZGyfQ2O
女「じゃあ何処から案内してくれるのかしら?」
クスッ、と小さな笑顔が見えた瞬間に……僕も思わず笑顔を返してしまう
彼女の笑顔は大学でも、小学生になっても変わらないように思えた。
僕「何処から、って言っても……田舎だからなあ」
周りには田んぼと住宅街……そして学校の裏側には山や森が広がっているよう。
女「本当に何もないの?」
僕「駄菓子屋とか、神社とかなら……。でもデパートや遊ぶ場所は無いからさ」
女「そうそう、そういう所が見たいのよ!」
僕「あ、そうなの?」
91:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 23:15:01.50:GkZGyfQ2O
女「ねえ、本当に駄菓子屋があるの?」
僕「う、うん。すぐ近く……向こうにの方……」
女「じゃあ早く行こうよ。ね?」
僕を急かすように、彼女が腕を引っ張ってくる。
僕「ち、ちょっと女……」
女「早く早く!」
93:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 23:22:21.25:GkZGyfQ2O
女「わあ、本当に駄菓子屋だよ」
古ぼけた造りの一軒家……この店も当時と変わっていない。
女「ねえ、このチョコ三十円だよ! きな粉餅とか……美味しそう……」
僕「駄菓子屋、来た事ないの?」
女「向こうの方には無かったから……珍しくて」
僕「ふ~ん?」
女「ほら、こんな田舎と違って都会だからさ!」
僕「田舎って言うな!」
女「冗談だよ~冗談」
94:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 23:28:00.29:GkZGyfQ2O
おばちゃん「こんにちは。何が欲しいか決まった?」
僕「あ……」
駄菓子屋のおばちゃん……姿を見たのはどれくらいぶりだろう。
それこそ小学校を卒業したらこのお店には来なくなっていたからおよそ十年くらいかな?
女「こんにちは~」
僕「女、何か買う?」
女「……私お金持ってないからさ」
おばちゃん「じゃあそっちの僕は?」
僕「え~っと……」
冷やかしで帰るわけにもいかない……か。
95:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 23:35:51.51:GkZGyfQ2O
女「ガム美味しい~。ありがとう僕ちゃん」
僕「いいよ、十円くらい」
僕(ポケットに偶然二十円が入っていて良かった……)
女「……次はどうするの?」
僕「んー」
二人して同じ味のガムを噛んでいる。
まだ太陽は高くて明るい。
僕「あとは神社か公園くらいしか……」
女「本当に田舎だよね」
プク~ッとガム風船を膨らませながら彼女は笑う。
僕「何も無いけどいい町なんだよ。緑は多いしのんびりしているし……」
女「うん。いい町だよね」
96:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 23:43:43.77:GkZGyfQ2O
僕「田舎だって馬鹿にしてたくせに」
女「あれは冗談だってば!」
元気な彼女の声が響いてくる。
僕「まあ、そういう事にしといてあげるよ」
女「ふふっ、次は神社に行きたいな?」
僕「神社……神社ね。じゃあこっちだから、ついてきて」
小さな四本の足が、テクテクと夕方の町を歩いていく。
97:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 23:49:54.44:GkZGyfQ2O
僕「ここが神社だよ」
女「わ……なんかすごい奥まで道が続いてるよ?」
僕「奥の本堂まで百メートルくらいかな。ちょっと立派な神社なんだよ」
女「ふ~ん……」
実家に帰省した時も、僕は度々この神社を訪れていた。
周りを緑に囲まれた静かな場所。田舎なので人は殆ど来ない。
一人で考え事をするにはもってこいの場所だった。
女「やっぱりお祭りとかあるのかな?」
僕「確か今月……最後の土日にここでお祭りがあったはず」
99:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 23:54:20.40:GkZGyfQ2O
女「本当に?」
僕「以前と違う時間じゃなければあるはずだけど……」
女「あるよ、きっと」
僕「わかるの?」
女「ううん。そう考えた方が楽しいから」
僕「女らしいよ」
女「あははっ、結局未来に関するお話しなかったよね? もう太陽暗くなりそうだよ?」
彼女の言葉を受け、設置されている時計を見るともう五時になる所だった。
三時間などあっという間だ。
僕「帰らないと」
女「うん、私も帰る」
100:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/01(日) 23:59:15.49:GkZGyfQ2O
女「お家どっち?」
僕「向こうの道」
女「反対方向だね。じゃあまた明日学校で……」
僕「うん、バイバイ女」
女「バイバイ、また明日ね」
夕暮れ時、手を振って家へ帰っていく二人……吹く風がちょっとだけ冷たく感じる。
その風から、何だか懐かしいような匂いがした。
頭の中にふわっと記憶が蘇った感じがする。
僕「……今日のご飯はなにかな?」
101:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 00:05:40.13:UWojzoKZO
家に着くと母がいつもの笑顔で僕を迎えてくれた。
何もしなくてもお風呂が綺麗になっていたり、ご飯が出てたり……ずっと当たり前のように経験していた事なのに、今は逆に慣れなかった。
妹は相変わらずテレビを見ている。
僕(あ、このシリーズ今日やってたんだ……懐かしい)
僕もテレビを見る以外に、何もする事が無い。
僕(安心する……)
心に引っ掛かる物が無いこの二日間は、とても楽しくて気持ちも安定していた。
僕(家はやっぱりこうじゃないとな……)
102:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 00:09:49.09:UWojzoKZO
父「……」
父「なあ。お前単位は大丈夫なのか。ちゃんと勉強しているのか?」
父「バイトは? 無駄遣いするなよ。留年なんてしたらそれこそ学校なんかすぐ辞めて働いてもらうからな……おい聞いているのか?」
僕(うるさいんだよ……)
父「まったく。お前は昔からそうだ。もっとちゃんとしないと社会で通用しない。甘いんだよお前は……」
僕(もう少し言い方だってあるだろうが、この……くそ親父……)
……
104:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 00:15:35.73:UWojzoKZO
僕「……はっ!」
布団から飛び起きた僕は身体中汗でびっしょりだった。
隣では妹がスースーと寝息をたてながら眠っている。
僕(夢……?)
扉の部屋からは明かりが漏れている。父も母もまだ起きているようだった。
僕(昔……いや、昔って言い方は変かな?)
でもそれは確かに僕が見た光景。
いつかの夏休みで実家に帰った時に、珍しく父に説教をされた時の夢だった。
父は歳をとるに連れて怒りっぽくなってしまったのを覚えている。
帰省する度に、段々と怒られる時間が増えていった気がする。
実家に帰らなくなったのはそんな理由もあったからかもしれない。
106:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 00:23:23.88:UWojzoKZO
ガラッ。
父「ん、僕。起きてたのか? テレビの音で起こしちゃったかな、ごめんごめん」
僕「……」
父「トイレは大丈夫か? 喉が渇いてたりとか……」
僕「大丈夫だよ、おやすみパパ」
父「そうか。パパもあと少しで寝るからさ、おやすみ僕」
静かに扉を閉め、また暗い部屋を僕はいる。
先ほど見た夢のせいなのか、優しさのギャップに僕は驚いていた。
そして……テレビの音がすぐに小さくなる。
僕「パパ……」
布団の中で、僕は丸くなって眠っていた。
久しぶりに優しさに触れたせいなのか……訳の分からない涙が一晩中、ずっと溢れていた。
泣いてしまった理由が、自分でもわからなかった。
107:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 00:28:02.84:UWojzoKZO
女「おはよう僕ちゃん。昨日はありがとうね」
僕「うん、おはよう……」
女「……」
彼女はこちらをじっと見ている。
泣いた跡を隠すように、僕は慌てて目や頬の辺りを手で覆い隠す。
女「ふふっ、悪い事して叱られた?」
僕「そんなんじゃないよ」
すでに彼女には見られてしまっていたようだった。
隠した事が余計に恥ずかしく感じた。
女「ふ~ん……じゃあ、あれかな? 懐かしくて泣いちゃったってやつ?」
僕「……」
女「当たった? やっぱり泣いちゃうよね。私もそうだったもん」
108:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 00:36:51.43:UWojzoKZO
僕「それって前の時の……?」
女「うん。お母さんが優しくて……やっぱり一年生だからさ、お節介なくらいに優しかったのよ」
女「ご飯は好きな物作ってくれるし、デザートだって……。お風呂に一緒に入って絵本読んでくれて……私、途中で泣いちゃった」
僕「女……」
女「シンデレラが、ガラスの靴を落としたら泣いちゃうんだもん。お母さん、困っていた」
僕「そっか、女も……」
女「今は甘えていいんだ、優しくしてもらえるんだ、って考えちゃうとどうしてもね?」
それは何となく自分もよくわかる気がする。
心配事の無い毎日……あえて言うなら記憶と未来の事が心配だけど。
それ以外は何があるわけじゃない、本当に平穏な日常なのだから。
109:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 00:43:41.92:UWojzoKZO
女「優しいよね、みんなさ」
僕「そう……だね」
女「幸せなんだろうね、私たち」
僕「うん……」
彼女の言葉に僕は頷く事しかできないでいる。
……涙の事は、それ以上追及されなかった。
彼女は席に戻り、先生がやって来る。
今日は平仮名の「い、う」を覚えて、1+2の足し算を勉強して……今週と来週は、一年生は午前中で終わりの日が続いている。
学校の事は放っておいても、しばらくは何も問題が無さそうだ。
僕(じゃあ僕は……何をどうしよう)
110:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 00:50:50.35:UWojzoKZO
授業の時間を、僕はずっと考え事に充てる事ができた。
自分と女がここにいる理由。
僕が未来から来たのなら、帰る方法や解決策。
弟の出生やこれからの未来の事……何かを言えば未来に影響が出るのか?
僕(んー……)
しかし考えても考えても、答えは出るはずも無い。
僕(……ダメだ。何も浮かばないや)
僕(とりあえず時間だけは普通に過ぎていて、昔から僕たちのいた未来……現在? まで続いている)
僕(記憶がある理由なんて考えてもわからないし……まあいいか。害があるわけじゃないし)
僕は適当な所でこの問題を解く事を諦めてしまった。
111:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 00:57:17.07:UWojzoKZO
最初は、女と一緒にずっとそんな話もしていた。
でも変わらずに流れている日常、優しい現実……。
僕たちはいつの間にか、遠すぎる未来の事を話すのを止めていた。
今話していても何も変わらない。
確かそういうような結論になったと思う。
そして神社でお祭りが始まる四月の終わり頃には、そんな話題を出す事はすっかり無くなっていた。
112:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 01:01:17.61:UWojzoKZO
女「もう、遅いよ!」
僕「ごめんごめん。寝坊しちゃった」
女「いつも遅刻するんだから……」
僕「だから悪かったってば……」
女「まあ、今日はお祭りだから許してあげる」
彼女の笑顔を見て、僕はまたホッとする。
女「じゃあ行こう!」
僕「ま、また走って……危ないよ?」
女「大丈夫だって、ほら早くー」
113:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 01:07:17.78:UWojzoKZO
女「わあ……お店結構たくさん出ているんだね?」
僕「みたいだね。夜になってもやってるから、結構人が集まるんだよ」
田舎らしいこじんまりとした神社だが、お祭りの日には人が集まる。
今の時間は殆どの客が地元の小、中学生だが、夕方から夜にかけては大人も姿を見せるようになる。
114:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 01:10:31.11:UWojzoKZO
女「田舎のくせに人が多いのね。ちょっとだけ驚いちゃった」
僕「また馬鹿にして……じゃあ帰る?」
女「だから冗談よ! これだけ人がいたら楽しいんだろうな、って思っただけなんだよ?」
僕「女の子ってズルい」
女「ズルくてもいいの。早く買い物しようよ」
いいように振り回される僕と、涼しい顔でお店を見て回る彼女……小さな一年生の男女がお散歩をしているような、周りから見たらただそれだけの風景だった。
115:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 01:17:43.56:UWojzoKZO
女「あ、クレープ……」
女「かき氷……」
女「あんず、水飴……」
お店を見てはすぐ別のお店へ……彼女は神社の奥に、早いペースで向かってしまう。
僕「何か食べないの?」
女「んー……」
僕「?」
口の辺りが強張って、目付きはしっかりしているものの、どこかを見ているわけでは無い。
これは彼女が本当に困った時の表情だった。
僕「何食べるか迷っている?」
117:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 01:26:40.89:UWojzoKZO
女「んん……」
表情は変わらない。迷っているわけでは無いのか?
……強張る口を開き、彼女は静かに話を始めた。
女「お金が足りなかったの……」
僕「え?」
女「おこづかい……足りないから」
僕「いくら持ってるの?」
女「百円……だけ」
小さな祭りだが、商品の値段が他と変わるわけじゃ無い。
最低でも三百円は無いと何かを買う事はできない。
女「……えへへ。やっぱり何も買えなかったか~。残念だよ~」
僕「女……」
女「せっかくのお祭りだけどさ~。家ってほら……確か僕ちゃんには話していた……ね?」
118:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 01:33:02.05:UWojzoKZO
僕は彼女の昔を知っている。
早くから夫婦別居をし、長らく母と二人暮らしだったと言う事を。
今も昔も貧乏であまり贅沢などしてなかったと言う事を、確か彼女から聞いていた。
僕「やっぱり、今も?」
女「……うん。向こうにいた昔とあまり変わってないみたい。お母さん、本当は千円くれようとしていたけど……お金あるって言っちゃったから」
僕「……」
女「でも僕ちゃんとお祭り来ただけで楽しいんだよ? 珍しい物たくさん見られるし、雰囲気だって……ね?」
そんなに一生懸命に笑わなくてもいい。
母親のために無理をする彼女の姿は簡単に想像ができてしまったから、余計に辛い。
120:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 01:38:56.51:UWojzoKZO
女「ほら、僕ちゃん何か買ってきなよ。ここで待ってるからさ?」
僕「嫌だよ、二人で行こうよ」
女「で、でも……見ると食べたくなっちゃうから……」
僕「女が食べたいの選んでいいよ。体が小さいから、半分こして一緒に食べようよ」
女「で、でもそれだと僕ちゃんのお金が……」
僕「大丈夫だよ。小さい時から小銭貯金とかしていて……今だって、昔の僕はちゃんと貯めていたんだからさ」
女「ほ、本当に……?」
121:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 01:44:17.12:UWojzoKZO
僕「うん。僕の千円は一緒に使お? 貯金はあと二千円くらいあるから大丈夫だよ!」
女「いいの……?」
僕「うん。二人で食べた方が美味しいもの!」
女「あ、ありがとう……僕……ちゃん……」
僕「な、泣くなんて大げさだよ~」
突然の涙に、僕は焦ってしまう。
女「ご、ごめん嬉しくてつい……あ、じゃあこの百円渡すから……」
僕「いらないよ。それは女が持っていて」
女「で、でも……」
僕「貯金があるんだから、任せてよ。ね?」
女「……うん、わかった」
彼女はやっと納得してくれた様子だった。
僕たちは自然に手を繋ぎながら、二人で屋台を回っていた。
122:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 01:51:45.82:UWojzoKZO
女「まずは何食べたい?」
僕「……かき氷がいい。値段も三百円で手頃だしさ」
女「うん、わかった!」
彼女には笑顔が戻っている。
よかった……と素直に感じた。
女「すいません、かき氷一つ下さい~!」
「はい、三百円ね。シロップはどうするね?」
僕「ブルーハワイで」
女「イチゴで」
僕「……」
女「……」チラッ
僕「……えっとイチゴでお願いします」
小学生一年生の上目遣いは、ズルい。
124:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 02:05:11.12:UWojzoKZO
僕「座って食べようか」
女「うん!」
ベンチに座って、二人で一つのカップを握っている。
落とさないよう、しっかりと僕は……。
僕「食べなよ」
女「買ったのはちゃんなんだから、それは遠慮する~」
僕「でもイチゴだよ」
女「……」
僕「食べる?」
女「うん……食べる」
126:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 02:18:12.81:UWojzoKZO
女「美味しいよ~」
まだ夏でもないのに、彼女はとても美味しそうに氷を頬張っている。
僕「それはよかったよ」
女「はい、僕ちゃんも」
僕「ん」
当たり前のように、同じストローでかき氷を口に入れる。
僕(気にしない~)
女「美味しい?」
僕「うん。イチゴ味も悪くないのかもしれない」
僕(かき氷なんて何年ぶりかな? 懐かしいけど、よく覚えているようなこの味……)
僕「懐かしい」
127:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 02:25:10.93:UWojzoKZO
女「懐かしいって感想は変だよ?」
クスッと笑う彼女。
なんだろう、今日は特に笑われる事が恥ずかしいような気がした。
僕「いいんだよ、はい。残り食べていいからさ」
女「いいの?」
僕「体が小さいから、あまり入らないみたい」
男としてこの言葉を使うのはどうかと思ったが……。
女「じゃあ食べちゃうね~?」
笑顔でかき氷を食べる彼女……これだけで僕は何だか満足だった。
128:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 02:32:43.01:UWojzoKZO
女「はい、ごちそうさま」
僕「じゃあ次は何が食べたい?」
女「んー……リンゴ飴、かな?」
僕「リンゴ?」
女「うん。大きくて美味しそうかなって……あ、僕ちゃんリンゴ飴嫌い?」
僕「ううん。好き」
本当は、リンゴ飴は買った事なんて無いけれど。
彼女が食べたいなら何でもいい。
女「えへへっ、それならよかったよ。すいませーん!」
130:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 02:41:59.72:UWojzoKZO
僕(リンゴ飴が三百円……まあ、こんなものかな)
女「おっきいよ~。美味しそうだよ~」
僕(まあ、嬉しそうで何よりだ)
女「ガリッ!」
僕「食べるの早」
女「飴の部分が余っていたからさ。ここだけ先にね」
僕「ああ……うん。まあ好きに食べたらいいよ」
女「えへへ、相変わらず優しいよね僕ちゃんってさ」
僕「……」
131:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 02:51:24.28:UWojzoKZO
先ほどの身の上話といい、僕は彼女の事情をその辺の人間よりは知っている。
そんな話をよく聞いていたからか、僕は自然と彼女を何かから守るような形になっていた。
僕が勝手にくっついていただけかもしれないけれど……。
女「リンゴ美味しい~」
でも彼女も何かある度に、僕に話をしてくれていた。
最低限の信頼はされていた……いう事でいいんだろうか。
あまり自分の事に自信は持てない。僕はそんな性格だった。
132:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 02:56:22.52:UWojzoKZO
女「はい、僕ちゃん」
僕「ん……」
リンゴのような物体が半分、割り箸に刺さって渡された。
僕「……ガリッ!」
力いっぱいにリンゴを噛んでみた。
女「か、固くない?」
僕「ちょっとだけ……」
女「慌てて食べなくても大丈夫だよ。時間はまだあるんだから、ね?」
時間……ね。
133:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 03:01:34.73:UWojzoKZO
女「ね、時間大丈夫?」
僕「え、ん?」
女「よく考えたらお互い門限があったもんね。時間はたくさんあるって言ったけど……夜中まではいられないもんね?」
僕「それはそうだけど……」
女「ね、どうする。まだ買い物する? それともちょっとお散歩する?」
僕「買い物して、お散歩する」
女「ふふっ、ワガママ僕ちゃん」
134:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 03:09:19.37:UWojzoKZO
女「僕ちゃんは何が食べたいの? ずっと私の食べたい物ばかりで悪いから……」
僕「んー。やっぱりクレープかな」
女「あ、私も食べたい」
僕「味は?」
女「それは僕ちゃんに任せるよ。私に気を使わないで、好きなの頼んでいいからね?」
僕「ん……」
彼女と一緒にクレープのお店へ向かう。
僕「あ……」
僕たちはその値段を見て愕然としてしまう。
135:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 03:14:39.16:UWojzoKZO
クレープの値段は五百円。
僕の財布には四百円しか残っていない。
女「僕ちゃんのおこづかいって確か……」
僕「あはは、足りないや。何か他の物にしよっか?」
女「え、う、うん……そう言うなら」
僕「……クレープ食べたいの?」
また彼女の口が強張っているのが見えてしまった。
ああ、彼女はきっとクレープを食べたいんだなあ、と僕にはそれがすぐわかる。
136:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 03:21:37.80:UWojzoKZO
女「……あ、ねえ」
僕「ん?」
女「これ……」
ごそごそ、と彼女は財布から先ほどの百円玉を取り出して僕に渡してくれた。
僕「これは受け取れないよ」
女「いいの使って。これでクレープ買えるよね?」
僕「それはそうだけど、百円くらい家からすぐに持ってこられるからさ?」
女「……ありがとう。でもね、このクレープは二人のお金で買いたいんだよ」
僕「?」
女「何て言うか……一緒にお祭り過ごしたよ! って言う思い出になるって感じでさ……」
思い出?
137:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 03:29:07.31:UWojzoKZO
女「だからこれを使って。一緒にクレープ食べよう?」
僕「……」
彼女の小さな手から僕は百円を受けとる。
僕「すいません、バナナとチョコとアーモンドのクレープを……」
僕も少し大きな声を出しながら注文をした。
隣で彼女は笑っていた。
きっと彼女もこのトッピングが好きだったのだろう。
あるいはクレープとチョコの甘い匂いがするからかな……。
彼女はこの上なく笑っていた気がした。
138:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 03:36:01.26:UWojzoKZO
僕たちは、手を繋ぎながらお祭りの会場から遠ざかっている。
右手には半分に割いたクレープ、左手には彼女の小さな手を握りながら。
夕焼け空の赤が段々と小さくなって……背中からはお祭りの賑やかな音が聞こえている。
僕「この辺?」
女「うん。学校の近く。でも本当に送ってもらって大丈夫だったの?」
僕「……一人だと危ないから」
女「うん、ありがとう~」
小学生二人で歩いている事が安全とは言えないけれど、女性一人で帰るよりはまだマシだろう。
140:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 03:42:34.32:UWojzoKZO
女「着いたよ。ここが私の家」
僕「あ、この辺りなんだね」
ここからなら学校までは五分くらいか。
近いと言うのは単純に羨ましい。
女「じゃあ……今日は本当にありがとう。ごちそうさま」
僕「うん。楽しんでもらえた?」
女「すっごく楽しかったよ! いいよねお祭り、本当に夏休みみたい!」
僕「まだ四月なんだけどね」
女「ねえ、夏もまたお祭りある?」
彼女は目をキラキラ輝かせながら僕に訪ねてくる。
僕「盆踊りもあるし……あの神社じゃ無いけど花火大会だって」
女「ね、次の時にはおこづかいいっぱい貯めておくからね? 今度お礼するからね?」
141:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 03:49:26.32:UWojzoKZO
僕「いいよお礼なんて。と言うか行く事確定なの?」
女「先の事はわからないけど……行きたいなーって思ったんだよ」
そう言われたら、僕には何も返す言葉が無い。
相変わらず、彼女にはめっきり弱いようだ。
僕「まあ、考えておくよ」
女「ふふっ、ちゃんと考えておいてね?」
多分彼女との約束を忘れる事なんて無い……それがわかっているから、女の方も意地悪に笑っているんだろう。
僕「じゃあ、バイバイ」
女「うん。またね僕ちゃん」
お友達に手を振って、また明日……。
もう、辺りは少し暗くなり始めていた頃だった。
143:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 03:55:35.37:UWojzoKZO
父「僕、お祭りはどうだった?」
僕「楽しかったよ。友達みんなで行ったから」
女の子と二人とは、何か言う事が出来ない。
母「私もお昼前に妹と行ったんだけど……やっぱり賑やかだったわね」
妹「かきこおり~」
父「おこづかいは足りたか? お金落としたりしなかったか?」
僕「う、うん。大丈夫だったよ、父さん」
母「そう言えば、僕ちゃんにもそろそろお小遣いをあげ無いとダメかしらね?」
父「そうだな。お金の仕組みを教えておくのは大事だからな」
144:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 04:03:13.07:UWojzoKZO
母「ねえ僕ちゃん。何か欲しい物とか無いの? せっかく小学校に入ったんだから、お祝いで何かね? パパ」
父「お、そう言えば入学祝いもまだだったな。どうだ、何かテレビゲームでも買ってあげて……」
僕「ま、まってよ。僕はそんな……お祝いなんていらないよ」
父「ええ~っ? どうしてだい?」
どうして、なんて言われても僕は余計に困ってしまう。
頭の中では様々な遠慮や気遣い……子供らしくない感情だけがグルグルと回っている。
僕(可愛くない子供……)
昔の自分なら、すぐに買いたい物だけを頭の中に浮かべただろう。
でも今は……欲しい物が何も出てきてくれなかった。
145:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 04:09:56.92:UWojzoKZO
僕「僕より、妹に何か買ってあげてよ。その方が僕も嬉しいしさ」
僕「それにおこづかいだって、月に三百円くらいくれれば僕は満足だよ。あ、何かお手伝いもするからそのご褒美でもいいし……」
父「……」
母「……」
僕「ね? こうやってご飯を作ってくれるだけで僕は……」
僕「ぼ……ぼく……っ……」
母「僕ちゃん?」
父「な、何で泣いてるんだ。何かパパ達悪い事言っちゃったか……?」
そんな優しい目で僕を見ないで。
父「僕? 僕……」
母「僕ちゃん……!」
妹「おーちゃん、ないてる。ないてる?」
僕「ぐすっ……うっ……グス……」
146:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 04:16:28.38:UWojzoKZO
その後、両親に慰められるままに僕は布団に入った。
父「寝るまで一緒にいようか?」
僕はそれを断った。
誰かがいたらまた泣いてしまう。
父「おやすみ僕。何かあったら起きて来なさい」
母「おやすみ……」
……
天井に浮かんだ小さな光が、涙で滲んでいる。
必死に目を閉じて、グッと涙を我慢する。
しかし、隣の部屋にいる父と母の姿を想像したら……また勝手に涙が溢れてしまう。
僕(お願いだから、そんなに……優しくしないでよ……)
148:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 04:23:24.00:UWojzoKZO
布団に入ってから三十分は経っただろうか。
優しい言葉の一つ一つが、まだ僕の胸に突き刺さっている。
僕(……)
僕(みんな……優しかった)
僕は父と母にとって初めての子供だ。
両親からの愛を受け、かなり甘やかされて育ったと……そういう記憶がある。
昔の僕は何も知らない子供だ。
それを甘えだとは思う事ができるはずも無い。
ただ、親が優しくしてくれていた……大学生の僕にはそんな記憶しか持っていなかった。
149:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 04:27:53.14:UWojzoKZO
もちろん、実家に資産がたくさんあって親が何でも買い与えていたとか。
それこそ馬鹿みたいに、甘やかされ過ぎて育ったというわけでも無い。
いわゆる普通の育て方だったが……初めての息子だからつい溺愛してしまった。
振り返ってみればそれだけだった。
昔の僕にとっても両親にとっても……それは普通の愛情だった。
でも今は違う。
僕は昔の僕じゃない。
150:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 04:39:01.71:UWojzoKZO
母「あ、おかえり僕」
母「ほら、帰ってきたらちゃんと神棚に挨拶して」
母「これお供え物。あとちゃんとご先祖様にも挨拶をして……」
母「え、旅行に連れていってくれる? 待って。その月は占いで厄が出ているから……その三ヶ月なら大丈夫かな」
母「……またそんな顔して。もう一回先生に占ってもらう? 前は鬼の子が宿っているなんて言われて……」
母「でもこの石のおかげで大丈夫だったでしょ。やっぱり英霊様を大切にすると幸せになるのよ?」
母「ねえ、お父さん。次はこの仏壇を買おうと思うんだけれどね……うん……」
……
151:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 04:49:26.76:UWojzoKZO
僕(……)
これは夢じゃない、僕の中にある確かな記憶だ。
僕には宗教の事や占いの先生の事はよくわからない。
ただ、それまで僕が好きだった怖い話や超常現象。
その他オカルトなど……そう言った事が大嫌いになってしまった理由だけはよくわかっていた。
母はいつからか、変わってしまった。
僕「ママ……」
布団の中で一言、小さく呟く。
ガラッ。
僕「!」
妹「おーちゃん。おーちゃん」
152:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 04:54:16.92:UWojzoKZO
現れたのは妹だった。
おぼつかない足取りで、よたよたとこっちに歩いて来る。
妹「いいこいいこ」
誰かさんよりも、もっと小さな手が僕の頭を優しく撫でてくれる。
何度も何度も、優しく。
優しく……。
僕(こんなに安心するもんなのか……)
妹「おーちゃん、いいこ」
僕(僕は昔も今も知ってしまっている……)
妹「なでなで」
僕(辛い記憶を知っているから、暖かい言葉が余計に気持ちに響く)
153:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 05:00:53.78:UWojzoKZO
妹「ねちゃえねちゃえー」
僕(優しすぎる父親と母親……ああ、思い出すと辛いな……)
妹「おやすみ、おーちゃん」
僕(ああ、記憶が無かったらきっと。その優しさに思い切り甘える事が……で……き……)
妹「おやすみ」
妹の手が止まる。
いい加減泣き疲れたみたいだ……。
僕の意識はそこまでで溶けていった。
154:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 05:10:11.52:UWojzoKZO
僕「ん……」
溶けた意識が戻ってきた。
窓はうっすらと明るくなり薄い青が広がっている。
父も母も妹も……いつもの場所で寝ている。
僕(……)
僕(寝たら、少しは元気になったかな……)
布団に入ると、どうも昔を思い出してしまう。
弱気になるのも布団の中。
僕(でも、こうやって毎日起きて……戦わないといけないんだよね?)
155:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 05:16:12.80:UWojzoKZO
今日もまた泣いた事を女にからかわれるのかな?
もうすぐ連休だけど、何をして過ごそうかな?
朝ごはんは何を食べようか?
僕は今日を始めるためのスイッチを入れた。
こうでもしないと、昨日の記憶に潰されてしまいそうで……。
僕「ふぅ……よし!」
僕は元気に起き上がり、学校に行く準備を始める。
もう四月も終わり。
太陽と緑と空が元気になって行く……段々と、季節はそんな風に変わっていくはずだ。
157:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 05:23:45.48:UWojzoKZO
「なあ僕。休み時間サッカーやろうぜ」
僕「うん、やるやる~」
「あ、女ちゃん。見てみて、このリボン可愛くない?」
女「わ~可愛い。すっごい似合ってるね」
お祭りのから、もう二ヶ月が経った。
僕も彼女も二人だけでいるという事は殆ど無くなった。
最もそれは休み時間に限った話だけれども……。
女「ねえ、昨日のテレビ見た見た~?」
「見た~。すごくおもしろかったよねー」
僕(女も友達ができて……クラスには馴染めているみたいだしな)
158:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 05:31:54.68:UWojzoKZO
「あ、ぼくくんが女ちゃんのことをまた見てるぞー!」
僕(……またか)
女「なあに僕ちゃん。そんなに私の事が好きなの~?」
僕「な……! そ、そんな事あるわけないだろ!」
「あー男が赤くなってるぞ!」
女「あんまり苛めちゃだめだよ~? 僕ちゃん恥ずかしがりやだもんね~?」
僕「う、うるさいバカ女! 早く校庭行こうよ、サッカーだよサッカー」
「あ、待てよ男ー」
逃げるように僕は教室を飛び足してしまう。
女「まったく、男の子って本当にバカよね。ねえ眼鏡ちゃん?」
眼鏡「……」
159:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 05:37:53.25:UWojzoKZO
「ねえ僕くん。女ちゃんの事が好きなの?」
僕「そんな事ないよ。ただの後輩だよ」
「こうはい? こうはいって何?」
僕「あ……た、ただのクラスメイトだよ」
「そ、そうなんだ。仲がいいから好きなんでしょ」
僕「……別に」
「本当に?」
僕(なんでこいつはこんなにしつこいんだ……)
僕「本当だよ。だからからかうのはもうやめてよね。隣」
隣「わかった!」
僕(こいつ、こんなに意地の悪い奴だったっけ?)
160:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 05:46:39.59:UWojzoKZO
眼鏡「ねえ女ちゃん?」
女「ん、なーに?」
眼鏡「女ちゃんと僕くんってよく二人で下校してるよね?」
女「お家が通り道だから。ついでにね?」
眼鏡「あ、あのね。あたしも女ちゃんのお家の近くなんだよ。ちょっと奥の……三階建てのお家なんだよ?」
女「あ、うん。それは知ってるよー」
眼鏡「ね、今日からみんなで下校しない?」
女「み、みんなで?」
161:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 05:52:56.71:UWojzoKZO
眼鏡「あたしと僕くんと女ちゃんの……三人で下校しよ? ね?」
女「私は別に構わないよ? 僕ちゃんも気にしないと思うし」
眼鏡「そ、そう……」
眼鏡「じ、じゃああたし、ぼ……僕ちゃ……僕ちゃんに声かけておくから……ね」
女「あ、うん。わかった」
眼鏡「う、うん! じゃあ放課後ね! 一緒に帰ろうね!」
眼鏡「~♪」
女(……)
女(ははーん。この子って僕ちゃんの事を……ふ~ん)
女(でも小学生の恋愛だもん。私が何かするわけでも無いし、ね?)
眼鏡「~♪」
女(でも眼鏡ちゃんの表情……本当に楽しそうにしてるのね)
162:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 06:01:48.11:UWojzoKZO
先生「みんな、さよなら~。気をつけて帰ってね」
「先生さようなら~!」
眼鏡「あ……あの。男ちゃん?」
僕(お、男……ちゃん?)
僕の事をちゃん付けで呼んでいるのは、女だけだ。
それがいきなりこのような形で声をかけられてしまった。
眼鏡「あ、あの……」
僕「?」
眼鏡「さ、さっきね。女ちゃんが言ってたんだけどさ? お家が近いから、あたし達三人で……」
僕「三人? お家?」
しどろもどろとした言葉使い……眼鏡の奥の瞳が、もう泣き出してしまいそうなくらいに潤んでいるのがわかる。
164:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 06:10:00.24:UWojzoKZO
僕「三人で?」
眼鏡「う、うん。下校したいの……」
僕「ああ、そうなんだ」
眼鏡「ダ、ダメ?」
僕「ううん別に?」
眼鏡「ほほ……本当に!」
パァアアっと、彼女の表情が明るくなっていく。
眼鏡「お、女ちゃーん! 大丈夫だってー!」
そして教室に響き渡るくらいの大きな声で彼女を呼ぶ。
イタズラにまたニコニコとした表情の彼女がこちらに向かってくる。
僕(うぅーん?)
166:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 06:18:25.11:UWojzoKZO
いつの間にか、僕と彼女と眼鏡ちゃんの三人で下校の道を歩いていた。
眼鏡「えへへ~」
女「ねえ眼鏡ちゃん。何がそんなに嬉しいのかな~?」
眼鏡「お家に帰れるから楽しいの~」
女「それは良かったわね~」
眼鏡「うん!」
女の子は二人とも、終始笑顔で歩いていた。
僕には彼女の笑顔の意味がわからなかった。
眼鏡ちゃんというお友達ができて嬉しいんだろうか?
167:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 06:24:55.78:UWojzoKZO
眼鏡「じゃあまたね~! バイバイ~!」
ブンブン、と元気に手を振る眼鏡ちゃん。
眼鏡「僕ちゃん、また明日ね~!」
女「ふふっ、呼ばれてるよ?」
僕「……」
女「さ、行こ?」
女の家に向かって、僕たちは歩き出す。
僕「何となく、笑顔になっている理由がわかったよ」
女「だって面白くて、つい」
僕「そんなもんかな?」
女「うん。はっきりわかるもの。眼鏡ちゃんは男ちゃんの事が……」
僕(ああ、やっぱり)
女「好きなんだよ、きっと」
168:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 06:30:02.51:UWojzoKZO
僕「そうなんだ」
女「そうなんだって……反応薄いね?」
僕「だって、僕は彼女とあまり関わらなかったんだもの」
女「そうなの?」
僕「クラスは長い間一緒だったけど、特に何があったわけじゃないから」
女「むぅ~、何かつまんない……」
プク~っと頬を膨らましている彼女の横顔。
あざといが、何だかそれが可愛らしい。
169:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 06:38:42.17:UWojzoKZO
女「あ、じゃあ付き合っちゃえば?」
僕「そんな気は無いよ」
女「もう、あっさりし過ぎだよ男ちゃんは!」
僕「だって……僕と彼女は付き合った事はないんだからさ」
女「……」
彼女は一瞬だけ難しい表情を僕に見せた。
女「ねえ……それって、すごく変な発言じゃない?」
僕「……何が?」
女「僕ちゃんと眼鏡ちゃんが付き合った事なんて、一度も無いに決まってるじゃない」
僕「縁が無くてさ。一時期よく話した記憶はあるけれど……」
そしてまた、彼女の表情が冷たく尖った雰囲気に変わる。
170:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 06:44:56.49:UWojzoKZO
女「だから、どうして記憶の話になるの?」
僕「……」
僕「あれ?」
言われてみればそうだった。
僕は昔生きていた記憶を引っ張り出しては、体験した事のある人間関係だけを思い返して来た。
父や母の変化。友人達の進路や……それこそ自分の未来まで。
女「言い方は紛らわしいけど、付き合った事が無いのは昔の一年生の二人でしょ?」
女「今の二人には、付き合うっていう行動も出来るわけでしょ?」
171:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 06:56:14.33:UWojzoKZO
確かによく考えてみれば、彼女がこの学校にいる時点で同じ未来になる事はあり得ないんだろう。
例え二人また同じ大学に行ったとしても、年齢は同じ。
前よりも更に長い時間を一緒に過ごしている状態。
少し考えただけでも矛盾の嵐になってしまう。
僕「それは何となくわかるけどさ……」
女「……ごめんね。攻めたわけじゃないの。ただ考え方が偏っていたみたいだから、ちょっと気になって」
僕「少しまた考えてみるよ。布団に入ると色んな事が浮かんでくるんだよ!」
精一杯元気に振る舞ってみる。
目の前彼女は、とりあえずこれで安心してくれるだろうか。
僕も、彼女が元気の無い時は気を遣ってしまう。
172:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 07:00:01.87:UWojzoKZO
女「……うん。わかったよ。また何かあったらちゃんと話してね?」
口元は正常だ。
僕「うん、じゃあ……またね」
女「またね~。あ、さっきのは付き合いなさいって意味じゃないからね!」
僕「ははっ、そんなフォローはいいよ。じゃあバイバイ」
女「気をつけてね~」
最後に僕たちは笑顔だった。
何があっても終わりに彼女と笑顔でお別れるをする……。
それだけで、今日の僕はぐっすりと眠る事ができるんだ。
173:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 07:04:47.76:UWojzoKZO
……
プルルルル
プルルルル
プルルルル
僕「はい、もしもし?」
眼鏡「あ……僕くんのお宅ですか?」
僕「め、眼鏡?」
眼鏡「うん。あ、あのさ……電話、出てくれてありがとう」
僕「う、うん。そりゃあね」
眼鏡「……」
僕「ど、どうかした? いきなり話したいだなんて、びっくりしてさ。もう……」
眼鏡「わ、私……ずっと……」
僕「め……」
眼鏡「私ずっと! 昔からね、実は……! ぼ、僕くん事が…… 」
眼鏡「好き……だったの」
174:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 07:09:05.33:UWojzoKZO
僕「う、うわぁぁああ!」
母「!」
僕「あ……あれ? ねえ、僕の電話……?」
母「変な夢でも見た? あ、僕ちゃんは寝ぼけてるのかな~?」
僕(さっきのは、夢?)
母「ふふっ、大丈夫?」
僕「……大丈夫。おやすみなさい」
母「おやすみ。もうすぐでパパもママも寝るからね?」
僕「……」
176:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 07:14:12.06:UWojzoKZO
僕(夢? 記憶が夢に入ってきた? それともただの……)
僕(ただの何だよ……? ダメだ、頭が働かない……)
妹「おーちゃ……」
寝ぼけているんだろうか、妹が僕の手をキュッと握ってくる。
僕(よしよし……)
綺麗な長い黒髪を、優しく二度三度撫でてあげる。
妹「んふ~」
ああ、やはり無邪気な妹の笑顔も……可愛い。
177:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 07:20:16.47:UWojzoKZO
僕(おやすみ……)
今日はそれ以上頭を働かせる事は出来なかった。
僕(今度は何も見ませんように……)
僕は女の笑顔と、小さく手を降る姿を思い出しながらまた眠りに落ちていった。
僕(……)
その途中……。
僕(あ……おもいだした……)
僕(ぼくは、めがねちゃん……から、の……)
僕(でんわ……しってた……)
180:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 07:40:42.98:UWojzoKZO
女「えっ? 眼鏡ちゃんの?」
僕「うん。昨日布団の中で思い出した!」
……
女「……電話?」
そう。
あれは確か……中学生の時だったと思う。
僕は一度だけ、眼鏡ちゃんからの電話を受けた事があったんだ。
あまりに曖昧で微妙に忘れていた記憶だけど……今なら話せる。
181:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 07:45:56.10:UWojzoKZO
中学校では人数の関係からクラスが二つに分けられる。
一つの地域だけで無く、色んな場所から生徒が入学してくるからだ。
僕「細かい事はまた話すけど……眼鏡ちゃんは確か、違うクラスだった気がする」
女「本当?」
僕「うん。だから話す機会も無かったし……それこそあまり印象に残っていなかったんだよ」
女「それから?」
僕「入学してすぐかな……眼鏡ちゃんが僕に話し掛けて来たんだよ」
眼鏡『今日の夜八時に電話するから出て? お願い』
182:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 07:50:27.39:UWojzoKZO
女「それだけしか言わなかったの?」
僕「恋愛的な言葉は無かったよ。僕もあまり考えずに、承諾してたと思う」
女「ちゃんと待っててあげた?」
僕「うん。それがさっき話した電話の……あんな感じの事を話したのは記憶にあるよ」
女「……」
女「でも付き合ってないのよね?」
僕「うん」
女「どうして?」
僕「それは……忘れちゃった。好きじゃなかった事だけは確かだけど……」
女「そう。でも、これであの子が記憶と全く無関係って訳は無くなったね?」
185:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 07:56:24.50:UWojzoKZO
僕「また中学生になったら告白されるのかな?」
女「さあ? まだそんな先の事なんてわからないわよ」
僕「でも彼女が記憶の中に関わっているなら……何かあるはずだよね?」
女「そうね。でも気にしすぎる必要も無いんじゃない?」
彼女がそう言ってくれるなら、僕が気にしすぎる事は無くなるんだろう。
単純だ。
僕「うん……わかったよ」
女「あ、休み時間が終わる前に一つだけ教えて?」
僕「ん?」
女「昔の小学一年生の時にさ……眼鏡ちゃんから今みたいなアプローチを受けていた?」
186:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 08:06:49.53:UWojzoKZO
僕「一年生の時の記憶……?」
女「うん」
僕「今思い出せる事は……あまり無いかな。でも眼鏡ちゃんはこんな様子じゃ無かったはずだよ」
女「そうなんだ……」
涼しい顔で、彼女はちょっとだけ真面目を作っている。
僕「あの……どうかした?」
女「ううん。まだよくわからないなって思って」
よくわからない、それは僕だって同じだ。
188:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 08:15:39.54:UWojzoKZO
どうして眼鏡ちゃんが、こんなに早くから僕に近付いて来ているのか。
もう中学校で彼女からの告白は無いのだろうか?
僕「……考えても、やっぱりわからないや」
女「眼鏡ちゃんが僕ちゃんの記憶にいた……本当にそれだけよね?」
僕「うん。中学校で同じような事が起こるとは限らないし……記憶は記憶でしかないから」
記憶の話をすると、相変わらず頭が痛くなってくる。
女「……ね、そろそろ戻る?」
僕「うん。次の授業で最後だから頑張らないと」
女「帰りに駄菓子屋寄って行かない?」
僕「行く行く」
女「ふふっ、ガム奢ってあげるね?」
僕「え、またガム~?」
189:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 08:24:57.52:UWojzoKZO
女「文句ある?」
僕「あるって言ったら?」
女「もうガム買ってあげない」
僕「じゃあ、無い」
女「ふふっ、いい子」
うん、やっぱり僕はこうして……。
放課後に遊ぶ相談や、友達と過ごせる時間を見つけたり。
小学生らしく遊んでいる方が笑顔になれるみたい。
190:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 08:32:50.78:UWojzoKZO
もう夏休みか……。
僕の本能がその言葉を覚えているかのように、日が経つに連れて体がワクワクしてくる。
僕「……帰りたいな」
女「ん? 何か言った?」
僕「ううん、何でもない」
女「……」
女「相変わらず、変な僕ちゃん」
彼女はやっぱり笑顔だった。
何であんな事を呟いたのかわからない……。
彼女が笑顔の理由も僕にはわからない。
それでも……僕たちの新しい夏はやって来る。
嬉しさと、胸に残っているほんの少しの不安。
そして……
僕が忘れている夏の記憶と一緒に。
217:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 20:54:13.96:UWojzoKZO
よく晴れた日。
体育館での終業式を終えた僕たち。
教室で受け取った初めての成績表、初めての夏休みの宿題。
もちろん、僕と彼女を除いては。
女「ねね、成績どうだった?」
嫌に楽しそうに話してくる彼女。今日初めての会話だった。
僕「どうって……別に。昔よく見てたから」
特に何も感じない。
女「ええ~、僕ちゃんの成績表見せてよ? ね?」
僕「み、見ても何もないよ。よくある普通の成績表だからさ」
女「ね? ね?」
219:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 21:07:37.67:UWojzoKZO
僕「何でそんなに見たいのさ?」
女「ふふっ。せっかくの小学生なんだからさ? こういう事したいな、って」
なるほど。
興味本意だけではなく今を楽しむような……そんな感じで彼女は言ってるんだろう。
僕(四月のお祭りの時も、そんな感じだったな)
女「ね、だからお願い?」
僕「……うん。わかったよ、はいこれ」
女「ありがとう!」
シュッ、と素早く手が伸びてくる。
彼女の目線は、食い入るように僕の成績表を見つめている。
女「……っ、くくっ」
僕「?」
女「この頃から字が下手だったんだねえ……」
220:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 21:15:30.81:UWojzoKZO
女「きっと一年生から大学まで……ずっと成績表に、丁寧に字を書きましょう、って……くすっ」
他人の成績表を見て大笑いしているのは、全国の小学生の中でも彼女くらいだろう。
僕「ほ、他は全部良くできてるんだからいいだろ!」
女「あはは~、そこをチェックしたかっただけだから、何言っても知らないもん」
僕(さっきの、今を楽しみたいとか言っていた自分が恥ずかしいよ……)
彼女はまだ僕の成績表を手放してはくれない。
早く帰りたいのに。
早く、僕の夏休みを始めたいのに。
221:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 21:21:57.80:UWojzoKZO
女「あ、あとニンジンをちゃんと食べましょう、だって」
……しかし、このまま帰るのも何だか癪に触る。
僕「ねえ、僕のを見せたんだから交換で見せてよ」
女「え、見ても面白くないよ?」
僕「いやあ、今を楽しみたいもので」
女「変な僕ちゃん。はい……これ」
成績表を受け取り、ページを手早くめくってみる。
僕「……」
僕「全部、よくできましたに印が……」
女「だから面白くないって言ったのに~」
まだ、満面の笑みで僕の成績表を見つめている。
僕(……そっちのこそ面白くないだろうに)
222:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 21:31:01.08:UWojzoKZO
女「はい、ありがとう」
パッと成績表が手元に戻ってくる。
僕「満足した?」
女「丁寧に書きましょう、だけですっかり満足~」
僕「ああ、喜んでくれてるなら良かったよ」
いつもは本心からこの言葉を言っているが、今日この時だけは嫌味で言ってやった。
女「うん。また冬休み前に見せてね?」
僕「……」
彼女のその言葉には嫌味が無いのがわかる。
僕「覚えていたらね」
女「私が覚えているから大丈夫だよ」
だからこそ、僕たちはまた冬休みの前に同じように成績表を見せあって笑うんだろう。
何となく、わかる気がする。
223:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 21:37:47.68:UWojzoKZO
女「ね、夏休みはどうするの?」
彼女は荷物をまとめながら僕に聞いてくる。
僕「んー?」
女「遊びにいったりしないの?」
僕(一年生の時はどうだっただろう……?)
この辺りはただでさえ遊ぶ場所なんて無かった。
裏山、神社、駄菓子屋……小さな体で遊びにいけるのはこの辺りだけだ。
僕「あまり計画的に遊ぶ事はしないよ」
女「そんなものだっけ?」
僕「学校でラジオ体操があったから、その後に約束とかはしたかも」
女「ラジオ体操があるんだ!」
彼女の目がちょっと輝いた。
224:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 21:42:18.12:UWojzoKZO
僕「嬉しいの?」
女「夏休みだなあ、って感じがして好き」
彼女は雰囲気を大切に感じているらしい。
それは僕もわかるけれど。
僕「来る?」
女「どこでやるの?」
僕「学校の校庭だよ。役員の人がカードにシールを張ってくれて……」
女「うん、うん!」
やはり出席する気満々みたい。
僕(僕は眠っていたいからパスだけど……ね)
225:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 21:48:48.34:UWojzoKZO
女「ところでさ、僕ちゃん持って帰る荷物無いの?」
夏休みに入ると、絵の具や道具箱、ロッカーや机の中の物を全部持ち帰らなければいけない。
女「あ、もう全部持って帰ったとか?」
僕「何も持って帰ってないよ」
女「何でよ?」
僕「どうせ二学期も持ってくるんだから……ねえ?」
女「……ハァ」
また溜め息か。
女「もしかして教科書とかも?」
僕「置きっぱなしー」
女「そんな小学一年生は滅多にいないわよ……まったく」
227:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 22:00:14.97:UWojzoKZO
女「ね、お絵かきの宿題どうするの?」
僕「えっ?」
そんな宿題、出てたっけ?
女「出てたよ。ねえ? 眼鏡ちゃん」
いつの間にか僕の後ろには眼鏡の彼女が立っていた。
眼鏡「う、うん。絵の具いるよ、僕くん」
僕「じゃあ絵の具だけ……。ねえ眼鏡ちゃん、いつからいたの?」
眼鏡「女ちゃんを、まってたから。さっき」
女「声をかけてくれていいのにー」
眼鏡「で、でも……」
彼女はまた、しどろもどろ。
眼鏡「なんだか、二人の話してる事がむずかしくて……」
228:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 22:12:58.18:UWojzoKZO
女「難しいってどういう事?」
眼鏡「たまに……わからない言葉とか、わからないお話とか……」
僕「まあ、そりゃあねえ?」
女「しっ!」
僕「……」
夏休みで僕も浮かれているのか、小学生という事に慣れてきたからなのか。
僕(何となく、自分の性格で適当な部分が出てきた気がする……)
僕「気を付けます」
女「……バカ」
僕(気を付けますってば)
女「それで?」
眼鏡「あ……うん。だからあまりお話に入れなくて……」
229:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 22:20:35.58:UWojzoKZO
女「気にしないで大丈夫だよ眼鏡ちゃん。適当にお話しながら帰ろ?」
眼鏡「う、うん!」
女「じゃあ早く帰ろ。私お腹すいちゃった」
眼鏡「あたしも!」
女「今日のお昼はなーに?」
眼鏡「カレーだよ!」
先ほどの様子とは違って、自然体の眼鏡ちゃん。
僕(浮き沈みの激しい子?)
一年生の時なんてそんなものかな?
自分の性格を思い返してみたけど、やっぱり思い出せなかった。
230:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 22:27:30.70:UWojzoKZO
僕(性格的な部分を馬鹿にする気は無いし……ね)
隣「僕ー。帰ろうぜー!」
僕「あ、隣君?」
隣「そ、そんな女子とばっか話していると女子になっちまうぞ!」
彼も夏休み前だからかな。
何だか僕に、元気に絡んできている。
隣「ほら! 行こうよー!」
僕「……」
女「あ、帰る? じゃあ眼鏡ちゃん、帰ろう?」
眼鏡「う、うん」
こちらの様子を察してか、彼女たちもお喋りをやめてこちらに注目をしてくれる。
隣「じ、女子と帰るなんてやだよー!」
231:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 22:35:05.89:UWojzoKZO
女「そんな事言わずにさ、みんなで帰ろう? もうお腹すいたよ~」
隣「お、女ちゃんが言うなら……」
僕「ん?」
彼の目線がこっちに向いてくる。
女「……帰ろう?」
笑いながら、彼女は歩いて行ってしまう。
後ろから、追いかけるように眼鏡ちゃんが女に付いていく。
隣「ま、待ってよ」
更に後ろから、男の子が一人。
僕「彼女と昔の友達が絡んでいる姿が……何だか」
それが少し寂しいような気がした。
夏休みは始まったばかりなのに。
233:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 22:42:58.82:UWojzoKZO
……
夏休み。
普段の生活の中でも、あまり深く考えずに過ごしていた毎日。
学校がなくなってしまえばもっと、自分の時間ができてしまう。
僕(明日から何しようかな……)
布団の中で、ボーッとそんな事を考えていた。
僕(おやすみ……)
234:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 22:51:38.16:UWojzoKZO
ジリリリリン
ジリリリリン
母「もしもし。あ……ちゃ……ん。いるわよ」
遠くから、黒電話と母の声が聞こえてくる。
意識がはっきりとしない。また夢かな?
母「僕ー。女ちゃんから電話」
居間と寝室を繋ぐ扉が開けられる。
僕「ん……」
僕「電話持ってきて……」
眠いと自然とものぐさになってしまう。
母「寝惚けないの。家の電話は動かないわよ」
僕「……」
235:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 22:57:38.42:UWojzoKZO
僕「もしもし……」
女「おはよ。もう十一時だよ? 寝過ぎじゃない?」
僕「休みの日はお昼過ぎまで寝るのが普通だよ」
あくびと一緒にそんな言葉が当たり前に出てくる。
女「寝過ぎ……ラジオ体操来なかったのも寝坊のせい?」
僕「あまり出る気が無くて……」
女「時間を使わないのは勿体ないよー。」
……
言われてみれば、それは確かに。
何がきっかけで元の時間に戻るかもわからない。
そうなった時に自分は後悔……しないんだろうか?
236:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 23:07:07.47:UWojzoKZO
よし、決めた。
僕「ねえ」
女「ん?」
僕「八月の最初の日曜日、暇?」
女「多分大丈夫だと思うよ」
僕「近くで花火大会があるんだよ。一緒に行かない?」
思いきって彼女を誘ってみる。
女「花火、八月なんだ」
僕「一緒に行こう?」
女「あ、でも……」
僕「?」
女「眼鏡ちゃんと隣君は……どうするの?」
僕「どうするって、何が?」
237:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 23:21:12.63:UWojzoKZO
女「お友達なんだもの。誘ってあげないの?」
彼女とデート、という事だったら間違いなく誘わないけれど……。
僕「一年生だから出歩けるかわからないけどね。。でも誘って来られるようなら……」
女「うん! せっかくの夏休みなんだもん。一緒に遊ばないとね」
そこは僕も彼女も慣れてしまった仲のようだ。
女「……考えたら、私たち一年生なんだもんね。夜に出歩けないのは当たり前だよね」
僕(そう言えば僕も許可をとらないと)
僕「あれ、女は大丈夫なの?」
239:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 23:27:43.89:UWojzoKZO
女「私はほら……お母さんが……ね」
僕「……ああ。ごめん」
女「ううん、大丈夫だよ」
……
少しだけ変な空気になってしまう。
それでも彼女は、受話器の向こうから元気に話しかけてくれる。
女「じゃあっ、お祭り楽しみにしているよ!」
僕「うん……。また連絡するよ」
女「またね、僕ちゃん」
僕「ん、またね」
リンッ、と黒電話の金属が響く音がした。
僕「花火大会……ね」
240:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 23:35:56.99:UWojzoKZO
僕「いってきま~す」
真夏の太陽が眩しい八月。
僕は元気に学校へ向かっていた。
今日は夏祭りの前日であり、登校日でもある。
僕「今日が終わったら、明日は女と……」
この日のためにお小遣いをコツコツ貯め、なるべく無駄遣いも抑えて来たつもりだ。
僕「何買ってあげようかな。またクレープとか……」
ワクワクする。
遠足の前日みたいな楽しみが僕の胸にある。
242:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 23:45:48.18:UWojzoKZO
先生「えー、明日は花火大会があります。お父さんやお母さんと一緒に出かける人もいると思います」
僕(まあ、普通はそうだよね)
先生「夜で、人もいっぱいいる場所だから……気をつけて下さいね」
は~い、とクラス全体が返事をする。
先生「じゃあ、さよなら。夏休みを楽しんでね」
僕「……帰ろ」
ガタッと席を立ち、彼女の元へ向かう。
女「や、僕ちゃん」
彼女も同じ事を考えていたようだ。
243:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/02(月) 23:54:55.28:UWojzoKZO
僕「どうかした?」
女「明日のお祭り大丈夫そう?」
僕「うん。ほら、僕いい子だから」
女「そうだね~、僕ちゃんお子ちゃまでいい子だもんね~」
突っ込むというより、それに便乗して僕を口撃してくる彼女。
大学からずっと変わっていない。
僕「今は女だってお子ちゃまだろ?」
女「私の方がお姉ちゃんだもん。一歳年が上がっちゃったんだから、ね?」
僕「同い年でペッタンコのくせに……」
女「ペ……ペッタンコなのは仕方ないでしょ! い、一年生なんだから……から……」
245:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 00:02:48.54:l1nUAkN1O
僕(お、からかうと面白そう)
女「そ、そうよ。これからきっと……ね! うん!」
僕「へえ、これからって何年後?」
女「た、多分……昔と同じなら六……って、何よ! 変な事聞くなバカ!」
僕(今まで、胸の小ささをバカにした事は大学でもあったけれど……)
僕(未来の彼女を知っているだけに、今の女をこうしてからかえるなんて……楽しすぎる)
246:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 00:09:17.19:l1nUAkN1O
女「だ、だから……私は、その……」
慌てる彼女を見て、僕も自然と顔がニヤついてしまう。
普段とは違う彼女の反応が……たまらなく愛しい。
僕「まあまあ、一緒に帰ろうよ女ちゃん」
女「知らない、バカ! 私帰る!」
急ぎ足で彼女は教室を出ていってしまう。
僕(あの反応は……ちょっと怒ってるかも……)
近くでずっと彼女を見ていたから、僕にはそれがよくわかる。
僕(でも、可愛かったなあ。ああいう彼女も……)
僕はボーッと教室で彼女の事を考えていた。
今思えば……すぐにここで彼女を追いかけてさ……。
急いで謝れば、僕は明日のお祭りに一緒に行けたのかもしれないのに。
247:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 00:21:54.79:l1nUAkN1O
ダダダダダッ!
背中から迫る足音に、僕は気付かなかった。
多分教室から出ていった彼女の事を考えていて……。
彼女のいない教室になんて興味が無かったからだと思う。
ドンッ!
足音の勢いはそのまま、すぐに左肩に衝撃となって伝わってくる。
体の何処にも力を入れていなかった僕は、情けないくらいにあっけなく……
体重の全てが地面に引かれるように、落ちていく。
倒れ込んだ先には……机とイスから伸びている、鉄パイプのような物体があっただけだった。
248:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 00:28:47.63:l1nUAkN1O
その次の瞬間に、僕は何に刺さったのか、よく見えていなかった。
すぐに僕の目には、真っ赤な液体が大量に流れ込んで来て……。
僕(……痛い?)
僕「い……痛いっ……! いた……痛いよ……」
足に力が入らない。
倒れたまま、僕は目元を手で覆っている。
ドクドクと温かい液体が手のひらの中に流れてくる。
「……! ……!」
教室に残っていた何人かが、僕の周りを囲んでいるようだ。
何を話しているかは聞こえない……慌てているような、叫んでいるようなそんな声しか。
249:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 00:36:50.83:l1nUAkN1O
「うわ、血……」
「痛そう……」
「生きてる……? まさか死んでる……?」
ネガティブな言葉がどんどん頭に入ってくる。
体の力がドンドン抜けていく……。
「先生は?」
「さっき……うん……」
痛みだけが目に植え続けられている。
僕(痛い……)
それだけしか考えられない。
252:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 00:44:22.23:l1nUAkN1O
女「……く……僕……」
僕(痛いんだよ……)
女「僕……大丈夫、僕……ねえ……」
僕(さっきから血が止まらなくて……痛みも止まらないんだよ)
女「ごめん、ごめんね……僕……」
僕(なんで女が謝るんだよ?)
女「……」
僕(泣かないで、ごめんね。あんな事言って……)
僕(あれ……痛みが減った?)
僕(なんでもいい、なんでもいいよ)
それだけを感じると、僕は気を失ってしまった。
意識は無くても、痛みだけはずっと左目に残っていたのが印象的だった。
253:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 00:54:00.42:l1nUAkN1O
妹「おーちゃん……」
僕「ん、ん……」
妹「おーちゃん……?」
僕「あ、い、妹?」
父「僕……」
母「よかった……よかった……」
ここはどこだっけ?
シーツも何もない、小さなベッドの上で僕は目覚めた。
ツーンと、消毒液の匂いがしてくる。
僕(ここは確か、誰か個人がやってた病院だったっけか……)
うん、思い出せる。
僕(でも、いたっ……)
意識が段々とはっきりしてくると目の辺りの痛みも強さを増す。
僕の目には、白いガーゼやふわふわした布が何重にも重ねられていた。
254:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 01:00:37.50:l1nUAkN1O
女「僕ちゃん……」
僕(あ、女が……いる?)
女「わかる? 私の事覚えている? 記憶無くなっていない?」
母「大丈夫よ女ちゃん。頭はぶつけていないって先生言ってたから……」
女「……」
彼女が聞きたかったのは、そういう事じゃない。
僕にはすぐにわかる。
僕「……っ……」
でも、口から言葉が出てこない。
女「僕……」
255:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 01:09:12.25:l1nUAkN1O
父「右目の上が切れただけだから、心配無いとは言ってたが……」
母「目に刺さらなくて、本当によかったわね」
妹「おーちゃん……」
女「僕ちゃん……」
みんなの心配する声が聞こえる。
僕は相変わらず声を出すことは出来ないけれど。
女「……」
今は、この右手を優しく握ってくれている彼女のぬくもりだけでいい。
彼女の中に流れている血液の温かさが、僕を安心させてくれる。
今はさっきより痛みは無い。
僕は右手にギュッと力を込めて彼女の手を握った。
257:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 01:23:26.06:l1nUAkN1O
僕は残りの夏休みの半分以上を家で過ごす事になった。
話通り、目に傷は付いておらず失明などの心配は無いようだった。
ただ、かなり皮膚がザックリと切れていたらしく、しばらくは顔を動かす事もままならなかった。
僕(女、どうしてるかな)
頭が働くようになってから、僕はずっと彼女の事を考えていた。
僕(もう夏も終わり……)
僕の一年生の夏休みは、見れなかった花火と、行けなかった夏祭り。
そしてただ泣いている彼女の顔だけをボンヤリと見つめていた。
外では、ほんの少しだけ涼しい風が吹き始めるような空気になっていた。
259:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 01:42:39.99:l1nUAkN1O
女「お邪魔します」
彼女がお見舞いに来てくれたのは、あと二日で夏休みが終わろうとしている、そんな憂鬱な午後だった。
僕「んー……」
女「……寝てる。ま、怪我してるからいいけどさ」
僕「……」
女「目大丈夫かな? ガーゼ、痛々しい……」
スッ、と彼女の手が僕の右頬に触れる。
やっぱり彼女の手はあたたかい。
僕(……このまま寝たフリするのも悪くないかも)
262:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 01:55:25.40:l1nUAkN1O
女「……」
怪我をしているからか、彼女はそれ以上何も喋らなくなってしまった。
右頬を撫でる手は相変わらず止まっていないけど。
僕(やわらかい……)
女「……」
女「なでなで」
僕(……!)
その言葉と一緒に、彼女は僕の頭を撫でてくれる。
僕(あ、頭撫でられたら……寝ちゃいそうだ)
女「ん……」
その手が僕の顔の真ん中辺り……唇に触れてくる。
僕(……!)
そんな事は想像していなかったから、僕は簡単にドキッとしてしまう。
264:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 02:05:48.06:l1nUAkN1O
女「ぷにぷに」
唇を突っついてくる彼女の指が、少しだけ口の中に入ってくる。
本当に唇の感触を楽しんでいるだけのような、無邪気な指……。
僕(さすがに、もう起きた方がいい……かな?)
止まらない彼女の指。
どんな表情で僕に触っているんだろうか。
目を瞑っているから、その全てが見えないけれど。
女「……」
僕「……?」
スッと指が僕の唇から離れていく。
僕(よし、起きるなら今かな)
ただ目を開けて起き上がり、彼女に挨拶をする。
それだけだ。
女「……ちゅっ」
僕が目を覚ますよりも早く……彼女の言葉と、指より柔らかい感触が僕の唇に触れた。
甘い、イチゴみたいな味がする。
265:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 02:17:47.87:l1nUAkN1O
女「ん……」
その柔らかい感触が僕の唇を撫でている。
僕(これは……?)
彼女の唇?
柔らかくて、甘くて、優しくて。
僕(女……)
僕は彼女の唇を知らない。
昔、手を握ったり抱きしめた事は何度かある。
でも彼女と唇を重ねた事は無かった。
今こうしてくっついている、優しい味が……何だか遠いようで懐かしい。
僕は、ゆっくりと目を開けて彼女を見つめる。
女「あ、起きた? ちょうどよかった、はいあーんして」
僕「……」
266:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 02:23:46.72:l1nUAkN1O
女「あーんだってば」
僕「ねえ何、この僕の口に押し付けられている物体は」
女「ゼリーだよ。お見舞い」
僕「……」
女「あ、そんな目しても、全部はあげないからね。妹ちゃんにも残しておかないと」
僕「なんか、ごめんなさい」
女「妹ちゃんもゼリー大好きだもんね。イチゴ味はちゃんと僕ちゃんにあげるからね」
僕「そういう事じゃないんだよ、うん……」
女「? 変な僕ちゃん」
ゼリーとキスをして一人喜んでいた僕は、本当に変だったのかもしれない。
僕「……」
女「食べる?」
僕「うん、食べる……」
267:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 02:34:42.56:l1nUAkN1O
女「じゃあ、私は帰るから。これ妹ちゃんに渡してね?」
僕「ん~、わかったー」
一通りのお見舞いが終わり、彼女は帰る用意を始めている。
女「学校には来られそう?」
僕「多分ー」
僕はさっきから、気の無い返事ばかりをしている。
彼女が帰ってしまう寂しさなのか、先ほどのイタズラにがっかりしていただけなのか……。
女「もう……何よその返事は?」
僕「別に、何でもない」
女「嘘だよ。僕ちゃんて拗ねると子供みたいになるんだもん」
268:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 02:44:21.73:l1nUAkN1O
女「落ち込んだらすぐ引きこもっちゃうし、すぐ私に相談してくるし……不機嫌な時の僕ちゃんだもん」
僕が彼女の事を知っているように、彼女も僕の事をよく知っている。
物を食べる時の仕草や、誰も気にしないような小さな癖……それを彼女が発見する度、いつも笑顔で僕を見てくれていた。
女「……クスッ」
僕(あ……)
そうだよ、こんな感じで僕の事を優しい笑ってくれる。
僕「不機嫌なんかじゃない……」
女「いいんだよ、無理しないで」
僕「……」
女「ね?」
僕「うん……」
彼女は僕の事なんて全部わかっているような、そんな顔で僕を見つめてくれている。
270:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 02:58:29.82:l1nUAkN1O
女「落ち着いた?」
僕「……」
彼女の小さな膝枕に頭を乗せ、僕は天井を見上げていた。
僕「落ち着いた」
女「そう、よかった……」
安堵した顔が僕を覗き込む。
女「じゃあ、また学校でね」
僕「ん。今日はお見舞いありがとう」
女「うん。学校来てね?」
僕「行くよ、絶対に」
女「……あ、あれしよ?」
女「指切りゲンマン、嘘ついたら針千本のーます……指、切った」
271:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 03:12:15.81:l1nUAkN1O
僕「指切りなんて久しぶりだよ」
女「ね、私も」
僕「昔はこんな事ばっかしてたんだよね」
女「何だか、私たちって段々と子供に戻っているみたいね?」
僕「さっきの慰め方も子供の時から?」
女「だって僕ちゃんって子供だから」
クスッ、という小さな笑顔また溢れてくる。
それだけで僕は……。
僕「じゃあ、またね」
女「うん……ね、最後にもう一回小指伸ばして?」
僕「ん……」
僕の指先に、彼女の小指の先っぽが優しく触れる。
僕「なに、それ?」
女「ふふ~……ちゅっ」
272:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 03:17:43.19:l1nUAkN1O
女「お邪魔しました~」
彼女は小さく頭を下げ、僕の家から遠ざかっていく。
少し暗くなった外に消えていく後ろ姿を、僕はずっと見ていた。
僕(指切り……)
僕は、最後に誰と指切りをしたんだろう。
その約束をちゃんと僕は守っただろうか?
彼女との指切り、約束を大事にしようと思った。
もし次に誰かと指切りをする機会があったら僕は……。
それを記憶に残しながら、生きてみようと思った。
273:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 03:26:25.12:l1nUAkN1O
妹「ゆーびきーりげーんまー。うーそついたらのーます」
僕「……」
妹「ゆーびきったー」
母「ふふっ、これで僕ちゃんはゼリー食べちゃダメだからね?」
妹「おーちゃんおーちゃん」
母「女ちゃんに言われてね。こうでもしないと食べちゃうだろう、って……」
僕「……」
妹「いちごー」
僕「よしよし」
妹「えへへ~」
こんなに可愛く妹が笑ってくれるなら、指切りも悪くない。
僕の記憶に、この指切りは残るんだろうか。
274:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 03:39:22.29:l1nUAkN1O
僕「じゃあ、おやすみ」
母「もう寝るの?」
あれだけ昼間寝たから、眠気なんて無かったけれど。
明日の最後の夏休み、どこかに出かける気だった。
そのために僕は早めに布団に入った。
僕「……っつ」
枕に頭をぶつけると、傷口に痛みが走る。
しかしその傷口があったからこそ、今日は彼女がお見舞いに来てくれた。
僕「……えへへっ。女可愛かったなあ」
布団の中では感情が素直に出てくる、いつもの癖だ。
僕「わざわざ歩いて、お見舞いまで買ってきてくれてさ」
僕「女の家からは遠いのに。よくあんな場所から……」
僕「……あれ?」
僕「僕……彼女にこの家の場所、話した事あったっけ?」
275:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 03:48:39.99:l1nUAkN1O
彼女の家は、通り道だからもちろん知っている。
そして僕の家はどちらかと言えば町外れの方にある。
何より、彼女にこの場所を話した記憶が……無い。
僕(彼女は、本当に僕の事を何でも見抜いてるみたいで……)
僕「……」
僕(あ、ダメだ。眠気……)
僕(こうなったらもう考えられないや)
僕(おやすみ……女)
……
その夜、僕は久しぶりに彼女の夢を見た。
276:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 04:04:42.01:l1nUAkN1O
僕「……」
僕「あれ? もう朝」
さっきまで寝ていた気がするのに。
枕元に置いてある時計は、もう正午を回っている。
僕(せっかく女が夢に出てきたのに……)
寝起きの僕の頭は、彼女の姿何となく覚えているだけで、どんな夢を見ていたかを思い出す事は出来なかった。
現実で会える。夢で会える。
記憶の中で会える。
僕は、彼女に会う方法をたくさん知っている。
277:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 04:19:27.68:l1nUAkN1O
ピンポーン
急いでお昼ご飯を食べて来た僕は、彼女の家の前に来ていた。
僕「うん。普通に会いにくればいいんだよ」
ピンポーン
もう一度呼び鈴を鳴らしてみる。
……
……
しかし、誰も出てこない。
僕「いないのかな?」
扉に手をかけてみると……ガッと鍵の感触が引っ掛かる。
僕「珍しいな。この辺りで鍵をかけるなんて」
こういう田舎町では、出かける時に鍵をかける人間はあまりいないので、少し驚いた。
僕「……」
僕「帰ろう」
278:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 04:25:04.11:l1nUAkN1O
僕「やっぱり電話しておけばよかったかな?」
帰ってからもやる事があるわけでもなく……僕はまた早めに布団に潜っていた。
僕「携帯があれば気軽に連絡できるのに……普及するのは今から何年くらい後だっけ?」
僕「……」
僕(明日から学校か)
僕(なんだろう、昔は休みが長すぎると早く学校に行きたくて仕方なかったけど)
僕(今は特に何も思わない、ワクワクも感じないや)
僕(ただ、学校にいけば女に会える……それだけ)
僕(あとは約束のためだけに、僕は明日も学校に行くんだ)
僕(おやすみ……)
僕の夏休みが、静かに終わっていった夜だった。
279:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 04:39:16.51:l1nUAkN1O
僕「おはよう」
僕が教室に入ると、みんなの視線がが一気に僕に集まるのがわかる。
「大丈夫?」
「学校来て平気なの?」
「痛い? 痛い?」
病気や怪我でチヤホヤされる……なんだか気持ちいいような気分になった。
僕「大丈夫だよ。抜糸も終わったし、もうすぐ傷も塞がるみたいだから……」
そんな事を言いながら、僕の視線は彼女を探している。
この時間ならとっくに学校に来て……。
……。
来て……いない?
280:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 04:48:44.16:l1nUAkN1O
僕(ああ、夏風邪でもひいたのかな。女も昔から体が弱かったからな、まったく)
そんな事は無い。
僕(遅刻なんて女らしい。歩いて五分なんだから、遅刻する方が難しいよね)
彼女は毎朝僕より早く来ていて、いつも挨拶をしてくれていた。
僕(……)
僕(じゃあなんで彼女は来ていないの?)
知らないよ。
僕が知るわけない。
僕(彼女は僕の事を知っているのに……)
結局、授業が始まっても学校が終わっても彼女が姿を見せる事はなかった。
先生が言うには、無断欠席だそうだ。
281:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 04:56:56.05:l1nUAkN1O
先生「ねえ眼鏡ちゃん。このプリント、女ちゃんに届けてくれないかな?」
帰りの会の後、先生と眼鏡ちゃんの会話が聞こえる。
眼鏡「うん、わかりました~」
眼鏡ちゃんは彼女の家に行くようだ。
僕「ねえ、眼鏡ちゃん」
眼鏡「な……なに? 男くん」
僕(また男くんに戻っている……)
僕「僕も一緒に行っていい?」
眼鏡「も、もちろんだよ」
先生「あら、じゃあこれをお願いね」
数枚のプリントやお知らせが、束になって眼鏡ちゃんに渡される。
眼鏡「は~い」
282:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 05:01:51.23:l1nUAkN1O
僕「じゃあ、早速……ん?」
隣「……」
眼鏡「あ、隣くん……」
隣「……」
なんだか、冷めたような怯えてるような怪訝な表情でこちらを見つめている。
僕「と、隣くんも一緒に行く。このプリントなんだけど……」
隣「……」
僕の顔をチラッと見て、彼は教室から出ていってしまった。
僕(女がいないから嫌なのはわかるけどさ……)
僕「いこ」
眼鏡「あ、ま、まってよ男くん」
一刻も早く彼女の家に行きたかった。
少しでも、彼女を感じる何かが欲しかった。
284:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 05:19:08.96:l1nUAkN1O
ピンポーン
ピンポーン
眼鏡「いないね」
昨日来た時と様子が変わっていない。
人が出入りした気配も……。
眼鏡「お出かけちゅうかな?」
僕「風邪だよきっと。プリント貸して」
手からプリントを奪うと、玄関にある郵便受けに乱暴に突っ込む。
眼鏡「い、いいの?」
僕「どうせいないんだもん。僕、帰る」
眼鏡「う、うん……また、ね」
そのまま、眼鏡ちゃんには挨拶もせずに帰って来てしまった。
女の言葉が頭によぎる。
女『拗ねると子供みたいになるんだから……僕ちゃんは』
285:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 05:23:13.24:l1nUAkN1O
僕(その原因を作ってるのは自分くせに……)
女『……』
その先の会話を、彼女は返してくれない。
僕(何も言ってくれないんだ、もういいよ)
『……』
彼女の声は聞こえない。
子供みたいに拗ねている、小さな小さな一年生が道を歩いている。
286:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 05:29:18.55:l1nUAkN1O
僕(僕は約束ちゃんと守ったよ?)
僕(針千本だから、明日は学校に来てもらわないと困るんだけど)
僕(明日は席替えだってするって先生言ってたしさ)
僕(現実が無理ならせめて夢だけでいいから……)
僕(だからおやすみ……女……)
夜が終わり、また朝が来る。
朝になれば彼女に会える。
そう信じて、僕は眠った。
287:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 05:36:56.88:l1nUAkN1O
先生「女ちゃんは……今日もお休みね」
僕(やっぱり……ね)
何となく今日も会えない気はしていた。
早起きして教室に一番乗りしたけれど、結局彼女が来る事はなかった。
僕(どうしちゃったのかな女……)
先生「では、一時間目は言っていた通りに席替えを……」
ワーッ、と教室が活気付いている。
学生にとって席替えは一大イベントだから、無理もない。
でも、今の僕には何一つ喜ぶ事が出来ない。
僕(……ん?)
隣「……」
同じように喜んでいない人間が、もう一人だけいたみたいだ。
288:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 05:45:03.68:l1nUAkN1O
先生「ええっと、あとクジを引いていないのは僕君と隣君だけよ?」
隣「は、はい!」
僕(ダラ~ッと)
とても気だるそうに机に突っ伏している僕と、緊張した様子で教壇に向かう隣。
僕はまるで、やさぐれている不良のようだった。
格好いいとはもちろん思わない、それでもこんな気分なのは……やっぱり。
先生「ほら、僕君も来て。あとは女ちゃんの分を最後に決めちゃえば終わりなんだから」
隣「あ、あの……」
先生の言葉を遮るように、隣が話し出す。
隣「引く気がないなら、勝手に席を決めちゃってもいいんじゃないですか?」
その提案に、クラス全員が驚いた。
僕だけを除いて。
289:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 05:53:12.13:l1nUAkN1O
隣「席はどうせあと三つなんですから。この……一番後ろで隣に並んでいる席か、教室の端の一人の席か……」
先生「でも……」
僕「別になんでもいいですよー」
「……女の隣じゃなくていいのかな」
「どうせ休み時間に話すんだからねえ?」
「あ、でも隣も女と一緒に座りたいだろうし……」
隣「!」
「あ~、だからか~……」
僕(……マセガキは嫌いだ)
先生「みんな静かに。ルールだからちゃんとクジで決めないと。ほら、僕くん」
僕(……)
クラスメイトの声に背中を押されたからでも、先生に呼ばれたからでも無い。
女の隣に誰かが座るのが嫌だ。
嫌だった。
290:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 05:59:49.42:l1nUAkN1O
先生「じゃあまずは女ちゃんの席を決めましょう」
先生は近くにあったクジを一枚、簡単に取る。
これで彼女が一人席だったら、笑ってしまう所だ。
先生「……二つある内の片方ね。こっち」
黒板の図に、キュッと女の名前が加えられる。
「お一騎討ちだ~……」
隣「ね、ねえ。ど、どっちにする!」
声援に煽られるよう、隣はクジを力強く指差している。
僕「こっち」
自分も力を入れず、簡単にクジを引いてみる。
先生「それでいい?」
隣「ま、待って! やっぱり自分がそっち!」
僕(くじ引きの意味が無い……)
292:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 06:08:32.17:l1nUAkN1O
隣「あ……」
僕「はい」
先生「うん。じゃあ隣君が端の席で、僕君が後ろの席ね」
隣「……」
僕(また、落ち込んでる)
僕(……女)
誰も座っていない机に目が拐われる。
いつもだったら、そこに座っている彼女にピースとか、少し調子にのった仕草もするんだろうけど……。
先生「じゃあ、席をみんな移動させて~」
席は隣でも、彼女はそこにいない。
僕(女の机、運んでやるか……)
僕(……軽いや)
空っぽになったままの彼女の机が、妙に寂しく感じた。
293:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 06:13:03.27:l1nUAkN1O
母「僕ちゃん? 起きて、遅刻しちゃうわよ?」
僕「ん……」
母「ご飯食べて。学校の用意は?」
僕「用意は大丈夫だよ。ギリギリこれで間に合うから」
一番乗りした昨日と違い、今日はいつもの生活リズムに戻っていた。
僕「いってきます」
元気なく、僕はまた学校へ出掛けていった。
294:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 06:23:58.99:l1nUAkN1O
「ねえ、もう大丈夫?」
「昨日席替えしてね……二人が……」
「あ、来たみたいよ……」
僕「?」
僕の机の周りに人だかりが出来ている。
人数に比例して教室の中はガヤガヤと騒がしくなっている。
しかし……ただ騒がしかっただけでは無い。
更に興奮が混じったような、元気な声が教室に響き、僕の耳に聞こえている。
僕「……あ」
よく見ると、人が集まっている僕の机の椅子には、誰かが既に座っている。
「ね……その二人でくじ引いたお話、聞かせて?」
話の中心になっている彼女の周りに、みんなが集まっている。
ただそれだけの事だった。
296:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 06:30:44.95:l1nUAkN1O
「へえ、僕ちゃんが引いたんだ。よかったね~、私の隣になれて」
子供をなだめるように、彼女ば僕に笑ってくれる。
「宿題もわからない所も全部教えてあげるからね~?」
一年生の問題で、よく言うよ……。
「あ、そう言えば挨拶してなかったよね。おはよう」
僕「……おはよう女。」
女「うん、ただいま。僕ちゃん」
僕の席には、彼女が座っていた。
笑顔の彼女がここにいる。
記憶も時間も止まらない、彼女の隣の席で僕の二学期は始まった。
297:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 06:40:01.28:l1nUAkN1O
僕「ねえ、そこ僕の席なんだけど」
女「知ってるよ?」
僕「どいてよ、カバンが置けないよ」
女「知ってるよ?」
僕「……」
女「あははっ、ごめんごめん。はいっ。どうぞ」
当たり前のように、彼女とふざけあう事から一日が始まる。
僕「帰ってきたんだ?」
女「うん」
僕「何かあったの?」
女「……」
298:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 06:44:25.22:l1nUAkN1O
女「ちょっと入院しちゃってたの。お母さんも付き添いでさ」
僕(入院?)
「治ったの?」
「学校来て大丈夫?」
女「うん! 今は元気に復活したよ!」
僕「……」
「そうなんだ~!」
「よかった~」
女「えへへっ~」
僕にはわかっていた。
だから小さく、誰にも聞こえないように耳元で囁いてあげた。
僕「嘘つき……」
328:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 19:01:20.01:l1nUAkN1O
キーンコーン
カーンコーン
女「あ、先生きたよ」
彼女の一言で、机に集まっていたみんなは自分の席に戻っていく。
視界が開けた先には、不機嫌そうに窓の外を見つめていた隣がいた。
僕「……」
僕は彼をあまり見ないようにした。
女「一時間目は漢字の書き取り~」
彼女も彼女で、先ほどの言葉には反応してくれない。
329:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 19:07:48.62:l1nUAkN1O
僕(川、花、口……月、日……)
授業は相変わらず退屈だった。
何も考えずに受ても問題無い。
一年生の漢字では優越感に浸る事もできなかったけど。
僕の視線は、すぐに隣の女を見ていた。
彼女は机に目を向け、熱心に鉛筆を動かしている。
僕(そんなに一生懸命やらなくても……)
小学生らしく、何かイタズラしてやろうか。
そう思った矢先だった。
女「……はい」
小さな声と一緒に、破られた一枚のノートが渡された。
女『どうして嘘だってわかるの?』
授業中のお手紙交換、というやつだろうか。
330:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 19:14:53.83:l1nUAkN1O
僕「?」
彼女「……」
驚いて彼女を見つめても、視線をこっちには向けてくれない。
だから僕も手紙を書く事にした。
僕『なんとなく。嘘っぽかったから』
スッと手紙を彼女の手元に返す。
僕(元気に嘘をつくときは、無駄に明るくなるのが彼女の癖だから……)
女『みんながいたから。話したくなかった』
僕『なんとなくわかるよ~』
記憶の中から、彼女の問題になりそうな部分を掘り起こしてみる。
彼女に関して心当たりがあるのは、両親の問題だけだった。
だから多分……。
女『あのね、お父さん出ていっちゃったんだ』
331:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 19:22:51.90:l1nUAkN1O
僕『うん』
それだけ返すと、僕は黙って彼女からの手紙を待った。
女『もう前からお父さんとお母さんは別居してたんだけど……夏休みが終わる前に本格的に離れる事になっちゃってさ』
僕『離婚?』
女『ううん。そういう話はまだ』
僕(確か大学の時でも……離婚はしてなかったかな。問題でゴタゴタしていたのは聞いていたけれど)
女『だから最初ちょっと休んじゃって、ごめんね?』
手紙の中では、彼女はとても素直だった。
そんな性格を僕は知っていた。
嫌な記憶も、辛そうな過去の出来事も、彼女に対する記憶は僕の頭に残っている。
332:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 19:31:41.52:l1nUAkN1O
僕『大丈夫だよ。あ、針千本じゃなくて駄菓子を買ってくれるだけでいいから』
女『……』
女『ガムでいい?』
僕『またガムなの……』
女『あははっ。この話はまた後でね』
僕『わかった~』
手紙を返すと、小さくなるまで折り畳み、それを彼女の筆箱にしまっていた。
僕(ガム、か……)
放課後、彼女と駄菓子屋に一緒に行く。
残りの授業は、この約束で頭がいっぱいだった。
僕と彼女の間では、あれだけでちゃんとした約束になる。
彼女もきっと、そう思ってくれているはずだ。
僕(あ、でもその前に給食が……)
333:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 19:41:14.76:l1nUAkN1O
先生「じゃあみんな~。いただきます」
「いただきます!」
元気な声でお昼が始まる。
眼鏡「ぼ、僕ちゃん。牛乳飲んで?」
僕たちのクラスでは、近くの四人で机を向かい合わせ、一つのグループでご飯を食べる事になっている。
僕の前の席にいる眼鏡ちゃんが、給食中は隣になる。
女「コロッケおいし~」
そして隣にいた女とは正面同士になる。
眼鏡ちゃんから牛乳を受け取り、グビグビと一口に飲み干す。
女「僕ちゃんちっちゃいから牛乳たくさん飲まないとね?」
やっぱり、何をしても彼女は僕に笑いかけてくる。
335:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 19:55:51.02:l1nUAkN1O
女「今から牛乳飲まないと将来……くすっ」
僕(二十何歳の姿を知っているくせに……)
彼女の笑顔は、絶対にそれをわかって言っている。
僕「……女ちゃんも、牛乳飲んだ方がいいよ。少しでも将来に胸がおおき……」
そこまで言うと、机の下の膝辺りにぶっきらぼうな衝撃が飛んでくる。
僕「あづっ!」
眼鏡「ど、どうしたの僕ちゃん……?」
僕「あ、足が……」
女「あら、保健室行く?」
僕(本気で蹴るなよバカ……)
女「くすっ」
僕もまた、彼女の体がそこまで大きく成長しないのを知っていた。
338:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 20:12:44.30:l1nUAkN1O
僕「まだヒリヒリするや……」
駄菓子屋に着いてからも、足の痛みは治まらず、僕一人でヒイヒイ言っていた。
女「ねえ眼鏡ちゃん。チョコだよチョコ」
眼鏡「あたしはえびせんべいのが食べたいかな~」
いつものメンバーで帰りたい、と彼女が言い出したので、眼鏡ちゃんもそのまま一緒に駄菓子屋に来る事になった。
一応隣にも声はかけたけれど、僕の顔を見たらやはり一目散に逃げて行った。
相変わらず嫌われているようだ。
339:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 20:24:57.90:l1nUAkN1O
女「はい、僕ちゃんにはガムあげるね~」
僕「あ、ありがとう」
……
九月の帰り道。
僕と彼女の指切り針千本は、こうして簡単に果たされてしまった。
僕(ま、彼女が戻ってきたんだからいっか……)
ペリペリとガムの包みを剥がそうとする僕の手元に、今度は別のガムが渡されてくる。
僕「?」
視線を向けると、眼鏡ちゃんが俯きながらガムを僕に渡そうとしている。
彼女もまた、とても小さな手をしていた。
眼鏡「あ、あたしも……これ」
341:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 20:31:32.91:l1nUAkN1O
僕「あ、ありがとうね」
眼鏡「うんっ!」
眼鏡ちゃんは元気に、いつの間にかちょっと離れた場所にいた、彼女の元へ駆け寄っていった。
眼鏡『渡せたよ!』
女『よかったわね~』
表情からこんな会話がされてるんだ、と何となくわかってしまう。
記憶がある限り、鈍感な僕にはなれないみたいだ。
僕(……)
僕は、手に持った二つのガムをポケットにしまう。
僕(……学校帰りに買い食いや道草はダメだから)
多分そんな理由じゃないけれど。
僕は自分にそう言い聞かせながらまた歩き始めた。
342:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 20:37:23.79:l1nUAkN1O
眼鏡「ばいば~い!」
眼鏡ちゃんと元気に別れ、僕たちはまた二人きりになった。
すぐに女の家には着いてしまうけれど、久しぶりの嬉しさがある。
女「ガム貰えてよかったね~」
僕(どっちの?)
女「大切に食べてあげてね?」
僕(ああ、眼鏡ちゃんの方ね)
二人が物をくれた意味はそれぞれ違う。
僕と彼女にはそれがわかっている。
でも眼鏡ちゃん自身は多分……彼女と同じ気持ちでガムを渡せた、そう思ったんだろう。
僕「……大切に食べるよ」
おうむ返しに生返事。
拗ねてるわけじゃない。
彼女の家に着いてしまったから、それが少し残念なだけだったんだ。
344:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 20:41:47.68:l1nUAkN1O
僕「じゃあ、またね。ちゃんと学校来なよ?」
いつもはこんな事を言わないが、今日は何だか特別だった。
女「うん……また、ね」
僕「……」
女「……」
挨拶の後も、彼女は家に入ろうとはしない。
僕たちはお互いを見つめて固まってしまった。
女「ねえ僕ちゃん……ちょっと、お家寄ってかない?」
僕「……?」
女「お願い、ね?」
345:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 20:48:27.30:l1nUAkN1O
僕「お邪魔します」
女「あ、誰もいないから平気だよ。適当にあがっちゃって」
誰もいない?
女「あ、玄関段差あるから気をつけてね」
言われるままに通されたのは、障子と畳で綺麗に間取りされた居間だった。
僕(十年くらい前の田舎町にしては綺麗な家かも……)
確か貸家だと聞いていた。
家賃はいくらなんだろう。
この地域の相場は確か……。
一人で考え込んでいたが、アパートや家など地元では借りた事がなくて、逆にわからなかった。
女「今、お茶持ってくるからね」
彼女はそのまま台所に消えていった。
346:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 20:57:15.37:l1nUAkN1O
僕(箪笥に、テレビに、テーブルに……)
家具は一通りが揃っている。
この居間が八畳程だろうか。
少し手狭に感じてしまうのは、三人分の衣類が入りそうな少し大きな箪笥。
それに、お皿を多目にのせられるような大きなテーブルがあったせいだろうか?
僕(……)
女「お待たせ~。ココアでいいよね」
そこに元気な彼女が一人加わる。
それだけで、部屋がまた狭くなったような気がした。
僕「お茶じゃないの?」
女「甘いの好きでしょ?」
僕「わかってるね」
女「当たり前だよ!」
347:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 21:04:15.10:l1nUAkN1O
自信満々にそう言う彼女の手元には、ココアを入れたカップが二つ。
片方のカップの臨界点からは、山盛りになった砂糖がひょっこりと顔を出している。
僕「……」
女「ごめんね、溶けきらなくって……」
嘘でもわざとでもいい。
僕はそのココアを一口飲んでみる。
僕「……あま」
女「やっぱり?」
僕「でも……美味しいや」
彼女が作ってくれた飲み物だから。
何をされても僕は多分美味しく飲める。
女「くすくす、僕ちゃん将来糖尿病になっちゃうよ? 砂糖入れすぎだもん、それ」
僕「……」
意地悪に笑われても多分……美味しいんだろう……か。
349:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 21:12:48.41:l1nUAkN1O
彼女との談笑は続いた。
目の傷がそろそろカサブタになりそうな事、運動会の練習事。
秋に学校で行われる文化イベントのための合唱の事……。
時計はもう夕方六時を指している。
僕「あ、そろそろ帰らないと……」
最近は陽が落ちるのも早くなり始めている。
一年生が歩き回るにはどこか不安が残る。
女「……」
僕「じゃあ、また。今日はありがとう。ごちそうさま」
言葉を終え、立ち上がろうと足に力を入れた瞬間……。
女「やだ……」
彼女の言葉と指が、僕の洋服をキュッと捕まえる。
350:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 21:22:45.17:l1nUAkN1O
僕「な、何が……?」
確認するように、問いかける。
女「帰っちゃやだ……」
返ってきたのは僕が予想した通りの言葉だった。
女「今日はお家に誰もいないの、だから……だから……」
大学生のままの彼女がこのセリフを言えば、僕も今とは違う意味で捉え、彼女を抱きしめていたんだろう。
僕(でも……)
女「一人は嫌だよ……寂しいんだよ……」
彼女は怯えていた。
遊んで、お友達とバイバイしたくない。それだけのはずなのに。
それだけじゃないのが、やはり僕にはわかってしまう。
352:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 21:40:21.79:l1nUAkN1O
僕「女……」
女「お父さんもいないし……お母さんもお仕事増やしちゃったから夜はいなくなっちゃうし……」
女「一人でお留守番してご飯食べるなんてやだよ……いやだよ……」
彼女は泣きながら、僕の首筋辺りに抱きついていた。
ぬるい涙がじゅっ、と僕の頸動脈に吸い込まれているような感覚だ。
女「この記憶だと……聞こえちゃうんだよ。二人が言っている事全部、理解できちゃうんだよ……」
女「お金の事、住居の事、私の事……難しい単語も今の私にはわかっちゃうんだよ……!」
女「もう一度記憶と同じ事を体験するなんて、つらすぎるよ……」
355:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 21:53:01.12:l1nUAkN1O
記憶も中身も全部。
子供のままだった昔。
彼女はこんな風に泣いていなかったのかもしれない。
記憶と半端に残っている知識のせいで、目の前の彼女はこんなにも子供みたいに泣いている。
知ってしまっている分、子供よりつらい泣き方なんだろう。
僕に抱きついて大声で泣いているその姿は、小学一年生のままの彼女だった。
泣いて、泣いて、泣いて……。
ずっと僕はその間、ただ彼女の頭を撫でてあげる事しかできなかった。
女「……」
女「ありがとう……」
泣き声が小さくなり始めた頃、彼女から感謝の言葉が聞こえた。
357:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 22:02:49.80:l1nUAkN1O
僕「……落ちついた?」
女「うん……。あははっ、グスッ。シャツたくさん水吸ってる」
鼻を啜りながら、彼女はいつもの雰囲気に戻っていく。
笑いながら元気な声を出そうと一生懸命な彼女に。
僕「もう大丈夫?」
女「うん……多分、平気だから。ありがとう僕ちゃん」
ぎこちなく笑っている彼女。
そんな彼女に僕は、まだ少しカップに残っていた彼女のココアを渡してあげる。
僕「はい。冷めちゃってるけど……」
359:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 22:13:49.16:l1nUAkN1O
女「ありがと……」
カップを受け取り、そのままコクッと、小さく彼女の喉が鳴る。
僕「どう?」
女「……なにこれあまっ。これ僕ちゃんのカップじゃん」
僕「え……あ……」
女「くすっ。わざとじゃないんだね」
僕(やっぱり全部見抜かれてるんだな……)
僕はわかりやすい。
女「でも……」
僕「……?」
女「僕ちゃんがくれた物だから、おいしい……」
素直になった時の彼女も……すごくわかりやすい。
360:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 22:23:34.51:l1nUAkN1O
同じ人が作ったココアを、僕たちは同じカップで飲んでいる。
二人で同じ物を飲んでいるはずなのに、僕たちはお互いに違う味を感じていた。
僕はそれを不思議とは思わなかった。
女「こんなの笑顔で飲んでたんだから……本当に僕ちゃんて甘いの好きだよね」
僕「女が作ってくれたから、何でも美味しいんだよ」
女「……ばーかばーか」
僕「悪口も一年生かよ……」
女「ふふっ。僕ちゃんのばーか」
僕「じゃあ女だって……ばか……だよ」
女「そんなに優しく言われても悔しくないよーだ、ばか僕ちゃん。ふふっ」
無邪気に笑う僕たちの笑顔は、ほんの少しだけ昔に戻った気がした。
こうして、僕はお家に帰って行った。
笑っている彼女の姿が、道端の外灯に照らされて優しく揺れていた。
362:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 22:31:50.71:l1nUAkN1O
女「おはよう、僕ちゃん」
僕「おはよ」
朝一番で挨拶をしてくれる彼女。
僕(目の辺りに、新しく泣いたような痕跡は無い、か)
ちょっとだけ安心をする。
女「んふふ~」
僕「?」
座ってから一番、彼女はこっちに笑いながら顔を近付けてくる。
僕「な、何?」
今回みたいに唐突に笑顔を向けてくる時は、答えの予想がつかない。
女「はい、これ!」
手渡されたのは薄い紙袋に入った……ノートのような物体だった。
中身まではまだわからない。
365:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 22:39:13.57:l1nUAkN1O
僕「なに、これ」
ガサガサと袋を開けようとすると……。
女「まだだめっ。帰ってから!」
すぐに彼女にその手を止められてしまう。
僕「どうしても?」
女「どうしても!」
僕「まあ、何でもいいんだけどさ」
わざと興味のないフリをして、僕はランドセルにそれをしまった。
女「うん!」
本当は彼女の言葉を聞いた瞬間から、家に帰りたくて仕方がなかったけど。
その日はなんだか、早足で家に帰っていた記憶がある。
366:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 22:50:22.78:l1nUAkN1O
自宅のテーブルで僕は袋を乱暴に開けている。
妹「おーちゃん、おーちゃん」
妹が甘えてきても、今はダメ。
テレビをつけてあげると、妹はすぐにそっちに顔を向ける。
それはそれで悲しかったけど。
僕「今は袋だ、袋」
中から顔を出したのは……受け取った時から感じていた通り、一冊のノートだった。
薄い紫色をした、綺麗な表紙のノートだ。
授業に持ってくる感じの物では、もちろん無い。
僕「……」
その表紙には彼女の字で、デカデカしながらも整った字でこう書かれていた。
『交換日記』
367:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 22:55:41.02:l1nUAkN1O
女『こんばんは。昨日はありがとう。おかげで今こうして落ち着きながらこれを書けちゃってます』
砕けた感じの文章。
何色ものカラフルペンでデコレーションされている。
うまく表現できないのが残念だ。
女『でもやっぱり夜にメールも出来ないのは寂しいから……こうして勝手に交換日記を始めちゃってます!』
僕「日記、ねえ……」
居間にはテレビから流れるアニメの主題歌と、それを歌おうとはしゃいでいる妹の声だけが流れている。
369:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/03(火) 23:10:29.38:l1nUAkN1O
昨日、僕がずっとここにいる、今日は帰らない。
その言葉を聞いて一瞬驚いたような表情の後、彼女は笑顔で言ってくれた。
女「ありがとう。でも、もう大丈夫だから……もう元気だから」
嘘をついている表情ではなかった。
僕は彼女の言葉をそのまま信じ、家に帰っていった。
夜八時に帰るだけで両親に怒られるとは思わなかったけど……。
僕「あのあとこれを書いていたのかなぁ……」
涙の痕ができていない理由がわかった気がする。
僕「さて、何を返事にすればいいのか……と」
鉛筆を取りだしノートに向かう僕は、一年生になってからのこの半年間で、一番熱心な顔をしていたんだと思う。
次へ
先生「新一年生の皆さん、こんにちは。ご入学おめでとうございます」
先生「この小学校で元気で明るく、楽しくお勉強して行きましょうね」
僕がいた場所は小学校だった。
離れたはずの地元の……十何年前に僕が通っていた校舎に僕はいた。
記憶が少しだけ蘇る。
この教室で先生の授業を受けていた昔。
教室も先生も何一つ変わっていない。
変わっていないと言えるのは、自分に大学に進学するまでの記憶がはっきりと残っているからだ。
小学一年生になったのはもう何年も前の事なのに……。
僕はもう一度同じ学校の一年生になっていた。
友「やあ僕ちゃん」
僕「あ、友……くん?」
隣の席に座っていた彼が声を掛けてくる。
顔を見るだけですぐに彼の情報が頭に思い浮かぶ。
幼稚園からよく遊んでいた、隣君。
家が近所で母親同士も仲が良かったはずだ。
教室をグルリと見回してみる。やはりみんな……学校に通っていた昔と変わらない。
やはりここは僕の通っていた小学校で、友達も先生もみんな当時と同じ……。
友「小学校でもよろしくね!」
僕「う、うん」
甲高い友の声、確か声変わりするまでは女の子みたいに声が高かったと……記憶がある。
僕(ここは本当に昔? 夢?)
僕はもう一度教室を見回してみる。
壁に掛かっているカレンダー……年数は確かに僕が小学校に通い始めた時の数字だ。
何となく、カレンダーに使われている写真も古臭く思える。
僕(本当に昔なんだ)
そう思った瞬間、もう一度小学生時代を過ごせる嬉しさのような気持ちが込み上げて来た。
僕(昔のままの教室、先生、友人……あれ?)
再び教室を見回していた途中、ある女の子を見つけ……視線が止まる。
女「……!」
彼女と目が合ってしまった。
小柄で可愛らしい……ロングヘアーの女の子だった。
だが、小学校の友人で彼女みたいな人間はいなかったはずだ。
女「……」
それでもその女の子は、何かを訴えるような目でこちらを見つめている。
僕(あれは誰なんだろう……)
女「……!」
あんな子は小学校にはいなかったはずだ。
それでも彼女の顔は何処かで見た事がある……この小学校にいなかったのは確かだが。
中学高、高等学校……転入生なども思い返してみるが彼女の姿は浮かび上がってこない。
相変わらず彼女は僕をじっと見つめている。
僕も彼女の顔をじっと……雰囲気を大人にして想像してみる。
僕(ん……確か……)
ようやく頭に浮かんできた彼女の顔を、僕は知っていた。
彼女も……僕と同じ大学に通っている生徒だった。
僕達二人は大学で知り合った。
僕の一つ下……彼女が入学してからすぐに気が合って仲良くなったのを覚えている。
気が合いすぎて恋人関係ではなく、お互いをよく理解しあえるような……彼女とはそんな曖昧な関係になっていた。
そんな彼女が自分と同じ教室にクラスメイトとして座っている……。
僕は初めて違和感を覚えた。
まず女の地元は大学がある地域だ。僕と同じ土地が地元という訳ではない。
何より、僕も女も同じ小学一年生となってこの教室にいる……
女だけは、この場所にいた事が無いはずなのに。
休み時間に僕は彼女の席へ真っ先に向かった。
女「……僕ちゃん?」
僕「うん」
女「なんで私たちこんな所にいるの? ここ、小学校? 大学は?」
どうやら彼女も記憶は残っているらしい。
「お、あつあつカップルがいるぞ~!」
僕(……!)
「ひゅ~ひゅ~」
女「僕ちゃん、こっち……外いこ」
僕(子供ってこんな感じだったよな)
当時の様子を思い出して、僕はまた少し懐かしさが込み上げて来た。
引っ張られるまま廊下に出て、僕たちの話は続いた。
女「ここは僕ちゃんが通っていた学校なの?」
僕「うん。年代も同じだからし施設も当時の雰囲気だから……」
女「過去?」
僕「時間だけは多分ね。でも女がここにいる理由がわからないんだよ」
女「私の小学校は大学のあった地域にあるから……」
僕「向こうの学校の記憶はある?」
女「あるよ。当然この学校の記憶は無いけれど……」
女「夢かな?」
僕「この感覚は夢じゃないよ。本当の昔の学校……同じなんだよ」
女「明日になったら帰れるかな?」
僕「それはわからないけど……」
話をしていると、先生が廊下を歩いて来るのが見えた。
先生の後ろには何人もの……母親、保護者だろうか。
華やかな格好をした女性達が一年生の教室に向かって歩いて来る。
先生「僕ちゃん、女ちゃん、教室に入って~。今からお母さんたちと帰りの会をするからね~」
いつの間にか下校時間が来たみたいだ。
教室の中の時計を見ると……まだ午後一時になったばかりだった。
女「一年生だもんね」
女「ふふっ、僕ちゃん一緒に教室はいろ~?」
僕「え、えっ?」
いきなり甘えたような声を女が出して来た。
可愛らしい容姿に小さな女の子ならではの、無邪気に笑顔に思わずドキッとする。
先生「あらあら仲がいいのね~」
女「は~い」
真っ赤になった僕を先生と彼女が見つめている。
女はイタズラな笑顔でこっちを見ている。
わざとだろうか。彼女がなぜこんな事をしたのか、今の僕にはよくわからなかった。
先生「それではみなさん、さよなら~」
全員「せんせい! さよなら~!」
大きな叫び声が教室に響き渡る。
多分僕と彼女だけは全く声を出していなかったんだと思う。
一年生の時は何でも全力だった……そんな記憶がある。
名前を呼ばれたら大きな声で返事をして、全力で手を挙げていた昔。
怖いモノは何も無かったような、それくらい元気で活発なのが一年生だったはずだ。
母「僕、帰りましょう」
そんな事をしみじみ考えていると、背中から声が掛かる。
振り返ってみると……まずは体格さに愕然とする。
僕たちの小さな体では大人はとても大きく見える、見えてしまう。
母「忘れ物は無い? じゃあいきましょ?」
顔のシワが少なくて……かなり若々しくも見える。
母「じゃあ先生にバイバイして……」
僕「バ……バイバイ……」
先生「はい、さようなら」
先生も母も、小さく手を振った僕を見て微笑んでくれていた。
女母「さよならのご挨拶は?」
女「先生さようなら~」
先生「はい、さよなら女ちゃん。僕ちゃんと仲良くね」
女「は~い」
女にも迎えの母親はいた……家族関係がどう変わったりするのかと不安には思ったが……
どうやら思い過ごしだったようだ。
母「女ちゃんて可愛いわよね、本当にもう」
僕「女……ちゃんを知ってるの?」
僕は母に訪ねてみた。
母「小学校でできた初めてのお友達でしょ?」
彼女を知っている、という訳ではないらしい。
女母「ほら女……バイバイしましょうね?」
女「……バイバイ、僕ちゃん」
大学にいる時、女の母に会った事は一度も無い。
何度か女の話を聞いて、姿を勝手に印象で作ってしまっていたが……目の前にいる女の母はまさに印象通りの人物だった。
母が違う人物、という事はどうやらないみたいだ。
僕たちはそのまま、話す言葉も無く親に手をひかれながら帰って行った。
……
男「……ただいま」
車に乗せられて着いた家……ずっと変わらない自分の家だ。
環境が変化している感じはやはりしない。
途中、車から見える景色はやはりどこか懐かしく……昔に見ていた自分の町そのものだった。
母「お腹すいたでしょ? すぐにご飯作るからね?」
母はそそくさと台所へ向かう。
僕「……」
家の中を一人で歩く。
部屋には懐かしいオモチャや昔持っていた物がやはりそのまま……。
次は居間の窓を開けて外を見てみる。
目の前には小さな畑と田んぼが広がっている、穏やかな田舎の風景があった。
スーッと一息、深呼吸をしてみる。
冷たい空気と緑の匂いが体の中に入ってくる……。
何だかその空気はとても優しい気がした。
母「はい、できたわよ」
居間のテーブルに、コトリとオムライスの入った皿が置かれた。
丁寧に、てっぺんに旗までついている……。
母「ふふっ。はい、召し上がれ」
子供じゃない、と言い出しそうだったが母の笑顔を見たらそんなのもどうでもよくなってしまった。
目の前にあるオムライスを夢中で食べる僕。
優しくそれを見てくれている母……古いテレビから流れる昔のニュース。
僕(ああ、本当にここは僕の家なんだなあ)
今更ながら、よくわからない安心感が生まれてしまっていた。
昔とか今とかどうでもいい。
僕はそう思った。
母がテーブルの上を片付け、僕はボーッとテレビを見ている。
夕飯になるまで自由な時間が出来てしまった。
僕「……女にちょっと連絡してみようかな」
彼女は今何処で何をしているんだろう。
彼女だけはこの地域には住んでいなかったの人間なので、それが余計に気になった。
僕「えっと、携帯携帯……」
いつもの癖で僕は携帯電話を手探りで探していた。
自分のポケットにはそんな物が入っているわけは無いのに。
僕「電話は……家から家にかける時代か」
しかし女の自宅に直接電話をかけるとなると、それはそれで面倒だ。
僕は結局与えられた時間をテレビを見て過ごす事にした。
僕「……あ、このアニメ懐かしい。今これやってるんだ」
流れてくる主題歌にワクワクしてしまうのは、僕が子供になってしまったからだろうか。
……
ゆっくりと時間が流れていく。
僕「懐かしいなあ。でもこれ最終回もどうなるか知ってるからな……」
子供の頃から大好きだった作品をもう一度こうして見る事ができる、何だか変な感覚だった。
時計はまだ夕方五時を過ぎたばかりだ。
僕「小学生って暇なんだな……」
僕はまたボーッとテレビを見始めていた。
何も気にする事なくこうしてのんびりした時間を過ごす事ができる……。
僕「幸せだ……」
僕はもう一度、小学生としてその時間を過ごす権利を与えられたようだ。
僕「ゆっくり……したいな」
僕が通っていた大学は、けっして頭のいい大学では無かった。
理由は単純で、親元を離れ一人暮らしを始めたい、それだけだった。
田舎町の緑が多い風景から、中途半端に汚いビルが立ち並ぶ場所への引っ越し……何もない部屋。
最初は実家が恋しくて少しだけホームシックにもなっていた。
大学一年生の時は時間があったら何かと実家に帰省していた、そんな記憶がある。
二年生、三年生と進級するにつれて僕が実家に帰る機会は減っていた。
何となく帰るのが面倒になり、なあなあと夏休みや年末を過ごしていた。
しかし、ビルが並ぶ風景はどうも僕には合っていなかったようで……。
四年生になる頃には、すっかり気持ちも体も疲れていた様子だった。
自分ではそんな意識は無かったけれども。
僕は今こうして実家にいる。
二十歳を過ぎた大学生としての僕では無く、小学生一年生の僕として、こうしてここにいる。
僕「……大学の事は、もう自分には関係ないか」
テレビを消して、僕は窓から外に出る。
田舎町らしく、足元には木で作られた小さなベランダが平らに広がっている。
ベランダなんて、似つかわしくない言い方だけれども……他に言い方が浮かばない。
外は少しヒンヤリとしている。
夕焼けがちょうど山の向こうに沈む所らしい。
オレンジ色の空、その反対側で薄い紫色のような空が広がっている。
まだ四月だからだろう、夜が始まるのも早いみたいだ。
……相変わらず、ボーッと景色を見ていた。
ピーン ポーン
突然、何処からかチャイムのような音楽が流れてきた。
『夕方六時をお知らせします。暗くならないうちに、お家に帰りましょう……繰り返します。夕方六時をお知らせ……』
ああ、そういえばこんな放送もあった気がする。
設置されているであろうスピーカーから、割れた声と不快に響く寂しい曲が流れてくる。
この曲は多分どこかで聞いていた曲……僕はその曲名を思い出す事はできなかったけど。
僕「……」
放送が終わる前に、僕は窓を閉め家に入っていた。
僕が戻ると、いつの間にかテレビと電気がついていた。
居間のテレビからは、やはり懐かしいアニメの主題歌が流れていて……それを夢中で見ている女の子が一人。
僕「あ……妹」
妹「ただいま。おーちゃん」
僕には妹がいた。確か歳は四つ程違うはずだから……こうして家にいるのは当たり前の事なんだろう。
妹「おーちゃんも一緒にみようよみようよ」
呂律の回らない口調で妹は僕を呼ぶ。
小さいけれどそれは確かに僕の妹で……面影はやはりある。
僕(……本人だから当たり前か)
ちょこん、と妹の隣に座る。
妹「お~……おおっ」
テレビの中の女の子が動き回る度、妹は合わせて歓声をあげている。
僕も昔は妹と一緒になって騒いでいた気がする。
妹「ふふ~……あははっ」
無邪気に笑う、とはこういう事なんだろう。
妹は僕には目もくれずにテレビに釘付けになっている。
僕も……妹と仲良くテレビだけを見る事にした。
母「僕~。ご飯にするからテーブルの上片付けて~」
いつの間にか、母が台所に立っていた。
お手伝いのために僕を呼んでいる。
僕「は~い」
母「ふふっ、いつもはテレビばかりで来てくれないのに今日は偉いわね?」
昔の僕はそんな感じだっただろうか?
よく覚えていない。
母「もうすぐパパも帰ってくるから、はいこれ。綺麗に拭いてね」
濡れた台布巾をポンッと渡される。
ああ、何だかこんな感じだった気がする。
妹は相変わらずテレビに夢中だ。
僕はさっさとテーブルの上を片付けてしまう。
ガチャリ。
……その時玄関が開く音が聞こえた。多分父だろうか?
父「ただいまあ」
母「おかえりなさい」
妹「おかえりパパ~!」
テレビをそっちのけに、妹は父に抱きついている。
父「ははっ、ただいま」
僕「うん……おかえり」
父がそこにいた。
やはり少し若いような気がする。
やはり十年以上経てば変わってしまうんだと……少しまた考えてしまった。
父「今日の入学式、格好よかったぞ」
僕「えっ?」
父「バッチリビデオに撮ったからな。後で一緒に見ような僕」
入学式に父親がいた?
帰りは母の車で帰ってきた。父の姿を見えなかったのだけれど。
僕「父さんも入学式に来てたの?」
父「……父さんだなんて。やっぱり学校に入ってお兄ちゃんになったのかな、ははっ」
妹「パパ~。パパ~」
思い出した。
いつかの時期までは僕も父の事をパパと呼んでいた、そんな気がする事を。
驚いたような父と母の表情から、その時期が今では無いのだという事だけはわかった。
聞くと、父は入学式の後役員会議に出席していたらしい。
記憶を割いても仕方ない事は、やはりあまり覚えていない。
母「じゃあご飯だから……座って座って」
母の顔はすっかり笑顔だ。
優しく家族みんなを見ている。
父も妹も笑っている。
多分その笑顔には何の曇りも考え事も無くて……。
僕だけが何だか嘘の笑顔でここにいるようだった。
父「ほら、来た来た。僕がほら! ここ、ここだよ……」
ホームビデオから流れる映像には確かに僕が映っている。
体育館を新入生が歩いている、たったそれだけの光景だ。
母「ふふっ、私も見ていたから知っているわよ」
妹「おーちゃん、おーちゃん!」
その、それだけがみんなにとっては興奮するような出来事らしい。
父も母も妹も、みんな笑ってご飯を食べている。
僕は少し下を向いて、まるで自分のビデオを見るのが恥ずかしいかのように振る舞っていた。
……ご飯の味だけが、懐かしくて美味しかったのを覚えている。
みんなで食卓を囲んで笑顔で会話。
テレビではなくて家族のビデオを見て盛り上がり、笑っている。
大学生になってからは、こんな事があるわけもなく……気恥ずかしさがあったのは事実だと思う。
でもやっぱり時間は優しく流れている、そんな気がした。
何も心配する事なく、僕はご飯を食べている。
今日の不安も明日の問題も何も無く、空っぽにお箸を動かしていた。
居間の隣にある少し大きな部屋の……僕はその布団の中にいた。
体はやはり子供らしく、九時を過ぎたら急に眠気が襲って来たような気がした。
僕は茶色が照らしている天井を見上げて、ただ眠りに落ちるのを待っていた。
隣からは父と母が話す声と、わずかにニュースが流れているような音が聞こえる。
僕はボーッとそれを聞いていた。
あのビデオの中にいた僕……式を受けていた時の記憶は、今の僕には無い。
本当に教室から一日が始まって、こうして今は布団の中にいる。
その理由を少しだけ考えてみたが、頭に何も考えが浮かんで来ない。
やはり眠気があるのだろう。僕はすぐに布団の柔らかさに包まれて……
そのまま暗闇の中に意識を落としていった。
次の日も僕は小学校にいた。
元の時間に戻るわけでもなく……今日が来ただけだった。
僕(考えてもやっぱりわからないや)
女「……おはよ」
後ろから不意に声を掛けられて思わず振り向く。
僕「あ、おはよう女」
彼女もそこに立っていた。昨日と何一つ変わっていない。
女「……」
しかし、よく彼女の顔を観察してみると……目の周りが少し腫れている。
その目も、何だか赤かったような気がした。
僕「目、どうかしたの?」
僕は理由を多分知っている。
それでもそれを、あえて彼女に聞いてみた。
女「あ、これね。起きたら目の周りにすっごい涙が流れてたの。そのせいでこんな……」
僕「寝てる間に泣いてたの?」
女「多分ね。理由はわからないけど……おかげで変な顔」
彼女のは小さくニコッと笑う。
それでも昨日妹が見せていた無邪気な笑いとはどこか違う……そんな笑い方だった。
僕「ねえ、お家どこ?」
女「近くだよ。歩いてすぐ」
僕「昔住んでいた場所とは……やっぱり違うよね?」
女「子供の時の私はアパートに住んでいるはずだから……違うんだと思うよ」
僕「今は?」
女「普通の一軒家だった。母親にそれとなく聞いてみたけど、名義は私たちの所有だったよ」
僕(あ、ちゃんと調べたんだ)
彼女は抜かりの無いしっかりとした人間だ。
テレビを見てご飯を食べていただけの自分が少しだけ恥ずかしくなった。
今は小学一年生だからという言い訳をするのも、彼女の前では何だか惨めに恥ずかしく思えてしまった。
女「僕ちゃんは? 何か変わってた?」
僕「僕の方はは何も……家族も家もそのままだったよ」
女「そう……昔と違うのは私だけなんだね、やっぱり」
短い昨日をもう一度思い出してみる。
家族の姿や周りの様子……慣れ親しんだ地元。
やはり変わっていた場所は見当たらない。
女「ねえ、本当に何も変わってないの?」
彼女はもう一度僕に聞いてきた。
さっきよりも力強い口調。少し強引に僕の記憶を掘り返したい、そんな様子が伺えた。
僕「……無いよ。多分」
女「家族の人はちゃんといた? 親戚は? 家の中の様子とかは?」
僕「あー、そんな事考えて無かったよ」
女「……ふぅ」
ため息一つ。呆れてしまったようだ。
僕「そんな事言ったって、家族はちゃんといたし……」
僕「……あれ?」
僕の家族は確か……
女「どうかしたの?」
僕「そう言えば弟が……いない」
女「弟? たまに僕ちゃんが話していた、あの?」
僕「うん。よく考えたら僕の家は五人家族だから……」
女「……」
女「でもそれ変でしょ?」
僕「え、何が?」
女「確かに大学で妹ちゃんと弟君の話は聞いた事あるけどさー……」
僕「話したね」
女「その時は妹ちゃんが高校生で、弟君はまだ小学校を卒業する辺りだったじゃない?」
僕「……え~っと?」
女「今妹ちゃんは何歳?」
僕「幼稚園入ったばかりで……三歳くらいかな?」
女「じゃあ弟君なんて生まれているはずないじゃない!」
僕「あ、確かに」
女「ふぅ……」
ため息二つ。
彼女は本当に白い目でこちらを見つめている。
僕「き、記憶が半端に残っているからつい」
女「また言い訳する。僕ちゃんっていつもそうだよね、大学でもおんなじ」
僕(だって今は小学生だから……)
これを言ったら更に怒られるんだろう。
自分でもわかるくらい馬鹿な言い訳だ。
僕(あれ……弟が生まれる?)
女「ちょっと聞いてるの僕!」
僕「……」
女「……僕?」
年下の彼女が僕を呼び捨てにしているのも構わず、考え事に頭を奪われている。
女「ちょっとどうしたの、黙り込んじゃって……」
僕「僕たち……弟が生まれるのを知っている」
女「そりゃあね。生まれるんでしょうから」
僕「確かに記憶はあるけど……これから弟が生まれる保証はあるのかな?」
女「……?」
僕「僕が当時と同じように過ごしていたら弟は生まれる……かもしれないけど」
僕「じゃあ僕が……何か未来を変える選択肢をしたら?」
女「そんなの……」
僕「そもそも普通に弟が生まれるかだってわからない。明日がどうなるかだって……!」
思わず声に力が入る。
自分でもなんでこんなに声が荒くなるのか……子供の頭では歯止めが効かないんだろうか?
「お、僕と女が夫婦喧嘩してるぞ~!」
「またかよ、仲いいなあ~!」
また周りが僕たちを囲み囃し立てる。
うるさいな……なんでこんなに他人に構う事ができるんだ。
僕(子供は苦手なんだよ……)
僕はサッサと教室を出て行ってしまう。
静かな場所で頭を冷やさないと……
「僕が家出したぞ~!」
「女と離婚だ離婚だ~」
僕「……ああっ、もう! 来い女!」
グッと彼女の手を掴み教室を飛び出してしまう。
後ろから聞こえる小うるさい声はもう関係無かった。
僕「まったく……うるさいよな」
女「……」
僕「他人の事なんて放っておいて欲しいよ」
女「っ……ひっく……」
僕「お、女?」
あれ、泣いてる?
僕「どうしたんだよ……」
女「ご、ごめんね……ごめん……」
僕「お、落ち着いて。えっと……その」
記憶はあっても、女の子を慰める手段までは覚えていないらしい。
いや、元からそんな物は無かったと言うのが正しいか。
とにかく今は彼女を慰めないと……
女「……あははっ、ごめんね。もう大丈夫だよ」
僕「あらっ?」
女「取り乱しちゃってごめんね。知らない人から攻められるのって……やっぱ恐くて……」
僕「……」
そうか……。
僕にとっては昔から知っている友人たちだ。
でも彼女にとっては……それこそ一年生が初めて顔を合わせるような気持ちでいたんだろう。
女「……もう大丈夫だから、ね」
僕は彼女のその性格を知っていたはずなのに。
大学で初めて彼女と出会った日……。
女「なんか、僕先輩って話しかけやすいんですよね!」
どういう会話でこうなったかは忘れたけれども、確かに彼女は言っていた。
人見知りな性格で、あまり騒がしい場所が苦手だと。
それでも、やはり彼女はしっかりしていた。
人前ではなるべく明るく振る舞い、不安な様子など殆ど周りに見せる事も無かった。
僕も長い時間一緒にいたせいで、彼女の弱い部分を忘れてしまっていたみたいだ。
僕「……」
女「教室戻ろう。もう先生来ちゃうよ?」
彼女の体はもう震えていなかった。
僕「大丈夫?」
女「うん、大丈夫!」
こうして明るく返事をしている彼女が、本当なのか嘘なのか僕にはわからない。
……僕たちには、教室に戻るしか選択肢が無かった。
僕(今日も学校は午前で終わりか~)
僕(どうしよう、この後女と帰ってさっきの話の続きをしようかな……女の家の事も少し気になるし)
そんな事を考えたのもつかの間。
先生「今日はみんなでお家に帰りますよ~」
俗に言う、集団下校というやつだっだ。
先生「じゃあお家が近い人でグループを作って……」
女は学校の近く、僕は学校から遠いので同じグループになるはずは無く……。
僕(どうしよう。声だけかけてみようかな?)
僕「ねえ女?」
女「ん、なーに?」
僕「えっと……今日遊びに行っていい?」
女「家に?」
僕「ちょっとお話したいから」
女「……」
僕「ダメ?」
女「いいよ。じゃあ一時間後に学校集合でいい?」
僕「それで大丈夫」
約束をして彼女は外に出ていってしまった。
赤いランドセルを背負いながら、他の女の子と仲が良さそうに歩いて行ってしまう。
さっきの様子で少し心配したが、友達がいないというわけでは無いみたいだ。
僕は少しだけ安心した。
僕「ただいま」
母「あらおかえりなさい。学校大丈夫だった? ご飯ができてるから……」
相変わらず、母の顔は優しい。
僕「あ、あのさ。今日は女ちゃんのお家に遊びに行くんだけど……」
母「あらそうなの? やっぱり仲良いのね」
僕「うん。お昼を食べたら出掛けてくるからね」
母「五時までには帰ってくるのよ。約束だからね?」
帰る時間の指定など、久しぶりに聞いた気がする。
小学生故に行動に制限が付くのは仕方がない……か。
僕「あれ? 自転車が無いや」
僕「ねえ、僕の自転車知らない?」
母「え、僕は自転車なんて乗った事ないじゃないの」
僕(一年生の時には自転車を持っていなかった……っけ?)
僕「……ううん、何でもない。行ってきます」
母「?」
あまり滅多な事は言えないのかもしれない、気を付けよう。
僕(学校までは歩いて三十分……)
歩幅が小さくて体力も無いので余計に時間が掛かってしまう。
女「あ、来たのね」
女はもう学校に着いていた。近いんだから当たり前か。
僕「お待たせ、じゃあ早速家まで……」
女「ねえ、どうしても家じゃなきゃダメかな?」
僕「?」
女「私、この辺りの事を知りたいな。地元のお店とか施設とか……」
彼女がこの町に来てからまだ二日。町を知らないのは確かに不便だろうけど……。
僕「話は?」
女「歩きながらお話しようよ、ね?」
僕「そう……だね。うん」
女「じゃあ何処から案内してくれるのかしら?」
クスッ、と小さな笑顔が見えた瞬間に……僕も思わず笑顔を返してしまう
彼女の笑顔は大学でも、小学生になっても変わらないように思えた。
僕「何処から、って言っても……田舎だからなあ」
周りには田んぼと住宅街……そして学校の裏側には山や森が広がっているよう。
女「本当に何もないの?」
僕「駄菓子屋とか、神社とかなら……。でもデパートや遊ぶ場所は無いからさ」
女「そうそう、そういう所が見たいのよ!」
僕「あ、そうなの?」
女「ねえ、本当に駄菓子屋があるの?」
僕「う、うん。すぐ近く……向こうにの方……」
女「じゃあ早く行こうよ。ね?」
僕を急かすように、彼女が腕を引っ張ってくる。
僕「ち、ちょっと女……」
女「早く早く!」
女「わあ、本当に駄菓子屋だよ」
古ぼけた造りの一軒家……この店も当時と変わっていない。
女「ねえ、このチョコ三十円だよ! きな粉餅とか……美味しそう……」
僕「駄菓子屋、来た事ないの?」
女「向こうの方には無かったから……珍しくて」
僕「ふ~ん?」
女「ほら、こんな田舎と違って都会だからさ!」
僕「田舎って言うな!」
女「冗談だよ~冗談」
おばちゃん「こんにちは。何が欲しいか決まった?」
僕「あ……」
駄菓子屋のおばちゃん……姿を見たのはどれくらいぶりだろう。
それこそ小学校を卒業したらこのお店には来なくなっていたからおよそ十年くらいかな?
女「こんにちは~」
僕「女、何か買う?」
女「……私お金持ってないからさ」
おばちゃん「じゃあそっちの僕は?」
僕「え~っと……」
冷やかしで帰るわけにもいかない……か。
女「ガム美味しい~。ありがとう僕ちゃん」
僕「いいよ、十円くらい」
僕(ポケットに偶然二十円が入っていて良かった……)
女「……次はどうするの?」
僕「んー」
二人して同じ味のガムを噛んでいる。
まだ太陽は高くて明るい。
僕「あとは神社か公園くらいしか……」
女「本当に田舎だよね」
プク~ッとガム風船を膨らませながら彼女は笑う。
僕「何も無いけどいい町なんだよ。緑は多いしのんびりしているし……」
女「うん。いい町だよね」
僕「田舎だって馬鹿にしてたくせに」
女「あれは冗談だってば!」
元気な彼女の声が響いてくる。
僕「まあ、そういう事にしといてあげるよ」
女「ふふっ、次は神社に行きたいな?」
僕「神社……神社ね。じゃあこっちだから、ついてきて」
小さな四本の足が、テクテクと夕方の町を歩いていく。
僕「ここが神社だよ」
女「わ……なんかすごい奥まで道が続いてるよ?」
僕「奥の本堂まで百メートルくらいかな。ちょっと立派な神社なんだよ」
女「ふ~ん……」
実家に帰省した時も、僕は度々この神社を訪れていた。
周りを緑に囲まれた静かな場所。田舎なので人は殆ど来ない。
一人で考え事をするにはもってこいの場所だった。
女「やっぱりお祭りとかあるのかな?」
僕「確か今月……最後の土日にここでお祭りがあったはず」
女「本当に?」
僕「以前と違う時間じゃなければあるはずだけど……」
女「あるよ、きっと」
僕「わかるの?」
女「ううん。そう考えた方が楽しいから」
僕「女らしいよ」
女「あははっ、結局未来に関するお話しなかったよね? もう太陽暗くなりそうだよ?」
彼女の言葉を受け、設置されている時計を見るともう五時になる所だった。
三時間などあっという間だ。
僕「帰らないと」
女「うん、私も帰る」
女「お家どっち?」
僕「向こうの道」
女「反対方向だね。じゃあまた明日学校で……」
僕「うん、バイバイ女」
女「バイバイ、また明日ね」
夕暮れ時、手を振って家へ帰っていく二人……吹く風がちょっとだけ冷たく感じる。
その風から、何だか懐かしいような匂いがした。
頭の中にふわっと記憶が蘇った感じがする。
僕「……今日のご飯はなにかな?」
家に着くと母がいつもの笑顔で僕を迎えてくれた。
何もしなくてもお風呂が綺麗になっていたり、ご飯が出てたり……ずっと当たり前のように経験していた事なのに、今は逆に慣れなかった。
妹は相変わらずテレビを見ている。
僕(あ、このシリーズ今日やってたんだ……懐かしい)
僕もテレビを見る以外に、何もする事が無い。
僕(安心する……)
心に引っ掛かる物が無いこの二日間は、とても楽しくて気持ちも安定していた。
僕(家はやっぱりこうじゃないとな……)
父「……」
父「なあ。お前単位は大丈夫なのか。ちゃんと勉強しているのか?」
父「バイトは? 無駄遣いするなよ。留年なんてしたらそれこそ学校なんかすぐ辞めて働いてもらうからな……おい聞いているのか?」
僕(うるさいんだよ……)
父「まったく。お前は昔からそうだ。もっとちゃんとしないと社会で通用しない。甘いんだよお前は……」
僕(もう少し言い方だってあるだろうが、この……くそ親父……)
……
僕「……はっ!」
布団から飛び起きた僕は身体中汗でびっしょりだった。
隣では妹がスースーと寝息をたてながら眠っている。
僕(夢……?)
扉の部屋からは明かりが漏れている。父も母もまだ起きているようだった。
僕(昔……いや、昔って言い方は変かな?)
でもそれは確かに僕が見た光景。
いつかの夏休みで実家に帰った時に、珍しく父に説教をされた時の夢だった。
父は歳をとるに連れて怒りっぽくなってしまったのを覚えている。
帰省する度に、段々と怒られる時間が増えていった気がする。
実家に帰らなくなったのはそんな理由もあったからかもしれない。
ガラッ。
父「ん、僕。起きてたのか? テレビの音で起こしちゃったかな、ごめんごめん」
僕「……」
父「トイレは大丈夫か? 喉が渇いてたりとか……」
僕「大丈夫だよ、おやすみパパ」
父「そうか。パパもあと少しで寝るからさ、おやすみ僕」
静かに扉を閉め、また暗い部屋を僕はいる。
先ほど見た夢のせいなのか、優しさのギャップに僕は驚いていた。
そして……テレビの音がすぐに小さくなる。
僕「パパ……」
布団の中で、僕は丸くなって眠っていた。
久しぶりに優しさに触れたせいなのか……訳の分からない涙が一晩中、ずっと溢れていた。
泣いてしまった理由が、自分でもわからなかった。
女「おはよう僕ちゃん。昨日はありがとうね」
僕「うん、おはよう……」
女「……」
彼女はこちらをじっと見ている。
泣いた跡を隠すように、僕は慌てて目や頬の辺りを手で覆い隠す。
女「ふふっ、悪い事して叱られた?」
僕「そんなんじゃないよ」
すでに彼女には見られてしまっていたようだった。
隠した事が余計に恥ずかしく感じた。
女「ふ~ん……じゃあ、あれかな? 懐かしくて泣いちゃったってやつ?」
僕「……」
女「当たった? やっぱり泣いちゃうよね。私もそうだったもん」
僕「それって前の時の……?」
女「うん。お母さんが優しくて……やっぱり一年生だからさ、お節介なくらいに優しかったのよ」
女「ご飯は好きな物作ってくれるし、デザートだって……。お風呂に一緒に入って絵本読んでくれて……私、途中で泣いちゃった」
僕「女……」
女「シンデレラが、ガラスの靴を落としたら泣いちゃうんだもん。お母さん、困っていた」
僕「そっか、女も……」
女「今は甘えていいんだ、優しくしてもらえるんだ、って考えちゃうとどうしてもね?」
それは何となく自分もよくわかる気がする。
心配事の無い毎日……あえて言うなら記憶と未来の事が心配だけど。
それ以外は何があるわけじゃない、本当に平穏な日常なのだから。
女「優しいよね、みんなさ」
僕「そう……だね」
女「幸せなんだろうね、私たち」
僕「うん……」
彼女の言葉に僕は頷く事しかできないでいる。
……涙の事は、それ以上追及されなかった。
彼女は席に戻り、先生がやって来る。
今日は平仮名の「い、う」を覚えて、1+2の足し算を勉強して……今週と来週は、一年生は午前中で終わりの日が続いている。
学校の事は放っておいても、しばらくは何も問題が無さそうだ。
僕(じゃあ僕は……何をどうしよう)
授業の時間を、僕はずっと考え事に充てる事ができた。
自分と女がここにいる理由。
僕が未来から来たのなら、帰る方法や解決策。
弟の出生やこれからの未来の事……何かを言えば未来に影響が出るのか?
僕(んー……)
しかし考えても考えても、答えは出るはずも無い。
僕(……ダメだ。何も浮かばないや)
僕(とりあえず時間だけは普通に過ぎていて、昔から僕たちのいた未来……現在? まで続いている)
僕(記憶がある理由なんて考えてもわからないし……まあいいか。害があるわけじゃないし)
僕は適当な所でこの問題を解く事を諦めてしまった。
最初は、女と一緒にずっとそんな話もしていた。
でも変わらずに流れている日常、優しい現実……。
僕たちはいつの間にか、遠すぎる未来の事を話すのを止めていた。
今話していても何も変わらない。
確かそういうような結論になったと思う。
そして神社でお祭りが始まる四月の終わり頃には、そんな話題を出す事はすっかり無くなっていた。
女「もう、遅いよ!」
僕「ごめんごめん。寝坊しちゃった」
女「いつも遅刻するんだから……」
僕「だから悪かったってば……」
女「まあ、今日はお祭りだから許してあげる」
彼女の笑顔を見て、僕はまたホッとする。
女「じゃあ行こう!」
僕「ま、また走って……危ないよ?」
女「大丈夫だって、ほら早くー」
女「わあ……お店結構たくさん出ているんだね?」
僕「みたいだね。夜になってもやってるから、結構人が集まるんだよ」
田舎らしいこじんまりとした神社だが、お祭りの日には人が集まる。
今の時間は殆どの客が地元の小、中学生だが、夕方から夜にかけては大人も姿を見せるようになる。
女「田舎のくせに人が多いのね。ちょっとだけ驚いちゃった」
僕「また馬鹿にして……じゃあ帰る?」
女「だから冗談よ! これだけ人がいたら楽しいんだろうな、って思っただけなんだよ?」
僕「女の子ってズルい」
女「ズルくてもいいの。早く買い物しようよ」
いいように振り回される僕と、涼しい顔でお店を見て回る彼女……小さな一年生の男女がお散歩をしているような、周りから見たらただそれだけの風景だった。
女「あ、クレープ……」
女「かき氷……」
女「あんず、水飴……」
お店を見てはすぐ別のお店へ……彼女は神社の奥に、早いペースで向かってしまう。
僕「何か食べないの?」
女「んー……」
僕「?」
口の辺りが強張って、目付きはしっかりしているものの、どこかを見ているわけでは無い。
これは彼女が本当に困った時の表情だった。
僕「何食べるか迷っている?」
女「んん……」
表情は変わらない。迷っているわけでは無いのか?
……強張る口を開き、彼女は静かに話を始めた。
女「お金が足りなかったの……」
僕「え?」
女「おこづかい……足りないから」
僕「いくら持ってるの?」
女「百円……だけ」
小さな祭りだが、商品の値段が他と変わるわけじゃ無い。
最低でも三百円は無いと何かを買う事はできない。
女「……えへへ。やっぱり何も買えなかったか~。残念だよ~」
僕「女……」
女「せっかくのお祭りだけどさ~。家ってほら……確か僕ちゃんには話していた……ね?」
僕は彼女の昔を知っている。
早くから夫婦別居をし、長らく母と二人暮らしだったと言う事を。
今も昔も貧乏であまり贅沢などしてなかったと言う事を、確か彼女から聞いていた。
僕「やっぱり、今も?」
女「……うん。向こうにいた昔とあまり変わってないみたい。お母さん、本当は千円くれようとしていたけど……お金あるって言っちゃったから」
僕「……」
女「でも僕ちゃんとお祭り来ただけで楽しいんだよ? 珍しい物たくさん見られるし、雰囲気だって……ね?」
そんなに一生懸命に笑わなくてもいい。
母親のために無理をする彼女の姿は簡単に想像ができてしまったから、余計に辛い。
女「ほら、僕ちゃん何か買ってきなよ。ここで待ってるからさ?」
僕「嫌だよ、二人で行こうよ」
女「で、でも……見ると食べたくなっちゃうから……」
僕「女が食べたいの選んでいいよ。体が小さいから、半分こして一緒に食べようよ」
女「で、でもそれだと僕ちゃんのお金が……」
僕「大丈夫だよ。小さい時から小銭貯金とかしていて……今だって、昔の僕はちゃんと貯めていたんだからさ」
女「ほ、本当に……?」
僕「うん。僕の千円は一緒に使お? 貯金はあと二千円くらいあるから大丈夫だよ!」
女「いいの……?」
僕「うん。二人で食べた方が美味しいもの!」
女「あ、ありがとう……僕……ちゃん……」
僕「な、泣くなんて大げさだよ~」
突然の涙に、僕は焦ってしまう。
女「ご、ごめん嬉しくてつい……あ、じゃあこの百円渡すから……」
僕「いらないよ。それは女が持っていて」
女「で、でも……」
僕「貯金があるんだから、任せてよ。ね?」
女「……うん、わかった」
彼女はやっと納得してくれた様子だった。
僕たちは自然に手を繋ぎながら、二人で屋台を回っていた。
女「まずは何食べたい?」
僕「……かき氷がいい。値段も三百円で手頃だしさ」
女「うん、わかった!」
彼女には笑顔が戻っている。
よかった……と素直に感じた。
女「すいません、かき氷一つ下さい~!」
「はい、三百円ね。シロップはどうするね?」
僕「ブルーハワイで」
女「イチゴで」
僕「……」
女「……」チラッ
僕「……えっとイチゴでお願いします」
小学生一年生の上目遣いは、ズルい。
僕「座って食べようか」
女「うん!」
ベンチに座って、二人で一つのカップを握っている。
落とさないよう、しっかりと僕は……。
僕「食べなよ」
女「買ったのはちゃんなんだから、それは遠慮する~」
僕「でもイチゴだよ」
女「……」
僕「食べる?」
女「うん……食べる」
女「美味しいよ~」
まだ夏でもないのに、彼女はとても美味しそうに氷を頬張っている。
僕「それはよかったよ」
女「はい、僕ちゃんも」
僕「ん」
当たり前のように、同じストローでかき氷を口に入れる。
僕(気にしない~)
女「美味しい?」
僕「うん。イチゴ味も悪くないのかもしれない」
僕(かき氷なんて何年ぶりかな? 懐かしいけど、よく覚えているようなこの味……)
僕「懐かしい」
女「懐かしいって感想は変だよ?」
クスッと笑う彼女。
なんだろう、今日は特に笑われる事が恥ずかしいような気がした。
僕「いいんだよ、はい。残り食べていいからさ」
女「いいの?」
僕「体が小さいから、あまり入らないみたい」
男としてこの言葉を使うのはどうかと思ったが……。
女「じゃあ食べちゃうね~?」
笑顔でかき氷を食べる彼女……これだけで僕は何だか満足だった。
女「はい、ごちそうさま」
僕「じゃあ次は何が食べたい?」
女「んー……リンゴ飴、かな?」
僕「リンゴ?」
女「うん。大きくて美味しそうかなって……あ、僕ちゃんリンゴ飴嫌い?」
僕「ううん。好き」
本当は、リンゴ飴は買った事なんて無いけれど。
彼女が食べたいなら何でもいい。
女「えへへっ、それならよかったよ。すいませーん!」
僕(リンゴ飴が三百円……まあ、こんなものかな)
女「おっきいよ~。美味しそうだよ~」
僕(まあ、嬉しそうで何よりだ)
女「ガリッ!」
僕「食べるの早」
女「飴の部分が余っていたからさ。ここだけ先にね」
僕「ああ……うん。まあ好きに食べたらいいよ」
女「えへへ、相変わらず優しいよね僕ちゃんってさ」
僕「……」
先ほどの身の上話といい、僕は彼女の事情をその辺の人間よりは知っている。
そんな話をよく聞いていたからか、僕は自然と彼女を何かから守るような形になっていた。
僕が勝手にくっついていただけかもしれないけれど……。
女「リンゴ美味しい~」
でも彼女も何かある度に、僕に話をしてくれていた。
最低限の信頼はされていた……いう事でいいんだろうか。
あまり自分の事に自信は持てない。僕はそんな性格だった。
女「はい、僕ちゃん」
僕「ん……」
リンゴのような物体が半分、割り箸に刺さって渡された。
僕「……ガリッ!」
力いっぱいにリンゴを噛んでみた。
女「か、固くない?」
僕「ちょっとだけ……」
女「慌てて食べなくても大丈夫だよ。時間はまだあるんだから、ね?」
時間……ね。
女「ね、時間大丈夫?」
僕「え、ん?」
女「よく考えたらお互い門限があったもんね。時間はたくさんあるって言ったけど……夜中まではいられないもんね?」
僕「それはそうだけど……」
女「ね、どうする。まだ買い物する? それともちょっとお散歩する?」
僕「買い物して、お散歩する」
女「ふふっ、ワガママ僕ちゃん」
女「僕ちゃんは何が食べたいの? ずっと私の食べたい物ばかりで悪いから……」
僕「んー。やっぱりクレープかな」
女「あ、私も食べたい」
僕「味は?」
女「それは僕ちゃんに任せるよ。私に気を使わないで、好きなの頼んでいいからね?」
僕「ん……」
彼女と一緒にクレープのお店へ向かう。
僕「あ……」
僕たちはその値段を見て愕然としてしまう。
クレープの値段は五百円。
僕の財布には四百円しか残っていない。
女「僕ちゃんのおこづかいって確か……」
僕「あはは、足りないや。何か他の物にしよっか?」
女「え、う、うん……そう言うなら」
僕「……クレープ食べたいの?」
また彼女の口が強張っているのが見えてしまった。
ああ、彼女はきっとクレープを食べたいんだなあ、と僕にはそれがすぐわかる。
女「……あ、ねえ」
僕「ん?」
女「これ……」
ごそごそ、と彼女は財布から先ほどの百円玉を取り出して僕に渡してくれた。
僕「これは受け取れないよ」
女「いいの使って。これでクレープ買えるよね?」
僕「それはそうだけど、百円くらい家からすぐに持ってこられるからさ?」
女「……ありがとう。でもね、このクレープは二人のお金で買いたいんだよ」
僕「?」
女「何て言うか……一緒にお祭り過ごしたよ! って言う思い出になるって感じでさ……」
思い出?
女「だからこれを使って。一緒にクレープ食べよう?」
僕「……」
彼女の小さな手から僕は百円を受けとる。
僕「すいません、バナナとチョコとアーモンドのクレープを……」
僕も少し大きな声を出しながら注文をした。
隣で彼女は笑っていた。
きっと彼女もこのトッピングが好きだったのだろう。
あるいはクレープとチョコの甘い匂いがするからかな……。
彼女はこの上なく笑っていた気がした。
僕たちは、手を繋ぎながらお祭りの会場から遠ざかっている。
右手には半分に割いたクレープ、左手には彼女の小さな手を握りながら。
夕焼け空の赤が段々と小さくなって……背中からはお祭りの賑やかな音が聞こえている。
僕「この辺?」
女「うん。学校の近く。でも本当に送ってもらって大丈夫だったの?」
僕「……一人だと危ないから」
女「うん、ありがとう~」
小学生二人で歩いている事が安全とは言えないけれど、女性一人で帰るよりはまだマシだろう。
女「着いたよ。ここが私の家」
僕「あ、この辺りなんだね」
ここからなら学校までは五分くらいか。
近いと言うのは単純に羨ましい。
女「じゃあ……今日は本当にありがとう。ごちそうさま」
僕「うん。楽しんでもらえた?」
女「すっごく楽しかったよ! いいよねお祭り、本当に夏休みみたい!」
僕「まだ四月なんだけどね」
女「ねえ、夏もまたお祭りある?」
彼女は目をキラキラ輝かせながら僕に訪ねてくる。
僕「盆踊りもあるし……あの神社じゃ無いけど花火大会だって」
女「ね、次の時にはおこづかいいっぱい貯めておくからね? 今度お礼するからね?」
僕「いいよお礼なんて。と言うか行く事確定なの?」
女「先の事はわからないけど……行きたいなーって思ったんだよ」
そう言われたら、僕には何も返す言葉が無い。
相変わらず、彼女にはめっきり弱いようだ。
僕「まあ、考えておくよ」
女「ふふっ、ちゃんと考えておいてね?」
多分彼女との約束を忘れる事なんて無い……それがわかっているから、女の方も意地悪に笑っているんだろう。
僕「じゃあ、バイバイ」
女「うん。またね僕ちゃん」
お友達に手を振って、また明日……。
もう、辺りは少し暗くなり始めていた頃だった。
父「僕、お祭りはどうだった?」
僕「楽しかったよ。友達みんなで行ったから」
女の子と二人とは、何か言う事が出来ない。
母「私もお昼前に妹と行ったんだけど……やっぱり賑やかだったわね」
妹「かきこおり~」
父「おこづかいは足りたか? お金落としたりしなかったか?」
僕「う、うん。大丈夫だったよ、父さん」
母「そう言えば、僕ちゃんにもそろそろお小遣いをあげ無いとダメかしらね?」
父「そうだな。お金の仕組みを教えておくのは大事だからな」
母「ねえ僕ちゃん。何か欲しい物とか無いの? せっかく小学校に入ったんだから、お祝いで何かね? パパ」
父「お、そう言えば入学祝いもまだだったな。どうだ、何かテレビゲームでも買ってあげて……」
僕「ま、まってよ。僕はそんな……お祝いなんていらないよ」
父「ええ~っ? どうしてだい?」
どうして、なんて言われても僕は余計に困ってしまう。
頭の中では様々な遠慮や気遣い……子供らしくない感情だけがグルグルと回っている。
僕(可愛くない子供……)
昔の自分なら、すぐに買いたい物だけを頭の中に浮かべただろう。
でも今は……欲しい物が何も出てきてくれなかった。
僕「僕より、妹に何か買ってあげてよ。その方が僕も嬉しいしさ」
僕「それにおこづかいだって、月に三百円くらいくれれば僕は満足だよ。あ、何かお手伝いもするからそのご褒美でもいいし……」
父「……」
母「……」
僕「ね? こうやってご飯を作ってくれるだけで僕は……」
僕「ぼ……ぼく……っ……」
母「僕ちゃん?」
父「な、何で泣いてるんだ。何かパパ達悪い事言っちゃったか……?」
そんな優しい目で僕を見ないで。
父「僕? 僕……」
母「僕ちゃん……!」
妹「おーちゃん、ないてる。ないてる?」
僕「ぐすっ……うっ……グス……」
その後、両親に慰められるままに僕は布団に入った。
父「寝るまで一緒にいようか?」
僕はそれを断った。
誰かがいたらまた泣いてしまう。
父「おやすみ僕。何かあったら起きて来なさい」
母「おやすみ……」
……
天井に浮かんだ小さな光が、涙で滲んでいる。
必死に目を閉じて、グッと涙を我慢する。
しかし、隣の部屋にいる父と母の姿を想像したら……また勝手に涙が溢れてしまう。
僕(お願いだから、そんなに……優しくしないでよ……)
布団に入ってから三十分は経っただろうか。
優しい言葉の一つ一つが、まだ僕の胸に突き刺さっている。
僕(……)
僕(みんな……優しかった)
僕は父と母にとって初めての子供だ。
両親からの愛を受け、かなり甘やかされて育ったと……そういう記憶がある。
昔の僕は何も知らない子供だ。
それを甘えだとは思う事ができるはずも無い。
ただ、親が優しくしてくれていた……大学生の僕にはそんな記憶しか持っていなかった。
もちろん、実家に資産がたくさんあって親が何でも買い与えていたとか。
それこそ馬鹿みたいに、甘やかされ過ぎて育ったというわけでも無い。
いわゆる普通の育て方だったが……初めての息子だからつい溺愛してしまった。
振り返ってみればそれだけだった。
昔の僕にとっても両親にとっても……それは普通の愛情だった。
でも今は違う。
僕は昔の僕じゃない。
母「あ、おかえり僕」
母「ほら、帰ってきたらちゃんと神棚に挨拶して」
母「これお供え物。あとちゃんとご先祖様にも挨拶をして……」
母「え、旅行に連れていってくれる? 待って。その月は占いで厄が出ているから……その三ヶ月なら大丈夫かな」
母「……またそんな顔して。もう一回先生に占ってもらう? 前は鬼の子が宿っているなんて言われて……」
母「でもこの石のおかげで大丈夫だったでしょ。やっぱり英霊様を大切にすると幸せになるのよ?」
母「ねえ、お父さん。次はこの仏壇を買おうと思うんだけれどね……うん……」
……
僕(……)
これは夢じゃない、僕の中にある確かな記憶だ。
僕には宗教の事や占いの先生の事はよくわからない。
ただ、それまで僕が好きだった怖い話や超常現象。
その他オカルトなど……そう言った事が大嫌いになってしまった理由だけはよくわかっていた。
母はいつからか、変わってしまった。
僕「ママ……」
布団の中で一言、小さく呟く。
ガラッ。
僕「!」
妹「おーちゃん。おーちゃん」
現れたのは妹だった。
おぼつかない足取りで、よたよたとこっちに歩いて来る。
妹「いいこいいこ」
誰かさんよりも、もっと小さな手が僕の頭を優しく撫でてくれる。
何度も何度も、優しく。
優しく……。
僕(こんなに安心するもんなのか……)
妹「おーちゃん、いいこ」
僕(僕は昔も今も知ってしまっている……)
妹「なでなで」
僕(辛い記憶を知っているから、暖かい言葉が余計に気持ちに響く)
妹「ねちゃえねちゃえー」
僕(優しすぎる父親と母親……ああ、思い出すと辛いな……)
妹「おやすみ、おーちゃん」
僕(ああ、記憶が無かったらきっと。その優しさに思い切り甘える事が……で……き……)
妹「おやすみ」
妹の手が止まる。
いい加減泣き疲れたみたいだ……。
僕の意識はそこまでで溶けていった。
僕「ん……」
溶けた意識が戻ってきた。
窓はうっすらと明るくなり薄い青が広がっている。
父も母も妹も……いつもの場所で寝ている。
僕(……)
僕(寝たら、少しは元気になったかな……)
布団に入ると、どうも昔を思い出してしまう。
弱気になるのも布団の中。
僕(でも、こうやって毎日起きて……戦わないといけないんだよね?)
今日もまた泣いた事を女にからかわれるのかな?
もうすぐ連休だけど、何をして過ごそうかな?
朝ごはんは何を食べようか?
僕は今日を始めるためのスイッチを入れた。
こうでもしないと、昨日の記憶に潰されてしまいそうで……。
僕「ふぅ……よし!」
僕は元気に起き上がり、学校に行く準備を始める。
もう四月も終わり。
太陽と緑と空が元気になって行く……段々と、季節はそんな風に変わっていくはずだ。
「なあ僕。休み時間サッカーやろうぜ」
僕「うん、やるやる~」
「あ、女ちゃん。見てみて、このリボン可愛くない?」
女「わ~可愛い。すっごい似合ってるね」
お祭りのから、もう二ヶ月が経った。
僕も彼女も二人だけでいるという事は殆ど無くなった。
最もそれは休み時間に限った話だけれども……。
女「ねえ、昨日のテレビ見た見た~?」
「見た~。すごくおもしろかったよねー」
僕(女も友達ができて……クラスには馴染めているみたいだしな)
「あ、ぼくくんが女ちゃんのことをまた見てるぞー!」
僕(……またか)
女「なあに僕ちゃん。そんなに私の事が好きなの~?」
僕「な……! そ、そんな事あるわけないだろ!」
「あー男が赤くなってるぞ!」
女「あんまり苛めちゃだめだよ~? 僕ちゃん恥ずかしがりやだもんね~?」
僕「う、うるさいバカ女! 早く校庭行こうよ、サッカーだよサッカー」
「あ、待てよ男ー」
逃げるように僕は教室を飛び足してしまう。
女「まったく、男の子って本当にバカよね。ねえ眼鏡ちゃん?」
眼鏡「……」
「ねえ僕くん。女ちゃんの事が好きなの?」
僕「そんな事ないよ。ただの後輩だよ」
「こうはい? こうはいって何?」
僕「あ……た、ただのクラスメイトだよ」
「そ、そうなんだ。仲がいいから好きなんでしょ」
僕「……別に」
「本当に?」
僕(なんでこいつはこんなにしつこいんだ……)
僕「本当だよ。だからからかうのはもうやめてよね。隣」
隣「わかった!」
僕(こいつ、こんなに意地の悪い奴だったっけ?)
眼鏡「ねえ女ちゃん?」
女「ん、なーに?」
眼鏡「女ちゃんと僕くんってよく二人で下校してるよね?」
女「お家が通り道だから。ついでにね?」
眼鏡「あ、あのね。あたしも女ちゃんのお家の近くなんだよ。ちょっと奥の……三階建てのお家なんだよ?」
女「あ、うん。それは知ってるよー」
眼鏡「ね、今日からみんなで下校しない?」
女「み、みんなで?」
眼鏡「あたしと僕くんと女ちゃんの……三人で下校しよ? ね?」
女「私は別に構わないよ? 僕ちゃんも気にしないと思うし」
眼鏡「そ、そう……」
眼鏡「じ、じゃああたし、ぼ……僕ちゃ……僕ちゃんに声かけておくから……ね」
女「あ、うん。わかった」
眼鏡「う、うん! じゃあ放課後ね! 一緒に帰ろうね!」
眼鏡「~♪」
女(……)
女(ははーん。この子って僕ちゃんの事を……ふ~ん)
女(でも小学生の恋愛だもん。私が何かするわけでも無いし、ね?)
眼鏡「~♪」
女(でも眼鏡ちゃんの表情……本当に楽しそうにしてるのね)
先生「みんな、さよなら~。気をつけて帰ってね」
「先生さようなら~!」
眼鏡「あ……あの。男ちゃん?」
僕(お、男……ちゃん?)
僕の事をちゃん付けで呼んでいるのは、女だけだ。
それがいきなりこのような形で声をかけられてしまった。
眼鏡「あ、あの……」
僕「?」
眼鏡「さ、さっきね。女ちゃんが言ってたんだけどさ? お家が近いから、あたし達三人で……」
僕「三人? お家?」
しどろもどろとした言葉使い……眼鏡の奥の瞳が、もう泣き出してしまいそうなくらいに潤んでいるのがわかる。
僕「三人で?」
眼鏡「う、うん。下校したいの……」
僕「ああ、そうなんだ」
眼鏡「ダ、ダメ?」
僕「ううん別に?」
眼鏡「ほほ……本当に!」
パァアアっと、彼女の表情が明るくなっていく。
眼鏡「お、女ちゃーん! 大丈夫だってー!」
そして教室に響き渡るくらいの大きな声で彼女を呼ぶ。
イタズラにまたニコニコとした表情の彼女がこちらに向かってくる。
僕(うぅーん?)
いつの間にか、僕と彼女と眼鏡ちゃんの三人で下校の道を歩いていた。
眼鏡「えへへ~」
女「ねえ眼鏡ちゃん。何がそんなに嬉しいのかな~?」
眼鏡「お家に帰れるから楽しいの~」
女「それは良かったわね~」
眼鏡「うん!」
女の子は二人とも、終始笑顔で歩いていた。
僕には彼女の笑顔の意味がわからなかった。
眼鏡ちゃんというお友達ができて嬉しいんだろうか?
眼鏡「じゃあまたね~! バイバイ~!」
ブンブン、と元気に手を振る眼鏡ちゃん。
眼鏡「僕ちゃん、また明日ね~!」
女「ふふっ、呼ばれてるよ?」
僕「……」
女「さ、行こ?」
女の家に向かって、僕たちは歩き出す。
僕「何となく、笑顔になっている理由がわかったよ」
女「だって面白くて、つい」
僕「そんなもんかな?」
女「うん。はっきりわかるもの。眼鏡ちゃんは男ちゃんの事が……」
僕(ああ、やっぱり)
女「好きなんだよ、きっと」
僕「そうなんだ」
女「そうなんだって……反応薄いね?」
僕「だって、僕は彼女とあまり関わらなかったんだもの」
女「そうなの?」
僕「クラスは長い間一緒だったけど、特に何があったわけじゃないから」
女「むぅ~、何かつまんない……」
プク~っと頬を膨らましている彼女の横顔。
あざといが、何だかそれが可愛らしい。
女「あ、じゃあ付き合っちゃえば?」
僕「そんな気は無いよ」
女「もう、あっさりし過ぎだよ男ちゃんは!」
僕「だって……僕と彼女は付き合った事はないんだからさ」
女「……」
彼女は一瞬だけ難しい表情を僕に見せた。
女「ねえ……それって、すごく変な発言じゃない?」
僕「……何が?」
女「僕ちゃんと眼鏡ちゃんが付き合った事なんて、一度も無いに決まってるじゃない」
僕「縁が無くてさ。一時期よく話した記憶はあるけれど……」
そしてまた、彼女の表情が冷たく尖った雰囲気に変わる。
女「だから、どうして記憶の話になるの?」
僕「……」
僕「あれ?」
言われてみればそうだった。
僕は昔生きていた記憶を引っ張り出しては、体験した事のある人間関係だけを思い返して来た。
父や母の変化。友人達の進路や……それこそ自分の未来まで。
女「言い方は紛らわしいけど、付き合った事が無いのは昔の一年生の二人でしょ?」
女「今の二人には、付き合うっていう行動も出来るわけでしょ?」
確かによく考えてみれば、彼女がこの学校にいる時点で同じ未来になる事はあり得ないんだろう。
例え二人また同じ大学に行ったとしても、年齢は同じ。
前よりも更に長い時間を一緒に過ごしている状態。
少し考えただけでも矛盾の嵐になってしまう。
僕「それは何となくわかるけどさ……」
女「……ごめんね。攻めたわけじゃないの。ただ考え方が偏っていたみたいだから、ちょっと気になって」
僕「少しまた考えてみるよ。布団に入ると色んな事が浮かんでくるんだよ!」
精一杯元気に振る舞ってみる。
目の前彼女は、とりあえずこれで安心してくれるだろうか。
僕も、彼女が元気の無い時は気を遣ってしまう。
女「……うん。わかったよ。また何かあったらちゃんと話してね?」
口元は正常だ。
僕「うん、じゃあ……またね」
女「またね~。あ、さっきのは付き合いなさいって意味じゃないからね!」
僕「ははっ、そんなフォローはいいよ。じゃあバイバイ」
女「気をつけてね~」
最後に僕たちは笑顔だった。
何があっても終わりに彼女と笑顔でお別れるをする……。
それだけで、今日の僕はぐっすりと眠る事ができるんだ。
……
プルルルル
プルルルル
プルルルル
僕「はい、もしもし?」
眼鏡「あ……僕くんのお宅ですか?」
僕「め、眼鏡?」
眼鏡「うん。あ、あのさ……電話、出てくれてありがとう」
僕「う、うん。そりゃあね」
眼鏡「……」
僕「ど、どうかした? いきなり話したいだなんて、びっくりしてさ。もう……」
眼鏡「わ、私……ずっと……」
僕「め……」
眼鏡「私ずっと! 昔からね、実は……! ぼ、僕くん事が…… 」
眼鏡「好き……だったの」
僕「う、うわぁぁああ!」
母「!」
僕「あ……あれ? ねえ、僕の電話……?」
母「変な夢でも見た? あ、僕ちゃんは寝ぼけてるのかな~?」
僕(さっきのは、夢?)
母「ふふっ、大丈夫?」
僕「……大丈夫。おやすみなさい」
母「おやすみ。もうすぐでパパもママも寝るからね?」
僕「……」
僕(夢? 記憶が夢に入ってきた? それともただの……)
僕(ただの何だよ……? ダメだ、頭が働かない……)
妹「おーちゃ……」
寝ぼけているんだろうか、妹が僕の手をキュッと握ってくる。
僕(よしよし……)
綺麗な長い黒髪を、優しく二度三度撫でてあげる。
妹「んふ~」
ああ、やはり無邪気な妹の笑顔も……可愛い。
僕(おやすみ……)
今日はそれ以上頭を働かせる事は出来なかった。
僕(今度は何も見ませんように……)
僕は女の笑顔と、小さく手を降る姿を思い出しながらまた眠りに落ちていった。
僕(……)
その途中……。
僕(あ……おもいだした……)
僕(ぼくは、めがねちゃん……から、の……)
僕(でんわ……しってた……)
女「えっ? 眼鏡ちゃんの?」
僕「うん。昨日布団の中で思い出した!」
……
女「……電話?」
そう。
あれは確か……中学生の時だったと思う。
僕は一度だけ、眼鏡ちゃんからの電話を受けた事があったんだ。
あまりに曖昧で微妙に忘れていた記憶だけど……今なら話せる。
中学校では人数の関係からクラスが二つに分けられる。
一つの地域だけで無く、色んな場所から生徒が入学してくるからだ。
僕「細かい事はまた話すけど……眼鏡ちゃんは確か、違うクラスだった気がする」
女「本当?」
僕「うん。だから話す機会も無かったし……それこそあまり印象に残っていなかったんだよ」
女「それから?」
僕「入学してすぐかな……眼鏡ちゃんが僕に話し掛けて来たんだよ」
眼鏡『今日の夜八時に電話するから出て? お願い』
女「それだけしか言わなかったの?」
僕「恋愛的な言葉は無かったよ。僕もあまり考えずに、承諾してたと思う」
女「ちゃんと待っててあげた?」
僕「うん。それがさっき話した電話の……あんな感じの事を話したのは記憶にあるよ」
女「……」
女「でも付き合ってないのよね?」
僕「うん」
女「どうして?」
僕「それは……忘れちゃった。好きじゃなかった事だけは確かだけど……」
女「そう。でも、これであの子が記憶と全く無関係って訳は無くなったね?」
僕「また中学生になったら告白されるのかな?」
女「さあ? まだそんな先の事なんてわからないわよ」
僕「でも彼女が記憶の中に関わっているなら……何かあるはずだよね?」
女「そうね。でも気にしすぎる必要も無いんじゃない?」
彼女がそう言ってくれるなら、僕が気にしすぎる事は無くなるんだろう。
単純だ。
僕「うん……わかったよ」
女「あ、休み時間が終わる前に一つだけ教えて?」
僕「ん?」
女「昔の小学一年生の時にさ……眼鏡ちゃんから今みたいなアプローチを受けていた?」
僕「一年生の時の記憶……?」
女「うん」
僕「今思い出せる事は……あまり無いかな。でも眼鏡ちゃんはこんな様子じゃ無かったはずだよ」
女「そうなんだ……」
涼しい顔で、彼女はちょっとだけ真面目を作っている。
僕「あの……どうかした?」
女「ううん。まだよくわからないなって思って」
よくわからない、それは僕だって同じだ。
どうして眼鏡ちゃんが、こんなに早くから僕に近付いて来ているのか。
もう中学校で彼女からの告白は無いのだろうか?
僕「……考えても、やっぱりわからないや」
女「眼鏡ちゃんが僕ちゃんの記憶にいた……本当にそれだけよね?」
僕「うん。中学校で同じような事が起こるとは限らないし……記憶は記憶でしかないから」
記憶の話をすると、相変わらず頭が痛くなってくる。
女「……ね、そろそろ戻る?」
僕「うん。次の授業で最後だから頑張らないと」
女「帰りに駄菓子屋寄って行かない?」
僕「行く行く」
女「ふふっ、ガム奢ってあげるね?」
僕「え、またガム~?」
女「文句ある?」
僕「あるって言ったら?」
女「もうガム買ってあげない」
僕「じゃあ、無い」
女「ふふっ、いい子」
うん、やっぱり僕はこうして……。
放課後に遊ぶ相談や、友達と過ごせる時間を見つけたり。
小学生らしく遊んでいる方が笑顔になれるみたい。
もう夏休みか……。
僕の本能がその言葉を覚えているかのように、日が経つに連れて体がワクワクしてくる。
僕「……帰りたいな」
女「ん? 何か言った?」
僕「ううん、何でもない」
女「……」
女「相変わらず、変な僕ちゃん」
彼女はやっぱり笑顔だった。
何であんな事を呟いたのかわからない……。
彼女が笑顔の理由も僕にはわからない。
それでも……僕たちの新しい夏はやって来る。
嬉しさと、胸に残っているほんの少しの不安。
そして……
僕が忘れている夏の記憶と一緒に。
よく晴れた日。
体育館での終業式を終えた僕たち。
教室で受け取った初めての成績表、初めての夏休みの宿題。
もちろん、僕と彼女を除いては。
女「ねね、成績どうだった?」
嫌に楽しそうに話してくる彼女。今日初めての会話だった。
僕「どうって……別に。昔よく見てたから」
特に何も感じない。
女「ええ~、僕ちゃんの成績表見せてよ? ね?」
僕「み、見ても何もないよ。よくある普通の成績表だからさ」
女「ね? ね?」
僕「何でそんなに見たいのさ?」
女「ふふっ。せっかくの小学生なんだからさ? こういう事したいな、って」
なるほど。
興味本意だけではなく今を楽しむような……そんな感じで彼女は言ってるんだろう。
僕(四月のお祭りの時も、そんな感じだったな)
女「ね、だからお願い?」
僕「……うん。わかったよ、はいこれ」
女「ありがとう!」
シュッ、と素早く手が伸びてくる。
彼女の目線は、食い入るように僕の成績表を見つめている。
女「……っ、くくっ」
僕「?」
女「この頃から字が下手だったんだねえ……」
女「きっと一年生から大学まで……ずっと成績表に、丁寧に字を書きましょう、って……くすっ」
他人の成績表を見て大笑いしているのは、全国の小学生の中でも彼女くらいだろう。
僕「ほ、他は全部良くできてるんだからいいだろ!」
女「あはは~、そこをチェックしたかっただけだから、何言っても知らないもん」
僕(さっきの、今を楽しみたいとか言っていた自分が恥ずかしいよ……)
彼女はまだ僕の成績表を手放してはくれない。
早く帰りたいのに。
早く、僕の夏休みを始めたいのに。
女「あ、あとニンジンをちゃんと食べましょう、だって」
……しかし、このまま帰るのも何だか癪に触る。
僕「ねえ、僕のを見せたんだから交換で見せてよ」
女「え、見ても面白くないよ?」
僕「いやあ、今を楽しみたいもので」
女「変な僕ちゃん。はい……これ」
成績表を受け取り、ページを手早くめくってみる。
僕「……」
僕「全部、よくできましたに印が……」
女「だから面白くないって言ったのに~」
まだ、満面の笑みで僕の成績表を見つめている。
僕(……そっちのこそ面白くないだろうに)
女「はい、ありがとう」
パッと成績表が手元に戻ってくる。
僕「満足した?」
女「丁寧に書きましょう、だけですっかり満足~」
僕「ああ、喜んでくれてるなら良かったよ」
いつもは本心からこの言葉を言っているが、今日この時だけは嫌味で言ってやった。
女「うん。また冬休み前に見せてね?」
僕「……」
彼女のその言葉には嫌味が無いのがわかる。
僕「覚えていたらね」
女「私が覚えているから大丈夫だよ」
だからこそ、僕たちはまた冬休みの前に同じように成績表を見せあって笑うんだろう。
何となく、わかる気がする。
女「ね、夏休みはどうするの?」
彼女は荷物をまとめながら僕に聞いてくる。
僕「んー?」
女「遊びにいったりしないの?」
僕(一年生の時はどうだっただろう……?)
この辺りはただでさえ遊ぶ場所なんて無かった。
裏山、神社、駄菓子屋……小さな体で遊びにいけるのはこの辺りだけだ。
僕「あまり計画的に遊ぶ事はしないよ」
女「そんなものだっけ?」
僕「学校でラジオ体操があったから、その後に約束とかはしたかも」
女「ラジオ体操があるんだ!」
彼女の目がちょっと輝いた。
僕「嬉しいの?」
女「夏休みだなあ、って感じがして好き」
彼女は雰囲気を大切に感じているらしい。
それは僕もわかるけれど。
僕「来る?」
女「どこでやるの?」
僕「学校の校庭だよ。役員の人がカードにシールを張ってくれて……」
女「うん、うん!」
やはり出席する気満々みたい。
僕(僕は眠っていたいからパスだけど……ね)
女「ところでさ、僕ちゃん持って帰る荷物無いの?」
夏休みに入ると、絵の具や道具箱、ロッカーや机の中の物を全部持ち帰らなければいけない。
女「あ、もう全部持って帰ったとか?」
僕「何も持って帰ってないよ」
女「何でよ?」
僕「どうせ二学期も持ってくるんだから……ねえ?」
女「……ハァ」
また溜め息か。
女「もしかして教科書とかも?」
僕「置きっぱなしー」
女「そんな小学一年生は滅多にいないわよ……まったく」
女「ね、お絵かきの宿題どうするの?」
僕「えっ?」
そんな宿題、出てたっけ?
女「出てたよ。ねえ? 眼鏡ちゃん」
いつの間にか僕の後ろには眼鏡の彼女が立っていた。
眼鏡「う、うん。絵の具いるよ、僕くん」
僕「じゃあ絵の具だけ……。ねえ眼鏡ちゃん、いつからいたの?」
眼鏡「女ちゃんを、まってたから。さっき」
女「声をかけてくれていいのにー」
眼鏡「で、でも……」
彼女はまた、しどろもどろ。
眼鏡「なんだか、二人の話してる事がむずかしくて……」
女「難しいってどういう事?」
眼鏡「たまに……わからない言葉とか、わからないお話とか……」
僕「まあ、そりゃあねえ?」
女「しっ!」
僕「……」
夏休みで僕も浮かれているのか、小学生という事に慣れてきたからなのか。
僕(何となく、自分の性格で適当な部分が出てきた気がする……)
僕「気を付けます」
女「……バカ」
僕(気を付けますってば)
女「それで?」
眼鏡「あ……うん。だからあまりお話に入れなくて……」
女「気にしないで大丈夫だよ眼鏡ちゃん。適当にお話しながら帰ろ?」
眼鏡「う、うん!」
女「じゃあ早く帰ろ。私お腹すいちゃった」
眼鏡「あたしも!」
女「今日のお昼はなーに?」
眼鏡「カレーだよ!」
先ほどの様子とは違って、自然体の眼鏡ちゃん。
僕(浮き沈みの激しい子?)
一年生の時なんてそんなものかな?
自分の性格を思い返してみたけど、やっぱり思い出せなかった。
僕(性格的な部分を馬鹿にする気は無いし……ね)
隣「僕ー。帰ろうぜー!」
僕「あ、隣君?」
隣「そ、そんな女子とばっか話していると女子になっちまうぞ!」
彼も夏休み前だからかな。
何だか僕に、元気に絡んできている。
隣「ほら! 行こうよー!」
僕「……」
女「あ、帰る? じゃあ眼鏡ちゃん、帰ろう?」
眼鏡「う、うん」
こちらの様子を察してか、彼女たちもお喋りをやめてこちらに注目をしてくれる。
隣「じ、女子と帰るなんてやだよー!」
女「そんな事言わずにさ、みんなで帰ろう? もうお腹すいたよ~」
隣「お、女ちゃんが言うなら……」
僕「ん?」
彼の目線がこっちに向いてくる。
女「……帰ろう?」
笑いながら、彼女は歩いて行ってしまう。
後ろから、追いかけるように眼鏡ちゃんが女に付いていく。
隣「ま、待ってよ」
更に後ろから、男の子が一人。
僕「彼女と昔の友達が絡んでいる姿が……何だか」
それが少し寂しいような気がした。
夏休みは始まったばかりなのに。
……
夏休み。
普段の生活の中でも、あまり深く考えずに過ごしていた毎日。
学校がなくなってしまえばもっと、自分の時間ができてしまう。
僕(明日から何しようかな……)
布団の中で、ボーッとそんな事を考えていた。
僕(おやすみ……)
ジリリリリン
ジリリリリン
母「もしもし。あ……ちゃ……ん。いるわよ」
遠くから、黒電話と母の声が聞こえてくる。
意識がはっきりとしない。また夢かな?
母「僕ー。女ちゃんから電話」
居間と寝室を繋ぐ扉が開けられる。
僕「ん……」
僕「電話持ってきて……」
眠いと自然とものぐさになってしまう。
母「寝惚けないの。家の電話は動かないわよ」
僕「……」
僕「もしもし……」
女「おはよ。もう十一時だよ? 寝過ぎじゃない?」
僕「休みの日はお昼過ぎまで寝るのが普通だよ」
あくびと一緒にそんな言葉が当たり前に出てくる。
女「寝過ぎ……ラジオ体操来なかったのも寝坊のせい?」
僕「あまり出る気が無くて……」
女「時間を使わないのは勿体ないよー。」
……
言われてみれば、それは確かに。
何がきっかけで元の時間に戻るかもわからない。
そうなった時に自分は後悔……しないんだろうか?
よし、決めた。
僕「ねえ」
女「ん?」
僕「八月の最初の日曜日、暇?」
女「多分大丈夫だと思うよ」
僕「近くで花火大会があるんだよ。一緒に行かない?」
思いきって彼女を誘ってみる。
女「花火、八月なんだ」
僕「一緒に行こう?」
女「あ、でも……」
僕「?」
女「眼鏡ちゃんと隣君は……どうするの?」
僕「どうするって、何が?」
女「お友達なんだもの。誘ってあげないの?」
彼女とデート、という事だったら間違いなく誘わないけれど……。
僕「一年生だから出歩けるかわからないけどね。。でも誘って来られるようなら……」
女「うん! せっかくの夏休みなんだもん。一緒に遊ばないとね」
そこは僕も彼女も慣れてしまった仲のようだ。
女「……考えたら、私たち一年生なんだもんね。夜に出歩けないのは当たり前だよね」
僕(そう言えば僕も許可をとらないと)
僕「あれ、女は大丈夫なの?」
女「私はほら……お母さんが……ね」
僕「……ああ。ごめん」
女「ううん、大丈夫だよ」
……
少しだけ変な空気になってしまう。
それでも彼女は、受話器の向こうから元気に話しかけてくれる。
女「じゃあっ、お祭り楽しみにしているよ!」
僕「うん……。また連絡するよ」
女「またね、僕ちゃん」
僕「ん、またね」
リンッ、と黒電話の金属が響く音がした。
僕「花火大会……ね」
僕「いってきま~す」
真夏の太陽が眩しい八月。
僕は元気に学校へ向かっていた。
今日は夏祭りの前日であり、登校日でもある。
僕「今日が終わったら、明日は女と……」
この日のためにお小遣いをコツコツ貯め、なるべく無駄遣いも抑えて来たつもりだ。
僕「何買ってあげようかな。またクレープとか……」
ワクワクする。
遠足の前日みたいな楽しみが僕の胸にある。
先生「えー、明日は花火大会があります。お父さんやお母さんと一緒に出かける人もいると思います」
僕(まあ、普通はそうだよね)
先生「夜で、人もいっぱいいる場所だから……気をつけて下さいね」
は~い、とクラス全体が返事をする。
先生「じゃあ、さよなら。夏休みを楽しんでね」
僕「……帰ろ」
ガタッと席を立ち、彼女の元へ向かう。
女「や、僕ちゃん」
彼女も同じ事を考えていたようだ。
僕「どうかした?」
女「明日のお祭り大丈夫そう?」
僕「うん。ほら、僕いい子だから」
女「そうだね~、僕ちゃんお子ちゃまでいい子だもんね~」
突っ込むというより、それに便乗して僕を口撃してくる彼女。
大学からずっと変わっていない。
僕「今は女だってお子ちゃまだろ?」
女「私の方がお姉ちゃんだもん。一歳年が上がっちゃったんだから、ね?」
僕「同い年でペッタンコのくせに……」
女「ペ……ペッタンコなのは仕方ないでしょ! い、一年生なんだから……から……」
僕(お、からかうと面白そう)
女「そ、そうよ。これからきっと……ね! うん!」
僕「へえ、これからって何年後?」
女「た、多分……昔と同じなら六……って、何よ! 変な事聞くなバカ!」
僕(今まで、胸の小ささをバカにした事は大学でもあったけれど……)
僕(未来の彼女を知っているだけに、今の女をこうしてからかえるなんて……楽しすぎる)
女「だ、だから……私は、その……」
慌てる彼女を見て、僕も自然と顔がニヤついてしまう。
普段とは違う彼女の反応が……たまらなく愛しい。
僕「まあまあ、一緒に帰ろうよ女ちゃん」
女「知らない、バカ! 私帰る!」
急ぎ足で彼女は教室を出ていってしまう。
僕(あの反応は……ちょっと怒ってるかも……)
近くでずっと彼女を見ていたから、僕にはそれがよくわかる。
僕(でも、可愛かったなあ。ああいう彼女も……)
僕はボーッと教室で彼女の事を考えていた。
今思えば……すぐにここで彼女を追いかけてさ……。
急いで謝れば、僕は明日のお祭りに一緒に行けたのかもしれないのに。
ダダダダダッ!
背中から迫る足音に、僕は気付かなかった。
多分教室から出ていった彼女の事を考えていて……。
彼女のいない教室になんて興味が無かったからだと思う。
ドンッ!
足音の勢いはそのまま、すぐに左肩に衝撃となって伝わってくる。
体の何処にも力を入れていなかった僕は、情けないくらいにあっけなく……
体重の全てが地面に引かれるように、落ちていく。
倒れ込んだ先には……机とイスから伸びている、鉄パイプのような物体があっただけだった。
その次の瞬間に、僕は何に刺さったのか、よく見えていなかった。
すぐに僕の目には、真っ赤な液体が大量に流れ込んで来て……。
僕(……痛い?)
僕「い……痛いっ……! いた……痛いよ……」
足に力が入らない。
倒れたまま、僕は目元を手で覆っている。
ドクドクと温かい液体が手のひらの中に流れてくる。
「……! ……!」
教室に残っていた何人かが、僕の周りを囲んでいるようだ。
何を話しているかは聞こえない……慌てているような、叫んでいるようなそんな声しか。
「うわ、血……」
「痛そう……」
「生きてる……? まさか死んでる……?」
ネガティブな言葉がどんどん頭に入ってくる。
体の力がドンドン抜けていく……。
「先生は?」
「さっき……うん……」
痛みだけが目に植え続けられている。
僕(痛い……)
それだけしか考えられない。
女「……く……僕……」
僕(痛いんだよ……)
女「僕……大丈夫、僕……ねえ……」
僕(さっきから血が止まらなくて……痛みも止まらないんだよ)
女「ごめん、ごめんね……僕……」
僕(なんで女が謝るんだよ?)
女「……」
僕(泣かないで、ごめんね。あんな事言って……)
僕(あれ……痛みが減った?)
僕(なんでもいい、なんでもいいよ)
それだけを感じると、僕は気を失ってしまった。
意識は無くても、痛みだけはずっと左目に残っていたのが印象的だった。
妹「おーちゃん……」
僕「ん、ん……」
妹「おーちゃん……?」
僕「あ、い、妹?」
父「僕……」
母「よかった……よかった……」
ここはどこだっけ?
シーツも何もない、小さなベッドの上で僕は目覚めた。
ツーンと、消毒液の匂いがしてくる。
僕(ここは確か、誰か個人がやってた病院だったっけか……)
うん、思い出せる。
僕(でも、いたっ……)
意識が段々とはっきりしてくると目の辺りの痛みも強さを増す。
僕の目には、白いガーゼやふわふわした布が何重にも重ねられていた。
女「僕ちゃん……」
僕(あ、女が……いる?)
女「わかる? 私の事覚えている? 記憶無くなっていない?」
母「大丈夫よ女ちゃん。頭はぶつけていないって先生言ってたから……」
女「……」
彼女が聞きたかったのは、そういう事じゃない。
僕にはすぐにわかる。
僕「……っ……」
でも、口から言葉が出てこない。
女「僕……」
父「右目の上が切れただけだから、心配無いとは言ってたが……」
母「目に刺さらなくて、本当によかったわね」
妹「おーちゃん……」
女「僕ちゃん……」
みんなの心配する声が聞こえる。
僕は相変わらず声を出すことは出来ないけれど。
女「……」
今は、この右手を優しく握ってくれている彼女のぬくもりだけでいい。
彼女の中に流れている血液の温かさが、僕を安心させてくれる。
今はさっきより痛みは無い。
僕は右手にギュッと力を込めて彼女の手を握った。
僕は残りの夏休みの半分以上を家で過ごす事になった。
話通り、目に傷は付いておらず失明などの心配は無いようだった。
ただ、かなり皮膚がザックリと切れていたらしく、しばらくは顔を動かす事もままならなかった。
僕(女、どうしてるかな)
頭が働くようになってから、僕はずっと彼女の事を考えていた。
僕(もう夏も終わり……)
僕の一年生の夏休みは、見れなかった花火と、行けなかった夏祭り。
そしてただ泣いている彼女の顔だけをボンヤリと見つめていた。
外では、ほんの少しだけ涼しい風が吹き始めるような空気になっていた。
女「お邪魔します」
彼女がお見舞いに来てくれたのは、あと二日で夏休みが終わろうとしている、そんな憂鬱な午後だった。
僕「んー……」
女「……寝てる。ま、怪我してるからいいけどさ」
僕「……」
女「目大丈夫かな? ガーゼ、痛々しい……」
スッ、と彼女の手が僕の右頬に触れる。
やっぱり彼女の手はあたたかい。
僕(……このまま寝たフリするのも悪くないかも)
女「……」
怪我をしているからか、彼女はそれ以上何も喋らなくなってしまった。
右頬を撫でる手は相変わらず止まっていないけど。
僕(やわらかい……)
女「……」
女「なでなで」
僕(……!)
その言葉と一緒に、彼女は僕の頭を撫でてくれる。
僕(あ、頭撫でられたら……寝ちゃいそうだ)
女「ん……」
その手が僕の顔の真ん中辺り……唇に触れてくる。
僕(……!)
そんな事は想像していなかったから、僕は簡単にドキッとしてしまう。
女「ぷにぷに」
唇を突っついてくる彼女の指が、少しだけ口の中に入ってくる。
本当に唇の感触を楽しんでいるだけのような、無邪気な指……。
僕(さすがに、もう起きた方がいい……かな?)
止まらない彼女の指。
どんな表情で僕に触っているんだろうか。
目を瞑っているから、その全てが見えないけれど。
女「……」
僕「……?」
スッと指が僕の唇から離れていく。
僕(よし、起きるなら今かな)
ただ目を開けて起き上がり、彼女に挨拶をする。
それだけだ。
女「……ちゅっ」
僕が目を覚ますよりも早く……彼女の言葉と、指より柔らかい感触が僕の唇に触れた。
甘い、イチゴみたいな味がする。
女「ん……」
その柔らかい感触が僕の唇を撫でている。
僕(これは……?)
彼女の唇?
柔らかくて、甘くて、優しくて。
僕(女……)
僕は彼女の唇を知らない。
昔、手を握ったり抱きしめた事は何度かある。
でも彼女と唇を重ねた事は無かった。
今こうしてくっついている、優しい味が……何だか遠いようで懐かしい。
僕は、ゆっくりと目を開けて彼女を見つめる。
女「あ、起きた? ちょうどよかった、はいあーんして」
僕「……」
女「あーんだってば」
僕「ねえ何、この僕の口に押し付けられている物体は」
女「ゼリーだよ。お見舞い」
僕「……」
女「あ、そんな目しても、全部はあげないからね。妹ちゃんにも残しておかないと」
僕「なんか、ごめんなさい」
女「妹ちゃんもゼリー大好きだもんね。イチゴ味はちゃんと僕ちゃんにあげるからね」
僕「そういう事じゃないんだよ、うん……」
女「? 変な僕ちゃん」
ゼリーとキスをして一人喜んでいた僕は、本当に変だったのかもしれない。
僕「……」
女「食べる?」
僕「うん、食べる……」
女「じゃあ、私は帰るから。これ妹ちゃんに渡してね?」
僕「ん~、わかったー」
一通りのお見舞いが終わり、彼女は帰る用意を始めている。
女「学校には来られそう?」
僕「多分ー」
僕はさっきから、気の無い返事ばかりをしている。
彼女が帰ってしまう寂しさなのか、先ほどのイタズラにがっかりしていただけなのか……。
女「もう……何よその返事は?」
僕「別に、何でもない」
女「嘘だよ。僕ちゃんて拗ねると子供みたいになるんだもん」
女「落ち込んだらすぐ引きこもっちゃうし、すぐ私に相談してくるし……不機嫌な時の僕ちゃんだもん」
僕が彼女の事を知っているように、彼女も僕の事をよく知っている。
物を食べる時の仕草や、誰も気にしないような小さな癖……それを彼女が発見する度、いつも笑顔で僕を見てくれていた。
女「……クスッ」
僕(あ……)
そうだよ、こんな感じで僕の事を優しい笑ってくれる。
僕「不機嫌なんかじゃない……」
女「いいんだよ、無理しないで」
僕「……」
女「ね?」
僕「うん……」
彼女は僕の事なんて全部わかっているような、そんな顔で僕を見つめてくれている。
女「落ち着いた?」
僕「……」
彼女の小さな膝枕に頭を乗せ、僕は天井を見上げていた。
僕「落ち着いた」
女「そう、よかった……」
安堵した顔が僕を覗き込む。
女「じゃあ、また学校でね」
僕「ん。今日はお見舞いありがとう」
女「うん。学校来てね?」
僕「行くよ、絶対に」
女「……あ、あれしよ?」
女「指切りゲンマン、嘘ついたら針千本のーます……指、切った」
僕「指切りなんて久しぶりだよ」
女「ね、私も」
僕「昔はこんな事ばっかしてたんだよね」
女「何だか、私たちって段々と子供に戻っているみたいね?」
僕「さっきの慰め方も子供の時から?」
女「だって僕ちゃんって子供だから」
クスッ、という小さな笑顔また溢れてくる。
それだけで僕は……。
僕「じゃあ、またね」
女「うん……ね、最後にもう一回小指伸ばして?」
僕「ん……」
僕の指先に、彼女の小指の先っぽが優しく触れる。
僕「なに、それ?」
女「ふふ~……ちゅっ」
女「お邪魔しました~」
彼女は小さく頭を下げ、僕の家から遠ざかっていく。
少し暗くなった外に消えていく後ろ姿を、僕はずっと見ていた。
僕(指切り……)
僕は、最後に誰と指切りをしたんだろう。
その約束をちゃんと僕は守っただろうか?
彼女との指切り、約束を大事にしようと思った。
もし次に誰かと指切りをする機会があったら僕は……。
それを記憶に残しながら、生きてみようと思った。
妹「ゆーびきーりげーんまー。うーそついたらのーます」
僕「……」
妹「ゆーびきったー」
母「ふふっ、これで僕ちゃんはゼリー食べちゃダメだからね?」
妹「おーちゃんおーちゃん」
母「女ちゃんに言われてね。こうでもしないと食べちゃうだろう、って……」
僕「……」
妹「いちごー」
僕「よしよし」
妹「えへへ~」
こんなに可愛く妹が笑ってくれるなら、指切りも悪くない。
僕の記憶に、この指切りは残るんだろうか。
僕「じゃあ、おやすみ」
母「もう寝るの?」
あれだけ昼間寝たから、眠気なんて無かったけれど。
明日の最後の夏休み、どこかに出かける気だった。
そのために僕は早めに布団に入った。
僕「……っつ」
枕に頭をぶつけると、傷口に痛みが走る。
しかしその傷口があったからこそ、今日は彼女がお見舞いに来てくれた。
僕「……えへへっ。女可愛かったなあ」
布団の中では感情が素直に出てくる、いつもの癖だ。
僕「わざわざ歩いて、お見舞いまで買ってきてくれてさ」
僕「女の家からは遠いのに。よくあんな場所から……」
僕「……あれ?」
僕「僕……彼女にこの家の場所、話した事あったっけ?」
彼女の家は、通り道だからもちろん知っている。
そして僕の家はどちらかと言えば町外れの方にある。
何より、彼女にこの場所を話した記憶が……無い。
僕(彼女は、本当に僕の事を何でも見抜いてるみたいで……)
僕「……」
僕(あ、ダメだ。眠気……)
僕(こうなったらもう考えられないや)
僕(おやすみ……女)
……
その夜、僕は久しぶりに彼女の夢を見た。
僕「……」
僕「あれ? もう朝」
さっきまで寝ていた気がするのに。
枕元に置いてある時計は、もう正午を回っている。
僕(せっかく女が夢に出てきたのに……)
寝起きの僕の頭は、彼女の姿何となく覚えているだけで、どんな夢を見ていたかを思い出す事は出来なかった。
現実で会える。夢で会える。
記憶の中で会える。
僕は、彼女に会う方法をたくさん知っている。
ピンポーン
急いでお昼ご飯を食べて来た僕は、彼女の家の前に来ていた。
僕「うん。普通に会いにくればいいんだよ」
ピンポーン
もう一度呼び鈴を鳴らしてみる。
……
……
しかし、誰も出てこない。
僕「いないのかな?」
扉に手をかけてみると……ガッと鍵の感触が引っ掛かる。
僕「珍しいな。この辺りで鍵をかけるなんて」
こういう田舎町では、出かける時に鍵をかける人間はあまりいないので、少し驚いた。
僕「……」
僕「帰ろう」
僕「やっぱり電話しておけばよかったかな?」
帰ってからもやる事があるわけでもなく……僕はまた早めに布団に潜っていた。
僕「携帯があれば気軽に連絡できるのに……普及するのは今から何年くらい後だっけ?」
僕「……」
僕(明日から学校か)
僕(なんだろう、昔は休みが長すぎると早く学校に行きたくて仕方なかったけど)
僕(今は特に何も思わない、ワクワクも感じないや)
僕(ただ、学校にいけば女に会える……それだけ)
僕(あとは約束のためだけに、僕は明日も学校に行くんだ)
僕(おやすみ……)
僕の夏休みが、静かに終わっていった夜だった。
僕「おはよう」
僕が教室に入ると、みんなの視線がが一気に僕に集まるのがわかる。
「大丈夫?」
「学校来て平気なの?」
「痛い? 痛い?」
病気や怪我でチヤホヤされる……なんだか気持ちいいような気分になった。
僕「大丈夫だよ。抜糸も終わったし、もうすぐ傷も塞がるみたいだから……」
そんな事を言いながら、僕の視線は彼女を探している。
この時間ならとっくに学校に来て……。
……。
来て……いない?
僕(ああ、夏風邪でもひいたのかな。女も昔から体が弱かったからな、まったく)
そんな事は無い。
僕(遅刻なんて女らしい。歩いて五分なんだから、遅刻する方が難しいよね)
彼女は毎朝僕より早く来ていて、いつも挨拶をしてくれていた。
僕(……)
僕(じゃあなんで彼女は来ていないの?)
知らないよ。
僕が知るわけない。
僕(彼女は僕の事を知っているのに……)
結局、授業が始まっても学校が終わっても彼女が姿を見せる事はなかった。
先生が言うには、無断欠席だそうだ。
先生「ねえ眼鏡ちゃん。このプリント、女ちゃんに届けてくれないかな?」
帰りの会の後、先生と眼鏡ちゃんの会話が聞こえる。
眼鏡「うん、わかりました~」
眼鏡ちゃんは彼女の家に行くようだ。
僕「ねえ、眼鏡ちゃん」
眼鏡「な……なに? 男くん」
僕(また男くんに戻っている……)
僕「僕も一緒に行っていい?」
眼鏡「も、もちろんだよ」
先生「あら、じゃあこれをお願いね」
数枚のプリントやお知らせが、束になって眼鏡ちゃんに渡される。
眼鏡「は~い」
僕「じゃあ、早速……ん?」
隣「……」
眼鏡「あ、隣くん……」
隣「……」
なんだか、冷めたような怯えてるような怪訝な表情でこちらを見つめている。
僕「と、隣くんも一緒に行く。このプリントなんだけど……」
隣「……」
僕の顔をチラッと見て、彼は教室から出ていってしまった。
僕(女がいないから嫌なのはわかるけどさ……)
僕「いこ」
眼鏡「あ、ま、まってよ男くん」
一刻も早く彼女の家に行きたかった。
少しでも、彼女を感じる何かが欲しかった。
ピンポーン
ピンポーン
眼鏡「いないね」
昨日来た時と様子が変わっていない。
人が出入りした気配も……。
眼鏡「お出かけちゅうかな?」
僕「風邪だよきっと。プリント貸して」
手からプリントを奪うと、玄関にある郵便受けに乱暴に突っ込む。
眼鏡「い、いいの?」
僕「どうせいないんだもん。僕、帰る」
眼鏡「う、うん……また、ね」
そのまま、眼鏡ちゃんには挨拶もせずに帰って来てしまった。
女の言葉が頭によぎる。
女『拗ねると子供みたいになるんだから……僕ちゃんは』
僕(その原因を作ってるのは自分くせに……)
女『……』
その先の会話を、彼女は返してくれない。
僕(何も言ってくれないんだ、もういいよ)
『……』
彼女の声は聞こえない。
子供みたいに拗ねている、小さな小さな一年生が道を歩いている。
僕(僕は約束ちゃんと守ったよ?)
僕(針千本だから、明日は学校に来てもらわないと困るんだけど)
僕(明日は席替えだってするって先生言ってたしさ)
僕(現実が無理ならせめて夢だけでいいから……)
僕(だからおやすみ……女……)
夜が終わり、また朝が来る。
朝になれば彼女に会える。
そう信じて、僕は眠った。
先生「女ちゃんは……今日もお休みね」
僕(やっぱり……ね)
何となく今日も会えない気はしていた。
早起きして教室に一番乗りしたけれど、結局彼女が来る事はなかった。
僕(どうしちゃったのかな女……)
先生「では、一時間目は言っていた通りに席替えを……」
ワーッ、と教室が活気付いている。
学生にとって席替えは一大イベントだから、無理もない。
でも、今の僕には何一つ喜ぶ事が出来ない。
僕(……ん?)
隣「……」
同じように喜んでいない人間が、もう一人だけいたみたいだ。
先生「ええっと、あとクジを引いていないのは僕君と隣君だけよ?」
隣「は、はい!」
僕(ダラ~ッと)
とても気だるそうに机に突っ伏している僕と、緊張した様子で教壇に向かう隣。
僕はまるで、やさぐれている不良のようだった。
格好いいとはもちろん思わない、それでもこんな気分なのは……やっぱり。
先生「ほら、僕君も来て。あとは女ちゃんの分を最後に決めちゃえば終わりなんだから」
隣「あ、あの……」
先生の言葉を遮るように、隣が話し出す。
隣「引く気がないなら、勝手に席を決めちゃってもいいんじゃないですか?」
その提案に、クラス全員が驚いた。
僕だけを除いて。
隣「席はどうせあと三つなんですから。この……一番後ろで隣に並んでいる席か、教室の端の一人の席か……」
先生「でも……」
僕「別になんでもいいですよー」
「……女の隣じゃなくていいのかな」
「どうせ休み時間に話すんだからねえ?」
「あ、でも隣も女と一緒に座りたいだろうし……」
隣「!」
「あ~、だからか~……」
僕(……マセガキは嫌いだ)
先生「みんな静かに。ルールだからちゃんとクジで決めないと。ほら、僕くん」
僕(……)
クラスメイトの声に背中を押されたからでも、先生に呼ばれたからでも無い。
女の隣に誰かが座るのが嫌だ。
嫌だった。
先生「じゃあまずは女ちゃんの席を決めましょう」
先生は近くにあったクジを一枚、簡単に取る。
これで彼女が一人席だったら、笑ってしまう所だ。
先生「……二つある内の片方ね。こっち」
黒板の図に、キュッと女の名前が加えられる。
「お一騎討ちだ~……」
隣「ね、ねえ。ど、どっちにする!」
声援に煽られるよう、隣はクジを力強く指差している。
僕「こっち」
自分も力を入れず、簡単にクジを引いてみる。
先生「それでいい?」
隣「ま、待って! やっぱり自分がそっち!」
僕(くじ引きの意味が無い……)
隣「あ……」
僕「はい」
先生「うん。じゃあ隣君が端の席で、僕君が後ろの席ね」
隣「……」
僕(また、落ち込んでる)
僕(……女)
誰も座っていない机に目が拐われる。
いつもだったら、そこに座っている彼女にピースとか、少し調子にのった仕草もするんだろうけど……。
先生「じゃあ、席をみんな移動させて~」
席は隣でも、彼女はそこにいない。
僕(女の机、運んでやるか……)
僕(……軽いや)
空っぽになったままの彼女の机が、妙に寂しく感じた。
母「僕ちゃん? 起きて、遅刻しちゃうわよ?」
僕「ん……」
母「ご飯食べて。学校の用意は?」
僕「用意は大丈夫だよ。ギリギリこれで間に合うから」
一番乗りした昨日と違い、今日はいつもの生活リズムに戻っていた。
僕「いってきます」
元気なく、僕はまた学校へ出掛けていった。
「ねえ、もう大丈夫?」
「昨日席替えしてね……二人が……」
「あ、来たみたいよ……」
僕「?」
僕の机の周りに人だかりが出来ている。
人数に比例して教室の中はガヤガヤと騒がしくなっている。
しかし……ただ騒がしかっただけでは無い。
更に興奮が混じったような、元気な声が教室に響き、僕の耳に聞こえている。
僕「……あ」
よく見ると、人が集まっている僕の机の椅子には、誰かが既に座っている。
「ね……その二人でくじ引いたお話、聞かせて?」
話の中心になっている彼女の周りに、みんなが集まっている。
ただそれだけの事だった。
「へえ、僕ちゃんが引いたんだ。よかったね~、私の隣になれて」
子供をなだめるように、彼女ば僕に笑ってくれる。
「宿題もわからない所も全部教えてあげるからね~?」
一年生の問題で、よく言うよ……。
「あ、そう言えば挨拶してなかったよね。おはよう」
僕「……おはよう女。」
女「うん、ただいま。僕ちゃん」
僕の席には、彼女が座っていた。
笑顔の彼女がここにいる。
記憶も時間も止まらない、彼女の隣の席で僕の二学期は始まった。
僕「ねえ、そこ僕の席なんだけど」
女「知ってるよ?」
僕「どいてよ、カバンが置けないよ」
女「知ってるよ?」
僕「……」
女「あははっ、ごめんごめん。はいっ。どうぞ」
当たり前のように、彼女とふざけあう事から一日が始まる。
僕「帰ってきたんだ?」
女「うん」
僕「何かあったの?」
女「……」
女「ちょっと入院しちゃってたの。お母さんも付き添いでさ」
僕(入院?)
「治ったの?」
「学校来て大丈夫?」
女「うん! 今は元気に復活したよ!」
僕「……」
「そうなんだ~!」
「よかった~」
女「えへへっ~」
僕にはわかっていた。
だから小さく、誰にも聞こえないように耳元で囁いてあげた。
僕「嘘つき……」
キーンコーン
カーンコーン
女「あ、先生きたよ」
彼女の一言で、机に集まっていたみんなは自分の席に戻っていく。
視界が開けた先には、不機嫌そうに窓の外を見つめていた隣がいた。
僕「……」
僕は彼をあまり見ないようにした。
女「一時間目は漢字の書き取り~」
彼女も彼女で、先ほどの言葉には反応してくれない。
僕(川、花、口……月、日……)
授業は相変わらず退屈だった。
何も考えずに受ても問題無い。
一年生の漢字では優越感に浸る事もできなかったけど。
僕の視線は、すぐに隣の女を見ていた。
彼女は机に目を向け、熱心に鉛筆を動かしている。
僕(そんなに一生懸命やらなくても……)
小学生らしく、何かイタズラしてやろうか。
そう思った矢先だった。
女「……はい」
小さな声と一緒に、破られた一枚のノートが渡された。
女『どうして嘘だってわかるの?』
授業中のお手紙交換、というやつだろうか。
僕「?」
彼女「……」
驚いて彼女を見つめても、視線をこっちには向けてくれない。
だから僕も手紙を書く事にした。
僕『なんとなく。嘘っぽかったから』
スッと手紙を彼女の手元に返す。
僕(元気に嘘をつくときは、無駄に明るくなるのが彼女の癖だから……)
女『みんながいたから。話したくなかった』
僕『なんとなくわかるよ~』
記憶の中から、彼女の問題になりそうな部分を掘り起こしてみる。
彼女に関して心当たりがあるのは、両親の問題だけだった。
だから多分……。
女『あのね、お父さん出ていっちゃったんだ』
僕『うん』
それだけ返すと、僕は黙って彼女からの手紙を待った。
女『もう前からお父さんとお母さんは別居してたんだけど……夏休みが終わる前に本格的に離れる事になっちゃってさ』
僕『離婚?』
女『ううん。そういう話はまだ』
僕(確か大学の時でも……離婚はしてなかったかな。問題でゴタゴタしていたのは聞いていたけれど)
女『だから最初ちょっと休んじゃって、ごめんね?』
手紙の中では、彼女はとても素直だった。
そんな性格を僕は知っていた。
嫌な記憶も、辛そうな過去の出来事も、彼女に対する記憶は僕の頭に残っている。
僕『大丈夫だよ。あ、針千本じゃなくて駄菓子を買ってくれるだけでいいから』
女『……』
女『ガムでいい?』
僕『またガムなの……』
女『あははっ。この話はまた後でね』
僕『わかった~』
手紙を返すと、小さくなるまで折り畳み、それを彼女の筆箱にしまっていた。
僕(ガム、か……)
放課後、彼女と駄菓子屋に一緒に行く。
残りの授業は、この約束で頭がいっぱいだった。
僕と彼女の間では、あれだけでちゃんとした約束になる。
彼女もきっと、そう思ってくれているはずだ。
僕(あ、でもその前に給食が……)
先生「じゃあみんな~。いただきます」
「いただきます!」
元気な声でお昼が始まる。
眼鏡「ぼ、僕ちゃん。牛乳飲んで?」
僕たちのクラスでは、近くの四人で机を向かい合わせ、一つのグループでご飯を食べる事になっている。
僕の前の席にいる眼鏡ちゃんが、給食中は隣になる。
女「コロッケおいし~」
そして隣にいた女とは正面同士になる。
眼鏡ちゃんから牛乳を受け取り、グビグビと一口に飲み干す。
女「僕ちゃんちっちゃいから牛乳たくさん飲まないとね?」
やっぱり、何をしても彼女は僕に笑いかけてくる。
女「今から牛乳飲まないと将来……くすっ」
僕(二十何歳の姿を知っているくせに……)
彼女の笑顔は、絶対にそれをわかって言っている。
僕「……女ちゃんも、牛乳飲んだ方がいいよ。少しでも将来に胸がおおき……」
そこまで言うと、机の下の膝辺りにぶっきらぼうな衝撃が飛んでくる。
僕「あづっ!」
眼鏡「ど、どうしたの僕ちゃん……?」
僕「あ、足が……」
女「あら、保健室行く?」
僕(本気で蹴るなよバカ……)
女「くすっ」
僕もまた、彼女の体がそこまで大きく成長しないのを知っていた。
僕「まだヒリヒリするや……」
駄菓子屋に着いてからも、足の痛みは治まらず、僕一人でヒイヒイ言っていた。
女「ねえ眼鏡ちゃん。チョコだよチョコ」
眼鏡「あたしはえびせんべいのが食べたいかな~」
いつものメンバーで帰りたい、と彼女が言い出したので、眼鏡ちゃんもそのまま一緒に駄菓子屋に来る事になった。
一応隣にも声はかけたけれど、僕の顔を見たらやはり一目散に逃げて行った。
相変わらず嫌われているようだ。
女「はい、僕ちゃんにはガムあげるね~」
僕「あ、ありがとう」
……
九月の帰り道。
僕と彼女の指切り針千本は、こうして簡単に果たされてしまった。
僕(ま、彼女が戻ってきたんだからいっか……)
ペリペリとガムの包みを剥がそうとする僕の手元に、今度は別のガムが渡されてくる。
僕「?」
視線を向けると、眼鏡ちゃんが俯きながらガムを僕に渡そうとしている。
彼女もまた、とても小さな手をしていた。
眼鏡「あ、あたしも……これ」
僕「あ、ありがとうね」
眼鏡「うんっ!」
眼鏡ちゃんは元気に、いつの間にかちょっと離れた場所にいた、彼女の元へ駆け寄っていった。
眼鏡『渡せたよ!』
女『よかったわね~』
表情からこんな会話がされてるんだ、と何となくわかってしまう。
記憶がある限り、鈍感な僕にはなれないみたいだ。
僕(……)
僕は、手に持った二つのガムをポケットにしまう。
僕(……学校帰りに買い食いや道草はダメだから)
多分そんな理由じゃないけれど。
僕は自分にそう言い聞かせながらまた歩き始めた。
眼鏡「ばいば~い!」
眼鏡ちゃんと元気に別れ、僕たちはまた二人きりになった。
すぐに女の家には着いてしまうけれど、久しぶりの嬉しさがある。
女「ガム貰えてよかったね~」
僕(どっちの?)
女「大切に食べてあげてね?」
僕(ああ、眼鏡ちゃんの方ね)
二人が物をくれた意味はそれぞれ違う。
僕と彼女にはそれがわかっている。
でも眼鏡ちゃん自身は多分……彼女と同じ気持ちでガムを渡せた、そう思ったんだろう。
僕「……大切に食べるよ」
おうむ返しに生返事。
拗ねてるわけじゃない。
彼女の家に着いてしまったから、それが少し残念なだけだったんだ。
僕「じゃあ、またね。ちゃんと学校来なよ?」
いつもはこんな事を言わないが、今日は何だか特別だった。
女「うん……また、ね」
僕「……」
女「……」
挨拶の後も、彼女は家に入ろうとはしない。
僕たちはお互いを見つめて固まってしまった。
女「ねえ僕ちゃん……ちょっと、お家寄ってかない?」
僕「……?」
女「お願い、ね?」
僕「お邪魔します」
女「あ、誰もいないから平気だよ。適当にあがっちゃって」
誰もいない?
女「あ、玄関段差あるから気をつけてね」
言われるままに通されたのは、障子と畳で綺麗に間取りされた居間だった。
僕(十年くらい前の田舎町にしては綺麗な家かも……)
確か貸家だと聞いていた。
家賃はいくらなんだろう。
この地域の相場は確か……。
一人で考え込んでいたが、アパートや家など地元では借りた事がなくて、逆にわからなかった。
女「今、お茶持ってくるからね」
彼女はそのまま台所に消えていった。
僕(箪笥に、テレビに、テーブルに……)
家具は一通りが揃っている。
この居間が八畳程だろうか。
少し手狭に感じてしまうのは、三人分の衣類が入りそうな少し大きな箪笥。
それに、お皿を多目にのせられるような大きなテーブルがあったせいだろうか?
僕(……)
女「お待たせ~。ココアでいいよね」
そこに元気な彼女が一人加わる。
それだけで、部屋がまた狭くなったような気がした。
僕「お茶じゃないの?」
女「甘いの好きでしょ?」
僕「わかってるね」
女「当たり前だよ!」
自信満々にそう言う彼女の手元には、ココアを入れたカップが二つ。
片方のカップの臨界点からは、山盛りになった砂糖がひょっこりと顔を出している。
僕「……」
女「ごめんね、溶けきらなくって……」
嘘でもわざとでもいい。
僕はそのココアを一口飲んでみる。
僕「……あま」
女「やっぱり?」
僕「でも……美味しいや」
彼女が作ってくれた飲み物だから。
何をされても僕は多分美味しく飲める。
女「くすくす、僕ちゃん将来糖尿病になっちゃうよ? 砂糖入れすぎだもん、それ」
僕「……」
意地悪に笑われても多分……美味しいんだろう……か。
彼女との談笑は続いた。
目の傷がそろそろカサブタになりそうな事、運動会の練習事。
秋に学校で行われる文化イベントのための合唱の事……。
時計はもう夕方六時を指している。
僕「あ、そろそろ帰らないと……」
最近は陽が落ちるのも早くなり始めている。
一年生が歩き回るにはどこか不安が残る。
女「……」
僕「じゃあ、また。今日はありがとう。ごちそうさま」
言葉を終え、立ち上がろうと足に力を入れた瞬間……。
女「やだ……」
彼女の言葉と指が、僕の洋服をキュッと捕まえる。
僕「な、何が……?」
確認するように、問いかける。
女「帰っちゃやだ……」
返ってきたのは僕が予想した通りの言葉だった。
女「今日はお家に誰もいないの、だから……だから……」
大学生のままの彼女がこのセリフを言えば、僕も今とは違う意味で捉え、彼女を抱きしめていたんだろう。
僕(でも……)
女「一人は嫌だよ……寂しいんだよ……」
彼女は怯えていた。
遊んで、お友達とバイバイしたくない。それだけのはずなのに。
それだけじゃないのが、やはり僕にはわかってしまう。
僕「女……」
女「お父さんもいないし……お母さんもお仕事増やしちゃったから夜はいなくなっちゃうし……」
女「一人でお留守番してご飯食べるなんてやだよ……いやだよ……」
彼女は泣きながら、僕の首筋辺りに抱きついていた。
ぬるい涙がじゅっ、と僕の頸動脈に吸い込まれているような感覚だ。
女「この記憶だと……聞こえちゃうんだよ。二人が言っている事全部、理解できちゃうんだよ……」
女「お金の事、住居の事、私の事……難しい単語も今の私にはわかっちゃうんだよ……!」
女「もう一度記憶と同じ事を体験するなんて、つらすぎるよ……」
記憶も中身も全部。
子供のままだった昔。
彼女はこんな風に泣いていなかったのかもしれない。
記憶と半端に残っている知識のせいで、目の前の彼女はこんなにも子供みたいに泣いている。
知ってしまっている分、子供よりつらい泣き方なんだろう。
僕に抱きついて大声で泣いているその姿は、小学一年生のままの彼女だった。
泣いて、泣いて、泣いて……。
ずっと僕はその間、ただ彼女の頭を撫でてあげる事しかできなかった。
女「……」
女「ありがとう……」
泣き声が小さくなり始めた頃、彼女から感謝の言葉が聞こえた。
僕「……落ちついた?」
女「うん……。あははっ、グスッ。シャツたくさん水吸ってる」
鼻を啜りながら、彼女はいつもの雰囲気に戻っていく。
笑いながら元気な声を出そうと一生懸命な彼女に。
僕「もう大丈夫?」
女「うん……多分、平気だから。ありがとう僕ちゃん」
ぎこちなく笑っている彼女。
そんな彼女に僕は、まだ少しカップに残っていた彼女のココアを渡してあげる。
僕「はい。冷めちゃってるけど……」
女「ありがと……」
カップを受け取り、そのままコクッと、小さく彼女の喉が鳴る。
僕「どう?」
女「……なにこれあまっ。これ僕ちゃんのカップじゃん」
僕「え……あ……」
女「くすっ。わざとじゃないんだね」
僕(やっぱり全部見抜かれてるんだな……)
僕はわかりやすい。
女「でも……」
僕「……?」
女「僕ちゃんがくれた物だから、おいしい……」
素直になった時の彼女も……すごくわかりやすい。
同じ人が作ったココアを、僕たちは同じカップで飲んでいる。
二人で同じ物を飲んでいるはずなのに、僕たちはお互いに違う味を感じていた。
僕はそれを不思議とは思わなかった。
女「こんなの笑顔で飲んでたんだから……本当に僕ちゃんて甘いの好きだよね」
僕「女が作ってくれたから、何でも美味しいんだよ」
女「……ばーかばーか」
僕「悪口も一年生かよ……」
女「ふふっ。僕ちゃんのばーか」
僕「じゃあ女だって……ばか……だよ」
女「そんなに優しく言われても悔しくないよーだ、ばか僕ちゃん。ふふっ」
無邪気に笑う僕たちの笑顔は、ほんの少しだけ昔に戻った気がした。
こうして、僕はお家に帰って行った。
笑っている彼女の姿が、道端の外灯に照らされて優しく揺れていた。
女「おはよう、僕ちゃん」
僕「おはよ」
朝一番で挨拶をしてくれる彼女。
僕(目の辺りに、新しく泣いたような痕跡は無い、か)
ちょっとだけ安心をする。
女「んふふ~」
僕「?」
座ってから一番、彼女はこっちに笑いながら顔を近付けてくる。
僕「な、何?」
今回みたいに唐突に笑顔を向けてくる時は、答えの予想がつかない。
女「はい、これ!」
手渡されたのは薄い紙袋に入った……ノートのような物体だった。
中身まではまだわからない。
僕「なに、これ」
ガサガサと袋を開けようとすると……。
女「まだだめっ。帰ってから!」
すぐに彼女にその手を止められてしまう。
僕「どうしても?」
女「どうしても!」
僕「まあ、何でもいいんだけどさ」
わざと興味のないフリをして、僕はランドセルにそれをしまった。
女「うん!」
本当は彼女の言葉を聞いた瞬間から、家に帰りたくて仕方がなかったけど。
その日はなんだか、早足で家に帰っていた記憶がある。
自宅のテーブルで僕は袋を乱暴に開けている。
妹「おーちゃん、おーちゃん」
妹が甘えてきても、今はダメ。
テレビをつけてあげると、妹はすぐにそっちに顔を向ける。
それはそれで悲しかったけど。
僕「今は袋だ、袋」
中から顔を出したのは……受け取った時から感じていた通り、一冊のノートだった。
薄い紫色をした、綺麗な表紙のノートだ。
授業に持ってくる感じの物では、もちろん無い。
僕「……」
その表紙には彼女の字で、デカデカしながらも整った字でこう書かれていた。
『交換日記』
女『こんばんは。昨日はありがとう。おかげで今こうして落ち着きながらこれを書けちゃってます』
砕けた感じの文章。
何色ものカラフルペンでデコレーションされている。
うまく表現できないのが残念だ。
女『でもやっぱり夜にメールも出来ないのは寂しいから……こうして勝手に交換日記を始めちゃってます!』
僕「日記、ねえ……」
居間にはテレビから流れるアニメの主題歌と、それを歌おうとはしゃいでいる妹の声だけが流れている。
昨日、僕がずっとここにいる、今日は帰らない。
その言葉を聞いて一瞬驚いたような表情の後、彼女は笑顔で言ってくれた。
女「ありがとう。でも、もう大丈夫だから……もう元気だから」
嘘をついている表情ではなかった。
僕は彼女の言葉をそのまま信じ、家に帰っていった。
夜八時に帰るだけで両親に怒られるとは思わなかったけど……。
僕「あのあとこれを書いていたのかなぁ……」
涙の痕ができていない理由がわかった気がする。
僕「さて、何を返事にすればいいのか……と」
鉛筆を取りだしノートに向かう僕は、一年生になってからのこの半年間で、一番熱心な顔をしていたんだと思う。










































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