
15:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/11(月) 10:10:15.96:0Dy5aldC0
「キョンくん――、はやく――ないと――来ちゃうよ」
穏やかな目覚めだった。
目覚まし時計の甲高い金属音でも妹の喧しいあだ名の連呼でもない、
どこまでも優しいメゾソプラノの美声の持ち主が、俺の耳のすぐ傍で、何事かを囁いていた。
「う……ん……?」
微睡みと覚醒の微妙な中間地点で、眠気に抗い、薄く目を開けてみる。
眼と鼻の先3センチもないところに、真っ白な壁がそそり立っていた。
頭を動かすのも億劫で、視線だけを動かすと、
どうやらその白亜は豊かな曲線を描いているらしく、
視界の端には――これはなんだろう――桜桃色の突起がある。
ほぼ無意識で鼻先を押し付けると、得も言われぬ弾力に押し返された。
加えてこのすべすべとした絹のような肌触りのよさ。
これはきっと夢だ。間違いなく夢だ。
どうせあと数分もしないうちに、俺は無慈悲な目覚まし時計あるいは無遠慮な妹によって、現実世界に起床せしめられる。
今はこの感触を、楽しめるだけ楽しめばいいのさ。
本能的希求に従い、思い切り顔を埋める。
またしてもすぐ傍で、くすぐったそうな声がした。今度は明瞭に聞き取れた。
「キョンくん起きて、はやく服着ないと妹ちゃん来ちゃうよ」
その声を、俺はよく知っていた。
忘れるわけがない。忘れろという方が無理な話だ。
恥も外聞も捨ててベッドから転がり落ちる。
カーテンの隙間から差し込む朝日の中、豊満な裸体をシーツでくるんだ朝倉涼子が、無様に腰砕けた俺を見つめていた。

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23:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/11(月) 10:31:50.92:0Dy5aldC0
「いったいどうしたの?」
「どうしたのもこうしたもじゃねえ。
どうしてお前がここに、俺の部屋にいるんだ!?
それになんで俺とお前は、その、……裸なんだよ!?」
「記憶が混乱しているのね」
きょとんとした表情から一転、慈しみに満ちた微笑を浮かべる朝倉。
「どこから説明しようかな」
三角座りになり、片頬に指を当てる仕草はたまらなく妖艶で、
しかし脳裏に刻み込まれた記憶が、俺が朝倉にとって然るべき態度を思い出させた。
こいつは俺を二度殺そうとした。
未遂に終わったからよかったものの、助けが来なけりゃ確実に俺は死んでいた。
動悸と目眩がいっぺんに襲いかかってくる。ついでに吐き気も三秒遅れて到着した。
ああくそ、δ波からβ波まで、こんなに急激に脳波が遷移する朝は初めてだ。
俺は言った。
「出て行ってくれ」
朝倉は激昂し白刃を俺に突き立てる――こともなく、素直に応じた。
「わたしもそれがいいと思うわ。
妹ちゃんにこの状況を見せるのは不適切だものね?
学校で会いましょう。キョンくんが落ち着いたその時に、質問に答えてあげるわ」
すぅっと、空気に溶け込むみたいに朝倉の姿が消えていく。
いつか長門がしていたような、ナントカ遮蔽フィールドなるものが展開されたのだろう。
25:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/11(月) 10:53:50.09:2lsAJQc00
俺の傍を通りすぎる気配さえもなく、朝倉はいなくなった。
これはすべて夢、でなければ微睡みが見せた幻覚だった、と現実逃避したいところだが、
シーツに残る体温と女の子特有の甘い匂いが、
完膚なきまでに想像の余白を黒インキで塗り潰している。
とりあえず服を着よう。
妹は俺の裸など見慣れているが、朝っぱらから兄が全裸で腰砕けている状況を、
説明しろと言われて真実を暈しつつ言い訳できる自信はまったくない。
妹がおふくろにいいつけでもしたら、事態は最悪の一途を歩む。それだけは避けたい。
「スウェットどこにやったっけ……」
ベッドの上を探る。妹の足音が聞こえはじめたあたりで、時間との勝負が始まる。
上は枕のそばにあった。下はなぜかベッドの真下にくしゃくしゃに丸まっていた。
「キョーンーくんっ。おっはよー!」
「あ、ああ。おはよう」
間一髪。スウェットの下をヘソのあたりまで一気に上げたのと同時に、妹が部屋に入ってきた。
「今日はじぶんでおきたんだねー。えらいえらい。
ごはんもうできてるよー」
「すぐ行く」
いつものやりとりを終えて、妹は階下へ。
妹は気付かなかったようだが、実のところ、俺は「すぐ行く」と答えるのが精一杯の状況だった。
スウェットに足を通したときに感じた股間の違和感は、思春期のあの日を想起させる。
ああ、これが夢精ならどれだけよかっただろう。
しかし悲しいかな、俺の混濁した記憶は眼窩をスクリーンに、昨夜のダイジェスト版を勝手に上映し始める。
いくら寝ぼけていたとはいえ、裸の朝倉を見た時点で気づくべきだったのだ。
まったくもって信じがたいことだが――俺は朝倉と寝ていた。
31:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/11(月) 11:08:09.06:AR8bVdkH0
33:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/11(月) 11:22:05.22:0Dy5aldC0
惨憺たる気分で通学路の急勾配を歩く。
熱も咳も鼻水も出ていないが、この欝な表情を見せるだけで、医者は登校不可の診断書をくれるだろう。
しかし仮病を使って休んでみたところで、事態はいっこうに進展しない。
逃げているだけではどうにもならないことを、俺はこの二年間で学習したつもりだ。
「よーっす、キョン。死人みたいな顔してるぜ」
肩を叩かれ、振り返ってみれば、
「谷口か」
「テンション低いなー。昨日何かあったか?」
「何もねえよ」
こいつに打ち明け話をするのは、ホームルームでクラスメイト全員に話しているのと同じだ。
まあ、本当のことを言ったところで「朝倉と寝た?妄想もほどほどにしとけ」などと一笑に付されるだけだろうがな。
とにもかくにも、今は自分の認識と世界のズレを修正する必要がある。
「キョーンー、いいから言えって。人生経験豊富な谷口様が聞いてやるからよ」
「なあ、朝倉はいつカナダからこっちに帰ってきたんだ?」
「な、なんだよいきなり。
あいつが帰ってきたのは二週間前で、キョンも涼宮と一緒に歓迎会来てたじゃねえか」
記憶にない。俺が?ハルヒと一緒に?朝倉の帰国を祝った?
ありえない。もしも朝倉が目の前に現れたら、俺が取るべき選択肢は一つだ。
他力本願と笑われようが知ったこっちゃねえ。
長門に連絡して、可及的速やかに朝倉をカナダに蜻蛉返りさせるのさ。
35:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/11(月) 11:52:46.22:0Dy5aldC0
俺が黙っていると、谷口は勝手に喋りだした。
「おいおい、もしかしてキョンの悩みは朝倉絡みか?
親友として忠告しといてやるけどな。
朝倉と付き合おうなんて夢の夢のそのまた夢みたいなことは考えないほうがいいぜ。
朝倉は一年の空白期の間にAA+からAAAに進化しちまった。
もはや俺たちみたいな凡人が太刀打ちできるレベルじゃねえんだよ。
キョンは席が近いから、結構話す機会も多いみたいだけどな、変に期待したら、後悔するぜ。
美人は無意識に男を惹きつけ、これまた無意識に失恋させるんだよ。
あっちは性に開放的だから、朝倉も色々経験して、
同じくらい経験してる男以外には満足できねえ体になってるだろうな。
はぁ……、朝倉の胸揉みてえ。あれ揉めたら死んでもいいぜ、俺」
朝方その胸に顔をうずめてきた、とは口が裂けても言えない。
くだらない猥談を大きな声でべらべらと語る谷口と、他人と思われる程度の距離をとりながら歩いていると、
北高指定の制服姿が増えてきた。自然と歩調が落ちる。気が重い。
それでも無情に距離は詰まり、俺は校門をくぐり、昇降口を通り、教室の戸の框を踏んだ。
ええい、ままよ。
瞑っていた目を開く。
「それでね、お父さんったら……あらキョンくん、おはよう」
「遅いわよ、キョン。もっと時間に余裕をもって登校しなさいよね」
ハルヒは小馬鹿にしたような顔で、朝倉は委員長然とした爽やかな笑顔で、俺に視線を注いでいる。
俺はのろのろとした足取りで自席についた。
背後のハルヒと右斜め後ろの朝倉が談笑を再開する。
なんだ。なんなんだこの自然さは。
収まっていた動悸が、ゆっくりと、次第にスピードをあげて肋骨をたたき始める。
「どうしてお前がここにいる?」
38:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/11(月) 12:20:39.84:0Dy5aldC0
「どうしてって……ここはわたしの席じゃない?」
「俺が言っているのは、そういう意味じゃない。
どうしてお前がこの世界に存在してるのか聞いてるんだよ」
「キョン、あんたさっきから何言ってんの?話の邪魔をするなら、」
「うるさい、お前は黙ってろ!」
びくりとハルヒの体が震える。
しん、と静まり返った教室の空気に、俺は一年前の冬の日を思い出した。
ハルヒが消えて、朝倉がいて、朝比奈さんや古泉や長門が一般人化した、あの、悪夢のような世界を。
朝倉は困ったように目を細め、
「ごめんなさい。わたし、本当にキョンくんが何を言っているのか分からないの」
どこまでも白を切るつもりらしい。
俺が激情のやり場を机に定めたそのとき、がらがらと間の抜けた音がして、担任岡部がやってきた。
「お、今日はやけに行儀がいいな」
入れ替わるように教室を出る。
「気分が悪いので保健室に行ってきます」
流石にどこの教室でもHRが始まっているらしく、廊下はがらんと空いていた。
同じ轍は踏まない。
俺は真っ直ぐ教員室に行き、おっとりとした雰囲気の若い事務に、
岡部に頼まれて学籍簿の一部をコピーするよう頼まれたと嘘をついた。
事務さんはとくに怪しむこともなく、学籍簿を目の前に広げてくれた。
二年――朝倉涼子の名前が当然のように記載されている。
俺は続いて、SOS団のメンバーの名前も一緒に探した。
古泉は特進クラスだから、簡単に見つけることができた。この世界ではきちんと北高に在籍しているようだ。
44:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/11(月) 13:13:43.54:0Dy5aldC0
朝比奈さんも三年次に文系コースに決めたことを知っていたので、こちらも名前を見つけることができた。
もちろん名前欄の下を辿れば、鶴屋さんの名前がある。
「ありがとうございました」
「コピーはしなくてもいいの?」
聞こえなかったフリをして足早に職員室を去る。
事務の人がおっとりした外見通り、俺の来室もさっさと忘れてくれることを祈る。
俺は自分の教室でも、古泉の教室でも、朝比奈さんの教室でもなく、文芸部室を目指した。
鍵はあいていた。物にあふれたこの部屋も、人がいなければ殺伐としている。
パイプ椅子に座り、机に突っ伏した。
窓際の椅子はからっぽで、差し込む太陽の光の中で、埃が虚しく踊っていた。
"ここにも"長門はいない。
当たり前だ。学籍名簿のどこを探しても、長門の名前は見当たらなかった。
肝要なのは、ここで取り乱さないことだ。
まずは朝目が覚めてから今までに起きたこと、そして得られた情報を総合しなければ。
朝倉が俺の部屋からこっそり抜け出すために情報操作していたことから、
この世界は超常現象が人知れず跳梁跋扈していることを認めているようだ。
古泉は超能力者、朝比奈さんは未来人という設定を保っている。
ハルヒの環境を変化させる能力もそのままだと考えていいだろう。
謎は三つ。
なぜ朝倉が復活しているのか。
なぜ長門がどこにもいないのか。
なぜ俺は朝倉が復活して以来二週間の記憶を失っているのか。
47:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/11(月) 13:39:20.76:0Dy5aldC0
古泉や朝比奈さんに尋ねたところで、
ハルヒと同じ様に、朝倉が存在していることを当たり前と認識している可能性大だ。
俺が二週間分の記憶を喪失していることについても、それはあくまで俺個人の問題に違いない。
ああ、長門よ。どうしてお前はこんな肝心なときに消えちまったんだ。
一番頼りになる人間、否、ヒューマノイドインターフェイスがいないことは、
問題解決における最大の端緒が失われたにも等しかった。
俺はせめてもの手がかりと、本棚に詰まった本の頁を手当たりしだいにめくりはじめた。
どうか長門からのメッセージが綴られた栞か何かが挟まっていますように。
没頭すること数分。ふいに、柔らかい何かが背中に触れた。
「こんなところで何してるの?授業はもう始まってるわよ?」
「授業なんてどうでもいい。俺は今――あ、朝倉!?」
俺は飛び退き、結果、派手に本棚にぶつかった。
数冊のハードカバーが鋭い一撃を俺の頭頂部に叩き込みつつ床に散らばったが、そんなことはどうでもいい。
50:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/11(月) 13:55:12.26:0Dy5aldC0
朝倉はにこにこと屈託のない笑みを浮かべて、
「さっきはびっくりしたわ。
キョンくんったら、みんなの前でいきなりあんなことを言うんだもの。
後で涼宮さんに謝ってあげてね?
彼女、あなたに怒鳴られて少し傷ついていたみたいだから」
とまあそんなことを言った。
一方、俺は朝倉と距離を取ることで、頭の中がいっぱいだった。
こいつの一挙手一投足に、呼吸が乱される。
繰り返すが、こいつは俺を二度殺そうとしているのだ。
谷口が朝倉の容姿をAAAと評するなら、俺は朝倉の危険度をSSと評する。
「立ち話もなんだし、座らない?
キョンくん、今にも倒れそうなくらい酷い顔よ」
誰のせいだと思ってやがる。
朝倉はくるりと踵を返し、勝手知ったるといった風にお茶を入れ、二つの湯のみに注いだ。
53:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/11(月) 14:31:40.67:0Dy5aldC0
俺は朝倉が座るのを待ち、対面を避けて座った。
もちろん湯のみには手をつけない。
「今度は、質問に答えてくれるんだろうな」
「ええ。わたしの答えられる範囲内でなら」
「どうして朝倉がここにいる?」
「長門さんの代わりよ」
「代わり?」
「長門さんが涼宮さんとその環境の観測手であることは知っているわよね」
頷く。
「長門さんはプールした観測データを、高度に暗号化して情報統合思念体に送信していたの。
でも、彼女がいくら複雑なアルゴリズムを構築したところで、傍受されるリスクは常にある。
その問題を、彼女は、彼女自身が暗号鍵となることで解決しようとした。
あのね、キョンくんはここまでの話に着いてこれてる?」
俺は正直にかぶりを振った。
長門が暗号鍵になってそれがどんな風に長門の不在に繋がるんだ。
「分かりやすく言うとね、長門さんは自分を、データを復号するためのブラックボックスにしたの。
ある値を代入すると、定められた法則性に従って、別の値が出てくる関数を想像してもいいわ。
長門さんが自らの意志で復号しようとしなければ、データは無意味な情報素子の山でしかない」
朝倉は美味しそうにお茶を啜り、
「実は二週間前から、長門さんはプールしたデータの復号作業をしているの。
復号中の長門さんは最低限の機能を除いて停止するから、観測手の役割は別の端末に一時交代する。
そして、その役目を任されたのが、わたしというわけ」
58:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/11(月) 16:27:49.97:0Dy5aldC0
「どうしてお前が選ばれたんだ?」
「手っ取り早くて、確実だったからじゃないかしら。
新しい端末を配備するには、それなりの準備と労力が要るの。
その点、わたしならほんの少し情報操作するだけで、
自然に、涼宮さんの環境に溶け込むことができるわ」
「長門はいつ戻ってくるんだ」
「ふふ、長門さんがいないとそんなに寂しいのね?
でも、ごめんなさい、それはわたしにも分からないの。
キョンくんが心配しているほど長い時間はかからないと思うけど」
「俺の記憶が二週間分なくなっていることについて、何か納得のいく説明ができるか?」
朝倉はぴくりと翠眉を傾け、
湯のみを両手で回しながら、しおらしく呟いた。
「わたしの仕業じゃない、ということしか」
「口止めされて言えないのか。それとも、本当に知らないのか」
「本当に知らないのよ」
俺はがっくりと肩を落とした。
朝倉の話を全面的に信頼するなら、二週間分の記憶を失ったところで、今後の生活に大した影響はないだろう。
そのうち長門が帰ってきて、朝倉はお役御免、俺は平穏な日々を取り戻す。
しかし、ハルヒの不思議パワーを二年間間近で浴び続けていたからかもしれない、
放射能を浴びて突然変異した動植物が如く、とまで言うと大げさだが、
異変察知能力、第六感とも呼ぶべき直感が、この二週間の記憶を取り戻せと警鐘を鳴らしていた。
「質問はこれで終わり?」
「いや、まだだ」
記憶の復元にあたり、避けては通れない道がある。俺は聞かなければならない。
朝方スウェットの下に足を通してからというもの、俺が自分が自分であることに自信を持てなくなった原因を。
61:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/11(月) 16:45:00.65:0Dy5aldC0
「お前は昨日、いつ俺のベッドに忍び込んだんだ?」
「あら、忍び込んだだなんて心外ね。
キョンくんがお夕飯を一緒に食べていかないかって誘ってくれて、
一度家に帰るフリをして、またこっそりキョンくんの部屋に戻って、そのまま一緒に眠ったのよ」
待て待て待て待て。
それじゃあ何か、俺は自分の意志で朝倉を家に請じ入れ、
自分の意志で朝倉と寝床を共にしたというのか。
そんな馬鹿な。
朝倉が復活してから二週間、いったいどんな心境の変化が俺に訪れたんだ?
「本当に全部忘れちゃったのね……」
「その同情するような目をやめろ」
「キョンくん、落ち着いて聞いて。
何も不思議なことじゃないわ。
だってわたしたちは、秘密で付き合ってるんですもの」
絶句した。次いで、乾いた笑い声が漏れてきた。
危険な状況下では恋愛感情が芽生えやすいというが、
危険の元凶が相手の女でも吊り橋効果は働くらしい。
63:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/11(月) 16:56:42.70:0Dy5aldC0
「俺達は、その、どういった経緯で付き合いだしたんだ?」
「わたしがカナダから帰ってきて、偶然席が近くになって、
それから涼宮さんも交えてよく喋るようになって……一週間前に、わたしがキョンくんに告白したの」
フラッシュバックする。
西日に満たされた静かな教室で、両手の指を胸の前で絡ませ、
潤んだ眼差しで思いの丈をぶつけてくる朝倉の姿が。
「ハルヒが、そんなことを認めるわけがない」
「だから、秘密で付き合ってるって言ったじゃない。
涼宮さんを含めたSOS団やクラスメイトの前では、わたしとキョンくんは、ただのお友達よ」
「俺はお前と、何度寝たんだ?」
「女の子にそんなことを言わせる気?」
「あ、いや……、すまん」
無意識に尋ねた内容が、著しくデリカシーに欠けていることに気づき、反射的に頭を下げる。
朝倉は頬をほんのり桜色に染め、
「四回よ」
と呟いた。俺は自分自身に幻滅した。
朝倉と付き合い初めて一週間以内に四回。
まるで猿だ。性の乱れ甚だしい。
69:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/11(月) 17:32:52.46:0Dy5aldC0
俺は朝倉とまともに視線をあわせることもできずに、湯のみに向かって宣言した。
「交際は、解消だ」
「いいわよ」
面を上げる。意外なほどにあっさりと認めてくれるんだな。
「あなたと別れたくなくて、だだをこねると思った?
ふふ、うぬぼれ屋さんなのね」
朝倉は悪戯っぽく笑い、それから、寂しそうな顔をして言った。
「今のキョンくんにとってわたしは怖い殺人鬼。
そんなわたしが交際継続を迫っても、余計にキョンくんの心象を悪くするだけ。
だから、また一からやりなおさなくちゃ」
間違ったことをしたわけでもないのに、罪悪感が胸に去来する。
「わたし、もう教室に戻るね。
キョンくんは少し遅れて来てもらえる?
わたしたちが授業室の教室に一緒に入っていったら、色々と問題があると思うから……」
「そういえば、朝倉はなんと言い訳して教室を出てきたんだ?」
朝倉はくすりと苦笑して、
「秘密。キョンくんは本当に、わたしを恥ずかしがらせるのが好きなのね」
ああ、そうかい。
訊いた俺が野暮だったよ。
95:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/11(月) 20:48:08.37:0Dy5aldC0
二限目と三軒目の休み時間を見計らって教室に戻ると、HR前の騒ぎが響いているのか、
クラスメイトから若干の距離を取られているような気がした。
が、唯一の例外は淀みない足取りで俺のところへ一直線にやってくると、
唇を開き、閉じ、開き、閉じを繰り返し、微かに火照った顔で俺を睨みつけ、
「…………」
まったく、言いたいことがあるなら言えってんだ。
「朝は怒鳴って悪かった。俺がどうかしてたんだ」
「いきなりわけわかんないこと言って、どっか行っちゃって……!
あたしに偉そうな口きいた罪と、あたしを心配させた罪、しっかり償わせるからね」
「はいはい」
「はいは一回!」
お前は俺のおふくろか、と思う。
席に着くと、朝倉は体調の優れないクラスメイトを気遣う模範的な態度と声音でもって、
「気分はもういいの?」
と尋ねてきた。文芸部室の時間が嘘のようだ。
99:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/11(月) 20:57:31.99:0Dy5aldC0
「マシになった」
「あんた朝倉さんにもきちんと謝りなさいよね」
「……悪かったよ」
「いいのよ、涼宮さん。キョンくんも、わたしは全然気にしていないから。ね?
疲れているときって、自分でも思ってもみない行動をとってしまうもの。
わたしにも似たような経験があるわ」
それから朝倉は、他の女子グループに呼ばれて、嬌声の輪の中心に入っていった。
「なあ、ハルヒ」
「なによ」
「俺は朝倉がカナダから戻ってきてから、どんな風にあいつと接してた?」
ハルヒは隙あらば悪態をつこうと尖らせていた唇をすぼめて、
「どんな風にって……キョンのことは、キョンが一番よく知っているでしょ?」
「いいから、教えてくれ」
103:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/11(月) 21:21:18.74:0Dy5aldC0
「そうね、朝倉さんが戻ってきてから、一日か二日は、
なんだか朝倉さんのことを避けてるみたいだったわね。
でも、だんだんあたしと朝倉さんの話に混じるようになってきて、
今では傍目に見てたらイラつくくらい仲良く……って、何言わせてんの!?」
ハルヒがセルフツッコミをいれたそのとき、折よく物理教師が現れ、三時間目のチャイムが鳴った。
お喋りは終わりだ。
二週間の空白のせいだろうか、
黒板上に展開される数式やギリシャ文字はもはや五歳児の描いたピクトグラムのごとき難解さで俺の網膜に写ったが、
試験前に要点だけを詰め込む俺にとっては、差し当たっての問題は朝倉のことだった。
授業中、俺はずっと、二週間前の俺がどんな経緯を経て朝倉と恋仲に陥ったのか、考えを巡らせていた。
手っ取り早い解決策は、斜め後ろの朝倉に直接訊くことだ。
が、ハルヒの地獄耳に盗聴されるのは必至な上、俺の安価ながらもそこそこの強度を誇るプライドが許さない。
堂々巡りの午前が終わり、
昼食を国木田谷口といういつもの面子と共にし、
五、六時間目のナイトキャップにも使えそうな現国を乗り切り、放課後。
「職員室に用事があるから、また後でね」
と含みのある言葉を残して朝倉がいなくなり、
俺はハルヒに教科書類の片付けの遅さについて文句をつけられつつ、
文芸部室へと向かっていた。
189:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/12(火) 23:08:07.14:9+4KQv1S0
「長門がいなくなってもう二週間か」
と俺は探りを入れてみる。
ここで「長門って誰のこと?」などとハルヒが言えば、
俺は朝倉の胸ぐらを掴みに職員室に突っ走っていたところだが、
「短期留学って、一ヶ月くらいが普通じゃない?」
と中期の休学理由として至極まともな答えを返され、
ああ、長門の不在理由はそんな風に誤魔化されているのだと納得した。
文芸部室にあと10メートルと迫った時点でハルヒは勢いよく加速し、
「やっほー」
と死語になりつつある挨拶を叫びながらドアを開けた。
「こんにちわ」
と爽やかなアルカイックスマイルで応えたのは古泉。
「すぐにお茶の用意をしますぅ」
と甲斐甲斐しい動きで急須に手をかけたのは朝比奈さん。
ハルヒがどっかと団長席に座り、俺が古泉の対面のパイプ椅子を引いて、
めでたくいつもの文芸部室の完成だ。
405:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/16(土) 15:22:15.54:NVoWDZ4s0
俺たちが来るまで朝比奈さんと古泉はそれぞれの私事に没頭していたらしい。
古泉の前には理系科目の参考書が積まれ、その横に広がったノートの上には、
古泉の人となりをそのまま反映したかのような繊細で尖った文字が横罫と横罫の間を埋め尽くしている。
朝比奈さんのパイプ椅子の上にはティーン向けのファッション誌が開いた状態で乗っていて、
ふわふわした感じのモデルがこれまたふわふわした感じの服を着ている写真が掲載されていた。
「すみません」
と古泉がちっとも申し訳なさそうな声で言った。
「あなたが来るまでに終わらせようと思っていたのですが。
今日追加された課題も含めて、提出物が山積しているんですよ」
「悪いが、俺にはお前がなんのことを話しているのかいっこうにわからん」
「僕が先日の雪辱を晴らすべく、
今日はオセロの十番勝負をすると約束していたのをお忘れですか」
「その……先日というのは?」
「一昨日だったと思います」
ああ、それなら覚えていなくて当然だ。
「俺には二週間分の記憶がない。オセロの約束も知らん。
だからお前に謝られる謂れもない。
それよりもこの記憶喪失について、何か心当たりがあるなら教えてくれ」
古泉は笑顔を引き攣らせ気が動転した拍子にパイプ椅子から転げ落ちた――ということもなく、
爽やかな笑顔はそのまま、ノートにペンを走らせながらこう言った。
「記憶喪失、ですか。……ふむ。
あなたがこういった冗句を好む性格ではないことを承知で訊きますが、事実なんですね?」
411:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/16(土) 15:50:55.02:NVoWDZ4s0
「お前が承知している俺がどんなだか知らないが、
だいたいの人間は大真面目な顔で自分が記憶喪失にかかったなんて嘘はつかないと思うぜ」
「確かにそうですね。
僕も本心からあなたが嘘をついていると疑っていたわけではありませんよ。
でも、だからこそ、僕は驚いているんです」
古泉は小さく唇の端を吊り上げ、
「記憶を喪ったというのに、あなたは"不自然なほど"落ち着いている。
これも経験則の成せる業、といったところでしょうか」
まあ、わたしは誰ここはどこ状態に陥ったわけでもないからな。
俺は自分の名前を言えるし、自分の家がどこにあるのかも分かる。
ただ、ここ二週間――長門が海外留学することになってから今朝まで――の記憶がすっぽり抜け落ちているだけだ。
「初めに言っておきますが、この件と機関は無関係です。
あなたの記憶を消去する意味がありませんし、
なにより、現代の人類は、
記憶を選択的に消去する科学力を持ちえません」
窓際の空席と、ハルヒに弄り倒されている朝比奈さんを流し見し、
「未来人、あるいは宇宙人には、可能かもしれませんが」
と微笑する。
本心で言っているのか、冗談で言っているのか分からないところに腹が立つ。
生憎、俺が細やかな機微を読み取れるのは、相手が長門のときだけなのだ。
413:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/16(土) 16:32:16.21:NVoWDZ4s0
「それにしても、あなたが誰かの手によって記憶喪失にされたと仮定すると、これは非常に由々しき事態です。
我々が第一に重きをおいているものは、涼宮さんの心の平安です。
あなたの記憶喪失は、彼女にとって格好の不思議となりうる。
どうかこのことは、くれぐれも内密にお願いしますよ」
俺はべらべら喋る古泉に嫌気がさしてきたので、
「別に俺は犯人探しをしているわけじゃねえし、
ハルヒの奴に喋って話をややこしくするつもりもねえ。
心当たりがないなら、黙って首を横に振ればよかったんだ」
「これは失礼。しかし、あと一つだけ、あなたに忠告しておきます。
あなたの記憶が消されたということからは、ふたつの理由が考えられます。
ひとつはあなたの記憶を消去することによって、間接的に涼宮さんの動向を探ろうとした可能性。
ひとつはあなたがここ二週間に見知ったものに、下手人にとって都合の悪いものが含まれていたという可能性」
前者はハルヒの気分を掻き乱す方法としては、あまりに婉曲すぎる。
俺がこうして普段どおり登校し、普段どおりハルヒと接することができている以上、失敗したも同じだしな。
ありえるとすれば後者だ。
「ええ、僕も同じ考えです。
あなたはあなたの与り知らぬところで、もしくは意図的に、
知ってはならないことを知ってしまった。及んではいけない行為に及んでしまった。
それを無かったことにするために、誰かがあなたの記憶を抹消した」
秘密を知った組織の下っ端が、口封じのために殺される。
それのマイルド版が俺の身に起こったのだろうか。
418:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/16(土) 17:03:18.90:V1/cbBzdP
「こんなことはもう起こらないだろうが、いちおう用心する」
古泉は満足気に頷いた。
もしも本気で超常能力を持つ誰かに襲われたら、
同じく超常能力を持つ誰かに守ってもらうしか術はないのが、
これまでも、そしてこれからも変わらない一般人の俺ではあるが、
警戒しないことに越したことはないだろう。
「ところで、お前に頼みごとがあるんだが」
「何でしょう?」
「ここ二週間、俺がどこで何をしていたか、調べてくれないか」
「いいでしょう。言われずとも、そうする気でした。
機関は僕やあなたを含めた涼宮さんの周囲にいるすべての動向を把握するよう努めています。
プライバシーに直接関わることを除けば、
ここ二週間のあなたの行動は、これまでと同様に、
ほぼ全てが記録されていると言っても過言ではありません。
こんなことを聞かせても、いい気分はしないでしょうが」
「助かる」
「お安い御用です」
古泉はそこで並列作業をやめ、携帯を少し弄ると、課題を解くのに没頭しはじめた。
特進クラスの宿題の多さには同情するよ。
手伝ってやる気はさらさら起こらないがな。
424:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/16(土) 18:06:32.98:NVoWDZ4s0
さて、これといったノルマも自主的に勉強する気もない俺は、
茫洋と横たわる余暇を潰すべく、本棚に近づいた。
長門からのメッセージを探すためじゃない。
純粋に読書するためだ。
ハイペリオン、鋼鉄都市、しあわせの理由と重厚なSFが続く中、
上弦の月を喰べる獅子を見つけて、それを手に取る。
『海外のSFばかりじゃなくて、たまには和製SFも読んでみないか』
『………あなたが選んで』
『これなんかどうだ?
いつも読んでるのと趣向が違ってて面白いかもしれないぜ。
借りてみたらどうだ』
森閑な図書館の一角。
長門は擦り切れた表紙を捲り、数頁に目を通し、
『いい』
と首を横にふった。
『そうか……』
『購入する』
それから俺達は書店を巡り、とある古本屋で同じものを見つけたのだった。
喫茶店に戻る頃には、主に俺がへとへとになっていた。
忘れられない、長門との思い出のひとつだ。
パイプ椅子に楽な姿勢で座ったそのとき、ハルヒが出し抜けに時計を見て「遅いわ!」と叫んだ。
特に大きな声でもないのに、霹靂神のごとき大音声で俺の気を引くのはなぜだろう。
神の機嫌に敏感な超能力者に感化されつつあるのか、俺は?
425:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/16(土) 18:30:15.76:NVoWDZ4s0
いったいどうしたんだと尋ねる俺の思いやりを華麗にシカトし、
それまで弄っていた朝比奈さんをもほっぽり出して、ハルヒはのしのしと
文芸部室と廊下を分かつドアに近づき、
「ちょっと職員室行ってくるから!」
と言って出ていってしまった。
何か不始末をしでかしいつ呼び出しをくらうともしれない時を悶々と過ごしていたハルヒが、
緊張感にたえきれなくなり自首したというストーリーが浮かんだが、
そもそもあいつの悪戯に後悔が伴ったためしはなく、(躊躇するような悪戯は最初からしない主義なのだ)
ましてや自首などするわけがないという結論に落ち着いたそのとき、朝比奈さんが隣のパイプ椅子に座り込んだ。
「ふぇえ、疲れましたぁ~」
ハルヒにさんざん胸を揉まれたり脇腹を撫で回されたりしたせいで、
仄かに上気した朝比奈さんは普段の十倍増しに妖艶で、
メイド服の胸元を締め付けるボタンを二つ外せば
MySweetAngelからMyFallenAngelになること請け合いだ。
「ハルヒと一緒に何をしてたんですか?」
「えっとぉ、今度一緒に服を買いに行くことになって、雑誌で下見してたんです。
わたし、欲しい服には予めチェックを入れていたんですけど、
涼宮さんが、わたしの体にきちんと合うか調べるって言って……」
寸法、図られちゃいましたと舌を出す朝比奈さん。
扇情的な仕草に脳みそがやられそうになるが、なんとか堪え、
「ハルヒがいない間に少し話があるんですが、聞いてもらえませんか」
427:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/16(土) 18:38:55.44:NVoWDZ4s0
「そのぅ、古泉くんには?」
朝比奈さんが対面を伺う。
気を遣ったのか偶然かは知らないが、
古泉は両の耳穴にイヤホンを差し込み、
音漏れ上等の大音量で英会話を聞いていた。
シャーペンは間断なく筆記体のアルファベットをノートに書き付けている。
「こいつにはさっき話しました。
……実は、俺にはここ二週間の記憶がないんです。
何か心当たりがあれば、何でもいいんです、言ってください」
朝比奈さんの反応は、予想どおりだった。
残念だが、仕方ないと自分を納得させる。
もしも朝比奈さんが関係しているとしたら、それは現代の朝比奈さんではなく、
もっと未来の、大人版朝比奈さんである可能性が高い。
431:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/16(土) 19:26:30.82:NVoWDZ4s0
だが、朝比奈さんは独自の感性で、
記憶消滅の不審点を洗い出してくれた。
「古泉くんの言うとおり、キョンくんの記憶が消えたのには、
その犯人にとって都合がよかったからだと思います。
でも、それならそれで、どうして二週間まるごと消そうと思ったのかなぁ……。
もしもわたしがキョンくんに恥ずかしいところを見られて、
キョンくんの記憶の一部だけ消せる力があったら、
恥ずかしいところを見られた一瞬だけ消すと思うんです。
そうしたら、キョンくんもこうして記憶を消されたことに気がつかないかもしれないでしょ?」
確かにそうだ。
鈍い俺は「ぼーっとしていた」程度の言い訳で自分を納得させてしまうことだろう。
朝比奈さんは続けてこうも言った。
「キョンくんは、今朝記憶をなくしたことに気づいたんですよね。
詳しくいうと、どの時点で気づいたんですか。
新聞を見たとき?TVを見たとき?それとも、家族と話したとき?」
言葉に詰まった。
目の前に全裸の朝倉が寝ていたとき、と正直に打ち明けられたらどんなに気が楽だろう。
無垢な小動物みたいな双眸をこちらに向ける朝比奈さんにそんなことが言えるはずもなく、
しかし適当な言い訳が思い浮かばないまま刻々と時が過ぎ……。
「たっだいまー!!」
ハルヒが帰ってきた。傍らには同じ背ほどの女生徒を連れている。
やれやれ新しい依頼人か、と顔を注視した俺が馬鹿だった。
口に含んだお茶を噴出し、古泉のノートにドでかい染みを作ってしまったからだ。
俺に一日で三個の肝を潰させた女、朝倉涼子がそこにいた。
434:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/16(土) 19:52:22.85:NVoWDZ4s0
「だ、大丈夫ですか、キョンくん!?」
すかさず朝比奈さんが背中を摩ってくれる。
古泉は何事かとノート、俺、ドア付近へと視線を移し、
すべてを悟ったような神妙な顔になった。
ハルヒは団長席に座り、無様に咳き込む俺を睥睨し、
「驚きすぎよ。古泉くんはもっと怒っていいのよ?ノートが台無しじゃない」
「いいんですよ。わざとではなさそうですし、ノートは換えが利きますから」
俄に喧騒に満ちた文芸部室に、朝倉は悠々と足を踏み入れる。
中央のテーブルを通り過ぎ、さらには団長席を通りすぎて、窓際のパイプ椅子へ。
俺の気管がお茶を吐き出し終えた頃、皆が挨拶を交わした。
「こんにちわ」と古泉。
「どうして遅くなったんですか?」と朝比奈さん。
「定期試験をどうするか、先生と相談していたの。
あっちとこっちでは授業の進み方が違うから……」と困り顔の朝倉。
「朝倉さんは、最初からみんなと同じ内容のテストでいいって言ってたのに、
あいつら、細かいところでうるさくてね。
あんまりしつこかったから、あたしが引っ張ってきたのよ」と誇らしげなハルヒ。
「それはそれは。災難でしたね」と朝倉を労う古泉。
「涼宮さんらしいです」と苦笑する朝比奈さん。
俺は談笑の輪には加わらず、朝倉が相談事を切り出す瞬間を待っていた。
だが、待てども待てどもその時は訪れない。
朝比奈さんが朝倉の分のお茶を用意し始めたあたりで、いてもたってもいられなくなり、
「朝倉はどうして文芸部室に来たんだ?
何か俺たちに頼みたいことがあったんじゃないのか?」
435:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/16(土) 20:07:44.28:NVoWDZ4s0
ハルヒと朝比奈さんは、ぽかんとした顔で俺を見ていた。
朝倉と古泉は俺が何をいわんとしているのか察しているようだった。
俺は止めの一言を口にした。
「朝倉は、依頼人だろ?」
ハルヒはぱちくりと瞬きし、"記憶喪失した人間を見るような目"でこう言った。
「あんた何言ってんの?
朝倉さんは、SOS団の仲間じゃない」
奇妙な沈黙が部屋に降りた。
やっとのことで声を絞り出す。
「いつから?」
「半月ほど前からよ。
留学した有希と入れ替わりに朝倉さんがカナダから帰ってきて、
欠員補充のために、あたしが誘ったのよ。
そのとき、あんたも隣にいたじゃない。本気で忘れたの?」
「………は、はは。そうだよな。
いや、悪い。悪い冗談だった」
停止していた時間が動き出す。
ハルヒは憮然として「朝のときみたいに、いきなり変なこと言わないで」と言い、興味をパソコンに移した。
古泉は俺を慮ってか、何も言わずにイヤホンを耳に挿し直し、
今更俺の失言の意味に気づいた朝比奈さんは、急に落ち着きをなくし、
当の朝倉は鞄を椅子の隣に置いて、本棚の近くをうろつきはじめた。
438:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/16(土) 20:24:23.52:NVoWDZ4s0
ハルヒが優しい声音で訊いた。
「何を探してるの?」
「読みかけの本が見当たらないの。
帰るときには必ず本棚に直すようにしていたんだけど」
「ああ、あの古めかしい本ね。
あたしも一緒に探してあげる。
直しただいたいの位置は憶えてる?」
「右端の棚の、上のあたりだったはずよ」
「念のために聞くけど、本の名前は?」
「上弦の月を喰べる獅子」
どきりとした。それを察したのか、
「あっ!」
素っ頓狂な声をあげて、ハルヒがすっ飛んでくる。
ハルヒは本を取り上げ、その角で俺の頭をべちべち叩きながら、
「あんたが読んでたなら、さっさと言いなさいよ!
朝倉さんが困ってるのを見て、楽しんでたわけ?」
「違うんだ。そういうわけじゃ……」
「そういうわけもこういうわけもないでしょ?
昨日も、その前の日も、朝倉さんがこの本を読んでたことは知ってるはずじゃない」
439:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/16(土) 20:40:33.95:NVoWDZ4s0
その台詞を聞いた瞬間、ありふれた比喩だが、頭の中が真っ白になったのを覚えている。
我に帰ると、帰路の中程を、呼吸困難に喘ぎながら全力疾走している自分がいた。
『うるさい!俺は知らないんだ。
朝倉がSOS団に入ったことも、この本を読んでたことも、今初めて聞かされたんだよ!』
『キョ、キョン……?』
『朝倉、お前もお前だ。
SOS団に入って、何のつもりなんだ?
窓際の席は元々は長門の席だったんだ。
そこに座って、本を読んで、長門になったつもりか?』
『キョンくん、わたしは……』
朝倉が何かを言いかけ、それを聞く前に、俺は部室を飛び出していた。
やっちまった、という後悔に、
言いたいことを後さき考えずにぶちまけた爽快感が優った。
ハルヒの機嫌取り?糞食らえだ。
そんなもんは古泉に任せときゃなんとかなる。
誰が俺を責められる?
二週間分の記憶をなくし、天敵と遭遇し、
そいつと学校にいるあいだ四六時中同じ空間にいることを強要され、
あげく耐え切れず爆発したことに何の罪があるってんだ。
………………。
…………。
……。
人間の怒りは二、三十分が限度だ。
家に到着するころには、頭が冷え、決して実を付けることのない後悔が根を張り始めていた。
462:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/16(土) 23:12:29.96:NVoWDZ4s0
ハルヒは朝のHR前の時点で、何かしらの不信感を俺に感じているはずだ。
そこに放課後の一件が上塗りされれば、
今頃は閉鎖空間がそこかしこに発生し、
古泉ら超能力者が神人狩りに駆り出されているに違いない。
味のしない晩飯を食べ終え、自室に篭る。
何も考えたくなかった。
ベッドを見ると、朝方の光景を思い出し、さらに気が滅入った。
「キョーンーくんっ」
薄く目を開ける。
三味線の両脚をつかんだ妹が、満面の笑顔でそこにいた。
「あーそーぼ?」
「悪いが、お兄ちゃんは今そんな気分じゃねえんだ」
我ながら大人気ない対応だ、と思う。
「ええーそんな気分じゃないって、じゃあキョンくんは今、どんな気分なの~?」
「最低な気分だ」
「わかんない。あたしやシャミにもわかるように説明して?」
「シャミにはどんなに分かりやすい説明でも伝わらねえよ」
「そんなことないよぉ~。ねぇ、シャミ?」
三毛猫は知的とは程遠い不細工な顔であくびする。
俺は笑った。妹も笑った。
そのときふいに、俺は妹が俺を慰めにきたのだということに気がついた。
「お前は、学校に嫌な奴とかいないのか?」
466:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/16(土) 23:28:17.27:NVoWDZ4s0
いると答えられたらどうしようかと思ったが、
「いないよ~。みんないい子だもん。
たまにちょっかいかけてくる男の子はいるけど……」
「いるけど?」
「おはなしをきいたら、あたしと遊びたくてちょっかいをかけたんだって~」
妹は天使の――ゆくゆくは魔性の――笑みを浮かべた。
「キョンくんは、学校にいやな子がいるの?」
「まあな。別に喧嘩してるわけじゃないんだぜ。
俺が一方的に、苦手に感じてるだけなんだ」
「キョンくんは、どうしてその子が苦手なの~?」
「あることが切欠で……俺がそいつに、嫌な思いをさせられてさ。
しかもそんなことが二回も続いて、
俺はいよいよそいつに、拒絶反応が出るようになっちまったんだ」
妹は思案するように人差し指を顎に当て、
シャミセンは俺の相談など何処吹く風というように、ベッドの上で眠り始めた。
俄に、顔が熱くなる。
何を大マジになって妹にお悩み相談してんだよ、俺は。
階下に妹とシャミセンを送り返す決心を固めたそのとき、
「その人はねぇ、ほんとうにキョンくんのことが嫌いで、そんなことをしたのかな?」
妹は神妙な顔つきになって言った。
「あたまの中で思ってることと、することがちがっちゃうことって、けっこうあるよ?
学校の男の子たちといっしょだよ。
その子だって、ほんとうはキョンくんとなかよくなりたかったのに、キョンくんに嫌われるようなことをしちゃったのかも……」
468:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/16(土) 23:30:38.39:rtw1PGpf0
ハッとさせられた。
妹の体験談ほど単純ではないが、
朝倉と俺の関係に置換すると、こうなる。
朝倉涼子というヒューマノイドインターフェイスは急進派の意思決定を反映する一端末に過ぎない。
"俺を殺す"という究極的選択に朝倉個人の意志は介在していなかった。
だが二度目はどうだ、と俺の裡の誰かが囁く。
改変後の世界、情報統合思念体が消滅した世界で、俺は朝倉に刺されたんだぞ。
しかし、と裡なる別の誰かが反論する。
あの世界は長門が望んだ世界だ。
それを破壊しようとする因子を排除する抗体が朝倉で、
朝倉は抗体としての役割に縛られていたのだとしたら……。
階下からおふくろの声がする。
「はぁーい。あたし、さきにお風呂入ってくるね」
「……その、なんだ」
「なぁに?」
「ありがとな」
「いいよいいよ。だってあたしは、キョンくんの妹なんだよ~?」
情けなさよりも、感謝の思いが募る。
いつか近いうちに「俺はお前のお兄ちゃんなんだからな」なんて台詞を言いたいもんだ。
とてとてと部屋を出て行く妹を見送っていると、携帯のバイブが震える音がした。
ついでに、シャミセンが奮闘する音も。
「おいこら、俺の携帯で遊ぶのはやめろ」
新たな傷を加えられた携帯を開くと、ハルヒの名前が目に飛び込んできた。
ボタンを押す。あいつを待たせて事態が好転したためしはない。
481:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/17(日) 00:19:04.51:LV3radUm0
ハルヒはほとんど囁きに近い小さな声で言った。
「明日、団活に来る?」
「ああ」
「そ」
通話が切れそうな気配がして、
「おい待て、話はそれで終わりか?」
たった三言ですむような会話ならメールですませろと言いたい。
「…………」
衣擦れの音や、何かを言おうとして躊躇するような息遣いが聞こえる他は、
沈黙の時がたっぷり三十秒は続き、
「あたしがいつもあんたのことを平団員って言ってるのは、ポーズだから」
「はぁ?」
「つまり、あたしはあんたのことを、
SOS団の最初から一緒にやってきたって意味では、
副団長よりも評価してるって言ってんの!」
「ああ、そうかい」
「なによ、これでもまだ不満なわけ?」
どうにもハルヒの意図がつかめない。
今朝や放課後に見せてしまった、朝倉に関する記憶の歯抜けに言及されないのはありがたいが。
485:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/17(日) 00:58:27.32:LV3radUm0
「確かに最近のあたしがあんたに厳しくしてたのは認めるわよ。
でも、それもこれもキョンが悪いんだからね。
団活中はぼーっとしてるし、あたしが話しかけても上の空だし、
今日は今日で、いきなり怒鳴りだすし……」
今日以前のことには、触れられても反応できない。
普段から熱心な団員とは言い難かった俺だが、
ここ最近の俺は、ハルヒに対しても適当に振舞うほど気が抜けていたのだろうか。
「ねえ、あんた、本当に疲れてるの?
どうしてもっていうなら、一日くらいは団活休んでもいいのよ?」
「……ありがとな」
「な、なによ急に」
「団長にこんなに心配されて、平団員その一は幸せだ」
「ばっ、ばっかじゃないの。
とにかく、来るって行ったからには、明日も絶対団活に来ること!
今日みたいに勝手に帰っちゃったら、罰金じゃすまさないんだからね。
私刑よ、私刑!」
「分かったよ。肝に銘じとく」
がちゃり。
名残惜しさを微塵も感じない清々しい切り方だった。実にハルヒらしい。
515:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/17(日) 13:19:43.07:LV3radUm0
さて、携帯を震えて光る玩具か何かと信じて疑わない三毛猫を部屋から移動させようと奮闘していると、
またしても着信音が鳴り始めた。さっきと同じ攻防の果てに携帯を取り戻し、
「もしもし」
「古泉です。いくつかお話があるのですが」
ハルヒの機嫌を思い切り損ねたことへの説教か?
「まさか」
古泉は大袈裟な声で言った。
首を竦めている様子が透けて見える。
「あなたが部室を飛び出した直後は閉鎖空間の発生が3件観測されましたが、
いずれも規模は比較的小さく、20分以内に全て収束しています。
僕があなたに電話した理由のひとつは、あなたに謝罪するためです。
僕はあなたの記憶喪失を知らされた時点で、
あなたがSOS団の新しい団員についての記憶も喪っていると、類推しなければならなかった。
予備知識のあるなしは人の心理に多大な影響を及ぼします。
もしもあのとき、僕があなたに朝倉さんのことを予め伝えていたら、」
「俺がお前のノートにお茶をぶっかけることもなかった」
「ええ、そのとおりです」
「ノート、ダメにしちまって悪かったな」
「気にしないでください。部室でも言いましたが、あれはもともと復習用でしたから」
波風を立てるのを嫌う古泉なら、
たとえ志望大学の願書を引き裂かれてもにこやかに許してくれることだろう。
いつか大損こくと思うぜ、お前の性格は。
「電話の理由はそれだけか?」
522:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/17(日) 13:58:22.92:LV3radUm0
「いえ、あとひとつ……。
突然ですが、あなたの携帯は新しい方ですか?
夏の初めに機種を変更したと言っていましたが」
「最新じゃあないが、結構新しいモデルだ」
「それならきっと大丈夫でしょう。電話を切った後で、
ここ二週間のあなたの足跡を記録したファイルをメールに添付して送信します。
思ったよりも時間がかかってしまって、すみません。
あなたの情報を外部に持ち出すとなると、煩雑な手続きが必要でして」
俺の情報を機密扱いにするのは勝手だが、
お前の上司は何の目的で俺を重要人物扱いしてるんだ。
「さあ、末端の僕には何も知らされていませんので」
お前の常套句は聴き飽きたよ。
古泉は軽妙な笑い声で答え、唐突に通話を切った。
しばらくして、メールが届く。
添付されていたのはかなり大きなpdfファイルで、
二週間前の日付から昨日の日付まで、
俺の行動が客観的に記録されていた。
それを主観的に描写しなおすと、以下のようになる。
一日目。
長門が海外留学し、朝倉がカナダから帰国。
実際には長門から朝倉へハルヒの監視任務が委任された。
俺は事前に長門から事情を聞かされていた。
二日目。
放課後、クラスで歓迎会が執り行なわれる。
ハルヒと俺は団活を休み歓迎会に出席。
525:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/17(日) 14:24:50.94:LV3radUm0
三日目。
ハルヒが朝倉をSOS団に勧誘。
朝倉は返答を保留。
俺はそれを静観。
朝倉とは義務的な会話に終始。
四日目。
朝倉が団活に初めて参加する。
SOS団のメンバーの反応は良好。
朝比奈さんが朝倉に対し若干の拒絶反応、時間経過に伴い軟化。
朝倉との会話頻度が上昇。
五日目。
朝倉との会話頻度が上昇。
六日目。
朝倉が入団してから、初めての学外での団活。
指定時間に遅刻した俺と朝倉が強制的に班を組まされる。
会話頻度が上昇。
和やかな雰囲気。
七日目。
朝倉の個人的な買い物に同行した。
会話頻度がさらに上昇。
八日目。
登校時、下駄箱にて手紙らしきものを発見する。
16時27分、朝比奈さんと古泉に断りを入れて文芸部室を退室。
――監視対象をロスト。
527:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/17(日) 14:37:43.29:LV3radUm0
機関の監視員が右往左往している間に何が起こっていたか、俺は知っている。
記憶はないが、朝倉が教えてくれた。
俺は朝倉に告白されて、首を縦に振ったのだ。
ベッドに倒れこむ。
シャミセンは軽い身熟しで俺を躱し、
「なーう!」と寝床を奪われたことに抗議し、どこかに去っていった。
溜息もでねえ。
これで証明されちまったわけだ。
会話の頻度が上昇?
朝倉の私的な買い物に同行?はっ。
虚無感と諦観が混じり合うと、笑気ガスと同じ効果を発揮するらしい。
俺は一人で小さく笑いながら、
俺が「自分の意志」で朝倉と恋人になったという忌々しい事実を噛み締めていた。
539:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/17(日) 17:30:34.22:LV3radUm0
翌日。
「それでよぉー八組の駒田が、」
「あのね谷口、ちょっと静かにしてくれないかな」
昼食時、国木田は谷口の舌鋒をやんわりと退けつつ訊いてきた。
「キョン、先週末に朝倉さんと喧嘩でもしたの?
昨日から全然喋ってないみたいだけど」
一口餃子が食道に詰まる。
「………」
「僕たちには言いにくいことなの?」
朝倉曰く、俺と朝倉は秘密裏に交際していた。
SOS団でも、クラスでも、俺たちはただの"お友達"だった。
しかし"お友達"を演じていながらも、
俺と朝倉の親密さは傍目に感じ取れるレベルだったらしい。
それはこの前のハルヒの発言や、
今しがたの質問から容易に推測できる。
「確かに昨日の朝はキョンの様子おかしかったしな」
谷口はぐいと肩を寄せてきて、
「お前まさか……もしかすると…………あれか、コクっちまったのか?」
541:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/17(日) 17:43:46.54:LV3radUm0
「た、谷口!」
「だってそれしか考えられねえじゃんかよ。
朝倉の優しさを好意と受け取ったおめでた頭のキョンは、
週末に盛大にコクって玉砕、友達でいようと言われたものの、
朝倉に合わせる顔なんてなく、無愛想に振る舞っちまう……」
「あのな」
「いい!いいんだぜ、キョン!
みなまで言うな。女にフラれる悲しさは俺もよーく知ってる」
「お前と一緒にしないでくれ」
谷口を押しのける。
俺は半ば自棄になって言った。
「俺と朝倉のあいだには……何もない!」
「その微妙な間と、ムキになって否定するところがまた怪しいよね」
「キョーンー俺たち親友だろ?
隠し事なんてらしくねえよ。全部吐いちまえ。な?」
谷口の酔漢のごとき鬱陶しい絡みと、
国木田の冷静で的確な指弾に押され、いよいよ俺が教室から退避しようとしたとき、
550:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/17(日) 19:55:20.66:LV3radUm0
「ふふっ、大丈夫、キョンくん?」
空の弁当包みを携えた朝倉が、
谷口と取っ組み合う俺を、可笑しそうに見つめていた。
何か言わなきゃならない。
こいつらを納得させるような台詞。
別に気が利いてなくてもいい。
俺と朝倉の関係が、先週と変わらない"お友達"のままであると錯覚させる台詞。
「あ、朝倉」
顔面の筋肉が引き攣らないように祈りつつ、
「今日の放課後は、そのまま部室に行けそうか?」
「ええ。涼宮さんのおかげで、先生たちも納得してくれたみたい。
涼宮さん、強引だけど頼りになるよね。
あっ、そうそう。
キョンくん、今日は部室で一緒に現国の課題をしない?
わたし、ウトウトしてきちんと授業を聞いてなくって……キョンくんは起きてた?」
「俺も寝てた」
朝倉は顔を綻ばせて、
「じゃあ、涼宮さんが先生役で、わたしとキョンくんが生徒役ね。
涼宮さん、授業中に課題を終わらしちゃったんですって」
554:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/17(日) 21:11:58.12:LV3radUm0
わたし三組の友達に呼ばれてるから、と言って去っていく朝倉。
谷口と国木田はスカートから伸びる肉付きの良い太股を眺めながら、
「僕たちの勘違いだったみたいだね」
「キョン、俺も現国の課題一緒にやりにいっていいか?」
「ハルヒが認めたらな」
こいつらの疑念を晴らせたのは喜ぶべきことだが、
いちどこうした態度をとっちまったからには、
これからも積極的に、少なくとも不自然に思われない程度には、朝倉と会話しなくちゃならない。
時は移り放課後。
右手にハルヒ、左手に朝倉という両手に花状態で文芸部室にたどり着いた俺は、
予告通りにハルヒの教授の下、朝倉と並んで課題を終わらせ、
昨日果たすことのできなかったオセロ十番勝負に興じていた。
ちなみに谷口の特別参加はハルヒによって却下された。
「参りました」
俺は自分の名前の隣に、五つめの白星を書き記す。
これでお前の勝ちはなくなり、残り五戦を全勝しての引き分けしか目指せなくなったわけだが。
「勝負には時の運が絡みますからね。
特にオセロのような二元性のゲームでは」
つまり俺が勝ってお前が負けたのは偶然の結果に過ぎない、と言いたいわけか。
言い訳にしちゃ二流だな。
どうせなら腹痛でまともに思考力が働かないとでも言ったらどうだ。
「実は先日から慢性的な頭痛に悩まされているんですよ」
558:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/17(日) 21:31:02.82:LV3radUm0
呆れて物も言えないね。
「じゃあ、わたしが代わってもいい?」
盤面を片付けていた手が止まる。
面をあげると、朝倉が古泉の隣に立ち、好奇心に富んだ瞳で盤面を見つめていた。
「これはこれは。
心強い助っ人の登場ですね。
残りの勝負は、朝倉さんにお任せするとしましょう」
古泉はさっと席を譲り、朝倉が座る。対面に座った朝倉はにっこりと微笑んだ。
「お手柔らかにね、キョンくん」
ぱちり。
……ぱちり。
セオリーに従って淡々とゲームを進める俺と違い、
朝倉は一手一手を吟味して指してきている。
表情は真剣そのものだ。
長考に入ると、太り気味の眉がへの字に曲がった。
ぱちり。
……ぱちり。
――朝倉とオセロをしている。
現実感が、ぽろぽろと剥離していく。
たまらず、朝倉から窓の外に視線を逸らした。
残暑の去った秋空は高く澄み渡り、斑雲に遮られた陽光は微温く、寂しげな風籟は秋の深まりを予感させる。
560:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/17(日) 21:51:06.55:LV3radUm0
ぱちり。
……ぱちり。
朝倉は記憶を失う以前の交際期間について触れてこない。
朝倉は言った。「また一からやりなおさなくちゃ」と。
それは好意的に解釈するなら、朝倉に対する俺の苦手意識を矯正する、という決意の表れだ。
では俺は朝倉に対し、どんな態度を取るべきなのだろう。
表面上は友達のフリを続けながら、心の裡では残酷な殺人鬼のレッテルを張り続けるのか。
それとも二週間前の俺が辿ったように、徐々に態度を軟化させていくのか。
ぱちり。
……………ぱちり。
妹の言葉が蘇る。
行動と情動が同じとは限らない。
朝倉が俺を殺そうとしたのは、朝倉の意志によるものだったのか、それとも強制によるものだったのか。
二週間前の俺はどんな風に折り合いをつけたんだ。
直接朝倉に尋ねたのか。
ぱちり。
……………………ぱちり。
「やった。わたしの勝ちよ!」
気づけば、盤面のほとんどは黒に塗り替えられていた。
朝倉の圧勝だ。
上の空で打っていたとはいえ、実力差は歴然だった。
603:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/18(月) 18:05:57.73:LqERxUW30
「敵わねえな」
「謙遜。キョンくん、何か考え事しながら打ってたでしょう。
やり直しよ。でも、勝ち星は記録させてもらうわね?」
朝倉は嬉々として古泉の名前の隣に白星を書き記す。
二戦目、三戦目、四戦目と、俺の名前の隣には黒星ばかりが増えていった。
確かに朝倉は強い。
が、二人零和有限確定完全情報ゲームに特化したスーパーコンピュータを相手にしているような、理不尽な強さじゃない。
朝倉は一般的なオセロが得意な女子高生の脳みそをトレースしているのだろうか。
それとも、朝倉の知能は元々セーブされていて、
その中で全力を出した結果がこれなのか。
長門とオセロをしていたときは気にならなかったことが、気になる。
「これで終わりよ」
朝倉の子供っぽさの残る指が、一枚一枚、盤面の白を反転させていく。
結局、五戦目も俺は負けた。あっさりと。
「ふふっ、手加減したほうが良かったかしら?」
「手心を加えられるくらいなら、全力で打ちのめされるほうがマシだ」
それまで朝倉の背後で腕組みしていた古泉が、
「そうですか?
僕は勝利の喜びを知ってこそ人は意欲を滾らせるものだと思いますが」
「万年初心者のお前が言っても説得力がねえ」
「万年だなんて、古泉くんに失礼よ。好きこそ物の上手なれって言葉があるわ」
「下手の横好きって言葉もあるぜ」
606:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/18(月) 18:32:02.99:LqERxUW30
「言いたい放題ですね」と溜息をつきつつ古泉。
朝倉と俺は顔を見合わせた。
笑った。自然に、
無意識に、喉の奥から笑い声がこみ上げてきたのだ。
朝倉が唇の三日月はそのまま、目だけを見開いた。
何がおかしい?
少し遅れて、気づいた。
朝倉との関係が初期化されて二日目、
俺は早くも、朝倉の前で無防備に笑っていた。
帰り道。
「ファイルを見た感想はいかがです」
前方を歩く三人娘に配慮したのか、古泉の歩調が落ちる。
「他人の日記帳を見てるような気分になった」
「心中お察ししますよ」
「口だけの同情はいい」
「機関の観察員の記録は、お役に立てたでしょうか?」
613:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/18(月) 19:24:29.90:LqERxUW30
「記憶を補う分にはな……。
記憶を取り戻す手がかりにはなりそうにない」
結局、俺は八日目までの記録にしか目を通していない。
朝倉との交際が始まってからの記録に、一読の価値が見出せなかったからだ。
俺は朝倉に心を許すまでの過程に、劇的な"何か"を期待していた。
そして喪った記憶の中の自分から、酷い裏切りにあった。
「俺と朝倉が付き合うことは、古泉や朝比奈さんに反対されなかったのか」
「機関も朝比奈さんの組織も、念頭にあるのは常に涼宮さんのことです。
あなたと朝倉さんの間に交際に関して、僕の上司も、朝比奈さんの上司も、静観するということで合意に達したようです。
あなたたちが節操無く睦言を語らう中高生カップルの例に倣っていれば、話は別でしたでしょうがね。
事実、学校生活を営む上で、北高生の誰かがあなたたちの交際に勘づいたという報告は上がっていません。
涼宮さんを含めて」
「朝倉の親玉も、交際を認めていたのか?」
恋愛を精神病の一種と貶していたハルヒに付き合っていたことがバレれば、
俺と朝倉は一発で除名処分を受けていたのではなかろうか。
そんなリスクを情報統合思念体が受け入れたとは到底信じられないんだが。
「さあ、それは僕の与り知るところではありませんから、どうとも。
なんなら、彼女に直接尋ねてみてはいかがです?」
前を見る。
ハルヒの左隣、元は長門のポジションで、
朝倉は長い後ろ髪を揺らせ、整った横顔に上品な微笑を浮かべている。
「………」
魅入りそうになる自分がいた。
619:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/18(月) 20:19:56.39:LqERxUW30
首を横に振り、目頭を押さえる。
古泉、今すぐその気色悪いニヤつきをやめろ。殴るぞ。
「失礼」
古泉はちっとも悪びれた様子もなく、首を竦めた。
土曜。
携帯のメモリに記録されていた(喪った記憶のどこかで交換していたのだろう)朝倉のアドレスを呼び出し、メールを送る。
『情報操作で俺と同じ班になるようにしろ』
返事はすぐに帰ってきた。理由は聞かずに、承諾の旨が書かれてある。
勘違いされそうなので言っておくが、俺は何も朝倉とデートしたくてこんな仕込みをしているわけじゃない。
朝倉との関係が初期化されてから三日目。
朝登校したとき、朝倉が教室にいることに違和感を覚えなかった。
四日目。
休み時間に朝倉と会話することに、抵抗を感じ無くなっていた。
五日目。
下校時、分岐路に差し掛かった朝倉に、自然に手を振っていた。
純粋な好意を目に宿して近づいてくる人間、否、ヒューマノイドインターフェイスに、
邪険に接することができなくなっていく自分がいた。
かつて俺は朝倉に殺されかけた。
だが復活した朝倉は、見れば見るほど、刃傷沙汰とは無縁の女子高生だった。
どちらが本物で、どちらが贋物の朝倉なんだ?
痛痒感にも似たもどかしさが募っていった。
どうすればいいかは分かっている。
最初に妹が教えてくれた。
訊けばいいのだ。
朝倉に。
622:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/18(月) 20:41:39.30:LqERxUW30
「おっそーい! 罰金よ罰金」
「ここでの飲み食いは全部俺の奢り。それでいいだろ?」
システマティックに罰則を甘受し、古泉の隣に座る。
ハルヒは「反省の態度が見られないわ」とぶぅぶぅ文句を垂れた後、くじを用意し、皆の前に差し出した。
朝倉は俺にしか見えない角度でウインクした。
その一瞬のうちに、情報操作は終わったらしい。
喫茶店前でハルヒ、古泉、朝比奈さんの三人と別れ、
その姿が駅構内に消えた頃、
「朝のメールの理由を聞いてもいい?」
「訊きたいことがある。人気のないところまで歩こう」
朝倉はコクリと頷き、黙って俺の後ろを着いてきた。
人気のないところの候補はいくつかあったが、
最終的に喫茶店からそう遠くない河川敷沿いの散歩コースを選んだ。
春に花弁を吹雪かせていた桜並木も、早熟ながら、黄と橙の秋色を纏っている。
634:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/18(月) 22:35:10.24:LqERxUW30
「お前は、俺を殺そうとしたときのことを憶えてるか?」
それまで距離を置いていた朝倉が、隣に並ぶ。
「憶えてるわ。
夕暮れの教室と、改変直後の真冬の夜、わたしはキョンくんを殺そうとした。
一度目は、あなたを殺して涼宮さんの出方を見るため。
二度目は、改変された世界を、長門さんを守るために」
「朝倉がああした理由は知ってる。
俺が訊きたいのは、俺が本当に訊きたいのは……」
歩みを止める。
クソッタレな矜持は捨ててきた。
「お前が俺を殺そうとしたのは、お前の本心からの行為だったのかどうかだ」
朝倉が目を丸くし、息を飲む気配が伝わってきた。
言っちまった。顔が熱を帯びてくるのが分かる。
俺はきっと記憶を喪う前にも、朝倉にまったく同じことを訊いていたはずだ。
そして求めていた答えを得て、朝倉を許し、交際に至った。
いうなれば、これは赦免の儀式だ。
こうして今質問していること自体が、
朝倉を許す準備ができていると言ってるようなもんだからな。
「わたしが、キョンくんを本心から殺そうとした?」
朝倉の声は奇妙に震えていた。
三流のお涙頂戴ドラマのクライマックスを見てハンカチを噛んでいるおふくろの声の震え方と似ていなくもなかった。
「そんなわけ、ないよ……!」
640:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/18(月) 23:01:01.69:LqERxUW30
おそるおそる隣を見る。朝倉は円な瞳を潤ませ、
「できることなら、キョンくんと普通に……普通に仲良くなりたかった。
あなたにナイフを向けたとき、わたしがどんなに苦しかったか……」
おい泣くのはやめろ。
このイベントはお前にとって二度目の経験で、焼き直しもいいとこだろ。
「それはそうだけど……でも……」
「お前に悪意が無かったことはよく分かったから、泣きやんでくれ」
人目が気になるのも理由の一つだが、
朝倉に泣かれるというシチュエーションが精神的に辛い。
涙腺の弱い朝比奈さんとは違い、『泣かせている』感が強いからだろうか。
「キョンくん、勘違いしてる。
わたしが泣いてるのは、嬉しいからよ。
キョンくんが訊いてきてくれて、本当に嬉しかったの」
「どうして最初に、お前のほうから言わなかったんだ」
「わたしに免疫ができていないキョンくんに、
いきなりわたしがキョンくんを殺そうとしたのは仕方なくだったと弁解しても、信じてもらえなかったと思うわ。
だから今こうやって、キョンくんの誤解が解けて……」
「待った」
643:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/18(月) 23:07:40.69:LqERxUW30
俺はまだお前に、完全に心を許したわけじゃないぜ。
「一度目の例をとって考えてみれば、
朝倉は思念体の急進派の命令に従って俺を殺そうとしたわけだよな」
こくり、と頷く朝倉。
「じゃあ、また思念体から『俺を殺せ』と命令されたら、そのときお前はどうするつもりなんだ?」
「あの件以来、急進派は粛清されて規模を縮小したわ」
「それでも、絶対にないとは言い切れない」
朝倉は涙を拭い、きっぱりと宣言した。
「その時は、自分で自分の情報連結を解除する。
情報統合思念体は代替手段を使うかもしれないけれど、
少なくともあなたの前に現れるのは、わたしとは別の誰かよ」
645:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/18(月) 23:17:09.72:LqERxUW30
「信じていいか」
ここで媚びた態度で「信じて?」と言われたら、
俺は朝倉に対する意識を翻してたかもしれない。
「それはわたしの決めることじゃないから」
朝倉はどこまでも真っ直ぐな眼差しで俺の答えを待っている。
視線を交錯させること十秒。
「俺の負けだ。信じるよ」
「よかったぁ……」
朝倉が破顔する。
そのとき初めて、俺は目の前の女の子がとんでもなく可愛いことに気がついた。
谷口のAAA評価に+を付け加えたくなるほど、魅力的な女の子だ、とも。
646:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/18(月) 23:24:27.20:+aAHCbEe0
それから俺たちは他愛のない会話をしながら、
ハルヒに指定された時間まで、河川敷沿いの道を歩き続けた。
不思議は見つからなかったが、その代わりに、朝倉に対する蟠りがいくつか溶けた。
曰く、朝倉の知能は平均的な女子高生よりも賢く周りから引かれない程度に設定されており、
性向に至っては「明るく親しみやすい」という基本方針の他は、
離散的計算モデルのごとき自由を与えられているそうだ。
「たまに『朝倉さんは何でも上手くこなしそう』って言われることがあるけど、
そんなの、大間違い。わたしだってドジるときはドジるし、ポカるときはポカる。
完璧な人がいないように、完璧なインターフェイスなんて存在しないわ」
そういう朝倉はどこか誇らしげだった。
13:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/19(火) 23:13:55.04:pWPlSVdk0
「現国の時間は居眠りもするしな?」
「だって、あの先生の授業って信じられないくらい退屈じゃない」
「同感だ」
心境は些細な切欠でガラリとその様相を変える。
朝倉に親近感を覚える自分に腹が立っていた昨日までの俺が、
今ではこんなにも快く、朝倉との会話を楽しんでいる。
「座ろうぜ。少し歩き疲れた」
「うん」
公設のベンチに腰掛けると、朝倉は人ひとり分の距離を空けて座った。
「………」
「………」
「……詰めてもいい?」
座ってから訊くなら、最初から詰めて座ればいいと思う。
俺が頷くと、朝倉はおずおずとお尻を動かし、
すこし身じろぎすれば相手の体の柔らかさを知れる程度まで近づいてきた。
17:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/19(火) 23:27:39.62:pWPlSVdk0
紳士的に紅葉を眺めていたのも束の間、
普遍的男子高校生に相応しいリビドーに突き動かされ、隣の朝倉を盗み見してしまう。
秋風に靡く長い黒髪。
神がのみを振るったとしか思えない美しい目鼻立ち。
薔薇色の頬。
桜色の唇。
つんと尖った顎。
豊かな胸の膨らみ。
短いフレアスカートから伸びる肉感豊かな太股。
「あんまり、見ないで……」
朝倉が恥ずかしげに目を伏せる。
「す、すまん」
頭をフルに回転させて、言い訳を捻出する。
「朝倉は、俺の従姉妹に似てる」
19:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/19(火) 23:40:20.40:pWPlSVdk0
「キョンくんの従姉妹?」
「俺が小さいころに、よく遊んでくれたんだ。
歳はかなり離れてたけどさ。
俺が小学校に入る頃に、従姉妹は大学の卒論書いてたっけ」
「どんな人だったの?」
「優しくて、綺麗な人だったよ」
長い黒髪。
知的な目。
包容力のある身体。
朝倉との共通点は少なくない。
「従姉妹は、俺の初恋の相手だった」
「初恋……」
「叶うわけがなかった。
でも、ガキの俺は、大きくなったら従姉妹と結婚できると信じてた。
中学に上がる前に、従姉妹は俺の全然知らない男と駆け落ちしたよ」
23:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/19(火) 23:57:30.48:pWPlSVdk0
朝倉は笑い飛ばしも安易な同情の言葉を口にしたりもせず、
妙に真面目くさった顔になって、
「わたしに、その従姉妹のかわりができたらいいのに」
絶句したね。
朝倉にこんな小っ恥ずかしい台詞を言わせるよう誘導したつもりはない。
しかし従姉妹に似てる女に「従姉妹の代わりができたらいいのに」と言われて悪い気がしないのは事実で、
ああ、二週間前の俺もこんな風に朝倉に惹かれていったのだろうかと思いつつ、
返す言葉を探していると、空気の読めないことにかけてはピカイチのハルヒが俺の携帯電話を鳴らした。
どうして電話に出る前からあいつからだと分かったかって?
団長様を待たせるとロクなことにならないという強迫観念が
あいつの着信音だけ別のものに差替させているからさ。
「どうした?」
「何か見つかった?」
「お前の興味を惹きそうなモンは何も」
「真面目に探してないから何も見つからないのよ。
真摯な態度で不思議を求める者の前には、自ずと不思議がやってくるものなの」
「そういうお前はどうなんだ?」
「…………うるさい」
ハルヒのアヒル口が目に浮かぶ。
25:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/20(水) 00:17:32.20:QtoGsezk0
「決めた」
「何をだ?」
「午後からはあたしとあんたで不思議を探すわ。
あたしはきっと空回りしてるのね。
やる気がありすぎてもダメなのよ。
あたしとあんたを足して2で割って、ちょうどいいのよ」
ハルヒは自分を納得させるようにそう言って、
「集合時間に遅れたら、罰金だから!」
一方的に電話を切った。
「やれやれ」
いつもながら、嵐のような女だ。
それに慣れきってしまっている俺も俺だがな。
28:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/20(水) 00:55:11.99:QtoGsezk0
「悪い。ハルヒからだった」
「涼宮さん、なんて?」
話すにも内容がくだらなすぎて、
「なんでもない」
と言った俺に、朝倉が切なげな顔をしたように見えたのは錯覚だろうか。
84:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/20(水) 19:51:47.92:QtoGsezk0
午後からの団活模様は割愛する――つもりだったが一応話そう。
ハルヒの独断専行により午後いっぱい団長様の手と足となることを強いられかけた俺は、
しかしこれまでの経験を生かし、ハルヒの注意を巧妙に誘導することで事無きを得た。
具体的には、最近話題の3D映画を非現実世界の一資料として見聞し、
その後論攷を深めることで、今後の団活におけるより一層の質向上が望めるのではないかと進言したのである。
まあ要するに、
「映画観に行こうぜ」
と誘ったんだよ。ハルヒは二つ返事で了承した。
どうせ前々から気になっていて観に行きたかったんだろうさ。
映画の出来はまあまあで、視聴後は映画館近くのドーナツ屋でドーナツを食べながら、
「あそこのCGはリアルだった」とか「3Dというよりは奥行きのある感じだった」
などと感想を述べ合い、満腹になったところでこれまた近場のゲーセンに直行、
団長ご所望のぬいぐるみを立て続けに六つゲットしてやったあたりでギャラリーが湧き始め、
ハルヒもクマのぬいぐるみを抱いて嬉しそうにしていたので、俺はまんざらでもない気分だった。
親戚のガキどもに泣き付かれてUFOキャッチャーにへばりつき、
大金を叩いたあげく、やっとこさ目当てのぬいぐるみをとってやった記憶が蘇る。
履歴書には書けないが、これも立派なスキルのひとつだ。
二度目の集合時間が近づき、喫茶店までの道すがら、
「あぁーっ、疲れた!」
とハルヒは盛大に伸びをしつつ言った。
86:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/20(水) 20:09:01.20:QtoGsezk0
背中に大小六つのぬいぐるみを背負った俺は「お前が疲れる場面がいつあったんだ」と言いたくなったが、
凡なツッコミは控え、「ああ、そうだな」とイエスマン古泉に倣い相槌を打つ。
「不思議、見つからなかったわねえ」
映画見てゲーセン行って、不思議が見つかりゃ奇跡だよ。
「映画はあんたが誘ってきたんでしょ!
なんでもすぐに人のせいにするんだから。
ま、あたしは楽しかったからいいけどね」
頬をふくらませ、俺の数歩先を行くハルヒ。
街の空気は暮色に満ち、ハルヒの影法師は長く長く伸びている。
童心がそれを踏めと囁きかけてくる……。
「あんたさあ、朝倉さんと付き合ってんの?」
足が縺れた。
俺は前のめりになる格好で、振り返ったハルヒとぶつかりかけた。
91:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/20(水) 20:55:19.00:QtoGsezk0
朝倉がカナダから帰ってきた日、俺と朝倉はただのクラスメイトだった。
むしろ俺にとっては天敵だった。
それから日をおかずに、朝倉に対する誤解が解けた。
俺と朝倉は急速に親密になっていった。
朝倉に告白され、俺たちは隠れて付き合いだした。
それからしばらくして、朝倉がカナダから帰ってきてから二週間目の朝、俺はそれまでの記憶を喪った。
目の前にいた全裸の朝倉は、そのときの俺にとっては昔のように天敵で、
俺はその日のうちに交際の解消を求めでた。
朝倉は承諾し、記憶を喪った俺を責めようともせず、
俺に朝倉を受け入れる準備ができるまで待ってくれた。
もう一度あいつとやり直すのかどうかは、自分でも分からない。
朝倉は、俺にはもったいないくらいの女の子だ。
可愛くて、気立てがいい。驕らず、衒いがない。
そんな女の子に告白され、付き合っていたというのだからびっくりだ。
いや――もしも朝倉との間に非日常的な事情がなければ、俺は当たり前のように、朝倉とひかれあっていたのだろうか。
「………どうなのよ。黙ってちゃ分かんないじゃない。
もしかして本当に、」
「んなわけねえだろ」
結局俺は否定した。
"今のところ"はそれが事実だ。
「それってつまり、」
「お前が想像してるようなことはねえってこった。
あのなあ、俺と朝倉が付き合う?
馬鹿も休み休み言え。
どう考えたって釣り合わねえだろうが」
「あ、あんた今馬鹿って言ったわね!」
93:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/20(水) 21:27:05.68:QtoGsezk0
「――なあ」
「なによ?」
「もしも俺と朝倉が付き合ったら、ハルヒはどう思う?」
「ど、どう思うって……どう思うも……なにも……」
声が消え入る。
ハルヒは
「恋愛にかまけるなんて言語道断よ!
あれは精神病の一種なのよ!病気なの!」
と懐かしの高説を垂れることもなく、ぽつりと、
「勝手にすればいいじゃない」
「……そうか」
意外だな。
「な、なにニヤニヤしてんのよ。
あんたがどこの誰と付き合おうが、あんたの勝手でしょ。
あたしには全然関係ないことなんだから」
ぎゃあぎゃあ喚く団長様をあやしていると、ほどなくして、
喫茶店の前に朝倉、朝比奈さん、古泉の三人の姿が見えてきた。
99:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/20(水) 22:22:21.53:QtoGsezk0
「わぁっ……かわいいぬいぐるみ……キョンくんがとったんですか?」
朝比奈さんが目を輝かせて寄ってくる。
「どれか気に入ったのがあればどうぞ」
ハルヒに独り占めさせるにはもったいない。
朝比奈さんは大袈裟に両手を振って、
「い、いいですよぉ」
「朝倉はどうだ?」
朝倉は微笑を浮かべて、首を横にふった。
「わたしもいいわ。
それはキョンくんが、涼宮さんにとってあげたものでしょ?」
「…………」頷くしかない。
金を出したのは俺で、三つから先は単に面白がっていたような気がしないでもないがな。
俺は振り返り、唇を真一文字に結んでこちらを眺めていたハルヒの腕に、
バランスよくぬいぐるみを乗せていった。
「せっかくとってやったんだから、きちんと部屋に飾れよ?」
「言われなくてもそうするつもりだったもん」
それから簡単な結果報告を終えて、
お互いに収穫がなかったことを確認すると、その日は解散と相成った。
103:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/20(水) 23:13:44.77:QtoGsezk0
日曜の次の日は月曜で、平日は学校に行くのが学生の務めだが、
気の持ちようで、あるいは何かを励みにすることで、
月曜朝の欝な気分を払拭できることを俺は知っている。
とっとっと。軽快な足音を響かせてやってきた女生徒は、
さも当然のように俺と歩調を合わせ、並びの良い白い歯を覗かせて、
「おはよう、キョンくん?」
「朝倉……おはよう」
「眠そうなかおしてるよ」
俺は目を擦りながら言ってやった。
「誰かさんのメールに付き合わされたせいでな」
「……わたしのせいにするんだ?」
「冗談だよ。なんだかんだいって、俺も返してたしな。
途中で寝ちまったけど」
最後あたりは朦朧とした意識で打っていた気がする。
メールの話題は記憶の彼方だが、他愛もない内容だったことは確かだ。
「お前は眠くないのか?」
「平気」
快活に答えてみせる朝倉の目の下には、うっすらとクマができていて、
「嘘つけ。クマできてるぜ」
104:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/20(水) 23:24:41.23:QtoGsezk0
「えっ」
いかにヒューマノイドインターフェイスといえども、
情報操作しない限り、体力は見た目どおりだ。
夜更かしすれば、クマもできる。
手鏡を取り出して必死に確認している朝倉を見ていると、笑いがこみ上げてきた。
気にしすぎだろ。よっぽど近くでまじまじと見ないかぎりはバレねえよ。
「キョンくんに見られたのが問題なの。分かる?」
むくれ顔で憤慨された。
不機嫌な顔も可愛らしく、あるいは綺麗に見えるのは、本物の美人の証左だと思う――。
「よーっす、キョン、朝倉」
「おはよう、キョン、朝倉さん」
谷口と国木田が合流してきて、登校風景はにわかに賑やかになった。
間に谷口が割り込んできたせいで、俺と朝倉の距離は空いてしまったが、
頻繁に朝倉と目が合うように感じたのは、俺の自意識過剰だろうか?
119:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/21(木) 05:19:21.90:d8qlSgctO
しかし土曜の団活を境に、朝倉と絡む頻度が飛躍的に増えたのは紛れもない事実だった。
朝倉には俺が記憶を失ってから邪険に扱われた期間を埋める意図もあったのかもしれない。
休み時間然り、昼休み然り、団活然り、とにかく朝倉はよく喋りかけてきた。
世界史の時間、グループディスカッションを教師が提案し、
席の近いもの同士――俺、朝倉、ハルヒの三人――で顔を寄せ合った折に、気づいたことがある。
朝倉はハルヒとは対極を成す存在なのだ。
いや、感情の変化に忠実だった頃のハルヒが目指すべき人格の持ち主、と言うべきか。
古泉によると、今じゃハルヒの精神状態もかなり落ち着きを見せているという話だしな。
親しみやすく、社交性があり、常に笑顔を絶やさない。
朝倉が不機嫌そうにしていたところを見たことがあるか、とクラスメイトに聞けば、全員が全員、首を横に振るだろう。
そんな奴が男女問わず誰からも好かれるのは、
一般常識に照らし合わせるまでもなく当たり前の話で、
ましてやそいつから特別の好意を向けられて思い上がるなという方が無理な話であり――。
「なにぼーっとしてんの?
どうせエロいことでも考えてたんでしょ、このエロキョン!」
「ウトウトしてたみたいだけど、だいじょうぶ?」
顔を上げる。
かたや罵詈雑言の嵐を口に溜め込みぶすっとした表情でこちらを睨み付けているハルヒ。
かたや翠眉をハの字に傾け、わりと本気で俺の体調を気遣ってくれている様子の朝倉。
器量がいいのは共通だが、その性格の違いは如何ともしがたい。
155:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/21(木) 20:19:43.86:078thLp70
「夜更かしが祟ってな。眠いんだ」
と言うと、ハルヒは間髪入れずに、
「夜更かしって何してたのよ?」
「メール」
「誰と?」
一瞬、朝倉と目配せし、
「誰とでもいいだろ」
「言いなさいよ」
「……中学の友達とだよ」
「あっそ」
途端に俺から興味をなくし、
生真面目にグループディスカッションを進行させようとしているハルヒに隠れて朝倉に流し目を送ると、
朝倉は口元だけに微笑みを浮かべて労ってくれた。癒されるね。
ハルヒに隠れて付き合うというのは、こんな感じだったのだろうか?
団活の際の台詞から、ハルヒに思うところが無かったわけでもないらしく、
昔の俺と朝倉は、微塵も「怪しい」と疑われないほど器用に立ち回っていたわけでもなさそうだが……。
畢竟、そんな気遣いは無用で、昔の俺は朝倉と付き合っていることがバレても良かったのだ。
ハルヒは言ったじゃないか。
『あんたが誰と付き合おうがあたしの知ったことじゃない』と。
158:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/21(木) 20:38:41.93:078thLp70
初恋の従姉妹に似ていて、気立て、人となりがよくて、
ついでに価値観も合って、挙げ句の果てには好意を向けてくれる女の子と付き合って何が悪い。
むしろ付き合わない方がおかしいとも言えよう。
据え膳食わぬはなんとやら、だ。
その日の団活から、俺は朝倉にアプローチされるがままになっているのではなく、
自分からも少しは積極的に朝倉に話しかけるようになった。
それは朝倉が読んでいる本の題名を尋ねたり、
ボードゲームに誘ったりといった程度のものだったが、
朝倉にとっては感激に値したようで、顔を綻ばせて応えてくれた。
「よかった」
朝比奈さんとハルヒが出払い、古泉がイヤホンを耳栓に課題と苦闘している部室で、
朝倉は俯いた状態で、ぽそりと言った。
「わたしばっかりキョンくんに話しかけたり、メールして、鬱陶しいと思われてたらどうしようかと思ってたから」
お前みたいな奴に構われて嬉しくない奴は、よほどの捻くれモンくらいだろうよ。
「キョンくんはその捻くれ者じゃないの?」
悪戯っぽい問いかけに、
「俺はお前と喋ってると、楽しいよ」
と本心を打ち明けた。
162:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/21(木) 21:09:00.57:078thLp70
俺の短い人生を回顧してみても、
朝倉ほど短期間で親密になった奴はいない。
国木田は根強い「キョンの好みは変な女」主義者だが、
本人の俺に言わせればあんなのは根も葉もない嘘っぱちで、
俺が好きなのは大和撫子然とした気の合う普通の女なのだ。
「わたしね……」
顔を上げ、右耳に髪をかけながら、朝倉ははにかむ。
「……ううん、なんでもない」
言葉の続きは、あえて聞かなかった。
レールの上を走っているという安心が、責任感を希釈していた。
後悔に苛まれたのは、数日後の朝、
下駄箱に入っていた手紙を見たときだ。
差出人の名前は無く、内容も「放課後教室で待つ」というシンプルなものだったが、
一目で誰が何のために出したものか理解できた。
これとよく似た手紙を、俺は一年の初めにもらっている。
165:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/21(木) 21:35:16.80:078thLp70
本当ならこの手紙は、俺が出すべきだった。
女に気を遣わせてばかりで、ちっとも男らしくねえな。
いつもと変わらない朝倉を眺めつつ、手紙を手のひらの中で握り潰しつつ、身の入らない授業をやり過ごし、放課後。
空気が読めないことで有名なハルヒも、
今日ばかりは天からの啓示を受けたのか
「今日はなんか気分が乗らないから、団活はナシ!じゃねっ」
終礼が終わった途端に教室を飛び出していった。
団活を途中で抜ける言い訳はいくつか用意していたが、杞憂だったみたいだね。
朝倉を見ると、クラスの女子からの遊びの誘いを、やんわりと断っていた。
一瞬目があい、逸らされる。
たったそれだけの仕草で、緊張が伝わってきた。
喩えるなら、胃袋に石を詰め込まれたかのような。
俺は足早に教室を出た。
中庭で時間を潰すこと一時間。
日暮れは日々刻々と早さを増しているようで、
人気のない廊下には西日が充ち満ちて、閑散とした雰囲気を醸している。
自分の上靴が床と擦れる規則的な音を聞いていると、世界に一人だけ取り残されたような寂しさを感じた。
教室の前につき、ドアを開く。
果たして目の前には、あの日とそっくりの光景が広がっていた。
167:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/21(木) 21:51:49.50:078thLp70
窓外の遙か彼方、山辺に触れかけた太陽は朱金色に輝き、
机、椅子、教卓、黒板――教室に存在するありとあらゆるものが紅に染め上げられている。
その真ん中に、朝倉がいた。
誰の物かも知れない机に腰を下ろし、所在なげに足を揺らしていた。
「遅いよ」
その台詞で、たったその一言を聞いただけで、俺は朝倉の意図を読み取った。
朝倉はプリーツスカートが捲れないよう気を遣いながら机を降り、
「入ったら?」
誘うように手を振る。
「お前か」
「そ。意外だった?」
「何の用だ?」
わざとぶっきらぼうに訊く。正直、ここが俺の限界だった。
朝倉は彩度を増す夕陽を半身に浴びながら、
「用があることは確かなんだけど……少し訊きたいことがあるの。
人間はさあ、よく『やらなくて後悔するよりも……」
ここで朝倉も堪えきれなくなったようだ。
「ふふっ、あははっ」
同時に笑い出す。
まさかあの悪夢のようなイベントを、こんな風に振り返る日が来るとはな。
172:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/21(木) 22:13:06.02:078thLp70
「よく台詞まで覚えてたね?」
「忘れるわけないだろ。
たとえば、忠実に再現するなら、お前はあのとき教壇の上にいたよな」
「さっきまではあそこで待ってたよ。
でもキョンくんがなかなか来ないから、足が疲れちゃって」
一頻り笑い、静寂が訪れる。
思い詰めたような表情の朝倉を見ながら、思う。
俺にとっては二度目のこの場面も、朝倉にとっては三度目だ。
記憶を失う前の俺は、今し方の俺と同じように、あの日の再現を楽しんだのだろうか。
朝倉は髪を指先で弄りつつ、
「わたしがキョンくんを呼び出した理由は、もう分かってるでしょ?」
「ああ」
ここで真顔で首を横に振るほど、俺は鈍感じゃない。
朝倉は舌で唇を湿らせ、
「じゃあね……ううん、やっぱりちゃんと言わなきゃ……」
小さな歩幅で、距離を詰めてくる。
目の前に、夕陽に縁取られた朝倉の瓜実顔があった。
朝倉は白い喉を震わせ、まっすぐに俺を見つめて言った。
「わたし、キョンくんのことが好きよ」
175:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/21(木) 22:29:30.49:078thLp70
その瞬間、時間の流れが止まった――ような錯覚がした。
学校屈指の美少女から、夕暮れの教室に呼び出され、告白される。
おそらくこの先の人生で、こんなシチュエーションは二度とないだろう。
平凡な顔、平凡な性格に生まれた俺に訪れた、最初で最後、一度限りの奇跡だ。
であるならば、選択肢は決まっているも同然だった。
・Yes
・No
・保留
ここで下二つを選ぶ奴は頭がどうかしている。
精神病院への強制入院が必要だと言っても過言ではない。
一番上を選べばどうなるのか、俺は知っている。
俺は朝倉と世間一般のカップルと似たような手順を大幅に省略し、睦み、愛し合うようになる。
記憶を失う前の俺が、そうしたように。
夢のような話だった。
「俺も、朝倉のことが好きだ」
でも所詮、それは夢で。
「でも、朝倉とは付き合えない」
176:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/21(木) 22:32:23.43:ot+rsYKT0
陳腐な喩えだが、無限にも思える、しかし実際には数秒程度の時が流れた。
朝倉は強張った笑みを浮かべたまま、今し方の発言が何かの間違いで、
訂正の機会を与えようとしているかのように黙りこくっていたが、
やがて俺が何も弁解しないことで意を決したのか、
「なん……で……?」
肩が小刻みに震えている。
瞳からは光彩が失せ、かわりに透明の液体が膜を張りつつあった。
「ごめん」
「ごめんじゃ分からないよっ……!」
一筋の涙が、頬を伝う。
朝倉を泣かせているのは誰だ。
朝倉をこんなに哀しませているのは誰だ。
俺は自問自答する。他の誰でもない、この俺だ。
「どうして?わたしたち、付き合ってたんだよ?
キョンくんが記憶を無くす前は付き合ってたんだよ!?」
194:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/22(金) 00:42:25.37://v7B1WT0
「ごめん」
俺はひたすらに謝るしかない。
理由が説明できるなら、説明したい。
言い訳できるなら、言い訳したい。
だが、できないものはできない。
俺はどうして朝倉の告白を無下にフッちまったのか、自分で理解できていなかった。
事実、今朝下駄箱で手紙を読んだときは、あからさまに告白を期待していた。
朝倉と薔薇色の青春ライフを送る気でいた。
記憶を失う前の俺がそうしたように。
それがいざコクられてみれば……この有様だ。
何をやってんだ。
お前は世界でも指折りの大馬鹿野郎だ。
いっぺん死んだほうがいいぞ。
心の裡からそんな声が聞こえてきたが、勝手に言ってろ、と思う。
千載一遇のチャンスを棒に振ったことに対する後悔は生まれてこなかった。
やり直す機会を与えられても、きっと俺は朝倉に「No」を突きつけるだろう。
何度でも。
「……さんのせいなの?」
手のひらで頬の涙を拭い、洟をすすりながら朝倉は言った。
「涼宮さんがいるから、わたしとは付き合えないの?」
待った。どうしてここで脈絡なくハルヒが出てくるんだ?
235:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/22(金) 19:36:16.57://v7B1WT0
朝倉は泣き顔から真顔に、真顔から辛そうな作り笑顔になって、
「やっぱり気づいてないんだ。
じゃあ、わたしが教えてあげる。
キョンくんはね、涼宮さんのことを誰よりも大切にしてるんだよ」
馬鹿なことを言うのはやめろ。
確かに古泉に諭されたこともあって、俺はあいつの気を逆撫でしないようにそこはかとなく気を配ってる。
だが、それはあくまでもあいつが宇宙的未来的その他もろもろの超常存在から注目を集める超重要人物であり、
その機嫌が損なわれたとき、この平穏な世界が消滅の危機に瀕するからで――。
「それは建前でしょう?
キョンくんはいつでも涼宮さんを気にかけてる。
涼宮さんが傷つかないようにしてる。
たとえば、わたしとメールしてることを、涼宮さんに隠したのはなぜ?
友達同士が夜にメールをするのは、そんなにいかがわしいことなの?」
朝倉は畳みかけるように言った。
「わたしが――ううん、わたしだけじゃない。クラスの女の子の誰でも――キョンくんに話しかけると、
涼宮さんがいないときは楽しそうに話してくれるのに、涼宮さんがいる前では、途端に素っ気なくなるよね。
それって、涼宮さんに他の女の子に気がある風に思われたくないからでしょ?」
「俺は別に、そんなつもりは……」
「そんなつもりがなくても、そうしてるの。涼宮さんだって、同じよ。
いくら鈍感なキョンくんでも、涼宮さんが、だんだんクラスの子たちに接するのに慣れてきたことには気づいてるよね?」
頷く。
「じゃあ、涼宮さんが最近、同じ学年や三年の男の子たちから告白されてることは知ってる?」
238:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/22(金) 19:55:36.76:gP5i/am3O
知らなかった。
ハルヒは今まで微塵もそんなそぶりを見せなかったし、
流言飛語の発信地にして受信地である谷口も、一切そんな話題を振ってこなかった。
「それで、ハルヒは?」
中学校時代のハルヒは見境なしに男と付き合っていたと聞く。
俺の知らないところで、ハルヒは中学校のときと同じように、
告白してきた男たちと付き合っていたのだろうか……。
「ふふっ、安心して。涼宮さんは全部断ったらしいから」
自分の気持ちに嘘はつけない。朝倉の言葉に、俺は安堵した。
「涼宮さんはね、SOS団が大切だから、何よりキョンくんのことが好きだから断ったのよ」
ハルヒが俺のことを好いていると聞かされて、驚いたと言えば嘘になる。
古泉はことあるごとにその可能性を仄めかしていた。
朝倉は元々近かった距離をさらに詰めて、
「相思相愛なら、付き合っちゃえばいいのに。
どうして関係を変えようとしないの?それって、おかしいよ。
涼宮さん以外の女の子に興味がないなら、どうして他の女の子にも優しくするの?
わたしがキョンくんの彼女になれる可能性は、ほんの少しもないの……?」
胸に顔を寄せてくる。
華奢な肩を抱き寄せるのは簡単だ。
涙に濡れる顎先をつかみ、口づけ、愛の言葉を囁く――そんな選択肢もあった。
が、俺は鉄の理性で朝倉を押し退けた。
269:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/23(土) 02:06:38.03:DYYAfwWn0
「どうしても、ダメなんだ?」
「すまん」
告白が失敗したとき、告白された側に課せらる義務は、
告白した側のショックや悲しみを、できるかぎり和らげてやることだ。
「俺は朝倉とは付き合えない。
でも、勘違いしないでくれ。
朝倉のことが気に入らなくて、それで付き合えないってわけじゃないんだ。
前にも言ったとおり、俺は朝倉と一緒にいると楽しいよ。
ただ、朝倉と付き合う自分が、どうしても想像できないだけで……。
なあ朝倉、こんなことを言うのは身勝手だと思うが、友達のままでいてくれないか」
朝倉は俯き、嗚咽混じりの声で言った。
「ただの友達じゃダメなのっ……。
ひくっ……また……、フラれちゃった……。
どうして……えぐっ……わたしはキョンくんの……ひくっ……特別になりたかったのに……」
参ったね、どうも。
超常現象関連の修羅場は何度か経験している俺だが、こういった修羅場にはまったく耐性がない。
はて、どうやって朝倉を宥めようかと思索を巡らせていると、
ワンテンポ遅れて、朝倉の発言の矛盾が露わになった。
"また"フラれちゃった?
記憶を失う前の俺は、朝倉と隠れて付き合う選択肢を選んでいたはずだ。
それなら、朝倉の告白を失敗させたのは、これが初めてのはずで……。
271:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/23(土) 02:15:10.66:DYYAfwWn0
混乱が加速する。
朝倉に直接確かめようとしたそのとき、教室のドアが音もなく開いた。
なぜ俺が振り返ることができたのか、と訊かれれば、懐かしい気配を感じたからだ、と言う他ない。
ショートの和毛に琥珀色の瞳、滅多に開かない薄紅色の唇、
北高指定の制服にまだ少し季節外れの黒いカーディガンを羽織った長門がそこにいた。
292:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/23(土) 12:43:43.40:DYYAfwWn0
夕暮れの教室のこの面子。
しかし弾丸のような早さで鋭利な鉄棒が飛び交う情報合戦を覚悟したのは俺だけだったようで、
長門は滑稽に身を縮こまらせる俺の傍を通り過ぎ、泣き崩れる朝倉の眼前に立つと、
「……あなたの役割は終わった」
朝倉は諦観の表情で、長門を仰ぎ見た。
「……当該対象の情報連結を――」
「待った!待ってくれ、長門!」
そりゃないだろ。
いきなり戻ってきて、いきなり朝倉を消そうとするな。
「あなたには後で説明する」
冷淡な声音。
気圧されそうになる自分を鼓舞し、
「今してくれ。
何の説明もなしに朝倉をどうこうするのは、俺が許さない」
「キョンくん……」
朝倉が諦めているのだ、俺が「許さない」と言ったところで大した――否、ちっとも抑止力にならないのは分かってる。
だが長門は詠唱をやめてくれた。そして俺に向き直り、二、三度瞬きして、
「朝倉涼子はわたしの代替インターフェイス。
わたしが主任務への復帰を果たした今、朝倉涼子は不要」
298:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/23(土) 14:13:42.80:DYYAfwWn0
「朝倉は今じゃ、SOS団の一員なんだぜ?」
「涼宮ハルヒの精神は極めて安定している。
朝倉涼子がまた転校することになっても、重大な影響はない」
ああもう、どいつもこいつも、脈絡なくハルヒの名前を出しやがって。
「ハルヒのことはどうでもいい。
いいか、朝倉がいることに慣れちまった人間の中には、俺も含まれてるんだよ。
そいつが目の前で消されるところを、黙って見てられるわけがねえだろうが」
一年前とはえらい心境の変化だと思う。
あのとき――朝倉が細かい砂塵と化したとき――俺は命の危険が無くなったことにひたすら安堵していた。
長門が情報連結を解除するのを、黙って見守っていた。
「長門が戻ってきて、朝倉が長門の代わりをする必要がなくなったのは分かるさ。
けどな、一年前、朝倉が俺を殺そうとする前は、普通にお前の……なんだ、バックアップだかなんだか知らんが、
そういう役割を与えられて、普通に生活してたじゃないか。
朝倉はもうあんなことはしないと約束してくれた。
だから、わざわざ転校させなくたって、」
「朝倉涼子が消去されるのは、初めから決まっていたこと。
それに朝倉涼子はわたしの代替を務めている期間中、重大な規約違反を犯した」
「規約違反?朝倉が何をしたっていうんだ?」
まさか俺に告白したのが規約違反だったとでも言うんじゃないだろうな。
長門は無表情な瞳に、一瞬、怒りの色を滲ませて、
「あなたの記憶を消去した」
304:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/23(土) 14:31:29.35:epeSpZeq0
双眸を泣き腫らした朝倉と視線が合う。
長門の話はマジなのか。
お前、言ったよな。俺の記憶喪失とお前は関係ないって。
あれは嘘っぱちだったのかよ。
朝倉は目を伏せ、視線を外した。
「……ごめんなさい」
どうしてそんなことをした?
「…………」
緘黙する朝倉。俺は長門に訊いた。
「俺の記憶を元に戻せるのか?」
「復元というと誤謬がある。
あなたの脳は朝倉涼子によって、記憶に関連する四つの機能のうち、
"想起"の最初のプロセスである"再生"に、限定的な禁制処理を施されている。
それを解除することは可能」
頭が痛くなる。
要するに俺は記憶を思い出せるようになるんだな?
長門はコクリと頷き、腕を伸ばして指先で俺の額に触れた。
高速詠唱が始まり、終わる。
高熱に苦しんでいるときに貼ってもらった冷却シートのような爽快感が、
額のすぐ下の頭蓋骨をすり抜けて脳髄の奥まで浸透し、
それまで思い出そうとすればするほど頑なに再生を阻んでいた白い霧のようなものが、
たちどころに消えていく感覚があった。
「思い、出した」
310:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/23(土) 15:38:02.91:DYYAfwWn0
朝倉が復活する前日、俺は長門から、
しばらく別の任務のためにハルヒの観測の任を解かれると聞かされ、
その代わりに朝倉が復活する旨を聞かされた。そのとき、長門はこう付け加えた。
『復活した朝倉涼子に危険はない。
でも、あなたがどうしても認めないと言うなら、情報統合思念体に別の案を打診する』と。
俺は言った。
『長門がいなくなるのは、長くて一ヶ月程度のことなんだろ?それくらい我慢するさ。
それに、お前のお墨付きがあるんだ、朝倉に襲われる心配はしてねえよ』
翌日学校に行くと、予告通り朝倉はカナダから帰国して、改めて北高に転校してきていた。
しかも席はハルヒの隣、俺の斜め後ろだ。
長門の短期留学をハルヒも寂しく感じていたのだろう、
三日と経たずに朝倉はSOS団に編入する運びとなった。
必然的に朝倉との接点は増え、
元々常識的な性格を持つ朝倉と俺は、話が合うことも手伝って、すぐに打ち解けていった。
団活、日曜のデートを通じて親交は急速に深まり、
週明けのある日、放課後の教室に呼び出された俺は朝倉に告白される。
ここまでは、朝倉の話と同じだった。
ここからが、朝倉の話と違っていた。
記憶の中で、俺はさっきそうしたように、朝倉の告白を拒絶していた。
俺は朝倉に「友達のままでいてくれ」と頼み、朝倉は涙ながらに頷いた。
それから記憶が消されるまで、俺は朝倉と手を繋いだことも、キスしたことも、寝たこともない。
311:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/23(土) 15:40:06.16:Q/aiK32i0
記憶を失う前の日の夜、朝倉は俺に夕食に誘われ、
一度家族の前で帰るフリをした後でこっそり俺の部屋に戻り、
そのまま朝まで過ごしたと言ったが、それも記憶と食い違っている。
朝倉はそもそも、俺の家に来ていないのだ。
次の日、朝目が覚めて隣にいた朝倉と、朧気ながら朝倉とまぐわった記憶を総合して、
俺は自分が朝倉と寝たと断定してしまったが……。
朝倉にとってみれば、記憶を部分的に思い出せなくさせるついてに、
都合の良い淫夢を見せることなど朝飯前だったことだろう。
朝倉の目的は、記憶を奪うことで俺と朝倉の関係を初期化し、
事後を演出することで強烈な印象を与え、
加えて『記憶を失う以前俺が朝倉と付き合っていた』という情報を与えることで
俺に『これから朝倉と付き合うのは当然のこと』だと錯覚させることにあった。
ここまで推理した後は、
「朝倉はそこまでして俺と付き合いたかったのか、男冥利に尽きるとはこのことだぜ」
と単純に結論付けたいところだが、悲しいかな、
話がもう少し複雑で、真実があまり俺にとって幸せなものでないことを、
長門の静謐な瞳は物語っていた。
「……朝倉涼子はあなたにとっての特別な存在になろうと画策していた」
「何のために?」
ここで長門が「彼女になるため」と言えば吹き出す自信がある。
「この世界での存在理由を獲得するため。
朝倉涼子はあなたに特別視されることで、
わたしが復帰した後も、存続が許可されると考えた」
長門の背後に視線を転じる。
朝倉は怯えたような目で俺を見返し、ふるふると首を横に振った。
348:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/24(日) 01:44:59.18:pq4NpO5F0
「確かに、最初はキョンくんを利用するつもりだった。
長門さんがキョンくんにとって代替不可能な存在であるように、
わたしもキョンくんにとって掛け替えのない存在になることで、この世界に留まろうとしてた。
あなたに好かれるために、色々な工作をしたわ。
あなたの好みの女の子の性格を分析して真似たり、
できるだけあなたと一緒にいる時間が長くなるよう情報操作したり……」
スカートの裾を掴み、真正面から俺を見据えて、
「でもね、ある時気がついたのよ。
いつの間にか手段と目的が入れ違ってた。
わたしは本気で、キョンくんのことが好きになってたの。
キョンくんの記憶を消したことも、嘘をついたことも、許してもらえるとは思ってないよ。
でも、これだけは信じて。――わたしは、キョンくんのことが好きよ」
涙をぽろぽろと零しながら、精一杯の笑顔を浮かべてみせ、
「二度もあなたを殺しかけて、ごめんなさい。まだきちんと謝ってなかったよね?
キョンくんは人が良すぎるよ。普通の人なら、自分を二度も殺そうとした相手に、こんなに優しくできないよ」
長門を一瞥し、
「SOS団のみんなと……、キョンくんと一緒に過ごせた時間は、楽しかったわ。
ねえ、涼宮さんによろしくね。それから、少しは涼宮さんにも優しく接してあげてね。
彼女、どうしてもあなたの前では、強気で弱みを見せない女の子を演じちゃうみたいだから」
「朝倉、お前ちょっと黙れ」
「え……」
いいか、俺は心底うんざりしてる。
お前のその数十秒後にはこの世界から消えてなくなることが前提の喋りにな。
351:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/24(日) 02:08:47.17:pq4NpO5F0
お前はどうしてこの世界に残りたいと思ったんだ?
んなことは訊くまでもねえよな。
「楽しい」と思ったからだ。
普通に学校に通って、クラスメイトと喋るだけでも楽しいのに、
ハルヒにSOS団に誘われたら、そりゃもう楽しくて仕方ねえに決まってる。
俺がそうだったんだから間違いない。
なあ、朝倉。
俺に特別視される努力なんて回りくどいことはしないで、ただ一言、言えばよかったのさ。
この世界に残りたい、消えたくない、ってな。
「長門、朝倉をこの世界に留まれるよう、お前の親玉に掛け合ってくれないか」
長門は首を微かに傾げ、
「推奨できない」
「こればっかりは、俺の我が儘だ。
一年前の冬、お前がエラーでおかしくなっちまった事件で、
お前が正常に戻った後、俺が言ったことを覚えてるか?」
「もしも情報統合思念帯がわたしを処分したら、あなたは暴れると……
あなたがジョン・スミスであることを涼宮ハルヒに伝える……と言ってくれた」
長門の表情に、数ピクセルの暖色が混じる。
「あのときと同じだ。
いいか、朝倉を転校させるのは俺が許さない。
もしも朝倉が消えれば、朝倉が復活するまで暴れてやると伝えろ」
368:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/24(日) 09:01:51.40:pq4NpO5F0
「……わかった」
長門は数秒瞼を閉じ――それで交信が完了したのだろう、
朝倉を見下ろし、
「朝倉涼子の存続が認可された。
あなたは涼宮ハルヒの観測任務におけるわたしのバックアップとして動いてもらう」
「長門さん……ありがとう……」
朝倉は口に手を当て、声を殺して泣いていた。
これで、なにもかも丸く収まったわけだ。
朝倉は消えずに、長門が戻ってきて、部室はよりいっそう賑やかになることだろう。
長門は寡黙だから、帰ってきたところであまり変わりがないって?気分だよ、気分。
「長門、あともうひとつお願いがあるんだが、聞いてくれるか?」
「……言って」
「今日、ここでの顛末の記憶を消してくれ。
お前流に言うなら、俺の脳みその機能を縛って、思い出せないようにしてくれ」
「…………」
黒洞々たる夜空のような瞳に、困惑の翳りが浮かぶ。
なぜ、と訊かれたような気がしたので、俺は言った。
「俺は今日のことを覚えたまま、明日からうまくやってく自信がねえんだ」
朝倉を見て、
「別に朝倉を責めてるわけじゃないが、知りたくないことも知っちまったしな」
あやふやにしておきたかった物事が、急に白黒付けられるのは、結構な精神の負担になる。
372:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/24(日) 09:47:09.94:pq4NpO5F0
ハルヒと俺が相思相愛だと朝倉は言ったが、実際のところ、
「ハルヒが好きだ」なんて気持ちを明確に抱いたことは……ないし、
あいつを誰よりも大切にしているという自覚も……ない。
俺とあいつの距離は、今のくらいが丁度いいのだ。
「………」
長門は躊躇していた。
カーディガンの袖に半分包まれた小さな手をとり、額に当てる。
「頼むよ」
「………後悔しない?」
「ああ。それと、明日会っても、今日のことをわざわざ俺に教えるのはナシだぜ。
朝倉も、普通に俺に接してくれよな」
朝倉が頷く。
長門は観念したように目を瞑り――、
高速詠唱が聞こえた次の瞬間、俺の意識は暗転した。
382:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/24(日) 12:42:22.52:pq4NpO5F0
家を出ると、ブレザーの中にセーターを着込んでいるというのに肌寒かった。
吐いた息は白く凍りかけ、蒼穹は秋晴れのそれよりも寂しげな青色をしている。
季節は冬に移り変わろうとしている。
そういや朝のニュースで、同じことを天気予報士が言ってたっけ。
愛用自転車を駐輪し、お馴染みの電車に乗り込むと、
人いきれと暖房のおかげで、眠気が襲ってきた。
睡魔と戦うことしばらく、なんとか学校最寄りの駅で降車し、急勾配の通学路を歩く。
一人で登校するのも慣れたものだが、やはり道連れがいると気分が違う。
駅から百メートル程度歩いたところで、
俺は顔見知りと思しきシルエットを見つけた。
スラッとした長身に、鳶色の細い髪、適度に制服を着崩したそいつは、
俺が女子生徒なら『一緒に登校しませんか』と誘いかけたくなるくらいの美形の持ち主で、
しかし同じ性別の平凡な顔の男ども代表の俺にとっては、鼻持ちならない気障野郎だった。
とりあえず挨拶代わりに肩を殴る。
「うわっと……あなたでしたか。驚かせないでくださいよ」
古泉は平気な顔で振り返った。
こぶしにジンジンと痛みが走る。
バイトで鍛えられてるせいで、こいつの体が見た目の2.5倍くらい硬いことを忘れてた。
俺は古泉と肩を並べ、
「昨日、ちょっといいことがあってな」
「ほう。どんなことです?」
「記憶が戻った」
「…………」
「お前、なんか俺に言うことがあるんじゃねえのか?」
383:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/24(日) 13:09:45.19:pq4NpO5F0
古泉は顎をさすり、元々細い目をさらに細め、
「はて。あなたの記憶が戻ったことは純粋に喜ばしいことですし……。
ここは有り体に、おめでとうございます、ですかね」
「とぼけるのも大概にしろよ。
お前は俺に、嘘をついただろ」
「嘘?」
「本当になんのことか分かってないのか?
俺と朝倉が付き合ってるとかいう、デタラメだ」
古泉は「ああ」と遠い過去の記憶を読み返すように溜息をつき、
「そんなこともありましたね。あれは僕の勘違いでした」
「しれっと言うな」
頭を叩く。セットが崩れた?
俺の知ったことか。お前の顔面偏差値なら、坊主でも女子ウケするだろうさ。
古泉は手櫛で髪を整えながら、
「朝倉さんが転校されてから一週間ほど経った日に、
あなたが彼女に、放課後の教室に呼び出されたことがありましたよね。
あの日、機関の監視員は教室での一部始終を記録できませんでした。
朝倉さんが教室を覆うように、遮蔽フィールドを展開したからです。
監視員は大慌てで教室への侵入を試みました。なにしろ、前例がありますからね。
しかし監視員の努力も虚しく、あなたは無傷で教室から出てきました。
傍らに、涙に暮れる朝倉涼子を伴って……。
それからあなたと朝倉さんの仲は、さらに深まったように見えました。
報告を受けた機関上層部は、あなたが朝倉涼子と交際を開始した可能性を視野に入れ、
その情報は当然、末端の僕の耳にも届きました」
386:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/24(日) 14:28:44.95:pq4NpO5F0
古泉はホワイトニングされかのような真っ白な歯を覗かせて、
「正直なところ、僕は半信半疑だったんですよ。
いかに朝倉さんが見目麗しい美少女で、あなた好みの常識的な性格を持ち合わせているにせよ、
こんな短期間で、あなたが彼女に対する警戒を解き、交際するに至るとは考えにくいと思っていました。
しかし記憶を失ったあなたは、僕にこう言いました。
『俺と朝倉が付き合うことは、古泉や朝比奈さんに反対されなかったのか』とね。
その台詞を聞いた瞬間、僕はやはりあなたが朝倉さんと交際していたのだという、間違った確証を得てしまったわけです。
少々話がややこしくなってしまいましたが、理解していただけましたか?」
なんだか上手く言いくるめられてしまった気がして、釈然としない。
何か難癖付けて言い返そうとしたそのとき、
「なーんの話してーんのっ!?」
激しい衝撃が背中を襲った。
肺の中の空気が強制排出され、喉の奥から変な音が漏れる。
振り返るまでもなく、誰の仕業か分かった。
ハルヒよ、お前は加減てモンを知らねえのか。
俺は食道に物詰まらせた爺さんじゃねえぞ。
「おはよ、古泉くん」
「おはようございます」
そこ、何事も無かったように挨拶交わしてんじゃねえ。
「あはは……大丈夫ですかあ、キョンくん?」
MyAngelVoiceが耳朶を打つ。
おはようございます、朝比奈さん。今日も可憐ですね。
388:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/24(日) 14:49:45.03:pq4NpO5F0
「鶴谷さんは一緒じゃなかったんですか?」
「今朝はお家の用事があって、お昼から登校するみたいで……。
涼宮さんとは、駅で偶然、一緒になったんです」
よく見れば、こんな気温だと言うのに、
朝比奈さんの肌はしっとりと汗に濡れている。
おおかた俺と古泉を発見したハルヒに引っ張られ、全力疾走させられたのだろう。
可哀想に。でもそう考えると、ハルヒと朝比奈さんの接近に気づけなかったことが悔やまれるね。
少しでも早く振り返っていれば、朝比奈さんのたわわに実った胸が揺れる様を――。
「あ! あれって有希と朝倉さんじゃない?」
ハルヒが指さした先には、確かにその二人らしき後ろ姿がある。
しかし俺たちと二人の間には結構な距離があり、
よもやここから走って追いつくつもりではあるまいなと横目でハルヒを伺った矢先、
「有希ーっ! 朝倉さーんっ! そこで待っててねーっ!!」
近所迷惑も顧みず、ハルヒが叫ぶ。
近場の通行人の注目を一挙に集めたのは言わずもがなだ。
歩みを止めた二人に追いつくと、ハルヒはほとんどジャンプしながら長門を抱きしめ、
「もう、帰ってきたら、すぐに連絡してって言ってたじゃない!
短期留学、どうだった?あっちの人たちはよくしてくれた?
有希が大人しいのをいいことに、いじめられなかった?」
丸っきり保護者のノリだ。
長門は髪をくしゃくしゃにされながら、助けを求めるような目で俺を見た。
まあ、しばらくはハルヒのやりたいようにやらせてやれよ。
こいつもお前がいなくて寂しかったんだからさ。
402:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/24(日) 19:35:30.46:KoGFkIr50
「お久しぶりです、長門さん」
「おかえりなさい」
古泉と朝比奈さんが、抱き合うハルヒと長門の傍に寄っていく。
自然と、俺と朝倉はみんなと距離を置く形で、隣同士になった。
「…………」
「…………」
「……記憶が、元に戻ったよ」
ぴくり、と朝倉の肩が震える。
その些細な仕草だけで、俺はこの記憶の消滅と復元に、朝倉が関わっていたことを知る。
昨日、俺は誰かに、放課後の教室に呼び出された。
西日の差し込む廊下を歩き、教室に到着し――記憶はそこで途切れ、
気づくと俺は教室の真ん中で一人、茫然と立ち尽くしていた。
また記憶喪失かよ、とこめかみのあたりを押さえたそのとき、
俺は新たな半時間程度の記憶喪失の代わりに、
それまで行方不明だった二週間の記憶が思い出せるようになっていることに気がついたのだ。
そして同時に、推測できてしまった。教室で『朝倉』と何を話し、どんな決断を下したのか……。
全ての決着がついた上で、俺は教室での遣り取りの記憶を消すように、朝倉に頼んだに違いない。
だから、朝倉が俺の記憶を消した理由とか、
その後で色々と嘘をついたりした理由とかについて、蒸し返すつもりはない。
「ただ、ひとつだけ訊きたいことがあるんだ。
俺と朝倉は、今でも、その……友達、だよな?」
他のどんな質問を想像していたのか、朝倉は目をぱちくりとさせて、顔を綻ばせた。
「友達じゃなかったら、何なの?」
「それは……」
404:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/24(日) 19:56:52.19:KoGFkIr50
俺が返答に窮していると、
朝倉はその柔らかそうな唇を俺の耳許に近づけてきて、
「あのね、わたしはまだ、キョンくんのこと諦めてないよ」
「あ、朝倉?」
ウインクされた。耳たぶに残る吐息の感触に、体が火照ってくるのが分かる。
不意打ちをしかけてきた朝倉も、だんだん羞恥が体に回ってきたのか、
寒さを言い訳にできないくらい、頬を林檎色に染めてはにかんでいる。
甘い雰囲気が流れかけたそのとき、
「キョーンー、あんた、有希におかえりなさい言った?」
「ん、まだだが」
「じゃあ、今すぐ言いなさい」
うるさい奴だな、お前らが言い終わるまで待っててやったんだよ。
よっ、おかえり、長門。
「……ただいま」
ははっ、久しぶりに会った気がしないのはどうしてだろうな。
「…………」
長門はふいと視線を逸らす。今朝はあまり機嫌がよろしくないご様子だ。
そのワケを尋ねる暇もなく、団長様は「そいじゃ、出発ね!」と号令をかけて歩き出した。
わずかに遅れて、団員が続く。
ハルヒの右脇に俺と古泉が、左脇を朝倉、朝比奈さん、長門が固める陣形で。
408:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/24(日) 20:52:42.71:KoGFkIr50
「ね、あたし思ったんだけど、朝倉さんとか、涼宮さんて他人行儀な呼び方、やめない?
せっかくSOS団の仲間になったんだから、名前で呼びあいましょ」
「じゃあ、ハルヒ?……なんだか恥ずかしいな」
「すぐに慣れるわよ。朝倉さ……じゃなくて、涼子?」
左隣から聞こえるたどたどしくも微笑ましい会話に気分を和ませつつ、
俺は朝倉がSOS団の一員になったことを――、
長門が帰ってきたことでやっとSOS団のメンバーが揃ったことを再確認する。
振り返れば、六つの影。
団員が全員揃った日には、さぞかし文芸部室が手狭に感じられることだろう。
俺に変わらぬ好意を向けてくれる朝倉と、これからどう付き合っていくべきなのかは、今のところは分からない。
ただひとつ言えるのは、今の俺にとって朝倉は、loveではなくlikeの対象だということだ。
恋愛強者の谷口に言わせれば、女友達と恋人は紙一重らしいが……。
再び左隣の会話に耳を澄ましてみれば、
ハルヒはクリスマスパーティについて――気が早いというツッコミは無粋だ――案を募っている。
今年のクリスマスパーティがどんなものになるのかは分からないが、
「去年よりも数倍賑やかになりそうですね」
とわかりきっていることを古泉が言った。
朝倉涼子の陰謀 了
409:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/24(日) 20:55:32.27:za5njZ5r0
415:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/24(日) 21:01:11.09:GcscN1nzP
「いったいどうしたの?」
「どうしたのもこうしたもじゃねえ。
どうしてお前がここに、俺の部屋にいるんだ!?
それになんで俺とお前は、その、……裸なんだよ!?」
「記憶が混乱しているのね」
きょとんとした表情から一転、慈しみに満ちた微笑を浮かべる朝倉。
「どこから説明しようかな」
三角座りになり、片頬に指を当てる仕草はたまらなく妖艶で、
しかし脳裏に刻み込まれた記憶が、俺が朝倉にとって然るべき態度を思い出させた。
こいつは俺を二度殺そうとした。
未遂に終わったからよかったものの、助けが来なけりゃ確実に俺は死んでいた。
動悸と目眩がいっぺんに襲いかかってくる。ついでに吐き気も三秒遅れて到着した。
ああくそ、δ波からβ波まで、こんなに急激に脳波が遷移する朝は初めてだ。
俺は言った。
「出て行ってくれ」
朝倉は激昂し白刃を俺に突き立てる――こともなく、素直に応じた。
「わたしもそれがいいと思うわ。
妹ちゃんにこの状況を見せるのは不適切だものね?
学校で会いましょう。キョンくんが落ち着いたその時に、質問に答えてあげるわ」
すぅっと、空気に溶け込むみたいに朝倉の姿が消えていく。
いつか長門がしていたような、ナントカ遮蔽フィールドなるものが展開されたのだろう。
いい感じだ
28:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/11(月) 10:58:39.48:0Dy5aldC0俺の傍を通りすぎる気配さえもなく、朝倉はいなくなった。
これはすべて夢、でなければ微睡みが見せた幻覚だった、と現実逃避したいところだが、
シーツに残る体温と女の子特有の甘い匂いが、
完膚なきまでに想像の余白を黒インキで塗り潰している。
とりあえず服を着よう。
妹は俺の裸など見慣れているが、朝っぱらから兄が全裸で腰砕けている状況を、
説明しろと言われて真実を暈しつつ言い訳できる自信はまったくない。
妹がおふくろにいいつけでもしたら、事態は最悪の一途を歩む。それだけは避けたい。
「スウェットどこにやったっけ……」
ベッドの上を探る。妹の足音が聞こえはじめたあたりで、時間との勝負が始まる。
上は枕のそばにあった。下はなぜかベッドの真下にくしゃくしゃに丸まっていた。
「キョーンーくんっ。おっはよー!」
「あ、ああ。おはよう」
間一髪。スウェットの下をヘソのあたりまで一気に上げたのと同時に、妹が部屋に入ってきた。
「今日はじぶんでおきたんだねー。えらいえらい。
ごはんもうできてるよー」
「すぐ行く」
いつものやりとりを終えて、妹は階下へ。
妹は気付かなかったようだが、実のところ、俺は「すぐ行く」と答えるのが精一杯の状況だった。
スウェットに足を通したときに感じた股間の違和感は、思春期のあの日を想起させる。
ああ、これが夢精ならどれだけよかっただろう。
しかし悲しいかな、俺の混濁した記憶は眼窩をスクリーンに、昨夜のダイジェスト版を勝手に上映し始める。
いくら寝ぼけていたとはいえ、裸の朝倉を見た時点で気づくべきだったのだ。
まったくもって信じがたいことだが――俺は朝倉と寝ていた。
朝倉俺とかわれ
378:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/16(土) 02:32:05.02:e34Hkhl00>>31
、 ヽ
|ヽ ト、 ト、 ト、 、.`、
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/' j/ ノ|ル'/レ〃j/l |
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 ̄ ./゙ニ,ニF、'' l _ヽ
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h、,.ヘ. レ'/
レ′
r.二二.) /
≡≡ ,イ
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::::::` ̄´ / !ハ.
惨憺たる気分で通学路の急勾配を歩く。
熱も咳も鼻水も出ていないが、この欝な表情を見せるだけで、医者は登校不可の診断書をくれるだろう。
しかし仮病を使って休んでみたところで、事態はいっこうに進展しない。
逃げているだけではどうにもならないことを、俺はこの二年間で学習したつもりだ。
「よーっす、キョン。死人みたいな顔してるぜ」
肩を叩かれ、振り返ってみれば、
「谷口か」
「テンション低いなー。昨日何かあったか?」
「何もねえよ」
こいつに打ち明け話をするのは、ホームルームでクラスメイト全員に話しているのと同じだ。
まあ、本当のことを言ったところで「朝倉と寝た?妄想もほどほどにしとけ」などと一笑に付されるだけだろうがな。
とにもかくにも、今は自分の認識と世界のズレを修正する必要がある。
「キョーンー、いいから言えって。人生経験豊富な谷口様が聞いてやるからよ」
「なあ、朝倉はいつカナダからこっちに帰ってきたんだ?」
「な、なんだよいきなり。
あいつが帰ってきたのは二週間前で、キョンも涼宮と一緒に歓迎会来てたじゃねえか」
記憶にない。俺が?ハルヒと一緒に?朝倉の帰国を祝った?
ありえない。もしも朝倉が目の前に現れたら、俺が取るべき選択肢は一つだ。
他力本願と笑われようが知ったこっちゃねえ。
長門に連絡して、可及的速やかに朝倉をカナダに蜻蛉返りさせるのさ。
俺が黙っていると、谷口は勝手に喋りだした。
「おいおい、もしかしてキョンの悩みは朝倉絡みか?
親友として忠告しといてやるけどな。
朝倉と付き合おうなんて夢の夢のそのまた夢みたいなことは考えないほうがいいぜ。
朝倉は一年の空白期の間にAA+からAAAに進化しちまった。
もはや俺たちみたいな凡人が太刀打ちできるレベルじゃねえんだよ。
キョンは席が近いから、結構話す機会も多いみたいだけどな、変に期待したら、後悔するぜ。
美人は無意識に男を惹きつけ、これまた無意識に失恋させるんだよ。
あっちは性に開放的だから、朝倉も色々経験して、
同じくらい経験してる男以外には満足できねえ体になってるだろうな。
はぁ……、朝倉の胸揉みてえ。あれ揉めたら死んでもいいぜ、俺」
朝方その胸に顔をうずめてきた、とは口が裂けても言えない。
くだらない猥談を大きな声でべらべらと語る谷口と、他人と思われる程度の距離をとりながら歩いていると、
北高指定の制服姿が増えてきた。自然と歩調が落ちる。気が重い。
それでも無情に距離は詰まり、俺は校門をくぐり、昇降口を通り、教室の戸の框を踏んだ。
ええい、ままよ。
瞑っていた目を開く。
「それでね、お父さんったら……あらキョンくん、おはよう」
「遅いわよ、キョン。もっと時間に余裕をもって登校しなさいよね」
ハルヒは小馬鹿にしたような顔で、朝倉は委員長然とした爽やかな笑顔で、俺に視線を注いでいる。
俺はのろのろとした足取りで自席についた。
背後のハルヒと右斜め後ろの朝倉が談笑を再開する。
なんだ。なんなんだこの自然さは。
収まっていた動悸が、ゆっくりと、次第にスピードをあげて肋骨をたたき始める。
「どうしてお前がここにいる?」
「どうしてって……ここはわたしの席じゃない?」
「俺が言っているのは、そういう意味じゃない。
どうしてお前がこの世界に存在してるのか聞いてるんだよ」
「キョン、あんたさっきから何言ってんの?話の邪魔をするなら、」
「うるさい、お前は黙ってろ!」
びくりとハルヒの体が震える。
しん、と静まり返った教室の空気に、俺は一年前の冬の日を思い出した。
ハルヒが消えて、朝倉がいて、朝比奈さんや古泉や長門が一般人化した、あの、悪夢のような世界を。
朝倉は困ったように目を細め、
「ごめんなさい。わたし、本当にキョンくんが何を言っているのか分からないの」
どこまでも白を切るつもりらしい。
俺が激情のやり場を机に定めたそのとき、がらがらと間の抜けた音がして、担任岡部がやってきた。
「お、今日はやけに行儀がいいな」
入れ替わるように教室を出る。
「気分が悪いので保健室に行ってきます」
流石にどこの教室でもHRが始まっているらしく、廊下はがらんと空いていた。
同じ轍は踏まない。
俺は真っ直ぐ教員室に行き、おっとりとした雰囲気の若い事務に、
岡部に頼まれて学籍簿の一部をコピーするよう頼まれたと嘘をついた。
事務さんはとくに怪しむこともなく、学籍簿を目の前に広げてくれた。
二年――朝倉涼子の名前が当然のように記載されている。
俺は続いて、SOS団のメンバーの名前も一緒に探した。
古泉は特進クラスだから、簡単に見つけることができた。この世界ではきちんと北高に在籍しているようだ。
朝比奈さんも三年次に文系コースに決めたことを知っていたので、こちらも名前を見つけることができた。
もちろん名前欄の下を辿れば、鶴屋さんの名前がある。
「ありがとうございました」
「コピーはしなくてもいいの?」
聞こえなかったフリをして足早に職員室を去る。
事務の人がおっとりした外見通り、俺の来室もさっさと忘れてくれることを祈る。
俺は自分の教室でも、古泉の教室でも、朝比奈さんの教室でもなく、文芸部室を目指した。
鍵はあいていた。物にあふれたこの部屋も、人がいなければ殺伐としている。
パイプ椅子に座り、机に突っ伏した。
窓際の椅子はからっぽで、差し込む太陽の光の中で、埃が虚しく踊っていた。
"ここにも"長門はいない。
当たり前だ。学籍名簿のどこを探しても、長門の名前は見当たらなかった。
肝要なのは、ここで取り乱さないことだ。
まずは朝目が覚めてから今までに起きたこと、そして得られた情報を総合しなければ。
朝倉が俺の部屋からこっそり抜け出すために情報操作していたことから、
この世界は超常現象が人知れず跳梁跋扈していることを認めているようだ。
古泉は超能力者、朝比奈さんは未来人という設定を保っている。
ハルヒの環境を変化させる能力もそのままだと考えていいだろう。
謎は三つ。
なぜ朝倉が復活しているのか。
なぜ長門がどこにもいないのか。
なぜ俺は朝倉が復活して以来二週間の記憶を失っているのか。
古泉や朝比奈さんに尋ねたところで、
ハルヒと同じ様に、朝倉が存在していることを当たり前と認識している可能性大だ。
俺が二週間分の記憶を喪失していることについても、それはあくまで俺個人の問題に違いない。
ああ、長門よ。どうしてお前はこんな肝心なときに消えちまったんだ。
一番頼りになる人間、否、ヒューマノイドインターフェイスがいないことは、
問題解決における最大の端緒が失われたにも等しかった。
俺はせめてもの手がかりと、本棚に詰まった本の頁を手当たりしだいにめくりはじめた。
どうか長門からのメッセージが綴られた栞か何かが挟まっていますように。
没頭すること数分。ふいに、柔らかい何かが背中に触れた。
「こんなところで何してるの?授業はもう始まってるわよ?」
「授業なんてどうでもいい。俺は今――あ、朝倉!?」
俺は飛び退き、結果、派手に本棚にぶつかった。
数冊のハードカバーが鋭い一撃を俺の頭頂部に叩き込みつつ床に散らばったが、そんなことはどうでもいい。
朝倉はにこにこと屈託のない笑みを浮かべて、
「さっきはびっくりしたわ。
キョンくんったら、みんなの前でいきなりあんなことを言うんだもの。
後で涼宮さんに謝ってあげてね?
彼女、あなたに怒鳴られて少し傷ついていたみたいだから」
とまあそんなことを言った。
一方、俺は朝倉と距離を取ることで、頭の中がいっぱいだった。
こいつの一挙手一投足に、呼吸が乱される。
繰り返すが、こいつは俺を二度殺そうとしているのだ。
谷口が朝倉の容姿をAAAと評するなら、俺は朝倉の危険度をSSと評する。
「立ち話もなんだし、座らない?
キョンくん、今にも倒れそうなくらい酷い顔よ」
誰のせいだと思ってやがる。
朝倉はくるりと踵を返し、勝手知ったるといった風にお茶を入れ、二つの湯のみに注いだ。
俺は朝倉が座るのを待ち、対面を避けて座った。
もちろん湯のみには手をつけない。
「今度は、質問に答えてくれるんだろうな」
「ええ。わたしの答えられる範囲内でなら」
「どうして朝倉がここにいる?」
「長門さんの代わりよ」
「代わり?」
「長門さんが涼宮さんとその環境の観測手であることは知っているわよね」
頷く。
「長門さんはプールした観測データを、高度に暗号化して情報統合思念体に送信していたの。
でも、彼女がいくら複雑なアルゴリズムを構築したところで、傍受されるリスクは常にある。
その問題を、彼女は、彼女自身が暗号鍵となることで解決しようとした。
あのね、キョンくんはここまでの話に着いてこれてる?」
俺は正直にかぶりを振った。
長門が暗号鍵になってそれがどんな風に長門の不在に繋がるんだ。
「分かりやすく言うとね、長門さんは自分を、データを復号するためのブラックボックスにしたの。
ある値を代入すると、定められた法則性に従って、別の値が出てくる関数を想像してもいいわ。
長門さんが自らの意志で復号しようとしなければ、データは無意味な情報素子の山でしかない」
朝倉は美味しそうにお茶を啜り、
「実は二週間前から、長門さんはプールしたデータの復号作業をしているの。
復号中の長門さんは最低限の機能を除いて停止するから、観測手の役割は別の端末に一時交代する。
そして、その役目を任されたのが、わたしというわけ」
「どうしてお前が選ばれたんだ?」
「手っ取り早くて、確実だったからじゃないかしら。
新しい端末を配備するには、それなりの準備と労力が要るの。
その点、わたしならほんの少し情報操作するだけで、
自然に、涼宮さんの環境に溶け込むことができるわ」
「長門はいつ戻ってくるんだ」
「ふふ、長門さんがいないとそんなに寂しいのね?
でも、ごめんなさい、それはわたしにも分からないの。
キョンくんが心配しているほど長い時間はかからないと思うけど」
「俺の記憶が二週間分なくなっていることについて、何か納得のいく説明ができるか?」
朝倉はぴくりと翠眉を傾け、
湯のみを両手で回しながら、しおらしく呟いた。
「わたしの仕業じゃない、ということしか」
「口止めされて言えないのか。それとも、本当に知らないのか」
「本当に知らないのよ」
俺はがっくりと肩を落とした。
朝倉の話を全面的に信頼するなら、二週間分の記憶を失ったところで、今後の生活に大した影響はないだろう。
そのうち長門が帰ってきて、朝倉はお役御免、俺は平穏な日々を取り戻す。
しかし、ハルヒの不思議パワーを二年間間近で浴び続けていたからかもしれない、
放射能を浴びて突然変異した動植物が如く、とまで言うと大げさだが、
異変察知能力、第六感とも呼ぶべき直感が、この二週間の記憶を取り戻せと警鐘を鳴らしていた。
「質問はこれで終わり?」
「いや、まだだ」
記憶の復元にあたり、避けては通れない道がある。俺は聞かなければならない。
朝方スウェットの下に足を通してからというもの、俺が自分が自分であることに自信を持てなくなった原因を。
「お前は昨日、いつ俺のベッドに忍び込んだんだ?」
「あら、忍び込んだだなんて心外ね。
キョンくんがお夕飯を一緒に食べていかないかって誘ってくれて、
一度家に帰るフリをして、またこっそりキョンくんの部屋に戻って、そのまま一緒に眠ったのよ」
待て待て待て待て。
それじゃあ何か、俺は自分の意志で朝倉を家に請じ入れ、
自分の意志で朝倉と寝床を共にしたというのか。
そんな馬鹿な。
朝倉が復活してから二週間、いったいどんな心境の変化が俺に訪れたんだ?
「本当に全部忘れちゃったのね……」
「その同情するような目をやめろ」
「キョンくん、落ち着いて聞いて。
何も不思議なことじゃないわ。
だってわたしたちは、秘密で付き合ってるんですもの」
絶句した。次いで、乾いた笑い声が漏れてきた。
危険な状況下では恋愛感情が芽生えやすいというが、
危険の元凶が相手の女でも吊り橋効果は働くらしい。
「俺達は、その、どういった経緯で付き合いだしたんだ?」
「わたしがカナダから帰ってきて、偶然席が近くになって、
それから涼宮さんも交えてよく喋るようになって……一週間前に、わたしがキョンくんに告白したの」
フラッシュバックする。
西日に満たされた静かな教室で、両手の指を胸の前で絡ませ、
潤んだ眼差しで思いの丈をぶつけてくる朝倉の姿が。
「ハルヒが、そんなことを認めるわけがない」
「だから、秘密で付き合ってるって言ったじゃない。
涼宮さんを含めたSOS団やクラスメイトの前では、わたしとキョンくんは、ただのお友達よ」
「俺はお前と、何度寝たんだ?」
「女の子にそんなことを言わせる気?」
「あ、いや……、すまん」
無意識に尋ねた内容が、著しくデリカシーに欠けていることに気づき、反射的に頭を下げる。
朝倉は頬をほんのり桜色に染め、
「四回よ」
と呟いた。俺は自分自身に幻滅した。
朝倉と付き合い初めて一週間以内に四回。
まるで猿だ。性の乱れ甚だしい。
俺は朝倉とまともに視線をあわせることもできずに、湯のみに向かって宣言した。
「交際は、解消だ」
「いいわよ」
面を上げる。意外なほどにあっさりと認めてくれるんだな。
「あなたと別れたくなくて、だだをこねると思った?
ふふ、うぬぼれ屋さんなのね」
朝倉は悪戯っぽく笑い、それから、寂しそうな顔をして言った。
「今のキョンくんにとってわたしは怖い殺人鬼。
そんなわたしが交際継続を迫っても、余計にキョンくんの心象を悪くするだけ。
だから、また一からやりなおさなくちゃ」
間違ったことをしたわけでもないのに、罪悪感が胸に去来する。
「わたし、もう教室に戻るね。
キョンくんは少し遅れて来てもらえる?
わたしたちが授業室の教室に一緒に入っていったら、色々と問題があると思うから……」
「そういえば、朝倉はなんと言い訳して教室を出てきたんだ?」
朝倉はくすりと苦笑して、
「秘密。キョンくんは本当に、わたしを恥ずかしがらせるのが好きなのね」
ああ、そうかい。
訊いた俺が野暮だったよ。
二限目と三軒目の休み時間を見計らって教室に戻ると、HR前の騒ぎが響いているのか、
クラスメイトから若干の距離を取られているような気がした。
が、唯一の例外は淀みない足取りで俺のところへ一直線にやってくると、
唇を開き、閉じ、開き、閉じを繰り返し、微かに火照った顔で俺を睨みつけ、
「…………」
まったく、言いたいことがあるなら言えってんだ。
「朝は怒鳴って悪かった。俺がどうかしてたんだ」
「いきなりわけわかんないこと言って、どっか行っちゃって……!
あたしに偉そうな口きいた罪と、あたしを心配させた罪、しっかり償わせるからね」
「はいはい」
「はいは一回!」
お前は俺のおふくろか、と思う。
席に着くと、朝倉は体調の優れないクラスメイトを気遣う模範的な態度と声音でもって、
「気分はもういいの?」
と尋ねてきた。文芸部室の時間が嘘のようだ。
「マシになった」
「あんた朝倉さんにもきちんと謝りなさいよね」
「……悪かったよ」
「いいのよ、涼宮さん。キョンくんも、わたしは全然気にしていないから。ね?
疲れているときって、自分でも思ってもみない行動をとってしまうもの。
わたしにも似たような経験があるわ」
それから朝倉は、他の女子グループに呼ばれて、嬌声の輪の中心に入っていった。
「なあ、ハルヒ」
「なによ」
「俺は朝倉がカナダから戻ってきてから、どんな風にあいつと接してた?」
ハルヒは隙あらば悪態をつこうと尖らせていた唇をすぼめて、
「どんな風にって……キョンのことは、キョンが一番よく知っているでしょ?」
「いいから、教えてくれ」
「そうね、朝倉さんが戻ってきてから、一日か二日は、
なんだか朝倉さんのことを避けてるみたいだったわね。
でも、だんだんあたしと朝倉さんの話に混じるようになってきて、
今では傍目に見てたらイラつくくらい仲良く……って、何言わせてんの!?」
ハルヒがセルフツッコミをいれたそのとき、折よく物理教師が現れ、三時間目のチャイムが鳴った。
お喋りは終わりだ。
二週間の空白のせいだろうか、
黒板上に展開される数式やギリシャ文字はもはや五歳児の描いたピクトグラムのごとき難解さで俺の網膜に写ったが、
試験前に要点だけを詰め込む俺にとっては、差し当たっての問題は朝倉のことだった。
授業中、俺はずっと、二週間前の俺がどんな経緯を経て朝倉と恋仲に陥ったのか、考えを巡らせていた。
手っ取り早い解決策は、斜め後ろの朝倉に直接訊くことだ。
が、ハルヒの地獄耳に盗聴されるのは必至な上、俺の安価ながらもそこそこの強度を誇るプライドが許さない。
堂々巡りの午前が終わり、
昼食を国木田谷口といういつもの面子と共にし、
五、六時間目のナイトキャップにも使えそうな現国を乗り切り、放課後。
「職員室に用事があるから、また後でね」
と含みのある言葉を残して朝倉がいなくなり、
俺はハルヒに教科書類の片付けの遅さについて文句をつけられつつ、
文芸部室へと向かっていた。
「長門がいなくなってもう二週間か」
と俺は探りを入れてみる。
ここで「長門って誰のこと?」などとハルヒが言えば、
俺は朝倉の胸ぐらを掴みに職員室に突っ走っていたところだが、
「短期留学って、一ヶ月くらいが普通じゃない?」
と中期の休学理由として至極まともな答えを返され、
ああ、長門の不在理由はそんな風に誤魔化されているのだと納得した。
文芸部室にあと10メートルと迫った時点でハルヒは勢いよく加速し、
「やっほー」
と死語になりつつある挨拶を叫びながらドアを開けた。
「こんにちわ」
と爽やかなアルカイックスマイルで応えたのは古泉。
「すぐにお茶の用意をしますぅ」
と甲斐甲斐しい動きで急須に手をかけたのは朝比奈さん。
ハルヒがどっかと団長席に座り、俺が古泉の対面のパイプ椅子を引いて、
めでたくいつもの文芸部室の完成だ。
俺たちが来るまで朝比奈さんと古泉はそれぞれの私事に没頭していたらしい。
古泉の前には理系科目の参考書が積まれ、その横に広がったノートの上には、
古泉の人となりをそのまま反映したかのような繊細で尖った文字が横罫と横罫の間を埋め尽くしている。
朝比奈さんのパイプ椅子の上にはティーン向けのファッション誌が開いた状態で乗っていて、
ふわふわした感じのモデルがこれまたふわふわした感じの服を着ている写真が掲載されていた。
「すみません」
と古泉がちっとも申し訳なさそうな声で言った。
「あなたが来るまでに終わらせようと思っていたのですが。
今日追加された課題も含めて、提出物が山積しているんですよ」
「悪いが、俺にはお前がなんのことを話しているのかいっこうにわからん」
「僕が先日の雪辱を晴らすべく、
今日はオセロの十番勝負をすると約束していたのをお忘れですか」
「その……先日というのは?」
「一昨日だったと思います」
ああ、それなら覚えていなくて当然だ。
「俺には二週間分の記憶がない。オセロの約束も知らん。
だからお前に謝られる謂れもない。
それよりもこの記憶喪失について、何か心当たりがあるなら教えてくれ」
古泉は笑顔を引き攣らせ気が動転した拍子にパイプ椅子から転げ落ちた――ということもなく、
爽やかな笑顔はそのまま、ノートにペンを走らせながらこう言った。
「記憶喪失、ですか。……ふむ。
あなたがこういった冗句を好む性格ではないことを承知で訊きますが、事実なんですね?」
「お前が承知している俺がどんなだか知らないが、
だいたいの人間は大真面目な顔で自分が記憶喪失にかかったなんて嘘はつかないと思うぜ」
「確かにそうですね。
僕も本心からあなたが嘘をついていると疑っていたわけではありませんよ。
でも、だからこそ、僕は驚いているんです」
古泉は小さく唇の端を吊り上げ、
「記憶を喪ったというのに、あなたは"不自然なほど"落ち着いている。
これも経験則の成せる業、といったところでしょうか」
まあ、わたしは誰ここはどこ状態に陥ったわけでもないからな。
俺は自分の名前を言えるし、自分の家がどこにあるのかも分かる。
ただ、ここ二週間――長門が海外留学することになってから今朝まで――の記憶がすっぽり抜け落ちているだけだ。
「初めに言っておきますが、この件と機関は無関係です。
あなたの記憶を消去する意味がありませんし、
なにより、現代の人類は、
記憶を選択的に消去する科学力を持ちえません」
窓際の空席と、ハルヒに弄り倒されている朝比奈さんを流し見し、
「未来人、あるいは宇宙人には、可能かもしれませんが」
と微笑する。
本心で言っているのか、冗談で言っているのか分からないところに腹が立つ。
生憎、俺が細やかな機微を読み取れるのは、相手が長門のときだけなのだ。
「それにしても、あなたが誰かの手によって記憶喪失にされたと仮定すると、これは非常に由々しき事態です。
我々が第一に重きをおいているものは、涼宮さんの心の平安です。
あなたの記憶喪失は、彼女にとって格好の不思議となりうる。
どうかこのことは、くれぐれも内密にお願いしますよ」
俺はべらべら喋る古泉に嫌気がさしてきたので、
「別に俺は犯人探しをしているわけじゃねえし、
ハルヒの奴に喋って話をややこしくするつもりもねえ。
心当たりがないなら、黙って首を横に振ればよかったんだ」
「これは失礼。しかし、あと一つだけ、あなたに忠告しておきます。
あなたの記憶が消されたということからは、ふたつの理由が考えられます。
ひとつはあなたの記憶を消去することによって、間接的に涼宮さんの動向を探ろうとした可能性。
ひとつはあなたがここ二週間に見知ったものに、下手人にとって都合の悪いものが含まれていたという可能性」
前者はハルヒの気分を掻き乱す方法としては、あまりに婉曲すぎる。
俺がこうして普段どおり登校し、普段どおりハルヒと接することができている以上、失敗したも同じだしな。
ありえるとすれば後者だ。
「ええ、僕も同じ考えです。
あなたはあなたの与り知らぬところで、もしくは意図的に、
知ってはならないことを知ってしまった。及んではいけない行為に及んでしまった。
それを無かったことにするために、誰かがあなたの記憶を抹消した」
秘密を知った組織の下っ端が、口封じのために殺される。
それのマイルド版が俺の身に起こったのだろうか。
キョンと朝倉って付き合ったら上手くいきそうだよな。
420:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/16(土) 17:29:46.16:fBIXp/5Z0>>418
良くも悪くも「一般的」に近いからな。
表面上は
421:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/16(土) 17:34:32.06:wnCx54mGO良くも悪くも「一般的」に近いからな。
表面上は
>>418
朝倉さんの主婦力は53万です
422:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/16(土) 17:45:36.46:NVoWDZ4s0朝倉さんの主婦力は53万です
「こんなことはもう起こらないだろうが、いちおう用心する」
古泉は満足気に頷いた。
もしも本気で超常能力を持つ誰かに襲われたら、
同じく超常能力を持つ誰かに守ってもらうしか術はないのが、
これまでも、そしてこれからも変わらない一般人の俺ではあるが、
警戒しないことに越したことはないだろう。
「ところで、お前に頼みごとがあるんだが」
「何でしょう?」
「ここ二週間、俺がどこで何をしていたか、調べてくれないか」
「いいでしょう。言われずとも、そうする気でした。
機関は僕やあなたを含めた涼宮さんの周囲にいるすべての動向を把握するよう努めています。
プライバシーに直接関わることを除けば、
ここ二週間のあなたの行動は、これまでと同様に、
ほぼ全てが記録されていると言っても過言ではありません。
こんなことを聞かせても、いい気分はしないでしょうが」
「助かる」
「お安い御用です」
古泉はそこで並列作業をやめ、携帯を少し弄ると、課題を解くのに没頭しはじめた。
特進クラスの宿題の多さには同情するよ。
手伝ってやる気はさらさら起こらないがな。
さて、これといったノルマも自主的に勉強する気もない俺は、
茫洋と横たわる余暇を潰すべく、本棚に近づいた。
長門からのメッセージを探すためじゃない。
純粋に読書するためだ。
ハイペリオン、鋼鉄都市、しあわせの理由と重厚なSFが続く中、
上弦の月を喰べる獅子を見つけて、それを手に取る。
『海外のSFばかりじゃなくて、たまには和製SFも読んでみないか』
『………あなたが選んで』
『これなんかどうだ?
いつも読んでるのと趣向が違ってて面白いかもしれないぜ。
借りてみたらどうだ』
森閑な図書館の一角。
長門は擦り切れた表紙を捲り、数頁に目を通し、
『いい』
と首を横にふった。
『そうか……』
『購入する』
それから俺達は書店を巡り、とある古本屋で同じものを見つけたのだった。
喫茶店に戻る頃には、主に俺がへとへとになっていた。
忘れられない、長門との思い出のひとつだ。
パイプ椅子に楽な姿勢で座ったそのとき、ハルヒが出し抜けに時計を見て「遅いわ!」と叫んだ。
特に大きな声でもないのに、霹靂神のごとき大音声で俺の気を引くのはなぜだろう。
神の機嫌に敏感な超能力者に感化されつつあるのか、俺は?
いったいどうしたんだと尋ねる俺の思いやりを華麗にシカトし、
それまで弄っていた朝比奈さんをもほっぽり出して、ハルヒはのしのしと
文芸部室と廊下を分かつドアに近づき、
「ちょっと職員室行ってくるから!」
と言って出ていってしまった。
何か不始末をしでかしいつ呼び出しをくらうともしれない時を悶々と過ごしていたハルヒが、
緊張感にたえきれなくなり自首したというストーリーが浮かんだが、
そもそもあいつの悪戯に後悔が伴ったためしはなく、(躊躇するような悪戯は最初からしない主義なのだ)
ましてや自首などするわけがないという結論に落ち着いたそのとき、朝比奈さんが隣のパイプ椅子に座り込んだ。
「ふぇえ、疲れましたぁ~」
ハルヒにさんざん胸を揉まれたり脇腹を撫で回されたりしたせいで、
仄かに上気した朝比奈さんは普段の十倍増しに妖艶で、
メイド服の胸元を締め付けるボタンを二つ外せば
MySweetAngelからMyFallenAngelになること請け合いだ。
「ハルヒと一緒に何をしてたんですか?」
「えっとぉ、今度一緒に服を買いに行くことになって、雑誌で下見してたんです。
わたし、欲しい服には予めチェックを入れていたんですけど、
涼宮さんが、わたしの体にきちんと合うか調べるって言って……」
寸法、図られちゃいましたと舌を出す朝比奈さん。
扇情的な仕草に脳みそがやられそうになるが、なんとか堪え、
「ハルヒがいない間に少し話があるんですが、聞いてもらえませんか」
「そのぅ、古泉くんには?」
朝比奈さんが対面を伺う。
気を遣ったのか偶然かは知らないが、
古泉は両の耳穴にイヤホンを差し込み、
音漏れ上等の大音量で英会話を聞いていた。
シャーペンは間断なく筆記体のアルファベットをノートに書き付けている。
「こいつにはさっき話しました。
……実は、俺にはここ二週間の記憶がないんです。
何か心当たりがあれば、何でもいいんです、言ってください」
朝比奈さんの反応は、予想どおりだった。
残念だが、仕方ないと自分を納得させる。
もしも朝比奈さんが関係しているとしたら、それは現代の朝比奈さんではなく、
もっと未来の、大人版朝比奈さんである可能性が高い。
だが、朝比奈さんは独自の感性で、
記憶消滅の不審点を洗い出してくれた。
「古泉くんの言うとおり、キョンくんの記憶が消えたのには、
その犯人にとって都合がよかったからだと思います。
でも、それならそれで、どうして二週間まるごと消そうと思ったのかなぁ……。
もしもわたしがキョンくんに恥ずかしいところを見られて、
キョンくんの記憶の一部だけ消せる力があったら、
恥ずかしいところを見られた一瞬だけ消すと思うんです。
そうしたら、キョンくんもこうして記憶を消されたことに気がつかないかもしれないでしょ?」
確かにそうだ。
鈍い俺は「ぼーっとしていた」程度の言い訳で自分を納得させてしまうことだろう。
朝比奈さんは続けてこうも言った。
「キョンくんは、今朝記憶をなくしたことに気づいたんですよね。
詳しくいうと、どの時点で気づいたんですか。
新聞を見たとき?TVを見たとき?それとも、家族と話したとき?」
言葉に詰まった。
目の前に全裸の朝倉が寝ていたとき、と正直に打ち明けられたらどんなに気が楽だろう。
無垢な小動物みたいな双眸をこちらに向ける朝比奈さんにそんなことが言えるはずもなく、
しかし適当な言い訳が思い浮かばないまま刻々と時が過ぎ……。
「たっだいまー!!」
ハルヒが帰ってきた。傍らには同じ背ほどの女生徒を連れている。
やれやれ新しい依頼人か、と顔を注視した俺が馬鹿だった。
口に含んだお茶を噴出し、古泉のノートにドでかい染みを作ってしまったからだ。
俺に一日で三個の肝を潰させた女、朝倉涼子がそこにいた。
「だ、大丈夫ですか、キョンくん!?」
すかさず朝比奈さんが背中を摩ってくれる。
古泉は何事かとノート、俺、ドア付近へと視線を移し、
すべてを悟ったような神妙な顔になった。
ハルヒは団長席に座り、無様に咳き込む俺を睥睨し、
「驚きすぎよ。古泉くんはもっと怒っていいのよ?ノートが台無しじゃない」
「いいんですよ。わざとではなさそうですし、ノートは換えが利きますから」
俄に喧騒に満ちた文芸部室に、朝倉は悠々と足を踏み入れる。
中央のテーブルを通り過ぎ、さらには団長席を通りすぎて、窓際のパイプ椅子へ。
俺の気管がお茶を吐き出し終えた頃、皆が挨拶を交わした。
「こんにちわ」と古泉。
「どうして遅くなったんですか?」と朝比奈さん。
「定期試験をどうするか、先生と相談していたの。
あっちとこっちでは授業の進み方が違うから……」と困り顔の朝倉。
「朝倉さんは、最初からみんなと同じ内容のテストでいいって言ってたのに、
あいつら、細かいところでうるさくてね。
あんまりしつこかったから、あたしが引っ張ってきたのよ」と誇らしげなハルヒ。
「それはそれは。災難でしたね」と朝倉を労う古泉。
「涼宮さんらしいです」と苦笑する朝比奈さん。
俺は談笑の輪には加わらず、朝倉が相談事を切り出す瞬間を待っていた。
だが、待てども待てどもその時は訪れない。
朝比奈さんが朝倉の分のお茶を用意し始めたあたりで、いてもたってもいられなくなり、
「朝倉はどうして文芸部室に来たんだ?
何か俺たちに頼みたいことがあったんじゃないのか?」
ハルヒと朝比奈さんは、ぽかんとした顔で俺を見ていた。
朝倉と古泉は俺が何をいわんとしているのか察しているようだった。
俺は止めの一言を口にした。
「朝倉は、依頼人だろ?」
ハルヒはぱちくりと瞬きし、"記憶喪失した人間を見るような目"でこう言った。
「あんた何言ってんの?
朝倉さんは、SOS団の仲間じゃない」
奇妙な沈黙が部屋に降りた。
やっとのことで声を絞り出す。
「いつから?」
「半月ほど前からよ。
留学した有希と入れ替わりに朝倉さんがカナダから帰ってきて、
欠員補充のために、あたしが誘ったのよ。
そのとき、あんたも隣にいたじゃない。本気で忘れたの?」
「………は、はは。そうだよな。
いや、悪い。悪い冗談だった」
停止していた時間が動き出す。
ハルヒは憮然として「朝のときみたいに、いきなり変なこと言わないで」と言い、興味をパソコンに移した。
古泉は俺を慮ってか、何も言わずにイヤホンを耳に挿し直し、
今更俺の失言の意味に気づいた朝比奈さんは、急に落ち着きをなくし、
当の朝倉は鞄を椅子の隣に置いて、本棚の近くをうろつきはじめた。
ハルヒが優しい声音で訊いた。
「何を探してるの?」
「読みかけの本が見当たらないの。
帰るときには必ず本棚に直すようにしていたんだけど」
「ああ、あの古めかしい本ね。
あたしも一緒に探してあげる。
直しただいたいの位置は憶えてる?」
「右端の棚の、上のあたりだったはずよ」
「念のために聞くけど、本の名前は?」
「上弦の月を喰べる獅子」
どきりとした。それを察したのか、
「あっ!」
素っ頓狂な声をあげて、ハルヒがすっ飛んでくる。
ハルヒは本を取り上げ、その角で俺の頭をべちべち叩きながら、
「あんたが読んでたなら、さっさと言いなさいよ!
朝倉さんが困ってるのを見て、楽しんでたわけ?」
「違うんだ。そういうわけじゃ……」
「そういうわけもこういうわけもないでしょ?
昨日も、その前の日も、朝倉さんがこの本を読んでたことは知ってるはずじゃない」
その台詞を聞いた瞬間、ありふれた比喩だが、頭の中が真っ白になったのを覚えている。
我に帰ると、帰路の中程を、呼吸困難に喘ぎながら全力疾走している自分がいた。
『うるさい!俺は知らないんだ。
朝倉がSOS団に入ったことも、この本を読んでたことも、今初めて聞かされたんだよ!』
『キョ、キョン……?』
『朝倉、お前もお前だ。
SOS団に入って、何のつもりなんだ?
窓際の席は元々は長門の席だったんだ。
そこに座って、本を読んで、長門になったつもりか?』
『キョンくん、わたしは……』
朝倉が何かを言いかけ、それを聞く前に、俺は部室を飛び出していた。
やっちまった、という後悔に、
言いたいことを後さき考えずにぶちまけた爽快感が優った。
ハルヒの機嫌取り?糞食らえだ。
そんなもんは古泉に任せときゃなんとかなる。
誰が俺を責められる?
二週間分の記憶をなくし、天敵と遭遇し、
そいつと学校にいるあいだ四六時中同じ空間にいることを強要され、
あげく耐え切れず爆発したことに何の罪があるってんだ。
………………。
…………。
……。
人間の怒りは二、三十分が限度だ。
家に到着するころには、頭が冷え、決して実を付けることのない後悔が根を張り始めていた。
ハルヒは朝のHR前の時点で、何かしらの不信感を俺に感じているはずだ。
そこに放課後の一件が上塗りされれば、
今頃は閉鎖空間がそこかしこに発生し、
古泉ら超能力者が神人狩りに駆り出されているに違いない。
味のしない晩飯を食べ終え、自室に篭る。
何も考えたくなかった。
ベッドを見ると、朝方の光景を思い出し、さらに気が滅入った。
「キョーンーくんっ」
薄く目を開ける。
三味線の両脚をつかんだ妹が、満面の笑顔でそこにいた。
「あーそーぼ?」
「悪いが、お兄ちゃんは今そんな気分じゃねえんだ」
我ながら大人気ない対応だ、と思う。
「ええーそんな気分じゃないって、じゃあキョンくんは今、どんな気分なの~?」
「最低な気分だ」
「わかんない。あたしやシャミにもわかるように説明して?」
「シャミにはどんなに分かりやすい説明でも伝わらねえよ」
「そんなことないよぉ~。ねぇ、シャミ?」
三毛猫は知的とは程遠い不細工な顔であくびする。
俺は笑った。妹も笑った。
そのときふいに、俺は妹が俺を慰めにきたのだということに気がついた。
「お前は、学校に嫌な奴とかいないのか?」
いると答えられたらどうしようかと思ったが、
「いないよ~。みんないい子だもん。
たまにちょっかいかけてくる男の子はいるけど……」
「いるけど?」
「おはなしをきいたら、あたしと遊びたくてちょっかいをかけたんだって~」
妹は天使の――ゆくゆくは魔性の――笑みを浮かべた。
「キョンくんは、学校にいやな子がいるの?」
「まあな。別に喧嘩してるわけじゃないんだぜ。
俺が一方的に、苦手に感じてるだけなんだ」
「キョンくんは、どうしてその子が苦手なの~?」
「あることが切欠で……俺がそいつに、嫌な思いをさせられてさ。
しかもそんなことが二回も続いて、
俺はいよいよそいつに、拒絶反応が出るようになっちまったんだ」
妹は思案するように人差し指を顎に当て、
シャミセンは俺の相談など何処吹く風というように、ベッドの上で眠り始めた。
俄に、顔が熱くなる。
何を大マジになって妹にお悩み相談してんだよ、俺は。
階下に妹とシャミセンを送り返す決心を固めたそのとき、
「その人はねぇ、ほんとうにキョンくんのことが嫌いで、そんなことをしたのかな?」
妹は神妙な顔つきになって言った。
「あたまの中で思ってることと、することがちがっちゃうことって、けっこうあるよ?
学校の男の子たちといっしょだよ。
その子だって、ほんとうはキョンくんとなかよくなりたかったのに、キョンくんに嫌われるようなことをしちゃったのかも……」
仲良くなりたくて刺すとは
469:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/16(土) 23:33:09.45:aP5rSdRc0なんという積極的アピールw
471:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/16(土) 23:42:08.79:A448ZJDtOまぁどっちも本人の意志ではやってないわな
そういえば最初は急進派の意向でやってるけど、二回目も含めて長門の為にやってるとも受け止めれるな
一回目は長門を信用させるため、二回目は長門を守る為ともとれるし
473:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/16(土) 23:48:20.81:NVoWDZ4s0そういえば最初は急進派の意向でやってるけど、二回目も含めて長門の為にやってるとも受け止めれるな
一回目は長門を信用させるため、二回目は長門を守る為ともとれるし
ハッとさせられた。
妹の体験談ほど単純ではないが、
朝倉と俺の関係に置換すると、こうなる。
朝倉涼子というヒューマノイドインターフェイスは急進派の意思決定を反映する一端末に過ぎない。
"俺を殺す"という究極的選択に朝倉個人の意志は介在していなかった。
だが二度目はどうだ、と俺の裡の誰かが囁く。
改変後の世界、情報統合思念体が消滅した世界で、俺は朝倉に刺されたんだぞ。
しかし、と裡なる別の誰かが反論する。
あの世界は長門が望んだ世界だ。
それを破壊しようとする因子を排除する抗体が朝倉で、
朝倉は抗体としての役割に縛られていたのだとしたら……。
階下からおふくろの声がする。
「はぁーい。あたし、さきにお風呂入ってくるね」
「……その、なんだ」
「なぁに?」
「ありがとな」
「いいよいいよ。だってあたしは、キョンくんの妹なんだよ~?」
情けなさよりも、感謝の思いが募る。
いつか近いうちに「俺はお前のお兄ちゃんなんだからな」なんて台詞を言いたいもんだ。
とてとてと部屋を出て行く妹を見送っていると、携帯のバイブが震える音がした。
ついでに、シャミセンが奮闘する音も。
「おいこら、俺の携帯で遊ぶのはやめろ」
新たな傷を加えられた携帯を開くと、ハルヒの名前が目に飛び込んできた。
ボタンを押す。あいつを待たせて事態が好転したためしはない。
ハルヒはほとんど囁きに近い小さな声で言った。
「明日、団活に来る?」
「ああ」
「そ」
通話が切れそうな気配がして、
「おい待て、話はそれで終わりか?」
たった三言ですむような会話ならメールですませろと言いたい。
「…………」
衣擦れの音や、何かを言おうとして躊躇するような息遣いが聞こえる他は、
沈黙の時がたっぷり三十秒は続き、
「あたしがいつもあんたのことを平団員って言ってるのは、ポーズだから」
「はぁ?」
「つまり、あたしはあんたのことを、
SOS団の最初から一緒にやってきたって意味では、
副団長よりも評価してるって言ってんの!」
「ああ、そうかい」
「なによ、これでもまだ不満なわけ?」
どうにもハルヒの意図がつかめない。
今朝や放課後に見せてしまった、朝倉に関する記憶の歯抜けに言及されないのはありがたいが。
「確かに最近のあたしがあんたに厳しくしてたのは認めるわよ。
でも、それもこれもキョンが悪いんだからね。
団活中はぼーっとしてるし、あたしが話しかけても上の空だし、
今日は今日で、いきなり怒鳴りだすし……」
今日以前のことには、触れられても反応できない。
普段から熱心な団員とは言い難かった俺だが、
ここ最近の俺は、ハルヒに対しても適当に振舞うほど気が抜けていたのだろうか。
「ねえ、あんた、本当に疲れてるの?
どうしてもっていうなら、一日くらいは団活休んでもいいのよ?」
「……ありがとな」
「な、なによ急に」
「団長にこんなに心配されて、平団員その一は幸せだ」
「ばっ、ばっかじゃないの。
とにかく、来るって行ったからには、明日も絶対団活に来ること!
今日みたいに勝手に帰っちゃったら、罰金じゃすまさないんだからね。
私刑よ、私刑!」
「分かったよ。肝に銘じとく」
がちゃり。
名残惜しさを微塵も感じない清々しい切り方だった。実にハルヒらしい。
さて、携帯を震えて光る玩具か何かと信じて疑わない三毛猫を部屋から移動させようと奮闘していると、
またしても着信音が鳴り始めた。さっきと同じ攻防の果てに携帯を取り戻し、
「もしもし」
「古泉です。いくつかお話があるのですが」
ハルヒの機嫌を思い切り損ねたことへの説教か?
「まさか」
古泉は大袈裟な声で言った。
首を竦めている様子が透けて見える。
「あなたが部室を飛び出した直後は閉鎖空間の発生が3件観測されましたが、
いずれも規模は比較的小さく、20分以内に全て収束しています。
僕があなたに電話した理由のひとつは、あなたに謝罪するためです。
僕はあなたの記憶喪失を知らされた時点で、
あなたがSOS団の新しい団員についての記憶も喪っていると、類推しなければならなかった。
予備知識のあるなしは人の心理に多大な影響を及ぼします。
もしもあのとき、僕があなたに朝倉さんのことを予め伝えていたら、」
「俺がお前のノートにお茶をぶっかけることもなかった」
「ええ、そのとおりです」
「ノート、ダメにしちまって悪かったな」
「気にしないでください。部室でも言いましたが、あれはもともと復習用でしたから」
波風を立てるのを嫌う古泉なら、
たとえ志望大学の願書を引き裂かれてもにこやかに許してくれることだろう。
いつか大損こくと思うぜ、お前の性格は。
「電話の理由はそれだけか?」
「いえ、あとひとつ……。
突然ですが、あなたの携帯は新しい方ですか?
夏の初めに機種を変更したと言っていましたが」
「最新じゃあないが、結構新しいモデルだ」
「それならきっと大丈夫でしょう。電話を切った後で、
ここ二週間のあなたの足跡を記録したファイルをメールに添付して送信します。
思ったよりも時間がかかってしまって、すみません。
あなたの情報を外部に持ち出すとなると、煩雑な手続きが必要でして」
俺の情報を機密扱いにするのは勝手だが、
お前の上司は何の目的で俺を重要人物扱いしてるんだ。
「さあ、末端の僕には何も知らされていませんので」
お前の常套句は聴き飽きたよ。
古泉は軽妙な笑い声で答え、唐突に通話を切った。
しばらくして、メールが届く。
添付されていたのはかなり大きなpdfファイルで、
二週間前の日付から昨日の日付まで、
俺の行動が客観的に記録されていた。
それを主観的に描写しなおすと、以下のようになる。
一日目。
長門が海外留学し、朝倉がカナダから帰国。
実際には長門から朝倉へハルヒの監視任務が委任された。
俺は事前に長門から事情を聞かされていた。
二日目。
放課後、クラスで歓迎会が執り行なわれる。
ハルヒと俺は団活を休み歓迎会に出席。
三日目。
ハルヒが朝倉をSOS団に勧誘。
朝倉は返答を保留。
俺はそれを静観。
朝倉とは義務的な会話に終始。
四日目。
朝倉が団活に初めて参加する。
SOS団のメンバーの反応は良好。
朝比奈さんが朝倉に対し若干の拒絶反応、時間経過に伴い軟化。
朝倉との会話頻度が上昇。
五日目。
朝倉との会話頻度が上昇。
六日目。
朝倉が入団してから、初めての学外での団活。
指定時間に遅刻した俺と朝倉が強制的に班を組まされる。
会話頻度が上昇。
和やかな雰囲気。
七日目。
朝倉の個人的な買い物に同行した。
会話頻度がさらに上昇。
八日目。
登校時、下駄箱にて手紙らしきものを発見する。
16時27分、朝比奈さんと古泉に断りを入れて文芸部室を退室。
――監視対象をロスト。
機関の監視員が右往左往している間に何が起こっていたか、俺は知っている。
記憶はないが、朝倉が教えてくれた。
俺は朝倉に告白されて、首を縦に振ったのだ。
ベッドに倒れこむ。
シャミセンは軽い身熟しで俺を躱し、
「なーう!」と寝床を奪われたことに抗議し、どこかに去っていった。
溜息もでねえ。
これで証明されちまったわけだ。
会話の頻度が上昇?
朝倉の私的な買い物に同行?はっ。
虚無感と諦観が混じり合うと、笑気ガスと同じ効果を発揮するらしい。
俺は一人で小さく笑いながら、
俺が「自分の意志」で朝倉と恋人になったという忌々しい事実を噛み締めていた。
翌日。
「それでよぉー八組の駒田が、」
「あのね谷口、ちょっと静かにしてくれないかな」
昼食時、国木田は谷口の舌鋒をやんわりと退けつつ訊いてきた。
「キョン、先週末に朝倉さんと喧嘩でもしたの?
昨日から全然喋ってないみたいだけど」
一口餃子が食道に詰まる。
「………」
「僕たちには言いにくいことなの?」
朝倉曰く、俺と朝倉は秘密裏に交際していた。
SOS団でも、クラスでも、俺たちはただの"お友達"だった。
しかし"お友達"を演じていながらも、
俺と朝倉の親密さは傍目に感じ取れるレベルだったらしい。
それはこの前のハルヒの発言や、
今しがたの質問から容易に推測できる。
「確かに昨日の朝はキョンの様子おかしかったしな」
谷口はぐいと肩を寄せてきて、
「お前まさか……もしかすると…………あれか、コクっちまったのか?」
「た、谷口!」
「だってそれしか考えられねえじゃんかよ。
朝倉の優しさを好意と受け取ったおめでた頭のキョンは、
週末に盛大にコクって玉砕、友達でいようと言われたものの、
朝倉に合わせる顔なんてなく、無愛想に振る舞っちまう……」
「あのな」
「いい!いいんだぜ、キョン!
みなまで言うな。女にフラれる悲しさは俺もよーく知ってる」
「お前と一緒にしないでくれ」
谷口を押しのける。
俺は半ば自棄になって言った。
「俺と朝倉のあいだには……何もない!」
「その微妙な間と、ムキになって否定するところがまた怪しいよね」
「キョーンー俺たち親友だろ?
隠し事なんてらしくねえよ。全部吐いちまえ。な?」
谷口の酔漢のごとき鬱陶しい絡みと、
国木田の冷静で的確な指弾に押され、いよいよ俺が教室から退避しようとしたとき、
「ふふっ、大丈夫、キョンくん?」
空の弁当包みを携えた朝倉が、
谷口と取っ組み合う俺を、可笑しそうに見つめていた。
何か言わなきゃならない。
こいつらを納得させるような台詞。
別に気が利いてなくてもいい。
俺と朝倉の関係が、先週と変わらない"お友達"のままであると錯覚させる台詞。
「あ、朝倉」
顔面の筋肉が引き攣らないように祈りつつ、
「今日の放課後は、そのまま部室に行けそうか?」
「ええ。涼宮さんのおかげで、先生たちも納得してくれたみたい。
涼宮さん、強引だけど頼りになるよね。
あっ、そうそう。
キョンくん、今日は部室で一緒に現国の課題をしない?
わたし、ウトウトしてきちんと授業を聞いてなくって……キョンくんは起きてた?」
「俺も寝てた」
朝倉は顔を綻ばせて、
「じゃあ、涼宮さんが先生役で、わたしとキョンくんが生徒役ね。
涼宮さん、授業中に課題を終わらしちゃったんですって」
わたし三組の友達に呼ばれてるから、と言って去っていく朝倉。
谷口と国木田はスカートから伸びる肉付きの良い太股を眺めながら、
「僕たちの勘違いだったみたいだね」
「キョン、俺も現国の課題一緒にやりにいっていいか?」
「ハルヒが認めたらな」
こいつらの疑念を晴らせたのは喜ぶべきことだが、
いちどこうした態度をとっちまったからには、
これからも積極的に、少なくとも不自然に思われない程度には、朝倉と会話しなくちゃならない。
時は移り放課後。
右手にハルヒ、左手に朝倉という両手に花状態で文芸部室にたどり着いた俺は、
予告通りにハルヒの教授の下、朝倉と並んで課題を終わらせ、
昨日果たすことのできなかったオセロ十番勝負に興じていた。
ちなみに谷口の特別参加はハルヒによって却下された。
「参りました」
俺は自分の名前の隣に、五つめの白星を書き記す。
これでお前の勝ちはなくなり、残り五戦を全勝しての引き分けしか目指せなくなったわけだが。
「勝負には時の運が絡みますからね。
特にオセロのような二元性のゲームでは」
つまり俺が勝ってお前が負けたのは偶然の結果に過ぎない、と言いたいわけか。
言い訳にしちゃ二流だな。
どうせなら腹痛でまともに思考力が働かないとでも言ったらどうだ。
「実は先日から慢性的な頭痛に悩まされているんですよ」
呆れて物も言えないね。
「じゃあ、わたしが代わってもいい?」
盤面を片付けていた手が止まる。
面をあげると、朝倉が古泉の隣に立ち、好奇心に富んだ瞳で盤面を見つめていた。
「これはこれは。
心強い助っ人の登場ですね。
残りの勝負は、朝倉さんにお任せするとしましょう」
古泉はさっと席を譲り、朝倉が座る。対面に座った朝倉はにっこりと微笑んだ。
「お手柔らかにね、キョンくん」
ぱちり。
……ぱちり。
セオリーに従って淡々とゲームを進める俺と違い、
朝倉は一手一手を吟味して指してきている。
表情は真剣そのものだ。
長考に入ると、太り気味の眉がへの字に曲がった。
ぱちり。
……ぱちり。
――朝倉とオセロをしている。
現実感が、ぽろぽろと剥離していく。
たまらず、朝倉から窓の外に視線を逸らした。
残暑の去った秋空は高く澄み渡り、斑雲に遮られた陽光は微温く、寂しげな風籟は秋の深まりを予感させる。
ぱちり。
……ぱちり。
朝倉は記憶を失う以前の交際期間について触れてこない。
朝倉は言った。「また一からやりなおさなくちゃ」と。
それは好意的に解釈するなら、朝倉に対する俺の苦手意識を矯正する、という決意の表れだ。
では俺は朝倉に対し、どんな態度を取るべきなのだろう。
表面上は友達のフリを続けながら、心の裡では残酷な殺人鬼のレッテルを張り続けるのか。
それとも二週間前の俺が辿ったように、徐々に態度を軟化させていくのか。
ぱちり。
……………ぱちり。
妹の言葉が蘇る。
行動と情動が同じとは限らない。
朝倉が俺を殺そうとしたのは、朝倉の意志によるものだったのか、それとも強制によるものだったのか。
二週間前の俺はどんな風に折り合いをつけたんだ。
直接朝倉に尋ねたのか。
ぱちり。
……………………ぱちり。
「やった。わたしの勝ちよ!」
気づけば、盤面のほとんどは黒に塗り替えられていた。
朝倉の圧勝だ。
上の空で打っていたとはいえ、実力差は歴然だった。
「敵わねえな」
「謙遜。キョンくん、何か考え事しながら打ってたでしょう。
やり直しよ。でも、勝ち星は記録させてもらうわね?」
朝倉は嬉々として古泉の名前の隣に白星を書き記す。
二戦目、三戦目、四戦目と、俺の名前の隣には黒星ばかりが増えていった。
確かに朝倉は強い。
が、二人零和有限確定完全情報ゲームに特化したスーパーコンピュータを相手にしているような、理不尽な強さじゃない。
朝倉は一般的なオセロが得意な女子高生の脳みそをトレースしているのだろうか。
それとも、朝倉の知能は元々セーブされていて、
その中で全力を出した結果がこれなのか。
長門とオセロをしていたときは気にならなかったことが、気になる。
「これで終わりよ」
朝倉の子供っぽさの残る指が、一枚一枚、盤面の白を反転させていく。
結局、五戦目も俺は負けた。あっさりと。
「ふふっ、手加減したほうが良かったかしら?」
「手心を加えられるくらいなら、全力で打ちのめされるほうがマシだ」
それまで朝倉の背後で腕組みしていた古泉が、
「そうですか?
僕は勝利の喜びを知ってこそ人は意欲を滾らせるものだと思いますが」
「万年初心者のお前が言っても説得力がねえ」
「万年だなんて、古泉くんに失礼よ。好きこそ物の上手なれって言葉があるわ」
「下手の横好きって言葉もあるぜ」
「言いたい放題ですね」と溜息をつきつつ古泉。
朝倉と俺は顔を見合わせた。
笑った。自然に、
無意識に、喉の奥から笑い声がこみ上げてきたのだ。
朝倉が唇の三日月はそのまま、目だけを見開いた。
何がおかしい?
少し遅れて、気づいた。
朝倉との関係が初期化されて二日目、
俺は早くも、朝倉の前で無防備に笑っていた。
帰り道。
「ファイルを見た感想はいかがです」
前方を歩く三人娘に配慮したのか、古泉の歩調が落ちる。
「他人の日記帳を見てるような気分になった」
「心中お察ししますよ」
「口だけの同情はいい」
「機関の観察員の記録は、お役に立てたでしょうか?」
「記憶を補う分にはな……。
記憶を取り戻す手がかりにはなりそうにない」
結局、俺は八日目までの記録にしか目を通していない。
朝倉との交際が始まってからの記録に、一読の価値が見出せなかったからだ。
俺は朝倉に心を許すまでの過程に、劇的な"何か"を期待していた。
そして喪った記憶の中の自分から、酷い裏切りにあった。
「俺と朝倉が付き合うことは、古泉や朝比奈さんに反対されなかったのか」
「機関も朝比奈さんの組織も、念頭にあるのは常に涼宮さんのことです。
あなたと朝倉さんの間に交際に関して、僕の上司も、朝比奈さんの上司も、静観するということで合意に達したようです。
あなたたちが節操無く睦言を語らう中高生カップルの例に倣っていれば、話は別でしたでしょうがね。
事実、学校生活を営む上で、北高生の誰かがあなたたちの交際に勘づいたという報告は上がっていません。
涼宮さんを含めて」
「朝倉の親玉も、交際を認めていたのか?」
恋愛を精神病の一種と貶していたハルヒに付き合っていたことがバレれば、
俺と朝倉は一発で除名処分を受けていたのではなかろうか。
そんなリスクを情報統合思念体が受け入れたとは到底信じられないんだが。
「さあ、それは僕の与り知るところではありませんから、どうとも。
なんなら、彼女に直接尋ねてみてはいかがです?」
前を見る。
ハルヒの左隣、元は長門のポジションで、
朝倉は長い後ろ髪を揺らせ、整った横顔に上品な微笑を浮かべている。
「………」
魅入りそうになる自分がいた。
首を横に振り、目頭を押さえる。
古泉、今すぐその気色悪いニヤつきをやめろ。殴るぞ。
「失礼」
古泉はちっとも悪びれた様子もなく、首を竦めた。
土曜。
携帯のメモリに記録されていた(喪った記憶のどこかで交換していたのだろう)朝倉のアドレスを呼び出し、メールを送る。
『情報操作で俺と同じ班になるようにしろ』
返事はすぐに帰ってきた。理由は聞かずに、承諾の旨が書かれてある。
勘違いされそうなので言っておくが、俺は何も朝倉とデートしたくてこんな仕込みをしているわけじゃない。
朝倉との関係が初期化されてから三日目。
朝登校したとき、朝倉が教室にいることに違和感を覚えなかった。
四日目。
休み時間に朝倉と会話することに、抵抗を感じ無くなっていた。
五日目。
下校時、分岐路に差し掛かった朝倉に、自然に手を振っていた。
純粋な好意を目に宿して近づいてくる人間、否、ヒューマノイドインターフェイスに、
邪険に接することができなくなっていく自分がいた。
かつて俺は朝倉に殺されかけた。
だが復活した朝倉は、見れば見るほど、刃傷沙汰とは無縁の女子高生だった。
どちらが本物で、どちらが贋物の朝倉なんだ?
痛痒感にも似たもどかしさが募っていった。
どうすればいいかは分かっている。
最初に妹が教えてくれた。
訊けばいいのだ。
朝倉に。
「おっそーい! 罰金よ罰金」
「ここでの飲み食いは全部俺の奢り。それでいいだろ?」
システマティックに罰則を甘受し、古泉の隣に座る。
ハルヒは「反省の態度が見られないわ」とぶぅぶぅ文句を垂れた後、くじを用意し、皆の前に差し出した。
朝倉は俺にしか見えない角度でウインクした。
その一瞬のうちに、情報操作は終わったらしい。
喫茶店前でハルヒ、古泉、朝比奈さんの三人と別れ、
その姿が駅構内に消えた頃、
「朝のメールの理由を聞いてもいい?」
「訊きたいことがある。人気のないところまで歩こう」
朝倉はコクリと頷き、黙って俺の後ろを着いてきた。
人気のないところの候補はいくつかあったが、
最終的に喫茶店からそう遠くない河川敷沿いの散歩コースを選んだ。
春に花弁を吹雪かせていた桜並木も、早熟ながら、黄と橙の秋色を纏っている。
「お前は、俺を殺そうとしたときのことを憶えてるか?」
それまで距離を置いていた朝倉が、隣に並ぶ。
「憶えてるわ。
夕暮れの教室と、改変直後の真冬の夜、わたしはキョンくんを殺そうとした。
一度目は、あなたを殺して涼宮さんの出方を見るため。
二度目は、改変された世界を、長門さんを守るために」
「朝倉がああした理由は知ってる。
俺が訊きたいのは、俺が本当に訊きたいのは……」
歩みを止める。
クソッタレな矜持は捨ててきた。
「お前が俺を殺そうとしたのは、お前の本心からの行為だったのかどうかだ」
朝倉が目を丸くし、息を飲む気配が伝わってきた。
言っちまった。顔が熱を帯びてくるのが分かる。
俺はきっと記憶を喪う前にも、朝倉にまったく同じことを訊いていたはずだ。
そして求めていた答えを得て、朝倉を許し、交際に至った。
いうなれば、これは赦免の儀式だ。
こうして今質問していること自体が、
朝倉を許す準備ができていると言ってるようなもんだからな。
「わたしが、キョンくんを本心から殺そうとした?」
朝倉の声は奇妙に震えていた。
三流のお涙頂戴ドラマのクライマックスを見てハンカチを噛んでいるおふくろの声の震え方と似ていなくもなかった。
「そんなわけ、ないよ……!」
おそるおそる隣を見る。朝倉は円な瞳を潤ませ、
「できることなら、キョンくんと普通に……普通に仲良くなりたかった。
あなたにナイフを向けたとき、わたしがどんなに苦しかったか……」
おい泣くのはやめろ。
このイベントはお前にとって二度目の経験で、焼き直しもいいとこだろ。
「それはそうだけど……でも……」
「お前に悪意が無かったことはよく分かったから、泣きやんでくれ」
人目が気になるのも理由の一つだが、
朝倉に泣かれるというシチュエーションが精神的に辛い。
涙腺の弱い朝比奈さんとは違い、『泣かせている』感が強いからだろうか。
「キョンくん、勘違いしてる。
わたしが泣いてるのは、嬉しいからよ。
キョンくんが訊いてきてくれて、本当に嬉しかったの」
「どうして最初に、お前のほうから言わなかったんだ」
「わたしに免疫ができていないキョンくんに、
いきなりわたしがキョンくんを殺そうとしたのは仕方なくだったと弁解しても、信じてもらえなかったと思うわ。
だから今こうやって、キョンくんの誤解が解けて……」
「待った」
俺はまだお前に、完全に心を許したわけじゃないぜ。
「一度目の例をとって考えてみれば、
朝倉は思念体の急進派の命令に従って俺を殺そうとしたわけだよな」
こくり、と頷く朝倉。
「じゃあ、また思念体から『俺を殺せ』と命令されたら、そのときお前はどうするつもりなんだ?」
「あの件以来、急進派は粛清されて規模を縮小したわ」
「それでも、絶対にないとは言い切れない」
朝倉は涙を拭い、きっぱりと宣言した。
「その時は、自分で自分の情報連結を解除する。
情報統合思念体は代替手段を使うかもしれないけれど、
少なくともあなたの前に現れるのは、わたしとは別の誰かよ」
「信じていいか」
ここで媚びた態度で「信じて?」と言われたら、
俺は朝倉に対する意識を翻してたかもしれない。
「それはわたしの決めることじゃないから」
朝倉はどこまでも真っ直ぐな眼差しで俺の答えを待っている。
視線を交錯させること十秒。
「俺の負けだ。信じるよ」
「よかったぁ……」
朝倉が破顔する。
そのとき初めて、俺は目の前の女の子がとんでもなく可愛いことに気がついた。
谷口のAAA評価に+を付け加えたくなるほど、魅力的な女の子だ、とも。
いいねいいね
650:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/19(火) 00:04:08.02:pWPlSVdk0それから俺たちは他愛のない会話をしながら、
ハルヒに指定された時間まで、河川敷沿いの道を歩き続けた。
不思議は見つからなかったが、その代わりに、朝倉に対する蟠りがいくつか溶けた。
曰く、朝倉の知能は平均的な女子高生よりも賢く周りから引かれない程度に設定されており、
性向に至っては「明るく親しみやすい」という基本方針の他は、
離散的計算モデルのごとき自由を与えられているそうだ。
「たまに『朝倉さんは何でも上手くこなしそう』って言われることがあるけど、
そんなの、大間違い。わたしだってドジるときはドジるし、ポカるときはポカる。
完璧な人がいないように、完璧なインターフェイスなんて存在しないわ」
そういう朝倉はどこか誇らしげだった。
「現国の時間は居眠りもするしな?」
「だって、あの先生の授業って信じられないくらい退屈じゃない」
「同感だ」
心境は些細な切欠でガラリとその様相を変える。
朝倉に親近感を覚える自分に腹が立っていた昨日までの俺が、
今ではこんなにも快く、朝倉との会話を楽しんでいる。
「座ろうぜ。少し歩き疲れた」
「うん」
公設のベンチに腰掛けると、朝倉は人ひとり分の距離を空けて座った。
「………」
「………」
「……詰めてもいい?」
座ってから訊くなら、最初から詰めて座ればいいと思う。
俺が頷くと、朝倉はおずおずとお尻を動かし、
すこし身じろぎすれば相手の体の柔らかさを知れる程度まで近づいてきた。
紳士的に紅葉を眺めていたのも束の間、
普遍的男子高校生に相応しいリビドーに突き動かされ、隣の朝倉を盗み見してしまう。
秋風に靡く長い黒髪。
神がのみを振るったとしか思えない美しい目鼻立ち。
薔薇色の頬。
桜色の唇。
つんと尖った顎。
豊かな胸の膨らみ。
短いフレアスカートから伸びる肉感豊かな太股。
「あんまり、見ないで……」
朝倉が恥ずかしげに目を伏せる。
「す、すまん」
頭をフルに回転させて、言い訳を捻出する。
「朝倉は、俺の従姉妹に似てる」
「キョンくんの従姉妹?」
「俺が小さいころに、よく遊んでくれたんだ。
歳はかなり離れてたけどさ。
俺が小学校に入る頃に、従姉妹は大学の卒論書いてたっけ」
「どんな人だったの?」
「優しくて、綺麗な人だったよ」
長い黒髪。
知的な目。
包容力のある身体。
朝倉との共通点は少なくない。
「従姉妹は、俺の初恋の相手だった」
「初恋……」
「叶うわけがなかった。
でも、ガキの俺は、大きくなったら従姉妹と結婚できると信じてた。
中学に上がる前に、従姉妹は俺の全然知らない男と駆け落ちしたよ」
朝倉は笑い飛ばしも安易な同情の言葉を口にしたりもせず、
妙に真面目くさった顔になって、
「わたしに、その従姉妹のかわりができたらいいのに」
絶句したね。
朝倉にこんな小っ恥ずかしい台詞を言わせるよう誘導したつもりはない。
しかし従姉妹に似てる女に「従姉妹の代わりができたらいいのに」と言われて悪い気がしないのは事実で、
ああ、二週間前の俺もこんな風に朝倉に惹かれていったのだろうかと思いつつ、
返す言葉を探していると、空気の読めないことにかけてはピカイチのハルヒが俺の携帯電話を鳴らした。
どうして電話に出る前からあいつからだと分かったかって?
団長様を待たせるとロクなことにならないという強迫観念が
あいつの着信音だけ別のものに差替させているからさ。
「どうした?」
「何か見つかった?」
「お前の興味を惹きそうなモンは何も」
「真面目に探してないから何も見つからないのよ。
真摯な態度で不思議を求める者の前には、自ずと不思議がやってくるものなの」
「そういうお前はどうなんだ?」
「…………うるさい」
ハルヒのアヒル口が目に浮かぶ。
「決めた」
「何をだ?」
「午後からはあたしとあんたで不思議を探すわ。
あたしはきっと空回りしてるのね。
やる気がありすぎてもダメなのよ。
あたしとあんたを足して2で割って、ちょうどいいのよ」
ハルヒは自分を納得させるようにそう言って、
「集合時間に遅れたら、罰金だから!」
一方的に電話を切った。
「やれやれ」
いつもながら、嵐のような女だ。
それに慣れきってしまっている俺も俺だがな。
「悪い。ハルヒからだった」
「涼宮さん、なんて?」
話すにも内容がくだらなすぎて、
「なんでもない」
と言った俺に、朝倉が切なげな顔をしたように見えたのは錯覚だろうか。
午後からの団活模様は割愛する――つもりだったが一応話そう。
ハルヒの独断専行により午後いっぱい団長様の手と足となることを強いられかけた俺は、
しかしこれまでの経験を生かし、ハルヒの注意を巧妙に誘導することで事無きを得た。
具体的には、最近話題の3D映画を非現実世界の一資料として見聞し、
その後論攷を深めることで、今後の団活におけるより一層の質向上が望めるのではないかと進言したのである。
まあ要するに、
「映画観に行こうぜ」
と誘ったんだよ。ハルヒは二つ返事で了承した。
どうせ前々から気になっていて観に行きたかったんだろうさ。
映画の出来はまあまあで、視聴後は映画館近くのドーナツ屋でドーナツを食べながら、
「あそこのCGはリアルだった」とか「3Dというよりは奥行きのある感じだった」
などと感想を述べ合い、満腹になったところでこれまた近場のゲーセンに直行、
団長ご所望のぬいぐるみを立て続けに六つゲットしてやったあたりでギャラリーが湧き始め、
ハルヒもクマのぬいぐるみを抱いて嬉しそうにしていたので、俺はまんざらでもない気分だった。
親戚のガキどもに泣き付かれてUFOキャッチャーにへばりつき、
大金を叩いたあげく、やっとこさ目当てのぬいぐるみをとってやった記憶が蘇る。
履歴書には書けないが、これも立派なスキルのひとつだ。
二度目の集合時間が近づき、喫茶店までの道すがら、
「あぁーっ、疲れた!」
とハルヒは盛大に伸びをしつつ言った。
背中に大小六つのぬいぐるみを背負った俺は「お前が疲れる場面がいつあったんだ」と言いたくなったが、
凡なツッコミは控え、「ああ、そうだな」とイエスマン古泉に倣い相槌を打つ。
「不思議、見つからなかったわねえ」
映画見てゲーセン行って、不思議が見つかりゃ奇跡だよ。
「映画はあんたが誘ってきたんでしょ!
なんでもすぐに人のせいにするんだから。
ま、あたしは楽しかったからいいけどね」
頬をふくらませ、俺の数歩先を行くハルヒ。
街の空気は暮色に満ち、ハルヒの影法師は長く長く伸びている。
童心がそれを踏めと囁きかけてくる……。
「あんたさあ、朝倉さんと付き合ってんの?」
足が縺れた。
俺は前のめりになる格好で、振り返ったハルヒとぶつかりかけた。
朝倉がカナダから帰ってきた日、俺と朝倉はただのクラスメイトだった。
むしろ俺にとっては天敵だった。
それから日をおかずに、朝倉に対する誤解が解けた。
俺と朝倉は急速に親密になっていった。
朝倉に告白され、俺たちは隠れて付き合いだした。
それからしばらくして、朝倉がカナダから帰ってきてから二週間目の朝、俺はそれまでの記憶を喪った。
目の前にいた全裸の朝倉は、そのときの俺にとっては昔のように天敵で、
俺はその日のうちに交際の解消を求めでた。
朝倉は承諾し、記憶を喪った俺を責めようともせず、
俺に朝倉を受け入れる準備ができるまで待ってくれた。
もう一度あいつとやり直すのかどうかは、自分でも分からない。
朝倉は、俺にはもったいないくらいの女の子だ。
可愛くて、気立てがいい。驕らず、衒いがない。
そんな女の子に告白され、付き合っていたというのだからびっくりだ。
いや――もしも朝倉との間に非日常的な事情がなければ、俺は当たり前のように、朝倉とひかれあっていたのだろうか。
「………どうなのよ。黙ってちゃ分かんないじゃない。
もしかして本当に、」
「んなわけねえだろ」
結局俺は否定した。
"今のところ"はそれが事実だ。
「それってつまり、」
「お前が想像してるようなことはねえってこった。
あのなあ、俺と朝倉が付き合う?
馬鹿も休み休み言え。
どう考えたって釣り合わねえだろうが」
「あ、あんた今馬鹿って言ったわね!」
「――なあ」
「なによ?」
「もしも俺と朝倉が付き合ったら、ハルヒはどう思う?」
「ど、どう思うって……どう思うも……なにも……」
声が消え入る。
ハルヒは
「恋愛にかまけるなんて言語道断よ!
あれは精神病の一種なのよ!病気なの!」
と懐かしの高説を垂れることもなく、ぽつりと、
「勝手にすればいいじゃない」
「……そうか」
意外だな。
「な、なにニヤニヤしてんのよ。
あんたがどこの誰と付き合おうが、あんたの勝手でしょ。
あたしには全然関係ないことなんだから」
ぎゃあぎゃあ喚く団長様をあやしていると、ほどなくして、
喫茶店の前に朝倉、朝比奈さん、古泉の三人の姿が見えてきた。
「わぁっ……かわいいぬいぐるみ……キョンくんがとったんですか?」
朝比奈さんが目を輝かせて寄ってくる。
「どれか気に入ったのがあればどうぞ」
ハルヒに独り占めさせるにはもったいない。
朝比奈さんは大袈裟に両手を振って、
「い、いいですよぉ」
「朝倉はどうだ?」
朝倉は微笑を浮かべて、首を横にふった。
「わたしもいいわ。
それはキョンくんが、涼宮さんにとってあげたものでしょ?」
「…………」頷くしかない。
金を出したのは俺で、三つから先は単に面白がっていたような気がしないでもないがな。
俺は振り返り、唇を真一文字に結んでこちらを眺めていたハルヒの腕に、
バランスよくぬいぐるみを乗せていった。
「せっかくとってやったんだから、きちんと部屋に飾れよ?」
「言われなくてもそうするつもりだったもん」
それから簡単な結果報告を終えて、
お互いに収穫がなかったことを確認すると、その日は解散と相成った。
日曜の次の日は月曜で、平日は学校に行くのが学生の務めだが、
気の持ちようで、あるいは何かを励みにすることで、
月曜朝の欝な気分を払拭できることを俺は知っている。
とっとっと。軽快な足音を響かせてやってきた女生徒は、
さも当然のように俺と歩調を合わせ、並びの良い白い歯を覗かせて、
「おはよう、キョンくん?」
「朝倉……おはよう」
「眠そうなかおしてるよ」
俺は目を擦りながら言ってやった。
「誰かさんのメールに付き合わされたせいでな」
「……わたしのせいにするんだ?」
「冗談だよ。なんだかんだいって、俺も返してたしな。
途中で寝ちまったけど」
最後あたりは朦朧とした意識で打っていた気がする。
メールの話題は記憶の彼方だが、他愛もない内容だったことは確かだ。
「お前は眠くないのか?」
「平気」
快活に答えてみせる朝倉の目の下には、うっすらとクマができていて、
「嘘つけ。クマできてるぜ」
「えっ」
いかにヒューマノイドインターフェイスといえども、
情報操作しない限り、体力は見た目どおりだ。
夜更かしすれば、クマもできる。
手鏡を取り出して必死に確認している朝倉を見ていると、笑いがこみ上げてきた。
気にしすぎだろ。よっぽど近くでまじまじと見ないかぎりはバレねえよ。
「キョンくんに見られたのが問題なの。分かる?」
むくれ顔で憤慨された。
不機嫌な顔も可愛らしく、あるいは綺麗に見えるのは、本物の美人の証左だと思う――。
「よーっす、キョン、朝倉」
「おはよう、キョン、朝倉さん」
谷口と国木田が合流してきて、登校風景はにわかに賑やかになった。
間に谷口が割り込んできたせいで、俺と朝倉の距離は空いてしまったが、
頻繁に朝倉と目が合うように感じたのは、俺の自意識過剰だろうか?
最近、ムギちゃんが好きになってきた……
眉毛成分を求めているのかもしれない。
151:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/21(木) 19:50:06.36:078thLp70眉毛成分を求めているのかもしれない。
しかし土曜の団活を境に、朝倉と絡む頻度が飛躍的に増えたのは紛れもない事実だった。
朝倉には俺が記憶を失ってから邪険に扱われた期間を埋める意図もあったのかもしれない。
休み時間然り、昼休み然り、団活然り、とにかく朝倉はよく喋りかけてきた。
世界史の時間、グループディスカッションを教師が提案し、
席の近いもの同士――俺、朝倉、ハルヒの三人――で顔を寄せ合った折に、気づいたことがある。
朝倉はハルヒとは対極を成す存在なのだ。
いや、感情の変化に忠実だった頃のハルヒが目指すべき人格の持ち主、と言うべきか。
古泉によると、今じゃハルヒの精神状態もかなり落ち着きを見せているという話だしな。
親しみやすく、社交性があり、常に笑顔を絶やさない。
朝倉が不機嫌そうにしていたところを見たことがあるか、とクラスメイトに聞けば、全員が全員、首を横に振るだろう。
そんな奴が男女問わず誰からも好かれるのは、
一般常識に照らし合わせるまでもなく当たり前の話で、
ましてやそいつから特別の好意を向けられて思い上がるなという方が無理な話であり――。
「なにぼーっとしてんの?
どうせエロいことでも考えてたんでしょ、このエロキョン!」
「ウトウトしてたみたいだけど、だいじょうぶ?」
顔を上げる。
かたや罵詈雑言の嵐を口に溜め込みぶすっとした表情でこちらを睨み付けているハルヒ。
かたや翠眉をハの字に傾け、わりと本気で俺の体調を気遣ってくれている様子の朝倉。
器量がいいのは共通だが、その性格の違いは如何ともしがたい。
「夜更かしが祟ってな。眠いんだ」
と言うと、ハルヒは間髪入れずに、
「夜更かしって何してたのよ?」
「メール」
「誰と?」
一瞬、朝倉と目配せし、
「誰とでもいいだろ」
「言いなさいよ」
「……中学の友達とだよ」
「あっそ」
途端に俺から興味をなくし、
生真面目にグループディスカッションを進行させようとしているハルヒに隠れて朝倉に流し目を送ると、
朝倉は口元だけに微笑みを浮かべて労ってくれた。癒されるね。
ハルヒに隠れて付き合うというのは、こんな感じだったのだろうか?
団活の際の台詞から、ハルヒに思うところが無かったわけでもないらしく、
昔の俺と朝倉は、微塵も「怪しい」と疑われないほど器用に立ち回っていたわけでもなさそうだが……。
畢竟、そんな気遣いは無用で、昔の俺は朝倉と付き合っていることがバレても良かったのだ。
ハルヒは言ったじゃないか。
『あんたが誰と付き合おうがあたしの知ったことじゃない』と。
初恋の従姉妹に似ていて、気立て、人となりがよくて、
ついでに価値観も合って、挙げ句の果てには好意を向けてくれる女の子と付き合って何が悪い。
むしろ付き合わない方がおかしいとも言えよう。
据え膳食わぬはなんとやら、だ。
その日の団活から、俺は朝倉にアプローチされるがままになっているのではなく、
自分からも少しは積極的に朝倉に話しかけるようになった。
それは朝倉が読んでいる本の題名を尋ねたり、
ボードゲームに誘ったりといった程度のものだったが、
朝倉にとっては感激に値したようで、顔を綻ばせて応えてくれた。
「よかった」
朝比奈さんとハルヒが出払い、古泉がイヤホンを耳栓に課題と苦闘している部室で、
朝倉は俯いた状態で、ぽそりと言った。
「わたしばっかりキョンくんに話しかけたり、メールして、鬱陶しいと思われてたらどうしようかと思ってたから」
お前みたいな奴に構われて嬉しくない奴は、よほどの捻くれモンくらいだろうよ。
「キョンくんはその捻くれ者じゃないの?」
悪戯っぽい問いかけに、
「俺はお前と喋ってると、楽しいよ」
と本心を打ち明けた。
俺の短い人生を回顧してみても、
朝倉ほど短期間で親密になった奴はいない。
国木田は根強い「キョンの好みは変な女」主義者だが、
本人の俺に言わせればあんなのは根も葉もない嘘っぱちで、
俺が好きなのは大和撫子然とした気の合う普通の女なのだ。
「わたしね……」
顔を上げ、右耳に髪をかけながら、朝倉ははにかむ。
「……ううん、なんでもない」
言葉の続きは、あえて聞かなかった。
レールの上を走っているという安心が、責任感を希釈していた。
後悔に苛まれたのは、数日後の朝、
下駄箱に入っていた手紙を見たときだ。
差出人の名前は無く、内容も「放課後教室で待つ」というシンプルなものだったが、
一目で誰が何のために出したものか理解できた。
これとよく似た手紙を、俺は一年の初めにもらっている。
本当ならこの手紙は、俺が出すべきだった。
女に気を遣わせてばかりで、ちっとも男らしくねえな。
いつもと変わらない朝倉を眺めつつ、手紙を手のひらの中で握り潰しつつ、身の入らない授業をやり過ごし、放課後。
空気が読めないことで有名なハルヒも、
今日ばかりは天からの啓示を受けたのか
「今日はなんか気分が乗らないから、団活はナシ!じゃねっ」
終礼が終わった途端に教室を飛び出していった。
団活を途中で抜ける言い訳はいくつか用意していたが、杞憂だったみたいだね。
朝倉を見ると、クラスの女子からの遊びの誘いを、やんわりと断っていた。
一瞬目があい、逸らされる。
たったそれだけの仕草で、緊張が伝わってきた。
喩えるなら、胃袋に石を詰め込まれたかのような。
俺は足早に教室を出た。
中庭で時間を潰すこと一時間。
日暮れは日々刻々と早さを増しているようで、
人気のない廊下には西日が充ち満ちて、閑散とした雰囲気を醸している。
自分の上靴が床と擦れる規則的な音を聞いていると、世界に一人だけ取り残されたような寂しさを感じた。
教室の前につき、ドアを開く。
果たして目の前には、あの日とそっくりの光景が広がっていた。
窓外の遙か彼方、山辺に触れかけた太陽は朱金色に輝き、
机、椅子、教卓、黒板――教室に存在するありとあらゆるものが紅に染め上げられている。
その真ん中に、朝倉がいた。
誰の物かも知れない机に腰を下ろし、所在なげに足を揺らしていた。
「遅いよ」
その台詞で、たったその一言を聞いただけで、俺は朝倉の意図を読み取った。
朝倉はプリーツスカートが捲れないよう気を遣いながら机を降り、
「入ったら?」
誘うように手を振る。
「お前か」
「そ。意外だった?」
「何の用だ?」
わざとぶっきらぼうに訊く。正直、ここが俺の限界だった。
朝倉は彩度を増す夕陽を半身に浴びながら、
「用があることは確かなんだけど……少し訊きたいことがあるの。
人間はさあ、よく『やらなくて後悔するよりも……」
ここで朝倉も堪えきれなくなったようだ。
「ふふっ、あははっ」
同時に笑い出す。
まさかあの悪夢のようなイベントを、こんな風に振り返る日が来るとはな。
「よく台詞まで覚えてたね?」
「忘れるわけないだろ。
たとえば、忠実に再現するなら、お前はあのとき教壇の上にいたよな」
「さっきまではあそこで待ってたよ。
でもキョンくんがなかなか来ないから、足が疲れちゃって」
一頻り笑い、静寂が訪れる。
思い詰めたような表情の朝倉を見ながら、思う。
俺にとっては二度目のこの場面も、朝倉にとっては三度目だ。
記憶を失う前の俺は、今し方の俺と同じように、あの日の再現を楽しんだのだろうか。
朝倉は髪を指先で弄りつつ、
「わたしがキョンくんを呼び出した理由は、もう分かってるでしょ?」
「ああ」
ここで真顔で首を横に振るほど、俺は鈍感じゃない。
朝倉は舌で唇を湿らせ、
「じゃあね……ううん、やっぱりちゃんと言わなきゃ……」
小さな歩幅で、距離を詰めてくる。
目の前に、夕陽に縁取られた朝倉の瓜実顔があった。
朝倉は白い喉を震わせ、まっすぐに俺を見つめて言った。
「わたし、キョンくんのことが好きよ」
その瞬間、時間の流れが止まった――ような錯覚がした。
学校屈指の美少女から、夕暮れの教室に呼び出され、告白される。
おそらくこの先の人生で、こんなシチュエーションは二度とないだろう。
平凡な顔、平凡な性格に生まれた俺に訪れた、最初で最後、一度限りの奇跡だ。
であるならば、選択肢は決まっているも同然だった。
・Yes
・No
・保留
ここで下二つを選ぶ奴は頭がどうかしている。
精神病院への強制入院が必要だと言っても過言ではない。
一番上を選べばどうなるのか、俺は知っている。
俺は朝倉と世間一般のカップルと似たような手順を大幅に省略し、睦み、愛し合うようになる。
記憶を失う前の俺が、そうしたように。
夢のような話だった。
「俺も、朝倉のことが好きだ」
でも所詮、それは夢で。
「でも、朝倉とは付き合えない」
なぜだああああああああああああああああああああああああああああああああああ
191:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/22(金) 00:24:43.78://v7B1WT0陳腐な喩えだが、無限にも思える、しかし実際には数秒程度の時が流れた。
朝倉は強張った笑みを浮かべたまま、今し方の発言が何かの間違いで、
訂正の機会を与えようとしているかのように黙りこくっていたが、
やがて俺が何も弁解しないことで意を決したのか、
「なん……で……?」
肩が小刻みに震えている。
瞳からは光彩が失せ、かわりに透明の液体が膜を張りつつあった。
「ごめん」
「ごめんじゃ分からないよっ……!」
一筋の涙が、頬を伝う。
朝倉を泣かせているのは誰だ。
朝倉をこんなに哀しませているのは誰だ。
俺は自問自答する。他の誰でもない、この俺だ。
「どうして?わたしたち、付き合ってたんだよ?
キョンくんが記憶を無くす前は付き合ってたんだよ!?」
「ごめん」
俺はひたすらに謝るしかない。
理由が説明できるなら、説明したい。
言い訳できるなら、言い訳したい。
だが、できないものはできない。
俺はどうして朝倉の告白を無下にフッちまったのか、自分で理解できていなかった。
事実、今朝下駄箱で手紙を読んだときは、あからさまに告白を期待していた。
朝倉と薔薇色の青春ライフを送る気でいた。
記憶を失う前の俺がそうしたように。
それがいざコクられてみれば……この有様だ。
何をやってんだ。
お前は世界でも指折りの大馬鹿野郎だ。
いっぺん死んだほうがいいぞ。
心の裡からそんな声が聞こえてきたが、勝手に言ってろ、と思う。
千載一遇のチャンスを棒に振ったことに対する後悔は生まれてこなかった。
やり直す機会を与えられても、きっと俺は朝倉に「No」を突きつけるだろう。
何度でも。
「……さんのせいなの?」
手のひらで頬の涙を拭い、洟をすすりながら朝倉は言った。
「涼宮さんがいるから、わたしとは付き合えないの?」
待った。どうしてここで脈絡なくハルヒが出てくるんだ?
朝倉は泣き顔から真顔に、真顔から辛そうな作り笑顔になって、
「やっぱり気づいてないんだ。
じゃあ、わたしが教えてあげる。
キョンくんはね、涼宮さんのことを誰よりも大切にしてるんだよ」
馬鹿なことを言うのはやめろ。
確かに古泉に諭されたこともあって、俺はあいつの気を逆撫でしないようにそこはかとなく気を配ってる。
だが、それはあくまでもあいつが宇宙的未来的その他もろもろの超常存在から注目を集める超重要人物であり、
その機嫌が損なわれたとき、この平穏な世界が消滅の危機に瀕するからで――。
「それは建前でしょう?
キョンくんはいつでも涼宮さんを気にかけてる。
涼宮さんが傷つかないようにしてる。
たとえば、わたしとメールしてることを、涼宮さんに隠したのはなぜ?
友達同士が夜にメールをするのは、そんなにいかがわしいことなの?」
朝倉は畳みかけるように言った。
「わたしが――ううん、わたしだけじゃない。クラスの女の子の誰でも――キョンくんに話しかけると、
涼宮さんがいないときは楽しそうに話してくれるのに、涼宮さんがいる前では、途端に素っ気なくなるよね。
それって、涼宮さんに他の女の子に気がある風に思われたくないからでしょ?」
「俺は別に、そんなつもりは……」
「そんなつもりがなくても、そうしてるの。涼宮さんだって、同じよ。
いくら鈍感なキョンくんでも、涼宮さんが、だんだんクラスの子たちに接するのに慣れてきたことには気づいてるよね?」
頷く。
「じゃあ、涼宮さんが最近、同じ学年や三年の男の子たちから告白されてることは知ってる?」
ここは朝倉スレのはずだ…
239:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/22(金) 20:01:39.77:INOKsYwHO朝倉スレのはずだーーーーー!!!!!!
265:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/23(土) 01:33:23.92:DYYAfwWn0知らなかった。
ハルヒは今まで微塵もそんなそぶりを見せなかったし、
流言飛語の発信地にして受信地である谷口も、一切そんな話題を振ってこなかった。
「それで、ハルヒは?」
中学校時代のハルヒは見境なしに男と付き合っていたと聞く。
俺の知らないところで、ハルヒは中学校のときと同じように、
告白してきた男たちと付き合っていたのだろうか……。
「ふふっ、安心して。涼宮さんは全部断ったらしいから」
自分の気持ちに嘘はつけない。朝倉の言葉に、俺は安堵した。
「涼宮さんはね、SOS団が大切だから、何よりキョンくんのことが好きだから断ったのよ」
ハルヒが俺のことを好いていると聞かされて、驚いたと言えば嘘になる。
古泉はことあるごとにその可能性を仄めかしていた。
朝倉は元々近かった距離をさらに詰めて、
「相思相愛なら、付き合っちゃえばいいのに。
どうして関係を変えようとしないの?それって、おかしいよ。
涼宮さん以外の女の子に興味がないなら、どうして他の女の子にも優しくするの?
わたしがキョンくんの彼女になれる可能性は、ほんの少しもないの……?」
胸に顔を寄せてくる。
華奢な肩を抱き寄せるのは簡単だ。
涙に濡れる顎先をつかみ、口づけ、愛の言葉を囁く――そんな選択肢もあった。
が、俺は鉄の理性で朝倉を押し退けた。
「どうしても、ダメなんだ?」
「すまん」
告白が失敗したとき、告白された側に課せらる義務は、
告白した側のショックや悲しみを、できるかぎり和らげてやることだ。
「俺は朝倉とは付き合えない。
でも、勘違いしないでくれ。
朝倉のことが気に入らなくて、それで付き合えないってわけじゃないんだ。
前にも言ったとおり、俺は朝倉と一緒にいると楽しいよ。
ただ、朝倉と付き合う自分が、どうしても想像できないだけで……。
なあ朝倉、こんなことを言うのは身勝手だと思うが、友達のままでいてくれないか」
朝倉は俯き、嗚咽混じりの声で言った。
「ただの友達じゃダメなのっ……。
ひくっ……また……、フラれちゃった……。
どうして……えぐっ……わたしはキョンくんの……ひくっ……特別になりたかったのに……」
参ったね、どうも。
超常現象関連の修羅場は何度か経験している俺だが、こういった修羅場にはまったく耐性がない。
はて、どうやって朝倉を宥めようかと思索を巡らせていると、
ワンテンポ遅れて、朝倉の発言の矛盾が露わになった。
"また"フラれちゃった?
記憶を失う前の俺は、朝倉と隠れて付き合う選択肢を選んでいたはずだ。
それなら、朝倉の告白を失敗させたのは、これが初めてのはずで……。
混乱が加速する。
朝倉に直接確かめようとしたそのとき、教室のドアが音もなく開いた。
なぜ俺が振り返ることができたのか、と訊かれれば、懐かしい気配を感じたからだ、と言う他ない。
ショートの和毛に琥珀色の瞳、滅多に開かない薄紅色の唇、
北高指定の制服にまだ少し季節外れの黒いカーディガンを羽織った長門がそこにいた。
夕暮れの教室のこの面子。
しかし弾丸のような早さで鋭利な鉄棒が飛び交う情報合戦を覚悟したのは俺だけだったようで、
長門は滑稽に身を縮こまらせる俺の傍を通り過ぎ、泣き崩れる朝倉の眼前に立つと、
「……あなたの役割は終わった」
朝倉は諦観の表情で、長門を仰ぎ見た。
「……当該対象の情報連結を――」
「待った!待ってくれ、長門!」
そりゃないだろ。
いきなり戻ってきて、いきなり朝倉を消そうとするな。
「あなたには後で説明する」
冷淡な声音。
気圧されそうになる自分を鼓舞し、
「今してくれ。
何の説明もなしに朝倉をどうこうするのは、俺が許さない」
「キョンくん……」
朝倉が諦めているのだ、俺が「許さない」と言ったところで大した――否、ちっとも抑止力にならないのは分かってる。
だが長門は詠唱をやめてくれた。そして俺に向き直り、二、三度瞬きして、
「朝倉涼子はわたしの代替インターフェイス。
わたしが主任務への復帰を果たした今、朝倉涼子は不要」
「朝倉は今じゃ、SOS団の一員なんだぜ?」
「涼宮ハルヒの精神は極めて安定している。
朝倉涼子がまた転校することになっても、重大な影響はない」
ああもう、どいつもこいつも、脈絡なくハルヒの名前を出しやがって。
「ハルヒのことはどうでもいい。
いいか、朝倉がいることに慣れちまった人間の中には、俺も含まれてるんだよ。
そいつが目の前で消されるところを、黙って見てられるわけがねえだろうが」
一年前とはえらい心境の変化だと思う。
あのとき――朝倉が細かい砂塵と化したとき――俺は命の危険が無くなったことにひたすら安堵していた。
長門が情報連結を解除するのを、黙って見守っていた。
「長門が戻ってきて、朝倉が長門の代わりをする必要がなくなったのは分かるさ。
けどな、一年前、朝倉が俺を殺そうとする前は、普通にお前の……なんだ、バックアップだかなんだか知らんが、
そういう役割を与えられて、普通に生活してたじゃないか。
朝倉はもうあんなことはしないと約束してくれた。
だから、わざわざ転校させなくたって、」
「朝倉涼子が消去されるのは、初めから決まっていたこと。
それに朝倉涼子はわたしの代替を務めている期間中、重大な規約違反を犯した」
「規約違反?朝倉が何をしたっていうんだ?」
まさか俺に告白したのが規約違反だったとでも言うんじゃないだろうな。
長門は無表情な瞳に、一瞬、怒りの色を滲ませて、
「あなたの記憶を消去した」
記憶を消したのは朝倉・・・?
307:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/23(土) 14:44:58.33:DYYAfwWn0双眸を泣き腫らした朝倉と視線が合う。
長門の話はマジなのか。
お前、言ったよな。俺の記憶喪失とお前は関係ないって。
あれは嘘っぱちだったのかよ。
朝倉は目を伏せ、視線を外した。
「……ごめんなさい」
どうしてそんなことをした?
「…………」
緘黙する朝倉。俺は長門に訊いた。
「俺の記憶を元に戻せるのか?」
「復元というと誤謬がある。
あなたの脳は朝倉涼子によって、記憶に関連する四つの機能のうち、
"想起"の最初のプロセスである"再生"に、限定的な禁制処理を施されている。
それを解除することは可能」
頭が痛くなる。
要するに俺は記憶を思い出せるようになるんだな?
長門はコクリと頷き、腕を伸ばして指先で俺の額に触れた。
高速詠唱が始まり、終わる。
高熱に苦しんでいるときに貼ってもらった冷却シートのような爽快感が、
額のすぐ下の頭蓋骨をすり抜けて脳髄の奥まで浸透し、
それまで思い出そうとすればするほど頑なに再生を阻んでいた白い霧のようなものが、
たちどころに消えていく感覚があった。
「思い、出した」
朝倉が復活する前日、俺は長門から、
しばらく別の任務のためにハルヒの観測の任を解かれると聞かされ、
その代わりに朝倉が復活する旨を聞かされた。そのとき、長門はこう付け加えた。
『復活した朝倉涼子に危険はない。
でも、あなたがどうしても認めないと言うなら、情報統合思念体に別の案を打診する』と。
俺は言った。
『長門がいなくなるのは、長くて一ヶ月程度のことなんだろ?それくらい我慢するさ。
それに、お前のお墨付きがあるんだ、朝倉に襲われる心配はしてねえよ』
翌日学校に行くと、予告通り朝倉はカナダから帰国して、改めて北高に転校してきていた。
しかも席はハルヒの隣、俺の斜め後ろだ。
長門の短期留学をハルヒも寂しく感じていたのだろう、
三日と経たずに朝倉はSOS団に編入する運びとなった。
必然的に朝倉との接点は増え、
元々常識的な性格を持つ朝倉と俺は、話が合うことも手伝って、すぐに打ち解けていった。
団活、日曜のデートを通じて親交は急速に深まり、
週明けのある日、放課後の教室に呼び出された俺は朝倉に告白される。
ここまでは、朝倉の話と同じだった。
ここからが、朝倉の話と違っていた。
記憶の中で、俺はさっきそうしたように、朝倉の告白を拒絶していた。
俺は朝倉に「友達のままでいてくれ」と頼み、朝倉は涙ながらに頷いた。
それから記憶が消されるまで、俺は朝倉と手を繋いだことも、キスしたことも、寝たこともない。
悪い眉毛だ
313:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/23(土) 15:48:34.78:SOEl8IwNPでもそんな眉毛が好きなんだ
344:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/24(日) 01:19:08.97:pq4NpO5F0記憶を失う前の日の夜、朝倉は俺に夕食に誘われ、
一度家族の前で帰るフリをした後でこっそり俺の部屋に戻り、
そのまま朝まで過ごしたと言ったが、それも記憶と食い違っている。
朝倉はそもそも、俺の家に来ていないのだ。
次の日、朝目が覚めて隣にいた朝倉と、朧気ながら朝倉とまぐわった記憶を総合して、
俺は自分が朝倉と寝たと断定してしまったが……。
朝倉にとってみれば、記憶を部分的に思い出せなくさせるついてに、
都合の良い淫夢を見せることなど朝飯前だったことだろう。
朝倉の目的は、記憶を奪うことで俺と朝倉の関係を初期化し、
事後を演出することで強烈な印象を与え、
加えて『記憶を失う以前俺が朝倉と付き合っていた』という情報を与えることで
俺に『これから朝倉と付き合うのは当然のこと』だと錯覚させることにあった。
ここまで推理した後は、
「朝倉はそこまでして俺と付き合いたかったのか、男冥利に尽きるとはこのことだぜ」
と単純に結論付けたいところだが、悲しいかな、
話がもう少し複雑で、真実があまり俺にとって幸せなものでないことを、
長門の静謐な瞳は物語っていた。
「……朝倉涼子はあなたにとっての特別な存在になろうと画策していた」
「何のために?」
ここで長門が「彼女になるため」と言えば吹き出す自信がある。
「この世界での存在理由を獲得するため。
朝倉涼子はあなたに特別視されることで、
わたしが復帰した後も、存続が許可されると考えた」
長門の背後に視線を転じる。
朝倉は怯えたような目で俺を見返し、ふるふると首を横に振った。
「確かに、最初はキョンくんを利用するつもりだった。
長門さんがキョンくんにとって代替不可能な存在であるように、
わたしもキョンくんにとって掛け替えのない存在になることで、この世界に留まろうとしてた。
あなたに好かれるために、色々な工作をしたわ。
あなたの好みの女の子の性格を分析して真似たり、
できるだけあなたと一緒にいる時間が長くなるよう情報操作したり……」
スカートの裾を掴み、真正面から俺を見据えて、
「でもね、ある時気がついたのよ。
いつの間にか手段と目的が入れ違ってた。
わたしは本気で、キョンくんのことが好きになってたの。
キョンくんの記憶を消したことも、嘘をついたことも、許してもらえるとは思ってないよ。
でも、これだけは信じて。――わたしは、キョンくんのことが好きよ」
涙をぽろぽろと零しながら、精一杯の笑顔を浮かべてみせ、
「二度もあなたを殺しかけて、ごめんなさい。まだきちんと謝ってなかったよね?
キョンくんは人が良すぎるよ。普通の人なら、自分を二度も殺そうとした相手に、こんなに優しくできないよ」
長門を一瞥し、
「SOS団のみんなと……、キョンくんと一緒に過ごせた時間は、楽しかったわ。
ねえ、涼宮さんによろしくね。それから、少しは涼宮さんにも優しく接してあげてね。
彼女、どうしてもあなたの前では、強気で弱みを見せない女の子を演じちゃうみたいだから」
「朝倉、お前ちょっと黙れ」
「え……」
いいか、俺は心底うんざりしてる。
お前のその数十秒後にはこの世界から消えてなくなることが前提の喋りにな。
お前はどうしてこの世界に残りたいと思ったんだ?
んなことは訊くまでもねえよな。
「楽しい」と思ったからだ。
普通に学校に通って、クラスメイトと喋るだけでも楽しいのに、
ハルヒにSOS団に誘われたら、そりゃもう楽しくて仕方ねえに決まってる。
俺がそうだったんだから間違いない。
なあ、朝倉。
俺に特別視される努力なんて回りくどいことはしないで、ただ一言、言えばよかったのさ。
この世界に残りたい、消えたくない、ってな。
「長門、朝倉をこの世界に留まれるよう、お前の親玉に掛け合ってくれないか」
長門は首を微かに傾げ、
「推奨できない」
「こればっかりは、俺の我が儘だ。
一年前の冬、お前がエラーでおかしくなっちまった事件で、
お前が正常に戻った後、俺が言ったことを覚えてるか?」
「もしも情報統合思念帯がわたしを処分したら、あなたは暴れると……
あなたがジョン・スミスであることを涼宮ハルヒに伝える……と言ってくれた」
長門の表情に、数ピクセルの暖色が混じる。
「あのときと同じだ。
いいか、朝倉を転校させるのは俺が許さない。
もしも朝倉が消えれば、朝倉が復活するまで暴れてやると伝えろ」
「……わかった」
長門は数秒瞼を閉じ――それで交信が完了したのだろう、
朝倉を見下ろし、
「朝倉涼子の存続が認可された。
あなたは涼宮ハルヒの観測任務におけるわたしのバックアップとして動いてもらう」
「長門さん……ありがとう……」
朝倉は口に手を当て、声を殺して泣いていた。
これで、なにもかも丸く収まったわけだ。
朝倉は消えずに、長門が戻ってきて、部室はよりいっそう賑やかになることだろう。
長門は寡黙だから、帰ってきたところであまり変わりがないって?気分だよ、気分。
「長門、あともうひとつお願いがあるんだが、聞いてくれるか?」
「……言って」
「今日、ここでの顛末の記憶を消してくれ。
お前流に言うなら、俺の脳みその機能を縛って、思い出せないようにしてくれ」
「…………」
黒洞々たる夜空のような瞳に、困惑の翳りが浮かぶ。
なぜ、と訊かれたような気がしたので、俺は言った。
「俺は今日のことを覚えたまま、明日からうまくやってく自信がねえんだ」
朝倉を見て、
「別に朝倉を責めてるわけじゃないが、知りたくないことも知っちまったしな」
あやふやにしておきたかった物事が、急に白黒付けられるのは、結構な精神の負担になる。
ハルヒと俺が相思相愛だと朝倉は言ったが、実際のところ、
「ハルヒが好きだ」なんて気持ちを明確に抱いたことは……ないし、
あいつを誰よりも大切にしているという自覚も……ない。
俺とあいつの距離は、今のくらいが丁度いいのだ。
「………」
長門は躊躇していた。
カーディガンの袖に半分包まれた小さな手をとり、額に当てる。
「頼むよ」
「………後悔しない?」
「ああ。それと、明日会っても、今日のことをわざわざ俺に教えるのはナシだぜ。
朝倉も、普通に俺に接してくれよな」
朝倉が頷く。
長門は観念したように目を瞑り――、
高速詠唱が聞こえた次の瞬間、俺の意識は暗転した。
家を出ると、ブレザーの中にセーターを着込んでいるというのに肌寒かった。
吐いた息は白く凍りかけ、蒼穹は秋晴れのそれよりも寂しげな青色をしている。
季節は冬に移り変わろうとしている。
そういや朝のニュースで、同じことを天気予報士が言ってたっけ。
愛用自転車を駐輪し、お馴染みの電車に乗り込むと、
人いきれと暖房のおかげで、眠気が襲ってきた。
睡魔と戦うことしばらく、なんとか学校最寄りの駅で降車し、急勾配の通学路を歩く。
一人で登校するのも慣れたものだが、やはり道連れがいると気分が違う。
駅から百メートル程度歩いたところで、
俺は顔見知りと思しきシルエットを見つけた。
スラッとした長身に、鳶色の細い髪、適度に制服を着崩したそいつは、
俺が女子生徒なら『一緒に登校しませんか』と誘いかけたくなるくらいの美形の持ち主で、
しかし同じ性別の平凡な顔の男ども代表の俺にとっては、鼻持ちならない気障野郎だった。
とりあえず挨拶代わりに肩を殴る。
「うわっと……あなたでしたか。驚かせないでくださいよ」
古泉は平気な顔で振り返った。
こぶしにジンジンと痛みが走る。
バイトで鍛えられてるせいで、こいつの体が見た目の2.5倍くらい硬いことを忘れてた。
俺は古泉と肩を並べ、
「昨日、ちょっといいことがあってな」
「ほう。どんなことです?」
「記憶が戻った」
「…………」
「お前、なんか俺に言うことがあるんじゃねえのか?」
古泉は顎をさすり、元々細い目をさらに細め、
「はて。あなたの記憶が戻ったことは純粋に喜ばしいことですし……。
ここは有り体に、おめでとうございます、ですかね」
「とぼけるのも大概にしろよ。
お前は俺に、嘘をついただろ」
「嘘?」
「本当になんのことか分かってないのか?
俺と朝倉が付き合ってるとかいう、デタラメだ」
古泉は「ああ」と遠い過去の記憶を読み返すように溜息をつき、
「そんなこともありましたね。あれは僕の勘違いでした」
「しれっと言うな」
頭を叩く。セットが崩れた?
俺の知ったことか。お前の顔面偏差値なら、坊主でも女子ウケするだろうさ。
古泉は手櫛で髪を整えながら、
「朝倉さんが転校されてから一週間ほど経った日に、
あなたが彼女に、放課後の教室に呼び出されたことがありましたよね。
あの日、機関の監視員は教室での一部始終を記録できませんでした。
朝倉さんが教室を覆うように、遮蔽フィールドを展開したからです。
監視員は大慌てで教室への侵入を試みました。なにしろ、前例がありますからね。
しかし監視員の努力も虚しく、あなたは無傷で教室から出てきました。
傍らに、涙に暮れる朝倉涼子を伴って……。
それからあなたと朝倉さんの仲は、さらに深まったように見えました。
報告を受けた機関上層部は、あなたが朝倉涼子と交際を開始した可能性を視野に入れ、
その情報は当然、末端の僕の耳にも届きました」
古泉はホワイトニングされかのような真っ白な歯を覗かせて、
「正直なところ、僕は半信半疑だったんですよ。
いかに朝倉さんが見目麗しい美少女で、あなた好みの常識的な性格を持ち合わせているにせよ、
こんな短期間で、あなたが彼女に対する警戒を解き、交際するに至るとは考えにくいと思っていました。
しかし記憶を失ったあなたは、僕にこう言いました。
『俺と朝倉が付き合うことは、古泉や朝比奈さんに反対されなかったのか』とね。
その台詞を聞いた瞬間、僕はやはりあなたが朝倉さんと交際していたのだという、間違った確証を得てしまったわけです。
少々話がややこしくなってしまいましたが、理解していただけましたか?」
なんだか上手く言いくるめられてしまった気がして、釈然としない。
何か難癖付けて言い返そうとしたそのとき、
「なーんの話してーんのっ!?」
激しい衝撃が背中を襲った。
肺の中の空気が強制排出され、喉の奥から変な音が漏れる。
振り返るまでもなく、誰の仕業か分かった。
ハルヒよ、お前は加減てモンを知らねえのか。
俺は食道に物詰まらせた爺さんじゃねえぞ。
「おはよ、古泉くん」
「おはようございます」
そこ、何事も無かったように挨拶交わしてんじゃねえ。
「あはは……大丈夫ですかあ、キョンくん?」
MyAngelVoiceが耳朶を打つ。
おはようございます、朝比奈さん。今日も可憐ですね。
「鶴谷さんは一緒じゃなかったんですか?」
「今朝はお家の用事があって、お昼から登校するみたいで……。
涼宮さんとは、駅で偶然、一緒になったんです」
よく見れば、こんな気温だと言うのに、
朝比奈さんの肌はしっとりと汗に濡れている。
おおかた俺と古泉を発見したハルヒに引っ張られ、全力疾走させられたのだろう。
可哀想に。でもそう考えると、ハルヒと朝比奈さんの接近に気づけなかったことが悔やまれるね。
少しでも早く振り返っていれば、朝比奈さんのたわわに実った胸が揺れる様を――。
「あ! あれって有希と朝倉さんじゃない?」
ハルヒが指さした先には、確かにその二人らしき後ろ姿がある。
しかし俺たちと二人の間には結構な距離があり、
よもやここから走って追いつくつもりではあるまいなと横目でハルヒを伺った矢先、
「有希ーっ! 朝倉さーんっ! そこで待っててねーっ!!」
近所迷惑も顧みず、ハルヒが叫ぶ。
近場の通行人の注目を一挙に集めたのは言わずもがなだ。
歩みを止めた二人に追いつくと、ハルヒはほとんどジャンプしながら長門を抱きしめ、
「もう、帰ってきたら、すぐに連絡してって言ってたじゃない!
短期留学、どうだった?あっちの人たちはよくしてくれた?
有希が大人しいのをいいことに、いじめられなかった?」
丸っきり保護者のノリだ。
長門は髪をくしゃくしゃにされながら、助けを求めるような目で俺を見た。
まあ、しばらくはハルヒのやりたいようにやらせてやれよ。
こいつもお前がいなくて寂しかったんだからさ。
「お久しぶりです、長門さん」
「おかえりなさい」
古泉と朝比奈さんが、抱き合うハルヒと長門の傍に寄っていく。
自然と、俺と朝倉はみんなと距離を置く形で、隣同士になった。
「…………」
「…………」
「……記憶が、元に戻ったよ」
ぴくり、と朝倉の肩が震える。
その些細な仕草だけで、俺はこの記憶の消滅と復元に、朝倉が関わっていたことを知る。
昨日、俺は誰かに、放課後の教室に呼び出された。
西日の差し込む廊下を歩き、教室に到着し――記憶はそこで途切れ、
気づくと俺は教室の真ん中で一人、茫然と立ち尽くしていた。
また記憶喪失かよ、とこめかみのあたりを押さえたそのとき、
俺は新たな半時間程度の記憶喪失の代わりに、
それまで行方不明だった二週間の記憶が思い出せるようになっていることに気がついたのだ。
そして同時に、推測できてしまった。教室で『朝倉』と何を話し、どんな決断を下したのか……。
全ての決着がついた上で、俺は教室での遣り取りの記憶を消すように、朝倉に頼んだに違いない。
だから、朝倉が俺の記憶を消した理由とか、
その後で色々と嘘をついたりした理由とかについて、蒸し返すつもりはない。
「ただ、ひとつだけ訊きたいことがあるんだ。
俺と朝倉は、今でも、その……友達、だよな?」
他のどんな質問を想像していたのか、朝倉は目をぱちくりとさせて、顔を綻ばせた。
「友達じゃなかったら、何なの?」
「それは……」
俺が返答に窮していると、
朝倉はその柔らかそうな唇を俺の耳許に近づけてきて、
「あのね、わたしはまだ、キョンくんのこと諦めてないよ」
「あ、朝倉?」
ウインクされた。耳たぶに残る吐息の感触に、体が火照ってくるのが分かる。
不意打ちをしかけてきた朝倉も、だんだん羞恥が体に回ってきたのか、
寒さを言い訳にできないくらい、頬を林檎色に染めてはにかんでいる。
甘い雰囲気が流れかけたそのとき、
「キョーンー、あんた、有希におかえりなさい言った?」
「ん、まだだが」
「じゃあ、今すぐ言いなさい」
うるさい奴だな、お前らが言い終わるまで待っててやったんだよ。
よっ、おかえり、長門。
「……ただいま」
ははっ、久しぶりに会った気がしないのはどうしてだろうな。
「…………」
長門はふいと視線を逸らす。今朝はあまり機嫌がよろしくないご様子だ。
そのワケを尋ねる暇もなく、団長様は「そいじゃ、出発ね!」と号令をかけて歩き出した。
わずかに遅れて、団員が続く。
ハルヒの右脇に俺と古泉が、左脇を朝倉、朝比奈さん、長門が固める陣形で。
「ね、あたし思ったんだけど、朝倉さんとか、涼宮さんて他人行儀な呼び方、やめない?
せっかくSOS団の仲間になったんだから、名前で呼びあいましょ」
「じゃあ、ハルヒ?……なんだか恥ずかしいな」
「すぐに慣れるわよ。朝倉さ……じゃなくて、涼子?」
左隣から聞こえるたどたどしくも微笑ましい会話に気分を和ませつつ、
俺は朝倉がSOS団の一員になったことを――、
長門が帰ってきたことでやっとSOS団のメンバーが揃ったことを再確認する。
振り返れば、六つの影。
団員が全員揃った日には、さぞかし文芸部室が手狭に感じられることだろう。
俺に変わらぬ好意を向けてくれる朝倉と、これからどう付き合っていくべきなのかは、今のところは分からない。
ただひとつ言えるのは、今の俺にとって朝倉は、loveではなくlikeの対象だということだ。
恋愛強者の谷口に言わせれば、女友達と恋人は紙一重らしいが……。
再び左隣の会話に耳を澄ましてみれば、
ハルヒはクリスマスパーティについて――気が早いというツッコミは無粋だ――案を募っている。
今年のクリスマスパーティがどんなものになるのかは分からないが、
「去年よりも数倍賑やかになりそうですね」
とわかりきっていることを古泉が言った。
朝倉涼子の陰謀 了
乙!楽しませてもらった
412:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/24(日) 20:57:58.99:KoGFkIr50はい、この先の展開は想像にお任せしますENDです
長々と続けてしまってすみません
朝倉とのイチャイチャを期待していた人にはもっとすみません
スレを立ててくれた人たち、保守してくれた人たちには本当に感謝してる
ありがとう
413:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/24(日) 20:59:50.29:rlMlLoCBP長々と続けてしまってすみません
朝倉とのイチャイチャを期待していた人にはもっとすみません
スレを立ててくれた人たち、保守してくれた人たちには本当に感謝してる
ありがとう
お疲れ様!楽しませてもらいました
414:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/24(日) 21:00:29.57:vDahiOcTO乙
他に作品あったら教えてくれ是非
417:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/24(日) 21:05:01.93:KoGFkIr50他に作品あったら教えてくれ是非
415:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/24(日) 21:01:11.09:GcscN1nzP
おつ。
よし俺も頑張って書くぞ!
419:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/24(日) 21:12:21.28:DG+xsUgZ0よし俺も頑張って書くぞ!
よくぞ最後まで書いてくれた。
長丁場、乙だった。
448:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/25(月) 11:13:09.33:ldRPgd69O長丁場、乙だった。
お前だったのか
力は隠せないもんだな
あんたやっぱ凄いよ乙
力は隠せないもんだな
あんたやっぱ凄いよ乙
コメント 7
コメント一覧 (7)
ただそれだけに…完結してほしかった
うーん朝倉だったか。長門が出てきたところでの、こう、頭の中がすーっとしていく感覚がすげえよかった。面白かった。
毎度変わらぬ完成度、脱帽です。
読み終えるまで気付かなかったが、やはり完成度が高いなぁ。