- 3:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 20:33:58.31:HPL6B5VRO
律「……」
律は自室のベッドに腰掛けて放心していた。
黄昏時の日差しが、カーテンの隙間からほげーっとした彼女の顔を照らす。
律「何これ…どういうことなの…」
ぽつりと独りごちて、自分に手に視線を落とす。
彼女の目に映るのは、スティックによってマメが作られた見慣れた小さな手のひらではない。
肘の先から指先にかけて黄金に近い茶色の毛に覆われた、獣の足のようなフサフサした手のひらだった。
指先に生えた驚くほど鋭利な爪が、きらりと光る。
手にばかり気を取られていたが、よく見れば靴下を脱いだ足も、同じように毛むくじゃらだ。
口内にも違和感を感じ、おそるおそる鏡の前で口を開くと、少しだけ犬歯が鋭く長くなっている。
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韓国からポーランドに輸出されるはずだった戦車、軽戦闘機、自走砲などの「K防産」、すべて霧散して夢と終わる可能性も…
5:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 20:36:42.67:HPL6B5VRO
金色に光る瞳は、少しばかり獣の鋭さを帯びていた。
律(目つき獣みたいじゃん…)
前髪を下ろして目元を隠す。
そのままぼんやりと丸い鏡を眺めていると、背筋にざわざわっと何かが走るような感覚が律を襲った。
律(この感じ…)
この感覚には覚えがあった。
つい先ほどまでいつも通りだった自分の体が、こんないびつな物に変化する前に、律は一度この体のざわめきを経験していた。
時はさかのぼり、放課後。
いつものように部活を終え、いつものようにだべりながら、いつものように皆と別れ、家に着いた。
6:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 20:40:06.93:HPL6B5VRO
律「たっだいま~」
聡「おかえり姉ちゃん!」
律「お?なーんか嬉しそうだなぁ。どした?」
聡「ずっと欲しかったゲーム、やっと買ったんだよ!今日父さん達遅いしさ!一緒にやろうよ!」
律「えっマジで!?でも今日課題多いしなぁ…。今何時だ?」
靴を脱ぎながら時計に目をやる律。円形のそれが目に入った、刹那。
ザワッ
律「ほわっ!?」
聡「あいっ!?」
突然の姉の奇声に驚く聡。怪訝な面持ちで、彼は律を見た。
8:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 20:41:13.36:HPL6B5VRO
聡「な、何?」
しかし彼の声は律の耳をすり抜けた。
律は自分の心臓が、尋常じゃない速さで鼓動するのを感じ、胸を押さえた。
律「は、あっ…」
熱い呼気と共に額に汗が噴き出す。言葉にならない何かが、体の奥から駆け上がってくる。
聡「ちょ、ね、姉ちゃん!?大丈夫!?」
律「なんか…わかんな…ごめ、ちょっと部屋行く…」
明らかに調子が悪そうな律を見て、聡はどうしたらよいかわからずうろたえる。
そうこうしているうちに、律はあっという間に階段を駆け上がっていった。
聡「はや…」
9:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 20:42:33.35:HPL6B5VRO
よくわからないが、駆け出したくなるような衝動に駆られる。
律は一気に階段を駆け、自室に飛び込んだ。
ドアに背を預け、座り込む。
律「…うっ…」
再び背筋がざわめき、徐々に鼓動が収まっていく。
ようやく落ち着きを取り戻した律は、ふぅと息をついた。
律「一体何だったんだ――」
ずれたカチューシャを元に戻そうと手を挙げ、目に入った物体に律は固まった。
律「――…は?」
茶色いフサフサの手。光る爪。
瞬きをすることも忘れ、その手を閉じたり開いたり。
明らかに自分の手だが――自分の手じゃない。
律「はあああああああああぁ!!??」
そして話は、現在に戻る。
11:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 20:43:57.63:HPL6B5VRO
律(丸い物を見たら、体がぞわぞわする…)
律(それにこの手…まるで映画で見た狼男みたいだ…)
律「――いつの間にか狼人間になってました…ってか?」
なんで?意味わかんない。
律は混乱する頭を抱え、その場に座り込んだ。
律「…これ、元に戻れるのかな…」
腕から生えた体毛を引っ張り、律は独りごちる。と、その時だった。
コンコン
律「おぎゃっ!!!」
聡「あひぃっ!!!」
いきなりドアがノックされ、律は飛び上がる勢いで悲鳴を上げた。
ドアの向こうからも、甲高い悲鳴が聞こえてくる。
13:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 20:46:29.24:HPL6B5VRO
聡「ね、姉ちゃん?大丈夫なの?入るよ?」
律「だっ!駄目駄目駄目!入ってくるなああぁ!!」
開きかけたドアの元へ、律は凄まじい速さで駆け寄ると、内側から押さえつけようとした。
しかし、律はこの時、自分の体の変化にまだ慣れてはいなかった。――結果。
バギャァッ!!!
鋭利な爪がドアに穴を穿ち、力加減がされなかった両腕はドアを突き抜けていた。
突如ドアから生えた腕の間に、聡の顔がちょうど収まった。短い黒髪が、はらりと切れて落ちる。
聡「…へ…?」
聡の顔に引きつった笑みが張り付く。
律「…」
沈黙の中、ゆっくりと腕がドアから抜かれ、二つ開いた穴から律が顔を覗かせた。
律「あ、あはは…。ども~、田井中りっちゃんです♪」
聡「」ドサッ
律「ちょ!さ、聡!?しっかりしろおおおぉ!!」
15:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 20:48:11.13:HPL6B5VRO
気まずい沈黙が、律の部屋の中を支配する。
律と聡は何故か正座をして、向かい合って座っていた。
ドアに開いた穴は、外側には律の手作りパネル(舌出してスティック持ったアレ)、内側にはポスターを貼ってごまかした。
見られたからには黙っているわけにはいかないので、律は聡に自分の体に起きた異変について説明した。
もっとも、彼女自身何が起きているのかわからないが。
律「……」
聡「…も、元に戻ったね」
律「あ、あぁ…本当だ…」
呆けているうちに、いつの間にか体は元に戻っていた。
聡「…えっと…丸い物見たら変身しちゃうんだよね?」
律「たぶん」
16:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 20:49:55.37:HPL6B5VRO
聡「…ほい」パカッ
急に聡は手に持っていたゲームのパッケージを開ける。律の目に入る、丸いディスク。
律「おわっ!!聡お前!!…うぁっ!!」
途端、律は体を震わせて呻いた。聡はその様子を興味深そうに見つめる。
聡「おおぉ…なんかすげぇ」
律「う、ううぅ…さと、しいいぃ…」
体のざわめきが落ち着いてくると、律は息を切らせながらその気持ち悪い感覚に耐えた。
律「…っ…はぁ。折角元に戻れたのに、何すんだ!!」
再び変身し、牙をむいて怒った律を見て、聡は肩をすくめて申し訳なさそうに笑った。
聡「だって、なんかすげぇんだもん」
律「…まぁいいや。とにかく、誰にも言うなよ?お父さんとお母さんにも内緒。じゃないと――」
律が意地の悪そうな笑みを浮かべて聡を睨んだ。覗いた牙と、鋭い眼光に、聡は思わず身を震わせる。
聡「わ、わかったよ!」
17:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 20:51:16.11:HPL6B5VRO
律「――だいだい元に戻るまで二十分か」
腕と足から引いていく体毛を見つめて、律は呟いた。
聡「それにしても、なんか俺が思ってた狼人間とイメージ違うなぁ」
どこかつまらなさそうな声で、聡がぼやく。
律「どういうことだよ」
聡「いや、なんていうかさ…もっと完璧に狼になっちゃうイメージあるじゃん。だけど、姉ちゃんは腕と足ぐらいだろ?思い切り見た目が変わってるの」
律「牙も生えるし、瞳もちょっと変わるけど…。あ、あと、なんか凄い体が軽い。身体能力が上がったりしてるのかな」
とんでもない馬鹿力も発揮できるしな、と律は苦笑しながらポスターを貼り付けたドアを見た。
聡「ふーん…。まぁ、半狼人間ってところだね。でも、一体何でこんなことに?」
律「それがわかったら苦労してないっての…」
律は重々しいため息をついた。
20:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 20:53:01.69:HPL6B5VRO
律「とにかく、みんなにばれないようにしないとな」
聡「でも、かっこよくて良いと思うけどなぁ。自慢できるよ」
律「お前なぁ…気持ち悪がられるに決まってるだろ。怖がられるよ。第一お前もぶっ倒れたじゃん」
聡「…そうだね」
律「――軽音部のみんなには絶対ばれないようにしたいな…。みんなに怖がられるなんて…絶対嫌だ…」
弱々しい声で呟く姉の姿を見て、聡は顔を引き締めると手を叩いた。
聡「よし!姉ちゃん、特訓しよう!変身しても、すぐに元に戻れるように!」
律「は、はぁ!?」
突拍子もない提案に、律は素っ頓狂な声を出した。
聡「というわけで、はい♪」パカッ
有無を言わせず、再び聡は律の前でゲームのパッケージを開いた。
律「あぁあっ!!聡いいいいいぃ!!…くっ!」
ニヤニヤ笑う聡に歯向かうこともできず、再び気味の悪い感触に表情を歪める律。
聡(うおお!面白れぇ!!)
――その後も律の悲痛な声はずっと続いた。
22:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 20:54:35.89:HPL6B5VRO
翌日。
律「おはよ…」
律母「おはよう。どしたの、元気ないわね」
律「あはは、平気平気」
やつれた顔に笑みを浮かべ、律は食卓に着く。
昨晩ずっと変身を繰り返したせいで、心身ともにぼろぼろだった。
しかし、特訓の成果は現れた。
普通にしていれば元に戻るまで二十分ほどかかるが、体の底からわきあがってくるものを押さえ込もうとすることで、その時間を短縮することが可能になった。
その点は聡に感謝しなくてはならず、面白半分でいた彼をぶん殴りたかったが我慢した。
律「いっただっきまーす」
とにかく、学校ではぼろが出ないようにしなくては。
ご飯を頬張りながら、律は改めて自分に言い聞かせる。と、
律「あ゛」
迂闊だった。律の目に、目玉焼きの綺麗な黄身が映る。
24:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 20:56:47.80:HPL6B5VRO
律「へぁっ!!」
聡「うぉっ」
背筋を走る戦慄。律は慌てて鞄を引っつかむと、立ち上がった。
律「い、いってきます!!」
律母「え、もういらないの?そんなに急ぐ必要ないでしょう?」
律「ご、ごめん、お母さん!」
律は猛ダッシュで玄関へと駆けていく。
律母「…どうしたのかしら?変な子ね」
聡(…あんなので本当に学校大丈夫かな…)
25:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 20:58:15.89:HPL6B5VRO
律「はぁ…駄目だ。かなり気をつけてないと、簡単に変身しちゃうぞ…」
体毛に覆われた腕をさすりながら、律は車庫の中で一人呻いた。
律「もしみんなの前で変身したら…すっげぇ騒ぎになりそうだなぁ」
律(ふぅ…冷静に、冷静に…平常心で――)
ゆっくりと深呼吸しながら、律は元の姿に戻ることに努めた。
27:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 20:59:08.95:HPL6B5VRO
学校
律「おっはよー!」
クラスメイト達「おはよー」
いつもと変わらない笑顔で、律は挨拶を交わしながら自席に着く。
律(なんか…丸い物を見ないように気をつけようとすると、逆に丸い物を探しちゃう…。駄目駄目、いつも通り、普通にしてりゃ大丈夫――)
唯「りっちゃんおはよー」
律「ぎゃっ!」
唯「うぇっ!?」
律「あぁ…唯か。おどかすなよー…」
唯「それはこっちのセリフだよ~…」
しかめっ面をしながら席に着く唯。悪い悪い、と律は軽く謝った。
28:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:00:20.89:HPL6B5VRO
それから、後でやって来た紬とも挨拶を交わし、HRを終え、授業も順調に進んでいった。
律「ふぃ~…」
唯と紬と共に、三人で昼食の弁当を食べながら、律は大きくため息をつく。
紬「どうしたの?りっちゃん、ずいぶん疲れてる感じね」
律「ん?いやいや、りっちゃんはいつでも元気ですぜ。ただ、さっきの授業内容が難しかったなぁって」
唯「あぁ~難しかったね。私もうよくわからなくて、いつの間にか寝てたもん」
律「おい」
上手くごまかしながら、律はいつもと同じように会話を弾ませる。
途中、唯のお弁当に入ったゆで卵が目を掠めたが、何とか変身は押さえ込んだ。
30:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:01:43.57:HPL6B5VRO
昼休みが終わり、午後の授業に入った時のことだった。
数学の授業の準備をしていた律は、今日習う範囲を確認して、愕然とした。
律(え、円の性質…!?)
おそるおそる教科書を開けてみるが、すぐに閉じた。
至る所、円だらけだ。
律(く…どうする?授業休ませてもらうか…?)
だが、悩んでいる内に先生が教室に入り、授業は始まってしまった。
この授業の先生はなかなかの堅物で、本当に具合が悪そうに見えなかったら、あまり中抜けを許してくれないのだ。
変身を耐えているときは具合が悪く見えるだろうが、それから抜けるのを頼んでいるようでは間に合わない。
律(く、くそ…。こうなったら、一時間耐え抜いてやるぜ…。昨日の特訓を思い出せ、私!)
そうやって、気合いを入れて授業に集中するものの、なかなか教科書を見ることが出来ない。
黒板の文字に集中し、律は一心不乱にノートを取り続けた。
31:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:03:02.48:HPL6B5VRO
※言い忘れてた。この話は二年生の時のことです
律(辛い…時間が長く感じる…)
一体何分経っただろうか。時計を見ることも出来ない。
いつボロが出てもおかしくない状況に、心臓が暴れている。
小さく深呼吸を続けつつ、律は鉛筆を動かす。と、
先生1「で、教科書49ページのこの図だけど…」
先生が、黒板にコンパスを使って、綺麗な円を大きく描いた。
律(ちょっおま…)
ぞっと、背中にざわめきが走った。
慌ててノートに視線を落とし、歯を食いしばってわき上がるものを堪える。
律(駄目だ駄目だ!我慢我慢我慢!!)
円を見たのが一瞬だったからだろうか。
何とか耐え抜くことが出来、ゆっくりと体が落ち着きを取り戻していく。
しかし――
33:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:04:29.81:HPL6B5VRO
先生1「…であるから、この円の半径は――」
律(う、うぅ…黒板が見れない…)
何とか変身は抑えたが、いまだに黒板には綺麗な円が描かれていた。
生徒1「…律ちゃん?大丈夫?具合悪いの?」
頭を押さえたまま俯いている律を見て、隣の生徒が心配げに声をかけてくる。
律「ん?あ、あぁ、へーきへーき。あんがとね」
ニカッと笑い、出来るだけ平然を装って応える。それを見て安心したのか、彼女も微笑んで前に向き直った。と、
先生1「ん?どうかしたのか、田井中?」
会話が耳に入ったのか、先生が声をかけてくる。
律「ふぇっ!?な、何でもありません」
先生1「そうか?んじゃあ、この問題解いてくれ。50番の、円の作図。簡単だから、すぐ出来るだろ」
律(――!!)
35:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:06:34.03:HPL6B5VRO
先生が教科書を見ながら黒板を指さす。
円の作図なんて…できるわけがない!
律(ちょっ、ど、どうしよ…)
だらだらと、背中を汗が流れる。
律(ま、まだ授業終わらないのか…!?)
ちらりと時計に目をやる、が。
律(おふぅっ!!)
円形だったことを忘れていた。汗びっしょりの背中にざわめきが走る。
律(こ、このタイミングでっ…馬鹿だろ私!!)
先生1「?どうした、田井中。ちゃっちゃと済ませてくれ」
律「…は、はい…」
律は震える足でゆっくり立ち上がると、なるべく黒板を見ないようにしながら前にでる。
その間も、体のざわめきが止まらない。
律(駄目だ、もう…抑えられない…!)
36:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:07:59.53:HPL6B5VRO
腹を決めたその時、救いの鐘が鳴った。
キーンコーンカーンコーン…
先生1「お、もうそんな時間だったのか。すまん田井中。その問題はまた今度頼む」
律「は、はい!」
号令が終わると、律は慌てて教室を飛び出し、トイレへと駆け込んだ。
律(ギ、ギリギリセーフ…)
一番奥の個室に入った時には、腕に毛が生えかけていた。
律(危ない危ない…いやいや、安心するのは早いか。早く元に戻んないと)
律は歯を食いしばって、体の奥からわき上がってくるものを押さえ込むことに努めた。
38:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:08:52.18:HPL6B5VRO
潮「はぁー授業疲れるなぁ~…」
慶子「ホント、私もう眠くて眠くて…」
信代「朝練があると疲れるよなぁ」
談笑に花を咲かせながら、生徒三人がトイレへと入る。と、
「ううぅ…く、う…はぁ、はぁ…」
慶子「!?」
潮「な、何…何今の?」
信代「ん?どうかした?」
二人の反応に、思わず声をひそめて訊ねる信代。
口に指を当てる二人の様子を見て、彼女も口をつぐんだ。
「はぁっはぁ…ぐ、うぅ…」
慶子・潮・信代「――~~…!!!」ゾゾゾッ
トイレの奥から聞こえてくる苦しげな呻き声に、三人は声を失って抱き合った。
39:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:10:18.17:HPL6B5VRO
信代「な、何だろ…?」
潮「ちょ、やめなって」ヒソヒソ
おどおどしながらも興味本位で声が聞こえてきた方へと近付く信代。ただただ震えたままその場に立ち尽くす潮と慶子。その時。
バキャッ!!
乾いた破壊音が鳴り響き、三人は飛び上がりそうになるほど驚いた。
潮・慶子「ひぎゃああああああああっ!!」
信代「うほおおおおおおおおぉおお!!」
甲高い悲鳴を上げながら、三人はものすごい勢いでトイレから逃げ出した。
律「ふぅ…なんとか収まってくれたけど…手すり壊しちゃったな」
ぼやきながら律は個室から出る。
知らぬ間に力を入れすぎていたのだろう。きつく握りしめていた手すりは、片方の端が壁から外れてしまっていた。
律「しゃーない…職員室に報告だけしとくか」
事情を聞かれたら困るので、ちょっと体重かけたら壊れたということにしておこう。
そう思いながら、律は職員室へと向かった。
41:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:12:23.97:HPL6B5VRO
慶子「の、呪いよ…トイレの花子よ…!!」
潮「違うよ!あれはきっとトイレで溺れて死んでしまった地縛霊なんだよ!!」
信代「なにそれ…。違う違う。きっと誰か便秘だったんだって」
トイレから離れた廊下で、三人はさきほどトイレで聞いた呻き声の正体について議論を続けていた。
信代「呪いだの地縛霊だの…そんなのあるわけないよ」
潮「一番凄い悲鳴上げてたくせに」
信代「なっ!いいさ!!じゃあもう一回行こうじゃないか!」
慶子「え、えぇ~…」
信代「あ、もしかして怖いわけ?」
慶子「こ、怖くなんか無いよ!いいじゃん!行こう!!」
潮「え~…ちょ、ちょっと待ってよ~…」
42:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:13:42.94:HPL6B5VRO
潮「ホントに戻ってきたし…」
慶子「ほら、入って」
信代「え、あ、あたしから…?」
慶子「当たり前じゃない!ほら!」
信代「わかったよ…」
改めて静かにトイレに入る三人。しばらく黙っていたが、呻き声は聞こえない。
慶子「み、見に行ってみて。一番奥」
信代「ちょ、行くならみんなで行こうよ」
おそるおそる、一番奥の個室をのぞき込む三人。中には誰もいなかった。が、
潮「ひ、ひいいいい!!」
へし折れた手すりを見て、潮は震え上がった。
44:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:14:36.85:HPL6B5VRO
慶子「きゃああああ!やっぱりそうじゃない!地縛霊が苦しさのあまり暴れたんだって!!」
信代「ち、ちちちちち違うって!そう!きっと誰かがふんばった勢いでぶっ壊しちゃったんだ!きっとそう!」
恐怖のあまり訳のわからぬ事を叫ぶ三人。そこへ。
がたん
さわ子「あなたたち――」
三人「qあwせdrftgyふじこlp!!!!!11!1!!!」
突然声をかけられ、三人は狂ったように悲鳴を上げつつ、トイレから逃げ出した。
さわ子「…?」
律に頼まれて手すりの確認に来たさわ子は、彼女たちの様子に眉をひそめて、ただ呆然としていた。
45:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:15:49.56:HPL6B5VRO
放課後。
律「ふぇー…一時はどうなるかと思ったぜ…」
一人ぼやきながら音楽室へと向かう律。あの数学の授業以降は、普通に過ごすことが出来た。
頬を叩いて気合いを入れ直した後、律は準備室のドアを開けた。
律「おいーす」
澪「遅いぞ部長さん」
梓「一番最後ですよ…」
律「あは、悪い悪い。ちょっとさわちゃんと話しててさ」
HRが終わった後、廊下を歩いていると急に呼び止められたのだ。
その真剣な面持ちに、律は内心焦った。もしかして、ばれたのか、と。が、彼女の口から飛び出した言葉はあまりにも拍子抜けな物だった。
さわ子『りっちゃん…あなた、ダイエットしなさいね?』
律(…体重かけたら壊れたなんて言い訳、するんじゃなかったな…)
47:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:17:58.05:HPL6B5VRO
手すりの壊れ具合を見て、さわ子は愕然としたのだろう。
律(普通は疑うだろうけど…アホの子さわちゃんに感謝だな)
紬「そうそう、今日はチーズケーキ1ホール持ってきたの」
唯「わーい!チーズケーキ!チーズケーキ!」
はしゃぐ唯を尻目に、律はいつもの席に着く。
律(ん、待てよ…。チーズケーキ…1ホール…!?)
机の上に、まん丸に焼かれたチーズケーキが置かれた。
律(げっ…!)
皆に悟られないように、律は何気ないそぶりでケーキから目を背ける。
律「…ムギー、紅茶砂糖少なめでよろしくー」
紬「わかったわ」
48:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:19:06.04:HPL6B5VRO
律(うぅ…ムギ、早く切り分けてくれ…)
紬「さて、あら…ナイフはどこかしら?」
ゆったりとした動作で、紬は切り分けるためのナイフを探す。
なかなか見つからないのか、もたもたしている。
梓「もー…練習しましょうよぉ」
待ちきれないといった面持ちの唯を見て、梓が不満げに呟きを漏らす。
唯「あずにゃんったらぁ。ケーキ食べたいくせにぃ」
梓「そ、それは…そうですけど…」
そうか、練習を先にやれば良いんだ。そのうちにむぎが切ってくれるだろう。
律は鞄からスティックを取り出しながら、ドラムに目をやる。が、
律(う、うおっ!!)
円形の集合体――それがドラムだった。慌てて目をそらす律。
49:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:20:08.47:HPL6B5VRO
梓「…?どうしたんですか、律先輩。珍しいですね、お茶より先に練習するつもりですか?」
律が机の上に置いたスティックを見て、梓が少し驚いたように訊ねる。
律は引きつった笑みを浮かべて、そんな彼女を見た。
律「はは…言ってくれるねぇ。私が練習熱心だと、そんなにおかしいかい?」
梓「あ、いや、そういう訳じゃなくて――そ、そうだ!ムギ先輩がケーキ切り分けて下さるまで、ちょっと合わせてみませんか!?私、新曲あやふやなところがあって」
上手くごまかした梓の提案に、律は喜ぶべきか悲しむべきかわからなかった。
とにかく、ここで返答に詰まっては怪しまれる。
律「んー、別にいいぞ!じゃ、やるか!」
澪「ほぉ…珍しく律が部長らしく見えるな」
律「お前ら、ホント失礼だな…。私だって見えないとこで頑張ってるんだぞ…」
律(梓の演奏に集中しよう…。ドラムからは出来るだけ視線を外すんだ…)
51:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:21:22.90:HPL6B5VRO
梓「――あっ…また間違えちゃった…。このパート難しいんですよね…」
律「んじゃ、ここ繰り返しやってみるか」
できるだけ平然を装って、律はスティックを握りなおす。
驚くほど手汗が出ていて、ドラムを叩いている内に滑って飛んでいきそうだった。
唯は頬杖をついて机の上のチーズケーキを眺めていたが、待ちきれなくなって、紬を振り返って急かした。
唯「ムギちゃ~ん…まだナイフ見つからないの?――ムギちゃん?」
ナイフを探していた紬は、いつの間にか手を止めて、練習に努める律と梓を見つめていた。
声をかけられて、びくんと肩を振るわせると、紬は慌てて棚を漁る。
紬「ご、ごめんなさい、ぼーっとしてたわ…。えーっと、確かこのへんに…あった!ごめんね、唯ちゃん。待たせちゃって」
唯「ううん。私もごめんね。何だか急かしちゃってさ」
ようやく見つけたナイフで、紬はチーズケーキを丁寧に切り分けていく。
52:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:24:01.34:HPL6B5VRO
澪「二人共、ケーキ切れたぞ」
律「あいよ~。じゃあ、あと一回だけやってお茶にしようぜ」
梓「はい!」
律の練習熱心な姿が嬉しいのか、梓が満面の笑みで頷く。
律(私って、そんなに練習サボってるように思われてるのか…?)
落胆しながらスティックを構える律。
自分でも知らないうちに結構ショックを受けていたようで、すっかり気をつけなければいけないことを忘れていた。
律「あ」
思いっきりドラムの円形が目に入る。律は慌てて全身に力を込めた。
律(ちくしょう!忘れてた!!)
わき上がるものとの葛藤が始まる。
53:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:25:09.07:HPL6B5VRO
梓「…律先輩?始めないんですか?」
カウントを取るためにスティックを構えたままの姿勢で固まる律を見て、梓が不思議そうに首をかしげる。
律「あ、あぁ…いくぞ」
怪しまれないためにも、律はそのまま無理矢理演奏に入った。
体を走るざわめきを押さえ込みながらの演奏は、いつもより力が入ってしまい、つい走りがちになってしまう。
澪「おい律。また走ってるぞ。肩の力抜いた方がいいんじゃないか?」
律(無理です澪さん…)
紅茶をすする澪の助言に応えることも出来ない。
ざわめきが、体を徐々に支配してくる。まずい。押さえきれない。
律「…っ…」
バキッ!!
力を込めすぎたのだろう。スティックが、握ったところで真っ二つにへし折れた。
55:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:26:15.32:HPL6B5VRO
梓「わっ!だ、大丈夫ですか?律先輩!」
乾いた音に驚き、梓が演奏を中断して振り返る。
額が冷や汗だらだらなのを悟られぬよう、袖でおでこを拭いながら律は笑った。
律「あちゃ~…寿命がきてたのかな…。これじゃ練習になんないよ…。ごめんな、梓」
立ち上がって、律は鞄を引っ掴み、皆を振り返った。
律「みんなもごめん!新しいスティック買いに行くから、私先帰るわ!じゃな!」
急いで部室を飛び出す律。皆はその背中を、何も言い返せずに見送った。
唯「あ…チーズケーキ食べていけばよかったのに」
紬「しょうがないわ。りっちゃんの分は、唯ちゃんが食べてあげて」
唯「うわーい!りっちゃん隊員…あなたの遺した物、決して無駄にはしませんぞ!」
澪「何言ってるんだ…」
56:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:27:25.76:HPL6B5VRO
部室を出た瞬間、腕と足に体毛が現れた。
律「うお…危なかったぁ…」
とりあえず、最悪の状況は避けることが出来た。後は、誰にも見つからないように変身を解かなければ。
他の生徒も部活中で、廊下に人気はない。
律(またトイレにでもこもるか)
律は階段を一気に飛び降りると、素早くトイレに駆け込んだ。
律「おぉ…すげぇ…」
身体能力の変化に、自分でもビックリする。
律「さて、と…」
例のごとく、律は一番奥の個室に入り、念じることに努めた。
58:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:28:32.91:HPL6B5VRO
その後、変身を解いた律は、早めに学校を出て、いつもの楽器屋で新しいスティックを購入し、帰宅した。
聡「あ、おかえり、姉ちゃ――」
庭でサッカーボールをリフティングしていた聡が出迎える。
律「あああああぁいっ!!」
聡「ちょおおお!」
彼が目に入った瞬間、律は地を蹴って駆け、思い切りサッカーボールを蹴っ飛ばした。
車庫の隅に固めてあった、積まれた本やダンボールの中にそれはつっ込み、埃を舞い上げて隠れてしまった。
律「…ふぅ…」
聡「…もうすっかり円形恐怖症だね…」
成し遂げた笑みを浮かべて汗を拭う姉を見て、聡はため息をついた。
59:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:30:39.36:HPL6B5VRO
律「今日は大変だったぜ…。ちょっと丸っぽいもの見ただけで、すぐ体が反応しちゃうんだもん」
リビングでぐったりと横になる律。その隣でアイスをくわえながら、聡は話を聞いていた。
聡「へぇ…。ま、まさか授業中に変身したりしてないよね?」
律「何回かやばいのがあってさ」
体を起こして、律は参ったように頭を掻く。
律「数学の時間に円の問題あてられるし、部活では目の前に丸いケーキ置かれるし、ドラムは円の集合体だし…」
聡「うわぁ…。大丈夫だったの?」
律「ぎりぎりで。しっかしどうすっかな…。こうも簡単に体が反応しちゃ、そのうちボロが出そうだぜ」
聡「じゃあさ!昨日みたいに特訓しようよ、毎日!今度は押さえ込む練習だけじゃなくて、簡単に変身しないようにさ!」
律「聡…お前なんか楽しそうだな」
聡「えへへ…そりゃだって…面白いじゃん」
律「こいつぅ…人の苦労も知らないで…この!」
律は聡の首に腕を回すと、チョークスリーパーをかける。
聡「わー!ごめんなさい!!ギブギブ!」
律「…ま、やらないよりはマシだろうしな…。よし!お母さん達が帰ってくるまで、ちょっと付き合ってよ」
61:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:31:59.97:HPL6B5VRO
律「ぐるるるるるぅ~…」
聡「――何で風船見ただけで変身しちゃうのさ…」
頭を抱えて呻る狼化した律を見て、聡が呆れたようにぼやく。
律「あのな、私だってなりたくてなってるんじゃないんだぞ。何で変身しちゃうかって?そこに丸い物があるからさ」
聡「なにかっこつけてるの…」
自分がふくらませた風船ををまじまじと眺めながら、聡は頭を掻く。
聡「丸だと思うから駄目なんじゃないかな。ほら、これは…えーっと…そう!いびつな形をしたよくわからない物だよ!」
律「えー…そんな簡単に済むものなのかな…」
聡「だってさ、実際変身しちゃった後も、戻りたいって思えば気合いですぐに戻れるんだろ?ようは気の持ち様だって!」
律「んーまぁ確かにそうだけど…」
62:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:33:04.07:HPL6B5VRO
聡「せめて、綺麗な円形をしてない物は見ても大丈夫になりたいよね」
風船を放り捨て、後ろを振り返る聡。
彼の背後には、様々な円形の物体が並んでいた。
律「……」
律はふわふわと宙を舞う風船を目掛けて腕を振るう。爪が薄いゴム膜をすっぱりと裂き、破裂音が響いた。
聡「うわっ!!?ちょ、ビックリさせないでよ!」
律「ん、悪い悪い」
律(力のセーブの仕方も、ちゃんと特訓しといた方がよさそうだな…)
恐ろしく鋭い爪と、扉に空いた穴を交互に見つめ、律は小さくため息を吐いた。
63:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:34:14.79:HPL6B5VRO
翌日、律はたびたび危ない場面に出くわしたが、先日とは違い余裕を持って乗り越えることができるようになっていた。
先生1「んじゃ田井中。昨日あたってたとこ、やってくれるか」
律「は~い」
律(わざといびつな形に描いてっと…)
律「できました」
先生1「おぉう…まぁあってるっちゃあってるが…汚い円だな」
律「答えが合ってればそれで良いんですよ!」
65:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:35:17.65:HPL6B5VRO
紬「りっちゃん、昨日ケーキ食べさせてあげられなくてごめんね。お詫びにマカロン持ってきたの」
律「ん?あ、あぁ、そんな気使わなくてもよかったのに!私が勝手に帰っちゃったんだし」
律(ピントをずらせば、なんとかいけるな…)
紬「でも、私がちゃんとナイフ用意してなかったせいだし…もらってくれる?」
律「…それじゃ、お言葉に甘えていただこうかな。でも、ホントそんなの気にしなくていいからさ」ヒョイパク
律「お!うめぇ!!ありがとな、ムギ!」
紬「……」
律「…どした、ムギ?私の顔、何か付いてるか?」
紬「え、あ、ううん。ごめんなさい、ぼーっとしてたわ」
67:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:36:50.74:HPL6B5VRO
部活中もボロを出すことなく、いたって普通に過ごすことが出来た。
帰宅後は両親が帰ってくるまで聡と共に特訓に努める。
そんな毎晩の特訓のおかげもあってか、ようやく律はこの体での生活に慣れ始めていた。
焦点を外すことで、少しぐらいなら丸い物を見ても大丈夫。
たとえはっきり見てしまっても、一瞬なら変身を押さえ込むことも出来る。
律(でも、結局何でこんな体になっちゃったのかはわからずじまいなんだよなぁ)
原因がわからない限り、普通の体に戻ることは無理だろう。
律(ま、この調子だとこの体でも今まで通りにできそうだけど…)
そんなこんなで、誰にもばれずにいつも通りの生活を送り始めていた、ある日のことだった。
68:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:38:01.01:HPL6B5VRO
律「いっつ…!」
部活中、楽譜の整理をしていた律は、指に走った鋭い痛みに危うくそれをばらまきそうになった。
律「あいた~…指切っちゃったよ…」
唯「え?うわ、ほんとだ…痛そ~…」
律の人差し指を真一文字に走る、小さな切り傷。そこからじわりと血が滲む。
律(…そうだっ)
律「――なぁ澪、指切っちゃったんだけど」
些細な悪戯心が芽生え、痛い話が駄目な澪に律は話題を振る。
いつもなら澪は耳を押さえ、悲鳴を上げながら飛んで逃げるだろう。ところが、
澪「……」
律「…み、澪さん?」
あろう事か、彼女はいつの間にか傍に来ていて、じっと律の指を見つめていた。
69:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:39:12.08:HPL6B5VRO
律「え、な、何?どうしちゃったんだよ?澪って、血とか駄目だっただろ?」
澪「……」
無言で傷を眺める澪の様子にまごつき、律は手を引っ込めようとした。
しかし、澪はその腕を掴むと、自分の顔の前に律の手を持ってきた。
律「い、いてぇ!腕が変な方向に曲がっちゃうって!おい澪!!」
いつもの澪らしからぬ行為に、唯も紬も梓も、ポカンとしながら菓子をつまむ。
しばらく澪は律の指を眺めていた。そして――
律「――…なっ!!?」
澪は、無言のまま律の指をくわえ込んだ。
紅茶を口にしていた梓が、顔を真っ赤にして思い切りそれをぶちまけた。
状況が理解できず目が点状態の唯と、二人をガン見たまま固まっているの紬にも、紅茶の雨がかかる。
71:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:40:22.73:HPL6B5VRO
律「な、ななな…っ…ちょ、ちょっと、澪!!」
赤く火照った顔に焦りを浮かべ、律はもう片方の手で澪の体を揺さぶる。
澪「ん…は、あれ?」
ずっと律の指をくわえていた澪は、ハッとしたように顔を上げた。
律「お、おい澪…一体どうしたんだよ?」
まだ澪の舌の感触が残る指をちらりと見て、律は顔を赤らめたまま眉をひそめる。
澪「え?何が?」
律「何がって…!その、きゅ、急に私の指…舐めだして…」
澪「…は?」
73:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:41:39.95:HPL6B5VRO
澪「私が?」
律「…」コク
澪「舐めた?」
律「う、うん…」
澪「律の指を…?」
律「そうだよっ!!恥ずかしいんだから、いちいち聞くなよ!!ってか、何で――」カアァ
澪「……!!」カァッ
律と同様に赤くなって、澪は無言で鞄を引っ掴むと踵を返した。
74:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:42:16.77:07sqj+wD0
澪「先帰る!」
律「え!?いや、ちょっと!澪!!」
逃げるように部室から立ち去る澪。律は困惑の表情を浮かべ、ただ彼女を見送ることしかできなかった。
唯「どうしたんだろ、澪ちゃん。変だよね、自分からやっておいて照れちゃうなんて」
梓「無自覚の内に体が動いてた、とか…」
梓が派手にぶちまけた紅茶を拭くのを尻目に、紬は真剣な面持ちで澪が出て行った扉を見つめていた。
紬「――まさか…」
律「…むぎ?」
紬「えっ?いや、澪ちゃん大丈夫かなぁ…」
すぐにいつも通りの笑みを浮かべ、顔に付いた紅茶を拭う紬を見て、律は首をかしげた。
77:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:44:12.00:HPL6B5VRO
澪(私が律の指を舐めた…?)
澪(自覚無いけど…あの空気は嘘付いてる雰囲気じゃなかったよな)
早足で学校を出ながら、澪はずっと悶々としていた。
知らぬ間に体が動いていて、気付いたら真っ赤な顔をした律が自分を見つめていたのだ。
律の指を舐めた覚えはない。
澪(……)ボッ
澪「は、恥ずかしい…」
自分で考えておいて恥ずかしくなった澪は、顔から湯気が出る思いをしながらそそくさと帰路についた。
78:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:46:02.23:HPL6B5VRO
翌日。
澪(なんでだろ…やけに目がさえて、なかなか眠れなかった…)
雲ひとつない空から照りつけるさわやかな朝日を浴びながら、澪はぼーっとする頭で学校へと向かう。
寝不足のせいか、やけに頭がガンガンするし、日差しが肌に刺さるようにちくちくする。
澪(それになんだか――すごく喉が渇く…)
時折顔を覗かせる堪え様のないこの喉の渇きは、何杯水を飲んでも消えることはなかった。
澪(風邪気味なのかな…)
ふらふらする頭を軽く振って、澪は校門をくぐった。
校舎に入ると、ずっと澪の頭を支配していたもやもやとした気持ち悪さはすっと引いていき、体調もだいぶよくなった。
澪(あれ…一体なんだったんだろ…?)
和「澪、おはよう」
背後から声をかけられて、澪は振り返る。和が靴箱から上履きを取り出しながら微笑んでいた。
79:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:47:25.42:HPL6B5VRO
澪「え、あぁ和。おはよう」
和「…?どうしたの?あまり顔色が良くないみたいだけど」
澪「やっぱりそうかな?何か、朝から調子悪くて…」
和「そう…。そういえば、昨日唯も澪の様子がおかしいって心配してたわ。無理しちゃ駄目よ」
澪「唯が?」
澪(あぁ…昨日のあれか…)
思い出しただけで、また顔が熱くなる。急に真っ赤になった澪を見て、和が心配げに表情を曇らせた。
和「だ、大丈夫?熱あるんじゃない?」
澪「だだだ、大丈夫大丈夫!さ、早く教室に行こう!HR始まっちゃう」
慌てて和から顔をそらし、澪は教室へと向かう。
程なくして授業が始まったが、朝感じていた頭痛などはすっかり収まっていた。
82:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:48:53.87:HPL6B5VRO
再び体に違和感を感じたのは、午後の授業を受けているときだった。
先生2「――次にこの文は――(ふっ…この時間をずっと待っていたよ。愛しの秋山のクラス…。最高だ)」
高くのぼった太陽からは、温かい日差しが教室の中に差し込んでくる。
窓際の席に座った澪は、開いた窓から流れ込む風に心地よさを感じるも、朝と同じ体の違和感に頭を抱えていた。
澪(ん…なんか、頭が痛い…)
澪はずきずきとする頭を押さえ、重い息を吐いた。
先生2「…つまりここには所有代名詞のmineが――(ため息をつく秋山の憂鬱げな表情も美しいなぁ。ハァハァ)」
和「先生。その文の日本語訳、”その秋山は私の物です”になってますよ」
先生2「ん?お、おぉ…。す、すまない、次、秋山を当てようと思ってたんだ。それじゃ秋山、この文を――」ドキドキ
83:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:49:43.47:HPL6B5VRO
先生2は顔を上げ、澪が珍しく授業中に机に突っ伏しているのを見て固まった。
先生2「お、おい秋山!!どうした、気分が悪いのか!?」
澪「え…えっと、あの…はぁ…」
ガンガンとこめかみを殴られているような頭痛と、照り付けてくる日差しが鬱陶しくて、澪はやつれた顔で先生を見やる。
和「澪…酷い顔してるわよ…。保健室、ついて行こうか?」
澪「え、でも…授業が…」
先生2「無理をしてはいけないぞ秋山!抜けたところは私が後で個人授業してやるから、早く行きなさい!」ハァハァ
澪「えっと、それは大丈夫です…。自分で復習しますから…」
和「じゃ、行こう?」
絶望に打ちひしがれた面持ちの先生2を尻目に、澪は和と共に教室を出た。
84:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:50:43.70:07sqj+wD0
放課後。
ベッドで一眠りしてだいぶ楽になった澪は、とりあえず部活に顔を出すことにした。
澪「おす」
準備室に入った澪を出迎えたのは、心配そうに表情を曇らせた律だった。
律「澪!和から聞いたぞ!大丈夫なのか!?」
澪「り、律…」
慌てて駆け寄ってくる律を見て胸が熱くなると同時に、昨日の出来事を思い出して顔も熱くなる。
律「お、おい…やっぱ熱あるんじゃないか?」
澪「いや、その、もう平気だけど…昨日さ…」
律「あー…あれな。もう気にすんなって」
ぽんぽん、と背中をたたいて澪を机に促す律。唯と梓も心配げな表情で澪を見ていた。
87:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:52:03.89:HPL6B5VRO
唯「びっくりしたよ…あの澪ちゃんが、授業欠課するなんてさ。もう大丈夫なの?」
澪「うん、平気。ごめん、心配かけて」
梓「疲れたときは、無理せず休むのが一番ですよ」
優しく声をかけてくれる皆に、澪は小さく微笑む。
紬「待っててね、澪ちゃん。すぐにお茶とケーキを用意するわ」
紬が紅茶を入れながら、澪を振り返った。
皆、全然昨日のことを気にしてはいないようだ。
澪(私一人テンパッちゃって…恥ずかしいな)
澪は自分の髪をきゅっと握り締め、小さくなった。と、その時。
88:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:53:02.22:HPL6B5VRO
紬「あっ…!!」
紬が小さく悲鳴を上げ、床にナイフが転がった。
皆、驚いて彼女を振り返る。紬は片手を押さえて蹲っていた。
紬「あいたたた…」
律「大丈夫か!?むぎ」
紬「大丈夫、心配かけてごめんなさい…。ちょっと手元が狂って、ナイフで切っちゃった…」
律「大丈夫じゃないじゃん…。見せてみ」
紬の手を取りのぞき込む律。傷は深くなかったが少し大きく、血が流れ出していた。
さすがの律も、少し目を背けたくなる。
律「うわ…こりゃ保健室行った方が良いよ」
梓「大丈夫ですか、むぎ先輩!」
唯「む、むぎちゃ――」
唯の言葉は、急に椅子を蹴るように立ち上がった澪に驚かされて、そこで止まった。
89:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:54:08.90:HPL6B5VRO
律「澪…?」
怪訝な表情をする律の横でしゃがみ、澪は紬の手を――そこから滴る赤い血を見つめる。
澪は律から紬の手を奪い取ると、無言のまま、彼女の傷に口をつけた。
唯「!!」
梓「!?」
律「うぇっ!?ちょ、澪!!」
慌てて引き離そうと、律が澪の肩に手をかける。が、澪は紬の手に口付けたまま動かない。
律「澪よせって――」
澪に声をかけながら、肩に置いた手に力を入れる律は、ちらりと紬に目をやる。
律「…?」
紬は自分の手を無我夢中で舐める澪を、無言で眺めていた。
だが、彼女の顔は、驚いて放心しているというよりも、どこか観察をしているような…そんな感じがした。
91:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:55:21.78:HPL6B5VRO
紬「…っ。み、澪ちゃん!!どうしたの!?」
少し間をおいて、紬がハッとした様に澪の口から強引に手を離す。
澪「…あ、わ、私…」
今度は少し自覚があったのだろうか。何か取り返しのつかないことをしたかのような蒼白な顔で、澪は紬を見た。
紬「大丈夫?澪ちゃん…やっぱり疲れてるんじゃ…」
澪「う、いや…私、何でこんな…」
律「澪、とりあえず落ち着けって」
涙目になって震える澪の手をとり、律は小さく語りかける。
澪はその律の手を、きつく握り返す。よっぽど自分の異変を怖がっているのか、すごい力だ。
律(いつつ…)
律「唯、むぎを保健室に連れて行ってやってくれ」
唯「あ、う、うん!」
92:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:57:03.80:HPL6B5VRO
律と澪、梓の三人だけになった音楽室で、澪は律の手を握り締めたまま、ただ震えていた。
律「…どうしちゃったんだよ、澪」
澪「うぅ…わかんない」
梓「……」
静寂が、重く三人にのしかかる。
澪の握力はかなり強くて、律は手の痺れる様な痛みに彼女の手を振り払ってしまいそうになった。だが、
律(ここで澪の手を払ったら、澪は立ち直れないだろうな…)
親友のために、律はばれないように歯を食いしばって我慢する。
と、澪は黙ったまま律から手を離すと、ふらふらと鞄を手にした。
澪「ごめん、今日も…先に帰るな」
律「澪…」
梓「…ゆっくり休んでくださいね」
何も言わずに出て行く澪の背中にかけてやる言葉が見つからず、律は居た堪れない思いで彼女を見送ることしかできなかった。
93:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:58:31.34:HPL6B5VRO
さらに翌日。
終わりのHRの前、律は教室の机に座って、ぼんやりと窓の外の空を眺めていた。
律(澪…一体どうしたんだろ…?)
ちらり、と自分の右手を一瞥する。
昨日澪に握られていたその手は、少し痣ができていた。
いくらなんでも、握力が強すぎるような気もする。
律「…まさかな…」
ぽつりと呟き、その痣を指でなぞる律。と、
唯「何がまさかなの?りっちゃん」
律「うおおおおぃ!!?」
突如声をかけられ、律は椅子をひっくり返しそうになるほど驚いた。
机の向かい側に立っている唯も、驚いて目をぱちくりさせている。まったく気付かなかった。
95:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:00:18.69:HPL6B5VRO
律「び、びっくりした…。唯、いつの間にいたんだよ?」
唯「いつの間にって…失礼だなぁ。もうちょっと前からいたよ!りっちゃんが珍しく憂鬱げな顔してたから、声かけるの我慢してたのに」
ぶぅと頬を膨らませて唯は不機嫌そうにぼやく。
唯「むぎちゃん、部活ちょっと遅れるって」
律「ん、そうか。あれ?HRの前なのに、どこ行ったんだ?」
唯「わかんない。伝言だけお願いされたんだ」
律「そっか…。でも、良かったよな、むぎ。あんまり酷い怪我じゃなくてさ」
唯「うん…。澪ちゃんといい、むぎちゃんといい、大丈夫かな?」
肩をすくめる唯。律も小さく頷いた。確かに二人とも、最近少し様子がおかしい。
律「悩み事を無理に聞き出すのも悪いからな…。向こうから相談してくれるのを待ってようぜ」
担任が教室に入ってくる。唯はあわてて自分の席へと戻っていった。
96:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:01:22.15:HPL6B5VRO
澪(部活…どうしようかな…)
HRと掃除を終え、澪は教室で鞄を手にしたままぼーっとしていた。
昨日と一昨日のこともあり、部活に顔を出すのが少し憂鬱になっていた。
とりあえず教室を出て、ゆっくりとした足取りで部室へと向かう澪。と、
紬「澪ちゃん」
後ろから声を投げかけられ、澪は振り返る。紬が、真剣な面持ちで立っていた。
紬「…ちょっと、話があるんだけど…付き合ってもらえる?」
正直昨日のこともあって、紬とは二人きりになりたくないのが澪の本音だった。
だが、紬がこんなにも真剣な表情をしているのを見るのは初めてだった澪は、断るのを躊躇った。
澪「…うん、いいよ」
しばらくの沈黙の後、澪はしっかりと紬の方を向いて頷いた。
98:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:02:56.48:HPL6B5VRO
一方部室では。
梓「こんにちはー」
律「おーっす」
扉を閉めながら、梓は小首をかしげた。
梓「あれ?まだ律先輩しか来てないんですか?」
唯「失礼な!私もいるよ!」
ホワイトボードの影から身を乗り出して、唯は機嫌が悪そうに言う。
梓「わっ!す、すみません…全然気がつきませんでした」
唯「――私今日そんなに影が薄いかなぁ…」
紬の代わりに紅茶を入れようとしていた唯は、ポットを手にしたまま涙目になった。
99:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:03:49.82:lyyebxhX0
澪「…こんな所で話すのか?」
紬に連れられて校舎裏へとやって来た澪は、怪訝な表情を浮かべる。
紬はやはり真剣な表情のままで、いつも浮かべている笑みのかけらも見せずに頷いた。
紬「あまり…人に聞かれたくない話だから…」
澪「それって…もしかして、昨日のこと関係してる?」
紬「――えぇ。澪ちゃんの体に起きている、異変にもね…」
思いがけぬ言葉に澪は驚き、問い質そうと口を開きかけたが、用務員が台車を押しながら傍を通ったので、彼女は慌てて口をつぐんだ。
澪「…それって、どういうことなんだ?」
ちらりと横目で用務員の姿を追いながら、澪は小さく問う。
視界の端に映った紬の表情が、曇ったような気がした。
紬「ごめんね、澪ちゃん」
102:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:05:01.15:HPL6B5VRO
和「あら…澪とムギ…」
生徒会長に頼まれ照明の点検に校舎裏に来ていた和は、遠くに二人の姿を認めた。
和(こんなところで何を――)
声をかけようと、二人に向かって歩き出しつつ口を開く。が、
和「…!!?」
驚愕の光景に、和は口をつぐんで立ち止まった。
紬が澪に手を伸ばしたかと思うと、突然澪がその場に崩れ落ちたのだ。
一瞬走った閃光で、紬がスタンガンを使ったのだと和は理解した。
慌てて傍にあった物置の影に和は身を隠す。
和(何…一体どういうことよ…!?)
104:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:06:35.58:HPL6B5VRO
紬「……」
ぐったりとした澪を、見下ろす紬。喉の奥が、つんとする。
紬はその場に跪くと、無言で澪を抱きしめた。その横に、先ほどの用務員が台車と共に戻ってくる。
古びた帽子を取って、紬に愁いを帯びた瞳を向けたのは、彼女の執事である斉藤だった。
斉藤「お嬢様…本当によろしいのですね?」
紬「…連れて行きなさい。お父様には私が連絡する。しばらくしたらあの人達も来るでしょうから、その後は全部あちらに任せて」
斉藤「…かしこまりました」
斉藤は台車に澪を乗せ、カバーをかぶせると、裏口へと向かう。
紬はしばらくその後ろ姿を眺めていたが、弱々しい足取りで、音楽室へと向かった。
105:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:07:46.27:HPL6B5VRO
紬「ごめんなさい、遅くなっちゃった」
偽りの笑顔と共に、部室へと入る紬。
律「…どこ行ってたんだよむぎ!遅いぞぉ!」
唯「…やっぱ紅茶はむぎちゃんが入れないとおいしくないよ!」
梓「唯先輩、派手にお茶っ葉ぶちまけてましたもんね…」
変わらぬ笑顔の仲間達が出迎えてくれ、紬は胸の奥が抉られる感覚を覚えた。
ただ、どこか…何かいつもとは違う空気が、音楽室を流れているような気もした。
紬「ごめんね、唯ちゃん。すぐにおいしいお茶入れるから」
鞄を置き、紬は茶菓子の準備に取りかかる。
と、律が大きくのびをしてから、ふいに口を開いた。
107:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:08:49.78:HPL6B5VRO
律「むぎ…澪、どこにいるか知らないか?何も聞いてないんだけど、まだ来てないんだ」
心臓が跳ね上がる。紬は振り返らずにティーセットを用意しながら返事を返す。
紬「…わからないけど、たぶん帰ったんじゃないかしら?最近、様子がおかしかったし…疲れてるのかもしれないし」
そう言い終わった紬は視界の端に、唯がこっちを見るのをかすかに捉えた。
一瞬伺えたその表情は、酷く悲しげな表情だったように思えた。
紬(…え…)
律「むぎ…」
紬「えっ、な、何?りっちゃん?」
律が静かに立ち上がる。振り返った紬が見たのは、悲しげな律の表情だった。
律「――嘘はやめるんだ」
109:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:10:09.91:HPL6B5VRO
紬「え――…」
扉が閉まる音がして、入り口の方を見ると、さわ子と和がそこにいた。
和「…澪をどうするつもりなの、紬…?」
眼鏡の奥から鋭い視線が紬に投げられる。紬は引きつった笑顔を彼女に向けた。
紬「えっと…どうするって、どういうこと?」
梓「むぎ先輩…無駄ですよ、とぼけるのは…」
震える声に、紬は梓を見る。潤んだ瞳が自分を見つめていた。
唯「むぎちゃん…正直に答えてよ。澪ちゃんを、どこにつれていくの…?」
今にも泣き出しそうな顔の唯が口を開く。
紬は何も言えず、震える足で立つのが精一杯だった。ちらり、と和の顔を見る。
和「全部…見てたわ」
そうか。そういうことだったのか。
紬は観念したかのように項垂れ、その場にへたり込んだ。
111:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:12:50.78:HPL6B5VRO
紬「――ごめんなさい…っ」
消え入りそうな声で謝罪を述べる紬。震える彼女に、さわ子が歩み寄った。
さわ子「残念だけど、謝るだけじゃ済まされないことをあなたはしたのよ。ちゃんと説明してくれるかしら…?」
紬「…はい…」
唇を噛んで少し黙った後、紬は絞り出すように小さく言い放った。
紬「私は…軽音部のみんなを…実験台にしたんです…」
唯「ふぇっ…!?何、実験台…?」
澪の話をするのかと思いきや予期せぬ言葉が飛び出して、唯は眉をひそめた。思い当たる節のあった律は、ただ黙っていた。
今にも澪を助けに行きたかったが、状況がよくわからぬうちに動くのは不安だった。
紬「お父様が、ある製薬会社の博士と契約を行ってから――奇妙な薬の開発に興味を持ち始めたんです」
紬「最初は私、変だ、やめてって、抗議したんです…。だけど、なんだかお父様…どんどん怖くなってきて…逆らえなくなって…」
113:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:15:20.80:lyyebxhX0
紬「ある日、急にお父様が私に出来上がった薬を渡してきたんです。そして…それを軽音部に持って行く茶菓子の中に入れろ、と命令してきました」
紬「薬は人数分あって、数日毎に一人ずつ飲ませろと…。様子を観察し、報告することも命じられました。…もう私は、お父様の言いなりになるしかできませんでした」
紬「お父様…本当に怖くて…どうしたらいいか、わからなくて…」
紬「言われた通り、数日毎にお菓子に薬を混ぜて出しました。最初は唯ちゃん、次にりっちゃん、梓ちゃん、そして澪ちゃん…」
梓「く、薬って…どういう物なんですか!?」
口を押さえて梓が訊ねる。それもそうだ。知らぬ間に奇妙な物を飲まされていたなんて知ると、不安で仕方ないだろう。
紬「お父様が知り合った博士は、空想の生物を実現させるのが夢の、変わった人でした」
紬「彼がお父様に研究させていたのは…人をその類の物に変化させる物だったと思います。それ以外は別に副作用もない」
紬「でも、効果が現れる確率は低かった。事実、三人は別段何ともなかったでしょ?」
自分の手をまじまじと見つめたり、頬をつねったりする唯。梓も安心したかのように胸をなで下ろした。
律は、やはりただ黙っていた。
120:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:28:44.62:HPL6B5VRO
紬「でも、澪ちゃんは違った。薬をお菓子に混ぜた次の日から、様子がおかしかったわ。体調を崩したのはおそらく日光が原因で、あれだけ苦手だった血を見ても、それを舐めに行ったりして――」
梓「ま、まさか…澪先輩が飲んだのって…」
紬「えぇ…吸血鬼になる薬よ」
身震いする梓。小さく息を吐いて、律は紬に向き直った。
律「大体の状況はわかった。そろそろ教えてくれ、むぎ。…澪をどうするつもりなんだ?今澪は、どこにいるんだ?」
早く、助けに行かねば。逸る気持ちを抑え、冷静に問う。
紬「澪ちゃんは…お父様の実験助手に連れられて、私の家の傍にある古い研究所に向かっているわ」
紬「外から見たらただの廃墟だけど…地下を改造して、実験室を新たに作っているの」
紬「澪ちゃん、常識を越えた新薬の研究のための重要なサンプルだもの…。きっと、お父様…酷いことすると思う…」
122:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:30:06.36:HPL6B5VRO
律の全身に悪寒が走った。静かな怒りを秘めた瞳で紬を睨みそうになるが、一度それを閉ざし、歯を軋ませる。
諸悪の根源は紬の父だ。紬にも罪はあるが…彼女も好きでやった訳じゃない。恨むのは間違っている。
律「それは…澪が、実験のモルモットにされるってことか…?」
目を閉じ、俯いたまま、小さく律は訊ねた。
その言葉を聞いた瞬間、紬は堰を切ったように泣き出した。
紬「ごめんなさい!ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…ごめん、なさい…!!」
泣き叫ぶ紬を見つめ、律は決心したように夕日で染まった橙色の窓の外を見た。
皆の前で、あの姿をさらすのは嫌だったが…そんなことを言っている場合ではない。
124:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:31:25.75:HPL6B5VRO
律「――澪を助けに行く」
紬「無理よ…。うぅ…私の家…ここから遠いし…研究所の中には、登録された人しか入れないの…。車で行ってもっ間に合うかどうか…ぐすっ…」
律「間に合うよ――」
律は自分のドラムを見つめた。円形を描いた部分に、焦点を合わせる。
ざわ…
もはや慣れてしまったざわめきが、背筋を駆けていく。
獣のような鋭い瞳をあまり見られたくなくて、カチューシャを取って、机の上に置く。
皆が息を飲むのが、見なくてもわかった。
半狼人間と化した自分を見て涙の溢れる目を見開く紬に、律は薄く微笑んだ。
律「――今の私なら…」
125:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:33:21.19:m5788kk50
唯「りっ…ちゃん?え、えええええぇ!?」
梓「」
和「凄い…」
紬「…りっちゃん、狼人間の薬…効いていたの…!?」
さわ子(狼人間、か…。耳としっぽがないのが惜しいわね…そうだ、今度作ってry)
呆然とする皆に、律は困った笑顔を向ける。
律「人前で簡単に変身しちゃわないように家で何度も訓練したからな。それが裏目に出ちゃったか…」
きつく拳を握る。手のひらに、鋭い爪が食い込んだ。
律「薬が効いてるってばれてたら、私が澪の代わりになれたのに…」
悔しげに呟きながら、律は窓の傍に行き、開く。
夕暮れの涼しい風が、夕焼けを浴びて黄金に輝く律の毛をさわさわと揺らした。
128:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:35:25.77:HPL6B5VRO
律「研究所はむぎの家から近いんだな?」
紬「そうだけど…本当に行くの?りっちゃん、澪ちゃんより薬の効き目が出てるから…逆に研究対象にされちゃうかも――」
律「澪がやばいかもしれないのに、大人しくしてろっていうのか?そんなの無理だよ」
がっ、と窓の縁に足をかける。それを見て、唯が驚愕の声を上げた。
唯「ちょ、りっちゃん!?窓から行くの!?ここ三階――」
律「――待ってろ澪」
唯の言葉を聞き流し、律は朱い空へと跳んだ。
唯「り、りっちゃあああん!!」
梓「律先輩!!」
唯と梓が窓から身を乗り出して叫んだ。
律は空中で身を翻し、着地と同時に疾走する。
まさに疾風のごとく、律はあっという間に姿を消した。
130:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:36:55.51:HPL6B5VRO
エリ「な、なんか今校舎から人が落ちたように見えたんだけど…」
アカネ「なにそれこわい。見間違えでしょ――」
立ち話をしていた二人の間を、風が吹き抜ける。
エリ「きゃ…」
アカネ「凄い風ね…」
今までずっとため込んできた力が爆発するかのようだ。面白いぐらいに体が動く。
律は風のように不可視の存在となって翔けた。
学校を出、家々の屋根の上に跳び、ただひたすら紬の家の方角へと走る。
薄暗くなりかけてきた橙の空に、うっすらと月が姿を現し始めていた。
133:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:38:21.29:HPL6B5VRO
ぽかーんとしていた唯は、ハッと我に返ると、慌てて皆を振り返った。
唯「りっちゃんを追おうよ!!」
梓「当然――…いや、でも…むぎ先輩は…」
律が飛び出していった窓をじっと見つめていた紬は、一度目を伏せ息をつくと、決心した面持ちになった。
紬「私も行くわ…。りっちゃんのあの覚悟を見たら…私も自分の行動にけじめを付けなきゃいけないって…そう思えたから」
和「私も行くわ。澪はもちろんだけど…律も無茶しそうで心配だし」
さわ子「よぅし!そういうことなら任せなさい!!私が車でかっ飛ばしてあげるから!!」
さわ子(唯ちゃんと梓ちゃんからはりっちゃんのスカートの中丸見えだったと思うけど、問い質している暇はなさそうね…。残念だわ…スパッツだったのかしら、縞パンだったのかしら、いやはやry)
唯「さっすがさわちゃん先生!頼りになる!!」
梓「先生!お願いします!!」
135:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:40:21.09:HPL6B5VRO
がくがくと揺さぶられる感覚に、澪はゆっくりと目を開いた。
辺りは薄暗くて、体は何故か痺れていてなかなか動かせない。
だんだん頭がさえてくると、自分が車に乗っているということにようやく気付くことが出来た。
澪(え…私、何で…)
澪「…っふ…む…!?」
澪(猿轡!?っていうか…体が縛られてる!?)
黒服1「なんだ、目を覚ましたのか…」
黒服2「もう少し寝ていてもらいたかったな」
澪(だ、誰…この人達…。何が…何があったんだっけ…)
未だにぼんやりとしている頭で、必死に記憶を呼び起こす。だが、車にはかなりの人数の黒服を着た男達が乗っていて、恐怖のせいでなかなか思考を巡らすことに集中できない。
137:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:42:45.31:HPL6B5VRO
黒服3「まだ着かんのか」
黒服1「仕方ないだろう…。あの高校からじゃ、電車でも時間かかるんだから」
澪(どういうことなんだ…?私、どこに連れて行かれるの…!?)
恐怖と不安がない交ぜになった澪の脳内に、ようやく記憶が戻ってくる。
澪(そうだ…私、むぎに…!!)
意識が吹き飛ぶ前に目に焼き付いた、紬の憂鬱げな表情が蘇る。
澪(むぎ…どうして…一体私を、どうするつもりなんだ…?)
澪は小さく呻いてもがいたが、横に座っている屈強な男に一睨みされ、どうしようもなくすぐに大人しくなった。
139:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:44:09.62:HPL6B5VRO
それから、どれぐらい車の振動に揺すられていただろうか。
黒服1「ふぅ…ようやく到着だ…」
黒服2「意外に時間がかかったな…」
黒服1「早く連れて行くぞ」
澪は男達に連れられ車を出る。目の前に、廃墟のようにぼろぼろの建物があった。
暴れて逃げようにも、三人もの男達に体を掴まれている上、体はロープでぐるぐる巻きだ。
きっと逃げ切ることは不可能だろう。
しかも、自分たちが乗っていた車の後ろにも、まだ数台同じような車が並んで止まっていて、そこから大勢に黒服の男達が降りてくる。
澪(……)
澪は為す術もなく諦めたように歩き出しながら、猿轡を噛みしめた。
142:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:46:01.47:HPL6B5VRO
廃墟のドアを、男の一人が開ける。
エントランスのような広い部屋には、ぼろぼろになったソファや、枯れ果てた植木鉢が放置されていた。
天井には穴が開き、すでに暗くなった外が丸見えだ。
しかし、そんなボロ部屋の奥には、この光景に全く持って不釣り合いな頑丈そうな扉があった。
黒服3「ほら、歩け」
気味が悪くて入るに入れなかったが、背中を小突かれ、澪はよろけながら入り口をくぐる。
一体自分はこれから何をされるのか、全くわからない。
澪は不安と恐怖で、泣き出しそうになった。
黒服4「おい、ぐずぐずするな」
黒服3と黒服4が、澪の体に巻かれたロープに手をかけ、強引に引っ張ろうとした。刹那。
144:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:47:16.01:HPL6B5VRO
激しい破壊音が轟き、その二人は入り口の扉と共に面白いぐらい吹っ飛んだ。
もわっと埃が舞い上がり、男達は咳き込みながら、何事かと身構える。
轟音と埃で怯み、目をきつく閉ざしていた澪は、体の拘束が解かれるのを感じ、俯いたままそっと目を開いた。
誰かの足が、視界に入る。
澪は顔を上げ、そこにもっとも頼れる人物の姿を認めた。
律「間に合った…」
汗の滲んだ顔に笑みを浮かべ、肩で荒く呼吸をしながら、律は乱れた髪を頭を軽く振って整えた。
澪(律!!)
思わず抱きついてしまう澪。律はちらりと澪を見て、はにかんだ笑みを浮かべた。
カチューシャがないことを除けば、いつもの律の笑顔だった。
147:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:48:52.19:HPL6B5VRO
律「大丈夫か~澪。助けに来てやったぞ~」
男達を睨んだまま、律は澪を猿轡から解放する。
澪「律!律…ありがとう!!」
律(突入したと同時に変身解けちゃったよ…。タイミングが良いというか、悪いというか…)
澪にあの姿を見られずに済んだが、さすがこのままではあっという間にやられるのがオチだろう。
しかし、男達から見れば、自分が一体何をしたのかまだ理解できていないはずだ。
その証拠に、まだ距離を取ったまま自分たちの出方を伺っていた。
律「澪、空飛んだり出来ないの?」
澪「は、はぁ!?そんなこと、できるわけないだろ!」
そうか、澪はまだ自分の体に何が起きているのかよく理解できていないのだった。
男達を睨んだまま、律は苦笑する。
148:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:50:14.28:HPL6B5VRO
しびれを切らしたように、男達がゆっくりと距離を詰めてくる。
律と澪もそれにあわせて、じりじりと下がる。が、
澪「り、律…」
澪の不安げな声に振り返ると、後ろにも男達が数人壁を作っていて、じわじわと迫ってきていた。
知らぬ間に、二人は黒服の男達に囲まれていた。
律(くそ…やっぱり、変身するしか――)
ちらり、と律は澪を振り返った。目が合い、澪は眉をひそめる。
律(澪には…見られたくなかったなぁ…)
黒服1「お嬢ちゃん、この子のお友達か?…余計なことに首突っ込んじゃったなぁ」
男達が迫る。袖を握る澪の手に、力がこもったのを感じた。
律(――でも、これ以上澪に怖い思いをさせるわけにはいかない…!)
律は自分の腕を、ゆっくりと顔の前に持ってくる。
少し警戒の色を見せる男達を尻目に、律は袖のボタンに視線を集中させた。
体を走る、ざわめき。
律(あ、でも…私の変身した姿が、余計怖い思いさせちゃったりして…)
150:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:51:31.35:HPL6B5VRO
黒服5「嬢ちゃん。何をしたのか知らないし、今から何する気かもわかんないけど、ここは大人しくしといた方が良いぜ?な?」
スキンヘッドにサングラス。いかにもな胡散臭い感じの男が、胡散臭い笑顔で近づいてくる。
澪は震える手で、ただ律に縋りつくことしかできなかった。
澪(律…?)
先ほどから彼女は自分のブレザーの袖を睨んだまま動かない。
そうこうしているうちに、男との距離はかなり縮まっていた。
澪(駄目だ…このままじゃ二人とも…)
澪は自分たちを取り囲む黒服の男達に目をやる。凄い人数だ。
澪(何でかわからないけど…この人達の目的は私…。――律は関係ない)
律が助けに来てくれたのは、本当に嬉しかった。
だが、彼女をこれ以上巻き込むわけにはいかない。
自分の身を差し出そう。そして、律は見逃してもらうんだ。律の頑張りを無駄にすることになるが、やはりそれが一番いい。
152:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:53:16.60:HPL6B5VRO
澪はきゅっと目を閉じて恐怖を身の内に押し込む。
決心がついたところで、キッと目を開き、澪は口を開こうとした。その時だった。
律「何したかわかんなかったの?」
ずっと黙っていた律が、顔を上げて男を睨んだ。
心なしか、ただならぬ気配を律の背中から感じ、澪はずっと握っていた律の袖から手を離す。
律「――なら、よく見てなよ」
下がっていろ、と言うかのように、律は男を睨んだまま澪を後ろへ軽く押しやる。
その手は――あのパワフルな音色を奏でる、見慣れた小さな手ではなかった。
澪「――え…」
状況が飲み込めず、澪は顔を上げて律を見る。
だが、一瞬前まで目の前にいた彼女の姿は、視界から消えていた。
153:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:54:16.23:HPL6B5VRO
黒服5「へ?」
ぽかん、と開けた口から間抜けた声がこぼれる。
次の瞬間、男は空を飛んで、他の男達を巻き込んで転がっていた。
男の頬に赤く残った靴の跡だけが、彼は蹴られたのだという事実を男達に教えてくれる。
黒服6「な…――うわっ!!」
着地音が聞こえ黒服6が振り返ると、律がすぐそばに立っていた。
黒服6「こ、こいつ――」
腰に差した警棒型のスタンガンを抜こうとする黒服6。前髪の下の黄金の瞳が走り、その得物を捉える。
風を切る勢いで律の腕が振るわれ、男が握った警棒は、バラバラになって床に転がった。
黒服6「ぎゃっ!?」
驚きの光景に目を見張る間もなく、男の顔面に拳がめり込んだ。
崩れ落ちた黒服6と、変わり果てた姿の律を、男達も澪も、ただ呆然と眺める。
律はふぅ、と一息つくとブレザーを脱ぎ捨て、爪を構えて小さく微笑んだ。
律「――がおー…なんちって」
165:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 23:37:29.18:HPL6B5VRO
さわ子「オラオラオラァ!!飛ばしていくわよぉ!!」
眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせて、さわ子はハンドルを握る手に力を込める。
唯「さ、さわちゃん先生、早いのは助かるけど…捕まっちゃったらお終いだよ!?」
さわ子「ふん!!その時はその時よ!!カーチェイスって奴を味わってみようじゃない!!警察も現場に連れて行けて、一石二鳥よ!!」
唯「いや…警察には圧力がかかってるってむぎちゃん言ってたじゃん」
梓「う、うぅ…何だか気持ち悪くなってきた…」
紬「あ、私も…何だか気持ち悪いの通り越して楽しくなってきちゃった♪うふふふふふふ」
和「――…これ、本当に大丈夫かしら…」
166:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 23:40:00.72:HPL6B5VRO
束になってかかってきた男達を、殴り飛ばす。
律は、次々と溢れてくる力に任せ、男達を文字通り蹴散らしていた。
律(うわぁ…無数の大人の男に勝てちゃってるよ)
背後から迫ってきた男に裏拳を一撃。かえす刀で正面からかかってきた男のスタンガンを破壊し、股間を思い切り蹴り上げる。
悶絶する男をさらに蹴飛ばして、奥にいた男を転ばせ、腹に蹴りを入れる。
澪「きゃ…」
澪の小さな悲鳴が耳を掠め振り返ると、どさくさに紛れて再び澪を拘束しようと、男が一人彼女に迫っていた。
律「――澪に近づくなぁ!!」
律は側にいた男が振り下ろしてきたスタンガンを避けると、それを奪い取って思い切り澪に迫る男へ投げつけた。
回転しながら空を切るそれは、見事に男の頭にぶち当たり、彼の意識を狩る。
投擲の姿勢のまま息をついて、頬を伝う汗を拭ったときだった。
167:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 23:42:20.26:HPL6B5VRO
澪がこっちを見て、焦燥を含む悲鳴に近い声で叫んだ。
澪「律!危ない!!」
律「え――」
バスッ
律(痛っ…!!)
くぐもった銃声が聞こえたと思うと、首筋に衝撃が走った。
ちくりとした痛みに、律は眉をひそめて首に手をやる。
――何かが刺さっている。それがわかったと同時に、思考が鈍り、足先がしびれ始めた。
慌てて律はそれを引き抜き、地面に放り捨てた。麻酔だ。
168:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 23:45:17.33:HPL6B5VRO
人が動く気配がして、瞳を走らせると、無数の銃口がこちらを向いていた。
律「嘘だろっ…」
バスッバスッ、と何発も鈍い音が響き、律は慌てて駆ける。が、
律(足が―…!!)
思うように動かない。逃げるどころか、絡まって体勢を崩してしまった。そして、
律「あぅっ…!!」
背中に針が刺さる小さな痛みが数回。
思うように体が動かず、律は業を煮やしながら麻酔銃を構える男達を振り返った。
169:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 23:48:09.81:HPL6B5VRO
しかし。
律「えっ――」
かく、と片膝が折れ地面に付いた。男達が勝利を確信した笑みを浮かべた。
黒服1「ふう…一時はどうなるかと思ったが…捕獲完了だ」
澪「り、律!!」
歪む視界に律は頭を振り、何とか立ち上がろうとするも、意志とは逆に体は言うことを聞かずその場に横倒しになってしまった。
律「…ぁ…」
律(最悪…)
黒服1「まさか、お嬢ちゃんも薬が効いてたとはね…。手土産が増えたな」
黒服2「さて、連れて行きますか…」
律(ちくしょ…二人仲良く実験台か…)
170:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 23:53:48.39:HPL6B5VRO
律は痺れる体を地面に横たえたまま、瞳を動かし、天井を見上げた。
所々穴が開いたそれからは、月光が差し込んでいる。
あぁ、だから妙に明るかったんだな、と律は何だかわからず納得した。その時。
律(…――!!!)
天井に開いた一際大きな穴に目をやると、そこからはっきりと月が見て取れた。
それは、影一つ無い綺麗な綺麗な――満月だった。
どくん
何人かの男が、律の体を束縛しようと迫る。
全てを諦め、途方に暮れて崩れ落ちる澪に、再び男達が歩み寄る。
牙が軋み、体毛がざわめく。
――一瞬、頭の中が真っ白になった。
171:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 23:56:36.34:HPL6B5VRO
律「ぐ、う、あああああああああああぁっ!!!」
気付けば自分でも驚くような咆吼を上げて、自分を囲んでいた男達を壁に叩きつけていた。
苦しい。ブラウスに体が圧迫されて息がしにくい。
何も考えずに、ボタンをブラウスと下着ごと引きちぎる。全身がふさふさした体毛に覆われていた。
すぐ後ろで小さな悲鳴が聞こえ、人がまだ傍にいたことに気付いて、そいつを尻尾でぶん殴る。尻尾?いつの間に?
瞳を走らせると、澪が再び拘束されようとしていた。
痺れが吹き飛んだ体で、一気に肉薄する。
こちらに気付いた男達が、驚愕の表情を浮かべながら麻酔銃を構えるが、それを爪でことごとく粉砕する。
牙の生えそろった口から、狼の咆吼そのものが飛び出し、大の大人が悲鳴を上げて、腰を抜かした。
澪「り、つ…?」
澪の目に映ったの律は、狼そのものだった。
172:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 23:58:02.02:lyyebxhX0
黒服1「ひ、ひぃ…」
律「大の大人がなっさけないのー。女子高生一人相手にびびるなんてさぁ」
律(ま、どこにこんな格好した女子高生がいるんだって話だけどね…)
天井の穴から満月を見上げる律。
青白い光りが、体の底から満たしてくれているような気がした。
律「なるほどねぇ…満月見ると、完全に狼になれるのか」
黒服2「こ、この化け物が!!」
男の一人が震える手で麻酔銃を構えて発砲する。が、
豊かな体毛に包まれた尻尾を器用に動かし、律はその弾を弾き落とした。
黒服2「う、うわあぁ」
律「化け物、か。誰のせいでこんなことになったと思ってるんだよ。私だって、好きでこんな格好してるんじゃないんだぞ」
爪と牙を光らせて、律はニヤリと笑った。
律「さぁて、覚悟はできたよな?」
175:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 00:00:22.65:paEvcPaVO
数分後。
ぱんぱんと手を叩く律の前には、全ての男達が地面に突っ伏して気を失っていた。
殺してしまわないように手を抜いたが、しばらく全員起き上がることはできないだろう。
律は改めて窓に映った自分の姿を見て、顔を歪める。
律(うわ…もう完璧に狼だよ…。すんごい暴れちゃったし、こりゃ澪に引かれたかな…)
男達でさえ、恐怖に顔を引きつらせ、中には涙と鼻水で顔面ずるずるの者もいたのだ。
はぁ、とため息を牙の間から漏らし、律はその場に座り込んだ。
後ろから、足音が近づいてくる。
律「見ないで…」
澪「律…」
足音が止まる。今まで散々見られてたに決まってるのに、今更何を言っているんだ、と律は自嘲めいた笑みを浮かべる。
律「澪にだけは見られたくなかったんだけどなぁ…。まさか、まだ誰にも見せてない完全変身まで見せちゃうことになるなんて」
澪「……」
律「――怖い、よな…。こんなの…」
何故か、消え入りそうな声。何だ私。泣きそうになってるのか。
177:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 00:03:57.63:paEvcPaVO
澪「怖くなんか、ないよ」
立ち止まったまま、澪は優しく囁く。律の体毛がふわっと揺れた。
澪「ありがとう、律…。律が来てくれなかったら、私どうなっていたか――」
律は振り返ろうとしなかったが、腰の辺りから生えたフサフサの尻尾が二、三度ぱたぱた振られた。
澪の表情に思わず笑みが浮かぶ。恐怖心なんて、全くなかった。
律の背中にふわっと重みがかかった。体毛のせいか少し大きくなった様に見える律の体を、澪は優しく抱きしめる。
ふわふわの体毛に、澪は顔を埋めた。獣特有の匂いではなく、温かく優しい匂いを感じる。
澪「――あったかい…律の匂いだ…。どんな風になっても、律は律なんだよ」
律「澪…」
180:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 00:06:17.58:paEvcPaVO
澪「…律達も見てただろ?私も最近やばくてさ…。血を見ると、自分を見失っちゃうんだよ。我を忘れて、ただ飲みたいっていう衝動にだけかられる。気持ち悪いだろ」
律「全然。どうなったって澪は澪、だろ?」
先ほど自分が言った言葉を返され、澪は小さく微笑んだ。
澪「でも…何でなんだろ…。今までこんなことなかったのに、急に血が恋しくなっちゃってさ。――律も…まさか昔からそうだった訳じゃないだろ?」
頭を押さえて澪は呻くように呟く。律は、そっと振り返った。
澪「それに…むぎも…一体何が何だかわかんない…。ここどこなの…?」
今まで考える余裕がなかった分、一気に謎が頭に押しかけて混乱気味のようだ。
律は澪に向き直ると、優しく抱きしめた。ふわふわの体毛に、顔を埋めさせる。
律「大丈夫、落ち着いて澪…。全部説明するからさ」
耳元で小さく囁き、律は澪をなだめる。澪は震える手で、きゅっと律の体毛を握った。
182:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 00:08:27.11:paEvcPaVO
澪「――じゃあ私は…吸血鬼になりつつあるってことなの…!?」
驚愕の面持ちで、澪は涙ぐみながら律に確かめるように訊ねる。
律は黙って頷いた。ショックかもしれないが、事実を黙っているわけにはいかない。
律「で、私は狼人間。唯と梓は薬が効かなかったみたい。――むぎのお父さんがきっと元に戻るためのワクチンを持ってるだろうからさ、落ち着いたらもらいに行こうと思ってる」
澪「でも、むぎのお父さんは私を実験台にするためにここに連れてきたんだろ?ワクチンをもらいに行くなんて…実験台にしてくれって言いに行くようなものじゃないか」
返す言葉が無くて、律は黙り込んでしまう。
確かに、その通りだ。だが…他に方法はあるだろうか。
沈黙に堪えきれなくなったのか、澪は小さくため息をついた。
澪「でも…まさかむぎがそんな薬をお菓子の中に入れてたなんて…」
悲しげな声に、律は顔を上げた。
184:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 00:10:02.14:paEvcPaVO
そういえば、澪を気絶させて男達に引き渡したのも紬だ。彼女に対する不信感を抱いてしまってもおかしくない。
それでも――
律「むぎを許すか、許さないかは澪にしか決められないことだから私は口は出さない。だけど、むぎは好きで澪を傷つけたわけじゃないし、凄く後悔してた…。それだけは、理解してやってくれ」
それでも、自分たちは軽音部の仲間としてずっと共に過ごしてきたのだ。
紬は悪意を持ってやったわけではないということを、律は澪にわかって欲しかった。
澪「――うん、わかった…。大丈夫…むぎのことは、恨んでない。ただ、相談して欲しかった。一人で悩まずに――私達は仲間なんだから…」
それを聞き、安心した律は、ニッコリと微笑んだ。
律「そっか…良かった」
澪「ふふ…変なの。狼が笑ってる」
律「な、なんだとー」
185:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 00:12:05.81:paEvcPaVO
それから、いくら経っただろうか。
律「おぉ…ようやく戻ってきたか…」
いつの間にか顔から首にかけて、人間の状態に戻っていた。
律「あいたっ…」
ちくり、と首筋が疼き、そこに手をやると、血が滲んでいた。麻酔の痕だ。
律「あ~すっかり忘れてた…。麻酔銃で撃たれることになるなんて、思ってもなかったぜ。なぁ澪…澪?」
律は澪の異変を察知し、彼女の肩に手をやった。息が荒い。
律「お、おい澪?大丈夫?」
澪「り、つ…ごめ…私――」
苦しそうな瞳が、自分の首筋へと走る。ま、まさか――
187:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 00:14:35.61:paEvcPaVO
澪『血を見ると、自分を見失っちゃうんだよ。我を忘れて、ただ飲みたいっていう衝動にだけかられる』
律「あ、あの…澪ちゅわん?」
澪「血…血が…欲しい…」
がっ、と両肩を掴まれた。そのまま強引に引き寄せられる。
律「ちょ、待っ、わかった!後で飲ませてやるから、ちょっと我慢し――ひゃあっ!?」
問答無用で、澪は律の傷に口を付けた。
澪の舌が律の首を這い、血を舐めとっていく。
律「いっ…や、はっ…み、澪!くすぐったい、って…!」
力尽くで澪を押しのけようとして、律はさらに重大な出来事に気付いた。
律(ちょ、ちょっと待て…。体が元に戻ってきたは良いけど――私よく考えたら上半身素っ裸じゃん!!)
全身を包んでいた体毛は、少しずつ引っ込みつつあった。すでに腕と胸の辺り以外は、人間に体に戻っている。
189:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 00:16:20.50:paEvcPaVO
これはまずい。すこぶるまずい。
このままじゃ、とても人聞きの悪い状況になってしまう。
男達は気を失っているし、今のところ二人っきりだからまだマシだが――
もし唯達が来たらとんでもないことになるんじゃないか?
何ていうか、未知の領域まで誤解されるんじゃないか?
いや、っていうか、この状況を見られるって――
律は顔が火が付きそうなほど熱くなっていくのを感じた。
律「み、澪!!ちょ、どいてくれ!!そこのブレザー取ってくれぇ!!」
真っ赤な顔で律は懇願するが、澪は一心不乱に律の血を味わっている。
どいてくれるどころか、押し倒さんばかりの勢いだ。
律「はぁっ…う、ぅ…澪ぉ…やめてくれよぉ…」
何だか変な気分になってきた。やばい。非常にやばい。
その間にも体毛はどんどん引いていって――
律「――…!!み、みおおおおおおおお!!だ、誰か助けてえええええぇ!!」
救いを求める声を、律は涙目になってあげた。そして、それに応えるかのように――
191:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 00:17:59.39:paEvcPaVO
唯「りっちゃあああああああん!!大丈夫だよ!!今助けに――…Oh…」
梓「今の悲鳴、律先輩…ぶふぉっ!は、鼻血が…」
和「律!!――…えっ。なにこれえろい」
紬(キマシtowerーーーーーー!!1!!!11!1!――じゃなくって…澪ちゃん大丈夫で良かった…)
さわ子「あなた達…」
皆が現れた。半裸状態の律と、その彼女を押し倒して首に口を付ける澪を見て、各々違った反応を見せる。
妙な沈黙が流れた。
律「……終わった…」
193:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 00:19:20.38:paEvcPaVO
澪「――…もう、お嫁に行けない…」
律「それはこっちのセリフだっ!!」
しばらくして我に返った澪は、律の隣で小さくなって赤面した。
男の一人からシャツを拝借して、ブレザーを羽織った律は、さらに真っ赤な顔をして澪に怒鳴る。
唯「んー、でも、私もりっちゃんの完全変身見たかったなぁ」
律「のんきなもんだなぁ…。こっちはいろいろ大変だったってのに」
唯「ごめんごめん。あ、そうだ。はいりっちゃん、カチューシャ」
律「あ、あぁ、持ってきてくれたのか。ありがとな」
唯から渡されたカチューシャを受け取り、律は手早く前髪を上げてそれを付け直した。
律「変身しちゃったら目つき鋭くなっちゃうから、あんまり目見られたくなかったんだよな。みんなに怖がられたくなかったし…」
澪「…気にすることないよ。律は律なんだから」
律「――だな」
小さく笑い合う二人を見て、さわ子が意地悪げな笑みを浮かべる。
さわ子「あらあら、仲良いわねぇお二人さん?一線を越えちゃったからかしら?」
律澪「な、何を!!」
194:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 00:21:35.51:paEvcPaVO
紬「澪ちゃん…私…」
うつむきがちに、紬が澪の前にでる。
澪「ムギ、律から全部聞いた」
紬「ごめんなさい…本当に、ごめんね…!謝っても許してもらえないことをしちゃったけど、でも――」
澪「許すよ。だからそんなに謝らないで。ムギも好きでやってたわけじゃないってことはわかってるよ」
紬「澪ちゃ…ぐすっ」
澪「怖かったんだよな。私だって、もしパ…お父さんがそんなになっちゃったら、どうしようもなくなっちゃうに決まってる」
涙ぐむ紬の頭を優しく撫でて、澪は微笑んだ。
澪「辛かったよなムギ。今度からは悩み事があったらみんなに相談しなよ?約束だ」
紬「うん…うん。ありがとう澪ちゃん…」
良かった、大丈夫そうだ。律は二人が無事に仲直りできたことに安心して息を吐いた。その時だった。
197:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 00:32:40.04:paEvcPaVO
?「おや、これはこれはお嬢さん方…。こんなところで何をしているのかね?」
撫でるような気味の悪い声に、皆は表情を凍り付かせ、入口を振り返る。
白衣を着た薄気味悪い男が、笑みを浮かべて立っていた。
紬「あなたは…博士…」
博士「おぉ紬お嬢さん。ふむ、ということは…この子達は例の実験サンプルかな?」
怯えた表情を浮かべる紬を見て、博士は顎を撫でた。
紬「…みんなのことを、そんな風に言わないで下さい…」
怒りからか恐れからか、震える声で反論する紬。博士は汚い歯をむいて笑う。
博士「ふっふっふ。何をおっしゃるやら。お嬢さんがこの子達に薬を投与したんでしょうが」
紬「――っ…それは…」
律「…やめろ」
表情を曇らせる紬の肩に手を置いて、律は博士を睨んだ。
200:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 01:02:35.98:paEvcPaVO
博士「おやおや。私は本当のことを言っているだけなのだが――」
律「うるさい。お前がむぎのお父さんを変えたせいで、むぎはずっと苦しんでるんだぞ」
博士「はて、変えた?何のことかわかりませんな。私は旦那様に、実験の話を持ちかけただけですが」
さわ子「はっ…とぼけても無駄よ」
ずっと黙っていたさわ子が、眼鏡の奥から鋭い眼光で睨む。
さわ子「琴吹グループの財力を利用し、利益と名声を手に入れてメシウマ――そんな甘い考えが目に見えてわかるわよ?」
博士「おっと、こちらの威勢の良い年増はどちら様で?」
ビキッ、と音が立てて青筋が立ちそうなほど、さわ子はその顔に怒りをあらわにした。
さわ子「おもしれぇこというじゃねぇかコラ」
唯「先生、落ち着いて」
眼鏡を取って殴りかかりに行こうとするさわ子の袖を唯が引いて止める。
201:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 01:04:17.69:paEvcPaVO
博士「それはそうと、これは一体どういうことですかな?私の可愛い助手達が全滅ではないか」
あちこちに横たわる黒服の男達を見て、博士は肩をすくめる。
彼にとっては不利な状況なはずなのに、全く動じていない様子を見て、律は眉をひそめた。
博士「まさかそこの年増が暴れたとは思えないが…。そういえば、薬の反応がでたという報告が入ってましたな」
切歯扼腕して睨むさわ子を華麗に無視し、博士は不気味な視線を唯達に滑らせる。
博士「果たしてどなたの仕業かな?」
博士の嫌らしい瞳が澪を捉え、彼女はびくりと身を震わせた。
博士「ふむ、貴方が例の吸血鬼サンプルですか。噂は聞いてますよ」
澪「何を…」
ガクガクと震える澪の後ろで、律は唇を噛みしめ、再びブレザーのボタンへ目を落とす。
静かな怒りを燃やすその小さな体に戦慄が走った。
博士「我々の新薬開発のため、私にその身体を差し出して下さいませんかね?えぇ、丁重に扱わせていただくつもりですよ?」
澪「ひっ…」
203:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 01:09:37.70:paEvcPaVO
澪が喉の奥であげた悲鳴が引き金となり、変身を終えた律は文字通り吼えた。
律「このやろおおおおおぉ!!」
皆の輪を飛び出して、律は拳を握って疾走する。
――だが、博士は驚いた様子もなく、ただニヤリとほくそ笑んだ。
律(――!?)
瞬間、凄まじい悪寒を感じ、律は自分の体が何者かに支配されるような感覚を覚えた。
律(何、これ…!?)
博士まで後数十センチというところで、体が完全に動かなくなる。
澪「り、律…!?」
拳を振りかぶったまま動かなくなった律を見て、澪が不安げな声を投げかける。
博士「ふっふっふっふ…」
律「…何、を…したんだ?」
途切れ途切れに訊ねる律を、博士は嫌らしい笑みを浮かべて見つめる。その後ろから、一人の男が現れた。
207:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 01:13:02.19:paEvcPaVO
紬「…さ、斉藤…!?」
生気のない顔をして現れた男を見て、紬が驚愕の声を上げた。
嫌な予感がし、澪は律に駆け寄ろうと立ち上がる。が、
博士「やれ」
博士の小さな呟きに、斉藤はぬるりと首を動かして一度目を閉じると、見開いた目で澪の足を睨んだ。
途端、澪はつんのめって転け、激しく床をスライディングした。
澪「いった…!!」
澪(あ、足が…動かない!!)
唯「澪ちゃん!?」
梓「――!?か、体が動きません!!」
澪に駆け寄ろうとした梓がそう声を荒げて叫んだ。それは、皆の体も同じだった。全身が凍り付いたように動かなかった。
博士の様子を見るに、斉藤が何かをしたのは明らかだ。
208:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 01:14:30.61:paEvcPaVO
紬「斉藤!何をしたの!!…一体どうして…!?」
動けぬ体で斉藤を見つめながら、紬は悲痛な声で叫ぶ。
斉藤はただ黙って、呆然とした面持ちで博士の横に立っていた。
博士「今の斉藤と目を合わせない方が良いですよ、お嬢さん。石になりたくないでしょう?」
紬「石…?」
戸惑いの表情を浮かべる紬の後ろで、和が小さく息を飲む。
和「まさか…斉藤さんも、薬で妖怪に…」
博士は嫌みなほどニッコリ笑って斉藤の肩に手を置いた。
博士「ご名答。まぁ、普通はそう考えるでしょうな。彼が飲んだのは私が作ったなかなか出来の良かった即効性の薬――ゴルゴンの薬です。まぁ、能力を求める余り服用者の体にかなりの負担がかかるのが少々欠点ですが…」
紬「…!」
唯「ゴルゴン…?」
聞き慣れぬ単語に首をひねる唯。そんな彼女を、和が瞳を動かして見やる。
和「目があった者を石に変えてしまう怪物よ…。メデューサって言ったらわかるかしら」
唯「あ…何か聞いた事あるかも…」
211:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 01:15:54.90:paEvcPaVO
紬「斉藤、どうして!一体何があったの!?返事なさい!斉藤!!」
博士「無駄ですな。今の斉藤は私の言葉しか受け付けません。…さて」
博士は、すぐ傍で固まる律に目をやった。恨めしそうな目で睨んでくる彼女を見て、面白そうに微笑む。
博士「狼人間…。しかも、なかなかの適応度。貴方は素晴らしいサンプルだ…。私の助手を全滅させたのもおおよそ貴方の仕業でしょう」
律「――うっさい…」
振りかぶったままの拳に力を込める律。だが、体がぎしぎし軋むだけで、全く動かせる気配はない。
博士「ふむ、気に入った。貴方も斉藤と同じように、私の言いなりになってもらおう」
律「何…!?」
博士はおもむろに懐に手をやると、小さい妙な機械を取り出した。
213:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 01:17:42.12:paEvcPaVO
律「何だよ…それ…」
博士「首筋に取り付けると、電気信号であなたの脳を支配してくれる優れものです。最初の内は頭痛に悩まされるでしょうが、すぐに楽になれますよ。何も考えられなくなりますからね」
律「まさか…斉藤さんにも、それを…」
瞳を巡らせると、確かに斉藤のうなじあたりにそれは取り付けられていた。
博士「便利な機械でしょう?人間をロボット化するようなものです。私の言うことだけを聞く奴隷になってくれるんですよ」
紬「もしかして…お父様がおかしくなってしまったのも――」
博士「大正解ですな。素晴らしい研究施設と金。それさえあれば、彼は必要ありません。私の手足となってもらうだけです」
梓「最低ですね…」
和「典型的な悪役ね。最低かつ勝ち誇った態度。そんなこと私達に教えてしまうなんて、おしゃべりにもほどがあるわ」
博士「はんっ。知ったところで体の動かない君たちはどうしようもないだろう。そこでお友達が私の手に落ちるのを眺めていなさい」
ぬるり、と視線を律にやる。彼女は喉の奥で小さく息を飲んだ。
214:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 01:20:23.42:paEvcPaVO
澪(このままじゃ律が――…!)
澪(くそっ…動け!)
動かすことのできる手で、何度も足を殴るが意味がない。
這って動こうにも、距離が遠すぎて間に合わない。
博士「ふっふっふ…とりあえず貴方の能力をよく知りたいですからなぁ。まず始めにお友達を始末してもらいましょうか」
恐怖と怒りがない交ぜになった律の顔を、博士はそっと指で撫でる。
律「さ、わんな…変態…!!」
博士「これはこれは。まぁ、貴方の感情を奪った後で、ゆっくりと楽しむことにしましょうかな」
律(い、嫌――…)
澪の目に、滅多に見せることのない、恐怖に歪む律の表情が焼き付く。
澪(律…!!!)
――…布を裂いたような音が響いた。
215:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 01:23:11.77:paEvcPaVO
博士「お?」
博士は自分の身に何が起きたのか、理解するのに時間を要した。
手に持っていたはずの機械が床を転がり、自分は倒れ込んでいた。
律「み、澪…!!」
ふわり、と肩に手が置かれ、きつく閉じていた目を開いた律は、そこに彼女の姿を捉える。
――その背中には、制服を突き破って、コウモリのような羽が生えていた。
澪「あ、あは…。――律、私…空飛べちゃった…」
自分でも驚いた様子で、澪は律に固い笑みを向ける。
と、ぼんやりと立ち尽くしている斉藤の姿が目に入り、澪は動かぬ足の代わりに羽をはためかせて彼のそばへ行く。
博士「おい!やめろ!貴様!!」
澪は機械を確認すると、それを鷲掴んで強引に握りつぶす。強化された握力の下に、機械はあっけなくばらばらになった。
217:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 01:26:47.15:paEvcPaVO
斉藤「私は…――!」
二、三度頭を振って、ハッとした顔つきになる斉藤。さすが、状況整理が早い。
博士「…くそ、あの小娘…」
悪態をつきながら体を起こした博士の目の前に、仁王立ちの斉藤がいた。
博士「なんだ貴様…――!!」
澪が斉藤の機械を破壊したことを思い出した博士は、乾いた悲鳴を上げて、四つん這いになって逃げようとする。
その後ろ姿を、斉藤は目を見開いて睨み付けた。
不格好なまま、博士はその場に凍り付く。
博士「ひ、ひいいいぃ…!!」
紬「斉藤!元に戻ったの!?」
斉藤「お嬢様、申し訳ありませんでした。すぐに術を解きますので…」
斉藤は目を閉じて、しばらく黙り込んだ。
すると、ずっと皆を押さえ込んでいた体の硬直がすっと消えて無くなった。
―― 一名を除いて。
博士「た、助けて…」
240:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 10:13:44.95:paEvcPaVO
梓「どうします?」
不格好な姿で固まる博士に、皆が冷ややかな視線を送る。と、
さわ子「ちょっと待った。ここは、私に任せて」
拳をバキバキ鳴らしながら、さわ子がにこやかな笑みを浮かべた。
背後にどす黒いオーラをまとっているように感じ、皆が道を空ける。
博士「あ」
さわ子「どーもー?威勢の良い年増でーす♪」
博士「ひ…」
さわ子「ちなみにこの黒服集団全員をぶちのめすほど暴れるのはさすがに無理だけど、人一人ボッコボコにするぐらいの自信ならありまーす♪」
博士「ひいいいいいいいぃいいいい!!!」
静かな夜空に、凄まじい悲鳴が響き渡った。
241:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 10:22:42.36:paEvcPaVO
さわ子「あーすっきりした」ニコニコ
斉藤「うぅ…申し訳ございませんでした、お嬢様。私としたことが…不意を突かれてしまいました…」
紬「斉藤が無事ならそれで安心よ。一時はどうなるかと思ったけれど、本当に良かっ――」
突如斉藤はその場に崩れ落ちた。紬は顔を真っ青にして彼に駆け寄る。
紬「どうしたの!?」
斉藤「も、申し訳ございません…。酷く目眩が…」
和「そういえば…体に凄く負担がかかるってあの博士が言ってたわ」
紬「ど、どうしよう…」
斉藤「落ち着いてください、お嬢様…。私は大丈夫です…」
さわ子「――じゃあ、こうしましょう。私は斉藤さんと一緒にここに残るわ。この男共を全員締め上げなきゃいけないしね」
梓「で、私達はムギ先輩のお父さんの方に行く、ということですか」
さわ子「そういうこと。頼んだわよ、あなた達」
244:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 10:35:48.77:paEvcPaVO
律「わかった、そうしよう。みんなも良いよな」
澪「う、うん」
唯「平気だよー」
梓「早くムギ先輩のお父さんも目を覚まさせてあげないといけないですからね」
和「力になれるかわからないけど…頑張るわ」
紬「すみません、さわ子先生…お願いします。斉藤も私に振り回されて…本当にごめんなさい」
斉藤「いえ…私は紬お嬢様を支えるのが役目ですから…。力になれなくて申し訳ありません」
律「よし、じゃあ決定だな」
246:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 10:39:41.51:paEvcPaVO
さて、と息をつき、律は頑丈そうな扉に歩み寄る。
律「うーん…カードキーが必要みたい」
唯「あ、じゃあ博士さんの借りれば――」
踵を返し、気絶した博士の懐を漁る唯。
唯「おぉ、あったよー」
それらしき物を見つけ、嬉しげに笑いながら唯は扉へ向き直る。
ズガッ!!
ズズズ…と音を立てて、真一文字に切り裂かれた分厚い扉はゆっくりと倒れ、いつの間にか変身を終えていた律は振るった腕をぐるぐると回して息をついた。
律「よし、行くぞー」
唯「」
梓「お疲れ様です」
カードキーを掲げたまま固まる唯の肩に手を置き、梓はそう声をかけた。
247:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 10:42:43.90:paEvcPaVO
必要なくなったカードキーを放り捨てて、ふくれっ面をする唯。と、
唯「あれ?りっちゃん」
律「んあ?」
中へ進もうとしていた律は呼ばれて振り返る。ぽかんとしていた唯の瞳がキラキラと輝く。
唯「あー!りっちゃん狼の耳が生えてきてる!」
律「…は?」
頭のてっぺんに手をやる律。確かに、それはそこに存在した。
律「なんっじゃこりゃああああ!!」
紬「狼人間化が進行してるのね。そのうち尻尾とかも生えてくるかも」
唯「律わんの完成が近付いてるんだね」
律「じょーだんじゃないぞ!…とにかく急ごう!」
249:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 10:45:52.56:paEvcPaVO
和「暗いわね」
紬「私もこの研究所の奥には入ったことがないから、設計がどうなってるのかわからないの…」
真っ暗な細い通路を進んでいく。
唯「澪ちゃん、いつもならガクガク震えて怖がるのに、今日は平気だね」
澪「ホントだな。むしろ居心地が良いくらいだよ」
唯「澪ちゃんも吸血鬼化が進んでるからだね!」
澪「うぅ…怖くないのは嬉しいけど、やっぱり早く元に戻りたい…」
梓「あ、また扉ですね」
律「ほいほいっと」
分厚い扉はあっという間に引き裂かれて原型をなくす。
律「お、通路が広くなった。電気もついてるぞ」
唯「わいるどだね、りっちゃん…」
251:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 10:50:19.30:paEvcPaVO
壁も天井も真っ白な広い通路。右と左に別れている。
梓「どっちに行けばいいんでしょうか」
澪「ちょっと怖いけど二手に分かれる?」
和「いや、やっぱりそれは不安だわ。…一つずつ確認した方がいい気がするけど」
どちらに行けば良いのかわからず立ち往生してしまう。と、その時だった。
澪「――!ちょっと待て…右から何か来てる…」
紬「え…何も聞こえないけど――」
律「いや、私にも聞こえる。何か嫌ーな予感がするぞ」
その足音は、すぐに他の皆にも聞こえてきた。同時に伝わってくる地響き。
律「これマズイ予感しかしない。左に行くぞ!」
唯「う、うん!」
慌てて駆け出す唯達。走りながらちらりと振り返った梓が悲鳴に近い声を上げた。
梓「でたあああああああああぁ!!」
曲がり角から姿を見せたのは、巨大な体躯をした体中つぎはぎだらけの大男。まさしくフランケンシュタインだった。
252:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 10:55:01.35:paEvcPaVO
律「なんっだあれえええええええええ!?」
澪「ひいいいいいいぃ!!」
雄叫びを上げ、ゆっくりとした足取りで距離を詰めてくるフランケンシュタイン。
唯「何あれ!?何なの!?」
和「知らないわよ!」
全員涙目になりながら逃げ回る。と、梓の目に小さなドアが入った。
梓「皆さん!こっちです!!」
甲高い声に皆振り返り、ドアに駆け寄る梓を見つけ、そのドアへと向かう。
一番初めに辿り着いた梓が、それを開けて隣の部屋へと移る。瞬間。
梓「――えっ!?」
梓の足下の床が音もなく開き、奈落の闇が彼女を引きずり込んだ。
253:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 11:00:13.50:paEvcPaVO
梓「きゃあああああああああぁぁぁ…!!」
唯「あ、あずにゃん!!」
梓の次にドアをくぐった唯がぽっかり空いた穴をのぞき込むが、真っ暗な穴は相当深いようで、もはや悲鳴も聞こえてこなかった。
唯「あずにゃん!!あずにゃあああああああん!!」
律「唯!どうした!?」
ようやく皆が辿り着く。律は、涙を流して叫ぶ唯を見て色めき立った。
唯「あずにゃんが…!!」
?「あっはっは…そんな単純なトラップに引っかかるとは」
低い笑い声と足音が響き、全員顔を上げる。
紬「お父様…」
だだっ広い部屋の中心で、紬の父は満面の笑みを浮かべていた。
254:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 11:02:42.33:paEvcPaVO
ムギ父「君たちの活躍はモニターで一部始終観察させてもらったよ」
そう言う彼の背後には、大きな装置が設置されていて、無数のモニターが様々な場所を映しだしていた。
真っ白い壁には、小さな小瓶が多数並んでいる。研究で生み出した薬であろう。
たくさんありすぎて、どれがワクチンなのかわからない。
唯「あずにゃんを…あずにゃんを返して!!」
普段の温厚さからは想像できない勢いで、唯が叫ぶ。紬の父は微笑みを浮かべたまま、そんな彼女を一瞥した。
ムギ父「返すも何も…今頃ただの肉片と化しているだろうが…。処理してくれるのかな?」
唯の顔から血の気が引いていく。蹌踉めいた彼女の体を支えながら、紬は父を見つめた。
紬「お父様!もうやめて!!博士はもう捕まったのよ!!もうこんなこと、意味がないじゃない!!」
ムギ父「博士が捕まったのならば、彼の意志を引くのは私の役目だ」
冷めた目で自分の娘を見下す紬の父。
255:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 11:07:25.08:paEvcPaVO
和「博士が捕まっても機械は作動し続けるのね」
律「やっぱあれを壊さないと駄目みたいだな」
律は腰を落として、彼を睨んだ。そして、立ち尽くす唯の前に空いた穴を見る。
律(梓…)
のぞき込んでもそこにあるのは闇ばかり。見慣れた小さな姿は、もう目の前には現れない。
律「くそ…!――とにかく、私がムギのお父さんの動きを止める!澪は穴を下りて梓を救出してやってくれ!!」
足に力を込めて、律は叫ぶ。が、澪の表情は曇った。
澪「で、でも…梓は――」
変わり果てた梓の姿を見たくなかったのだろう。躊躇った彼女の様子に、律も唇を噛む。
ムギ父「何をぐだぐだやっているのか知らないが、君たちの相手は私だけではないぞ?」
そう言って、紬の父が何かのパネルのような物を操作する。すると、
轟音と共に、壁を突き破って先ほどのフランケンシュタインが現れ、皆は慌てて部屋の中央へと走った。
ムギ父「良くできたロボットだろう?いずれは本当に人造人間を作って見たいのだがね」
和「…どうすんのよ、これ…」
ぽつりと呟きを漏らす和。律は余裕の笑みを浮かべたままの紬の父とフランケンシュタインを交互に見やり、口を開く。
256:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 11:14:14.99:paEvcPaVO
律「やっぱり私はムギのお父さんの相手になる。唯と和とムギは、とにかく逃げ回るんだ。澪は…あのでっかいのの相手、頼めるか?」
澪「わ、私が!?む、無理だよ!!」
律「大丈夫。アイツ、動きはとろいから頭の周りを飛びまくってたら時間稼ぎになる。すぐにムギのお父さんの機械ぶっ壊して、停止してもらうからさ」
震え上がって首を振る澪の肩に手を置き、律は優しく言い聞かせる。
澪はしばらくフランケンロボを見上げていたが、きゅっと顔を引き締めると、小さく頷いた。
澪「わかった…。やってみるよ」
フランケンが腕を振り上げる。それを合図に、皆が散った。
澪は宙を駆け、律は紬の父へと突進し、残った者達はとにかく走って逃げ回る。
律「このおおおおおおおぉ!!」
握った拳を思い切り振るう。だが、それは虚しく空を裂いた。
283:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 20:57:49.25:paEvcPaVO
律「何…!?」
ムギ父「ふむ…見事に薬が適合しているね君は。良いデータになってくれそうだ」
律「いくらムギのお父さんの頼みとは言え…お断りですよ!」
がむしゃらになって腕を振るう律。それをことごとくかわしていく紬の父。
その隙に、紬がゆっくりと彼の背後に回る。律の攻撃に集中している今なら、気付かれずに首筋の機械に手を出せるはず。
律もそれに気付き、紬が背後から彼に飛びかかるタイミングを見計らって同時に正面から飛びかかる。が、
ガスッ!
律「いっ…!!」
紬の父が振るった腕が律の脇腹に直撃して、彼女は面白いぐらいに飛んだ。薬の並んだ棚に背中を打ち付け、小瓶が数本落下して割れる。
ムギ父「私に逆らうつもりか紬」
振るった腕でそのまま紬の胸ぐらを掴んでねじ上げる紬の父。紬は浮いた足をばたつかせて必死に抵抗した。
285:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 20:59:30.37:paEvcPaVO
和は放心状態の唯を連れて逃げ回るので精一杯で紬を助けに行く余裕がない。澪も澪でフランケンの相手で手一杯だ。
律は咳き込みながらも何とか立ち上がった。
律「げほっ…何て怪力だよ…。肋骨が折れるかと――まさか…」
この人並み外れた身体能力。心当たりは一つしかない。
ムギ父「紬…どうしてわかってくれないんだ。こんなにも素晴らしい発明なんだぞ。世の中が大いに変わるきっかけになる商品になるに違いない」
紬「嫌!そんなのおかしいわ!こんな人体を弄ぶような発明が素晴らしいはずない!」
ムギ父「そんなこと言わずに見てくれ紬。私が研究した中でも最高傑作のこの薬の効果を――」
紬の父の体が嫌な音を立てて軋みながら一回り、二回りと大きくなっていく。
紬は見た。自分をねじ上げる父の腕が鱗に覆われ、鋭い爪が伸びていくのを。
律「おいおい…こんなのありか…」
呆然と立ち尽くす律の目の前で、ドラゴンが牙をむいて笑っていた。
290:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 21:03:01.64:paEvcPaVO
ムギ父「はっはっは…ほら、もっと頑張りなさい」
大きな足が振り降ろされる。律は避けることができず、それを受け止めにかかった。
律「くっ…お、重っ…!!」
ムギ父「大人しく私に協力するなら助けてやろう。しかしまだ抵抗を続けるなら――申し訳ないがモニターで君の身体能力データはだいたい採れたんでね、後は体さえ手に入ればそれでいいんだよ。つまり手短に言うと――死んでもらう」
律「協力なんて、しませんよ…!どうせ今助かったところで、ひとしきりまた身体能力検査して、体内のデータ採るのに…解剖しまくって、あとは廃棄なんだろ…!?」
ムギ父「ふむ…。君は変なところで頭が回るね。仕方ない、君がそのつもりなら私もそれなりに対処する」
徐々に体重がかけられ、律の腕が支えきれずに曲がっていく。
紬「お父様、やめて!私の大切な友達なのよ!?」
ムギ父「私にとってはもはや役に立たない実験用モルモットだ」
288:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 21:01:35.80:paEvcPaVO
澪「ちょおおおおお!何だよこれえええぇ!!」
フランケンシュタインの相手しているだけでも恐怖で頭がおかしくなりそうなのに、あんな化け物まで現れたらどうしようもない。
澪は錯乱しながらも必死に巨大な腕をかいくぐってフランケンの足止めに努めた。
和「これは夢。これは夢。これは夢よ」
正直現実逃避しなくちゃやってられない。和は念仏のように同じ言葉を繰り返しながらフランケンの足を唯と共に走り回って避ける。
律「どうしろって言うんだよこのやろー!!」
やけくそ気味に律は駆ける。とにかく紬を助け出さなければ。
紬「お父様…なんてことを…」
紬は紬で変わり果てた父親の腕に抱えられて、どうすることもできず途方にくれている。
律は紬の父の足に向けて鋭い爪を振るうも、固い鱗の表面に傷をつけるだけで終わってしまう。
292:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 21:04:55.23:paEvcPaVO
澪「――!律!!」
紬の悲痛な声に律の状態に気付き、そちらに気が取られる澪。瞬間。
澪「うわっ!!」
大きな手のひらが目の前に現れ、気付けば澪はフランケンシュタインに鷲掴みにされていた。
和「澪!!」
澪「わ、私は大丈夫だから律の方を!」
澪はもがきながら必死に声を張り上げる。和は狼狽した。
和「そうは言ってもどうしたら…!」
怪物化する能力のない和はどうしようもなく、何か使えるものがないかあたりを見渡す。目に入ったのは、無数のモニターとそれを操作するパソコン。
その操作画面を見て、和は自分でも操作できそうな事を確認すると、急いでキーボードを叩いた。
294:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 21:06:30.64:paEvcPaVO
律「う…ぐっ…!!」
次第に反り始める背中。先ほど殴られた脇腹がじんじんと痛む。
律(やばっ…苦しっ…)
紬が腕の中で暴れるも、紬の父はそれをものとせず体重をかけ続ける。
律(もう…駄目…!)
律の脳裏に諦めの文字がよぎった。その時だった。
和「――律、左を見て!!」
律「…っ何…!?」
和「早く!左よ!!」
ぎりぎりの状態で、律は言われた通りにその方を見やる。と、
律「――!!」
彼女の目に入ったのは、モニターに映し出された満月だった。
296:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 21:08:50.69:paEvcPaVO
律「――があああああああぁああ!!」
気合いの咆哮を張り上げ、完全変身を遂げた律は思い切り大きな足を押し返した。
ムギ父「なっ!!」
体勢を大きく崩す紬の父。律はその隙に飛び上がって彼の腕にしがみつくと、力任せに紬と鱗まみれの腕を引きはがした。
律「平気か、ムギ」
紬「あ、ありがとうりっちゃん!」
律(このまま機械まで行けるか?――つーか機械どこだよ!?)
紬を抱きかかえたまま、太い腕の上で紬の父を操る機械の位置を探す。だが、見つからない。
ムギ父「貴様ぁ!!」
長い首を巡らせて、紬の父は律を睨んだ。その頭頂部に、それはあった。
律「なんであんなとこにあるんだよ!」
297:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 21:10:39.15:paEvcPaVO
馬鹿みたいに鋭い牙が生えそろった大きな口が目の前で開く。その奥が、かすかに怪しく輝いた。
律「ちょ、マジか!!」
嫌な予感を察知し、慌てて飛躍する律。直後大きな口から業火が放たれ、それはわずかに律の体毛を掠めた。
律「科学の力は恐ろしい…」
紬を降ろしてやりながら、律は呆れたように呟いた。
澪(良かった、律大丈夫そうだ…)
澪「さて、どうしようかな…」
冷や汗が額を伝うのを気にとめず、澪は困った笑みを浮かべてフランケンシュタインを見つめる。
力の限りに指を引きはがそうにもビクともしない。当の本人(?)は足下を逃げ回る和達を追い回すのに夢中になっている。
300:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 21:13:37.35:paEvcPaVO
律「澪!大丈夫か!!」
澪の危機に気付いて律が叫ぶ。だが、紬の父が救助に行くのを許さない。
フランケンシュタインはしばらく和達を追い回すのに夢中になっていたが、痺れを切らしたように澪を顔の前へと持ってきた。
澪「何する気――!」
急に澪を握る手に力を込め始めるフランケンシュタイン。今度はこっちが潰される危機に瀕した。
データ採取がまだちゃんとされていないはずだが、フランケンは本気で潰す気でいるようだ。
紬の父は律の反抗があまりにもしぶとくて頭に血が上ったのか、こちらの様子には気付いていない。
澪「嘘、だろっ…!」
すさまじい圧迫感が体中にかかる。息が詰まる感覚に、澪は悲鳴も上げられずに痛みに歯を食いしばった。その時だった。
地の底から唸るような声が、部屋に響き渡った。
303:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 21:14:52.10:paEvcPaVO
フランケンの動きが止まる。刹那、ぽっかりと開いたままになった床の穴から、大きな黒い影が飛び出した。
澪は見た。その影の正体は、ライオンのように大きな黒猫だった。ふたまたに分かれた尻尾がうごめいて、鋭い牙が光り、フシャーと威嚇するような鳴き声が轟く。
澪「次から次に…何なんだよもう…。勘弁して…」
次々と現れる異形の存在に、抵抗する気も失せて澪はうな垂れる。と、
大きな黒猫は飛び上がってフランケンに襲いかかり、澪を掴む腕に食いついた。バチバチと火花を立てて、ロボットのフランケンの腕はへし折られて千切れる。
力が抜けた指から澪はもがいて逃げ出す。その様子を、黒猫が鋭い目で見つめていて、澪は体勢を立て直すと身構えた。と、
黒猫「大丈夫でしたか、澪先輩」
澪「へ?」
黒猫「すみません。早く上がってきたかったんですけど、四足歩行に慣れるのに時間がかかっちゃって…」
澪「その声…もしかして、梓か!?」
304:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 21:15:38.23:+/4rDuPv0
梓「はい、心配をおかけしました」
澪「もう、何が何だか…」
父から逃れていた紬が、二人に駆け寄ってきた。
紬「梓ちゃん、今になって薬の効き目がでたのね…」
梓「みたいですね。何ですかこれ」
紬「何だったかしら…。えっと――」
ムギ父「猫又だよ。日本妖怪に化ける薬も作ってみたかったんでね」
梓の存在に気付いた紬の父が、牙をむいて微笑みつつ彼女達の方を見やる。
梓「何ですかアレ…」
紬「――紹介するわ。私の父よ」
307:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 21:18:29.01:Qx6ZeY9D0
律「あ、梓なのか!?良かった、無事だったんだな!」
ムギ父「だが、何も解決してはいない。結局の所、重要なサンプルが増えただけだ」
律(くそっ…それが問題なんだよな。どうしようもないだろこれ…)
小さく唸り声を上げつつ、律は紬の父を睨み上げた。
梓「律先輩、苦戦してそうですね…。とにかくこっちのでかいのを壊して、早く援護につきましょう」
澪「そうだな。ムギ、危ないから和の所に行っててくれるか」
紬「えぇ…ごめんね」
小さく澪に謝ってから、紬は和と合流する。
和「良かった…梓ちゃん、無事だったのね」
紬「うん。本当に良かった」
和「これで唯も安心でき――あら?そういえば、唯はどこに…」
紬「え?」
311:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 21:22:19.35:paEvcPaVO
二人は慌てて辺りを見回す。どこにも唯の姿はない。
紬「和ちゃん、一緒に逃げてたんじゃ…」
和「えぇ。でも、律を助ける為にモニターいじりに行ったから…その時にはぐれたのかも」
紬「一体どこに…?」
二人が困惑していることなどつゆ知らず、律は果敢に紬の父に攻めていく。
律(やばいな…そろそろ変身が解ける…。また変身するまでにはちょっと時間がかかるから――その隙に襲われればアウトだぞ!どうする!?)
焦る律。すでに牙や尻尾は元に戻りつつあった。変身中は丸いものを見ても意味がない。
それに気付き、勝ち誇った笑みを浮かべる紬の父。
ムギ父「チェックメイトだ!!」
大きな爪が振り上げられる。律はきつく目を閉じた。と、その時。
「やっほ~」
緊張感のない声がどこからともなく聞こえてきた。
312:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 21:22:49.13:+/4rDuPv0
律「…唯?」
ムギ父「どこだ…。どこにいる…!?」
割と近くから聞こえたその声の出所を探す。だが、二人とも見つけることができない。
唯「ここだよ、ここ」
またも聞こえてくる声。
唯「ムギちゃんのお父さんの、頭の上」
驚愕に目を見開き、律は瞳を巡らせた。確かに唯はそこにいた。先ほどまではそんなところにいなかったはずなのに。
ムギ父「貴様、いつの間に――」
紬の父も全く気が付かなかったというように、口をあんぐり開けている。
唯はゆっくりと彼を操る機械に足をかけ、微笑んだ。
唯「チェックメイトだよ」
314:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 21:26:02.56:+/4rDuPv0
――唯によって機械を破壊された紬の父は、すぐに正気に戻った。
フランケンロボの方も、澪と梓の活躍により、見るも無惨に破壊されてしまった。
長い首を振って何度も頭を下げ、謝罪の言葉を繰り返す紬の父。
ドラゴンに頭を下げられるという貴重な経験をした唯達は、無事にワクチンを手に入れることができた。
律「しっかし、何で唯は誰にも気付かれずにムギのお父さんの頭の上まで行けたんだ?――ってあれ?唯どこ行った?」
和「あら…?まただわ。さっきも急にどこかに行っちゃって――」
唯「失礼だなぁ、ここにいるよ。和ちゃんの前」
和「え?…きゃ!びっくりさせないでよ…」
唯「ビックリさせるも何も、さっきからいたよ!」
澪「な、何が起こってるんだ?」
317:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 21:28:04.53:paEvcPaVO
ムギ父「たぶん、彼女が飲んだこの薬の能力だろう」
紬の父が差し出した薬の瓶には、『ぬらりひょん』と書かれたラベルが貼ってあった。
ムギ父「自由奔放にのらりくらりと行動するつかみ所のない日本妖怪だ。人に気付かれずに動き回るのが得意な妖怪だね」
律「なるほど…だから今日はよく唯を見失ったんだな…」
紬「日本妖怪の薬は、効き目がでるのが遅かったのね…」
唯「いやぁ、あずにゃんが無事で本当に安心したよ~。っていうか、あずにゃん本当にあずにゃんになったんだねぇ」ダキッ
梓「意味がわかりませんよ」
猫又梓をよーしよしよしと声をかけながらなで回す唯を見て微笑みつつ、紬の父は再度頭を下げた。
ムギ父「君たちには本当に迷惑をかけたよ…。薬は全て処分する。資料も全てだ。博士達の処遇も、こちらが引き受けよう」
こうして、今回の騒動は幕を閉じた。
319:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 21:29:46.82:paEvcPaVO
律「ふー…とりあえず一件落着だなぁ」
廃墟から出た律は大きくのびをしながら息を吐く。そして、ワクチンの入った小瓶を見つめた。
律「この厄介な体ともおさらばか…」
唯「んー、もうちょっとぬらりひょんライフを堪能したかったよ」
梓「私は一刻も早く戻りたいですね。このままじゃサーカス行きですよ。…あれ?唯先輩どこですか」
唯「だからここにいるよ!」
笑い合う唯達。そして、ワクチンのふたを開けた。
澪「それじゃあ、元に戻ろっか」
律「あぁ」
唯「――ちょっと待って!」
小瓶の中の液体を律達が飲み干そうとした時、ふいに唯が声を上げた。
唯「良いこと思いついたよ!」
320:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 21:29:53.13:Qx6ZeY9D0
――時刻はすでに九時を回っていた。
連絡も無しに帰ってこない姉を、心底心配する妹がいた。そう、憂だ。
憂「お姉ちゃぁん…」
涙目になって時計を見つめる憂。警察に連絡しようかと電話の前をウロウロしていたとき、インターホンが鳴った。
憂「――!はい!!」
慌てて駆け出す憂。ドアの外には、紬と和がいた。
紬「憂ちゃん、今大丈夫?」
憂「は、はい。あの、お姉ちゃん知りませんか?帰りがまだなんですけど――」
和「その唯のことでちょっと話があるの」
憂「…?」
324:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 21:33:35.77:paEvcPaVO
暗い夜道を駆け、学校へとたどり着く憂達。と、次の瞬間。
梓「フシャアアアァ!!」
憂「!?」
大きな黒猫が背後から突然現れた。
憂「きゃあああああああ!!」
驚いて駆け出す憂。追いかける梓と紬と和。
澪「憂ちゃん…」
憂「――!澪さ…」
声が聞こえてきた方へ目をやると、牙をむいた澪が木に逆さまになってぶら下がっていた。
澪「血を飲ませてくれないかな…?」
憂「!?!?」
325:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 21:34:29.42:+/4rDuPv0
憂「ひいいいいいいいぃ!!」
涙目になって逃げ出す憂。その視線の先に、律が立っているのが見えた。
憂「り、律さん!助け――」
律「う、う、うぅ…ウオオオオオオオオォン!!」
憂「!?!?!?」
救いを求める憂の目の前で、律は満月を仰いで狼人間と化す。凍り付く憂。
憂「いや、いやぁ…」
猫又と吸血鬼と狼人間に囲まれ、憂は震えあがる。そして、
唯「――…トリック・オア・トリートォ…」
憂「」
締めに憂の前に気付かれずに移動した唯が、おどろおどろしい声でそう言って姿を見せると、憂はその場に卒倒した。
328:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 21:37:26.21:+/4rDuPv0
唯「ういいいいいいいいいぃ!!」
律「まぁ…シャレにならんわな」
澪「仮装なんて可愛いものじゃないからな…」
梓「だからやめましょうって言ったのに」
唯「あずにゃんノリノリだったじゃん!!」
和「ホント、騒がしいわね…」
紬「まぁせっかくのハロウィンだから…やってみたかったっていう気持ちはわかるかも」
騒ぐ唯達を眺めつつ、紬と和は小さく笑った。
その後目を覚ました憂に、みんなこっぴどく叱られたそうな。
おしまい。
335:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 21:43:53.02:paEvcPaVO
もし、研究所突入前に澪が血を求め始めていたら――
唯「律わんの完成が近付いてるんだね」
律「じょーだんじゃないぞ!…とにかく急ごう!」
澪「…ごめん、律。ちょっと、待ってくれ…」ゼェゼェ
乾いた苦しそうな息の下で、澪が呻くように口を開く。律は慌てて彼女に駆け寄った。
律「どうした澪!大丈夫か!?」
澪「凄く、喉が…乾くんだ…。正直かなり、辛い…」
律「マジか…どうすっかな…」
肩で息をする澪。唯達も心配そうにそんな彼女の様子を見守っている。
さわ子「そこで転がってる男達からちょっと血をもらっちゃいなさい。それしかないわ」
腕を組んで考え込んでいたさわ子が、立てた親指で気絶した男達を指す。が、澪は小さく首を振った。
364:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 23:38:53.99:paEvcPaVO
澪「それは…ちょっと…」
そりゃ見ず知らずの人、しかも男に噛み付けというのは、澪には少し酷な話だ。
律はしばらく口を閉ざし思考を巡らせ、意を決した様にみんなを振り返った。
律「ごめんみんな…ちょっとだけ外で待っててくれないか?」
梓「何するつもりですか?」
律「いや、その…私の血なら、澪も変な気使わなくてすむかなって…」
紬(Oh…)
澪「でも、律…」
律「苦しいんだろ?私のことは良いからさ」
澪は俯いて本当に囁くような声で、じゃあ頼むよ、と律に頭を下げた。
367:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 23:47:53.10:paEvcPaVO
律「…そういうことだからさ、しばらく待っててくれ」
唯「りっちゃん…献身的だね…」
和「唯でもそんな言葉使えるのね」
唯「さすがに私に失礼だよ和ちゃん」
ぷう、と頬を膨らませつつも外へと向かう唯。他のみんなもあとに続く。
最後に紬がどこか後ろめたそうに外に出て、廃墟の中には律と澪、そして気絶した男達だけが残された。
律「ふぅ…さてと。さすがに何か小っ恥ずかしいからなぁ、血を吸われてるとこ見るのって」
澪「…ごめんな、律…」
律「ばーか、気にすんなって。仕方ないじゃんか」
澪「…うん」
368:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/01(月) 00:00:15.68:49llWlv7O
澪を安心させるために明るく振る舞う。律は部屋の中を見回して、ぼろぼろのソファを見つけると、ホコリをいくらか叩き落とした後それに腰掛けた。
律「よっしゃ、じゃあ早く済ませちゃおうぜ。長引くと辛いだろ」
澪「あ、あぁ。…ど、どうしよう」
律「そうだなぁ…とりあえず腕にでも噛み付いて――」
袖をめくろうとして気が付いた。自分が今は半狼人間となっていることに。
腕は見事にふさふさの毛が生えそろっていて、牙をたてても皮膚に届きそうにない。
律「あっちゃー…そっか、腕は無理だな…」
さてどうしようか。律は考える。自然と頭に思い浮かべるのは、ホラー映画に出てくる吸血鬼の吸血シーン。…それは先ほど澪に血を舐められた時と状況が酷似していた。
律「あー…うぅ…」
急に恥ずかしくなって、律は顔が熱くなるのを感じた。横目で澪を見る。凄く苦しそうだ。
律(…恥ずかしがってる暇、ないよな)
369:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/01(月) 00:15:42.03:49llWlv7O
律は一つ息をつくと、黙ってシャツのボタンを少し外し、首筋をはだけた。
律「ん。ひと思いにがぶっといっちゃってくれ」
澪「えぇ…!?そ、そんな本格的にいかなくても…」
律「つーかここぐらいしか良い場所がないんだよ。悪いな」
律は目を閉ざして、恥ずかしいのを必死に堪える。
そんな彼女の様子を見て、本気で考えてくれているのだと理解した澪は、ゆっくりと律の前に立った。
澪「――わかった。ごめんな律、ちょっと痛いかも」
律「…おう。大丈夫だから、気にすんな」
目を閉じたまま返事を返す律。澪は震える口から長く息を吐くと、律の肩に手をかけた。
澪「じゃあ、えっと…いただきます?」
律「…恥ずかしいからやめろ」
371:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/01(月) 00:27:16.66:49llWlv7O
きめ細かくてすべすべした律の首筋に、澪は鋭くとがった牙をたてた。ぴくり、と律が反応する。
澪(…ごめん)
心の中でもう一度謝り、一気に噛み付く。皮膚を突き破って牙が侵入してくるのを感じ、律は小さく呻いて眉を顰めた。
じわりと血がにじみ、流れ出す。澪はその温かな血を、丹念に舌で舐め取った。
鋭いものが突き刺さる痛みと、首筋を舌が這いずるくすぐったさがない交ぜになって律の体を電流のようにかける。
律「は、ぁ…」
そのどうしようもない感覚に、自然と涙が滲み、息が荒くなる。
先ほどの傷口を舐められたくすぐったさとは、比べものにならない感覚だった。
374:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/01(月) 00:43:50.42:49llWlv7O
澪(何だろ…凄い喉が渇いてたからかな…。――律の血、凄くおいしい…)
一心不乱に舌を這わせる澪。もっと、もっと飲みたい。もっとこの最高に喉を潤してくれる律の血を味わいたい。
その欲望が澪を支配し、彼女は滴ってくる血を舐めるのでは飽きたらず、直接吸い出し始めた。
律「――うっ…ぐ…」
またも経験したことのない感覚が律を襲い、律の体が小さく震えた。
牙の刺さった傷口からどんどん血が吸い出されていくその痛いようなくすぐったいような、言葉にできない感覚は、だんだんの律の思考を麻痺させていく。
律(なんだこれ…何か、変な感じ…)
たまらず大きく息を吐き出す。その呼気は澪の長い髪をくすぐり、揺らすが、それを意に介さず澪は血を吸うことに夢中になった。
379:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/01(月) 00:59:17.68:49llWlv7O
澪(おいしい…もっと…)
律の肩にかけた手に力が入る。澪は律を先ほどと同様押し倒さんばかりの勢いで覆い被さっていく。
律「み、お…」
明らかにコントロールが効いていない様子の澪を抑えようとするも、体に全く力の入らない律は為す術もなくされるがままになってしまう。
澪(もっと…欲しい…)
牙がさらに深く律の肩口に食い込んだ。
律「――…つっ!あ、ぅ…」
走る痛み。さらに溢れ出す鮮血。それを吸い出し、飲み込んでいく澪。
澪「…ふっ…」
息をするのも難しくなるぐらい律の血を貪る。飲み損なった血が、口内に溜まった唾液と共に少しばかりこぼれ落ちる。
380:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/01(月) 01:00:13.63:jKiKXLXc0
自分の血のにおいが鼻を掠め、律は涙が滲み霞んだ視界で澪を見た。
律(どれだけ…夢中になってんだよ…)
これがあの指を切ったぐらいでガクガク怯えていた澪なのだろうか。
夢中になって首筋に食らいつくその姿は、まさに映画で見た吸血鬼そのものだった。
律「はぁ…う、ぅ…」
何とも言えない感覚が全身を満たし、指を動かすのも辛いぐらい力が抜けていく。
そろそろ限界だった。頭もクラクラする。
律「み、お…澪……!」
何とか声を張り上げる。だが、澪は吸血をやめようとしない。
舌を這わせたり、吸い出したりを交互に繰り返し、無我夢中で血を貪る。
385:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/01(月) 01:21:23.46:49llWlv7O
律(まず、い…)
完全に我を失っている。このままじゃ自分の命に関わってくる可能性もある。
律(澪…目を、覚ませ…!)
限界の体に鞭打って、律は腕をなんとか伸ばす。
律「がるる…」
歯を食いしばって必死に手を動かすと、つい喉の奥から狼のような唸り声が迫り上がってくる。
律はその手を澪の背中に回した。まだ自分の首に食らいついたままの彼女を正気に戻すため、律は強硬手段に出た。
律「ごめ、ん…!」
力を振り絞って澪の背中に爪を食い込ませる。
澪「――!あ、ぐ…!」
痛みに思わず悲鳴を上げ、澪の口はようやく律の首筋から離れた。
386:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/01(月) 01:33:50.75:49llWlv7O
律(なんとか…成功…)
肩で息をしつつ霞む目で澪を見る。
死力を尽くした律は、安心したと同時に急激に気が遠くなるのを感じた。
澪の背に回した手がずり落ち、ソファの上に倒れ込んだ。
澪「いたた…あ――ご、ごめん律、私…律!?」
痛みで我に返った澪は、すっかり暴走してしまったことを思い出し、慌てて律に謝ろうとする。
だが、その律は完全に力尽き、ソファの上で崩れ落ちていた。
澪「律!律!!」
自分のせいで、律をこんな目に合わせてしまった。澪は半泣きになりながら律の体を揺する。
律「――…大丈夫…だから。…っへへ、狼人間の体力…なめるなよ…?」
澪「律ぅ…ホントに、ごめんな…」
388:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/01(月) 01:41:10.10:49llWlv7O
その後、澪は外で待っていたみんなを呼び戻し、再び全員が合流した。
律「ごめん…まだちょっと、休憩させて欲しい…。若干貧血気味で頭クラクラする…」
ソファの上でぐったりとなった律、そしてその首筋に残る牙の後を見て、唯がごくりと生唾を飲んだ。
唯「おぉ…なんか、生々しいね」
梓「はい…何だかドキドキします…」
律「ホント凄いぞ…。きっとお前らが想像してるよりも遙かにいろいろ大変だからな」
澪「うぅ…恥ずかしい…」
和と紬に介抱してもらいつつ律は、一刻も早くワクチンを手に入れて澪を元に戻さねばと改めて心に誓うのだった。
おしまい。
389:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/01(月) 01:45:58.05:tqYlPvGI0
394:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/01(月) 02:02:37.07:UdywOtvv0
金色に光る瞳は、少しばかり獣の鋭さを帯びていた。
律(目つき獣みたいじゃん…)
前髪を下ろして目元を隠す。
そのままぼんやりと丸い鏡を眺めていると、背筋にざわざわっと何かが走るような感覚が律を襲った。
律(この感じ…)
この感覚には覚えがあった。
つい先ほどまでいつも通りだった自分の体が、こんないびつな物に変化する前に、律は一度この体のざわめきを経験していた。
時はさかのぼり、放課後。
いつものように部活を終え、いつものようにだべりながら、いつものように皆と別れ、家に着いた。
律「たっだいま~」
聡「おかえり姉ちゃん!」
律「お?なーんか嬉しそうだなぁ。どした?」
聡「ずっと欲しかったゲーム、やっと買ったんだよ!今日父さん達遅いしさ!一緒にやろうよ!」
律「えっマジで!?でも今日課題多いしなぁ…。今何時だ?」
靴を脱ぎながら時計に目をやる律。円形のそれが目に入った、刹那。
ザワッ
律「ほわっ!?」
聡「あいっ!?」
突然の姉の奇声に驚く聡。怪訝な面持ちで、彼は律を見た。
聡「な、何?」
しかし彼の声は律の耳をすり抜けた。
律は自分の心臓が、尋常じゃない速さで鼓動するのを感じ、胸を押さえた。
律「は、あっ…」
熱い呼気と共に額に汗が噴き出す。言葉にならない何かが、体の奥から駆け上がってくる。
聡「ちょ、ね、姉ちゃん!?大丈夫!?」
律「なんか…わかんな…ごめ、ちょっと部屋行く…」
明らかに調子が悪そうな律を見て、聡はどうしたらよいかわからずうろたえる。
そうこうしているうちに、律はあっという間に階段を駆け上がっていった。
聡「はや…」
よくわからないが、駆け出したくなるような衝動に駆られる。
律は一気に階段を駆け、自室に飛び込んだ。
ドアに背を預け、座り込む。
律「…うっ…」
再び背筋がざわめき、徐々に鼓動が収まっていく。
ようやく落ち着きを取り戻した律は、ふぅと息をついた。
律「一体何だったんだ――」
ずれたカチューシャを元に戻そうと手を挙げ、目に入った物体に律は固まった。
律「――…は?」
茶色いフサフサの手。光る爪。
瞬きをすることも忘れ、その手を閉じたり開いたり。
明らかに自分の手だが――自分の手じゃない。
律「はあああああああああぁ!!??」
そして話は、現在に戻る。
律(丸い物を見たら、体がぞわぞわする…)
律(それにこの手…まるで映画で見た狼男みたいだ…)
律「――いつの間にか狼人間になってました…ってか?」
なんで?意味わかんない。
律は混乱する頭を抱え、その場に座り込んだ。
律「…これ、元に戻れるのかな…」
腕から生えた体毛を引っ張り、律は独りごちる。と、その時だった。
コンコン
律「おぎゃっ!!!」
聡「あひぃっ!!!」
いきなりドアがノックされ、律は飛び上がる勢いで悲鳴を上げた。
ドアの向こうからも、甲高い悲鳴が聞こえてくる。
聡「ね、姉ちゃん?大丈夫なの?入るよ?」
律「だっ!駄目駄目駄目!入ってくるなああぁ!!」
開きかけたドアの元へ、律は凄まじい速さで駆け寄ると、内側から押さえつけようとした。
しかし、律はこの時、自分の体の変化にまだ慣れてはいなかった。――結果。
バギャァッ!!!
鋭利な爪がドアに穴を穿ち、力加減がされなかった両腕はドアを突き抜けていた。
突如ドアから生えた腕の間に、聡の顔がちょうど収まった。短い黒髪が、はらりと切れて落ちる。
聡「…へ…?」
聡の顔に引きつった笑みが張り付く。
律「…」
沈黙の中、ゆっくりと腕がドアから抜かれ、二つ開いた穴から律が顔を覗かせた。
律「あ、あはは…。ども~、田井中りっちゃんです♪」
聡「」ドサッ
律「ちょ!さ、聡!?しっかりしろおおおぉ!!」
気まずい沈黙が、律の部屋の中を支配する。
律と聡は何故か正座をして、向かい合って座っていた。
ドアに開いた穴は、外側には律の手作りパネル(舌出してスティック持ったアレ)、内側にはポスターを貼ってごまかした。
見られたからには黙っているわけにはいかないので、律は聡に自分の体に起きた異変について説明した。
もっとも、彼女自身何が起きているのかわからないが。
律「……」
聡「…も、元に戻ったね」
律「あ、あぁ…本当だ…」
呆けているうちに、いつの間にか体は元に戻っていた。
聡「…えっと…丸い物見たら変身しちゃうんだよね?」
律「たぶん」
聡「…ほい」パカッ
急に聡は手に持っていたゲームのパッケージを開ける。律の目に入る、丸いディスク。
律「おわっ!!聡お前!!…うぁっ!!」
途端、律は体を震わせて呻いた。聡はその様子を興味深そうに見つめる。
聡「おおぉ…なんかすげぇ」
律「う、ううぅ…さと、しいいぃ…」
体のざわめきが落ち着いてくると、律は息を切らせながらその気持ち悪い感覚に耐えた。
律「…っ…はぁ。折角元に戻れたのに、何すんだ!!」
再び変身し、牙をむいて怒った律を見て、聡は肩をすくめて申し訳なさそうに笑った。
聡「だって、なんかすげぇんだもん」
律「…まぁいいや。とにかく、誰にも言うなよ?お父さんとお母さんにも内緒。じゃないと――」
律が意地の悪そうな笑みを浮かべて聡を睨んだ。覗いた牙と、鋭い眼光に、聡は思わず身を震わせる。
聡「わ、わかったよ!」
律「――だいだい元に戻るまで二十分か」
腕と足から引いていく体毛を見つめて、律は呟いた。
聡「それにしても、なんか俺が思ってた狼人間とイメージ違うなぁ」
どこかつまらなさそうな声で、聡がぼやく。
律「どういうことだよ」
聡「いや、なんていうかさ…もっと完璧に狼になっちゃうイメージあるじゃん。だけど、姉ちゃんは腕と足ぐらいだろ?思い切り見た目が変わってるの」
律「牙も生えるし、瞳もちょっと変わるけど…。あ、あと、なんか凄い体が軽い。身体能力が上がったりしてるのかな」
とんでもない馬鹿力も発揮できるしな、と律は苦笑しながらポスターを貼り付けたドアを見た。
聡「ふーん…。まぁ、半狼人間ってところだね。でも、一体何でこんなことに?」
律「それがわかったら苦労してないっての…」
律は重々しいため息をついた。
律「とにかく、みんなにばれないようにしないとな」
聡「でも、かっこよくて良いと思うけどなぁ。自慢できるよ」
律「お前なぁ…気持ち悪がられるに決まってるだろ。怖がられるよ。第一お前もぶっ倒れたじゃん」
聡「…そうだね」
律「――軽音部のみんなには絶対ばれないようにしたいな…。みんなに怖がられるなんて…絶対嫌だ…」
弱々しい声で呟く姉の姿を見て、聡は顔を引き締めると手を叩いた。
聡「よし!姉ちゃん、特訓しよう!変身しても、すぐに元に戻れるように!」
律「は、はぁ!?」
突拍子もない提案に、律は素っ頓狂な声を出した。
聡「というわけで、はい♪」パカッ
有無を言わせず、再び聡は律の前でゲームのパッケージを開いた。
律「あぁあっ!!聡いいいいいぃ!!…くっ!」
ニヤニヤ笑う聡に歯向かうこともできず、再び気味の悪い感触に表情を歪める律。
聡(うおお!面白れぇ!!)
――その後も律の悲痛な声はずっと続いた。
翌日。
律「おはよ…」
律母「おはよう。どしたの、元気ないわね」
律「あはは、平気平気」
やつれた顔に笑みを浮かべ、律は食卓に着く。
昨晩ずっと変身を繰り返したせいで、心身ともにぼろぼろだった。
しかし、特訓の成果は現れた。
普通にしていれば元に戻るまで二十分ほどかかるが、体の底からわきあがってくるものを押さえ込もうとすることで、その時間を短縮することが可能になった。
その点は聡に感謝しなくてはならず、面白半分でいた彼をぶん殴りたかったが我慢した。
律「いっただっきまーす」
とにかく、学校ではぼろが出ないようにしなくては。
ご飯を頬張りながら、律は改めて自分に言い聞かせる。と、
律「あ゛」
迂闊だった。律の目に、目玉焼きの綺麗な黄身が映る。
律「へぁっ!!」
聡「うぉっ」
背筋を走る戦慄。律は慌てて鞄を引っつかむと、立ち上がった。
律「い、いってきます!!」
律母「え、もういらないの?そんなに急ぐ必要ないでしょう?」
律「ご、ごめん、お母さん!」
律は猛ダッシュで玄関へと駆けていく。
律母「…どうしたのかしら?変な子ね」
聡(…あんなので本当に学校大丈夫かな…)
律「はぁ…駄目だ。かなり気をつけてないと、簡単に変身しちゃうぞ…」
体毛に覆われた腕をさすりながら、律は車庫の中で一人呻いた。
律「もしみんなの前で変身したら…すっげぇ騒ぎになりそうだなぁ」
律(ふぅ…冷静に、冷静に…平常心で――)
ゆっくりと深呼吸しながら、律は元の姿に戻ることに努めた。
学校
律「おっはよー!」
クラスメイト達「おはよー」
いつもと変わらない笑顔で、律は挨拶を交わしながら自席に着く。
律(なんか…丸い物を見ないように気をつけようとすると、逆に丸い物を探しちゃう…。駄目駄目、いつも通り、普通にしてりゃ大丈夫――)
唯「りっちゃんおはよー」
律「ぎゃっ!」
唯「うぇっ!?」
律「あぁ…唯か。おどかすなよー…」
唯「それはこっちのセリフだよ~…」
しかめっ面をしながら席に着く唯。悪い悪い、と律は軽く謝った。
それから、後でやって来た紬とも挨拶を交わし、HRを終え、授業も順調に進んでいった。
律「ふぃ~…」
唯と紬と共に、三人で昼食の弁当を食べながら、律は大きくため息をつく。
紬「どうしたの?りっちゃん、ずいぶん疲れてる感じね」
律「ん?いやいや、りっちゃんはいつでも元気ですぜ。ただ、さっきの授業内容が難しかったなぁって」
唯「あぁ~難しかったね。私もうよくわからなくて、いつの間にか寝てたもん」
律「おい」
上手くごまかしながら、律はいつもと同じように会話を弾ませる。
途中、唯のお弁当に入ったゆで卵が目を掠めたが、何とか変身は押さえ込んだ。
昼休みが終わり、午後の授業に入った時のことだった。
数学の授業の準備をしていた律は、今日習う範囲を確認して、愕然とした。
律(え、円の性質…!?)
おそるおそる教科書を開けてみるが、すぐに閉じた。
至る所、円だらけだ。
律(く…どうする?授業休ませてもらうか…?)
だが、悩んでいる内に先生が教室に入り、授業は始まってしまった。
この授業の先生はなかなかの堅物で、本当に具合が悪そうに見えなかったら、あまり中抜けを許してくれないのだ。
変身を耐えているときは具合が悪く見えるだろうが、それから抜けるのを頼んでいるようでは間に合わない。
律(く、くそ…。こうなったら、一時間耐え抜いてやるぜ…。昨日の特訓を思い出せ、私!)
そうやって、気合いを入れて授業に集中するものの、なかなか教科書を見ることが出来ない。
黒板の文字に集中し、律は一心不乱にノートを取り続けた。
※言い忘れてた。この話は二年生の時のことです
律(辛い…時間が長く感じる…)
一体何分経っただろうか。時計を見ることも出来ない。
いつボロが出てもおかしくない状況に、心臓が暴れている。
小さく深呼吸を続けつつ、律は鉛筆を動かす。と、
先生1「で、教科書49ページのこの図だけど…」
先生が、黒板にコンパスを使って、綺麗な円を大きく描いた。
律(ちょっおま…)
ぞっと、背中にざわめきが走った。
慌ててノートに視線を落とし、歯を食いしばってわき上がるものを堪える。
律(駄目だ駄目だ!我慢我慢我慢!!)
円を見たのが一瞬だったからだろうか。
何とか耐え抜くことが出来、ゆっくりと体が落ち着きを取り戻していく。
しかし――
先生1「…であるから、この円の半径は――」
律(う、うぅ…黒板が見れない…)
何とか変身は抑えたが、いまだに黒板には綺麗な円が描かれていた。
生徒1「…律ちゃん?大丈夫?具合悪いの?」
頭を押さえたまま俯いている律を見て、隣の生徒が心配げに声をかけてくる。
律「ん?あ、あぁ、へーきへーき。あんがとね」
ニカッと笑い、出来るだけ平然を装って応える。それを見て安心したのか、彼女も微笑んで前に向き直った。と、
先生1「ん?どうかしたのか、田井中?」
会話が耳に入ったのか、先生が声をかけてくる。
律「ふぇっ!?な、何でもありません」
先生1「そうか?んじゃあ、この問題解いてくれ。50番の、円の作図。簡単だから、すぐ出来るだろ」
律(――!!)
先生が教科書を見ながら黒板を指さす。
円の作図なんて…できるわけがない!
律(ちょっ、ど、どうしよ…)
だらだらと、背中を汗が流れる。
律(ま、まだ授業終わらないのか…!?)
ちらりと時計に目をやる、が。
律(おふぅっ!!)
円形だったことを忘れていた。汗びっしょりの背中にざわめきが走る。
律(こ、このタイミングでっ…馬鹿だろ私!!)
先生1「?どうした、田井中。ちゃっちゃと済ませてくれ」
律「…は、はい…」
律は震える足でゆっくり立ち上がると、なるべく黒板を見ないようにしながら前にでる。
その間も、体のざわめきが止まらない。
律(駄目だ、もう…抑えられない…!)
腹を決めたその時、救いの鐘が鳴った。
キーンコーンカーンコーン…
先生1「お、もうそんな時間だったのか。すまん田井中。その問題はまた今度頼む」
律「は、はい!」
号令が終わると、律は慌てて教室を飛び出し、トイレへと駆け込んだ。
律(ギ、ギリギリセーフ…)
一番奥の個室に入った時には、腕に毛が生えかけていた。
律(危ない危ない…いやいや、安心するのは早いか。早く元に戻んないと)
律は歯を食いしばって、体の奥からわき上がってくるものを押さえ込むことに努めた。
潮「はぁー授業疲れるなぁ~…」
慶子「ホント、私もう眠くて眠くて…」
信代「朝練があると疲れるよなぁ」
談笑に花を咲かせながら、生徒三人がトイレへと入る。と、
「ううぅ…く、う…はぁ、はぁ…」
慶子「!?」
潮「な、何…何今の?」
信代「ん?どうかした?」
二人の反応に、思わず声をひそめて訊ねる信代。
口に指を当てる二人の様子を見て、彼女も口をつぐんだ。
「はぁっはぁ…ぐ、うぅ…」
慶子・潮・信代「――~~…!!!」ゾゾゾッ
トイレの奥から聞こえてくる苦しげな呻き声に、三人は声を失って抱き合った。
信代「な、何だろ…?」
潮「ちょ、やめなって」ヒソヒソ
おどおどしながらも興味本位で声が聞こえてきた方へと近付く信代。ただただ震えたままその場に立ち尽くす潮と慶子。その時。
バキャッ!!
乾いた破壊音が鳴り響き、三人は飛び上がりそうになるほど驚いた。
潮・慶子「ひぎゃああああああああっ!!」
信代「うほおおおおおおおおぉおお!!」
甲高い悲鳴を上げながら、三人はものすごい勢いでトイレから逃げ出した。
律「ふぅ…なんとか収まってくれたけど…手すり壊しちゃったな」
ぼやきながら律は個室から出る。
知らぬ間に力を入れすぎていたのだろう。きつく握りしめていた手すりは、片方の端が壁から外れてしまっていた。
律「しゃーない…職員室に報告だけしとくか」
事情を聞かれたら困るので、ちょっと体重かけたら壊れたということにしておこう。
そう思いながら、律は職員室へと向かった。
慶子「の、呪いよ…トイレの花子よ…!!」
潮「違うよ!あれはきっとトイレで溺れて死んでしまった地縛霊なんだよ!!」
信代「なにそれ…。違う違う。きっと誰か便秘だったんだって」
トイレから離れた廊下で、三人はさきほどトイレで聞いた呻き声の正体について議論を続けていた。
信代「呪いだの地縛霊だの…そんなのあるわけないよ」
潮「一番凄い悲鳴上げてたくせに」
信代「なっ!いいさ!!じゃあもう一回行こうじゃないか!」
慶子「え、えぇ~…」
信代「あ、もしかして怖いわけ?」
慶子「こ、怖くなんか無いよ!いいじゃん!行こう!!」
潮「え~…ちょ、ちょっと待ってよ~…」
潮「ホントに戻ってきたし…」
慶子「ほら、入って」
信代「え、あ、あたしから…?」
慶子「当たり前じゃない!ほら!」
信代「わかったよ…」
改めて静かにトイレに入る三人。しばらく黙っていたが、呻き声は聞こえない。
慶子「み、見に行ってみて。一番奥」
信代「ちょ、行くならみんなで行こうよ」
おそるおそる、一番奥の個室をのぞき込む三人。中には誰もいなかった。が、
潮「ひ、ひいいいい!!」
へし折れた手すりを見て、潮は震え上がった。
慶子「きゃああああ!やっぱりそうじゃない!地縛霊が苦しさのあまり暴れたんだって!!」
信代「ち、ちちちちち違うって!そう!きっと誰かがふんばった勢いでぶっ壊しちゃったんだ!きっとそう!」
恐怖のあまり訳のわからぬ事を叫ぶ三人。そこへ。
がたん
さわ子「あなたたち――」
三人「qあwせdrftgyふじこlp!!!!!11!1!!!」
突然声をかけられ、三人は狂ったように悲鳴を上げつつ、トイレから逃げ出した。
さわ子「…?」
律に頼まれて手すりの確認に来たさわ子は、彼女たちの様子に眉をひそめて、ただ呆然としていた。
放課後。
律「ふぇー…一時はどうなるかと思ったぜ…」
一人ぼやきながら音楽室へと向かう律。あの数学の授業以降は、普通に過ごすことが出来た。
頬を叩いて気合いを入れ直した後、律は準備室のドアを開けた。
律「おいーす」
澪「遅いぞ部長さん」
梓「一番最後ですよ…」
律「あは、悪い悪い。ちょっとさわちゃんと話しててさ」
HRが終わった後、廊下を歩いていると急に呼び止められたのだ。
その真剣な面持ちに、律は内心焦った。もしかして、ばれたのか、と。が、彼女の口から飛び出した言葉はあまりにも拍子抜けな物だった。
さわ子『りっちゃん…あなた、ダイエットしなさいね?』
律(…体重かけたら壊れたなんて言い訳、するんじゃなかったな…)
手すりの壊れ具合を見て、さわ子は愕然としたのだろう。
律(普通は疑うだろうけど…アホの子さわちゃんに感謝だな)
紬「そうそう、今日はチーズケーキ1ホール持ってきたの」
唯「わーい!チーズケーキ!チーズケーキ!」
はしゃぐ唯を尻目に、律はいつもの席に着く。
律(ん、待てよ…。チーズケーキ…1ホール…!?)
机の上に、まん丸に焼かれたチーズケーキが置かれた。
律(げっ…!)
皆に悟られないように、律は何気ないそぶりでケーキから目を背ける。
律「…ムギー、紅茶砂糖少なめでよろしくー」
紬「わかったわ」
律(うぅ…ムギ、早く切り分けてくれ…)
紬「さて、あら…ナイフはどこかしら?」
ゆったりとした動作で、紬は切り分けるためのナイフを探す。
なかなか見つからないのか、もたもたしている。
梓「もー…練習しましょうよぉ」
待ちきれないといった面持ちの唯を見て、梓が不満げに呟きを漏らす。
唯「あずにゃんったらぁ。ケーキ食べたいくせにぃ」
梓「そ、それは…そうですけど…」
そうか、練習を先にやれば良いんだ。そのうちにむぎが切ってくれるだろう。
律は鞄からスティックを取り出しながら、ドラムに目をやる。が、
律(う、うおっ!!)
円形の集合体――それがドラムだった。慌てて目をそらす律。
梓「…?どうしたんですか、律先輩。珍しいですね、お茶より先に練習するつもりですか?」
律が机の上に置いたスティックを見て、梓が少し驚いたように訊ねる。
律は引きつった笑みを浮かべて、そんな彼女を見た。
律「はは…言ってくれるねぇ。私が練習熱心だと、そんなにおかしいかい?」
梓「あ、いや、そういう訳じゃなくて――そ、そうだ!ムギ先輩がケーキ切り分けて下さるまで、ちょっと合わせてみませんか!?私、新曲あやふやなところがあって」
上手くごまかした梓の提案に、律は喜ぶべきか悲しむべきかわからなかった。
とにかく、ここで返答に詰まっては怪しまれる。
律「んー、別にいいぞ!じゃ、やるか!」
澪「ほぉ…珍しく律が部長らしく見えるな」
律「お前ら、ホント失礼だな…。私だって見えないとこで頑張ってるんだぞ…」
律(梓の演奏に集中しよう…。ドラムからは出来るだけ視線を外すんだ…)
梓「――あっ…また間違えちゃった…。このパート難しいんですよね…」
律「んじゃ、ここ繰り返しやってみるか」
できるだけ平然を装って、律はスティックを握りなおす。
驚くほど手汗が出ていて、ドラムを叩いている内に滑って飛んでいきそうだった。
唯は頬杖をついて机の上のチーズケーキを眺めていたが、待ちきれなくなって、紬を振り返って急かした。
唯「ムギちゃ~ん…まだナイフ見つからないの?――ムギちゃん?」
ナイフを探していた紬は、いつの間にか手を止めて、練習に努める律と梓を見つめていた。
声をかけられて、びくんと肩を振るわせると、紬は慌てて棚を漁る。
紬「ご、ごめんなさい、ぼーっとしてたわ…。えーっと、確かこのへんに…あった!ごめんね、唯ちゃん。待たせちゃって」
唯「ううん。私もごめんね。何だか急かしちゃってさ」
ようやく見つけたナイフで、紬はチーズケーキを丁寧に切り分けていく。
澪「二人共、ケーキ切れたぞ」
律「あいよ~。じゃあ、あと一回だけやってお茶にしようぜ」
梓「はい!」
律の練習熱心な姿が嬉しいのか、梓が満面の笑みで頷く。
律(私って、そんなに練習サボってるように思われてるのか…?)
落胆しながらスティックを構える律。
自分でも知らないうちに結構ショックを受けていたようで、すっかり気をつけなければいけないことを忘れていた。
律「あ」
思いっきりドラムの円形が目に入る。律は慌てて全身に力を込めた。
律(ちくしょう!忘れてた!!)
わき上がるものとの葛藤が始まる。
梓「…律先輩?始めないんですか?」
カウントを取るためにスティックを構えたままの姿勢で固まる律を見て、梓が不思議そうに首をかしげる。
律「あ、あぁ…いくぞ」
怪しまれないためにも、律はそのまま無理矢理演奏に入った。
体を走るざわめきを押さえ込みながらの演奏は、いつもより力が入ってしまい、つい走りがちになってしまう。
澪「おい律。また走ってるぞ。肩の力抜いた方がいいんじゃないか?」
律(無理です澪さん…)
紅茶をすする澪の助言に応えることも出来ない。
ざわめきが、体を徐々に支配してくる。まずい。押さえきれない。
律「…っ…」
バキッ!!
力を込めすぎたのだろう。スティックが、握ったところで真っ二つにへし折れた。
梓「わっ!だ、大丈夫ですか?律先輩!」
乾いた音に驚き、梓が演奏を中断して振り返る。
額が冷や汗だらだらなのを悟られぬよう、袖でおでこを拭いながら律は笑った。
律「あちゃ~…寿命がきてたのかな…。これじゃ練習になんないよ…。ごめんな、梓」
立ち上がって、律は鞄を引っ掴み、皆を振り返った。
律「みんなもごめん!新しいスティック買いに行くから、私先帰るわ!じゃな!」
急いで部室を飛び出す律。皆はその背中を、何も言い返せずに見送った。
唯「あ…チーズケーキ食べていけばよかったのに」
紬「しょうがないわ。りっちゃんの分は、唯ちゃんが食べてあげて」
唯「うわーい!りっちゃん隊員…あなたの遺した物、決して無駄にはしませんぞ!」
澪「何言ってるんだ…」
部室を出た瞬間、腕と足に体毛が現れた。
律「うお…危なかったぁ…」
とりあえず、最悪の状況は避けることが出来た。後は、誰にも見つからないように変身を解かなければ。
他の生徒も部活中で、廊下に人気はない。
律(またトイレにでもこもるか)
律は階段を一気に飛び降りると、素早くトイレに駆け込んだ。
律「おぉ…すげぇ…」
身体能力の変化に、自分でもビックリする。
律「さて、と…」
例のごとく、律は一番奥の個室に入り、念じることに努めた。
その後、変身を解いた律は、早めに学校を出て、いつもの楽器屋で新しいスティックを購入し、帰宅した。
聡「あ、おかえり、姉ちゃ――」
庭でサッカーボールをリフティングしていた聡が出迎える。
律「あああああぁいっ!!」
聡「ちょおおお!」
彼が目に入った瞬間、律は地を蹴って駆け、思い切りサッカーボールを蹴っ飛ばした。
車庫の隅に固めてあった、積まれた本やダンボールの中にそれはつっ込み、埃を舞い上げて隠れてしまった。
律「…ふぅ…」
聡「…もうすっかり円形恐怖症だね…」
成し遂げた笑みを浮かべて汗を拭う姉を見て、聡はため息をついた。
律「今日は大変だったぜ…。ちょっと丸っぽいもの見ただけで、すぐ体が反応しちゃうんだもん」
リビングでぐったりと横になる律。その隣でアイスをくわえながら、聡は話を聞いていた。
聡「へぇ…。ま、まさか授業中に変身したりしてないよね?」
律「何回かやばいのがあってさ」
体を起こして、律は参ったように頭を掻く。
律「数学の時間に円の問題あてられるし、部活では目の前に丸いケーキ置かれるし、ドラムは円の集合体だし…」
聡「うわぁ…。大丈夫だったの?」
律「ぎりぎりで。しっかしどうすっかな…。こうも簡単に体が反応しちゃ、そのうちボロが出そうだぜ」
聡「じゃあさ!昨日みたいに特訓しようよ、毎日!今度は押さえ込む練習だけじゃなくて、簡単に変身しないようにさ!」
律「聡…お前なんか楽しそうだな」
聡「えへへ…そりゃだって…面白いじゃん」
律「こいつぅ…人の苦労も知らないで…この!」
律は聡の首に腕を回すと、チョークスリーパーをかける。
聡「わー!ごめんなさい!!ギブギブ!」
律「…ま、やらないよりはマシだろうしな…。よし!お母さん達が帰ってくるまで、ちょっと付き合ってよ」
律「ぐるるるるるぅ~…」
聡「――何で風船見ただけで変身しちゃうのさ…」
頭を抱えて呻る狼化した律を見て、聡が呆れたようにぼやく。
律「あのな、私だってなりたくてなってるんじゃないんだぞ。何で変身しちゃうかって?そこに丸い物があるからさ」
聡「なにかっこつけてるの…」
自分がふくらませた風船ををまじまじと眺めながら、聡は頭を掻く。
聡「丸だと思うから駄目なんじゃないかな。ほら、これは…えーっと…そう!いびつな形をしたよくわからない物だよ!」
律「えー…そんな簡単に済むものなのかな…」
聡「だってさ、実際変身しちゃった後も、戻りたいって思えば気合いですぐに戻れるんだろ?ようは気の持ち様だって!」
律「んーまぁ確かにそうだけど…」
聡「せめて、綺麗な円形をしてない物は見ても大丈夫になりたいよね」
風船を放り捨て、後ろを振り返る聡。
彼の背後には、様々な円形の物体が並んでいた。
律「……」
律はふわふわと宙を舞う風船を目掛けて腕を振るう。爪が薄いゴム膜をすっぱりと裂き、破裂音が響いた。
聡「うわっ!!?ちょ、ビックリさせないでよ!」
律「ん、悪い悪い」
律(力のセーブの仕方も、ちゃんと特訓しといた方がよさそうだな…)
恐ろしく鋭い爪と、扉に空いた穴を交互に見つめ、律は小さくため息を吐いた。
翌日、律はたびたび危ない場面に出くわしたが、先日とは違い余裕を持って乗り越えることができるようになっていた。
先生1「んじゃ田井中。昨日あたってたとこ、やってくれるか」
律「は~い」
律(わざといびつな形に描いてっと…)
律「できました」
先生1「おぉう…まぁあってるっちゃあってるが…汚い円だな」
律「答えが合ってればそれで良いんですよ!」
紬「りっちゃん、昨日ケーキ食べさせてあげられなくてごめんね。お詫びにマカロン持ってきたの」
律「ん?あ、あぁ、そんな気使わなくてもよかったのに!私が勝手に帰っちゃったんだし」
律(ピントをずらせば、なんとかいけるな…)
紬「でも、私がちゃんとナイフ用意してなかったせいだし…もらってくれる?」
律「…それじゃ、お言葉に甘えていただこうかな。でも、ホントそんなの気にしなくていいからさ」ヒョイパク
律「お!うめぇ!!ありがとな、ムギ!」
紬「……」
律「…どした、ムギ?私の顔、何か付いてるか?」
紬「え、あ、ううん。ごめんなさい、ぼーっとしてたわ」
部活中もボロを出すことなく、いたって普通に過ごすことが出来た。
帰宅後は両親が帰ってくるまで聡と共に特訓に努める。
そんな毎晩の特訓のおかげもあってか、ようやく律はこの体での生活に慣れ始めていた。
焦点を外すことで、少しぐらいなら丸い物を見ても大丈夫。
たとえはっきり見てしまっても、一瞬なら変身を押さえ込むことも出来る。
律(でも、結局何でこんな体になっちゃったのかはわからずじまいなんだよなぁ)
原因がわからない限り、普通の体に戻ることは無理だろう。
律(ま、この調子だとこの体でも今まで通りにできそうだけど…)
そんなこんなで、誰にもばれずにいつも通りの生活を送り始めていた、ある日のことだった。
律「いっつ…!」
部活中、楽譜の整理をしていた律は、指に走った鋭い痛みに危うくそれをばらまきそうになった。
律「あいた~…指切っちゃったよ…」
唯「え?うわ、ほんとだ…痛そ~…」
律の人差し指を真一文字に走る、小さな切り傷。そこからじわりと血が滲む。
律(…そうだっ)
律「――なぁ澪、指切っちゃったんだけど」
些細な悪戯心が芽生え、痛い話が駄目な澪に律は話題を振る。
いつもなら澪は耳を押さえ、悲鳴を上げながら飛んで逃げるだろう。ところが、
澪「……」
律「…み、澪さん?」
あろう事か、彼女はいつの間にか傍に来ていて、じっと律の指を見つめていた。
律「え、な、何?どうしちゃったんだよ?澪って、血とか駄目だっただろ?」
澪「……」
無言で傷を眺める澪の様子にまごつき、律は手を引っ込めようとした。
しかし、澪はその腕を掴むと、自分の顔の前に律の手を持ってきた。
律「い、いてぇ!腕が変な方向に曲がっちゃうって!おい澪!!」
いつもの澪らしからぬ行為に、唯も紬も梓も、ポカンとしながら菓子をつまむ。
しばらく澪は律の指を眺めていた。そして――
律「――…なっ!!?」
澪は、無言のまま律の指をくわえ込んだ。
紅茶を口にしていた梓が、顔を真っ赤にして思い切りそれをぶちまけた。
状況が理解できず目が点状態の唯と、二人をガン見たまま固まっているの紬にも、紅茶の雨がかかる。
律「な、ななな…っ…ちょ、ちょっと、澪!!」
赤く火照った顔に焦りを浮かべ、律はもう片方の手で澪の体を揺さぶる。
澪「ん…は、あれ?」
ずっと律の指をくわえていた澪は、ハッとしたように顔を上げた。
律「お、おい澪…一体どうしたんだよ?」
まだ澪の舌の感触が残る指をちらりと見て、律は顔を赤らめたまま眉をひそめる。
澪「え?何が?」
律「何がって…!その、きゅ、急に私の指…舐めだして…」
澪「…は?」
澪「私が?」
律「…」コク
澪「舐めた?」
律「う、うん…」
澪「律の指を…?」
律「そうだよっ!!恥ずかしいんだから、いちいち聞くなよ!!ってか、何で――」カアァ
澪「……!!」カァッ
律と同様に赤くなって、澪は無言で鞄を引っ掴むと踵を返した。
いいねえ
75:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:42:48.39:HPL6B5VRO澪「先帰る!」
律「え!?いや、ちょっと!澪!!」
逃げるように部室から立ち去る澪。律は困惑の表情を浮かべ、ただ彼女を見送ることしかできなかった。
唯「どうしたんだろ、澪ちゃん。変だよね、自分からやっておいて照れちゃうなんて」
梓「無自覚の内に体が動いてた、とか…」
梓が派手にぶちまけた紅茶を拭くのを尻目に、紬は真剣な面持ちで澪が出て行った扉を見つめていた。
紬「――まさか…」
律「…むぎ?」
紬「えっ?いや、澪ちゃん大丈夫かなぁ…」
すぐにいつも通りの笑みを浮かべ、顔に付いた紅茶を拭う紬を見て、律は首をかしげた。
澪(私が律の指を舐めた…?)
澪(自覚無いけど…あの空気は嘘付いてる雰囲気じゃなかったよな)
早足で学校を出ながら、澪はずっと悶々としていた。
知らぬ間に体が動いていて、気付いたら真っ赤な顔をした律が自分を見つめていたのだ。
律の指を舐めた覚えはない。
澪(……)ボッ
澪「は、恥ずかしい…」
自分で考えておいて恥ずかしくなった澪は、顔から湯気が出る思いをしながらそそくさと帰路についた。
翌日。
澪(なんでだろ…やけに目がさえて、なかなか眠れなかった…)
雲ひとつない空から照りつけるさわやかな朝日を浴びながら、澪はぼーっとする頭で学校へと向かう。
寝不足のせいか、やけに頭がガンガンするし、日差しが肌に刺さるようにちくちくする。
澪(それになんだか――すごく喉が渇く…)
時折顔を覗かせる堪え様のないこの喉の渇きは、何杯水を飲んでも消えることはなかった。
澪(風邪気味なのかな…)
ふらふらする頭を軽く振って、澪は校門をくぐった。
校舎に入ると、ずっと澪の頭を支配していたもやもやとした気持ち悪さはすっと引いていき、体調もだいぶよくなった。
澪(あれ…一体なんだったんだろ…?)
和「澪、おはよう」
背後から声をかけられて、澪は振り返る。和が靴箱から上履きを取り出しながら微笑んでいた。
澪「え、あぁ和。おはよう」
和「…?どうしたの?あまり顔色が良くないみたいだけど」
澪「やっぱりそうかな?何か、朝から調子悪くて…」
和「そう…。そういえば、昨日唯も澪の様子がおかしいって心配してたわ。無理しちゃ駄目よ」
澪「唯が?」
澪(あぁ…昨日のあれか…)
思い出しただけで、また顔が熱くなる。急に真っ赤になった澪を見て、和が心配げに表情を曇らせた。
和「だ、大丈夫?熱あるんじゃない?」
澪「だだだ、大丈夫大丈夫!さ、早く教室に行こう!HR始まっちゃう」
慌てて和から顔をそらし、澪は教室へと向かう。
程なくして授業が始まったが、朝感じていた頭痛などはすっかり収まっていた。
再び体に違和感を感じたのは、午後の授業を受けているときだった。
先生2「――次にこの文は――(ふっ…この時間をずっと待っていたよ。愛しの秋山のクラス…。最高だ)」
高くのぼった太陽からは、温かい日差しが教室の中に差し込んでくる。
窓際の席に座った澪は、開いた窓から流れ込む風に心地よさを感じるも、朝と同じ体の違和感に頭を抱えていた。
澪(ん…なんか、頭が痛い…)
澪はずきずきとする頭を押さえ、重い息を吐いた。
先生2「…つまりここには所有代名詞のmineが――(ため息をつく秋山の憂鬱げな表情も美しいなぁ。ハァハァ)」
和「先生。その文の日本語訳、”その秋山は私の物です”になってますよ」
先生2「ん?お、おぉ…。す、すまない、次、秋山を当てようと思ってたんだ。それじゃ秋山、この文を――」ドキドキ
先生2は顔を上げ、澪が珍しく授業中に机に突っ伏しているのを見て固まった。
先生2「お、おい秋山!!どうした、気分が悪いのか!?」
澪「え…えっと、あの…はぁ…」
ガンガンとこめかみを殴られているような頭痛と、照り付けてくる日差しが鬱陶しくて、澪はやつれた顔で先生を見やる。
和「澪…酷い顔してるわよ…。保健室、ついて行こうか?」
澪「え、でも…授業が…」
先生2「無理をしてはいけないぞ秋山!抜けたところは私が後で個人授業してやるから、早く行きなさい!」ハァハァ
澪「えっと、それは大丈夫です…。自分で復習しますから…」
和「じゃ、行こう?」
絶望に打ちひしがれた面持ちの先生2を尻目に、澪は和と共に教室を出た。
先生2ざまああああ
85:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:50:56.19:HPL6B5VRO放課後。
ベッドで一眠りしてだいぶ楽になった澪は、とりあえず部活に顔を出すことにした。
澪「おす」
準備室に入った澪を出迎えたのは、心配そうに表情を曇らせた律だった。
律「澪!和から聞いたぞ!大丈夫なのか!?」
澪「り、律…」
慌てて駆け寄ってくる律を見て胸が熱くなると同時に、昨日の出来事を思い出して顔も熱くなる。
律「お、おい…やっぱ熱あるんじゃないか?」
澪「いや、その、もう平気だけど…昨日さ…」
律「あー…あれな。もう気にすんなって」
ぽんぽん、と背中をたたいて澪を机に促す律。唯と梓も心配げな表情で澪を見ていた。
唯「びっくりしたよ…あの澪ちゃんが、授業欠課するなんてさ。もう大丈夫なの?」
澪「うん、平気。ごめん、心配かけて」
梓「疲れたときは、無理せず休むのが一番ですよ」
優しく声をかけてくれる皆に、澪は小さく微笑む。
紬「待っててね、澪ちゃん。すぐにお茶とケーキを用意するわ」
紬が紅茶を入れながら、澪を振り返った。
皆、全然昨日のことを気にしてはいないようだ。
澪(私一人テンパッちゃって…恥ずかしいな)
澪は自分の髪をきゅっと握り締め、小さくなった。と、その時。
紬「あっ…!!」
紬が小さく悲鳴を上げ、床にナイフが転がった。
皆、驚いて彼女を振り返る。紬は片手を押さえて蹲っていた。
紬「あいたたた…」
律「大丈夫か!?むぎ」
紬「大丈夫、心配かけてごめんなさい…。ちょっと手元が狂って、ナイフで切っちゃった…」
律「大丈夫じゃないじゃん…。見せてみ」
紬の手を取りのぞき込む律。傷は深くなかったが少し大きく、血が流れ出していた。
さすがの律も、少し目を背けたくなる。
律「うわ…こりゃ保健室行った方が良いよ」
梓「大丈夫ですか、むぎ先輩!」
唯「む、むぎちゃ――」
唯の言葉は、急に椅子を蹴るように立ち上がった澪に驚かされて、そこで止まった。
律「澪…?」
怪訝な表情をする律の横でしゃがみ、澪は紬の手を――そこから滴る赤い血を見つめる。
澪は律から紬の手を奪い取ると、無言のまま、彼女の傷に口をつけた。
唯「!!」
梓「!?」
律「うぇっ!?ちょ、澪!!」
慌てて引き離そうと、律が澪の肩に手をかける。が、澪は紬の手に口付けたまま動かない。
律「澪よせって――」
澪に声をかけながら、肩に置いた手に力を入れる律は、ちらりと紬に目をやる。
律「…?」
紬は自分の手を無我夢中で舐める澪を、無言で眺めていた。
だが、彼女の顔は、驚いて放心しているというよりも、どこか観察をしているような…そんな感じがした。
紬「…っ。み、澪ちゃん!!どうしたの!?」
少し間をおいて、紬がハッとした様に澪の口から強引に手を離す。
澪「…あ、わ、私…」
今度は少し自覚があったのだろうか。何か取り返しのつかないことをしたかのような蒼白な顔で、澪は紬を見た。
紬「大丈夫?澪ちゃん…やっぱり疲れてるんじゃ…」
澪「う、いや…私、何でこんな…」
律「澪、とりあえず落ち着けって」
涙目になって震える澪の手をとり、律は小さく語りかける。
澪はその律の手を、きつく握り返す。よっぽど自分の異変を怖がっているのか、すごい力だ。
律(いつつ…)
律「唯、むぎを保健室に連れて行ってやってくれ」
唯「あ、う、うん!」
律と澪、梓の三人だけになった音楽室で、澪は律の手を握り締めたまま、ただ震えていた。
律「…どうしちゃったんだよ、澪」
澪「うぅ…わかんない」
梓「……」
静寂が、重く三人にのしかかる。
澪の握力はかなり強くて、律は手の痺れる様な痛みに彼女の手を振り払ってしまいそうになった。だが、
律(ここで澪の手を払ったら、澪は立ち直れないだろうな…)
親友のために、律はばれないように歯を食いしばって我慢する。
と、澪は黙ったまま律から手を離すと、ふらふらと鞄を手にした。
澪「ごめん、今日も…先に帰るな」
律「澪…」
梓「…ゆっくり休んでくださいね」
何も言わずに出て行く澪の背中にかけてやる言葉が見つからず、律は居た堪れない思いで彼女を見送ることしかできなかった。
さらに翌日。
終わりのHRの前、律は教室の机に座って、ぼんやりと窓の外の空を眺めていた。
律(澪…一体どうしたんだろ…?)
ちらり、と自分の右手を一瞥する。
昨日澪に握られていたその手は、少し痣ができていた。
いくらなんでも、握力が強すぎるような気もする。
律「…まさかな…」
ぽつりと呟き、その痣を指でなぞる律。と、
唯「何がまさかなの?りっちゃん」
律「うおおおおぃ!!?」
突如声をかけられ、律は椅子をひっくり返しそうになるほど驚いた。
机の向かい側に立っている唯も、驚いて目をぱちくりさせている。まったく気付かなかった。
律「び、びっくりした…。唯、いつの間にいたんだよ?」
唯「いつの間にって…失礼だなぁ。もうちょっと前からいたよ!りっちゃんが珍しく憂鬱げな顔してたから、声かけるの我慢してたのに」
ぶぅと頬を膨らませて唯は不機嫌そうにぼやく。
唯「むぎちゃん、部活ちょっと遅れるって」
律「ん、そうか。あれ?HRの前なのに、どこ行ったんだ?」
唯「わかんない。伝言だけお願いされたんだ」
律「そっか…。でも、良かったよな、むぎ。あんまり酷い怪我じゃなくてさ」
唯「うん…。澪ちゃんといい、むぎちゃんといい、大丈夫かな?」
肩をすくめる唯。律も小さく頷いた。確かに二人とも、最近少し様子がおかしい。
律「悩み事を無理に聞き出すのも悪いからな…。向こうから相談してくれるのを待ってようぜ」
担任が教室に入ってくる。唯はあわてて自分の席へと戻っていった。
澪(部活…どうしようかな…)
HRと掃除を終え、澪は教室で鞄を手にしたままぼーっとしていた。
昨日と一昨日のこともあり、部活に顔を出すのが少し憂鬱になっていた。
とりあえず教室を出て、ゆっくりとした足取りで部室へと向かう澪。と、
紬「澪ちゃん」
後ろから声を投げかけられ、澪は振り返る。紬が、真剣な面持ちで立っていた。
紬「…ちょっと、話があるんだけど…付き合ってもらえる?」
正直昨日のこともあって、紬とは二人きりになりたくないのが澪の本音だった。
だが、紬がこんなにも真剣な表情をしているのを見るのは初めてだった澪は、断るのを躊躇った。
澪「…うん、いいよ」
しばらくの沈黙の後、澪はしっかりと紬の方を向いて頷いた。
一方部室では。
梓「こんにちはー」
律「おーっす」
扉を閉めながら、梓は小首をかしげた。
梓「あれ?まだ律先輩しか来てないんですか?」
唯「失礼な!私もいるよ!」
ホワイトボードの影から身を乗り出して、唯は機嫌が悪そうに言う。
梓「わっ!す、すみません…全然気がつきませんでした」
唯「――私今日そんなに影が薄いかなぁ…」
紬の代わりに紅茶を入れようとしていた唯は、ポットを手にしたまま涙目になった。
婆さんや尻尾と狼耳の生えたりっちゃんはまだかいのう?
100:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:04:04.29:HPL6B5VRO澪「…こんな所で話すのか?」
紬に連れられて校舎裏へとやって来た澪は、怪訝な表情を浮かべる。
紬はやはり真剣な表情のままで、いつも浮かべている笑みのかけらも見せずに頷いた。
紬「あまり…人に聞かれたくない話だから…」
澪「それって…もしかして、昨日のこと関係してる?」
紬「――えぇ。澪ちゃんの体に起きている、異変にもね…」
思いがけぬ言葉に澪は驚き、問い質そうと口を開きかけたが、用務員が台車を押しながら傍を通ったので、彼女は慌てて口をつぐんだ。
澪「…それって、どういうことなんだ?」
ちらりと横目で用務員の姿を追いながら、澪は小さく問う。
視界の端に映った紬の表情が、曇ったような気がした。
紬「ごめんね、澪ちゃん」
和「あら…澪とムギ…」
生徒会長に頼まれ照明の点検に校舎裏に来ていた和は、遠くに二人の姿を認めた。
和(こんなところで何を――)
声をかけようと、二人に向かって歩き出しつつ口を開く。が、
和「…!!?」
驚愕の光景に、和は口をつぐんで立ち止まった。
紬が澪に手を伸ばしたかと思うと、突然澪がその場に崩れ落ちたのだ。
一瞬走った閃光で、紬がスタンガンを使ったのだと和は理解した。
慌てて傍にあった物置の影に和は身を隠す。
和(何…一体どういうことよ…!?)
紬「……」
ぐったりとした澪を、見下ろす紬。喉の奥が、つんとする。
紬はその場に跪くと、無言で澪を抱きしめた。その横に、先ほどの用務員が台車と共に戻ってくる。
古びた帽子を取って、紬に愁いを帯びた瞳を向けたのは、彼女の執事である斉藤だった。
斉藤「お嬢様…本当によろしいのですね?」
紬「…連れて行きなさい。お父様には私が連絡する。しばらくしたらあの人達も来るでしょうから、その後は全部あちらに任せて」
斉藤「…かしこまりました」
斉藤は台車に澪を乗せ、カバーをかぶせると、裏口へと向かう。
紬はしばらくその後ろ姿を眺めていたが、弱々しい足取りで、音楽室へと向かった。
紬「ごめんなさい、遅くなっちゃった」
偽りの笑顔と共に、部室へと入る紬。
律「…どこ行ってたんだよむぎ!遅いぞぉ!」
唯「…やっぱ紅茶はむぎちゃんが入れないとおいしくないよ!」
梓「唯先輩、派手にお茶っ葉ぶちまけてましたもんね…」
変わらぬ笑顔の仲間達が出迎えてくれ、紬は胸の奥が抉られる感覚を覚えた。
ただ、どこか…何かいつもとは違う空気が、音楽室を流れているような気もした。
紬「ごめんね、唯ちゃん。すぐにおいしいお茶入れるから」
鞄を置き、紬は茶菓子の準備に取りかかる。
と、律が大きくのびをしてから、ふいに口を開いた。
律「むぎ…澪、どこにいるか知らないか?何も聞いてないんだけど、まだ来てないんだ」
心臓が跳ね上がる。紬は振り返らずにティーセットを用意しながら返事を返す。
紬「…わからないけど、たぶん帰ったんじゃないかしら?最近、様子がおかしかったし…疲れてるのかもしれないし」
そう言い終わった紬は視界の端に、唯がこっちを見るのをかすかに捉えた。
一瞬伺えたその表情は、酷く悲しげな表情だったように思えた。
紬(…え…)
律「むぎ…」
紬「えっ、な、何?りっちゃん?」
律が静かに立ち上がる。振り返った紬が見たのは、悲しげな律の表情だった。
律「――嘘はやめるんだ」
紬「え――…」
扉が閉まる音がして、入り口の方を見ると、さわ子と和がそこにいた。
和「…澪をどうするつもりなの、紬…?」
眼鏡の奥から鋭い視線が紬に投げられる。紬は引きつった笑顔を彼女に向けた。
紬「えっと…どうするって、どういうこと?」
梓「むぎ先輩…無駄ですよ、とぼけるのは…」
震える声に、紬は梓を見る。潤んだ瞳が自分を見つめていた。
唯「むぎちゃん…正直に答えてよ。澪ちゃんを、どこにつれていくの…?」
今にも泣き出しそうな顔の唯が口を開く。
紬は何も言えず、震える足で立つのが精一杯だった。ちらり、と和の顔を見る。
和「全部…見てたわ」
そうか。そういうことだったのか。
紬は観念したかのように項垂れ、その場にへたり込んだ。
紬「――ごめんなさい…っ」
消え入りそうな声で謝罪を述べる紬。震える彼女に、さわ子が歩み寄った。
さわ子「残念だけど、謝るだけじゃ済まされないことをあなたはしたのよ。ちゃんと説明してくれるかしら…?」
紬「…はい…」
唇を噛んで少し黙った後、紬は絞り出すように小さく言い放った。
紬「私は…軽音部のみんなを…実験台にしたんです…」
唯「ふぇっ…!?何、実験台…?」
澪の話をするのかと思いきや予期せぬ言葉が飛び出して、唯は眉をひそめた。思い当たる節のあった律は、ただ黙っていた。
今にも澪を助けに行きたかったが、状況がよくわからぬうちに動くのは不安だった。
紬「お父様が、ある製薬会社の博士と契約を行ってから――奇妙な薬の開発に興味を持ち始めたんです」
紬「最初は私、変だ、やめてって、抗議したんです…。だけど、なんだかお父様…どんどん怖くなってきて…逆らえなくなって…」
沢庵についてる眉毛みたいな沢庵引っぺがせ
116:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:21:54.24:bf/wIIPe0ムギはゲル状の生き物になれ
117:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:27:13.47:HPL6B5VRO紬「ある日、急にお父様が私に出来上がった薬を渡してきたんです。そして…それを軽音部に持って行く茶菓子の中に入れろ、と命令してきました」
紬「薬は人数分あって、数日毎に一人ずつ飲ませろと…。様子を観察し、報告することも命じられました。…もう私は、お父様の言いなりになるしかできませんでした」
紬「お父様…本当に怖くて…どうしたらいいか、わからなくて…」
紬「言われた通り、数日毎にお菓子に薬を混ぜて出しました。最初は唯ちゃん、次にりっちゃん、梓ちゃん、そして澪ちゃん…」
梓「く、薬って…どういう物なんですか!?」
口を押さえて梓が訊ねる。それもそうだ。知らぬ間に奇妙な物を飲まされていたなんて知ると、不安で仕方ないだろう。
紬「お父様が知り合った博士は、空想の生物を実現させるのが夢の、変わった人でした」
紬「彼がお父様に研究させていたのは…人をその類の物に変化させる物だったと思います。それ以外は別に副作用もない」
紬「でも、効果が現れる確率は低かった。事実、三人は別段何ともなかったでしょ?」
自分の手をまじまじと見つめたり、頬をつねったりする唯。梓も安心したかのように胸をなで下ろした。
律は、やはりただ黙っていた。
紬「でも、澪ちゃんは違った。薬をお菓子に混ぜた次の日から、様子がおかしかったわ。体調を崩したのはおそらく日光が原因で、あれだけ苦手だった血を見ても、それを舐めに行ったりして――」
梓「ま、まさか…澪先輩が飲んだのって…」
紬「えぇ…吸血鬼になる薬よ」
身震いする梓。小さく息を吐いて、律は紬に向き直った。
律「大体の状況はわかった。そろそろ教えてくれ、むぎ。…澪をどうするつもりなんだ?今澪は、どこにいるんだ?」
早く、助けに行かねば。逸る気持ちを抑え、冷静に問う。
紬「澪ちゃんは…お父様の実験助手に連れられて、私の家の傍にある古い研究所に向かっているわ」
紬「外から見たらただの廃墟だけど…地下を改造して、実験室を新たに作っているの」
紬「澪ちゃん、常識を越えた新薬の研究のための重要なサンプルだもの…。きっと、お父様…酷いことすると思う…」
律の全身に悪寒が走った。静かな怒りを秘めた瞳で紬を睨みそうになるが、一度それを閉ざし、歯を軋ませる。
諸悪の根源は紬の父だ。紬にも罪はあるが…彼女も好きでやった訳じゃない。恨むのは間違っている。
律「それは…澪が、実験のモルモットにされるってことか…?」
目を閉じ、俯いたまま、小さく律は訊ねた。
その言葉を聞いた瞬間、紬は堰を切ったように泣き出した。
紬「ごめんなさい!ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…ごめん、なさい…!!」
泣き叫ぶ紬を見つめ、律は決心したように夕日で染まった橙色の窓の外を見た。
皆の前で、あの姿をさらすのは嫌だったが…そんなことを言っている場合ではない。
律「――澪を助けに行く」
紬「無理よ…。うぅ…私の家…ここから遠いし…研究所の中には、登録された人しか入れないの…。車で行ってもっ間に合うかどうか…ぐすっ…」
律「間に合うよ――」
律は自分のドラムを見つめた。円形を描いた部分に、焦点を合わせる。
ざわ…
もはや慣れてしまったざわめきが、背筋を駆けていく。
獣のような鋭い瞳をあまり見られたくなくて、カチューシャを取って、机の上に置く。
皆が息を飲むのが、見なくてもわかった。
半狼人間と化した自分を見て涙の溢れる目を見開く紬に、律は薄く微笑んだ。
律「――今の私なら…」
りっちゃんマジイケメン
126:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:33:33.20:HPL6B5VRO唯「りっ…ちゃん?え、えええええぇ!?」
梓「」
和「凄い…」
紬「…りっちゃん、狼人間の薬…効いていたの…!?」
さわ子(狼人間、か…。耳としっぽがないのが惜しいわね…そうだ、今度作ってry)
呆然とする皆に、律は困った笑顔を向ける。
律「人前で簡単に変身しちゃわないように家で何度も訓練したからな。それが裏目に出ちゃったか…」
きつく拳を握る。手のひらに、鋭い爪が食い込んだ。
律「薬が効いてるってばれてたら、私が澪の代わりになれたのに…」
悔しげに呟きながら、律は窓の傍に行き、開く。
夕暮れの涼しい風が、夕焼けを浴びて黄金に輝く律の毛をさわさわと揺らした。
律「研究所はむぎの家から近いんだな?」
紬「そうだけど…本当に行くの?りっちゃん、澪ちゃんより薬の効き目が出てるから…逆に研究対象にされちゃうかも――」
律「澪がやばいかもしれないのに、大人しくしてろっていうのか?そんなの無理だよ」
がっ、と窓の縁に足をかける。それを見て、唯が驚愕の声を上げた。
唯「ちょ、りっちゃん!?窓から行くの!?ここ三階――」
律「――待ってろ澪」
唯の言葉を聞き流し、律は朱い空へと跳んだ。
唯「り、りっちゃあああん!!」
梓「律先輩!!」
唯と梓が窓から身を乗り出して叫んだ。
律は空中で身を翻し、着地と同時に疾走する。
まさに疾風のごとく、律はあっという間に姿を消した。
エリ「な、なんか今校舎から人が落ちたように見えたんだけど…」
アカネ「なにそれこわい。見間違えでしょ――」
立ち話をしていた二人の間を、風が吹き抜ける。
エリ「きゃ…」
アカネ「凄い風ね…」
今までずっとため込んできた力が爆発するかのようだ。面白いぐらいに体が動く。
律は風のように不可視の存在となって翔けた。
学校を出、家々の屋根の上に跳び、ただひたすら紬の家の方角へと走る。
薄暗くなりかけてきた橙の空に、うっすらと月が姿を現し始めていた。
ぽかーんとしていた唯は、ハッと我に返ると、慌てて皆を振り返った。
唯「りっちゃんを追おうよ!!」
梓「当然――…いや、でも…むぎ先輩は…」
律が飛び出していった窓をじっと見つめていた紬は、一度目を伏せ息をつくと、決心した面持ちになった。
紬「私も行くわ…。りっちゃんのあの覚悟を見たら…私も自分の行動にけじめを付けなきゃいけないって…そう思えたから」
和「私も行くわ。澪はもちろんだけど…律も無茶しそうで心配だし」
さわ子「よぅし!そういうことなら任せなさい!!私が車でかっ飛ばしてあげるから!!」
さわ子(唯ちゃんと梓ちゃんからはりっちゃんのスカートの中丸見えだったと思うけど、問い質している暇はなさそうね…。残念だわ…スパッツだったのかしら、縞パンだったのかしら、いやはやry)
唯「さっすがさわちゃん先生!頼りになる!!」
梓「先生!お願いします!!」
がくがくと揺さぶられる感覚に、澪はゆっくりと目を開いた。
辺りは薄暗くて、体は何故か痺れていてなかなか動かせない。
だんだん頭がさえてくると、自分が車に乗っているということにようやく気付くことが出来た。
澪(え…私、何で…)
澪「…っふ…む…!?」
澪(猿轡!?っていうか…体が縛られてる!?)
黒服1「なんだ、目を覚ましたのか…」
黒服2「もう少し寝ていてもらいたかったな」
澪(だ、誰…この人達…。何が…何があったんだっけ…)
未だにぼんやりとしている頭で、必死に記憶を呼び起こす。だが、車にはかなりの人数の黒服を着た男達が乗っていて、恐怖のせいでなかなか思考を巡らすことに集中できない。
黒服3「まだ着かんのか」
黒服1「仕方ないだろう…。あの高校からじゃ、電車でも時間かかるんだから」
澪(どういうことなんだ…?私、どこに連れて行かれるの…!?)
恐怖と不安がない交ぜになった澪の脳内に、ようやく記憶が戻ってくる。
澪(そうだ…私、むぎに…!!)
意識が吹き飛ぶ前に目に焼き付いた、紬の憂鬱げな表情が蘇る。
澪(むぎ…どうして…一体私を、どうするつもりなんだ…?)
澪は小さく呻いてもがいたが、横に座っている屈強な男に一睨みされ、どうしようもなくすぐに大人しくなった。
それから、どれぐらい車の振動に揺すられていただろうか。
黒服1「ふぅ…ようやく到着だ…」
黒服2「意外に時間がかかったな…」
黒服1「早く連れて行くぞ」
澪は男達に連れられ車を出る。目の前に、廃墟のようにぼろぼろの建物があった。
暴れて逃げようにも、三人もの男達に体を掴まれている上、体はロープでぐるぐる巻きだ。
きっと逃げ切ることは不可能だろう。
しかも、自分たちが乗っていた車の後ろにも、まだ数台同じような車が並んで止まっていて、そこから大勢に黒服の男達が降りてくる。
澪(……)
澪は為す術もなく諦めたように歩き出しながら、猿轡を噛みしめた。
廃墟のドアを、男の一人が開ける。
エントランスのような広い部屋には、ぼろぼろになったソファや、枯れ果てた植木鉢が放置されていた。
天井には穴が開き、すでに暗くなった外が丸見えだ。
しかし、そんなボロ部屋の奥には、この光景に全く持って不釣り合いな頑丈そうな扉があった。
黒服3「ほら、歩け」
気味が悪くて入るに入れなかったが、背中を小突かれ、澪はよろけながら入り口をくぐる。
一体自分はこれから何をされるのか、全くわからない。
澪は不安と恐怖で、泣き出しそうになった。
黒服4「おい、ぐずぐずするな」
黒服3と黒服4が、澪の体に巻かれたロープに手をかけ、強引に引っ張ろうとした。刹那。
激しい破壊音が轟き、その二人は入り口の扉と共に面白いぐらい吹っ飛んだ。
もわっと埃が舞い上がり、男達は咳き込みながら、何事かと身構える。
轟音と埃で怯み、目をきつく閉ざしていた澪は、体の拘束が解かれるのを感じ、俯いたままそっと目を開いた。
誰かの足が、視界に入る。
澪は顔を上げ、そこにもっとも頼れる人物の姿を認めた。
律「間に合った…」
汗の滲んだ顔に笑みを浮かべ、肩で荒く呼吸をしながら、律は乱れた髪を頭を軽く振って整えた。
澪(律!!)
思わず抱きついてしまう澪。律はちらりと澪を見て、はにかんだ笑みを浮かべた。
カチューシャがないことを除けば、いつもの律の笑顔だった。
律「大丈夫か~澪。助けに来てやったぞ~」
男達を睨んだまま、律は澪を猿轡から解放する。
澪「律!律…ありがとう!!」
律(突入したと同時に変身解けちゃったよ…。タイミングが良いというか、悪いというか…)
澪にあの姿を見られずに済んだが、さすがこのままではあっという間にやられるのがオチだろう。
しかし、男達から見れば、自分が一体何をしたのかまだ理解できていないはずだ。
その証拠に、まだ距離を取ったまま自分たちの出方を伺っていた。
律「澪、空飛んだり出来ないの?」
澪「は、はぁ!?そんなこと、できるわけないだろ!」
そうか、澪はまだ自分の体に何が起きているのかよく理解できていないのだった。
男達を睨んだまま、律は苦笑する。
しびれを切らしたように、男達がゆっくりと距離を詰めてくる。
律と澪もそれにあわせて、じりじりと下がる。が、
澪「り、律…」
澪の不安げな声に振り返ると、後ろにも男達が数人壁を作っていて、じわじわと迫ってきていた。
知らぬ間に、二人は黒服の男達に囲まれていた。
律(くそ…やっぱり、変身するしか――)
ちらり、と律は澪を振り返った。目が合い、澪は眉をひそめる。
律(澪には…見られたくなかったなぁ…)
黒服1「お嬢ちゃん、この子のお友達か?…余計なことに首突っ込んじゃったなぁ」
男達が迫る。袖を握る澪の手に、力がこもったのを感じた。
律(――でも、これ以上澪に怖い思いをさせるわけにはいかない…!)
律は自分の腕を、ゆっくりと顔の前に持ってくる。
少し警戒の色を見せる男達を尻目に、律は袖のボタンに視線を集中させた。
体を走る、ざわめき。
律(あ、でも…私の変身した姿が、余計怖い思いさせちゃったりして…)
黒服5「嬢ちゃん。何をしたのか知らないし、今から何する気かもわかんないけど、ここは大人しくしといた方が良いぜ?な?」
スキンヘッドにサングラス。いかにもな胡散臭い感じの男が、胡散臭い笑顔で近づいてくる。
澪は震える手で、ただ律に縋りつくことしかできなかった。
澪(律…?)
先ほどから彼女は自分のブレザーの袖を睨んだまま動かない。
そうこうしているうちに、男との距離はかなり縮まっていた。
澪(駄目だ…このままじゃ二人とも…)
澪は自分たちを取り囲む黒服の男達に目をやる。凄い人数だ。
澪(何でかわからないけど…この人達の目的は私…。――律は関係ない)
律が助けに来てくれたのは、本当に嬉しかった。
だが、彼女をこれ以上巻き込むわけにはいかない。
自分の身を差し出そう。そして、律は見逃してもらうんだ。律の頑張りを無駄にすることになるが、やはりそれが一番いい。
澪はきゅっと目を閉じて恐怖を身の内に押し込む。
決心がついたところで、キッと目を開き、澪は口を開こうとした。その時だった。
律「何したかわかんなかったの?」
ずっと黙っていた律が、顔を上げて男を睨んだ。
心なしか、ただならぬ気配を律の背中から感じ、澪はずっと握っていた律の袖から手を離す。
律「――なら、よく見てなよ」
下がっていろ、と言うかのように、律は男を睨んだまま澪を後ろへ軽く押しやる。
その手は――あのパワフルな音色を奏でる、見慣れた小さな手ではなかった。
澪「――え…」
状況が飲み込めず、澪は顔を上げて律を見る。
だが、一瞬前まで目の前にいた彼女の姿は、視界から消えていた。
黒服5「へ?」
ぽかん、と開けた口から間抜けた声がこぼれる。
次の瞬間、男は空を飛んで、他の男達を巻き込んで転がっていた。
男の頬に赤く残った靴の跡だけが、彼は蹴られたのだという事実を男達に教えてくれる。
黒服6「な…――うわっ!!」
着地音が聞こえ黒服6が振り返ると、律がすぐそばに立っていた。
黒服6「こ、こいつ――」
腰に差した警棒型のスタンガンを抜こうとする黒服6。前髪の下の黄金の瞳が走り、その得物を捉える。
風を切る勢いで律の腕が振るわれ、男が握った警棒は、バラバラになって床に転がった。
黒服6「ぎゃっ!?」
驚きの光景に目を見張る間もなく、男の顔面に拳がめり込んだ。
崩れ落ちた黒服6と、変わり果てた姿の律を、男達も澪も、ただ呆然と眺める。
律はふぅ、と一息つくとブレザーを脱ぎ捨て、爪を構えて小さく微笑んだ。
律「――がおー…なんちって」
さわ子「オラオラオラァ!!飛ばしていくわよぉ!!」
眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせて、さわ子はハンドルを握る手に力を込める。
唯「さ、さわちゃん先生、早いのは助かるけど…捕まっちゃったらお終いだよ!?」
さわ子「ふん!!その時はその時よ!!カーチェイスって奴を味わってみようじゃない!!警察も現場に連れて行けて、一石二鳥よ!!」
唯「いや…警察には圧力がかかってるってむぎちゃん言ってたじゃん」
梓「う、うぅ…何だか気持ち悪くなってきた…」
紬「あ、私も…何だか気持ち悪いの通り越して楽しくなってきちゃった♪うふふふふふふ」
和「――…これ、本当に大丈夫かしら…」
束になってかかってきた男達を、殴り飛ばす。
律は、次々と溢れてくる力に任せ、男達を文字通り蹴散らしていた。
律(うわぁ…無数の大人の男に勝てちゃってるよ)
背後から迫ってきた男に裏拳を一撃。かえす刀で正面からかかってきた男のスタンガンを破壊し、股間を思い切り蹴り上げる。
悶絶する男をさらに蹴飛ばして、奥にいた男を転ばせ、腹に蹴りを入れる。
澪「きゃ…」
澪の小さな悲鳴が耳を掠め振り返ると、どさくさに紛れて再び澪を拘束しようと、男が一人彼女に迫っていた。
律「――澪に近づくなぁ!!」
律は側にいた男が振り下ろしてきたスタンガンを避けると、それを奪い取って思い切り澪に迫る男へ投げつけた。
回転しながら空を切るそれは、見事に男の頭にぶち当たり、彼の意識を狩る。
投擲の姿勢のまま息をついて、頬を伝う汗を拭ったときだった。
澪がこっちを見て、焦燥を含む悲鳴に近い声で叫んだ。
澪「律!危ない!!」
律「え――」
バスッ
律(痛っ…!!)
くぐもった銃声が聞こえたと思うと、首筋に衝撃が走った。
ちくりとした痛みに、律は眉をひそめて首に手をやる。
――何かが刺さっている。それがわかったと同時に、思考が鈍り、足先がしびれ始めた。
慌てて律はそれを引き抜き、地面に放り捨てた。麻酔だ。
人が動く気配がして、瞳を走らせると、無数の銃口がこちらを向いていた。
律「嘘だろっ…」
バスッバスッ、と何発も鈍い音が響き、律は慌てて駆ける。が、
律(足が―…!!)
思うように動かない。逃げるどころか、絡まって体勢を崩してしまった。そして、
律「あぅっ…!!」
背中に針が刺さる小さな痛みが数回。
思うように体が動かず、律は業を煮やしながら麻酔銃を構える男達を振り返った。
しかし。
律「えっ――」
かく、と片膝が折れ地面に付いた。男達が勝利を確信した笑みを浮かべた。
黒服1「ふう…一時はどうなるかと思ったが…捕獲完了だ」
澪「り、律!!」
歪む視界に律は頭を振り、何とか立ち上がろうとするも、意志とは逆に体は言うことを聞かずその場に横倒しになってしまった。
律「…ぁ…」
律(最悪…)
黒服1「まさか、お嬢ちゃんも薬が効いてたとはね…。手土産が増えたな」
黒服2「さて、連れて行きますか…」
律(ちくしょ…二人仲良く実験台か…)
律は痺れる体を地面に横たえたまま、瞳を動かし、天井を見上げた。
所々穴が開いたそれからは、月光が差し込んでいる。
あぁ、だから妙に明るかったんだな、と律は何だかわからず納得した。その時。
律(…――!!!)
天井に開いた一際大きな穴に目をやると、そこからはっきりと月が見て取れた。
それは、影一つ無い綺麗な綺麗な――満月だった。
どくん
何人かの男が、律の体を束縛しようと迫る。
全てを諦め、途方に暮れて崩れ落ちる澪に、再び男達が歩み寄る。
牙が軋み、体毛がざわめく。
――一瞬、頭の中が真っ白になった。
律「ぐ、う、あああああああああああぁっ!!!」
気付けば自分でも驚くような咆吼を上げて、自分を囲んでいた男達を壁に叩きつけていた。
苦しい。ブラウスに体が圧迫されて息がしにくい。
何も考えずに、ボタンをブラウスと下着ごと引きちぎる。全身がふさふさした体毛に覆われていた。
すぐ後ろで小さな悲鳴が聞こえ、人がまだ傍にいたことに気付いて、そいつを尻尾でぶん殴る。尻尾?いつの間に?
瞳を走らせると、澪が再び拘束されようとしていた。
痺れが吹き飛んだ体で、一気に肉薄する。
こちらに気付いた男達が、驚愕の表情を浮かべながら麻酔銃を構えるが、それを爪でことごとく粉砕する。
牙の生えそろった口から、狼の咆吼そのものが飛び出し、大の大人が悲鳴を上げて、腰を抜かした。
澪「り、つ…?」
澪の目に映ったの律は、狼そのものだった。
やったー犬耳尻尾りっちゃんだー
174:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 23:58:42.90:HPL6B5VRO黒服1「ひ、ひぃ…」
律「大の大人がなっさけないのー。女子高生一人相手にびびるなんてさぁ」
律(ま、どこにこんな格好した女子高生がいるんだって話だけどね…)
天井の穴から満月を見上げる律。
青白い光りが、体の底から満たしてくれているような気がした。
律「なるほどねぇ…満月見ると、完全に狼になれるのか」
黒服2「こ、この化け物が!!」
男の一人が震える手で麻酔銃を構えて発砲する。が、
豊かな体毛に包まれた尻尾を器用に動かし、律はその弾を弾き落とした。
黒服2「う、うわあぁ」
律「化け物、か。誰のせいでこんなことになったと思ってるんだよ。私だって、好きでこんな格好してるんじゃないんだぞ」
爪と牙を光らせて、律はニヤリと笑った。
律「さぁて、覚悟はできたよな?」
数分後。
ぱんぱんと手を叩く律の前には、全ての男達が地面に突っ伏して気を失っていた。
殺してしまわないように手を抜いたが、しばらく全員起き上がることはできないだろう。
律は改めて窓に映った自分の姿を見て、顔を歪める。
律(うわ…もう完璧に狼だよ…。すんごい暴れちゃったし、こりゃ澪に引かれたかな…)
男達でさえ、恐怖に顔を引きつらせ、中には涙と鼻水で顔面ずるずるの者もいたのだ。
はぁ、とため息を牙の間から漏らし、律はその場に座り込んだ。
後ろから、足音が近づいてくる。
律「見ないで…」
澪「律…」
足音が止まる。今まで散々見られてたに決まってるのに、今更何を言っているんだ、と律は自嘲めいた笑みを浮かべる。
律「澪にだけは見られたくなかったんだけどなぁ…。まさか、まだ誰にも見せてない完全変身まで見せちゃうことになるなんて」
澪「……」
律「――怖い、よな…。こんなの…」
何故か、消え入りそうな声。何だ私。泣きそうになってるのか。
澪「怖くなんか、ないよ」
立ち止まったまま、澪は優しく囁く。律の体毛がふわっと揺れた。
澪「ありがとう、律…。律が来てくれなかったら、私どうなっていたか――」
律は振り返ろうとしなかったが、腰の辺りから生えたフサフサの尻尾が二、三度ぱたぱた振られた。
澪の表情に思わず笑みが浮かぶ。恐怖心なんて、全くなかった。
律の背中にふわっと重みがかかった。体毛のせいか少し大きくなった様に見える律の体を、澪は優しく抱きしめる。
ふわふわの体毛に、澪は顔を埋めた。獣特有の匂いではなく、温かく優しい匂いを感じる。
澪「――あったかい…律の匂いだ…。どんな風になっても、律は律なんだよ」
律「澪…」
澪「…律達も見てただろ?私も最近やばくてさ…。血を見ると、自分を見失っちゃうんだよ。我を忘れて、ただ飲みたいっていう衝動にだけかられる。気持ち悪いだろ」
律「全然。どうなったって澪は澪、だろ?」
先ほど自分が言った言葉を返され、澪は小さく微笑んだ。
澪「でも…何でなんだろ…。今までこんなことなかったのに、急に血が恋しくなっちゃってさ。――律も…まさか昔からそうだった訳じゃないだろ?」
頭を押さえて澪は呻くように呟く。律は、そっと振り返った。
澪「それに…むぎも…一体何が何だかわかんない…。ここどこなの…?」
今まで考える余裕がなかった分、一気に謎が頭に押しかけて混乱気味のようだ。
律は澪に向き直ると、優しく抱きしめた。ふわふわの体毛に、顔を埋めさせる。
律「大丈夫、落ち着いて澪…。全部説明するからさ」
耳元で小さく囁き、律は澪をなだめる。澪は震える手で、きゅっと律の体毛を握った。
澪「――じゃあ私は…吸血鬼になりつつあるってことなの…!?」
驚愕の面持ちで、澪は涙ぐみながら律に確かめるように訊ねる。
律は黙って頷いた。ショックかもしれないが、事実を黙っているわけにはいかない。
律「で、私は狼人間。唯と梓は薬が効かなかったみたい。――むぎのお父さんがきっと元に戻るためのワクチンを持ってるだろうからさ、落ち着いたらもらいに行こうと思ってる」
澪「でも、むぎのお父さんは私を実験台にするためにここに連れてきたんだろ?ワクチンをもらいに行くなんて…実験台にしてくれって言いに行くようなものじゃないか」
返す言葉が無くて、律は黙り込んでしまう。
確かに、その通りだ。だが…他に方法はあるだろうか。
沈黙に堪えきれなくなったのか、澪は小さくため息をついた。
澪「でも…まさかむぎがそんな薬をお菓子の中に入れてたなんて…」
悲しげな声に、律は顔を上げた。
そういえば、澪を気絶させて男達に引き渡したのも紬だ。彼女に対する不信感を抱いてしまってもおかしくない。
それでも――
律「むぎを許すか、許さないかは澪にしか決められないことだから私は口は出さない。だけど、むぎは好きで澪を傷つけたわけじゃないし、凄く後悔してた…。それだけは、理解してやってくれ」
それでも、自分たちは軽音部の仲間としてずっと共に過ごしてきたのだ。
紬は悪意を持ってやったわけではないということを、律は澪にわかって欲しかった。
澪「――うん、わかった…。大丈夫…むぎのことは、恨んでない。ただ、相談して欲しかった。一人で悩まずに――私達は仲間なんだから…」
それを聞き、安心した律は、ニッコリと微笑んだ。
律「そっか…良かった」
澪「ふふ…変なの。狼が笑ってる」
律「な、なんだとー」
それから、いくら経っただろうか。
律「おぉ…ようやく戻ってきたか…」
いつの間にか顔から首にかけて、人間の状態に戻っていた。
律「あいたっ…」
ちくり、と首筋が疼き、そこに手をやると、血が滲んでいた。麻酔の痕だ。
律「あ~すっかり忘れてた…。麻酔銃で撃たれることになるなんて、思ってもなかったぜ。なぁ澪…澪?」
律は澪の異変を察知し、彼女の肩に手をやった。息が荒い。
律「お、おい澪?大丈夫?」
澪「り、つ…ごめ…私――」
苦しそうな瞳が、自分の首筋へと走る。ま、まさか――
澪『血を見ると、自分を見失っちゃうんだよ。我を忘れて、ただ飲みたいっていう衝動にだけかられる』
律「あ、あの…澪ちゅわん?」
澪「血…血が…欲しい…」
がっ、と両肩を掴まれた。そのまま強引に引き寄せられる。
律「ちょ、待っ、わかった!後で飲ませてやるから、ちょっと我慢し――ひゃあっ!?」
問答無用で、澪は律の傷に口を付けた。
澪の舌が律の首を這い、血を舐めとっていく。
律「いっ…や、はっ…み、澪!くすぐったい、って…!」
力尽くで澪を押しのけようとして、律はさらに重大な出来事に気付いた。
律(ちょ、ちょっと待て…。体が元に戻ってきたは良いけど――私よく考えたら上半身素っ裸じゃん!!)
全身を包んでいた体毛は、少しずつ引っ込みつつあった。すでに腕と胸の辺り以外は、人間に体に戻っている。
これはまずい。すこぶるまずい。
このままじゃ、とても人聞きの悪い状況になってしまう。
男達は気を失っているし、今のところ二人っきりだからまだマシだが――
もし唯達が来たらとんでもないことになるんじゃないか?
何ていうか、未知の領域まで誤解されるんじゃないか?
いや、っていうか、この状況を見られるって――
律は顔が火が付きそうなほど熱くなっていくのを感じた。
律「み、澪!!ちょ、どいてくれ!!そこのブレザー取ってくれぇ!!」
真っ赤な顔で律は懇願するが、澪は一心不乱に律の血を味わっている。
どいてくれるどころか、押し倒さんばかりの勢いだ。
律「はぁっ…う、ぅ…澪ぉ…やめてくれよぉ…」
何だか変な気分になってきた。やばい。非常にやばい。
その間にも体毛はどんどん引いていって――
律「――…!!み、みおおおおおおおお!!だ、誰か助けてえええええぇ!!」
救いを求める声を、律は涙目になってあげた。そして、それに応えるかのように――
唯「りっちゃあああああああん!!大丈夫だよ!!今助けに――…Oh…」
梓「今の悲鳴、律先輩…ぶふぉっ!は、鼻血が…」
和「律!!――…えっ。なにこれえろい」
紬(キマシtowerーーーーーー!!1!!!11!1!――じゃなくって…澪ちゃん大丈夫で良かった…)
さわ子「あなた達…」
皆が現れた。半裸状態の律と、その彼女を押し倒して首に口を付ける澪を見て、各々違った反応を見せる。
妙な沈黙が流れた。
律「……終わった…」
澪「――…もう、お嫁に行けない…」
律「それはこっちのセリフだっ!!」
しばらくして我に返った澪は、律の隣で小さくなって赤面した。
男の一人からシャツを拝借して、ブレザーを羽織った律は、さらに真っ赤な顔をして澪に怒鳴る。
唯「んー、でも、私もりっちゃんの完全変身見たかったなぁ」
律「のんきなもんだなぁ…。こっちはいろいろ大変だったってのに」
唯「ごめんごめん。あ、そうだ。はいりっちゃん、カチューシャ」
律「あ、あぁ、持ってきてくれたのか。ありがとな」
唯から渡されたカチューシャを受け取り、律は手早く前髪を上げてそれを付け直した。
律「変身しちゃったら目つき鋭くなっちゃうから、あんまり目見られたくなかったんだよな。みんなに怖がられたくなかったし…」
澪「…気にすることないよ。律は律なんだから」
律「――だな」
小さく笑い合う二人を見て、さわ子が意地悪げな笑みを浮かべる。
さわ子「あらあら、仲良いわねぇお二人さん?一線を越えちゃったからかしら?」
律澪「な、何を!!」
紬「澪ちゃん…私…」
うつむきがちに、紬が澪の前にでる。
澪「ムギ、律から全部聞いた」
紬「ごめんなさい…本当に、ごめんね…!謝っても許してもらえないことをしちゃったけど、でも――」
澪「許すよ。だからそんなに謝らないで。ムギも好きでやってたわけじゃないってことはわかってるよ」
紬「澪ちゃ…ぐすっ」
澪「怖かったんだよな。私だって、もしパ…お父さんがそんなになっちゃったら、どうしようもなくなっちゃうに決まってる」
涙ぐむ紬の頭を優しく撫でて、澪は微笑んだ。
澪「辛かったよなムギ。今度からは悩み事があったらみんなに相談しなよ?約束だ」
紬「うん…うん。ありがとう澪ちゃん…」
良かった、大丈夫そうだ。律は二人が無事に仲直りできたことに安心して息を吐いた。その時だった。
?「おや、これはこれはお嬢さん方…。こんなところで何をしているのかね?」
撫でるような気味の悪い声に、皆は表情を凍り付かせ、入口を振り返る。
白衣を着た薄気味悪い男が、笑みを浮かべて立っていた。
紬「あなたは…博士…」
博士「おぉ紬お嬢さん。ふむ、ということは…この子達は例の実験サンプルかな?」
怯えた表情を浮かべる紬を見て、博士は顎を撫でた。
紬「…みんなのことを、そんな風に言わないで下さい…」
怒りからか恐れからか、震える声で反論する紬。博士は汚い歯をむいて笑う。
博士「ふっふっふ。何をおっしゃるやら。お嬢さんがこの子達に薬を投与したんでしょうが」
紬「――っ…それは…」
律「…やめろ」
表情を曇らせる紬の肩に手を置いて、律は博士を睨んだ。
博士「おやおや。私は本当のことを言っているだけなのだが――」
律「うるさい。お前がむぎのお父さんを変えたせいで、むぎはずっと苦しんでるんだぞ」
博士「はて、変えた?何のことかわかりませんな。私は旦那様に、実験の話を持ちかけただけですが」
さわ子「はっ…とぼけても無駄よ」
ずっと黙っていたさわ子が、眼鏡の奥から鋭い眼光で睨む。
さわ子「琴吹グループの財力を利用し、利益と名声を手に入れてメシウマ――そんな甘い考えが目に見えてわかるわよ?」
博士「おっと、こちらの威勢の良い年増はどちら様で?」
ビキッ、と音が立てて青筋が立ちそうなほど、さわ子はその顔に怒りをあらわにした。
さわ子「おもしれぇこというじゃねぇかコラ」
唯「先生、落ち着いて」
眼鏡を取って殴りかかりに行こうとするさわ子の袖を唯が引いて止める。
博士「それはそうと、これは一体どういうことですかな?私の可愛い助手達が全滅ではないか」
あちこちに横たわる黒服の男達を見て、博士は肩をすくめる。
彼にとっては不利な状況なはずなのに、全く動じていない様子を見て、律は眉をひそめた。
博士「まさかそこの年増が暴れたとは思えないが…。そういえば、薬の反応がでたという報告が入ってましたな」
切歯扼腕して睨むさわ子を華麗に無視し、博士は不気味な視線を唯達に滑らせる。
博士「果たしてどなたの仕業かな?」
博士の嫌らしい瞳が澪を捉え、彼女はびくりと身を震わせた。
博士「ふむ、貴方が例の吸血鬼サンプルですか。噂は聞いてますよ」
澪「何を…」
ガクガクと震える澪の後ろで、律は唇を噛みしめ、再びブレザーのボタンへ目を落とす。
静かな怒りを燃やすその小さな体に戦慄が走った。
博士「我々の新薬開発のため、私にその身体を差し出して下さいませんかね?えぇ、丁重に扱わせていただくつもりですよ?」
澪「ひっ…」
澪が喉の奥であげた悲鳴が引き金となり、変身を終えた律は文字通り吼えた。
律「このやろおおおおおぉ!!」
皆の輪を飛び出して、律は拳を握って疾走する。
――だが、博士は驚いた様子もなく、ただニヤリとほくそ笑んだ。
律(――!?)
瞬間、凄まじい悪寒を感じ、律は自分の体が何者かに支配されるような感覚を覚えた。
律(何、これ…!?)
博士まで後数十センチというところで、体が完全に動かなくなる。
澪「り、律…!?」
拳を振りかぶったまま動かなくなった律を見て、澪が不安げな声を投げかける。
博士「ふっふっふっふ…」
律「…何、を…したんだ?」
途切れ途切れに訊ねる律を、博士は嫌らしい笑みを浮かべて見つめる。その後ろから、一人の男が現れた。
紬「…さ、斉藤…!?」
生気のない顔をして現れた男を見て、紬が驚愕の声を上げた。
嫌な予感がし、澪は律に駆け寄ろうと立ち上がる。が、
博士「やれ」
博士の小さな呟きに、斉藤はぬるりと首を動かして一度目を閉じると、見開いた目で澪の足を睨んだ。
途端、澪はつんのめって転け、激しく床をスライディングした。
澪「いった…!!」
澪(あ、足が…動かない!!)
唯「澪ちゃん!?」
梓「――!?か、体が動きません!!」
澪に駆け寄ろうとした梓がそう声を荒げて叫んだ。それは、皆の体も同じだった。全身が凍り付いたように動かなかった。
博士の様子を見るに、斉藤が何かをしたのは明らかだ。
紬「斉藤!何をしたの!!…一体どうして…!?」
動けぬ体で斉藤を見つめながら、紬は悲痛な声で叫ぶ。
斉藤はただ黙って、呆然とした面持ちで博士の横に立っていた。
博士「今の斉藤と目を合わせない方が良いですよ、お嬢さん。石になりたくないでしょう?」
紬「石…?」
戸惑いの表情を浮かべる紬の後ろで、和が小さく息を飲む。
和「まさか…斉藤さんも、薬で妖怪に…」
博士は嫌みなほどニッコリ笑って斉藤の肩に手を置いた。
博士「ご名答。まぁ、普通はそう考えるでしょうな。彼が飲んだのは私が作ったなかなか出来の良かった即効性の薬――ゴルゴンの薬です。まぁ、能力を求める余り服用者の体にかなりの負担がかかるのが少々欠点ですが…」
紬「…!」
唯「ゴルゴン…?」
聞き慣れぬ単語に首をひねる唯。そんな彼女を、和が瞳を動かして見やる。
和「目があった者を石に変えてしまう怪物よ…。メデューサって言ったらわかるかしら」
唯「あ…何か聞いた事あるかも…」
紬「斉藤、どうして!一体何があったの!?返事なさい!斉藤!!」
博士「無駄ですな。今の斉藤は私の言葉しか受け付けません。…さて」
博士は、すぐ傍で固まる律に目をやった。恨めしそうな目で睨んでくる彼女を見て、面白そうに微笑む。
博士「狼人間…。しかも、なかなかの適応度。貴方は素晴らしいサンプルだ…。私の助手を全滅させたのもおおよそ貴方の仕業でしょう」
律「――うっさい…」
振りかぶったままの拳に力を込める律。だが、体がぎしぎし軋むだけで、全く動かせる気配はない。
博士「ふむ、気に入った。貴方も斉藤と同じように、私の言いなりになってもらおう」
律「何…!?」
博士はおもむろに懐に手をやると、小さい妙な機械を取り出した。
律「何だよ…それ…」
博士「首筋に取り付けると、電気信号であなたの脳を支配してくれる優れものです。最初の内は頭痛に悩まされるでしょうが、すぐに楽になれますよ。何も考えられなくなりますからね」
律「まさか…斉藤さんにも、それを…」
瞳を巡らせると、確かに斉藤のうなじあたりにそれは取り付けられていた。
博士「便利な機械でしょう?人間をロボット化するようなものです。私の言うことだけを聞く奴隷になってくれるんですよ」
紬「もしかして…お父様がおかしくなってしまったのも――」
博士「大正解ですな。素晴らしい研究施設と金。それさえあれば、彼は必要ありません。私の手足となってもらうだけです」
梓「最低ですね…」
和「典型的な悪役ね。最低かつ勝ち誇った態度。そんなこと私達に教えてしまうなんて、おしゃべりにもほどがあるわ」
博士「はんっ。知ったところで体の動かない君たちはどうしようもないだろう。そこでお友達が私の手に落ちるのを眺めていなさい」
ぬるり、と視線を律にやる。彼女は喉の奥で小さく息を飲んだ。
澪(このままじゃ律が――…!)
澪(くそっ…動け!)
動かすことのできる手で、何度も足を殴るが意味がない。
這って動こうにも、距離が遠すぎて間に合わない。
博士「ふっふっふ…とりあえず貴方の能力をよく知りたいですからなぁ。まず始めにお友達を始末してもらいましょうか」
恐怖と怒りがない交ぜになった律の顔を、博士はそっと指で撫でる。
律「さ、わんな…変態…!!」
博士「これはこれは。まぁ、貴方の感情を奪った後で、ゆっくりと楽しむことにしましょうかな」
律(い、嫌――…)
澪の目に、滅多に見せることのない、恐怖に歪む律の表情が焼き付く。
澪(律…!!!)
――…布を裂いたような音が響いた。
博士「お?」
博士は自分の身に何が起きたのか、理解するのに時間を要した。
手に持っていたはずの機械が床を転がり、自分は倒れ込んでいた。
律「み、澪…!!」
ふわり、と肩に手が置かれ、きつく閉じていた目を開いた律は、そこに彼女の姿を捉える。
――その背中には、制服を突き破って、コウモリのような羽が生えていた。
澪「あ、あは…。――律、私…空飛べちゃった…」
自分でも驚いた様子で、澪は律に固い笑みを向ける。
と、ぼんやりと立ち尽くしている斉藤の姿が目に入り、澪は動かぬ足の代わりに羽をはためかせて彼のそばへ行く。
博士「おい!やめろ!貴様!!」
澪は機械を確認すると、それを鷲掴んで強引に握りつぶす。強化された握力の下に、機械はあっけなくばらばらになった。
斉藤「私は…――!」
二、三度頭を振って、ハッとした顔つきになる斉藤。さすが、状況整理が早い。
博士「…くそ、あの小娘…」
悪態をつきながら体を起こした博士の目の前に、仁王立ちの斉藤がいた。
博士「なんだ貴様…――!!」
澪が斉藤の機械を破壊したことを思い出した博士は、乾いた悲鳴を上げて、四つん這いになって逃げようとする。
その後ろ姿を、斉藤は目を見開いて睨み付けた。
不格好なまま、博士はその場に凍り付く。
博士「ひ、ひいいいぃ…!!」
紬「斉藤!元に戻ったの!?」
斉藤「お嬢様、申し訳ありませんでした。すぐに術を解きますので…」
斉藤は目を閉じて、しばらく黙り込んだ。
すると、ずっと皆を押さえ込んでいた体の硬直がすっと消えて無くなった。
―― 一名を除いて。
博士「た、助けて…」
梓「どうします?」
不格好な姿で固まる博士に、皆が冷ややかな視線を送る。と、
さわ子「ちょっと待った。ここは、私に任せて」
拳をバキバキ鳴らしながら、さわ子がにこやかな笑みを浮かべた。
背後にどす黒いオーラをまとっているように感じ、皆が道を空ける。
博士「あ」
さわ子「どーもー?威勢の良い年増でーす♪」
博士「ひ…」
さわ子「ちなみにこの黒服集団全員をぶちのめすほど暴れるのはさすがに無理だけど、人一人ボッコボコにするぐらいの自信ならありまーす♪」
博士「ひいいいいいいいぃいいいい!!!」
静かな夜空に、凄まじい悲鳴が響き渡った。
さわ子「あーすっきりした」ニコニコ
斉藤「うぅ…申し訳ございませんでした、お嬢様。私としたことが…不意を突かれてしまいました…」
紬「斉藤が無事ならそれで安心よ。一時はどうなるかと思ったけれど、本当に良かっ――」
突如斉藤はその場に崩れ落ちた。紬は顔を真っ青にして彼に駆け寄る。
紬「どうしたの!?」
斉藤「も、申し訳ございません…。酷く目眩が…」
和「そういえば…体に凄く負担がかかるってあの博士が言ってたわ」
紬「ど、どうしよう…」
斉藤「落ち着いてください、お嬢様…。私は大丈夫です…」
さわ子「――じゃあ、こうしましょう。私は斉藤さんと一緒にここに残るわ。この男共を全員締め上げなきゃいけないしね」
梓「で、私達はムギ先輩のお父さんの方に行く、ということですか」
さわ子「そういうこと。頼んだわよ、あなた達」
律「わかった、そうしよう。みんなも良いよな」
澪「う、うん」
唯「平気だよー」
梓「早くムギ先輩のお父さんも目を覚まさせてあげないといけないですからね」
和「力になれるかわからないけど…頑張るわ」
紬「すみません、さわ子先生…お願いします。斉藤も私に振り回されて…本当にごめんなさい」
斉藤「いえ…私は紬お嬢様を支えるのが役目ですから…。力になれなくて申し訳ありません」
律「よし、じゃあ決定だな」
さて、と息をつき、律は頑丈そうな扉に歩み寄る。
律「うーん…カードキーが必要みたい」
唯「あ、じゃあ博士さんの借りれば――」
踵を返し、気絶した博士の懐を漁る唯。
唯「おぉ、あったよー」
それらしき物を見つけ、嬉しげに笑いながら唯は扉へ向き直る。
ズガッ!!
ズズズ…と音を立てて、真一文字に切り裂かれた分厚い扉はゆっくりと倒れ、いつの間にか変身を終えていた律は振るった腕をぐるぐると回して息をついた。
律「よし、行くぞー」
唯「」
梓「お疲れ様です」
カードキーを掲げたまま固まる唯の肩に手を置き、梓はそう声をかけた。
必要なくなったカードキーを放り捨てて、ふくれっ面をする唯。と、
唯「あれ?りっちゃん」
律「んあ?」
中へ進もうとしていた律は呼ばれて振り返る。ぽかんとしていた唯の瞳がキラキラと輝く。
唯「あー!りっちゃん狼の耳が生えてきてる!」
律「…は?」
頭のてっぺんに手をやる律。確かに、それはそこに存在した。
律「なんっじゃこりゃああああ!!」
紬「狼人間化が進行してるのね。そのうち尻尾とかも生えてくるかも」
唯「律わんの完成が近付いてるんだね」
律「じょーだんじゃないぞ!…とにかく急ごう!」
和「暗いわね」
紬「私もこの研究所の奥には入ったことがないから、設計がどうなってるのかわからないの…」
真っ暗な細い通路を進んでいく。
唯「澪ちゃん、いつもならガクガク震えて怖がるのに、今日は平気だね」
澪「ホントだな。むしろ居心地が良いくらいだよ」
唯「澪ちゃんも吸血鬼化が進んでるからだね!」
澪「うぅ…怖くないのは嬉しいけど、やっぱり早く元に戻りたい…」
梓「あ、また扉ですね」
律「ほいほいっと」
分厚い扉はあっという間に引き裂かれて原型をなくす。
律「お、通路が広くなった。電気もついてるぞ」
唯「わいるどだね、りっちゃん…」
壁も天井も真っ白な広い通路。右と左に別れている。
梓「どっちに行けばいいんでしょうか」
澪「ちょっと怖いけど二手に分かれる?」
和「いや、やっぱりそれは不安だわ。…一つずつ確認した方がいい気がするけど」
どちらに行けば良いのかわからず立ち往生してしまう。と、その時だった。
澪「――!ちょっと待て…右から何か来てる…」
紬「え…何も聞こえないけど――」
律「いや、私にも聞こえる。何か嫌ーな予感がするぞ」
その足音は、すぐに他の皆にも聞こえてきた。同時に伝わってくる地響き。
律「これマズイ予感しかしない。左に行くぞ!」
唯「う、うん!」
慌てて駆け出す唯達。走りながらちらりと振り返った梓が悲鳴に近い声を上げた。
梓「でたあああああああああぁ!!」
曲がり角から姿を見せたのは、巨大な体躯をした体中つぎはぎだらけの大男。まさしくフランケンシュタインだった。
律「なんっだあれえええええええええ!?」
澪「ひいいいいいいぃ!!」
雄叫びを上げ、ゆっくりとした足取りで距離を詰めてくるフランケンシュタイン。
唯「何あれ!?何なの!?」
和「知らないわよ!」
全員涙目になりながら逃げ回る。と、梓の目に小さなドアが入った。
梓「皆さん!こっちです!!」
甲高い声に皆振り返り、ドアに駆け寄る梓を見つけ、そのドアへと向かう。
一番初めに辿り着いた梓が、それを開けて隣の部屋へと移る。瞬間。
梓「――えっ!?」
梓の足下の床が音もなく開き、奈落の闇が彼女を引きずり込んだ。
梓「きゃあああああああああぁぁぁ…!!」
唯「あ、あずにゃん!!」
梓の次にドアをくぐった唯がぽっかり空いた穴をのぞき込むが、真っ暗な穴は相当深いようで、もはや悲鳴も聞こえてこなかった。
唯「あずにゃん!!あずにゃあああああああん!!」
律「唯!どうした!?」
ようやく皆が辿り着く。律は、涙を流して叫ぶ唯を見て色めき立った。
唯「あずにゃんが…!!」
?「あっはっは…そんな単純なトラップに引っかかるとは」
低い笑い声と足音が響き、全員顔を上げる。
紬「お父様…」
だだっ広い部屋の中心で、紬の父は満面の笑みを浮かべていた。
ムギ父「君たちの活躍はモニターで一部始終観察させてもらったよ」
そう言う彼の背後には、大きな装置が設置されていて、無数のモニターが様々な場所を映しだしていた。
真っ白い壁には、小さな小瓶が多数並んでいる。研究で生み出した薬であろう。
たくさんありすぎて、どれがワクチンなのかわからない。
唯「あずにゃんを…あずにゃんを返して!!」
普段の温厚さからは想像できない勢いで、唯が叫ぶ。紬の父は微笑みを浮かべたまま、そんな彼女を一瞥した。
ムギ父「返すも何も…今頃ただの肉片と化しているだろうが…。処理してくれるのかな?」
唯の顔から血の気が引いていく。蹌踉めいた彼女の体を支えながら、紬は父を見つめた。
紬「お父様!もうやめて!!博士はもう捕まったのよ!!もうこんなこと、意味がないじゃない!!」
ムギ父「博士が捕まったのならば、彼の意志を引くのは私の役目だ」
冷めた目で自分の娘を見下す紬の父。
和「博士が捕まっても機械は作動し続けるのね」
律「やっぱあれを壊さないと駄目みたいだな」
律は腰を落として、彼を睨んだ。そして、立ち尽くす唯の前に空いた穴を見る。
律(梓…)
のぞき込んでもそこにあるのは闇ばかり。見慣れた小さな姿は、もう目の前には現れない。
律「くそ…!――とにかく、私がムギのお父さんの動きを止める!澪は穴を下りて梓を救出してやってくれ!!」
足に力を込めて、律は叫ぶ。が、澪の表情は曇った。
澪「で、でも…梓は――」
変わり果てた梓の姿を見たくなかったのだろう。躊躇った彼女の様子に、律も唇を噛む。
ムギ父「何をぐだぐだやっているのか知らないが、君たちの相手は私だけではないぞ?」
そう言って、紬の父が何かのパネルのような物を操作する。すると、
轟音と共に、壁を突き破って先ほどのフランケンシュタインが現れ、皆は慌てて部屋の中央へと走った。
ムギ父「良くできたロボットだろう?いずれは本当に人造人間を作って見たいのだがね」
和「…どうすんのよ、これ…」
ぽつりと呟きを漏らす和。律は余裕の笑みを浮かべたままの紬の父とフランケンシュタインを交互に見やり、口を開く。
律「やっぱり私はムギのお父さんの相手になる。唯と和とムギは、とにかく逃げ回るんだ。澪は…あのでっかいのの相手、頼めるか?」
澪「わ、私が!?む、無理だよ!!」
律「大丈夫。アイツ、動きはとろいから頭の周りを飛びまくってたら時間稼ぎになる。すぐにムギのお父さんの機械ぶっ壊して、停止してもらうからさ」
震え上がって首を振る澪の肩に手を置き、律は優しく言い聞かせる。
澪はしばらくフランケンロボを見上げていたが、きゅっと顔を引き締めると、小さく頷いた。
澪「わかった…。やってみるよ」
フランケンが腕を振り上げる。それを合図に、皆が散った。
澪は宙を駆け、律は紬の父へと突進し、残った者達はとにかく走って逃げ回る。
律「このおおおおおおおぉ!!」
握った拳を思い切り振るう。だが、それは虚しく空を裂いた。
律「何…!?」
ムギ父「ふむ…見事に薬が適合しているね君は。良いデータになってくれそうだ」
律「いくらムギのお父さんの頼みとは言え…お断りですよ!」
がむしゃらになって腕を振るう律。それをことごとくかわしていく紬の父。
その隙に、紬がゆっくりと彼の背後に回る。律の攻撃に集中している今なら、気付かれずに首筋の機械に手を出せるはず。
律もそれに気付き、紬が背後から彼に飛びかかるタイミングを見計らって同時に正面から飛びかかる。が、
ガスッ!
律「いっ…!!」
紬の父が振るった腕が律の脇腹に直撃して、彼女は面白いぐらいに飛んだ。薬の並んだ棚に背中を打ち付け、小瓶が数本落下して割れる。
ムギ父「私に逆らうつもりか紬」
振るった腕でそのまま紬の胸ぐらを掴んでねじ上げる紬の父。紬は浮いた足をばたつかせて必死に抵抗した。
和は放心状態の唯を連れて逃げ回るので精一杯で紬を助けに行く余裕がない。澪も澪でフランケンの相手で手一杯だ。
律は咳き込みながらも何とか立ち上がった。
律「げほっ…何て怪力だよ…。肋骨が折れるかと――まさか…」
この人並み外れた身体能力。心当たりは一つしかない。
ムギ父「紬…どうしてわかってくれないんだ。こんなにも素晴らしい発明なんだぞ。世の中が大いに変わるきっかけになる商品になるに違いない」
紬「嫌!そんなのおかしいわ!こんな人体を弄ぶような発明が素晴らしいはずない!」
ムギ父「そんなこと言わずに見てくれ紬。私が研究した中でも最高傑作のこの薬の効果を――」
紬の父の体が嫌な音を立てて軋みながら一回り、二回りと大きくなっていく。
紬は見た。自分をねじ上げる父の腕が鱗に覆われ、鋭い爪が伸びていくのを。
律「おいおい…こんなのありか…」
呆然と立ち尽くす律の目の前で、ドラゴンが牙をむいて笑っていた。
ムギ父「はっはっは…ほら、もっと頑張りなさい」
大きな足が振り降ろされる。律は避けることができず、それを受け止めにかかった。
律「くっ…お、重っ…!!」
ムギ父「大人しく私に協力するなら助けてやろう。しかしまだ抵抗を続けるなら――申し訳ないがモニターで君の身体能力データはだいたい採れたんでね、後は体さえ手に入ればそれでいいんだよ。つまり手短に言うと――死んでもらう」
律「協力なんて、しませんよ…!どうせ今助かったところで、ひとしきりまた身体能力検査して、体内のデータ採るのに…解剖しまくって、あとは廃棄なんだろ…!?」
ムギ父「ふむ…。君は変なところで頭が回るね。仕方ない、君がそのつもりなら私もそれなりに対処する」
徐々に体重がかけられ、律の腕が支えきれずに曲がっていく。
紬「お父様、やめて!私の大切な友達なのよ!?」
ムギ父「私にとってはもはや役に立たない実験用モルモットだ」
澪「ちょおおおおお!何だよこれえええぇ!!」
フランケンシュタインの相手しているだけでも恐怖で頭がおかしくなりそうなのに、あんな化け物まで現れたらどうしようもない。
澪は錯乱しながらも必死に巨大な腕をかいくぐってフランケンの足止めに努めた。
和「これは夢。これは夢。これは夢よ」
正直現実逃避しなくちゃやってられない。和は念仏のように同じ言葉を繰り返しながらフランケンの足を唯と共に走り回って避ける。
律「どうしろって言うんだよこのやろー!!」
やけくそ気味に律は駆ける。とにかく紬を助け出さなければ。
紬「お父様…なんてことを…」
紬は紬で変わり果てた父親の腕に抱えられて、どうすることもできず途方にくれている。
律は紬の父の足に向けて鋭い爪を振るうも、固い鱗の表面に傷をつけるだけで終わってしまう。
澪「――!律!!」
紬の悲痛な声に律の状態に気付き、そちらに気が取られる澪。瞬間。
澪「うわっ!!」
大きな手のひらが目の前に現れ、気付けば澪はフランケンシュタインに鷲掴みにされていた。
和「澪!!」
澪「わ、私は大丈夫だから律の方を!」
澪はもがきながら必死に声を張り上げる。和は狼狽した。
和「そうは言ってもどうしたら…!」
怪物化する能力のない和はどうしようもなく、何か使えるものがないかあたりを見渡す。目に入ったのは、無数のモニターとそれを操作するパソコン。
その操作画面を見て、和は自分でも操作できそうな事を確認すると、急いでキーボードを叩いた。
律「う…ぐっ…!!」
次第に反り始める背中。先ほど殴られた脇腹がじんじんと痛む。
律(やばっ…苦しっ…)
紬が腕の中で暴れるも、紬の父はそれをものとせず体重をかけ続ける。
律(もう…駄目…!)
律の脳裏に諦めの文字がよぎった。その時だった。
和「――律、左を見て!!」
律「…っ何…!?」
和「早く!左よ!!」
ぎりぎりの状態で、律は言われた通りにその方を見やる。と、
律「――!!」
彼女の目に入ったのは、モニターに映し出された満月だった。
律「――があああああああぁああ!!」
気合いの咆哮を張り上げ、完全変身を遂げた律は思い切り大きな足を押し返した。
ムギ父「なっ!!」
体勢を大きく崩す紬の父。律はその隙に飛び上がって彼の腕にしがみつくと、力任せに紬と鱗まみれの腕を引きはがした。
律「平気か、ムギ」
紬「あ、ありがとうりっちゃん!」
律(このまま機械まで行けるか?――つーか機械どこだよ!?)
紬を抱きかかえたまま、太い腕の上で紬の父を操る機械の位置を探す。だが、見つからない。
ムギ父「貴様ぁ!!」
長い首を巡らせて、紬の父は律を睨んだ。その頭頂部に、それはあった。
律「なんであんなとこにあるんだよ!」
馬鹿みたいに鋭い牙が生えそろった大きな口が目の前で開く。その奥が、かすかに怪しく輝いた。
律「ちょ、マジか!!」
嫌な予感を察知し、慌てて飛躍する律。直後大きな口から業火が放たれ、それはわずかに律の体毛を掠めた。
律「科学の力は恐ろしい…」
紬を降ろしてやりながら、律は呆れたように呟いた。
澪(良かった、律大丈夫そうだ…)
澪「さて、どうしようかな…」
冷や汗が額を伝うのを気にとめず、澪は困った笑みを浮かべてフランケンシュタインを見つめる。
力の限りに指を引きはがそうにもビクともしない。当の本人(?)は足下を逃げ回る和達を追い回すのに夢中になっている。
律「澪!大丈夫か!!」
澪の危機に気付いて律が叫ぶ。だが、紬の父が救助に行くのを許さない。
フランケンシュタインはしばらく和達を追い回すのに夢中になっていたが、痺れを切らしたように澪を顔の前へと持ってきた。
澪「何する気――!」
急に澪を握る手に力を込め始めるフランケンシュタイン。今度はこっちが潰される危機に瀕した。
データ採取がまだちゃんとされていないはずだが、フランケンは本気で潰す気でいるようだ。
紬の父は律の反抗があまりにもしぶとくて頭に血が上ったのか、こちらの様子には気付いていない。
澪「嘘、だろっ…!」
すさまじい圧迫感が体中にかかる。息が詰まる感覚に、澪は悲鳴も上げられずに痛みに歯を食いしばった。その時だった。
地の底から唸るような声が、部屋に響き渡った。
フランケンの動きが止まる。刹那、ぽっかりと開いたままになった床の穴から、大きな黒い影が飛び出した。
澪は見た。その影の正体は、ライオンのように大きな黒猫だった。ふたまたに分かれた尻尾がうごめいて、鋭い牙が光り、フシャーと威嚇するような鳴き声が轟く。
澪「次から次に…何なんだよもう…。勘弁して…」
次々と現れる異形の存在に、抵抗する気も失せて澪はうな垂れる。と、
大きな黒猫は飛び上がってフランケンに襲いかかり、澪を掴む腕に食いついた。バチバチと火花を立てて、ロボットのフランケンの腕はへし折られて千切れる。
力が抜けた指から澪はもがいて逃げ出す。その様子を、黒猫が鋭い目で見つめていて、澪は体勢を立て直すと身構えた。と、
黒猫「大丈夫でしたか、澪先輩」
澪「へ?」
黒猫「すみません。早く上がってきたかったんですけど、四足歩行に慣れるのに時間がかかっちゃって…」
澪「その声…もしかして、梓か!?」
わ~あずにゃんだ~
305:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 21:16:34.71:paEvcPaVO梓「はい、心配をおかけしました」
澪「もう、何が何だか…」
父から逃れていた紬が、二人に駆け寄ってきた。
紬「梓ちゃん、今になって薬の効き目がでたのね…」
梓「みたいですね。何ですかこれ」
紬「何だったかしら…。えっと――」
ムギ父「猫又だよ。日本妖怪に化ける薬も作ってみたかったんでね」
梓の存在に気付いた紬の父が、牙をむいて微笑みつつ彼女達の方を見やる。
梓「何ですかアレ…」
紬「――紹介するわ。私の父よ」
あずにゃん、律わん、澪キュラと来たか
309:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 21:20:36.71:paEvcPaVO律「あ、梓なのか!?良かった、無事だったんだな!」
ムギ父「だが、何も解決してはいない。結局の所、重要なサンプルが増えただけだ」
律(くそっ…それが問題なんだよな。どうしようもないだろこれ…)
小さく唸り声を上げつつ、律は紬の父を睨み上げた。
梓「律先輩、苦戦してそうですね…。とにかくこっちのでかいのを壊して、早く援護につきましょう」
澪「そうだな。ムギ、危ないから和の所に行っててくれるか」
紬「えぇ…ごめんね」
小さく澪に謝ってから、紬は和と合流する。
和「良かった…梓ちゃん、無事だったのね」
紬「うん。本当に良かった」
和「これで唯も安心でき――あら?そういえば、唯はどこに…」
紬「え?」
二人は慌てて辺りを見回す。どこにも唯の姿はない。
紬「和ちゃん、一緒に逃げてたんじゃ…」
和「えぇ。でも、律を助ける為にモニターいじりに行ったから…その時にはぐれたのかも」
紬「一体どこに…?」
二人が困惑していることなどつゆ知らず、律は果敢に紬の父に攻めていく。
律(やばいな…そろそろ変身が解ける…。また変身するまでにはちょっと時間がかかるから――その隙に襲われればアウトだぞ!どうする!?)
焦る律。すでに牙や尻尾は元に戻りつつあった。変身中は丸いものを見ても意味がない。
それに気付き、勝ち誇った笑みを浮かべる紬の父。
ムギ父「チェックメイトだ!!」
大きな爪が振り上げられる。律はきつく目を閉じた。と、その時。
「やっほ~」
緊張感のない声がどこからともなく聞こえてきた。
ktkr
313:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 21:24:35.05:paEvcPaVO律「…唯?」
ムギ父「どこだ…。どこにいる…!?」
割と近くから聞こえたその声の出所を探す。だが、二人とも見つけることができない。
唯「ここだよ、ここ」
またも聞こえてくる声。
唯「ムギちゃんのお父さんの、頭の上」
驚愕に目を見開き、律は瞳を巡らせた。確かに唯はそこにいた。先ほどまではそんなところにいなかったはずなのに。
ムギ父「貴様、いつの間に――」
紬の父も全く気が付かなかったというように、口をあんぐり開けている。
唯はゆっくりと彼を操る機械に足をかけ、微笑んだ。
唯「チェックメイトだよ」
やっぱり美味しい所持ってっちゃいますね
316:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 21:26:35.02:paEvcPaVO――唯によって機械を破壊された紬の父は、すぐに正気に戻った。
フランケンロボの方も、澪と梓の活躍により、見るも無惨に破壊されてしまった。
長い首を振って何度も頭を下げ、謝罪の言葉を繰り返す紬の父。
ドラゴンに頭を下げられるという貴重な経験をした唯達は、無事にワクチンを手に入れることができた。
律「しっかし、何で唯は誰にも気付かれずにムギのお父さんの頭の上まで行けたんだ?――ってあれ?唯どこ行った?」
和「あら…?まただわ。さっきも急にどこかに行っちゃって――」
唯「失礼だなぁ、ここにいるよ。和ちゃんの前」
和「え?…きゃ!びっくりさせないでよ…」
唯「ビックリさせるも何も、さっきからいたよ!」
澪「な、何が起こってるんだ?」
ムギ父「たぶん、彼女が飲んだこの薬の能力だろう」
紬の父が差し出した薬の瓶には、『ぬらりひょん』と書かれたラベルが貼ってあった。
ムギ父「自由奔放にのらりくらりと行動するつかみ所のない日本妖怪だ。人に気付かれずに動き回るのが得意な妖怪だね」
律「なるほど…だから今日はよく唯を見失ったんだな…」
紬「日本妖怪の薬は、効き目がでるのが遅かったのね…」
唯「いやぁ、あずにゃんが無事で本当に安心したよ~。っていうか、あずにゃん本当にあずにゃんになったんだねぇ」ダキッ
梓「意味がわかりませんよ」
猫又梓をよーしよしよしと声をかけながらなで回す唯を見て微笑みつつ、紬の父は再度頭を下げた。
ムギ父「君たちには本当に迷惑をかけたよ…。薬は全て処分する。資料も全てだ。博士達の処遇も、こちらが引き受けよう」
こうして、今回の騒動は幕を閉じた。
律「ふー…とりあえず一件落着だなぁ」
廃墟から出た律は大きくのびをしながら息を吐く。そして、ワクチンの入った小瓶を見つめた。
律「この厄介な体ともおさらばか…」
唯「んー、もうちょっとぬらりひょんライフを堪能したかったよ」
梓「私は一刻も早く戻りたいですね。このままじゃサーカス行きですよ。…あれ?唯先輩どこですか」
唯「だからここにいるよ!」
笑い合う唯達。そして、ワクチンのふたを開けた。
澪「それじゃあ、元に戻ろっか」
律「あぁ」
唯「――ちょっと待って!」
小瓶の中の液体を律達が飲み干そうとした時、ふいに唯が声を上げた。
唯「良いこと思いついたよ!」
唯ひょんですか
322:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 21:31:02.97:paEvcPaVO――時刻はすでに九時を回っていた。
連絡も無しに帰ってこない姉を、心底心配する妹がいた。そう、憂だ。
憂「お姉ちゃぁん…」
涙目になって時計を見つめる憂。警察に連絡しようかと電話の前をウロウロしていたとき、インターホンが鳴った。
憂「――!はい!!」
慌てて駆け出す憂。ドアの外には、紬と和がいた。
紬「憂ちゃん、今大丈夫?」
憂「は、はい。あの、お姉ちゃん知りませんか?帰りがまだなんですけど――」
和「その唯のことでちょっと話があるの」
憂「…?」
暗い夜道を駆け、学校へとたどり着く憂達。と、次の瞬間。
梓「フシャアアアァ!!」
憂「!?」
大きな黒猫が背後から突然現れた。
憂「きゃあああああああ!!」
驚いて駆け出す憂。追いかける梓と紬と和。
澪「憂ちゃん…」
憂「――!澪さ…」
声が聞こえてきた方へ目をやると、牙をむいた澪が木に逆さまになってぶら下がっていた。
澪「血を飲ませてくれないかな…?」
憂「!?!?」
最低の姉www
326:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 21:35:37.90:paEvcPaVO憂「ひいいいいいいいぃ!!」
涙目になって逃げ出す憂。その視線の先に、律が立っているのが見えた。
憂「り、律さん!助け――」
律「う、う、うぅ…ウオオオオオオオオォン!!」
憂「!?!?!?」
救いを求める憂の目の前で、律は満月を仰いで狼人間と化す。凍り付く憂。
憂「いや、いやぁ…」
猫又と吸血鬼と狼人間に囲まれ、憂は震えあがる。そして、
唯「――…トリック・オア・トリートォ…」
憂「」
締めに憂の前に気付かれずに移動した唯が、おどろおどろしい声でそう言って姿を見せると、憂はその場に卒倒した。
憂ちゃん・・・
329:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 21:38:41.23:paEvcPaVO唯「ういいいいいいいいいぃ!!」
律「まぁ…シャレにならんわな」
澪「仮装なんて可愛いものじゃないからな…」
梓「だからやめましょうって言ったのに」
唯「あずにゃんノリノリだったじゃん!!」
和「ホント、騒がしいわね…」
紬「まぁせっかくのハロウィンだから…やってみたかったっていう気持ちはわかるかも」
騒ぐ唯達を眺めつつ、紬と和は小さく笑った。
その後目を覚ました憂に、みんなこっぴどく叱られたそうな。
おしまい。
狼りっちゃんと吸血鬼澪ちゃんが見たいと思って衝動的に書きはじめた
どうせならハロウィンにあわせたSSにしようと、結局ほとんど怪物化
最後超展開正直すまんかったw
でもバトルシーンは書いてて楽しかったので後悔はしていない
336:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 21:44:39.41:pTn9VvpE0どうせならハロウィンにあわせたSSにしようと、結局ほとんど怪物化
最後超展開正直すまんかったw
でもバトルシーンは書いてて楽しかったので後悔はしていない
乙
途中のりっちゃんがイケメンすぎて漏れた
338:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 21:46:16.51:m0EuoHpR0途中のりっちゃんがイケメンすぎて漏れた
乙。面白かった
狼りっちゃん格好よかった
343:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 22:00:53.21:PjwUo5Un0狼りっちゃん格好よかった
狼りっちゃんもいいが
澪キュラこそ至高・萌え!
359:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 23:19:54.24:paEvcPaVO澪キュラこそ至高・萌え!
本当にただ澪が律から血をいただくだけのおまけになるけど…
それでよければ今から直書きで投下していきます
362:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 23:28:47.07:paEvcPaVOそれでよければ今から直書きで投下していきます
もし、研究所突入前に澪が血を求め始めていたら――
唯「律わんの完成が近付いてるんだね」
律「じょーだんじゃないぞ!…とにかく急ごう!」
澪「…ごめん、律。ちょっと、待ってくれ…」ゼェゼェ
乾いた苦しそうな息の下で、澪が呻くように口を開く。律は慌てて彼女に駆け寄った。
律「どうした澪!大丈夫か!?」
澪「凄く、喉が…乾くんだ…。正直かなり、辛い…」
律「マジか…どうすっかな…」
肩で息をする澪。唯達も心配そうにそんな彼女の様子を見守っている。
さわ子「そこで転がってる男達からちょっと血をもらっちゃいなさい。それしかないわ」
腕を組んで考え込んでいたさわ子が、立てた親指で気絶した男達を指す。が、澪は小さく首を振った。
澪「それは…ちょっと…」
そりゃ見ず知らずの人、しかも男に噛み付けというのは、澪には少し酷な話だ。
律はしばらく口を閉ざし思考を巡らせ、意を決した様にみんなを振り返った。
律「ごめんみんな…ちょっとだけ外で待っててくれないか?」
梓「何するつもりですか?」
律「いや、その…私の血なら、澪も変な気使わなくてすむかなって…」
紬(Oh…)
澪「でも、律…」
律「苦しいんだろ?私のことは良いからさ」
澪は俯いて本当に囁くような声で、じゃあ頼むよ、と律に頭を下げた。
律「…そういうことだからさ、しばらく待っててくれ」
唯「りっちゃん…献身的だね…」
和「唯でもそんな言葉使えるのね」
唯「さすがに私に失礼だよ和ちゃん」
ぷう、と頬を膨らませつつも外へと向かう唯。他のみんなもあとに続く。
最後に紬がどこか後ろめたそうに外に出て、廃墟の中には律と澪、そして気絶した男達だけが残された。
律「ふぅ…さてと。さすがに何か小っ恥ずかしいからなぁ、血を吸われてるとこ見るのって」
澪「…ごめんな、律…」
律「ばーか、気にすんなって。仕方ないじゃんか」
澪「…うん」
澪を安心させるために明るく振る舞う。律は部屋の中を見回して、ぼろぼろのソファを見つけると、ホコリをいくらか叩き落とした後それに腰掛けた。
律「よっしゃ、じゃあ早く済ませちゃおうぜ。長引くと辛いだろ」
澪「あ、あぁ。…ど、どうしよう」
律「そうだなぁ…とりあえず腕にでも噛み付いて――」
袖をめくろうとして気が付いた。自分が今は半狼人間となっていることに。
腕は見事にふさふさの毛が生えそろっていて、牙をたてても皮膚に届きそうにない。
律「あっちゃー…そっか、腕は無理だな…」
さてどうしようか。律は考える。自然と頭に思い浮かべるのは、ホラー映画に出てくる吸血鬼の吸血シーン。…それは先ほど澪に血を舐められた時と状況が酷似していた。
律「あー…うぅ…」
急に恥ずかしくなって、律は顔が熱くなるのを感じた。横目で澪を見る。凄く苦しそうだ。
律(…恥ずかしがってる暇、ないよな)
律は一つ息をつくと、黙ってシャツのボタンを少し外し、首筋をはだけた。
律「ん。ひと思いにがぶっといっちゃってくれ」
澪「えぇ…!?そ、そんな本格的にいかなくても…」
律「つーかここぐらいしか良い場所がないんだよ。悪いな」
律は目を閉ざして、恥ずかしいのを必死に堪える。
そんな彼女の様子を見て、本気で考えてくれているのだと理解した澪は、ゆっくりと律の前に立った。
澪「――わかった。ごめんな律、ちょっと痛いかも」
律「…おう。大丈夫だから、気にすんな」
目を閉じたまま返事を返す律。澪は震える口から長く息を吐くと、律の肩に手をかけた。
澪「じゃあ、えっと…いただきます?」
律「…恥ずかしいからやめろ」
きめ細かくてすべすべした律の首筋に、澪は鋭くとがった牙をたてた。ぴくり、と律が反応する。
澪(…ごめん)
心の中でもう一度謝り、一気に噛み付く。皮膚を突き破って牙が侵入してくるのを感じ、律は小さく呻いて眉を顰めた。
じわりと血がにじみ、流れ出す。澪はその温かな血を、丹念に舌で舐め取った。
鋭いものが突き刺さる痛みと、首筋を舌が這いずるくすぐったさがない交ぜになって律の体を電流のようにかける。
律「は、ぁ…」
そのどうしようもない感覚に、自然と涙が滲み、息が荒くなる。
先ほどの傷口を舐められたくすぐったさとは、比べものにならない感覚だった。
澪(何だろ…凄い喉が渇いてたからかな…。――律の血、凄くおいしい…)
一心不乱に舌を這わせる澪。もっと、もっと飲みたい。もっとこの最高に喉を潤してくれる律の血を味わいたい。
その欲望が澪を支配し、彼女は滴ってくる血を舐めるのでは飽きたらず、直接吸い出し始めた。
律「――うっ…ぐ…」
またも経験したことのない感覚が律を襲い、律の体が小さく震えた。
牙の刺さった傷口からどんどん血が吸い出されていくその痛いようなくすぐったいような、言葉にできない感覚は、だんだんの律の思考を麻痺させていく。
律(なんだこれ…何か、変な感じ…)
たまらず大きく息を吐き出す。その呼気は澪の長い髪をくすぐり、揺らすが、それを意に介さず澪は血を吸うことに夢中になった。
澪(おいしい…もっと…)
律の肩にかけた手に力が入る。澪は律を先ほどと同様押し倒さんばかりの勢いで覆い被さっていく。
律「み、お…」
明らかにコントロールが効いていない様子の澪を抑えようとするも、体に全く力の入らない律は為す術もなくされるがままになってしまう。
澪(もっと…欲しい…)
牙がさらに深く律の肩口に食い込んだ。
律「――…つっ!あ、ぅ…」
走る痛み。さらに溢れ出す鮮血。それを吸い出し、飲み込んでいく澪。
澪「…ふっ…」
息をするのも難しくなるぐらい律の血を貪る。飲み損なった血が、口内に溜まった唾液と共に少しばかりこぼれ落ちる。
実に素晴らしい
382:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/01(月) 01:10:26.45:49llWlv7O自分の血のにおいが鼻を掠め、律は涙が滲み霞んだ視界で澪を見た。
律(どれだけ…夢中になってんだよ…)
これがあの指を切ったぐらいでガクガク怯えていた澪なのだろうか。
夢中になって首筋に食らいつくその姿は、まさに映画で見た吸血鬼そのものだった。
律「はぁ…う、ぅ…」
何とも言えない感覚が全身を満たし、指を動かすのも辛いぐらい力が抜けていく。
そろそろ限界だった。頭もクラクラする。
律「み、お…澪……!」
何とか声を張り上げる。だが、澪は吸血をやめようとしない。
舌を這わせたり、吸い出したりを交互に繰り返し、無我夢中で血を貪る。
律(まず、い…)
完全に我を失っている。このままじゃ自分の命に関わってくる可能性もある。
律(澪…目を、覚ませ…!)
限界の体に鞭打って、律は腕をなんとか伸ばす。
律「がるる…」
歯を食いしばって必死に手を動かすと、つい喉の奥から狼のような唸り声が迫り上がってくる。
律はその手を澪の背中に回した。まだ自分の首に食らいついたままの彼女を正気に戻すため、律は強硬手段に出た。
律「ごめ、ん…!」
力を振り絞って澪の背中に爪を食い込ませる。
澪「――!あ、ぐ…!」
痛みに思わず悲鳴を上げ、澪の口はようやく律の首筋から離れた。
律(なんとか…成功…)
肩で息をしつつ霞む目で澪を見る。
死力を尽くした律は、安心したと同時に急激に気が遠くなるのを感じた。
澪の背に回した手がずり落ち、ソファの上に倒れ込んだ。
澪「いたた…あ――ご、ごめん律、私…律!?」
痛みで我に返った澪は、すっかり暴走してしまったことを思い出し、慌てて律に謝ろうとする。
だが、その律は完全に力尽き、ソファの上で崩れ落ちていた。
澪「律!律!!」
自分のせいで、律をこんな目に合わせてしまった。澪は半泣きになりながら律の体を揺する。
律「――…大丈夫…だから。…っへへ、狼人間の体力…なめるなよ…?」
澪「律ぅ…ホントに、ごめんな…」
その後、澪は外で待っていたみんなを呼び戻し、再び全員が合流した。
律「ごめん…まだちょっと、休憩させて欲しい…。若干貧血気味で頭クラクラする…」
ソファの上でぐったりとなった律、そしてその首筋に残る牙の後を見て、唯がごくりと生唾を飲んだ。
唯「おぉ…なんか、生々しいね」
梓「はい…何だかドキドキします…」
律「ホント凄いぞ…。きっとお前らが想像してるよりも遙かにいろいろ大変だからな」
澪「うぅ…恥ずかしい…」
和と紬に介抱してもらいつつ律は、一刻も早くワクチンを手に入れて澪を元に戻さねばと改めて心に誓うのだった。
おしまい。
おぉーいいねーお疲れ様おもしろかったー
404:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/01(月) 08:47:44.13:jKiKXLXc0よかった狼りっちゃんが本当によかった
狼なのにネコっぽいとか最高じゃないか
409:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/01(月) 16:57:09.10:YlDqAicG0狼なのにネコっぽいとか最高じゃないか
いちおつ!
りっちゃんマジ天使
りっちゃんマジイケメン
416:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/01(月) 20:01:19.89:FllMt+gQOりっちゃんマジ天使
りっちゃんマジイケメン
耳と尻尾が残ったから
これから澪に会うたび尻尾ブンブン振りそうだな
425:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/01(月) 22:24:52.39:c21V4jaa0これから澪に会うたび尻尾ブンブン振りそうだな
途中まですっげーイケメンりっちゃんを想像してたのに
誰かががうがうりっちゃんって言ったせいで一気に可愛いイメージになっちまったじゃねーかコラ
何はともあれ乙!
351:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/31(日) 22:36:35.50:m0EuoHpR0誰かががうがうりっちゃんって言ったせいで一気に可愛いイメージになっちまったじゃねーかコラ
何はともあれ乙!
394:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/01(月) 02:02:37.07:UdywOtvv0
コメント 2
コメント一覧 (2)
しかし腐女子絵2つは要らなかったかな…
けど、同じく絵はいらなかったなぁ
特に二枚目がイケメン通り越して男化なのがちょっと…