2以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/13(土) 19:41:38.47:Kdf+Itko0

放課後の文芸部室。彼が僕を見ていた。じっと、疑惑のこもった目で見つめられていた。
いつもであれば僕はそれを受け止めて微笑んでみせただろうけれど、しかしいつもではないのでそれも適わない。
目を逸らしたまま、およそ三分が経過した頃にようやく彼が口を開いた。

「えーっと、だな」

歯切れの悪い彼というのも、珍しい。とは言え、その理由には検討が付きますので僕は何も言えない。
まるで、審判を待つ罪人のような気分でした……が、果たして僕が何をやったというのでしょうか?
完全に冤罪です。

「なあ、古泉」

「……はい、なんでしょうか?」

「こういう場合、俺はどこからツッコめば良いんだろうな?」

血の気の引いた顔で彼がボヤく。その気持ちも痛いほど理解出来ますよ。

 
5以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/13(土) 19:49:51.18:Kdf+Itko0

「発想を転換してみてはいかがでしょうか?」

「転換?」

「ええ、そうです。例えば、貴方と僕の状況が逆ならば、貴方は果たして僕に何を望むでしょうか、と」

彼が人差し指を額にするすると持っていく。その表情はまるで難事件の推理を始めた名探偵のように険しい。

「……スルー、だろうな」

「ですよねえ」

十一月。登下校の道のりにマフラーを巻いている北高生が目立つようになってきた昨今。しかしながら、決して僕が寒いと感じないのは絶えず腰の辺りが暖めているからで間違いありません。

「なるほど。納得した。なら、質問の内容と対象を変更してやる」

「助かります」

肩の荷が下りたと、そう感じるのは錯覚でしかないのでしょう。状況が何も変わっていない以上、問題は何も解決していない以上。
彼は怪訝な視線を僕の斜め後方へと送り、そしてまた一つ深い溜息を生産した。

「長門。いや、俺の目に何らかの宇宙的なウイルス辺りが侵入した結果だと、信じたいんだが」

「貴方の視覚情報にそのような介在要因は現在存在していない」

いえ、今のは確認ではなく皮肉だと思います、長門さん。
……現実逃避、でしょうか?

 
6以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/13(土) 20:00:07.99:Kdf+Itko0

「そうか。……受け答えが出来るって事は等身大一分の一長門フィギュアって線は消えたな」

そんな想像をしていたのですか、貴方は。その類稀なる発想力は少々驚嘆に値しますが、しかし仕方のない事なのかも知れません。
人間というのは突拍子のない状況を否定しようとして、更に突拍子もない事を考えてしまう生き物ですから。

「……フィギュア?」

「あ、いや、何でもない。ただの妄言だ」

妄言というか、何というか。僕が何も言葉を挟めずに押し黙っている、その隣で彼と長門さんの視線が交錯している。
視線のデッドヒート、とでも比喩するべきでしょうか。

「長門のそっくりさん、ってンでもないんだな、古泉?」

「世界には自分と生き写しの容姿を持った人間が三人居ると言いますが……しかし、宇宙製有機アンドロイドは二人と居ないでしょうね……」

「だよなあ」

彼が頭を掻いた。僕は恐る恐るこの言葉にし難い状況を作り出した張本人を振り返る。
少女は、ただそこに居るのが当然と立っている。いや、抱きついている、という方が正しいでしょうね。

 
7以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/13(土) 20:10:44.01:Kdf+Itko0

「さぞあったかいだろうな、古泉」

彼がうんざりと口にする、その台詞に僕も同調してうんざりと応えざるをえなかった。

「いえ、どちらかといえば薄ら寒いです。共感、頂けませんか?」

「いや、無理だろ。想像の範囲外だ。非常識っつーか、非日常っつーか」

「不快ではありませんが、しかして快いとも決して言えない僕が居ます。お気付きに、なりませんか?」

僕の視線の先には、携帯電話のストラップのように離れない、少女。

「谷口調べの北高の美少女ランキングでトップ10に入るソイツに抱き付かれておいて、そんな感想しか出て来ないのかよ、お前は?」

話題の渦中、長門さんは無言を貫いている。それは彼女の常態ではありましたが、正直今だけは饒舌に振舞って頂きたいと心から望んでいる僕が居ます。
無言などはこの状況下、あらぬ誤解の種でしかありません。

「……残念ながら、ですね」

「気持ちは分かるけどさ」

僕らは溜息を量産する。そろそろ文芸部室は僕らの溜息で埋め尽くされたかもしれない。重い空気が、漂っていた。

 
9以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/13(土) 20:19:06.79:Kdf+Itko0

彼が本題を、そんな中であっても切り出した。この辺りの決断力は僕にはないものであり、流石は神に選ばれた少年だと少しだけ自分の事のように誇らしく思います。

「で、長門?」

「何?」

「古泉の腰にへばり付いて、一体お前は何をやってるんだ?」

彼の口から放たれた、その質問に少女が何と答えるのかを僕は知っていた。それは今朝から僕が何度となくしてきた質問と寸分違わぬ内容でしたので、ね。
まあ、順当に考えて一番の疑問でしょう。

「観察」

四文字。漢字にすれば二文字しかない、簡潔にして理解に易い回答。しかして、それは普通は到底理解出来るものではありません。

「観察?」

「そう。観察」

どうやら、僕は宇宙人の観察対象に、今朝から選ばれてしまっているようです。

 
10:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/13(土) 20:19:12.81:DPiZ2rrQ0
長門がだっこちゃんになったと聞いて

 
11以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/13(土) 20:33:36.55:Kdf+Itko0

僕と長門さんの前で、彼が頭を抱えた。

「ちょっと待て。今、俺は実は未だ夢の中に居るんじゃないかと自分の頭をいぶかしんでいる最中なんだ。少し状況整理と現実容認の為の時間をくれ」

「了承した」

恐らくはほんの数ミリ、首を上下に動かしただけの彼女の動作はけれど、僕の皮膚感覚に驚くほど容赦なく響く。
人間の体内は70%が水で出来ている。その事実が、まるでウォータベッドのように少女の身じろぎ一つ一つと鋭敏に共振する僕の精神を襲います。
……正直、ご勘弁願えないでしょうかという本心は、もしかすると男性失格かも知れません。

「よし、帰還完了」

「なら、目を背けないで下さいよ」

「いや、それ無理」

「でしたら笑うか泣くか、表情をはっきりさせて貰えませんか?」

「人間は一か零かじゃないんだぜ、古泉」

……少々気の利いた台詞回しであっても、その苦虫を噛み潰したような顔では少しも僕の心に障りませんが、果たしてそれでいいのでしょうか。

 
13以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/13(土) 20:45:55.77:Kdf+Itko0

「まあいい。当面の問題は、だ」

だから、目を逸らさないで下さい。お願いします。この件に関しては「一生に一度のお願い」権を使用する事も辞さない覚悟ですよ、僕は。

「長門。何をしているのか、は分かった。観察……してるんだよな、古泉を」

「情報の伝達に齟齬が生じている」

ああ、少女が肺を上下させる都度、その小さな顎を動かす度に、理性の動員を余儀なくされるのは……これは何ですか? 涼宮さん辺りが考え出した新手の拷問ですか?
でしたらば、非常に効果的であると、僕は憎らしいですがそう言わざるを得ません。

「何? 齟齬だ?」

「そう。私は古泉一樹を観察しているのではない」

「おお? いや、ちょっと待ってくれよ。なら、何でお前は古泉にへばりついてるんだよ」

彼の問い掛けに少女は、僕の体を一度強く掴んで答えた。

「今回の私の目的は、他者かの視点から見た世界と自分の視点との『ズレ』を観察、理解する事」

全く、迷惑な話です。

「現在の私は私自身と古泉一樹の視覚情報を同時並列処理している」

 
15以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/13(土) 20:57:24.68:Kdf+Itko0

彼が目を細め、そして僕と長門さんとを交互に見比べた。何かを訴えるように若干僕を見る方の時間が長い気がしますが、しかしアイコンタクトを受け取るには選択肢が膨大過ぎますね。

「いや、悪いが長門。お前さんが何を言ってるのか、俺にはさっぱり分からん」

「つまりですね」

そろそろ説明役である所の僕の出番でしょうか、とは思っていましたがやはりですか。

「長門さんが、他者に興味を持ち始めたという事なんですよ、これが」

そして、それが長門さんに対して僕がそこまで強く出られない理由でも有る。ああ、僕はこんなにお人よしだったでしょうか。
自分の属性、ないしキャラ付けが、自分自身の事でありながらも曖昧に、そして不安になってしまう僕です。

「説明ありがとうよ。で、だ。どうも俺にはまだよく分からないんで、どこをどう取ればそういう結論にたどり着くのか一つご教授願えんだろーか、プロフェッサー古泉」

博士号を取った記憶は無いのですが。

「以前の長門さんならば、このような行いはなされなかった。それに関しては納得頂けますか?」

「当たり前だ」

いえ、そんなに力強く頷いて頂かなくても結構ですよ?

 
17以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/13(土) 21:07:21.05:Kdf+Itko0

「俺の長門がそんなに腕白なわけがない」

「……俺の?」

「おや、さらっと所有物宣言ですか。これは困りましたね」

「そこは流せ」

彼が少しだけ顔を赤くして明後日の方向を見つめました。ふむ。どうやら僕が知らないだけでキャッチコピーか何かを捩った発言のようですね。
もしも本音がとっさに顔を覗かせた、そんな発言であったのだとしたら冗談ではなく世界の危機が訪れかねない事態であっただけに内心胸を撫で下ろす僕です。

「元ネタはちょっと恥ずかしいんだよ」

「分かりました。では、不問という事で。僕の浅学さも露呈してしまいましたし、これはどちらかと言えば痛み分けでしょうか?」

「いいから本題に戻るぞ。さっさと続きを話せ」

「畏まりました」

僕がお辞儀をすると、長門さんが僕の背中に乗るような体勢になってしまった。意外な軽さに……いえ、女性に関して体重の話を持ち出すのは野暮でしょう。

 
18:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/13(土) 21:13:05.64:skEenyFUO
古泉がうっかりみくる大元帥の爆乳を観察なんてしたら…(゚Д゚)

 
19以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/13(土) 21:15:45.89:Kdf+Itko0

「さて、先ほど僕が口に出し貴方が頷かれたように、以前の長門さんならばこのような事態は有り得なかった。では、以前と今では何が違うのでしょうか?」

長門さんは喋らない。ただ僕の右側後方に張り付いているだけであるのを幸いと、僕はまるで彼女がこの場にいないように話す。

「違い……か。難しいな」

「では、ここで発想の転換を。貴方は入学当初に出会った長門さんと、現在の長門さんが同じ思考回路をしているとお考えですか?」

「……いや」

彼は首を振った。その様子は首の据わりを直そうとしているように、見えなくもない。
もしかしたら、まだこの現実を夢だと思っているのかも分かりません。いえ、僕も自信はありませんが。
朝起きたら同じ布団の中に宇宙産の美少女が居た、などといった現実を即座に受け入れられる人の方こそ希少であるのは想像するに難くなく。

「いや、それはないな」

「つまり、変化ですよ。成長と言ってもいいでしょう」

もしかしたら、それは退化なのかも知れませんが。これは言わぬが華。僕の心の中に留めおくだけにしておく。

 
20以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/13(土) 21:23:53.00:Kdf+Itko0

「そして、その変化はついに他者を慮る所にまで来た、と。そういう事なのでしょう、恐らくは」

「ふうん。なるほどな」

「今の説明で分かりましたか? 正直、上手く説明出来たか心配なのですけれども」

「そうだな。分からない所を除けば概ね理解完了だ」

完全に間違っているという点を除けば概ね正解、の様な言い回しをされましても僕には困る事しか出来ません。

「いやな。それにしたってなぜ古泉なのか、っつー疑問は残るしよ」

「その発言は、なぜ自分ではないのか、と解釈させて頂いても?」

「よろしくない」

ジロリと、僕を睨み付ける彼は少し……いえ、とても疲れているように見受けられたのは、これはしかし鏡写しであるのでしょう。

 
21以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/13(土) 21:32:27.76:Kdf+Itko0

「ふふっ。そうですね。なぜ、僕であるのか。それは僕も長門さんに聞きましたよ」

「まあ、当然の疑問だよな」

「ええ、極自然な質問だと思います。ヒトは不幸に見まわれた際にその因果を考えるよりも先に、なぜ自分なのかを問う生き物だと言います。身に覚えは有るでしょう?」

「現在進行形で有り過ぎる」

恐らくは涼宮さん絡みで、でしょうね。いえ、その中には僕も長門さんも、そして朝比奈さんも含まれている事でしょう。

「まあ、いい。で、長門はなんて?」

「観察対象……つまり、貴方と涼宮さんではいけなかったそうですよ」

少女の常日頃の観察対象。それではいけなかった理由は、これは推察するしか出来ません。が、推論は立ちます。

「そしてまた、同性であるよりは異性である方が観察の対象として妥当である……らしいです」

「それで、お前か。ようやく納得した」

「ええ」

本当に。ああ、可愛らしくも迷惑な話です。

 
23:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/13(土) 21:36:51.49:t0BGkb35O
最終的にはおんぶお化けになっているんですね

 
24:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/13(土) 21:38:39.15:FfJ1SizQ0
かわいい

 
27以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/13(土) 21:49:41.91:Kdf+Itko0

「ご苦労だな、古泉」

普段であれば「ご苦労様です」と声を掛けるのは僕の側である筈でしたので、何か違和感を覚えます。沸々と沸いてくるこの感情は、余り気持ちの良いものではありませんね。
日頃の彼の心労が分かる気がします。ああ、これは肩代わりであるのかも知れませんね。抱き付かれているのは腰ですが。

「勿体無い言葉、とでも僕は言えば良いのでしょうか? とは言え、まあそれほど長くは続かないと思われるのが救いでしょう」

「へえ。その心は?」

「価値観の相違。主観の差異。そんなものは実際有り触れて、溢れ返っているからですよ」

誰かと同じ視点を持っているヒトなど、いない以上。それは抗えないギャップ。
視点がズレれば、論点がズレる。
接点がズレれば、交点がズレる。
始点がズレれば、終点がズレる。
そんな事は言葉にするまでも、考えるまでもなく当然の事でしょう。

「長門さんほど賢い方であれば、すぐにそこに気付き至ると考えますね。楽観でなく」

世界中のコンピュータを直列に繋いでも適わない、情報生命体が創り出した有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェイス。
長門有希。
彼女の処理速度は、想像する事すら許されない。

「きっと、今晩には愛らしいおんぶお化けさんもいらっしゃらなくなっているでしょうから。
そう考えたら、悪くない戯れ、日常におけるスパイスであるかも、などと自分を騙せる所までは思考も行き着きました」

「人はそれを諦めと、普通は言うんだけどな」

彼が意地悪く、そう口にした。

 
28以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/13(土) 22:00:31.14:Kdf+Itko0

内心で辟易しつつも、そしてそれを見透かされつつも、しかし微笑みを浮かべ続けていられたのは機関の教育の成果でしょう。
別に、それが嬉しい訳でも感謝している訳でもありませんが。これはもう、癖のようなものですしね。

「大体、授業中とかどうしてるんだよ。凄い目で見られただろうが」

別クラスの長門さんが引っ付いて離れなかったりするのですから、クラスメイトはそれはもう奇異な目で見るでしょうね。ただし、彼らに長門さんの姿が見えていれば、の話です。

「問題ない。古泉一樹の日常活動に支障を来たすのは私の本意ではない」

「長門さんお得意の不可視、ですよ。いえ、認識干渉でしたか。見えていても、それに気付けない。そういう事になっているらしいです」

流石にそこは何とかして頂かなければ、僕は今日、仮病でも使って学校を休んだでしょう。
宇宙人に監視されている、となるとこれは統合失調から来る幻覚の疑いがありますね。ええ。

「その辺は考えて貰えてんのか。良かったな、古泉」

他人行儀な物言い。良かった、などとは欠片も思っていらっしゃらない事など明け透けです。

 
29:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/13(土) 22:05:57.45:DPiZ2rrQ0
バカっぷる乙では済まされないもんなwwww

 
31以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/13(土) 22:12:25.22:Kdf+Itko0

「本当に良かったと思っているのなら替わって……」

あげましょうか、と。そう続けようとした言葉はキイという扉が開く音に阻まれました。

「遅れましたー。すいません、涼宮さん。鶴屋さんと入試対策の問題集を睨めっこしてたらすっかり時間を忘れ……」

頭を下げつつ部室に入ってきた少女……朝比奈さんは謝罪の言葉を口にしながら頭を上げ、そしてそこで凍り付いてしまった。
……なんですか、この罪悪感。
彼女が見つめているのは僕。そして、その腰にピタリと吸い付いた長門さんの姿。
僕が悪い訳では、断固としてない筈なのです。なのですが……。

「あー……朝比奈さん、これには事情が有るんですよ」

「そうです。古泉のヤツが長門と付き合いだしたとか、そういうのじゃないんで、おーい、朝比奈さーん? 聞こえてマスカー?」

反応、無し。

「古泉一樹の視線が朝比奈みくるのごく一部に集中している。なぜ?」

僕が見ているのは、焦点の定まらない少女の目です。言い方に悪意を感じますが、もしかして長門さん、僕に何か恨みでも有るのですか?

 
32以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/13(土) 22:24:15.83:Kdf+Itko0

そして、朝比奈さん。忘我の状態でありながらもゆるゆると両手を胸部へと持っていくのは、僕に対して少々失礼ではないでしょうか。
日頃、僕はそんな目で貴女を見ていた事などあったでしょうか?

「おい、古泉。今すぐにその両目を抉り取れ。朝比奈さんに失礼だろうが」

ああ、分かりました。僕に人権は認められていないのですね。少なくとも、このSOS団不思議チームの中では。

「抉り取るとか、ちょっと酷くないですか?」

「無い。全く、無い。神様の姿を見て目が潰れたとかそんな神話がどっかに有っただろ。その両目に最後に焼き付けられたのが朝比奈さんの御姿だって幸いを胸に抱いて潔く抉れ」

彼の朝比奈さん信仰はちょっと行き過ぎている気がしないでもありません。
そして、僕の扱いの無残さも。

「あ……あのっ!」

ようやく、少女の精神が現実世界へと帰還されたようです。今日の僕を見て現実から幻想へと逃亡を計ったのは貴女で二人目です。
そんなに滑稽ですか、他人の不幸は?

「わ、わたしは両目なんて酷過ぎると思います! 片目で十分です、古泉くん!」

片目だって嫌ですよ。勘弁して下さい。
どこまで冤罪は続くのでしょう。そして、長門さん。いつになったら離れてくれるのですか?
僕は貴女の思い付きの行動によって今、まさに虐待の危機に瀕しているのですが。

 
33:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/13(土) 22:31:24.66:DPiZ2rrQ0
みwwwくwwwwるwwww

 
34以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/13(土) 22:40:28.70:Kdf+Itko0

「冗談はそのくらいで」

「おい、待て、古泉。どこが冗談だったのかさっぱり分からんので説明を頼む」

「貴方達の発言の全てが僕には冗談としか取れませんでした……が?」

特に朝比奈さん。貴女の発言がトドメです。ピンク色の声音をもってのどどめ色の発言はどうかと思います。

「俺は一度も冗談を言ったつもりはないんだけどな」

「本気だったんですか!?」

本気で人の両目を抉る算段を立てていたのだとしたら、僕は付き合う相手を間違えてしまったかも分かりません。
それより何より、神の人を見る目を疑います。

「……割と」

その声は彼ではなく、僕の後方から聞こえました。
四面楚歌とはこの事でしょう。味方が欲しい、と僕が心から思った所で誰にそれを責められましょうか?

「あ……ごめんなさい! わたしが、わたしがいけないんですっ! 別に減る訳じゃないし……み、見てくらしゃい、古泉くんっ!」

声を震わせてそんな事を言われても……一体、僕が何をしたというのです?
そして、そんな目で睨まないで下さい。お願いです。唯一の同年代、同性の友人だと思っていた貴方に本気で睨み付けられると、いっちゃん本気で悲しいです。

 
37以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/13(土) 22:55:15.52:Kdf+Itko0

さて。
一悶着有った末に何とか朝比奈さんへの説得……違います、説明を終わらせた僕らは互いに指定席となった椅子に落ち着いてお茶を飲んでいました。
朝比奈さんの淹れてくれたお茶がここまで心を癒す効果が有ったとは、思いもよりませんでした。もしかしたらこの世界のバランスはこのお茶で保たれているのかも、と真剣に思案してしまう程です。
今度、機関に掛け合ってSOS団での茶葉購入に予算を使えるようにしてみましょうか。

「へえ、そういう理由なんですかー」

「そう」

「なんだか、長門さん変わられましたね」

「私は、変わった?」

「あれ? 実感有りませんか?」

朝比奈さんは僕の方を向いて、ふんわりと笑顔を浮かべられました。いえ、実際は僕ではなく僕の隣に座った長門さんに向けられた笑みなのでしょう。
何の裏も見受けられない、その笑い方はいつか是非ともご教授頂きたいものです。

「えと、変化って言っても勿論良い意味で、ですよ? とっても、何て言うのかな……可愛く、そう、可愛くなられました!」

残念ながら諸手を挙げての賛成は出来そうにない僕です。両目を失いかけた恐怖は、どうしてもフィルタとなって長門さんを見る目を濁します。
非常に魅力的である事は認めなくもないですけれど、しかし魅惑的なまでに非情な気もするんですよね……。
いえ、からかわれて遊ばれているのは分かっているのです。少女の感情が発育してきている実感は有るのですよ。
ただ……これは好きな子をいじめるいじめっ子をいじめられた方は決して良くは思わない、というそんなものなのかも知れません、が。
……。
……好きな子。
いえ、まさか。
まさかまさか。ありえません、そんな事は。

 
41以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/13(土) 23:14:41.42:Kdf+Itko0

「可愛い、という概念が私にはよく分からない。朝比奈みくる。詳細な説明を希望する」

「ふえ?」

少女の言葉を僕は心の中で反芻する。可愛いという概念が分からない。なるほど、そう来ましたか。
それはつまり、人を好きになる、という感情が育っていないのが原因なのでしょう。……否。自覚の有無、でしょうね。
これは厄介な質問ですよ。さて、朝比奈さんはどう返すでしょう。

「可愛い……ですか。そうですねー。なら、長門さん。今度、一緒に女の子のお店に行きましょう!」

「女の子の、店舗?」

「そうです! 可愛いものがたーっくさん有りますよ! きっと、長門さんが気に入る物だって中には有るはずです。ぬいぐるみとか、ティーカップとか、お人形とか。わたしと鶴屋さんがよく行くお店を一緒に巡りませんか?」

これはこれは。僕には出て来ない発想ですね。朝比奈さんらしい、まさに発想の転換。概念を言葉で教えるのではなく、感じる事、触れさせる事によって理解を促すとは。
ヘレン・ケラーに家庭教師が水とコップの違いを教えた逸話のようです。
素直とは、時に天才的な発想を生み出すものなのだと、朝比奈さんをまじまじ見……ようとして目を逸らす僕です。
どうにも、やりにくいですね。

「そう」

「ダメ、ですか?」

僕の背中に少女の動きが伝わってくる。恐らく、長門さんは首を振られたのでしょう。少女を振り向かずともそれが分かったのは、朝比奈さんの歓声が部室に満ちたからです。

「朝比奈さんは、SOS団で一番長門の事が分かってるような気がするな」

彼の台詞には全くもって同意です。

 
43以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/13(土) 23:29:53.97:Kdf+Itko0

少女達が、どこの店に行くか、いつ決行するかを話し合っているその横で、僕と彼は戯れにオセロ盤を囲む事にしました。
話し合っている、とは言いましてもほぼ一方的に朝比奈さんが長門さんの都合を聞いているだけではありましたが、それはそれとして傍で見ていて悪い気はまるでしません。
九月の一件で、二人の距離はとても縮まりましたね。仲良き事は美しきかな、と昔から申します。

「なあ、古泉。流石に角四つとも取られておいて逆転も無い気がするんだが、俺」

「角を取られたのではありませんよ。譲ったんです。そういう拘りよりも大局を見る方が大事だと、教えてくれたのは貴方ですよ?」

「あの時はお前が角に執着し過ぎてたのが悪いんだよ」

盤面は圧倒的に白が優勢でしたが、角を全てこちらが握っている以上、勝敗は火を見るよりも明らかです。

「今回こそ、僕の勝ちですね。ようやく連敗記録をストップ出来て一安心ですよ」

「そういうのはゲームが終わってからにしないと格好付かんぞ。ほれ、古泉の番だ」

僕は白と黒のだんだらを目を皿のようにして見回し……おや?

「あれ? 置ける場所、どこですか、これ?」

「ねえよ。どこにも置けないように石置いたからな。はい、お前パス。で俺はここに置いて、っと」

「……真綿で絞め殺す、という表現をご存知でしょうか」

「今知った。また一つ賢くなったぜ、ありがとよ、古泉」

そう言った彼の後ろに有る勝敗表には、また一つ僕の名前の横に黒い丸が付けられた。

 
45以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/13(土) 23:49:06.03:Kdf+Itko0

さて、第二戦と。負けた僕が駒を整理している所で彼の胸元から少し耳障りな音楽が聞こえた。

「電話ですよ、キョン君」

「いえ、この音はメールです、朝比奈さん。……ハルヒのヤツですよ」

携帯を開かないでも誰からのメールか分かるという事は、相手によって着信音を変えているという事でしょう。
マメな方です。

「いや、最近ちょっといじっただけだ。いじり始めたら止まらなくなってな」

「ちなみに僕からのメールにも設定してあるのですか?」

「ああ。つーか、SOS団は全員登録して有る。古泉はダースベイダーのテーマだったかな」

王道の嫌がらせですね。そしてそれを本人に言って聞かせるというのは人としてどうなんでしょう。
僕、闇のフォースに飲み込まれてるような態度を貴方に対して取った事がありましたか?

「それでそれで? 涼宮さんからはどんなメールが来たんですか?」

「あー、ちょっと待って下さい。ん……っと。ああ、あの馬鹿、また商店街で使い古しのガラクタ貰い受けたらしいです。取りに来い、だそうで」

 
47以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/13(土) 23:51:26.33:Kdf+Itko0

やれやれ、と呟いた彼は立ち上がる。

「ちょっくら行ってきます。ああ、ハルヒと俺は帰り遅くなると思うんで今日は解散しましょう」

「分かりました。荷物持ち、頑張って下さいね」

「行ってらっしゃい」

僕と朝比奈さんの送り出しの声援を受けて、しかし彼はドアノブに手を掛けて立ち止まった。
視線の先は僕、ではありませんね。長門さんですか。

「長門」

「何?」

「古泉に何かされそうになったら情報なんたら解除をやっちまっていいぞ。俺が許可する」

「了承した」

最後まで、一言多いと言いますか。そんな狼藉を、僕に働く事が出来ると思っていらっしゃるのならこれは一度彼と話し合う必要が有りそうです。

 
50以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 00:08:00.14:QFG3PI3E0

「では、私たちも帰りましょうか」

言って朝比奈さんが立ち上がる。彼女は机に置いてある四つの湯飲みを慣れた手際で回収していく。

「そうですね。余り遅くなってもいけません。秋の日は釣瓶落とし、と言いまして。いえ、もう冬に片足乗せていますけれど」

立ち上がる際に腰の辺りに慣れない重量を感じ、否応無しに現実に引き戻される。
ああ、そう言えばこの問題が有りましたか……。

「長門さん」

「何?」

「もしかして、僕の部屋にまで付いて来るおつもりですか?」

「問題無い。遮蔽シールドはいつでも展開出来る状態にある」

そういう問題でしたか? そういう事を僕は言っていましたか?
どうも、意思の疎通が上手くいっていないようです。僕は溜息を吐いた。

「女性が男性の部屋に足を運ぶというのは、倫理的に問題を孕んだ行為であると僕は考えます」

「今朝、貴方の部屋に入ったが、しかし問題と呼べるようなものは存在を確認出来なかった。有ったとしても無視出来るレベル」

……。
それ、僕の存在を無視出来るレベル、って言ってるんですよね、そうですよね。

 
51:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 00:14:42.43:uBGNIlrj0
ひどい言いようだwww

 
52以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 00:16:28.78:QFG3PI3E0

「大丈夫ですよ、古泉くん。何か有っても長門さんなら大丈夫です!」

その場合、僕は大丈夫ではない気がします。
日頃世界の危機……神人と戦っている以上の命の危険を感じている、僕。ああ、「僕の」世界の危機なのか。なんて上手く言ってはみても何の解決にもなっていません。

「統合思念体から情報連結解除の許可は下りている」

情報連結解除……よく分かりませんが非常に不穏当な響きはその中から嗅ぎ取れた。機関で養われた危険への嗅覚が僕の脳内で警鐘を鳴らして止まない。

「任せて」

長門さんの小さな声が、僕にはギロチンの縄が切断される音に聞こえてならなかった。


「」

 
53:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 00:25:44.36:uBGNIlrj0
任せられるかwww

 
55以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 00:54:27.16:QFG3PI3E0

長門さんの説得に全力を注いでいると、僕が割と本気で困惑している事は朝比奈さんにもようやく気付いて貰えたようでした。
気付くのが遅くないだろうか、などと思ったりもしましたが、それでも説得する側が一人増えた事は喜ばしいので恨み言は心の奥底にしまっておく事にします。
我ながらこの辺りはなかなか大人な対応ではないでしょうか。

「長門さん。古泉くんはどうも本当に困っているみたいですし、そろそろ許してあげたらどうですかー?」

ちょっと、朝比奈さん。許すってなんですか? 僕、自覚が無いだけでやっぱり何かやってたりしたのですか?
過去に無いほど全力で記憶を辿る。脳内で思い出フィルムを巻き戻し、三歳の頃に行ったどこかの湖で白鳥相手に歓声を挙げていた頃を思い出す。
ああ、あの頃の僕はとても純粋でした……。

「困惑する理由を求める」

「そう、改めて聞かれると、ええと……やっぱり、男の人と女の人が一緒の部屋で一晩過ごすっていうのは……」

頑張って下さい、朝比奈さん。僕の生命は貴方に掛かっていると、言っても決して過言ではありません。
僕が心の中でエールを送っている事など構わずに、少女はただ「分からない」ゆえに質問を繰り返す。

「なぜ?」

「え? ええと」

「なぜ、男女が同じ室内で夜間、同時に存在してはならないのか。それはこの文芸部室における活動内容と何が違うのか、朝比奈みくる、詳細を」

それはきっと、彼女には分からない。
インターフェイスには、伝わらない。
性という、ものがそもそも彼女達には存在していないから。

「詳細を、求める」

どんな言葉で説明しても、きっと理解はさせられない、有機体の生。性。

 
59以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 01:14:58.05:QFG3PI3E0

「それは、えっと……えっと……」

顔を赤らめてこちらを見る少女には申し訳なく思いますが、しかしこれはそんな色気の有る話ではないのでしょう。
これは、そう。
目の見えない人に青という色を教える行為のような。
そういう類の、質問と内容なのです。
しかし、考えてみれば当然の話でして。
彼女は、有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェイスは。
親は居ても。
肉親は居ない。
つまり、生というものの源流がそもそも僕らとは違うのです。単一生殖ですらない。殖えるという思考が存在しているかどうかも定かではない。
長門有希。
この星に無い生まれ方をしている彼女に、それをどう教えればいいのでしょうか。
性の倫理と禁忌。
命の重さ。尊さ。
恋と、愛。
好きと、嫌い。
それは人間であってすら難解なテーマであるのに。ましてや宇宙人に教えられる道理が、無い。

「長門さん」

「何?」

「僕の負けです。部屋に、ご案内します」

「そう」

それに気付いてしまえば過ちなど、僕には起こせそうにも無い。

 
61以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 01:29:15.80:QFG3PI3E0

「古泉くん……いいんですか?」

部室を出ようとする僕を引き止める声に振り向くと、朝比奈さんは両手を胸の前で組んでこちらを、僕たちを見つめていた。
誰の心配をしているのか。僕か。長門さんか。いや、多分両方でしょうね。彼女の気持ちは嬉しい。
けれど僕は頭(カブリ)を振った。

「良いんですよ。なんと言いましょうか……そうですね。分かってしまいました、と。そう言うしかないのでしょうね、これは」

理解。何を?
自問自答は堂々巡りのウロボロス。

「何を、と聞かれても困りますが。けれど分かってしまったのですよ。なぜ、と聞かれるのもそれも困りますね。分かってしまったのだから、としか僕には言えませんし」

そう、それをあえて口にするならば。

「長門さんは、宇宙人なんですよ」

こんな感じでしょう。
宇宙人、未来人、超能力者、異世界人。そうやって女神の傲慢の下、一所に集った僕たち。
僕が超能力者であるように。彼女は宇宙人で、それは揺るがない。

「いえ、長門さんは宇宙人ですけれど……」

少女が言いよどむ。僕の腰に抱き付いた長門さんは何も語らない。ただ朝比奈さんを見つめているのでしょう。
何を考えているのか、それは僕の想像の及ぶところではない。

 
76以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 11:40:04.43:iiRRorsL0

「朝比奈さん」

出来る限りの優しい声音を装って、僕は少女に語り掛ける。

「僕はそんなに信用なりません?」

「い、いえ! 決してそんな事はありません!」

「勿論、僕は男性で長門さんが女性である事は揺るぎようのない事実です。危惧は分かりますし、僕だって抱きました。けれど考えてもみて下さい」

両の手のひらを空に翳す。雨が降ってきた事を確認しているようなそのポーズは、しかしここは屋内です。そういった意味には受け取られないでしょう。

「彼女は、外見はともかくとしまして産まれてから四年しか経っていないのですよ」

四歳児。
流石に守備範囲外ではあります。ボール球も良い所。残念ながら、いえ、幸運な事にでしょうか。ストライクゾーンの遥か彼方です。

「そ……そうですよね。長門さんがあんまりに可愛らしいから忘れていましたけれど、そうは言ってもやっぱり」

「ええ、恋愛……色っぽい事に発展するには何と言いましょうか、こう、情緒が無いのですよ。大事でしょう、情緒とか雰囲気って」

僕の苦笑を、少女も苦笑で返す。

「ふふっ。古泉くん、ロマンチストなんですね。ちょっと意外でした」

 
77以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 11:51:45.64:iiRRorsL0

おや、心外です。僕はこれでも夢に夢見る年頃であったつもりなのですが。

「なら、長門さんを任せても良いですか?」

「はい。どうしても困った時にはもしかしたら連絡をするかも知れません。その時はよろしくお願いします」

首だけをもって軽く会釈する。深いお辞儀をしてしまえば長門さんの体が僕に付いてくるので、そこは妥協しましょう。
色々と言ってはみたものの、それでも女性の体重を感じるというのは余りよろしい事ではないでしょう。相手が恋人でもない限り。

「分かりました。任せて下さい」

「素敵な返事です」

こうして僕たちは湯飲みを洗い出した朝比奈さんと別れ、校門を二人で潜った。
秋と冬の入り混じる空はもうとっぷりと暗く。携帯電話を開いて時刻を確認するとまだ十七時であるという事実に驚かされます。

「さて」

「……?」

「どうしましょう、長門さん。真っ直ぐ僕の部屋へと向かいますか?」

僕は愛らしい、等身大宇宙人ストラップへと声を掛けた。

 
78以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 12:03:54.92:iiRRorsL0

思い返せば誰か、少女と二人で下校道を歩くというのは初めての経験で。そしてまた、その終着点が自分の部屋だというのも初めての事ではありました。
何を思った訳でもなく自然と、このような質問が口を突いたのはそれでもどこかで先延ばしにしたいといったどこか疚しい思いが有ったのでしょう。
自分の事ではありますが、しかし無理も無い事かと嘆息します。吐いた呼気は街頭の下で白く染まって、そしていつしか消えている。

「どこか行きたい所が有るのでしたら、折角です、荷物持ちとして同行しますよ」

彼も今頃は雑用に従事しているでしょう。同じSOS団に所属する男性同士、これも役割ではあるのだと思います。
ただ、長門さんに荷物持ちなどというものが必要なのか、という疑問は有りましたが。
そして。
そして、彼女に「行きたい」「欲しい」といった感情が芽生えているのかという根本的な……止めましょう、この思考は。
世辞にも趣味が良いとは、言い難い。

「そう」

「何か、有りませんか?」

ふと、腰に回された腕に力が篭った。それは僕の行き先を誘導するように動いて。

「一つだけ」

長門さんは呟いた。

「一つだけ、有る」

静かな、降りしきる雪のような声で。

 
79以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 12:16:17.62:iiRRorsL0

促されるままに歩く。その足取りは商店街を越えて、今僕たちは三車線の国道沿いを歩いていた。
彼女は一体、どこへ向かっているのでしょうか?
その疑問を口にだそうとして、しかし留め置きます。どうせ、そんな事は目的地に着けばすぐに分かるのです。であるならば、わざわざ聞く必要もありません。
目的地が分からないというのはそれはそれで、悪くもありません。少女が僕をどこへ連れて行こうとしているのか、それを考えながら歩くのもまた一興、であるでしょう。
思考や推理は嫌いではない僕です。

「お腹、減りませんか、長門さん?」

「別に」

「では、晩御飯をご馳走しますと、そう言ったら困りますか?」

「問題無い」

「ふふっ。分かりました」

さあ、これで考えなければならない案件がもう一つ増えてしまった訳ですが。
この近隣で少女を連れて行けそうなレストランの脳内検索を、少女の目的地推理と並行処理。中々の難題ではありましたが。
しかし、それを楽しんでいる僕が居るのもまた、確かなのです。
外気は十度有るか無いか。であるというのに僕はまるで寒さを感じなかった。
思えば、人とこんなに密着した事などここ数年で有っただろうか。……いえ、まあ相手は宇宙人さんなのですけれども、ね。

 
82以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 12:43:06.68:iiRRorsL0

「そう言えば、まだ聞いていませんでしたね」

ふと、気が付いた疑問を口に出す事に躊躇いは無い。
デフォルトが無言の僕たちです。そこに居心地の悪さは感じなかったのですけれども、しかし会話が有るのならばそれに越した事もないでしょう。

「なぜ、密着しているのですか?」

「必要だから」

ドキリ、僕の心臓が高鳴ります。いけません。別に僕が必要とされている訳ではないと分かっているのに。
顔には出ないまでも体内は誤魔化しようが無く。抱き付かれているこの状況では心音など筒抜けである事は想像するに易い。静まれ、僕の心臓。
深呼吸を、一つ。

「必要、ですか。いえ、それは分かるのですけれども。必要が無ければこのような真似はなさらないでしょうし」

好きでやっている、訳もない。何せ、彼女は長門有希(ウチュウジン)。
僕ら地球人類の常識では計り知れないお方です。

 
83以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 12:45:40.21:iiRRorsL0

「僕が疑問に思っているのは、このような真似をなさらなくとも貴女ならば僕の視覚を盗む事など簡単なのではないか、という事なんですよ」

「出来なくは無い」

歩きながら、時折横を走る車のライトが僕らの影を地に伸ばす。

「出来なくは無い、ですか」

「そう。しかし、この方が処理が容易で済む。処理速度には限界が有る以上、余剰メモリは残しておくべき」

備え有れば憂い無し。例えば急な敵性宇宙人の襲撃。例えば涼宮さんの唐突な思いつき。
咄嗟に彼女の力が必要になる事はままある話ではありました。

「なるほど……ですが、そんな危険を侵してまで僕に情報処理能力を割く程の価値が有りますかね」

「だから、危険にはならない水域を維持する為に接触している」

どこまでも、理に適った考え方だと僕は溜息を吐いた。車の産む風はそれが世界に留まる事すら許さない。
なんだか、僕の姿を映しているようで呼気すら滑稽です。いえ、曖昧にではなく滑稽なのでしょうね、今日の僕も。

 
84:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 12:53:22.75:UQ3z4rINO
チクショー長門俺と代われええええええええええ

 
85:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 12:55:28.14:8pMpS8It0
・・・え?

 
86以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 13:16:40.42:iiRRorsL0

車の灯りが傍を流れていく。視線を上げれば高架橋を走るその様はまるで光る河のようで。
下界が余りに明る過ぎて星は見えないけれど。人間が創り出した星だって、それはそれで決して悪くない。
その下には、一人の人生が光っているのです。
街灯の下を僕らが行き過ぎるように。
星の数ほど、命は溢れている。

「……興味深い」

長門さんが突然、ポツリと呟いた。足取りはそのままに首だけで少女を振り返る。

「何が、ですか?」

「ズレ」

「ズレ……ああ、そう言えば当初の目的はそれでしたね」

いつの間にか、そんな大事な事を忘れてしまっている自分が嫌になる。環境適応能力が人間は高いとはしっていましたが、まさか自分の身で体験する日がこようとは。
神人、そして機関と向き合った時以来の感覚でした。
慣れとは恐ろしいものです。それがなければ僕たちは生きていけないと、分かっていても空恐ろしい。

「何か、分かりましたか?」

「分析中」

「そうですか。出来ればお早めにお願いしますね」

僕が心底、少女の事を鬱陶しく思わない、そんな精神状態に至ってしまわない内に。
悟るには、まだ僕は若すぎる。そうでしょう。

 
87以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 13:26:06.03:iiRRorsL0

歩く。歩く。少女に連れられて、立ち止まったのは照明がこれでもかと明るい郊外型の大きな雑貨屋の前でした。
予想外。とは言え、そうです。話の流れとしては決して意外でも何でもないのでしょう。
朝比奈さんと長門さんの話していた「計画」を知っていながらそれをまるで思考から隔離していたのは、長門有希という少女の人となりを知っていたから。
知っていたつもりでしかなかったのかも分かりませんね、これでは。

「ファンシーショップ、ですね」

「そう」

「朝比奈さんと来る予定では無かったのですか?」

「そう」

「では、なぜ今なのです?」

「貴方とであっても朝比奈みくるとであっても店舗に変化は無いと判断した」

「ふむ、なるほど。ならば善は急げとやらですか」

いえ、善かどうかは知りませんけれども。

「そう」

「分かりました。お供しますよ」

そう言って、一日限りの彼女の雑用役は歩き出す。少女の口が魔法の呪文を唱えている素振りはありませんが、しかし校内ではありませんし問題も無いでしょう。
涼宮さんにさえ見つからなければ、それで済むだけの話です。

 
88以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 13:41:29.66:iiRRorsL0

二階建てのその建物は恐らく僕個人には一生無縁であるだろうと思われるもので満ち溢れていました。
朝比奈さんが言っていたぬいぐるみ、コーヒーカップばかりではなく。アクセサリ、化粧品、ガーデニング用品、舶来ものの菓子、キャラクターグッズに生活雑貨エトセトラエトセトラ。
変り種としては鞄や下着なんていうものまで陳列されていました。目まぐるしく目移りしますが、しかし目を奪われるようなものは有りません。
当然と言えば当然の話ですね。
ここは女性向けにコーディネイトされたお店なのですから。僕は招かれざる客でしょう。
傍らを歩く少女へと戯れを、口にしてみる。

「気に入ったものが有ったら言って下さい。奢りますよ」

「了承した」

いつもと変わらない彼女の返答。それが余りに場にそぐわない事務的さで僕は少し苦笑してしまう。
はしゃぎ、目を輝かせる長門さんというのも可笑しな話ではありますが。しかし、一目で良いので見てみたい気もします。
怖いもの見たさでしょうか……と、女性に向けてこんな事を考えるのは流石に失礼ですね。

「もしよろしければ、僕が選びましょうか? 気に入らなければ言って下さればよろしいでしょう」

言って、傍らに丁度良く置いてあった色ガラスで飾られた指輪を手に取る。

「たまにはこういうものも、付けてみたら気分転換になるものですよ」

長門さんの右手を取る。細く、白い指が五本整然と並んでいた。そこで僕ははたと気付く。
どの指にこれを通せばいいのだろう、と。

 
90以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 14:00:27.23:iiRRorsL0

僕が少しばかり悩んでいると、彼女は言った。

「この追加装飾を私が着ける事の意味を求める」

ああ。
ああ。
少女はその意味も分からない。なぜだかそれが、悲しかった。無性に、切なかった。
他人事であるのに。ありながら。僕には……正直に言いましょう、辛かった。
崩れそうになった表情を、しかし咄嗟に僕は困った振りをして隠す。

「そうですね……これは理解する類のものではありませんのでそれを説明するのは少々難しいかも知れません」

「学習ではない?」

「はい。感じるものですから」

言いながら形の言い人差し指に金額の書かれたタグが付いたままの指輪を通す。

「よく、お似合いです」

「そう」

彼女は素っ気無く、頷いた。そして僕をまじまじと見つめる。

「追加装飾をする事が朝比奈みくるの言っていた『可愛い』という言葉の意味」

「いえ、違います」

そうでは、ない。彼女にそれを分からせる事は地球人類には無理な話なのかも分からない。

 
91以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 14:13:04.59:iiRRorsL0

少女は左腕を僕の腰に巻き付けたままに右手を掲げ示した。

「この指輪は、可愛い?」

「はい、そこそこ可愛いと思いますよ」

思ったままを言葉にする。もしかしたら彼女の理解を促す事が出来るかも知れない、などと希望的な観測を抱きつつ。
しかし、それが適わないであろう絶望的な現実を目の当たりにしてなお、僕は自分を騙して。
人の姿をしているから。
僕らと同じ姿形をしているのならば。
意思の疎通を夢見る。夢に夢見る年頃というのも、満更偽りではないらしい。

「では、あのぬいぐるみは? 可愛い?」

少女の右手がすっと伸びる。人差し指に掛けられたサイズがだぶだぶの安い指輪は、店内の照明を受けてヒスイのような輝きを見せた。
視線を向ければそこには間延びした表情をしたくまの等身大ぬいぐるみが飾られている。

「可愛いと思います。朝比奈さんが好みそうですね」

「貴方は? 好みではない?」

「可愛いとは思いますが、欲しいとは思いません。僕は男ですし……何より僕の部屋は手狭なのですよ。物を増やす余裕はありません」

「そう」

「そうです」

デートのようではありましたが、ここまで色気に欠けていてそれでもなおデートという言葉を用いて良いものなのか、僕には判断が付きかねました。

 
92以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 14:24:09.03:iiRRorsL0

その後も、長門さんによる質問は続きました。僕はそれに一々可愛いか可愛くないかの判断を下さねばならず。
まるで○×二択式の感受性のテストを受けているような気分になってしまったのは、まあこれは仕方の無いことだと割り切りましょう。

「では、あのプランタは?」

「そうですね。非常に独創的な形をしていらっしゃいます。機能美ではありませんが、これはこれで部屋のアクセントになるかと。ええ、可愛いのではないでしょうか」

「では」

入り口近くの園芸コーナを回りだした頃には、僕は少しばかり疲れていました。女性の買い物に付き合う事を男性は基本的に苦痛に感じるというのにも納得することしきりです。
長門さんが指を差す。僕はゆっくりと顔を上げ、そして凍り付いてしまった。

「彼女は? 可愛い?」

店舗の外、ガラス越しにこちらを見てにやにやと微笑んでいる、意地の悪いその表情は僕もよく知っている顔です。
見られた。しまった。という思考よりも先に「どうしてここに彼女が」という疑問で僕の頭はいっぱいになってしまっていた。
ああ、反射ですぐには分かりませんでしたが、よくよく見れば笑む彼女の傍らにはアコーディオンヒータに腰掛ける彼の姿も有る。
……なんと間の悪い事でしょう。

「非常に、魅力的だと思います。そうですね……僕は可愛いと思いますよ」

涼宮さんのしたり顔を見つめながら、僕は今日何度目かの溜息を吐いた。

 
94以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 14:49:23.21:iiRRorsL0

涼宮さんがガラスの向こうで彼に向かって何事かを話している。こちらから目線は逸らさず。
これは……憂慮すべき事態であるのかも知れませんよ? 彼女に捕まってしまえばNASAに捕獲された宇宙人よろしくの質問攻めに遭う事は先ず間違いなく。
別に長門さんと恋仲であるという勘違いをされる事は構わないのですが、しかし出来れば回避したいという本音がむくりと顔を出す。

「逃げましょう」

意識せず口を突いて出た言葉は、きっと本心などという類ではないのかと考えます。
決断してしまえば善は急げの鬼は外です。踵を返して店内へと早歩きで逃げ込む僕と、それに付き従う長門さん。涼宮さんが僕らを指差して何事かを叫んでいましたが、生憎店内BGMでそれは聞こえません。
正しく黙殺というヤツですね。
レジにて少女の指にずっと引っ掛かっていたアクセサリの会計を早々に済ませる。どこに置いてあった物なのか、それを捜し歩く時間さえ、惜しい。

「奢ります。代わりと言ってはなんですが不可視をお願いしても? いえ、貴女だけで構いません」

「分かった」

店内深く、ぬいぐるみコーナに身を潜めた、ちょうどその時に店舗入り口の自動ドアが開きました。
かくれんぼの鬼の登場です。

 
95以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 14:50:08.52:iiRRorsL0

「キョン、絶対にあの二人を逃がすんじゃないわよ!」

「へいへい。で、やっこさんはどこにいらっしゃいますかね、っと」

「逃がさないわよ。あんな衝撃の瞬間を見せられたとあっては、詰問しない訳にはいかないわ、SOS団の団長として!」

「お前、いつになく目が輝いてるよな……」

「キョン、見事捕まえた暁には今度の期末テスト対策用にまとめたアタシの完っ璧なノートを貸してあげるわ」

「よし、乗った」

僕の身柄は、本当に彼の中で安く見積もられているのだな、と。ついには紙束と交換ですよ?
そんなものくらいならば、機関で幾らでも用意するというのに。もしかして彼を友人だと思っていたのは僕の方ばかりなのだろうか。

 
96以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 15:04:24.18:iiRRorsL0

雑貨の陰に隠れて注意深く彼らを見守っていると、涼宮さんが彼に何事かを言いつけて階段を上がっていった。少年は入り口近くのその場を動かない。
なるほど、上手いやり方だと内心舌を巻いてしまう。二人居るのですから店内に一つしかない出入り口を一人が塞いでしまえばそれで後は時間の問題……弱りました。
これは、長門さんにお願いして僕の身にも不可視属性を付与して貰おうかと、そう思った矢先でした。彼がきょろきょろと周りを見回し、そして右手で小さくOKサインを作る。

「出て来て良いぞ、長門。古泉」

二階に居る涼宮さんには聞こえない音量で、ありながら僕らに届くであろうぎりぎりを見計らって彼は言う。

「ハルヒに見つかったら厄介だろ。俺だって面倒事は御免だからな」

……そういう事ですか。つまり、彼は味方。先ほど涼宮さんに迎合してみせたのは嘘も方便という訳ですね。
いつ二階から降りてくるか分からない少女に留意しつつ、陳列棚の死角となる位置を進む。

「よお、色男」

「どうも。嘘吐きは泥棒の始まりですよ?」

「そんな憎まれ口よりも先ず感謝の一つくらい有っても罰は当たらんと思うんだがな、俺は」

共犯者は笑った。

 
97以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 15:15:22.81:iiRRorsL0

「貸しにしておいて下さい」

「元よりそのつもりだ。お前、この貸しは高く付くぜ?」

「それは怖い。お手柔らかにお願いしますよ」

彼がすっと右手を挙げる。僕はその意を汲み取るとすれ違いざまそこに右手を叩き付けた。

「行けよ。どうやら、今回ばかりはお前がヒーローで俺やアイツは脇役だ。そうだろ?」

「芝居掛かった台詞ですね。そういうのは僕の領分ではありませんでしたか? それともそういったものまで取り替わってしまったのでしょうか?」

「うっせー。さっさと行け、ヒーロー」

「後は……涼宮さんのご機嫌伺いは任せますよ、元ヒーロー」

自動ドアを潜る。出入店時のサウンドに涼宮さんが階下に降りてくるのは時間の問題だった。
うかうかしては、いられない。

「今日はなんか、配役交代の日なんだろ。こういう日がたまには有ってもいいさ。変わり映えしない日常に一粒のスパイスってヤツだ」

「では」

「おう」

外に出た僕は脇目も振らずに走り出す。背後から、少女の怒声が聞こえた気がしましたが、きっと気のせいでしょう。
そういう事に、しておきましょう。

 
99以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 15:34:19.50:iiRRorsL0

秋と冬の間の季節には名前が無い。
冬ほど空気が澄んでいる訳でもない、秋ほど過ごし易い気温でもない、そんな中で目に入る路地という路地を曲がり疾走する僕とそれに付いてくる少女。

「疲れませんか?」

「平気」

「愚問でしたね」

まるでヘンゼルとグレーテルのように、アスファルトの森を迷い行く僕たち。パンくずは全て小鳥に食べられてしまって、お菓子の家なんて終着点も見当たらないけれど。
息は上がり、脈は速くともしかし、これくらいで体力が無くなるような軟(ヤワ)な鍛え方はしていないつもりです。
腐っても、機関の構成員ですから。

「さて、ここまで来れば大丈夫でしょう」

「涼宮ハルヒの追撃は振り切った」

いつの間にか、不可視を解いていた長門さんはやはりと言いましょうか、僕とは違って汗一つかいていない。
まあ、汗をかく長門有希など僕にはそもそも想像出来ない訳ですが、ね。

 
100以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 15:36:10.65:iiRRorsL0

「追撃……追撃ですか。ふふっ、長門さんも言うようになりましたね」

少女は少しだけ首を傾げる。その様子が、先ほどまで神経を緊迫させていた僕には妙に可笑しかった。
笑ってしまう。

「いえ、褒めてます。日本語が堪能になられた、とね」

少しばかり人間臭さを感じて、それは彼女の超然とした立ち居振る舞いにミスマッチで。
ああ、なるほど。
これが、ギャップですね。彼女が僕の目を通して探している。
果たして少女には、届いただろうか。少女自身が内包している、ズレは。

 
102以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 15:51:14.20:iiRRorsL0

「よく分からない。この個体は存在が開始した時点で必要と思われる言語はインストールが終わっている」

「そうではないんですよ、長門さん」

背中にぴたりと張り付く、彼女に語り掛ける。

「了解語彙と使用語彙というものが有ります。意味が分かっている事とそれを利用出来る事とはまるで別物です。
会話や文章で使用される言葉とは後者ですね。それはつまり、言語の選択。そこにはどうしても個々人のセンスというものが含まれてきます」

センス。そんなものは彼女には存在しないと思っていた。思い込んで、枠に嵌めていた。
その枠外。この人はこういう人なのだ、という既存を打ち壊す一瞬。
それはやけに眩しく、僕らの目には映る。僕の視覚情報を共有しているという彼女。
彼女には、それが共有できただろうか。
共有出来ていれば、良い。

 
103以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 16:05:37.04:iiRRorsL0

さて、一息吐いた所でそう言えばお腹が減りましたね。とは言ってみたもののまだ界隈を名探偵涼宮ハルヒさんが現場検証なさっているであろう事は想像に容易く。
仕方が有りません。折角レストランには目星を付けておいたのですが無駄になってしまったのも、これも天命と諦めましょう。
神様が相手ですし、下手をしなくともレストランで偶然……いえ、必然に鉢合わせになってしまう可能性も考えられます。

「長門さん」

「何?」

「好きな食べ物は有りますか?」

「特に」

これまた愚問でした。彼女は目の前に有るものは全て平らげてしまう大食漢(漢?)である事を僕は知っています。
でしたら、遠慮は要りませんね。

「手料理とか、お嫌だったりしませんか? もしよろしければ僕の部屋で夕飯を振舞おうと考えているのですが」

「平気」

「そうですか。助かります」

了承を得て僕は歩き出す。その僕に少女は抱きつき、寄り添って。ああ、もうこの状況に何の不思議も抱かなくなっている自分が居ます。
やれやれ、困ったものですね。神人よりも、神よりも、僕は一人の少女に参ってしまっている。
挙句、何かを勘違いしてしまいそうになるのですから。全く人間とは御し難いと言わざるを得ません。

 
105以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 16:22:30.45:iiRRorsL0

少女がくっ付いている状況では靴を脱ぐのも一苦労です。

「お上がり下さい」

「お邪魔します」

玄関傍らのスリッパを彼女に差し出し、僕は室内の電気を点ける。
独身用のワンルームマンションは当然に今朝のままで。長門さんの突然の襲来に乱れたベッドも、シンクに置かれた洗い物も、見る度に今朝の狼狽を思い起こさせます。
朝に畳もうと思っていた洗濯物はまだ軒先に掛かっているでしょう。その中には当然下着も含まれている為に、まさか少女の手前取り込む訳にもいきません。
……もう一日、放置ですね。明日雨が降らなければ良いのですが。

「……着替える?」

「いえ、制服のままで問題有りません」

朝の時のような、あんなやり取りはもう真っ平ですので。左手を少女の目に翳したまま自分の体すら見ずに触覚だけを頼りにして服を着るとか、あれはもう殆ど曲芸の域でしょう。

「しかし、料理をするのであれば制服は機能性に欠ける」

「エプロンをしますから」

「……そう」

なんでしょう、今の三点リーダは。背筋を薄ら寒いものが上っていきますが……いえ、気にしてはいけない事のような気がします。ええ。
僕は意識的に思考を切り替えて、冷蔵庫の中身を思い出す。炒め物など油が飛ぶ恐れの有る料理は長門さんに悪いですね。

「……ポトフにしますか」

確か、棚にホールトマトが買い置きしてあったはずです。あれならば女性受けもそう悪くないでしょう。

 
107以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 16:38:11.32:iiRRorsL0

ニンジン、ジャガイモ、カブと定番の野菜にカレー用の豚肉。ソーセージの賞味期限は……どうやら大丈夫なようですね。

「あ、セロリって大丈夫ですか? 嫌いな人結構多いんですよ。僕は好きな野菜なんですけれど」

「問題無い」

「ホールトマトを使うのはどうやら邪道なんですよね。最近、レシピを見てビックリした覚えがあります。でも、とても美味しいんですよ?」

「そう」

野菜の皮を剥くのはそこそこ慣れた作業です。こう見えて独り暮らしはそこそこ長い事も有り、否応無く身に付いてしまったスキルでした。

「本当はニンジンなどは皮を剥いたら切らずにそのままを入れて煮込むんですけどね。今日は時間が惜しいので省略しましょう」

一々、作業内容を説明してしまうのは彼女が興味深そうに僕の手元を覗き込んでいるから。そんな風にしげしげと見つめられては楽しくなってきてしまう。
食材が料理に変わる、その過程はまるで魔法のようではありませんか?

「ベーコンなどを入れても美味しいですよ。と言いますか、ポトフという料理がコンソメスープによるごった煮、日本で言う所の鍋ですから」

思わず鼻歌が出そうになるほど料理に夢中になっている自分の存在に気付く。おっと、危ない危ない。

 
108以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 16:49:41.72:iiRRorsL0

炊飯器には十分な量のご飯が用意してあります。本当は今朝から食べ始める予定だったのですが、そんな余裕はありませんでしたね。
トーストとコーヒーという簡易の朝食であっただけにお腹も空いてしまっています。
それは今日一日、僕に連れ添っていた長門さんも同様でしょうね。であるならば、彼女の胃袋を満たすにはこれだけでは足りませんか。確か冷蔵庫にマカロニサラダが有ったはずです。

「本当はもう少し寒くなってからの方がカブも旬なのです。また、冬にでもリクエストがありましたらご馳走しますよ」

「是非」

「ふふっ。そこまで気に入って貰えるか分かりませんけれど、腕によりを掛けて作らさせて頂きましょう」

鍋を火に掛けバターを溶かし、そして下味を付けた豚肉を投入。この匂いだけでもお腹が空いてきますね。空腹は最高のスパイスと、昔の人はよく言ったものです。

 
109以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 17:01:16.01:iiRRorsL0

「さて、後は煮込むだけですね」

野菜が浮かんだ赤い色のスープをかき混ぜながら、僕はふと、そこでもう一品を思いつく。
長門さん相手ですし、献立は少なくとも多いという事はないでしょう。

「後は魚ですね。冷凍室に鮪のサクが有ったはずです。それを解凍しましょうか」

もう冷蔵庫の中身を空にしてしまう勢いでしたが、こんな日もたまには良いでしょう。来客など稀な事ですし。

「刺身?」

「いいえ、カルパッチョです。いえ、まあ似たようなものですか。お刺身よりも薄めに切って作り置きのソースを掛けるだけなので、手間は変わりませんし」

下に敷く野菜は……そうですね、水菜にしましょう。シャキシャキとした食感はこれも僕の好きな野菜の一つです。

「ああ、なんだか調子に乗って作っていますが、そういえば長門さん、食べ切れますか?」

「任せて」

「流石です」

僕は笑った。この頃にはもう、腰にしがみ付いている少女にまるで違和感を感じなくなっていた。
それが最初からそこに有るのが自然なように、僕は感じ始めていた。とは言えそれに気付く事は無く。
来客を純粋に楽しませようとしている、ただ一人の個人、超能力者でも機関の構成員でもない、ただの古泉一樹がそこにいた。

 
110:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 17:06:58.44:5quezEkxO
腹が減る

 
112以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 17:22:28.05:iiRRorsL0

「ああ、そういえば。認識のズレ、でしたか。理解出来ました?」

切った魚肉を散らした水菜の絨毯に並べながら僕は問いかける。彼女は鼻を少しだけ動かして、そして僕を見た。

「貴方が私と違う視界、思考をしている事は分かった」

「そうですか。少し興味が有るので具体的に教えて貰えたら、嬉しいですね」

「例えば。貴方の視点はとてもよく動いていた。眼球運動その他、貴方は周りに常に気を配っていた。これは私にはない行為」

「ふむ、なるほど」

対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェイス。情報を拠り所とする彼女たちは基本的に視点を変えるという事をしない。
視覚情報にそれほどの重きを置いていないからであり、そしてまた視覚に頼らずとも死角が存在しないのがその理由だと僕は考えます。
つまり、周囲を映像として認知していないという事です。

「それは……勿体無いですね」

僕は呟いていた。自分でも、なぜこんな事を言い出したのか、分からない。
そんな事を言う必要も、義理も無いのに。

 
113以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 17:24:44.27:iiRRorsL0

「勿体無い?」

「僕らの世界は、美しいもの、醜いもので溢れているんですよ、長門さん」

例えば、僕が魚を整然と並べているのだって、それを目でも味わって貰いたいからであり。

「それらに目を向けないのは、とても勿体無いと思います」

僕は少女の指先を見る。そこにはあの指輪がまだ引っ掛かっていた。
この視覚は長門さんに届くだろう。
けれど僕が今から吐く言葉は、届くだろうか?

「可愛いものだって、あんな小さな空間でありながら、それでもたくさん有ったでしょう?」

 
114以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 17:35:20.76:iiRRorsL0

僕が可愛いと可愛くないの判断に頭を悩ませた、あの時間は無駄だったのでしょうか。そう思いたくない僕が居て、そして諦めてしまっている僕が居る。
だぶだぶの、その指輪は彼女の指に絡んだままにくるりと半周している。

「分からない」

ただ、そう一言。彼女は呟いた。それが全てだった。

「視覚を通した映像に情報としての価値が有り、それは一考に価すると私は考える。しかし、可愛い、美しいといった概念は非常に抽象的と言わざるを得ずそこに唯一規定の概念も存在しない為私には判断する事が出来ない」

誰かにはきれい。誰かにはきたない。
そこに絶対の線引きなどは、ない。だから彼女にはそれを判断する事が出来ない。分かっていた事。
好きも嫌いも、見方次第。
視点が違う。
始点が、僕と長門さん(ウチュウジン)では違う。
産まれ方が違えばそれは交わらない。

「そう……ですか」

胸に去来する、この想いに寂しさとそう名付けてしまうのは僕の独善に過ぎない。

 
117以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 17:43:11.45:iiRRorsL0

結末など、所詮はこんなものなのです。彼のようにはいかない。僕はヒーローには向いてない事を嫌というほど思い知らされる。

「僕らの価値観や考え方を、貴方に押し付けようとするのはこれは強要ですね。いけません……いけません」

僕らと同じ姿形をしていても。
いや、しているからこそ。僕はそこに勝手に期待した。もしかしたら分かり合えるのかも知れないなどと、夢想してしまった。
少しづつ変わっていっている少女を間近で見てきたから、けれどそれは高望みでしかなかったと。そういう事ですか。

「……もうすぐ、ポトフも良い具合ですね」

溜息は、湯気で隠した。
彼女に罪は無い。悪いのは、一人よがりな僕でしかないのですから。

「晩御飯に、しましょうか」

なるべく明るい声を装って、僕は言った。本心を隠すのは散々練習して、もう苦でも何でも無くなっていた。
失望にも、慣れさせられていた。

 
119以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 17:48:49.30:iiRRorsL0

今から思えば、この時の僕は勘違いしていたとそう言ってしまえるでしょう。
彼女が映像の価値を理解して、他者との認識のズレに納得したとそう口にしておきながら、それでもまだ僕の腰から離れなかったのは、なぜか。
……いや、ここで語るのは野暮ですね。
これはもう少し後のお話と、そうしておきましょう。
トッテオキは、取って置く主義ですから。
ショートケーキの苺は最後に食べるもの、でしょう?

 
120:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 17:56:31.55:UKFIn7lUO
あれ、古泉がかわいいぞ…

 
124以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 18:06:19.44:iiRRorsL0

翌日の朝、目が覚めた時にはもう、長門さんの姿はなくなっていた。どうやら無事に帰って頂けたようです。これでいつもの日常が戻ってきたというものでしょう。
……おや? 何か忘れているような……眠い頭を撫で付けつつ靄が掛かっているような昨日の記憶を反芻していきます……。
あ。
ああ、そう言えば涼宮さんの質問攻めが待っていますね。朝から憂鬱な一日の予感に、布団から這い出る事も億劫な僕。
昨日の夕食の後片付けもしなければならないし、洗濯も朝の内にやってしまわなければならないのに……仕方ない。
一つ勢いを付けて息を吐くと体の上から布団を剥ぎ取ります。途端に寒々しい室内の空気が僕の体を襲いました。
速やかにホットカーペットとエアコンの電源を入れなければ。ああ、エアコンのリモコンはどこに置いておいたでしょうか、と。辺りを見回してそして気付く。
畳む事も出来ず適当に座椅子に掛けておいた制服が、移動している。窓際のハンガに掛けた、そんな記憶は僕にはありません。ならばどうしてそんな所に有るのです?
カーテンを開ければ、朝日と共に僕の目に入り込んできたのは何も掛かっていない物干し竿。出しっ放しにしておいた洗濯物は影も形も無い。
まさかと思いシンクを覗けばそこに有るべき多量の汚れた食器類はやはり消えていて、キッチン下の引き出しに洗って乾かした状態で収納されていた。
……という事は。
箪笥を開ければ……干しておいた洗濯物はここにテレポートしていたようです。きちんと、畳まれた状態で。

「鶴の恩返し……いえ、一宿一飯ですね、この場合は」

出来れば下着には触らないで貰いたかったと思いながらも、歯を磨く際に見た鏡には作り物でない笑顔を浮かべた少年の姿が映っていた。

 
125以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 18:17:33.12:iiRRorsL0

放課後の文芸部室。女神が僕を見ていた。じっと、疑惑のこもった目で見つめられていた。
いつもであれば僕はそれを受け止めて微笑んでみせただろうけれど、しかしどうもいつもではないらしいのでそれも適わない。
いわくに緊急特番、だそうです。僕らの活動が映像化されていた事は初耳でしたがしかし、そんな軽口を言えるような空気でもなく。
目を逸らしたまま、およそ三分が経過した頃にようやく彼女が口を開いた。

「それでは、百五十七回SOS団緊急会議を始めます! 被告、古泉君は前に出なさい!」

まるで、審判を待つ罪人のような気分でした……が、果たして僕が何をやったというのでしょうか?
完全に冤罪です。
おや? 昨日も同じような事を考えていた気がしますね。昨年の八月以来の既視感に少々危惧を感じつつも、しかし名指しされたのでは仕方有りません。
僕は「被告」と書かれたカラーコーンの立つ特別席に腰掛けました。

「あの……昨日も確か同様の事を思ったのですけれども、僕の扱いがオカしくありませんか?」

「さあて、オカしいのはどっちかしら!? キョン、罪状を読み上げなさい!」

僕らの女神は目に見えて生き生きとしている。他人の不幸は蜜の味。そんな言葉が僕の頭を掠めて過ぎていきました。

 
126以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 18:29:48.56:iiRRorsL0

「へいへい、っと」

彼は少女とは正反対に気だるそうに手にしたA4サイズの紙を読み上げ始めました。ああ、それが罪状とやらですね?
裏面に筆致が見られない所を見るとわざわざプリントアウトなされたのでしょうか。相変わらず、こういった事には手を抜かない方ですね、涼宮さんは。感心します。

「被告、古泉一樹はSOS団規定による『団内恋愛の禁止』の項を侵し、アタシ達……ああ、これはハルヒが書いたからか……俺たちの大切な団員である長門有希をその毒牙に……なっ、毒牙だと! 古泉、てめえ!!」

「待って下さい! 完全無欠に冤罪ですよ、それ!?」

「シャラップ、黙りなさい、被告人。よく言うでしょ。火の無いところに煙は立たないの。出た釘は叩き込む主義だしね、アタシ」

超裁判長との腕章を付けた彼女は……こんな人が裁判を取り仕切っていてはこの国はお終いです。ええ。

「そんな殺生な!?」

「あら、今更じゃない、古泉くん。生かすも殺すも上に立つ者が決めるのは社会の常識よ、ジョーシキ。知ってるでしょ?」

「いや、そんな事はどうでもいい。おい、古泉。ここに書かれている毒牙ってのはどういうこった。返答によっちゃ俺は切り札を発動するぞ。ジョ……」

「嘘っぱちの出鱈目です! 長門さん、何か言ってください! お願いです!」

僕の訴えは届いたのか、少女は普段重い口をやけにすんなりと開けてくださいました。

「沈黙は金」

……僕、今日で機関によって存在を闇に葬られるかも知れません。

 
130以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 18:39:15.73:iiRRorsL0

超裁判長による僕への追求はその後も苛烈を極めました。

「何を言っても無駄よ、古泉くん。アタシの目は誤魔化せないわ! 昨晩、有希と雑貨屋に居たでしょう、それも女の子向けのファンシーな!」

「え? あれ、長門さん、わたしが昨日話してたお店、もう行っちゃったんですか?」

「行った」

ナイスアシストです、朝比奈さん。そして自陣のゴールに向けてネットが破れそうなシュートを叩き込むその行為を止めて貰えませんかね、長門さん!
そこは否定しておいて貰いたかったですねえ、ええ!

「言質は取ったわ。有希? 一人で行ったの?」

「古泉一樹と一緒に行った。二人で可愛いと彼が感じているものを見て回った。色々と教えられた」

嘘は言っていません! 嘘は言っていませんが、少しは彼を見習って嘘も方便という言葉をどうか貴女の使用語彙の末端に加えておいて貰いたかったです!

 
131:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 18:41:58.05:tAOwtLyvO
いっちゃん涙目www

 
133以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 18:49:05.85:iiRRorsL0

ふふん、と涼宮さんが鼻を鳴らします。その顔は何も言わずとも「それ見た事か」と書いてあります。
そして僕には反論の余地も残されない……ABCD包囲網に晒された日本軍というのはきっとこういうものだったのではなかったのでしょうか。

「まあ、アタシ一人の判断っていうのも公平性に欠けるしね。傍聴人の意見も聞きましょう。みくるちゃん、どう思った?」

「え……えーっと、その。そういうのってちょっと羨ましいな、って思いました。……えへへ」

ダメです、朝比奈さんに意見を求めるのは殆ど「仕込み」ではありませんか。

「デートよね、これってもう完全に」

「そうですねー。わたしそういうのって全然縁が無いから、憧れます」

ほう、と。色っぽい溜息を吐く朝比奈さんに対して、僕は今日ほど憤りを覚えた日は有りません。
何も知らない振りをして、実は僕を抹殺する為に未来から送られた刺客なのだとしたら、僕はその予見振りに賞賛の拍手を惜しみなく捧げることでしょう。
いえ、未来からすれば予見などはただの歴史に過ぎないのでしょうか。

「……つまり、有罪ね」

なるほど、これが冤罪が成立する瞬間とやらですか。書記の方、同じ男性として擁護はして貰えないのですか?
そんな想いを込めた僕の視線は、けれど彼に届く事は決してなかった。

 
134:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 18:52:51.97:LMSk0uB40
有罪なのかwww

 
135以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 18:58:13.19:iiRRorsL0

それは彼があらぬ方向……長門さんへと視線を向けていたからであり、そしてそれは彼女の一点に集中してブレなかったからでもありました。

「おい、長門」

「何?」

「それ、買ったのか?」

彼の頓狂な声に涼宮さんと朝比奈さんも一斉に視線を長門さんへと集め。一拍遅れで僕も首を回しました。
ペラリと。本を捲る少女の、その右手。
その、薬指。
人差し指よりもぶかぶかに、空回る玩具。

「へえ、珍しいわね、有希にしては。気に入ったの?」

少女はその問い掛けにたった数ミリこっくりと。
首肯を。

「 気 に 入 っ た 」という「感情」を周囲に伝える信号を。

発信したのでした。

 
139以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 19:09:38.13:iiRRorsL0

「ふわー、可愛いですねー。サイズが合ってないのが残念ですけど、あ、でもわたしそういうのを直してくれる所を知ってますよ?」

「行く」

「はい、一緒に行きましょう」

朝比奈さんが読書を続ける少女に歩み寄る。そして、しゃがみこんでその指輪をしげしげと眺めた。
安物の、ガラス球の。
そんな指輪。

「こんなの売ってましたか? わたしも欲しいなあ。昨日言ってた内のどこのお店か教えて下さい、長門さん」

「ダメ」

珍しい。少女からの拒否。僕と同様のイエスレディであったはずの彼女はしかし、未来人に対して明確な「NO」を告げた。

「これは私のもの」

「そっかー。なら、仕方ないですね。うん、同じものを人が持ってるのってなんとなく嫌ですし、気持ちは分かりますう」

ねえ、朝比奈さん。貴女が簡単に言うその「嫌」という感情。それがどれだけ尊いものか貴女は知っていますか?
それが長門さんの口から出て来るというそれが、どれほどの奇跡か気付いていますか?
いいえ、これは言いふらしたりする事では、きっとない。
僕だけが知っていれば、この思いは。
僕だけが、独占していたい、そんなディスカバリィ。
それはあたかも、彼女の薬指に掛かった、今にも外れそうな指輪と同じように。

 
140:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 19:12:11.05:r+2goBCm0
ニヤニヤが止まらん

 
141以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 19:17:52.95:iiRRorsL0

「でも、正直意外ね。有希ってこういうものに興味無いって勝手に思い込んでたのかしら。少し不思議だわ」

少し不思議。SF。サイエンスフィクション。その王道はこういうもの。
機械知性体が人との触れ合いによって感情を手に入れるという、ファンタジィ。いいえ、それは作り物でも幻想でもない。
長門さんは、そこに居るのだから。

「まあ、その指輪が可愛いのはアタシも認めるわ」

「可愛い?」

「え? 可愛いから着けてるんじゃないの?」

小さく首を振る少女。

「可愛いとは、古泉一樹を指す言葉」

僕を含め、その場に居た全員が絶句する。

 
142:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 19:21:11.69:LMSk0uB40
えええええええーーー

 
143:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 19:22:32.30:hN7KAXWaO
ながとwwww

 
144:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 19:25:02.48:UQ3z4rINO
さすが長門
同意せざるを得ない


 
145以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 19:26:33.90:iiRRorsL0

「慌てながらも私に朝食を提供してくれる古泉一樹」

「オセロをして自信の有る顔で彼に負ける古泉一樹」

「私との接触を最小限に抑えようと尽力して空回る古泉一樹」

「一つ一つの私の質問に丁寧に答えてくれる古泉一樹」

「料理に熱中して鼻歌を歌い出す古泉一樹」

「着替えの度に私に目隠しをする古泉一樹」

「自分よりも他者に気を回す事の出来る人」

「彼を私は」

「可愛いと思った」

「変?」

 
146:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 19:27:28.36:3isGUdZE0
あわわわわわわ・・・

 
147:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 19:29:53.16:LMSk0uB40
ま、まだあわててってててててるじかんじゃないいいい

 
149以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 19:39:33.51:iiRRorsL0

さて、これ以降の話は僕の都合により自粛という形を取らさせて頂きます。
大変申し訳なく思いますが……しかし、こういった事は共有するものではないというのは皆さんお気付きでしょう。
長門さんでさえ手に入れた「独占」を、まさか皆さんが理解していないとは僕は思いません。
後はご想像にお任せします、と。そう言った所で如何でしょう。
しかし、僕も心苦しくは有るのです。ここまで付き合って頂きながら、その後を秘密にしてしまうのは。
そこで、お裾分けと言っては何ですが、この日における朝比奈さんのとある発言をもって、僕の感情を欠片程度理解して頂く目安として頂きたいと思います。
長々と、どうもありがとうございました。

「長門さん、可愛いと思っていないのだとしたら、なぜその指輪を着けているのですか?」




長門「これは古泉一樹の観察記念」〆

 
155:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 20:16:32.29:hN7KAXWaO
乙でした
きれいな〆だった!


 
157空紅 ◆.vuYn4TIKs :2010/11/14(日) 20:18:00.81:iiRRorsL0
そうだ。言うの忘れてたわ
古泉はうんこしません

 
158:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 20:21:54.52:LMSk0uB40
長門さんが亜空間に飛ばすんですねわかります

 
160:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 20:58:36.21:g3eFRBEGO
やっぱり古長はいいな
面白かった


 
161:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 21:20:26.80:fU27mgtdP
いいなぁ

いいなぁ


 
164:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/14(日) 23:32:06.28:jJMt1g6FO
ギャグみたいで面白かった
みんなほのぼのしてて良かったけど、特に古泉が好きだわwww


 
165:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/15(月) 00:16:57.64:U+oW5BIV0
いやあ、いいものだな