1以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 20:24:43.38:USQuuW9t0

・憂鬱

  サンタクロースや宇宙人や未来人や異世界人や超能力者をいつまで信じていたかなんてことは
  たわいもない世間話にもならないくらいのどうでもいいような話だが、
  それでも俺がいつまでそんな想像上の存在を信じていたかと言うとこれは確信を持って言えるが最初から信じてなどいなかった。

  若人ならそんなありもしないものに現を抜かしてないで堅実に好きな女でもつくって青春を謳歌するべきなのだ。
  美少女の幼馴染と恋してもいい。街角でパンを咥えた美少女とぶつかってもいい。突然隣に美少女が引っ越してきてもいい。

  実現可能性ゼロのフィクションを信じるくらいなら、
  たとえ可能性は低くとも一応ノンフィクションたる美少女の存在を願ったほうが健全ってもんだろう。

  しかし、現実ってのは意外と厳しい。

  実際のところ、俺のいたクラスに美少女の転校生が来くることはなかったし、空から美少女が降ってくることもなかった。

  小学校を卒業する頃には、
  さすがの俺もそんなガキ臭い夢を見ることから卒業して周囲の女どもの平凡さにも妥協するようになった。
  美少女なんているワケねー……でもちょっとはいて欲しい、みたいな最大公約数的なことを考えるくらいにまで俺も成長したのさ。

  そんな感じで、俺はたいした感慨もなく中学生になり――、

  涼宮ハルヒと出会った。

 
2以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 20:26:47.33:USQuuW9t0

  入学式が終了し、俺は配属された一年五組の教室へ入った。まず担任の先生が色々と喋る。その後はありがちな展開だ。

「みんなに自己紹介をしてもらおう」
 
  クラスメイトが名前の順に各々自己紹介をしていく。
  俺も流れに身を任せて最低限のセリフをなんとか噛まずに言って着席した。
  替わりに後ろのやつが立ち上がり――ああ、俺は生涯このことを忘れないだろうな――後々語り草となる言葉をのたまった。

「東小学出身、涼宮ハルヒ」

  俺は何気なく振り向いた。えらい美人がそこにいた。

  正直に言う。その一瞬で俺はそいつに心を奪われた。

  要するに、一目惚れの、初恋だ。

  しかし……悲しいかな。

「ただの人間には興味ありません」

  その美少女は頭がイカレていたのだった。

 
3以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 20:28:02.34:USQuuW9t0

  あれから三年が経った。

「東中学出身、涼宮ハルヒ。ただの人間には興味ありません……」

  涼宮の変人っぷりは高校に入っても相変わらずだった。
  前の席に座っているやつなんか大口開けて涼宮を見上げてやがる。
  どうせ、これってギャグなの、とか思ってるんだろう。それは大きな間違いだ。

  涼宮ハルヒは常に大マジなのだ。

  その数日後、朝のホームルームの前、涼宮の前の席の男は愚かにも涼宮に話しかけた。

「なあ、しょっぱなのアレ、どのへんまで本気だったんだ?」
「あんた、宇宙人なの?」
「違うけど」
「だったら話しかけないで」

  予想通り涼宮は冷徹にその男との会話を打ち切った。
  男はしおしおと前を向く。やっぱりそうなるよな。
  俺はそいつに半笑いで同情するような頷きをくれてやった。

 
6以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 20:29:41.82:USQuuW9t0

  その男と俺は席が近かったので、ほどなくして昼食で机を同じくするような間柄になった。

「お前、この前涼宮に話しかけてたな。わけのわからんこと言われて追い返されただろ」

  俺はゆで卵の輪切りを口に放り込み、もぐもぐしながらその男――キョンに言った。

「もしあいつに気があるんなら、悪いことは言わん、やめとけ。涼宮が変人だってのは充分解ったろ」

  俺は、中学で涼宮と三年間同じクラスだったことを前置きし、続ける。

「あいつの奇人ぶりは常軌を逸している。高校生にもなったら少しは落ち着くかと思ったんだが全然変わってないな。
  聞いたろ、あの自己紹介」

「あの宇宙人がどうどうか言うやつ?」

 
7以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 20:30:22.83:USQuuW9t0

  そう聞き返したのは、同じく昼食の卓を囲んでいる国木田だ。

「そ。中学時代にもわけの解らんことを言いながらわけの解らんことを散々やり倒していたな」

  その後、俺は滔々と涼宮の奇行列伝を語った。

  語りながら、俺は改めて思った。

  たとえ一瞬でも、どうしてあんな女に恋しちまったのだろう、と。

  やることなすことわけわからん。いいのは外面だけ。性格は最悪で極悪。

  しかし、そんな女でも、三年間も一緒にいると愛着みたいなものが湧いてくる。
  放っておけない。他人のフリもできない。
  中学のとき、気がつくと俺は涼宮ハルヒの近くにいて、なんでか常時苛々しているあいつの八つ当たり先になっていたりした。

 
8以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 20:31:24.61:USQuuW9t0

  言っとくが現在の俺の涼宮に対する気持ちは恋じゃないぜ。

  俺の涼宮への恋――俺の初恋――は、涼宮と出会った瞬間に咲いて、涼宮が二言目を発した瞬間に散った。
  そこのところをよく理解しておいてほしい。
  俺は確かに涼宮に恋をしたかもしれない。しかし、その恋は次の瞬間には終わったのだ。
  なら、以降俺が涼宮に抱いてきたこの愛着のような感情は、恋ではない何かだろう。
  いや、間違っても愛なんかじゃないから安心してくれ。

  実際、俺は涼宮に恋した後、驚くほど惚れっぽくなった。きっと、俺の中にあった美少女幻想を涼宮が粉々に砕いたからだろう。
  涼宮に比べれば、別に顔が今一つだろうがいい女はいっぱいいる。世の中美少女だったらなんでもいいってわけじゃない。
  女は総合力なんだよ総合力。

  とはいえ顔が最重要項目であることに変わりがないわけだが。

 
9以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 20:32:29.50:USQuuW9t0

  ってなわけで、いつの間にか俺は女を客観的に分析する癖がついていた。
  その一つがランク付けである。顔や性格を総合的に判断して女子にランクをつけるのだ。

「このクラスのイチオシはあいつだな、朝倉涼子」

  朝倉涼子。AAランクプラス。我らがクラスの委員長様だ。
  どうせ美少女と出会うなら涼宮じゃなく朝倉のようなやつと出会いたかった。
  朝倉は性格もいいに決まってる。完膚なきまでに完璧じゃないか。

  つっても、まあ、俺には高嶺の花だろうがな。

 
10以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 20:33:22.46:USQuuW9t0

  四月は授業も中学の復習なんかをやっていて勉学はからっきしの俺でもなんとかついていくことができ、
  春の穏やかな気候もあいまって要するにわりと心にゆとりがある時期だった。

  が、人間、心に余裕があるとロクなことをしない。

  俺の場合、暇ができるとつい癖で涼宮の観察なんていう死ぬほど頭の悪いことをやってしまう。
  まだ高校生活が始まったばかりだからか、涼宮にしては大人しくしている方だった。
  しかし、それでも涼宮ハルヒという女は変なことをしたがるのである。

  その一。髪型変化の術。どういうわけか髪型を毎日変えてくる。そしてこれがどんな髪型でも可愛いんだから腹が立つよな。

  その二。体育の授業前の自主的ストリップ。まさかとは思っていたがやっぱ高校でもやりやがった。
  中一ならまだしもいい加減自重しろっての。しかしあいつまた育ちやがっ……なんでもない。

  その三。部活巡礼。そう言えば三年前もやってたっけ。高校の部活は中学よりずっと多いから大変だろうに。
  結局どこにも入部しないくせになんでそんな無駄なことをするかね。

 
12以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 20:34:19.18:USQuuW9t0

  そんなこんなで五月がやってきた。

  その日、ゴールデンウィークが明けた一日目。俺は登校中にキョンを見つけ、声をかけた。
  キョンは随分とシケた面をしてたので、俺はとっておきのゴールデンな話を聞かせてやった。
  バイト先で出会った可愛い女の子の話だ。
  俺は、もしキョンが話に食いついてきたらそのカワイコちゃんを紹介してやるつもりだった。
  どうもこのキョンって男は女っ気がないからな。少しくらい青春の手助けしてやるのが友人の務めだろう。

  しかし、キョンは俺の話に全く興味がないようで、まるでこの世で最もどうでもいい情報を聞いているみたいな顔をしていた。

  そんなことをしているうちに俺とキョンは学校に着いた。

 
13以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 20:35:13.64:USQuuW9t0

  俺とキョンは教室に入る。いつもの癖で俺はまず涼宮を見る。今日はお団子頭か。悪くない。
  俺は哀れにも涼宮の前に座らなくてはいけないキョンと別れて自分の席に着く。

「曜日で髪型変えるのは宇宙人対策か?」

  俺の耳にそんなキョンのセリフが飛び込んできた。

  おいおいキョンよ、どうしちまったんだ?

  そんないかにも頭のネジが吹っ飛んだようなセリフを、お前は一体どこのどいつに向かって吐いてんだ?
  そんなイミフぶっちぎりなことを唐突に言って喜ぶやつなんて、同じくイミフぶっちぎりなイカレ女くらいしか……。

「いつ気付いたの?」

  俺が振り返ると、ちょうど、涼宮ハルヒが仏頂面でキョンにそう聞き返しているところだった。

 
14以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 20:36:15.52:USQuuW9t0

  驚天動地だった。

  あの涼宮が人とあんなに長い間喋ってるなんて、初めて見た。

  キョンのやつ、どんな魔法使ったんだ?

「適当なことしか訊いてないような気がするんだが」

  バカな。ありえない。

「キョンは昔から変な女が好きだからねぇ」

  ひょっこり現れた国木田がそんなことを言う。

  いや、キョンが変な女を好きでも一向に構わん。
  俺が理解しがたいのは、涼宮がキョンを相手にちゃんと会話を成立させていることだ。
  だって涼宮は頭のイカレたキチガイ女のはずだろ?
  やることなすことわけ解らん、おおよそ正常とか普通とかいう概念からはかけ離れたトンデモ女、それ即ち涼宮ハルヒ。
  世界の常識だ。そうだろう?

  それがどうして……?

 
15以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 20:36:54.84:USQuuW9t0

「キョンも変な人間にカテゴライズされるからじゃないかなぁ」

「そりゃ、キョンなんつーあだ名の奴がまともであるはずはないんだがな。それにしても……」

  納得がいかん。

  ……はて、待てよ……?

  俺は、一体何に、納得がいかないのだろう。

  ………………。

  いやいやいやいやいや。

  まさか、な。

 
17以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 20:37:37.11:USQuuW9t0

  驚天動地はなおも続く。

「気がついた! どうしてこんな簡単なことに気付かなかったのかしら! ないんだったら自分で作ればいいのよ!」

  授業中に突然キョンの襟を掴んで立ち上がってそう言った涼宮ハルヒ。

  なあ、このとき、涼宮がどんな顔してと思うよ?

「何を」
「部活よ!」

  これまた初めて見る。燃えるような笑顔だった。

  そして、涼宮はその笑顔をただ一人キョンに向けていた。

 
18以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 20:39:21.42:USQuuW9t0

  おいキョン、お前は今、異常に非常に貴重な体験をしているぜ?

  お前は、三年間ずっと同じ教室に通っていた俺でさえ見たことがない涼宮の笑顔を、
  唾が飛んでくるくらいの至近距離で目にしているんだぜ?

  つーかキョンよ、お前は本当に涼宮と知り合って一、二ヶ月なのか?

  もっと深い因縁があるんじゃないかと勘ぐっちまうぜ。

「ただ、今は落ち着け」

「なんのこと?」

「授業中だ」

  俺はそんな涼宮とキョンのやり取りをただ呆然と見ているしかなかった。

 
19以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 20:40:38.98:USQuuW9t0

  授業後、あいつらは二人で教室を出て行った。涼宮がキョンの手を引っ張って強引に連れ出したのだ。
  もう言い飽きたがこれまた驚天動地。
  あの涼宮が自分から積極的に他人に関わろうとしているんだ。その場合、おそらくその他人ってのはアンチ普通な野郎に違いない。

  キョンよ、お前は本当に何者だ? 

  さらに放課後。もう驚天動地でも驚地動天でもなんでもいい。

  涼宮とキョンが物凄い勢いで教室を出て行った。涼宮がキョンを強制連行したのだ。何がどうなってんだよ、おい。

  次の日に至っては、俺と国木田が一緒に帰ろうと誘ったらなんとキョンのやつ丁重に断りやがった。
  その理由はわかってる。涼宮だ。
  なんだっけか? 『先に行ってて!』だっけ?
  それでキョン、お前はそんないかにも気乗りしないといった足取りでどこに行くんだっつーの。

 
21以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 20:43:30.83:USQuuW9t0

  数日後、俺はキョンに直接問い質すことにした。なんでそんなことをしたのか。よくわからん。
  たぶん涼宮に振り回されているキョンをなんとか救済してやろうという俺の熱い友情がそうさせたのだと信じたい。

「お前さあ、涼宮と何やってんの?」

  続けて、俺は言わんでもいいことを言ってしまった。

「まさか付き合いだしたんじゃねえよな?」

  アホなことを訊いちまった後悔だろう、俺の胸が一瞬だけ苦しくなった。

「断じて違う」

  それを聞いて俺はほっと一安心した。

  なぜって、そりゃキョンが涼宮と付き合うようなイカレポンチでないことが確認できたからに決まっている。

 
22以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 20:44:46.94:USQuuW9t0

「ほどほどにしとけよ……」

  対涼宮に関して先輩風を吹かすつもりはないが、俺は全力でキョンを諭してやった。
  長い付き合いだからわかるが涼宮の暴走ってのはこんなものじゃない。きっとお前だって涼宮と一緒にいればいずれわかる。
  涼宮ハルヒという女は常人の手に負える存在じゃない。

  いつか投げ出すことになるのなら早い方がいい。

  それならお前だって傷が浅くて済む。

  いいか? 俺は止めたからな? 釘を刺したからな?

  このあと、涼宮からどんな害を被っても、それはお前自身のせいだぞ。

  もしお前にその覚悟がないのなら悪いことは言わん。

  涼宮ハルヒだけは、やめとけ。

 
23以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 20:45:37.49:USQuuW9t0

  結局、キョンは俺の忠告を聞かなかった。それが能動的なものであるにせよ受動的なものであるにせよ、である。

「キョンよぉ……いよいよもって、お前は涼宮と愉快な仲間たちの一員になっちまったんだな……」

  俺は本当にこれからもこいつと友達でいられるかな、とか思いながら憐れなるキョンに餞の言葉を送った。

  しかし、涼宮にまさか仲間が出来るとはな……。やっぱ世間は広いや。

  にしてもSOS団ねえ。救難信号なんて出してどうするんだっつーの。

  『不思議なことを募集する』だって?

  俺に言わせりゃ、涼宮とその仲間たちが世界で最強の不思議だよ。ああ、間違いないね。

 
24以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 20:47:56.73:USQuuW9t0

  涼宮とキョンはそれからも仲良く何かをやっているみたいだった。放課後になるとキョンはせっせとどこかへと出掛けた。

  せっかくだから――何がせっかくなんだかてんで理解不能だが――SOS団のホームページとやらがあるらしいので見てみた。
  俺が抱いた僅かながらの興味と関心と好奇心を利子つけて返せってくらいの手抜きサイトだった。
  バカを見るとはこのことである。

  また、あるとき。休日なので暇潰しに昼頃から駅前に遊びに行ってみた。
  と、キョンを含む涼宮の一味が駅前のハンバーガーショップから出てくるのを見かけた。
  俺は急いで回れ右をした。君子は危うきに近寄らないし、三十六計は逃げるに如かないのだ。

 
25以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 20:49:24.37:USQuuW9t0

  しかしまあ、涼宮が楽しそうにしているようでよかった。

  その手段こそ常人とは一線を画しているが何はともあれ最近の涼宮は人並みに幸せそうだった。
  中学の頃の追い込まれているような危うさは見る影もない。

  SOS団ってのも噂だけが一人歩きしているが、要するに仲良しグループみたいなものなんだろう。
  まさに涼宮と愉快な仲間たち。楽しそうで何より。涼宮がそれでいいのなら俺は何も言わん。

  言う義理もない。

  だって、俺と涼宮はただクラスが四年連続で一緒だったっていうそれだけの他人同士なんだから。

 
26以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 20:50:53.27:USQuuW9t0

  しかし。

  さすがは涼宮と言うべきか。

  万人の予想の斜め上を行きやがる。

  土曜は楽しくお仲間と遊んでたんじゃないのかよ? ええ?

  週明けの月曜日。涼宮は珍しく始業の鐘ギリギリに入ってきて、どすりと鞄を机に投げ出した。

「あたしも扇いでよ」
「自分でやれ」

  涼宮の顔は――俺はもう見慣れて見飽きてる――ひどい仏頂面だった。

「あのさ、涼宮。お前『しあわせの青い鳥』って話知ってるか?」
「それが何?」
「いや、まあ何でもないんだけどな」
「じゃあ訊いてくんな」

  剣呑な雰囲気の涼宮とキョン。

  どうにも雲行きが怪しかった。

 
28以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 20:52:29.88:USQuuW9t0

  それからしばらく涼宮ハルヒは不機嫌全開だった。少しは隠そうとしろよ鬱陶しい。
  お前の陰気は感染力が強いから一緒の空間にいるとこっちまで気が滅入ってくるんだっての。

  一体何がご機嫌を傾けているんだろうね。お仲間となんかあったのかな?
  あれだけ気を許していた(ように見えた)キョンともなんだかちぐはぐな会話をしている。

  どうにも涼宮が憂鬱だと俺も憂鬱になってくる。どうしてだろね。はん。知りたくもない。

  つーか頼むぜ、キョン。さっさといつだかみたいにほいさと魔法を使ってくれよ。
  なんでか知らんがお前は涼宮に気に入られてんだからもっと頑張ってくれって。
  それともなんだ、今は魔法が使えないってのか?
  ホワイ、なぜ?

  果たして、その理由は明らかになった。

 
29以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 20:54:34.37:USQuuW9t0

  涼宮が元のダウナーな調子に逆戻りしてからいくらか経ったある日のこと。
  涼宮のせいですっかり調子を狂わされていた俺はアホなことに学校に忘れ物をした。

  時間も遅かったし、もうほとんど家に着きかけていたので取りに行こうか行くまいか迷ったが、結局行くことにした。
  これは後々考えると正常な判断じゃなかったと思う。でもしょうがない。きっと何もかも涼宮の放つ有害電波のせいなのだ。

  俺はとぼとぼと学校に戻った。
  学校に着く頃には日がだいぶ傾いていて、坂の上から見下ろした茜色の空と街は存外に綺麗だった。
  そのおかげか単純にも俺はテンションが上がった。

  そうだ。涼宮じゃあるまいし気分がよくないからって陰鬱に振る舞うことはない。

  気分が沈んでいるときこそアホみたいにはしゃいでいればいいんだよ。

 
30以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 20:56:07.75:USQuuW9t0

  俺は自分を奮い立たせるために自作の『忘れ物の歌』を歌った。
  ネガティブな事柄をポジティブな歌として昇華するなんて我ながら最高に気が利いている。

「わっすれーもの、忘れ物ー」

  歌っているうちにいい気持ちになってきた。
  俺はスキップしてもいいくらい軽い足取りで教室に向かう。

「ういーっす、WAWAWA忘れ物~」

  曲の俺的サビに当たる部分を華麗に歌い上げながら、俺は教室の扉を開けた。

  全世界が停止したかと思われた。

 
32以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 20:58:05.59:USQuuW9t0

  見慣れた一年五組の教室を西日がオレンジ色に染めていた。
  机は規則正しく並び、床はほどよく掃除されていてワックスが艶めいている。

  そこまでは別にいい。実にノスタルジックな光景だ。

  問題は、そのほどよく掃除されてワックスが艶めいている床に転がっている、二人の男女。

  俺は家政婦でもなんでもないのに見てしまったのだ。

  一人の男と一人の女のいわゆる一つのラブシーンを。

  つまり、

  キョンが長門有希を押し倒していた。

 
33以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 21:00:49.02:USQuuW9t0

「すまん。ごゆっくり」

  俺は勢いよく教室の扉を閉めて、その場から走り去った。

  ああ、そういうことか。そういうことかよ。

  なるほどな、涼宮が不機嫌な理由がわかったぜ。

  いや、しかし、まさかあの涼宮がそんな人間らしい感情を持っていたなんてな。

  ここぞとばかりに言わせてもらう。

  驚天動地だ。

  まあ、でもな、涼宮、しょうがねえよ。お前と長門有希だったら百人が百人長門を選ぶぜ。キョンを責めちゃあいけない。

  それよりも、キョンがお前とあくまで友人として付き合っているという事実をお前は喜ぶべきだ。

  お前のことをダチだと思ってくれる人間がこの世に一人でもいたことにお前は感謝すべきなんだよ。

 
34以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 21:02:25.83:USQuuW9t0

  涼宮よ、まあ、確かに今は辛いだろうが元気出せ。

  元気になったお前ならどんなやつでもイチコロだよ。

  俺が保証する。

  最近のお前は最高に輝いていた。

  マジもマジよ大マジだ。

  だからそう苛々すんな、涼宮。

  何も男はキョンだけってわけじゃない。世界の半分は男なんだ。

  だから悪いことは言わん、一人に縛られるようなマネはやめとけ。

  そんなのはマジで笑えねえからよ。

  あれ……?

  おいウェイト、待て。なんだよ。こりゃどういうこった?

  廊下を走りながら気が付くと――、

  俺は涙を流していた。

 
35以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 21:04:55.21:USQuuW9t0

  どうして俺は泣いているんだろう。

  キョンが長門有希といい関係にあったからか?

  否。それは確かに驚いたし悔しいが別に泣くほどのことじゃないだろう。

  なら、涼宮がキョンにフラれたからか?

  否。涼宮が悲しもうと苦しもうと俺の知ったことじゃねえ。ざまー味噌漬けべんべんだ。

  それじゃあ、涼宮がキョンを好きだったからか?

  否。おかしいだろ。

  それで俺が男泣きするなんて、まるで俺が出会った時からずっと涼宮を影ながら想い続けてきたみたいじゃねえか。

  断じてありえん。そんなことは天地がひっくり返ってもありえん。

  ありえちゃいけねえんだよ。

  そうだろ……?

 
36以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 21:08:53.74:USQuuW9t0

  俺は今の今までずっと、涼宮をただの頭のイカレた女だと思って拒否し続けてきた。

  あいつだって普通に誰かとお喋りをする。

  あいつだって笑顔を見せるときがある。

  あいつだって気の合う友達を作って遊んだりする。

  あいつだって一人の男に振り回されることがある。

  そんな、涼宮ハルヒという世界一頭のぶっ飛んだ女の内側にある真っ当な人間らしい本性を、
  三年間も一緒にいて俺は一度も見抜くことができなかった。

  俺は涼宮から目を背けて、あいつに手を差し伸べようとはしなかった。
  涼宮にイカレた女ってレッテルを貼り付けて、
  あいつだって一人は寂しいと思うような普通の女の子であることを俺は認めてこなかったんだ。

  そんな俺に涼宮を好きになる資格なんてあるわけねえ。

  あるわけねえのに。どうして俺は……。

  ああ、そっか。わかったぜ。

  なんて論理的で合理的な解答だろう。

  俺ってやつは……たぶんアホなんだな。

  アホ、か。

  アホじゃあしょうがねえよな?

 
38以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 21:15:14.40:USQuuW9t0

  家に帰り着いて、俺は夕飯も食わずに布団に入って寝た。

  翌朝。自分がアホで本当によかったと思った。

  綺麗さっぱり忘れていたのだ。俺は俺にとって不都合な事実だけをすっぱりきっぱり忘れて目覚めた。
  朝、鏡を見て、なんで俺今日は目が赤いんだろうって本気で首を傾げたくらいだ。

  その日はなんだか大声で笑いたくなるほど清々しい気分だった。昨日の俺はやっぱどこかおかしかったらしい。
  それもこれも何もかも全ては涼宮ハルヒというイカレ女のせいで精神が参ってたせいだ。

 
39以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 21:17:35.80:USQuuW9t0

  オーケー、落ち着いたところで状況を整理しようじゃないか。

  一、涼宮はキョンに気がある。

  二、キョンも涼宮のことを気にかけている。

  三、しかしそれはあくまで友達として。

  四、キョンの本命は長門有希。

  五、涼宮が最近不機嫌なのはそれに嫉妬しているから。

  なんて簡単な相関図。いわゆる一つの三角関係。

  いいね、よくよく考えれば非常に喜ばしいことじゃねーの。

  ん、喜ばしい……?

  なにが?

 
40以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 21:20:29.33:USQuuW9t0

  まさか俺は涼宮がキョンにフラれたことを喜んでいるのか?
  いやいや確かに少しは涼宮ザマアって思ったけどいくら俺だってそこまで人間腐っちゃいない。
  まあ、だからって別に人間ができているわけでもないがな。

  じゃあ、そんな腐ってもいないしできてもいない一般人間の俺は、一体何を喜んでいるんだろうね。

  いや、待て、違うぞ。これは喜びとかじゃないな。

  言うならそう、安心だ。

  俺は安心しているんだ。

  そうだよ、この安心感には覚えがあるぜ。確か、

『まさか付き合いだしたんじゃねえよな?』
『断じて違う』

  ちょうどこのときの気持ちに似ている。

  なるほどね。そうかわかった。なんだそういうことか。

 
41以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 21:22:08.51:USQuuW9t0

  俺は友達のキョンが真性のイカレポンチじゃなくて安心したんだ。

  徐々に普通から遠ざかっていくキョンが、
  そうは言ってもクレイジー涼宮ではなくAマイナー長門を選ぶような比較的マトモなやつで改めて安心したんだ。

  わかってみりゃこんな単純なことはないぜ。

  頑張れよ、キョン。俺は友達として諸手と全力を挙げて応援するぜ。

  つっても教室で逢引はいただけないがな。ま、世界が終わるまで長門と末永くお幸せにな。
  涼宮のことなら大丈夫。あいつは失恋ごときで参るようなタマじゃねえよ。

  そう、涼宮はそんなやつじゃない。

  それは俺がよく知ってんだ。

 
42以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 21:25:14.73:USQuuW9t0

  その通り。次の日になって涼宮は持ち直した。
  いや、実際に涼宮が何を考えているのかはサッパリだが、昼休みにキョンとどっかに行ったりしていたから、
  まあ問題はないだろう。

  俺もなんとなく嬉しくなって、後日キョンと雑談している途中、長門のことでやつをからかってやった。

「あのな、普通の男子生徒は、誰もいなくなった教室で女を押し倒したりはしねえ」

「お前が考えていると思われるストーリーは妄想、夢想、完全フィクションである」

「嘘つけ」

  俺はキョンの言い訳を一蹴した。

 
43以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 21:28:44.19:USQuuW9t0

  ま、つーか涼宮の情緒不安定なんて今に始まったことじゃないしな。心配するだけ損である。

  心配?

  あのな、俺が涼宮の心配なんてするわけないだろ?
  他人巻き込み型の超絶自己中女である涼宮が情緒不安定だと、周囲にいる人間が否応なく被害を受けることになるからな。
  それで俺は中学のとき何度も痛い目に遭ってんだ。即ち、俺は俺の身を案じている。わかってくれたかな?

  しかし、こと最近は平和だな。

  涼宮に八つ当たりされることもなくなって平和そのものだ。

  なにせ涼宮はご執心のキョンの気を引くのに必死だからな。

  せいぜい適度に頑張ってほしいものだね。
  この俺の平凡な世界を揺るがすようなわけの解らんことなどせず、普通に、学生らしく、女らしく、さ。

 
44以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 21:30:16.75:USQuuW9t0

  それは、なんだか寝苦しかった夜が明けた、ある日のことである。

  朝教室に入っていつもの癖で涼宮を見ると、ここしばらくやめていたはずの髪型変化の術を発動していた。

  何か心境の変化でもあったのかね。

  心境の変化と言えば、なんだか涼宮の前に座るキョンも雰囲気が少し変わっている。

  どこがどう変わったというわけではないが、

  強いて具体例を挙げるなら――、

  キョンが涼宮を名前で呼ぶようになっていた。

 
46以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 21:32:24.52:USQuuW9t0

  はてさて。

  どうしてだろうね。

  さっぱりだ。

  わからない。

  わかりたくもない。

  だが、

  しかし、

  けれど確かに。

  キョンが涼宮を名前で呼んだことで、

  ちょっとばっかり本当にほんのちょっとばかりだが、

  俺は――憂鬱になった。

<憂鬱・おわり>

 
49以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 21:45:55.94:USQuuW9t0

・溜息

  俺の淡いメランコリーは定期テストという黒々と濃厚なメランコリーに塗り潰され、
  さらにその濃厚なメランコリーすら塗り潰すほどの真っ赤なメランコリー――要するに答案用紙――が返却された日には、
  最初にあった淡いメランコリーなんてものは影も形もなくなっていた。

  しかしそこはなんといっても他称アホの俺。都合の悪いことはまとめて忘れることができるのが最悪の欠点にして最高の美点だ。
  だいたいメランコリーなんて得体の知れない代物を後生大事に抱えながら生きているようなオタンコナスなんて世界一のイカレ女くらいと相場が決まってんだよ。

  どうしてこの俺様がそんなわけ解らん心の病などに侵されようか、いや侵されない。

  そんなわけでカキーンという甲高く小気味良い金属音とともに俺はピッチャー第一球メランコリーを場外スタンドまでぶっ飛ばしてやったわけだ。

  つまり、草野球大会は楽しかった。むろん涼宮ハルヒさえいなければもっと楽しかったに違いない。
  あの涼宮=クルクルパー=ハルヒの唯一最大の功績と言えば朝比奈さんにチアコスプレをさせたことぐらいだ。
  いやご馳走様でしたホント。

 
52以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 21:48:30.53:USQuuW9t0

  白状すると、あの草野球大会で俺は自分のポジションが確立されたような気がして自分で自分に納得できたんだな。

  もし世界が一番ピッチャー涼宮ハルヒを中心に回っているんだとしたら、俺のポジションはまさに九番ショートが妥当だろうよ。

  打順に関しては最上位と最下位っつー覆しがたい格差はあるが実は九から一へと背中合わせになっていたりして、
  守備に関してはセカンドとキャッチャーの次くらいに近いところにいたりして。

  要するに傍観者だな。

  外野ってほど離れてもいないところからあれやこれやと口を出し、
  向こうから関わってこない限りは永世中立の非武装地帯に安寧と居座って事を静観し、
  ひとたび何かが起こればこっちの意思に関わらず強制的に巻き込まれる。

 
53以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 21:52:31.36:USQuuW9t0

  まあ、涼宮と俺の関係なんてそれでいいだろう。別に俺はあいつのダチでもスポークスマンでもない。
  ただ、クラスが四年連続一緒だっていうそれだけの他人なんだ。振り回されるのは年に三回くらいで十分だぜ。

  そう、俺にはそれくらいがちょうどいいんだよ。

  涼宮に深入りできなかった俺には傍観者が適当だ。

  当事者になるにゃ役者が不足してる。

  つーかまあ、あの涼宮を前にして不足しない役者なんて古今東西探し回ってもあの朴念仁の唐変木くらいのもんだろうがな。

 
54以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 21:54:53.93:USQuuW9t0

  時は過ぎ、メランコリーだなんだとバカ騒ぎしていたのがもう半年前の出来事である。
  思い返しても特になんだっつーことない日々だったが、涼宮ハルヒと同じ空間に存在していながら何事もなく過ごせるってのがまず奇跡なんだよな。

  きっと今は誰かが中学のときの俺の役を肩代わりしているんだろう。それが誰かは……もうわかりきったことだが。

「つまりお前には涼宮が似合ってんのさ。あのアホとまともに話が出来るのはお前だけで、被害者は少ないほうがいい。なんとかしてやってくれ。そういやそろそろ文化祭だが、今度は何をやってくれんだ?」

  そんなことを言って俺は新しい涼宮のお守り役をケケケと笑ってやった。

 
55以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 22:00:01.13:USQuuW9t0

「そん時気付いたんだ。俺に今不足しているのは愛なんじゃないかってことに」

  愛をくれ。彼女をくれ。あとついで金と犬を洗えそうな庭付きの一戸建てをよこせ。

「本当に『愛車』って書いてあったんじゃないかなあ。個人タクシーだよ、きっと」

  涼宮の撮る映画の手伝いとかなんとかでキョンに呼び出されたものの麗しの朝比奈さんの姿はなく、
  目に入るのは半ギレでいきり立つ涼宮ばかりなので仕方なく国木田とバカみたいな会話をして時間を潰していると、
  やっとこ朝比奈さんがやってきた。

 
57以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 22:05:51.38:USQuuW9t0

  が、朝比奈さんが遅刻したことに涼宮はいたくご立腹のようで。

「仮病を使おうったってそうはいかないんだからね! どんどん撮影するわよ! 
  これからがみくるちゃんの見せ場の本場なの。すべてはSOS団のため! 自己犠牲の精神はいつの世でも聴衆の感動を呼ぶのよ!」

  お前が犠牲になれ。

「この世にヒロインは一人しかいらないわ。本当ならあたしがそうなんだけど、今回は特別に譲ってあげる。
  少なくとも文化祭が終わるまではね!」

  てめーがヒロインだなんて世界の誰も認めてねえ。

  と、そんな俺以外のやつも入れてそうなツッコミはさておき撮影は慌しく始まったのであった。

 
58以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 22:11:51.93:USQuuW9t0

  池に到着して朝比奈さんや長門有希がなにやらどたばたやるシーンを撮った後でようやく俺たちの出番が訪れた。
  役どころは『悪い宇宙人ユキに操られて奴隷人形と化した一般人』。妥当なところだろう。俺たちの扱いなんてこんなもんだ。
  涼宮のことだから俺はともかく国木田の名前なんかは覚えてないかもしれないな。

  涼宮はシーンの説明をする。
  そして俺たちに出した指示はこうだった。

「手始めに、みくるちゃんを池に叩き込みなさい」

  再び全世界が停止したかと思われた。

  は? 何言ってんだこの女?

  俺は困惑の表情を朝比奈さんに向ける。

  この天使のように美しく可憐な朝比奈さんを池に落とす?

  お前が一人で勝手に落ちてろ。地獄までな。そして二度と上がってくんな。

 
59以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 22:18:10.33:USQuuW9t0

「おいおい」

  俺は怒るのを通り越して半笑いで涼宮に抗議した。

「この溜め池にかよ? えらく温いかもしらんが、もうとっくに秋だぜ。水質だってお世辞にもキレイとは言えねえが」

  考え直せ、涼宮。池に落ちるなんて汚れなスタントには他にもっと適役がいるだろう。例えば――不本意だが――俺とかよ。

  涼宮、朝比奈さんは高校に入ってやっと出来たお前の数少ない仲間じゃねえのか?

  それともお前まさか朝比奈さんをオモチャか何かだと思ってやがんのか?

  お前がこの映画で何をしたいのかは知らんがそれは朝比奈さんを池に落としてまでやり遂げなければいけないことなのか?

  どうなんだよ。おいこら、涼宮ハルヒ。

 
60以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 22:25:47.49:USQuuW9t0

  しかし、あの涼宮が一度言い出したことを取り下げるはずもなく、池ぽちゃ撮影は敢行された。

  俺はショックだった。

  ショックで朝比奈さんと一緒に池に落ちちまったほどだ。

  何がショックだったかって?

  涼宮ハルヒが中学のときと何も変わってなかったことにだ。

 
62以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 22:31:12.77:USQuuW9t0

  自己中心主義と利己主義。

  涼宮はこの似ているようで微妙に違う二つの属性を傍若無人のオプションつきで所持していたから、
  中学のときは完全に人の輪の大外にいた。
  涼宮はいつだって自分のことしか考えてなかったし、自分がよければそれでいいという態度を表明して憚らなかった。

  しかし、高校に入って涼宮がSOS団とやらを設立したという噂を聞いたとき、
  俺はあいつもやっとの人の輪の中で生きることを学んだらしいと感心した(正確には、人の輪の中心で、だろうがそれは今は関係ない)。

  そのとき俺は、涼宮は少なくとも利己主義の方は引っ込めたんだろうなと思った。
  それが事実なら人類にも環境にもいいことだ。
  あの女が自己中心なのはまだ許せる。だいたい自己中心って言葉自体あいつのために生み出されたようなもんだしな。

  だが利己主義はいただけない。そのせいであいつは人から疎まれ、孤立し、孤独になっていった。

  そんな過去の涼宮を知っているから余計に、高校で涼宮の周りに人が集まるのを見て俺は嬉しかった。
  元々あいつには求心力がある。しかし今まではそれがちょっとヒネくれているせいで誤解されてきた。
  でも広い世界の中にはそんな素直じゃない涼宮のことを受け入れられるやつの一人や二人いてもいいだろう……と俺は思っていて、実際、そいつは現れた。

  まずはキョン。

  それから長門有希や朝比奈さん。

  トドメにあのイケメン野郎だ。

 
63以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 22:41:55.25:USQuuW9t0

  だが、今の涼宮はどうだ?

  完全完璧なる利己主義者だろう。自分がよければそれでいい。人のことなどお構いなし。お茶の子さいさいへの河童。

  が、そんな涼宮も涼宮だが、周りのやつらもやつらだ。

  どうなってんだよお前ら?

  どうして誰も涼宮を止めないんだ?

  仲間なんだろ?

  どうしてそんな、まるで涼宮に付き従うために生まれてきましたみたいな顔して、あいつの暴挙を見て見ぬフリをするんだ?

  頼むぜ。俺たちみたいな木っ端ミジンコな端役じゃあいつを止められねえんだよ。
  お前らが止めなきゃあの暴走特急女はアクセルを永久に踏み続けるんだよ。

  そんなこと半年もつるんできてわかってねえはずねえだろう……?

 
64以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 22:46:41.17:USQuuW9t0

  なあ、どうなってんだよ……ええ、キョンよ?

  俺はお前のことを信用してんだぜ? 涼宮ハルヒのお守り役、お目付け役としてのお前をよ。

  お前は涼宮の人生の中で初めて涼宮の憂鬱と真正面から向き合ったあいつのヒーロー様じゃなかったのか?

  お前はあいつを孤独から救ってやった救世主様じゃなかったのか?

  お前はあいつの内側に入っていける鍵を持ってるんじゃなかったのか?

  なあ、キョン。涼宮に物申せるのはお前しかいないんだよ。

  なのにそれがお前なんだこのザマは?

  くそっ。

  どいつもこいつもアホばかりだ。

 
66以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 22:55:09.20:USQuuW9t0

  結局のところ、一番アホなのは俺かもしれない、とびしょ濡れのまま取り残されて俺は思った。

  出会った次の瞬間から問答無用で『イカレ女』涼宮に背を向けて逃げた俺は、『実は普通少女』涼宮に関わる資格を持っていない。

  だから、涼宮ハルヒがどんな人間かとか、どんな良いところや悪いところがあるかとか、
  その全てを知っていながら俺は涼宮に何もしてやることができねえんだ。

  できることなら俺ががつんと言ってやりてえよ。

  お前は間違っている。それじゃ中学のときの繰り返しだろ。
  お前は一生このまま棘だらけ人間として誰からも避けられるようなアホになっちまっていいのか、と。

  そう言ってこの世に一人のヒロイン様の頬でも引っ叩いてやることができりゃ、俺もこの世に一人のヒーローになれんのによ。

 
67以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 22:58:33.55:USQuuW9t0

  しかし、現実に俺は何もしなかった。

  言われた通りに朝比奈さんをひどい目に遭わせて、間抜けにも回避可能だった不幸を自分から被りに行って、
  二度と会うことはないかもねと見捨てられて出番終了だ。

  本当にアホの極み。はっ、笑えねえ。

  俺には願うことしかできねえんだ。
  俺じゃないこの世に一人のヒーローに、あのじゃじゃ馬鹿女をどうにかしてくださいって祈るしかねえ。

  結局、俺みたいな端役にゃ舞台をどうこうする力はねえのよ。

  もう一度言ってやろうか?

  俺に世界を変える力はねえんだよ。

  俺にはねえんだ。

  俺に……は……?

 
68以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 23:03:22.38:USQuuW9t0

  俺は三年半ほど前になる涼宮ハルヒとの出会いを思い出した。

  いくら俺がアホでも、あの時と同じ過ちを繰り返していたら涼宮と同類のキングオブアホになっちまう。
  あのイカレ女さえ多少なりとも成長してんのなら、きっと俺だって同じくらいはレベルアップしているはずだ。

  たとえ端役でも、涼宮劇場における俺の出演歴はきっと誰よりも長い。

  涼宮劇場の古株として、出会ったときみたいに『あいつはイカレてるから』と簡単に諦めるようなマネはしちゃいけねえ。
  許されねえ。できることはまだ絶対にあるはずだ。

  そう、例えば――、

  世界を変える力を持っている誰かをけしかける、とかな。

  いいねえ。やってやろうじゃん。

  アホはアホらしく。汚れは汚れらしく、な。

 
69以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 23:12:00.04:USQuuW9t0

「何が映画だ。昨日は行って損した」

  翌日の昼休み、俺はわざとらしく大きな声で憎まれ口を叩いた。

「涼宮のやることだ。その映画とやらもどうせゴミみたいなものになる。決まってるぜ」

  すると、ヒーローは言い返してきた。

「お前にだけは言われたくないぜ」 

  うるせえ知ってるよこのゲロハゲ野郎。

「まあまあキョン。彼はスネてるんだよ。ほんとは涼宮さんたちともっと遊びたいんだ。キョンがうらやましいんだよ」

  国木田が間に入った。俺は国木田を睨む。

「んなこたぁねえ」

  これはマジだ。俺はあんなクイーンオブバカの劇場で主役を買って出るほど間抜けなお人よしじゃねえんだよ。

「俺はあんなアホ集団の仲間入りをする気はねえ」

  本当だぜ? 本当に入れてくれなくて結構だからな。俺は俺なりに青春を謳歌するって涼宮に玉砕したときから決めてんだ。

「どうしたのさキョン。今日は涼宮さんもいつもより機嫌悪そうだしさ。何かあったの?」

  いいぞ国木田もっとそのウスラバカを追い詰めろ、と俺は内心ほくそ笑んだ。

 
70以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 23:19:25.27:USQuuW9t0

  無言で弁当をカッ食らったキョンは、弁当箱にフタをすると、そのまま教室を飛び出した。

  俺はようやくヒーローの自覚が出てきたらしいバカのナイト様の背中を見送って、肩を竦めた。

  まったくしょっぺえことをしちまったぜ。

  が、ここは俺にしては上等だったと自分で自分を褒め称えよう。

  やることはやった。いや、やること以上のことをやったぜ、俺は。

  だってそうだろう?

  誰も俺なんかには期待しちゃいない。

  みんなが期待しているのは主役どものドタバタ大活劇だ。

  俺のことなんて誰も見てねえ。

  ま、見られてねえからこそできることもあるんだがな。ご都合主義の一端を担って何が悪い。

  なんにせよ、もう舞台の幕は上がってんだ。

  後には引けない。しかも台本も筋書きも一時停止も何もねえ。伸るか反るかの一発勝負。

  となればやることは一つ。

  せいぜい死ぬ気で走り回ればいいんだよ。

  もちろん、俺以外の人間がな。

 
72以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 23:26:59.84:USQuuW9t0

  なんだかんだで、涼宮の映画は完成に至ったらしい。
  その後の涼宮の表情とキョンの様子を見ていれば、色々あっただろうゴタゴタはまとめて丸く収まったらしいことがわかった。

  しかし本当に今回は損な役回りだったな。

  せっかく傍観者その三くらいのちょうどいい位置にいたのによ。
  ちょっと野球大会からこっち久しぶりに誘われたもんだから舞い上がってはしゃぎ過ぎちゃった結果がこれだよ。

  でもいいさ。何はともあれ今日も涼宮ハルヒは笑っている。
  文化祭本番でも何やらカマしてくれたらしいが俺の知ったことじゃないね。

  涼宮ハルヒの知らないところで俺は俺の世界を気儘に楽しむさ。

 
74以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 23:36:51.20:USQuuW9t0

  だからな、涼宮。

  お前も俺の知らないところで適当に楽しんでくれ。

  中学の頃のことなんか忘れてよ。

  たぶん言われなくてもそうしているんだろうけどな。

  ああ、なんでだろ、腹が立つな。

  それもこれもあれだ文化祭にロクな女がいなかったからだ。

  ったく、溜息の一つもつきなくなるってもんだぜ。

<溜息・完>

 
76:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 23:40:58.00:PQ5ftz8wO
いいよいいよー
このモヤモヤした感じ

 
78:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 23:47:12.34:ojbOIA1SI
谷川がここにおるで!!!!

 
79以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 23:51:51.34:USQuuW9t0
こんばんは。
なんだか投稿しているうちに無駄に妄想が膨らんできたので、
予定していた消失より先にそっちを晒します。
書きながらになるのでちょっとペース落ちますが、
もしよろしければお付き合いください。

あと、少々毛色が変わります。

 
80以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/01(火) 23:54:57.93:USQuuW9t0

・笹の葉

  東中学の入学式が行われてから数日経ったある日のことだ。俺は後ろの席の美少女に話しかけた。

「しょっぱなの自己紹介のアレ、どのへんまで本気だったんだ?」

「自己紹介のアレって何?」

「いや、だから宇宙人がどうとか」

「あんた、宇宙人なの?」

「……違うけどさ」

「違うけど、何なの?」

「……俺と付き合ってくれないか?」

「死ねアホンダラゲー!!」

  たぶん俺が涼宮に嫌われている理由はこのファースト・コンタクトにあるんだろうな……。

 
81以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 00:07:16.51:eSCpslG50

  しかし、俺は本当に愚かだった。どうしてあそこまで涼宮に関わろうとしちまったんだろう。

「なあ、昨日のドラマ見たか? 九時からのやつ」

「………………」

  見てるか見てないかくらいは言ってほしいところだ。俺はめげずに、

「いっぺん見てみろよ、あーでも途中からじゃ解んねえか。そうそう、だったら教えてやろうか、今までのあらすじ」

  俺の華麗なるトーク術によって話に引き込まれたのか、涼宮ハルヒはその重い口を開いた。

「うるさい黙れ百万回死ねこのゴキブリ野郎」

  これにはさすがの俺も失神するかと思ったぜ。

 
83以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 00:14:02.66:eSCpslG50

  涼宮ハルヒ。

  スポーツ万能で成績もどちらかと言うに及ばす優秀。黙って立っていれば眩暈がするほどの美少女である。

  少々変人であることには目を瞑り席が近いという地の利を生かしてお近づきになりたいと思った俺を誰が責められるだろう。

  俺はまさにゴキブリの如くしぶとく涼宮に話しかけ続けた。
  なにせあの頃の俺はギャルゲーのやり過ぎか女ってのは話しかけ続ければいずれは落ちるものと思い込んでいたからな。

「お前ってどうして曜日によって髪型が変わるんだ? 実家がそういう宗派なの――」

  俺が言い終わる前に涼宮ハルヒは無言で俺の顔面にパンチをかましてきた。

 
84以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 00:26:39.56:eSCpslG50

「なんだこれ?」

  珍しく早起きして学校に来ると、教室の前の廊下に大量の学習机が並んでいた。まさかなという悪寒を堪えながら教室の中に入とそのまさかだった。

  教室の中心に、涼宮ハルヒは傲然と突っ立っていた。その他には誰もいない。

「これ、お前がやったのか?」

  俺は椅子の合間を縫って涼宮に近付く。涼宮は俺を一瞥するとこの世で最も下劣な生物を見てしまったように顔を顰め、そっぽを向いた。

「お前がやったんだな?」

  俺は確認して溜息をつく。

「しょうがねえなあ」

  俺は廊下に出て机を一つ持ち上げ教室の中に運び込む。すると教室に入った途端に目の前が真っ暗になった。
  涼宮が俺の顔目掛けて大陸弾道弾のような強烈なドロップキックを打ち込んできたのだ。

「勝手なことしないでよ!」

  涼宮は教室の入り口に仁王立ちをして、机もろとも廊下にすっ転んだ俺を見下した。

 
87以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 00:37:35.99:eSCpslG50

「ってえな! 何しやがる!」

「何しやがる? こっちのセリフよ。なんでせっかくあたしが苦労して外に出した机をあんたが元に戻すわけ?
  罰が必要ね。今すぐその場で三回回ってエラ呼吸をしてみせなさい」

  んなことできるかこのスカポンタン。

「なあ、涼宮、俺はお前を心配して言ってんだぜ。こんなことして見つかったらえらい騒ぎになるぞ?」

「あんたの心配なんてマイクロ単位でコマ切れにして海に捨てたいくらい要らないわ。
  いや、海に捨てたら海がかわいそうね。放射性廃棄物と一緒に捨てるのがいいかしら。
  でもあんたの心配を受け入れてくれる自治体なんてどんなに国から補助金が出ても絶対に現れないと思うけどね。
  まあ、そんなことはどうでもいいわ」

  そこまで言っといてどうでもいいのかよ。

「とにかく、あたしの邪魔をしないで。あたしの視界に映らないで。あたしの言葉を聞かないで。
  さっさとその肉体を形作ってる水35リットル、炭素20キログラム、アンモニア4リットル、石灰1.5キログラム(以下略)を地球に還元しなさい。
  限られた資源が勿体ないから」

  涼宮はこれまで俺を無視し続けてきた間の溜まりに溜まった不満と嫌悪感を吐き出すように暴言を並べ立てた。

「とにかく、あたしに関わらないで。えらい騒ぎに巻き込まれるのが嫌なら始業開始の鐘が鳴るまでこの地球上から消えて二度と帰ってくるなアホ」

  涼宮はそう言うと、教室の、自分の席に座った。

 
89以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 00:49:05.90:eSCpslG50

  その日の放課後、涼宮ハルヒは教師どもに呼び出され囲まれてみっちり絞られた。
  しかし、職員室から出た涼宮ハルヒは教師どもの言うことなどどこ吹く風の涼しい顔をしていた。

  なんで俺がそんな涼宮の表情を知っているかというとだな。

  俺も一緒に職員室でみっちり絞られたからだ。くそっ、あの教師ども、女の涼宮には口だけで俺には手を出しやがって。覚えてやがれ。

「あんた真性のアホじゃないの?」

  涼宮はこの世で下から数えて二番目に下等な生物を見るような顔で俺に言った。お前の分も殴られてやったんだからもう少し地位を上げてくれてもいいだろうに。

「ああ、俺はアホだよ」

  涼宮は聞こえよがしに溜息をつく。

「ねえ、アホ、あんた名前は?」

  俺は自分の名を答えた。

「アホらしい名前ね」

  お前こら全国の俺に謝れ。

「あたしも、あんたに自己紹介しとくわ。改めてね」

  涼宮は血管がブチ切れそうな顔で言った。

「東小学出身、涼宮ハルヒ。ただの人間には興味ありません。そして、ただの人間以下のアホは死ねばいいのよ」

  涼宮は、俺のスネを蹴っ飛ばしてその場から走り去った。

 
90以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 00:54:35.81:eSCpslG50

  涼宮ハルヒ以外の人間が中学生という肩書きに慣れ友達の輪を広げて健全なる学校生活を謳歌していた五月のある日、席替えがあった。

  涼宮ハルヒは窓際の一番後ろの席になった。

  俺はと言えば、その前の席になった。

「よう、よろしくな」

  俺はメンズ雑誌を見て研究したとっておきの爽やかスマイルを涼宮に向けた。

  涼宮ハルヒはガン無視した。

 
91以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 01:01:42.35:eSCpslG50

  その後の、うららかな日差しに眠気を誘われていた授業中のことだ。

  涼宮ハルヒは突然俺の襟首を鷲掴みにして引き寄せ俺の後頭部を自分の机の角に激突させた。

  刻の涙を見たね。

「何しやがる!」

  もっともな怒りをもって憤然と振り返った俺が見たものは、いつもの涼宮の仏頂面だった。

「なんか腹が立ったから八つ当たりしたの」

  涼宮は本気で心底腹が立っているといった感じでそう言った。

  あまりの暴挙に俺もクラスメイトも大学出たての女英語教師も総口ポカーンだった。

 
92以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 01:13:00.78:eSCpslG50

  ある日のこと。

「よう、今日もいい天気だな」

「………………」

  翌日。

「よう、ちょっと数学の問題でわからないところがあるんだけどよ」

「………………」

  翌々日。

「なあ、俺こないだ新しいゲーム買ったんだけどそれが超面白いんだよ」

「………………」

  翌々々日。

「俺思うんだけどさ、お前って笑わねえよな。笑えば可愛いのによ」

「あんたが腹掻っ捌いて自ら小腸を取り出した上にそれで縄跳びしてくれたら笑うかもね。可能性は五億万分の一だけど」

  今回の涼宮ハルヒの連続俺無視記録は十日だった。なるほどこいつは自分のことを言われると反応するのか。いいデータが取れたぜ。

 
93以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 01:21:40.67:eSCpslG50

  また月日が経って、六月、二度目の席替えがやってきた。

  涼宮ハルヒは再び窓際の一番後ろの席になった。

  俺はと言えば、再びその前の席になった。

「よう、またお前の近くに座れて俺は嬉しいぜ」

  俺は愛読のメンズ雑誌に載っていた『女を落とすコツその三』の『とりあえず君といると嬉しいと言っておけ』を実践した。

  涼宮ハルヒはATフィールド全開で俺を無視し、何かぶつぶつと呪詛のようなものを吐いていた。

 
94以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 01:36:51.03:eSCpslG50

『あのアホが世界から消滅しますように』

  学校中にべたべたと貼られた呪術的なお札の裏にはそう書いてあったとか書いてなかったとか。

  今回も俺と涼宮は揃って職員室に呼び出された。涼宮はいつものように黙って何も言わないので俺が代わりに言ってやった。

「先生知らないんっすか? 遅れてまっすよ。今ネットで流行っているんですよ。何が? お札がっすよ。決まってるじゃないですか。
  あれを学校中に貼るのが今全国の中学生の間でブームなんすよ。ブームに乗らないとイジめられるんすよ。
  いくら俺が能天気だからってイジめられるのは嫌っすからね。もう死ぬ気で貼り回りしましたよ。
  だから、先生たちも俺らを叱っている暇があったらイジメのない学校目指して頑張ってく――」

  俺は俺たちを囲んでいたうちの一人である屈強な体育教師に横っ面をビンタされた。

  それは、お札を貼ったことに対するビンタではなかった。もちろんさり気なく教師を小バカにした罰でもない。

  嘘をついた――そのことに対する一発だった。体育教師はお前はもう行っていいと俺を無理矢理職員室の外に追い出した。

  どうやら俺の自己犠牲程度では教師どもの涼宮に対する追求は止まらなかったようだ。

  俺はちょっと涙目になりながらも、職員室の外で涼宮が出てくるのをじっと待った。

 
95以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 01:45:54.69:eSCpslG50

  涼宮は多少厳しい顔をしていたがしょげて俯いているなんてことはなくむしろ毅然と『正しいのは私』みたいなどこぞの独裁者が如き雰囲気で職員室から出てきた。

  当然、顔を上げているから職員室の扉を開けた先に突っ立っていた俺の姿は目に入ったはずである。実際、一瞬だけ目が合った。

  しかし、涼宮はぷいっと顔を背けて昇降口の方へすたすた歩いていった。俺は涼宮の後を追う。

「なあ、大丈夫だったか?」

  俺が聞くと、涼宮は歩調を速めた。

「なーに、バカ教師どもの言うことなんて気にすることないぜ。あいつらみんなジャガイモだと思えばいいんだよ」

  涼宮はとうとう走り始めた。陸上部でもないくせにクソ速い。俺はぐんぐん引き離された。

  しかし、さしもの涼宮も昇降口で上履きを外履きに履き替えるというコモンセンスからは……あっさり逃れやがった。

  涼宮は避難訓練でもないのに上履きのまま外に飛び出した。俺はグラウンドをトムソンガゼルのように走り去っていく涼宮の後ろ姿に叫んだ。

「また明日学校でなー!!」

  涼宮は走りながら振り返ることなくどこかへ向けて吼えた。

「死ねー!!」

 
96以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 02:05:47.17:eSCpslG50

  また明日学校でという俺のイカしたセリフを踏み倒すように次の日涼宮は風邪という名目で学校を休んだ。
  わざわざ仮病まで使うなんてそんなに俺が嫌いかよ、まったく。

  その次の日。涼宮はまた風邪で学校を休んだ。

  俺は首を傾げる。あんな世界最強のイカレ女が風邪なんぞに倒れ伏すことなどないと思うのだがもしやこれがいわゆる鬼の霍乱というやつだろうか。

  あいつが病魔に打ち負けた姿なんて滅多に見れるものじゃないぞこれは実に興味深いと俺は見舞いに行ってやろうと思った。

  そして、俺は家にあった住所録を頼りに涼宮の家に行ってみた。

  涼宮家は留守だった。

  後でわかったことだが、あいつはどうやら家族とバリ三泊四日の旅かどうかはわからんがとにかくお出かけしていたらしい。

  もちろん涼宮が俺にそんなことを言うはずない。

  ならなんでそんなことがわかったかというと。

  何日かぶりに見た涼宮はうっすらと日焼けしていたのだった。

 
97以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 02:07:08.51:eSCpslG50

  涼宮と俺の関係が悪い意味で安定してきて月初めに行うと決められた席替えが三度目を数えた七月の頭。

  通算四回連続で涼宮の前の席となった俺は俺の背中をコルクボードか何かだと思っていやがる涼宮から陰湿なシャーペン攻撃を受けつつも涼宮と関わるのをやめようとしなかった。 

  なんでかって?

  決まってる。涼宮が美少女だったからだ。

  他に理由なんてないね。

  涼宮生態学の第一人者となっていた俺はその七月の頭の蒸し暑い日の休み時間ふと涼宮の微妙な変化に気付いた。

  簡単に言うと。

  あいつはそわそわしていた。

 
98以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 02:09:55.99:eSCpslG50

  俺はピンと来た。

「なんだ、涼宮、誕生日か?」

  涼宮は答えない。たぶん、この答えない具合は不正解ってことだ。

「ちなみに俺の誕生日はだな」

  涼宮は何も言わない。たぶん、興味ないとでも言いたいんだろう。

「あ、もしかして、あれか?」

  このとき俺は俺史上最も勘が冴えていたらしい。

「七夕か? うけけ。お願い事するのか? お前が? お前がそんな少女趣味を――」

  俺のこの推理は大正解だった。

  どうして正解だとわかったかって? そりゃわかる。
  なぜなら俺が七夕と言った瞬間に涼宮ハルヒは血相を変えて不法所持していたモデルガンを鞄から取り出しバララと乱射し始めたんだからな。

  図星をさされて暴力に走るのはこいつの得意技なんだよ。

 
99以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 02:11:51.45:eSCpslG50

「なあ、涼宮、七夕に何をお願いするんだ?」

  俺は机に突っ伏している涼宮の後頭部に昨日テレビで仕入れた知識をひけらかしてやった。

「知ってるか?
  七夕って織姫と彦星にお願いするだろ。えっと、それで、なんだっけ、とにかくその願いが星に届くのはけっこう後になってかららしいんだな、これが」

  涼宮の頭が二ミリほど動いた。そんなことは知っていると。そうかい。

「で、お前は何をお願いするんだよ?」

  わかりきったことだが涼宮は何も答えてくれなかった。これで連続俺無視記録は何日目だろうか。お札事件のときに『死ねー!!』と叫ばれて以来ずっとだから、おお、新記録だ。

  それでも俺は涼宮に話しかけるのをやめなかった。

  なんつったって俺はアホだからな。

 
100以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 02:14:06.10:eSCpslG50

  やがて七夕がやってきた。

  そして、涼宮ハルヒはかの有名な校庭落書き事件をやってのけた。

  イカレ女だイカレ女だと思っていたがここまでぶっ飛んでいるとはな。どうやら俺は涼宮ハルヒを甘く見ていたらしい。

  ま、だいたい涼宮の意図するところはわかった。

  校庭を短冊にして織姫と彦星にデッカく書いた願いを見てほしかったんだろう。
  遥か遠くの星に願いを届けるにはとりあえずスケールがでかくないといけないからな。なんて単純なやつだ。

  俺は一応涼宮がどんな願いを書いたのか気になって校舎の四階から見てみた。が、さっぱりだった。

  どうせ涼宮のことだから、『世界があたしを中心に回るようにせよ』とか『地球の自転を逆回転にして欲しい』とか願ったんだろう。
  そんなの北極点か南極点に行って逆立ちすりゃ済む話なのにどうしてこう事を大きくしたがるのかねあの単細胞女は。

  で、事件が発覚してすぐにお約束のアレである。

『あれは誰がやったんですか?』

  教師が明らかに涼宮の方を睨んで問う。

  俺はここぞとばかりに手を挙げた。

「はいはーい。俺でーす!」

  次の瞬間、俺の後ろに座っていた涼宮は立ち上がり机の上に登ったかと思うと全力で俺の延髄を蹴りつけてきた。

 
101以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 02:22:33.45:eSCpslG50

  涼宮は、机の上に立ち、どんがらがっしゃん床に崩れ落ちた俺に言った。

「あれは、あたしが、一人でやったの」

  首を擦りながら振り返った俺は驚愕して硬直した。

  全俺が停止したかと思われた。

  決してラッキーアングルから涼宮の白いアレがちらりと見えたからではない。

  自分一人でやったと言い放った涼宮の口調、表情、雰囲気。

  そのどれもが決定的に破滅的に冷徹だった。

  今までは怒ったりキレたり照れ隠しだったり負にしろ正にしろいくらかの感情が込められていた。

  しかし、この涼宮ハルヒは違う。

  今の涼宮は俺に対して全ての扉を閉じていた。

  涼宮生態学のエキスパートたる俺ですら今の涼宮からはなんの情報も読み取ることができなかった。それくらいそのときの涼宮ハルヒは無感情だったのである。

 
103以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 02:31:10.38:eSCpslG50

  それが決定打だったんだろう。

  涼宮は決然と何かの確信をもって俺を拒絶した。

  全世界の一般人代表たる俺、涼宮がただの人間と称する集団の象徴たる俺を、涼宮ハルヒは拒絶した。

  それほどまでに涼宮の意思を頑強固にしたきっかけがなんなのかは知らない。

  しかしどうやら涼宮は俺ではない何かに拠り所をつくったようだった。

「あれはあたしが一人でやったのよ」

  涼宮は絶対零度の瞳で俺を見つめ、言う。

「だからあんたは関係ないの」

  おいおいちょい待ち勘弁してくれ。

  連続俺無視記録がやっとストップしたかと思えばこの仕打ちかよ。いくら俺がアホでも耐えられねえぞ。

  だから、涼宮ハルヒ、頼むからそんな冷たい目で俺を見るんじゃねえよ。

 
104以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 02:32:29.54:eSCpslG50

  涼宮の冷凍視線ビームは見事に俺の心を凍らせやがて粉々に砕いた。

  それでようやっと俺は悟った。

  涼宮ハルヒは正真正銘イカレてる。

  涼宮ハルヒは自己中で利己的で排他的で傍若無人でわけが解らないことばっかやり倒す真性のアホ。

  そうに決まっている。そうじゃなきゃこうはならねえ。

  俺は自分にそう言い聞かせた。

  だって、そうでもしなきゃ俺は俺の目からぼろぼろと流れ落ちる涙を止められなかったし、即刻その場で発狂していたこと請け合いだったのだ。

  なあ、お願いだから誰でもいい頷いてくれ。

  これはしょうがなかったんだよな……?

 
105以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 02:39:55.32:eSCpslG50

  その一件以来、俺は積極的に涼宮と関わるのをぴたりとやめた。

  しかし入学式から七夕までの三ヶ月間に俺は周囲のやつらから対涼宮ハルヒ戦線の第一級尖兵と認定されたらしく、
  誰かが涼宮に何かを伝えなきゃいけないときは基本的に俺を経由するようなシステムが学校内全土で確立されていった。

  だから俺と涼宮はその後もちょいちょい喋った。

  七夕までの徹底無視が嘘だったかのように、嫌そうな顔をするものの涼宮は俺とそこそこ普通に言葉を交わした。

  しかしそこにはお互い何の感情もなかった。

  それまでのドタバタコメディが嘘のようだった。

  涼宮は俺を一人の感情のある人間として見ていなかったし、俺も『この女は破滅的に頭がイカレてる』とみなし腫れ物扱うように涼宮と接した。

  本当はすこしだけすまねえと思った。

  涼宮に人間らしい感情がないわけがない。わかっている。あいつだって怒ったりキレたりたぶん喜んだりもするんだ。
  実際に怒り散らしているのを誰よりも頻繁に誰よりも間近で見てきた俺が言うんだから間違いねえよ。

  でも、俺はそのことを努めて忘れるようにした。

  美少女涼宮という外面にばかり気を取られ肝心の心の扉を開けることができなかった俺は、涼宮に対して俺の心の扉を閉ざすしかなかった。

 
107以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 02:55:53.80:eSCpslG50

  かくして俺と涼宮ハルヒとの溝は致命的なものとなり且つその蘇生は未来永劫変わることなく絶望的なものであろうことは誰の目にも明らかだった。

  三年前の七月七日。俺と涼宮は絶対相互不可侵条約を固くここに締結したのである。

  そこに後悔は微塵くらいしかない。
  俺の脳内議会はほぼ全会一致でこれでよかったんだという政治的判断を下した。議員たちの99パーセントはぶっちゃけ清々したぜーとか叫んでいた。

  それに肩の荷が下りたってのは実際のところその通りだった。

  だいたい土台から無理な話だったんだよ。初めから俺にゃあんな自分から孤立無援に突っ走るようなイカレ女を救済してやる義務はなかったんだ。
  つーかここまでのことをされていてなお通訳として嫌々ながらもきちんと働いている俺に誰か勲章いや現金を寄越せってんだ。

  あの七夕事件から俺と涼宮の距離は織姫と彦星くらい遠ざかってしまった。
  しかも俺たちはたとえトチ狂ったとしても天の川を越えるような酔狂なマネはしない。俺たちは永遠に離れたままだ。
  たぶんそれが既定事項だったんだろうな。

  ま、涼宮がきっとそうであるように俺はそれで一向に構わないんだけどな。いや本当だぜ?

  誰があんなイカレ女。

  こっちから願い下げだっての。

  本当に、あんな女に一時でも恋していたなんて、こんなアホな話は広い宇宙にもそうないだろう。

  そして、何よりもアホなのは、きっとこの俺。

  毎年七夕が来るたびにしっかり天の川を越えて逢瀬を交わしやがる織姫と彦星に嫉妬するような俺はまずもってアホ以外の何者でもないだろう。

 
108以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 03:00:49.94:eSCpslG50

<笹の葉・完>

を書き忘れました。

長々と付き合っていただきありがとうございます。

次が最後です。小休止したら、行きます。

 
109以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 03:05:42.36:eSCpslG50

・消失

  俺が涼宮ハルヒというイカレ女から出会って三年が経ち、開放されて八ヶ月半が経った。

  学校に行くのがこんなに楽しいなんて嘘のようだ。

  まるで世界が生まれ変わったみたいに最高のパラダイスだ。

  涼宮ハルヒが、いない。

  それだけで俺の人生はバラ色に染まった。

 
110以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 03:08:17.77:eSCpslG50

  そろそろ一年が終わる頃だし少し過去を振り返ってみてもいいだろう。

  まず俺は高校に入って涼宮ハルヒ級の超美少女と同じクラスになった。

  朝倉涼子。俺様的美的ランクAAランクプラス。我らがクラスの委員長様。
  顔よしスタイルよし性格よしの三拍子だ。当然のように頭もいいし運動もできるしな。
  本当にこいつだけは全知全能の神様に造られたって言われても信じるぜ。それくらいに完全無欠だ。

  あとはまあ野郎の友人も悪くないやつらと出会った。

  キョンと国木田。
  キョンとは入学した後の席割りで近くにいたから。
  国木田はキョンの中学時代の友人ということで芋づる式に仲良くなった。

  毎日絶世の美女と同じ空気を吸いながら同レベルのアホ男どもとバカ話をしてゲラゲラ笑っているうちに一日が終わる。

  毎日その調子なんだぜ?

  どっかの誰かの仏頂面なんて見なくていい。

  これが天国と言わずになんだろうか。

 
111以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 03:11:13.33:eSCpslG50

  思い出か。数え上げればキリがないがやっぱ一番は文化祭だろう。

  朝倉の指揮の下、俺たちはクラス一丸となって一つの企画をやり遂げた。

  あの達成感。

  そして連帯感。

  あとは祭の後の虚無感。

  これが青春なんだと感じたね。これだよこれみたいな。
  特別な何かじゃなくて、ごく普通な、けっこうどこの誰でも経験していそうなありきたりなこと。
  どうやら人間ってのはそういう一般的な感動で十分満足できるような仕様になってるらしい。

  どっかのアホ女には一生わからねえんだろうがな。

  今頃は坂の下でどんな仏頂面をしているんだか。

  同情を禁じえないね。ま、実際はあんなイカレ女のことを思い出すほど愚かで退屈な日々を俺は過ごしてなかったけどな。うけけ。

 
112以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 03:12:46.16:eSCpslG50

  そんなわけで、世界五秒前仮説を思い浮かべるくらいあっという間に時が過ぎて今は師走の十八日だった。
  俺はあいにく性質の悪い病魔に侵されていてぶっ倒れそうになるのを必死に堪えて名物のハイキングコースを学校に向けて登っていた。
  これがホントの登校、なんてな。

  って冗談を言っている場合じゃねえ。マジこたえるぜ、この坂。

「よう、谷口」

  珍しくあっちから声をかけてきやがった。誰かというと、

「……む、キョンか」

  俺はマスク越しのくぐもった声で言った。

「どうした? 風邪か?」

  どうした、じゃねえよ。何をそんなに目を丸くしていやがる。

「見ての通り風邪状態だ。本当は休みたかったんだが、親父がうるさくてな」

 
113以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 03:14:13.59:eSCpslG50

「昨日まで元気いっぱいだったのに、突然の風邪があったもんだ」

「何言ってやがる。昨日も調子はよくなかったぞ」

「昨日も風邪気味だって? 俺には普段通りのお調子者に見えたが」

「そうだったか? 調子がよかったつもりはないんだがな」

「イブの予定を嬉しそうに語ってただろ。まあ、デートまでには治せよ。そんなチャンスは滅多に到来しないだろうからな」

「なんのことだ。イブに予定なんかねえぞ」

「なんのことだはこっちのセリフだ。光陽園女子の彼女はどうしたんだ。ひょっとして昨日の晩にでもフラれたか?」

「おい、キョン。マジでおめーは何言ってんだ? そんなもん俺は知らねえ」

 
114以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 03:16:43.71:eSCpslG50

  俺はそこで口をつぐんで前を向いた。キョンのやつ、こちとら風邪でほとほと参っているってのに朝っぱらから電波な話聞かせんじゃねえよ。
  電波な話なら中学のときに嫌っていうほど聞かされてもう受信可能な周波数は全て埋まってんだ。

「気を落とすな」

  キョンはなんのつもりか俺の背中を押して、言う。

「やっぱ鍋大会に参加するか? 今ならまだ間に合うぞ」

「鍋ってなんだ? どこでする大会だよ、それ。聞いた覚えはねえな……」

  キョンのやつ何かよほどショッキングなことでもあったのか? それで記憶が混乱しているとか?
  いやまあ俺の知ったことじゃねえが。

  俺たちはそこから二人とも無言のままのろのろと坂を上り続けた。

 
115以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 03:18:52.41:eSCpslG50

  キョンのわけ解らん妄言のせいか午後になって俺の病状は悪化した。
  こりゃさすがにきつい……と昼休みは保健室で寝て午後もぼうっと過ごした。

  その夜。学校で昼寝をしたのがよくなかったのだろうか俺はなかなか寝付けなかった。

  人間、眠れぬ夜というのは何がしかロクでもないことを考える。

  そのとき俺の頭に浮かんできたロクでもないことは、とりもなおさずあいつのことだった。

  つーか俺の人生でロクでもなかったことなんて後にも先にもあいつオンリーだろう。
  あいつに比べりゃどんなロクでもないことだってちっとはマシに見えるってもんだ。

 
116以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 03:21:29.96:eSCpslG50

  姓は涼宮、名はハルヒ。

  人類史上に名が残りそうだけど絶対に残ってほしくない選手権ナンバーワンの超弩級イカレ女。

  中学の三年間、あいつはわけの解らんことを言いながらわけの解らんことを散々やり倒していたっけな。

  一瞬でもあいつに恋しちまったことを俺は呪うぜ。
  たぶん三年連続で同じクラスだったのも俺のそんな負い目が引き込んだ業みたいなもんなんだろうよ。

  結局、三年間も虐げられてそれっきりだもんな。

  今のあいつは俺の存在なんてこれっぽっちも覚えてないだろう。命を賭けてもいいくらいだぜ。

  忌々しい、ああ忌々しい、忌々しい。

  俺は――物忘れが得意技のこの俺でさえ――お前のことは一生忘れることができそうにねえってのによ。

 
117以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 03:26:42.35:eSCpslG50

  眠りに落ちてから、俺は夢を見た。

  そこではなぜか俺と涼宮は高校が一緒で且つ同じクラスだった。
  キョンや国木田や朝倉のいるあのクラスだ。そこにまるでそっちが正しかったかのように極自然に涼宮ハルヒが加わっていた。

  んでもって涼宮は幾人かの手下を引き連れて――驚いたことにそこにあのキョンが含まれていたんだなこれが――わけの解らん団体を立ち上げ、
  中学にも増してわけの解らんことを言ってわけの解らんことをやり倒していた。

  そんな中、俺はなんとそれを嫌がったり嘲ったりせずあろうことか遠巻きにはしゃぎ回る涼宮たちを微笑ましく見守っていたのだった。

  なぜ俺がそんな脳ミソ腐ったようなことをしてたのかと言えば――、

 
119以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 04:06:32.43:eSCpslG50

  おそらくは夢の中のその涼宮が笑顔だったからだろう。

  つーか涼宮の笑顔なんて一度も見たことないのによく夢に見れるよな。

  でも、まあ……その笑顔の涼宮はけっこう悪くなかった。

  俺はそんな涼宮たちとたまに遊んだりしているようだった。

  そして、あの涼宮と遊ぶなんていうげに恐ろしい状況を俺は楽しんでいるようだった。

  超ありえねえ。

  そうだな。これはまさに。ほらあれだ。

  驚天動地だ。

  ったく、フロイト先生も爆笑だぜ。

 
120以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 04:07:34.91:eSCpslG50

  当然、そんな悪夢を見て俺がまともでいられるはずがない。

  目覚めたときには丸一日経っていた。
  どうやらとうとう俺の体温がデッドラインの四十度に達したらしく、寝込んだ当日は親父も俺を無理矢理学校に行かせるようなことはしなかった。

  聞いた話だと俺は高熱でつらいはずなのになんか眠りながらニヤニヤしていたらしい。
  それを聞かされたときにはさすがの俺も即刻首を吊って死にたくなったね。涼宮の夢を見てニヤニヤしているだ? ふざけんな。

  が、毒をもって毒を制すといったところか、
  インフルエンザウィルスなんかより遥かに強悪性の涼宮毒が結果的には良い方に働き、俺は元気を取り戻した。

  よし。そうとなれば悪夢は全て忘却しよう。

  今日は十二月二十日。

  涼宮ハルヒのことなど頭の隅に追いやって、張り切って学校に行くとしようかね。

 
121以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 04:08:21.56:eSCpslG50

  やっぱり学校はいいもんだぜ。一限目の体育のとき、俺は国木田から実に笑える話を聞いた。

「キョンよ、お前、一昨日何やら騒いでたんだってな」

「一昨日ならお前もいただろう」

「昼休みは保健室で寝てたさ。午後もダルくてボーっとしてたしよ。今日初めて聞いたぜ。
  朝倉がいるとかいないとか言って半狂乱だったんだって?」

「まあな」

  キョンは手をヒラつかせて俺を追い払おうとする。そうはいかねえ。

「その場にいたかったぜ。お前が喚いたり暴れたりするところなんぞ、そんなしょっちゅう見れるとは思えねえからな」

  国木田も話に乗ってくる。

「そういえば、誰かの代わりに朝倉さんがいるのがおかしいっていう話だったよね。その人見つかった?
  ハルヒさんだっけ。それ、結局誰だったんだい?」

  ………………おい国木田、お前は今、何と言った?

 
122以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 04:10:04.57:eSCpslG50

「ハルヒ? そのハルヒってのは、ひょっとして涼宮ハルヒのことか?」

  そうじゃないことを確認するために俺は訊いた。

  キョンは、頚骨をギリギリと鳴らし、ゆっくりと俺の顔を振り仰ぐ。

「おい、お前は今、何と言った?」

  見たこともないくらい真面目な顔のキョン。ワッツ、どうした?

「だから涼宮だろ。東中にいたイカレ女だ。中学ではずっと同じクラスでなあ。そういや今頃何してんだろうな」

  俺は自分の気持ちを落ち着けるようにぺらぺらとどうでもいいことを喋り、

「――で、なんでキョンがあいつのことを知ってんだ。朝倉の代わりってどういうことだ?」

  その瞬間、キョンは『てめえ、この! タコ野郎!』などと叫びながら黒髭危機一髪が如く席を飛び上がった。

  キョンよ、お前は何をそんなに喜んでいるんだ?
  つーかお前が涼宮のことで喜んでいるのを見るとアホみたいに腹が立つんだがなんぞこれ。

「誰がタコだ。俺がタコだと言うんならお前なんかはスルメがいいとこだ。それにウチは代々白髪の家系だぞ。
  将来のことを考えるならおめーのほうが危ねー」

 
123以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 04:11:04.84:eSCpslG50

  俺の罵詈雑言などまるきり無視して、キョンは俺の胸倉を掴んで強引に引き寄せる。
  顔を近づけるな息を吹きかけるな気持ち悪いんだよ。

「お前、ハルヒを知ってるのか!」

  唾を飛ばすな。

「知ってるも何も、あと五十年は忘れられそうにねーな。
  東中出身であいつを知らない奴がいたら、そりゃ健忘症の心配をしたほうがいい」

「どこだ」

  キョンは唸り声を上げる。

 
124以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 04:13:01.25:eSCpslG50

「あいつはどこにいる。ハルヒの居場所はどこだ。どこに行きやがった?」

  えらい剣幕でまくし立てるキョン。これはひょっとして……。

「どっかで涼宮に一目惚れでもしたのか。やめとけ。これは親切心で言うんだぞ。
  あいつはルックスは上級だが性格が破滅している。たとえばだ」

  俺は涼宮の奇行列伝を外伝に至るまで語ろうとした。しかし、

「校庭に白線で意味不明な幾何学模様を描いたりな。よく解ってるさ。俺が知りたいのは過去のあいつの悪行じゃない。
  今、ハルヒがどこにいるのかなんだ」

  こいつはそこまで知っているくせに敢えて涼宮に手を出すつもりのか? どういう思考回路してやがんだ?
  しかし一応忠告はしたからな、その後どうするかを決めるのはキョンしだいか。

「光陽園学院」

  俺は水素の原子番号を答えるように言った。

 
125以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 04:14:26.14:eSCpslG50

  やがて、キョンは手ぶらで教室のドアに向かった。

「どこ行くの?」

  と国木田。

「早退する」

「鞄も持たずに?」

「国木田、岡部に訊かれたら俺はペストと赤痢と腸チフスを併発して死にそうだったと伝えておいてくれ。それから、谷口」

  言って、キョンは心からの感謝を俺に捧げた。

「ありがとよ」

「あ、ああ……?」

  俺は戸惑うばかりである。

  キョンのやつ、普通だ平凡だ一般人代表だと思っていたが。

  まさかお前があの涼宮と同類のクルクルパー野郎だったとはな。

  なんかそれがむしろ普通だったような気がしないでもないが。

  まあ、とにかく残念だ。惜しい友人を失くしたぜ。

 
126以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 04:16:20.98:eSCpslG50

  キョンが教室を飛び出していった後。

  俺はなんだか一人取り残されたような気持ちになった。

  胸にぽっかりと穴が開いたみたいだった。

  空しい。

  なぜだろう。

  俺は高校に入って日々平穏で平常な最高の時間を過ごしてきたはずだ。

  なのに、この物足りない感はなんだろう。

  あの、涼宮の居場所がわかったときのキョンの驚喜する顔が、脳裏に焼きついて離れない。

  キョンよ、お前はそんなにあの涼宮が気に入ってんのか?

 
127以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 04:17:30.01:eSCpslG50

  あんなイカレ女のどこがいい?

  近くにいたって何一ついいことはない。

  うんざり。いい加減にしろ。アホか。

  そんなことばっかりだった。

  涼宮と高校が別々になって俺はウルトラハッピーだったぜ。

  そろそろ付き合いきれなくなってたところだったんだ。

「…………」

  今頃になって涼宮毒が効いてきたのか、急に心臓が痛くなった。

 
128以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 04:19:51.62:eSCpslG50

  俺が求めてやまなかった平穏。

  俺が求めてやめなかった平静。

  そこには涼宮ハルヒなんていう暗黒物質は存在しなくて、

  キョンや、国木田や、朝倉や、クラスのやつらが、

  みんな仲良く普通に楽しく過ごしている。

  それが俺が求めてやまなかった日常。

  決して、あの夢の中の世界のような驚天動地が当たり前のワンダーワールドなんて、俺は望んじゃいない。

  ただ困ったことが一つだけある。

  その世界の涼宮は、俺の知っている涼宮と違って、憂鬱や陰鬱なんて言葉からはほど遠い、
  脳内お花畑で常時アッパーパーテンションな、誰彼構わず周囲を巻き込んでは暴走して、
  ただひたむきに面白いことをやりたがるような、

  すっげえいいやつ……なんだよなあ。

 
132以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 05:27:47.39:eSCpslG50

  きっとそれが涼宮ハルヒの本質なんだろう。

  それが涼宮らしい涼宮なんだろう。

  俺の知っている涼宮の、まだ知らない部分。

  扉を閉ざされて、そこを覗くことがずっと叶わなかった、俺には手が届かない涼宮の内側。

  キョンは……それを知っているのか……?

  だから……あんなにも必死に……?

  はん。

  けどそれが俺に何の関係があるってんだよ一切合切関係ないだろうがあんなイカレ女のことなんて知ったことかこのアホめ。そうだろ?

  でも、ああ、なんてことだ。

  俺は自分が何を思っているのかに気付いて愕然として、そんなアホらしいことを考えてしまった頭をどこかに打ち付けたくなった。

  俺は涼宮ハルヒに会いたかった。

 
134以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 05:30:56.03:eSCpslG50

  なーんてやけにリアルな夢を見た。

  目が覚めたら十二月十八日だった。

  俺は思わず『夢か……』と呟いた。

  その呟きはいくらかの安堵の感情を含んでいたが努めて気にしないようにした。

  たかが夢じゃねえか。

  そんなものは忘れてしまえばいいんだよ。

  Everybody says "WAWAWA". なんつってな。

  俺は自分で自分の頭をがんがんと叩いた。脳細胞虐殺計画だ。叩き終わる頃にはあのわけの解らん夢は忘却の彼方へと旅立っていた。

  なんて便利な脳ミソだ。アホ最高だぜ。

 
135以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 05:33:33.17:eSCpslG50

  しかしところがどっこいだ。

  アホも万能じゃないんだなこれが。

  なにせたった一人の女を忘れることさえできねえんだからよ。

  ほんとアホな話だぜ。

  なんの因果かね。

  たとえ俺が俺自身のことすら忘れてしまってもあいつのことだけははっきりと覚えている気がする。

  確信があるんだ。

  俺のこのちっぽけでアホな頭の中からこれから先一生どんなことが起ころうとも絶対にあいつだけは――、

  涼宮ハルヒだけは、消失してくれねえんだよ。

<消失・完>

 
136以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 05:37:55.70:eSCpslG50
最後まで読んでいただきありがとうございます。

あとからねじ込んだ「笹の葉」によって若干の歪が生まれましたが、
皆様の応援があって「笹の葉」のイメージが広がり書き上げるに至ったのも事実です。
一期一会みたいな。
感謝感激です。
ありがとうございました。

最後に「涼宮ハルヒの分裂」より本作の主人公のセリフを一つ引用して締めたいと思います。





『しかし、涼宮と五年連続同じクラスってのはなぁ。腐れ縁じゃねーよなぁ。もともと縁なんかねーしよぉ』





しゃー驚愕が楽しみだー寝ます!!!

 
137:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 05:38:51.93:kpTxs3+p0
>>1乙おもしろかった

 
138:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 06:22:05.56:wFlvBDovI
ながるんの再現度高すぎる
>>1

 
139:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/02(水) 07:20:57.91:uLdFmfZF0
いやホント面白かった

 
photo
涼宮ハルヒの驚愕 初回限定版(64ページオールカラー特製小冊子付き) (角川スニーカー文庫)
谷川 流 いとう のいぢ
角川書店(角川グループパブリッシング) 2011-05-25

by G-Tools , 2011/03/02