- 1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/27(日) 02:48:23.03:29Bwa0sD0
「ちょっと唯、聞いてる?」
「えっ」
はっと我に返った拍子に、手にしていたシャープペンシルを落としてしまった。
かつん、と乾いた音を立てて、テーブルの上に転がる。
「もう、何ぼーっとしてるの」
和ちゃんは少しだけ眉を寄せて、
右手の人差し指と中指を揃えて眼鏡を押し上げる。
その眼鏡を見てました、と口に出して言えるはずもなく、
ニヘラと情けなく笑って誤摩化したらちゃんと聞きなさいと叱られた。

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3:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/27(日) 02:51:49.92:29Bwa0sD0
もう一回最初から説明するからねと前置きされて、
真っ白だった私のノートに逆さ向きで数式が綴られていく。
規則的にさらさらと鳴る筆記と淡々とした口調で解説を挟む彼女の声が
心地よいリズムで私の耳に流れ込んでくる。
逆さ向きの数式はまた意識から離れてどこかに飛んで行き、
気がつけば、私の視線は再び彼女の眼鏡に吸い寄せられていた。
「で、これを代入してやれば……。ここまで分かった?」
「えっ、んと……うん、わかった、かな」
急に顔を上げた和ちゃんと目が合って、慌てて応える。
5:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/27(日) 02:55:10.15:29Bwa0sD0
「……分かってないでしょ」
「ねえちょっと休憩しない?」
「勉強見て欲しいってお願いしてきたの、誰だっけ?」
とんとん、とノートを指で弾いて、和ちゃんが私の顔を見据える。
「……わたくしでございます」
「分かってるじゃない。じゃ、次の問題解くわよ?」
そう言って和ちゃんがくるりと回したシャープペンシルは、
もうずいぶん前の誕生日に、私がプレゼントしたもの。
彼女のキャラクターには正直あんまり似合っていない、ファンシーなデザイン。
それでも彼女は授業中も、受験勉強の時も、ずっと使い続けてくれている。
8:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/27(日) 02:58:15.94:29Bwa0sD0
コンコン
軽いノックの音に続いて、お姉ちゃん入るよ?と救いの声が響く。
「ふたりとも、勉強おつかれさま。カフェオレ入れたよ」
「お~っ、ありがとぉ憂」
「憂、ありがとう」
和ちゃんはシャープペンシルをノートの上に置いて憂に笑いかけ、
憂も笑顔を返す。
テーブルに置かれたマグカップはふたつ。
「あれ、憂のぶんは?」
そう聞いた私に、憂は勉強の邪魔しちゃ悪いからと応えて、
お姉ちゃんのぶんはお砂糖多めにしておいたからね、と、ニコリと笑った。
10:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/27(日) 03:01:24.97:29Bwa0sD0
「……以心伝心っていうより、テレパシーの域ね」
静かに閉じられたドアを眺めながら、和ちゃんが溜息を吐く。
「えへへ、できた妹でして」
マグカップを揺らしながら眉尻を下げた私に、和ちゃんは
褒めてないわよ、と呆れ顔を向ける。
「飲んだら再開するからね」
「うー、数学はもう嫌だよぉ……頭がカッカしてる」
大袈裟に頭を抱えてみせたけれど、
頭痛がするほど集中してなかったでしょ、と冷ややかに返された。
11:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/27(日) 03:04:33.44:29Bwa0sD0
「それなりに、集中してたよぉ」
「じゃあ私の顔ばっかり眺めてないで、ちゃんとノートを見なさい」
ばれてました。
私はちょっと目を泳がせて、それから唇を尖らせる。
「……和ちゃんが悪いんだよ」
「え?」
「和ちゃんと、その眼鏡のせいだよ」
「眼鏡?」
「そうだよ」
「言ってる意味が分からないんだけど」
完全に逆切れだと自覚しつつ開き直ろうとした私に、
和ちゃんは至極ごもっともな応えを返す。
13:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/27(日) 03:07:44.98:29Bwa0sD0
高校入学を前に眼鏡を新調すると言った和ちゃんについて行って、
半ば強引に赤いアンダーリムの眼鏡を選ばせたのは私。
それから3年間、和ちゃんは買い替えることなくその眼鏡を掛け続けている。
「和ちゃんってほんとにその眼鏡似合うよね」
「それが、今あんたが勉強に集中できない理由って言いたいの?」
怒ってはいないけれど、冗談を言わせない声色。
16:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/27(日) 03:10:45.72:29Bwa0sD0
「……ごめんなさい」
「……」
「これ飲んだら、ちゃんと勉強するから」
「……ねえ唯、」
小さく息を吐いて私の名を呼んだその声は、先程よりもやわらかい。
「何かあった?」
「……」
「今、唯が何を考えてるか、言ってくれないと分からない」
「……」
18:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/27(日) 03:14:16.46:29Bwa0sD0
「受験のこと、焦ってる?」
幼い子供に聞くように首を傾げた和ちゃんに、少し考えて顔を横に振る。
「じゃあ、軽音部のこと?」
考える必要もなく、再び顔を横に振る。
「それじゃ、どうしてそんな泣きそうな顔をするの?」
「……和ちゃんが悪いんだよ」
「またそこに戻るのね」
「……」
私が口を開かないと思ったのだろう、和ちゃんはまたひとつ溜息を落とすと
マグカップの取っ手に右手の人差し指を絡ませ、
少し目を伏せてカフェオレを啜る。
20:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/27(日) 03:17:43.17:29Bwa0sD0
湯気で曇った眼鏡のレンズに、私は無意識に右手を伸ばしていた。
「!」
中指の先がレンズに触れた瞬間、和ちゃんが驚いて体を引いた。
はずみでカフェオレが波立って、私の手に飛沫がかかる。
「あっ」
和ちゃんはすぐにマグカップを置いて私の手を掴むと、
左のてのひらで私の手に散ったカフェオレを拭い取った。
「大丈夫?熱くなかった?」
そう言って私の顔を見た和ちゃんの眼鏡のレンズに、
ぽつりと小さな指紋が残っている。
21:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/27(日) 03:21:03.57:29Bwa0sD0
「……っ」
「唯?」
「ごめ……、ごめん、なさい」
「え、」
ぱたぱたっと私のノートが音を立てて、自分が泣いている事に気が付く。
「和ちゃ……ごめん、なさい……」
「ちょっと、唯?どうしたの」
掴まれたままの自分の右手が震えている。
喉の奥が苦しくて、言葉が詰まって出てこない。
23:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/27(日) 03:24:56.30:29Bwa0sD0
和ちゃんが私の右手を離した。
支えを失って、力なくテーブルの上に落ちる。
「うっ、ふぇ……」
目を固く閉じてこらえようとするけれど、
嗚咽が漏れるのを自分でも止められない。
ガタン、ばさっ、ばたばたっと騒がしく音が移動して、
後ろからふわりと抱きしめられた。
「っ!」
しゃっくりをするみたいに喉が鳴って、一瞬呼吸を忘れる。
どうしたのよもう、と、すぐ耳元で和ちゃんの柔らかな声がした。
25:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/27(日) 03:28:41.07:29Bwa0sD0
「うっ……ぐすっ、のどかちゃ……」
「落ち着くまで待つから」
「ごめ、なさい……」
「うん、わかったから」
和ちゃんの手が私の頭を優しく撫でてくれる。
鼻水出てるわよと言われて思い切り鼻をすすったら、ちょっと笑われた。
目を薄く開くと、視界の先に和ちゃんの通学鞄が見えた。
教科書やノートが床に散らばっている。
鞄の前面には私が勝手に付けたハートのバッヂ。
それを見て、また視界が潤む。
もう一度鼻をすすって、深呼吸をした。
28:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/27(日) 03:31:50.90:29Bwa0sD0
「……のどかちゃん、」
「なあに?」
「私のこと、忘れないでね」
「……え?」
頭を撫でる手が止まった。私はもう一度、忘れないでと口に出す。
「……」
和ちゃんはしばらく黙って、それから、馬鹿ねと笑った。
「急に何を言い出すのかと思ったら」
「……」
「卒業した後のこと考えて、寂しくなったの?」
こくりと頷く。
31:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/27(日) 03:34:53.94:29Bwa0sD0
物心ついたときには、もう私の生活の中に和ちゃんが居た。
幼稚園も、小学校も、中学校も、高校もずっと一緒だった。
家族のような、でも家族とはまた違う、とても大切な存在。
家族でさえいつかは別々の生活が待っているのだから、
幼馴染との別れが訪れることくらい、私にだってわかっていたことなのに。
「……唯のこと、忘れるわけないじゃない」
和ちゃんの右手が、再び私の頭を撫でてくれる。
抱え込むように私の右肩に回された和ちゃんの左腕をぎゅっと掴む。
35:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/27(日) 03:38:29.27:29Bwa0sD0
「っていうか、あんたのことは忘れたくても忘れられないわよ」
こんなに沢山、しるしを付けられて。和ちゃんはそう言葉を繋いだ。
「……しるし?」
「そうよ。ほら、今見ただけでも、シャープペンでしょ、あのバッヂでしょ、」
和ちゃんは右手を私の目の前に伸ばして、指折り数える。
「それから、この眼鏡と……いま眼鏡に付けられた、指紋も」
「……」
「唯から貰ったものは知り合い全員の両手両足を借りたって、数えきれないけど」
「……」
36:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/27(日) 03:41:37.80:29Bwa0sD0
「ああ、それからもうひとつ、これもね」
そう言うと、和ちゃんは右手をくるりとひっくり返して手の甲を私に向け
ぴんと指先を揃えて伸ばし、それから中指と薬指の間をぱかっと広げた。
「……あっ」
「いつだっけ、唯がこのサイン考えたの」
「覚えてたんだ、和ちゃん」
「だから言ってるでしょ、忘れないって」
和ちゃんは小さく笑って、
さっきのところちょっと赤くなってるわね、と私の右手に優しく触れた。
37:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/27(日) 03:42:35.32:jKAm1Zrn0
「熱くなかった?」
「うん、平気」
「そう?ならいいけど」
「ねえ、鞄、なんであんなになってるの?」
床に転がっている通学鞄を指差すと、
ああ、さっき慌てて蹴飛ばしちゃった、と和ちゃんは苦笑いした。
「和ちゃんって、実は結構おっちょこちょいだよね」
誰のせいよと呆れ声で言われて、エヘヘと笑い返す。
39:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/27(日) 03:48:29.42:29Bwa0sD0
「ねえ和ちゃん」
「なあに?」
「体の向き、変えていい?」
和ちゃんは何も言わず、私の肩を抱いていた左手を緩めてくれた。
私は座ったまま体の向きを変えて、和ちゃんの鎖骨辺りに頬をくっつけ、
両手をぎゅっと背中に回す。
「いつまでたっても甘えん坊ねえ、唯は」
緩めていた左手が再び私の肩を抱いて、
赤ちゃんをあやすようにぽんぽんと背を叩かれる。
「なんとでもお言いくだせえ。今のうちにいっぱい甘えとくんだもん」
「ふふ、やっといつもの調子に戻ったわね」
40:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/27(日) 03:51:45.26:29Bwa0sD0
「……でもまだ、和ちゃんがいない生活って想像できないよ」
「会う時間が減るだけでしょ」
「和ちゃんは寂しくないの?」
「そんなわけないじゃないの」
和ちゃんはなんでもないことのようにさらりと応えた。
ああ、そうか。そうだよね。和ちゃんだって寂しいんだ。
そんな当たり前のことに気付かないほど、私は自分のことばっかりだった。
43:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/27(日) 03:55:40.84:29Bwa0sD0
「和ちゃん……」
「そんな声出さないの。なにも今生の別れってわけじゃないんだから」
「……」
「メールだって電話だってあるし」
「……うん」
耳の後ろから、すん、と小さく鼻をすする音が聞こえた。
「どうしよう和ちゃん、私また泣きそう」
「……まったく、今日はもう勉強にならないわね」
溜息まじりに笑った和ちゃんに、ごめんねぇ、と私も笑う。
44:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/27(日) 03:59:26.83:29Bwa0sD0
「受験のことも、ちょっとは焦りなさいよ?まだギリギリC判定でしょ」
「和先生に教えてもらうから大丈夫です!」
「そこは甘えずに自分で努力しなさい」
「えぇ~」
「えーじゃなくて」
「でもでも、一緒に勉強はできるよね?和ちゃんの邪魔はしないから」
45:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/27(日) 04:03:01.23:29Bwa0sD0
「……もう眼鏡に指紋付けないって約束してくれるならね」
「和ちゃん大好き」
それ答えになってないわよ、と和ちゃんは今日何度目かの溜息を吐いた。
それからカフェオレは憂に頼んで暖め直してもらおうかと優しく言って、
髪の毛を漉くように、私の頭を優しく撫でてくれた。
おしまい
46:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/27(日) 04:05:39.66:29Bwa0sD0
もう一回最初から説明するからねと前置きされて、
真っ白だった私のノートに逆さ向きで数式が綴られていく。
規則的にさらさらと鳴る筆記と淡々とした口調で解説を挟む彼女の声が
心地よいリズムで私の耳に流れ込んでくる。
逆さ向きの数式はまた意識から離れてどこかに飛んで行き、
気がつけば、私の視線は再び彼女の眼鏡に吸い寄せられていた。
「で、これを代入してやれば……。ここまで分かった?」
「えっ、んと……うん、わかった、かな」
急に顔を上げた和ちゃんと目が合って、慌てて応える。
「……分かってないでしょ」
「ねえちょっと休憩しない?」
「勉強見て欲しいってお願いしてきたの、誰だっけ?」
とんとん、とノートを指で弾いて、和ちゃんが私の顔を見据える。
「……わたくしでございます」
「分かってるじゃない。じゃ、次の問題解くわよ?」
そう言って和ちゃんがくるりと回したシャープペンシルは、
もうずいぶん前の誕生日に、私がプレゼントしたもの。
彼女のキャラクターには正直あんまり似合っていない、ファンシーなデザイン。
それでも彼女は授業中も、受験勉強の時も、ずっと使い続けてくれている。
コンコン
軽いノックの音に続いて、お姉ちゃん入るよ?と救いの声が響く。
「ふたりとも、勉強おつかれさま。カフェオレ入れたよ」
「お~っ、ありがとぉ憂」
「憂、ありがとう」
和ちゃんはシャープペンシルをノートの上に置いて憂に笑いかけ、
憂も笑顔を返す。
テーブルに置かれたマグカップはふたつ。
「あれ、憂のぶんは?」
そう聞いた私に、憂は勉強の邪魔しちゃ悪いからと応えて、
お姉ちゃんのぶんはお砂糖多めにしておいたからね、と、ニコリと笑った。
「……以心伝心っていうより、テレパシーの域ね」
静かに閉じられたドアを眺めながら、和ちゃんが溜息を吐く。
「えへへ、できた妹でして」
マグカップを揺らしながら眉尻を下げた私に、和ちゃんは
褒めてないわよ、と呆れ顔を向ける。
「飲んだら再開するからね」
「うー、数学はもう嫌だよぉ……頭がカッカしてる」
大袈裟に頭を抱えてみせたけれど、
頭痛がするほど集中してなかったでしょ、と冷ややかに返された。
「それなりに、集中してたよぉ」
「じゃあ私の顔ばっかり眺めてないで、ちゃんとノートを見なさい」
ばれてました。
私はちょっと目を泳がせて、それから唇を尖らせる。
「……和ちゃんが悪いんだよ」
「え?」
「和ちゃんと、その眼鏡のせいだよ」
「眼鏡?」
「そうだよ」
「言ってる意味が分からないんだけど」
完全に逆切れだと自覚しつつ開き直ろうとした私に、
和ちゃんは至極ごもっともな応えを返す。
高校入学を前に眼鏡を新調すると言った和ちゃんについて行って、
半ば強引に赤いアンダーリムの眼鏡を選ばせたのは私。
それから3年間、和ちゃんは買い替えることなくその眼鏡を掛け続けている。
「和ちゃんってほんとにその眼鏡似合うよね」
「それが、今あんたが勉強に集中できない理由って言いたいの?」
怒ってはいないけれど、冗談を言わせない声色。
「……ごめんなさい」
「……」
「これ飲んだら、ちゃんと勉強するから」
「……ねえ唯、」
小さく息を吐いて私の名を呼んだその声は、先程よりもやわらかい。
「何かあった?」
「……」
「今、唯が何を考えてるか、言ってくれないと分からない」
「……」
「受験のこと、焦ってる?」
幼い子供に聞くように首を傾げた和ちゃんに、少し考えて顔を横に振る。
「じゃあ、軽音部のこと?」
考える必要もなく、再び顔を横に振る。
「それじゃ、どうしてそんな泣きそうな顔をするの?」
「……和ちゃんが悪いんだよ」
「またそこに戻るのね」
「……」
私が口を開かないと思ったのだろう、和ちゃんはまたひとつ溜息を落とすと
マグカップの取っ手に右手の人差し指を絡ませ、
少し目を伏せてカフェオレを啜る。
湯気で曇った眼鏡のレンズに、私は無意識に右手を伸ばしていた。
「!」
中指の先がレンズに触れた瞬間、和ちゃんが驚いて体を引いた。
はずみでカフェオレが波立って、私の手に飛沫がかかる。
「あっ」
和ちゃんはすぐにマグカップを置いて私の手を掴むと、
左のてのひらで私の手に散ったカフェオレを拭い取った。
「大丈夫?熱くなかった?」
そう言って私の顔を見た和ちゃんの眼鏡のレンズに、
ぽつりと小さな指紋が残っている。
「……っ」
「唯?」
「ごめ……、ごめん、なさい」
「え、」
ぱたぱたっと私のノートが音を立てて、自分が泣いている事に気が付く。
「和ちゃ……ごめん、なさい……」
「ちょっと、唯?どうしたの」
掴まれたままの自分の右手が震えている。
喉の奥が苦しくて、言葉が詰まって出てこない。
和ちゃんが私の右手を離した。
支えを失って、力なくテーブルの上に落ちる。
「うっ、ふぇ……」
目を固く閉じてこらえようとするけれど、
嗚咽が漏れるのを自分でも止められない。
ガタン、ばさっ、ばたばたっと騒がしく音が移動して、
後ろからふわりと抱きしめられた。
「っ!」
しゃっくりをするみたいに喉が鳴って、一瞬呼吸を忘れる。
どうしたのよもう、と、すぐ耳元で和ちゃんの柔らかな声がした。
「うっ……ぐすっ、のどかちゃ……」
「落ち着くまで待つから」
「ごめ、なさい……」
「うん、わかったから」
和ちゃんの手が私の頭を優しく撫でてくれる。
鼻水出てるわよと言われて思い切り鼻をすすったら、ちょっと笑われた。
目を薄く開くと、視界の先に和ちゃんの通学鞄が見えた。
教科書やノートが床に散らばっている。
鞄の前面には私が勝手に付けたハートのバッヂ。
それを見て、また視界が潤む。
もう一度鼻をすすって、深呼吸をした。
「……のどかちゃん、」
「なあに?」
「私のこと、忘れないでね」
「……え?」
頭を撫でる手が止まった。私はもう一度、忘れないでと口に出す。
「……」
和ちゃんはしばらく黙って、それから、馬鹿ねと笑った。
「急に何を言い出すのかと思ったら」
「……」
「卒業した後のこと考えて、寂しくなったの?」
こくりと頷く。
物心ついたときには、もう私の生活の中に和ちゃんが居た。
幼稚園も、小学校も、中学校も、高校もずっと一緒だった。
家族のような、でも家族とはまた違う、とても大切な存在。
家族でさえいつかは別々の生活が待っているのだから、
幼馴染との別れが訪れることくらい、私にだってわかっていたことなのに。
「……唯のこと、忘れるわけないじゃない」
和ちゃんの右手が、再び私の頭を撫でてくれる。
抱え込むように私の右肩に回された和ちゃんの左腕をぎゅっと掴む。
「っていうか、あんたのことは忘れたくても忘れられないわよ」
こんなに沢山、しるしを付けられて。和ちゃんはそう言葉を繋いだ。
「……しるし?」
「そうよ。ほら、今見ただけでも、シャープペンでしょ、あのバッヂでしょ、」
和ちゃんは右手を私の目の前に伸ばして、指折り数える。
「それから、この眼鏡と……いま眼鏡に付けられた、指紋も」
「……」
「唯から貰ったものは知り合い全員の両手両足を借りたって、数えきれないけど」
「……」
「ああ、それからもうひとつ、これもね」
そう言うと、和ちゃんは右手をくるりとひっくり返して手の甲を私に向け
ぴんと指先を揃えて伸ばし、それから中指と薬指の間をぱかっと広げた。
「……あっ」
「いつだっけ、唯がこのサイン考えたの」
「覚えてたんだ、和ちゃん」
「だから言ってるでしょ、忘れないって」
和ちゃんは小さく笑って、
さっきのところちょっと赤くなってるわね、と私の右手に優しく触れた。
>>36
卒業式のときのあれか
38:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/27(日) 03:44:53.50:29Bwa0sD0卒業式のときのあれか
「熱くなかった?」
「うん、平気」
「そう?ならいいけど」
「ねえ、鞄、なんであんなになってるの?」
床に転がっている通学鞄を指差すと、
ああ、さっき慌てて蹴飛ばしちゃった、と和ちゃんは苦笑いした。
「和ちゃんって、実は結構おっちょこちょいだよね」
誰のせいよと呆れ声で言われて、エヘヘと笑い返す。
「ねえ和ちゃん」
「なあに?」
「体の向き、変えていい?」
和ちゃんは何も言わず、私の肩を抱いていた左手を緩めてくれた。
私は座ったまま体の向きを変えて、和ちゃんの鎖骨辺りに頬をくっつけ、
両手をぎゅっと背中に回す。
「いつまでたっても甘えん坊ねえ、唯は」
緩めていた左手が再び私の肩を抱いて、
赤ちゃんをあやすようにぽんぽんと背を叩かれる。
「なんとでもお言いくだせえ。今のうちにいっぱい甘えとくんだもん」
「ふふ、やっといつもの調子に戻ったわね」
「……でもまだ、和ちゃんがいない生活って想像できないよ」
「会う時間が減るだけでしょ」
「和ちゃんは寂しくないの?」
「そんなわけないじゃないの」
和ちゃんはなんでもないことのようにさらりと応えた。
ああ、そうか。そうだよね。和ちゃんだって寂しいんだ。
そんな当たり前のことに気付かないほど、私は自分のことばっかりだった。
「和ちゃん……」
「そんな声出さないの。なにも今生の別れってわけじゃないんだから」
「……」
「メールだって電話だってあるし」
「……うん」
耳の後ろから、すん、と小さく鼻をすする音が聞こえた。
「どうしよう和ちゃん、私また泣きそう」
「……まったく、今日はもう勉強にならないわね」
溜息まじりに笑った和ちゃんに、ごめんねぇ、と私も笑う。
「受験のことも、ちょっとは焦りなさいよ?まだギリギリC判定でしょ」
「和先生に教えてもらうから大丈夫です!」
「そこは甘えずに自分で努力しなさい」
「えぇ~」
「えーじゃなくて」
「でもでも、一緒に勉強はできるよね?和ちゃんの邪魔はしないから」
「……もう眼鏡に指紋付けないって約束してくれるならね」
「和ちゃん大好き」
それ答えになってないわよ、と和ちゃんは今日何度目かの溜息を吐いた。
それからカフェオレは憂に頼んで暖め直してもらおうかと優しく言って、
髪の毛を漉くように、私の頭を優しく撫でてくれた。
おしまい
読んで下さった方ありがとうございました。
おやすみなさい。
50:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/27(日) 05:15:40.53:Le6WWAlF0おやすみなさい。
よかったよ
おつ!!
おつ!!

コメント 6
コメント一覧 (6)
キュンキュンキュイッ
なんか凄く良い・・・