3以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 19:23:15.85:K+m0G4pP0

┏━━━┓
┃諸注意┃
┗━━━┛

・ この話はスレタイのとおり『あゝ野麦峠 ある製糸工女哀史』(山本茂実 著 1968年初版)の内容を元にしている

・ なお、上記原著を知らなくとも読みうるよう、最低限配慮したつもりである

・ つまり、舞台の時代が時代なので、全体的に(特に後半は)重く暗い話であるから、苦手な人は読まないこと

 
5以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 19:26:17.12:K+m0G4pP0

【まえがき】

───明治から大正にかけて、これは飛騨と信州を結ぶ、野ムギ峠にまつわる哀話である。


もうだいぶ古い話になるが、私は死んだバア様からよくこの野ムギ峠の話を聞いた。

もっとも、バア様はこれを“ノムギ”と発音せず、いつも“ノウミ”と言っていたから、
後で日本アルプスの地図を広げていくら探しても、どこにもそんな名の峠は見つからず閉口したことを覚えている。


何でも、バア様の話によると、そのクマザサにおおわれた峠を、
幾千幾万とも知れないおびただしい数の製糸工女たちが下って、
そこから信州(現在の長野県)桜が丘方面の工場へ向かった。


若い娘たちのこととて、その賑やかさは、騒がしくも華やかにも見える行列が、幾日も幾日も峠から桜が丘へ続いた。


五月、春びき(春の糸引き作業)が終わると田植えに帰り、またすぐに夏びき(夏~冬の糸引き作業)に出かけ、
暮れ迫る十二月末には吹雪の峠道を飛騨(ひだ。現在の岐阜県北部)へと帰っていったという。

 
6以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 19:29:13.50:K+m0G4pP0

しかし、避妊具も普及していなかった当時のことで、数多い女たちの中には、身籠もって帰る女も少なくなかったらしい。


彼女らは誰にもそれを打ち明けられず、小さな胸を痛めながら、みんなの後に続いていくが、
険しいアルプスの峠道はあくまで非情にこれを阻み、
脂汗をにじませ、よろよろと列を抜けてササ藪にうずくまり、そこに肉塊を産み落とした。


さいわい丈余のクマザサはこの女の苦悶をやさしく抱擁してくれたが……

やがて肉塊は赤い腰巻きに包まれたままササの根元に葬られた。


来る年も、来る年も……


そして誰がいつごろ建てたものか知るすべもないが、そこに小さな地蔵様が建ち、
誰とはなく“野産み峠”と言うようになった、と、これはバア様の話である───


(まえがき 終) [註:原著10~11頁を一部改めた]

 
9以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 19:34:48.62:K+m0G4pP0

――工女の朝は早い。


時は明治、信州は諏訪湖の近く、天竜川沿いの桜が丘村、午前四時半。まだ外は暗い。

起床の汽笛が鳴り響く。そして検番たちの怒声。

六百釜を擁する琴吹製糸場第一工場のボイラーに火が入る。

熱湯の煮えたぎる釜からは、蚕繭がむせ返るような臭いを立て始める。

前日の延長夜業の疲れも取れぬ工女の一人がワラ布団に顔をうずめたまま呟く。


  「ああ、また一日が始まる…」

 
10以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 19:37:49.59:K+m0G4pP0

少女の名は、中野アヅサ。

彼女はこの年初めて飛騨から桜が丘に来た、いわゆる新工である。

親元を離れ、野ムギ峠を越えて、この信州の製糸場に出稼ぎに来ている。

そして、この製糸場、いや、桜が丘には、同じような工女が何百、何千といた。


  「アヅサ!早く起きないと検番さんにどやされるぞ!」

  「は、はい!すみません!」


素早くワラ布団から飛び起きた先輩工女が、つややかな長い黒髪を後頭部で束ねながら叫ぶ。

彼女は、秋山ミヲという。同じく飛騨の出身。

 
12以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 19:40:31.85:K+m0G4pP0

すでに周囲は蜂の巣をつついたように、工女たちが走り回っている。

無理もない。始業に遅れれば、たちまち検番(=工場の作業場の監督)の罵声が容赦なく飛んでくるのだ。


  「こら!起きろ!ユヰ!」

  「リッちゃ~ん、眠いよぉ~」


すぐそばで、先輩工女同士の似たような問答が繰り広げられているが、これも毎朝のこと。

一人は田井中リツという。額の前髪をかき上げて櫛歯の髪留めで留めた小柄な工女が、ユヰを揺さぶる。

もう一人は、平沢ユヰという。寝床の中で髪挿しを前髪に差して留めている。

いづれもやはり飛騨からの出稼ぎ工女である。

 
14以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 19:43:13.86:K+m0G4pP0

起床の汽笛からわずか十分後。製糸場のとある作業場。


  「お前らが来るのを待っていたぁ~!!さっさと持ち場に着けぇ~!!」


“死の悪魔”と恐れられた山中検番である。

検番の怒鳴る大声が響きわたる。というよりもむしろ製糸工場の朝はこの検番の怒号に始まるといったほうがいい。

ここのところ毎晩十時まで作業が続いたため工女の疲れはとれず、生産能率はガタ落ちしていた。


  「リッちゃん、さわちゃんがまた朝から荒れてるよ?」

  「あの日なんじゃん?いや、いつものことか」

  「おいおい、口よりも手を動かせ。また怒られたらたまらないぞ!」

  「はい、やってやるです!」


また今日も死闘する工場内の一日が始まったのである。

八ヶ岳が暗紫色から橙色に変わり、諏訪湖の湖面は白みかけても、
そんな窓外の景色に気付く工女はもちろん一人もいなかった。

 
15以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 19:46:29.49:K+m0G4pP0

――やがて誰からともなく、糸ひき唄が始まる。

この糸ひき唄が彼女たちなりの、ささやかな反抗であり、楽しみでもあった。



  「♪君を見てゐるとォ~ いつも心臓 動悸 動悸ィ~」

  (筆者註:“君”は作業場を巡回する検番を指し、その一挙一動に心臓が動悸をするほど工女は戦々恐々としたという。
              厳しい叱責は日常茶飯事で、罰金も検番のさじ加減一つだったから、それは切実な気持ちであった)


  「♪揺れる想いは 淡雪みたいに 浮惑 浮惑ァ~」

  (筆者註:前述の検番に対するおののきと、故郷への郷愁に心揺れる様を表す。
              桜が丘には、飛騨の他、甲斐、越後、もちろん信州内の各地からの出稼ぎ者も多かった)


  「♪いつも頑張るゥ~ 君の横顔ォ~」

  (筆者註:検番や検糸係が、工女の仕事ぶりや紡いだ糸のあら探しに精を出す様子を、“頑張る”と皮肉を込め慇懃に揶揄している。
              しかし、検番や検糸係も、手落ちがあれば社長に叱責されるし、自分たちの首がかかっているから必死であった)


  「♪ずっと見てゐてもォ~ 気付かないでねェ~」

  (筆者註:ずっと続く厳しい見張りや検査に対して、どうか私の手落ちに気付かないでくれ、という工女たちの思い。
              細い糸ほど高級とされたが、切れやすくて紡ぐのが難しく、工場からの相反する要求に工女たちは四苦八苦した)

 
16:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 19:47:41.36:zzslIkB40
ワロタ

 
17以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 19:51:40.32:K+m0G4pP0

  「♪夢の中ならァ~ 二人の距離ィ~ 縮められるのになァ~」

  (筆者註:“二人”とは、それぞれ、歌い手の工女と、各作業場に一人はいた、男顔負けに稼ぐ「百円工女」とを表す。
          工女同士の賃金格差つまり”二人の距離”も極めて大きくて縮めようもなく、まさに嫉妬と羨望の混じる夢物語であった)


  「♪あぁ 神様お願いィ~ 二人だけのォ~ 夢見心地下さいィ~」

  (筆者註:「百円工女」に比肩するような稼ぎ、つまり二人目の「百円工女」になりたいという夢のような願望である。
          工女の娘が持ち帰る出稼ぎ代で何とか暮らす貧農も多かったから、神様にもすがる願いを抱いても無理はない)


  「♪お気に入りのうさちゃん抱いてェ~ 今夜もお休みィ~」

  (筆者註:だが、ほとんどの工女たちにとっては、その願いが叶うことはあり得ず、糸検査の厳しさに泣いて、
          寸暇を惜しんでボロの端切れで作ったウサギのぬいぐるみを涙に濡らしながら、寝床に就くのが常だったのである)


  「♪浮惑浮惑待務 浮惑浮惑待務 浮惑浮惑待務…………」

  (筆者註:翌日の務めに備えて、ワラ布団の中で、帰郷する日を夢見ながらまどろむことだけが、彼女らの唯一の慰めであった)

 
18以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 19:54:28.25:K+m0G4pP0

これは、俗に『浮惑浮惑待務(ふわふわたいむ)』と称される糸引き唄である。

元工女の方々に吹き込んでもらったカセットテープから、その一部を抜粋した。

他にも多くの糸引き唄があるが、紙幅の都合で全てを紹介出来ないことが悔やまれる。

もっとも、ボイラーの燃えたぎる音、繰糸鍋の湯が煮え立つ音、糸繰り機や糸巻きの、小枠、滑車、シャフトの機械音。
これらに妨げられて、隣の工女同士でもやっと聞こえるかどうかの歌声だったそうだが……

 
20以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 19:57:33.71:K+m0G4pP0

――また別の日の朝。

外は未明の寒さが肌を刺すというのに、釜の中は熱湯が煮えたぎり、室内温度は華氏八十度を越して、ムッとするサナギの悪臭が鼻を突く。

水蒸気が天井の外気に冷え、大粒の水滴となって雨のように落ちてくる作業場では、工女たちの着ている着物はみんな濡れていた。

そして一歩外に出ればたちまち寒風吹きすさぶという、極端な寒暖乾湿の差がある工場生活。

健康な者でも体調を崩しやすく、夜業残業の過労もあって、結核の温床であった。


  「ミヲちゃんミヲちゃん。眠いよぉ~、疲れたよぉ~」

  「グズグズしてると三日連続最下位だぞ。飯抜きだけは勘弁だからな!」


最下位とは、社長命令で日夜続けられている各作業場間の競争のことである。

琴吹製糸場第一工場には第一から第十作業場まであって各作業場に検番が一人いる。

成績最優秀の作業場の検番には、一日一円の賞金が出るが、

その賞金は最下位作業場の検番の給料から取った罰金や、工女たちから取った罰金によってまかなうという、

まことに巧妙な仕組みで、会社側はいくら続けても痛くも痒くもないようになっていた。

 
21以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 20:00:32.55:K+m0G4pP0

――会議室


  「だいたいアナタたちはやる気が有るのか無いのかハッキリしなさい!」


社長の怒号が響く。成績の悪い検番たちは一時間も油をしぼられていた。

ただし、怒号は男の野太い声ではなく、女の金切り声である。

その社長の名を、琴吹紬という。

金髪碧眼というおよそ日本人離れした容貌の持ち主であるが、その詳しい来歴を知る者は少ない。

ただ、若くして短期間に中小製糸工場を飲み込み、桜が丘随一の琴吹製糸場を創りあげた女傑であることは確かであった。


  「社長、午後から製糸同盟の会合もありますし、このあたりで……工女の体調不良も一因ですから」


白髪の男性が口を挟む。社長の懐刀である工場管理人の斎藤である。

 
22以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 20:02:55.31:K+m0G4pP0

  「……ねえ斎藤、今おかしなことを言ったわね、工女がかわいそうですって?そんなことを言ってるから業績が上がらないのよ!」

  「いえそれは……、この頃警察もうるさくて、これ以上時間延長は危険ですし、工女に病人が続出して、
    かえって能率が上がらないのでは、と申し上げただけで、決して……」

  「バカ者っ!警察や工女の病気を恐れていて製糸ができると思っているの!?検番長も呼びなさい!」


検番頭以下全ての検番も紬社長に呼ばれて、罵声を浴びせて引き下がらせるときには、


  「明日の朝から三十分早く仕事を始めなさい。ただし始業の汽笛は定時に鳴らせるのよ。いいわね?このことをみんなに伝えて」


絶対者の命令がその夜、工場のすみずみまで伝達されるのにそんなに時間はかからなかった。

 
24以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 20:05:21.29:K+m0G4pP0

  「それでも、飛騨の者は逃げた人は少なかったですよ」

と、元工女の鈴木ヂュンは語る。

  「野ムギ峠を一人では越せないということもあるけど、それよりも、村へ帰ったとしても、
   “どこそこの娘は辛抱足らずだ”と村中に噂が広がり、嫁にも行けないことをよく知っているから、みんな我慢しました。

    大体、そのころの飛騨の小作農には食べるものも無かったですし。

    白米なんて、死ぬ間際に米のとぎ汁みたいな粥を、死に水みたいに口にするのが精一杯でした。

    それが桜が丘では毎日白米を食べさせてもらえたんですから」


そういえば、かつて、野ムギ峠にはお助け茶屋という茶屋があり、冬には峠越えの避難所にもなっていた。

とみ婆さんという老婆が一人で切り盛りしていたという。

峠の茶屋で甘酒を飲みながら、逃げてきた工女に対して、

  「なんて言ったって、女は辛抱が肝心じゃで、またいいこともあるワ。娘コ、さあ早く行かっしぇ……」

老婆のそんな言葉が聞こえてくるようである。

 
25以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 20:07:32.23:K+m0G4pP0

――八ヶ岳に白く初雪が来る。秋が深まり、冬の気配がする。

すると、夜ごとに布団を濡らして泣いた工女も、逃げだそうと思い詰めた工女も、急に生き返ったように元気になる。


  「さあ!あとひと月だ!」

  「うるさいぞ、馬鹿リツ!」

  「でもミヲちゃんも嬉しいよね?」

  「……うん。アヅサもこの一年間、よく頑張ったな。寂しかったろ?」

  「……はい。でも、やっと帰れると思うと、楽しみです!」


一年間死にもの狂いで稼いだ金を故郷に持って帰る。

ただそれだけを楽しみに、彼女たちはどんな苦しさにも辛抱したのである。

 
27以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 20:11:53.68:K+m0G4pP0

終業の汽笛一声。

「桜が丘千本」の煙突の火は消え、天竜川にかかった水車から工場内の機械までぴたりと止まった瞬間、
どの工場にも一斉に「ワァー」と歓声が上がった。

寄宿舎へ引き上げれば、やがて甘酒と大きな切り餅が配られる。

誰からともなく、糸引き唄の大合唱が始まる。


  「♪ごはんはすごいよ 白米だよ ホカホカァ~」

  (筆者註:飛騨をはじめ、工女の出身地の貧農にとって、白米は極めて貴重であった。“すごい”の一言にその思いが凝縮されている)


  「♪キビ アワ ヒエ ソバ 雑穀だよ これこれェ~」

  (筆者註:玄米やムギすら食べられず、貴重な白米を売って、自らは雑穀を食べる例もままあった)

 
28以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 20:15:22.94:K+m0G4pP0

  「♪白いご飯は 真っ白いお宝ァ~」

  (筆者註:現金収入のない農村では、比喩ではなく、白米はまさにお宝であった。その気持ちを直截に表現している)


  「♪夢の おとぎ話ィ~」

  (筆者註:その銀シャリを腹一杯食べる。まさしく夢のようなおとぎ話。
          ただ、製糸場で白米ばかりを食べて脚気になる工女もいたのは、皮肉な話である)


  「♪ごはんはすごいよ ないと困るよォ~」

  (筆者註:戦前は、小作農の小作料は物納が中心であったから、不作で米が穫れないと、たちまち困窮を極めた。
          かといって小作料を金納するといっても、無論貧農には現金収入などなく、工女の稼ぎが頼みの綱であった)


  「♪むしろごはんがおかずだよォ~」

  (筆者註:白米など年に一度食べられれば良い方であったし、もし食べられるとしても、茶碗に山盛りというわけではない。
          ごはんをおかずにして、雑穀でできた粥などをすする例も散見されたことを、よく表している)


  「♪日本人ならとにかく雑穀よりごはんでしょォ~」

  (筆者註:当時、飛騨では『四分六』といって、地主に収穫の60パーセントを渡さねばならなかったが、
          日本人なら雑穀より白米が食べたい。“とにかく”という表現で、その切なる願いが一層強められている)

 
29以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 20:18:19.23:K+m0G4pP0

  「♪でも私 所詮は 小作人!」(どないやねん!)

  (筆者註:しかし、所詮は小作人。やはり当時の貧農にとって、米飯は高嶺の花である事実は揺るがなかった。
          自嘲気味な合いの手が、その明るい曲調とは裏腹に、かえって侘びしささえ感じさせる)



  「♪一・二・蚕・糸、ご・は・ん!」

  「♪一・二・蚕・糸、ご・は・ん!」

  (筆者註:そんな貧農の娘でも、蚕糸、すなわち生糸を紡ぐおかげで白いご飯が食べられる。
          その素直な喜びを、工女たちは拍子に乗せて軽やかに歌い上げるのである)



俗に『ごはんはおかず』と呼ばれる糸引き唄。

後述する元工女たちの証言も裏付けるように、当時の飛騨の寒村の貧しさが垣間見える。


こうして、この夜ばかりは上も下もない歌と踊りの無礼講に工場内は湧く。


しかし飛騨の工女たちはそんなにぐずぐずしてはいられなかった。

急がないと正月までに故郷へたどり着けないからである。

 
30以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 20:22:27.22:K+m0G4pP0

検番の若い衆が先頭になり、工場の旗を立てて出発した。

このときばかりは、怖い検番が頼もしかったという。

新工は先輩の<ねえさん>たちが前後を守るようにはさんで発った。

タイマツが三~五人に一本渡され、工女はそれを掲げて進んだ。


しかし、雪深い野ムギ峠の道は険しかった。

 
31以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 20:24:44.42:K+m0G4pP0

  「くそっ!タイマツが消えちまった!誰か火を貸してくれ!」

  「リッちゃ~ん!前の人から借りてきたよ!」

吹雪がひときわ激しく、タイマツを襲っていくつかを吹き消す。


  「♪君を見てゐるとォ~ 何時も心臓 動悸 ど……にゃあッ!ミヲねえさん!」

  「アヅサっ!私の腰帯につかまれ!足許にも気を付けるんだぞ!」

鋭い刃のような風が、工女の歌声をかき消す。


腰巻きのすそは凍ってガラスの破片のようになり、太ももが切れて血が流れ、
ワラジをいくら取り替えても足袋は凍り、足は凍傷にふくれた。

故郷の家族に会いたい一心で、病身を押して峠越えをし、血を吐いて倒れる者、
中には、足を踏み外して極寒の谷底に命を落とす者も少なくなかった。

「野ムギの雪は赤く染まった」と言われる悲しい由縁である。

 
32以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 20:27:00.30:K+m0G4pP0

――美女峠(現岐阜県高山市)


当時、その麓には茶屋があった。飛騨高山から信州へ行く人には、これが最初の休み茶屋であるが、
年の瀬になると、娘を迎えにくる人手でにぎわうのが年中行事になっていた。


吹雪の中、期せずして歓声があがった。

近付いてくる相手からも反応があったが、よく聞き取れない。
ただキャーという若い女の悲鳴にも似たどよめきだった。

あちこちで抱き合ってすすり泣く声が聞こえる。
まさに感情の奔流というべきものだった。


  「ウヰぃ~!元気だった!?会いたかったよぉ……」

  「お姉ちゃん!?一年間本当にお疲れさま!無事でよかった……」


ここから高山の町までは一里半、あとわずかである。
しかし、さらに奥飛騨の故郷を目指す者も多かった。

 
33以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 20:30:10.61:K+m0G4pP0

――平沢家

飛騨のとある寒村、雪の重みで今にも潰れそうなあばら屋の中。

重湯のように薄いヒエ粉の粥をすするユヰ、ウヰの姉妹がいる。


  「ごめんね、お姉ちゃん。やっぱりお父さんとお母さんの畑だけでは食べていけなくて……」

  「うぅん、来年も桜が丘で糸引きするから大丈夫だよ。見て見て!今年は四十円も貰ったんだよぉ~」

  「すごい!私も、桜が丘に行こうかなぁ」

  「ダメダメ!畑を見る人がいなくなっちゃうよ!」


ユヰは、手の切れるような真新しい十円札四枚をうやうやしく神棚に供え、「フンス!」とかしわ手を叩いた。

  (ああ、これで年が越せる……お姉ちゃん、ありがとう……)

その後ろ姿を見ながら、ウヰは姉に手を合わせて感謝するのであった。


飛騨では、掛け売りの借金を暮れから正月にかけて返済することが多かったが、
平沢家の例は、このような事情をよく物語っている。

 
35以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 20:32:18.37:K+m0G4pP0

  「――あの時代は、飛騨はどの家も貧しかったんです。

    たとえ給金が貰えなくても、娘を口減らしできるので、信州に送り出す家がたくさんありました」


ユヰの妹であるウヰが当時を懐かしんで語る。のち、彼女もまた工女として桜が丘に行くことになる。


  「お姉ちゃんも、糸引きはつらいとか、私に会いたいとか泣き言を言うことはありましたが、

    飛騨に帰りたい、と言ったことはたった一度きりでした。

    農作業、つまり昼の野良仕事と晩の夜なべ仕事のほうが、ずっとつらくて厳しいものでしたから。

    それに、琴吹の工女ならば白米のごはんが食べさせてもらえるので……

    おどけて“ごはんはおかず”なんていう糸引き唄を歌ってくれたこともありましたね」

 
36以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 20:34:47.76:K+m0G4pP0

――中野家


また別の寒村。ここにも、似たようなあばら屋がある。

いろり端の薄い布団からは、父の咳き込む声がする。


  「新米工女だから仕方ないとはいえ、厳しいネェ……。薬代の借金が、まだ……」

  「……ごめんなさい。来年はもっと頑張るから」


痩せた母が嘆息して言うと、アヅサは居たたまれない気持ちになる。

この年、アヅサが持ち帰ったのはたったの三円八十銭。

当時の新工としてはむしろ頑張ったほうであろうが、本人たちは知るよしもない。


新工は手付金と前借金を合わせると、前述のウヰの話にように「年末に持ち帰れる給金はなし」
という、人身売買同然の約定書が交わされることも珍しくなかった。

ひどい場合は罰金やら違約金やらで新たに借金を負う例さえあったのだ。

これが、際限のない貧しさと悲劇の繰り返しになるのである。

 
39以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 20:39:37.77:K+m0G4pP0

――正月。


  「工女たちにとって、正月といえば呉服屋の初売りが大きな楽しみでした。当時は他に楽しみもないですし。

    二日の朝早く起きて呉服屋に行くと、もう道いっぱいの行列でした!」


元工女の鈴木ヂュンが、目を輝かせながら回想する。


  「私は好き勝手できるお金はあまりなかったけれど、
    先着順で手拭いとかくれましたから、どっと店に入ってにぎやかなもので、
    お正月の雰囲気はどきどきした良い気分でした。

    隣村にミヲさんという、それはきれいな人が居て、
    どの年の正月だったか、着飾った姿を町で見かけて、思わず目を見張ったものです……」

 
40以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 20:41:52.89:K+m0G4pP0

正月、故郷に帰った工女たちは、美しく着飾って、古川や高山の町に出てきた。

履き物は下駄や草履ではなくワラ靴だったが、髪には油を光らせ、かんざしもさして、それなりの情緒があった。


  「おっ、ミヲぉ~!」

  「あっ、リツぅ~!」


先週、野ムギ峠を越えて帰ってきたばかりなのに、何年ぶりかのように、彼女たちもはしゃいだものである。

この女たちを、工場の検番たちは大歓迎した。


  「よく来てくれたわね二人とも!是非とも、この全米が震撼する衣装を!」


訪ねてきてくれるということは、再契約が保証されているようなものだからである。

 
41以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 20:44:24.88:K+m0G4pP0

  「姉ちゃんは、手業は速いものの大雑把な性格が災いしたのか、給金は年に六十~七十円ほどでしたが、
    正月だけでも同じくらい稼いでいたかもしれませんね。

    持ち前の明るさは、工女の間でも評判でしたから、各工場からの勧誘も結構ありました」


リツの弟の田井中聡が、さも痛快といった口調で懐旧する。


  「一度、『工女より募集員のほうが向いてるんじゃねぇの?』と冗談半分で言ってやったら、
    『それもアリかもな~』なんて軽口を叩いていましたっけ。

    でもその後、金品が飛び交うような勧誘合戦は、だんだん廃れていきましたけどね」


勧誘合戦が廃れるのも無理はない。

ピーク時の募集費は工女への総賃金の1/3という信じられない数字になり、工場側は耐えきれなくなった。

工場側は「桜が丘製糸同盟」を作って協定し、飛騨でも「工女供給組合」ができ、
華やかな勧誘合戦も、大正の終わり頃には姿を消した。



二月になれば、勧誘された飛騨の工女たちは、再び雪深い野ムギ峠を越えて、信州桜が丘へ向かう。

こうして、来る年も来る年も、野ムギ峠の雪は、工女たちの血で赤く染まったのである……

 
58以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 21:47:40.06:K+m0G4pP0

―――五月。

春びきが終わって夏びきに入る前、田植えの頃、就寝前の僅かな息抜きのときである。

リツ、ミヲ、ユヰ、アヅサの四人が、着物に繕い物をしながら話している。


  「ミヲ、今年の田植えはどうする?私は飛騨に帰るけど」

  「ごめん、帰りたいのはやまやまだけど、お前は糸引きで稼いでくれってオッカ……お母さんから手紙が」

  「そっか……。ミヲは腕が良いから、そのうち“百円工女”になれるかもなぁ。ユヰはどうすんの?」

  「私は帰るよ~。ウヰにも会いたいし!」

 
63以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 21:52:54.35:K+m0G4pP0

  「……あ、私、今年は田植えに帰ります」

アヅサが言うと、ユヰが驚く。

  「アヅにゃん、田植えするの?去年は帰らなかったのに?」

  「へぇ~、新工だったくせして去年の稼ぎで田んぼでも買ったか?」

リツが冷やかし半分で茶化すと、アヅサが溜め息まじりに返す。

  「えぇ、まあ、そんなところです。リツねえさんは茶化してる余裕があるんですか?」

  「何だと中野ぉ!こうしてやる~!」

  「あ、リッちゃんズルい!私もアヅにゃん分補給!」

  「や、やめてください!」

リツとユヰがアヅサにじゃれつくが、ミヲは不穏な空気を感じ取った。

  (新工の稼ぎなんかで、田んぼを買えるのか……?) 

以前に、アヅサから「金を飛騨の親元に送るにはどうすればいいか」と相談を受けていたからである。

ひとまず「為替を使えばいいのではないか」と教えたものの、
為替で送るほどの大金を、年の瀬の給金以外にどうやって年浅いアヅサが工面する気だろう。

アヅサが夜中に便所と称して寝床をしばしば抜け出すことも考えると、行き当たる結論は……

 
64以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 21:55:50.21:K+m0G4pP0

――飛騨のとある貧村、平沢家


  「ウヰ~、ごはん~」

  「ごはんなんか食べられるわけないでしょ。今日もヒエ粉だよっ」


あばら屋の軒下でノビているユヰを、ウヰが額の汗を泥だらけの手で拭いながら叱る。

やはり、米の飯など当時の小作農にとっては贅沢なことなのだ。


  「おなかすいた~、だるい~、暑い~」

  「めっ!お姉ちゃん、早く田植え終わらせないとダメだよ!日が暮れるよ!」

  「わかったよぉ。あうぅ~……」


ようやく重い腰を上げたユヰに、しかし、ウヰは優しい眼差しを送る。


  (でも、家でゴロゴロしてるお姉ちゃん、かわいい!)

 
67以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 21:58:40.14:K+m0G4pP0

――また別の山村、田井中家


  「あーあ、朝から晩までキツい野良仕事。姉ちゃん、オレも工女で糸引きに行きてぇよ~」

  「お前は男だろ!アホな愚痴言わないでちゃっちゃと田んぼをやってろっつーの」


こちらの村でも、リツと聡が田植えをしている。

口を動かす以上に体を動かしているのはさすがであるが、そうでもしないと田植えが終わらないのだ。


  「せめて米のメシを食わしてくれればなぁ」

  「軍隊行けばもうちょいマシなもん食わしてもらえるぞ。それまで我慢しろって」



――後年、聡がリツに宛てた手紙に、こんな一節があった。


  『軍隊へ来ては気楽なものです。

    忙しいときもあるけど、それでも家の忙しさに比べたらはるかに楽です。

    朝の起床は六時で、多忙な農村のことを思うと恥ずかしくて人様には言えません。…(略)…』

 
68以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 22:01:28.42:K+m0G4pP0

―――その数日前、野ムギ峠。

ユヰやリツに気付かれないように、アヅサは何喰わぬ顔で桜が丘の工場を発ったが、険しい野ムギ峠だけはごまかせなかった。

すぐ後から行くと偽り、二人には先を急いでもらうと、彼女は一人峠にさしかかった。

もう、三ヶ月も“おりもの”がないのだ。

怪しい闇医者から貰った薬を、ヒマシ油で一気に飲み下す。

しばらくして突然、激しい腹痛が彼女を襲って、その場にしゃがみこませた。

アヅサは本能的によろよろと立ち上がり、深いクマザサの中に分け入り、そこにうずくまったが、
引き続いて起こった激しい苦悶に失神した。

 
69以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 22:03:33.46:K+m0G4pP0

それからどれだけの時がたったか、ふと彼女は朦朧とした意識の中で誰か人の声を聞いた。

体は血によごれていた。

苦悶の声に気付いた、峠のお助け茶屋のとみ婆さんは、クマザサの中に入って仰天した。


  「お、いたわしや、いたわしや……娘こ、このババが来たからにゃもう心配するな……
    ワシは誰にも言わぬ、誰にも話さぬ、心配するな。さ、ババにおぶされ、さあ、さあ」


アヅサを見つめたとみ婆さんのやさしい目は、女の悲しみ、世間の苦悩を何もかも知り尽くしているような深い愛情に満ちていた。


  「……うぅ、うわああぁぁぁっっ!」


アヅサは思わずとみ婆さんの胸にしがみついて泣いた。

 
70以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 22:05:37.59:K+m0G4pP0

お助け茶屋で一夜を明かしたアヅサは、飛騨ではなく信州桜が丘へ、とぼとぼと戻っていった。

親元へ帰ったところで、どのように言いつくろえばよいのか。


  「ミヲねえさん……」

  「おかえり、アヅサ。明日も早いからな。早く寝るんだぞ……」

  「……はい」


ミヲは、アヅサが田植えをせず戻ってきた理由を訊かなかった。

その様子から察して訊くまでもなかったし、訊いたところでアヅサが答えはするまい。

ましてや止めることなど、寒村の恐るべき貧しさに対しては無力すぎた。

 
71以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 22:07:57.49:K+m0G4pP0

そして、アヅサは、夏が過ぎ……


  「アヅにゃんにゃん!アヅにゃんにゃん!」

  (ああ……これでお金が……)


秋が深まり、冬の気配がしはじめても……


  「アヅにゃんペロペロ!ペロペロ!」

  (親に送るお金が……手に入る……)


昼は工場で働き、晩は宿舎を抜け出して夜鷹に身をやつす、そんな工女もいたのである―――

 
72以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 22:10:05.40:K+m0G4pP0

―――晩秋。


  『ユヰビョウキスグヒキトレ』


ウヰは、琴吹製糸場からの電報を受け取ると、休み無しに歩き通して、たった二日で桜が丘にたどり着いた。

病室へ入ったウヰは、はっとして立ちすくんだ。

天真爛漫で明るかった姉ユヰの面影は、やつれはてて見る影もなかった。
どうしてこんな体で十日前まで働けたのか信じられないほどだった。

病名は腹膜炎、重態であった。

田植えで帰郷したときも妙にだるそうにしていたが、糸引きで疲れているのだろうと思っていた。

「家でゴロゴロしてるお姉ちゃんかわいい!」などと思っていた自らの浅はかさを、悔やんでも悔やみきれない。

もっとも、病気とわかったところで、医者にかかる金もなかった。

 
73以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 22:12:10.96:K+m0G4pP0

工場の事務員がウヰを呼んで十円札一枚を握らせると、「早くここを出してくれ」とせき立てた。
工場内から死人を出したくないからである。

ウヰは憤激して何か言い返そうとしたが、ユヰが制した。


  「ウヰ、もういいよ……早く帰ろう?」


ウヰは、ユヰが静かに飛騨に帰りたがっているのだと、すぐに察した。


作業時間中で、仲間の見送りもなく、ウヰは痩せ衰えて軽くなったユヰを背負うと、ひっそりと裏門から出た。
ウヰは悲しさ、くやしさに泣き叫びたい気持ちをこらえて、ただ下を向いて歩いた。


松本の病院へ入院させるつもりだったが、「飛騨へ帰る」というユヰの気持ちは変わらなかった。
しかたなしに、ウヰは野ムギ街道を幾夜も重ねて歩いた。

その間、かつていくら食べても太らないと豪語していたユヰは、ほとんど何も食べなかった。

 
74以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 22:14:15.23:K+m0G4pP0

ウヰは、姉ユヰを元気づけるため、声が詰まりそうになりつつも、教えてもらった糸引き唄を歌う。


  「♪君を見てゐるとォ~ 何時も心臓 動悸 動悸ィ~」

  「うん……たん……うん……たん……」


するとユヰは、ウヰの肩に掛けた手で力無く拍子を取るのだった。

不意に、ユヰが弱々しく歌い出す。


  「♪君が居ないと何も出来ないよ~……君のヒエ粉が食べたいよ~……」

  「お姉ちゃん……。帰ったらヒエ粉じゃなくてご飯をたくさん食べさせてあげるよ。栄養付けよう?」

  「♪もし飛騨に帰ってきたら とびっきりの笑顔で抱きつくよ~……」

  「大丈夫だよ、私はここにいるから……っ」


ウヰの胸は張り裂けんばかりであった。

 
75以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 22:17:25.97:K+m0G4pP0

こうして、野ムギ峠の頂上にたどり着いたのが十一月二十日の午後であった。

ウヰが峠のお助け茶屋に休んでソバがゆと甘酒を買って、ユヰの手に持たせると、細い声で、しかしはっきりと、


  「ありがとぉ、ウヰ」


とユヰは微笑みかけた。

が、それきり食べ物に口を付けず、


  「ああ、飛騨が見えるぅ、飛騨が見えるぅ~……」


と喜んでいたと思ったら、まもなく持っていたソバがゆの茶碗を落として、力無く崩れ落ちた。


  「お姉ちゃん!どうしたの!?しっかりしてッ!!」


ウヰが驚いてユヰを抱き起こしたときには、すでに事切れていた。


――明治四十二年十一月二十日午後二時、野ムギ峠の頂上で、一人の飛騨の工女がこうして息を引き取った。

 
77以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 22:20:21.82:K+m0G4pP0

――その数日後


青白い月が諏訪湖の湖面にその姿を映している。八ヶ岳から寒風が吹き下ろし、女が咳き込む。

湖のほとりに立つ女の顔は、月よりもさらに蒼白で、そして痩せ衰えている。


  「ケホッ、ケホッ」


口元を押さえた袖口に、赤い血が染みる。


アヅサは、心身共に疲弊しきっていた。

 
78以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 22:22:24.29:K+m0G4pP0

親の薬代のためとはいえ、昼は工女の重労働、夜は女郎というような生活が、成り立つわけがない。

過労と睡眠不足で糸引きの能率はガタ落ち、年末に貰えるはずの給金は減らされ、罰金まで取られる。
そして焦って、夜中に抜け出して女郎屋に転がり込み、寝る間もなく客を取る。さらに疲労する。

結局、その身を売ってまで稼いだ金よりも、工場の減給と罰金のほうが多くなる、という悪循環。

体調まで崩して病気になり、この喀血。おそらく結核であろう。


  「私も、ユヰねえさんみたいになっちゃうんだろうなぁ……」


ふところに入れた紙包みから、鯛焼きを取り出すと、まだほんのりと温かい。

なけなしの小銭で、生まれて初めて買った鯛焼きは、こんなものがこの世にあるのかというほど、甘く、旨かった。


  「ああ、おいしかった……」


その甘みの余韻を噛みしめ終わると、アヅサは、しずしずと諏訪湖に映る月影に分け入ってゆく。

 
79以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 22:25:06.19:K+m0G4pP0

そのころ、東京の帝国ホテルでは、各界名士を招いて「生糸輸出世界一大祝賀会」が盛大に催され、

我が国の蚕糸業界の前途を称える祝辞が述べられ、絹の衣をひるがえして華やかな舞踏会も開かれていた。


この年、わが国の生糸生産高は、実に8,372トンと先進国イタリア、中国をはるかに引き離して世界総生産高の34%を記録。

輸出金額も1億3,300万円と、これまた我が国輸出総額の約1/3を占め、明治政府の基礎はもはや揺るぎないものになっていた。


また、横須賀では国産戦艦第一号「薩摩」が完成。

巷では女子学生の派手なリボンとハイカラ節が流行、また、浅草へ行けば活動写真が人気に湧いていた。


どれもこれも、野ムギ峠や桜が丘とは、あまりにも遠い国の出来事であった。

 
80以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 22:29:26.34:K+m0G4pP0

――同時期、長野県下のある新聞が、「桜が丘製糸気質(かたぎ)」と題して次のような記事を載せたことがある。


  『桜が丘製糸の歴史は古く、幾多の経営難を切り抜け、今日の繁栄に及んだ経営者は、

    実際に我が身の肉をそぎ、骨を削り、そしてそれを製糸業という祭壇に供えたであろう。

    彼ら自身でさえ奴隷の如く事業にひざまづいてきたのだから、

    工女を人身御供とすることなどは、彼らには事業への忠誠心の発露でしかない。

    この特殊化された「桜が丘製糸気質」の人間性を、彼らは死守せんとしている』

そして、

  『目覚めよ!製糸業は、人道と社会正義に基づく事業として更生せよ!』と結んでいる。

 
82以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 22:33:44.87:K+m0G4pP0

この正論には、おそらく誰も異論を挟む余地はない。

ただ、当時そんな「人道と社会正義に基づく製糸業」というものが企業として成立し得たか疑問が湧く。

また、「企業として成り立つか否かは問題ではない。人道に基づかないものは成り立たなくてもよい」
という意見だとすれば、ますます疑問が湧く。

これらの疑問に答えるためには、どうしても、製糸業とはどういうものか、

また、当時製糸業がどんな環境下にあったか、そんな環境下での「桜が丘製糸気質」とは何であったか、

“女工哀史”とは何であったか、それらのことをなるべく客観的に把握することが先決である。

 
89以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 23:01:44.01:K+m0G4pP0

――信州桜が丘、琴吹製糸場、ある朝。


  「あっ……糸が、切れた」


この日、ミヲの糸引きは絶不調だった。山中検番からも目を付けられっぱなしである。
無理もない。昨晩から朝になってもアヅサが工場に帰ってこないのだ。

それでもお構いなしに一日の作業が始まる。
心配ばかりする余裕はないが、心配するなというほうが難しい。

見かねたリツがミヲを気遣う。


  「おいミヲ、気持ちはわかるけど、集中しろ。私はお前のことも心配なんだ……」

  「ごめん、わかってる。でも、ユヰに続いてアヅサまで何かあったら……」


ごう、ごう…、ごう……。

 
90以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 23:04:18.95:K+m0G4pP0

と、その時突然、工場のシャフトが止まった。工女たちは思わず辺りを見回す。


  「どうしたんだ?リツは今日、機械の点検するとかって話、聞いてる?」

  「そんな話、私が聞いてるわけないじゃんか!」


すると、廊下から検番頭と山中検番の大声が聞こえてきた。


  「おい!水車!水車が!山中も早く来い!」

  「何ですって?すぐに行きます!」


リツがミヲを促し、他の工女もつられて作業場の外に走り出て水車場に向かう。


  「……行こう!」

  「うん!」

  「あ、こら!工女は出ちゃダメよ!」


工女たちの人波は、山中検番たちの止める声でも制止できない。

 
91以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 23:06:24.86:K+m0G4pP0

――同日、やはり信州桜が丘、琴吹製糸場。


当時、新米の新聞記者だった私は、琴吹製糸場に赴いていた。

若かった私は、工女たちの窮状を取材して製糸資本家を糾弾すべく、意欲に燃えていたのだ。


製糸場敷地の入口近くで、素ワラジに法被、手拭いでほおかぶりをした人足が、
重さ十貫目はあろうかという繰糸釜を、右へ左へ汗一つかかずに運んでいる。


  「すみません、紬社長にお会いしたいのですが」


他に工場の人間らしき人もいなかったので、私が人足に声を掛けると、予想に反して、うぐいすの鳴くような声が返ってきた。


  「社長は私ですが、何か用かしら?」


人足がほおかぶりを外すと、金色の長い髪が日の光を受けながらこぼれ落ち、青い瞳が私を見返した。

 
92以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 23:11:09.43:K+m0G4pP0

明治の頃には、幾千幾万の工女を抱えた大工場の社長であっても、社長室で葉巻をくわえて座っているのではなく、
桜が丘のリーダー格の琴吹紬以下誰もが、自ら工女の先頭に立って働いた。

工女より早く起きて、水車に事故が起これば凍った天竜川に飛び込んで修理し、釜に火を焚き、真っ黒になって煙突掃除もした。


思いがけず紬社長に遭遇した私は面食らった。


  「……これは失礼しました。私はこういう者です」

  「ふぅん、信濃毎日新聞の真鍋さん、ね。で、何の用、ブン屋さん?」


しかし、気を取り直して名刺を渡すと、悪の権化と対峙するかのように、質問の矢を発した。

 
  「毎日朝も早くから夜更けまで、若い工女たちを酷使して暴利を得る。人の生き血をするるような所業に、良心は痛まないのですか?」

  「そんなことは、よそ者には理解できることじゃないわ。製糸業というものは、企業というよりも相場師だから。

    ……私、生糸王になるのが夢だったの」


私の、単刀直入を通り越して無礼ですらある質問を、紬社長は一笑に付して切り捨てた。

 
93以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 23:14:18.93:K+m0G4pP0

――開国以来、生糸は我が国随一の輸出品だった。

しかし、生糸相場は乱高下する“暴れ馬”で、これを乗りこなせる者はいなかった。

生糸王と呼ばれた琴吹紬でさえ、かつてこの“暴れ馬”のため破産に瀕し、
自らの身を質に入れて融資を受け、ようやく危機を切り抜けた話は、その筋では有名である。


信州の生糸の値段は、横浜市場に振り回され、その横浜市場は、ニューヨーク市場に振り回されたのである。


特にひどい例を挙げよう。大正八(1919)年から大正九(1920)年の“暴れ馬”。(出典:参考文献313頁)


  <大正八(1919)年>

   1月 : 1,270円
   3月 : 1,490円
   5月 : 1,900円
   9月 : 2,200円
   12月 : 3,400円

空前の好況。林立する製糸工場の煙突からの黒煙が、桜が丘の空を覆い、「桜が丘のスズメは黒い」と言われた。
翌年の正月に入ると、ついに史上最高の4,370円に達した。

 
94以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 23:17:55.27:K+m0G4pP0

  <大正九(1920)年>

   1月 : 4,370円
   2月 : ニューヨーク株式市場の大暴落。市場休止
   3月 : 沈滞混乱
   4月 : 3,300円
   5月 : 1,800円
   6月 : 1,300円
   7月 : 1,000円
   8月 : **900円
   9月 : 帝国蚕糸会社が保証買い上げ開始(1,500円)
   10月 : 1,000円~1,200円での投げ売り続出


しかし2月、ニューヨーク株式市場は大暴落。これをきっかけに、生糸も記録的大暴落が始まった。

生糸の値段はたちまち1,000円台さえ割ってたったの900円。

9月1日、政府は帝国蚕糸会社を設立、1,500円を保証買い上げと決定。

しかしニューヨーク市場は依然沈滞し、帝国蚕糸会社も政府の資金不足で買い上げが進まず、
堪えきれずに安値で投げ売りするものが続出した。

しばらく待てば帝国蚕糸会社が1,500円で必ず買い上げてくれるのに、資金繰りが苦しくて待てないのである。

 
95以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 23:21:26.03:K+m0G4pP0

――さらに、この“暴れ馬”には、もうひとつ厄介なオマケがついていた。

それは、威嚇と奸智で取引を進める外商(外国商人)の専横である。


不平等条約下の明治の貿易というものが、どれほど残酷で非人道的であったか。

目方を測る手数料は負担せず、そのうえ目方をごまかす。
また、あらゆる難癖をつけて、送料も払わず返品、そして代金の踏み倒し、一方的な契約破棄……

西欧人はヒューマニズムを持ち込んだが、その西欧人本人は、およそヒューマニズムとはかけ離れている者が多かった。

明治四十三年の条約改正まで、この屈辱的、植民地的外商支配は、半世紀にわたって続いたのである。

 
97以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 23:24:45.29:K+m0G4pP0

――ところで私は、後年、外国商人の専横に関連して、

紬社長の日本人離れした容姿について、その生い立ちに絡めて次のような噂を聞いたことがある。


『横浜には開港以来、外商が数多く出入りしている。
  琴吹紬も、そんな外商と、それに遊ばれた町娘の間にできた私生児である』

そして、

  『その容姿や血筋から、汚い裏取引やコネでで外商の後ろ盾を得て、勢力を伸ばしたのだ』

あるいは、

  『不遇な少女時代を過ごしたが、刻苦勉励して、その身一つから大製糸家に成り上がったのだ』と。


あくまでうわさ話に過ぎない聞き取りであり、

まだ外国人への風当たりが強かった当時、琴吹の商売敵が流したデマだったのかもしれない。

しかし、仮に後者の噂が真実とすればの話だが、

「生糸のせいで辛酸を極めた自らの生い立ちに重ねて、せめて生糸で稼いだ金で、工女たちには白いご飯を……」

ひょっとすると、そんな思いやりがあったのではないか。

 
98以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 23:30:35.21:K+m0G4pP0

こんなエピソードもある。


  「私は、琴吹で検番をしていたけれど、工女にだけは賃金不払いはしなかったわね。

    『それをしたら、次の年は工女が集まらなくて製糸ができなくなるから』って。

    理由はそれだけじゃなかったと思うけれど、ね。

    だから、紬社長は、影ではムギちゃんってあだ名だったけど、どんな苦労をしても工女には給金を出したわよ」


琴吹製糸場で検番をしていた山中さわ子が述懐する。


    「その分、私たちや出入りの業者が泣くわけだけど。フフフ……。

    そうそう。資金繰りに窮して、ムギちゃんがその長い金髪をかつら屋に売ったこともあったわね。

    ある朝、いきなりバッサリ髪を切って『今年は暑くなりそうだから、ちょうどいいでしょ?』なんて。

    女の命である髪を切っても涼しい顔をしていたけれど、製糸の経営者は偉いものね……」

 
100以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/29(火) 23:35:09.97:K+m0G4pP0

――しかし、そのようなことは所詮、すべて後知恵である。

当時の若かった私は、製糸資本家の親玉、琴吹紬の立場を一顧だにしなかった。


  「では、“生糸王の夢”とやらのために、工女が死んでも構わないと?正義や人道など無視してもいいんですか?」

  「“暴れ馬”相手に正義や人道を振りかざしても何の意味もない。それが資本主義よ。

    真鍋さんの頭の中は、野ムギ峠の雪よりも赤く染まってるわね。真っ赤だわ」


溜め息混じりに、哀れむような目さえ投げかけてくる紬社長と、私は全くかみ合わない問答を続けた。


  「……質問を変えましょう。投機的な製糸業でなく堅実な事業をしようとは考えないのですか?」

  「堅実な事業? そんなものが今の日本のどこにあるの? あるとしてそれで外貨を稼げる?

    工女たちに、故郷に帰って地道に農作業をして小作料を払って雑穀を食えとでも言うの?

    だいたい、投機で損をしても、他のことを考えるくらいなら、早く次の手を考えねばならないもの」


戦後になって、「貧乏人はムギを食え」と言って大臣の席を逐われた政治家がいたが、
それを先取りして、地で行くような紬社長の言葉だった。

 
103以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/30(水) 00:00:59.82:K+m0G4pP0

猛烈な怒りがふつふつと、とめどもなく私の体内にわき起こる。


  「わかりました。“工女は投機の種銭、工女は事業の奴隷”と言いたいわけですね?」

  「それはちょっと訂正してもらいたいわね。
    工女だけでなく、製糸家自身もまた、投機の種銭、事業の奴隷なのだから。

    それとも、真鍋さんが工女たちに白米を食べさせてくれるの?私たちの生糸を買ってくれるの?

    製糸業は、ただの商売じゃない。欧米列強との闘いなの。世界との戦争なの。

    ……だから桜が丘では、製糸業のことを『生死業』というのよ」


冷たく輝く瑠璃のような瞳。

射抜くような視線を私に向ける紬社長に、私は手帳を手汗で湿らせながら、憤懣を込めて睨み返した。


  「……そうなんだ、じゃあ私、社に戻るね!このことはしっかり記事にさせてもらうわ!」

  「なら、これ以上話すことはないわね。私も仕事に戻るわ。せいぜい頑張って、ブン屋さん」

 
104以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/30(水) 00:04:09.27:vlNujcCP0

ごう、ごう…、ごう……。


不意に、すぐ近くの作業場から響いていた機械の音が止まった。そして工女たちのざわめき。

いぶかしげな表情で作業場の様子を見ようと歩き出した紬社長を、呼ぶ声がする。


  「社長、社長っ!水車が!天竜川の水車が!」


斎藤氏が、息を切らせてこちらに走ってくる。


  「どうしたの?早く案内なさい!」


そう叫ぶよりも早く駆け出した紬社長の後ろを、私もまた追いかけた。

 
105以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/30(水) 00:08:32.15:vlNujcCP0

───天竜川河畔、琴吹製糸場の水車場


紬社長、斎藤氏、そして私が駆けつけると、

工場の男衆が数名、冷たい天竜川に入り、水車に引っかかった“物”を取り去る作業をしている。

しかしこれは、作業員も巻き込まれる危険のある恐ろしい作業だった。

川沿いには工女らがすでにぎっしり集まっている。


  「また身投げか、クソっ」

  「ええぃ、髪が引っかかって……髪を切るか?」


川に入った男衆が凍えながら相談していると、


  「髪を切ってはなりませんっ!」


そう叫ぶが早いか、一糸まとわぬ姿になった紬社長は、身を切るような晩秋の天竜川に飛び込んだ。

紬社長自ら、水車にからんだ髪をほどいていく。ほどき終えると、その“物”を抱いてかかえ上げる。

そして、川面へ。

 
106以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/30(水) 00:11:00.66:vlNujcCP0

まず、赤い着物が目に入った。乱れた長い黒髪の間から、女の白い顔が浮かび上がった。

紬社長は、その女のなきがらを抱き上げながら、額にかかった黒髪をかき分け、その顔を見つめる。

紬社長の眼差しは、天竜川の深みの水よりも、青く、そして深く、沈んでいた。


  「……あ!あの黒髪!」

  「ア、アヅサだ!アヅサだッ!」


そう叫んで、リツとミヲが泣き崩れた。

どこかよその工場の者であってくれと見守っていた彼女たちの願いは、完全に裏切られた。

叫びは他の工女たちに広がり、そのまま名状しがたい嗚咽に変わって、天竜河畔をゆさぶった。

 
108以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/30(水) 00:14:05.21:vlNujcCP0

しかし、男衆たちは、


  「厄介をかける女だ。何も水車に飛び込まなくても。まったく大損だ!」

  「さあ、仕事に戻るんだ!早く工場へ入れ!」


ところが誰一人、工場に戻る者はいなかった。

そして返事の代わりに、どこからともなく怒号が上がる。


  「人殺し!人殺しぃッ!」


リツだ。


  「アヅサはお前が殺したんだ!ユヰだってお前が殺したんだ!この金髪鬼!」

 
109以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/30(水) 00:16:55.85:vlNujcCP0

紬社長は、浅瀬でアヅサの骸を抱きあげたまま鋭くリツを睨み返すが、

リツは河原の石を投げつけながら、あらん限りの罵声を紬社長に浴びせる。


  「二人を返せ!ゲジマユの毛唐もどきが!人の皮を被った沢庵め!血も涙もねえのかよ!何とか言えっ!」


他の工女たちも、怒号を上げ、あるいは小石を投げ始める。

そしてリツの投げた石ころが、紬社長の額を打ちかすめる。

身じろぎどころか、まばたきさえせず受け止めた紬社長の額から、つう、と一筋の血が流れる。


  「……社長が危ない!仕方ない、取り抑えなさい!」


斎藤の号令一下、男衆や検番たちが工女たちを追い立てる。工女たちの怒号は悲鳴に変わる。

中には、張り倒される者、足蹴にされる者。河原は騒然とした。

 
110以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/30(水) 00:19:10.97:vlNujcCP0

  ………♪君を見てゐるとォ~ 何時も心臓 動悸 動悸ィ~」


逃げ惑う工女たちと、追いたてる工場の男衆たちの修羅場の中から、不意に澄んだ糸引き唄が聞こえてきた。

工女たちは逃げ回る足を止め、工場の男衆たちは振り上げた拳を止める。


  「♪揺れる想いは 淡雪みたいに 浮惑 浮惑ァ~」


工女たちも、工場の社員たちも、そして私も、歌声の出どころを探し、その視線が一点に集まる。

ミヲだ。ミヲが肩を震わせつつ、目を閉じて天を仰ぎながら歌っている。


  「♪何時も頑張るゥ~」 「♪何時も頑張るゥ~~」

  「♪君の横顔ォ~」 「♪君の横顔ォ~~」


拍子を合わせて声が重なる。リツだ。

たった今、工場の男衆に殴られて唇の端が切れているが、お構いなしに声を張り上げる。

 
111以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/30(水) 00:21:43.53:vlNujcCP0

  「「♪ずっと見てゐてもォ~ 気付かないでねェ~」」

  「「♪夢の中ならァ~」」  『♪夢の中ならァ~』


   『「「♪二人の距離ィ~ 縮められるのになァ~」」』


工女たちの群れの中から、にわかに糸引き唄の合いの手がわき起こり、そして、徐々に数を増やし、勢いを得ていく。


  『『♪あぁ 神様お願いィ~ 二人だけのォ~ 夢見心地下さいィ~』』


  『『『♪お気に入りのうさちゃん抱いてェ~ 今夜もお休みィ~』』』


  『『『『♪浮惑浮惑待務 浮惑浮惑待務 浮惑浮惑待務…………』』』』


私は、いや、工場の社員も、紬社長も含めて皆、ただただ呆然と、その歌に耳を傾けていた。


鎮魂歌とも抵抗歌とも知れぬ、数百の工女たちの哀しき糸引き唄は、

天竜川の流れに乗って、また諏訪湖の湖面に染み渡って、桜が丘の村中に響いた。

 
112以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/30(水) 00:24:03.54:vlNujcCP0

その時、私は見た。

凍るような浅瀬に足を浸し、アヅサの骸を抱き上げたままの紬社長の目から、一筋の雫がこぼれるのを。

そして、紬社長の口が、工女たちの糸引き唄にあわせて、かすかに動くのを。


当時は思いもよらなかったが、紬社長のその姿を今になって回顧すれば、

ただ睫毛に含まれた川水が滴っただけだったのだろうか。

ただ唇が寒さに震えただけだったのだろうか。

現在の私にはそうは思えない。

しかし、もはや紬社長の胸中を知る術はない……



『シャッ金ガマダオワラズ  申シワケアリマセン  オヤ不孝ヲオユルシ下サイ

  ミヲネエサン  リツネエサン  ヨクシテクレテ  アリガトウゴザイマシタ

  オ先ニ  ユヰネエサンニ  会ツテキマス

  ワタシノカラダハ  モウダメデス  サヨウナラ         アヅサ 』


アヅサの行李の中には、稚拙なカタカナの遺書が、一通残っていた――――

 
113以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/30(水) 00:27:25.68:vlNujcCP0

――このような事件を元にして、私はいくつかの記事を書いた。

しかし、やはり当時の私は血気盛んで、人道と社会正義を前面に押し出しがちであった。

前述の『桜が丘製糸気質』の記事も、そのうちの一つである。


しかし、こうして徐々に激越に走る筆が、官憲の目にとまってしまう。

“記者ノ真鍋某ハ労働争議ヲ煽動シ、秩序安寧ヲ破壊スル虞アル不穏分子ナリ”と。


私は退職を余儀なくされ、信州を離れて上京し、他の新聞社に就職した。
しかし自然と、信州桜が丘のことには疎くなってしまった。

ではその後、彼女たちはどうなったのだろうか。

 
123以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/30(水) 00:45:27.45:vlNujcCP0

リツは、その後も工女として桜が丘の製糸工場を転々とし、しばらく働いていたが、
戦前、東京府下の某拘置所でたまたま出くわしたことがある。

私も、自分の書いた記事が検閲にひっかかり逮捕されることが何度かあったが、
彼女も某製糸工場での労働争議中に検束されたそうだ。

その後、刑場の露となったという噂もあり、戦後には釈放されたという噂もあった。

だが八方手を尽くしても、弟もいまだ知らないというその消息はつかめない。

「どこかにいるさ。姉ちゃんは殺しても死なないよ」と、寂しげに笑った聡の顔が思い出される。



ミヲは、のちに長野県知事から奨励賞を貰うほど優秀な、いわゆる“百円工女”になったが、
その美貌がかえって仇となってしまったのか、
琴吹製糸場の商売敵に身売り同然で強引に引き抜かれ、ついにはその社長の妾にされた。

時代は移り、昭和恐慌、続いて、生糸の主要輸出先であったアメリカとの戦争。
経営不振に陥った桜が丘の製糸工場群は、タダ同然で次々に軍需工場に接収されていった。

混乱の中、商売敵ともども夜逃げしたミヲの行方は、現在に至るも毫も知れない。

彼女は戦争を生き抜いたのか、あるいは人知れず野末の土となっているのか。

あの澄んだ歌声を聞けることは、もうあるまい。

 
125以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/30(水) 00:48:53.85:vlNujcCP0

そして、ようやく戦争が終わったあとは、化学繊維のナイロンが生糸に取って代わっていた。


幾多の危機を乗り越えてきた琴吹製糸場も時代の波には抗えず、ついに倒産。
社長であった紬女史も、借金取りから逃げ回っていた。

やっと捜し当てた彼女の住まいは、寂しいものであった。

荒ムシロが一枚下がっている侘びしいあばら屋。
それは北関東のとある小都市の片隅。


  「ごらんの通りで、今さら何も申し上げることもございません。お引き取り下さい」


ただ一言きっぱり言って瞑目した紬女史の、その間一言の乱れもない毅然たる態度に、
かつての大製糸家の威厳が残っているのみだった。

日を改めて訪ねたときにはすでに、そのあばら屋もろとも、彼女の姿はなくなっていた。


栄光と悲惨──今にして思えば工女も哀史であったが、製糸経営者もまた哀史ではなかったか。

 
126以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/30(水) 00:54:00.95:vlNujcCP0

あらゆる悪条件の中、世界経済のまっただ中に飛び込んでいった後進国の日本は、
情け無用の国際競争の荒波を、尋常の手段で乗り切れるはずはなかった。

資源、資本、技術。全てが「無い無い尽くし」。
それを補うのも“月月火水木金金”の「無理無理尽くし」。

これを否定しては明治の近代化はあり得なかった。


こういう事を念頭に置いて『桜が丘製糸気質』を論ずるのでなければ、やはり片手落ちである。

これは従来の“女工哀史”と言われるものにも言えることだが、青臭いセンチメンタルでは解決しない。

 
127以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/30(水) 00:56:29.45:vlNujcCP0

実際、私が長年かかって数百人の元工女と話して考え続けたが、
そのような画一的な“女工哀史”とはよほど違っていた。

例えば、粗末な食事、長時間労働、低賃金といった定説だが、
ウヰやヂュンの話のように「それでも、家の農作業より楽だった」という答えが大部分である。


しかし、これこそがまた、工女の“哀史”の根深さであった。
それは同時に、貧村の“哀史”であり、資本家の“哀史”であり、近代日本の“哀史”でもある。

工女が、日本社会という濁流逆巻く大河の中のひと雫のように儚いものであったとすれば、
製糸経営者もまた、世界経済という嵐の大海の中の笹舟のように力無いものであったのだ。


かくして、隆盛を極めた製糸王国「桜が丘千本」の煙突の火は消えた。

まさに、製糸業は『生死業』だったのである───

 
129以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/30(水) 01:03:59.73:vlNujcCP0

【あとがき】

私の取材メモから、本書の上梓にあたって───



現在は都心から特急列車で3時間余り、私は本書の執筆取材のため、幾度も信州桜が丘に降り立った。

本書は、私が信濃毎日新聞退職後に上京してから長年、いわばライフワークとして温めていたものである。


この日、新宿駅の改修工事で中野駅始発となっていた特急「あずさ」は、
桜が丘で私が下車すると、製糸工場の始業を知らせるような汽笛一声を響かせて、松本方面へと下っていった。

私は思わずつぶやく。

  「中野、あずさ、ね。不思議な宿縁だわ……」

この特急列車の名は、一般的には信州を流れる梓川にちなんだものとされている。

しかし、私は聞いたことがある。

「その短い一生を、哀しくも懸命に生きた、ある若き製糸工女の名にちなむのだ」と、地元の古老が語るのを。

 
130以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/30(水) 01:08:42.69:vlNujcCP0

明くる日、私は野ムギ峠に向かう。

飛騨側まで抜けて、数日掛けて各地を巡りながら、再びウヰやヂュンらの話を聞きに行くつもりだ。

元工女たちは、糸引きの話になると、まるで少女のように目を輝かせる。
春のスズメのように、かまびすしく思い出話を語りあい、糸引き唄を歌う。


  “♪君を見てゐるとォ~ いつも心臓 動悸 動悸ィ~。次、ヂュンちゃん!”

  “♪揺れる想いは……えぇと、ウヰ、次は何だっけ。「綿アメみたいに」だっけ?”

  “んー、お姉ちゃんは「淡雪みたいに」って歌ってたよ?”

  “あぁ、そうだ!あのころは綿アメなんか食べられなかったもんね~!”


つらかったはずの桜が丘の工女生活。だが、それが彼女らの唯一の青春だったのだ。

しかしながら、元工女たちも老い、あるいは鬼籍に入った。私もまた老いた。
野ムギ峠に来ることができるのも、あと何回だろうか。

 
131以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/30(水) 01:13:02.33:vlNujcCP0

新緑の季節、峠に立って乗鞍岳を眺めると、緑のじゅうたんの中に蒼くそびえる美しい姿を見ることが出来る。

しかし、この峻険な野ムギ峠を、粗末なワラジと薄い羽織で越えた工女たちの中で、
このような美しい景色を目にする暇のあった者は、ごく僅かであっただろう。

ましてや、厳冬の吹雪のさなかの峠越えでは一寸先さえも目にすることは……


私は、幾度と無くここに来たが、来るたびに、感慨を新たにする。

近代における我が国の勃興と隆盛は、無数の工女たちと製糸家たちの血と汗と涙との上に成立したものなのだ、と。

 
132以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/30(水) 01:16:38.57:vlNujcCP0

  “♪もしすんなり話せればその後は…どうにかなるよね”


「話せば分かる」。戦前、そんな最期の言葉を遺して青年将校に暗殺された首相がいたが、
彼女たちは、糸引き唄に託す以外に、声を上げる術はなかったのだ。

しかし当時、もし、万が一にも、あらゆる階層の人々がすんなり話しあえる機会があったとしても、
そして、もし分かりあえたとしても、それだけでは誰の暮らしも成り立たず、国家さえも成り立たなかった。

工女たちの「どうにかなるよね」という淡い願いのみでは、どうにもならなかったのだ。

それが我が国の近代の蹉跌であり、桎梏であった。
そして、我が国は、かつてに比べれば、確かに豊かになった。

だが、昔と変わらず経済成長にひた走り、「もはや戦後ではない」と物的享楽にのみ身を委ねる、戦後日本。
この「すんなり話せる」はずの民主主義国家の「その後」は「どうにかなる」と胸を張って言えるであろうか。

ささやかな甘い想いの込められた糸引き唄は、そんな問いを今もなお発し続けている。

 
133以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/30(水) 01:20:22.21:vlNujcCP0

  「夏草や つわものどもが 夢のあと……か」


私は、長年の風雨にさらされ摩滅した地蔵に手を合わせ、しばし瞑目する。

今やお助け茶屋もなく、往還する工女の足取りも絶えた峠のお地蔵様。

唯独り、峠の、そして近代日本の哀話を見守り続けた物言わぬ語り部。

野ムギ峠には、クマザサが初夏の涼風に揺れる音だけが、ただ、静かに響いていた。



『あゝ野ムギ峠 ある製糸工女哀史』真鍋和 著(初版あとがき) より



                                     ┼ヽ  -|r‐、. レ |
                                      d⌒) ./| _ノ  __ノ


 
135:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/30(水) 01:29:49.98:/u0B9Gh60

悲しいな

 
136以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/30(水) 01:30:26.78:vlNujcCP0
【作者(和ちゃんでなくうp主のほう)の戯れ言】


ご閲覧、深謝いたします。

本SSは、『あゝ野麦峠 ある製糸工女哀史』(山本茂実 著 1968年初版)を元にしております。

内容は、大体(半分程度)において上記原著のとおりですが、一部、時系列等を組み替え、変更しております。

興味のある方は、原著をお読み下さい。

『女工哀史』(細井和喜蔵 著 1925年初版)も有名ではありますが、
本書の方が、工女のつらい生活のみならず、製糸家の苦労、近代日本の辛酸を知る上で、
より興味深く読めるのではないかと思います。

 
139以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/30(水) 01:36:35.78:vlNujcCP0
そして、私は、『放課後ティータイムⅡアルバム』にて、りっちゃんがいみじくも喝破したことを服膺します。

りっちゃんが宣わく、

  「つまり、放課後ティータイムっていうのはなぁ、今を生きる高校生のロックスピリッツを、
    熱ぅ~く、激しぃ~く表現するロックバンド、っつうかさぁ」と。

(その後、澪ちゃんに「いいこと言おうとしてるだろ?」とたしなめられていましたが)

糸引き唄もまた、近代日本を生きた工女たちの魂の叫びを、熱く激しく表現したものであった、
そのように感ぜられる次第であります。

 
142以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/30(水) 01:46:37.63:vlNujcCP0
なぜ、『けいおん!』と『あゝ野麦峠 ある製糸工女哀史』をクロスさせたかと言いますと、
(クロスと言えるのかさえよくわかりませんが)

もちろんタイトルの駄洒落もありますが、
10代の女性中心で、歌があり、資本家も居て庶民も居て、
青春群像劇として相互の親和性も比較的高いと考えたことによります。

そして何より、前述の通り、糸引き唄はある種のロックスピリッツの発露という観点から、
これを再評価し、両者を統合出来るのではないか、
そのように考えたためでもあります。

不快の念を抱いた方もおいでかと思いますが、その点は何卒ご容赦願います。

 
143以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/30(水) 01:55:01.23:vlNujcCP0
ところで、今般、このようなSSを投下したわけですが、
スレタイ自体は一発ネタとしてかなり前から浮かんでおりました。

では、なぜその機会が今なのか。
その理由として、一つはけいおんの原作が再開するやに報ぜられたことであります。
しかし、もう一つ、大きな理由がございます。

同アルバムにおいて、りっちゃんは、唯ちゃんとの問答に、このように答えていらっしゃいます。

「では、部長のりっちゃん、あなたにとって、放課後とは?」

「そうだなぁ……“人生の無駄遣い”、かな?」

 
144以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/30(水) 02:03:56.66:vlNujcCP0
過日の大地震、私の家はせいぜい壁がひび割れたり瓦が落ちる程度でしたが、
同時に、私が今こうして命拾いをし、“無駄遣いをも享受しうる人生”が今もこうして存在することに対して、
えもいわれぬ感慨を抱かざるを得ません。

すでに私は「放課後」を享受できる年齢ではありせんが、「人生」を享受するにあたり、
如何とも形容しがたい感情が、久方ぶりに、私に筆を執らせたのでありましょう。

 
145以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/30(水) 02:06:10.15:vlNujcCP0
同アルバムにおいて、ムギちゃんが、

「この時間も録音しておかない?」と仰っておりました。

山本茂実氏は工女らの苦境を、資本家の苦闘を、日本の近代の苦悶を記録しました。

私たちの周囲では、いまだ日常とはほど遠い事態が進行してはおりますが、そんな中においても、
私という名も無き一個人が、現代の何気ない日常と、いにしえの名も無き人々の日常を、
僅かなりとも橋渡しすることができれば、望外の喜びです。


本編及び本件戯れ言を含め、乱筆乱文、失礼いたしました。

皆さまのご健勝を祈念しつつ、結びに代えさせていただきます。

ありがとうございました。

 
138:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/30(水) 01:36:26.05:oU1l2D+K0
乙です
梓……いや全て悲しい

 
140:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/30(水) 01:39:51.21:LbeUnC6f0
おつ。
昔観た映画『あゝ野麦峠』と大分印象が違う。
工女以外の視点があるからか。

 
147:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/30(水) 02:38:11.69:rAU0ecdP0

子供の頃テレビでやった映画を見ながら退屈してたのを思い出した
この頃に比べたら現代のなんとぬるいことか
そして財を食いつぶすバカの多さに閉口

 
148:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/30(水) 03:00:24.97:B5Gjjq4X0
>>1
貴様のせいで睡眠時間が1時間減ったわ
乙だ

 
149:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/30(水) 04:18:18.92:QAPNZeAVO
高校時代、現国の先生に勧められて読んだなぁ
いやしかし素晴らしいSSだったよ

 
photo
あゝ野麦峠―ある製糸工女哀史 (角川文庫)
山本 茂実
角川書店 1977-04

by G-Tools , 2011/03/30