-
1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 00:48:51.45:ZWOh/UcV0
【0】
――唯が風邪で休んだある日のこと。どういう流れかわからないが、私がちょっとした過去話をすることになった。
澪「――ずっと……ずーっと昔。それこそ幼稚園か、遅くても小学校低学年くらいかな。当時はまだ私だって明朗快活な女の子だったんだ」
紬「ウソだー」
澪「あれっ意外な所から意外な言葉が飛んできた」
律「私も信じてないけどな」
梓「まぁ、信じる信じないより最後まで聞きましょうよ」
梓もそうは言うが間違いなく信じていない。顔が笑っている。
おかしいな、私に憧れてるとか聞いたのに。

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韓国からポーランドに輸出されるはずだった戦車、軽戦闘機、自走砲などの「K防産」、すべて霧散して夢と終わる可能性も…
3:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 00:51:27.30:ZWOh/UcV0
澪「……腑に落ちないけどまぁいいや。とにかくその時、よく一緒に遊んでいた名前も知らない姉妹がいたんだ。双子だったのかもしれない。あまりにもそっくりな姉妹だったから」
梓「聞かなかったんですか?」
澪「名前も知らないのに姉妹か双子かなんて聞けないよ」
律「……なぁ、よく似た姉妹ってものすごく心当たりあるんだが」
澪「唯と憂ちゃんとは別人だよ。私がその姉妹と唯達を重ねて見てるのは事実だけど、それでも違うんだ」
梓「なんでです?」
澪「それは――」
―――
――
4:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 00:55:24.94:ZWOh/UcV0
【-2】
――約四年前。
紬「――斉藤! 斉藤ッ!!」
斉藤「なんでしょうお嬢様」
紬「何ですかこれは!!」バサッ
斉藤「…これ、とは?」
紬「新聞のこの記事よ! 『自殺を図った少女、見知らぬ少女にキスされて救出される』って見出しのこの記事!!」
斉藤「……読んで字の如くですが」
紬「現場はどこなの!? 少女達の名前は!? 何処に行けば逢えるの!?」
斉藤「内容が内容ですので名前は公開されていませんが、場所は桜が丘のようですな」
紬「電車で行ける範囲ね……そして少女の居る割合が高いのは言うまでもなく女子高――!」
琴拭紬、色恋沙汰を感じ取る嗅覚に優れた女。
彼女はその天性の素質で進学先を決定した。
6:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 01:00:12.01:ZWOh/UcV0
【-1】
――桜が丘女子高等学校、入学式当日。
高校入学という特別な日……であるはずなのだが、私はそれまで過ごしてきた日々と何も変わらず、常に周囲に目を配って生きていた。二重の意味で。
片方はもちろん、私が人目を気にする性格だというのがある。そしてもう一つは……
律「みおー、そんなキョロキョロするなよ」
澪「……クセなんだ、しょうがないだろ」
律「まぁ命の恩人に逢いたい気持ちはわかるよー? でもな、あまりにも挙動不審だって言ってるんだよ!」
澪「うるさい気が散る」
もう一つの理由は、数年前に私を助けてくれた彼女を、ずっと探しているから。
命を絶とうとした私を、親友の律の声さえも疑うほど追い詰められていた私を、いとも容易く救ってくれたあの子の事を。
手がかりなんて何一つない。頼りになるのは私の記憶だけ。だからこそ常に周囲に目を配り、探し続けてきた。ずっと、ずっと。
律「…相手も名乗らなかったってことは恩を感じられても困るってことだろ? そんなに縛られるなよ」
澪「ダメだ、私の気が済まない」
9:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 01:06:41.54:ZWOh/UcV0
律「……はぁ。こうなったら聞かないんだもんなぁ」
当たり前だ。最低でも一言感謝の言葉を述べるまでは止まれない自覚がある。
だからこそこの高校を受験した。女の子が多いのはもちろん女子高だし、あの場に居たという事は近所に住んでいるはずだし、それに……その、女の子にキスする女の子なんて、そういう環境――女子高がやっぱり相応しいというか。
とにかく、ここならあの子に逢えると私は確信を持っていた。根拠なんか何一つない推理だけど、間違いなくそれは確信と言えた。
そして、入学から二週間が経とうかという頃。彼女は私の前に現れた。
律「みんなー! 入部希望者が来たぞー!」
紬「まぁ!」ガタッ
澪「本当――」
……続く言葉が私の口から発されることこそ無かったが、致し方ないことだろう。
律が後ろ手で引っ張ってきた彼女が、ずっと探してきた人だったんだから。
あ、ちなみに律は事情を知ってこそいれど顔を知らないから気づかなかったのだろう。でも今の私の驚愕っぷりに何か感じるところはあったらしく硬直している。
10:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 01:11:45.20:ZWOh/UcV0
だが、そんなことよりも気になることが。
紬「ようこそ軽音部へ! 歓迎いたしますわ~」
律「よ、よしムギ、お茶の準備だ!」
紬「はいっ!」
お茶の準備に走るムギと、こっそりと私の顔色を伺う律。そして何故かオロオロする新入部員らしき彼女。
ちゃんと、ちゃんと私は彼女と視線が合った。目と目が合った。
なのに。
それなのに。
なぜ、驚いているのは私だけなの?
11:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 01:17:01.79:ZWOh/UcV0
律「――え、辞めるって言いに来たの?」ショボン
?「う、うん…」
澪「え……」
きっとこの時の私は、何よりも寂しそうな顔をしていただろう。
そりゃそうだ、ずっと探し続けていた人が私のことをわかっていないばかりか、唯一出来かけた繋がりさえも絶たれようとしているのだから。
……だから、この時ばかりは律の強引さに感謝した。
律「でもうちの部に入ろうと思ったってことは、音楽には興味あるんだよね?」
?「まぁ、一応……」
律「なら私達の演奏を聴いてみてから判断してみない?」チラッ
澪「あ……うん、そうだよ! 聴いてみてよ!」
そして――
ジャラーン
?「あんまりうまくないですね!」
律「バッサリだー」
13:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 01:23:27.60:ZWOh/UcV0
?「でも……すごく楽しそうです! 入部したいです!」
澪「あ……ありがとう!」ガシッ
?「ひゃっ!?」
い、勢い余って手を握ってしまった…!
……って、よく考えたら数年前にもっと恥ずかしい事してるんだから別にいいか。
とにかく、本当によかった。まだ一緒にいられるんだ…!
澪「これから一緒に頑張ろう!!」
?「で、でも私、全然楽器できないし…」
紬「それならギター始めてみたらどうかしら?」
ムギ、ナイスアシストだ!
律はドラムだしムギはキーボードだから、彼女がギターを始めれば近しいベースの私は自然と接する機会が増える!
接する機会が増えれば、彼女も思い出してくれるかも……!
?「あ、あの、それともう一つ言っておかないといけないことが…」
律「ん? なに?」
?「あまり遅くまでは練習できないと思うんだ……その、妹がね、帰りを待ってるというか、夕食の材料買って帰らないといけないから」
律「んー、それくらいなら大丈夫大丈夫。でも家で自主練はしとけよー?」
?「う、うん。頑張る」
14:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 01:28:56.29:ZWOh/UcV0
澪「まぁまずはギター買わないといけないけど」
紬「じゃあ週末見に行きましょうか」
律「そーだな。じゃ、今日はとりあえず入部届だけ受け取っとくよ」
?「あれ? 渡してないっけ?」
律「……澪、知らない?」
澪「私達のはそこの引き出しの中にあるはずだけど…」
生憎、私はまだその子の名前を知らないからハッキリとは言えない。
律は部長だから知ってるはずなんだけど……しっかりしてくれよ、もう。
律「……ん、あったあった。そういえば確かに見たような気もするわ。んじゃいっか」
澪「あ、ちょっと待って律。見せて」
律「ん、あぁ、ホレ」
15:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 01:32:54.81:ZWOh/UcV0
書かれている要項に目を通す。学年は一緒、だけどクラスは…別。
そして、そこに書かれている名前は…
澪「…平沢さん、か。あらためてこれからよろしく」
唯「唯でいいよ。よろしくね、えっと…」
澪「澪でいいよ。秋山澪」
唯「うん。よろしく、みおちゃん」
そう微笑む彼女は眩しくて。やっぱりあの時のあの子で。
それは要するに……私のファーストキスの相手で。でも、向こうはきっと覚えてなくて。
悔しい気持ちも勿論あったから、本来の目的の『あの時のお礼』は、平沢さ――唯が思い出してからに延期することにした。
その代わり……と言っては何だけど、絶対に思い出させてやる。そう決意して。
16:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 01:37:29.43:ZWOh/UcV0
和「――え、結局軽音部に入ったんだ!?」
唯「うん。どうしても入部してほしいって言われて」
和「マジで!?」
唯「まじまじ。超まじ」
和「……それでいいの? 憂のこともあるのよ?」
唯「…うん、だから早く帰らせてってお願いしたよ」
和「こんな自分勝手な部員掴まされて大丈夫かしら、軽音部」
唯「耳と胸が痛いなぁ」
20:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 01:43:01.75:ZWOh/UcV0
――そして週末。私達軽音部は四人でギターを買いに来た…のはいいのだが、唯の手持ちが足りず。
唯「――ちょっと待ってて、銀行行ってくる!」
澪「え?」
唯「お金! おろしてくるから!」
そう言って走り出す唯。
私達は黙ってその背中を見送る……つもりだったが、なんとなく不安なので、
澪「私も行く! 二人は待ってて!」
律「…なんか迷いそうだもんな、唯」
澪「そこまでは言わないけど…なんか目が離せないから」
と、私も唯を走って追いかける事にした。
だが店を出て数メートル走った曲がり角で、
唯「疲れたぁー」
澪「早っ!?」
地べたに座り込む唯と遭遇。危ないな、もう少しで蹴飛ばすところだったぞ。
21:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 01:49:24.70:ZWOh/UcV0
唯「あ、あれ、みおちゃん。どしたの?」
澪「一緒に行くよ。私も手持ちが心許ないんだ」
唯「あ、うん。ありがと…」
澪「…疲れてるところ悪いけど、立って。あまり皆を待たせてもいられないし」
唯「うへぇ」
澪「……ほら、手」
唯「…ありがと」ギュッ
……握った手は、忘れもしないあの時の温かさそのままで、どこか恥ずかしくて早足で歩き出してしまう。
――いや、あの時は手じゃなくて主に唇だったんだけど。でもその後に抱きしめられた時の全身の温もりも勿論覚えてるけど――ってそうじゃなくて、えっと……
……うん、ダメだ、意識するともっと恥ずかしい。話を逸らそう。
澪「あー、その、お金足りそう? 下ろしても足りないなら貸すよ?」
唯「ん、結構貯金あるし大丈夫だと思うよ。それにお金関係で友達を頼るくらいなら親から借りるよ。後々こじれそうだし」
澪「ん、そうか……」
言ってることは正論なんだが……なんか、こう、頼りにされてないようにも思えてしまう。
いや、もちろん私が唯の立場でも、友人からお金を借りたりはしないと思うけど。額も額だし。
……でも、頼りにして欲しかった。もちろんそれは、あの時私を助けてくれた唯に対する私なりの感謝の気持ちの押し付けの一つの形にすぎないけれど。
そして、それを覚えてない唯からすれば、それは到底理解できないだろうけれど。
……考えてもしょうがない。
この件は考えても行動しないことには絶対、事態は好転しない。そしてこっちから行動するのは…無理っぽい。
だって「私とキスしたこと覚えてますか」なんて普通は聞けない。恥ずかしすぎる。
それに、なんか癪だし……だから、どうにかして唯のほうから思い出させる。思い出してもらう、それしかない。
23:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 01:57:33.84:ZWOh/UcV0
澪「…そういえば唯は、なんで音楽に興味持ったの?」
唯「え? えっと、ちょっと昔に逢った女の子がね、ベースやってる、って言ってて」
澪「えっ……?」
唯「それで興味があったってだけだよ。大した理由じゃなくてごめんね?」
いや、謝られても困るっていうか、それって私じゃん!
――あの時、助けてもらった後、唯は私を落ち着かせる為か趣味の話とかを沢山振ってきた。その時に確かに私は音楽と答え、ベースを持っていることまで告げた。
絶対私じゃん! なんで唯はそこまで覚えてて私を覚えてないんだ!?
澪「あの、唯――」
唯「それにしてもあのギター、かわいかったよねぇ」キラキラ
澪「――は?」
唯が見ていたギターはレスポールだったはず。かわいい…か?
そもそもギターの可愛い要素って何だ?
唯「もうね、なんか運命感じちゃったよ。この子しかいない! って」
澪「………そ、そう…」
ダメだ、まったく感覚がわからない。
少し不思議な子だな、唯って。少し不思議、略してSF、なんちゃって。
……とか言ってる間に銀行に着いたのでお金を下ろし、帰りは特に何も無い、所謂『他愛ない話』をしながら戻った。
24:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 01:58:36.21:ZWOh/UcV0
――そうして唯は無事(?)、相棒のレスポールを手に入れ、次の部活の日。
チャラリーララ チャラリラリラ~
律「チャ○メラ!?」
澪「唯…家でギター練習してないの?」
律「自主練しろって言ったのに……ほったらかしなのか?」
唯「そ、そんなことないよー!? すっごい大事にしてるんだよ?」
紬「どんな風に?」
唯「鏡の前で(以下略
添い寝(以下略
写真(略
ボーっと眺めてて一日が終わっちゃうこともしょっちゅう…」
律「弾けよ」
……やっぱり、どこか不思議な子だなぁ。
まぁそりゃ普通の人は見ず知らずの女の子に…キ、キスなんてしないと思うけど。
……ただのキス魔なんてことは…ないよな?
――その後、痛いのが怖いことがバレて唯に「かわいい悲鳴」って言われたり、指をぷにぷにされたり、コード表を渡してあげたりして解散になった。
唯の意思をちゃんと汲んでる律は案外部長の器があるのかもしれない。
ともあれ、唯との距離は縮まった気がする。思い出してもらえるかは、まだまだわからないけれど――
25:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 01:59:37.52:ZWOh/UcV0
和「――あ、唯っ!」
唯「あ、和ちゃん!」ガッ
和「ぬるぽ」
唯「」ガッ
和「なにそれ、新しい挨拶?」
唯「ちがうよー。えへへ、ギターのコード教えてもらったんだー」
和「へぇ、頑張ってるのね。憂のことはそっちのけで」
唯「……なんでそうイジワルな言い方するかなぁ」
和「冗談よ。姉妹の絆に口を挟むつもりもないし割って入るつもりもないって言ってるでしょ?」
唯「憂も…わかってくれてるよ。ちゃんと話したんだから」
和「…あの子のこと?」
唯「あの子の事も、軽音部のことも、ちゃんとわかってくれてる」
和「いい妹を持ったわねぇ」
26:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 02:01:39.44:ZWOh/UcV0
唯「……ねぇ和ちゃん、本当に憂は…家事が好きなのかな? 家事だけしてれば幸せなのかな? 私は、こんなことをしていていいのかな?」
和「……ちゃんとわかってくれてるんじゃなかったの?」
唯「ちがうよ、わかってくれてるんだよ、憂は。でもそれは私にとっての幸せで、憂にとっての幸せじゃないよね?」
和「幸せだって本人が言ってるんでしょ? 信じてあげなさいよ」
唯「でも……私なら、そんなの面白くないし…」
和「そうね、ぶっちゃけ私も家事だけやって生きていけなんて言われたら殴るわね」
唯「だよね……って、どっちなのさ」
和「どっちでも信じてあげなさいって言ってんの。憂が自分を偽ってるなら話は別だけど、憂が考えて最善だと思って出した結論なら、ちゃんとそれなりの理由があるんだから」
唯「本当に家事が好きだとしても、嘘だったとしても?」
和「そう。あの子のつく嘘はきっと優しい嘘よ。ちゃんと他人のことを思いやれる優しい子なのは、唯も知ってるでしょ?」
唯「…うん」
28:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 02:06:22.57:ZWOh/UcV0
和「ならそれに報いないといけないの、あなたは」
唯「……そっか」
和「そうよ」
唯「………」
和「ところでもうすぐ中間テストなんだけど」
唯「マジ?」
和「マジ」
唯「……憂に――」
和「自力でやりなさいよ?」
唯「……はい」
29:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 02:12:13.18:ZWOh/UcV0
そして中間テスト明け。
唯「――クラスで一人、追試だそうです」←遠い目
律「なんかよくわからんけど予想できたよこの展開」
唯「というわけで澪ちゃん助けてー」ヨヨヨ
澪「えっ、私…?」
とは言ったものの、頼られるのはすごく気分がいい。
まぁ、相手が唯だからなんだけど。これが律だったら……あれ、普通に数日前に頼られて教えてやった気がする。
……いっそ二人まとめて見てやればよかったなぁ。期末からはそうしようか。
澪「仕方ないな…じゃあ今日勉強会するか」
唯「本当!? ありがとー!」
澪「いやいや、軽音部のためでもあるし気にしないで」テレテレ
31:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 02:17:33.99:ZWOh/UcV0
唯「そうと決まったら先に帰って準備しとくよ! じゃあね!」ダッ
澪「えっ」
律「ちょ、おま、練習――は一応ダメなのか」
紬「追試で合格するまでは、ですね」
澪「……私達はどうすりゃいいんだ?」
律「……一回合わせとく?」
澪「いや、そうじゃなくて。私達唯の家知らないぞ?」
紬「あっ…」
お菓子を食べ、なんとなく唯を待ってみようという意味も込めて一回だけ三人で音合わせをしたが戻ってくるはずもなく、とりあえず部室を出て校門まで向かう。
律「…メールしてみるか」
澪「電話でいいんじゃないか?」
そう言い、私が携帯を取り出した矢先のこと。
33:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 02:22:17.37:ZWOh/UcV0
?「あのっ!」
澪「ん?」
声をかけられ、振り向いた先にいたのは――
律「唯? 髪形変えた?」
唯?「あ、いえ、その、桜が丘高校の軽音部の方達ですよね?」
澪「うん、そうだけど……唯じゃないのか?」
どう見ても髪を後ろで縛った唯にしか見えないんだけどなぁ。
声も心なしか似ている気がするし。
憂「はい、私、妹の平沢憂といいます」
律「うわっ、似てる!?」
紬「髪型以外瓜二つね…」
憂「あはは、よく言われます……それでその、お姉ちゃんが部屋を片付けてるので、呼んで来てくれって頼まれまして」
澪「なんで自分で来ないんだ…」
34:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 02:27:51.28:ZWOh/UcV0
律「まぁ、姉妹といえど互いの部屋を勝手に片付けるのもアレだしな。どっちの言い分もわかるよ」
澪「さすが弟持ち」
紬「私達にはちょっとわかりませんね」
たぶんムギは使用人に部屋を片付けさせているからだと思う。
あくまで私の勝手なイメージではあるけど。
憂「そう遠くはないのでついて来てもらえますか?」
律「うん。よろしくね、憂ちゃん」
憂「あ、はい!」
澪「これからテストの度にお邪魔するかもしれないからな…」
憂「あ、あはは……」
そうして辿り着いた唯の家は…まぁ、普通の一軒家で。
憂「ただいまー。お姉ちゃーん?」
律「部屋は上?」
憂「はい、呼んできますから少し待っててください」タタタ
35:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 02:32:47.07:ZWOh/UcV0
軽やかに階段を駆け上がっていく憂ちゃん。
健気な妹だなぁ。こう言っちゃ何だけど、ほわほわした唯より頼りがいがある。
いや、どっちが好きとかそういうのではないぞ、断じて。って誰に言い訳してるんだ私は。言い訳なんかするまでもなく、私が惹かれてるのは唯のほう――ってそれも違う!
ただ、ただ唯にはあの時のお礼を言いたいだけで、好きとかそういうのは断じて無いっ!!
律「おーい、澪? 何一人で悶えてるんだ?」
澪「な、何でもない!」
唯「ごめーん、みんなお待たせ! あがってあがってー」トテテ
紬「お邪魔しまーす」
澪「ホラ行くぞ律!」
律「はいはい…わかりやすい奴め」
37:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 02:38:17.86:ZWOh/UcV0
律「――いやぁ、しかし姉妹でこうも違うもんかね?」
唯「何が?」
律「いや……」
私と同じような疑問を律も抱いていたようだ。そっくりなのは顔だけだな、まさに。
まぁ当の本人はわかっていないようだし気にしてもいないようだから多くは語るまい。
唯「あーそうだ、憂がお茶とお菓子準備してくれてたんだ、持って来るね!」ガチャ
澪「……本当に出来た妹だなぁ」
律「一家に一人欲しいですな」
紬「そうですねぇ」
律「あ、そこはムギから見ても同意なんだ…」
紬「?」
そうして唯が戻ってきたところで本題の試験勉強を開始する。
先にお菓子とか雑談とかにかまけてしまうとどんどん脱線していってしまうのは既に私も学習している。唯のやる気があるうちに私とムギで出来るだけ詰め込む作戦だ。
その作戦は間違っていなかった。だけど、一つ見落としていた事があった。
38:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 02:43:48.67:ZWOh/UcV0
律「ひまだー」ソワソワ
……赤点でこそないが、人に勉強を教えられるほど頭も良くない幼馴染の存在を。
澪「うるさい」
ぶっちゃけこの場には不要だ。仲間はずれも可哀相ではあるけれど、居ても何一つプラスにならない。
というかさっきからずっとソワソワしてて目障りでしょうがない。
律「そういえば憂ちゃんは?」
唯「なんか邪魔したくないからどこか行くとか言ってたよ」
律「ちぇー、一緒に遊ぼうかと思ったのに」
澪「ホントに何しに来たんだお前は…」
ま、そうやって誰とも仲良くなれるのは律の長所なんだけどさ。
そして、唯と似ている所でもある。そう考えると――いや、考えなくても羨ましいか。
紬「それにしても、お姉さんを立てるいい妹をお持ちね、唯さんは」
唯「……ムギちゃん、さん付けとかいいよー、くすぐったい」
紬「そ、そう? じゃあ…唯ちゃん?」
唯「うん、やっぱそっちのほうが落ち着くよ!」
紬「そ、そうかしら……」
39:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 02:48:38.64:ZWOh/UcV0
唯「えっへへ~、ムギちゃーん♪」
紬「っ…///」
……ん? なんかムギが赤くなってるぞ。
律「(ムギと唯が一気に距離を縮めちゃったなぁ。いいのか澪?)」ボソッ
澪「(…どういう意味だよ?)」
律「(だーかーら、なんでお前はもっと積極的に行かないのかって話だよ!)」
澪「(いやいや……)」
積極的とか……それどこの恋愛相談だよ、まったく。
その、キ、キスこそされたけど、そういう目では見てないぞ、私は。そしてきっと唯も。
……いや、唯はそういう目で云々以前に忘れてるんだっけ。
あぁ、なんだろ、やっぱモヤモヤするなぁ。案外、律の言う通り積極的にいった方がいいのかな?
律のそういう積極性は、やっぱり羨ましいし。見習うべきなのかな?
41:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 02:52:20.56:ZWOh/UcV0
――というわけで、唯が無事追試をクリア(しかも満点で)した後、私は積極的に一つの提案をしてみた。
澪「――合宿をします!」
名目は学園祭に向けた強化合宿。でも下心ももちろんあって、積極的に唯との距離を縮めて思い出してもらうためというのが本当の狙い。
もちろん、他のみんなの距離も縮まればよりいいんだけど。
とりあえず、そんな私の『下心満載だけど最終的には部のためにもなるはず』な提案はムギの所持している別荘で決行された。
――結果から言うと合宿自体は有意義なものだったと思う。
だが何より水着の唯は可愛かった。髪を横で束ねているのとかもうヤバかった。
……私、こんなキャラだったか?
いや、あの時からだ。合宿の夜――
唯『――やっぱり音楽っていいね! 合宿しようって言ってくれた澪ちゃんのおかげだよ! ありがとう!!』
――露天風呂で唯に手を握られ、真っ直ぐ感謝の言葉を告げられた時。
皮肉にも、感謝の言葉を伝えようとずっと前から心に決めていた私より先に。そんな私に対して告げられたその想いに。
素直で綺麗なその心に、私の心もきっと揺り動かされてしまった。
……これが恋愛感情だとは言い切れないけれど、それでもこの時から、唯の言葉が、仕草が、私の中で大きな意味を持つものに変わっていった。
42:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 02:56:07.45:ZWOh/UcV0
――そして、学園祭も近づいた頃。今更我が軽音部に顧問がついた。
さ「――で、学祭でやる曲は?」
この人が顧問の山中さわ子先生。唯に黒歴史を暴かれ、律に脅されて堕ちてきた哀れな子羊だ。
もっとも、顧問のいなかった軽音部にとっては救世主なのだが。
ともあれ、美人で評価も高い先生が顧問についてくれたのは心強い。唯達によって晒されてしまった内面のアレっぷりは抜きにしても、だ。
というわけで、言うことには従おう。
澪「えっと、歌詞なら……」
唯「あるのー? 見たーい!」
澪「ひっ!? 唯はダメ!!」
唯「ええっ!? なんで…?」シュン
澪「ああっ、いや違う、その、恥ずかしいから…」
別に誰に見られても恥ずかしいんだけど、特に唯には…その、失望されたりしたら嫌だし…
さ「どうせ全員に見られるんだから一緒でしょうに。それどころか皆の前で歌うかもしれないのよ? 早く渡しなさい」
澪「は、はい……」
日々少しずつ書き溜めていたルーズリーフの中から一枚、山中先生に渡す。
自信作…というわけでもないけど、今のところ唯一最後まで書ききった歌詞だ。
43:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 02:58:27.55:ZWOh/UcV0
唯「あぁ~……見たかったのに」
澪「ご、ごめん…」
紬「どうせ見れますよ、すぐに。ね?」
唯「うん……」
……落ち込む唯を見ると、胸が締め付けられる。
そんな顔をさせたのは私だ。いつもの私の、いつもの行動が。そう思うと、悔いる気持ちで一杯になる。
澪「……ううん、やっぱり私が悪いよ。こういう時は恥ずかしがってちゃいけないんだ…!」
恥ずかしがりな性格は私のコンプレックスの一つだ。だからこそそういうのとは無縁そうな律や唯が羨ましく映るのであって。
それに加えて、今回のは軽音部の進退に関わること。恥ずかしがってる場合じゃなかったんだ。
恥ずかしいけど、恥ずかしくても、唯と一緒に学園祭で演奏するんだと考えるとそうも言ってられない。私に出来ることは何でもして、成功させないと。
絶対に成功させる、そのためにはまず私が変わらないと!
律「………ふーん」ニヤニヤ
44:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 02:59:54.74:ZWOh/UcV0
……と意気込んではいたんだけど、
フワフワターイム フワフワターイム
さ「うおぉ、体が…背中が…」カイカイ
律「しまった、澪だってことを忘れていた……てかお前、まだこんな詩を…?」カイーノ
澪「だ、ダメかなぁ…?」
少なくとも、褒めてくれてはいないのはわかる。
やっぱりダメなのかな…? 唯に見せなかった私の判断は正しかったのかなぁ…
さ「うっ、その……」
律「ゆ、唯はどう思う?」
澪「あっ、待って、見せちゃダメ――」
と手を伸ばすも、すんでのところで唯が先に取ってしまう。
唯「ゲットだぜー!」
澪「ちょ、ダメだってば!」
紬「まぁまぁまぁ」ガシッ
澪「ちょ、離せムギ――ぃ痛い痛い! 何この怪力!?」
紬「うふふ♪」
45:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 03:01:58.77:ZWOh/UcV0
唯「………」ジー
ああああぁぁ……唯に、唯に読まれてるぅ……
やだ、ダメだ、人生終わった……
唯「すごくいい…」キラキラ
律「マジでー!?」
唯「私はすごく好きだよ、この歌詞!」ガシッ
澪「ほ…ほんと?」
唯「うんっ!」
人生始まった。超始まった。
どうしよう、すっごく嬉しい。きっと私、また赤面してる。
……あれ、でも待てよ? ちょっと不思議ちゃんな面もある唯がマトモな芸術感覚を持ってるかは怪しいような…
紬「いいんじゃないでしょうかっ!」ウットリ
さ「わ、私もこういうの好きかもー」キャピ
律「あれぇ!?」
先生、さっきまで微妙な表情してたくせに…
ムギはなんか私達のやりとりを見てから肯定しだした気がするし…
まぁ、それでも認めてもらえたんだとしたら嬉しいけど。特に唯に認められたのは。
46:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 03:07:25.62:ZWOh/UcV0
紬「じゃあ多数決で決定ね!」
唯「わーい!」
律「とほほ……んじゃボーカルは澪、頑張って」
澪「えっ!? 無理! こんな恥ずかしいの歌えないよぉ!」
律「おい作者」
いや、その、恥ずかしがりを克服しようとは思ってるんだけど!
でもさすがに全校生徒の前で自分の脳内世界全開の詩を歌うなんてハードル高すぎるって! もうちょっとゆっくりやっていこうよ!
律「むぅ…予想はしてたけど、澪がダメとなると…」
唯「」キラキラ
律「…唯、やってみる?」
唯「えっ!? で、でも私、そんなに歌うまくないし…」テレテレ
律「あっそ。んじゃムギだな。あーもったいないなー、唯がやるって言えば決まりだったのになー?」チラッ
唯「わ、私歌う! 歌いたい! お願いします!!」ビシッ
……私が恥ずかしいと思った歌詞にここまで熱を上げる唯の感覚は、やっぱりきっと少しズレている。
48:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 03:12:55.73:ZWOh/UcV0
ともあれ、唯が歌う方向でボーカルも交えた練習をすることになったのだが……
唯「――ギター弾きながら歌えない…」ズーン
さ「仕方ないわねぇ……一週間つきっきりで特訓してあげる!」
唯「せ、先生っ!」
さ「まずは歯ギターのやり方――」
唯「それはいいです」
律「――へぇ、唯のやつ、今度はさわちゃんとフラグを立てるつもりか」
澪「フラグ?」
律「一週間のつきっきりの特訓で一気に仲良くなるって事」
澪「ッ!?」
その時、私に電流走る――!
残念ながらひらめき的な意味ではなく、ショックの方で。
澪「わ、私も付き合います!」
唯「ほへ?」
49:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 03:15:17.60:9hahFV9XO
澪「ほら、こう、私達、ベースとギターだから! ライブパフォーマンス的な練習もしますから特訓に付き合います!」
さ「歯ギター?」
澪「それはいいです」
っていうか勿論パフォーマンスも嘘だ。何かと理由をつけて唯と一緒にいたいだけ。あるいは唯と誰かが私の知らないところで仲良くなるのが気に入らないだけ。
……あれ、なんかイケナイ思考回路になってきてないか、私。
律「――んじゃ私らは帰るけど…」
さ「後は任せときなさいな。一流のギタリストに仕上げてみせるわ!」
澪「………」
律「なんかいろいろ不安が残るけど…まぁ、いいか」
紬「それじゃあお先に失礼しますね」
唯「またねー」
帰り際に律が親指を立てていった。うざい。
さ「……さーて、それじゃ始めますか! あ、澪ちゃんは帰りが遅くなるって連絡しといたほうがいいわよ?」
澪「私は、って? 唯は憂ちゃんに連絡しなくていいの?」
唯「あ、うん、大丈夫大丈夫」
54:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 03:27:01.82:ZWOh/UcV0
澪「大丈夫って、そんなわけ……」
あんな健気でいい子の妹さんを不安にさせるのはどうかと思うぞ、唯。
さ「あー、そっちは私が連絡しておいたから、ね?」
澪「いや、さわ子先生ずっと一緒にいたじゃないですか…」
さ「連絡しておくから、ね?」
澪「…はぁ、まぁ、そう言うなら…」
腑に落ちないけど、とりあえず電話をかけに部屋の隅へ。
さ「……ごめんね、うっかりしてた」
唯「いえ…いつかは言わないといけないとは思ってるんですけど」
……何を話しているんだろう、二人は。よく聞こえない。
澪「あ、ママ。今日から一週間、練習が長引くから。うん、うん、大丈夫。ごめんね――」
55:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 03:33:25.10:ZWOh/UcV0
――そして一週間後。律が案じていたような事態は起こらず、学園祭を三日後に控えて。
澪「いやー、唯のギターもだいぶ上達したな!」
唯「」コクリ
さ「唯ちゃん、昨日の課題ぶん、ちゃんと発声練習してきたかしら?」
唯「」コクリ
澪「……なんで喋らないの?」
唯「こ゛え゛か゛か゛れ゛た゛」
澪「」
さ「」
56:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 03:38:54.83:ZWOh/UcV0
――結局、本番は私がボーカルになってしまった。どういうことなの……
終わってみればそれだけでは済まず変な衣装は着させられるし、下着まで晒してしまうし、本当に踏んだり蹴ったりの学園祭となった。
ただ、悪かったことばかりじゃない――
ワァァァァァー
澪(っ…人が…たくさん…! 律っ……)
律(澪――いや、そろそろしっかりしてもらわないと。いつまでも私と一緒にいれるわけでもないんだぞ?)
澪(っ、そんな……無理…怖い……)
失敗したらどうしよう。演奏を間違ったら、歌詞を忘れたら、みんなの頑張りを台無しにしちゃったらどうしよう。
恐怖が、プレッシャーが、頭の中で巡り巡って踊り狂う。他のモノ全てが認識できなくなるほどに。
……そうだよ、私は楽器や歌の練習こそしてたけど、プレッシャーに打ち勝つ特訓なんてしていない。
少し引いたところで演奏するのが限界の私が、そもそもこんなに沢山の人の前で、私がいつも通りにやれる保障なんて、何一つないんだ――!
澪(っ……だめだっ――)
押しつぶされそうになった、その時。
怖さばかりが渦巻いて他の全てを拒む私の心に、なぜか一つだけ、すっと入ってきたモノがあった。
唯「澪ちゃん!!」
澪「っ!?」
57:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 03:44:57.90:ZWOh/UcV0
唯「私、澪ちゃんが頑張って練習してたの知ってるから!」
澪「あ……」
見てた…の?
唯が、私が誰よりも自分の事を見て欲しい人が、見てくれていた…?
唯「私のせいだから偉そうなことは言えないけど…でも、澪ちゃんは誰よりも頑張ってたんだから、絶対大丈夫だよ! がんばろう!!」
澪「唯……」
……確かに唯のせい、ではあるけど。でも唯の代わりだから、私は頑張れたんだよ。
唯も頑張ってたから、それを無駄にしたくないから、私は頑張れたんだよ。
……そうだ。ちょっと恥ずかしいくらいで、私達の重ねてきた時間を、ぜんぶ無駄になんて出来るものか!
澪「――歌います! ふわふわ時間ッ!!」
――間違いなく、最高の演奏が出来た。
それに唯は、まだ喉も痛いはずなのにコーラスで参加してくれた。それが何より嬉しかった。
と同時に、その痛む喉で私を勇気付けてくれたんだと思うと…また助けられちゃったな、という気持ちにもなるけど。
でも、この頃になると逆に開き直れてきてもいた。
きっと、私と唯は一生の友達になれる。ずっと一緒にいられる。だから焦ることなんてない、と。
じっくり、少しずつ唯に恩を返していけばいいと。
でも、すぐに私はそんな考えを悔いることになる。
もっとも、悔いたことろで時間は戻らないのだけれど。
59:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 03:49:28.94:ZWOh/UcV0
――新年度。
澪「」ポツーン
……どうしよう。まさか友達誰とも同じクラスになれないなんて思わなかった。
それに…唯と律、ムギは同じクラスだって言うじゃないか。何か間違いでもあったらどうするんだ…!
いや、それも心配だけど、同じくらい私の今後も心配というか不安だぞ……便所飯コース一直線じゃ――
和「あ、澪」
澪「あっ!」
和「よかったー、唯ともクラス離れちゃって心p――」
澪「よろしくっ!」ガシッ
和「早っ!」
――だが、こんなのは序の口にすぎなかった。
新入生歓迎会で唯と息の合ったダブルボーカルを披露し、二人の相性を確かめ合ったのも束の間。
そう、奴が現れたんだ――
60:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 03:54:01.10:ZWOh/UcV0
梓「――中野梓です! よろしくお願いします!!」
唯「かーわーいーいー!!」
さ「ネコミミつけてみ」
律「ニャーって言ってみ」
梓「にゃ、にゃー?」
唯「あだ名はあずにゃんで決定だね!」
澪「………」
律達がからかう対象が梓に移った…のは、別にいい。それどころか喜ばしいことだ。
ただ、唯の視線が、今まで私に注がれていたはずの眼差しが、全て向こうに行ってしまった。
それが……どうしようもなく寂しかった。もちろん梓は大切な後輩なんだ、憎んだりなんて出来ないけれど。でも……
律「…いや、あまり気にするなよ? 後輩を可愛がりたいのは誰だって一緒だろ?」
澪「そりゃそうだけど…」
律「いいじゃないか。澪も尊敬されてるみたいだぞ?」
澪「それは…嬉しいけど」
61:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 03:56:23.90:ZWOh/UcV0
律「最初だけだって。な?」
澪「うん……」
そうだ、きっといつかは飽きる。
梓には悪いけど、私はそう思い込むことでどうにか自分を保っていられた。
和「――軽音部はどう? 唯はうまくやってる?」
澪「一つの事覚えたら一つの事忘れて大変よぉ」
あ、私今唯の保護者っぽい! ヤッホゥ!
……ん、そういえば和は唯の先代保護者なんだよな……いろいろ聞いておいてもいいかも?
唯「――あの二人、なんだかいいムードですわよ? りっちゃん」
律「ううっ、よかったなぁ澪。お前のことだからぼっちで便所飯してるんじゃないかと思ったが…友達作れたんだな…」
唯「っていうかクラスに知り合いがいたってだけじゃん…大袈裟な」
律「それでも澪からすれば大きな進歩なんだよっ!」
唯「あはは……まぁ、本題忘れてないよね?」
律「おうよ! 突撃だー!」
唯「おー!」
62:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 03:57:27.94:ZWOh/UcV0
澪「ギャー! なんか来たー!」
和「あら唯。何かあったの?」
唯「実は期末テストのことなんだけど――」
和「却下。自分でやらないと力にならないわよ?」
唯「いじわるー、ぶー」
……唯のあしらい方…勉強になるなぁ。やはり和からはいろいろと学ぶことはありそうだ。
ただ、本音を言うならば唯が私を先に頼ってくれたら私がコーチしてあげるつもりだった。ちょっと悔しい。
――結局、期末テストはいつも通り、律には私がつきっきりでコーチすることになり。
一方唯は憂ちゃんに助けてもらったらしい。それってどうなんだ。
澪「そういえば、憂ちゃんはどこに進学したんだ? 一つ下だったよな、確か」
和「えっ? 唯、言ってなかったの?」
唯「あー、うん。憂はね、主婦になりました」
澪「えっ!? 結婚したの!?」
唯「そうじゃなくて…その、私が家事とかサッパリだからね、家にいてくれるというか…」
要約すると進学も就職もしなかった、ということだろう。
レスポールを買えるくらいのお金はあるんだし、金銭面の問題ではないだろう。というか、唯が言ってるままの理由だと思われる。
63:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 03:58:54.55:ZWOh/UcV0
和「…まぁ、そう簡単に言える問題でもないわよね」
澪「和は知ってたの?」
和「まぁね。幼馴染だし」
……軽く言い放てる立場が羨ましいよ、和。
しかし憂ちゃん、最終学歴が中卒って、このご時勢かなり辛いんじゃないだろうか。いい子なだけに不憫すぎる。
そして、そう思っていたのは私だけではなかったようで。
律「でもなぁ……言いにくいけど、さすがにそれは行きすぎじゃないか? 憂ちゃんにも憂ちゃんの人生が――」
和「言いたいことはわかるけど、憂は中学さえもマトモに通ってないのよ?」
律「そう…なのか?」
和「色々あったのよ。そして、憂は唯の世話をすることに自分の居場所を見出した。大体そんな感じ」
バッサリと切り捨てる和は、それ以上の追求を拒むようであり、また、他人が口を挟むなと脅すようでもあり。
要するに有無を言わさぬ力強さを持っていた。そしてもちろんそれは唯の、そして憂ちゃんのためだとわかるから、和個人を批判もできない。
ただ、二人の間には割って入れないような絆があるような気がして、また少し嫉妬してしまった。
……思ったよりもライバルとなりうる人は多いようだ。
64:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 03:59:11.15:ZWOh/UcV0
――夏休み。今年も海で合宿をしたんだけど、唯は髪型を変えてなかった。残念。
――そして夏休みが明けて。唯のギターのメンテナンス関係でさわちゃんに売られかけた。
冷静に考えれば冗談だとしても酷い話なんだけど、唯に絡まれたのも久しぶりだったので少し嬉しかったのを覚えている。
それよりも、夏休み明けといえば学園祭だ。梓も交えた初めての舞台。
梓は唯を巡るライバルだけど、それ以前に同じ部活の仲間だ。こういう時はちゃんと一致団結しないとな。
――と思っていた矢先。
唯「風邪ひいたぁ……」
澪「おいぃぃぃぃぃぃ!?」
65:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 03:59:55.89:ZWOh/UcV0
【1】
――
―――
――そして今に至る。今は厳密には学園祭三日前。
唯抜きでの空虚な練習は私にとって大した価値はなく、律のティータイムの提案に安易に乗ってしまい、どういうことか過去話をする流れに。
澪「――えっと、唯と憂ちゃんは、仲良く姉妹やってるじゃないか、今も」
梓「今も、って……まさか」
澪「うん。その昔逢った姉妹の片方、姉の方にはもう逢えないから、かな。死んじゃったんだ。理由も知らないし、名前も知らない私はもちろんお葬式にも出れなかった」
紬「……急に重くなった」
澪「ごめん。でもそこまでなんだ。姉のほうが死んだのもマ――お母さんが近所の親伝いに聞いたらしいし、妹の方とも未だに会えてないからね」
律「……もしその姉が生きていたら、唯と憂ちゃんみたいな姉妹になっていたかな、ってことか」
澪「そういうこと。まぁ彼女が死んじゃったせいで私はちょっと塞ぎこみがちになっちゃった、っていうオチだよ」
律「あぁ、私の出逢った『本ばっかり読んでる澪ちゃん』が出来上がったのはそういうワケがあった、って話なのね」
澪「うん」
66:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 04:00:47.87:ZWOh/UcV0
梓「…まぁ、子供心には大きすぎますよね、仲のいい友達の死なんてものは」
澪「だからこそ唯と憂ちゃんには、ずっと仲良くいて欲しいと思うよ」
紬「でもそうなると、澪ちゃんの一番の障害は憂ちゃんよ?」
澪「ちょ、ムギ!?」
梓「障害? 何するつもりなんですか? 澪先輩は」
律「梓、お前も障害なんだぞ? 気づいてないかもしれないが」
澪「こら律! 余計な事言うな!」ゴツン
律「あいたー!?」
梓「え? え?? 何なんですかー!?」
……やはり、去年の合宿の時のお風呂場での一件を知っている人にはバレバレなようだ。なんか悔しい。
68:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 04:07:22.93:ZWOh/UcV0
――学園祭前日になっても、不幸なことに唯の風邪は治っていないようだ。
唯にメールしてみたところでは憂ちゃんが看病してくれているらしいが。病院に連れて行っておくべきだったかな…
だって唯の家の両親、あまり家に居ないし。
不安になった私は、一人で唯の家までお見舞いに行くことにした。
人の家に勝手に入るわけにもいかないので家の前からとりあえずメールしてみる。起きてればいいけど……
澪「……お、起きてるのか」
返信されてきたメールには家の鍵の隠し場所が書かれていた。そんな簡単に教えていいのか。
いや、信頼されてるという意味では嬉しいんだけど。そうじゃなくて、憂ちゃんが家にいるんじゃなかったのか…?
……とりあえず、隠されていた鍵を使ってお邪魔する。
澪「唯ー、大丈夫かー?」ガチャ
唯「ふへぇ……みおちゃん…」ズビズビ
澪「うわぁ、いきなりすごい鼻水だな! 本当に大丈夫なのか?」
唯「んー……本番は私抜きのほうがいいかも…」
澪「……あー、そうだ、梓から伝言だ。唯が出ないなら棄権する、ってさ」
唯「あずにゃん……それって…」
澪「もちろん私も同じ意見だ。もう一日しかないけど、治すよう努力しなさい!」
唯「はい……」ズルズル
69:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 04:12:35.83:ZWOh/UcV0
澪「……すごい汗だな…」
唯「あー……着替えた方がいいかなぁ」
澪「そうだな……憂ちゃんが看病してくれてるんじゃなかったのか?」
唯「…あまりにも長引くから、憂に移しちゃ悪いと思って……」
澪「逆だろ…あまりにも長引くなら、尚更ちゃんと看病してもらって治さないと」
唯「うん……でも見ての通り、憂には出て行ってもらっちゃったし…」
澪「………」
おかしい。
ようやく、遅すぎるくらいにようやく私の心に芽生えた不信感、あるいは違和感。
あれほどちゃんとした憂ちゃんが、唯の看病をしないなんて有り得るのか?
和も言っていた、唯の世話に自分の居場所を見つけた、と。
なのに、何故憂ちゃんはこの場にいない? 一体、今どこで何をしているんだ?
唯「――うぃっくしっ!」
……いや、今は考えるのはよそう。唯の風邪を治すことが先決だ。
一日でどこまで出来るかはわからないけど……
澪「……熱は? 薬は飲んだ?」
唯「うーん……熱冷ましをちょっと前に飲んだんだけど」
71:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 04:18:37.68:ZWOh/UcV0
澪「ということは汗もそれから来てるのかな。じゃあ……」
……やっぱ、あれだよな。汗を拭いて、着替えさせるべき…だよな。
唯「?」
澪「……脱げ」
唯「……みおちゃんって…」
澪「汗を拭いて着替えないと風邪が治らないから脱げ!///」
唯「は、はひっ!」
澪「……た、タオルでも持ってくる。どこだ?」
和「はい、タオル」
澪「あぁ、ありがt――」
……え?
澪「うわぁぁ!? いつから居たの!? 和!」
和「たった今よ。澪が脱げって迫ってる時」
澪「すっごい誤解を招く言い方!?」
72:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 04:24:19.15:ZWOh/UcV0
和「まぁ私は帰るから、あとは若いお二人でよろしくしなさいな」
澪「誤解招きすぎ!?」
唯「あー、のどかちゃん……あのさ…」
和「……唯、澪。ライブ楽しみにしてるからね。今はそれだけを考えなさい」
澪「あ……うん」
唯「……うん」
和「…それじゃ」ガチャ
結局、何をしに来たのかはわからなかったけれど。和も和なりに唯を心配してるんだというのはよくわかった。
生徒会で忙しいだろうに、こうやって暇を見つけてはお見舞いに来ていたのだろう。
……私の憂ちゃんに対する疑問の答えがどうであれ、和は和らしく唯を心配している、それは事実だ。
そしてそんな和は、私にちゃんと忠告してくれた。ならばそれに従おう。
澪「……じゃあ、脱がすぞ、唯///」
唯「う、うん……///」
パジャマの前ボタンを外しているだけで顔が赤く、熱くなっていくのがよくわかる。私も、唯も。
73:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 04:28:44.20:ZWOh/UcV0
澪(あ、寝る時はブラしないんだな、唯は――)
って、ついマジマジと観察してしまう。落ち着け、落ち着くんだ私。
……そうだ、和の忠告に従い、無心で、ただ無心で。
これは看病だ、いやらしいことなんて何も無いんだ。っていうか一緒にお風呂に入った仲じゃないか、何を今更……
唯「……し、下着は?」
澪「………」ゴクリ
唯「み、みおちゃん? 目が据わってるよ?」
澪「……悪いけどそのままでガマンしてくれ。私がヤバい」
唯「う、うん…? よくわからないけど、さすがに下着は恥ずかしいし、助かるよ…」
澪「じゃ、じゃあ拭くぞ…?」
唯「よ、よろしくお願いします…」
――眼前に広がる宝石のような肌に、そっとタオルを乗せ、力を込めた。
そしてそれ以降の鼻血以外の記憶は無い。
74:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 04:35:09.77:ZWOh/UcV0
――二度目の学園祭は、意外にも何事もなく終わった。
私の看病の成果か、唯は元気に登校してきた。
「ギターを忘れかけたけど憂のおかげで助かった」と聞いたときはヒヤヒヤしたが。
そして肝心の私達軽音部のライブも、大盛況で幕を閉じた。
――それはもう、この上なく不自然なほどに完璧な演奏だった。
だって、一週間以上風邪で休んでいた唯が、あんな完璧な演奏をするなんて誰がどう見ても不自然だろう?
律やムギは深く考えていないようだし、梓に至っては「見直しました!」とか言って以前より唯にベッタリになってしまったが、私だけはずっと疑問を持ち続けていた。
私でも一週間以上、それも本番の前日まで風邪をひいていたような状況なら間違いなく完璧な演奏なんて出来ない。
それこそキャンプファイアーを囲んで「酷い演奏だったなぁ」と言っているのが目に見える。そしてきっとそれが自然な姿。
でも別段そのことで誰かを責めたりはせず、今まで通りに仲良くやっていくんだ。私達の音楽は、そうやって続いていくんだ。
でも、今はとてもそんな未来は見えない。
唯が、唯の存在が、何よりも不自然すぎた。病み上がりでぶっつけ本番のライブを成功させるなんて、人間の域を超えた天才の成す業としか思えない。
いや、本当はもう一つ、説がある。
あまりに突飛な説だけど。それでも考えられるのは。
75:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 04:39:56.68:ZWOh/UcV0
――ライブを成功させた彼女は唯ではない、という説だ。
澪「――どうかな、そんな仮説は」
後夜祭の最中、こっそり呼び出した彼女――唯に、推理をぶつけ、問いかけ、そして名を呼ぶ。
澪「……ねぇ、憂ちゃん」
?「………」
澪「憂ちゃんの今日までの行動には不可解な点が多々あるけど、とりあえずライブの事だけに絞って考えるなら有り得ない話じゃないと思うんだ」
髪を下ろせば誰一人として見抜けないほど唯にそっくりになるであろう憂ちゃん。
彼女がライブに出ていたというなら納得はいく。
澪「本当の唯はまだ風邪をひいていて……見かねた憂ちゃんが演奏しにきたと言うなら、一応筋は通る。それこそ唯が倒れてからの一週間、ギターを特訓でもすれば」
いや、きっとそれ以前から唯のギターを耳にしているだろう。一緒の家に住んでいるんだし。
もしかしたら一緒に練習もしているかもしれない。そんな彼女なら不可能じゃないと私は思う。
むしろ彼女にしか出来ないことなのだ。
76:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 04:45:24.62:ZWOh/UcV0
でも、彼女の答えは私の予想していたものとは違っていて。
憂「……確かに、私は憂です。けど、澪さんの推理が当たっているのはそこだけですよ」
澪「……そっか。やっぱり似合わないことなんてするものじゃないな」
憂「……私は、澪さんになら真実を話してもいいと思っています。どうかな、お姉ちゃん?」
澪「えっ、唯!?」
唯が今、どこかにいるのか?
確かに憂ちゃんは私の推理をハズレだと言った。ということは唯の風邪も治っているということ。この場にいても不思議ではないが…
憂「お姉ちゃんに代わります、澪さん」
澪「え? 代わる??」
憂「はい」
……そう言って憂ちゃんは目を閉じる。そして、次に彼女が目を開いた時――
――そこにいたのは、間違いなく唯だった。
眼前の『唯』を憂ちゃんだと暴いた私をもってしても、そこにいるのは他ならぬ唯にしか見えなかった。
見えない、というのは語弊があるようなないような。見た目は何一つ変わってはいない。でも、雰囲気が『目に見えて』変わっているんだ。
憂ちゃんのから、唯のそれへと。
77:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 04:47:30.07:ZWOh/UcV0
唯「――えっと、どこから説明すればいいのかな」
澪「……わからないことだらけだよ」
本当にわからないことだらけで、聞きたいことを挙げろと言われたらいくらでも挙げれる気さえする。
けれど何よりもわからないのは、『私は唯の真実を本当に知りたいのか』という事だった。
そう、他ならぬ自分の感情がわからなくなっていた。
きっと、唯のことなら何でも知りたい。それが私の本心のはず。
なのに、理解の届かない真実を目の当たりにして、私は迷っていた。
いや、迷うどころか尻込みしている。
今から告げられる真実は聞くべきではないと、知ってはいけないと、私の中の何かが警鐘を鳴らしている。あまりにも『日常』と剥離しすぎている。たとえどんなカタチの真実であろうと。
でも、それでも。
唯の友人として、そしてその『理解できない真実』を目の当たりにした者として、聞き届けなければいけないのだろう。
唯「えっと……その、私は……ううん、私達は、同じ身体で生きてるっていうのはわかっちゃったよね?」
まぁ、見ての通り受け取るならそうなる。にわかには信じがたいけど。
澪「……二重人格?」
唯「うーん、近いかな。私の魂だけが憂の中に入っちゃったというか」
澪「……魂だけ…って?」
唯「……身体は、憂のものなんだ。居候みたいな感じで…」
80:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 05:01:00.10:ZWOh/UcV0
澪「そうじゃなくて! 唯の…唯の身体は!?」
唯「えっと……」
激しくなる。
警鐘が。
そうか、知ってはいけない真実が、目の前にあるのか――
唯「……もう、ないんだよね」
……全てが、繋がる。
矛盾は解け、違和感は消え、真実は白日の下へ。
唯「……明日、会えないかな? 二人だけで」
澪「………うん」
82:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 05:06:20.59:ZWOh/UcV0
――学祭の翌日は、大体の学校で休日である。週末に開催されたとしても振り替え休日になる。
我が桜が丘高校も例に漏れず休日であり、そんな日に唯と会えるのは嬉しいことに違いないはずなのだが。
それでも、私は気乗りしなかった。
唯のことが嫌いになったわけではない。嫌いになる要素なんて何もない。隠し事をしていた? それが何だ。言ったところで誰も信じないだろう、あんな話。
だからあれは転じて、打ち明けてもらえたことを、信頼されていることを喜ぶべき事象なんだ、むしろ。
それでも気乗りしない理由は、そんな後に『唯のほうから誘われた』ということに他ならない。
今までと変わらぬ二人でいよう、というなら誘う必要なんてない。あったとしても、それをするべきは隠し事をされていた側の私だ。
つまりは、二人の関係は変わってしまった、ということ。それを自覚した上で、唯は私に会いたいと言ってきたという事。
……良いことが起こる予感なんて、何一つなかった。
唯「――おはよ、澪ちゃん」
澪「おはようって、もう昼過ぎだぞ」
唯「いいのいいの。第一声はおはようがいいと思わない?」
澪「……まぁ、わからないでもないけど。っていうか何か顔色悪くないか?」
唯「あー、うん、夜更かししてた…っていうか、夜更かししてもらったの、憂に」
澪「……どういうこと?」
唯「…今日は、憂には聞かれたくなかったから、寝ててもらう、ってこと」
83:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 05:11:48.66:ZWOh/UcV0
……そう端的に言われてもちょっと困るんだけどなぁ。
澪「夜更かししたせいで、唯の中で憂ちゃんは寝てるってこと?」
唯「そ。勿論ぐっすり寝た私は元気だよ。二人っきりで目一杯遊びたかったからね!」
まぁ要するに憂ちゃんが夜更かししてたから私からは体調が悪く見えて、でも唯は寝てたから普通に元気で?
病は気から、とは言うが、体調がすぐれないのは唯の気力だけでカバーできるものなのだろうか。
でも、それで案外何とかなるとすれば…
澪「もしかして学園祭の時はそれの逆な感じで?」
唯「うん。私が風邪の辛さを全部引き受けたから憂はうまく演奏できたんだと思うよ、多分」
澪「…それでよかったのか? 唯だって…演奏したかっただろ?」
唯「そりゃ…したかったけど。でも風邪ひいたのも自業自得だし。しかも憂の身体なんだよ?」
あぁ、後ろめたい気持ちは一応あったんだな。
いや、常に持っていたのだろう。唯から直接聞いたことはないとはいえ、和のあの庇いようと、そして何より私の知る唯ならそうだろう、という確信があったから。
……しかし、一つの身体に二人の魂というのも、いろいろ大変そうだ。
澪「…まあ、唯が決めたことならいいか。それで、どこか行きたい所とかあるの?」
唯「ん~、ハッキリと行きたい『場所』は一ヶ所だけかなぁ。あとは澪ちゃんと一緒ならどこでもいいや」
84:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 05:15:52.06:ZWOh/UcV0
澪「じゃあ、そこから行こうか」
唯「えっ?」
澪「唯の行きたい所。その後の事は行ってから考えよう?」
唯「……う、うん…」
虚を突かれたように頷く。唯にとっては予想外だったのだろうか。もしかしたら今日という一日の〆として行きたい場所だったのかもしれない。
でも、私としては先に行きたかった。その『場所』に心当たりがあった。
そして、それが当たっていたならいろいろと答え合わせをしたかった。唯と。
そうしないといけない気がした。不安だった。
……つまるところ、私は得体の知れない焦燥感に突き動かされていた。
――そして、私の心当たりは的中する。
的中したところで、喜びも驚きもなかったけれど。
確信があったと言えばそうだし、それ以上に、私と唯ならこうなることが目に見えていたし、そうでないと全てが壊れてしまうから。
息を吸った先に空気がなかったら、誰だって困る。それと全く同じ。私の中では呼吸と寸分違わぬ、起こるべくして起こった現象にすぎなかった。
澪「――あの時、『ここ』で助けてくれたのは…唯のほう、でいいんだよな?」
唯「…うん。澪ちゃんを見つけるまでは『憂』だったんだけどね」
86:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 05:22:19.37:ZWOh/UcV0
澪「……ありがとう。あの時助けてくれたこと、一瞬たりとも忘れたことはなかったよ」
唯「どういたしまして…でいいのかな。助けたのは私のわがままに過ぎないのに」
澪「それでも、私は今、生きててよかったって心から思う。だからありがとうなんだ」
やっと、やっと言えた私の本心。偽りのない言葉。ずっと昔から背負ってきた想い。
言葉にして唯にぶつけたことで、ようやく私は唯と向き合えた気がした。
ようやく『今』の唯を見れる気がするし、唯も『今』の私を見てくれる気がする。
唯「…そっか。なら無理言って替わってもらった甲斐もあるってものだねぇ」
澪「無理言って?」
唯「……憂はきっと、私が無茶をするってわかってたんじゃないかなぁ。相手が澪ちゃんだったから尚更、ね」
……それはどういう意味だろう?
も、もしかして、唯も私みたいに、どこか特別な目で見てくれてるとか…?
唯「だって澪ちゃん、昔っから目が離せない女の子だったからね~。しっかりしてるようで危なっかしいんだもん」
澪「あ、あぁ、そうですか…ごめんなさい」
唯「へ? い、いや、責めてるわけじゃなくてね?」
澪「あ、いや、私もその、唯の言い方に謝ったわけじゃなくて……その、思い上がっていた自分にというか」
唯「???」
やめてくれ、もうこの話はやめてくれ。どうにかして話を逸らさないと。
87:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 05:27:20.76:ZWOh/UcV0
澪「っていうか、唯はやっぱり高校で会った時から私の事を覚えてたんじゃないか!!」
唯「う、うん。そりゃ澪ちゃんみたいな綺麗で可愛い子を忘れるわけないよ」
澪「じゃあなんで私を無視したんだ!? ショックだったんだぞ!?」
唯「あ、ご、ゴメンね。私の事なんて覚えてないと思ったし、覚えてて欲しくもなかったから」
澪「えっ……」
……前者だけなら否定できた、その言葉。
覚えてて欲しくない。その真意は何なんだろう?
唯「…ホントはね、あの時の音楽大好きな女の子が、今ちゃんと楽しくやれてるのかなぁって一目見て帰るつもりだったんだ」
澪「だから…辞めるって言ってたのか」
唯「うん」
澪「じゃあ、なんで心変わりしたんだ?」
唯「だって、私が辞めるって言った瞬間の澪ちゃん、世界の終わりみたいな顔してたよ?」
……そんな顔をしていたのか、恥ずかしい。っていうかよく見てるな…
澪「あー、じゃあ、その、やっぱり…?」
唯「まだちょっとほっとけないかなぁ、って…」
私は唯に対してそんな感情を抱いていたけれど、同じように唯も私に抱いていたということか。
88:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 05:32:10.82:ZWOh/UcV0
まぁ何だかんだで先に手を差し伸べたのはあの時の唯のほう。私が唯を世話しているように見えても、唯もずっと私を見守っていてくれたんだ。
唯「本当なら、私の事なんか忘れて青春してほしかったんだ。ほら、私はこんな身体…というか存在、だし…」
澪「……そんな言い方するな。唯は…生きてるじゃないか」
唯「生きてるのは…憂だよ。私は憂の時間も自由も権利も奪って、憂に寄生してるだけの存在」
澪「やめてくれ……そんな言い方。それに、それは私のためなんだろ?」
私をほっとけなかったから、唯はこうして表に出て来ている。だから少なくとも、唯が自らを責める必要はないはずなんだ。
それに何より、大好きな唯のことを悪く言われるのが耐えられなかった。たとえその唯自身が言うことだとしても。
いや、むしろ自虐だからこそ聞きたくなかったのかもしれない。唯にはいつでも笑っていて欲しかった。
……ああ、これってやっぱり、私は唯の事が――
唯「――でも、もう大丈夫だよね?」
澪「……え?」
唯「もう、私がいなくても澪ちゃんは大丈夫だよね?」
澪「ゆい…? 何を……」
唯「そろそろ、全部憂に返してあげようと思うんだ。憂が寝てるうちに全部終わらせて――」
澪「無理っ! 唯がいないと、私は…!」
89:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 05:38:00.14:ZWOh/UcV0
唯「…みんなの前で歌えるくらいになったじゃん、澪ちゃん。以前とは比べ物にならないくらいの量の尊敬の目で見られて、それでも澪ちゃんはちゃんと澪ちゃんだよ。だから大丈夫」
違う……それは違うよ、唯。
唯が、唯が隣にいてくれるから頑張れるんだよ? 前も言ったじゃないか……
……言ったっけ? あれ、言ってない?
もしかして私は、一番大切な想いを、口にしていない?
好きだって…伝えていない?
だから唯は…私から離れていっちゃうの? 私は、唯がいないと何も出来ないのに……!
澪「唯っ!!」
唯「……みお、ちゃん?」
後ろから抱きつき、大きく深呼吸。
……大丈夫、ちゃんと言える。恥ずかしくなんてない。唯を失わないためなら、何でも出来る…!
澪「好きだ……好きなんだ、唯のことが! だから……どこにも行かないで! ずっと一緒にいて!!」
唯が息を飲む気配がする。後ろから抱き着いて、なおかつ目を閉じて思いの丈をぶつけた私には、その表情は窺い知れなかったけれど。
それでも唯は茶化すこともなく、真剣に私の言葉を受け止めてくれた。それだけはわかった。
そして。
その先に、唯の口から発せられた言葉は。
唯「……澪ちゃん、ごめん」
そんな、拒絶の言葉だった。
91:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 05:43:49.25:ZWOh/UcV0
唯「……澪ちゃんが私の事を好きになっちゃってるなら、尚更私は消えないといけないよ。私はもう、本当ならこの世にいないんだから」
「むしろ、もっと早くこうするべきだった。わがままばっかり言ってるから、澪ちゃんの中で私の存在が大きくなっちゃった」
「本当に……ごめん」
……反論したかった。私の中で、唯という存在はずっと大きかったんだ、と。きっと一緒に遊んでいたあの頃からずっと好きだったんだ、と。
でも、きっとそんなことを伝えたところで何も変わらない。唯の決意は揺るがない。
好きだと、心の奥底にある想いをそのままぶつけたにもかかわらず揺るがなかった唯の決意を、そんなお情け話で崩せるとは思えない。
だったら。だったらどうすればいいのか。
唯が消えてしまう。
どうするのかなんてわからないけど、唯が言うんだから事実だろう。
唯が消えてしまう。
私の前から。やっと会えたのに。やっとお礼も言えたのに。やっと好きだって言えたのに…!
唯が消えてしまう。
そんなの……そんなこと……私は…!
葛藤の末、私が出した結論は。
澪「……わかった、諦める」
唯「……本当に、ごめんね」
澪「いいよ。でも……まだ時間はあるだろ? せめて…今日一日で、消えない思い出が欲しい。色褪せない永遠の写真が欲しい」
唯「うん……なんでも、どこでもいいよ。澪ちゃんに付き合うよ」
……私が出した結論は、唯を『縛り付ける』ことだった。
92:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 05:48:44.16:ZWOh/UcV0
唯「――今更私の家なんて来ても、何もないのに…」
澪「いいんだ。唯の家、唯の部屋ってだけで意味があるんだから」
唯「そういうものなのかな……」
澪「………」
……私は今、10何年と生きてきた中で最も汚く、狡賢い思考をしている。
唯を縛り付ける。そうは言ったものの、唯の決意は固く、成功するかはわからない。
でもこのやり方なら、成功しても失敗しても、私は得をする。
だって、だって私は……唯が好きなんだから。世界中の誰よりも、唯を愛しているから。だからこれくらいの事は、きっと許されていいはず。
澪「唯」
唯「うん?」
澪「キスしていい?」
唯「ほえっ!?」
いつぞやのように床に腰を下ろしている私達。唯の隣まで行くのは容易だった。
澪「いい?」
唯「だ、だめ…」
澪「どうして?」
唯「だって…憂の身体だし…」
93:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 06:00:21.77:ZWOh/UcV0
澪「バレないよ、キスくらい」
唯「で、でも……」
澪「…嫌なら嫌って、ちゃんと言ってくれ。ダメじゃなくて、イヤ、って」
唯「イヤってほどじゃ……」
澪「じゃあ、いいよね?」
唯「う、うぅ……」
……我ながら卑怯な質問だが、心は痛まない。
いや、痛む余地すらないほどに心が冷え切っていた、というのが適切か。
唯を騙し、無理矢理迫る。そんなこと、正常な心で出来る筈がない。痛むことのない、凍てついた心でないと。
そしてそんな凍てついた心は、愛する人の温もりを求め、暴れ回る。
澪「目、閉じて」
唯「……うん」
観念したように目を閉じる唯。私としては『諦めた』より『誘惑に屈した』のほうが嬉しいんだけど。
しかしそんな考えが頭をよぎったのも一瞬。唯の唇を見た瞬間、吸い寄せられるように私は自らの唇を押し付けていた。
澪「んっ……」
温かい。言葉にするとただそれだけのものが、信じられないほどの幸福感を伴いながら、唯の唇から私の全身へと流れていく。
95:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 06:05:44.65:ZWOh/UcV0
私のファーストキスは、ずっと想い続けて来た、愛する人とのキスだった。それだけで充分すぎるほど満たされるものだけど、それでも私は聞かずにはいられなかった。
私はどうやら、自分が思っているよりずっと貪欲な女らしい。
澪「んっ……ふぅ、唯…」
唯「はぁっ……な、なに?」
澪「唯は…キス、何回目?」
唯「えっ!? そ、その……」
澪「私は、初めてだったよ」
唯「……わ、私も。こんなにあったかいものだったなんて、知らなかった…」
『初めて』の共有。同じ感覚、想い、感想の共有。それらによって溢れ出した多幸感が、私の脳を麻痺させていく。
……あぁ、どうやら私は、自分が思っているよりずっとずっと貪欲らしい。
……もっと、もっと欲しい。唯が、幸せが、私と唯だけの時間が欲しい。
頬を赤く染める唯に再度キスをしながら、床に押し倒す。キスの延長上に見せかけ、後頭部だけは手で守ってあげながら。
唯「みお…ちゃん?」
澪「……何をしたいか、わかる?」
唯「わ、わかるような、わからないような……」
どっちだ、と問い詰める代わりにもう一度キスをする。言葉なんていらないと思ったのも事実だし、私が唯とのキスに酔っていたのもまた事実。
唇を離す際に、何気なく示唆する意味を含め、唯の上唇を舌で舐めてあげた。
96:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 06:10:50.49:ZWOh/UcV0
唯「ひゃんっ…! や、やっぱり、そういうこと…?」
澪「うん。そういうこと、したい。初めてだから上手く出来るかは自信ないけど…」
唯「わ、私、そういうのぜんぜん知らないから…どうすればいいのか…」
澪「何もしなくていいよ。私が唯にしてあげたいんだ」
そう、それが私の作戦。唯を縛り付けるための、汚いやり方。
ちゃんとできる保証もないし、唯が満足してくれるかはわからない。でも、上手く気持ちよくさせることが出来れば、唯が満たされてくれれば、私と一緒にいてくれるかもしれない。
上手くいかなくても、唯と寝たこの時間は、永遠の一瞬は、私の宝物になるだろう。もっとも、それだけで私が満たされるかは怪しいけれど…
澪「……服、脱がしていい?」
今日は私と出かけるということで唯はそれなりにおしゃれしてきていたのだが、自分の部屋に戻ってきたことで今はTシャツとローライズ気味のジーンズという唯らしい格好になっている。
唯は何を着ても可愛いのだが、さすがにそういう行為をする以上、Tシャツはともかくとしてジーンズは脱いでくれないと困る。
そして、どうせならそのまま上下の下着も取り去りたい。私が慣れていないのもあるし、何より今の私は唯の一糸纏わぬ姿を見たくてたまらない。
唯「…じ、自分で脱ぐから…」
澪「いいよ、脱がしてあげる」
唯「だ、大丈夫だから! その代わり…みおちゃんも、脱いで? 私だけ裸なのは…はずかしいし」
澪「…ん、わかった」
97:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 06:15:23.01:ZWOh/UcV0
いつもと逆だな、と思いつつ、てきぱきと服を脱ぐ。
本当に自分でもびっくりするくらい恥ずかしくない。相手が唯だから、というのが一番大きいのだろう。唯なら見られても恥ずかしくないし、むしろ私の全てを見て、知って欲しい。
それに、私が脱げばそれは唯を急かすことにもなるわけで。
唯「ん、しょっ…」
澪「っ……」
……そして今気づいたのだが、脱ぐ姿を眺めるのはかなり興奮する。特に身体のラインが現れてからの動きに。安直に言ってしまえば下着を脱ぐ行為にすごく興奮させられる。
唯が自分のブラの後ろのホックを外す。徐々に唯の胸が露わになる、その瞬間。
外周、膨らみ、そして中央の突起へと、さらけ出される順序そのままに、私の視線も移ろう。大きくもなく小さくもない唯の美乳は、衣類から解き放たれた瞬間に私を虜にしてしまった。
その視線を察知したのか、唯は片手で胸を隠してしまったが。
唯「あ、あんまり見ないで…」
澪「…パンツ、片手で脱げるか? やっぱり脱がしてあげようか?」
唯「ううっ……みおちゃんのいじわる…」
澪「どうせ隅々まで見ちゃうから隠してもしょうがないのに。言っただろ? 一生の思い出にするって」
唯「ううぅぅぅぅ~……」
真っ赤になってモジモジする唯を見ていると、再び押し倒したくなってくるから困る。
コスプレとかには抵抗ない唯が、裸を見られることで羞恥心を感じている様は、こう、安直に言えばすごくソソる。
そもそも裸だってお互い合宿で見てるはずなのにな。とはいえ、それは私にも言えるか。
合宿の時は何とも思わなかった唯の裸。今はそれを見るだけで動悸は上がり、息は荒くなり、触れたい衝動を抑えるだけで必死なのだから。
98:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 06:20:34.15:ZWOh/UcV0
唯「っ……!」
……私が脳内で葛藤している間に、唯は覚悟を決めたらしい。
勢いよくパンツを脱ぎ、ベッドに投げ捨てる。その動きからは恥じらいは感じられず、ついでにいやらしさも感じられなかったが、それでも私の眼前にあるのは唯の裸。
唯「ど、どうだっ!」
澪「うん、可愛いよ」
恥ずかしい台詞も自然と口から滑り出る。私らしくないな、と思い留まるような理性は既に私の中にはなくて。
頭の中にあるのは、唯に触れたい、唯を感じたい、唯が欲しい、そんな自分勝手な想い。
自制のじの字も、もう私の中には残っていない。全裸で仁王立ちして胸を張る唯に再度キスをし、そのままベッドに押し倒した。
唯「んむっ…ちゅ……ひあっ!?」
鼻で呼吸しながら、決して離さないと言わんばかりに唯の唇を貪りながら、まずは唯の肩を撫ぜる。そこから背中、時にはお腹、腰のあたりまで滑らせるように一周してみる。
私の手が動く度にピクリと反応し、鼻の呼吸が少し荒くなる唯が愛しくてたまらない。
でも、そろそろ離してあげようか。唇同士のキスもいいけれど、もっと他のところにもキスしてあげたい。
唯「っ……ふぁ、みおちゃん…んうっ!?」
唇で首筋をなぞり、鎖骨のあたりでキスをする。
反応がいちいち可愛くて、もっと見たいと焦る私は、キスしたまま利き腕の左手を唯の乳房に伸ばす。
包み込むように、揉みこむように周囲から押さえ、軽く握る。
唯「ひうっ!?」
澪「ああっ…可愛い、可愛いよ、ゆい…もっとしてあげる」
99:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 06:25:32.60:ZWOh/UcV0
……唯に「大きい手」といわれたこの手、当時はショックを受けたものの、こういう時には便利だと思う。
より大きく愛撫してあげられるし、より広い範囲で唯の体温を感じられる。唯の反応を見る限り、私のその考えは間違いではないようで。
それが嬉しくて、今度は右手で逆の乳房を揉みながら、先程まで愛撫していた方の胸に唇を這わせる。
唇を通して伝わる、唯の胸の熱。唇で、ときには舌で味わいながら、それでも決してふくらみの中心には触れないように。
唯「み、みおちゃん、なんか、なんか…あつい…はぁっ」
澪「…唯、もしかして自分でもしたことないの?」
唯「な、ないよぉ……はぁっ、みおちゃん、やめないで…!」
澪「あ、ご、ごめん…」
初めての快感に身悶える唯は、とても扇情的で、魅惑的で。
そしてその始めての快感を与えているのが私だと思うと、どうしようもなく昂ぶってしまい、止まらなくなる。
征服欲。処女地を踏み荒らす快感。聞こえは悪いが、唯の身体に初めての快感を刻めるのは、全世界中で今この時、私だけなのだ。
……欲望に突き動かされる私の頭の片隅で、辛うじて何かが違和感を告げる。
私はそれから目を、耳を背けるように、唯への愛撫に没頭していった。
手と唇で続ける、唯の胸への愛撫。手でしていたほうの胸にも水気が現れ始め、唯が充分すぎるほど胸で感じてくれていることを教えてくれる。
興奮の証の汗で右手がすべり、中心の突起へと触れる。瞬間、唯の身体が大袈裟なほどに跳ね上がり、唯の身体も私の乳首と擦れ合う。
その瞬間、私は自分の秘部が熱を持ったことを実感した。思わず空いている左手で触れてみると、外からでもかつてない快感が身体を突き抜けていく。
澪「んっ…くぁ、あっ…」
101:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 06:30:34.84:ZWOh/UcV0
唯「…みおちゃん?」
澪「あ、ご、ごめん……私も…感じてきちゃったみたい…」
……唯にしてあげると言ったのに、私が感じていちゃダメじゃないか。
再び唯の胸に手と唇を這わせ、愛撫を再開する。今度は乳首にも触れながら。
でも、どうしても空いている左手が自分のトコロへ向かってしまう。どうやら私の脳はついに性欲一色で染まってしまったらしい。
唯は最初こそそんな私を気にかけていたようだが、乳首からもたらされる強烈な快感の波に抗うことは出来なかったようだ。今やただひたすらに嬌声を上げ、身を震わせ、悦んでいる。
……どうしよう、そろそろ唯の下の方に手を伸ばしたいんだけど。
澪「……唯、胸、片方で我慢できる?」
唯「はぁっ、はぁ……や、やだぁ、もっと、もっとしてよぉ、みおちゃん…!」
澪「大丈夫…ここが本番なんだから……ちょっとだけ我慢して」
胸には唇を、自分には右手を振り分け、唯の中心のトコロに左手を這わせる。
見えないけれど、ほとんどぴったりと閉じているのだろう。自分でしたこともないと言っていた、誰も触れたことのないであろうそのラインに、中指を沿わせ、軽く擦る。
唯「あっ…あっ、あああっ…!!」
今までとは少し違う唯の反応。でも感じていないわけではないことは指のぬめりを見ても明らかだ。
未知なる快感に困惑しているのだろう。胸とは違い、こちらは意図的にしないと感じる機会なんてそうそうないから。
……少しずつ、少しずつ指に力を込めていき、擦りながら花びらを開いていく。慎重に、優しく、大切に扱わないと。
103:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 06:35:20.17:ZWOh/UcV0
唯「みおちゃん……みおちゃんっ!」
澪「ゆい…大丈夫? 痛くない?」
唯「気持ちいい…気持ちいいよぉっ!!」
唯が私の頭に腕を回し、抱きしめてくる。瞬間、私の五感全てに唯が満ちてゆく。すごく…すごく、いい気分。
そして……やっぱり、もっともっと唯が欲しいと思ってしまう。
唯の熱も、香りも、私にこの世のモノとは思えないような多幸感をもたらすが故に、唯の全てを、奪いたいと思ってしまう。
奪う、という事に思い至った私は、いつの間にか唯の線を擦る中指に、力を込めていて。
奪ってしまえばいい。
一生消えない傷を刻んでやればいい。
そうすれば、私は唯の、唯一無二の、最初の人になれる。
唯の処女を、私が――
澪「んぁあっ!? ゆ、ゆい…?」
唯「わ、私も…してあげる。こうやって…擦ればいいの?」
唯の拙い愛撫が、私の思考を全て吹き飛ばしてしまった。
おずおずと、怯えているように私の秘所を撫でる唯の指は、何故だか自分でした時以上の快感を私にもたらして。
いや、何故だかなんて問うのも野暮だ。唯だから、他ならぬ唯だから、私はこんなに…感じちゃってるんだ。
澪「ひぁぅっ!! あぅっ、ゆい、ゆいっ!!」
104:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 06:40:22.10:ZWOh/UcV0
唯「わぁっ、すっごい……何かが溢れてて…みおちゃんのあそこ、とろとろだぁ…」
澪「ひあっ! ゆ、ゆいのあそこだって…!」
何となく悔しくて、唯の表面を擦るスピードを上げる。すると、それに呼応するかのように唯が私のを擦るスピードも上がって。
でもきっと本当は、何も知らない唯が私のマネをしているだけで。でも、それでも私は、二人の感覚がシンクロしていると思い込みたくて。
二人重なり合ったまま、お互いの秘所にひたすら指を這わせる。空いた方の手はいつしか互いの背中に回され、より密着させられて。密着した乳首同士が擦れ、つつき合い、快感を増幅させていく。
次第に、愛液の音ばかりが部屋に大きく響いてくる。それが嬉しくて仕方なくて、より指の速度を上げて。過剰すぎるほどに分泌された潤滑油は、それ自体の温度さえもが快感を増幅させてくれて。
唯と私の体温は、きっと今は寸分の狂いも無く同じだ。同じだけの快感を受け、与え、やがては全く同じ存在となって混ざり合う。それはなんと素敵なことだろう。
そして、その瞬間はもう目の前。私自身が、私の中から、そう感じている。
唯「あっ、ああっ、みおちゃん、何か、なにかくるっ!?」
澪「うあぁっ! 私も、私もイキそう!! ゆ、ゆいっ! キスしてぇっ!!」
唯「みおちゃ……んっ!!」
首だけで頭を起こすように、唯が勢いよくぶつけてきたその口唇は、燃えるほどに熱く。
その口唇に焼かれた、凍てついていたはずの私の心は。
「んちゅ、んくっ――んあぁぁぁああああーっ!!!」
――唯と共に達したその瞬間に、一筋の涙を流した。
106:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 06:46:09.56:ZWOh/UcV0
――
―――
――気が付いた時、私は知らない場所に立っていた。
周囲は見渡す限りの草原。頭上には眩しいほどの月。既に夜の帳は下りた後のようだが、その月のおかげで視界は何とか保たれていて。
そして、遠くに見える背中が一つ。
澪「……唯…?」
一歩、歩を進めてみる。その際に踏みつけた足元の草から、蛍光塗料のような光を放つ、翡翠色の球体が舞い昇る。
蛍のようだが、垂直に、真っ直ぐ天に昇っていくその光は、どう見ても命あるモノではなくて。
でも、別段不気味ではなく、恐怖心も無く。むしろ美しくて。
だから私はただ真っ直ぐに、唯らしきその背中に向かって歩を進める。
澪「唯っ!!」
近づけば近づくほど、その背は唯のものであると確信するのに。
唯は、私の声に振り向いてはくれなくて。
それが……どうしようもなく淋しくて。泣きたくなって。
何も起こっていないのに泣くなんておかしいから、涙を堪えて走るけれど。
唯まであと数メートルというところで、足が草に絡まって転んでしまった。
澪「ゆいっ!!!」
109:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 07:00:02.90:ZWOh/UcV0
ダメだ、と思った。涙が溢れて止まらなかった。
何がダメなのか、何故泣くのか、私自身にもわからないのに。
それなのに、その直感は正しいと、意味のわからない確信があって。
だから、私はただ、叫んでいた。
そして、ようやく声が届いたのか、唯は振り向いてくれた。
唯「……澪ちゃん」
振り向いた瞬間、唯の足元から無数の翡翠色の光球が一斉に飛び散って。
その光は、一瞬だけ滞空した後、重力に逆らい、ゆっくりと天へと向かう。
つられて天を仰ぐも、そこには月しかなくて。
どうしようもなくみっともない気持ちが溢れてきて、私はまた涙を流す。
足に絡まった草は、解ける気配が微塵もなくて。動くことさえままならない私に、唯はゆっくりと近づいてくる。
澪「ゆい……」
唯「澪ちゃん…」
膝を付き、私の頬に両手を添え、唯が顔を近づけてくる。
キスしてくれるのかな、と思って目を瞑ったけれど、訪れたのは頬を舐められる感触。
唯「……しょっぱい」
困ったように笑う、その笑顔を見て。また涙が溢れ出して。
でも、唯はもう舐めてはくれない。その笑顔が物語っていた。
110:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 07:04:59.87:ZWOh/UcV0
澪「ゆい……やだ、いかないで……」
唯「…ごめんね、みおちゃん。今までありがと。毎日が楽しかった」
聞きたくない。
今の唯が言う言葉なんて、何も聞きたくない。
耳を塞ぎたい。
でも、これが唯との最後の会話だって、どこかで思ってしまっていて。
結局、何をしても、私では唯を引き留めることは出来なくて。
ここでお別れなんだとしたら、最後の会話で、耳を塞いでしまうなんて出来るわけなくて。
唯「ずっと、ずっと澪ちゃんのことばかり見てた。小さい頃はただ一緒にいて楽しいからだったけど、大きくなった澪ちゃんは、かっこよくてしっかりしてるように見えてもやっぱりどこか危なっかしくて…」
余計なお世話だ、なんて憎まれ口も叩けない。叩ける気がしない。
冗談だと受け止めてくれるとわかっていても、そんな汚い言葉、口にしたくない。
唯「でも、もう今はそんな風には見えないよ。しっかりしてるし、しっかりできる。全部がかっこいい女の子だよ」
ちゃんと気持ちよくしてくれたし、とか何とか小声で言ってくれるけれど。
でも、それでも。
澪「違う…違うよ、唯。誤解だ……私は、私がちゃんとできるのは、唯がいてくれたからだよ…!」
唯「いつでも一緒だよ、澪ちゃん。だいじょうぶ」
澪「大丈夫じゃないっ!! 隣に居てよ…手の届くところにいてよぉっ!!」
111:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 07:10:56.03:ZWOh/UcV0
唯「……それは、もうずっと昔の時点で…叶わないよ」
どうして、どうしてなんだろう。どうして叶わないんだろう。
大切な人が出来た。隣に居て欲しい。当然の事じゃないか。
ただそれだけなのに、それの何がおかしいんだろうか。
何が悪いんだろうか。何が間違っているんだろうか。何が何に反しているのだろうか。
――至当を謳う私は、そんなに罪深い存在なのだろうか。
唯「……ごめんね。本来いないはずの私のワガママのせいで、澪ちゃんに…こんな形でのお別れをさせちゃって」
澪「どうしても……?」
唯「…うん。いるはずのない私がいるのは、やっぱりいろんな人に迷惑だよ。憂もだけど、澪ちゃんだって私と会わなければこんな風に泣くこともなかった…」
……それは、そうかもしれないけど。
でも、そういう言い方だけはされたくなかった。
澪「……唯を…好きになったことは、後悔してない。今の私があるのは全部、唯のおかげなんだから…」
だから。
澪「だから、唯に会ったことも、また逢えた事も、絶対迷惑なんかじゃない…!」
唯「……ありがと、みおちゃん」
……意外にも、唯は一切、涙を流していない。
私の事なんてどうでもいい…というわけではないのはわかってる。唯の中で、この『別れ』は必然だった、というだけ。
だから、私の言葉ごときで引き留める事は叶わず。私の言葉にできるのは、唯の心残りを減らしてあげる、それくらい。
112:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 07:15:01.63:ZWOh/UcV0
そう、私が何を言おうと――仮に私以外の人でも、何を言っても唯を引き留めることは不可能。
ようやくその事実に気づいた私は、唯が背を向けると同時に、草原に顔を伏せた。
澪「……さよなら、唯……」
それは精一杯の強がり。
私は別れなんて認めてもいないし納得もしていないけれど、それでもそれはこの期に及んで唯の心残りを増やしていい理由にはならない。
だから、願わくば、私の言葉に返事なんてしないで、そのまま去ってほしかった。
いつの間にいなくなったのか、私に理解させないでほしかった。
でも。
唯「……さよなら、澪ちゃん」
でも。
唯「……ずっと、大好きだったよ」
――何よりも残酷な言葉を残して。
唯「幸せに…なってね」
――きっと笑顔で、唯は消えたんだ。
113:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 07:20:55.26:ZWOh/UcV0
――
―――
――ここではない何処かから目覚めた私を待っていたのは、見慣れた背中。
……だけど、見慣れない視線。
澪「………」
……当然か。いろいろな意味で、これは当然の結果と言える。
憂「……服、着たほうがいいと思いますよ」
澪「……そうだな。ありがとう」
憂「今からご飯作りますけど、食べます?」
見え見えの社交辞令。善意のカケラもない、むしろ相手に「頷くな」と言わんばかりの敵意が込められた言葉。
しかし、私にもそれは理解できる。自分の身体を穢した相手に、善意を振舞える人間のほうがどうかしてる。
……いや、もしかしたら問題はもっと深いところにあるのかもしれないけれど。それでも答えは変わらない。
澪「……いや、大丈夫。帰るよ」
憂「そうですか。ご自由に」
私より一足早く起きて着替えていたと思われる憂ちゃんは、髪を縛り、部屋を出た。
出がけに「汚らわしい」と睨みながら呟いてくれたけど、その程度の言葉じゃ私の心は微動だにしない。
……むしろこの先、心を動かされるような出来事があるのかさえ怪しい。
114:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 07:25:43.80:ZWOh/UcV0
――次の日。
あんなことがあった翌日だけど、私は普通に登校していた。
唯にフラれた、とかなら落ち込んでいただろう。でも今の私の心に影を落とすモノは、そんな低次元なモノではない。
一万円を貰ったなら使い道に悩むが、一億円を貰ったら途方に暮れるだろう。それと同じだ。
要するに、何も考えられないからとりあえずいつも通りの日々を過ごすことを選んでみた。それだけのこと。
和「――来たわね」
澪「…和?」
教室に入ると、早々に声をかけられる。
待ち構えていた、と言うに相応しいその態度。敵意こそないが、問い詰めるといった気迫はひしひしと感じられる。
……そういえば、和と唯は幼馴染だったっけ。
和「昨日、唯からメールを貰ったわ。消えることにした、ってね」
澪「……それで?」
和「今までありがとう、って。それと、最後に会う人に澪を選んでゴメン、ってさ」
澪「………」
それで…何なんだろうか。和は私に何を言わせたいんだろうか。
「唯を取っちゃってゴメン」とでも言えばいいんだろうか。もうこの世のどこにも唯はいないのに。
116:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 07:30:40.15:ZWOh/UcV0
和「…澪は、もう唯には会えないと思う? 希望を持たせるような意味じゃなくて、最後に会っていた人として、確証が持てるくらい…ちゃんとお別れをした?」
あの、翡翠色の草原での出来事が思い出される。
状況から考えれば夢に違いない。あの日…情事の後に疲れて寝てしまった私の脳が見せた幻覚。
でも、あの感覚は現実だ。
流れる涙の熱さも。唯の体温も。私の悲しみも。
そして実際に、目覚めたその時に、唯はいなくなっていた……
澪「……朝、目を覚ましたら、さ」
和「?」
澪「隣に好きな人の笑顔があって、ちょっと頬を染めて「おはよう」って言ってくれたりとかさ、そんな『少女の夢見る小さな幸せ』みたいなシチュエーション、和だって憧れたことはあるよね?」
和「……何よ、急に。無いとは言わないけど…」
澪「……それが、もう叶わないとして…その現実をどう受け止めればいいか、和は知ってる…?」
和「澪……」
澪「知ってたら……っ、教えてよぉ……っ…!」
和「…ごめんなさい。軽く尋ねていいことじゃなかったわね…」
私の意志とは無関係に零れ出てきた涙。それで制服が濡れることも厭わず、和は私を抱きしめてくれた。
……和だって、幼馴染がいなくなって辛いだろうに。それなのに私は甘えてしまった。
……ほら、唯。私はこんなにもダメな奴なんだよ。唯がいないと何も出来ないんだよ……?
117:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 07:36:40.01:ZWOh/UcV0
和「――落ち着いた?」
澪「……ごめん。迷惑かけた」
唯がいなくなった。目には見えないその事実を、それでも誰よりも実感している私は、ある意味では孤独だった。
数年来の親友の律にさえも相談できない真実はとても重くて、潰されそうで。そんな矢先、計らずとも『捌け口』になってくれたのは、やっぱり唯がいたからこそ知り合えた和だった。
本当に…私は唯にどれほどのものを貰っているんだろう。
和「いいのよ。軽率だった私が悪いんだから」
澪「そうじゃないよ……和だって辛かったはずだし」
和「そう、ね。確かに、澪みたいに会えたわけでもない。あっさりとしすぎたお別れだったわ」
澪「えっ…? 会ってないの?」
和「そう。本題はそっちなのよ。唯は昨日は澪と過ごしたかったのだから、私と会うなら一昨日になる。でも会わなかった。いえ、会えなかったのよ。だからメールで済ませた」
会えない? どうして?
確かに、後夜祭の更に後に私は憂ちゃんと唯に会った。時間が無いと言えないことも無いけど、親友同士の間柄ならよほどの障害でもない限り、夜中にちょっと話すくらいはできるはず。
和「……会えなかったのは、あちらの都合よ。わかる?」
澪「……誰かが邪魔した?」
和「いいえ。いつもいる誰かが邪魔だった、とは言えるけど」
……いつもいる誰か…って、それは……
119:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 07:41:37.63:ZWOh/UcV0
澪「まさか……」
和「そう。唯は…憂に黙って消えた。その道を選んだ。それについて、ちょっと対策を練ろうと思って」
澪「た、対策って……」
和「それくらい、憂の唯に対する依存は深いのよ。ちょっとでも消えることを匂わせたらヒス起こしかねないほどに」
憂ちゃんの想いには、昨日の態度とかで薄々感づいてはいたけれど。
もっとも、その想いが私のような恋愛感情だとまでは断定できない。けれど、きっと私に劣らないほどの熱意ではあるだろう。
……私の唯を好きな気持ちが、誰かに劣っているとは思いたくないけれど。それでも、生まれてからずっと育み続けてきた憂ちゃんの想いは相応に重いのは明らかだ。
和「憂に言えば、絶対に唯は後ろ髪引かれて消えられなかった。だからといって言わずに消えた唯のやり方を肯定は出来ないけれど、過ぎたことである以上、私達がなんとかするしかないの」
言いたいことはわかる。
でも、私はそれに素直に頷けない。
澪「……純粋な疑問なんだけど」
和「何?」
……純粋な疑問なら、何でもぶつけていいという訳じゃないとは思うけど。
というか、これはむしろ言わない方がいい類の言葉だとわかっていたけど。
それでも、私は口にした。その時の私は、躊躇いなく口にしてしまった。
120:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 07:46:27.87:ZWOh/UcV0
澪「何で私が憂ちゃんのことを気にかけないといけないの?」
和「………」
私だって、それなりに根に持つことはあるんだ。
澪「私は憂ちゃんから嫌われてるよ。汚らわしいって言われたし」
和「…そう、なの?」
澪「あの侮蔑の視線は忘れないよ」
私の行動が招いた結果だけど、だからこそ私が憂ちゃんを気にかける理由は、無い。
私は私の行動に後悔なんてしてないし、いや唯が消えたことはそりゃ後悔してるけど、それは私の行動が招いたわけではなく、唯の決意が固かっただけだし。むしろ…
澪「むしろ和は、なんで唯を止めなかったの? 消えることをなんで許したの? ねぇ!」
和「……ごめんなさい、私が悪かったわ。許してちょうだい、澪…」
澪「………っ……ごめん」
そうだ、止めたかどうかは知る由はないけど、唯が消えていいなんて、親友の和が思うわけないんだ。
……落ち着け、私。和は唯も憂ちゃんも大事にしてる、それだけじゃないか…
122:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 08:01:17.56:ZWOh/UcV0
和にイヤミを吐くのも、憂ちゃんを敵視するのも、ただの私の八つ当たりに過ぎない。
……まぁ、私が憂ちゃんから嫌われてるのは確かなんだろうけど。でもそれは私の行為が招いたことなんだから私から嫌うのは筋違いで、せめて話し合うくらいはしないといけないのだろう。
結果がどうなろうと私は執着しないけど、それでも最低限の責任は果たすべきなんだ。
澪「……和、私は何をすればいい?」
和「…ありがとう。でもね、私達がするべきは『対策』なの。つまり、こちらからすることは特に無いわ」
澪「……どういうこと?」
和「…唯がいないことに気づいた憂は、最後に会っていた貴女を問い詰めに来る。間違いなく、ね」
和のように、か。……いや、和よりも激情に任せ、敵意を剥き出しにして問い詰めてくるだろう。私が憂ちゃんだったらそうするだろうから。
憂ちゃんの気持ちはわかる。もっとも、だからといって逆に私の事も理解してくれとは思わないのは、やはり……唯を奪ったという後ろめたさか。
和「澪にして欲しいことは、憂に何を問われても冷静に対応して欲しい。それだけ」
冷静に、というのは先程のように感情に任せて相手を傷つけるような言葉を吐かないでくれ、ということだろう。
しかし、それは和相手でも叶わなかった事だ。なのに、険悪な仲となってしまった憂ちゃんとの会話で堪えろ、というのは…
澪「……それが一番難しいと思うけど」
和「わかってる。その上でお願い。私もフォローするから」
澪「……努力するよ」
123:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 08:06:18.11:ZWOh/UcV0
私は憂ちゃんに嫌われる理由こそあるが、私のほうから憂ちゃんを嫌う理由は『嫌われているから』以外には無い。
だから、そこだけを堪えて接すればいい。憂ちゃんの知らない唯を知っていることに対する報いだとして受け入れれば、ちゃんと憂ちゃんが納得するように事情を説明できるはずだ。和も手伝ってくれるんだし。
……この時は、本当にそう思っていた。
この時『まで』は。
憂「――お姉ちゃんが…いないんです」
放課後。唯の格好をして私を呼び出した憂ちゃんは、まずそう言った。
今日一日、憂ちゃんは唯として過ごしていた。しかし、クラスが違う私達の前に現れた時の憂ちゃんは和にもわかるほど『憂ちゃん』だった。意図的なものなのか、それとも……
和「……いないって、自分でわかるの?」
憂「いえ……でも、ずっと返事が無いんです。だから、もういないんじゃないかって……あんなに学校が大好きだったのに、軽音部が大好きだったのに……出てこないなんて…!」
そこで顔を上げて私を睨みつけてくる。まぁ当然か。
憂「澪さん……お姉ちゃんに何をしたんですか! 私の寝てるのをいいことに、何をッ!!」
澪「……誤解だよ」
憂「何が誤解ですか!! あんなことをしておいて…! きっとあれでお姉ちゃんは傷ついた! 落ち込んでるんだ!!」
……無理矢理したとでも思い込んでいるのだろう。最初のキスこそそんな感じだったのは否定しないが。
124:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 08:10:06.52:ZWOh/UcV0
でも、それでも。
澪「……唯は、私に好きって言ってくれたよ」
憂「ッ…!! だから何なんですか! じゃあ何でお姉ちゃんはいないんですか!? 貴女の…あなたのせいでしょう!?」
胸倉を掴まれ、壁に押し付けられる。
澪「ぐッ…!」
和「ちょっと憂! やめなさい!」
憂「やめれば…やめればお姉ちゃんは帰ってくるの!? ねぇ、和ちゃん!!」
和「それ、は……」
憂「何をしても帰ってこないなら……何してもいいでしょ!?」
憂ちゃんのその瞳には、一点の曇りも無い『憎悪』しか映っていなくて。
その対象が私だということよりも、憂ちゃんがそんな感情を抱いているということ、それ自体に……徐々に腹が立ってきて。
澪「……放せ」
和「……澪、落ち着いて、ね?」
澪「落ち着いてるよ、和。でも腹は立ってる」
憂「何をッ! 私はそれ以上に――」
126:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 08:15:33.18:ZWOh/UcV0
澪「唯が!! 唯がこんな奴のために消えたかと思うと腹も立つよ!!」
憂「え……」
和「澪っ!!」
澪「だってそうだろう!? 死んでいた唯は、今を生きるみんなの為に消えたんだ!」
ずっと支えてくれた和に、これ以上手間を取らせないように。
ずっと好きだった私に、叶わぬ恋を諦めさせるために。
……ずっと一緒にいてくれた憂ちゃんに、これからは自分の時間を生きてもらうために。
なのに、眼前の憂ちゃんは憎しみに囚われている。囚われ、進めないでいる。
それは唯や私達が招いたことなのかもしれない。でも、何故この子は理解しようとさえしないんだ。考えつかないんだ。
澪「憂ちゃんは唯の想いの全てを踏みにじっている! 唯の想いは唯がこの世に生きた証だというのに、それを全て見ようともしない!! そんなの許せるわけがないだろ!?」
和「澪っ!!!!」
澪「っ……」
127:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 08:21:21.99:ZWOh/UcV0
和「……澪、あなたのいう事は正しいわ。私もそう思うもの。それでも……」
割って入った和はその先は言葉にせず、代わりに憂ちゃんを見つめていた。
腕は力なく垂れ、顔は伏せられ、表情も感情もわからない。
和がフォローしてくれたものの、やっぱりこれは……言い過ぎたのか、私は。
言葉は選んだつもりだったが…和との約束は、守れなかったのか。
澪「……ごめん和、後は任せていいかな」
和「……ええ。家までちゃんと送るわ」
澪「……ごめん」
それが誰に対する謝罪なのかは、私にもわからない。
心を抉ってしまった憂ちゃんに対してなのか、手間をかけさせる和に対してなのか。
それとも……唯に対してだろうか。
憂ちゃんを傷つけたのももちろんだけど、それ以上に、こうして感情に流されて容易く人を傷つける私なんて、唯は嫌いだろうから……
128:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 08:26:05.53:ZWOh/UcV0
律「――今日も唯は休みかぁ…」
紬「少し、静かね……」
梓「……風邪、でしたっけ?」
澪「ああ。和はそう言ってる。幼馴染が言うんだから間違いないよ」
我ながら面白い冗談だ。笑えない。
だからといって実は唯がもうこの世に存在しないだなんて言えるはずもないけれど。
でも、唯が学校に来ていない事はそれとは別の事実をも示している。
すなわち、憂ちゃんが家から出て来ていない、ということ。
……和に相談された時から、私も気を病んではいる。
憂ちゃんに言った内容自体を後悔はしてないし、和も責めていないけど、それでも原因は間違いなく私なのだから。
憂ちゃんの為にも誰かが伝えないといけない事だったはずなんだけれど、それでも私は間違いなく言い過ぎたのだから。
……和の話では、憂ちゃんはあれ以来自室に引き篭もっており、これ以上続くようなら両親にも連絡する、とのこと。
そういえばようやく聞けたんだが、唯の両親があまり家に居ないのは、彼らが『弱い』存在だから、らしい。
――唯が死んだ事で自分達を責め、でも憂の中に唯がいるという非科学的な事実から目を背け。板挟みになった彼らは『家』からの逃避を選んだ。
「石頭よね」と和は言ったが、大人なら仕方ないのでは、とも思う。
それに両親がいたらもっとややこしい事になっているのは間違いない。私にとっては都合が良かった。
澪「……お見舞いにでも行ってみようかな」
130:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 08:30:37.70:ZWOh/UcV0
律「お? 二回目のお見舞いか。ずいぶんと気にかけてあげてるじゃんか」
澪「そりゃあ…な」
私のせいには違いないんだし…な。
律「……澪? どした?」
澪「ん? 何が?」
律「……一緒に行こうか?」
澪「いや、それは……」
紬「むしろ全員で行かない?」
梓「あ、それは確かにいいかもしれませんね!」
澪「い、いや待て待て! 大人数で押しかけても迷惑だろ!!」
というかいろいろと困る。唯と憂ちゃんの事がバレてしまう。
皆を信じていないわけじゃないけど、それでも無意味に大人数にバラしていいことじゃないはずだ。
さ「二人くらいなら車で乗せて行くわよ?」
律「さわちゃんいたのかよ!?」
さ「失礼ねぇ」
澪「せ、先生、でもそれは……」
131:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 08:35:43.01:ZWOh/UcV0
さ「後々のことを考えるとりっちゃんがいいかしら? 部長だものね」
後々、って…?
……あ、まてよ? 最初の学園祭の前の時の先生は唯と何か訳知り顔で話していたっけ、そういえば。
ということは、この人も唯と憂ちゃんの事は知っているのだろう。その人が後々とか言うという事は……
さ「……私だって、いろいろ考えてるのよ?」
澪「……信じていいんですか?」
さ「信じてもらえる教師になりたいと常々思ってるわよ、私は」
澪「……わかりましたよ」
律「……なんだなんだ? 内緒話か?」
さ「大丈夫、今からりっちゃんにもネタバラシしてあげるから。行きながらね」
律「――で、それを信じろと? 唯ちゃんと憂ちゃんが同じ身体に生きているなんて世迷言を?」
澪「まぁ、そうなる」
さ「いいえ、信じる信じないの問題じゃないわ。それが真実なのよ」
運転席から振り返ることなく、後部座席の律に告げる。
私も後部座席に乗っているのだが、先生とは最初にルームミラー越しに視線が合っただけだ。いつになくマジメな視線と。
132:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 08:40:33.07:ZWOh/UcV0
律「まぁ、確かにスジは通るけどさぁ……いくらなんでもオカルトすぎるだろ」
澪「まぁそれが普通の反応だと思うよ。私もこの目で見たからこそ信じているんだし」
さ「それなら唯ちゃんのいない今はりっちゃんは信じることが出来ないわね、永遠に」
唯がいない、その言葉に身体が小さく反応する。運転中の先生には気づかれていないだろうが、隣に座る幼馴染には気づかれただろう。
憂ちゃんに説教しておきながら、私も憂ちゃんと同じかそれ以上に唯を求めている。お別れこそしたものの、認めてはいないしまた会いたい。もっと会いたい。ずっと一緒にいたい。
律「……信じないけど、とりあえず二人がそれを信じて行動してる、ってのは覚えておくよ」
さ「ふーん。素直になりなさいよ」
律「素直だよ。私が付いていこうとしたのは澪のためだから。言葉は悪いけど、唯の正体なんて何だっていい。澪が納得できる結果が出るならそれでいい」
澪「……律…」
律「そして、そのためには澪の行動原理くらいは理解しておかないと、な」
澪「……うん、ありがとう」
律「……ありがとう、じゃねーよ。なんで相談してくれなかったんだ」
少し、律の声のトーンが落ちる。
本気で怒っているわけじゃない。でも確かに怒っている。
133:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 08:45:52.90:ZWOh/UcV0
澪「説明したところで…信じないだろ? 今みたいに」
律「信じないよ。信じないけど、澪の為なら手を貸すさ。今みたいに」
怒っているけれど、それ以上に真剣だ。
律は、私のために真剣になってくれている。
律「何だってするさ。恋してるなら応援するし、金欠なら貸してやるし、憎いヤツがいるなら殴ってきてやる。親友として一番イヤなのは、困ってる時に力になれない事だ。あの時みたいなのは…もうゴメンだ」
澪「あの時のは……律が気に病むことじゃない。私が…私が弱かったんだ」
友達だと思っていた人に裏切られた中学時代。
仲良しだった友達が敵で、それならもっと仲良しの親友は……もっと敵なのか? それとも味方でいてくれるのか?
冷静に考えれば、律ならいつでも味方でいてくれるんだけど。それでも、弱りきった心はいつも以上に臆病で、万が一に怯え、律さえをも拒んでしまった。
私は自分が傷つきたくないがために、親友を傷つけた。なのにその親友は、そのことに自責の念を抱いている。
……せめてこれ以上、律の心配事を増やしてはいけない。そのことに、私はようやく気づいた。
澪「あの…! 先生、すみませんけど律と二人で行かせてもらっていいですか…?」
律「……澪?」
澪「原因は…私なんです。私が解決してきます。そして、律にはそれを見届けてもらいたいんです」
さ「……何があったのかまでは、私は知らないわ。だから、それが最善の選択肢だとは断言できない」
136:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 09:00:22.45:ZWOh/UcV0
澪「……私にも断言はできません。でも、私がやらないといけない事だとは思うんです…!」
さ「………」
どうすれば解決するのかなんてわからない。憂ちゃんが今、何をしているのかもわからないのにわかるはずもない。
そもそも何をもって解決とするのかもわからない。
私は引き篭もってしまった憂ちゃんを救いたいのか? 救わずとも、親の手に引き渡せば解決じゃないか?
私は憂ちゃんに嫌われているのだから、多少強引な手を使っても痛くも痒くもないだろう。でも、それではきっと憂ちゃんは救われない。ならば私は、私を嫌っている憂ちゃんに優しさを向けてあげないといけないのか?
……何もわからない。けれどやっぱり私が行かないといけないんだ。
原因が私であるのもあるし、それに憂ちゃんは……唯の妹なのだから。
さ「――着いたわよ。私はここで待ってるわ」
澪「……ありがとうございます」
さ「どうにも出来ないと思ったら連絡しなさい。番号は教えてあるわよね?」
澪「はい。大丈夫です」
律「んじゃ、行くか」
澪「あ、律。行きながら話すことがあるんだけど」
とはいえ、唯の家は目の前。単にさわ子先生には聞かれたくない話、という意味だ。
138:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 09:06:23.50:ZWOh/UcV0
私の唯に対する感情だとか、唯としたこととか、その後、憂ちゃんに吐き捨てられた言葉とか、突きつけられた感情とか諸々。
家の前で黙って聞き届けてくれた律は、話が終わると同時にいつもの調子でおどけて見せた。
律「うわっ、私の知らない間にそんなドロドロの愛憎劇になってたのか」
澪「茶化すな。その愛憎劇の果てが今なんだから」
律「わかってるよ。コトの重大さはよくわかった。で、どうやって解決するつもりなんだ?」
澪「………」
律「……おい?」
澪「……考えてない」
うわ、律なんかにすごくバカにされた目で見られた。
律「……まぁ、いいさ。いきあたりばったりでもいいから何とかしようとすることが大事なんだよな、うんうん」
澪「もっと上手いフォローはないのか」
律「いや、そもそもフォローしたつもりもないし。澪が考え無しに動くなんて珍しいなぁとは思ったけど、いつも考え無しの私はそれを悪いことだとは思ってないからさ」
澪「まぁ、そりゃ律みたいなわかりやすい性格ならな」
律「わかりやすい方が皆に優しいんだよ。実際、今みたいにがむしゃらな澪を見てると私は嬉しくなる」
澪「……そういうものなのかな」
律「そういうもんなんだよ。んじゃ行こうぜ」
140:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 09:10:25.86:ZWOh/UcV0
と、私を後押ししてくれた(と思う)律が、憂ちゃんの家の玄関ドアノブに手をかける……が。
律「……カギかかってるな」
澪「そりゃそうだ」
律「どーすんだ?」
澪「隠し場所は知ってる。一応、家の周囲を一周してきてくれないか?」
律「はいはいっと」
別にどこかの窓が開いていることを期待したわけではないが、先に周囲を確認しておいて悪いことは無いだろう。
律を見送ってから前に聞いた隠し場所から鍵を見つけ出し、鍵穴に突っ込んでみる。
うん、ちゃんと入るな。もっともこんな短期間で鍵を変えてくるとも思えないが――
律「――おーい、みおー! ちょっと来てくれー」
澪「…んー?」
律に呼ばれるまま、声のしたほうへ向かう。
そこにはリビングあたりに面したと思われる窓から家の中を覗く律の姿があった。
澪「まさか開いてた?」
律「いや、そうじゃない。この家、静か過ぎると思わないか?」
澪「……怖い事言うなよ」
142:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 09:15:39.88:ZWOh/UcV0
憂ちゃん一人しかいないんだ、静かなのは当然だろう。しかも自室に引き篭もっているというのだから一階は尚更静かで当然のはず。
でも、どうやら律が言いたいのはそういうことじゃないらしい。
律「なんつーか、異様なんだよ。ちょっと覗いてみ?」
律がいたその窓は、カーテンこそひかれているものの僅かな隙間から室内を覗けるようだ。
退いた律に代わり、そっと覗いてみると――遠くの誰かと目が合った。
澪「ひいぃぃぃぃぃっ!?」
律「落ち着け澪! よく見ろ、鏡だ!」
澪「え? あ、ほ、ホントだ、私だ…」
カーテンで徹底的に日光を遮られている部屋の鏡ということでかなり薄暗く見えるが、写っているのは間違いなく私自身。
姿見のような大きめの鏡が部屋の奥に立てかけられているようだ。全く、びっくりさせてくれる……
律「……澪はビビりすぎだけど、それを抜きにしても…ほら、右のほうも見てみろよ」
澪「……あっ、あれも鏡? あ、左のほうにも何か…」
律「たぶん、あれもだな」
今度は壁にかけるような小さな鏡だが……一部屋に二つも三つも必要だろうか?
確かにちょっと…異様かもしれない。とはいえ、何か怖いものが写るとかいうのでなければガマンできる範囲だ。
144:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 09:21:05.83:ZWOh/UcV0
澪「……家に入ろう。律は一階を頼む」
律「ん、わかった。何かあったら叫べよ?」
澪「うん、頼りにしてる」
玄関に戻り、鍵を差し込んで回す。ガチャリと音を立て、扉は私達を拒むことを止めた。
――やっぱり憂ちゃんの元へ先に行くのは私であるべきだろう、ということで一階を律に任せはしたものの、異様な雰囲気に気圧され、脚が中々進まない。
前にも後ろにも、右にも左にも鏡、鏡、鏡。一歩進めるだけで新しい鏡が一つは視界に入るんだ、気圧されるなと言うほうが無理がある。一体いくつの合わせ鏡が出来ているのだろう?
澪「……深夜の合わせ鏡…みたいな怖い儀式じゃなけりゃいいけど…」
……自分で言ってて怖くなってきた。目を瞑って歩こうかな…
とはいえ、今私の目の前にあるのは階段。目を瞑るのは危険だよなぁ、やっぱり。
――と躊躇していると、
律「澪! ヤバいもん見つけた!!」
律が静かに早足で現れた。一応気を使うだけの神経はあるらしい。
だが、表情は神妙そのもので…不安になる。
145:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 09:26:59.15:ZWOh/UcV0
澪「な、何を見つけた!?」
律「印鑑と通帳!」
澪「戻せバカ!!」ゴツン
律「Ouch!」
こんな時に何をやってるんだ、このバカは!!
律「いてて……冗談だよ、冗談に決まってるだろ」
澪「冗談でもやっていいことと悪いことがある!」
律「わかった、わかったって! 解決したら憂ちゃんに伝えとくからさ。もっとわかりにくい場所に隠せ、って」
澪「そうだな、それがいいよ」
律「……だから、そんな場所で突っ立ってないでさっさと行ってきてくれよ」
澪「………わかってるよ」
律「もうちょっと見て回ったら私も行くからな。さっさとしろよー?」
……わかってるって。まったく……アイツはこんな時でも変わらないなぁ。ふふっ。
147:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 09:31:37.71:ZWOh/UcV0
――無数の鏡から必死に目を背け、憂ちゃんの部屋に辿り着く。
微かな人の気配。そして物音。とりあえず生きてはいるようで一安心だ。
……しかし、問題はここからだ。怖い怖いと言っているばかりで何も考えずここまで来てしまった私には、相変わらず解決方法が何一つ思いつかない。落ち着いてシミュレートみよう。
とりあえず……とりあえず、会話をすることが大事だろう。そして…
まだこの前のように憎しみを引きずっているならば、今度は言葉を選んで諭してやろう。
唯の気持ちに思い至り、それでも寂しさで動けないというなら背中を押してやろう。
単純にダダをこねているようならば、親に引き渡す。たぶんそれが一番効く。憂ちゃんはそんな子じゃないと思うけど、一応可能性として。
あとの可能性は…思いつかないけど。とりあえずこのくらいが常識の範囲内での対応だろう。
澪「……ふう」
一つ、深呼吸。
……よし、覚悟はできた。話しかけよう。
――と、思ったのだが。
憂「……っ……――っ」
澪「………」
ノックをしようと手を伸ばしたら、憂ちゃんの声が漏れ聞こえてきた。
その声を聞いて、違和感を覚える。その違和感は、私にノックをすることを許さない類のモノで。
……私は、ノックをせずにゆっくりと、バレないようにドアノブを捻る。
そして、息を呑んだ。
149:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 09:36:05.63:ZWOh/UcV0
耳に届くのは、水音。吐息。
鼻に付くのは、匂い。
目に入るのは、身体。
耳に届くのは、彼女が自らを掻き混ぜる水音。それと、それによって昂ぶっていることを示す嬌声。
鼻に付くのは、むせかえるほどの雌の匂い。
目に入るのは、彼女の肢体。彼女の痴態。
自らを慰め続ける憂ちゃんから、私は目が離せなかった。
――何分くらい眺めていただろうか。一度果てた憂ちゃんと鏡写しで視線が交錯し、私は我に返った。
四方八方、鏡尽くしの部屋。壁も床も天井も、鏡張りといって差し支えない部屋。
その部屋で、彼女は――唯の格好をした彼女は、覗いていた私を見て、微笑んだ。
そして、一人で行為を再開する。
私に見せ付けるように。私を誘うように。何度も視線が交錯する。鏡越しではなく、眼前の淫らな彼女と。
熱い。
身体が熱い。
聞こえるものが、匂うものが、見えるものが、全てが私を熱くさせる。
151:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 09:40:42.65:ZWOh/UcV0
私自身の荒い吐息さえも、嚥下した唾の感触さえも、まばたきを忘れた瞳の乾きさえもが、私を昂ぶらせる。
自分が興奮しているという事実が、興奮してしまっているという事実さえもが、相乗効果で私を高みへ押し上げていく。
自身の湿りを感じた私は、無意識に、導かれるように部屋に足を踏み入れる。
彼女の蜜に、香りに、カラダに導かれるように。
みおちゃん、と私を呼び、喘ぐ、その声に牽かれるように。
――足を止めろ、と、どこかで声がする。とても弱々しく、消えてしまいそうな私の声が。
そんなことをして何になるんだ、と。
眼前の彼女をよく見ろ、と。何をしにきたのか思い出せ、と。
……しかし、そんなことは今更だ。わかりきったことだ。
彼女の前に膝を付き、呼びかける。
澪「……憂ちゃん」
憂「っ!……みお、さ……んっ」
152:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 09:46:08.56:ZWOh/UcV0
助けを求めるように、私に縋るように見上げるその瞳を見て。
私は、自分がここに来たことが間違いじゃなかった、とようやく思えて。
そして、ようやく『解決』への道筋が見えた。
鏡張りの部屋。四方から自分の姿を映し出す、そんな部屋に閉じこもってしまった、唯の姿をした憂ちゃん。
そんな彼女の望み。願い。祈り。わかりきったそれは。
澪「……唯に、なりたい?」
頷く代わりに、首に手を回して甘えてくる憂ちゃん。
その身体は、唯と同じように温かくて。
……その温もりは、私の寂しさを埋めてくれそうで。
澪「……じゃあ、唯にしてあげるよ」
唯と同じように扱ってあげる。
唯と同じように接してあげる。
唯と同じように愛してあげる。
憂ちゃんを、唯にしてあげる。だから……
澪「……だから、私のことも、唯と同じように愛してくれる?」
155:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 10:00:04.94:ZWOh/UcV0
本当は最初からわかっていたのかもしれない。こうなることを望んでいたのかもしれない。
憂ちゃんが寂しいように、私も寂しいんだ。
憂ちゃんが最後に唯と居た私を憎んだように、私も唯とずっと一緒に居た憂ちゃんが憎かったんだ。
憂ちゃんが唯に会いたいように、私も唯に会いたいんだ。
憂ちゃんと私の望みは、願いは、祈りは、一言一句の違いもなく同じなんだ。
だから、これがきっと一番いい解決法。
私も、憂ちゃんも満たされる、たった一つの道。
私達が唯と一緒にいられる、たった一つの。
……唇が近づく。
憂ちゃんの、唇。まだ、目の前にいるのは憂ちゃんだ。でもその唇が私に触れたとき、彼女は『唯』になる。
それで、私達二人は救われる。唯のいないこの世界で、私達は生きていける。
だって、仕方ないじゃないか。唯がいないんだから。
こんな、価値のない世界で生きていく方法なんて、もう他にないんだから。
だから、いいよね、唯……?
156:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 10:05:45.24:ZWOh/UcV0
「――ダメぇっ!!」
澪「……へ?」
疑問を言葉にしたと同時、額に衝撃。
痛い、と言葉にする間もなく暗転する視界。辛うじて背中の感触で、自分が後ろにひっくり返るように倒れたのだということだけはわかった――
「――――ちゃん――」
「――みおちゃん!!」
澪「――ん……?」
憂「澪さん! よかった、大丈夫ですか…?」
額を赤く腫らした憂ちゃんが、私を心配そうに覗き込んでいる。
少し記憶が混乱したが、何よりもその赤く腫らした額を見て、すぐに思い出した。
澪「……憂ちゃんこそ、大丈夫?」
憂「痛いですけど……それよりも、気になることが…」
澪「うん……」
157:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 10:10:40.17:ZWOh/UcV0
やっぱり、憂ちゃんにも『あの声』はそう聞こえたのだろう。
ダメ、と叫んだあの声。そしてこっちは現実味がないが、気を失った私を呼んでいたあの声も。
あれは……あの声は……
唯『……はい、ごめんなさい』
澪「ッ!? 唯!?」
憂「……はい?」
澪「あ、あれ? 今、唯の声が……」
そうだ、確かに唯の声が聞こえた。さっきと同じように、間違いなく。
……あれ? でもさっきは聞こえていたはずの憂ちゃんには聞こえていない?
唯『……あはは。こっちこっち、澪ちゃん』
澪「いや、こっちってどこだよ…」
憂「……?」
唯『みおちゃんのなか』
澪「……は? 私の中?」
憂「え、ええええっ!?」
159:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 10:15:40.31:ZWOh/UcV0
私の中って……あれか? 憂ちゃんの時みたいに、私と唯が一つの身体に入ってるってことか?
澪「な、なんで!?」
消えたんじゃなかったのか? 最初から私の中にいたのか?? それとも???
ただ混乱する私の肩を憂ちゃんが掴み、揺する。
憂「お、お姉ちゃん!? いるなら出てきてよ!!」
澪「あう、ど、どうやって…?」
憂「目を強く閉じて、意識を静めていくんです。出るときは逆に、見えるものとか音とかに意識を集中させる感じで。やってみてください!」
と、とりあえず言われた通りに目を閉じてみる。呼吸も浅くして、音とかもなるべく意識しないようにして…
唯「お、澪ちゃんスジがいいね」
澪『……あれ?』
喋っていないのに口が動いている。いや、むしろ身体全体が動かそうと思っても動かないのに、動いてる実感だけがある。
……唯と入れ替わった、ということだろうか。
憂「おねえ……ちゃん……」
唯「……ダメだよ、憂。近づいちゃダメ、触っちゃダメ。私がいなくても…一人でちゃんと生きないとダメ」
160:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 10:21:03.62:ZWOh/UcV0
涙を流す憂ちゃんを、唯は冷たく突き放す。
……私が口を挟んでいいシーンじゃないな。もっとも、口は動かせないんだが…
試しに心の中で唯に呼びかけてみるが、返事は無い。きっと『言葉にしよう』と意識しない限りは唯にも届かないのだろう。
変な言い方だが、これで安心して黙って見ていられる。邪魔しちゃいけない。
憂「…無理…だよ。そんなの……ずっと、ずっと一緒に居たのに……!」
唯「……いつでも見てるから。見ててあげるから。意味、わかるよね?」
憂「っ……おねえちゃん……」
唯「憂は私の自慢の妹だもん。頑張れるよ。ね?」
憂「………っ」
突き放し半分、激励半分のその言葉に、ついに憂ちゃんも諦めたように、しかし強く頷いた。
「これで最後だよ」と言い、頭を撫でてやる唯。涙を溜めながら、しかし愛しそうにされるがままの憂ちゃんを見ていると、やっぱり姉妹の絆の深さを見せ付けられているような気持ちにもなるけれど。
……それでも、憂ちゃんは最後に一礼して、着替えを持って部屋を出て行った。きっと、あれは私に向けた一礼。
一応、これで解決だろう。たっぷり間をおいて、今度は私が唯に問いかけてみることにする。
澪『……で、どういうことか説明してくれないか? 消えたんじゃなかったのか?』
唯「いやぁ……いろいろありまして。恥ずかしいから交代してくれない?」
澪『ん、まぁ……いいけど。もういいのか?』
唯「うん、大丈夫だよ」
161:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 10:25:13.85:ZWOh/UcV0
じゃあ、と言われたとおり今唯が見ている景色や聞いている音に意識を集中してみる。
すると、急にそれらの情報量が多くなったような気がして……『私』が戻ってきた。
スジがいいね、と私をまた軽く褒め、唯は語り始める。
唯『えっと、ね。やっぱり心残りがありすぎて、ね。ダメでした』
澪「……例えば?」
唯『もちろん、何も言わず残してきた憂のこと。やっぱり間違ってたね、私』
そりゃあ、そうかもしれないけど。でも今、こうして解決したのなら、あながち間違いでもなかったのかもしれないと思う。
結果論に過ぎないのかもしれないが、それでもちゃんと救われたんだ、憂ちゃんは。
唯『あと……恥ずかしながら、やっぱり澪ちゃんのことが…』
澪「…恥ずかしい、って? 一度は大丈夫と言っておきながら心配されてる私のほうが恥ずかしいぞ」
唯『あ、ううん、そっちじゃなくて……その……あの…ね?』
歯切れが悪いなぁ、一体何だろう?
唯『……澪ちゃんがね、誰と幸せになるのか、気になっちゃって……』
澪「………はい?」
唯『ほ、ほら、私はもう死んでるはずの人だから、澪ちゃんと一緒にいちゃいけないから、ね? でも、そう考えたはずなのに、あれから澪ちゃんのことを考えると悶々とするというか……気になるというか…』
澪「………」
163:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 10:32:01.10:ZWOh/UcV0
唯『言っちゃ悪いけど、誰とも一緒になってほしくないというか……ご、ごめんね? 自分でもよくわからなくて…』
澪「……ぷっ、くくっ、そうか、そう思ってくれてたのかぁ……ははっ」
唯『な、なんで笑うのー!?』
……いやぁ、本気で安堵した時って笑いが零れるんだなぁ。それとも、嬉しかったり幸せを感じたりしたからかな?
私の存在が、唯が消えられないほどの未練になった。それってすごく嬉しくて幸せなことじゃないか。
唯『と、とりあえずそんな風にうじうじしてたら消えようにも、ね…?』
澪「……消えなくていい、ってことだろ? きっと神様がそう言ってるんだよ」
神様が本当にいるのなら、まず唯を死なせたりなんてしないだろう、とも思ったけど。
そんな神様がここにきて情けをかけてくれたのだとしたら――ドリームタイムをくれたのだとしたら、それを逃す手はない。
澪「……一緒にいてよ、唯。私は、やっぱり唯に一緒にいてほしいよ」
唯『……そうだねぇ。澪ちゃんは私が見てないと、さっきみたいに憂を襲っちゃうかもしれないし、お姉ちゃんとしてそれは不安だね』
澪「あ、あれは!! 唯にもう会えないから、寂しくて――っていうか唯だって、「だめー!」とか言って頭突きは酷いだろ!」
唯『うっ……あれは、その、なんか悔しくて……澪ちゃんが、私以外の人とキスするのが…』
澪「唯が、唯がいてくれるなら、もう絶対にあんなことしない。約束するから」
唯がもういないから、唯が幸せになれって私を突き放したから、弱い私は憂ちゃんに流されてしまった。
結果的に見れば浮気だし、しかもそれを人のせいにしてるとも言えるけど、それでも、唯がちゃんとここにいるってわかった今なら、もう絶対にこの気持ちは揺るがない。
164:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 10:36:15.15:ZWOh/UcV0
唯『……嬉しいけど、その、やっぱり私が澪ちゃんを束縛しちゃうのも、何か違うような…』
『それと、ね。えっと、澪ちゃんと憂が仲良くするのは嬉しいんだよ。二人とも大事な人だから。どうせなら一生一緒にいてくれれば安心だとも思ってたし。でも……』
澪「でも、いざそういうのを目の当たりにしたらダメだった、と」
唯『うん。二人がケンカしててもぐっと堪えてたのに。泣きそうになってもずっと我慢してたのに。それなのに、あの時だけはダメだった』
……それは、嫉妬と自惚れていいのだろうか。
まぁ何であれ、あそこで唯が止めてくれなければ、もう二度と本物の唯とは会えなかっただろう。憂ちゃんと優しく甘く傷を舐めあい、二人で生きていったのだろう。
もっとも、今の状態も『この世にいない人に縋っている』ことには変わりはない。だから、どっちが正しいとも言えない。きっとどっちも世間から見れば間違っていて、でも私達から見れば正しいんだ。
唯『めちゃくちゃだよね、私。消えるって言っておいて消えきれないし、ケンカはよくてキスはダメだし。もう自分で自分がわからないよ……』
澪「……わからないまま、消えたくはないだろ?」
唯『………』
澪「一緒にいてよ。見てたんでしょ? 私、唯がいないと何も出来ないんだよ…?」
唯『みお、ちゃん……』
澪「私も私がわからないよ…! 唯に会うまでは唯に会うことを支えに生きてこれたけど、会っちゃったら…唯無しじゃ生きていけなくなっちゃった…!!」
わからないとはいうけれど、わかっていることもある。それほどまでに私は唯が好きで、唯がいないと生きていけないということ。
唯もそれくらいはわかってくれてると嬉しいんだけどなぁ。
165:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 10:42:37.77:ZWOh/UcV0
唯『澪ちゃん、でも、それでも私は……』
澪「……ゆい、私は唯がいい。唯に一緒にいてほしい。だから難しいことは抜きにして、唯の本音だけを聞かせて欲しい」
唯『……私も…澪ちゃんがいい。澪ちゃんと一緒にいたいよ。でもそれは――』
澪「誰も迷惑なんてしないよ。憂ちゃんも頑張るって言ったし、私は唯がいないとダメなんだから唯が負い目に感じることなんてないよ」
唯『でも、私は……本当ならもう死んでて…』
澪「そうだね。だから唯には身体がない。私の身体を使わないと何も出来ない。不便だよね。だから、この世に居る事くらい許されてもいいと思うよ」
唯『でも…それによって、澪ちゃんの将来も、時間も奪っちゃうわけで…』
澪「唯のいない時間に意味なんてないよ。唯のいない将来なんて欲しくないよ」
唯『で、でも、でもでも……きっと、何か、いろいろダメで…』
澪「何を言われようと私は唯と一緒にいるよ。唯も一緒にいたいって言ってくれたよね?」
私らしくない自信過剰なセリフ。胸を張って、私は愛されてると信じ切って語りかける。
臆病な私にこんな時がくるなんて思わなかったけど、ずっと唯に助けてもらってきたんだ、たまには手を引いて、引き寄せてあげないと。
167:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 10:49:53.76:ZWOh/UcV0
唯『……一緒にいたいよ。許されるなら、一緒がいいよ…! 澪ちゃんのこと、大好きだもん!!』
澪「じゃあ私が許すよ。だから唯も、私が許すことを許して? そして、私が唯と一緒にいたいって言うことを許して?」
「これからずっとずっと、一瞬も離れずに全ての時を二人一緒に生きて、そして一緒に死ぬことを許して?」
唯『っ……いいなぁ、それ……好きな人と、死ぬまで全てを共有できるって、すっごく幸せだよね……』
澪「うん。そうだね」
唯『いいのかな…? こんな私が、そんな幸せを貰っちゃっていいのかな…?』
『こんな私』なんて言うけれど、唯は何も悪いことはしていない。
ちょっとだけこの世の理から外れているだけで、外れてしまっただけで、唯自身には何の罪もない。
むしろ、私のほうが罪深い。昔は律を信じきれなかったし、ここ数日だと唯の身体を傷つけようともしたし、和に八つ当たりもしたし、憂ちゃんとなんて喧嘩もした挙句に身体を重ねようとした。
だから、むしろ、唯が私でいいと言うのなら。こんな私でもいいと言ってくれるなら。こんな私のあげる幸せなんかでいいと言ってくれるなら。
澪「貰ってほしいんだ、唯に。誰よりも大好きな唯に、私の全てを貰ってほしい」
唯『……っ、じゃあ、じゃあ私もあげるから! 私にあげられるもの全部あげるから!』
澪「……うん、ありがと、唯……」
唯『……澪ちゃん…えへへ……』
170:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 11:02:09.79:ZWOh/UcV0
律「――やれやれ、ようやく解決、か。ハラハラさせやがって」
さ「どう? 信じた?」
律「まぁ、この目で見たなら信じないわけにもいかないよなぁ」
さ「ふふっ、複雑な気分?」
律「いいや、それが澪の幸せなら、そして唯の幸せなら、私に文句は何も無いよ。仲間だからな」
さ「よっ、部長!!」
律「茶化すなよさわちゃん」
和「結局、あの子達は依存から抜け出せないのよね。だったら一緒にいなくてどうするの、って話よ」
律「いつから居たんだ和」
―――
――
173:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 11:14:24.64:ZWOh/UcV0
【2】
そして新年度――
ワァァァァァァ
澪「――放課後ティータイムでしたー!! 新入生のみんな、ありがとう!!」
唯を失った軽音部だけど、どうにか今は四人で回している。ボーカルは全て私だし、ギターも梓一人だけど、案外なんとかなるもので。
梓「澪先輩、かっこよかったです!」
澪「ありがとう。梓もいい音させてたよ。さすが」
梓「えへへ、そんな。しっかりやらないと唯先輩に笑われますもん。笑ってませんよね? 唯先輩」
唯『笑うわけないよー! あずにゃんすごいもん』
澪「凄かった、ってさ。仲良しで羨ましいよ」
梓「……澪先輩たちには負けますよ」
澪「そうかな。ありがとう」
結局、メンバー全員に唯と憂ちゃんのことは話した。律と先生が協力的だったのに加え、やっぱりムギも梓もいい奴だから素直に信じてくれた。
そして憂ちゃんについては今年、なんと桜が丘高校の二年に編入してきた。先生も方々を駆けずり回ったとか頭を下げて回ったとかムギが何かしたとか律が殴り込みに行ったとか、私の知らないところでいろいろあったらしい。一体どれが真実なんだ?
174:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 11:19:02.67:ZWOh/UcV0
ともあれ、旧知の友人も同じクラスにいたようで、彼女を通じて梓とも仲良くやっているらしい。
唯も「あの子とあずにゃんなら安心」と言っていた。いいことだ。
……私も、出来る限り助けようと思う。唯に憂ちゃんの姿を見せてあげたいし、今は綺麗に収まったとはいえ、私が傷つけてしまった面は多い。それこそ『イイ人』でも見つかるまでは面倒を見るつもりだ。
律「――よ。お疲れさん」
紬「お疲れ様です。唯ちゃんも」
澪「うん、ありがとう」
紬「澪ちゃんの人気はうなぎのぼりよ。新入部員も期待できるんじゃないかな?」
律「どうかなぁ。澪目当てで入ってくるって、逆に言えば一年で辞めるってことだろ? あまりいい気分はしないなぁ」
唯『そうだとしても、やってるうちに楽しくなって残ってくれるって!』
澪「ふふっ、唯が経験から言ってるぞ? やってるうちに楽しくなってやめられなくなる、って」
律「ははっ、そりゃ確かにありうるな」
……軽音部の皆は、私と唯の関係を全て知っても変わらず接してくれている。
それは本当にありがたいことで、きっとこの先、そう簡単には手に入れられないもので。絶対に失ってはいけないもので。
私は本当に、数え切れないほどの人たちに助けられているんだなぁと実感して。
唯一無二の永遠の親友はお礼を告げてもそっぽを向くし、板挟みになっていたクールに見えてお人よしの親友も「出世払いで」といって聞く耳を持たないけれど。
それでも、私は助けてくれた皆に何かを返したい。何かを返さないといけない。
……できれば、幸せを分け与えるような形で。唯から貰った幸せは、この人たちがいたからこそなんだ、って。
175:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 11:29:08.91:ZWOh/UcV0
澪「……いいよね、唯?」
唯『ほえ? ごめん、聞いてなかった』
澪「…いや、言ってないから」
唯『……ん、だったら、澪ちゃんの思うとおりにやればいいと思うよ』
澪「へ? どういうこと?」
唯『澪ちゃんが心の中で考えて出した結論は、いつだって優しい答えだから』
澪「………」
……そして唯は今、私に足りないものをいろいろと補ってくれている。
ライブで緊張しそうでも、唯がいつも励ましてくれる。MCも恥ずかしいけど、唯がいろいろ言葉を考えてくれる。
ファンの子達との交流の時も、私なら人見知りしそうな人が相手の時も、唯が背中を押してくれる。
余談気味だけど、唯と入れ替わることで左右両ききの人にもなれるし、ギターもベースも弾ける。
本当に心から、唯と一緒なら怖いものなんて何もないと思える。
だから私は、何事にも全力で取り組める。向き合える。そして楽しめる。
私が楽しいと、唯も喜んでくれる。唯が出来ないことを私がやり遂げた時は、私以上に喜んでくれる。
私も、私には出来ないことを唯のおかげで切り抜けるたび、それが唯の長所なんだと尊敬するし、同時にそんな凄い子が私の恋人だと鼻が高くなる。
178:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 11:34:56.88:ZWOh/UcV0
お互いに補い合う私達は内面的な所で正反対だ。でもだからこそ、一緒にいれば誰よりも理想の関係になれるんじゃないか、と思う。
もちろん、正反対だからこそ衝突もするかもしれない。でもそれ以上にお互いが大事だから、きっとすぐに互いの納得する妥協点を見つけ出せると思う。
そして、衝突した以上の幸せをまた見つけるんだ、二人で。
そうして、私達はいつまでも二人で一緒にいるんだ。最後の最期まで一緒にいるんだ。
他の誰にも真似できないくらいの時間を、他の誰よりも近い距離で過ごすんだ。
――これは、私と唯の、すこしふしぎな人生のお話。
179:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 11:35:25.58:ZWOh/UcV0
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ヽ| l l│<オワーリ
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193:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 12:28:37.86:q5Uy0G180
澪「……腑に落ちないけどまぁいいや。とにかくその時、よく一緒に遊んでいた名前も知らない姉妹がいたんだ。双子だったのかもしれない。あまりにもそっくりな姉妹だったから」
梓「聞かなかったんですか?」
澪「名前も知らないのに姉妹か双子かなんて聞けないよ」
律「……なぁ、よく似た姉妹ってものすごく心当たりあるんだが」
澪「唯と憂ちゃんとは別人だよ。私がその姉妹と唯達を重ねて見てるのは事実だけど、それでも違うんだ」
梓「なんでです?」
澪「それは――」
―――
――
【-2】
――約四年前。
紬「――斉藤! 斉藤ッ!!」
斉藤「なんでしょうお嬢様」
紬「何ですかこれは!!」バサッ
斉藤「…これ、とは?」
紬「新聞のこの記事よ! 『自殺を図った少女、見知らぬ少女にキスされて救出される』って見出しのこの記事!!」
斉藤「……読んで字の如くですが」
紬「現場はどこなの!? 少女達の名前は!? 何処に行けば逢えるの!?」
斉藤「内容が内容ですので名前は公開されていませんが、場所は桜が丘のようですな」
紬「電車で行ける範囲ね……そして少女の居る割合が高いのは言うまでもなく女子高――!」
琴拭紬、色恋沙汰を感じ取る嗅覚に優れた女。
彼女はその天性の素質で進学先を決定した。
【-1】
――桜が丘女子高等学校、入学式当日。
高校入学という特別な日……であるはずなのだが、私はそれまで過ごしてきた日々と何も変わらず、常に周囲に目を配って生きていた。二重の意味で。
片方はもちろん、私が人目を気にする性格だというのがある。そしてもう一つは……
律「みおー、そんなキョロキョロするなよ」
澪「……クセなんだ、しょうがないだろ」
律「まぁ命の恩人に逢いたい気持ちはわかるよー? でもな、あまりにも挙動不審だって言ってるんだよ!」
澪「うるさい気が散る」
もう一つの理由は、数年前に私を助けてくれた彼女を、ずっと探しているから。
命を絶とうとした私を、親友の律の声さえも疑うほど追い詰められていた私を、いとも容易く救ってくれたあの子の事を。
手がかりなんて何一つない。頼りになるのは私の記憶だけ。だからこそ常に周囲に目を配り、探し続けてきた。ずっと、ずっと。
律「…相手も名乗らなかったってことは恩を感じられても困るってことだろ? そんなに縛られるなよ」
澪「ダメだ、私の気が済まない」
律「……はぁ。こうなったら聞かないんだもんなぁ」
当たり前だ。最低でも一言感謝の言葉を述べるまでは止まれない自覚がある。
だからこそこの高校を受験した。女の子が多いのはもちろん女子高だし、あの場に居たという事は近所に住んでいるはずだし、それに……その、女の子にキスする女の子なんて、そういう環境――女子高がやっぱり相応しいというか。
とにかく、ここならあの子に逢えると私は確信を持っていた。根拠なんか何一つない推理だけど、間違いなくそれは確信と言えた。
そして、入学から二週間が経とうかという頃。彼女は私の前に現れた。
律「みんなー! 入部希望者が来たぞー!」
紬「まぁ!」ガタッ
澪「本当――」
……続く言葉が私の口から発されることこそ無かったが、致し方ないことだろう。
律が後ろ手で引っ張ってきた彼女が、ずっと探してきた人だったんだから。
あ、ちなみに律は事情を知ってこそいれど顔を知らないから気づかなかったのだろう。でも今の私の驚愕っぷりに何か感じるところはあったらしく硬直している。
だが、そんなことよりも気になることが。
紬「ようこそ軽音部へ! 歓迎いたしますわ~」
律「よ、よしムギ、お茶の準備だ!」
紬「はいっ!」
お茶の準備に走るムギと、こっそりと私の顔色を伺う律。そして何故かオロオロする新入部員らしき彼女。
ちゃんと、ちゃんと私は彼女と視線が合った。目と目が合った。
なのに。
それなのに。
なぜ、驚いているのは私だけなの?
律「――え、辞めるって言いに来たの?」ショボン
?「う、うん…」
澪「え……」
きっとこの時の私は、何よりも寂しそうな顔をしていただろう。
そりゃそうだ、ずっと探し続けていた人が私のことをわかっていないばかりか、唯一出来かけた繋がりさえも絶たれようとしているのだから。
……だから、この時ばかりは律の強引さに感謝した。
律「でもうちの部に入ろうと思ったってことは、音楽には興味あるんだよね?」
?「まぁ、一応……」
律「なら私達の演奏を聴いてみてから判断してみない?」チラッ
澪「あ……うん、そうだよ! 聴いてみてよ!」
そして――
ジャラーン
?「あんまりうまくないですね!」
律「バッサリだー」
?「でも……すごく楽しそうです! 入部したいです!」
澪「あ……ありがとう!」ガシッ
?「ひゃっ!?」
い、勢い余って手を握ってしまった…!
……って、よく考えたら数年前にもっと恥ずかしい事してるんだから別にいいか。
とにかく、本当によかった。まだ一緒にいられるんだ…!
澪「これから一緒に頑張ろう!!」
?「で、でも私、全然楽器できないし…」
紬「それならギター始めてみたらどうかしら?」
ムギ、ナイスアシストだ!
律はドラムだしムギはキーボードだから、彼女がギターを始めれば近しいベースの私は自然と接する機会が増える!
接する機会が増えれば、彼女も思い出してくれるかも……!
?「あ、あの、それともう一つ言っておかないといけないことが…」
律「ん? なに?」
?「あまり遅くまでは練習できないと思うんだ……その、妹がね、帰りを待ってるというか、夕食の材料買って帰らないといけないから」
律「んー、それくらいなら大丈夫大丈夫。でも家で自主練はしとけよー?」
?「う、うん。頑張る」
澪「まぁまずはギター買わないといけないけど」
紬「じゃあ週末見に行きましょうか」
律「そーだな。じゃ、今日はとりあえず入部届だけ受け取っとくよ」
?「あれ? 渡してないっけ?」
律「……澪、知らない?」
澪「私達のはそこの引き出しの中にあるはずだけど…」
生憎、私はまだその子の名前を知らないからハッキリとは言えない。
律は部長だから知ってるはずなんだけど……しっかりしてくれよ、もう。
律「……ん、あったあった。そういえば確かに見たような気もするわ。んじゃいっか」
澪「あ、ちょっと待って律。見せて」
律「ん、あぁ、ホレ」
書かれている要項に目を通す。学年は一緒、だけどクラスは…別。
そして、そこに書かれている名前は…
澪「…平沢さん、か。あらためてこれからよろしく」
唯「唯でいいよ。よろしくね、えっと…」
澪「澪でいいよ。秋山澪」
唯「うん。よろしく、みおちゃん」
そう微笑む彼女は眩しくて。やっぱりあの時のあの子で。
それは要するに……私のファーストキスの相手で。でも、向こうはきっと覚えてなくて。
悔しい気持ちも勿論あったから、本来の目的の『あの時のお礼』は、平沢さ――唯が思い出してからに延期することにした。
その代わり……と言っては何だけど、絶対に思い出させてやる。そう決意して。
和「――え、結局軽音部に入ったんだ!?」
唯「うん。どうしても入部してほしいって言われて」
和「マジで!?」
唯「まじまじ。超まじ」
和「……それでいいの? 憂のこともあるのよ?」
唯「…うん、だから早く帰らせてってお願いしたよ」
和「こんな自分勝手な部員掴まされて大丈夫かしら、軽音部」
唯「耳と胸が痛いなぁ」
――そして週末。私達軽音部は四人でギターを買いに来た…のはいいのだが、唯の手持ちが足りず。
唯「――ちょっと待ってて、銀行行ってくる!」
澪「え?」
唯「お金! おろしてくるから!」
そう言って走り出す唯。
私達は黙ってその背中を見送る……つもりだったが、なんとなく不安なので、
澪「私も行く! 二人は待ってて!」
律「…なんか迷いそうだもんな、唯」
澪「そこまでは言わないけど…なんか目が離せないから」
と、私も唯を走って追いかける事にした。
だが店を出て数メートル走った曲がり角で、
唯「疲れたぁー」
澪「早っ!?」
地べたに座り込む唯と遭遇。危ないな、もう少しで蹴飛ばすところだったぞ。
唯「あ、あれ、みおちゃん。どしたの?」
澪「一緒に行くよ。私も手持ちが心許ないんだ」
唯「あ、うん。ありがと…」
澪「…疲れてるところ悪いけど、立って。あまり皆を待たせてもいられないし」
唯「うへぇ」
澪「……ほら、手」
唯「…ありがと」ギュッ
……握った手は、忘れもしないあの時の温かさそのままで、どこか恥ずかしくて早足で歩き出してしまう。
――いや、あの時は手じゃなくて主に唇だったんだけど。でもその後に抱きしめられた時の全身の温もりも勿論覚えてるけど――ってそうじゃなくて、えっと……
……うん、ダメだ、意識するともっと恥ずかしい。話を逸らそう。
澪「あー、その、お金足りそう? 下ろしても足りないなら貸すよ?」
唯「ん、結構貯金あるし大丈夫だと思うよ。それにお金関係で友達を頼るくらいなら親から借りるよ。後々こじれそうだし」
澪「ん、そうか……」
言ってることは正論なんだが……なんか、こう、頼りにされてないようにも思えてしまう。
いや、もちろん私が唯の立場でも、友人からお金を借りたりはしないと思うけど。額も額だし。
……でも、頼りにして欲しかった。もちろんそれは、あの時私を助けてくれた唯に対する私なりの感謝の気持ちの押し付けの一つの形にすぎないけれど。
そして、それを覚えてない唯からすれば、それは到底理解できないだろうけれど。
……考えてもしょうがない。
この件は考えても行動しないことには絶対、事態は好転しない。そしてこっちから行動するのは…無理っぽい。
だって「私とキスしたこと覚えてますか」なんて普通は聞けない。恥ずかしすぎる。
それに、なんか癪だし……だから、どうにかして唯のほうから思い出させる。思い出してもらう、それしかない。
澪「…そういえば唯は、なんで音楽に興味持ったの?」
唯「え? えっと、ちょっと昔に逢った女の子がね、ベースやってる、って言ってて」
澪「えっ……?」
唯「それで興味があったってだけだよ。大した理由じゃなくてごめんね?」
いや、謝られても困るっていうか、それって私じゃん!
――あの時、助けてもらった後、唯は私を落ち着かせる為か趣味の話とかを沢山振ってきた。その時に確かに私は音楽と答え、ベースを持っていることまで告げた。
絶対私じゃん! なんで唯はそこまで覚えてて私を覚えてないんだ!?
澪「あの、唯――」
唯「それにしてもあのギター、かわいかったよねぇ」キラキラ
澪「――は?」
唯が見ていたギターはレスポールだったはず。かわいい…か?
そもそもギターの可愛い要素って何だ?
唯「もうね、なんか運命感じちゃったよ。この子しかいない! って」
澪「………そ、そう…」
ダメだ、まったく感覚がわからない。
少し不思議な子だな、唯って。少し不思議、略してSF、なんちゃって。
……とか言ってる間に銀行に着いたのでお金を下ろし、帰りは特に何も無い、所謂『他愛ない話』をしながら戻った。
――そうして唯は無事(?)、相棒のレスポールを手に入れ、次の部活の日。
チャラリーララ チャラリラリラ~
律「チャ○メラ!?」
澪「唯…家でギター練習してないの?」
律「自主練しろって言ったのに……ほったらかしなのか?」
唯「そ、そんなことないよー!? すっごい大事にしてるんだよ?」
紬「どんな風に?」
唯「鏡の前で(以下略
添い寝(以下略
写真(略
ボーっと眺めてて一日が終わっちゃうこともしょっちゅう…」
律「弾けよ」
……やっぱり、どこか不思議な子だなぁ。
まぁそりゃ普通の人は見ず知らずの女の子に…キ、キスなんてしないと思うけど。
……ただのキス魔なんてことは…ないよな?
――その後、痛いのが怖いことがバレて唯に「かわいい悲鳴」って言われたり、指をぷにぷにされたり、コード表を渡してあげたりして解散になった。
唯の意思をちゃんと汲んでる律は案外部長の器があるのかもしれない。
ともあれ、唯との距離は縮まった気がする。思い出してもらえるかは、まだまだわからないけれど――
和「――あ、唯っ!」
唯「あ、和ちゃん!」ガッ
和「ぬるぽ」
唯「」ガッ
和「なにそれ、新しい挨拶?」
唯「ちがうよー。えへへ、ギターのコード教えてもらったんだー」
和「へぇ、頑張ってるのね。憂のことはそっちのけで」
唯「……なんでそうイジワルな言い方するかなぁ」
和「冗談よ。姉妹の絆に口を挟むつもりもないし割って入るつもりもないって言ってるでしょ?」
唯「憂も…わかってくれてるよ。ちゃんと話したんだから」
和「…あの子のこと?」
唯「あの子の事も、軽音部のことも、ちゃんとわかってくれてる」
和「いい妹を持ったわねぇ」
唯「……ねぇ和ちゃん、本当に憂は…家事が好きなのかな? 家事だけしてれば幸せなのかな? 私は、こんなことをしていていいのかな?」
和「……ちゃんとわかってくれてるんじゃなかったの?」
唯「ちがうよ、わかってくれてるんだよ、憂は。でもそれは私にとっての幸せで、憂にとっての幸せじゃないよね?」
和「幸せだって本人が言ってるんでしょ? 信じてあげなさいよ」
唯「でも……私なら、そんなの面白くないし…」
和「そうね、ぶっちゃけ私も家事だけやって生きていけなんて言われたら殴るわね」
唯「だよね……って、どっちなのさ」
和「どっちでも信じてあげなさいって言ってんの。憂が自分を偽ってるなら話は別だけど、憂が考えて最善だと思って出した結論なら、ちゃんとそれなりの理由があるんだから」
唯「本当に家事が好きだとしても、嘘だったとしても?」
和「そう。あの子のつく嘘はきっと優しい嘘よ。ちゃんと他人のことを思いやれる優しい子なのは、唯も知ってるでしょ?」
唯「…うん」
和「ならそれに報いないといけないの、あなたは」
唯「……そっか」
和「そうよ」
唯「………」
和「ところでもうすぐ中間テストなんだけど」
唯「マジ?」
和「マジ」
唯「……憂に――」
和「自力でやりなさいよ?」
唯「……はい」
そして中間テスト明け。
唯「――クラスで一人、追試だそうです」←遠い目
律「なんかよくわからんけど予想できたよこの展開」
唯「というわけで澪ちゃん助けてー」ヨヨヨ
澪「えっ、私…?」
とは言ったものの、頼られるのはすごく気分がいい。
まぁ、相手が唯だからなんだけど。これが律だったら……あれ、普通に数日前に頼られて教えてやった気がする。
……いっそ二人まとめて見てやればよかったなぁ。期末からはそうしようか。
澪「仕方ないな…じゃあ今日勉強会するか」
唯「本当!? ありがとー!」
澪「いやいや、軽音部のためでもあるし気にしないで」テレテレ
唯「そうと決まったら先に帰って準備しとくよ! じゃあね!」ダッ
澪「えっ」
律「ちょ、おま、練習――は一応ダメなのか」
紬「追試で合格するまでは、ですね」
澪「……私達はどうすりゃいいんだ?」
律「……一回合わせとく?」
澪「いや、そうじゃなくて。私達唯の家知らないぞ?」
紬「あっ…」
お菓子を食べ、なんとなく唯を待ってみようという意味も込めて一回だけ三人で音合わせをしたが戻ってくるはずもなく、とりあえず部室を出て校門まで向かう。
律「…メールしてみるか」
澪「電話でいいんじゃないか?」
そう言い、私が携帯を取り出した矢先のこと。
?「あのっ!」
澪「ん?」
声をかけられ、振り向いた先にいたのは――
律「唯? 髪形変えた?」
唯?「あ、いえ、その、桜が丘高校の軽音部の方達ですよね?」
澪「うん、そうだけど……唯じゃないのか?」
どう見ても髪を後ろで縛った唯にしか見えないんだけどなぁ。
声も心なしか似ている気がするし。
憂「はい、私、妹の平沢憂といいます」
律「うわっ、似てる!?」
紬「髪型以外瓜二つね…」
憂「あはは、よく言われます……それでその、お姉ちゃんが部屋を片付けてるので、呼んで来てくれって頼まれまして」
澪「なんで自分で来ないんだ…」
律「まぁ、姉妹といえど互いの部屋を勝手に片付けるのもアレだしな。どっちの言い分もわかるよ」
澪「さすが弟持ち」
紬「私達にはちょっとわかりませんね」
たぶんムギは使用人に部屋を片付けさせているからだと思う。
あくまで私の勝手なイメージではあるけど。
憂「そう遠くはないのでついて来てもらえますか?」
律「うん。よろしくね、憂ちゃん」
憂「あ、はい!」
澪「これからテストの度にお邪魔するかもしれないからな…」
憂「あ、あはは……」
そうして辿り着いた唯の家は…まぁ、普通の一軒家で。
憂「ただいまー。お姉ちゃーん?」
律「部屋は上?」
憂「はい、呼んできますから少し待っててください」タタタ
軽やかに階段を駆け上がっていく憂ちゃん。
健気な妹だなぁ。こう言っちゃ何だけど、ほわほわした唯より頼りがいがある。
いや、どっちが好きとかそういうのではないぞ、断じて。って誰に言い訳してるんだ私は。言い訳なんかするまでもなく、私が惹かれてるのは唯のほう――ってそれも違う!
ただ、ただ唯にはあの時のお礼を言いたいだけで、好きとかそういうのは断じて無いっ!!
律「おーい、澪? 何一人で悶えてるんだ?」
澪「な、何でもない!」
唯「ごめーん、みんなお待たせ! あがってあがってー」トテテ
紬「お邪魔しまーす」
澪「ホラ行くぞ律!」
律「はいはい…わかりやすい奴め」
律「――いやぁ、しかし姉妹でこうも違うもんかね?」
唯「何が?」
律「いや……」
私と同じような疑問を律も抱いていたようだ。そっくりなのは顔だけだな、まさに。
まぁ当の本人はわかっていないようだし気にしてもいないようだから多くは語るまい。
唯「あーそうだ、憂がお茶とお菓子準備してくれてたんだ、持って来るね!」ガチャ
澪「……本当に出来た妹だなぁ」
律「一家に一人欲しいですな」
紬「そうですねぇ」
律「あ、そこはムギから見ても同意なんだ…」
紬「?」
そうして唯が戻ってきたところで本題の試験勉強を開始する。
先にお菓子とか雑談とかにかまけてしまうとどんどん脱線していってしまうのは既に私も学習している。唯のやる気があるうちに私とムギで出来るだけ詰め込む作戦だ。
その作戦は間違っていなかった。だけど、一つ見落としていた事があった。
律「ひまだー」ソワソワ
……赤点でこそないが、人に勉強を教えられるほど頭も良くない幼馴染の存在を。
澪「うるさい」
ぶっちゃけこの場には不要だ。仲間はずれも可哀相ではあるけれど、居ても何一つプラスにならない。
というかさっきからずっとソワソワしてて目障りでしょうがない。
律「そういえば憂ちゃんは?」
唯「なんか邪魔したくないからどこか行くとか言ってたよ」
律「ちぇー、一緒に遊ぼうかと思ったのに」
澪「ホントに何しに来たんだお前は…」
ま、そうやって誰とも仲良くなれるのは律の長所なんだけどさ。
そして、唯と似ている所でもある。そう考えると――いや、考えなくても羨ましいか。
紬「それにしても、お姉さんを立てるいい妹をお持ちね、唯さんは」
唯「……ムギちゃん、さん付けとかいいよー、くすぐったい」
紬「そ、そう? じゃあ…唯ちゃん?」
唯「うん、やっぱそっちのほうが落ち着くよ!」
紬「そ、そうかしら……」
唯「えっへへ~、ムギちゃーん♪」
紬「っ…///」
……ん? なんかムギが赤くなってるぞ。
律「(ムギと唯が一気に距離を縮めちゃったなぁ。いいのか澪?)」ボソッ
澪「(…どういう意味だよ?)」
律「(だーかーら、なんでお前はもっと積極的に行かないのかって話だよ!)」
澪「(いやいや……)」
積極的とか……それどこの恋愛相談だよ、まったく。
その、キ、キスこそされたけど、そういう目では見てないぞ、私は。そしてきっと唯も。
……いや、唯はそういう目で云々以前に忘れてるんだっけ。
あぁ、なんだろ、やっぱモヤモヤするなぁ。案外、律の言う通り積極的にいった方がいいのかな?
律のそういう積極性は、やっぱり羨ましいし。見習うべきなのかな?
――というわけで、唯が無事追試をクリア(しかも満点で)した後、私は積極的に一つの提案をしてみた。
澪「――合宿をします!」
名目は学園祭に向けた強化合宿。でも下心ももちろんあって、積極的に唯との距離を縮めて思い出してもらうためというのが本当の狙い。
もちろん、他のみんなの距離も縮まればよりいいんだけど。
とりあえず、そんな私の『下心満載だけど最終的には部のためにもなるはず』な提案はムギの所持している別荘で決行された。
――結果から言うと合宿自体は有意義なものだったと思う。
だが何より水着の唯は可愛かった。髪を横で束ねているのとかもうヤバかった。
……私、こんなキャラだったか?
いや、あの時からだ。合宿の夜――
唯『――やっぱり音楽っていいね! 合宿しようって言ってくれた澪ちゃんのおかげだよ! ありがとう!!』
――露天風呂で唯に手を握られ、真っ直ぐ感謝の言葉を告げられた時。
皮肉にも、感謝の言葉を伝えようとずっと前から心に決めていた私より先に。そんな私に対して告げられたその想いに。
素直で綺麗なその心に、私の心もきっと揺り動かされてしまった。
……これが恋愛感情だとは言い切れないけれど、それでもこの時から、唯の言葉が、仕草が、私の中で大きな意味を持つものに変わっていった。
――そして、学園祭も近づいた頃。今更我が軽音部に顧問がついた。
さ「――で、学祭でやる曲は?」
この人が顧問の山中さわ子先生。唯に黒歴史を暴かれ、律に脅されて堕ちてきた哀れな子羊だ。
もっとも、顧問のいなかった軽音部にとっては救世主なのだが。
ともあれ、美人で評価も高い先生が顧問についてくれたのは心強い。唯達によって晒されてしまった内面のアレっぷりは抜きにしても、だ。
というわけで、言うことには従おう。
澪「えっと、歌詞なら……」
唯「あるのー? 見たーい!」
澪「ひっ!? 唯はダメ!!」
唯「ええっ!? なんで…?」シュン
澪「ああっ、いや違う、その、恥ずかしいから…」
別に誰に見られても恥ずかしいんだけど、特に唯には…その、失望されたりしたら嫌だし…
さ「どうせ全員に見られるんだから一緒でしょうに。それどころか皆の前で歌うかもしれないのよ? 早く渡しなさい」
澪「は、はい……」
日々少しずつ書き溜めていたルーズリーフの中から一枚、山中先生に渡す。
自信作…というわけでもないけど、今のところ唯一最後まで書ききった歌詞だ。
唯「あぁ~……見たかったのに」
澪「ご、ごめん…」
紬「どうせ見れますよ、すぐに。ね?」
唯「うん……」
……落ち込む唯を見ると、胸が締め付けられる。
そんな顔をさせたのは私だ。いつもの私の、いつもの行動が。そう思うと、悔いる気持ちで一杯になる。
澪「……ううん、やっぱり私が悪いよ。こういう時は恥ずかしがってちゃいけないんだ…!」
恥ずかしがりな性格は私のコンプレックスの一つだ。だからこそそういうのとは無縁そうな律や唯が羨ましく映るのであって。
それに加えて、今回のは軽音部の進退に関わること。恥ずかしがってる場合じゃなかったんだ。
恥ずかしいけど、恥ずかしくても、唯と一緒に学園祭で演奏するんだと考えるとそうも言ってられない。私に出来ることは何でもして、成功させないと。
絶対に成功させる、そのためにはまず私が変わらないと!
律「………ふーん」ニヤニヤ
……と意気込んではいたんだけど、
フワフワターイム フワフワターイム
さ「うおぉ、体が…背中が…」カイカイ
律「しまった、澪だってことを忘れていた……てかお前、まだこんな詩を…?」カイーノ
澪「だ、ダメかなぁ…?」
少なくとも、褒めてくれてはいないのはわかる。
やっぱりダメなのかな…? 唯に見せなかった私の判断は正しかったのかなぁ…
さ「うっ、その……」
律「ゆ、唯はどう思う?」
澪「あっ、待って、見せちゃダメ――」
と手を伸ばすも、すんでのところで唯が先に取ってしまう。
唯「ゲットだぜー!」
澪「ちょ、ダメだってば!」
紬「まぁまぁまぁ」ガシッ
澪「ちょ、離せムギ――ぃ痛い痛い! 何この怪力!?」
紬「うふふ♪」
唯「………」ジー
ああああぁぁ……唯に、唯に読まれてるぅ……
やだ、ダメだ、人生終わった……
唯「すごくいい…」キラキラ
律「マジでー!?」
唯「私はすごく好きだよ、この歌詞!」ガシッ
澪「ほ…ほんと?」
唯「うんっ!」
人生始まった。超始まった。
どうしよう、すっごく嬉しい。きっと私、また赤面してる。
……あれ、でも待てよ? ちょっと不思議ちゃんな面もある唯がマトモな芸術感覚を持ってるかは怪しいような…
紬「いいんじゃないでしょうかっ!」ウットリ
さ「わ、私もこういうの好きかもー」キャピ
律「あれぇ!?」
先生、さっきまで微妙な表情してたくせに…
ムギはなんか私達のやりとりを見てから肯定しだした気がするし…
まぁ、それでも認めてもらえたんだとしたら嬉しいけど。特に唯に認められたのは。
紬「じゃあ多数決で決定ね!」
唯「わーい!」
律「とほほ……んじゃボーカルは澪、頑張って」
澪「えっ!? 無理! こんな恥ずかしいの歌えないよぉ!」
律「おい作者」
いや、その、恥ずかしがりを克服しようとは思ってるんだけど!
でもさすがに全校生徒の前で自分の脳内世界全開の詩を歌うなんてハードル高すぎるって! もうちょっとゆっくりやっていこうよ!
律「むぅ…予想はしてたけど、澪がダメとなると…」
唯「」キラキラ
律「…唯、やってみる?」
唯「えっ!? で、でも私、そんなに歌うまくないし…」テレテレ
律「あっそ。んじゃムギだな。あーもったいないなー、唯がやるって言えば決まりだったのになー?」チラッ
唯「わ、私歌う! 歌いたい! お願いします!!」ビシッ
……私が恥ずかしいと思った歌詞にここまで熱を上げる唯の感覚は、やっぱりきっと少しズレている。
ともあれ、唯が歌う方向でボーカルも交えた練習をすることになったのだが……
唯「――ギター弾きながら歌えない…」ズーン
さ「仕方ないわねぇ……一週間つきっきりで特訓してあげる!」
唯「せ、先生っ!」
さ「まずは歯ギターのやり方――」
唯「それはいいです」
律「――へぇ、唯のやつ、今度はさわちゃんとフラグを立てるつもりか」
澪「フラグ?」
律「一週間のつきっきりの特訓で一気に仲良くなるって事」
澪「ッ!?」
その時、私に電流走る――!
残念ながらひらめき的な意味ではなく、ショックの方で。
澪「わ、私も付き合います!」
唯「ほへ?」
微妙に違うのか
51:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 03:19:05.79:ZWOh/UcV0澪「ほら、こう、私達、ベースとギターだから! ライブパフォーマンス的な練習もしますから特訓に付き合います!」
さ「歯ギター?」
澪「それはいいです」
っていうか勿論パフォーマンスも嘘だ。何かと理由をつけて唯と一緒にいたいだけ。あるいは唯と誰かが私の知らないところで仲良くなるのが気に入らないだけ。
……あれ、なんかイケナイ思考回路になってきてないか、私。
律「――んじゃ私らは帰るけど…」
さ「後は任せときなさいな。一流のギタリストに仕上げてみせるわ!」
澪「………」
律「なんかいろいろ不安が残るけど…まぁ、いいか」
紬「それじゃあお先に失礼しますね」
唯「またねー」
帰り際に律が親指を立てていった。うざい。
さ「……さーて、それじゃ始めますか! あ、澪ちゃんは帰りが遅くなるって連絡しといたほうがいいわよ?」
澪「私は、って? 唯は憂ちゃんに連絡しなくていいの?」
唯「あ、うん、大丈夫大丈夫」
澪「大丈夫って、そんなわけ……」
あんな健気でいい子の妹さんを不安にさせるのはどうかと思うぞ、唯。
さ「あー、そっちは私が連絡しておいたから、ね?」
澪「いや、さわ子先生ずっと一緒にいたじゃないですか…」
さ「連絡しておくから、ね?」
澪「…はぁ、まぁ、そう言うなら…」
腑に落ちないけど、とりあえず電話をかけに部屋の隅へ。
さ「……ごめんね、うっかりしてた」
唯「いえ…いつかは言わないといけないとは思ってるんですけど」
……何を話しているんだろう、二人は。よく聞こえない。
澪「あ、ママ。今日から一週間、練習が長引くから。うん、うん、大丈夫。ごめんね――」
――そして一週間後。律が案じていたような事態は起こらず、学園祭を三日後に控えて。
澪「いやー、唯のギターもだいぶ上達したな!」
唯「」コクリ
さ「唯ちゃん、昨日の課題ぶん、ちゃんと発声練習してきたかしら?」
唯「」コクリ
澪「……なんで喋らないの?」
唯「こ゛え゛か゛か゛れ゛た゛」
澪「」
さ「」
――結局、本番は私がボーカルになってしまった。どういうことなの……
終わってみればそれだけでは済まず変な衣装は着させられるし、下着まで晒してしまうし、本当に踏んだり蹴ったりの学園祭となった。
ただ、悪かったことばかりじゃない――
ワァァァァァー
澪(っ…人が…たくさん…! 律っ……)
律(澪――いや、そろそろしっかりしてもらわないと。いつまでも私と一緒にいれるわけでもないんだぞ?)
澪(っ、そんな……無理…怖い……)
失敗したらどうしよう。演奏を間違ったら、歌詞を忘れたら、みんなの頑張りを台無しにしちゃったらどうしよう。
恐怖が、プレッシャーが、頭の中で巡り巡って踊り狂う。他のモノ全てが認識できなくなるほどに。
……そうだよ、私は楽器や歌の練習こそしてたけど、プレッシャーに打ち勝つ特訓なんてしていない。
少し引いたところで演奏するのが限界の私が、そもそもこんなに沢山の人の前で、私がいつも通りにやれる保障なんて、何一つないんだ――!
澪(っ……だめだっ――)
押しつぶされそうになった、その時。
怖さばかりが渦巻いて他の全てを拒む私の心に、なぜか一つだけ、すっと入ってきたモノがあった。
唯「澪ちゃん!!」
澪「っ!?」
唯「私、澪ちゃんが頑張って練習してたの知ってるから!」
澪「あ……」
見てた…の?
唯が、私が誰よりも自分の事を見て欲しい人が、見てくれていた…?
唯「私のせいだから偉そうなことは言えないけど…でも、澪ちゃんは誰よりも頑張ってたんだから、絶対大丈夫だよ! がんばろう!!」
澪「唯……」
……確かに唯のせい、ではあるけど。でも唯の代わりだから、私は頑張れたんだよ。
唯も頑張ってたから、それを無駄にしたくないから、私は頑張れたんだよ。
……そうだ。ちょっと恥ずかしいくらいで、私達の重ねてきた時間を、ぜんぶ無駄になんて出来るものか!
澪「――歌います! ふわふわ時間ッ!!」
――間違いなく、最高の演奏が出来た。
それに唯は、まだ喉も痛いはずなのにコーラスで参加してくれた。それが何より嬉しかった。
と同時に、その痛む喉で私を勇気付けてくれたんだと思うと…また助けられちゃったな、という気持ちにもなるけど。
でも、この頃になると逆に開き直れてきてもいた。
きっと、私と唯は一生の友達になれる。ずっと一緒にいられる。だから焦ることなんてない、と。
じっくり、少しずつ唯に恩を返していけばいいと。
でも、すぐに私はそんな考えを悔いることになる。
もっとも、悔いたことろで時間は戻らないのだけれど。
――新年度。
澪「」ポツーン
……どうしよう。まさか友達誰とも同じクラスになれないなんて思わなかった。
それに…唯と律、ムギは同じクラスだって言うじゃないか。何か間違いでもあったらどうするんだ…!
いや、それも心配だけど、同じくらい私の今後も心配というか不安だぞ……便所飯コース一直線じゃ――
和「あ、澪」
澪「あっ!」
和「よかったー、唯ともクラス離れちゃって心p――」
澪「よろしくっ!」ガシッ
和「早っ!」
――だが、こんなのは序の口にすぎなかった。
新入生歓迎会で唯と息の合ったダブルボーカルを披露し、二人の相性を確かめ合ったのも束の間。
そう、奴が現れたんだ――
梓「――中野梓です! よろしくお願いします!!」
唯「かーわーいーいー!!」
さ「ネコミミつけてみ」
律「ニャーって言ってみ」
梓「にゃ、にゃー?」
唯「あだ名はあずにゃんで決定だね!」
澪「………」
律達がからかう対象が梓に移った…のは、別にいい。それどころか喜ばしいことだ。
ただ、唯の視線が、今まで私に注がれていたはずの眼差しが、全て向こうに行ってしまった。
それが……どうしようもなく寂しかった。もちろん梓は大切な後輩なんだ、憎んだりなんて出来ないけれど。でも……
律「…いや、あまり気にするなよ? 後輩を可愛がりたいのは誰だって一緒だろ?」
澪「そりゃそうだけど…」
律「いいじゃないか。澪も尊敬されてるみたいだぞ?」
澪「それは…嬉しいけど」
律「最初だけだって。な?」
澪「うん……」
そうだ、きっといつかは飽きる。
梓には悪いけど、私はそう思い込むことでどうにか自分を保っていられた。
和「――軽音部はどう? 唯はうまくやってる?」
澪「一つの事覚えたら一つの事忘れて大変よぉ」
あ、私今唯の保護者っぽい! ヤッホゥ!
……ん、そういえば和は唯の先代保護者なんだよな……いろいろ聞いておいてもいいかも?
唯「――あの二人、なんだかいいムードですわよ? りっちゃん」
律「ううっ、よかったなぁ澪。お前のことだからぼっちで便所飯してるんじゃないかと思ったが…友達作れたんだな…」
唯「っていうかクラスに知り合いがいたってだけじゃん…大袈裟な」
律「それでも澪からすれば大きな進歩なんだよっ!」
唯「あはは……まぁ、本題忘れてないよね?」
律「おうよ! 突撃だー!」
唯「おー!」
澪「ギャー! なんか来たー!」
和「あら唯。何かあったの?」
唯「実は期末テストのことなんだけど――」
和「却下。自分でやらないと力にならないわよ?」
唯「いじわるー、ぶー」
……唯のあしらい方…勉強になるなぁ。やはり和からはいろいろと学ぶことはありそうだ。
ただ、本音を言うならば唯が私を先に頼ってくれたら私がコーチしてあげるつもりだった。ちょっと悔しい。
――結局、期末テストはいつも通り、律には私がつきっきりでコーチすることになり。
一方唯は憂ちゃんに助けてもらったらしい。それってどうなんだ。
澪「そういえば、憂ちゃんはどこに進学したんだ? 一つ下だったよな、確か」
和「えっ? 唯、言ってなかったの?」
唯「あー、うん。憂はね、主婦になりました」
澪「えっ!? 結婚したの!?」
唯「そうじゃなくて…その、私が家事とかサッパリだからね、家にいてくれるというか…」
要約すると進学も就職もしなかった、ということだろう。
レスポールを買えるくらいのお金はあるんだし、金銭面の問題ではないだろう。というか、唯が言ってるままの理由だと思われる。
和「…まぁ、そう簡単に言える問題でもないわよね」
澪「和は知ってたの?」
和「まぁね。幼馴染だし」
……軽く言い放てる立場が羨ましいよ、和。
しかし憂ちゃん、最終学歴が中卒って、このご時勢かなり辛いんじゃないだろうか。いい子なだけに不憫すぎる。
そして、そう思っていたのは私だけではなかったようで。
律「でもなぁ……言いにくいけど、さすがにそれは行きすぎじゃないか? 憂ちゃんにも憂ちゃんの人生が――」
和「言いたいことはわかるけど、憂は中学さえもマトモに通ってないのよ?」
律「そう…なのか?」
和「色々あったのよ。そして、憂は唯の世話をすることに自分の居場所を見出した。大体そんな感じ」
バッサリと切り捨てる和は、それ以上の追求を拒むようであり、また、他人が口を挟むなと脅すようでもあり。
要するに有無を言わさぬ力強さを持っていた。そしてもちろんそれは唯の、そして憂ちゃんのためだとわかるから、和個人を批判もできない。
ただ、二人の間には割って入れないような絆があるような気がして、また少し嫉妬してしまった。
……思ったよりもライバルとなりうる人は多いようだ。
――夏休み。今年も海で合宿をしたんだけど、唯は髪型を変えてなかった。残念。
――そして夏休みが明けて。唯のギターのメンテナンス関係でさわちゃんに売られかけた。
冷静に考えれば冗談だとしても酷い話なんだけど、唯に絡まれたのも久しぶりだったので少し嬉しかったのを覚えている。
それよりも、夏休み明けといえば学園祭だ。梓も交えた初めての舞台。
梓は唯を巡るライバルだけど、それ以前に同じ部活の仲間だ。こういう時はちゃんと一致団結しないとな。
――と思っていた矢先。
唯「風邪ひいたぁ……」
澪「おいぃぃぃぃぃぃ!?」
【1】
――
―――
――そして今に至る。今は厳密には学園祭三日前。
唯抜きでの空虚な練習は私にとって大した価値はなく、律のティータイムの提案に安易に乗ってしまい、どういうことか過去話をする流れに。
澪「――えっと、唯と憂ちゃんは、仲良く姉妹やってるじゃないか、今も」
梓「今も、って……まさか」
澪「うん。その昔逢った姉妹の片方、姉の方にはもう逢えないから、かな。死んじゃったんだ。理由も知らないし、名前も知らない私はもちろんお葬式にも出れなかった」
紬「……急に重くなった」
澪「ごめん。でもそこまでなんだ。姉のほうが死んだのもマ――お母さんが近所の親伝いに聞いたらしいし、妹の方とも未だに会えてないからね」
律「……もしその姉が生きていたら、唯と憂ちゃんみたいな姉妹になっていたかな、ってことか」
澪「そういうこと。まぁ彼女が死んじゃったせいで私はちょっと塞ぎこみがちになっちゃった、っていうオチだよ」
律「あぁ、私の出逢った『本ばっかり読んでる澪ちゃん』が出来上がったのはそういうワケがあった、って話なのね」
澪「うん」
梓「…まぁ、子供心には大きすぎますよね、仲のいい友達の死なんてものは」
澪「だからこそ唯と憂ちゃんには、ずっと仲良くいて欲しいと思うよ」
紬「でもそうなると、澪ちゃんの一番の障害は憂ちゃんよ?」
澪「ちょ、ムギ!?」
梓「障害? 何するつもりなんですか? 澪先輩は」
律「梓、お前も障害なんだぞ? 気づいてないかもしれないが」
澪「こら律! 余計な事言うな!」ゴツン
律「あいたー!?」
梓「え? え?? 何なんですかー!?」
……やはり、去年の合宿の時のお風呂場での一件を知っている人にはバレバレなようだ。なんか悔しい。
――学園祭前日になっても、不幸なことに唯の風邪は治っていないようだ。
唯にメールしてみたところでは憂ちゃんが看病してくれているらしいが。病院に連れて行っておくべきだったかな…
だって唯の家の両親、あまり家に居ないし。
不安になった私は、一人で唯の家までお見舞いに行くことにした。
人の家に勝手に入るわけにもいかないので家の前からとりあえずメールしてみる。起きてればいいけど……
澪「……お、起きてるのか」
返信されてきたメールには家の鍵の隠し場所が書かれていた。そんな簡単に教えていいのか。
いや、信頼されてるという意味では嬉しいんだけど。そうじゃなくて、憂ちゃんが家にいるんじゃなかったのか…?
……とりあえず、隠されていた鍵を使ってお邪魔する。
澪「唯ー、大丈夫かー?」ガチャ
唯「ふへぇ……みおちゃん…」ズビズビ
澪「うわぁ、いきなりすごい鼻水だな! 本当に大丈夫なのか?」
唯「んー……本番は私抜きのほうがいいかも…」
澪「……あー、そうだ、梓から伝言だ。唯が出ないなら棄権する、ってさ」
唯「あずにゃん……それって…」
澪「もちろん私も同じ意見だ。もう一日しかないけど、治すよう努力しなさい!」
唯「はい……」ズルズル
澪「……すごい汗だな…」
唯「あー……着替えた方がいいかなぁ」
澪「そうだな……憂ちゃんが看病してくれてるんじゃなかったのか?」
唯「…あまりにも長引くから、憂に移しちゃ悪いと思って……」
澪「逆だろ…あまりにも長引くなら、尚更ちゃんと看病してもらって治さないと」
唯「うん……でも見ての通り、憂には出て行ってもらっちゃったし…」
澪「………」
おかしい。
ようやく、遅すぎるくらいにようやく私の心に芽生えた不信感、あるいは違和感。
あれほどちゃんとした憂ちゃんが、唯の看病をしないなんて有り得るのか?
和も言っていた、唯の世話に自分の居場所を見つけた、と。
なのに、何故憂ちゃんはこの場にいない? 一体、今どこで何をしているんだ?
唯「――うぃっくしっ!」
……いや、今は考えるのはよそう。唯の風邪を治すことが先決だ。
一日でどこまで出来るかはわからないけど……
澪「……熱は? 薬は飲んだ?」
唯「うーん……熱冷ましをちょっと前に飲んだんだけど」
澪「ということは汗もそれから来てるのかな。じゃあ……」
……やっぱ、あれだよな。汗を拭いて、着替えさせるべき…だよな。
唯「?」
澪「……脱げ」
唯「……みおちゃんって…」
澪「汗を拭いて着替えないと風邪が治らないから脱げ!///」
唯「は、はひっ!」
澪「……た、タオルでも持ってくる。どこだ?」
和「はい、タオル」
澪「あぁ、ありがt――」
……え?
澪「うわぁぁ!? いつから居たの!? 和!」
和「たった今よ。澪が脱げって迫ってる時」
澪「すっごい誤解を招く言い方!?」
和「まぁ私は帰るから、あとは若いお二人でよろしくしなさいな」
澪「誤解招きすぎ!?」
唯「あー、のどかちゃん……あのさ…」
和「……唯、澪。ライブ楽しみにしてるからね。今はそれだけを考えなさい」
澪「あ……うん」
唯「……うん」
和「…それじゃ」ガチャ
結局、何をしに来たのかはわからなかったけれど。和も和なりに唯を心配してるんだというのはよくわかった。
生徒会で忙しいだろうに、こうやって暇を見つけてはお見舞いに来ていたのだろう。
……私の憂ちゃんに対する疑問の答えがどうであれ、和は和らしく唯を心配している、それは事実だ。
そしてそんな和は、私にちゃんと忠告してくれた。ならばそれに従おう。
澪「……じゃあ、脱がすぞ、唯///」
唯「う、うん……///」
パジャマの前ボタンを外しているだけで顔が赤く、熱くなっていくのがよくわかる。私も、唯も。
澪(あ、寝る時はブラしないんだな、唯は――)
って、ついマジマジと観察してしまう。落ち着け、落ち着くんだ私。
……そうだ、和の忠告に従い、無心で、ただ無心で。
これは看病だ、いやらしいことなんて何も無いんだ。っていうか一緒にお風呂に入った仲じゃないか、何を今更……
唯「……し、下着は?」
澪「………」ゴクリ
唯「み、みおちゃん? 目が据わってるよ?」
澪「……悪いけどそのままでガマンしてくれ。私がヤバい」
唯「う、うん…? よくわからないけど、さすがに下着は恥ずかしいし、助かるよ…」
澪「じゃ、じゃあ拭くぞ…?」
唯「よ、よろしくお願いします…」
――眼前に広がる宝石のような肌に、そっとタオルを乗せ、力を込めた。
そしてそれ以降の鼻血以外の記憶は無い。
――二度目の学園祭は、意外にも何事もなく終わった。
私の看病の成果か、唯は元気に登校してきた。
「ギターを忘れかけたけど憂のおかげで助かった」と聞いたときはヒヤヒヤしたが。
そして肝心の私達軽音部のライブも、大盛況で幕を閉じた。
――それはもう、この上なく不自然なほどに完璧な演奏だった。
だって、一週間以上風邪で休んでいた唯が、あんな完璧な演奏をするなんて誰がどう見ても不自然だろう?
律やムギは深く考えていないようだし、梓に至っては「見直しました!」とか言って以前より唯にベッタリになってしまったが、私だけはずっと疑問を持ち続けていた。
私でも一週間以上、それも本番の前日まで風邪をひいていたような状況なら間違いなく完璧な演奏なんて出来ない。
それこそキャンプファイアーを囲んで「酷い演奏だったなぁ」と言っているのが目に見える。そしてきっとそれが自然な姿。
でも別段そのことで誰かを責めたりはせず、今まで通りに仲良くやっていくんだ。私達の音楽は、そうやって続いていくんだ。
でも、今はとてもそんな未来は見えない。
唯が、唯の存在が、何よりも不自然すぎた。病み上がりでぶっつけ本番のライブを成功させるなんて、人間の域を超えた天才の成す業としか思えない。
いや、本当はもう一つ、説がある。
あまりに突飛な説だけど。それでも考えられるのは。
――ライブを成功させた彼女は唯ではない、という説だ。
澪「――どうかな、そんな仮説は」
後夜祭の最中、こっそり呼び出した彼女――唯に、推理をぶつけ、問いかけ、そして名を呼ぶ。
澪「……ねぇ、憂ちゃん」
?「………」
澪「憂ちゃんの今日までの行動には不可解な点が多々あるけど、とりあえずライブの事だけに絞って考えるなら有り得ない話じゃないと思うんだ」
髪を下ろせば誰一人として見抜けないほど唯にそっくりになるであろう憂ちゃん。
彼女がライブに出ていたというなら納得はいく。
澪「本当の唯はまだ風邪をひいていて……見かねた憂ちゃんが演奏しにきたと言うなら、一応筋は通る。それこそ唯が倒れてからの一週間、ギターを特訓でもすれば」
いや、きっとそれ以前から唯のギターを耳にしているだろう。一緒の家に住んでいるんだし。
もしかしたら一緒に練習もしているかもしれない。そんな彼女なら不可能じゃないと私は思う。
むしろ彼女にしか出来ないことなのだ。
でも、彼女の答えは私の予想していたものとは違っていて。
憂「……確かに、私は憂です。けど、澪さんの推理が当たっているのはそこだけですよ」
澪「……そっか。やっぱり似合わないことなんてするものじゃないな」
憂「……私は、澪さんになら真実を話してもいいと思っています。どうかな、お姉ちゃん?」
澪「えっ、唯!?」
唯が今、どこかにいるのか?
確かに憂ちゃんは私の推理をハズレだと言った。ということは唯の風邪も治っているということ。この場にいても不思議ではないが…
憂「お姉ちゃんに代わります、澪さん」
澪「え? 代わる??」
憂「はい」
……そう言って憂ちゃんは目を閉じる。そして、次に彼女が目を開いた時――
――そこにいたのは、間違いなく唯だった。
眼前の『唯』を憂ちゃんだと暴いた私をもってしても、そこにいるのは他ならぬ唯にしか見えなかった。
見えない、というのは語弊があるようなないような。見た目は何一つ変わってはいない。でも、雰囲気が『目に見えて』変わっているんだ。
憂ちゃんのから、唯のそれへと。
唯「――えっと、どこから説明すればいいのかな」
澪「……わからないことだらけだよ」
本当にわからないことだらけで、聞きたいことを挙げろと言われたらいくらでも挙げれる気さえする。
けれど何よりもわからないのは、『私は唯の真実を本当に知りたいのか』という事だった。
そう、他ならぬ自分の感情がわからなくなっていた。
きっと、唯のことなら何でも知りたい。それが私の本心のはず。
なのに、理解の届かない真実を目の当たりにして、私は迷っていた。
いや、迷うどころか尻込みしている。
今から告げられる真実は聞くべきではないと、知ってはいけないと、私の中の何かが警鐘を鳴らしている。あまりにも『日常』と剥離しすぎている。たとえどんなカタチの真実であろうと。
でも、それでも。
唯の友人として、そしてその『理解できない真実』を目の当たりにした者として、聞き届けなければいけないのだろう。
唯「えっと……その、私は……ううん、私達は、同じ身体で生きてるっていうのはわかっちゃったよね?」
まぁ、見ての通り受け取るならそうなる。にわかには信じがたいけど。
澪「……二重人格?」
唯「うーん、近いかな。私の魂だけが憂の中に入っちゃったというか」
澪「……魂だけ…って?」
唯「……身体は、憂のものなんだ。居候みたいな感じで…」
澪「そうじゃなくて! 唯の…唯の身体は!?」
唯「えっと……」
激しくなる。
警鐘が。
そうか、知ってはいけない真実が、目の前にあるのか――
唯「……もう、ないんだよね」
……全てが、繋がる。
矛盾は解け、違和感は消え、真実は白日の下へ。
唯「……明日、会えないかな? 二人だけで」
澪「………うん」
――学祭の翌日は、大体の学校で休日である。週末に開催されたとしても振り替え休日になる。
我が桜が丘高校も例に漏れず休日であり、そんな日に唯と会えるのは嬉しいことに違いないはずなのだが。
それでも、私は気乗りしなかった。
唯のことが嫌いになったわけではない。嫌いになる要素なんて何もない。隠し事をしていた? それが何だ。言ったところで誰も信じないだろう、あんな話。
だからあれは転じて、打ち明けてもらえたことを、信頼されていることを喜ぶべき事象なんだ、むしろ。
それでも気乗りしない理由は、そんな後に『唯のほうから誘われた』ということに他ならない。
今までと変わらぬ二人でいよう、というなら誘う必要なんてない。あったとしても、それをするべきは隠し事をされていた側の私だ。
つまりは、二人の関係は変わってしまった、ということ。それを自覚した上で、唯は私に会いたいと言ってきたという事。
……良いことが起こる予感なんて、何一つなかった。
唯「――おはよ、澪ちゃん」
澪「おはようって、もう昼過ぎだぞ」
唯「いいのいいの。第一声はおはようがいいと思わない?」
澪「……まぁ、わからないでもないけど。っていうか何か顔色悪くないか?」
唯「あー、うん、夜更かししてた…っていうか、夜更かししてもらったの、憂に」
澪「……どういうこと?」
唯「…今日は、憂には聞かれたくなかったから、寝ててもらう、ってこと」
……そう端的に言われてもちょっと困るんだけどなぁ。
澪「夜更かししたせいで、唯の中で憂ちゃんは寝てるってこと?」
唯「そ。勿論ぐっすり寝た私は元気だよ。二人っきりで目一杯遊びたかったからね!」
まぁ要するに憂ちゃんが夜更かししてたから私からは体調が悪く見えて、でも唯は寝てたから普通に元気で?
病は気から、とは言うが、体調がすぐれないのは唯の気力だけでカバーできるものなのだろうか。
でも、それで案外何とかなるとすれば…
澪「もしかして学園祭の時はそれの逆な感じで?」
唯「うん。私が風邪の辛さを全部引き受けたから憂はうまく演奏できたんだと思うよ、多分」
澪「…それでよかったのか? 唯だって…演奏したかっただろ?」
唯「そりゃ…したかったけど。でも風邪ひいたのも自業自得だし。しかも憂の身体なんだよ?」
あぁ、後ろめたい気持ちは一応あったんだな。
いや、常に持っていたのだろう。唯から直接聞いたことはないとはいえ、和のあの庇いようと、そして何より私の知る唯ならそうだろう、という確信があったから。
……しかし、一つの身体に二人の魂というのも、いろいろ大変そうだ。
澪「…まあ、唯が決めたことならいいか。それで、どこか行きたい所とかあるの?」
唯「ん~、ハッキリと行きたい『場所』は一ヶ所だけかなぁ。あとは澪ちゃんと一緒ならどこでもいいや」
澪「じゃあ、そこから行こうか」
唯「えっ?」
澪「唯の行きたい所。その後の事は行ってから考えよう?」
唯「……う、うん…」
虚を突かれたように頷く。唯にとっては予想外だったのだろうか。もしかしたら今日という一日の〆として行きたい場所だったのかもしれない。
でも、私としては先に行きたかった。その『場所』に心当たりがあった。
そして、それが当たっていたならいろいろと答え合わせをしたかった。唯と。
そうしないといけない気がした。不安だった。
……つまるところ、私は得体の知れない焦燥感に突き動かされていた。
――そして、私の心当たりは的中する。
的中したところで、喜びも驚きもなかったけれど。
確信があったと言えばそうだし、それ以上に、私と唯ならこうなることが目に見えていたし、そうでないと全てが壊れてしまうから。
息を吸った先に空気がなかったら、誰だって困る。それと全く同じ。私の中では呼吸と寸分違わぬ、起こるべくして起こった現象にすぎなかった。
澪「――あの時、『ここ』で助けてくれたのは…唯のほう、でいいんだよな?」
唯「…うん。澪ちゃんを見つけるまでは『憂』だったんだけどね」
澪「……ありがとう。あの時助けてくれたこと、一瞬たりとも忘れたことはなかったよ」
唯「どういたしまして…でいいのかな。助けたのは私のわがままに過ぎないのに」
澪「それでも、私は今、生きててよかったって心から思う。だからありがとうなんだ」
やっと、やっと言えた私の本心。偽りのない言葉。ずっと昔から背負ってきた想い。
言葉にして唯にぶつけたことで、ようやく私は唯と向き合えた気がした。
ようやく『今』の唯を見れる気がするし、唯も『今』の私を見てくれる気がする。
唯「…そっか。なら無理言って替わってもらった甲斐もあるってものだねぇ」
澪「無理言って?」
唯「……憂はきっと、私が無茶をするってわかってたんじゃないかなぁ。相手が澪ちゃんだったから尚更、ね」
……それはどういう意味だろう?
も、もしかして、唯も私みたいに、どこか特別な目で見てくれてるとか…?
唯「だって澪ちゃん、昔っから目が離せない女の子だったからね~。しっかりしてるようで危なっかしいんだもん」
澪「あ、あぁ、そうですか…ごめんなさい」
唯「へ? い、いや、責めてるわけじゃなくてね?」
澪「あ、いや、私もその、唯の言い方に謝ったわけじゃなくて……その、思い上がっていた自分にというか」
唯「???」
やめてくれ、もうこの話はやめてくれ。どうにかして話を逸らさないと。
澪「っていうか、唯はやっぱり高校で会った時から私の事を覚えてたんじゃないか!!」
唯「う、うん。そりゃ澪ちゃんみたいな綺麗で可愛い子を忘れるわけないよ」
澪「じゃあなんで私を無視したんだ!? ショックだったんだぞ!?」
唯「あ、ご、ゴメンね。私の事なんて覚えてないと思ったし、覚えてて欲しくもなかったから」
澪「えっ……」
……前者だけなら否定できた、その言葉。
覚えてて欲しくない。その真意は何なんだろう?
唯「…ホントはね、あの時の音楽大好きな女の子が、今ちゃんと楽しくやれてるのかなぁって一目見て帰るつもりだったんだ」
澪「だから…辞めるって言ってたのか」
唯「うん」
澪「じゃあ、なんで心変わりしたんだ?」
唯「だって、私が辞めるって言った瞬間の澪ちゃん、世界の終わりみたいな顔してたよ?」
……そんな顔をしていたのか、恥ずかしい。っていうかよく見てるな…
澪「あー、じゃあ、その、やっぱり…?」
唯「まだちょっとほっとけないかなぁ、って…」
私は唯に対してそんな感情を抱いていたけれど、同じように唯も私に抱いていたということか。
まぁ何だかんだで先に手を差し伸べたのはあの時の唯のほう。私が唯を世話しているように見えても、唯もずっと私を見守っていてくれたんだ。
唯「本当なら、私の事なんか忘れて青春してほしかったんだ。ほら、私はこんな身体…というか存在、だし…」
澪「……そんな言い方するな。唯は…生きてるじゃないか」
唯「生きてるのは…憂だよ。私は憂の時間も自由も権利も奪って、憂に寄生してるだけの存在」
澪「やめてくれ……そんな言い方。それに、それは私のためなんだろ?」
私をほっとけなかったから、唯はこうして表に出て来ている。だから少なくとも、唯が自らを責める必要はないはずなんだ。
それに何より、大好きな唯のことを悪く言われるのが耐えられなかった。たとえその唯自身が言うことだとしても。
いや、むしろ自虐だからこそ聞きたくなかったのかもしれない。唯にはいつでも笑っていて欲しかった。
……ああ、これってやっぱり、私は唯の事が――
唯「――でも、もう大丈夫だよね?」
澪「……え?」
唯「もう、私がいなくても澪ちゃんは大丈夫だよね?」
澪「ゆい…? 何を……」
唯「そろそろ、全部憂に返してあげようと思うんだ。憂が寝てるうちに全部終わらせて――」
澪「無理っ! 唯がいないと、私は…!」
唯「…みんなの前で歌えるくらいになったじゃん、澪ちゃん。以前とは比べ物にならないくらいの量の尊敬の目で見られて、それでも澪ちゃんはちゃんと澪ちゃんだよ。だから大丈夫」
違う……それは違うよ、唯。
唯が、唯が隣にいてくれるから頑張れるんだよ? 前も言ったじゃないか……
……言ったっけ? あれ、言ってない?
もしかして私は、一番大切な想いを、口にしていない?
好きだって…伝えていない?
だから唯は…私から離れていっちゃうの? 私は、唯がいないと何も出来ないのに……!
澪「唯っ!!」
唯「……みお、ちゃん?」
後ろから抱きつき、大きく深呼吸。
……大丈夫、ちゃんと言える。恥ずかしくなんてない。唯を失わないためなら、何でも出来る…!
澪「好きだ……好きなんだ、唯のことが! だから……どこにも行かないで! ずっと一緒にいて!!」
唯が息を飲む気配がする。後ろから抱き着いて、なおかつ目を閉じて思いの丈をぶつけた私には、その表情は窺い知れなかったけれど。
それでも唯は茶化すこともなく、真剣に私の言葉を受け止めてくれた。それだけはわかった。
そして。
その先に、唯の口から発せられた言葉は。
唯「……澪ちゃん、ごめん」
そんな、拒絶の言葉だった。
唯「……澪ちゃんが私の事を好きになっちゃってるなら、尚更私は消えないといけないよ。私はもう、本当ならこの世にいないんだから」
「むしろ、もっと早くこうするべきだった。わがままばっかり言ってるから、澪ちゃんの中で私の存在が大きくなっちゃった」
「本当に……ごめん」
……反論したかった。私の中で、唯という存在はずっと大きかったんだ、と。きっと一緒に遊んでいたあの頃からずっと好きだったんだ、と。
でも、きっとそんなことを伝えたところで何も変わらない。唯の決意は揺るがない。
好きだと、心の奥底にある想いをそのままぶつけたにもかかわらず揺るがなかった唯の決意を、そんなお情け話で崩せるとは思えない。
だったら。だったらどうすればいいのか。
唯が消えてしまう。
どうするのかなんてわからないけど、唯が言うんだから事実だろう。
唯が消えてしまう。
私の前から。やっと会えたのに。やっとお礼も言えたのに。やっと好きだって言えたのに…!
唯が消えてしまう。
そんなの……そんなこと……私は…!
葛藤の末、私が出した結論は。
澪「……わかった、諦める」
唯「……本当に、ごめんね」
澪「いいよ。でも……まだ時間はあるだろ? せめて…今日一日で、消えない思い出が欲しい。色褪せない永遠の写真が欲しい」
唯「うん……なんでも、どこでもいいよ。澪ちゃんに付き合うよ」
……私が出した結論は、唯を『縛り付ける』ことだった。
唯「――今更私の家なんて来ても、何もないのに…」
澪「いいんだ。唯の家、唯の部屋ってだけで意味があるんだから」
唯「そういうものなのかな……」
澪「………」
……私は今、10何年と生きてきた中で最も汚く、狡賢い思考をしている。
唯を縛り付ける。そうは言ったものの、唯の決意は固く、成功するかはわからない。
でもこのやり方なら、成功しても失敗しても、私は得をする。
だって、だって私は……唯が好きなんだから。世界中の誰よりも、唯を愛しているから。だからこれくらいの事は、きっと許されていいはず。
澪「唯」
唯「うん?」
澪「キスしていい?」
唯「ほえっ!?」
いつぞやのように床に腰を下ろしている私達。唯の隣まで行くのは容易だった。
澪「いい?」
唯「だ、だめ…」
澪「どうして?」
唯「だって…憂の身体だし…」
澪「バレないよ、キスくらい」
唯「で、でも……」
澪「…嫌なら嫌って、ちゃんと言ってくれ。ダメじゃなくて、イヤ、って」
唯「イヤってほどじゃ……」
澪「じゃあ、いいよね?」
唯「う、うぅ……」
……我ながら卑怯な質問だが、心は痛まない。
いや、痛む余地すらないほどに心が冷え切っていた、というのが適切か。
唯を騙し、無理矢理迫る。そんなこと、正常な心で出来る筈がない。痛むことのない、凍てついた心でないと。
そしてそんな凍てついた心は、愛する人の温もりを求め、暴れ回る。
澪「目、閉じて」
唯「……うん」
観念したように目を閉じる唯。私としては『諦めた』より『誘惑に屈した』のほうが嬉しいんだけど。
しかしそんな考えが頭をよぎったのも一瞬。唯の唇を見た瞬間、吸い寄せられるように私は自らの唇を押し付けていた。
澪「んっ……」
温かい。言葉にするとただそれだけのものが、信じられないほどの幸福感を伴いながら、唯の唇から私の全身へと流れていく。
私のファーストキスは、ずっと想い続けて来た、愛する人とのキスだった。それだけで充分すぎるほど満たされるものだけど、それでも私は聞かずにはいられなかった。
私はどうやら、自分が思っているよりずっと貪欲な女らしい。
澪「んっ……ふぅ、唯…」
唯「はぁっ……な、なに?」
澪「唯は…キス、何回目?」
唯「えっ!? そ、その……」
澪「私は、初めてだったよ」
唯「……わ、私も。こんなにあったかいものだったなんて、知らなかった…」
『初めて』の共有。同じ感覚、想い、感想の共有。それらによって溢れ出した多幸感が、私の脳を麻痺させていく。
……あぁ、どうやら私は、自分が思っているよりずっとずっと貪欲らしい。
……もっと、もっと欲しい。唯が、幸せが、私と唯だけの時間が欲しい。
頬を赤く染める唯に再度キスをしながら、床に押し倒す。キスの延長上に見せかけ、後頭部だけは手で守ってあげながら。
唯「みお…ちゃん?」
澪「……何をしたいか、わかる?」
唯「わ、わかるような、わからないような……」
どっちだ、と問い詰める代わりにもう一度キスをする。言葉なんていらないと思ったのも事実だし、私が唯とのキスに酔っていたのもまた事実。
唇を離す際に、何気なく示唆する意味を含め、唯の上唇を舌で舐めてあげた。
唯「ひゃんっ…! や、やっぱり、そういうこと…?」
澪「うん。そういうこと、したい。初めてだから上手く出来るかは自信ないけど…」
唯「わ、私、そういうのぜんぜん知らないから…どうすればいいのか…」
澪「何もしなくていいよ。私が唯にしてあげたいんだ」
そう、それが私の作戦。唯を縛り付けるための、汚いやり方。
ちゃんとできる保証もないし、唯が満足してくれるかはわからない。でも、上手く気持ちよくさせることが出来れば、唯が満たされてくれれば、私と一緒にいてくれるかもしれない。
上手くいかなくても、唯と寝たこの時間は、永遠の一瞬は、私の宝物になるだろう。もっとも、それだけで私が満たされるかは怪しいけれど…
澪「……服、脱がしていい?」
今日は私と出かけるということで唯はそれなりにおしゃれしてきていたのだが、自分の部屋に戻ってきたことで今はTシャツとローライズ気味のジーンズという唯らしい格好になっている。
唯は何を着ても可愛いのだが、さすがにそういう行為をする以上、Tシャツはともかくとしてジーンズは脱いでくれないと困る。
そして、どうせならそのまま上下の下着も取り去りたい。私が慣れていないのもあるし、何より今の私は唯の一糸纏わぬ姿を見たくてたまらない。
唯「…じ、自分で脱ぐから…」
澪「いいよ、脱がしてあげる」
唯「だ、大丈夫だから! その代わり…みおちゃんも、脱いで? 私だけ裸なのは…はずかしいし」
澪「…ん、わかった」
いつもと逆だな、と思いつつ、てきぱきと服を脱ぐ。
本当に自分でもびっくりするくらい恥ずかしくない。相手が唯だから、というのが一番大きいのだろう。唯なら見られても恥ずかしくないし、むしろ私の全てを見て、知って欲しい。
それに、私が脱げばそれは唯を急かすことにもなるわけで。
唯「ん、しょっ…」
澪「っ……」
……そして今気づいたのだが、脱ぐ姿を眺めるのはかなり興奮する。特に身体のラインが現れてからの動きに。安直に言ってしまえば下着を脱ぐ行為にすごく興奮させられる。
唯が自分のブラの後ろのホックを外す。徐々に唯の胸が露わになる、その瞬間。
外周、膨らみ、そして中央の突起へと、さらけ出される順序そのままに、私の視線も移ろう。大きくもなく小さくもない唯の美乳は、衣類から解き放たれた瞬間に私を虜にしてしまった。
その視線を察知したのか、唯は片手で胸を隠してしまったが。
唯「あ、あんまり見ないで…」
澪「…パンツ、片手で脱げるか? やっぱり脱がしてあげようか?」
唯「ううっ……みおちゃんのいじわる…」
澪「どうせ隅々まで見ちゃうから隠してもしょうがないのに。言っただろ? 一生の思い出にするって」
唯「ううぅぅぅぅ~……」
真っ赤になってモジモジする唯を見ていると、再び押し倒したくなってくるから困る。
コスプレとかには抵抗ない唯が、裸を見られることで羞恥心を感じている様は、こう、安直に言えばすごくソソる。
そもそも裸だってお互い合宿で見てるはずなのにな。とはいえ、それは私にも言えるか。
合宿の時は何とも思わなかった唯の裸。今はそれを見るだけで動悸は上がり、息は荒くなり、触れたい衝動を抑えるだけで必死なのだから。
唯「っ……!」
……私が脳内で葛藤している間に、唯は覚悟を決めたらしい。
勢いよくパンツを脱ぎ、ベッドに投げ捨てる。その動きからは恥じらいは感じられず、ついでにいやらしさも感じられなかったが、それでも私の眼前にあるのは唯の裸。
唯「ど、どうだっ!」
澪「うん、可愛いよ」
恥ずかしい台詞も自然と口から滑り出る。私らしくないな、と思い留まるような理性は既に私の中にはなくて。
頭の中にあるのは、唯に触れたい、唯を感じたい、唯が欲しい、そんな自分勝手な想い。
自制のじの字も、もう私の中には残っていない。全裸で仁王立ちして胸を張る唯に再度キスをし、そのままベッドに押し倒した。
唯「んむっ…ちゅ……ひあっ!?」
鼻で呼吸しながら、決して離さないと言わんばかりに唯の唇を貪りながら、まずは唯の肩を撫ぜる。そこから背中、時にはお腹、腰のあたりまで滑らせるように一周してみる。
私の手が動く度にピクリと反応し、鼻の呼吸が少し荒くなる唯が愛しくてたまらない。
でも、そろそろ離してあげようか。唇同士のキスもいいけれど、もっと他のところにもキスしてあげたい。
唯「っ……ふぁ、みおちゃん…んうっ!?」
唇で首筋をなぞり、鎖骨のあたりでキスをする。
反応がいちいち可愛くて、もっと見たいと焦る私は、キスしたまま利き腕の左手を唯の乳房に伸ばす。
包み込むように、揉みこむように周囲から押さえ、軽く握る。
唯「ひうっ!?」
澪「ああっ…可愛い、可愛いよ、ゆい…もっとしてあげる」
……唯に「大きい手」といわれたこの手、当時はショックを受けたものの、こういう時には便利だと思う。
より大きく愛撫してあげられるし、より広い範囲で唯の体温を感じられる。唯の反応を見る限り、私のその考えは間違いではないようで。
それが嬉しくて、今度は右手で逆の乳房を揉みながら、先程まで愛撫していた方の胸に唇を這わせる。
唇を通して伝わる、唯の胸の熱。唇で、ときには舌で味わいながら、それでも決してふくらみの中心には触れないように。
唯「み、みおちゃん、なんか、なんか…あつい…はぁっ」
澪「…唯、もしかして自分でもしたことないの?」
唯「な、ないよぉ……はぁっ、みおちゃん、やめないで…!」
澪「あ、ご、ごめん…」
初めての快感に身悶える唯は、とても扇情的で、魅惑的で。
そしてその始めての快感を与えているのが私だと思うと、どうしようもなく昂ぶってしまい、止まらなくなる。
征服欲。処女地を踏み荒らす快感。聞こえは悪いが、唯の身体に初めての快感を刻めるのは、全世界中で今この時、私だけなのだ。
……欲望に突き動かされる私の頭の片隅で、辛うじて何かが違和感を告げる。
私はそれから目を、耳を背けるように、唯への愛撫に没頭していった。
手と唇で続ける、唯の胸への愛撫。手でしていたほうの胸にも水気が現れ始め、唯が充分すぎるほど胸で感じてくれていることを教えてくれる。
興奮の証の汗で右手がすべり、中心の突起へと触れる。瞬間、唯の身体が大袈裟なほどに跳ね上がり、唯の身体も私の乳首と擦れ合う。
その瞬間、私は自分の秘部が熱を持ったことを実感した。思わず空いている左手で触れてみると、外からでもかつてない快感が身体を突き抜けていく。
澪「んっ…くぁ、あっ…」
唯「…みおちゃん?」
澪「あ、ご、ごめん……私も…感じてきちゃったみたい…」
……唯にしてあげると言ったのに、私が感じていちゃダメじゃないか。
再び唯の胸に手と唇を這わせ、愛撫を再開する。今度は乳首にも触れながら。
でも、どうしても空いている左手が自分のトコロへ向かってしまう。どうやら私の脳はついに性欲一色で染まってしまったらしい。
唯は最初こそそんな私を気にかけていたようだが、乳首からもたらされる強烈な快感の波に抗うことは出来なかったようだ。今やただひたすらに嬌声を上げ、身を震わせ、悦んでいる。
……どうしよう、そろそろ唯の下の方に手を伸ばしたいんだけど。
澪「……唯、胸、片方で我慢できる?」
唯「はぁっ、はぁ……や、やだぁ、もっと、もっとしてよぉ、みおちゃん…!」
澪「大丈夫…ここが本番なんだから……ちょっとだけ我慢して」
胸には唇を、自分には右手を振り分け、唯の中心のトコロに左手を這わせる。
見えないけれど、ほとんどぴったりと閉じているのだろう。自分でしたこともないと言っていた、誰も触れたことのないであろうそのラインに、中指を沿わせ、軽く擦る。
唯「あっ…あっ、あああっ…!!」
今までとは少し違う唯の反応。でも感じていないわけではないことは指のぬめりを見ても明らかだ。
未知なる快感に困惑しているのだろう。胸とは違い、こちらは意図的にしないと感じる機会なんてそうそうないから。
……少しずつ、少しずつ指に力を込めていき、擦りながら花びらを開いていく。慎重に、優しく、大切に扱わないと。
唯「みおちゃん……みおちゃんっ!」
澪「ゆい…大丈夫? 痛くない?」
唯「気持ちいい…気持ちいいよぉっ!!」
唯が私の頭に腕を回し、抱きしめてくる。瞬間、私の五感全てに唯が満ちてゆく。すごく…すごく、いい気分。
そして……やっぱり、もっともっと唯が欲しいと思ってしまう。
唯の熱も、香りも、私にこの世のモノとは思えないような多幸感をもたらすが故に、唯の全てを、奪いたいと思ってしまう。
奪う、という事に思い至った私は、いつの間にか唯の線を擦る中指に、力を込めていて。
奪ってしまえばいい。
一生消えない傷を刻んでやればいい。
そうすれば、私は唯の、唯一無二の、最初の人になれる。
唯の処女を、私が――
澪「んぁあっ!? ゆ、ゆい…?」
唯「わ、私も…してあげる。こうやって…擦ればいいの?」
唯の拙い愛撫が、私の思考を全て吹き飛ばしてしまった。
おずおずと、怯えているように私の秘所を撫でる唯の指は、何故だか自分でした時以上の快感を私にもたらして。
いや、何故だかなんて問うのも野暮だ。唯だから、他ならぬ唯だから、私はこんなに…感じちゃってるんだ。
澪「ひぁぅっ!! あぅっ、ゆい、ゆいっ!!」
唯「わぁっ、すっごい……何かが溢れてて…みおちゃんのあそこ、とろとろだぁ…」
澪「ひあっ! ゆ、ゆいのあそこだって…!」
何となく悔しくて、唯の表面を擦るスピードを上げる。すると、それに呼応するかのように唯が私のを擦るスピードも上がって。
でもきっと本当は、何も知らない唯が私のマネをしているだけで。でも、それでも私は、二人の感覚がシンクロしていると思い込みたくて。
二人重なり合ったまま、お互いの秘所にひたすら指を這わせる。空いた方の手はいつしか互いの背中に回され、より密着させられて。密着した乳首同士が擦れ、つつき合い、快感を増幅させていく。
次第に、愛液の音ばかりが部屋に大きく響いてくる。それが嬉しくて仕方なくて、より指の速度を上げて。過剰すぎるほどに分泌された潤滑油は、それ自体の温度さえもが快感を増幅させてくれて。
唯と私の体温は、きっと今は寸分の狂いも無く同じだ。同じだけの快感を受け、与え、やがては全く同じ存在となって混ざり合う。それはなんと素敵なことだろう。
そして、その瞬間はもう目の前。私自身が、私の中から、そう感じている。
唯「あっ、ああっ、みおちゃん、何か、なにかくるっ!?」
澪「うあぁっ! 私も、私もイキそう!! ゆ、ゆいっ! キスしてぇっ!!」
唯「みおちゃ……んっ!!」
首だけで頭を起こすように、唯が勢いよくぶつけてきたその口唇は、燃えるほどに熱く。
その口唇に焼かれた、凍てついていたはずの私の心は。
「んちゅ、んくっ――んあぁぁぁああああーっ!!!」
――唯と共に達したその瞬間に、一筋の涙を流した。
――
―――
――気が付いた時、私は知らない場所に立っていた。
周囲は見渡す限りの草原。頭上には眩しいほどの月。既に夜の帳は下りた後のようだが、その月のおかげで視界は何とか保たれていて。
そして、遠くに見える背中が一つ。
澪「……唯…?」
一歩、歩を進めてみる。その際に踏みつけた足元の草から、蛍光塗料のような光を放つ、翡翠色の球体が舞い昇る。
蛍のようだが、垂直に、真っ直ぐ天に昇っていくその光は、どう見ても命あるモノではなくて。
でも、別段不気味ではなく、恐怖心も無く。むしろ美しくて。
だから私はただ真っ直ぐに、唯らしきその背中に向かって歩を進める。
澪「唯っ!!」
近づけば近づくほど、その背は唯のものであると確信するのに。
唯は、私の声に振り向いてはくれなくて。
それが……どうしようもなく淋しくて。泣きたくなって。
何も起こっていないのに泣くなんておかしいから、涙を堪えて走るけれど。
唯まであと数メートルというところで、足が草に絡まって転んでしまった。
澪「ゆいっ!!!」
ダメだ、と思った。涙が溢れて止まらなかった。
何がダメなのか、何故泣くのか、私自身にもわからないのに。
それなのに、その直感は正しいと、意味のわからない確信があって。
だから、私はただ、叫んでいた。
そして、ようやく声が届いたのか、唯は振り向いてくれた。
唯「……澪ちゃん」
振り向いた瞬間、唯の足元から無数の翡翠色の光球が一斉に飛び散って。
その光は、一瞬だけ滞空した後、重力に逆らい、ゆっくりと天へと向かう。
つられて天を仰ぐも、そこには月しかなくて。
どうしようもなくみっともない気持ちが溢れてきて、私はまた涙を流す。
足に絡まった草は、解ける気配が微塵もなくて。動くことさえままならない私に、唯はゆっくりと近づいてくる。
澪「ゆい……」
唯「澪ちゃん…」
膝を付き、私の頬に両手を添え、唯が顔を近づけてくる。
キスしてくれるのかな、と思って目を瞑ったけれど、訪れたのは頬を舐められる感触。
唯「……しょっぱい」
困ったように笑う、その笑顔を見て。また涙が溢れ出して。
でも、唯はもう舐めてはくれない。その笑顔が物語っていた。
澪「ゆい……やだ、いかないで……」
唯「…ごめんね、みおちゃん。今までありがと。毎日が楽しかった」
聞きたくない。
今の唯が言う言葉なんて、何も聞きたくない。
耳を塞ぎたい。
でも、これが唯との最後の会話だって、どこかで思ってしまっていて。
結局、何をしても、私では唯を引き留めることは出来なくて。
ここでお別れなんだとしたら、最後の会話で、耳を塞いでしまうなんて出来るわけなくて。
唯「ずっと、ずっと澪ちゃんのことばかり見てた。小さい頃はただ一緒にいて楽しいからだったけど、大きくなった澪ちゃんは、かっこよくてしっかりしてるように見えてもやっぱりどこか危なっかしくて…」
余計なお世話だ、なんて憎まれ口も叩けない。叩ける気がしない。
冗談だと受け止めてくれるとわかっていても、そんな汚い言葉、口にしたくない。
唯「でも、もう今はそんな風には見えないよ。しっかりしてるし、しっかりできる。全部がかっこいい女の子だよ」
ちゃんと気持ちよくしてくれたし、とか何とか小声で言ってくれるけれど。
でも、それでも。
澪「違う…違うよ、唯。誤解だ……私は、私がちゃんとできるのは、唯がいてくれたからだよ…!」
唯「いつでも一緒だよ、澪ちゃん。だいじょうぶ」
澪「大丈夫じゃないっ!! 隣に居てよ…手の届くところにいてよぉっ!!」
唯「……それは、もうずっと昔の時点で…叶わないよ」
どうして、どうしてなんだろう。どうして叶わないんだろう。
大切な人が出来た。隣に居て欲しい。当然の事じゃないか。
ただそれだけなのに、それの何がおかしいんだろうか。
何が悪いんだろうか。何が間違っているんだろうか。何が何に反しているのだろうか。
――至当を謳う私は、そんなに罪深い存在なのだろうか。
唯「……ごめんね。本来いないはずの私のワガママのせいで、澪ちゃんに…こんな形でのお別れをさせちゃって」
澪「どうしても……?」
唯「…うん。いるはずのない私がいるのは、やっぱりいろんな人に迷惑だよ。憂もだけど、澪ちゃんだって私と会わなければこんな風に泣くこともなかった…」
……それは、そうかもしれないけど。
でも、そういう言い方だけはされたくなかった。
澪「……唯を…好きになったことは、後悔してない。今の私があるのは全部、唯のおかげなんだから…」
だから。
澪「だから、唯に会ったことも、また逢えた事も、絶対迷惑なんかじゃない…!」
唯「……ありがと、みおちゃん」
……意外にも、唯は一切、涙を流していない。
私の事なんてどうでもいい…というわけではないのはわかってる。唯の中で、この『別れ』は必然だった、というだけ。
だから、私の言葉ごときで引き留める事は叶わず。私の言葉にできるのは、唯の心残りを減らしてあげる、それくらい。
そう、私が何を言おうと――仮に私以外の人でも、何を言っても唯を引き留めることは不可能。
ようやくその事実に気づいた私は、唯が背を向けると同時に、草原に顔を伏せた。
澪「……さよなら、唯……」
それは精一杯の強がり。
私は別れなんて認めてもいないし納得もしていないけれど、それでもそれはこの期に及んで唯の心残りを増やしていい理由にはならない。
だから、願わくば、私の言葉に返事なんてしないで、そのまま去ってほしかった。
いつの間にいなくなったのか、私に理解させないでほしかった。
でも。
唯「……さよなら、澪ちゃん」
でも。
唯「……ずっと、大好きだったよ」
――何よりも残酷な言葉を残して。
唯「幸せに…なってね」
――きっと笑顔で、唯は消えたんだ。
――
―――
――ここではない何処かから目覚めた私を待っていたのは、見慣れた背中。
……だけど、見慣れない視線。
澪「………」
……当然か。いろいろな意味で、これは当然の結果と言える。
憂「……服、着たほうがいいと思いますよ」
澪「……そうだな。ありがとう」
憂「今からご飯作りますけど、食べます?」
見え見えの社交辞令。善意のカケラもない、むしろ相手に「頷くな」と言わんばかりの敵意が込められた言葉。
しかし、私にもそれは理解できる。自分の身体を穢した相手に、善意を振舞える人間のほうがどうかしてる。
……いや、もしかしたら問題はもっと深いところにあるのかもしれないけれど。それでも答えは変わらない。
澪「……いや、大丈夫。帰るよ」
憂「そうですか。ご自由に」
私より一足早く起きて着替えていたと思われる憂ちゃんは、髪を縛り、部屋を出た。
出がけに「汚らわしい」と睨みながら呟いてくれたけど、その程度の言葉じゃ私の心は微動だにしない。
……むしろこの先、心を動かされるような出来事があるのかさえ怪しい。
――次の日。
あんなことがあった翌日だけど、私は普通に登校していた。
唯にフラれた、とかなら落ち込んでいただろう。でも今の私の心に影を落とすモノは、そんな低次元なモノではない。
一万円を貰ったなら使い道に悩むが、一億円を貰ったら途方に暮れるだろう。それと同じだ。
要するに、何も考えられないからとりあえずいつも通りの日々を過ごすことを選んでみた。それだけのこと。
和「――来たわね」
澪「…和?」
教室に入ると、早々に声をかけられる。
待ち構えていた、と言うに相応しいその態度。敵意こそないが、問い詰めるといった気迫はひしひしと感じられる。
……そういえば、和と唯は幼馴染だったっけ。
和「昨日、唯からメールを貰ったわ。消えることにした、ってね」
澪「……それで?」
和「今までありがとう、って。それと、最後に会う人に澪を選んでゴメン、ってさ」
澪「………」
それで…何なんだろうか。和は私に何を言わせたいんだろうか。
「唯を取っちゃってゴメン」とでも言えばいいんだろうか。もうこの世のどこにも唯はいないのに。
和「…澪は、もう唯には会えないと思う? 希望を持たせるような意味じゃなくて、最後に会っていた人として、確証が持てるくらい…ちゃんとお別れをした?」
あの、翡翠色の草原での出来事が思い出される。
状況から考えれば夢に違いない。あの日…情事の後に疲れて寝てしまった私の脳が見せた幻覚。
でも、あの感覚は現実だ。
流れる涙の熱さも。唯の体温も。私の悲しみも。
そして実際に、目覚めたその時に、唯はいなくなっていた……
澪「……朝、目を覚ましたら、さ」
和「?」
澪「隣に好きな人の笑顔があって、ちょっと頬を染めて「おはよう」って言ってくれたりとかさ、そんな『少女の夢見る小さな幸せ』みたいなシチュエーション、和だって憧れたことはあるよね?」
和「……何よ、急に。無いとは言わないけど…」
澪「……それが、もう叶わないとして…その現実をどう受け止めればいいか、和は知ってる…?」
和「澪……」
澪「知ってたら……っ、教えてよぉ……っ…!」
和「…ごめんなさい。軽く尋ねていいことじゃなかったわね…」
私の意志とは無関係に零れ出てきた涙。それで制服が濡れることも厭わず、和は私を抱きしめてくれた。
……和だって、幼馴染がいなくなって辛いだろうに。それなのに私は甘えてしまった。
……ほら、唯。私はこんなにもダメな奴なんだよ。唯がいないと何も出来ないんだよ……?
和「――落ち着いた?」
澪「……ごめん。迷惑かけた」
唯がいなくなった。目には見えないその事実を、それでも誰よりも実感している私は、ある意味では孤独だった。
数年来の親友の律にさえも相談できない真実はとても重くて、潰されそうで。そんな矢先、計らずとも『捌け口』になってくれたのは、やっぱり唯がいたからこそ知り合えた和だった。
本当に…私は唯にどれほどのものを貰っているんだろう。
和「いいのよ。軽率だった私が悪いんだから」
澪「そうじゃないよ……和だって辛かったはずだし」
和「そう、ね。確かに、澪みたいに会えたわけでもない。あっさりとしすぎたお別れだったわ」
澪「えっ…? 会ってないの?」
和「そう。本題はそっちなのよ。唯は昨日は澪と過ごしたかったのだから、私と会うなら一昨日になる。でも会わなかった。いえ、会えなかったのよ。だからメールで済ませた」
会えない? どうして?
確かに、後夜祭の更に後に私は憂ちゃんと唯に会った。時間が無いと言えないことも無いけど、親友同士の間柄ならよほどの障害でもない限り、夜中にちょっと話すくらいはできるはず。
和「……会えなかったのは、あちらの都合よ。わかる?」
澪「……誰かが邪魔した?」
和「いいえ。いつもいる誰かが邪魔だった、とは言えるけど」
……いつもいる誰か…って、それは……
澪「まさか……」
和「そう。唯は…憂に黙って消えた。その道を選んだ。それについて、ちょっと対策を練ろうと思って」
澪「た、対策って……」
和「それくらい、憂の唯に対する依存は深いのよ。ちょっとでも消えることを匂わせたらヒス起こしかねないほどに」
憂ちゃんの想いには、昨日の態度とかで薄々感づいてはいたけれど。
もっとも、その想いが私のような恋愛感情だとまでは断定できない。けれど、きっと私に劣らないほどの熱意ではあるだろう。
……私の唯を好きな気持ちが、誰かに劣っているとは思いたくないけれど。それでも、生まれてからずっと育み続けてきた憂ちゃんの想いは相応に重いのは明らかだ。
和「憂に言えば、絶対に唯は後ろ髪引かれて消えられなかった。だからといって言わずに消えた唯のやり方を肯定は出来ないけれど、過ぎたことである以上、私達がなんとかするしかないの」
言いたいことはわかる。
でも、私はそれに素直に頷けない。
澪「……純粋な疑問なんだけど」
和「何?」
……純粋な疑問なら、何でもぶつけていいという訳じゃないとは思うけど。
というか、これはむしろ言わない方がいい類の言葉だとわかっていたけど。
それでも、私は口にした。その時の私は、躊躇いなく口にしてしまった。
澪「何で私が憂ちゃんのことを気にかけないといけないの?」
和「………」
私だって、それなりに根に持つことはあるんだ。
澪「私は憂ちゃんから嫌われてるよ。汚らわしいって言われたし」
和「…そう、なの?」
澪「あの侮蔑の視線は忘れないよ」
私の行動が招いた結果だけど、だからこそ私が憂ちゃんを気にかける理由は、無い。
私は私の行動に後悔なんてしてないし、いや唯が消えたことはそりゃ後悔してるけど、それは私の行動が招いたわけではなく、唯の決意が固かっただけだし。むしろ…
澪「むしろ和は、なんで唯を止めなかったの? 消えることをなんで許したの? ねぇ!」
和「……ごめんなさい、私が悪かったわ。許してちょうだい、澪…」
澪「………っ……ごめん」
そうだ、止めたかどうかは知る由はないけど、唯が消えていいなんて、親友の和が思うわけないんだ。
……落ち着け、私。和は唯も憂ちゃんも大事にしてる、それだけじゃないか…
和にイヤミを吐くのも、憂ちゃんを敵視するのも、ただの私の八つ当たりに過ぎない。
……まぁ、私が憂ちゃんから嫌われてるのは確かなんだろうけど。でもそれは私の行為が招いたことなんだから私から嫌うのは筋違いで、せめて話し合うくらいはしないといけないのだろう。
結果がどうなろうと私は執着しないけど、それでも最低限の責任は果たすべきなんだ。
澪「……和、私は何をすればいい?」
和「…ありがとう。でもね、私達がするべきは『対策』なの。つまり、こちらからすることは特に無いわ」
澪「……どういうこと?」
和「…唯がいないことに気づいた憂は、最後に会っていた貴女を問い詰めに来る。間違いなく、ね」
和のように、か。……いや、和よりも激情に任せ、敵意を剥き出しにして問い詰めてくるだろう。私が憂ちゃんだったらそうするだろうから。
憂ちゃんの気持ちはわかる。もっとも、だからといって逆に私の事も理解してくれとは思わないのは、やはり……唯を奪ったという後ろめたさか。
和「澪にして欲しいことは、憂に何を問われても冷静に対応して欲しい。それだけ」
冷静に、というのは先程のように感情に任せて相手を傷つけるような言葉を吐かないでくれ、ということだろう。
しかし、それは和相手でも叶わなかった事だ。なのに、険悪な仲となってしまった憂ちゃんとの会話で堪えろ、というのは…
澪「……それが一番難しいと思うけど」
和「わかってる。その上でお願い。私もフォローするから」
澪「……努力するよ」
私は憂ちゃんに嫌われる理由こそあるが、私のほうから憂ちゃんを嫌う理由は『嫌われているから』以外には無い。
だから、そこだけを堪えて接すればいい。憂ちゃんの知らない唯を知っていることに対する報いだとして受け入れれば、ちゃんと憂ちゃんが納得するように事情を説明できるはずだ。和も手伝ってくれるんだし。
……この時は、本当にそう思っていた。
この時『まで』は。
憂「――お姉ちゃんが…いないんです」
放課後。唯の格好をして私を呼び出した憂ちゃんは、まずそう言った。
今日一日、憂ちゃんは唯として過ごしていた。しかし、クラスが違う私達の前に現れた時の憂ちゃんは和にもわかるほど『憂ちゃん』だった。意図的なものなのか、それとも……
和「……いないって、自分でわかるの?」
憂「いえ……でも、ずっと返事が無いんです。だから、もういないんじゃないかって……あんなに学校が大好きだったのに、軽音部が大好きだったのに……出てこないなんて…!」
そこで顔を上げて私を睨みつけてくる。まぁ当然か。
憂「澪さん……お姉ちゃんに何をしたんですか! 私の寝てるのをいいことに、何をッ!!」
澪「……誤解だよ」
憂「何が誤解ですか!! あんなことをしておいて…! きっとあれでお姉ちゃんは傷ついた! 落ち込んでるんだ!!」
……無理矢理したとでも思い込んでいるのだろう。最初のキスこそそんな感じだったのは否定しないが。
でも、それでも。
澪「……唯は、私に好きって言ってくれたよ」
憂「ッ…!! だから何なんですか! じゃあ何でお姉ちゃんはいないんですか!? 貴女の…あなたのせいでしょう!?」
胸倉を掴まれ、壁に押し付けられる。
澪「ぐッ…!」
和「ちょっと憂! やめなさい!」
憂「やめれば…やめればお姉ちゃんは帰ってくるの!? ねぇ、和ちゃん!!」
和「それ、は……」
憂「何をしても帰ってこないなら……何してもいいでしょ!?」
憂ちゃんのその瞳には、一点の曇りも無い『憎悪』しか映っていなくて。
その対象が私だということよりも、憂ちゃんがそんな感情を抱いているということ、それ自体に……徐々に腹が立ってきて。
澪「……放せ」
和「……澪、落ち着いて、ね?」
澪「落ち着いてるよ、和。でも腹は立ってる」
憂「何をッ! 私はそれ以上に――」
澪「唯が!! 唯がこんな奴のために消えたかと思うと腹も立つよ!!」
憂「え……」
和「澪っ!!」
澪「だってそうだろう!? 死んでいた唯は、今を生きるみんなの為に消えたんだ!」
ずっと支えてくれた和に、これ以上手間を取らせないように。
ずっと好きだった私に、叶わぬ恋を諦めさせるために。
……ずっと一緒にいてくれた憂ちゃんに、これからは自分の時間を生きてもらうために。
なのに、眼前の憂ちゃんは憎しみに囚われている。囚われ、進めないでいる。
それは唯や私達が招いたことなのかもしれない。でも、何故この子は理解しようとさえしないんだ。考えつかないんだ。
澪「憂ちゃんは唯の想いの全てを踏みにじっている! 唯の想いは唯がこの世に生きた証だというのに、それを全て見ようともしない!! そんなの許せるわけがないだろ!?」
和「澪っ!!!!」
澪「っ……」
和「……澪、あなたのいう事は正しいわ。私もそう思うもの。それでも……」
割って入った和はその先は言葉にせず、代わりに憂ちゃんを見つめていた。
腕は力なく垂れ、顔は伏せられ、表情も感情もわからない。
和がフォローしてくれたものの、やっぱりこれは……言い過ぎたのか、私は。
言葉は選んだつもりだったが…和との約束は、守れなかったのか。
澪「……ごめん和、後は任せていいかな」
和「……ええ。家までちゃんと送るわ」
澪「……ごめん」
それが誰に対する謝罪なのかは、私にもわからない。
心を抉ってしまった憂ちゃんに対してなのか、手間をかけさせる和に対してなのか。
それとも……唯に対してだろうか。
憂ちゃんを傷つけたのももちろんだけど、それ以上に、こうして感情に流されて容易く人を傷つける私なんて、唯は嫌いだろうから……
律「――今日も唯は休みかぁ…」
紬「少し、静かね……」
梓「……風邪、でしたっけ?」
澪「ああ。和はそう言ってる。幼馴染が言うんだから間違いないよ」
我ながら面白い冗談だ。笑えない。
だからといって実は唯がもうこの世に存在しないだなんて言えるはずもないけれど。
でも、唯が学校に来ていない事はそれとは別の事実をも示している。
すなわち、憂ちゃんが家から出て来ていない、ということ。
……和に相談された時から、私も気を病んではいる。
憂ちゃんに言った内容自体を後悔はしてないし、和も責めていないけど、それでも原因は間違いなく私なのだから。
憂ちゃんの為にも誰かが伝えないといけない事だったはずなんだけれど、それでも私は間違いなく言い過ぎたのだから。
……和の話では、憂ちゃんはあれ以来自室に引き篭もっており、これ以上続くようなら両親にも連絡する、とのこと。
そういえばようやく聞けたんだが、唯の両親があまり家に居ないのは、彼らが『弱い』存在だから、らしい。
――唯が死んだ事で自分達を責め、でも憂の中に唯がいるという非科学的な事実から目を背け。板挟みになった彼らは『家』からの逃避を選んだ。
「石頭よね」と和は言ったが、大人なら仕方ないのでは、とも思う。
それに両親がいたらもっとややこしい事になっているのは間違いない。私にとっては都合が良かった。
澪「……お見舞いにでも行ってみようかな」
律「お? 二回目のお見舞いか。ずいぶんと気にかけてあげてるじゃんか」
澪「そりゃあ…な」
私のせいには違いないんだし…な。
律「……澪? どした?」
澪「ん? 何が?」
律「……一緒に行こうか?」
澪「いや、それは……」
紬「むしろ全員で行かない?」
梓「あ、それは確かにいいかもしれませんね!」
澪「い、いや待て待て! 大人数で押しかけても迷惑だろ!!」
というかいろいろと困る。唯と憂ちゃんの事がバレてしまう。
皆を信じていないわけじゃないけど、それでも無意味に大人数にバラしていいことじゃないはずだ。
さ「二人くらいなら車で乗せて行くわよ?」
律「さわちゃんいたのかよ!?」
さ「失礼ねぇ」
澪「せ、先生、でもそれは……」
さ「後々のことを考えるとりっちゃんがいいかしら? 部長だものね」
後々、って…?
……あ、まてよ? 最初の学園祭の前の時の先生は唯と何か訳知り顔で話していたっけ、そういえば。
ということは、この人も唯と憂ちゃんの事は知っているのだろう。その人が後々とか言うという事は……
さ「……私だって、いろいろ考えてるのよ?」
澪「……信じていいんですか?」
さ「信じてもらえる教師になりたいと常々思ってるわよ、私は」
澪「……わかりましたよ」
律「……なんだなんだ? 内緒話か?」
さ「大丈夫、今からりっちゃんにもネタバラシしてあげるから。行きながらね」
律「――で、それを信じろと? 唯ちゃんと憂ちゃんが同じ身体に生きているなんて世迷言を?」
澪「まぁ、そうなる」
さ「いいえ、信じる信じないの問題じゃないわ。それが真実なのよ」
運転席から振り返ることなく、後部座席の律に告げる。
私も後部座席に乗っているのだが、先生とは最初にルームミラー越しに視線が合っただけだ。いつになくマジメな視線と。
律「まぁ、確かにスジは通るけどさぁ……いくらなんでもオカルトすぎるだろ」
澪「まぁそれが普通の反応だと思うよ。私もこの目で見たからこそ信じているんだし」
さ「それなら唯ちゃんのいない今はりっちゃんは信じることが出来ないわね、永遠に」
唯がいない、その言葉に身体が小さく反応する。運転中の先生には気づかれていないだろうが、隣に座る幼馴染には気づかれただろう。
憂ちゃんに説教しておきながら、私も憂ちゃんと同じかそれ以上に唯を求めている。お別れこそしたものの、認めてはいないしまた会いたい。もっと会いたい。ずっと一緒にいたい。
律「……信じないけど、とりあえず二人がそれを信じて行動してる、ってのは覚えておくよ」
さ「ふーん。素直になりなさいよ」
律「素直だよ。私が付いていこうとしたのは澪のためだから。言葉は悪いけど、唯の正体なんて何だっていい。澪が納得できる結果が出るならそれでいい」
澪「……律…」
律「そして、そのためには澪の行動原理くらいは理解しておかないと、な」
澪「……うん、ありがとう」
律「……ありがとう、じゃねーよ。なんで相談してくれなかったんだ」
少し、律の声のトーンが落ちる。
本気で怒っているわけじゃない。でも確かに怒っている。
澪「説明したところで…信じないだろ? 今みたいに」
律「信じないよ。信じないけど、澪の為なら手を貸すさ。今みたいに」
怒っているけれど、それ以上に真剣だ。
律は、私のために真剣になってくれている。
律「何だってするさ。恋してるなら応援するし、金欠なら貸してやるし、憎いヤツがいるなら殴ってきてやる。親友として一番イヤなのは、困ってる時に力になれない事だ。あの時みたいなのは…もうゴメンだ」
澪「あの時のは……律が気に病むことじゃない。私が…私が弱かったんだ」
友達だと思っていた人に裏切られた中学時代。
仲良しだった友達が敵で、それならもっと仲良しの親友は……もっと敵なのか? それとも味方でいてくれるのか?
冷静に考えれば、律ならいつでも味方でいてくれるんだけど。それでも、弱りきった心はいつも以上に臆病で、万が一に怯え、律さえをも拒んでしまった。
私は自分が傷つきたくないがために、親友を傷つけた。なのにその親友は、そのことに自責の念を抱いている。
……せめてこれ以上、律の心配事を増やしてはいけない。そのことに、私はようやく気づいた。
澪「あの…! 先生、すみませんけど律と二人で行かせてもらっていいですか…?」
律「……澪?」
澪「原因は…私なんです。私が解決してきます。そして、律にはそれを見届けてもらいたいんです」
さ「……何があったのかまでは、私は知らないわ。だから、それが最善の選択肢だとは断言できない」
澪「……私にも断言はできません。でも、私がやらないといけない事だとは思うんです…!」
さ「………」
どうすれば解決するのかなんてわからない。憂ちゃんが今、何をしているのかもわからないのにわかるはずもない。
そもそも何をもって解決とするのかもわからない。
私は引き篭もってしまった憂ちゃんを救いたいのか? 救わずとも、親の手に引き渡せば解決じゃないか?
私は憂ちゃんに嫌われているのだから、多少強引な手を使っても痛くも痒くもないだろう。でも、それではきっと憂ちゃんは救われない。ならば私は、私を嫌っている憂ちゃんに優しさを向けてあげないといけないのか?
……何もわからない。けれどやっぱり私が行かないといけないんだ。
原因が私であるのもあるし、それに憂ちゃんは……唯の妹なのだから。
さ「――着いたわよ。私はここで待ってるわ」
澪「……ありがとうございます」
さ「どうにも出来ないと思ったら連絡しなさい。番号は教えてあるわよね?」
澪「はい。大丈夫です」
律「んじゃ、行くか」
澪「あ、律。行きながら話すことがあるんだけど」
とはいえ、唯の家は目の前。単にさわ子先生には聞かれたくない話、という意味だ。
私の唯に対する感情だとか、唯としたこととか、その後、憂ちゃんに吐き捨てられた言葉とか、突きつけられた感情とか諸々。
家の前で黙って聞き届けてくれた律は、話が終わると同時にいつもの調子でおどけて見せた。
律「うわっ、私の知らない間にそんなドロドロの愛憎劇になってたのか」
澪「茶化すな。その愛憎劇の果てが今なんだから」
律「わかってるよ。コトの重大さはよくわかった。で、どうやって解決するつもりなんだ?」
澪「………」
律「……おい?」
澪「……考えてない」
うわ、律なんかにすごくバカにされた目で見られた。
律「……まぁ、いいさ。いきあたりばったりでもいいから何とかしようとすることが大事なんだよな、うんうん」
澪「もっと上手いフォローはないのか」
律「いや、そもそもフォローしたつもりもないし。澪が考え無しに動くなんて珍しいなぁとは思ったけど、いつも考え無しの私はそれを悪いことだとは思ってないからさ」
澪「まぁ、そりゃ律みたいなわかりやすい性格ならな」
律「わかりやすい方が皆に優しいんだよ。実際、今みたいにがむしゃらな澪を見てると私は嬉しくなる」
澪「……そういうものなのかな」
律「そういうもんなんだよ。んじゃ行こうぜ」
と、私を後押ししてくれた(と思う)律が、憂ちゃんの家の玄関ドアノブに手をかける……が。
律「……カギかかってるな」
澪「そりゃそうだ」
律「どーすんだ?」
澪「隠し場所は知ってる。一応、家の周囲を一周してきてくれないか?」
律「はいはいっと」
別にどこかの窓が開いていることを期待したわけではないが、先に周囲を確認しておいて悪いことは無いだろう。
律を見送ってから前に聞いた隠し場所から鍵を見つけ出し、鍵穴に突っ込んでみる。
うん、ちゃんと入るな。もっともこんな短期間で鍵を変えてくるとも思えないが――
律「――おーい、みおー! ちょっと来てくれー」
澪「…んー?」
律に呼ばれるまま、声のしたほうへ向かう。
そこにはリビングあたりに面したと思われる窓から家の中を覗く律の姿があった。
澪「まさか開いてた?」
律「いや、そうじゃない。この家、静か過ぎると思わないか?」
澪「……怖い事言うなよ」
憂ちゃん一人しかいないんだ、静かなのは当然だろう。しかも自室に引き篭もっているというのだから一階は尚更静かで当然のはず。
でも、どうやら律が言いたいのはそういうことじゃないらしい。
律「なんつーか、異様なんだよ。ちょっと覗いてみ?」
律がいたその窓は、カーテンこそひかれているものの僅かな隙間から室内を覗けるようだ。
退いた律に代わり、そっと覗いてみると――遠くの誰かと目が合った。
澪「ひいぃぃぃぃぃっ!?」
律「落ち着け澪! よく見ろ、鏡だ!」
澪「え? あ、ほ、ホントだ、私だ…」
カーテンで徹底的に日光を遮られている部屋の鏡ということでかなり薄暗く見えるが、写っているのは間違いなく私自身。
姿見のような大きめの鏡が部屋の奥に立てかけられているようだ。全く、びっくりさせてくれる……
律「……澪はビビりすぎだけど、それを抜きにしても…ほら、右のほうも見てみろよ」
澪「……あっ、あれも鏡? あ、左のほうにも何か…」
律「たぶん、あれもだな」
今度は壁にかけるような小さな鏡だが……一部屋に二つも三つも必要だろうか?
確かにちょっと…異様かもしれない。とはいえ、何か怖いものが写るとかいうのでなければガマンできる範囲だ。
澪「……家に入ろう。律は一階を頼む」
律「ん、わかった。何かあったら叫べよ?」
澪「うん、頼りにしてる」
玄関に戻り、鍵を差し込んで回す。ガチャリと音を立て、扉は私達を拒むことを止めた。
――やっぱり憂ちゃんの元へ先に行くのは私であるべきだろう、ということで一階を律に任せはしたものの、異様な雰囲気に気圧され、脚が中々進まない。
前にも後ろにも、右にも左にも鏡、鏡、鏡。一歩進めるだけで新しい鏡が一つは視界に入るんだ、気圧されるなと言うほうが無理がある。一体いくつの合わせ鏡が出来ているのだろう?
澪「……深夜の合わせ鏡…みたいな怖い儀式じゃなけりゃいいけど…」
……自分で言ってて怖くなってきた。目を瞑って歩こうかな…
とはいえ、今私の目の前にあるのは階段。目を瞑るのは危険だよなぁ、やっぱり。
――と躊躇していると、
律「澪! ヤバいもん見つけた!!」
律が静かに早足で現れた。一応気を使うだけの神経はあるらしい。
だが、表情は神妙そのもので…不安になる。
澪「な、何を見つけた!?」
律「印鑑と通帳!」
澪「戻せバカ!!」ゴツン
律「Ouch!」
こんな時に何をやってるんだ、このバカは!!
律「いてて……冗談だよ、冗談に決まってるだろ」
澪「冗談でもやっていいことと悪いことがある!」
律「わかった、わかったって! 解決したら憂ちゃんに伝えとくからさ。もっとわかりにくい場所に隠せ、って」
澪「そうだな、それがいいよ」
律「……だから、そんな場所で突っ立ってないでさっさと行ってきてくれよ」
澪「………わかってるよ」
律「もうちょっと見て回ったら私も行くからな。さっさとしろよー?」
……わかってるって。まったく……アイツはこんな時でも変わらないなぁ。ふふっ。
――無数の鏡から必死に目を背け、憂ちゃんの部屋に辿り着く。
微かな人の気配。そして物音。とりあえず生きてはいるようで一安心だ。
……しかし、問題はここからだ。怖い怖いと言っているばかりで何も考えずここまで来てしまった私には、相変わらず解決方法が何一つ思いつかない。落ち着いてシミュレートみよう。
とりあえず……とりあえず、会話をすることが大事だろう。そして…
まだこの前のように憎しみを引きずっているならば、今度は言葉を選んで諭してやろう。
唯の気持ちに思い至り、それでも寂しさで動けないというなら背中を押してやろう。
単純にダダをこねているようならば、親に引き渡す。たぶんそれが一番効く。憂ちゃんはそんな子じゃないと思うけど、一応可能性として。
あとの可能性は…思いつかないけど。とりあえずこのくらいが常識の範囲内での対応だろう。
澪「……ふう」
一つ、深呼吸。
……よし、覚悟はできた。話しかけよう。
――と、思ったのだが。
憂「……っ……――っ」
澪「………」
ノックをしようと手を伸ばしたら、憂ちゃんの声が漏れ聞こえてきた。
その声を聞いて、違和感を覚える。その違和感は、私にノックをすることを許さない類のモノで。
……私は、ノックをせずにゆっくりと、バレないようにドアノブを捻る。
そして、息を呑んだ。
耳に届くのは、水音。吐息。
鼻に付くのは、匂い。
目に入るのは、身体。
耳に届くのは、彼女が自らを掻き混ぜる水音。それと、それによって昂ぶっていることを示す嬌声。
鼻に付くのは、むせかえるほどの雌の匂い。
目に入るのは、彼女の肢体。彼女の痴態。
自らを慰め続ける憂ちゃんから、私は目が離せなかった。
――何分くらい眺めていただろうか。一度果てた憂ちゃんと鏡写しで視線が交錯し、私は我に返った。
四方八方、鏡尽くしの部屋。壁も床も天井も、鏡張りといって差し支えない部屋。
その部屋で、彼女は――唯の格好をした彼女は、覗いていた私を見て、微笑んだ。
そして、一人で行為を再開する。
私に見せ付けるように。私を誘うように。何度も視線が交錯する。鏡越しではなく、眼前の淫らな彼女と。
熱い。
身体が熱い。
聞こえるものが、匂うものが、見えるものが、全てが私を熱くさせる。
私自身の荒い吐息さえも、嚥下した唾の感触さえも、まばたきを忘れた瞳の乾きさえもが、私を昂ぶらせる。
自分が興奮しているという事実が、興奮してしまっているという事実さえもが、相乗効果で私を高みへ押し上げていく。
自身の湿りを感じた私は、無意識に、導かれるように部屋に足を踏み入れる。
彼女の蜜に、香りに、カラダに導かれるように。
みおちゃん、と私を呼び、喘ぐ、その声に牽かれるように。
――足を止めろ、と、どこかで声がする。とても弱々しく、消えてしまいそうな私の声が。
そんなことをして何になるんだ、と。
眼前の彼女をよく見ろ、と。何をしにきたのか思い出せ、と。
……しかし、そんなことは今更だ。わかりきったことだ。
彼女の前に膝を付き、呼びかける。
澪「……憂ちゃん」
憂「っ!……みお、さ……んっ」
助けを求めるように、私に縋るように見上げるその瞳を見て。
私は、自分がここに来たことが間違いじゃなかった、とようやく思えて。
そして、ようやく『解決』への道筋が見えた。
鏡張りの部屋。四方から自分の姿を映し出す、そんな部屋に閉じこもってしまった、唯の姿をした憂ちゃん。
そんな彼女の望み。願い。祈り。わかりきったそれは。
澪「……唯に、なりたい?」
頷く代わりに、首に手を回して甘えてくる憂ちゃん。
その身体は、唯と同じように温かくて。
……その温もりは、私の寂しさを埋めてくれそうで。
澪「……じゃあ、唯にしてあげるよ」
唯と同じように扱ってあげる。
唯と同じように接してあげる。
唯と同じように愛してあげる。
憂ちゃんを、唯にしてあげる。だから……
澪「……だから、私のことも、唯と同じように愛してくれる?」
本当は最初からわかっていたのかもしれない。こうなることを望んでいたのかもしれない。
憂ちゃんが寂しいように、私も寂しいんだ。
憂ちゃんが最後に唯と居た私を憎んだように、私も唯とずっと一緒に居た憂ちゃんが憎かったんだ。
憂ちゃんが唯に会いたいように、私も唯に会いたいんだ。
憂ちゃんと私の望みは、願いは、祈りは、一言一句の違いもなく同じなんだ。
だから、これがきっと一番いい解決法。
私も、憂ちゃんも満たされる、たった一つの道。
私達が唯と一緒にいられる、たった一つの。
……唇が近づく。
憂ちゃんの、唇。まだ、目の前にいるのは憂ちゃんだ。でもその唇が私に触れたとき、彼女は『唯』になる。
それで、私達二人は救われる。唯のいないこの世界で、私達は生きていける。
だって、仕方ないじゃないか。唯がいないんだから。
こんな、価値のない世界で生きていく方法なんて、もう他にないんだから。
だから、いいよね、唯……?
「――ダメぇっ!!」
澪「……へ?」
疑問を言葉にしたと同時、額に衝撃。
痛い、と言葉にする間もなく暗転する視界。辛うじて背中の感触で、自分が後ろにひっくり返るように倒れたのだということだけはわかった――
「――――ちゃん――」
「――みおちゃん!!」
澪「――ん……?」
憂「澪さん! よかった、大丈夫ですか…?」
額を赤く腫らした憂ちゃんが、私を心配そうに覗き込んでいる。
少し記憶が混乱したが、何よりもその赤く腫らした額を見て、すぐに思い出した。
澪「……憂ちゃんこそ、大丈夫?」
憂「痛いですけど……それよりも、気になることが…」
澪「うん……」
やっぱり、憂ちゃんにも『あの声』はそう聞こえたのだろう。
ダメ、と叫んだあの声。そしてこっちは現実味がないが、気を失った私を呼んでいたあの声も。
あれは……あの声は……
唯『……はい、ごめんなさい』
澪「ッ!? 唯!?」
憂「……はい?」
澪「あ、あれ? 今、唯の声が……」
そうだ、確かに唯の声が聞こえた。さっきと同じように、間違いなく。
……あれ? でもさっきは聞こえていたはずの憂ちゃんには聞こえていない?
唯『……あはは。こっちこっち、澪ちゃん』
澪「いや、こっちってどこだよ…」
憂「……?」
唯『みおちゃんのなか』
澪「……は? 私の中?」
憂「え、ええええっ!?」
私の中って……あれか? 憂ちゃんの時みたいに、私と唯が一つの身体に入ってるってことか?
澪「な、なんで!?」
消えたんじゃなかったのか? 最初から私の中にいたのか?? それとも???
ただ混乱する私の肩を憂ちゃんが掴み、揺する。
憂「お、お姉ちゃん!? いるなら出てきてよ!!」
澪「あう、ど、どうやって…?」
憂「目を強く閉じて、意識を静めていくんです。出るときは逆に、見えるものとか音とかに意識を集中させる感じで。やってみてください!」
と、とりあえず言われた通りに目を閉じてみる。呼吸も浅くして、音とかもなるべく意識しないようにして…
唯「お、澪ちゃんスジがいいね」
澪『……あれ?』
喋っていないのに口が動いている。いや、むしろ身体全体が動かそうと思っても動かないのに、動いてる実感だけがある。
……唯と入れ替わった、ということだろうか。
憂「おねえ……ちゃん……」
唯「……ダメだよ、憂。近づいちゃダメ、触っちゃダメ。私がいなくても…一人でちゃんと生きないとダメ」
涙を流す憂ちゃんを、唯は冷たく突き放す。
……私が口を挟んでいいシーンじゃないな。もっとも、口は動かせないんだが…
試しに心の中で唯に呼びかけてみるが、返事は無い。きっと『言葉にしよう』と意識しない限りは唯にも届かないのだろう。
変な言い方だが、これで安心して黙って見ていられる。邪魔しちゃいけない。
憂「…無理…だよ。そんなの……ずっと、ずっと一緒に居たのに……!」
唯「……いつでも見てるから。見ててあげるから。意味、わかるよね?」
憂「っ……おねえちゃん……」
唯「憂は私の自慢の妹だもん。頑張れるよ。ね?」
憂「………っ」
突き放し半分、激励半分のその言葉に、ついに憂ちゃんも諦めたように、しかし強く頷いた。
「これで最後だよ」と言い、頭を撫でてやる唯。涙を溜めながら、しかし愛しそうにされるがままの憂ちゃんを見ていると、やっぱり姉妹の絆の深さを見せ付けられているような気持ちにもなるけれど。
……それでも、憂ちゃんは最後に一礼して、着替えを持って部屋を出て行った。きっと、あれは私に向けた一礼。
一応、これで解決だろう。たっぷり間をおいて、今度は私が唯に問いかけてみることにする。
澪『……で、どういうことか説明してくれないか? 消えたんじゃなかったのか?』
唯「いやぁ……いろいろありまして。恥ずかしいから交代してくれない?」
澪『ん、まぁ……いいけど。もういいのか?』
唯「うん、大丈夫だよ」
じゃあ、と言われたとおり今唯が見ている景色や聞いている音に意識を集中してみる。
すると、急にそれらの情報量が多くなったような気がして……『私』が戻ってきた。
スジがいいね、と私をまた軽く褒め、唯は語り始める。
唯『えっと、ね。やっぱり心残りがありすぎて、ね。ダメでした』
澪「……例えば?」
唯『もちろん、何も言わず残してきた憂のこと。やっぱり間違ってたね、私』
そりゃあ、そうかもしれないけど。でも今、こうして解決したのなら、あながち間違いでもなかったのかもしれないと思う。
結果論に過ぎないのかもしれないが、それでもちゃんと救われたんだ、憂ちゃんは。
唯『あと……恥ずかしながら、やっぱり澪ちゃんのことが…』
澪「…恥ずかしい、って? 一度は大丈夫と言っておきながら心配されてる私のほうが恥ずかしいぞ」
唯『あ、ううん、そっちじゃなくて……その……あの…ね?』
歯切れが悪いなぁ、一体何だろう?
唯『……澪ちゃんがね、誰と幸せになるのか、気になっちゃって……』
澪「………はい?」
唯『ほ、ほら、私はもう死んでるはずの人だから、澪ちゃんと一緒にいちゃいけないから、ね? でも、そう考えたはずなのに、あれから澪ちゃんのことを考えると悶々とするというか……気になるというか…』
澪「………」
唯『言っちゃ悪いけど、誰とも一緒になってほしくないというか……ご、ごめんね? 自分でもよくわからなくて…』
澪「……ぷっ、くくっ、そうか、そう思ってくれてたのかぁ……ははっ」
唯『な、なんで笑うのー!?』
……いやぁ、本気で安堵した時って笑いが零れるんだなぁ。それとも、嬉しかったり幸せを感じたりしたからかな?
私の存在が、唯が消えられないほどの未練になった。それってすごく嬉しくて幸せなことじゃないか。
唯『と、とりあえずそんな風にうじうじしてたら消えようにも、ね…?』
澪「……消えなくていい、ってことだろ? きっと神様がそう言ってるんだよ」
神様が本当にいるのなら、まず唯を死なせたりなんてしないだろう、とも思ったけど。
そんな神様がここにきて情けをかけてくれたのだとしたら――ドリームタイムをくれたのだとしたら、それを逃す手はない。
澪「……一緒にいてよ、唯。私は、やっぱり唯に一緒にいてほしいよ」
唯『……そうだねぇ。澪ちゃんは私が見てないと、さっきみたいに憂を襲っちゃうかもしれないし、お姉ちゃんとしてそれは不安だね』
澪「あ、あれは!! 唯にもう会えないから、寂しくて――っていうか唯だって、「だめー!」とか言って頭突きは酷いだろ!」
唯『うっ……あれは、その、なんか悔しくて……澪ちゃんが、私以外の人とキスするのが…』
澪「唯が、唯がいてくれるなら、もう絶対にあんなことしない。約束するから」
唯がもういないから、唯が幸せになれって私を突き放したから、弱い私は憂ちゃんに流されてしまった。
結果的に見れば浮気だし、しかもそれを人のせいにしてるとも言えるけど、それでも、唯がちゃんとここにいるってわかった今なら、もう絶対にこの気持ちは揺るがない。
唯『……嬉しいけど、その、やっぱり私が澪ちゃんを束縛しちゃうのも、何か違うような…』
『それと、ね。えっと、澪ちゃんと憂が仲良くするのは嬉しいんだよ。二人とも大事な人だから。どうせなら一生一緒にいてくれれば安心だとも思ってたし。でも……』
澪「でも、いざそういうのを目の当たりにしたらダメだった、と」
唯『うん。二人がケンカしててもぐっと堪えてたのに。泣きそうになってもずっと我慢してたのに。それなのに、あの時だけはダメだった』
……それは、嫉妬と自惚れていいのだろうか。
まぁ何であれ、あそこで唯が止めてくれなければ、もう二度と本物の唯とは会えなかっただろう。憂ちゃんと優しく甘く傷を舐めあい、二人で生きていったのだろう。
もっとも、今の状態も『この世にいない人に縋っている』ことには変わりはない。だから、どっちが正しいとも言えない。きっとどっちも世間から見れば間違っていて、でも私達から見れば正しいんだ。
唯『めちゃくちゃだよね、私。消えるって言っておいて消えきれないし、ケンカはよくてキスはダメだし。もう自分で自分がわからないよ……』
澪「……わからないまま、消えたくはないだろ?」
唯『………』
澪「一緒にいてよ。見てたんでしょ? 私、唯がいないと何も出来ないんだよ…?」
唯『みお、ちゃん……』
澪「私も私がわからないよ…! 唯に会うまでは唯に会うことを支えに生きてこれたけど、会っちゃったら…唯無しじゃ生きていけなくなっちゃった…!!」
わからないとはいうけれど、わかっていることもある。それほどまでに私は唯が好きで、唯がいないと生きていけないということ。
唯もそれくらいはわかってくれてると嬉しいんだけどなぁ。
唯『澪ちゃん、でも、それでも私は……』
澪「……ゆい、私は唯がいい。唯に一緒にいてほしい。だから難しいことは抜きにして、唯の本音だけを聞かせて欲しい」
唯『……私も…澪ちゃんがいい。澪ちゃんと一緒にいたいよ。でもそれは――』
澪「誰も迷惑なんてしないよ。憂ちゃんも頑張るって言ったし、私は唯がいないとダメなんだから唯が負い目に感じることなんてないよ」
唯『でも、私は……本当ならもう死んでて…』
澪「そうだね。だから唯には身体がない。私の身体を使わないと何も出来ない。不便だよね。だから、この世に居る事くらい許されてもいいと思うよ」
唯『でも…それによって、澪ちゃんの将来も、時間も奪っちゃうわけで…』
澪「唯のいない時間に意味なんてないよ。唯のいない将来なんて欲しくないよ」
唯『で、でも、でもでも……きっと、何か、いろいろダメで…』
澪「何を言われようと私は唯と一緒にいるよ。唯も一緒にいたいって言ってくれたよね?」
私らしくない自信過剰なセリフ。胸を張って、私は愛されてると信じ切って語りかける。
臆病な私にこんな時がくるなんて思わなかったけど、ずっと唯に助けてもらってきたんだ、たまには手を引いて、引き寄せてあげないと。
唯『……一緒にいたいよ。許されるなら、一緒がいいよ…! 澪ちゃんのこと、大好きだもん!!』
澪「じゃあ私が許すよ。だから唯も、私が許すことを許して? そして、私が唯と一緒にいたいって言うことを許して?」
「これからずっとずっと、一瞬も離れずに全ての時を二人一緒に生きて、そして一緒に死ぬことを許して?」
唯『っ……いいなぁ、それ……好きな人と、死ぬまで全てを共有できるって、すっごく幸せだよね……』
澪「うん。そうだね」
唯『いいのかな…? こんな私が、そんな幸せを貰っちゃっていいのかな…?』
『こんな私』なんて言うけれど、唯は何も悪いことはしていない。
ちょっとだけこの世の理から外れているだけで、外れてしまっただけで、唯自身には何の罪もない。
むしろ、私のほうが罪深い。昔は律を信じきれなかったし、ここ数日だと唯の身体を傷つけようともしたし、和に八つ当たりもしたし、憂ちゃんとなんて喧嘩もした挙句に身体を重ねようとした。
だから、むしろ、唯が私でいいと言うのなら。こんな私でもいいと言ってくれるなら。こんな私のあげる幸せなんかでいいと言ってくれるなら。
澪「貰ってほしいんだ、唯に。誰よりも大好きな唯に、私の全てを貰ってほしい」
唯『……っ、じゃあ、じゃあ私もあげるから! 私にあげられるもの全部あげるから!』
澪「……うん、ありがと、唯……」
唯『……澪ちゃん…えへへ……』
律「――やれやれ、ようやく解決、か。ハラハラさせやがって」
さ「どう? 信じた?」
律「まぁ、この目で見たなら信じないわけにもいかないよなぁ」
さ「ふふっ、複雑な気分?」
律「いいや、それが澪の幸せなら、そして唯の幸せなら、私に文句は何も無いよ。仲間だからな」
さ「よっ、部長!!」
律「茶化すなよさわちゃん」
和「結局、あの子達は依存から抜け出せないのよね。だったら一緒にいなくてどうするの、って話よ」
律「いつから居たんだ和」
―――
――
【2】
そして新年度――
ワァァァァァァ
澪「――放課後ティータイムでしたー!! 新入生のみんな、ありがとう!!」
唯を失った軽音部だけど、どうにか今は四人で回している。ボーカルは全て私だし、ギターも梓一人だけど、案外なんとかなるもので。
梓「澪先輩、かっこよかったです!」
澪「ありがとう。梓もいい音させてたよ。さすが」
梓「えへへ、そんな。しっかりやらないと唯先輩に笑われますもん。笑ってませんよね? 唯先輩」
唯『笑うわけないよー! あずにゃんすごいもん』
澪「凄かった、ってさ。仲良しで羨ましいよ」
梓「……澪先輩たちには負けますよ」
澪「そうかな。ありがとう」
結局、メンバー全員に唯と憂ちゃんのことは話した。律と先生が協力的だったのに加え、やっぱりムギも梓もいい奴だから素直に信じてくれた。
そして憂ちゃんについては今年、なんと桜が丘高校の二年に編入してきた。先生も方々を駆けずり回ったとか頭を下げて回ったとかムギが何かしたとか律が殴り込みに行ったとか、私の知らないところでいろいろあったらしい。一体どれが真実なんだ?
ともあれ、旧知の友人も同じクラスにいたようで、彼女を通じて梓とも仲良くやっているらしい。
唯も「あの子とあずにゃんなら安心」と言っていた。いいことだ。
……私も、出来る限り助けようと思う。唯に憂ちゃんの姿を見せてあげたいし、今は綺麗に収まったとはいえ、私が傷つけてしまった面は多い。それこそ『イイ人』でも見つかるまでは面倒を見るつもりだ。
律「――よ。お疲れさん」
紬「お疲れ様です。唯ちゃんも」
澪「うん、ありがとう」
紬「澪ちゃんの人気はうなぎのぼりよ。新入部員も期待できるんじゃないかな?」
律「どうかなぁ。澪目当てで入ってくるって、逆に言えば一年で辞めるってことだろ? あまりいい気分はしないなぁ」
唯『そうだとしても、やってるうちに楽しくなって残ってくれるって!』
澪「ふふっ、唯が経験から言ってるぞ? やってるうちに楽しくなってやめられなくなる、って」
律「ははっ、そりゃ確かにありうるな」
……軽音部の皆は、私と唯の関係を全て知っても変わらず接してくれている。
それは本当にありがたいことで、きっとこの先、そう簡単には手に入れられないもので。絶対に失ってはいけないもので。
私は本当に、数え切れないほどの人たちに助けられているんだなぁと実感して。
唯一無二の永遠の親友はお礼を告げてもそっぽを向くし、板挟みになっていたクールに見えてお人よしの親友も「出世払いで」といって聞く耳を持たないけれど。
それでも、私は助けてくれた皆に何かを返したい。何かを返さないといけない。
……できれば、幸せを分け与えるような形で。唯から貰った幸せは、この人たちがいたからこそなんだ、って。
澪「……いいよね、唯?」
唯『ほえ? ごめん、聞いてなかった』
澪「…いや、言ってないから」
唯『……ん、だったら、澪ちゃんの思うとおりにやればいいと思うよ』
澪「へ? どういうこと?」
唯『澪ちゃんが心の中で考えて出した結論は、いつだって優しい答えだから』
澪「………」
……そして唯は今、私に足りないものをいろいろと補ってくれている。
ライブで緊張しそうでも、唯がいつも励ましてくれる。MCも恥ずかしいけど、唯がいろいろ言葉を考えてくれる。
ファンの子達との交流の時も、私なら人見知りしそうな人が相手の時も、唯が背中を押してくれる。
余談気味だけど、唯と入れ替わることで左右両ききの人にもなれるし、ギターもベースも弾ける。
本当に心から、唯と一緒なら怖いものなんて何もないと思える。
だから私は、何事にも全力で取り組める。向き合える。そして楽しめる。
私が楽しいと、唯も喜んでくれる。唯が出来ないことを私がやり遂げた時は、私以上に喜んでくれる。
私も、私には出来ないことを唯のおかげで切り抜けるたび、それが唯の長所なんだと尊敬するし、同時にそんな凄い子が私の恋人だと鼻が高くなる。
お互いに補い合う私達は内面的な所で正反対だ。でもだからこそ、一緒にいれば誰よりも理想の関係になれるんじゃないか、と思う。
もちろん、正反対だからこそ衝突もするかもしれない。でもそれ以上にお互いが大事だから、きっとすぐに互いの納得する妥協点を見つけ出せると思う。
そして、衝突した以上の幸せをまた見つけるんだ、二人で。
そうして、私達はいつまでも二人で一緒にいるんだ。最後の最期まで一緒にいるんだ。
他の誰にも真似できないくらいの時間を、他の誰よりも近い距離で過ごすんだ。
――これは、私と唯の、すこしふしぎな人生のお話。
/|
|/__
ヽ| l l│<オワーリ
┷┷┷
おつ
よかった
194:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/25(月) 12:48:53.27:mngwGgNqOよかった
乙
久々の大作でした
エピローグが見たいくらい
久々の大作でした
エピローグが見たいくらい

コメント 8
コメント一覧 (8)
ただ、サイエンスフィクションではない気がする。
それともSFには別の意味が込められてるのか?
ものすごく納得した
受験生でないこと・明日が休みであることで本当によかった。
余韻に浸りながら寝れるわ
こういう、ちょっとしたホラーなシリアス・しんみりした話は良いよな
エッチなシーンは苦手なんだが、違和感無かった。
死ぬまで一緒か…いや死んでも一緒ってことだね