197: ◆/4adlfiarI:2022/01/28(金) 18:22:15.24 :KnNp5kHAO
年齢が20以上離れてしまいますが、天王寺は長兄、カレンチャンは末妹ということで何卒。
199:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2022/01/28(金) 20:09:16.14 :/GsSRc52o
お兄ちゃん(実)
200: ◆/4adlfiarI:2022/01/28(金) 20:37:55.66 :Jiy/5sfnO
これに伴いオリジナル設定入りますがご了承下さい。
(某キャラやゲーム、シングレの描写を見るにほぼ推測は正しそうですが)
(某キャラやゲーム、シングレの描写を見るにほぼ推測は正しそうですが)
203: ◆/4adlfiarI:2022/01/29(土) 17:39:59.88 :uR4r37BxO
「24、25、26……」
上腕二頭筋を使ってダンベルを持ち上げながら、私の目はチラチラと時計に向いていた。
筋肉の動きに集中せねばならないのだが、どうにも気がそぞろだ。
「ややっ!?トレーナーさん、どうしたのですか!?」
横でレッグプレスをやっていたバクシンオーが訊いてきた。彼女から見ても分かるほどにはあからさまであったらしい。
「いや、そろそろ来てもいい頃だと思ってな」
「誰がですか?」
ぽかんとしたその様子に、私は思わず苦笑した。何回かスケジュールについては伝えていたはずだが。
「決まっているだろう、カレンだ」
「カレン……おお!そうでした!!」
バクシンオーはレッグプレスのマシーンから降り、パンと手を叩く。
「やっと香港から戻ってこられるのですね!にしても、どうしてトレセン学園に来なかったのですか?」
「このご時世だ、隔離期間を取らねばならなかったのだよ。あいつも随分退屈していた様子だったが」
「かくりきかん?」
バクシンオーの頭の上に、いつものように「?」が浮かんでいる。
「コロナの感染防止のためだよ。あいつはオミクロンの流行前に香港に出ていたからな。それもあって、手続きに時間がかかった。
それに、この前の香港スプリントは大変なことになったからな……身体の検査も念入りにやっておく必要があったわけだ」
「むう、よく分かりませんがお元気なら結構ですっ!」
うんうんとバクシンオーが頷く。
そう、私が担当しているのはバクシンオーだけではない。
トレセン学園が誇るもう一人のスプリンター……カレンチャンも私の受け持ちだ。
そして、昨年末の香港スプリントから、ようやくここに戻ってくる。
「24、25、26……」
上腕二頭筋を使ってダンベルを持ち上げながら、私の目はチラチラと時計に向いていた。
筋肉の動きに集中せねばならないのだが、どうにも気がそぞろだ。
「ややっ!?トレーナーさん、どうしたのですか!?」
横でレッグプレスをやっていたバクシンオーが訊いてきた。彼女から見ても分かるほどにはあからさまであったらしい。
「いや、そろそろ来てもいい頃だと思ってな」
「誰がですか?」
ぽかんとしたその様子に、私は思わず苦笑した。何回かスケジュールについては伝えていたはずだが。
「決まっているだろう、カレンだ」
「カレン……おお!そうでした!!」
バクシンオーはレッグプレスのマシーンから降り、パンと手を叩く。
「やっと香港から戻ってこられるのですね!にしても、どうしてトレセン学園に来なかったのですか?」
「このご時世だ、隔離期間を取らねばならなかったのだよ。あいつも随分退屈していた様子だったが」
「かくりきかん?」
バクシンオーの頭の上に、いつものように「?」が浮かんでいる。
「コロナの感染防止のためだよ。あいつはオミクロンの流行前に香港に出ていたからな。それもあって、手続きに時間がかかった。
それに、この前の香港スプリントは大変なことになったからな……身体の検査も念入りにやっておく必要があったわけだ」
「むう、よく分かりませんがお元気なら結構ですっ!」
うんうんとバクシンオーが頷く。
そう、私が担当しているのはバクシンオーだけではない。
トレセン学園が誇るもう一人のスプリンター……カレンチャンも私の受け持ちだ。
そして、昨年末の香港スプリントから、ようやくここに戻ってくる。
【画像】主婦「マジで旦那ぶっ殺すぞおいこらクソオスが」
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204: ◆/4adlfiarI:2022/01/29(土) 18:07:19.86 :4vJdc4mNO
その時、コンコンとノックの音がした。
「失礼しま「お兄ちゃん!!」」
ドスンッ
ドアが開くと同時に、小柄な人影が私に向かって飛び込んできた。
強烈な衝撃を、私はその腹直筋で受け止める。
「お兄ちゃん!!会いたかったよ~♪」
「ハハハ……人前だからやめなさい」
「むう。1ヶ月以上も会えなかったんだよ?お兄ちゃんは寂しくなかったの?」
「いや、寂しかったよ。ただ、流石に恥ずかしい……「コホン」」
妙齢の女性が咳払いをする。
「仲がよろしいのは結構ですが、場所を弁えて頂きませんと」
「申し訳ございません、理事長代理」
少し顔を赤らめながら、樫本理事長代理が私を見た。
「全く……気持ちは分かりますが。身体が無事だったのは、本当に幸いでした」
私は小さく頷く。そう、本当に幸いだった。
*
カレンは香港スプリントに遠征していた。本来なら私も同行するのが筋だったのだが、私は学園で教鞭を執らねばならなかった。
東京で学会に出なければならなかったこともあり、現地での調整を樫本代理に任せることになったのだ。
そこで、悲劇は起きた。
第4コーナーで、彼女の前を走るウマ娘が、突然骨折し倒れたのだった。
カレンはすかさず、勝敗を度外視して大きく外に進路を変えた。かなり無茶な進路変更だったが、おかげで「カレンは」何事もなくレースを終えた。最下位ではあったが。
だが、転倒の巻き添えを何人ものウマ娘が食い、相次いで倒れた。
時速数十キロで走るウマ娘が転倒した時の衝撃は……人間とは比べ物にならない。
死者こそ出なかったが、1人は意識不明の重体。2人が脚や腰の骨を折り、競争バ生命を絶たれた。
どれほど香港に行きたいと思っただろうか。しかし、出入国制限がかかった中でそれは不可能であった。
樫本代理からの情報を頼りに、この1ヶ月を過ごしてきた……というわけだ。
その時、コンコンとノックの音がした。
「失礼しま「お兄ちゃん!!」」
ドスンッ
ドアが開くと同時に、小柄な人影が私に向かって飛び込んできた。
強烈な衝撃を、私はその腹直筋で受け止める。
「お兄ちゃん!!会いたかったよ~♪」
「ハハハ……人前だからやめなさい」
「むう。1ヶ月以上も会えなかったんだよ?お兄ちゃんは寂しくなかったの?」
「いや、寂しかったよ。ただ、流石に恥ずかしい……「コホン」」
妙齢の女性が咳払いをする。
「仲がよろしいのは結構ですが、場所を弁えて頂きませんと」
「申し訳ございません、理事長代理」
少し顔を赤らめながら、樫本理事長代理が私を見た。
「全く……気持ちは分かりますが。身体が無事だったのは、本当に幸いでした」
私は小さく頷く。そう、本当に幸いだった。
*
カレンは香港スプリントに遠征していた。本来なら私も同行するのが筋だったのだが、私は学園で教鞭を執らねばならなかった。
東京で学会に出なければならなかったこともあり、現地での調整を樫本代理に任せることになったのだ。
そこで、悲劇は起きた。
第4コーナーで、彼女の前を走るウマ娘が、突然骨折し倒れたのだった。
カレンはすかさず、勝敗を度外視して大きく外に進路を変えた。かなり無茶な進路変更だったが、おかげで「カレンは」何事もなくレースを終えた。最下位ではあったが。
だが、転倒の巻き添えを何人ものウマ娘が食い、相次いで倒れた。
時速数十キロで走るウマ娘が転倒した時の衝撃は……人間とは比べ物にならない。
死者こそ出なかったが、1人は意識不明の重体。2人が脚や腰の骨を折り、競争バ生命を絶たれた。
どれほど香港に行きたいと思っただろうか。しかし、出入国制限がかかった中でそれは不可能であった。
樫本代理からの情報を頼りに、この1ヶ月を過ごしてきた……というわけだ。
205: ◆/4adlfiarI:2022/01/29(土) 18:56:24.98 :4vJdc4mNO
*
「ええ。本当に不幸中の幸いでした。一応念のための確認ですが、メディカルチームは何と」
「進路変更に伴う軽度の肉離れは完治したと。本日より通常のトレーニングに戻って結構です」
「やったぁ!!」
カレンがピョンと飛び跳ねる。
「これでまたお兄ちゃんとバクちゃんと一緒に練習できるね♪」
「ハイッ!これからも切磋琢磨いたしましょうっ!!
ところで、前から不思議だったのですが、なぜカレンチャンさんはトレーナーさんのことを『お兄ちゃん』と呼ぶのですか?」
「だって、お兄ちゃんはお兄ちゃんだもん。ね?」
カレンが悪戯っぽい笑いを私に向ける。私は乾いた笑いを浮かべ、代理がまた軽く咳払いをした。
そう、事実関係を知らないバクシンオーが不思議に思うのも無理はない。
というより、トレセン学園でもこの事実を知るのは目の前の樫本代理や駿川女史、そしてシンボリルドルフなどごく少数に留まる。
そう、カレンチャン……戸籍名「天王寺カレン」は、私の実妹だ。
代理が困ったように私を見る。
「バクシンオーさん、カレンチャンさん。そこまでにして下さい。天王寺トレーナーと、少しお話があるので」
「ハイッ、わかりました!!」
「は~い♪」
*
「いつまで秘するつもりですか?」
代理が厳しい目で私を見る。私は静かに緑茶を口にした。
「彼女の卒業まで。平等の面からそうすべきであると考えております」
「それはもっともなことです。ただならなぜ敢えて手元に?」
「……亡くなった母の望みなんですよ。あいつを一人前のウマ娘にしてくれと。
男ばかり生まれた後で、やっとできた娘でしたから、思い入れはよく分かります」
そう、母はウマ娘だった。体質が弱く、競争バにはなれなかったが。
その代わり、父と共にスポーツ医学の研究に没頭した。自分が果たせなかった夢を、いつの日か生まれる娘に叶えてもらうがために。
ただ、そう上手くはことが運ばないものだ。学生結婚で生まれた私の他、下の3人は全員が男だった。
諦めかけていた時にようやく生まれたのがカレンだった。……が、高齢出産の負担は重く、早いうちに母は世を去ってしまった。
それから母代わりとなって、私が彼女を育ててきた。
母の夢を無理に託そうと思ったわけではない。ただ、賢いあいつは母の遺志を敏感に感じ取り、ここまで育った。ブラコン気味になってしまったのはそのせいもある。
だからこそ、彼女に甘くならないようにと、一つのルールを課した。
トレセン学園では、あくまで「トレーナーと生徒である」ということだ。
カレンもそこは理解しているはずだ。ただ、私への呼び方だけは「お兄ちゃん」で変わらない。
代理が息をつく。
「あまりご無理をされないよう。ああいうことがあった後ですから、お気持ちは分かりますが」
「肝に銘じておきます」
命の危険すらあった大事故の後だ。あいつもトレーナーとしてではなく、兄としての私に甘えたい思いはあるのだろう。
さりとて、どう距離感を作るべきか。バクシンオーもいる手前、彼女が求めるようには恐らくできない。
……とりあえず、飯でも誘うとしよう。チートデイも近いことだ。
*
「ええ。本当に不幸中の幸いでした。一応念のための確認ですが、メディカルチームは何と」
「進路変更に伴う軽度の肉離れは完治したと。本日より通常のトレーニングに戻って結構です」
「やったぁ!!」
カレンがピョンと飛び跳ねる。
「これでまたお兄ちゃんとバクちゃんと一緒に練習できるね♪」
「ハイッ!これからも切磋琢磨いたしましょうっ!!
ところで、前から不思議だったのですが、なぜカレンチャンさんはトレーナーさんのことを『お兄ちゃん』と呼ぶのですか?」
「だって、お兄ちゃんはお兄ちゃんだもん。ね?」
カレンが悪戯っぽい笑いを私に向ける。私は乾いた笑いを浮かべ、代理がまた軽く咳払いをした。
そう、事実関係を知らないバクシンオーが不思議に思うのも無理はない。
というより、トレセン学園でもこの事実を知るのは目の前の樫本代理や駿川女史、そしてシンボリルドルフなどごく少数に留まる。
そう、カレンチャン……戸籍名「天王寺カレン」は、私の実妹だ。
代理が困ったように私を見る。
「バクシンオーさん、カレンチャンさん。そこまでにして下さい。天王寺トレーナーと、少しお話があるので」
「ハイッ、わかりました!!」
「は~い♪」
*
「いつまで秘するつもりですか?」
代理が厳しい目で私を見る。私は静かに緑茶を口にした。
「彼女の卒業まで。平等の面からそうすべきであると考えております」
「それはもっともなことです。ただならなぜ敢えて手元に?」
「……亡くなった母の望みなんですよ。あいつを一人前のウマ娘にしてくれと。
男ばかり生まれた後で、やっとできた娘でしたから、思い入れはよく分かります」
そう、母はウマ娘だった。体質が弱く、競争バにはなれなかったが。
その代わり、父と共にスポーツ医学の研究に没頭した。自分が果たせなかった夢を、いつの日か生まれる娘に叶えてもらうがために。
ただ、そう上手くはことが運ばないものだ。学生結婚で生まれた私の他、下の3人は全員が男だった。
諦めかけていた時にようやく生まれたのがカレンだった。……が、高齢出産の負担は重く、早いうちに母は世を去ってしまった。
それから母代わりとなって、私が彼女を育ててきた。
母の夢を無理に託そうと思ったわけではない。ただ、賢いあいつは母の遺志を敏感に感じ取り、ここまで育った。ブラコン気味になってしまったのはそのせいもある。
だからこそ、彼女に甘くならないようにと、一つのルールを課した。
トレセン学園では、あくまで「トレーナーと生徒である」ということだ。
カレンもそこは理解しているはずだ。ただ、私への呼び方だけは「お兄ちゃん」で変わらない。
代理が息をつく。
「あまりご無理をされないよう。ああいうことがあった後ですから、お気持ちは分かりますが」
「肝に銘じておきます」
命の危険すらあった大事故の後だ。あいつもトレーナーとしてではなく、兄としての私に甘えたい思いはあるのだろう。
さりとて、どう距離感を作るべきか。バクシンオーもいる手前、彼女が求めるようには恐らくできない。
……とりあえず、飯でも誘うとしよう。チートデイも近いことだ。
208: ◆/4adlfiarI:2022/01/29(土) 22:22:53.06 :4vJdc4mNO
*
「あ、お兄ちゃん!」
トレーナー室に戻ると、カレンが何やら自撮り棒を持って準備をしている。
「……これは?」
「うん!ウマスタのフォロワーさんたちに報告するための投稿しよっかなーって。
カレンは元気だよーってね♪心配かけちゃったし」
「その……悪かったな。辛かっただろう」
「……大丈夫だよ。無事だったし。でも、お兄ちゃんには側にいてほしかったな」
寂しそうに笑うカレンを見て、心が痛んだ。
やむを得なかったことだとは、彼女も理解しているだろう。ただ、それだけに傷ついてもいる。
そして、カレンはその辛さを表には決して出そうとしない。「いつも可愛く元気なカレンチャン」を、どこまでも演じようとするのだろう。
それは彼女なりの処世術ではある。しかし、その無理が彼女の幼い心を蝕みかねないことを、私は知っている。
そんな時にどうすればいいのか?そのことも、私はよく知っている。
「埋め合わせにもならないかもしれないが、明日飯に行くか?」
「ご飯?フレンチ?イタリアン?ウマスタ映えするのがいいなあ」
「私がそういう柄じゃないのは知ってるだろう。それに、お前に辛いことがあった後はいつも決まっている。お前が本当に一番好きなものを食わせてやる」
「お兄ちゃん……」
目を潤ませるカレンの後ろから、バクシンオーが顔を出した。
「むむっ?何があったのです?」
「いや、飯を食わないか、とな。チートデイも近いだろう」
「おおっ、そうでした!ラーメンですね!!」
うんうん、とバクシンオーは上機嫌に頷く。カレンは上目遣いで訊いてきた。
「どこに行くの?」
「それは着いてのお楽しみだ。今しか食えない、特別な一杯が待っているぞ」
*
「あ、お兄ちゃん!」
トレーナー室に戻ると、カレンが何やら自撮り棒を持って準備をしている。
「……これは?」
「うん!ウマスタのフォロワーさんたちに報告するための投稿しよっかなーって。
カレンは元気だよーってね♪心配かけちゃったし」
「その……悪かったな。辛かっただろう」
「……大丈夫だよ。無事だったし。でも、お兄ちゃんには側にいてほしかったな」
寂しそうに笑うカレンを見て、心が痛んだ。
やむを得なかったことだとは、彼女も理解しているだろう。ただ、それだけに傷ついてもいる。
そして、カレンはその辛さを表には決して出そうとしない。「いつも可愛く元気なカレンチャン」を、どこまでも演じようとするのだろう。
それは彼女なりの処世術ではある。しかし、その無理が彼女の幼い心を蝕みかねないことを、私は知っている。
そんな時にどうすればいいのか?そのことも、私はよく知っている。
「埋め合わせにもならないかもしれないが、明日飯に行くか?」
「ご飯?フレンチ?イタリアン?ウマスタ映えするのがいいなあ」
「私がそういう柄じゃないのは知ってるだろう。それに、お前に辛いことがあった後はいつも決まっている。お前が本当に一番好きなものを食わせてやる」
「お兄ちゃん……」
目を潤ませるカレンの後ろから、バクシンオーが顔を出した。
「むむっ?何があったのです?」
「いや、飯を食わないか、とな。チートデイも近いだろう」
「おおっ、そうでした!ラーメンですね!!」
うんうん、とバクシンオーは上機嫌に頷く。カレンは上目遣いで訊いてきた。
「どこに行くの?」
「それは着いてのお楽しみだ。今しか食えない、特別な一杯が待っているぞ」
209: ◆/4adlfiarI:2022/01/29(土) 22:23:49.17 :4vJdc4mNO
第5R 「饗 くろき」
第5R 「饗 くろき」
216: ◆/4adlfiarI:2022/01/30(日) 15:17:44.27 :3n1lv2WdO
*
翌日昼。目的地に着いた私たちを出迎えていたのは……
「にょわー!?この行列はなんですか!?」
「『八五』ほどじゃないだろう。あと、あそこより更に並ぶ店も存在するぞ」
「ぬぬぬ……バクシンへの道は険しいのですね」
ぐぬぬと唸るバクシンオーをよそに、私たちは30人ほどの列の最後尾に並ぶ。目当てのものは……まだ売り切れてないようだ。
「ここに来るのも久しぶりだね、お兄ちゃん」
「お前が小学生の時以来だな。あの頃はまだ『紫』はあったが」
「今はないの?」
「極稀にやってるらしいけどな。勿体無いが仕方ない」
「そっか、ちょっと残念。あれウマスタ映えするんだけどなあ」
「『紫』とは何なのですか!?」
いつの間にか列に加わっていたバクシンオーが訊いてきた。小学生の下りは聞かれなかっただろうか。
「昔、ここは毎週金曜に鴨醤油ラーメンを出していた。それが『紫』だ。
醤油ラーメンでは傑出した旨さだったんだが、メインメニューのフルモデルチェンジと共にやめてしまった、らしい。
大将にその理由を聞いたことはないが、かなり手間がかかっていたからな……仕入れも大変だったんだろう」
「ほほう、では今日は何を食べるのです?」
私はニヤリと笑う。
「チャーシュー麺。マンガリッツァ豚のチャーシュー麺だ」
*
翌日昼。目的地に着いた私たちを出迎えていたのは……
「にょわー!?この行列はなんですか!?」
「『八五』ほどじゃないだろう。あと、あそこより更に並ぶ店も存在するぞ」
「ぬぬぬ……バクシンへの道は険しいのですね」
ぐぬぬと唸るバクシンオーをよそに、私たちは30人ほどの列の最後尾に並ぶ。目当てのものは……まだ売り切れてないようだ。
「ここに来るのも久しぶりだね、お兄ちゃん」
「お前が小学生の時以来だな。あの頃はまだ『紫』はあったが」
「今はないの?」
「極稀にやってるらしいけどな。勿体無いが仕方ない」
「そっか、ちょっと残念。あれウマスタ映えするんだけどなあ」
「『紫』とは何なのですか!?」
いつの間にか列に加わっていたバクシンオーが訊いてきた。小学生の下りは聞かれなかっただろうか。
「昔、ここは毎週金曜に鴨醤油ラーメンを出していた。それが『紫』だ。
醤油ラーメンでは傑出した旨さだったんだが、メインメニューのフルモデルチェンジと共にやめてしまった、らしい。
大将にその理由を聞いたことはないが、かなり手間がかかっていたからな……仕入れも大変だったんだろう」
「ほほう、では今日は何を食べるのです?」
私はニヤリと笑う。
「チャーシュー麺。マンガリッツァ豚のチャーシュー麺だ」
217: ◆/4adlfiarI:2022/01/30(日) 15:59:54.47 :3n1lv2WdO
バクシンオーがぽかーんと口を開けている。
「まんが……漫画なのですか!?」
「ハンガリー原産の豚だよ。ドングリなどを食べて育つという意味では、イベリコ豚に近いな。
希少で、ハンガリーの国宝にも指定されている。……これだ」
スマホでマンガリッツァ豚の画像を見せると、カレンが「カワイイー!!」と声を上げた。
「モコモコしてて、羊さんみたい!でも国宝って食べちゃっていいの?」
これが可愛く見えるのかと内心思いつつ、私は頷いた。
「日本でも少数が飼育されているな。これと在来種を掛け合わせたものなら、稀にファミレスでも食べられる。
もちろん、今日のは純正種だ。私も食べたことはない」
「へー、美味しいのかな?」
「食べたことのない味の豚らしいな。……だからこそ、今日はここに来た」
カレンが「あっ」と呟いた。
「お兄ちゃん……そういうこと」
彼女も私の意図を理解したようだ。辛いことがあったら、旨いものをしっかり食べて忘れるのがいい。チートデイも、ある意味それに似ている。
「大将なら、間違いのない味だろう。さて、もう少し待つとしようか」
30分ほどで食券を買うように促された。せっかくなので、「マンガリッツァ豚の脂飯」も頼んでおくか。
値段はしめて2000円とラーメンとしては極めて高額だが、美味いものには金をケチるなというのが親父から受け継いだ家訓だ。
バクシンオーがぽかーんと口を開けている。
「まんが……漫画なのですか!?」
「ハンガリー原産の豚だよ。ドングリなどを食べて育つという意味では、イベリコ豚に近いな。
希少で、ハンガリーの国宝にも指定されている。……これだ」
スマホでマンガリッツァ豚の画像を見せると、カレンが「カワイイー!!」と声を上げた。
「モコモコしてて、羊さんみたい!でも国宝って食べちゃっていいの?」
これが可愛く見えるのかと内心思いつつ、私は頷いた。
「日本でも少数が飼育されているな。これと在来種を掛け合わせたものなら、稀にファミレスでも食べられる。
もちろん、今日のは純正種だ。私も食べたことはない」
「へー、美味しいのかな?」
「食べたことのない味の豚らしいな。……だからこそ、今日はここに来た」
カレンが「あっ」と呟いた。
「お兄ちゃん……そういうこと」
彼女も私の意図を理解したようだ。辛いことがあったら、旨いものをしっかり食べて忘れるのがいい。チートデイも、ある意味それに似ている。
「大将なら、間違いのない味だろう。さて、もう少し待つとしようか」
30分ほどで食券を買うように促された。せっかくなので、「マンガリッツァ豚の脂飯」も頼んでおくか。
値段はしめて2000円とラーメンとしては極めて高額だが、美味いものには金をケチるなというのが親父から受け継いだ家訓だ。
218: ◆/4adlfiarI:2022/01/30(日) 16:25:35.43 :3n1lv2WdO
「いらっしゃい!お、天王寺さんじゃないですか、お久し振り」
店内に入ると、大将が気さくに話し掛けてきた。
「仕事がなかなか忙しくてすみません。今日は教え子も連れてきました」
「教え子……そう言えば、ウマ娘のトレーナーでしたっけ」
「ハハ、まあ」
大将はカレンにも気付いたようだったが、目配せすると意を汲んだらしく作業に戻った。
「ほわーっ!ここもおしゃれな店ですねえ!」
「そうなんだ~♪見た目も凝ってるんだよー」
横の客が注文した塩ラーメンが見えた。雲呑につくね、それにネギとドライトマト。見るからに美しく、調和の取れた盛り付けだ。
大将はかつて大手外食チェーンの総料理長だったと聞く。「八五」の主人と同様、異業種でかつてはトップにいた人物だ。
それだけあって、やはり見た目の美しさに対するこだわりは共通しているものらしい。
そして、この店のもう一つの特徴は「限定」にある。
時に松阪牛、時に寒ブリ。あるいは見知らぬ高級食材を巧みにラーメンというフォーマットに落とし込むのだ。
最近はこうした期間限定メニューを売りにする店も増えてはきたが、ここほど完成度の高い一杯を出す店はほぼない。
ベクトルが全く異なるが、「家元」の「スペシャル」程度ではないだろうか。
店員が「マンガリッツァは今日終わりなんですよ」と言っているのが聞こえた。どうやら滑り込みで間に合ったらしい。
「むむう、待ちきれません!早くバクシンしたいです!!」
「そう焦るな。……っと、あれかな」
大将と店員が、丁寧に盛り付けを進めていく。メンマにネギ、そして見たこともない赤いナルトのような何かがスープに乗せられた。
「お待ちどうさま。『マンガリッツァ豚の焼豚そば』です」
「いらっしゃい!お、天王寺さんじゃないですか、お久し振り」
店内に入ると、大将が気さくに話し掛けてきた。
「仕事がなかなか忙しくてすみません。今日は教え子も連れてきました」
「教え子……そう言えば、ウマ娘のトレーナーでしたっけ」
「ハハ、まあ」
大将はカレンにも気付いたようだったが、目配せすると意を汲んだらしく作業に戻った。
「ほわーっ!ここもおしゃれな店ですねえ!」
「そうなんだ~♪見た目も凝ってるんだよー」
横の客が注文した塩ラーメンが見えた。雲呑につくね、それにネギとドライトマト。見るからに美しく、調和の取れた盛り付けだ。
大将はかつて大手外食チェーンの総料理長だったと聞く。「八五」の主人と同様、異業種でかつてはトップにいた人物だ。
それだけあって、やはり見た目の美しさに対するこだわりは共通しているものらしい。
そして、この店のもう一つの特徴は「限定」にある。
時に松阪牛、時に寒ブリ。あるいは見知らぬ高級食材を巧みにラーメンというフォーマットに落とし込むのだ。
最近はこうした期間限定メニューを売りにする店も増えてはきたが、ここほど完成度の高い一杯を出す店はほぼない。
ベクトルが全く異なるが、「家元」の「スペシャル」程度ではないだろうか。
店員が「マンガリッツァは今日終わりなんですよ」と言っているのが聞こえた。どうやら滑り込みで間に合ったらしい。
「むむう、待ちきれません!早くバクシンしたいです!!」
「そう焦るな。……っと、あれかな」
大将と店員が、丁寧に盛り付けを進めていく。メンマにネギ、そして見たこともない赤いナルトのような何かがスープに乗せられた。
「お待ちどうさま。『マンガリッツァ豚の焼豚そば』です」
219: ◆/4adlfiarI:2022/01/30(日) 16:55:25.16 :3n1lv2WdO
「これが……マンガリッツァ豚」
カレンは早速スマホを取り出すと、パシャパシャと角度を変えて写真を撮り始めた。
その横ではバクシンオーがいつものように「バックシーン!」と叫んでいる。
「にょわーっ!!この豚さんは何ですかっ!!この、なんというか……ああっ!表現できる言葉がないのがくちおしい!!」
普段は豚は後で食べる私も、今回ばかりは焼豚から口にした。くにゅり、とした弾力。そして……
何だこれは。
顔色が一瞬のうちにして変わったのが、自分でも分かった。ワイシャツのボタンも弾け飛ぶ。
美味い。尋常ではなく、美味い。しかし、適切な言葉が全く思いつかない。
イベリコ豚のように、脂そのものが香ばしい。しかし、それだけではない。
肉から滲み出る旨味。この深さ、今まで体験したことのあるレベルではない。
バクシンオーでなくても、これを説明するのは難しいだろう。確実に言えることは、醤油で下味をしっかり付けているということだ。
「『鶴醤』、ですか」
「搾りたての特注品です。これに漬けて、旨味を最大限に引き出したんですよ」
大将が説明してくれた。麺を啜る。……これも美味い。
醤油ベースだが、マンガリッツァ豚の脂がそこに加わり、スープだけでも既に尋常じゃない旨さになっている。
赤いナルトのようなものは「赤巻」と呼ばれるかまぼこの一種か。かまぼこをラーメンに使うのはあまり聞かないが、脂が強いこの一杯にはとても合っている。
ふと横を見ると、カレンの目が潤んでいるのが分かった。
「……どうした」
「ううん。……すごく美味しい。というか、なんだかほっとしちゃったの」
「ほっとした?」
「うん……生きて日本に戻れたんだなって。そして、お兄ちゃんと会えたんだなって。やっと実感できた」
「カレン……」
ゴシゴシと目をこすると、カレンはいつもの調子の笑顔に戻った。
「お兄ちゃん、ありがとね!早速、写真ウマスタとウマッターにアップしていい?」
「あ、ああ」
バクシンオーは「大・満・足です!」ともう食べ終えていた。私も麺が伸び切る前に食べ終えねば。
「これが……マンガリッツァ豚」
カレンは早速スマホを取り出すと、パシャパシャと角度を変えて写真を撮り始めた。
その横ではバクシンオーがいつものように「バックシーン!」と叫んでいる。
「にょわーっ!!この豚さんは何ですかっ!!この、なんというか……ああっ!表現できる言葉がないのがくちおしい!!」
普段は豚は後で食べる私も、今回ばかりは焼豚から口にした。くにゅり、とした弾力。そして……
何だこれは。
顔色が一瞬のうちにして変わったのが、自分でも分かった。ワイシャツのボタンも弾け飛ぶ。
美味い。尋常ではなく、美味い。しかし、適切な言葉が全く思いつかない。
イベリコ豚のように、脂そのものが香ばしい。しかし、それだけではない。
肉から滲み出る旨味。この深さ、今まで体験したことのあるレベルではない。
バクシンオーでなくても、これを説明するのは難しいだろう。確実に言えることは、醤油で下味をしっかり付けているということだ。
「『鶴醤』、ですか」
「搾りたての特注品です。これに漬けて、旨味を最大限に引き出したんですよ」
大将が説明してくれた。麺を啜る。……これも美味い。
醤油ベースだが、マンガリッツァ豚の脂がそこに加わり、スープだけでも既に尋常じゃない旨さになっている。
赤いナルトのようなものは「赤巻」と呼ばれるかまぼこの一種か。かまぼこをラーメンに使うのはあまり聞かないが、脂が強いこの一杯にはとても合っている。
ふと横を見ると、カレンの目が潤んでいるのが分かった。
「……どうした」
「ううん。……すごく美味しい。というか、なんだかほっとしちゃったの」
「ほっとした?」
「うん……生きて日本に戻れたんだなって。そして、お兄ちゃんと会えたんだなって。やっと実感できた」
「カレン……」
ゴシゴシと目をこすると、カレンはいつもの調子の笑顔に戻った。
「お兄ちゃん、ありがとね!早速、写真ウマスタとウマッターにアップしていい?」
「あ、ああ」
バクシンオーは「大・満・足です!」ともう食べ終えていた。私も麺が伸び切る前に食べ終えねば。
220: ◆/4adlfiarI:2022/01/30(日) 17:15:40.55 :3n1lv2WdO
*
「う~ん♪美味しかったあ♪」
カレンは満面の笑みで言うと、私にウマスタグラムの画面を見せてきた。ラーメンとの自撮り写真が載っている。
涙の跡は見えないよう加工したのか、全くそんな気配は見えない。
「もう1万『いいね!』がついてるよ!やっぱりカレンってカワイイからね♪」
「まあ、そうだな……明日からは、普段通りのメニューに戻るぞ」
「えーっ。筋トレはいいけど、ほどほどにしてね♪あまり筋肉付け過ぎると、カワイクなくなっちゃうよー。ね?バクちゃん」
「はいっ!カレンチャンさんはカワイイです!私の妹と同じぐらいには!!」
「「……え??」」
カレンと啞然としてバクシンオーを見る。
「……バクシンオー君、妹がいたのか?」
「ハイッ!!お姉ちゃんなのですっ!!トレーナーさんと同じでしょう!!ハーッハッハッハ!!」
バクシンオーに聞かれていたというショック以上に、バクシンオーが長女という事実の衝撃が大きかった。一人っ子だとばかり思っていたが……
「ま、まあ……大事にしてやってくれ」
「ハイッ!もちろんでありますともっ!!」
バクシンオーは妙に上機嫌だ。彼女はどういう姉なのだろうか……やや不安に思いながら、家路につくのであった。
第5話 完
*
「う~ん♪美味しかったあ♪」
カレンは満面の笑みで言うと、私にウマスタグラムの画面を見せてきた。ラーメンとの自撮り写真が載っている。
涙の跡は見えないよう加工したのか、全くそんな気配は見えない。
「もう1万『いいね!』がついてるよ!やっぱりカレンってカワイイからね♪」
「まあ、そうだな……明日からは、普段通りのメニューに戻るぞ」
「えーっ。筋トレはいいけど、ほどほどにしてね♪あまり筋肉付け過ぎると、カワイクなくなっちゃうよー。ね?バクちゃん」
「はいっ!カレンチャンさんはカワイイです!私の妹と同じぐらいには!!」
「「……え??」」
カレンと啞然としてバクシンオーを見る。
「……バクシンオー君、妹がいたのか?」
「ハイッ!!お姉ちゃんなのですっ!!トレーナーさんと同じでしょう!!ハーッハッハッハ!!」
バクシンオーに聞かれていたというショック以上に、バクシンオーが長女という事実の衝撃が大きかった。一人っ子だとばかり思っていたが……
「ま、まあ……大事にしてやってくれ」
「ハイッ!もちろんでありますともっ!!」
バクシンオーは妙に上機嫌だ。彼女はどういう姉なのだろうか……やや不安に思いながら、家路につくのであった。
第5話 完
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森きのこ
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