164: ◆Tw7kfjMAJk:2017/04/19(水) 21:11:04.78 :nhXCd10e0
第九話「ともだち」
第九話「ともだち」
165: ◆Tw7kfjMAJk:2017/04/19(水) 21:11:33.48 :nhXCd10e0
アナスタシアは加蓮とのライブバトルに敗北した。
しかし――皮肉なことではあるが――僕が最初考えていたようにアナスタシアの知名度はさらに上がる結果となった。
ただ、もし最初考えていたように『負けてもいい』といった姿勢で挑んだならばこうはならなかっただろう。
今回の加蓮のステージは僕が想定していたものを遥かに超えたステージだった。まさに凄絶。歴史に残るステージだったと言っても過言ではないだろう。
あのライブバトルの翌日から、世間は加蓮の話題で持ち切りだった。どこへ行ってもあのステージの話を聞いた。日本中が加蓮に心を動かされていた。
話題のほとんどが加蓮のステージに関するものではあったが、アナスタシアのステージが取り上げられることもあった。
ある人曰く、
『今回の北条さんはたとえ相手が渋谷さんであったとしても勝利を収めたことでしょう。そんなステージを見せた北条さんに対して、あそこまでのステージができたことは素晴らしいし、これで新人だと言うのだから恐ろしい。これからの彼女に期待したいですね』
とのことだ。
もしアナスタシアが中途半端なステージを見せたならば、彼女は話題にもならなかっただろうし、あるいは無様な姿を見せたとまで言われたかもしれない。
もちろん、彼女がそんな姿を見せるとは思えないが……僕のせいでそうなっていた可能性すらあったと考えると恐ろしい。
それ以外にも変わったことはいくつかある。
まず、アナスタシア。加蓮とのライブバトルで彼女が得たものは多かった。
加蓮のステージから得たもの、渋谷さんとのレッスンから得たもの……そして、敗北から得たもの。
加蓮のステージを見て、アナスタシアは少し変わった。
あれ以降、彼女が『Never say never』を歌うことはなかったが、『You’re stars shine on me』を歌う機会は何度かあった。
その歌い方が、明らかに変わってきていたのだ。それも、毎回のように。
それが良く働くこともあったが、悪く働くこともあった。
しかし、これに関して僕は手を出さず、アナスタシアに任せることにした。
また、渋谷さんとのレッスンを経験した結果、アナスタシアのレッスンは大きく変わった。
レッスンに対する意識が変わったし、レッスンの質が変わった。量も変わったが……これに関しては、ルキちゃんがアナスタシアの希望を許さなかった。
アナスタシアは渋谷さんのレッスンを基準にレッスン量を変えようとしていたようだが、今のアナスタシアでも渋谷さんと同じレッスンはできないだろう。
今でもやっているアイドルはいるのだから、将来的に見れば不可能ではないと思うが……そうなった場合、ルキちゃんがどんな顔をするかは楽しみでもある。
加蓮とのライブバトルを経験したこととレッスンを変えたことによってアナスタシアは飛躍的なまでに成長した。今なおそれは止まらない。
『You’re stars shine on me』が毎回のように変わっているのもその一環だろう。
どうすればより良くなるのかを常に考えて努力している。
そしてそれは、加蓮とのライブバトルに敗北したことも原因の一つだろう。
今回の加蓮のステージは確かに驚異的なものだった。
あのステージを超えることは『トップアイドル』と呼ばれる存在であっても難しいだろう。
だが、だからと言って敗北の悔しさが紛れるわけはない。負けは負けだ。
アナスタシアは、北条加蓮に敗北した。
それが事実だ。それ以上でもそれ以下でもない。
だから、悔しいのだ。
だから、負けたくないと思うのだ。
だから、だから、だからこそ……二度と負けないと誓うのだ。
二度と負けないように、努力するのだ。
ライブバトルは名前通り『バトル』だ。戦いだ。必ず勝ち負けが発生する。勝者と敗者が存在する。
勝つために努力して、努力して、努力して、努力して……そして、負ける。
その悔しさは、僕では理解できない。敗北は辛く苦しい。僕には、それだけしかわからない。
だが、アナスタシアのあんな顔は……負けたと決まった時のあんな顔は、二度と見たくない。
アナスタシアは言った。
「私を応援してくれたファンに……プロデューサーに、申し訳ない、です」
……あんな顔は、二度とさせたくない。
あんな顔は、二度とさせない。
アナスタシアは二度と負けないために努力している。自分を応援しているファンの期待に、今度こそ、裏切らないように。努力して、ぐんぐんとその力を伸ばしている。
ファンのために。そして、『負けたくない』という純粋な気持ちのために。
アナスタシアは、努力している。
――と言っても、最近のアナスタシアは僕から見ても根を詰めすぎだとは思う。
ルキちゃんにも言われているし、ちゃんと休むように言っておこう。
そして。
その間に、僕は私のするべきことをしよう。
アナスタシアは加蓮とのライブバトルに敗北した。
しかし――皮肉なことではあるが――僕が最初考えていたようにアナスタシアの知名度はさらに上がる結果となった。
ただ、もし最初考えていたように『負けてもいい』といった姿勢で挑んだならばこうはならなかっただろう。
今回の加蓮のステージは僕が想定していたものを遥かに超えたステージだった。まさに凄絶。歴史に残るステージだったと言っても過言ではないだろう。
あのライブバトルの翌日から、世間は加蓮の話題で持ち切りだった。どこへ行ってもあのステージの話を聞いた。日本中が加蓮に心を動かされていた。
話題のほとんどが加蓮のステージに関するものではあったが、アナスタシアのステージが取り上げられることもあった。
ある人曰く、
『今回の北条さんはたとえ相手が渋谷さんであったとしても勝利を収めたことでしょう。そんなステージを見せた北条さんに対して、あそこまでのステージができたことは素晴らしいし、これで新人だと言うのだから恐ろしい。これからの彼女に期待したいですね』
とのことだ。
もしアナスタシアが中途半端なステージを見せたならば、彼女は話題にもならなかっただろうし、あるいは無様な姿を見せたとまで言われたかもしれない。
もちろん、彼女がそんな姿を見せるとは思えないが……僕のせいでそうなっていた可能性すらあったと考えると恐ろしい。
それ以外にも変わったことはいくつかある。
まず、アナスタシア。加蓮とのライブバトルで彼女が得たものは多かった。
加蓮のステージから得たもの、渋谷さんとのレッスンから得たもの……そして、敗北から得たもの。
加蓮のステージを見て、アナスタシアは少し変わった。
あれ以降、彼女が『Never say never』を歌うことはなかったが、『You’re stars shine on me』を歌う機会は何度かあった。
その歌い方が、明らかに変わってきていたのだ。それも、毎回のように。
それが良く働くこともあったが、悪く働くこともあった。
しかし、これに関して僕は手を出さず、アナスタシアに任せることにした。
また、渋谷さんとのレッスンを経験した結果、アナスタシアのレッスンは大きく変わった。
レッスンに対する意識が変わったし、レッスンの質が変わった。量も変わったが……これに関しては、ルキちゃんがアナスタシアの希望を許さなかった。
アナスタシアは渋谷さんのレッスンを基準にレッスン量を変えようとしていたようだが、今のアナスタシアでも渋谷さんと同じレッスンはできないだろう。
今でもやっているアイドルはいるのだから、将来的に見れば不可能ではないと思うが……そうなった場合、ルキちゃんがどんな顔をするかは楽しみでもある。
加蓮とのライブバトルを経験したこととレッスンを変えたことによってアナスタシアは飛躍的なまでに成長した。今なおそれは止まらない。
『You’re stars shine on me』が毎回のように変わっているのもその一環だろう。
どうすればより良くなるのかを常に考えて努力している。
そしてそれは、加蓮とのライブバトルに敗北したことも原因の一つだろう。
今回の加蓮のステージは確かに驚異的なものだった。
あのステージを超えることは『トップアイドル』と呼ばれる存在であっても難しいだろう。
だが、だからと言って敗北の悔しさが紛れるわけはない。負けは負けだ。
アナスタシアは、北条加蓮に敗北した。
それが事実だ。それ以上でもそれ以下でもない。
だから、悔しいのだ。
だから、負けたくないと思うのだ。
だから、だから、だからこそ……二度と負けないと誓うのだ。
二度と負けないように、努力するのだ。
ライブバトルは名前通り『バトル』だ。戦いだ。必ず勝ち負けが発生する。勝者と敗者が存在する。
勝つために努力して、努力して、努力して、努力して……そして、負ける。
その悔しさは、僕では理解できない。敗北は辛く苦しい。僕には、それだけしかわからない。
だが、アナスタシアのあんな顔は……負けたと決まった時のあんな顔は、二度と見たくない。
アナスタシアは言った。
「私を応援してくれたファンに……プロデューサーに、申し訳ない、です」
……あんな顔は、二度とさせたくない。
あんな顔は、二度とさせない。
アナスタシアは二度と負けないために努力している。自分を応援しているファンの期待に、今度こそ、裏切らないように。努力して、ぐんぐんとその力を伸ばしている。
ファンのために。そして、『負けたくない』という純粋な気持ちのために。
アナスタシアは、努力している。
――と言っても、最近のアナスタシアは僕から見ても根を詰めすぎだとは思う。
ルキちゃんにも言われているし、ちゃんと休むように言っておこう。
そして。
その間に、僕は私のするべきことをしよう。
166: ◆Tw7kfjMAJk:2017/04/19(水) 21:12:01.27 :nhXCd10e0
*
「……休日」
レッスン後、休憩スペース。
ルキ特製のドリンクを片手にアナスタシアがつぶやいた。その表情は何かを悩んでいるようであった。
最初、アナスタシアはPからの「休め」という言葉に答えを濁した。アナスタシアは休むよりもレッスンがしたかったのだ。
Pはそれを見抜いており、アナスタシアの反応にやはりかと溜息をついた。
「アナスタシア。最近の君は根を詰めすぎだ。……その顔、渋谷さんと比べればまだまだ、とでも思っているのか? ……図星か。彼女と比べるな。将来的には彼女と同じレッスンもできるようになるかもしれないが、今はまだ無理だ。そもそも、渋谷さんも一切の休みなしにあんな生活を続けているわけではないだろう。とにかく、アナスタシア。今度の土曜日は君の休日だ。休むことも仕事だと思ってくれ。……もしレッスンをしたら、無理やりにでも旅行に連れて行く。だから、誰かと遊びにでも行ってくれ」
そこまで言われてはアナスタシアも断ることができない。Pとの旅行には行ってみたいところだが、今はそれよりも優先するべきものがある。アナスタシアはPの言葉に従って休むことにした。
昔のアナスタシアならば隠れてレッスンをしたかもしれない。だが、アナスタシアも成長したのだ。今は監視役を付けられることもない。これは以前よりもPとアナスタシアに深い信頼関係が結ばれたということを表していると言えるだろう。きっとそうだ。
とにかく、アナスタシアの予定にいきなり休日ができた。
しかし、ここまでいきなりだと予定もまったく立ててはいない。
休日なのだから何もせず寮で休んでいてもいいのかもしれないが……。
そうしてアナスタシアが休日の予定に悩んでいると、
「――む」
と声が聞こえた。アナスタシアは声に振り向くと、ぱっと顔を輝かせた。
「蘭子! 闇に飲まれよ、です」
「うむ。闇に飲まれよ!」
現れたのは神崎蘭子。アナスタシアと同じくレッスン着に身を包み、しっとりと髪が汗に濡れている。
「蘭子はレッスン中、ですか?」
「終わったところよ。貴女は……」蘭子はアナスタシアを見て、すぐに眉を寄せる。「……アーニャちゃん、何かあった?」
「プロデューサーに休めと言われました。でも、何をするか迷っていて……」
「ふむ」蘭子は口元に手を添えて演技がかった調子で考える。「……アナスタシア。それはいつだ?」
「今度の土曜日です」
「……クックック」
「? 蘭子?」
いきなり笑い始めた蘭子にアナスタシアが首を傾げる。蘭子はそんな反応を見て口角を上げ、
「私も同じよ。故に、ともに外界で戯れの時を過ごしましょう」
そう言って、アナスタシアに手を差し出した。
「……スパシーバ、蘭子」
アナスタシアは輝くような笑みを見せた。そんな彼女の反応に、蘭子は恥じらい混じりに「ふふっ」と笑う。
こうしてアナスタシアの休日の予定は埋まった。
アナスタシアと蘭子は二人で楽しそうに何をするのか話し合った。
汗が乾いた蘭子が「くしゅん」と小さなくしゃみをするまで話は続き、二人は一緒に女子寮へと帰った。
*
「……休日」
レッスン後、休憩スペース。
ルキ特製のドリンクを片手にアナスタシアがつぶやいた。その表情は何かを悩んでいるようであった。
最初、アナスタシアはPからの「休め」という言葉に答えを濁した。アナスタシアは休むよりもレッスンがしたかったのだ。
Pはそれを見抜いており、アナスタシアの反応にやはりかと溜息をついた。
「アナスタシア。最近の君は根を詰めすぎだ。……その顔、渋谷さんと比べればまだまだ、とでも思っているのか? ……図星か。彼女と比べるな。将来的には彼女と同じレッスンもできるようになるかもしれないが、今はまだ無理だ。そもそも、渋谷さんも一切の休みなしにあんな生活を続けているわけではないだろう。とにかく、アナスタシア。今度の土曜日は君の休日だ。休むことも仕事だと思ってくれ。……もしレッスンをしたら、無理やりにでも旅行に連れて行く。だから、誰かと遊びにでも行ってくれ」
そこまで言われてはアナスタシアも断ることができない。Pとの旅行には行ってみたいところだが、今はそれよりも優先するべきものがある。アナスタシアはPの言葉に従って休むことにした。
昔のアナスタシアならば隠れてレッスンをしたかもしれない。だが、アナスタシアも成長したのだ。今は監視役を付けられることもない。これは以前よりもPとアナスタシアに深い信頼関係が結ばれたということを表していると言えるだろう。きっとそうだ。
とにかく、アナスタシアの予定にいきなり休日ができた。
しかし、ここまでいきなりだと予定もまったく立ててはいない。
休日なのだから何もせず寮で休んでいてもいいのかもしれないが……。
そうしてアナスタシアが休日の予定に悩んでいると、
「――む」
と声が聞こえた。アナスタシアは声に振り向くと、ぱっと顔を輝かせた。
「蘭子! 闇に飲まれよ、です」
「うむ。闇に飲まれよ!」
現れたのは神崎蘭子。アナスタシアと同じくレッスン着に身を包み、しっとりと髪が汗に濡れている。
「蘭子はレッスン中、ですか?」
「終わったところよ。貴女は……」蘭子はアナスタシアを見て、すぐに眉を寄せる。「……アーニャちゃん、何かあった?」
「プロデューサーに休めと言われました。でも、何をするか迷っていて……」
「ふむ」蘭子は口元に手を添えて演技がかった調子で考える。「……アナスタシア。それはいつだ?」
「今度の土曜日です」
「……クックック」
「? 蘭子?」
いきなり笑い始めた蘭子にアナスタシアが首を傾げる。蘭子はそんな反応を見て口角を上げ、
「私も同じよ。故に、ともに外界で戯れの時を過ごしましょう」
そう言って、アナスタシアに手を差し出した。
「……スパシーバ、蘭子」
アナスタシアは輝くような笑みを見せた。そんな彼女の反応に、蘭子は恥じらい混じりに「ふふっ」と笑う。
こうしてアナスタシアの休日の予定は埋まった。
アナスタシアと蘭子は二人で楽しそうに何をするのか話し合った。
汗が乾いた蘭子が「くしゅん」と小さなくしゃみをするまで話は続き、二人は一緒に女子寮へと帰った。
167: ◆Tw7kfjMAJk:2017/04/19(水) 21:12:28.97 :nhXCd10e0
*
土曜日、朝。
蘭子は事務所から出て、はっ、と息を吐いた。白い息が立ち上り、冬空へと消えていく。
「……スネグーラチカの季節、か」
スネグーラチカ。ロシアにおけるサンタクロース、ジェド・マロースの孫娘。日本語では雪娘とも訳される存在である。
蘭子は自分で言ってから、今日の予定を思い出す。スネグーラチカ。雪娘。
「アーニャちゃんに似合うなぁ……」
アーニャ。アナスタシア。母親が日本人で父親がロシア人のハーフ。とてもきれいな子で、とてもかわいい子。北海道出身で、女子寮に住むアイドルで……私の、ともだち。
「えへへ」
最近、アーニャちゃんは忙しかった。私も暇なわけじゃなかったけれど、アーニャちゃんにはどこか余裕がないように感じられた。それがある時期の凛ちゃんと重なって、少し心配だったのだ。
そして、忙しかったということはなかなか一緒に遊ぶことができなかったということでもある。女子寮で顔を合わせて話すことはあったが、それくらい。
そんなアナスタシアと久しぶりに遊びに出かける。
そのことを思うと、自然と蘭子の表情がゆるんだ。
今日の予定はきちんと考えてきている。自分の行きたいところ。アーニャちゃんを連れて行きたいところ。アーニャちゃんがよろこんでくれそうなところ……。予定通りには進まないだろうが、その時はその時だ。
この時間だと、アナスタシアはそろそろ目を覚ました頃だろうか。だいたいの場合、蘭子が起きる時間には既にアナスタシアは目を覚ましている。しかし、今日のアナスタシアはオフだ。なら、まだ寝ているかもしれない。
そう思って女子寮に戻ると、そこにはジャージ姿のアナスタシアがいた。
「蘭子。ドーブラエウートラ。おはようございます」
ストレッチ中。まだ汗はかいていないように見える。……ランニングの、前?
「煩わしい太陽ね。……して、眩き白銀よ。その装いは?」
「朝のランニングです。休日でも、これくらいはしていい、ですね?」
いいのだろうか。蘭子にはわからなかった。しかしわかることもあった。
「生命の雫を捧げる、か。私もその儀式に付き合いましょう。……すぐ準備するから、ちょっと待ってて」
「ダー♪ 私、待ってますね」
というわけで、蘭子はアナスタシアとともにランニングをすることになった。
*
土曜日、朝。
蘭子は事務所から出て、はっ、と息を吐いた。白い息が立ち上り、冬空へと消えていく。
「……スネグーラチカの季節、か」
スネグーラチカ。ロシアにおけるサンタクロース、ジェド・マロースの孫娘。日本語では雪娘とも訳される存在である。
蘭子は自分で言ってから、今日の予定を思い出す。スネグーラチカ。雪娘。
「アーニャちゃんに似合うなぁ……」
アーニャ。アナスタシア。母親が日本人で父親がロシア人のハーフ。とてもきれいな子で、とてもかわいい子。北海道出身で、女子寮に住むアイドルで……私の、ともだち。
「えへへ」
最近、アーニャちゃんは忙しかった。私も暇なわけじゃなかったけれど、アーニャちゃんにはどこか余裕がないように感じられた。それがある時期の凛ちゃんと重なって、少し心配だったのだ。
そして、忙しかったということはなかなか一緒に遊ぶことができなかったということでもある。女子寮で顔を合わせて話すことはあったが、それくらい。
そんなアナスタシアと久しぶりに遊びに出かける。
そのことを思うと、自然と蘭子の表情がゆるんだ。
今日の予定はきちんと考えてきている。自分の行きたいところ。アーニャちゃんを連れて行きたいところ。アーニャちゃんがよろこんでくれそうなところ……。予定通りには進まないだろうが、その時はその時だ。
この時間だと、アナスタシアはそろそろ目を覚ました頃だろうか。だいたいの場合、蘭子が起きる時間には既にアナスタシアは目を覚ましている。しかし、今日のアナスタシアはオフだ。なら、まだ寝ているかもしれない。
そう思って女子寮に戻ると、そこにはジャージ姿のアナスタシアがいた。
「蘭子。ドーブラエウートラ。おはようございます」
ストレッチ中。まだ汗はかいていないように見える。……ランニングの、前?
「煩わしい太陽ね。……して、眩き白銀よ。その装いは?」
「朝のランニングです。休日でも、これくらいはしていい、ですね?」
いいのだろうか。蘭子にはわからなかった。しかしわかることもあった。
「生命の雫を捧げる、か。私もその儀式に付き合いましょう。……すぐ準備するから、ちょっと待ってて」
「ダー♪ 私、待ってますね」
というわけで、蘭子はアナスタシアとともにランニングをすることになった。
168: ◆Tw7kfjMAJk:2017/04/19(水) 21:12:57.66 :nhXCd10e0
*
「くっ、我が身をもってしても、ここまで魔力が削られるとは……さすがは眩き白銀、と言ったところか」
ランニングの後、軽くシャワーを浴びた蘭子は言った。今は着替えて食堂で朝食を食べている。
「今日は私も疲れました。レッスンをしないなら、走るくらいはしなくちゃダメ、ですね?」
アナスタシアは言うが、彼女は今日が休日だということを忘れていないだろうか。
「あ、蘭子チャンにアーニャン……すごく疲れてるみたいだけど、どうしたの?」
「みく。ドーブラエウートラ。おはよう、です!」
「ん、おはようにゃ」
みくが朝食を乗せたトレイを持ってアナスタシアの隣に座り、蘭子とアナスタシアの姿を見る。乾かしはしたが、二人の髪を見ればシャワーを浴びた後だということはわかる。
「ランニング? でも、アーニャン、今日は休日って言われたんじゃ……」
「休日でもこれくらいはしていい、ですね?」
ふんす、と胸を張って言うアナスタシアだが、みくは冷静に「いや、そんなに疲れるのはダメだと思うよ」と返す。アナスタシアは下唇を上げる。
「みくは意地悪です」
「どこがにゃ。はぁ……新人チャンの苦労がわかるね、蘭子チャン」
「……うむ」
アナスタシアは良い子だ。それは間違いない。真面目だし、努力家だし、ストイックだ。だが、だからこそ、ということもある。
「まあ、終わったことに何か言っても無駄だよね。今日、アーニャンと蘭子チャンは遊びに行くんだったっけ」
「ダー」アナスタシアがうなずく。「みくは仕事、ですか?」
「うん。Pチャンはみくのことを働かせ過ぎだと思うにゃ」
「……でも、今のみくはとても幸せそう、ですね」
「え?」
そう言ってみくは自分の顔に触れる。蘭子はそんなみくを見てくすりと笑う。みくはだらしなく笑っていた。
「……まあ、みくのことはいいの。二人とも、今日はしっかり遊んで来てね!」
慌てた様子でそんなことを言うみくを見て、蘭子とアナスタシアは笑ってうなずいた。
*
「くっ、我が身をもってしても、ここまで魔力が削られるとは……さすがは眩き白銀、と言ったところか」
ランニングの後、軽くシャワーを浴びた蘭子は言った。今は着替えて食堂で朝食を食べている。
「今日は私も疲れました。レッスンをしないなら、走るくらいはしなくちゃダメ、ですね?」
アナスタシアは言うが、彼女は今日が休日だということを忘れていないだろうか。
「あ、蘭子チャンにアーニャン……すごく疲れてるみたいだけど、どうしたの?」
「みく。ドーブラエウートラ。おはよう、です!」
「ん、おはようにゃ」
みくが朝食を乗せたトレイを持ってアナスタシアの隣に座り、蘭子とアナスタシアの姿を見る。乾かしはしたが、二人の髪を見ればシャワーを浴びた後だということはわかる。
「ランニング? でも、アーニャン、今日は休日って言われたんじゃ……」
「休日でもこれくらいはしていい、ですね?」
ふんす、と胸を張って言うアナスタシアだが、みくは冷静に「いや、そんなに疲れるのはダメだと思うよ」と返す。アナスタシアは下唇を上げる。
「みくは意地悪です」
「どこがにゃ。はぁ……新人チャンの苦労がわかるね、蘭子チャン」
「……うむ」
アナスタシアは良い子だ。それは間違いない。真面目だし、努力家だし、ストイックだ。だが、だからこそ、ということもある。
「まあ、終わったことに何か言っても無駄だよね。今日、アーニャンと蘭子チャンは遊びに行くんだったっけ」
「ダー」アナスタシアがうなずく。「みくは仕事、ですか?」
「うん。Pチャンはみくのことを働かせ過ぎだと思うにゃ」
「……でも、今のみくはとても幸せそう、ですね」
「え?」
そう言ってみくは自分の顔に触れる。蘭子はそんなみくを見てくすりと笑う。みくはだらしなく笑っていた。
「……まあ、みくのことはいいの。二人とも、今日はしっかり遊んで来てね!」
慌てた様子でそんなことを言うみくを見て、蘭子とアナスタシアは笑ってうなずいた。
169: ◆Tw7kfjMAJk:2017/04/19(水) 21:13:25.14 :nhXCd10e0
*
女子寮を出て、道を歩く。
事務所に行った時、ランニングに行った時。そのどちらとも違って、歩く人が増えてきていた。草木の表面はまだ凍っており、陽光に照らされてきらきらと光っている。
ふっ、と冷気を乗せた風が駆け抜ける。蘭子は思わず身を震わせて、ぎゅっと自らの手を握りしめる。
「シヴァの息吹か……」
手袋を付けてきてもよかったかもしれない。黒い刺繍が入った、ゴシック風の長手袋。
冬用と言うわけではなく、薄手なのであまり意味はないかもしれないが、付けないよりはマシだろう。
しかし、今日の服装のバランスを考えると……むぅ。
「蘭子、どうかしましたか?」
アナスタシアが心配そうな表情を浮かべている。蘭子は素直に答える。
「……手が、冷たくて」
「手が……」
アナスタシアは呟いて、蘭子の手をじっと見つめる。そして、ひょいっ、と蘭子の手を掴んだ。
「なっ、なにを」
突然のことに蘭子は驚くが、アナスタシアはそのままゆっくりと蘭子の手を包んで、握る。
「こうすればあたたかい、ですね?」
「……うん」
蘭子はうなずく。あたたかい。とても、とても。
そのまま二人は手を繋いで歩いた。手を繋いでいない方の手は素肌で外気に触れている。
でも、あたたかかった。
繋いだ手に、汗がにじんだ。
*
女子寮を出て、道を歩く。
事務所に行った時、ランニングに行った時。そのどちらとも違って、歩く人が増えてきていた。草木の表面はまだ凍っており、陽光に照らされてきらきらと光っている。
ふっ、と冷気を乗せた風が駆け抜ける。蘭子は思わず身を震わせて、ぎゅっと自らの手を握りしめる。
「シヴァの息吹か……」
手袋を付けてきてもよかったかもしれない。黒い刺繍が入った、ゴシック風の長手袋。
冬用と言うわけではなく、薄手なのであまり意味はないかもしれないが、付けないよりはマシだろう。
しかし、今日の服装のバランスを考えると……むぅ。
「蘭子、どうかしましたか?」
アナスタシアが心配そうな表情を浮かべている。蘭子は素直に答える。
「……手が、冷たくて」
「手が……」
アナスタシアは呟いて、蘭子の手をじっと見つめる。そして、ひょいっ、と蘭子の手を掴んだ。
「なっ、なにを」
突然のことに蘭子は驚くが、アナスタシアはそのままゆっくりと蘭子の手を包んで、握る。
「こうすればあたたかい、ですね?」
「……うん」
蘭子はうなずく。あたたかい。とても、とても。
そのまま二人は手を繋いで歩いた。手を繋いでいない方の手は素肌で外気に触れている。
でも、あたたかかった。
繋いだ手に、汗がにじんだ。
170: ◆Tw7kfjMAJk:2017/04/19(水) 21:13:55.04 :nhXCd10e0
*
「……ミオ、すごかったですね」
昼食のために入った洋食店で、アナスタシアは言った。
女子寮を出てから二人がまず向かったのは映画館だった。共通の友人である本田未央が出演するということもあって、二人とも前から見たいと思っていた映画だ。
未央は主演ではなかったが重要な役を演じていた。舞台などで経験を積んだこともあってか、未央の演技力は他の役者に見劣りしないどころか、光る演技すら見せていた。
映画を見終わった後、二人は感想を言い合いたくなった。そこでもう昼食の時間だということで、蘭子がオススメするこの店に来たのである。
この洋食店は蘭子が自分の担当プロデューサーに連れて来てもらったことがある店だ。蘭子にとっても思い入れが深く、アナスタシアにも知ってもらいたかったのである。
蘭子もアナスタシアもハンバーグを注文して、今は注文したものが来るのを待っている。
その間に映画の感想を、というわけだ。
「オリオンの輝き……だけではなかった、な」
蘭子はつぶやく。いつもの未央ちゃんとさっき見た未央ちゃんはまったくの別人のように感じられた。
アイドルとしての本田未央。『パーフェクトスター』と呼ばれる彼女とはまるで別人のようで……でも、魅力だけは同じだった。
確かに『本田未央』だった。
だからこそ、すごい。蘭子は素直にそう思った。
「オリオン……ミオの星、ですね?」
しかし、アナスタシアの食いついたところは違った。蘭子は「うむ」とうなずく。
「ライラプス……おおいぬ座を猟犬に持ち、月の女神アルテミスに愛された狩人。『パーフェクトスター』の名にもふさわしい」
蘭子もそこまで詳しいわけではないが、確かそんな感じだったはずだ。
蘭子は神話などの知識も持っているが、一つ一つに関して深く知っているというほどではないので、あまり自信はない。
「猟犬……私はミオの猟犬、ですか?」
「へ?」
アナスタシアの言葉に、蘭子はそんな声を出す。アナスタシアはくすりと笑って、
「以前、話しましたね? 私はシリウスを目指しています。地球から見える恒星の中で、太陽を除いて、最も明るく輝く星――おおいぬ座の、シリウスです」
そう言えば、その話は聞いたことがある。だが、さらっとしか聞いたことがなかったので、蘭子もあまり意識して話したわけではなかった。
「そ、そのような意味では……」
「それに」アナスタシアは続ける。「月の女神に愛されたということは、蘭子に愛された、ということになりますね?」
「えっ!?」蘭子は驚きに声を出す。「な、なんでそうなるの?」
「蘭子と言えば月、ですから」
そうなのだろうか。いや、自分でも月を意識したことはあったが……。
「で、でも、未央ちゃんのことは好きだけど、そういう意味じゃなくて……うぅ」
「……ふふっ」
蘭子が目を回していると、アナスタシアが微笑む。そこで蘭子は気付く。
「……アーニャちゃんの意地悪」
「すみません、蘭子」アナスタシアはくすくすと笑いながら謝る。「こういうやりとりに憧れていました。ダメ、ですか?」
……そんなことを言われると、
「ずるいよ、アーニャちゃん」
蘭子はそう言って、くすっと微笑む。
「私も、楽しいよ」
そうやって二人は笑いあった。そうしているうちにハンバーグが来て、それを食べて、そのおいしさにまた二人で笑いあった。
*
「……ミオ、すごかったですね」
昼食のために入った洋食店で、アナスタシアは言った。
女子寮を出てから二人がまず向かったのは映画館だった。共通の友人である本田未央が出演するということもあって、二人とも前から見たいと思っていた映画だ。
未央は主演ではなかったが重要な役を演じていた。舞台などで経験を積んだこともあってか、未央の演技力は他の役者に見劣りしないどころか、光る演技すら見せていた。
映画を見終わった後、二人は感想を言い合いたくなった。そこでもう昼食の時間だということで、蘭子がオススメするこの店に来たのである。
この洋食店は蘭子が自分の担当プロデューサーに連れて来てもらったことがある店だ。蘭子にとっても思い入れが深く、アナスタシアにも知ってもらいたかったのである。
蘭子もアナスタシアもハンバーグを注文して、今は注文したものが来るのを待っている。
その間に映画の感想を、というわけだ。
「オリオンの輝き……だけではなかった、な」
蘭子はつぶやく。いつもの未央ちゃんとさっき見た未央ちゃんはまったくの別人のように感じられた。
アイドルとしての本田未央。『パーフェクトスター』と呼ばれる彼女とはまるで別人のようで……でも、魅力だけは同じだった。
確かに『本田未央』だった。
だからこそ、すごい。蘭子は素直にそう思った。
「オリオン……ミオの星、ですね?」
しかし、アナスタシアの食いついたところは違った。蘭子は「うむ」とうなずく。
「ライラプス……おおいぬ座を猟犬に持ち、月の女神アルテミスに愛された狩人。『パーフェクトスター』の名にもふさわしい」
蘭子もそこまで詳しいわけではないが、確かそんな感じだったはずだ。
蘭子は神話などの知識も持っているが、一つ一つに関して深く知っているというほどではないので、あまり自信はない。
「猟犬……私はミオの猟犬、ですか?」
「へ?」
アナスタシアの言葉に、蘭子はそんな声を出す。アナスタシアはくすりと笑って、
「以前、話しましたね? 私はシリウスを目指しています。地球から見える恒星の中で、太陽を除いて、最も明るく輝く星――おおいぬ座の、シリウスです」
そう言えば、その話は聞いたことがある。だが、さらっとしか聞いたことがなかったので、蘭子もあまり意識して話したわけではなかった。
「そ、そのような意味では……」
「それに」アナスタシアは続ける。「月の女神に愛されたということは、蘭子に愛された、ということになりますね?」
「えっ!?」蘭子は驚きに声を出す。「な、なんでそうなるの?」
「蘭子と言えば月、ですから」
そうなのだろうか。いや、自分でも月を意識したことはあったが……。
「で、でも、未央ちゃんのことは好きだけど、そういう意味じゃなくて……うぅ」
「……ふふっ」
蘭子が目を回していると、アナスタシアが微笑む。そこで蘭子は気付く。
「……アーニャちゃんの意地悪」
「すみません、蘭子」アナスタシアはくすくすと笑いながら謝る。「こういうやりとりに憧れていました。ダメ、ですか?」
……そんなことを言われると、
「ずるいよ、アーニャちゃん」
蘭子はそう言って、くすっと微笑む。
「私も、楽しいよ」
そうやって二人は笑いあった。そうしているうちにハンバーグが来て、それを食べて、そのおいしさにまた二人で笑いあった。
171: ◆Tw7kfjMAJk:2017/04/19(水) 21:14:27.37 :nhXCd10e0
*
昼食が終わり、二人はショッピングに出かけた。
服や小物、色んなものを見て回った。アナスタシアが普段買っているものと蘭子が普段買っているものでは大きく違ったので、どちらにとっても新鮮だった。
互いに互いをコーディネートしてみる、といったこともやった。自分が普段着るような服装で互いを着飾るのだ。
アナスタシアはよろこんでゴシック風の服装を着たが、蘭子がアナスタシアに着飾られる時は少し恥ずかしそうだった。
しかし、二人ともその服装はその服装で気に入って、どちらも買うことになった。
「いつか、二人でこの服を着て出かけてみたい、ですね」
「……うん」
そうやってショッピングを楽しんでいるとすぐに時間は過ぎていった。気付いた時には日が落ちて、空は暗くなっていた。
もう帰ろうか。どうしようか。そう思った蘭子がアナスタシアに相談しようとすると、アナスタシアが言った。
「蘭子。星を、見に行きませんか?」
と。
*
昼食が終わり、二人はショッピングに出かけた。
服や小物、色んなものを見て回った。アナスタシアが普段買っているものと蘭子が普段買っているものでは大きく違ったので、どちらにとっても新鮮だった。
互いに互いをコーディネートしてみる、といったこともやった。自分が普段着るような服装で互いを着飾るのだ。
アナスタシアはよろこんでゴシック風の服装を着たが、蘭子がアナスタシアに着飾られる時は少し恥ずかしそうだった。
しかし、二人ともその服装はその服装で気に入って、どちらも買うことになった。
「いつか、二人でこの服を着て出かけてみたい、ですね」
「……うん」
そうやってショッピングを楽しんでいるとすぐに時間は過ぎていった。気付いた時には日が落ちて、空は暗くなっていた。
もう帰ろうか。どうしようか。そう思った蘭子がアナスタシアに相談しようとすると、アナスタシアが言った。
「蘭子。星を、見に行きませんか?」
と。
172: ◆Tw7kfjMAJk:2017/04/19(水) 21:15:16.85 :nhXCd10e0
*
「わぁ……!」
満天の星。
蘭子がこれまでに見たことがない光景がそこにはあった。
東京に住むようになってからもう数年は経つが、東京にこんなにも綺麗に星を見ることができる場所があるなんて知らなかった。
「綺麗だね! アーニャ――」
興奮しながら、蘭子はアナスタシアに声をかけようとして。
その瞬間。
蘭子は息を止めて、アナスタシアを見た。
夜の星を見上げて、そこに立っているアナスタシア。
星々の光を受けて、彼女は白銀に輝いていた。
夜の闇の中、地上にて輝く白銀の少女。
それはまるで、星のごとく――
「――蘭子?」
「はっ」
気付けば、アナスタシアが心配そうな表情でこちらを見ていた。……完全に見惚れてしまっていた。蘭子はこほんと咳払いをして、「なんでもないわ」と言う。
「なら、良かったです」
そうやって微笑むアナスタシアを見ているとさっきまでのことを思い出して、顔が赤くなってしまう。恥ずかしい。
でも、さっきのアナスタシアはそれほどまでに美しかった。星のように、輝いていた。
「……綺麗ですね、蘭子」
アナスタシアの言葉に、蘭子はどきっとしてしまう。そんな蘭子の様子には気付かず、アナスタシアは続ける。
「この星空を見ていると、少し、故郷を思い出しますね」
「故郷……ロシア? それとも、北海道?」
アナスタシアには二つの故郷がある。どちらのことを指しているのだろうか。
「どちらも、かもしれません」
アナスタシアは微笑む。その微笑みはとても綺麗で、でも……。
「故郷が、恋しい?」
ホームシック。それは、十分に考えられることだ。
アイドルになってから……アナスタシアは一度も故郷に帰っていないと言う。自分も経験がないわけではない。
そもそも、アナスタシアと自分では状況が違う。
日本語もまだ学習中。故郷を愛して、家族を愛している。
そんな少女が愛する者と別れて慣れない土地に来たのだ。
その不安は蘭子が想像しているものよりも、ずっと大きなものだろう。
しかし、アナスタシアは首を振る。
「もちろん、故郷のことは好き、ですね。グランマ、グランパ。ママ、パパ……会いたくない、と言えば嘘になります。でも、今は……」
アナスタシアは空を見上げた。そこには、星が輝いている。
「……蘭子。私は、アイドルになってから、毎日楽しいです。毎日、新しい私になれて……それは、とても幸せなことですね」
その気持ちはわかる。自分もそうだ。そうだけど……。
「私はプロデューサーに言われました。アイドルになれば、辛いことや苦しいことはいっぱいある。でも、それよりも幸せになれるって。……それは、本当のこと、ですね?」
その通りだ。蘭子も同じ気持ちだった。アイドルになってから、良いことばかりではなかった。でも、それよりも、ずっと、ずっと……。
*
「わぁ……!」
満天の星。
蘭子がこれまでに見たことがない光景がそこにはあった。
東京に住むようになってからもう数年は経つが、東京にこんなにも綺麗に星を見ることができる場所があるなんて知らなかった。
「綺麗だね! アーニャ――」
興奮しながら、蘭子はアナスタシアに声をかけようとして。
その瞬間。
蘭子は息を止めて、アナスタシアを見た。
夜の星を見上げて、そこに立っているアナスタシア。
星々の光を受けて、彼女は白銀に輝いていた。
夜の闇の中、地上にて輝く白銀の少女。
それはまるで、星のごとく――
「――蘭子?」
「はっ」
気付けば、アナスタシアが心配そうな表情でこちらを見ていた。……完全に見惚れてしまっていた。蘭子はこほんと咳払いをして、「なんでもないわ」と言う。
「なら、良かったです」
そうやって微笑むアナスタシアを見ているとさっきまでのことを思い出して、顔が赤くなってしまう。恥ずかしい。
でも、さっきのアナスタシアはそれほどまでに美しかった。星のように、輝いていた。
「……綺麗ですね、蘭子」
アナスタシアの言葉に、蘭子はどきっとしてしまう。そんな蘭子の様子には気付かず、アナスタシアは続ける。
「この星空を見ていると、少し、故郷を思い出しますね」
「故郷……ロシア? それとも、北海道?」
アナスタシアには二つの故郷がある。どちらのことを指しているのだろうか。
「どちらも、かもしれません」
アナスタシアは微笑む。その微笑みはとても綺麗で、でも……。
「故郷が、恋しい?」
ホームシック。それは、十分に考えられることだ。
アイドルになってから……アナスタシアは一度も故郷に帰っていないと言う。自分も経験がないわけではない。
そもそも、アナスタシアと自分では状況が違う。
日本語もまだ学習中。故郷を愛して、家族を愛している。
そんな少女が愛する者と別れて慣れない土地に来たのだ。
その不安は蘭子が想像しているものよりも、ずっと大きなものだろう。
しかし、アナスタシアは首を振る。
「もちろん、故郷のことは好き、ですね。グランマ、グランパ。ママ、パパ……会いたくない、と言えば嘘になります。でも、今は……」
アナスタシアは空を見上げた。そこには、星が輝いている。
「……蘭子。私は、アイドルになってから、毎日楽しいです。毎日、新しい私になれて……それは、とても幸せなことですね」
その気持ちはわかる。自分もそうだ。そうだけど……。
「私はプロデューサーに言われました。アイドルになれば、辛いことや苦しいことはいっぱいある。でも、それよりも幸せになれるって。……それは、本当のこと、ですね?」
その通りだ。蘭子も同じ気持ちだった。アイドルになってから、良いことばかりではなかった。でも、それよりも、ずっと、ずっと……。
173: ◆Tw7kfjMAJk:2017/04/19(水) 21:15:44.41 :nhXCd10e0
「蘭子」
アナスタシアは言った。
「私はこの夜空で、いちばん輝くズヴェズダ……星に、なります。きっと、きっと」
『神崎蘭子』に、そう言った。
蘭子はそこに、アナスタシアの覚悟を見た。
その覚悟の強さ。覚悟の深さ。それは、蘭子が思っていたものよりも、ずっと大きなもので……。
「……天狼、か」
天狼。それはシリウスを示す言葉の一つだ。
「テンロウ……?」
アナスタシアが首を傾げる。そんな彼女に蘭子はフッと笑い、天を指差す。
「冬の大三角が一つ、太陽を除く地上から見える最も明るい恒星であり、『光り輝くもの』の名を冠する星――」
そして、その指をアナスタシアに向ける。
「――シリウス。その別名の一つよ。『銀の天狼』アナスタシア」
そう、アナスタシアを呼んだ。
自然とその言葉が出た。不思議なほど、しっくりきた。
『銀の天狼』。それは、彼女にふさわしい――
「――アナスタシア。あなたは私を月と言ったわね」
月。
それは、地球から見える星の中で、太陽に次いで輝く星の名前。
この夜空において、最も輝く星の名前。
「だから、私もそれを目指しましょう」
この世界で、最も輝くことを目指す。
『神崎蘭子』がそう言うことの、意味。
それがわからないアナスタシアではなかった。
だから、彼女は言う。
「ダー。一緒に、頑張りましょう」
アナスタシアは蘭子に向かって、手を差し出す。
「この世界で最も輝く星を、目指して」
蘭子はその手をとり、握る。
「ともに、天上の輝きを――」
その日。
アナスタシアと、神崎蘭子。
二人の少女は誓いを交わした。
この後、生涯の親友であり――生涯のライバルとなる二人の誓いだった。
「蘭子」
アナスタシアは言った。
「私はこの夜空で、いちばん輝くズヴェズダ……星に、なります。きっと、きっと」
『神崎蘭子』に、そう言った。
蘭子はそこに、アナスタシアの覚悟を見た。
その覚悟の強さ。覚悟の深さ。それは、蘭子が思っていたものよりも、ずっと大きなもので……。
「……天狼、か」
天狼。それはシリウスを示す言葉の一つだ。
「テンロウ……?」
アナスタシアが首を傾げる。そんな彼女に蘭子はフッと笑い、天を指差す。
「冬の大三角が一つ、太陽を除く地上から見える最も明るい恒星であり、『光り輝くもの』の名を冠する星――」
そして、その指をアナスタシアに向ける。
「――シリウス。その別名の一つよ。『銀の天狼』アナスタシア」
そう、アナスタシアを呼んだ。
自然とその言葉が出た。不思議なほど、しっくりきた。
『銀の天狼』。それは、彼女にふさわしい――
「――アナスタシア。あなたは私を月と言ったわね」
月。
それは、地球から見える星の中で、太陽に次いで輝く星の名前。
この夜空において、最も輝く星の名前。
「だから、私もそれを目指しましょう」
この世界で、最も輝くことを目指す。
『神崎蘭子』がそう言うことの、意味。
それがわからないアナスタシアではなかった。
だから、彼女は言う。
「ダー。一緒に、頑張りましょう」
アナスタシアは蘭子に向かって、手を差し出す。
「この世界で最も輝く星を、目指して」
蘭子はその手をとり、握る。
「ともに、天上の輝きを――」
その日。
アナスタシアと、神崎蘭子。
二人の少女は誓いを交わした。
この後、生涯の親友であり――生涯のライバルとなる二人の誓いだった。
174: ◆Tw7kfjMAJk:2017/04/19(水) 21:16:10.68 :nhXCd10e0
*
事務所。
僕はある人を待ちながら、アナスタシアのことを考えていた。
彼女はきちんと休んでいるだろうか。神崎さんと遊びに行くという話だが、楽しんでいるだろうか。張り詰めていた糸が、少しは緩んでいるといいのだが……。
アナスタシアのアイドル活動は順調過ぎるほどに順調だ。
だが、これはアナスタシアの実力を考えればおかしくはない。もちろん、運も影響しているとは思うが……アナスタシアの才能と努力がなければ、その運も味方してくれなかっただろう。
アナスタシアは、デビュー一年目とは思えないほどの活躍を見せてくれている。
だが――だからと言って、こんなところで満足するわけにはいかない。
その時。
「――お前がこんなところにいるなんて、珍しいな」
扉が開き、そう声をかけられた。
「星の輝きが曇ったか? ……なんて、今のアーニャちゃんを見るに、それはないか」
僕の先輩。よくお世話になり、色んなことを教えてくれた先輩。しばしばポエムのような物言いをする先輩。ポエム先輩である。
「はい。おかげさまで、アナスタシアは順調に活躍しています」
「おかげさま、ね」先輩はにっと口の端を上げる。「俺は何もしていないさ。お前の実力だよ」
「僕は」
「あー、わかったわかった」僕が口を開こうとすると、先輩は手を振ってそれを遮った。「お前、謙遜も過ぎると失礼だぞ? 一年足らずであんなアイドルを育てておいて、よく言うよ」
「……あれは、アナスタシアの努力と才能のおかげです」
「それも含めて、お前の功績だよ」先輩は呆れたように息をつく。「あの星を見つけたのはお前だし、輝かせたのもお前だ。まあ、べつに認めなくてもいいけどな。お前がどうしたいのかさえわかっていればそれでいい。――で」
先輩は僕を見て、尋ねる。
「何の用だ? お前がこんな世間話をしに来たなんて、そんなわけはないだろ?」
その目には、力があった。
アイドルとはまた別の類の力。
芸能界は魑魅魍魎が蔓延る世界だ。故に、目の前にいるこの人も、その一人――
だが、だからと言って臆すわけにはいかない。
立ち向かえ。
挑め。
戦え。
目指すは魑魅魍魎の頂き。
ならば、これは、超えるべき存在――
「今日は、頼みがあって来ました」
「頼み?」
「はい」
僕は言う。
目の前にいる、一人のプロデューサーに。
あるアイドルを担当するプロデューサー。
この世界における、一つの頂点。
そのアイドルを担当する、プロデューサーに。
僕は、言った。
「――当代の『シンデレラガール』神崎蘭子に、ライブバトルを挑みます」
そして。
アナスタシアと神崎蘭子。
二人のライブバトルが決まった。
読む →
*
事務所。
僕はある人を待ちながら、アナスタシアのことを考えていた。
彼女はきちんと休んでいるだろうか。神崎さんと遊びに行くという話だが、楽しんでいるだろうか。張り詰めていた糸が、少しは緩んでいるといいのだが……。
アナスタシアのアイドル活動は順調過ぎるほどに順調だ。
だが、これはアナスタシアの実力を考えればおかしくはない。もちろん、運も影響しているとは思うが……アナスタシアの才能と努力がなければ、その運も味方してくれなかっただろう。
アナスタシアは、デビュー一年目とは思えないほどの活躍を見せてくれている。
だが――だからと言って、こんなところで満足するわけにはいかない。
その時。
「――お前がこんなところにいるなんて、珍しいな」
扉が開き、そう声をかけられた。
「星の輝きが曇ったか? ……なんて、今のアーニャちゃんを見るに、それはないか」
僕の先輩。よくお世話になり、色んなことを教えてくれた先輩。しばしばポエムのような物言いをする先輩。ポエム先輩である。
「はい。おかげさまで、アナスタシアは順調に活躍しています」
「おかげさま、ね」先輩はにっと口の端を上げる。「俺は何もしていないさ。お前の実力だよ」
「僕は」
「あー、わかったわかった」僕が口を開こうとすると、先輩は手を振ってそれを遮った。「お前、謙遜も過ぎると失礼だぞ? 一年足らずであんなアイドルを育てておいて、よく言うよ」
「……あれは、アナスタシアの努力と才能のおかげです」
「それも含めて、お前の功績だよ」先輩は呆れたように息をつく。「あの星を見つけたのはお前だし、輝かせたのもお前だ。まあ、べつに認めなくてもいいけどな。お前がどうしたいのかさえわかっていればそれでいい。――で」
先輩は僕を見て、尋ねる。
「何の用だ? お前がこんな世間話をしに来たなんて、そんなわけはないだろ?」
その目には、力があった。
アイドルとはまた別の類の力。
芸能界は魑魅魍魎が蔓延る世界だ。故に、目の前にいるこの人も、その一人――
だが、だからと言って臆すわけにはいかない。
立ち向かえ。
挑め。
戦え。
目指すは魑魅魍魎の頂き。
ならば、これは、超えるべき存在――
「今日は、頼みがあって来ました」
「頼み?」
「はい」
僕は言う。
目の前にいる、一人のプロデューサーに。
あるアイドルを担当するプロデューサー。
この世界における、一つの頂点。
そのアイドルを担当する、プロデューサーに。
僕は、言った。
「――当代の『シンデレラガール』神崎蘭子に、ライブバトルを挑みます」
そして。
アナスタシアと神崎蘭子。
二人のライブバトルが決まった。